破戒
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著者名:島崎藤村 

『といふのは、君、あの娘(こ)の方から逢つて呉れろといふ言伝(ことづけ)があつて――尤(もつと)も、我輩もね、君の知つてる通り蓮華寺とは彼様(あゝ)いふ訳だし、それに家内は家内だし、するからして、成るべく彼の娘には逢はないやうにして居る。ところが何か相談したいことが有ると言ふもんだから、まあ、その、久し振で逢つて見た。どうも若いものがずん/\大きく成るのには驚いて了ふねえ。まるで見違へる位。それで君、何の相談かと思ふと、最早々々(もう/\)奈何(どう)しても蓮華寺には居られない、一日も早く家(うち)へ帰るやうにして呉れ、頼む、と言ふ。事情を聞いて見ると無理もない。其時我輩も始めて彼の住職の性質を知つたやうな訳サ。』
 と言つて、敬之進は一寸徳利を振つて見た。生憎(あいにく)酒は盃(さかづき)に満たなかつた。やがて一口飲んで、両手で口の端(はた)を撫(な)で廻して、
『斯(か)うです。まあ、君、聞いて呉れ給へ。よく世間には立派な人物だと言はれて居ながら、唯女性(をんな)といふものにかけて、非常に弱い性質(たち)の男があるものだね。蓮華寺の住職も矢張(やはり)其だらうと思ふよ。彼程(あれほど)学問もあり、弁才もあり、何一つ備はらないところの無い好い人で、殊(こと)に宗教(をしへ)の方の修行もして居ながら、それでまだ迷が出るといふのは、君、奈何(どう)いふ訳だらう。我輩は娘から彼(あ)の住職のことを聞いた時、どうしても其が信じられなかつた。いや、嘘だとしか思はれなかつた。実に人は見かけによらないものさね。ホラ、彼の住職も長いこと西京へ出張して居ましたよ。丁度帰つて来たのは、君が郷里の方へ行つて留守だつた時さ。それからといふものは、まあ娘に言はせると、奈何(どう)しても養父(おとつ)さんの態度(しむけ)とは思はれないと言ふ。かりそめにも仏の御弟子ではないか。袈裟(けさ)を着(つけ)て教を説く身分ではないか。自分の職業に対しても、もうすこし考へさうなものだと思ふんだ。あまり浅猿(あさま)しい、馬鹿馬鹿しいことで、他(ひと)に話も出来ないやね。奥様はまた奥様で、彼様(あゝ)いふ性質の女だから、人並勝れて嫉妬深(しつとぶか)いと来て居る。娘はもう悲いやら恐しいやらで、夜も碌々眠られないと言ふ。呆(あき)れたねえ、我輩も是(この)話を聞いた時は。だから、君、娘が家(うち)へ帰りたいと言ふのは、実際無理もない。我輩だつて、其様なところへ娘を遣(や)つて置きたくは無い。そりやあもう一日も早く引取りたい。そこがそれ情ないことには、今の家内がもうすこし解つて居て呉れると、奈何(どう)にでもして親子でやつて行かれないことも有るまいと思ふけれど、現に省吾一人にすら持余して居るところへ、またお志保の奴が飛込んで来て見給へ――到底(とても)今の家内と一緒に居られるもんぢや無い。第一、八人の親子が奈何して食へよう。其や是やを考へると、我輩の口から娘に帰れとは言はれないぢやないか。噫(あゝ)、辛抱、辛抱――出来ることを辛抱するのは辛抱でも何でも無い、出来ないところを辛抱するのが真実(ほんたう)の辛抱だ。行け、行け、心を毅然(しつかり)持て。奥様といふものも附いて居る。その人の傍に居て離れないやうにしたら、よもや無理なことを言懸けられもしまい。たとへ先方(さき)が親らしい行為をしない迄(まで)も、これまで育てゝ貰つた恩義も有る。一旦蓮華寺の娘と成つた以上は、奈何(どん)な辛いことがあらうと決して家(うち)へ帰るな。そこを勤め抜くのが孝行といふものだ。とまあ、賺(すか)したり励(はげま)したりして、無理やりに娘を追立てゝやつたよ。思へば可愛さうなものさ。あゝ、あゝ、斯ういふ時に先の家内が生きて居たならば――』
 敬之進の顔には真実と苦痛とが表れて、眼は涙の為に濡(ぬ)れ輝いた。成程、左様言はれて見ると、丑松も思ひ当ることがないでもない。あの蓮華寺の内部(なか)の光景(ありさま)を考へると、何か斯う暗い雲が隅のところに蟠(わだかま)つて、絶えず其が家庭の累(わづらひ)を引起す原因(もと)で、住職と奥様とは無言の間に闘つて居るかのやう――譬(たと)へば一方で日があたつて、楽しい笑声の聞える時でも、必ず一方には暴風雨(あらし)が近(ちかづ)いて居る。斯ういふ感想(かんじ)は毎日のやうに有つた。唯其は何処の家庭(うち)にも克(よ)くある角突合(つのづきあひ)――まあ、住職と奥様とは互ひに仏弟子のことだから、言はゞ高尚な夫婦喧嘩、と丑松も想像して居たので、よもや其雲のわだかまりがお志保の上にあらうとは思ひ設けなかつたのである。奥様がわざ/\磊落(らいらく)らしく装(よそほ)つて、剽軽(へうきん)なことを言つて、男のやうな声を出して笑ふのも、其為だらう。紅涙(なんだ)が克(よ)くお志保の顔を流れるのも、其為だらう。どうもをかしい/\と思つて居たことは、この敬之進の話で悉皆(すつかり)読めたのである。
 長いこと二人は悄然(しよんぼり)として、互ひに無言の儘(まゝ)で相対(さしむかひ)に成つて居た。


   第拾七章

       (一)

 勘定を済まして笹屋を出る時、始めて丑松は月給のうちを幾許(いくら)袂(たもと)に入れて持つて来たといふことに気が着いた。それは銀貨で五十銭ばかりと、外に五円紙幣(さつ)一枚あつた。父の存命中は毎月為替(かはせ)で送つて居たが、今は其を為(す)る必要も無いかはり、帰省の当時大分費(つか)つた為に斯金(このかね)が大切のものに成つて居る、彼是(かれこれ)を考へると左様無暗には費はれない。しかし丑松の心は暗かつた。自分のことよりは敬之進の家族を憐むのが先で、兎(と)に角(かく)省吾の卒業する迄、月謝や何かは助けて遣(や)りたい――斯う考へるのも、畢竟(つまり)はお志保を思ふからであつた。
 酔つて居る敬之進を家(うち)まで送り届けることにして、一緒に雪道を歩いて行つた。慄(ふる)へるやうな冷い風に吹かれて、寒威(さむさ)に抵抗(てむかひ)する力が全身に満ち溢(あふ)れると同時に、丑松はまた精神(こゝろ)の内部(なか)の方でもすこし勇気を回復した。並んで一緒に歩く敬之進は、と見ると――釣竿を忘れずに舁(かつ)いで来た程、其様(そんな)に酷(ひど)く酔つて居るとも思はれないが、しかし不規則な、覚束ない足許(あしもと)で、彼方(あつち)へよろ/\、是方(こつち)へよろ/\、どうかすると往来の雪の中へ倒れかゝりさうに成る。『あぶない、あぶない。』と丑松が言へば、敬之進は僅かに身を支へて、『ナニ、雪の中だ? 雪の中、結構――下手な畳の上よりも、結句是方(このはう)が気楽だからね。』これには丑松も持余して了(しま)つて、若(も)し是雪(このゆき)の中で知らずに寝て居たら奈何(どう)するだらう、斯う思ひやつて身を震はせた。斯の老朽な教育者の末路、彼の不幸なお志保の身の上――まあ、丑松は敬之進親子のことばかり思ひつゞけ乍ら随(つ)いて行つた。
 敬之進の住居(すまひ)といふは、どこから見ても古い粗造な農家風の草屋。もとは城側(しろわき)の広小路といふところに士族屋敷の一つを構へたとか、其はもうずつと旧(ふる)い話で、下高井の方から帰つて来た時に、今のところへ移住(うつりす)んだのである。入口の壁の上に貼付けたものは、克(よ)く北信の地方に見かける御札で、烏の群れて居る光景(さま)を表してある。土壁には大根の乾葉(ひば)、唐辛(たうがらし)なぞを懸け、粗末な葦簾(よしず)の雪がこひもしてあつた。丁度其日は年貢(ねんぐ)を納めると見え、入口の庭に莚(むしろ)を敷きつめ、堆高(うづだか)く盛上げた籾(もみ)は土間一ぱいに成つて居た。丑松は敬之進を助け乍ら、一緒に敷居を跨いで入つた。裏木戸のところに音作、それと見て駈寄つて、いつまでも昔忘れぬ従僕(しもべ)らしい挨拶。
『今日は御年貢(おねんぐ)を納めるやうにツて、奥様(おくさん)も仰(おつしや)りやして――はい、弟の奴も御手伝ひに連れて参じやした。』
 斯ういふ言葉を夢中に聞捨てゝ、敬之進は其処へ倒れて了つた。奥の方では、怒気(いかり)を含んだ細君の声と一緒に、叱られて泣く子供の声も起る。『何したんだ、どういふもんだ――めた(幾度も)悪戯(わるさ)しちや困るぢやないかい。』といふ細君の声を聞いて、音作は暫時(しばらく)耳を澄まして居たが、軈(やが)て思ひついたやうに、
『まあ、それでも旦那さんの酔ひなすつたことは。』
 と旧(むかし)の主人を憐んで、助け起すやうにして、暗い障子(しやうじ)の蔭へ押隠した。其時、口笛を吹き乍ら、入つて来たのは省吾である。
『省吾さん。』と音作は声を掛けた。『御願ひでごはすが、彼の地親(ぢやうや)さん(ぢおやの訛(なまり)、地主の意)になあ、早く来て下さいツて、左様言つて来て御呉(おくん)なんしよや。』

       (二)

 間も無く細君も奥の方から出て来て、其処に酔倒れて居る敬之進が復た/\丑松の厄介に成つたことを知つた。周囲(まはり)に集る子供等は、いづれも母親の思惑(おもはく)を憚(はゞか)つて、互に顔を見合せたり、慄(ふる)へたりして居た。流石(さすが)に丑松の手前もあり、音作兄弟も来て居るので、細君は唯夫を尻目に掛けて、深い溜息を吐くばかりであつた。毎度敬之進が世話に成ること、此頃(こなひだ)はまた省吾が結構なものを頂いたこと、其(それ)や是(これ)やの礼を述べ乍ら、せか/\と立つたり座(すわ)つたりして話す。丑松は斯(この)細君の気の短い、忍耐力(こらへじやう)の無い、愚痴なところも感じ易いところも総(すべ)て外部(そと)へ露出(あらは)れて居るやうな――まあ、四十女に克(よ)くある性質を看(み)て取つた。丁度そこへ来て、座りもせず、御辞儀もせず、恍(とぼ)け顔(がほ)に立つた小娘は、斯細君の二番目の児である。
『これ、お作や。御辞儀しねえかよ。其様(そんな)に他様(ひとさま)の前で立つてるもんぢや無えぞよ。奈何(どう)して吾家(うち)の児は斯(か)う行儀が不良(わる)いだらず――』
 といふ細君の言葉なぞを聞入れるお作では無かつた。見るからして荒くれた、男の児のやうな小娘。これがお志保の異母(はらちがひ)の姉妹(きやうだい)とは、奈何しても受取れない。
『まあ、斯児(このこ)は兄姉中(きやうだいぢゆう)で一番仕様が無え――もうすこし母さんの言ふことを聞くやうだと好いけれど。』
 と言はれても、お作は知らん顔。何時の間にかぷいと駈出して行つて了つた。
 午後の光は急に射入つて、暗い南窓の小障子も明るく、幾年張替へずにあるかと思はれる程の紙の色は赤黒く煤(すゝ)けて見える。『あゝ日が照(あた)つて来た、』と音作は喜んで、『先刻(さつき)迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅(あんばい)だ。』斯う言ひ乍ら、弟と一緒に年貢の準備(したく)を始めた。薄く黄ばんだ冬の日は斯の屋根の下の貧苦と零落とを照したのである。一度農家を訪れたものは、今丑松が腰掛けて居る板敷の炉辺(ろばた)を想像することが出来るであらう。其処は家族が食事をする場処でもあれば、客を款待(もてな)す場処でもある。庭は又、勝手でもあり、物置でもあり、仕事場でもあるので、表から裏口へ通り抜けて、すくなくも斯の草屋の三分の一を土間で占めた。彼方(あちら)の棚には茶椀、皿小鉢、油燈(カンテラ)等を置き、是方(こちら)の壁には鎌を懸け、種物の袋を釣るし、片隅に漬物桶、炭俵。台所の道具は耕作の器械と一緒にして雑然(ごちや/\)置並べてあつた。高いところに鶏の塒(ねぐら)も作り付けてあつたが、其は空巣も同然で、鳥らしいものが飼はれて居るとは見えなかつたのである。
 斯(こ)の草屋はお志保の生れた場処で無いまでも、蓮華寺へ貰はれて行く前、敬之進の言葉によれば十三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、酷(ひど)く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部(そと)に雪がこひのして有るのとで、何となく家(うち)の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々(とし/″\)の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女(をとこをんな)を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のことも俤(おもかげ)に描かれて、言ふに言はれぬ可懐(なつか)しさを添へるのであつた。
 其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十余(あまり)の男が入口のところに顕(あらは)れた。
『地親(ぢやうや)さんでやすよ。』
 と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。

       (三)

 地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相(ぶあいそ)な、極(ご)く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈(ゑしやく)した後、黙つて炉の火に身を温めた。斯(か)ういふ性質(たち)の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由(わけ)も無しに怒つたやうな顔付をして居るが、其実怒つて居るのでも何でも無い。丑松は其を承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備(したく)に多忙(いそが)しい人々の光景(ありさま)を眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫(とりいれ)に従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。斯(こ)の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年(ひとゝせ)の労働の報酬(むくい)なので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。
 十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升桝(ます)を投げて置いて、軈(やが)てまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひ乍ら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外(そと)から入つて来たのは、斯の細君の三番目の児、お末と言つて、五歳(いつゝ)に成る。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々(なほ/\)身を慄(ふる)はせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。
『今に母さんが好い物を呉れるから泣くなよ。』
 と細君は声を掛けた。お末は啜(すゝ)り上げ乍ら、母親の側へ寄つて、
『手が冷(つめた)い――』
『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵(おこた)へあたれ。』
 斯(か)う言つて、凍つた手を握〆(にぎりしめ)ながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。
 其時は地主も炉辺(ろばた)を離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅(はがひ)のやうに掻合せ、半ば顔を埋(うづ)め、我と我身を抱き温め乍ら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。
『奈何(どう)でござんすなあ、籾(もみ)のこしらへ具合は。』
 と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、其返事が聞取れない位。軈(やが)て、白い手を出して籾を抄(すく)つて見た。一粒口の中へ入れて、掌上(てのひら)のをも眺(なが)め乍(なが)ら、
『空穀(しひな)が有るねえ。』
 と冷酷(ひやゝか)な調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、
『空穀でも無いでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目は有りやすよ。まあ、一俵造(こしら)へて掛けて見やせう。』
 六つばかりの新しい俵が其処へ持出された。音作は箕(み)の中へ籾を抄入(すくひい)れて、其を大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平に撫(な)で量(はか)つた。俵の中へは音作の弟が詰めた。尤(もつと)も弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁(もどか)しがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうで無くて不可(いけない)。』と自分の手に持つ箕(み)を弟の方へ投げて遣つた。
『さあ、沢山(どつしり)入れろ――一わたりよ、二わたりよ。』
 と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵が其処へ並んだ。
『六俵で内取に願ひやせう。』
 と音作は俵蓋(さんだはら)を掩(おほ)ひ冠せ乍ら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤(そろばん)を置いて見るらしい。何時(いつ)の間にか音作の弟が大きな秤(はかり)を持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅(まつか)に成る。地主は衡(はかりざを)の平均(たひら)になつたのを見澄まして、錘(おもり)の糸を動かないやうに持添へ乍ら調べた。
『いくら有やす。』と音作は覗(のぞ)き込んで、『むゝ、出放題(ではうでえ)あるは――』
『十八貫八百――是は魂消(たまげ)た。』と弟も調子を合せる。
『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です。』と音作は腰を延ばして言つた。
『しかし、俵(へう)にもある。』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。
『左様(さう)です。俵にも有やすが、其は知れたもんです。』
 といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語(ひとりごと)のやうに、
『俺(おら)がとこは十八貫あれば好いだ。』
『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ。』
 斯う言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然(がうぜん)とした地主の顔色を窺(うかゞ)ひ澄ましたのである。

       (四)

 斯(こ)の光景(ありさま)を眺めて居た丑松は、可憐(あはれ)な小作人の境涯(きやうがい)を思ひやつて――仮令(たとひ)音作が正直な百姓気質(かたぎ)から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、斯うして零落した主人の為に尽すとしても――なか/\細君の痩腕で斯の家族が養ひきれるものでは無いといふことを感じた。お志保が苦しいから帰りたいと言つたところで、『第一、八人の親子が奈何(どう)して食へよう』と敬之進も酒の上で泣いた。噫(あゝ)、実に左様(さう)だ。奈何して斯様(こん)なところへ帰つて来られよう。丑松は想像して慄(ふる)へたのである。
『まあ、御茶一つお上り。』と音作に言はれて、地主は寒さうに炉辺へ急いだ。音作も腰に着けた煙草入を取出して、立つて一服やり乍ら、
『六俵の二斗五升取ですか。』
『二斗五升ツてことが有るもんか。』と地主は嘲(あざけ)つたやうに、『四斗五升よ。』
『四斗……』
『四斗五升ぢや無いや、四斗七升だ――左様だ。』
『四斗七升?』
 斯ういふ二人の問答を、細君は黙つて聞いて居たが、もう/\堪(こら)へきれないと言つたやうな風に、横合から話を引取つて、
『音さん。四斗七升の何のと言はないで、何卒(どうか)悉皆(すつかり)地親(ぢやうや)さんの方へ上げて了つて御呉(おくん)なんしよや――私(わし)はもう些少(すこし)も要(い)りやせん。』
『其様(そん)な、奥様(おくさん)のやうな。』と音作は呆(あき)れて細君の顔を眺める。
『あゝ。』と細君は嘆息した。『何程(いくら)私ばかり焦心(あせ)つて見たところで、肝心(かんじん)の家(うち)の夫(ひと)が何(なんに)も為ずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。其を思ふと、私はもう働く気も何も無くなつて了(しま)ふ。加之(おまけ)に、子供は多勢で、与太(よた)(頑愚)なものばかり揃つて居て――』
『まあ、左様(さう)仰(おつしや)らないで、私(わし)に任せなされ――悪いやうには為(し)ねえからせえて。』と音作は真心籠めて言慰(いひなぐさ)めた。
 細君は襦袢(じゆばん)の袖口で□(まぶち)を押拭ひ乍ら、勝手元の方へ行つて食物(くひもの)の準備(したく)を始める。音作の弟は酒を買つて帰つて来る。大丼が出たり、小皿が出たりするところを見ると、何が無くとも有合(ありあはせ)のもので一杯出して、地主に飲んで貰ふといふ積りらしい。思へば小作人の心根(こゝろね)も可傷(あはれ)なものである。万事は音作のはからひ、酒の肴(さかな)には蒟蒻(こんにやく)と油揚(あぶらげ)の煮付、それに漬物を添へて出す位なもの。軈(やが)て音作は盃(さかづき)を薦(すゝ)めて、
『冷(れい)ですよ、燗(かん)ではごはせんよ――地親(ぢやうや)さんは是方(こつち)でいらつしやるから。』
 と言はれて、始めて地主は微笑(ほゝゑみ)を泄(もら)したのである。
 其時まで、丑松は細君に話したいと思ふことがあつて、其を言ふ機会も無く躊躇(ちうちよ)して居たのであるが、斯うして酒が始つて見ると、何時(いつ)是地主が帰つて行くか解らない。御相伴(おしやうばん)に一つ、と差される盃を辞退して、ついと炉辺を離れた。表の入口のところへ省吾を呼んで、物の蔭に佇立(たゝず)み乍ら、袂から取出したのは例の紙の袋に入れた金である。丑松は斯う言つた。後刻(あと)で斯の金を敬之進に渡して呉れ。それから家の事情で退校させるといふ敬之進の話もあつたが、月謝や何かは斯中(このなか)から出して、是非今迄通りに学校へ通はせて貰ふやうに。『いゝかい、君、解つたかい。』と添加(つけた)して、それを省吾の手に握らせるのであつた。
『まあ、君は何といふ冷い手をしてゐるだらう。』
 斯う言ひ乍ら、丑松は少年の手を堅く握り締めた。熟(じつ)と其の邪気(あどけ)ない顔付を眺めた時は、あのお志保の涙に霑(ぬ)れた清(すゞ)しい眸(ひとみ)を思出さずに居られなかつたのである。

       (五)

 敬之進の家を出て帰つて行く道すがら、すくなくも丑松はお志保の為に尽したことを考へて、自分で自分を慰めた。蓮華寺の山門に近(ちかづ)いた頃は、灰色の雲が低く垂下つて来て、復(ま)た雪になるらしい空模様であつた。蒼然(さうぜん)とした暮色は、たゞさへ暗い丑松の心に、一層の寂しさ味気なさを添へる。僅かに天の一方にあたつて、遠く深く紅(くれなゐ)を流したやうなは、沈んで行く夕日の反射したのであらう。
 宵の勤行(おつとめ)の鉦(かね)の音は一種異様な響を丑松の耳に伝へるやうに成つた。それは最早(もう)世離れた精舎(しやうじや)の声のやうにも聞えなかつた。今は梵音(ぼんおん)の難有味(ありがたさ)も消えて、唯同じ人間世界の情慾の声、といふ感想(かんじ)しか耳の底に残らない。丑松は彼の敬之進の物語を思ひ浮べた。住職を卑しむ心は、卑しむといふよりは怖れる心が、胸を衝(つ)いて湧上つて来る。しかしお志保は其程香(か)のある花だ、其程人を□(ひきつ)ける女らしいところが有るのだ、と斯う一方から考へて見て、いよ/\其人を憐むといふ心地(こゝろもち)に成つたのである。
 蓮華寺の内部(なか)の光景(ありさま)――今は丑松も明に其真相を読むことが出来た。成程(なるほど)、左様言はれて見ると、それとない物の端(はし)にも可傷(いたま)しい事実は顕れて居る。左様(さう)言はれて見ると、始めて丑松が斯の寺へ引越して来た時のやうな家庭の温味(あたゝかさ)は何時の間にか無くなつて了つた。
 二階へ通ふ廊下のところで、丑松はお志保に逢(あ)つた。蒼(あを)ざめて死んだやうな女の顔付と、悲哀(かなしみ)の溢(あふ)れた黒眸(くろひとみ)とは――たとひ黄昏時(たそがれどき)の仄(ほの)かな光のなかにも――直に丑松の眼に映る。お志保も亦(ま)た不思議さうに丑松の顔を眺めて、丁度喪心(さうしん)した人のやうな男の様子を注意して見るらしい。二人は眼と眼を見交したばかりで、黙つて会釈(ゑしやく)して別れたのである。
 自分の部屋へ入つて見ると、最早そこいらは薄暗かつた。しかし丑松は洋燈(ランプ)を点けようとも為なかつた。長いこと茫然として、独りで暗い部屋の内に座(すわ)つて居た。

       (六)

『瀬川さん、御勉強ですか。』
 と声を掛けて、奥様が入つて来たのは、それから二時間ばかり経(た)つてのこと。丑松の机の上には、日々(にち/\)の思想(かんがへ)を記入(かきい)れる仮綴の教案簿なぞが置いてある。黄ばんだ洋燈(ランプ)の光は夜の空気を寂(さみ)しさうに照して、思ひ沈んで居る丑松の影を古い壁の方へ投げた。煙草(たばこ)のけむりも薄く籠(こも)つて、斯(こ)の部屋の内を朦朧(もうろう)と見せたのである。
『何卒(どうぞ)私に手紙を一本書いて下さいませんか――済(す)みませんが。』
 と奥様は、用意して来た巻紙状袋を取出し乍ら、丑松の返事を待つて居る。其様子が何となく普通(たゞ)では無い、と丑松も看(み)て取つて、
『手紙を?』と問ひ返して見た。
『長野の寺院(てら)に居る妹のところへ遣(や)りたいのですがね、』と奥様は少許(すこし)言淀(いひよど)んで、『実は自分で書かうと思ひまして、書きかけては見たんです。奈何(どう)も私共の手紙は、唯長くばかり成つて、肝心(かんじん)の思ふことが書けないものですから。寧(いつ)そこりや貴方(あなた)に御願ひ申して、手短く書いて頂きたいと思ひまして――どうして女の手紙といふものは斯う用が達(もと)らないのでせう。まあ、私は何枚書き損つたか知れないんですよ――いえ、なに、其様(そんな)に煩(むづか)しい手紙でも有ません。唯解るやうに書いて頂きさへすれば好いのですから。』
『書きませう。』と丑松は簡短に引受けた。
 斯答(このこたへ)に力を得て、奥様は手紙の意味を丑松に話した。一身上のことに就いて相談したい――是(この)手紙着次第(ちやくしだい)、是非々々々々出掛けて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。蟹沢から飯山迄は便船も発(た)つ、もし舟が嫌なら、途中迄車に乗つて、それから雪橇に乗替へて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。今度といふ今度こそは絶念(あきら)めた、自分はもう離縁する考へで居る、と書いて呉れと頼んだ。
『他の人とは違つて、貴方ですから、私も斯様(こん)なことを御願ひするんです。』と言ふ奥様の眼は涙ぐんで来たのである。『訳を御話しませんから、不思議だと思つて下さるかも知れませんが――』
『いや。』と丑松は対手(あひて)の言葉を遮(さへぎ)つた。『私も薄々聞きました――実は、あの風間さんから。』
『ホウ、左様(さう)ですか。敬之進さんから御聞きでしたか。』と言つて、奥様は考深い目付をした。
『尤(もつと)も、左様委敷(くはし)い事は私も知らないんですけれど。』
『あんまり馬鹿々々しいことで、貴方なぞに御話するのも面目ない。』と奥様は深い溜息を吐(つ)き乍ら言つた。『噫(あゝ)、吾寺(うち)の和尚さんも彼年齢(あのとし)に成つて、未(ま)だ今度のやうなことが有るといふは、全く病気なんですよ。病気ででも無くて、奈何して其様な心地(こゝろもち)に成るもんですか。まあ、瀬川さん、左様ぢや有ませんか。和尚さんもね、彼病気さへ無ければ、実に気分の優しい、好い人物(ひと)なんです――申分の無い人物なんです――いえ、私は今だつても和尚さんを信じて居るんですよ。』

       (七)

『奈何(どう)して私は斯(か)う物に感じ易いんでせう。』と奥様は啜(すゝ)り上げた。『今度のやうなことが有ると、もう私は何(なんに)も手に着きません。一体、和尚さんの病気といふのは、今更始つたことでも無いんです。先住は早く亡(な)くなりまして、和尚さんが其後へ直つたのは、未(ま)だ漸(やうや)く十七の年だつたといふことでした。丁度私が斯寺(このてら)へ嫁(かたづ)いて来た翌々年(よく/\とし)、和尚さんは西京へ修業に行くことに成ましてね――まあ、若い時には能(よ)く物が出来ると言はれて、諸国から本山へ集る若手の中でも五本の指に数へられたさうですよ――それで私は、其頃未だ生きて居た先住の匹偶(つれあひ)と、今寺内に居る坊さんの父親(おとつ)さんと、斯う三人でお寺を預つて、五年ばかり留守居をしたことが有ました。考へて見ると、和尚さんの病気はもう其頃から起つて居たんですね。相手の女といふは、西京の魚(うを)の棚(たな)、油(あぶら)の小路(こうぢ)といふところにある宿屋の総領娘、といふことが知れたもんですから、さあ、寺内の先(せん)の坊さんも心配して、早速西京へ出掛けて行きました。其時、私は先住の匹偶(つれあひ)にも心配させないやうに、檀家(だんか)の人達の耳へも入れないやうにツて、奈何(どんな)に独りで気を揉(も)みましたか知れません。漸(やつと)のこと、お金を遣つて、女の方の手を切らせました。そこで和尚さんも真実(ほんたう)に懲(こ)りなければ成らないところです。ところが持つて生れた病は仕方の無いもので、それから三年経(た)つて、今度は東京にある真宗の学校へ勤めることに成ると、復(ま)た病気が起りました。』
 手紙を書いて貰ひに来た奥様は、用をそつちのけにして、種々(いろ/\)並べたり訴へたりし始めた。淡泊(さつぱり)したやうでもそこは女の持前で、聞いて貰はずには居られなかつたのである。
『尤も、』と奥様は言葉を続けた。『其時は、和尚さんを独りで遣(や)つては不可(いけない)といふので――まあ学校の方から月給は取れるし、留守中のことは寺内の坊さんが引受けて居て呉れるし、それに先住の匹偶(つれあひ)も東京を見たいと言ふもんですから、私も一緒に随いて行つて、三人して高輪(たかなわ)のお寺を仕切つて借りました。其処から学校へは何程(いくら)も無いんです。克(よ)く和尚さんは二本榎(にほんえのき)の道路(みち)を通ひました。丁度その二本榎に、若い未亡人(ごけさん)の家(うち)があつて、斯人(このひと)は真宗に熱心な、教育のある女でしたから、和尚さんも法話(はなし)を頼まれて行き/\しましたよ。忘れもしません、其女といふは背のすらりとした、白い優しい手をした人で、御墓参りに行くところを私も見掛けたことが有ます。ある時、其未亡人(ごけさん)の噂(うはさ)が出ると、和尚さんは鼻の先で笑つて、「むゝ、彼女(あのをんな)か――彼様(あん)なひねくれた女は仕方が無い」と酷(ひど)く譏(けな)すぢや有ませんか。奈何(どう)でせう、瀬川さん、其時は最早和尚さんが関係して居たんです。何時の間にか女は和尚さんの種を宿しました。さあ、和尚さんも蒼(あを)く成つて了つて、「実は済(す)まないことをした」と私の前に手を突いて、謝罪(あやま)つたのです。根が正直な、好い性質の人ですから、悪かつたと思ふと直に後悔する。まあ、傍(はた)で見て居ても気の毒な位。「頼む」と言はれて見ると、私も放擲(うつちや)つては置かれませんから、手紙で寺内の坊さんを呼寄せました。其時、私の思ふには、「あゝ是(これ)は私に子が無いからだ。若し子供でも有つたら一層(もつと)和尚さんも真面目な気分に御成(おなん)なさるだらう。寧(いつ)そ其女の児を引取つて自分の子にして育てようかしら。」と斯う考へたり、ある時は又、「みす/\私が傍に附いて居乍ら、其様(そん)な女に子供迄出来たと言はれては、第一私が世間へ恥かしい。いかに言つても情ないことだ。今度こそは別れよう。」と考へたりしたんです。そこがそれ、女といふものは気の弱いもので、優しい言葉の一つも掛けられると、今迄の事は最早(もう)悉皆(すつかり)忘れて了ふ。「あゝ、御気の毒だ――私が居なかつたら、奈何(どんな)に不自由を成さるだらう。」とまあ私も思ひ直したのですよ。間も無く女は和尚さんの子を産落しました。月不足(つきたらず)で、加之(おまけ)に乳が無かつたものですから、満二月(まるふたつき)とは其児も生きて居なかつたさうです。和尚さんが学校を退(ひ)くことに成つて、飯山へ帰る迄の私の心配は何程(どれほど)だつたでせう――丁度、今から十年前のことでした。それからといふものは、和尚さんも本気に成ましたよ。月に三度の説教は欠かさず、檀家の命日には必ず御経を上げに行く、近在廻りは泊り掛で出掛ける――さあ、檀家の人達も悉皆(すつかり)信用して、四年目の秋には本堂の屋根の修繕も立派に出来上りました。彼様(あゝ)いふ調子で、ずつと今迄進んで来たら、奈何(どんな)にか好からうと思ふんですけれど、少許(すこし)羽振が良くなると直(すぐ)に物に飽きるから困る。倦怠(あき)が来ると、復(ま)た病気が起る。そりやあもう和尚さんの癖なんですからね。あゝ、男といふものは恐しいもので、彼程(あれほど)平常(ふだん)物の解つた和尚さんで有ながら、病気となると何の判別(みさかへ)も着かなくなる。まあ瀬川さん、考へて見て下さい。和尚さんも最早(もう)五十一ですよ。五十一にも成つて、未(ま)だ其様(そん)な気で居るかと思ふと、実に情ないぢや有ませんか。成程(なるほど)――今日(こんにち)飯山あたりの御寺様(おてらさん)で、女狂ひを為(し)ないやうなものは有やしません。ですけれど、茶屋女を相手に為(す)るとか、妾狂ひを為るとか言へば、またそこにも有る。あのお志保に想(おもひ)を懸けるなんて――私は呆(あき)れて物も言へない。奈何(どう)考へて見ても、其様な量見を起す和尚さんでは無い筈(はず)です。必定(きつと)、奈何かしたんです。まあ、気でも狂(ちが)つて居るに相違ないんです。お志保は又、何もかも私に打開けて話しましてね、「母親(おつか)さん、心配しないで居て下さいよ、奈何(どん)な事が有つても私が承知しませんから」と言ふもんですから――いえ、彼娘(あのこ)はあれでなか/\毅然(しやん)とした気象の女ですからね――其を私も頼みに思ひまして、「お志保、確乎(しつかり)して居てお呉れよ、阿爺(おとつ)さんだつても物の解らない人では無し、お前と私の心地(こゝろもち)が屈いたら、必定(きつと)思ひ直して下さるだらう、阿爺さんが正気に復(かへ)るも復らないも二人の誠意(まごゝろ)一つにあるのだからね」斯(か)う言つて、二人でさん/″\哭(な)きました。なんの、私が和尚さんを悪く思ふもんですか。何卒(どうか)して和尚さんの眼が覚めるやうに――そればつかりで、私は斯様(こん)な離縁なぞを思ひ立つたんですもの。』

       (八)

 誠意(まごゝろ)籠る奥様の述懐を聞取つて、丑松は望みの通りに手紙の文句を認(したゝ)めてやつた。幾度か奥様は口の中で仏の名を唱(とな)へ乍(なが)ら、これから将来(さき)のことを思ひ煩(わづら)ふといふ様子に見えるのであつた。
『おやすみ。』
 といふ言葉を残して置いて奥様が出て行つた後、丑松は机の側に倒れて考へて居たが、何時の間にかぐつすり寝込んで了つた。寝ても、寝ても、寝足りないといふ風で、斯うして横になれば直に死んだ人のやうに成るのが此頃の丑松の癖である。のみならず、深いところへ陥落(おちい)るやうな睡眠(ねむり)で、目が覚めた後は毎時(いつも)頭が重かつた。其晩も矢張同じやうに、同じやうな仮寝(うたゝね)から覚めて、暫時(しばらく)茫然(ぼんやり)として居たが、軈(やが)て我に帰つた頃は、もう遅かつた。雪は屋外(そと)に降り積ると見え、時々窓の戸にあたつて、はた/\と物の崩れ落ちる音より外には、寂(しん)として声一つしない、それは沈静(ひつそり)とした、気の遠くなるやうな夜――無論人の起きて居る時刻では無かつた。階下(した)では皆な寝たらしい。不図(ふと)、何か斯う忍(しの)び音(ね)に泣くやうな若い人の声が細々と耳に入る。どうも何処から聞えるのか、其は能(よ)く解らなかつたが、まあ楼梯(はしごだん)の下あたり、暗い廊下の辺ででもあるか、誰かしら声を呑(の)む様子。尚(なほ)能く聞くと、北の廊下の雨戸でも明けて、屋外(そと)を眺(なが)めて居るものらしい。あゝ――お志保だ――お志保の嗚咽(すゝりなき)だ――斯う思ひ附くと同時に、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)と哀憐(あはれみ)とが身を襲(おそ)ふやうに感ぜられる。尤も、丑松は半分夢中で聞いて居たので、つと立上つて部屋の内を歩き初めた時は、もう其声が聞えなかつた。不思議に思ひ乍ら、浮足になつて耳を澄ましたり、壁に耳を寄せて聞いたりした。終(しまひ)には、自分で自分を疑つて、あるひは聞いたと思つたのが夢ででもあつたか、と其音の実(ほんと)か虚(うそ)かすらも判断が着かなくなる。暫時(しばらく)丑松は腕組をして、油の尽きて来た洋燈(ランプ)の火を熟視(みまも)り乍ら、茫然とそこに立つて居た。夜は更ける、心(しん)は疲れる、軈て押入から寝道具を取出した時は、自分で自分の為ることを知らなかつた位。急に烈しく睡気(ねむけ)が襲(さ)して来たので、丑松は半分眠り乍ら寝衣(ねまき)を着更へて、直に復(ま)た感覚(おぼえ)の無いところへ落ちて行つた。


   第拾八章

       (一)

 毎年(まいとし)降る大雪が到頭(たうとう)やつて来た。町々の人家も往来もすべて白く埋没(うづも)れて了つた。昨夜一晩のうちに四尺余(あまり)も降積るといふ勢で、急に飯山は北国の冬らしい光景(ありさま)と変つたのである。
 斯うなると、最早(もう)雪の捨てどころが無いので、往来の真中へ高く積上げて、雪の山を作る。両側は見事に削り落したり、叩き付けたりして、すこし離れて眺めると、丁度長い白壁のやう。上へ/\と積上げては踏み付け、踏み付けては又た積上げるやうに為るので、軒丈(のきだけ)ばかりの高さに成つて、対(むか)ひあふ家と家とは屋根と廂(ひさし)としか見えなくなる。雪の中から掘出された町――譬(たと)へば飯山の光景(ありさま)は其であつた。
 高柳利三郎と町会議員の一人が本町の往来で出逢(であ)つた時は、盛んに斯雪を片付ける最中で、雪掻(ゆきかき)を手にした男女(をとこをんな)が其処此処(そここゝ)に群(むらが)り集つて居た。『どうも大降りがいたしました。』といふ極りの挨拶を交換(とりかは)した後、軈(やが)て別れて行かうとする高柳を呼留めて、町会議員は斯う言出した。
『時に、御聞きでしたか、彼(あ)の瀬川といふ教員のことを。』
『いゝえ。』と高柳は力を入れて言つた。『私は何(なんに)も聞きません。』
『彼の教員は君、調里(てうり)(穢多の異名)だつて言ふぢや有ませんか。』
『調里?』と高柳は驚いたやうに。
『呆(あき)れたねえ、是(これ)には。』と町会議員も顔を皺(しか)めて、『尤(もつと)も、種々(いろ/\)な人の口から伝(つたは)り伝つた話で、誰が言出したんだか能(よ)く解らない。しかし保証するとまで言ふ人が有るから確実(たしか)だ。』
『誰ですか、其保証人といふのは――』
『まあ、其は言はずに置かう。名前を出して呉れては困ると先方(さき)の人も言ふんだから。』
 斯う言つて、町会議員は今更のやうに他(ひと)の秘密を泄(もら)したといふ顔付。『君だから、話す――秘密にして置いて呉れなければ困る。』と呉々も念を押した。高柳はまた口唇を引歪めて、意味ありげな冷笑(あざわらひ)を浮べるのであつた。
 急いで別れて行く高柳を見送つて、反対(あべこべ)な方角へ一町ばかりも歩いて行つた頃、斯(こ)の噂好(うはさず)きな町会議員は一人の青年に遭遇(であ)つた。秘密に、と思へば思ふ程、猶々(なほ/\)其を私語(さゝや)かずには居られなかつたのである。
『彼の瀬川といふ教員は、君、是(これ)だつて言ひますぜ。』
 と指を四本出して見せる。尤も其意味が対手には通じなかつた。
『是だつて言つたら、君も解りさうなものぢや無いか。』と町会議員は手を振り乍ら笑つた。
『どうも解りませんね。』と青年は訝(いぶか)しさうな顔付。
『了解(さとり)の悪い人だ――それ、調里のことを四足(しそく)と言ふぢやないか。はゝゝゝゝ。しかし是は秘密だ。誰にも君、斯様なことは話さずに置いて呉れ給へ。』
 念を押して置いて、町会議員は別れて行つた。
 丁度、そこへ通りかゝつたのは、学校へ出勤しようとする準教員であつた。それと見た青年は駈寄つて、大雪の挨拶。何時の間にか二人は丑松の噂を始めたのである。
『是(これ)はまあ極(ご)く/\秘密なんだが――君だから話すが――』と青年は声を低くして、『君の学校に居る瀬川先生は調里ださうだねえ。』
『其さ――僕もある処で其話を聞いたがね、未だ半信半疑で居る。』と準教員は対手の顔を眺め乍ら言つた。『して見ると、いよ/\事実かなあ。』
『僕は今、ある人に逢つた。其人が指を四本出して見せて、彼の教員は是だと言ふぢやないか。はてな、とは思つたが、其意味が能く解らない。聞いて見ると、四足といふ意味なんださうだ。』
『四足? 穢多のことを四足と言ふかねえ。』
『言はあね。四足と言つて解らなければ、「よつあし」と言つたら解るだらう。』
『むゝ――「よつあし」か。』
『しかし、驚いたねえ。狡猾(かうくわつ)な人間もあればあるものだ。能(よ)く今日(いま)まで隠蔽(かく)して居たものさ。其様(そん)な穢(けがらは)しいものを君等の学校で教員にして置くなんて――第一怪しからんぢやないか。』
『叱(しツ)。』
 と周章(あわ)てゝ制するやうにして、急に準教員は振返つて見た。其時、丑松は矢張学校へ出勤するところと見え、深く外套(ぐわいたう)に身を包んで、向ふの雪の中を夢見る人のやうに通る。何か斯う物を考へ/\歩いて行くといふことは、其の沈み勝ちな様子を見ても知れた。暫時(しばらく)丑松も佇立(たちどま)つて、熟(じつ)と是方(こちら)の二人を眺めて、軈て足早に学校を指して急いで行つた。

       (二)

 雪に妨げられて、学校へ集る生徒は些少(すくな)かつた。何時(いつ)まで経(た)つても授業を始めることが出来ないので、職員のあるものは新聞縦覧所へ、あるものは小使部屋へ、あるものは又た唱歌の教室に在る風琴の周囲(まはり)へ――いづれも天の与へた休暇(やすみ)として斯の雪の日を祝ふかのやうに、思ひ/\の圜(わ)に集つて話した。
 職員室の片隅にも、四五人の教員が大火鉢を囲繞(とりま)いた。例の準教員が其中へ割込んで入つた時は、誰が言出すともなく丑松の噂を始めたのであつた。時々盛んな笑声が起るので、何事かと来て見るものが有る。終(しまひ)には銀之助も、文平も来て、斯の談話(はなし)の仲間に入つた。
『奈何(どう)です、土屋君。』と準教員は銀之助の方を見て、『吾儕(われ/\)は今、瀬川君のことに就いて二派に別れたところです。君は瀬川君と同窓の友だ。さあ、君の意見を一つ聞かせて呉れ給へ。』
『二派とは?』と銀之助は熱心に。
『外でも無いんですがね、瀬川君は――まあ、近頃世間で噂のあるやうな素性の人に相違ないといふ説と、いや其様な馬鹿なことが有るものかといふ説と、斯う二つに議論が別れたところさ。』
『一寸待つて呉れ給へ。』と薄鬚(うすひげ)のある尋常四年の教師が冷静な調子で言つた。『二派と言ふのは、君、少許(すこし)穏当で無いだらう。未(ま)だ、左様(さう)だとも、左様では無いとも、断言しない連中が有るのだから。』
『僕は確に其様なことは無いと断言して置く。』と体操の教師が力を入れた。
『まあ、土屋君、斯ういふ訳です。』と準教員は火鉢の周囲(まはり)に集る人々の顔を眺(なが)め廻して、『何故(なぜ)其様(そん)な説が出たかといふに、そこには種々(いろ/\)議論も有つたがね、要するに瀬川君の態度が頗(すこぶ)る怪しい、といふのがそも/\始りさ。吾儕(われ/\)の中に新平民が居るなんて言触らされて見給へ。誰だつて憤慨するのは至当(あたりまへ)ぢやないか。君始め左様だらう。一体、世間で其様なことを言触らすといふのが既にもう吾儕職員を侮辱してるんだ。だからさ、若し瀬川君に疚(やま)しいところが無いものなら、吾儕と一緒に成つて怒りさうなものぢやないか。まあ、何とか言ふべきだ。それも言はないで、彼様(あゝ)して黙つて居るところを見ると、奈何(どう)しても隠して居るとしか思はれない。斯う言出したものが有る。すると、また一人が言ふには――』と言ひかけて、軈(やが)て思付いたやうに、『しかし、まあ、止さう。』
『何だ、言ひかけて止すやつが有るもんか。』と背の高い尋常一年の教師が横鎗(よこやり)を入れる。
『やるべし、やるべし。』と冷笑の語気を帯びて言つたのは、文平であつた。文平は準教員の背後(うしろ)に立つて、巻煙草を燻(ふか)し乍ら聞いて居たのである。
『しかし、戯語(じようだん)ぢや無いよ。』と言ふ銀之助の眼は輝いて来た。『僕なぞは師範校時代から交際(つきあ)つて、能く人物を知つて居る。彼(あ)の瀬川君が新平民だなんて、其様(そん)なことが有つて堪るものか。一体誰が言出したんだか知らないが、若(も)し世間に其様な風評が立つやうなら、飽迄(あくまで)も僕は弁護して遣らなけりやならん。だつて、君、考へて見給へ。こりや真面目(まじめ)な問題だよ――茶を飲むやうな尋常(あたりまへ)な事とは些少(すこし)訳が違ふよ。』
『無論さ。』と準教員は答へた。『だから吾儕(われ/\)も頭を痛めて居るのさ。まあ、聞き給へ。ある人は又た斯ういふことを言出した。瀬川君に穢多の話を持掛けると、必ず話頭(はなし)を他(わき)へ転(そら)して了ふ。いや、転して了ふばかりぢや無い、直に顔色を変へるから不思議だ――其顔色と言つたら、迷惑なやうな、周章(あわ)てたやうな、まあ何ともかとも言ひやうが無い。それそこが可笑(をか)しいぢやないか。吾儕と一緒に成つて、「むゝ、調里坊(てうりツぱう)かあ」とかなんとか言ふやうだと、誰も何とも思やしないんだけれど。』
『そんなら、君、あの瀬川丑松といふ男に何処(どこ)か穢多らしい特色が有るかい。先づ、其からして聞かう。』と銀之助は肩を動(ゆす)つた。
『なにしろ近頃非常に沈んで居られるのは事実だ。』と尋常四年の教師は、腮(あご)の薄鬚(うすひげ)を掻上げ乍ら言ふ。
『沈んで居る?』と銀之助は聞咎(きゝとが)めて、『沈んで居るのは彼男(あのをとこ)の性質さ。それだから新平民だとは無論言はれない。新平民でなくたつて、沈欝(ちんうつ)な男はいくらも世間にあるからね。』
『穢多には一種特別な臭気(にほひ)が有ると言ふぢやないか――嗅いで見たら解るだらう。』と尋常一年の教師は混返(まぜかへ)すやうにして笑つた。
『馬鹿なことを言給へ。』と銀之助も笑つて、『僕だつていくらも新平民を見た。あの皮膚の色からして、普通の人間とは違つて居らあね。そりやあ、もう、新平民か新平民で無いかは容貌(かほつき)で解る。それに君、社会(よのなか)から度外(のけもの)にされて居るもんだから、性質が非常に僻(ひが)んで居るサ。まあ、新平民の中から男らしい毅然(しつかり)した青年なぞの産れやうが無い。どうして彼様(あん)な手合が学問といふ方面に頭を擡(もちあ)げられるものか。其から推(お)したつて、瀬川君のことは解りさうなものぢやないか。』
『土屋君、そんなら彼(あ)の猪子蓮太郎といふ先生は奈何(どう)したものだ。』と文平は嘲(あざけ)るやうに言つた。
『ナニ、猪子蓮太郎?』と銀之助は言淀(いひよど)んで、『彼(あ)の先生は――彼(あれ)は例外さ。』
『それ見給へ。そんなら瀬川君だつても例外だらう――はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
 と準教員は手を拍(う)つて笑つた。聞いて居る教員等(たち)も一緒になつて笑はずには居られなかつたのである。
 其時、斯の職員室の戸を開けて入つて来たのは、丑松であつた。急に一同口を噤(つぐ)んで了(しま)つた。人々の視線は皆な丑松の方へ注ぎ集つた。
『瀬川君、奈何(どう)ですか、御病気は――』
 と文平は意味ありげに尋ねる。其調子がいかにも皮肉に聞えたので、準教員は傍に居る尋常一年の教師と顔を見合せて、思はず互に微笑(ほゝゑみ)を泄(もら)した。
『難有(ありがた)う。』と丑松は何気なく、『もうすつかり快(よ)くなりました。』
『風邪(かぜ)ですか。』と尋常四年の教師が沈着(おちつ)き澄まして言つた。
『はあ――ナニ、差(たい)したことでも無かつたんです。』と答へて、丑松は気を変へて、『時に、勝野君、生憎(あいにく)今日は生徒が集まらなくて困つた。斯(こ)の様子では土屋君の送別会も出来さうも無い。折角準備(したく)したのにツて、出て来た生徒は張合の無いやうな顔してる。』
『なにしろ是雪(このゆき)だからねえ。』と文平は微笑んで、『仕方が無い、延ばすサ。』
 斯(か)ういふ話をして居るところへ、小使がやつて来た。銀之助は丑松の方にばかり気を取られて、小使の言ふことも耳へ入らない。それと見た体操の教師は軽く銀之助の肩を叩いて、
『土屋君、土屋君――校長先生が君を呼んでるよ。』
『僕を?』銀之助は始めて気が付いたのである。

       (三)

 校長は郡視学と二人で応接室に居た。銀之助が戸を開けて入つた時は、二人差向ひに椅子に腰懸けて、何か密議を凝(こら)して居るところであつた。
『おゝ、土屋君か。』と校長は身を起して、そこに在る椅子を銀之助の方へ押薦(おしすゝ)めた。『他(ほか)の事で君を呼んだのでは無いが、実は近頃世間に妙な風評が立つて――定めし其はもう君も御承知のことだらうけれど――彼様(あゝ)して町の人が左(と)や右(かく)言ふものを、黙つて見ても居られないし、第一斯(か)ういふことが余り世間へ伝播(ひろが)ると、終(しまひ)には奈何(どん)な結果を来すかも知れない。其に就いて、茲(こゝ)に居られる郡視学さんも非常に御心配なすつて、態々(わざ/\)斯(こ)の雪に尋ねて来て下すつたんです。兎(と)に角(かく)、君は瀬川君と師範校時代から御一緒ではあり、日頃親しく往来(ゆきゝ)もして居られるやうだから、君に聞いたら是事(このこと)は一番好く解るだらう、斯う思ひましてね。』
『いえ、私だつて其様(そん)なことは解りません。』と銀之助は笑ひ乍ら答へた。『何とでも言はせて置いたら好いでせう。其様な世間で言ふやうなことを、一々気にして居たら際限(きり)が有ますまい。』
『しかし、左様いふものでは無いよ。』と校長は一寸郡視学の方を向いて見て、軈(やが)て銀之助の顔を眺め乍ら、『君等は未だ若いから、其程世間といふものに重きを置かないんだ。幼稚なやうに見えて、馬鹿にならないのは、世間さ。』
『そんなら町の人が噂(うはさ)するからと言つて、根も葉も無いやうなことを取上げるんですか。』
『それ、それだから、君等は困る。無論我輩だつて其様なことを信じないさ。しかし、君、考へて見給へ。万更(まんざら)火の気の無いところに煙の揚る筈(はず)も無からうぢやないか。いづれ是には何か疑はれるやうな理由が有つたんでせう――土屋君、まあ、君は奈何(どう)思ひます。』
『奈何しても私には左様思はれません。』
『左様言へば、其迄だが、何かそれでも思ひ当る事が有さうなものだねえ。』と言つて校長は一段声を低くして、『一体瀬川君は近頃非常に考へ込んで居られるやうだが、何が原因(もと)で彼様(あゝ)憂欝に成つたんでせう。以前は克(よ)く吾輩の家(うち)へもやつて来て呉れたツけが、此節はもう薩張(さつぱり)寄付かない。まあ吾儕(われ/\)と一緒に成つて、談(はな)したり笑つたりするやうだと、御互ひに事情も能(よ)く解るんだけれど、彼様(あゝ)して独りで考へてばかり居られるもんだから――ホラ、訳を知らないものから見ると、何かそこには後暗い事でも有るやうに、つい疑はなくても可い事まで疑ふやうに成るんだらうと思ふのサ。』
『いえ。』と銀之助は校長の言葉を遮(さへぎ)つて、『実は――其には他に深い原因が有るんです。』
『他に?』
『瀬川君は彼様いふ性質(たち)ですから、なか/\口へ出しては言ひませんがね。』
『ホウ、言はない事が奈何して君に知れる?』
『だつて、言葉で知れなくたつて、行為(おこなひ)の方で知れます。私は長く交際(つきあ)つて見て、瀬川君が種々(いろ/\)に変つて来た径路(みちすぢ)を多少知つて居ますから、奈何(どう)して彼様(あゝ)考へ込んで居るか、奈何して彼様憂欝に成つて居るか、それはもう彼の君の為(す)ることを見ると、自然と私の胸には感じることが有るんです。』
 斯(か)ういふ銀之助の言葉は深く対手の注意を惹いた。校長と郡視学の二人は巻煙草を燻(ふか)し乍ら、奈何(どう)銀之助が言出すかと、黙つて其話を待つて居たのである。
 銀之助に言はせると、丑松が憂欝に沈んで居るのは世間で噂(うはさ)するやうなことゝ全く関係の無い――実は、青年の時代には誰しも有勝ちな、其胸の苦痛(くるしみ)に烈しく悩まされて居るからで。意中の人が敬之進の娘といふことは、正に見当が付いて居る。しかし、丑松は彼様いふ気象の男であるから、其を友達に話さないのみか、相手の女にすらも話さないらしい。それそこが性分で、熟(じつ)と黙つて堪(こら)へて居て、唯敬之進とか省吾とか女の親兄弟に当る人々の為に種々(さま/″\)なことを為(し)て遣(や)つて居る――まあ、言はないものは、せめて尽して、それで心を慰めるのであらう。思へば人の知らない悲哀(かなしみ)を胸に湛へて居るのに相違ない。尤(もつと)も、自分は偶然なことからして、斯ういふ丑松の秘密を感得(かんづ)いた。しかも其はつい近頃のことで有ると言出した。『といふ訳で、』と銀之助は額へ手を当てゝ、『そこへ気が付いてから、瀬川君の為ることは悉皆(すつかり)読めるやうに成ました。どうも可笑(をか)しい/\と思つて見て居ましたツけ――そりやあもう、辻褄(つじつま)の合はないやうなことが沢山(たくさん)有つたものですから。』
『成程(なるほど)ねえ。あるひは左様いふことが有るかも知れない。』
 と言つて、校長は郡視学と顔を見合せた。

       (四)

 軈(やが)て銀之助は応接室を出て、復(ま)たもとの職員室へ来て見ると、丑松と文平の二人が他の教員に取囲(とりま)かれ乍ら頻(しきり)に大火鉢の側で言争つて居る。黙つて聞いて居る人々も、見れば、同じやうに身を入れて、あるものは立つて腕組したり、あるものは机に倚凭(よりかゝ)つて頬杖(ほゝづゑ)を突いたり、あるものは又たぐる/\室内を歩き廻つたりして、いづれも熱心に聞耳を立てゝ居る様子。のみならず、丑松の様子を窺(うかゞ)ひ澄まして、穿鑿(さぐり)を入れるやうな眼付したものもあれば、半信半疑らしい顔付の手合もある。銀之助は談話(はなし)の調子を聞いて、二人が一方ならず激昂して居ることを知つた。
『何を君等は議論してるんだ。』
 と銀之助は笑ひ乍ら尋ねた。其時、人々の背後(うしろ)に腰掛け、手帳を繰り繙(ひろ)げ、丑松や文平の肖顔(にがほ)を写生し始めたのは準教員であつた。
『今ね、』と準教員は銀之助の方を振向いて見ながら、『猪子先生のことで、大分やかましく成つて来たところさ。』と言つて、一寸鉛筆の尖端(さき)を舐(な)めて、復(ま)た微笑(ほゝゑ)み乍ら写生に取懸つた。
『なにも其様(そんな)にやかましいことぢや無いよ。』斯う文平は聞咎(きゝとが)めたのである。『奈何(どう)して瀬川君は彼(あ)の先生の書いたものを研究する気に成つたのか、其を僕は聞いて見たばかりだ。』
『しかし、勝野君の言ふことは僕に能(よ)く解らない。』丑松の眼は燃え輝いて居るのであつた。
『だつて君、いづれ何か原因が有るだらうぢやないか。』と文平は飽(あ)く迄(まで)も皮肉に出る。
『原因とは?』丑松は肩を動(ゆす)り乍ら言つた。
『ぢやあ、斯(か)う言つたら好からう。』と文平は真面目に成つて、『譬(たと)へば――まあ僕は例を引くから聞き給へ。こゝに一人の男が有るとしたまへ。其男が発狂して居るとしたまへ。普通(なみ)のものが其様な発狂者を見たつて、それほど深い同情は起らないね。起らない筈(はず)さ、別に是方(こちら)に心を傷(いた)めることが無いのだもの。』
『むゝ、面白い。』と銀之助は文平と丑松の顔を見比べた。
『ところが、若(も)しこゝに酷(ひど)く苦んだり考へたりして居る人があつて、其人が今の発狂者を見たとしたまへ。さあ、思ひつめた可傷(いたま)しい光景(ありさま)も目に着くし、絶望の為に痩せた体格も目に着くし、日影に悄然(しよんぼり)として死といふことを考へて居るやうな顔付も目に着く。といふは外でも無い。発狂者を思ひやる丈(だけ)の苦痛(くるしみ)が矢張是方(こちら)にあるからだ。其処だ。瀬川君が人生問題なぞを考へて、猪子先生の苦んで居る光景(ありさま)に目が着くといふのは、何か瀬川君の方にも深く心を傷めることが有るからぢや無からうか。』
『無論だ。』と銀之助は引取つて言つた。『其が無ければ、第一読んで見たつて解りやしない。其だあね、僕が以前(まへ)から瀬川君に言つてるのは。尤も瀬川君が其を言へないのは、僕は百も承知だがね。』
『何故(なぜ)、言へないんだらう。』と文平は意味ありげに尋ねて見る。
『そこが持つて生れた性分サ。』と銀之助は何か思出したやうに、『瀬川君といふ人は昔から斯うだ。僕なぞはもうずん/\暴露(さらけだ)して、蔵(しま)つて置くといふことは出来ないがなあ。瀬川君の言はないのは、何も隠す積りで言はないのぢや無い、性分で言へないのだ。はゝゝゝゝ、御気の毒な訳さねえ――苦むやうに生れて来たんだから仕方が無い。』
 斯う言つたので、聞いて居る人々は意味も無く笑出した。暫時(しばらく)準教員も写生の筆を休(や)めて眺めた。尋常一年の教師は又、丑松の背後(うしろ)へ廻つて、眼を細くして、密(そつ)と臭気(にほひ)を嗅(か)いで見るやうな真似をした。
『実は――』と文平は巻煙草の灰を落し乍ら、『ある処から猪子先生の書いたものを借りて来て、僕も読んで見た。一体、彼(あ)の先生は奈何(どう)いふ種類の人だらう。』
『奈何いふ種類とは?』と銀之助は戯れるやうに。
『哲学者でもなし、教育家でもなし、宗教家でもなし――左様かと言つて、普通の文学者とも思はれない。』
『先生は新しい思想家さ。』銀之助の答は斯うであつた。
『思想家?』と文平は嘲(あざけ)つたやうに、『ふゝ、僕に言はせると、空想家だ、夢想家だ――まあ、一種の狂人(きちがひ)だ。』
 其調子がいかにも可笑(をか)しかつた。盛んな笑声が復(ま)た聞いて居る教師の間に起つた。銀之助も一緒に成つて笑つた。其時、憤慨の情は丑松が全身の血潮に交つて、一時に頭脳(あたま)の方へ衝きかゝるかのやう。
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