破戒
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著者名:島崎藤村 

『沈んで居る?』と銀之助は聞咎(きゝとが)めて、『沈んで居るのは彼男(あのをとこ)の性質さ。それだから新平民だとは無論言はれない。新平民でなくたつて、沈欝(ちんうつ)な男はいくらも世間にあるからね。』
『穢多には一種特別な臭気(にほひ)が有ると言ふぢやないか――嗅いで見たら解るだらう。』と尋常一年の教師は混返(まぜかへ)すやうにして笑つた。
『馬鹿なことを言給へ。』と銀之助も笑つて、『僕だつていくらも新平民を見た。あの皮膚の色からして、普通の人間とは違つて居らあね。そりやあ、もう、新平民か新平民で無いかは容貌(かほつき)で解る。それに君、社会(よのなか)から度外(のけもの)にされて居るもんだから、性質が非常に僻(ひが)んで居るサ。まあ、新平民の中から男らしい毅然(しつかり)した青年なぞの産れやうが無い。どうして彼様(あん)な手合が学問といふ方面に頭を擡(もちあ)げられるものか。其から推(お)したつて、瀬川君のことは解りさうなものぢやないか。』
『土屋君、そんなら彼(あ)の猪子蓮太郎といふ先生は奈何(どう)したものだ。』と文平は嘲(あざけ)るやうに言つた。
『ナニ、猪子蓮太郎?』と銀之助は言淀(いひよど)んで、『彼(あ)の先生は――彼(あれ)は例外さ。』
『それ見給へ。そんなら瀬川君だつても例外だらう――はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
 と準教員は手を拍(う)つて笑つた。聞いて居る教員等(たち)も一緒になつて笑はずには居られなかつたのである。
 其時、斯の職員室の戸を開けて入つて来たのは、丑松であつた。急に一同口を噤(つぐ)んで了(しま)つた。人々の視線は皆な丑松の方へ注ぎ集つた。
『瀬川君、奈何(どう)ですか、御病気は――』
 と文平は意味ありげに尋ねる。其調子がいかにも皮肉に聞えたので、準教員は傍に居る尋常一年の教師と顔を見合せて、思はず互に微笑(ほゝゑみ)を泄(もら)した。
『難有(ありがた)う。』と丑松は何気なく、『もうすつかり快(よ)くなりました。』
『風邪(かぜ)ですか。』と尋常四年の教師が沈着(おちつ)き澄まして言つた。
『はあ――ナニ、差(たい)したことでも無かつたんです。』と答へて、丑松は気を変へて、『時に、勝野君、生憎(あいにく)今日は生徒が集まらなくて困つた。斯(こ)の様子では土屋君の送別会も出来さうも無い。折角準備(したく)したのにツて、出て来た生徒は張合の無いやうな顔してる。』
『なにしろ是雪(このゆき)だからねえ。』と文平は微笑んで、『仕方が無い、延ばすサ。』
 斯(か)ういふ話をして居るところへ、小使がやつて来た。銀之助は丑松の方にばかり気を取られて、小使の言ふことも耳へ入らない。それと見た体操の教師は軽く銀之助の肩を叩いて、
『土屋君、土屋君――校長先生が君を呼んでるよ。』
『僕を?』銀之助は始めて気が付いたのである。

       (三)

 校長は郡視学と二人で応接室に居た。銀之助が戸を開けて入つた時は、二人差向ひに椅子に腰懸けて、何か密議を凝(こら)して居るところであつた。
『おゝ、土屋君か。』と校長は身を起して、そこに在る椅子を銀之助の方へ押薦(おしすゝ)めた。『他(ほか)の事で君を呼んだのでは無いが、実は近頃世間に妙な風評が立つて――定めし其はもう君も御承知のことだらうけれど――彼様(あゝ)して町の人が左(と)や右(かく)言ふものを、黙つて見ても居られないし、第一斯(か)ういふことが余り世間へ伝播(ひろが)ると、終(しまひ)には奈何(どん)な結果を来すかも知れない。其に就いて、茲(こゝ)に居られる郡視学さんも非常に御心配なすつて、態々(わざ/\)斯(こ)の雪に尋ねて来て下すつたんです。兎(と)に角(かく)、君は瀬川君と師範校時代から御一緒ではあり、日頃親しく往来(ゆきゝ)もして居られるやうだから、君に聞いたら是事(このこと)は一番好く解るだらう、斯う思ひましてね。』
『いえ、私だつて其様(そん)なことは解りません。』と銀之助は笑ひ乍ら答へた。『何とでも言はせて置いたら好いでせう。其様な世間で言ふやうなことを、一々気にして居たら際限(きり)が有ますまい。』
『しかし、左様いふものでは無いよ。』と校長は一寸郡視学の方を向いて見て、軈(やが)て銀之助の顔を眺め乍ら、『君等は未だ若いから、其程世間といふものに重きを置かないんだ。幼稚なやうに見えて、馬鹿にならないのは、世間さ。』
『そんなら町の人が噂(うはさ)するからと言つて、根も葉も無いやうなことを取上げるんですか。』
『それ、それだから、君等は困る。無論我輩だつて其様なことを信じないさ。しかし、君、考へて見給へ。万更(まんざら)火の気の無いところに煙の揚る筈(はず)も無からうぢやないか。いづれ是には何か疑はれるやうな理由が有つたんでせう――土屋君、まあ、君は奈何(どう)思ひます。』
『奈何しても私には左様思はれません。』
『左様言へば、其迄だが、何かそれでも思ひ当る事が有さうなものだねえ。』と言つて校長は一段声を低くして、『一体瀬川君は近頃非常に考へ込んで居られるやうだが、何が原因(もと)で彼様(あゝ)憂欝に成つたんでせう。以前は克(よ)く吾輩の家(うち)へもやつて来て呉れたツけが、此節はもう薩張(さつぱり)寄付かない。まあ吾儕(われ/\)と一緒に成つて、談(はな)したり笑つたりするやうだと、御互ひに事情も能(よ)く解るんだけれど、彼様(あゝ)して独りで考へてばかり居られるもんだから――ホラ、訳を知らないものから見ると、何かそこには後暗い事でも有るやうに、つい疑はなくても可い事まで疑ふやうに成るんだらうと思ふのサ。』
『いえ。』と銀之助は校長の言葉を遮(さへぎ)つて、『実は――其には他に深い原因が有るんです。』
『他に?』
『瀬川君は彼様いふ性質(たち)ですから、なか/\口へ出しては言ひませんがね。』
『ホウ、言はない事が奈何して君に知れる?』
『だつて、言葉で知れなくたつて、行為(おこなひ)の方で知れます。私は長く交際(つきあ)つて見て、瀬川君が種々(いろ/\)に変つて来た径路(みちすぢ)を多少知つて居ますから、奈何(どう)して彼様(あゝ)考へ込んで居るか、奈何して彼様憂欝に成つて居るか、それはもう彼の君の為(す)ることを見ると、自然と私の胸には感じることが有るんです。』
 斯(か)ういふ銀之助の言葉は深く対手の注意を惹いた。校長と郡視学の二人は巻煙草を燻(ふか)し乍ら、奈何(どう)銀之助が言出すかと、黙つて其話を待つて居たのである。
 銀之助に言はせると、丑松が憂欝に沈んで居るのは世間で噂(うはさ)するやうなことゝ全く関係の無い――実は、青年の時代には誰しも有勝ちな、其胸の苦痛(くるしみ)に烈しく悩まされて居るからで。意中の人が敬之進の娘といふことは、正に見当が付いて居る。しかし、丑松は彼様いふ気象の男であるから、其を友達に話さないのみか、相手の女にすらも話さないらしい。それそこが性分で、熟(じつ)と黙つて堪(こら)へて居て、唯敬之進とか省吾とか女の親兄弟に当る人々の為に種々(さま/″\)なことを為(し)て遣(や)つて居る――まあ、言はないものは、せめて尽して、それで心を慰めるのであらう。思へば人の知らない悲哀(かなしみ)を胸に湛へて居るのに相違ない。尤(もつと)も、自分は偶然なことからして、斯ういふ丑松の秘密を感得(かんづ)いた。しかも其はつい近頃のことで有ると言出した。『といふ訳で、』と銀之助は額へ手を当てゝ、『そこへ気が付いてから、瀬川君の為ることは悉皆(すつかり)読めるやうに成ました。どうも可笑(をか)しい/\と思つて見て居ましたツけ――そりやあもう、辻褄(つじつま)の合はないやうなことが沢山(たくさん)有つたものですから。』
『成程(なるほど)ねえ。あるひは左様いふことが有るかも知れない。』
 と言つて、校長は郡視学と顔を見合せた。

       (四)

 軈(やが)て銀之助は応接室を出て、復(ま)たもとの職員室へ来て見ると、丑松と文平の二人が他の教員に取囲(とりま)かれ乍ら頻(しきり)に大火鉢の側で言争つて居る。黙つて聞いて居る人々も、見れば、同じやうに身を入れて、あるものは立つて腕組したり、あるものは机に倚凭(よりかゝ)つて頬杖(ほゝづゑ)を突いたり、あるものは又たぐる/\室内を歩き廻つたりして、いづれも熱心に聞耳を立てゝ居る様子。のみならず、丑松の様子を窺(うかゞ)ひ澄まして、穿鑿(さぐり)を入れるやうな眼付したものもあれば、半信半疑らしい顔付の手合もある。銀之助は談話(はなし)の調子を聞いて、二人が一方ならず激昂して居ることを知つた。
『何を君等は議論してるんだ。』
 と銀之助は笑ひ乍ら尋ねた。其時、人々の背後(うしろ)に腰掛け、手帳を繰り繙(ひろ)げ、丑松や文平の肖顔(にがほ)を写生し始めたのは準教員であつた。
『今ね、』と準教員は銀之助の方を振向いて見ながら、『猪子先生のことで、大分やかましく成つて来たところさ。』と言つて、一寸鉛筆の尖端(さき)を舐(な)めて、復(ま)た微笑(ほゝゑ)み乍ら写生に取懸つた。
『なにも其様(そんな)にやかましいことぢや無いよ。』斯う文平は聞咎(きゝとが)めたのである。『奈何(どう)して瀬川君は彼(あ)の先生の書いたものを研究する気に成つたのか、其を僕は聞いて見たばかりだ。』
『しかし、勝野君の言ふことは僕に能(よ)く解らない。』丑松の眼は燃え輝いて居るのであつた。
『だつて君、いづれ何か原因が有るだらうぢやないか。』と文平は飽(あ)く迄(まで)も皮肉に出る。
『原因とは?』丑松は肩を動(ゆす)り乍ら言つた。
『ぢやあ、斯(か)う言つたら好からう。』と文平は真面目に成つて、『譬(たと)へば――まあ僕は例を引くから聞き給へ。こゝに一人の男が有るとしたまへ。其男が発狂して居るとしたまへ。普通(なみ)のものが其様な発狂者を見たつて、それほど深い同情は起らないね。起らない筈(はず)さ、別に是方(こちら)に心を傷(いた)めることが無いのだもの。』
『むゝ、面白い。』と銀之助は文平と丑松の顔を見比べた。
『ところが、若(も)しこゝに酷(ひど)く苦んだり考へたりして居る人があつて、其人が今の発狂者を見たとしたまへ。さあ、思ひつめた可傷(いたま)しい光景(ありさま)も目に着くし、絶望の為に痩せた体格も目に着くし、日影に悄然(しよんぼり)として死といふことを考へて居るやうな顔付も目に着く。といふは外でも無い。発狂者を思ひやる丈(だけ)の苦痛(くるしみ)が矢張是方(こちら)にあるからだ。其処だ。瀬川君が人生問題なぞを考へて、猪子先生の苦んで居る光景(ありさま)に目が着くといふのは、何か瀬川君の方にも深く心を傷めることが有るからぢや無からうか。』
『無論だ。』と銀之助は引取つて言つた。『其が無ければ、第一読んで見たつて解りやしない。其だあね、僕が以前(まへ)から瀬川君に言つてるのは。尤も瀬川君が其を言へないのは、僕は百も承知だがね。』
『何故(なぜ)、言へないんだらう。』と文平は意味ありげに尋ねて見る。
『そこが持つて生れた性分サ。』と銀之助は何か思出したやうに、『瀬川君といふ人は昔から斯うだ。僕なぞはもうずん/\暴露(さらけだ)して、蔵(しま)つて置くといふことは出来ないがなあ。瀬川君の言はないのは、何も隠す積りで言はないのぢや無い、性分で言へないのだ。はゝゝゝゝ、御気の毒な訳さねえ――苦むやうに生れて来たんだから仕方が無い。』
 斯う言つたので、聞いて居る人々は意味も無く笑出した。暫時(しばらく)準教員も写生の筆を休(や)めて眺めた。尋常一年の教師は又、丑松の背後(うしろ)へ廻つて、眼を細くして、密(そつ)と臭気(にほひ)を嗅(か)いで見るやうな真似をした。
『実は――』と文平は巻煙草の灰を落し乍ら、『ある処から猪子先生の書いたものを借りて来て、僕も読んで見た。一体、彼(あ)の先生は奈何(どう)いふ種類の人だらう。』
『奈何いふ種類とは?』と銀之助は戯れるやうに。
『哲学者でもなし、教育家でもなし、宗教家でもなし――左様かと言つて、普通の文学者とも思はれない。』
『先生は新しい思想家さ。』銀之助の答は斯うであつた。
『思想家?』と文平は嘲(あざけ)つたやうに、『ふゝ、僕に言はせると、空想家だ、夢想家だ――まあ、一種の狂人(きちがひ)だ。』
 其調子がいかにも可笑(をか)しかつた。盛んな笑声が復(ま)た聞いて居る教師の間に起つた。銀之助も一緒に成つて笑つた。其時、憤慨の情は丑松が全身の血潮に交つて、一時に頭脳(あたま)の方へ衝きかゝるかのやう。蒼(あを)ざめて居た頬は遽然(にはかに)熱して来て、□(まぶち)も耳も紅(あか)く成つた。

       (五)

『むゝ、勝野君は巧いことを言つた。』と斯う丑松は言出した。『彼(あ)の猪子先生なぞは、全く君の言ふ通り、一種の狂人(きちがひ)さ。だつて、君、左様(さう)ぢやないか――世間体の好いやうな、自分で自分に諂諛(へつら)ふやうなことばかり並べて、其を自伝と言つて他(ひと)に吹聴(ふいちやう)するといふ今の世の中に、狂人(きちがひ)ででも無くて誰が冷汗の出るやうな懴悔なぞを書かう。彼の先生の手から職業を奪取(うばひと)つたのも、彼様いふ病気に成る程の苦痛(くるしみ)を嘗(な)めさせたのも、畢竟(つまり)斯(こ)の社会だ。其社会の為に涙を流して、満腔(まんかう)の熱情を注いだ著述をしたり、演説をしたりして、筆は折れ舌は爛(たゞ)れる迄も思ひ焦(こが)れて居るなんて――斯様(こん)な大白痴(おほたはけ)が世の中に有らうか。はゝゝゝゝ。先生の生涯は実に懴悔の生涯(しやうがい)さ。空想家と言はれたり、夢想家と言はれたりして、甘んじて其冷笑を受けて居る程の懴悔の生涯さ。「奈何(どん)な苦しい悲しいことが有らうと、其を女々しく訴へるやうなものは大丈夫と言はれない。世間の人の睨(にら)む通りに睨ませて置いて、黙つて狼のやうに男らしく死ね。」――其が先生の主義なんだ。見給へ、まあ其主義からして、もう狂人染(きちがひじ)みてるぢやないか。はゝゝゝゝ。』
『君は左様激するから不可(いかん)。』と銀之助は丑松を慰撫(なだめ)るやうに言つた。
『否(いや)、僕は決して激しては居ない。』斯(か)う丑松は答へた。
『しかし。』と文平は冷笑(あざわら)つて、『猪子蓮太郎だなんて言つたつて、高が穢多ぢやないか。』
『それが、君、奈何した。』と丑松は突込んだ。
『彼様(あん)な下等人種の中から碌(ろく)なものゝ出よう筈が無いさ。』
『下等人種?』
『卑劣(いや)しい根性を持つて、可厭(いや)に癖(ひが)んだやうなことばかり言ふものが、下等人種で無くて君、何だらう。下手に社会へ突出(でしやば)らうなんて、其様な思想(かんがへ)を起すのは、第一大間違さ。獣皮(かは)いぢりでもして、神妙(しんべう)に引込んでるのが、丁度彼の先生なぞには適当して居るんだ。』
『はゝゝゝゝ。して見ると、勝野君なぞは開化した高尚な人間で、猪子先生の方は野蛮な下等な人種だと言ふのだね。はゝゝゝゝ。僕は今迄、君も彼の先生も、同じ人間だとばかり思つて居た。』
『止せ。止せ。』と銀之助は叱るやうにして、『其様な議論を為たつて、つまらんぢやないか。』
『いや、つまらなかない。』と丑松は聞入れなかつた。『僕は君、是(これ)でも真面目(まじめ)なんだよ。まあ、聞き給へ――勝野君は今、猪子先生のことを野蛮だ下等だと言はれたが、実際御説の通りだ。こりや僕の方が勘違ひをして居た。左様だ、彼の先生も御説の通りに獣皮(かは)いぢりでもして、神妙にして引込んで居れば好いのだ。それさへして黙つて居れば、彼様な病気なぞに罹(かゝ)りはしなかつたのだ。その身体のことも忘れて了つて、一日も休まずに社会と戦つて居るなんて――何といふ狂人(きちがひ)の態(ざま)だらう。噫(あゝ)、開化した高尚な人は、予(あらかじ)め金牌を胸に掛ける積りで、教育事業なぞに従事して居る。野蛮な、下等な人種の悲しさ、猪子先生なぞは其様な成功を夢にも見られない。はじめからもう野末の露と消える覚悟だ。死を決して人生の戦場に上つて居るのだ。その慨然とした心意気は――はゝゝゝゝ、悲しいぢやないか、勇しいぢやないか。』
 と丑松は上歯を顕(あらは)して、大きく口を開いて、身を慄(ふる)はせ乍ら欷咽(すゝりな)くやうに笑つた。欝勃(うつぼつ)とした精神は体躯(からだ)の外部(そと)へ満ち溢(あふ)れて、額は光り、頬の肉も震へ、憤怒と苦痛とで紅く成つた時は、其の粗野な沈欝な容貌が平素(いつも)よりも一層(もつと)男性(をとこ)らしく見える。銀之助は不思議さうに友達の顔を眺めて、久し振で若く剛(つよ)く活々とした丑松の内部(なか)の生命(いのち)に触れるやうな心地(こゝろもち)がした。
 対手が黙つて了(しま)つたので、丑松もそれぎり斯様(こん)な話をしなかつた。文平はまた何時までも心の激昂を制(おさ)へきれないといふ様子。頭ごなしに罵(のゝし)らうとして、反(かへ)つて丑松の為に言敗(いひまく)られた気味が有るので、軽蔑(けいべつ)と憎悪(にくしみ)とは猶更(なほさら)容貌の上に表れる。『何だ――この穢多めが』とは其の怒気(いかり)を帯びた眼が言つた。軈て文平は尋常一年の教師を窓の方へ連れて行つて、
『奈何(どう)だい、君、今の談話(はなし)は――瀬川君は最早(もう)悉皆(すつかり)自分で自分の秘密を自白したぢやないか。』
 斯(か)う私語(さゝや)いて聞かせたのである。
 丁度準教員は鉛筆写生を終つた。人々はいづれも其周囲(まはり)へ集つた。


   第拾九章

       (一)

 この大雪を衝(つ)いて、市村弁護士と蓮太郎の二人が飯山へ乗込んで来る、といふ噂(うはさ)は学校に居る丑松の耳にまで入つた。高柳一味の党派は、斯(こ)の風説に驚かされて、今更のやうに防禦(ばうぎよ)を始めたとやら。有権者の訪問、推薦状の配付、さては秘密の勧誘なぞが頻(しきり)に行はれる。壮士の一群(ひとむれ)は高柳派の運動を助ける為に、既に町へ入込んだともいふ。選挙の上の争闘(あらそひ)は次第に近いて来たのである。
 其日は宿直の当番として、丑松銀之助の二人が学校に居残ることに成つた。尤(もつと)も銀之助は拠(よんどころ)ない用事が有ると言つて出て行つて、日暮になつても未だ帰つて来なかつたので、日誌と鍵とは丑松が預つて置いた。丑松は絶えず不安の状態(ありさま)――暇さへあれば宿直室の畳の上に倒れて、独りで考へたり悶(もだ)えたりしたのである。冬の一日(ひとひ)は斯ういふ苦しい心づかひのうちに過ぎた。入相(いりあひ)を告げる蓮華寺の鐘の音が宿直室の玻璃窓(ガラスまど)に響いて聞える頃は、殊(こと)に烈しい胸騒ぎを覚えて、何となくお志保の身の上も案じられる。もし奥様の決心がお志保の方に解りでもしたら――あるひは、最早(もう)解つて居るのかも知れない――左様なると、娘の身として其を黙つて視て居ることが出来ようか。と言つて、奈何(どう)して彼の継母のところなぞへ帰つて行かれよう。
『あゝ、お志保さんは死ぬかも知れない。』
 と不図(ふと)斯ういふことを想ひ着いた時は、言ふに言はれぬ哀傷(かなしみ)が身を襲(おそ)ふやうに感ぜられた。
 待つても、待つても、銀之助は帰つて来なかつた。長い間丑松は机に倚凭(よりかゝ)つて、洋燈(ランプ)の下(もと)にお志保のことを思浮べて居た。斯うして種々(さま/″\)の想像に耽(ふけ)り乍ら、悄然(しよんぼり)と五分心の火を熟視(みつ)めて居るうちに、何時の間にか疲労(つかれ)が出た。丑松は机に倚凭つた儘(まゝ)、思はず知らずそこへ寝(ね)て了(しま)つたのである。
 其時、お志保が入つて来た。

       (二)

 こゝは学校では無いか。奈何(どう)して斯様(こん)なところへお志保が尋ねて来たらう。と丑松は不思議に考へないでもなかつた。しかし其疑惑(うたがひ)は直に釈(と)けた。お志保は何か言ひたいことが有つて、わざ/\自分のところへ逢ひに来たのだ、と斯う気が着いた。あの夢見るやうな、柔嫩(やはらか)な眼――其を眺めると、お志保が言はうと思ふことはあり/\と読まれる。何故、父や弟にばかり親切にして、自分には左様(さう)疎々(よそ/\)しいのであらう。何故、同じ屋根の下に住む程の心やすだては有乍ら、優しい言葉の一つも懸けて呉れないのであらう。何故、其口唇(くちびる)は言ひたいことも言はないで、堅く閉(と)ぢ塞(ふさが)つて、恐怖(おそれ)と苦痛(くるしみ)とで慄へて居るのであらう。
 斯ういふ楽しい問は、とは言へ、長く継(つゞ)かなかつた。何時の間にか文平が入つて来て、用事ありげにお志保を促(うなが)した。終(しまひ)には羞(はづか)しがるお志保の手を執(と)つて、無理やりに引立てゝ行かうとする。
『勝野君、まあ待ち給へ。左様(さう)君のやうに無理なことを為(し)なくツても好からう。』
 と言つて、丑松は制止(おしとゞ)めるやうにした。其時、文平も丑松の方を振返つて見た。二人の目は電光(いなづま)のやうに出逢(であ)つた。
『お志保さん、貴方(あなた)に好事(いゝこと)を教へてあげる。』
 と文平は女の耳の側へ口を寄せて、丑松が隠蔽(かく)して居る其恐しい秘密を私語(さゝや)いて聞かせるやうな態度を示した。
『あツ、其様(そん)なことを聞かせて奈何(どう)する。』
 と丑松は周章(あわ)てゝ取縋(とりすが)らうとして――不図(ふと)、眼が覚めたのである。
 夢であつた。斯う我に帰ると同時に、苦痛(くるしみ)は身を離れた。しかし夢の裡(なか)の印象は尚残つて、覚めた後までも恐怖(おそれ)の心が退かない。室内を眺め廻すと、お志保も居なければ、文平も居なかつた。丁度そこへ風呂敷包を擁(かゝ)へ乍ら、戸を開けて入つて来たのは銀之助であつた。
『や、どうも大変遅くなつた。瀬川君、まだ君は起きて居たのかい――まあ、今夜は寝て話さう。』
 斯う声を掛ける。軈(やが)て銀之助はがた/\靴の音をさせ乍(なが)ら、洋服の上衣を脱いで折釘へ懸けるやら、襟(カラ)を取つて机の上に置くやら、または無造作にズボン釣を外すやらして、『あゝ、其内に御別れだ。』と投げるやうに言つた。八畳ばかり畳の敷いてあるは、克く二人の友達が枕を並べて、当番の夜を語り明したところ。今は銀之助も名残惜(なごりを)しいやうな気に成つて、着た儘の襯衣(シャツ)とズボン下とを寝衣(ねまき)がはりに、宿直の蒲団の中へ笑ひ乍ら潜り込んだ。
『斯(か)うして君と是部屋に寝るのも、最早(もう)今夜限(ぎ)りだ。』と銀之助は思出したやうに嘆息した。『僕に取つては是(これ)が最終の宿直だ。』
『左様(さう)かなあ、最早御別れかなあ。』と丑松も枕に就き乍ら言つた。
『何となく斯(か)う今夜は師範校の寄宿舎にでも居るやうな気がする。妙に僕は昔を懐出(おもひだ)した――ホラ、君と一緒に勉強した彼の時代のことなぞを。噫(あゝ)、昔の友達は皆な奈何して居るかなあ。』と言つて、銀之助はすこし気を変へて、『其は左様と、瀬川君、此頃(こなひだ)から僕は君に聞いて見たいと思ふことが有るんだが――』
『僕に?』
『まあ、君のやうに左様黙つて居るといふのも損な性分だ。どうも君の様子を見るのに、何か非常に苦しい事が有つて、独りで考へて独りで煩悶(はんもん)して居る、としか思はれない。そりやあもう君が言はなくたつて知れるよ。実際、僕は君の為に心配して居るんだからね。だからさ、其様(そんな)に苦しいことが有るものなら、少許(すこし)打開けて話したらば奈何(どう)だい。随分、友達として、力に成るといふことも有らうぢやないか。』

       (三)

『何故(なぜ)、君は左様(さう)だらう。』と銀之助は同情(おもひやり)の深い言葉を続けた。『僕が斯(か)ういふ科学書生で、平素(しよつちゆう)其方(そつち)の研究にばかり頭を突込んでるものだから、あるひは僕見たやうなものに話したつて解らない、と君は思ふだらう。しかし、君、僕だつて左様冷い人間ぢや無いよ。他(ひと)の手疵(てきず)を負つて苦んで居るのを、傍(はた)で観て嘲笑(わら)つてるやうな、其様(そん)な残酷な人間ぢや無いよ。』
『君はまた妙なことを言ふぢやないか、誰も君のことを残酷だと言つたものは無いのに。』と丑松は臥俯(うつぶし)になつて答へる。
『そんなら僕にだつて話して聞かせて呉れ給へな。』
『話せとは?』
『何も左様君のやうに蔵(つゝ)んで居る必要は有るまいと思ふんだ。言はないから、其で君は余計に苦しいんだ。まあ、僕も、一時は研究々々で、あまり解剖的にばかり物事を見過ぎて居たが、此頃に成つて大に悟つたことが有る。それからずつと君の心情(こゝろもち)も解るやうに成つた。何故君があの蓮華寺へ引越したか、何故(なぜ)君が其様に独りで苦んで居るか――僕はもう何もかも察して居る。』
 丑松は答へなかつた。銀之助は猶(なほ)言葉を継(つ)いで、
『校長先生なぞに言はせると、斯ういふことは三文の価値(ねうち)も無いね。何ぞと言ふと、直に今の青年の病気だ。しかし、君、考へて見給へ。彼先生だつて一度は若い時も有つたらうぢやないか。自分等は鼻唄で通り越して置き乍ら、吾儕(われ/\)にばかり裃(かみしも)を着て歩けなんて――はゝゝゝゝ、まあ君、左様(さう)ぢや無いか。だから僕は言つて遣(や)つたよ。今日彼(あの)先生と郡視学とで僕を呼付けて、「何故(なぜ)瀬川君は彼様(あゝ)考へ込んで居るんだらう」と斯う聞くから、「其は貴方等(あなたがた)も覚えが有るでせう、誰だつて若い時は同じことです」と言つて遣つたよ。』
『フウ、左様かねえ、郡視学が其様なことを聞いたかねえ。』
『見給へ、君があまり沈んでるもんだから、つまらないことを言はれるんだ――だから君は誤解されるんだ。』
『誤解されるとは?』
『まあ、君のことを新平民だらうなんて――実に途方も無いことを言ふ人も有れば有るものだ。』
『はゝゝゝゝ。しかし、君、僕が新平民だとしたところで、一向差支は無いぢやないか。』
 長いこと室の内には声が無かつた。細目に点けて置いた洋燈(ランプ)の光は天井へ射して、円く朦朧(もうろう)と映つて居る。銀之助は其を熟視(みつ)め乍ら、種々(いろ/\)空想を描いて居たが、あまり丑松が黙つて了つて身動きも為ないので、終(しまひ)には友達は最早(もう)眠つたのかとも考へた。
『瀬川君、最早睡(ね)たのかい。』と声を掛けて見る。
『いゝや――未(ま)だ起きてる。』
 丑松は息を殺して寝床の上に慄(ふる)へて居たのである。
『妙に今夜は眠られない。』と銀之助は両手を懸蒲団の上に載せて、『まあ、君、もうすこし話さうぢやないか。僕は青年時代の悲哀(かなしみ)といふことを考へると、毎時(いつも)君の為に泣きたく成る。愛と名――あゝ、有為な青年を活すのも其だし、殺すのも其だ。実際、僕は君の心情を察して居る。君の性分としては左様(さう)あるべきだとも思つて居る。君の慕つて居る人に就いても、蔭乍(かげなが)ら僕は同情を寄せて居る。其だから今夜は斯様(こん)なことを言出しもしたんだが、まあ、僕に言はせると、あまり君は物を六(むづ)ヶ敷(しく)考へ過ぎて居るやうに思はれるね。其処だよ、僕が君に忠告したいと思ふことは。だつて君、左様ぢや無いか。何も其様に独りで苦んでばかり居なくたつても好からう。友達といふものが有つて見れば、そこはそれ相談の仕様によつて、随分道も開けるといふものさ――「土屋、斯(か)う為たら奈何(どう)だらう」とか何とか、君の方から切出して呉れると、及ばず乍ら僕だつて自分の力に出来る丈のことは尽すよ。』
『あゝ、左様(さう)言つて呉れるのは君ばかりだ。君の志は実に難有(ありがた)い。』と丑松は深い溜息を吐いた。『まあ、打開けて言へば、君の察して呉れるやうなことが有つた。確かに有つた。しかし――』
『ふむ。』
『君はまだ克(よ)く事情を知らないから、其で左様言つて呉れるんだらうと思ふんだ。実はねえ――其人は最早死んで了(しま)つたんだよ。』
 復(ま)た二人は無言に帰つた。やゝしばらくして、銀之助は声を懸けて見たが、其時はもう返事が無いのであつた。

       (四)

 銀之助の送別会は翌日(あくるひ)の午前から午後の二時頃迄へ掛けて開らかれた。昼を中へ□んだは、弁当がはりに鮨(すし)の折詰を出したからで。教員生徒はかはる/″\立つて別離(わかれ)の言葉を述べた。余興も幾組かあつた。多くの無邪気な男女(をとこをんな)の少年は、互ひに悲んだり笑つたりして、稚心(をさなごゝろ)にも斯の日を忘れまいとするのであつた。
 斯(か)ういふ中にも、独り丑松ばかりは気が気で無い。何を見たか、何を聞いたか、殆(ほとん)ど其が記憶にも留らなかつた。唯頭脳(あたま)の中に残るものは、教員や生徒の騒しい笑声、余興のある度に起る拍手の音、または斯の混雑の中にも時々意味有げな様子して盗むやうに自分の方を見る人々の眼付――まあ、絶えず誰かに附狙(つけねら)はれて居るやうな気がして、其方の心配と屈託と恐怖(おそれ)とで、見たり聞いたりすることには何の興味も好奇心も起らないのであつた。どうかすると丑松は自分の身体ですら自分のものゝやうには思はないで、何もかも忘れて、心一つに父の戒を憶出して見ることもあつた。『見給へ、土屋君は必定(きつと)出世するから。』斯う私語(さゝや)き合ふ教員同志の声が耳に入るにつけても、丑松は自分の暗い未来に思比べて、すくなくも穢多なぞには生れて来なかつた友達の身の上を羨んだ。
 送別会が済(す)む、直に丑松は学校を出て、急いで蓮華寺を指して帰つて行つた。蔵裏(くり)の入口の庭のところに立つて、奥座敷の方を眺めると、白衣を着けた一人の尼が出たり入つたりして居る。一昨日の晩頼まれて書いた手紙のことを考へると、彼が奥様の妹といふ人であらうか、と斯(か)う推測が付く。其時下女の袈裟治が台処の方から駈寄つて、丑松に一枚の名刺を渡した。見れば猪子蓮太郎としてある。袈裟治は言葉を添へて、今朝斯(こ)の客が尋ねて来たこと、宿は上町の扇屋にとつたとのこと、宜敷(よろしく)と言置いて出て行つたことなぞを話して、まだ外にでつぷり肥つた洋服姿の人も表に立つて居たと話した。『むゝ、必定(きつと)市村さんだ。』と丑松は独語(ひとりご)ちた。話の様子では確かに其らしいのである。
『直に、これから尋ねて行つて見ようかしら。』とは続いて起つて来た思想(かんがへ)であつた。人目を憚(はゞか)るといふことさへなくば、無論尋ねて行きたかつたのである。鳥のやうに飛んで行きたかつたのである。『まあ、待て。』と丑松は自分で自分を制止(おしとゞ)めた。彼の先輩と自分との間には何か深い特別の関係でも有るやうに見られたら、奈何しよう。書いたものを愛読してさへ、既に怪しいと思はれて居るではないか。まして、うつかり尋ねて行つたりなんかして――もしや――あゝ、待て、待て、日の暮れる迄待て。暗くなつてから、人知れず宿屋へ逢ひに行かう。斯う用心深く考へた。
『それは左様と、お志保さんは奈何(どう)したらう。』と其人の身の上を気遣(きづか)ひ乍ら、丑松は二階へ上つて行つた。始めて是寺へ引越して来た当時のことは、不図(ふと)、胸に浮ぶ。見れば何もかも変らずにある。古びた火鉢も、粗末な懸物も、机も、本箱も。其に比べると人の境涯(きやうがい)の頼み難いことは。丑松はあの鷹匠(たかしやう)町の下宿から放逐された不幸な大日向を思出した。丁度斯の蓮華寺から帰つて行つた時は、提灯(ちやうちん)の光に宵闇の道を照し乍ら、一挺の籠が舁(かつ)がれて出るところであつたことを思出した。附添の大男を思出した。門口で『御機嫌よう』と言つた主婦を思出した。罵(のゝし)つたり騒いだりした下宿の人々を思出した。終(しまひ)にはあの『ざまあ見やがれ』の一言を思出すと、慄然(ぞつ)とする冷(つめた)い震動(みぶるひ)が頸窩(ぼんのくぼ)から背骨の髄へかけて流れ下るやうに感ぜられる。今は他事(ひとごと)とも思はれない。噫(あゝ)、丁度それは自分の運命だ。何故、新平民ばかり其様(そんな)に卑(いやし)められたり辱(はづかし)められたりするのであらう。何故、新平民ばかり普通の人間の仲間入が出来ないのであらう。何故、新平民ばかり斯の社会に生きながらへる権利が無いのであらう――人生は無慈悲な、残酷なものだ。
 斯う考へて、部屋の内を歩いて居ると、唐紙の開く音がした。其時奥様が入つて来た。

       (五)

 いかにも落胆(がつかり)したやうな様子し乍ら、奥様は丑松の前に座(すわ)つた。『斯様(こん)なことになりやしないか、と思つて私も心配して居たんです。』と前置をして、さて奥様は昨宵(ゆうべ)の出来事を丑松に話した。聞いて見ると、お志保は郵便を出すと言つて、日暮頃に門を出たつきり、もう帰つて来ないとのこと。箪笥(たんす)の上に載せて置いて行つた手紙は奥様へ宛てたもので――それは真心籠めて話をするやうに書いてあつた、ところ/″\涙に染(にじ)んで読めない文字すらもあつたとのこと。其中には、自分一人の為に種々(さま/″\)な迷惑を掛けるやうでは、義理ある両親に申訳が無い。聞けば奥様は離縁の決心とやら、何卒(どうか)其丈(それだけ)は思ひとまつて呉れるやうに。十三の年から今日迄(こんにちまで)受けた恩愛は一生忘れまい。何時までも自分は奥様の傍に居て親と呼び子と呼ばれたい心は山々。何事も因縁(いんねん)づくと思ひ諦(あきら)めて呉れ、許して呉れ――『母上様へ、志保より』と書いてあつた、とのこと。
『尤も――』と奥様は襦袢(じゆばん)の袖口で□(まぶた)を押拭ひ乍ら言つた。『若いものゝことですから、奈何(どん)な不量見を起すまいものでもない、と思ひましてね、昨夜一晩中私は眠りませんでしたよ。今朝早く人を見させに遣(や)りました。まあ、父親(おとつ)さんの方へ帰つて居るらしい、と言ひますから――』斯(か)う言つて、気を変へて、『長野の妹も直に出掛けて来て呉れましたよ。来て見ると、斯光景(ありさま)でせう。どんなに妹も吃驚(びつくり)しましたか知れません。』奥様はもう啜上(すゝりあ)げて、不幸な娘の身の上を憐むのであつた。
 可愛さうに、住慣(すみな)れたところを捨て、義理ある人々を捨て、雪を踏んで逃げて行く時の其心地(こゝろもち)は奈何(どんな)であつたらう。丑松は奥様の談話(はなし)を聞いて、斯の寺を脱けて出ようと決心する迄のお志保の苦痛(くるしみ)悲哀(かなしみ)を思ひやつた。
『あゝ――和尚さんだつても眼が覚めましたらうよ、今度といふ今度こそは。』と昔気質(むかしかたぎ)な奥様は独語のやうに言つた。
『なむあみだぶ。』と口の中で繰返し乍ら奥様が出て行つた後、やゝしばらく丑松は古壁に倚凭(よりかゝ)つて居た。哀憐(あはれみ)と同情(おもひやり)とは眼に見ない事実(ことがら)を深い『生』の絵のやうに活して見せる。幾度か丑松はお志保の有様を――斯(こ)の寺の方を見かへり/\急いで行く其有様を胸に描いて見た。あの釣と昼寝と酒より外には働く気のない老朽な父親、泣く喧嘩(けんくわ)する多くの子供、就中(わけても)継母――まあ、あの家へ帰つて行つたとしたところで、果して是(これ)から将来(さき)奈何(どう)なるだらう。『あゝ、お志保さんは死ぬかも知れない。』と不図昨夕と同じやうなことを思ひついた時は、言ふに言はれぬ悲しい心地(こゝろもち)になつた。
 急に丑松は壁を離れた。帽子を冠り、楼梯(はしごだん)を下り、蔵裏の廊下を通り抜けて、何か用事ありげに蓮華寺の門を出た。

       (六)

『自分は一体何処へ行く積りなんだらう。』と丑松は二三町も歩いて来たかと思はれる頃、自分で自分に尋ねて見た。絶望と恐怖とに手を引かれて、目的(めあて)も無しに雪道を彷徨(さまよ)つて行つた時は、半ば夢の心地であつた。往来には町の人々が群り集つて、春迄も消えずにある大雪の仕末で多忙(いそが)しさう。板葺(いたぶき)の屋根の上に降積つたのが掻下(かきおろ)される度に、それがまた恐しい音して、往来の方へ崩れ落ちる。幾度か丑松は其音の為に驚かされた。そればかりでは無い、四五人集つて何か話して居るのを見ると、直に其を自分のことに取つて、疑はず怪まずには居られなかつたのである。
 とある町の角のところ、塩物売る店の横手にあたつて、貼付(はりつ)けてある広告が目についた。大幅な洋紙に墨黒々と書いて、赤い『インキ』で二重に丸なぞが付けてある。其下に立つて物見高く眺めて居る人々もあつた。思はず丑松も立留つた。見ると、市村弁護士の政見を発表する会で、蓮太郎の名前も演題も一緒に書並べてあつた。会場は上町の法福寺、其日午後六時から開会するとある。
 して見ると、丁度演説会は家々の夕飯が済む頃から始まるのだ。
 丑松は其広告を読んだばかりで、軈てまた前と同じ方角を指して歩いて行つた。疑心暗鬼とやら。今は其を明(あかる)い日光(ひかり)の中に経験する。種々(いろ/\)な恐しい顔、嘲り笑ふ声――およそ人種の憎悪(にくしみ)といふことを表したものは、右からも、左からも、丑松の身を囲繞(とりま)いた。意地の悪い烏は可厭(いや)に軽蔑(けいべつ)したやうな声を出して、得たり賢しと頭の上を啼(な)いて通る。あゝ、鳥ですら斯雪の上に倒れる人を待つのであらう。斯う考へると、浅猿(あさま)しく悲しく成つて、すた/\肴町(さかなまち)の通りを急いだ。
 何時の間にか丑松は千曲川(ちくまがは)の畔(ほとり)へ出て来た。そこは『下(しも)の渡し』と言つて、水に添ふ一帯の河原を下瞰(みおろ)すやうな位置にある。渡しとは言ひ乍ら、船橋で、下高井の地方へと交通するところ。一筋暗い色に見える雪の中の道には旅人の群が往つたり来たりして居た。荷を積けた橇(そり)も曳かれて通る。遠くつゞく河原(かはら)は一面の白い大海を見るやうで、蘆荻(ろてき)も、楊柳も、すべて深く隠れて了(しま)つた。高社、風原、中の沢、其他越後境へ連る多くの山々は言ふも更なり、対岸にある村落と杜(もり)の梢(こずゑ)とすら雪に埋没(うづも)れて、幽(かすか)に鶏の鳴きかはす声が聞える。千曲川は寂しく其間を流れるのであつた。
 斯ういふ光景(ありさま)は今丑松の眼前(めのまへ)に展(ひら)けた。平素(ふだん)は其程注意を引かないやうな物まで一々の印象が強く審(くは)しく眼に映つて見えたり、あるときは又、物の輪郭(かたち)すら朦朧(もうろう)として何もかも同じやうにぐら/\動いて見えたりする。『自分は是(これ)から将来(さき)奈何(どう)しよう――何処へ行つて、何を為よう――一体自分は何の為に是世(このよ)の中へ生れて来たんだらう。』思ひ乱れるばかりで、何の結末(まとまり)もつかなかつた。長いこと丑松は千曲川の水を眺め佇立(たゝず)んで居た。

       (七)

 一生のことを思ひ煩(わづら)ひ乍(なが)ら、丑松は船橋の方へ下りて行つた。誰か斯う背後(うしろ)から追ひ迫つて来るやうな心地(こゝろもち)がして――無論其様(そん)なことの有るべき筈が無い、と承知して居乍ら――それで矢張安心が出来なかつた。幾度か丑松は背後を振返つて見た。時とすると、妙な眩暈心地(めまひごゝち)に成つて、ふら/\と雪の中へ倒れ懸りさうになる。『あゝ、馬鹿、馬鹿――もつと毅然(しつかり)しないか。』とは自分で自分を叱り□(はげま)す言葉であつた。河原の砂の上を降り埋めた雪の小山を上つたり下りたりして、軈(やが)て船橋の畔へ出ると、白い両岸の光景(ありさま)が一層広濶(ひろ/″\)と見渡される。目に入るものは何もかも――そここゝに低く舞ふ餓(う)ゑた烏の群、丁度川舟のよそほひに忙しさうな船頭、又は石油のいれものを提げて村を指して帰つて行く農夫の群、いづれ冬期の生活(なりはひ)の苦痛(くるしみ)を感ぜさせるやうな光景(ありさま)ばかり。河の水は暗緑の色に濁つて、嘲(あざけ)りつぶやいて、溺(おぼ)れて死ねと言はぬばかりの勢を示し乍ら、川上の方から矢のやうに早く流れて来た。
 深く考へれば考へるほど、丑松の心は暗くなるばかりで有つた。斯(この)社会から捨てられるといふことは、いかに言つても情ない。あゝ放逐――何といふ一生の恥辱(はづかしさ)であらう。もしも左様なつたら、奈何(どう)して是(これ)から将来(さき)生計(くらし)が立つ。何を食つて、何を飲まう。自分はまだ青年だ。望もある、願ひもある、野心もある。あゝ、あゝ、捨てられたくない、非人あつかひにはされたくない、何時迄も世間の人と同じやうにして生きたい――斯う考へて、同族の受けた種々(さま/″\)の悲しい恥、世にある不道理な習慣、『番太』といふ乞食の階級よりも一層(もつと)劣等な人種のやうに卑(いやし)められた今日迄(こんにちまで)の穢多の歴史を繰返した。丑松はまた見たり聞いたりした事実を数へて、あるひは追はれたりあるひは自分で隠れたりした人々、父や、叔父や、先輩や、それから彼の下高井の大尽の心地(こゝろもち)を身に引比べ、終(しまひ)には娼婦(あそびめ)として秘密に売買されるといふ多くの美しい穢多の娘の運命なぞを思ひやつた。
 其時に成つて、丑松は後悔した。何故、自分は学問して、正しいこと自由なことを慕ふやうな、其様(そん)な思想(かんがへ)を持つたのだらう。同じ人間だといふことを知らなかつたなら、甘んじて世の軽蔑を受けても居られたらうものを。何故(なぜ)、自分は人らしいものに斯世の中へ生れて来たのだらう。野山を駆け歩く獣の仲間ででもあつたなら、一生何の苦痛(くるしみ)も知らずに過されたらうものを。
 歓(うれ)し哀(かな)しい過去の追憶(おもひで)は丑松の胸の中に浮んで来た。この飯山へ赴任して以来(このかた)のことが浮んで来た。師範校時代のことが浮んで来た。故郷(ふるさと)に居た頃のことが浮んで来た。それはもう悉皆(すつかり)忘れて居て、何年も思出した先蹤(ためし)の無いやうなことまで、つい昨日の出来事のやうに、青々と浮んで来た。今は丑松も自分で自分を憐まずには居られなかつたのである。軈(やが)て、斯ういふ過去の追憶(おもひで)がごちや/\胸の中で一緒に成つて、煙のやうに乱れて消えて了(しま)ふと、唯二つしか是から将来(さき)に執るべき道は無いといふ思想(かんがへ)に落ちて行つた。唯二つ――放逐か、死か。到底丑松は放逐されて生きて居る気は無かつた。其よりは寧(むし)ろ後者(あと)の方を択(えら)んだのである。
 短い冬の日は何時の間にか暮れかゝつて来た。もう二度と現世(このよ)で見ることは出来ないかのやうな、悲壮な心地に成つて、橋の上から遠く眺(なが)めると、西の空すこし南寄りに一帯の冬雲が浮んで、丁度可懐(なつか)しい故郷の丘を望むやうに思はせる。其は深い焦茶(こげちや)色で、雲端(くもべり)ばかり黄に光り輝くのであつた。帯のやうな水蒸気の群も幾条(いくすぢ)か其上に懸つた。あゝ、日没だ。蕭条(せうでう)とした両岸の風物はすべて斯(こ)の夕暮の照光(ひかり)と空気とに包まれて了つた。奈何(どんな)に丑松は『死』の恐しさを考へ乍ら、動揺する船橋の板縁(いたべり)近く歩いて行つたらう。
 蓮華寺で撞(つ)く鐘の音は其時丑松の耳に無限の悲しい思を伝へた。次第に千曲川の水も暮れて、空に浮ぶ冬雲の焦茶色が灰がゝつた紫色に変つた頃は、もう日も遠く沈んだのである。高く懸る水蒸気の群は、ぱつと薄赤い反射を見せて、急に掻消(かきけ)すやうに暗く成つて了つた。


   第弐拾章

       (一)

 せめて彼の先輩だけに自分のことを話さう、と不図(ふと)、丑松が思ひ着いたのは、其橋の上である。
『噫(あゝ)、それが最後の別離(おわかれ)だ。』
 とまた自分で自分を憐むやうに叫んだ。
 斯ういふ思想(かんがへ)を抱いて、軈(やが)て以前(もと)来た道の方へ引返して行つた頃は、閏(うるふ)六日ばかりの夕月が黄昏(たそがれ)の空に懸つた。尤も、丑松は直に其足で蓮太郎の宿屋へ尋ねて行かうとはしなかつた。間も無く演説会の始まることを承知して居た。左様だ、其の済むまで待つより外は無いと考へた。
 上の渡し近くに在る一軒の饂飩屋(うどんや)は別に気の置けるやうな人も来ないところ。丁度其前を通りかゝると、軒を泄(も)れる夕餐(ゆふげ)の煙に交つて、何か甘(うま)さうな物のにほひが屋(うち)の外迄も満ち溢(あふ)れて居た。見れば炉(ろ)の火も赤々と燃え上る。思はず丑松は立留つた。其時は最早(もう)酷(ひど)く饑渇(ひもじさ)を感じて居たので、わざ/\蓮華寺迄帰るといふ気は無かつた。ついと軒を潜つて入ると、炉辺(ろばた)には四五人の船頭、まだ他に飲食(のみくひ)して居る橇曳(そりひき)らしい男もあつた。時を待つ丑松の身に取つては、飲みたく無い迄も酒を誂(あつら)へる必要があつたので、ほんの申訳ばかりにお調子一本、饂飩はかけにして極(ごく)熱いところを、斯(か)う注文したのが軈て眼前(めのまへ)に並んだ。丑松はやたらに激昂して慄(ふる)へたり、丼(どんぶり)にある饂飩のにほひを嗅いだりして、黙つて他(ひと)の談話(はなし)を聞き乍ら食つた。
 零落――丑松は今その前に面と向つて立つたのである。船頭や、橇曳(そりひき)や、まあ下等な労働者の口から出る言葉と溜息とは、始めて其意味が染々(しみ/″\)胸に徹(こた)へるやうな気がした。実際丑松の今の心地(こゝろもち)は、今日あつて明日を知らない其日暮しの人々と異なるところが無かつたからで。炉の火は好く燃えた。人々は飲んだり食つたりして笑つた。丑松も亦(ま)た一緒に成つて寂しさうに笑つたのである。
 斯(か)うして待つて居る間が実に堪へがたい程の長さであつた。時は遅く移り過ぎた。そこに居た橇曳が出て行つて了ふと、交替(いれかはり)に他の男が入つて来る。聞くとも無しに其話を聞くと、高柳一派の運動は非常なもので、壮士に掴ませる金ばかりでもちつとやそつとでは有るまいとのこと。何屋とかを借りて、事務所に宛てゝ、料理番は詰切(つめきり)、酒は飲放題(のみはうだい)、帰つて来る人、出て行く人――其混雑は一通りで無いと言ふ。それにしても、今夜の演説会が奈何(どんな)に町の人々を動すであらうか、今頃はあの先輩の男らしい音声が法福寺の壁に響き渡るであらうか、と斯う想像して、会も終に近くかと思はれる頃、丑松は飲食(のみくひ)したものゝ外に幾干(いくら)かの茶代を置いて斯(こ)の饂飩屋を出た。
 月は空にあつた。今迄黄ばんだ洋燈(ランプ)の光の内に居て、急に斯(か)う屋(うち)の外へ飛出して見ると、何となく勝手の違つたやうな心地がする。薄く弱い月の光は家々の屋根を伝つて、往来の雪の上に落ちて居た。軒廂(のきびさし)の影も地にあつた。夜の靄(もや)は煙のやうに町々を籠めて、すべて遠く奥深く物寂しく見えたのである。青白い闇――といふことが言へるものなら、其は斯ういふ月夜の光景(ありさま)であらう。言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)は丑松の胸に這ひ上つて来た。
 時とすると、背後(うしろ)の方からやつて来るものが有つた。是方(こちら)が徐々(そろ/\)歩けば先方(さき)も徐々歩き、是方が急げば先方も急いで随(つ)いて来る。振返つて見よう/\とは思ひ乍らも、奈何(どう)しても其を為(す)ることが出来ない。あ、誰か自分を捕(つかま)へに来た。斯う考へると、何時の間にか自分の背後(うしろ)へ忍び寄つて、突然(だしぬけ)に襲ひかゝりでも為るやうな気がした。とある町の角のところ、ぱつたり其足音が聞えなくなつた時は、始めて丑松も我に帰つて、ホツと安心の溜息を吐(つ)くのであつた。
 前の方からも、亦(また)。あゝ月明りのおぼつかなさ。其光には何程(どれほど)の物の象(かたち)が見えると言つたら好からう。其陰には何程の色が潜んで居ると言つたら好からう。煙るやうな夜の空気を浴び乍ら、次第に是方(こちら)へやつて来る人影を認めた時は、丑松はもう身を縮(すく)めて、危険の近(ちかづ)いたことを思はずには居られなかつたのである。一寸是方を透して視て、軈て影は通過ぎた。
 それは割合に気候の緩(ゆる)んだ晩で、打てば響くかと疑はれるやうな寒夜の趣とは全く別の心地がする。天は遠く濁つて、低いところに集る雲の群ばかり稍(やゝ)仄白(ほのじろ)く、星は隠れて見えない中にも唯一つ姿を顕(あらは)したのがあつた。往来に添ふ家々はもう戸を閉めた。ところ/″\灯は窓から泄(も)れて居た。何の音とも判らない夜の響にすら胸を踊らせ乍ら、丑松は□(しん)とした町を通つたのである。

       (二)

 丁度演説会が終つたところだ。聴衆の群は雪を踏んでぞろ/\帰つて来る。思ひ/\のことを言ふ人々に近いて、其となく会の模様を聞いて見ると、いづれも激昂したり、憤慨したりして、一人として高柳を罵(のゝし)らないものは無い。あるものは斯の飯山から彼様(あん)な人物を放逐して了(しま)へと言ふし、あるものは市村弁護士に投票しろと呼ぶし、あるものは又、世にある多くの政事家に対して激烈な絶望を泄(もら)し乍ら歩くのであつた。
 月明りに立留つて話す人々も有る。其一群(ひとむれ)に言はせると、蓮太郎の演説はあまり上手の側では無いが、然し妙に人を□(ひきつけ)る力が有つて、言ふことは一々聴衆の肺腑を貫いた。高柳派の壮士、六七人、頻(しきり)に妨害を試みようとしたが、終(しまひ)には其も静(しづま)つて、水を打つたやうに成つた。悲壮な熱情と深刻な思想とは蓮太郎の演説を通しての著しい特色であつた。時とすると其が病的にも聞えた。最後に蓮太郎は、不真面目な政事家が社会を過(あやま)り人道を侮辱する実例として、烈しく高柳の急所をつ衝(つ)いた。高柳の秘密――六左衛門との関係――すべて其卑しい動機から出た結婚の真相が残るところなく発表された。
 また他の一群に言はせると、其演説をして居る間、蓮太郎は幾度か血を吐いた。終つて演壇を下りる頃には、手に持つた□子(ハンケチ)が紅く染つたとのことである。
 兎に角、蓮太郎の演説は深い感動を町の人々に伝へたらしい。丑松は先輩の大胆な、とは言へ男性(をとこ)らしい行動(やりかた)に驚いて、何となく不安な思を抱かずには居られなかつたのである。それにしても最早(もう)宿屋の方に帰つて居る時刻。行つて逢(あ)はう。斯う考へて、夢のやうに歩いた。ぶらりと扇屋の表に立つて、軒行燈の影に身を寄せ乍ら、屋内(なか)の様子を覗(のぞ)いて見ると、何か斯う取込んだことでも有るかのやうに人々が出たり入つたりして居る。亭主であらう、五十ばかりの男、周章(あわたゞ)しさうに草履を突掛け乍ら、提灯(ちやうちん)携げて出て行かうとするのであつた。
 呼留めて、蓮太郎のことを尋ねて見て、其時丑松は亭主の口から意外な報知(しらせ)を聞取つた。今々法福寺の門前で先輩が人の為に襲はれたといふことを聞取つた。真実(ほんと)か、虚言(うそ)か――もし其が事実だとすれば、無論高柳の復讐(ふくしう)に相違ない。まあ、丑松は半信半疑。何を考へるといふ暇も無く、たゞ/\胸を騒がせ乍ら、亭主の後に随(つ)いて法福寺の方へと急いだのである。
 あゝ、丑松が駈付けた時は、もう間に合はなかつた。丑松ばかりでは無い、弁護士ですら間に合はなかつたと言ふ。聞いて見ると、蓮太郎は一歩(ひとあし)先へ帰ると言つて外套(ぐわいたう)を着て出て行く、弁護士は残つて後仕末を為(し)て居たとやら。傷といふは石か何かで烈しく撃たれたもの。只(たゞ)さへ病弱な身、まして疲れた後――思ふに、何の抵抗(てむかひ)も出来なかつたらしい。血は雪の上を流れて居た。

       (三)

 左(と)も右(かく)も検屍(けんし)の済む迄(まで)は、といふので、蓮太郎の身体は外套で掩(おほ)ふた儘(まゝ)、手を着けずに置いてあつた。思はず丑松は跪(ひざまづ)いて、先輩の耳の側へ口を寄せた。まだそれでも通じるかと声を掛けて見る。
『先生――私です、瀬川です。』
 何と言つて呼んで見ても、最早聞える気色(けしき)は無かつたのである。
 月の光は青白く落ちて、一層凄愴(せいさう)とした死の思を添へるのであつた。人々は同じやうに冷い光と夜気とを浴び乍ら、巡査や医者の来るのを待佗(まちわ)びて居た。あるものは影のやうに蹲(うづくま)つて居た。あるものは並んで話し/\歩いて居た。弁護士は悄然(しよんぼり)首を垂れて、腕組みして、物も言はずに突立つて居た。
 軈て町の役人が来る、巡査が来る、医者が来る、間も無く死体の検査が始つた。提灯の光に照された先輩の死顔は、と見ると、頬の骨隆(たか)く、鼻尖り、堅く結んだ口唇は血の色も無く変りはてた。男らしい威厳を帯びた其容貌(おもばせ)のうちには、何処となく暗い苦痛の影もあつて、壮烈な最後の光景(ありさま)を可傷(いたま)しく想像させる。見る人は皆な心を動された。万事は侠気(をとこぎ)のある扇屋の亭主の計らひで、検屍が済む、役人達が帰つて行く、一先づ死体は宿屋の方へ運ばれることに成つた。戸板の上へ載せる為に、弁護士は足の方を持つ、丑松は頭の方へ廻つて、両手を深く先輩の脇の下へ差入れた。あゝ、蓮太郎の身体は最早冷かつた。奈何(どんな)に丑松は名残惜しいやうな気に成つて、蒼(あを)ざめた先輩の頬へ自分の頬を押宛てゝ、『先生、先生。』と呼んで見たらう。其時亭主は傍へ寄つて、だらりと垂れた蓮太郎の手を胸の上に組合せてやつた。斯うして戸板に載せて、其上から外套を懸けて、扇屋を指して出掛けた頃は、月も落ちかゝつて居た。人々は提灯の光に夜道を照し乍ら歩いた。丑松は亦たさく/\と音のする雪を踏んで、先輩の一生を考へ乍ら随(つ)いて行つた。思当ることが無いでも無い。あの根村の宿屋で一緒に夕飯(ゆふめし)を食つた時、頻に先輩は高柳の心を卑(いやし)で[#「卑(いやし)で」はママ]、『是程新平民といふものを侮辱した話は無からう』と憤つたことを思出した。あの上田の停車場(ステーション)へ行く途中、丁度橋を渡つた時にも、『どうしても彼様(あん)な男に勝たせたく無い、何卒(どうか)して斯(こ)の選挙は市村君のものにして遣りたい』と言つたことを思出した。『いくら吾儕(われ/\)が無智な卑賤(いや)しいものだからと言つて、踏付けられるにも程が有る』と言つたことを思出した。『高柳の話なぞを聞かなければ格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地(いくぢ)が無さ過ぎるからねえ』と言つたことを思出した。それから彼(あ)の細君が一緒に東京へ帰つて呉れと言出した時に、先輩は叱つたり□(はげま)したりして、丁度生木(なまき)を割(さ)くやうに送り返したことを思出した。彼是(かれこれ)を思合せて考へると――確かに先輩は人の知らない覚期(かくご)を懐にして、斯(こ)の飯山へ来たらしいのである。
 斯ういふことゝ知つたら、もうすこし早く自分が同じ新平民の一人であると打明けて話したものを。あるひは其を為たら、自分の心情(こゝろもち)が先輩の胸にも深く通じたらうものを。
 後悔は何の益(やく)にも立たなかつた。丑松は恥ぢたり悲んだりした。噫(あゝ)、数時間前には弁護士と一緒に談(はな)し乍ら扇屋を出た蓮太郎、今は戸板に載せられて其同じ門を潜るのである。不取敢(とりあへず)、東京に居る細君のところへ、と丑松は引受けて、電報を打つ為に郵便局の方へ出掛けることにした。夜は深かつた。往来を通る人の影も無かつた。是非打たう。局員が寝て居たら、叩(たゝ)き起しても打たう。それにしても斯(この)電報を受取る時の細君の心地(こゝろもち)は。と想像して、さあ何と文句を書いてやつて可(いゝ)か解らない位であつた。暗く寂(さみ)しい四辻の角のところへ出ると、頻に遠くの方で犬の吠(ほえ)る声が聞える。其時はもう自分で自分を制(おさ)へることが出来なかつた。堪へ難い悲傷(かなしみ)の涙は一時に流れて来た。丑松は声を放つて、歩き乍ら慟哭(どうこく)した。

       (四)

 涙は反(かへ)つて枯れ萎(しを)れた丑松の胸を湿(うるほ)した。電報を打つて帰る道すがら、丑松は蓮太郎の精神を思ひやつて、其を自分の身に引比べて見た。流石(さすが)に先輩の生涯(しやうがい)は男らしい生涯であつた。新平民らしい生涯であつた。有の儘(まゝ)に素性を公言して歩いても、それで人にも用ゐられ、万(よろづ)許されて居た。『我は穢多を恥とせず。』――何といふまあ壮(さか)んな思想(かんがへ)だらう。其に比べると自分の今の生涯は――
 其時に成つて、始めて丑松も気がついたのである。自分は其を隠蔽(かく)さう隠蔽さうとして、持つて生れた自然の性質を銷磨(すりへら)して居たのだ。其為に一時(いつとき)も自分を忘れることが出来なかつたのだ。思へば今迄の生涯は虚偽(いつはり)の生涯であつた。自分で自分を欺(あざむ)いて居た。あゝ――何を思ひ、何を煩ふ。『我は穢多なり』と男らしく社会に告白するが好いではないか。斯う蓮太郎の死が丑松に教へたのである。
 紅(あか)く泣腫(なきはら)した顔を提げて、やがて扇屋へ帰つて見ると、奥の座敷には種々(さま/″\)な人が集つて後の事を語り合つて居た。座敷の床の間へ寄せ、北を枕にして、蓮太郎の死体の上には旅行用の茶色の膝懸(ひざかけ)をかけ、顔は白い□布(ハンケチ)で掩(おほ)ふてあつた。亭主の計らひと見えて、其前に小机を置き、土器(かはらけ)の類(たぐひ)も新しいのが載せてある。線香の煙に交る室内の夜の空気の中に、蝋燭(らふそく)の燃(とぼ)るのを見るも悲しかつた。
 警察署へ行つた弁護士も帰つて来て、蓮太郎のことを丑松に話した。
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