破戒
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著者名:島崎藤村 

 遽然(にはかに)、蓮華寺の住職が説教の座へ上つたので、二人はそれぎり口を噤んで了つた。人々はいづれも座(すわ)り直したり、容(かたち)を改めたりした。

       (四)

 住職は奥様と同年(おないどし)といふ。男のことであるから割合に若々しく、墨染(すみぞめ)の法衣(ころも)に金襴(きんらん)の袈裟(けさ)を掛け、外陣の講座の上に顕はれたところは、佐久小県辺(さくちひさがたあたり)に多い世間的な僧侶に比べると、遙(はる)かに高尚な宗教生活を送つて来た人らしい。額広く、鼻隆く、眉すこし迫つて、容貌(おもばせ)もなか/\立派な上に、温和な、善良な、且つ才智のある性質を好く表して居る。法話の第一部は猿の比喩(たとへ)で始まつた。智識のある猿は世に知らないといふことが無い。よく学び、よく覚え、殊に多くの経文を暗誦して、万人の師匠とも成るべき程の学問を蓄はへた。畜生の悲しさには、唯だ一つ信ずる力を欠いた。人は、よし是猿ほどの智識が無いにもせよ、信ずる力あつて、はじめて凡夫も仏の境には到り得る。なんと各々位(おの/\がた)、合点か。人間と生れた宿世(すくせ)のありがたさを考へて、朝夕念仏を怠り給ふな。斯(か)う住職は説出したのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 と人々の唱へる声は本堂の広間に満ち溢れた。男も、女も、懐中(ふところ)から紙入を取出して、思ひ/\に賽銭(さいせん)を畳の上へ置くのであつた。
 法話の第二部は、昔の飯山の城主、松平遠江守の事蹟を材(たね)に取つた。そも/\飯山が仏教の地と成つたは、斯の先祖の時代からである。火のやうな守(かみ)の宗教心は未だ年若な頃からして燃えた。丁度江戸表へ参勤の時のこと、日頃欝積(むすぼ)れて解けない胸中の疑問を人々に尋ね試みたことがある。『人は死んで、畢竟(つまり)奈何(どう)なる。』侍臣も、儒者も、斯問(このとひ)には答へることが出来なかつた。林大学(だいがく)の頭(かみ)に尋ねた。大学の頭ですらも。それから守は宗教に志し、渋谷の僧に就いて道を聞き、領地をば甥(をひ)に譲り、六年目の暁に出家して、飯山にある仏教の先祖(おや)と成つたといふ。なんと斯発心(ほつしん)の歴史は味(あぢはひ)のある話ではないか。世の多くの学者が答へることの出来ない、其難問に答へ得るものは、信心あるものより外に無い。斯う住職は説き進んだのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 一斉に唱へる声は風のやうに起つた。人々は復(ま)た賽銭を取出して並べた。
 斯ういふ説教の間にも、時々丑松は我を忘れて、熱心な眸(ひとみ)をお志保の横顔に注いだ。流石(さすが)に人目を憚(はゞか)つて見まい/\と思ひ乍らも、つい見ると、仏壇の方を眺め入つたお志保の目付の若々しさ。不思議なことには、熱い涙が人知れず其顔を流れるといふ様子で、時々啜(すゝ)り上げたり、密(そつ)と鼻を拭(か)んだりした。尚よく見ると、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)と悲愁(うれひ)とが女らしい愛らしさに交つて、陰影(かげ)のやうに顕(あらは)れたり、隠れたりする。何をお志保は考へたのだらう。何を感じたのだらう。何を思出したのだらう。斯(か)う丑松は推量した。今夜の法話が左様(さう)若い人の心を動かすとも受取れない。有体(ありてい)に言へば、住職の説教はもう旧(ふる)い、旧い遣方で、明治生れの人間の耳には寧(いつ)そ異様に響くのである。型に入つた仮白(せりふ)のやうな言廻し、秩序の無い断片的な思想、金色に光り輝く仏壇の背景――丁度それは時代な劇(しばゐ)でも観て居るかのやうな感想(かんじ)を与へる。若いものが彼様(あゝ)いふ話を聴いて、其程胸を打たれようとは、奈何(どう)しても思はれなかつたのである。
 省吾はそろ/\眠くなつたと見え、姉に倚凭(よりかゝ)つた儘(まゝ)、首を垂れて了(しま)つた。お志保はいろ/\に取賺(とりすか)して、動(ゆす)つて見たり、私語(さゝや)いて見たりしたが、一向に感覚が無いらしい。
『これ――もうすこし起きておいでなさいよ。他様(ひとさま)が見て笑ふぢや有(あり)ませんか。』と叱るやうに言つた。奥様は引取つて、
『其処へ寝かして置くが可(いゝ)やね。ナニ、子供のことだもの。』
『真実(ほんと)に未(ま)だ児童(ねんねえ)で仕方が有ません。』
 斯う言つて、お志保は省吾を抱直した。殆んど省吾は何にも知らないらしい。其時丑松が顔を差出したので、お志保も是方(こちら)を振向いた。お志保は文平を見て、奥様を見て、それから丑松を見て、紅(あか)くなつた。

       (五)

 法話の第三部は白隠に関する伝説を主にしたものであつた。昔、飯山の正受菴(しやうじゆあん)に恵端禅師といふ高僧が住んだ。白隠が斯の人を尋ねて、飯山へやつて来たのは、まだ道を求めて居る頃。参禅して教を聴く積りで、来て見ると、掻集めた木葉(このは)を背負ひ乍らとぼ/\と谷間(たにあひ)を帰つて来る人がある。散切頭(ざんぎりあたま)に、髯(ひげ)茫々(ばう/\)。それと見た白隠は切込んで行つた。『そもさん。』斯(か)ういふ熱心は、漸(やうや)く三回目に、恵端の為に認められたといふ。それから朝夕師として侍(かしづ)いて居たが、さて終(しまひ)には、白隠も問答に究して了(しま)つた。究するといふよりは、絶望して了つた。あゝ、彼様(あん)な問を出すのは狂人(きちがひ)だ、と斯う師匠のことを考へるやうに成つて、苦しさのあまりに其処を飛出したのである。思案に暮れ乍ら、白隠は飯山の町はづれを辿つた。丁度収穫(とりいれ)の頃で、堆高(うづだか)く積上げた穀物の傍に仆(たふ)れて居ると、農夫の打つ槌(つち)は誤つて斯(こ)の求道者を絶息させた。夜露が口に入る、目が覚める、蘇生(いきかへ)ると同時に、白隠は悟つた。一説に、彼は町はづれで油売に衝当(つきあた)つて、其油に滑つて、悟つたともいふ。静観庵(じやうくわんあん)として今日迄残つて居るのは、この白隠の大悟した場処を記念する為に建てられたものである。
 斯の伝説は兎(と)に角(かく)若いものゝ知らないことであつた。それから自分の意見を述べて、いよ/\結末(くゝり)といふ段になると、毎時(いつも)住職は同じやうな説教の型に陥る。自力で道に入るといふことは、白隠のやうな人物ですら容易で無い。吾他力宗は単純(ひとへ)に頼むのだ。信ずるのだ。導かれるのだ。凡夫の身をもつて達するのだ。呉々も自己(おのれ)を捨てゝ、阿弥陀如来(あみだによらい)を頼み奉るの外は無い。斯う住職は説き終つた。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 と人々の唱へる声は暫時(しばらく)止まなかつた。多くの賽銭はまた畳の上に集つた。お志保も殊勝らしく掌(て)を合せて、奥様と一緒に唱へて居たが、涙は其若い頬を伝つて絶間(とめど)も無く流れ落ちたのである。
 やがて聴衆は珠数を提(さ)げて帰つて行つた。奥様も、お志保も、今は座を離れて、円柱の側に佇立(たゝず)み乍ら、人々に挨拶したり見送つたりした。雪がまた降つて来たといふので、本堂の入口は酷(ひど)く雑踏する。女連は多く後になつた。殊に思ひ/\の風俗して、時の流行(はやり)に後れまいとする町の娘の有様は、深く/\お志保の注意を引くのであつた。お志保は熟(じつ)と眺め入り乍ら、寺住の身と思比べて居たらしいのである。
『や、どうも今晩の御説教には驚きましたねえ。』と文平は住職に近いて言つた。『実に彼の白隠の歴史には感服して了ひました。まあ、始めてです、彼様(あゝ)いふ御話を伺つたことは。あの白隠が恵端禅師の許(ところ)へ尋ねて行く。あそこのところが私は気に入りました。斯う向ふの方から、掻集めた木葉を背負ひ乍ら、散切頭に髯茫々といふ姿で、とぼ/\と谷間を帰つて来る人がある。そこへ白隠が切込んで行つた。「そもさん。」――彼様(あゝ)いかなければ不可(いけ)ませんねえ。』と身振手真似を加へて喋舌(しやべ)りたてたので、住職はもとより、其を聞く人々は笑はずに居られなかつた。さうかうする中に、聴衆は最早(もう)悉皆(すつかり)帰つて了ふ。急に本堂の内は寂しく成る。若僧や子坊主は多忙(いそが)しさうに後片付。庄馬鹿は腰を曲(こゞ)め乍ら、畳の上の賽銭を掻集めて歩いた。
 其時は最早(もう)丑松の姿が本堂の内に見えなかつた。丑松は省吾を連れて、蔵裏の方へ見送つて行つてやつた。丁度文平が奥様やお志保の側で盛んに火花を散らして居る間に、丑松は黙つて省吾を慰撫(いたは)つたり、人の知らない面倒を見て遣つたりして居たのである。


   第拾六章

       (一)

 次第に丑松は学校へ出勤するのが苦しく成つて来た。ある日、あまりの堪へがたさに、欠席の届を差出した。其朝は遅くまで寝て居た。八時打ち、九時打ち、軈(やが)て十時打つても、まだ丑松は寝て居た。窓の障子(しやうじ)は冬の日をうけて、其光が部屋の内へ射しこんで来たのに、丑松は枕頭(まくらもと)を照らされても、まだそれでも起きることが出来なかつた。下女の袈裟治は部屋々々の掃除を済(す)まして、最早(もう)とつくに雑巾掛(ざふきんがけ)まで為(し)て了(しま)つた。幾度か二階へも上つて来て見た。来て見ると、丑松は疲れて、蒼(あを)ざめて、丁度酣酔(たべすご)した人のやうに、寝床の上に倒れて居る。枕頭は取散らした儘(まゝ)。あちらの隅に書物、こちらの隅に風呂敷包、すべて斯の部屋の内に在る道具といへば、各自(めい/\)勝手に乗出して踊つたり跳ねたりした後のやうで、其乱雑な光景(ありさま)は部屋の主人の心の内部(なか)を克(よ)く想像させる。軈てまた袈裟治が湯沸(ゆわかし)を提げて入つて来た時、漸(やうや)く丑松は起上つて、茫然(ぼんやり)と寝床の上に座つて居た。寝過ぎと衰弱(おとろへ)とから、恐しい苦痛の色を顔に表して、半分は未だ眠り乍ら其処に座つて居るかのやう。『御飯を持つて来ませうか。』斯う袈裟治が聞いて見ても、丑松は食ふ気に成らなかつたのである。
『あゝ、気分が悪くて居なさると見える。』
 と独語(ひとりごと)のやうに言ひ乍ら、袈裟治は出て行つた。
 それは北国の冬らしい、寂しい日であつた。ちひさな冬の蠅は斯の部屋の内に残つて、窓の障子をめがけては、あちこち/\と天井の下を飛びちがつて居た。丑松が未だ斯の寺へ引越して来ないで、あの鷹匠町の下宿に居た頃は、煩(うるさ)いほど沢山蠅の群が集つて、何処(どこ)から塵埃(ほこり)と一緒に舞込んで来たかと思はれるやうに、鴨居だけばかりのところを組(く)んづ離(ほぐ)れつしたのであつた。思へば秋風を知つて、短い生命(いのち)を急いだのであらう。今は僅かに生残つたのが斯うして目につく程の季節と成つた。丑松は眺め入つた。眺め入り乍ら、十二月の近いたことを思ひ浮べたのである。
 斯(か)うして、働けば働ける身をもつて、何(なんに)も為(せ)ずに考へて居るといふことは、決して楽では無い。官費の教育を享(う)けたかはりに、長い義務年限が纏綿(つきまと)つて、否でも応でも其間厳重な規則に服従(したが)はなければならぬ、といふことは――無論、丑松も承知して居る。承知して居乍ら、働く気が無くなつて了つた。噫(あゝ)、朝寝の床は絶望した人を葬る墓のやうなもので有らう。丑松は復たそこへ倒れて、深い睡眠(ねむり)に陥入(おちい)つた。

       (二)

『瀬川先生、御客様でやすよ。』
 と喚起(よびおこ)す袈裟治の声に驚かされて、丑松は銀之助が来たことを知つた。銀之助ばかりでは無い、例の準教員も勤務(つとめ)の儘の服装(みなり)でやつて来た。其日は、地方を巡回して歩く休職の大尉とやらが軍事思想の普及を計る為、学校の生徒一同に談話(はなし)をして聞かせるとかで、午後の課業が休みと成つたから、一寸暇を見て尋ねて来たといふ。丑松は寝床の上に起直つて、半ば夢のやうに友達の顔を眺めた。
『君――寝て居たまへな。』
 斯う銀之助は無造作な調子で言つた。真実丑松をいたはるといふ心が斯(この)友達の顔色に表れる。丑松は掛蒲団の上にある白い毛布を取つて、丁度褞袍(どてら)を着たやうな具合に、其を身に纏(まと)ひ乍ら、
『失敬するよ、僕は斯様(こん)なものを着て居るから。ナニ、君、其様(そんな)に酷(ひど)く不良(わる)くも無いんだから。』
『風邪(かぜ)ですか。』と準教員は丑松の顔を熟視(みまも)る。
『まあ、風邪だらうと思ふんです。昨夜から非常に頭が重くて、奈何(どう)しても今朝は起きることが出来ませんでした。』と丑松は準教員の方へ向いて言つた。
『道理で、顔色が悪い。』と銀之助は引取つて、『インフルヱンザが流行(はや)るといふから、気をつけ給へ。何か君、飲んで見たら奈何だい。焼味噌のすこし黒焦(くろこげ)に成つたやつを茶漬茶椀かなんかに入れて、そこへ熱湯(にえゆ)を注込(つぎこ)んで、二三杯もやつて見給へ。大抵の風邪は愈(なほ)つて了(しま)ふよ。』と言つて、すこし気を変へて、『や、好い物を持つて来て、出すのを忘れた――それ、御土産(おみやげ)だ。』
 斯(か)う言つて、風呂敷包の中から取出したのは、十一月分の月給。
『今日は君が出て来ないから、代理に受取つて置いた。』と銀之助は言葉を続けた。
『克(よ)く改めて見て呉れ給へ――まあ有る積りだがね。』
『それは難有う。』と丑松は袋入りの銀貨取混ぜて受取つて、『確に。して見ると今日は二十八日かねえ。僕はまた二十七日だとばかり思つて居た。』
『はゝゝゝゝ、月給取が日を忘れるやうぢやあ仕様が無い。』と銀之助は反返(そりかへ)つて笑つた。
『全く、僕は茫然(ぼんやり)して居た。』と丑松は自分で自分を励ますやうにして、『今月は君、小だらう。二十九、三十と、十一月も最早(もう)二日しか無いね。あゝ今年も僅かに成つたなあ。考へて見ると、うか/\して一年暮して了つた――まあ、僕なぞは何(なんに)も為なかつた。』
『誰だつて左様(さう)さ。』と銀之助も熱心に。
『君は好いよ。君はこれから農科大学の方へ行つて、自分の好きな研究が自由にやれるんだから。』
『時に、僕の送別会もね、生徒の方から明日にしたいと言出したが――』
『明日に?』
『しかし、君も斯うして寝て居るやうぢやあ――』
『なあに、最早愈(なほ)つたんだよ。明日は是非出掛ける。』
『はゝゝゝゝ、瀬川君の病気は不良(わる)くなるのも早いし、快(よ)くなるのも早い。まあ大病人のやうに呻吟(うな)つてるかと思ふと、また虚言(うそ)を言つたやうに愈(なほ)るから不思議さ――そりやあ、もう、毎時(いつも)御極りだ。それはさうと、斯うして一緒に馬鹿を言ふのも僅かに成つて来た。其内に御別れだ。』
『左様かねえ、君はもう行つて了ふかねえ。』
 斯ういふ言葉を取交して、二人は互に感慨に堪へないといふ様子であつた。其時迄、黙つて二人の談話(はなし)を聞いて、巻煙草ばかり燻(ふか)して居た準教員は、唐突(だしぬけ)に斯様(こん)なことを言出した。
『今日僕は妙なことを聞いて来た。学校の職員の中に一人新平民が隠れて居るなんて、其様(そん)なことを町の方で噂(うはさ)するものが有るさうだ。』

       (三)

『誰が其様なことを言出したんだらう。』と銀之助は準教員の方へ向いて言つた。
『誰が言出したか、其は僕も知らないがね。』と準教員はすこし困却(こま)つたやうな調子で、『要するに、人の噂に過ぎないんだらうと思ふんだ。』
『噂にもよりけりさ。其様なことを言はれちやあ、大に吾儕(われ/\)が迷惑するねえ。克(よ)く町の人は種々(いろ/\)なことを言触らす。やれ、女の教員が奈何(どう)したの、男の教員が斯様(かう)したのツて。何故(なぜ)、左様(さう)人の噂が為たいんだらう。そんなら、君、まあ学校の職員を数へて見給へ。穢多らしいやうな顔付のものが吾儕の中にあるかい。実に怪しからんことを言ふぢやないか――ねえ、瀬川君。』
 斯う言つて、銀之助は丑松の方を見た。丑松は無言で、白い毛布に身を包んだまゝ。
『はゝゝゝゝ。』と銀之助は笑ひ出した。『校長先生は随分几帳面(きちやうめん)な方だが、なんぼなんでも新平民とは思はれないし、と言つて、教員仲間に其様なものは見当りさうも無い。左様さなあ――いやに気取つてるのは勝野君だ――まあ、其様な嫌疑のかゝるのは勝野君位のものだ。』
『まさか。』と準教員も一緒になつて笑つた。
『そんなら、君、誰だと思ふ。』と銀之助は戯れるやうに、『さしづめ、君ぢやないか。』
『馬鹿なことを言ひ給へ。』と準教員はすこし憤然(むつ)とする。
『はゝゝゝゝ、君は直に左様(さう)怒(おこ)るから不可(いかん)。なにも君だと言つた訳では無いよ。真箇(ほんたう)に、君のやうな人には戯語(じようだん)も言へない。』
『しかし。』と準教員は真面目(まじめ)に成つて、『是(これ)がもし事実だと仮定すれば――』
『事実? 到底(たうてい)其様なことは有得べからざる事実だ。』と銀之助は聞入れなかつた。『何故と言つて見給へ。学校の職員は大抵出処(でどこ)が極(きま)つて居る。君等のやうに講習を済まして来た人か、勝野君のやうに検定試験から入つて来た人か、または吾儕(われ/\)のやうに師範出か――是より外には無い。若(も)し吾儕の中に其様(そん)な人が有るとすれば、師範校時代にもう知れて了ふね。卒業する迄も其が知れずに居るなんてことは、寄宿舎生活が許さないさ。検定試験を受けるやうな人は、いづれ長く学校に関係した連中だから、是も知れずに居る筈が無し、君等の方はまた猶更(なほさら)だらう。それ見給へ。今になつて、突然其様なことを言触らすといふは、すこし可笑(をか)しいぢやないか。』
『だから――』と準教員は言葉に力を入れて、『僕だつても事実だと言つた訳では無いサ。若(もし)事実だと仮定すれば、と言つたんサ。』
『若(もし)かね。はゝゝゝゝ。君の言ふ若は仮定する必要の無い若だ。』
『左様(さう)言へばまあ其迄だが、しかし万一其様(そん)なことが有るとすれば、奈何(どう)いふ結果に成つて行くものだらう――僕は考へたばかりでも恐しいやうな気がする。』
 銀之助は答へなかつた。二人の客はもうそれぎり斯様(こん)な話を為なかつた。
 軈(やが)て二人が言葉を残して出て行かうとした時は、丑松は喪心した人のやうで、其顔色は白い毛布に映つて、一層蒼ざめて見えたのである。『あゝ、瀬川君は未だ快(よ)くないんだらう。』斯(か)う銀之助は自分で自分に言ひ乍ら、準教員と一緒に楼梯(はしごだん)を下りて行つた。
 暫時(しばらく)丑松は茫然として部屋の内を眺め廻して居たが、急に寝床を片付けて、着物を着更へて見た。不図(ふと)思ひついたやうに、押入の隅のところに隠して置いた書物を取出した。それはいづれも蓮太郎を思出させるもので、彼の先輩が心血と精力とを注ぎ尽したといふ『現代の思潮と下層社会』、小冊子には『平凡なる人』、『労働』、『貧しきものゝ慰め』、それから『懴悔録』なぞ。丑松は一々内部(なか)を好く改めて見て、蔵書の印がはりに捺(お)して置いた自分の認印(みとめ)を消して了つた。ほかに、床の間に置並べた語学の参考書の中から、五六冊不要なのを抜取つて、塵埃(ほこり)を払つて、一緒にして風呂敷に包んで居ると、丁度そこへ袈裟治が入つて来た。
『御出掛?』
 斯う声を掛ける。丑松はすこし周章(あわ)てたといふ様子して、別に返事もしないのであつた。
『この寒いのに御出掛なさるんですか。』と袈裟治は呆(あき)れて、蒼(あを)ざめた丑松の顔を眺めた。『気分が悪くて寝て居なさる人が――まあ。』
『いや、もう悉皆(すつかり)快くなつた。』
『ほゝゝゝゝ。それはさうと、御腹(おなか)が空きやしたらう。何か食べて行きなすつたら――まあ、貴方(あんた)は今朝から何(なんに)も食べなさらないぢやごはせんか。』
 丑松は首を振つて、すこしも腹は空かないと言つた。壁に懸けてある外套(ぐわいたう)を除(はづ)して着たのも、帽子を冠つたのも、着る積りも無く着、冠る積りも無く冠つたので、丁度感覚の無い器械が動くやうに、自分で自分の為(す)ることを知らない位であつた。丑松はまた、友達が持つて来て呉れた月給を机の抽匣(ひきだし)の中へ入れて、其内を紙の袋のまゝ袂へも入れた。尤も幾許(いくら)置いて、幾許自分の身に着けたか、それすら好くは覚えて居ない。斯うして書物の包を提げて、成るべく外套の袖で隠すやうにして、軈てぶらりと蓮華寺の門を出た。

       (四)

 雪は往来にも、屋根の上にもあつた。『みの帽子』を冠り、蒲(がま)の脛穿(はゞき)を着け、爪掛(つまかけ)を掛けた多くの労働者、または毛布を頭から冠つて深く身を包んで居る旅人の群――其様(そん)な手合が眼前(めのまへ)を往つたり来たりする。人や馬の曳く雪橇(ゆきぞり)は幾台(いくつ)か丑松の側を通り過ぎた。
 長い廻廊のやうな雪除(ゆきよけ)の『がんぎ』(軒廂(のきびさし))も最早(もう)役に立つやうに成つた。往来の真中に堆高(うづだか)く掻集めた白い小山の連接(つゞき)を見ると、今に家々の軒丈よりも高く降り積つて、これが飯山名物の『雪山』と唄(うた)はれるかと、冬期の生活(なりはひ)の苦痛(くるしみ)を今更のやうに堪へがたく思出させる。空の模様はまた雪にでも成るか。薄い日のひかりを眺めたばかりでも、丑松は歩き乍ら慄(ふる)へたのである。
 上町(かみまち)の古本屋には嘗(かつ)て雑誌の古を引取つて貰つた縁故もあつた。丁度其店頭(みせさき)に客の居なかつたのを幸(さいはひ)、ついと丑松は帽子を脱いで入つて、例の風呂敷包を何気なく取出した。『すこしばかり書籍(ほん)を持つて来ました――奈何(どう)でせう、是(これ)を引取つて頂きたいのですが。』と其を言へば、亭主は直に丑松の顔色を読んで、商人(あきんど)らしく笑つて、軈(やが)て膝を進め乍ら風呂敷包を手前へ引寄せた。
『ナニ、幾許(いくら)でも好いんですから――』
 と丑松は添加(つけた)して言つた。
 亭主は風呂敷包を解(ほど)いて、一冊々々書物の表紙を調べた揚句、それを二通りに分けて見た。語学の本は本で一通り。兎も角も其丈(それだけ)は丁寧に内部(なかみ)を開けて見て、それから蓮太郎の著したものは無造作に一方へ積重ねた。
『何程(いかほど)ばかりで是は御譲りに成る御積りなんですか。』と亭主は丑松の顔を眺めて、さも持余したやうに笑つた。
『まあ、貴方の方で思つたところを附けて見て下さい。』
『どうも是節は不景気でして、一向に斯(か)ういふものが捌(は)けやせん。御引取り申しても好うごはすが、しかし金高があまり些少(いさゝか)で。実は申上げるにしやしても、是方(こちら)の英語の方だけの御直段(おねだん)で、新刊物の方はほんの御愛嬌(ごあいけう)――』と言つて、亭主は考へて、『こりや御持帰りに成りやした方が御為かも知れやせん。』
『折角(せつかく)持つて来たものです――まあ、左様言はずに、引取れるものなら引取つて下さい。』
『あまり些少(いさゝか)ですが、好うごはすか。そんなら、別々に申上げやせうか。それとも籠(こ)めて申上げやせうか。』
『籠めて言つて見て下さい。』
『奈何(いかゞ)でせう、精一杯なところを申上げて、五十五銭。へゝゝゝゝ。それで宜(よろ)しかつたら御引取り申して置きやす。』
『五十五銭?』
 と丑松は寂しさうに笑つた。
 もとより何程(いくら)でも好いから引取つて貰ふ気。直に話は纏(まとま)つた。あゝ書物ばかりは売るもので無いと、予(かね)て丑松も思はないでは無いが、然しこゝへ持つて来たのは特別の事情がある。やがて自分の宿処と姓名とを先方(さき)の帳面へ認(したゝ)めてやつて、五十五銭を受取つた。念の為、蓮太郎の著したものだけを開けて見て、消して持つて来た瀬川といふ認印(みとめ)のところを確めた。中に一冊、忘れて消して無いのがあつた。『あ――ちよつと、筆を貸して呉れませんか。』斯う言つて、借りて、赤々と鮮明(あざやか)に読まれる自分の認印の上へ、右からも左からも墨黒々と引いた。
『斯うして置きさへすれば大丈夫。』――丑松の積りは斯うであつた。彼の心は暗かつたのである。思ひ迷ふばかりで、実は奈何(どう)していゝか解らなかつたのである。古本屋を出て、自分の為(し)たことを考へ乍ら歩いた時は、もう哭(な)きたい程の思に帰つた。
『先生、先生――許して下さい。』
 と幾度か口の中で繰返した。其時、あの高柳に蓮太郎と自分とは何の関係も無いと言つたことを思出した。鋭い良心の詰責(とがめ)は、身を衛(まも)る余儀なさの弁解(いひわけ)と闘つて、胸には刺されるやうな深い/\悲痛(いたみ)を感ずる。丑松は羞(は)ぢたり、畏(おそ)れたりしながら、何処へ行くといふ目的(めあて)も無しに歩いた。

       (五)

 一ぜんめし、御酒肴(おんさけさかな)、笹屋、としてあるは、かねて敬之進と一緒に飲んだところ。丑松の足は自然とそちらの方へ向いた。表の障子を開けて入ると、そここゝに二三の客もあつて、飲食(のみくひ)して居る様子。主婦(かみさん)は流許(ながしもと)へ行つたり、竈(かまど)の前に立つたりして、多忙(いそが)しさうに尻端折(しりはしをり)で働いて居た。
『主婦(かみ)さん、何か有ますか。』
 斯(か)う丑松は声を掛けた。主婦は煤(すゝ)けた柱の傍に立つて、手を拭(ふ)き乍(なが)ら、
『生憎(あいにく)今日(こんち)は何(なんに)も無くて御気の毒だいなあ。川魚の煮(た)いたのに、豆腐の汁(つゆ)ならごはす。』
『そんなら両方貰ひませう。それで一杯飲まして下さい。』
 其時、一人の行商が腰掛けて居た樽(たる)を離れて、浅黄の手拭で頭を包み乍ら、丑松の方を振返つて見た。雪靴の儘(まゝ)で柱に倚凭(よりかゝ)つて居た百姓も、一寸盗むやうに丑松を見た。主婦(かみさん)が傾(かし)げた大徳利の口を玻璃杯(コップ)に受けて、茶色に気(いき)の立つ酒をなみ/\と注いで貰ひ、立つて飲み乍ら、上目で丑松を眺める橇曳(そりひき)らしい下等な労働者もあつた。斯ういふ風に、人々の視線が集まつたのは、兎(と)に角(かく)毛色の異(かは)つた客が入つて来た為、放肆(ほしいまゝ)な雑談を妨(さまた)げられたからで。尤(もつと)も斯(こ)の物見高い沈黙は僅かの間であつた。やがて復(ま)た盛んな笑声が起つた。炉(ろ)の火も燃え上つた。丑松は炉辺(ろばた)に満ち溢(あふ)れる『ぼや』の烟のにほひを嗅(か)ぎ乍(なが)ら、そこへ主婦が持出した胡桃足(くるみあし)の膳を引寄せて、黙つて飲んだり食つたりして居ると、丁度出て行く行商と摺違ひに釣の道具を持つて入つて来た男がある。
『よう、めづらしい御客様が来てますね。』
 と言ひ乍ら、釣竿を柱にたてかけたのは敬之進であつた。
『風間さん、釣ですか。』斯(か)う丑松は声を掛ける。
『いや、どうも、寒いの寒くないのツて。』と敬之進は丑松と相対(さしむかひ)に座を占めて、『到底(とても)川端で辛棒が出来ないから、廃(や)めて帰つて来た。』
『ちつたあ釣れましたかね。』と聞いて見る。
『獲物(えもの)無しサ。』と敬之進は舌を出して見せて、『朝から寒い思をして、一匹も釣れないでは君、遣切(やりき)れないぢやないか。』
 其調子がいかにも可笑(をか)しかつた。盛んな笑声が百姓や橇曳(そりひき)の間に起つた。
『不取敢(とりあへず)、一つ差上げませう。』と丑松は盃(さかづき)の酒を飲乾して薦(すゝ)める。
『へえ、我輩に呉れるのかね。』と敬之進は目を円(まる)くして、『こりやあ驚いた。君から盃を貰はうとは思はなかつた――道理で今日は釣れない訳だよ。』と思はず流れ落ちる涎(よだれ)を拭つたのである。
 間も無く酒瓶(てうし)の熱いのが来た。敬之進は寒さと酒慾とで身を震はせ乍ら、さも/\甘(うま)さうに地酒の香を嗅いで見て、
『しばらく君には逢(あ)はなかつたやうな気がするねえ。我輩も君、学校を休(や)めてから別に是(これ)といふ用が無いもんだから、斯様(こん)な釣なぞを始めて――しかも、拠(よんどころ)なしに。』
『何ですか、斯の雪の中で釣れるんですか。』と丑松は箸を休(や)めて対手の顔を眺めた。
『素人(しろうと)は其だから困る。尤も我輩だつて素人だがね。はゝゝゝゝ。まあ商売人に言はせると、冬はまた冬で、人の知らないところに面白味がある。ナニ、君、風さへ無けりや、左様(さう)思つた程でも無いよ。』と言つて、敬之進は一口飲んで、『然し、瀬川君、考へて見て呉れ給へ。何が辛いと言つたつて、用が無くて生きて居るほど世の中に辛いことは無いね。家内やなんかが□々(せつせ)と働いて居る側で、自分ばかり懐手(ふところで)して見ても居られずサ。まだそれでも、斯うして釣に出られるやうな日は好いが、屋外(そと)へも出られないやうな日と来ては、実に我輩は為(す)る事が無くて困る。左様いふ日には、君、他に仕方が無いから、まあ昼寝を為ることに極(き)めてね――』
 至極真面目で、斯様(こん)なことを言出した。この『昼寝を為ることに極めてね』が酷(ひど)く丑松の心を動かしたのである。
『時に、瀬川君。』と敬之進は酒徒(さけのみ)らしい手付をして、盃を取上げ乍ら、『省吾の奴も長々君の御世話に成つたが、種々(いろ/\)家の事情を考へると、どうも我輩の思ふやうにばかりもいかないことが有るんで――まあ、その、学校を退(ひ)かせようかと思ふのだが、君、奈何(どう)だらう。』

       (六)

『そりやあもう我輩だつて退校させたくは無いさ。』と敬之進は言葉を続けた。『せめて普通教育位は完全に受けさせたいのが親の情さ。来年の四月には卒業の出来るものを、今茲(こゝ)で廃(や)めさせて、小僧奉公なぞに出して了(しま)ふのは可愛さうだ、とは思ふんだが、実際止むを得んから情ない。彼様(あん)な茫然(ぼんやり)した奴(やつ)だが、万更(まんざら)学問が嫌ひでも無いと見えて、学校から帰ると直に机に向つては、何か独りでやつてますよ。どうも数学が出来なくて困る。其かはり作文は得意だと見えて、君から「優」なんて字を貰つて帰つて来ると、それは大悦(おほよろこ)びさ。此頃(こなひだ)も君に帳面を頂いた時なぞは、先生が作文を書けツて下すつたと言つてね、まあ君どんなに喜びましたらう。その嬉しがりやうと言つたら、大切に本箱の中へ入れて仕舞つて置いて、何度出して見るか解らない位さ。彼(あ)の晩は寝言にまで言つたよ。それ、左様(さう)いふ風だから、兎(と)に角(かく)やる気では居るんだねえ。其を思ふと廃して了へと言ふのは実際可愛さうでもある。しかし、君、我輩のやうに子供が多勢では左(どう)にも右(かう)にも仕様が無い。一概に子供と言ふけれど、その子供がなか/\馬鹿にならん。悪戯(いたづら)なくせに、大飯食(おほめしぐら)ひばかり揃つて居て――はゝゝゝゝ、まあ君だから斯様(こん)なことまでも御話するんだが、まさか親の身として、其様(そんな)に食ふな、三杯位にして節(ひか)へて置け、なんて過多(あんまり)吝嗇(けち/\)したことも言へないぢやないか。』
 斯ういふ述懐は丑松を笑はせた。敬之進も亦(ま)た寂しさうに笑つて、
『ナニ、それもね、継母(まゝはゝ)ででも無けりや、またそこにもある。省吾の奴を奉公にでも出して了つたら、と我輩が思ふのは、実は今の家内との折合が付かないから。我輩はお志保や省吾のことを考へる度に、どの位あの二人の不幸(ふしあはせ)を泣いてやるか知れない。奈何(どう)して継母といふものは彼様(あんな)邪推深いだらう。此頃(こなひだ)も此頃で、ホラ君の御寺に説教が有ましたらう。彼晩(あのばん)、遅くなつて省吾が帰つて来た。さあ、家内は火のやうになつて怒つて、其様(そんな)に姉さんのところへ行きたくば最早(もう)家(うち)なんぞへ帰らなくても可(いゝ)。出て行つて了へ。必定(きつと)また御寺へ行つて余計なことをべら/\喋舌(しやべ)つたらう。必定また姉さんに悪い智慧を付けられたらう。だから私の言ふことなぞは聞かないんだ。斯う言つて、家内が責める。すると彼奴(あいつ)は気が弱いもんだから、黙つて寝床の内へ潜り込んで、しく/\やつて居ましたつけ。其時、我輩も考へた。寧(いつ)そこりや省吾を出した方が可(いゝ)。左様(さう)すれば、口は減るし、喧嘩(けんくわ)の種は無くなるし、あるひは家庭(うち)が一層(もつと)面白くやつて行かれるかも知れない。いや――どうかすると、我輩は彼(あ)の省吾を連れて、二人で家(うち)を出て了はうか知らん、といふやうな気にも成るのさ。あゝ。我輩の家庭(うち)なぞは離散するより外(ほか)に最早(もう)方法が無くなつて了つた。』
 次第に敬之進は愚痴な本性を顕した。酒気が身体へ廻つたと見えて、頬も、耳も、手までも紅(あか)く成つた。丑松は又、一向顔色が変らない。飲めば飲む程、反(かへ)つて頬は蒼白(あをじろ)く成る。
『しかし、風間さん、左様(さう)貴方のやうに失望したものでも無いでせう。』と丑松は言ひ慰めて、『及ばず乍ら私も力に成つて上げる気で居るんです。まあ、其盃を乾したら奈何(どう)ですか――一つ頂きませう。』
『え?』と敬之進はちら/\した眼付で、不思議さうに対手(あひて)の顔を眺めた。『これは驚いた。盃を呉れろと仰るんですか。へえ、君は斯の方もなか/\いけるんだね。我輩は又、飲めない人かとばかり思つて居た。』
 と言つて盃をさす。丑松は其を受取つて、一息にぐいと飲乾(のみほ)して了つた。
『烈しいねえ。』と敬之進は呆(あき)れて、『君は今日は奈何(どう)かしやしないか。左様(さう)君のやうに飲んでも可(いゝ)のか。まあ、好加減にした方が好からう。我輩が飲むのは不思議でも何でも無いが、君が飲むのは何だか心配で仕様が無い。』
『何故(なぜ)?』
『何故ツて、君、左様ぢやないか。君と我輩とは違ふぢや無いか。』
『はゝゝゝゝ。』
 と丑松は絶望した人のやうに笑つた。

       (七)

 何か敬之進は言ひたいことが有つて、其を言ひ得ないで、深い溜息を吐くといふ様子。其時はもう百姓も、橇曳(そりひき)も出て行つて了つた。余念も無く流許(ながしもと)で鍋(なべ)を鳴らして居る主婦(かみさん)、裏口の木戸のところに佇立(たゝず)んで居る子供、この人達より外に二人の談話(はなし)を妨(さまた)げるものは無かつた。高い天井の下に在るものは、何もかも暗く煤(すゝ)けた色を帯びて、昔の街道の名残(なごり)を顕(あらは)して居る。あちらの柱に草鞋(わらぢ)、こちらの柱に干瓢(かんぺう)、壁によせて黄な南瓜(かぼちや)いくつか並べてあるは、いかにも町はづれの古い茶屋らしい。土間も広くて、日あたりに眠る小猫もあつた。寒さの為に身を潜(すく)め乍ら目を瞑つて居る鶏もあつた。
 薄い日の光は明窓(あかりまど)から射して、軒から外へ泄(も)れる煙の渦を青白く照した。丑松は茫然と思ひ沈んで、炉(ろ)に燃え上る『ぼや』の焔(ほのほ)を熟視(みつ)めて居た。赤々とした火の色は奈何(どんな)に人の苦痛を慰めるものであらう。のみならず、強ひて飲んだ地酒の酔心地から、やたらに丑松は身を慄(ふる)はせて、時には人目も関はず泣きたい程の思に帰つた。あゝ声を揚げて放肆(ほしいまゝ)に泣いたなら、と思ふ心は幾度起るか知れない。しかし涙は頬を霑(うるほ)さなかつた――丑松は嗚咽(すゝりな)くかはりに、大きく口を開いて笑つたのである。
『あゝ。』と敬之進は嘆息して、『世の中には、十年も交際(つきあ)つて居て、それで毎時(いつでも)初対面のやうな気のする人も有るし、又、君のやうに、其様(そんな)に深い懇意な仲で無くても、斯うして何もかも打明けて話したい人が有る。我輩が斯様(こん)な話をするのは、実際、君より外に無い。まあ、是非君に聞いて貰ひたいと思ふことが有るんでね。』とすこし言淀んで、『実は――此頃(こなひだ)久し振で娘に逢ひました。』
『お志保さんに?』丑松の胸は何となく踊るのであつた。
『といふのは、君、あの娘(こ)の方から逢つて呉れろといふ言伝(ことづけ)があつて――尤(もつと)も、我輩もね、君の知つてる通り蓮華寺とは彼様(あゝ)いふ訳だし、それに家内は家内だし、するからして、成るべく彼の娘には逢はないやうにして居る。ところが何か相談したいことが有ると言ふもんだから、まあ、その、久し振で逢つて見た。どうも若いものがずん/\大きく成るのには驚いて了ふねえ。まるで見違へる位。それで君、何の相談かと思ふと、最早々々(もう/\)奈何(どう)しても蓮華寺には居られない、一日も早く家(うち)へ帰るやうにして呉れ、頼む、と言ふ。事情を聞いて見ると無理もない。其時我輩も始めて彼の住職の性質を知つたやうな訳サ。』
 と言つて、敬之進は一寸徳利を振つて見た。生憎(あいにく)酒は盃(さかづき)に満たなかつた。やがて一口飲んで、両手で口の端(はた)を撫(な)で廻して、
『斯(か)うです。まあ、君、聞いて呉れ給へ。よく世間には立派な人物だと言はれて居ながら、唯女性(をんな)といふものにかけて、非常に弱い性質(たち)の男があるものだね。蓮華寺の住職も矢張(やはり)其だらうと思ふよ。彼程(あれほど)学問もあり、弁才もあり、何一つ備はらないところの無い好い人で、殊(こと)に宗教(をしへ)の方の修行もして居ながら、それでまだ迷が出るといふのは、君、奈何(どう)いふ訳だらう。我輩は娘から彼(あ)の住職のことを聞いた時、どうしても其が信じられなかつた。いや、嘘だとしか思はれなかつた。実に人は見かけによらないものさね。ホラ、彼の住職も長いこと西京へ出張して居ましたよ。丁度帰つて来たのは、君が郷里の方へ行つて留守だつた時さ。それからといふものは、まあ娘に言はせると、奈何(どう)しても養父(おとつ)さんの態度(しむけ)とは思はれないと言ふ。かりそめにも仏の御弟子ではないか。袈裟(けさ)を着(つけ)て教を説く身分ではないか。自分の職業に対しても、もうすこし考へさうなものだと思ふんだ。あまり浅猿(あさま)しい、馬鹿馬鹿しいことで、他(ひと)に話も出来ないやね。奥様はまた奥様で、彼様(あゝ)いふ性質の女だから、人並勝れて嫉妬深(しつとぶか)いと来て居る。娘はもう悲いやら恐しいやらで、夜も碌々眠られないと言ふ。呆(あき)れたねえ、我輩も是(この)話を聞いた時は。だから、君、娘が家(うち)へ帰りたいと言ふのは、実際無理もない。我輩だつて、其様なところへ娘を遣(や)つて置きたくは無い。そりやあもう一日も早く引取りたい。そこがそれ情ないことには、今の家内がもうすこし解つて居て呉れると、奈何(どう)にでもして親子でやつて行かれないことも有るまいと思ふけれど、現に省吾一人にすら持余して居るところへ、またお志保の奴が飛込んで来て見給へ――到底(とても)今の家内と一緒に居られるもんぢや無い。第一、八人の親子が奈何して食へよう。其や是やを考へると、我輩の口から娘に帰れとは言はれないぢやないか。噫(あゝ)、辛抱、辛抱――出来ることを辛抱するのは辛抱でも何でも無い、出来ないところを辛抱するのが真実(ほんたう)の辛抱だ。行け、行け、心を毅然(しつかり)持て。奥様といふものも附いて居る。その人の傍に居て離れないやうにしたら、よもや無理なことを言懸けられもしまい。たとへ先方(さき)が親らしい行為をしない迄(まで)も、これまで育てゝ貰つた恩義も有る。一旦蓮華寺の娘と成つた以上は、奈何(どん)な辛いことがあらうと決して家(うち)へ帰るな。そこを勤め抜くのが孝行といふものだ。とまあ、賺(すか)したり励(はげま)したりして、無理やりに娘を追立てゝやつたよ。思へば可愛さうなものさ。あゝ、あゝ、斯ういふ時に先の家内が生きて居たならば――』
 敬之進の顔には真実と苦痛とが表れて、眼は涙の為に濡(ぬ)れ輝いた。成程、左様言はれて見ると、丑松も思ひ当ることがないでもない。あの蓮華寺の内部(なか)の光景(ありさま)を考へると、何か斯う暗い雲が隅のところに蟠(わだかま)つて、絶えず其が家庭の累(わづらひ)を引起す原因(もと)で、住職と奥様とは無言の間に闘つて居るかのやう――譬(たと)へば一方で日があたつて、楽しい笑声の聞える時でも、必ず一方には暴風雨(あらし)が近(ちかづ)いて居る。斯ういふ感想(かんじ)は毎日のやうに有つた。唯其は何処の家庭(うち)にも克(よ)くある角突合(つのづきあひ)――まあ、住職と奥様とは互ひに仏弟子のことだから、言はゞ高尚な夫婦喧嘩、と丑松も想像して居たので、よもや其雲のわだかまりがお志保の上にあらうとは思ひ設けなかつたのである。奥様がわざ/\磊落(らいらく)らしく装(よそほ)つて、剽軽(へうきん)なことを言つて、男のやうな声を出して笑ふのも、其為だらう。紅涙(なんだ)が克(よ)くお志保の顔を流れるのも、其為だらう。どうもをかしい/\と思つて居たことは、この敬之進の話で悉皆(すつかり)読めたのである。
 長いこと二人は悄然(しよんぼり)として、互ひに無言の儘(まゝ)で相対(さしむかひ)に成つて居た。


   第拾七章

       (一)

 勘定を済まして笹屋を出る時、始めて丑松は月給のうちを幾許(いくら)袂(たもと)に入れて持つて来たといふことに気が着いた。それは銀貨で五十銭ばかりと、外に五円紙幣(さつ)一枚あつた。父の存命中は毎月為替(かはせ)で送つて居たが、今は其を為(す)る必要も無いかはり、帰省の当時大分費(つか)つた為に斯金(このかね)が大切のものに成つて居る、彼是(かれこれ)を考へると左様無暗には費はれない。しかし丑松の心は暗かつた。自分のことよりは敬之進の家族を憐むのが先で、兎(と)に角(かく)省吾の卒業する迄、月謝や何かは助けて遣(や)りたい――斯う考へるのも、畢竟(つまり)はお志保を思ふからであつた。
 酔つて居る敬之進を家(うち)まで送り届けることにして、一緒に雪道を歩いて行つた。慄(ふる)へるやうな冷い風に吹かれて、寒威(さむさ)に抵抗(てむかひ)する力が全身に満ち溢(あふ)れると同時に、丑松はまた精神(こゝろ)の内部(なか)の方でもすこし勇気を回復した。並んで一緒に歩く敬之進は、と見ると――釣竿を忘れずに舁(かつ)いで来た程、其様(そんな)に酷(ひど)く酔つて居るとも思はれないが、しかし不規則な、覚束ない足許(あしもと)で、彼方(あつち)へよろ/\、是方(こつち)へよろ/\、どうかすると往来の雪の中へ倒れかゝりさうに成る。『あぶない、あぶない。』と丑松が言へば、敬之進は僅かに身を支へて、『ナニ、雪の中だ? 雪の中、結構――下手な畳の上よりも、結句是方(このはう)が気楽だからね。』これには丑松も持余して了(しま)つて、若(も)し是雪(このゆき)の中で知らずに寝て居たら奈何(どう)するだらう、斯う思ひやつて身を震はせた。斯の老朽な教育者の末路、彼の不幸なお志保の身の上――まあ、丑松は敬之進親子のことばかり思ひつゞけ乍ら随(つ)いて行つた。
 敬之進の住居(すまひ)といふは、どこから見ても古い粗造な農家風の草屋。もとは城側(しろわき)の広小路といふところに士族屋敷の一つを構へたとか、其はもうずつと旧(ふる)い話で、下高井の方から帰つて来た時に、今のところへ移住(うつりす)んだのである。入口の壁の上に貼付けたものは、克(よ)く北信の地方に見かける御札で、烏の群れて居る光景(さま)を表してある。土壁には大根の乾葉(ひば)、唐辛(たうがらし)なぞを懸け、粗末な葦簾(よしず)の雪がこひもしてあつた。丁度其日は年貢(ねんぐ)を納めると見え、入口の庭に莚(むしろ)を敷きつめ、堆高(うづだか)く盛上げた籾(もみ)は土間一ぱいに成つて居た。丑松は敬之進を助け乍ら、一緒に敷居を跨いで入つた。裏木戸のところに音作、それと見て駈寄つて、いつまでも昔忘れぬ従僕(しもべ)らしい挨拶。
『今日は御年貢(おねんぐ)を納めるやうにツて、奥様(おくさん)も仰(おつしや)りやして――はい、弟の奴も御手伝ひに連れて参じやした。』
 斯ういふ言葉を夢中に聞捨てゝ、敬之進は其処へ倒れて了つた。奥の方では、怒気(いかり)を含んだ細君の声と一緒に、叱られて泣く子供の声も起る。『何したんだ、どういふもんだ――めた(幾度も)悪戯(わるさ)しちや困るぢやないかい。』といふ細君の声を聞いて、音作は暫時(しばらく)耳を澄まして居たが、軈(やが)て思ひついたやうに、
『まあ、それでも旦那さんの酔ひなすつたことは。』
 と旧(むかし)の主人を憐んで、助け起すやうにして、暗い障子(しやうじ)の蔭へ押隠した。其時、口笛を吹き乍ら、入つて来たのは省吾である。
『省吾さん。』と音作は声を掛けた。『御願ひでごはすが、彼の地親(ぢやうや)さん(ぢおやの訛(なまり)、地主の意)になあ、早く来て下さいツて、左様言つて来て御呉(おくん)なんしよや。』

       (二)

 間も無く細君も奥の方から出て来て、其処に酔倒れて居る敬之進が復た/\丑松の厄介に成つたことを知つた。周囲(まはり)に集る子供等は、いづれも母親の思惑(おもはく)を憚(はゞか)つて、互に顔を見合せたり、慄(ふる)へたりして居た。流石(さすが)に丑松の手前もあり、音作兄弟も来て居るので、細君は唯夫を尻目に掛けて、深い溜息を吐くばかりであつた。毎度敬之進が世話に成ること、此頃(こなひだ)はまた省吾が結構なものを頂いたこと、其(それ)や是(これ)やの礼を述べ乍ら、せか/\と立つたり座(すわ)つたりして話す。丑松は斯(この)細君の気の短い、忍耐力(こらへじやう)の無い、愚痴なところも感じ易いところも総(すべ)て外部(そと)へ露出(あらは)れて居るやうな――まあ、四十女に克(よ)くある性質を看(み)て取つた。丁度そこへ来て、座りもせず、御辞儀もせず、恍(とぼ)け顔(がほ)に立つた小娘は、斯細君の二番目の児である。
『これ、お作や。御辞儀しねえかよ。其様(そんな)に他様(ひとさま)の前で立つてるもんぢや無えぞよ。奈何(どう)して吾家(うち)の児は斯(か)う行儀が不良(わる)いだらず――』
 といふ細君の言葉なぞを聞入れるお作では無かつた。見るからして荒くれた、男の児のやうな小娘。これがお志保の異母(はらちがひ)の姉妹(きやうだい)とは、奈何しても受取れない。
『まあ、斯児(このこ)は兄姉中(きやうだいぢゆう)で一番仕様が無え――もうすこし母さんの言ふことを聞くやうだと好いけれど。』
 と言はれても、お作は知らん顔。何時の間にかぷいと駈出して行つて了つた。
 午後の光は急に射入つて、暗い南窓の小障子も明るく、幾年張替へずにあるかと思はれる程の紙の色は赤黒く煤(すゝ)けて見える。『あゝ日が照(あた)つて来た、』と音作は喜んで、『先刻(さつき)迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅(あんばい)だ。』斯う言ひ乍ら、弟と一緒に年貢の準備(したく)を始めた。薄く黄ばんだ冬の日は斯の屋根の下の貧苦と零落とを照したのである。一度農家を訪れたものは、今丑松が腰掛けて居る板敷の炉辺(ろばた)を想像することが出来るであらう。其処は家族が食事をする場処でもあれば、客を款待(もてな)す場処でもある。庭は又、勝手でもあり、物置でもあり、仕事場でもあるので、表から裏口へ通り抜けて、すくなくも斯の草屋の三分の一を土間で占めた。彼方(あちら)の棚には茶椀、皿小鉢、油燈(カンテラ)等を置き、是方(こちら)の壁には鎌を懸け、種物の袋を釣るし、片隅に漬物桶、炭俵。台所の道具は耕作の器械と一緒にして雑然(ごちや/\)置並べてあつた。高いところに鶏の塒(ねぐら)も作り付けてあつたが、其は空巣も同然で、鳥らしいものが飼はれて居るとは見えなかつたのである。
 斯(こ)の草屋はお志保の生れた場処で無いまでも、蓮華寺へ貰はれて行く前、敬之進の言葉によれば十三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、酷(ひど)く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部(そと)に雪がこひのして有るのとで、何となく家(うち)の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々(とし/″\)の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女(をとこをんな)を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のことも俤(おもかげ)に描かれて、言ふに言はれぬ可懐(なつか)しさを添へるのであつた。
 其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十余(あまり)の男が入口のところに顕(あらは)れた。
『地親(ぢやうや)さんでやすよ。』
 と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。

       (三)

 地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相(ぶあいそ)な、極(ご)く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈(ゑしやく)した後、黙つて炉の火に身を温めた。斯(か)ういふ性質(たち)の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由(わけ)も無しに怒つたやうな顔付をして居るが、其実怒つて居るのでも何でも無い。丑松は其を承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備(したく)に多忙(いそが)しい人々の光景(ありさま)を眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫(とりいれ)に従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。斯(こ)の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年(ひとゝせ)の労働の報酬(むくい)なので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。
 十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升桝(ます)を投げて置いて、軈(やが)てまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひ乍ら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外(そと)から入つて来たのは、斯の細君の三番目の児、お末と言つて、五歳(いつゝ)に成る。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々(なほ/\)身を慄(ふる)はせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。
『今に母さんが好い物を呉れるから泣くなよ。』
 と細君は声を掛けた。お末は啜(すゝ)り上げ乍ら、母親の側へ寄つて、
『手が冷(つめた)い――』
『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵(おこた)へあたれ。』
 斯(か)う言つて、凍つた手を握〆(にぎりしめ)ながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。
 其時は地主も炉辺(ろばた)を離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅(はがひ)のやうに掻合せ、半ば顔を埋(うづ)め、我と我身を抱き温め乍ら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。
『奈何(どう)でござんすなあ、籾(もみ)のこしらへ具合は。』
 と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、其返事が聞取れない位。軈(やが)て、白い手を出して籾を抄(すく)つて見た。一粒口の中へ入れて、掌上(てのひら)のをも眺(なが)め乍(なが)ら、
『空穀(しひな)が有るねえ。』
 と冷酷(ひやゝか)な調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、
『空穀でも無いでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目は有りやすよ。まあ、一俵造(こしら)へて掛けて見やせう。』
 六つばかりの新しい俵が其処へ持出された。音作は箕(み)の中へ籾を抄入(すくひい)れて、其を大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平に撫(な)で量(はか)つた。俵の中へは音作の弟が詰めた。尤(もつと)も弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁(もどか)しがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうで無くて不可(いけない)。』と自分の手に持つ箕(み)を弟の方へ投げて遣つた。
『さあ、沢山(どつしり)入れろ――一わたりよ、二わたりよ。』
 と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵が其処へ並んだ。
『六俵で内取に願ひやせう。』
 と音作は俵蓋(さんだはら)を掩(おほ)ひ冠せ乍ら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤(そろばん)を置いて見るらしい。何時(いつ)の間にか音作の弟が大きな秤(はかり)を持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅(まつか)に成る。地主は衡(はかりざを)の平均(たひら)になつたのを見澄まして、錘(おもり)の糸を動かないやうに持添へ乍ら調べた。
『いくら有やす。』と音作は覗(のぞ)き込んで、『むゝ、出放題(ではうでえ)あるは――』
『十八貫八百――是は魂消(たまげ)た。』と弟も調子を合せる。
『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です。』と音作は腰を延ばして言つた。
『しかし、俵(へう)にもある。』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。
『左様(さう)です。俵にも有やすが、其は知れたもんです。』
 といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語(ひとりごと)のやうに、
『俺(おら)がとこは十八貫あれば好いだ。』
『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ。』
 斯う言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然(がうぜん)とした地主の顔色を窺(うかゞ)ひ澄ましたのである。

       (四)

 斯(こ)の光景(ありさま)を眺めて居た丑松は、可憐(あはれ)な小作人の境涯(きやうがい)を思ひやつて――仮令(たとひ)音作が正直な百姓気質(かたぎ)から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、斯うして零落した主人の為に尽すとしても――なか/\細君の痩腕で斯の家族が養ひきれるものでは無いといふことを感じた。お志保が苦しいから帰りたいと言つたところで、『第一、八人の親子が奈何(どう)して食へよう』と敬之進も酒の上で泣いた。噫(あゝ)、実に左様(さう)だ。奈何して斯様(こん)なところへ帰つて来られよう。丑松は想像して慄(ふる)へたのである。
『まあ、御茶一つお上り。』と音作に言はれて、地主は寒さうに炉辺へ急いだ。音作も腰に着けた煙草入を取出して、立つて一服やり乍ら、
『六俵の二斗五升取ですか。』
『二斗五升ツてことが有るもんか。』と地主は嘲(あざけ)つたやうに、『四斗五升よ。』
『四斗……』
『四斗五升ぢや無いや、四斗七升だ――左様だ。』
『四斗七升?』
 斯ういふ二人の問答を、細君は黙つて聞いて居たが、もう/\堪(こら)へきれないと言つたやうな風に、横合から話を引取つて、
『音さん。四斗七升の何のと言はないで、何卒(どうか)悉皆(すつかり)地親(ぢやうや)さんの方へ上げて了つて御呉(おくん)なんしよや――私(わし)はもう些少(すこし)も要(い)りやせん。』
『其様(そん)な、奥様(おくさん)のやうな。』と音作は呆(あき)れて細君の顔を眺める。
『あゝ。』と細君は嘆息した。『何程(いくら)私ばかり焦心(あせ)つて見たところで、肝心(かんじん)の家(うち)の夫(ひと)が何(なんに)も為ずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。其を思ふと、私はもう働く気も何も無くなつて了(しま)ふ。加之(おまけ)に、子供は多勢で、与太(よた)(頑愚)なものばかり揃つて居て――』
『まあ、左様(さう)仰(おつしや)らないで、私(わし)に任せなされ――悪いやうには為(し)ねえからせえて。』と音作は真心籠めて言慰(いひなぐさ)めた。
 細君は襦袢(じゆばん)の袖口で□(まぶち)を押拭ひ乍ら、勝手元の方へ行つて食物(くひもの)の準備(したく)を始める。音作の弟は酒を買つて帰つて来る。大丼が出たり、小皿が出たりするところを見ると、何が無くとも有合(ありあはせ)のもので一杯出して、地主に飲んで貰ふといふ積りらしい。思へば小作人の心根(こゝろね)も可傷(あはれ)なものである。万事は音作のはからひ、酒の肴(さかな)には蒟蒻(こんにやく)と油揚(あぶらげ)の煮付、それに漬物を添へて出す位なもの。軈(やが)て音作は盃(さかづき)を薦(すゝ)めて、
『冷(れい)ですよ、燗(かん)ではごはせんよ――地親(ぢやうや)さんは是方(こつち)でいらつしやるから。』
 と言はれて、始めて地主は微笑(ほゝゑみ)を泄(もら)したのである。
 其時まで、丑松は細君に話したいと思ふことがあつて、其を言ふ機会も無く躊躇(ちうちよ)して居たのであるが、斯うして酒が始つて見ると、何時(いつ)是地主が帰つて行くか解らない。御相伴(おしやうばん)に一つ、と差される盃を辞退して、ついと炉辺を離れた。表の入口のところへ省吾を呼んで、物の蔭に佇立(たゝず)み乍ら、袂から取出したのは例の紙の袋に入れた金である。丑松は斯う言つた。後刻(あと)で斯の金を敬之進に渡して呉れ。それから家の事情で退校させるといふ敬之進の話もあつたが、月謝や何かは斯中(このなか)から出して、是非今迄通りに学校へ通はせて貰ふやうに。『いゝかい、君、解つたかい。』と添加(つけた)して、それを省吾の手に握らせるのであつた。
『まあ、君は何といふ冷い手をしてゐるだらう。』
 斯う言ひ乍ら、丑松は少年の手を堅く握り締めた。熟(じつ)と其の邪気(あどけ)ない顔付を眺めた時は、あのお志保の涙に霑(ぬ)れた清(すゞ)しい眸(ひとみ)を思出さずに居られなかつたのである。

       (五)

 敬之進の家を出て帰つて行く道すがら、すくなくも丑松はお志保の為に尽したことを考へて、自分で自分を慰めた。蓮華寺の山門に近(ちかづ)いた頃は、灰色の雲が低く垂下つて来て、復(ま)た雪になるらしい空模様であつた。蒼然(さうぜん)とした暮色は、たゞさへ暗い丑松の心に、一層の寂しさ味気なさを添へる。僅かに天の一方にあたつて、遠く深く紅(くれなゐ)を流したやうなは、沈んで行く夕日の反射したのであらう。

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