破戒
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著者名:島崎藤村 

 とは言つたものゝ、実は丑松は行きたくないのであつた。『早く』を言ひ捨てゝ、ぷいと省吾は出て行つて了つた。
 楽しさうな笑声が、復(ま)た、起つた。蔵裏の下座敷――それはもう目に見ないでも、斯(か)うして声を聞いたばかりで、人々の光景(ありさま)が手に取るやうに解る。何もかも丑松は想像することが出来た。定めし、奥様は何か心に苦にすることがあつて、其を忘れる為にわざ/\面白可笑(をか)しく取做(とりな)して、それで彼様(あん)な男のやうな声を出して笑ふのであらう。定めし、お志保は部屋を出たり入つたりして、茶の道具を持つて来たり、其を入れて人々に薦(すゝ)めたり、又は奥様の側に倚添(よりそ)ひ乍ら談話(はなし)を聞いて微笑(ほゝゑ)んで居るのであらう。定めし、文平は婦人(をんな)子供(こども)と見て思ひ侮(あなど)つて、自分独りが男ででも有るかのやうに、可厭(いや)に容子(ようす)を売つて居ることであらう。嘸(さぞ)。そればかりでは無い、必定(きつと)また人のことを何とかかんとか――あゝ、あゝ、素性(うまれ)が素性なら、誰が彼様な男なぞの身の上を羨まう。
 現世の歓楽を慕ふ心は、今、丑松の胸を衝いてむら/\と湧き上つた。捨てられ、卑(いや)しめられ、爪弾(つまはじ)きせられ、同じ人間の仲間入すら出来ないやうな、つたない同族の運命を考へれば考へるほど、猶々(なほ/\)斯の若い生命(いのち)が惜まるゝ。
『何故、先生は来なさらないですか。』
 斯(か)う言ひ乍ら、軈(やが)て復(ま)た迎へにやつて来たのは省吾である。
 あまり邪気(あどけ)ないことを言つて督促(せきた)てるので、丑松は斯の少年を慫慂(そゝの)かして、いつそ本堂の方へ連れて行かうと考へた。部屋を出て、楼梯(はしごだん)を下りると、蔵裏から本堂へ通ふ廊下は二つに別れる。裏庭に近い方を行けば、是非とも下座敷の側を通らなければならない。其処には文平が話しこんで居るのだ。丑松は表側の廊下を通ることにした。

       (二)

 古い僧坊は廊下の右側に並んで、障子越しに話声なぞの泄(も)れて聞えるは、下宿する人が有ると見える。是寺(このてら)の広く複雑(こみい)つた構造(たてかた)といつたら、何処(どこ)に奈何(どう)いふ人が泊つて居るか、其すら克(よ)くは解らない程。平素(ふだん)は何の役にも立ちさうも無い、陰気な明間がいくつとなく有る。斯うして省吾と連立つて、細長い廊下を通る間にも、朽ち衰へた精舎(しようじや)の気は何となく丑松の胸に迫るのであつた。壁は暗く、柱は煤け、大きな板戸を彩色(いろど)つた古画の絵具も剥落ちて居た。
 斯の廊下が裏側の廊下に接(つゞ)いて、丁度本堂へ曲らうとする角のところで、急に背後(うしろ)の方から人の来る気勢(けはひ)がした。思はず丑松は振返つた。省吾も。見ればお志保で、何か用事ありげに駈寄つて、未だ物を言はない先からもう顔を真紅(まつか)にしたのである。
『あの――』とお志保は艶のある清(すゞ)しい眸(ひとみ)を輝かした。『先程は、弟が結構なものを頂きましたさうで。』
 斯う礼を述べ乍ら、其口唇(くちびる)で嬉しさうに微笑(ほゝゑ)んで見せた。
 其時奥様の呼ぶ声が聞えた。逸早(いちはや)くお志保は聞きつけて、一寸耳を澄まして居ると、『あれ、姉さん、呼んでやすよ。』と省吾も姉の顔を見上げた。復た呼ぶ声が聞える。驚いたやうに引返して行くお志保の後姿を見送つて、軈て省吾を導いて、丑松は本堂の扉(ひらき)を開けて入つた。
 あゝ、精舎の静寂(しづか)さ――丁度其は古蹟の内を歩むと同じやうな心地(こゝろもち)がする。円(まる)い塗柱に懸かる時計の針の刻々をきざむより外には、斯(こ)の高く暗い天井の下に、一つとして音のするものは無かつた。身に沁み入るやうな沈黙は、そこにも、こゝにも、隠れ潜んで居るかのやう。目に入るものは、何もかも――錆(さび)を帯びた金色(こんじき)の仏壇、生気の無い蓮(はす)の造花(つくりばな)、人の空想を誘ふやうな天界(てんがい)の女人(によにん)の壁に画(か)かれた形像(かたち)、すべてそれらのものは過去(すぎさ)つた時代の光華(ひかり)と衰頽(おとろへ)とを語るのであつた。丑松は省吾と一緒に内陣迄も深く上つて、仏壇のかげにある昔の聖僧達の画像の前を歩いた。
『省吾さん。』と丑松は少年の横顔を熟視(まも)り乍ら、『君はねえ、家眷(うち)の人の中で誰が一番好きなんですか――父さんですか、母さんですか。』
 省吾は答へなかつた。
『当てゝ見ませうか。』と丑松は笑つて、『父さんでせう?』
『いゝえ。』
『ホウ、父さんぢや無いですか。』
『だつて、父さんはお酒ばかり飲んでゝ――』
『そんなら君、誰が好きなんですか。』
『まあ、私(わし)は――姉さんでごはす。』
『姉さん? 左様かねえ、君は姉さんが一番好いかねえ。』
『私は、姉さんには、何でも話しやすよ、へえ父さんや母さんには話さないやうなことでも。』
 斯(か)う言つて、省吾は何の意味もなく笑つた。
 北の小座敷には古い涅槃(ねはん)の図が掛けてあつた。普通の寺によくある斯の宗教画は大抵模倣(うつし)の模倣で、戯曲(しばゐ)がゝりの配置(くみあはせ)とか、無意味な彩色(いろどり)とか、又は熱帯の自然と何の関係も無いやうな背景とか、そんなことより外(ほか)に是(これ)ぞと言つて特色(とりえ)の有るものは鮮少(すくな)い。斯(こ)の寺のも矢張同じ型ではあつたが、多少創意のある画家(ゑかき)の筆に成つたものと見えて、ありふれた図に比べると余程活々(いき/\)して居た。まあ、宗教(をしへ)の方の情熱が籠るとは見えない迄も、何となく人の心を□(ひきつ)ける樸実(まじめ)なところがあつた。流石(さすが)、省吾は未だ子供のことで、其禽獣(とりけもの)の悲嘆(なげき)の光景(さま)を見ても、丁度お伽話(とぎばなし)を絵で眺めるやうに、別に不思議がるでも無く、驚くでも無い。無邪気な少年はたゞ釈迦(しやか)の死を見て笑つた。
『あゝ。』と丑松は深い溜息を吐(つ)いて、『省吾さんなぞは未だ死ぬといふことを考へたことが有ますまいねえ。』
『私(わし)がでごはすか。』と省吾は丑松の顔を見上げる。
『さうさ――君がサ。』
『はゝゝゝゝ。ごはせんなあ、其様(そん)なことは。』
『左様だらうねえ。君等の時代に其様なことを考へるやうなものは有ますまいねえ。』
『ふゝ。』と省吾は思出したやうに笑つて、『お志保姉さんも克(よ)く其様なことを言ひやすよ。』
『姉さんも?』と丑松は熱心な眸を注いだ。
『はあ、あの姉さんは妙なことを言ふ人で、へえもう死んで了ひたいの、誰(だあれ)も居ないやうな処へ行つて大きな声を出して泣いて見たいのツて――まあ、奈何(どう)して其様な気になるだらず。』
 斯う言つて、省吾は小首を傾(かし)げて、一寸口笛吹く真似をした。
 間も無く省吾は出て行つた。丑松は唯単独(ひとり)になつた。急に本堂の内部(なか)は□(しん)として、種々(さま/″\)の意味ありげな装飾が一層無言のなかに沈んだやうに見える。深い天井の下に、いつまでも変らずにある真鍮(しんちゆう)の香炉、花立、燈明皿――そんな性命(いのち)の無い道具まで、何となく斯う寂寞(じやくまく)な瞑想(めいさう)に耽つて居るやうで、仏壇に立つ観音(くわんおん)の彫像は慈悲といふよりは寧(むし)ろ沈黙の化身(けしん)のやうに輝いた。斯ういふ静寂(しづか)な、世離れたところに立つて、其人のことを想(おも)ひ浮べて見ると、丁度古蹟を飾る花草のやうな気がする。丑松は、血の湧く思を抱き乍ら、円い柱と柱との間を往つたり来たりした。
『お志保さん、お志保さん。』
 あてども無く口の中で呼んで見たのである。
 いつの間には四壁(そこいら)は暗くなつて来た。青白い黄昏時(たそがれどき)の光は薄明く障子に映つて、本堂の正面の方から射しこんだので、柱と柱との影は長く畳の上へ引いた。倦(う)み、困(くるし)み、疲れた冬の一日(ひとひ)は次第に暮れて行くのである。其時白衣(びやくえ)を着けた二人の僧が入つて来た。一人は住職、一人は寺内の若僧であつた。灯(あかし)は奥深く点(つ)いて、あそこにも、こゝにも、と見て居るうちに、六挺ばかりの蝋燭(らふそく)が順序よく並んで燃(とぼ)る。仏壇を斜に、内陣の角のところに座を占めて、金泥(きんでい)の柱の側に掌(て)を合はせたは、住職。一段低い外陣に引下つて、反対の側にかしこまつたは、若僧。やがて鉦(かね)の音が荘厳(おごそか)に響き渡る。合唱の声は起つた。
『なむからかんのう、とらやあ、やあ――』
 宵(よひ)の勤行(おつとめ)が始つたのである。
 あゝ、寂しい夕暮もあればあるもの。丑松は北の間の柱に倚凭(よりかゝ)り乍ら、目を瞑(つぶ)り、頭をつけて、深く/\思ひ沈んで居た。『若(も)し自分の素性がお志保の耳に入つたら――』其を考へると、つく/″\穢多の生命(いのち)の味気なさを感ずる。漠然とした死滅の思想は、人懐しさの情に混つて、烈しく胸中を往来し始めた。熾盛(さかん)な青春の時代(ときよ)に逢ひ乍ら、今迄経験(であ)つたことも無ければ翹望(のぞ)んだことも無い世の苦といふものを覚えるやうに成つたか、と考へると、左様(さう)いふ思想(かんがへ)を起したことすら既にもう切なく可傷(いたま)しく思はれるのであつた。冷(つめた)い空気に交る香の煙のにほひは、斯の夕暮に一層のあはれを添へて、哀(かな)しいとも、堪へがたいとも、名のつけやうが無い。遽然(にはかに)、二人の僧の声が絶えたので、心づいて眺めた時は、丁度読経(どきやう)を終つて仏の名を称(とな)へるところ。間も無く住職は珠数(ずゝ)を手にして柱の側を離れた。若僧は未(ま)だ同じ場処に留つた。丑松は眺め入つた――高らかに節つけて読む高祖の遺訓の終る迄(まで)も――其文章を押頂いて、軈(やが)て若僧の立上る迄も――終(しまひ)には、蝋燭の灯が一つ/\吹消されて、仏前の燈明ばかり仄(ほの)かに残り照らす迄も。

       (三)

 夕飯の後、蓮華寺では説教の準備(したく)を為るので多忙(いそが)しかつた。昔からの習慣(ならはし)として、定紋つけた大提灯(おほぢやうちん)がいくつとなく取出された。寺内の若僧、庄馬鹿、子坊主まで聚(よ)つて会(たか)つて、火を点(とも)して、其を本堂へと持運ぶ。三人はその為に長い廊下を往つたり来たりした。
 説教聞きにとこゝろざす人々は次第に本堂へ集つて来た。是寺に附く檀家(だんか)のものは言ふも更(さら)なり、其と聞伝へたかぎりは誘ひ合せて詰掛ける。既にもう一生の行程(つとめ)を終つた爺さん婆さんの群ばかりで無く、随分種々(さま/″\)の繁忙(せは)しい職業に従ふ人々まで、其を聴かうとして熱心に集ふのを見ても、いかに斯の飯山の町が昔風の宗教と信仰との土地であるかを想像させる。聖経(おきやう)の中にある有名な文句、比喩(たとへ)なぞが、普通の人の会話に交るのは珍しくも無い。娘の連はいづれも美しい珠数の袋を懐にして、蓮華寺へと先を争ふのであつた。
 それは丑松の身に取つて、最も楽しい、又最も哀しい寺住(てらずみ)の一夜であつた。どんなに丑松は胸を踊らせて、お志保と一緒に説教聞く歓楽(たのしみ)を想像したらう。あゝ、斯ういふ晩にあたつて、自分が穢多であるといふことを考へたほど、切ない思を為たためしは無い。奥様を始め、お志保、省吾なぞは既に本堂へ上つて、北の間の隅のところに集つて居た。見れば中の間から南の間へかけて、男女(をとこをんな)の信徒、あそこに一団(ひとかたまり)、こゝにも一団、思ひ/\に挨拶したり話したりする声は、忍んではするものゝ、何となく賑に面白く聞える。庄馬鹿が、自慢の羽織を折目正しく着飾つて、是見(これみ)よがしに人々のなかを分けて歩くのも、をかしかつた。其取澄ました様子を見て、奥様も笑へば、お志保も笑つた。丁度丑松の座つたところは、永代読経として寄附の金高と姓名とを張出してある古壁の側、お志保も近くて、髪の香が心地よくかをりかゝる。提灯の影は花やかに本堂の夜の空気を照らして、一層その横顔を若々しくして見せた。何といふ親しげな有様だらう、あの省吾を背後(うしろ)から抱いて、すこし微笑(ほゝゑ)んで居る姉らしい姿は。斯う考へて、丑松はお志保の方を熟視(みまも)る度(たび)に、言ふに言はれぬ楽しさを覚えるのであつた。
 説教の始まるには未だ少許(すこし)間が有つた。其時文平もやつて来て、先づ奥様に挨拶し、お志保に挨拶し、省吾に挨拶し、それから丑松に挨拶した。あゝ、嫌な奴が来た、と心に思ふばかりでも、丑松の空想は忽ち掻乱(かきみだ)されて、慄(ぞつ)とするやうな現実の世界へ帰るさへあるに、加之(おまけに)、文平が忸々敷(なれ/\し)い調子で奥様に話しかけたり、お志保や省吾を笑はせたりするのを見ると、丑松はもう腹立たしく成る。斯うした女子供のなかで談話(はなし)をさせると、実に文平は調子づいて来る男で、一寸したことをいかにも尤(もつと)もらしく言ひこなして聞かせる。それに、この男の巧者なことには、妙に人懐(ひとなつ)こい、女の心を□(ひきつ)けるやうなところが有つて、正味自分の価値(ねうち)よりは其を二倍にも三倍にもして見せた。万事深く蔵(つゝ)んで居るやうな丑松に比べると、親切は反(かへ)つて文平の方にあるかと思はせる位。丑松は別に誰の機嫌を取るでも無かつた――いや、省吾の方には優(やさ)しくしても、お志保に対する素振を見ると寧(いつ)そ冷淡(つれない)としか受取れなかつたのである。
『瀬川君、奈何(どう)です、今日の長野新聞は。』
 と文平は低声(こごゑ)で誘(かま)をかけるやうに言出した。
『長野新聞?』と丑松は考深い目付をして、『今日は未だ読んで見ません。』
『そいつは不思議だ――君が読まないといふのは不思議だ。』
『何故(なぜ)?』
『だつて、君のやうに猪子先生を崇拝して居ながら、あの演説の筆記を読まないといふのは不思議だからサ。まあ、是非読んで見たまへ。それに、あの新聞の評が面白い。猪子先生のことを、「新平民中の獅子」だなんて――巧いことを言ふ記者が居るぢやあないか。』
 斯う口では言ふものゝ、文平の腹の中では何を考へて居るか、と丑松は深く先方(さき)の様子を疑つた。お志保はまた熱心に耳を傾けて、二人の顔を見比べて居たのである。
『猪子先生の議論は兎(と)に角(かく)、あの意気には感服するよ。』と文平は言葉を継いで、『あの演説の筆記を見たら、猪子先生の書いたものを読んで見たくなつた。まあ君は審(くは)しいと思ふから、其で聞くんだが、あの先生の著述では何が一番傑作と言はれるのかね。』
『どうも僕には解らないねえ。』斯う丑松は答へた。
『いや、戯語(じようだん)ぢや無いよ――実際、君、僕は穢多といふものに興味を持つて来た。あの先生のやうな人物が出るんだから、確に研究して見る価値(ねうち)は有るに相違ない。まあ、君だつても、其で「懴悔録」なぞを読む気に成つたんだらう。』と文平は嘲(あざけ)るやうな語気で言つた。
 丑松は笑つて答へなかつた。流石(さすが)にお志保の居る側で、穢多といふ言葉が繰返された時は、丑松はもう顔色を変へて、自分で自分を制へることが出来なかつたのである。怒気(いかり)と畏怖(おそれ)とはかはる/″\丑松の口唇(くちびる)に浮んだ。文平は又、鋭い目付をして、其微細な表情までも見泄(みも)らすまいとする。『御気の毒だが――左様(さう)君のやうに隠したつても無駄だよ』と斯う文平の目が言ふやうにも見えた。
『瀬川君、何か君のところには彼の先生のものが有るだらう。何でも好いから僕に一冊貸して呉れ給へな。』
『無いよ――何にも僕のところには無いよ。』
『無い? 無いツてことがあるものか。君の許(ところ)に無いツてことがあるものか。なにも左様(さう)隠さないで、一冊位貸して呉れたつて好ささうなものぢやないか。』
『いや、僕は隠しやしない。無いから無いと言ふんさ。』
 遽然(にはかに)、蓮華寺の住職が説教の座へ上つたので、二人はそれぎり口を噤んで了つた。人々はいづれも座(すわ)り直したり、容(かたち)を改めたりした。

       (四)

 住職は奥様と同年(おないどし)といふ。男のことであるから割合に若々しく、墨染(すみぞめ)の法衣(ころも)に金襴(きんらん)の袈裟(けさ)を掛け、外陣の講座の上に顕はれたところは、佐久小県辺(さくちひさがたあたり)に多い世間的な僧侶に比べると、遙(はる)かに高尚な宗教生活を送つて来た人らしい。額広く、鼻隆く、眉すこし迫つて、容貌(おもばせ)もなか/\立派な上に、温和な、善良な、且つ才智のある性質を好く表して居る。法話の第一部は猿の比喩(たとへ)で始まつた。智識のある猿は世に知らないといふことが無い。よく学び、よく覚え、殊に多くの経文を暗誦して、万人の師匠とも成るべき程の学問を蓄はへた。畜生の悲しさには、唯だ一つ信ずる力を欠いた。人は、よし是猿ほどの智識が無いにもせよ、信ずる力あつて、はじめて凡夫も仏の境には到り得る。なんと各々位(おの/\がた)、合点か。人間と生れた宿世(すくせ)のありがたさを考へて、朝夕念仏を怠り給ふな。斯(か)う住職は説出したのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 と人々の唱へる声は本堂の広間に満ち溢れた。男も、女も、懐中(ふところ)から紙入を取出して、思ひ/\に賽銭(さいせん)を畳の上へ置くのであつた。
 法話の第二部は、昔の飯山の城主、松平遠江守の事蹟を材(たね)に取つた。そも/\飯山が仏教の地と成つたは、斯の先祖の時代からである。火のやうな守(かみ)の宗教心は未だ年若な頃からして燃えた。丁度江戸表へ参勤の時のこと、日頃欝積(むすぼ)れて解けない胸中の疑問を人々に尋ね試みたことがある。『人は死んで、畢竟(つまり)奈何(どう)なる。』侍臣も、儒者も、斯問(このとひ)には答へることが出来なかつた。林大学(だいがく)の頭(かみ)に尋ねた。大学の頭ですらも。それから守は宗教に志し、渋谷の僧に就いて道を聞き、領地をば甥(をひ)に譲り、六年目の暁に出家して、飯山にある仏教の先祖(おや)と成つたといふ。なんと斯発心(ほつしん)の歴史は味(あぢはひ)のある話ではないか。世の多くの学者が答へることの出来ない、其難問に答へ得るものは、信心あるものより外に無い。斯う住職は説き進んだのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 一斉に唱へる声は風のやうに起つた。人々は復(ま)た賽銭を取出して並べた。
 斯ういふ説教の間にも、時々丑松は我を忘れて、熱心な眸(ひとみ)をお志保の横顔に注いだ。流石(さすが)に人目を憚(はゞか)つて見まい/\と思ひ乍らも、つい見ると、仏壇の方を眺め入つたお志保の目付の若々しさ。不思議なことには、熱い涙が人知れず其顔を流れるといふ様子で、時々啜(すゝ)り上げたり、密(そつ)と鼻を拭(か)んだりした。尚よく見ると、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)と悲愁(うれひ)とが女らしい愛らしさに交つて、陰影(かげ)のやうに顕(あらは)れたり、隠れたりする。何をお志保は考へたのだらう。何を感じたのだらう。何を思出したのだらう。斯(か)う丑松は推量した。今夜の法話が左様(さう)若い人の心を動かすとも受取れない。有体(ありてい)に言へば、住職の説教はもう旧(ふる)い、旧い遣方で、明治生れの人間の耳には寧(いつ)そ異様に響くのである。型に入つた仮白(せりふ)のやうな言廻し、秩序の無い断片的な思想、金色に光り輝く仏壇の背景――丁度それは時代な劇(しばゐ)でも観て居るかのやうな感想(かんじ)を与へる。若いものが彼様(あゝ)いふ話を聴いて、其程胸を打たれようとは、奈何(どう)しても思はれなかつたのである。
 省吾はそろ/\眠くなつたと見え、姉に倚凭(よりかゝ)つた儘(まゝ)、首を垂れて了(しま)つた。お志保はいろ/\に取賺(とりすか)して、動(ゆす)つて見たり、私語(さゝや)いて見たりしたが、一向に感覚が無いらしい。
『これ――もうすこし起きておいでなさいよ。他様(ひとさま)が見て笑ふぢや有(あり)ませんか。』と叱るやうに言つた。奥様は引取つて、
『其処へ寝かして置くが可(いゝ)やね。ナニ、子供のことだもの。』
『真実(ほんと)に未(ま)だ児童(ねんねえ)で仕方が有ません。』
 斯う言つて、お志保は省吾を抱直した。殆んど省吾は何にも知らないらしい。其時丑松が顔を差出したので、お志保も是方(こちら)を振向いた。お志保は文平を見て、奥様を見て、それから丑松を見て、紅(あか)くなつた。

       (五)

 法話の第三部は白隠に関する伝説を主にしたものであつた。昔、飯山の正受菴(しやうじゆあん)に恵端禅師といふ高僧が住んだ。白隠が斯の人を尋ねて、飯山へやつて来たのは、まだ道を求めて居る頃。参禅して教を聴く積りで、来て見ると、掻集めた木葉(このは)を背負ひ乍らとぼ/\と谷間(たにあひ)を帰つて来る人がある。散切頭(ざんぎりあたま)に、髯(ひげ)茫々(ばう/\)。それと見た白隠は切込んで行つた。『そもさん。』斯(か)ういふ熱心は、漸(やうや)く三回目に、恵端の為に認められたといふ。それから朝夕師として侍(かしづ)いて居たが、さて終(しまひ)には、白隠も問答に究して了(しま)つた。究するといふよりは、絶望して了つた。あゝ、彼様(あん)な問を出すのは狂人(きちがひ)だ、と斯う師匠のことを考へるやうに成つて、苦しさのあまりに其処を飛出したのである。思案に暮れ乍ら、白隠は飯山の町はづれを辿つた。丁度収穫(とりいれ)の頃で、堆高(うづだか)く積上げた穀物の傍に仆(たふ)れて居ると、農夫の打つ槌(つち)は誤つて斯(こ)の求道者を絶息させた。夜露が口に入る、目が覚める、蘇生(いきかへ)ると同時に、白隠は悟つた。一説に、彼は町はづれで油売に衝当(つきあた)つて、其油に滑つて、悟つたともいふ。静観庵(じやうくわんあん)として今日迄残つて居るのは、この白隠の大悟した場処を記念する為に建てられたものである。
 斯の伝説は兎(と)に角(かく)若いものゝ知らないことであつた。それから自分の意見を述べて、いよ/\結末(くゝり)といふ段になると、毎時(いつも)住職は同じやうな説教の型に陥る。自力で道に入るといふことは、白隠のやうな人物ですら容易で無い。吾他力宗は単純(ひとへ)に頼むのだ。信ずるのだ。導かれるのだ。凡夫の身をもつて達するのだ。呉々も自己(おのれ)を捨てゝ、阿弥陀如来(あみだによらい)を頼み奉るの外は無い。斯う住職は説き終つた。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 と人々の唱へる声は暫時(しばらく)止まなかつた。多くの賽銭はまた畳の上に集つた。お志保も殊勝らしく掌(て)を合せて、奥様と一緒に唱へて居たが、涙は其若い頬を伝つて絶間(とめど)も無く流れ落ちたのである。
 やがて聴衆は珠数を提(さ)げて帰つて行つた。奥様も、お志保も、今は座を離れて、円柱の側に佇立(たゝず)み乍ら、人々に挨拶したり見送つたりした。雪がまた降つて来たといふので、本堂の入口は酷(ひど)く雑踏する。女連は多く後になつた。殊に思ひ/\の風俗して、時の流行(はやり)に後れまいとする町の娘の有様は、深く/\お志保の注意を引くのであつた。お志保は熟(じつ)と眺め入り乍ら、寺住の身と思比べて居たらしいのである。
『や、どうも今晩の御説教には驚きましたねえ。』と文平は住職に近いて言つた。『実に彼の白隠の歴史には感服して了ひました。まあ、始めてです、彼様(あゝ)いふ御話を伺つたことは。あの白隠が恵端禅師の許(ところ)へ尋ねて行く。あそこのところが私は気に入りました。斯う向ふの方から、掻集めた木葉を背負ひ乍ら、散切頭に髯茫々といふ姿で、とぼ/\と谷間を帰つて来る人がある。そこへ白隠が切込んで行つた。「そもさん。」――彼様(あゝ)いかなければ不可(いけ)ませんねえ。』と身振手真似を加へて喋舌(しやべ)りたてたので、住職はもとより、其を聞く人々は笑はずに居られなかつた。さうかうする中に、聴衆は最早(もう)悉皆(すつかり)帰つて了ふ。急に本堂の内は寂しく成る。若僧や子坊主は多忙(いそが)しさうに後片付。庄馬鹿は腰を曲(こゞ)め乍ら、畳の上の賽銭を掻集めて歩いた。
 其時は最早(もう)丑松の姿が本堂の内に見えなかつた。丑松は省吾を連れて、蔵裏の方へ見送つて行つてやつた。丁度文平が奥様やお志保の側で盛んに火花を散らして居る間に、丑松は黙つて省吾を慰撫(いたは)つたり、人の知らない面倒を見て遣つたりして居たのである。


   第拾六章

       (一)

 次第に丑松は学校へ出勤するのが苦しく成つて来た。ある日、あまりの堪へがたさに、欠席の届を差出した。其朝は遅くまで寝て居た。八時打ち、九時打ち、軈(やが)て十時打つても、まだ丑松は寝て居た。窓の障子(しやうじ)は冬の日をうけて、其光が部屋の内へ射しこんで来たのに、丑松は枕頭(まくらもと)を照らされても、まだそれでも起きることが出来なかつた。下女の袈裟治は部屋々々の掃除を済(す)まして、最早(もう)とつくに雑巾掛(ざふきんがけ)まで為(し)て了(しま)つた。幾度か二階へも上つて来て見た。来て見ると、丑松は疲れて、蒼(あを)ざめて、丁度酣酔(たべすご)した人のやうに、寝床の上に倒れて居る。枕頭は取散らした儘(まゝ)。あちらの隅に書物、こちらの隅に風呂敷包、すべて斯の部屋の内に在る道具といへば、各自(めい/\)勝手に乗出して踊つたり跳ねたりした後のやうで、其乱雑な光景(ありさま)は部屋の主人の心の内部(なか)を克(よ)く想像させる。軈てまた袈裟治が湯沸(ゆわかし)を提げて入つて来た時、漸(やうや)く丑松は起上つて、茫然(ぼんやり)と寝床の上に座つて居た。寝過ぎと衰弱(おとろへ)とから、恐しい苦痛の色を顔に表して、半分は未だ眠り乍ら其処に座つて居るかのやう。『御飯を持つて来ませうか。』斯う袈裟治が聞いて見ても、丑松は食ふ気に成らなかつたのである。
『あゝ、気分が悪くて居なさると見える。』
 と独語(ひとりごと)のやうに言ひ乍ら、袈裟治は出て行つた。
 それは北国の冬らしい、寂しい日であつた。ちひさな冬の蠅は斯の部屋の内に残つて、窓の障子をめがけては、あちこち/\と天井の下を飛びちがつて居た。丑松が未だ斯の寺へ引越して来ないで、あの鷹匠町の下宿に居た頃は、煩(うるさ)いほど沢山蠅の群が集つて、何処(どこ)から塵埃(ほこり)と一緒に舞込んで来たかと思はれるやうに、鴨居だけばかりのところを組(く)んづ離(ほぐ)れつしたのであつた。思へば秋風を知つて、短い生命(いのち)を急いだのであらう。今は僅かに生残つたのが斯うして目につく程の季節と成つた。丑松は眺め入つた。眺め入り乍ら、十二月の近いたことを思ひ浮べたのである。
 斯(か)うして、働けば働ける身をもつて、何(なんに)も為(せ)ずに考へて居るといふことは、決して楽では無い。官費の教育を享(う)けたかはりに、長い義務年限が纏綿(つきまと)つて、否でも応でも其間厳重な規則に服従(したが)はなければならぬ、といふことは――無論、丑松も承知して居る。承知して居乍ら、働く気が無くなつて了つた。噫(あゝ)、朝寝の床は絶望した人を葬る墓のやうなもので有らう。丑松は復たそこへ倒れて、深い睡眠(ねむり)に陥入(おちい)つた。

       (二)

『瀬川先生、御客様でやすよ。』
 と喚起(よびおこ)す袈裟治の声に驚かされて、丑松は銀之助が来たことを知つた。銀之助ばかりでは無い、例の準教員も勤務(つとめ)の儘の服装(みなり)でやつて来た。其日は、地方を巡回して歩く休職の大尉とやらが軍事思想の普及を計る為、学校の生徒一同に談話(はなし)をして聞かせるとかで、午後の課業が休みと成つたから、一寸暇を見て尋ねて来たといふ。丑松は寝床の上に起直つて、半ば夢のやうに友達の顔を眺めた。
『君――寝て居たまへな。』
 斯う銀之助は無造作な調子で言つた。真実丑松をいたはるといふ心が斯(この)友達の顔色に表れる。丑松は掛蒲団の上にある白い毛布を取つて、丁度褞袍(どてら)を着たやうな具合に、其を身に纏(まと)ひ乍ら、
『失敬するよ、僕は斯様(こん)なものを着て居るから。ナニ、君、其様(そんな)に酷(ひど)く不良(わる)くも無いんだから。』
『風邪(かぜ)ですか。』と準教員は丑松の顔を熟視(みまも)る。
『まあ、風邪だらうと思ふんです。昨夜から非常に頭が重くて、奈何(どう)しても今朝は起きることが出来ませんでした。』と丑松は準教員の方へ向いて言つた。
『道理で、顔色が悪い。』と銀之助は引取つて、『インフルヱンザが流行(はや)るといふから、気をつけ給へ。何か君、飲んで見たら奈何だい。焼味噌のすこし黒焦(くろこげ)に成つたやつを茶漬茶椀かなんかに入れて、そこへ熱湯(にえゆ)を注込(つぎこ)んで、二三杯もやつて見給へ。大抵の風邪は愈(なほ)つて了(しま)ふよ。』と言つて、すこし気を変へて、『や、好い物を持つて来て、出すのを忘れた――それ、御土産(おみやげ)だ。』
 斯(か)う言つて、風呂敷包の中から取出したのは、十一月分の月給。
『今日は君が出て来ないから、代理に受取つて置いた。』と銀之助は言葉を続けた。
『克(よ)く改めて見て呉れ給へ――まあ有る積りだがね。』
『それは難有う。』と丑松は袋入りの銀貨取混ぜて受取つて、『確に。して見ると今日は二十八日かねえ。僕はまた二十七日だとばかり思つて居た。』
『はゝゝゝゝ、月給取が日を忘れるやうぢやあ仕様が無い。』と銀之助は反返(そりかへ)つて笑つた。
『全く、僕は茫然(ぼんやり)して居た。』と丑松は自分で自分を励ますやうにして、『今月は君、小だらう。二十九、三十と、十一月も最早(もう)二日しか無いね。あゝ今年も僅かに成つたなあ。考へて見ると、うか/\して一年暮して了つた――まあ、僕なぞは何(なんに)も為なかつた。』
『誰だつて左様(さう)さ。』と銀之助も熱心に。
『君は好いよ。君はこれから農科大学の方へ行つて、自分の好きな研究が自由にやれるんだから。』
『時に、僕の送別会もね、生徒の方から明日にしたいと言出したが――』
『明日に?』
『しかし、君も斯うして寝て居るやうぢやあ――』
『なあに、最早愈(なほ)つたんだよ。明日は是非出掛ける。』
『はゝゝゝゝ、瀬川君の病気は不良(わる)くなるのも早いし、快(よ)くなるのも早い。まあ大病人のやうに呻吟(うな)つてるかと思ふと、また虚言(うそ)を言つたやうに愈(なほ)るから不思議さ――そりやあ、もう、毎時(いつも)御極りだ。それはさうと、斯うして一緒に馬鹿を言ふのも僅かに成つて来た。其内に御別れだ。』
『左様かねえ、君はもう行つて了ふかねえ。』
 斯ういふ言葉を取交して、二人は互に感慨に堪へないといふ様子であつた。其時迄、黙つて二人の談話(はなし)を聞いて、巻煙草ばかり燻(ふか)して居た準教員は、唐突(だしぬけ)に斯様(こん)なことを言出した。
『今日僕は妙なことを聞いて来た。学校の職員の中に一人新平民が隠れて居るなんて、其様(そん)なことを町の方で噂(うはさ)するものが有るさうだ。』

       (三)

『誰が其様なことを言出したんだらう。』と銀之助は準教員の方へ向いて言つた。
『誰が言出したか、其は僕も知らないがね。』と準教員はすこし困却(こま)つたやうな調子で、『要するに、人の噂に過ぎないんだらうと思ふんだ。』
『噂にもよりけりさ。其様なことを言はれちやあ、大に吾儕(われ/\)が迷惑するねえ。克(よ)く町の人は種々(いろ/\)なことを言触らす。やれ、女の教員が奈何(どう)したの、男の教員が斯様(かう)したのツて。何故(なぜ)、左様(さう)人の噂が為たいんだらう。そんなら、君、まあ学校の職員を数へて見給へ。穢多らしいやうな顔付のものが吾儕の中にあるかい。実に怪しからんことを言ふぢやないか――ねえ、瀬川君。』
 斯う言つて、銀之助は丑松の方を見た。丑松は無言で、白い毛布に身を包んだまゝ。
『はゝゝゝゝ。』と銀之助は笑ひ出した。『校長先生は随分几帳面(きちやうめん)な方だが、なんぼなんでも新平民とは思はれないし、と言つて、教員仲間に其様なものは見当りさうも無い。左様さなあ――いやに気取つてるのは勝野君だ――まあ、其様な嫌疑のかゝるのは勝野君位のものだ。』
『まさか。』と準教員も一緒になつて笑つた。
『そんなら、君、誰だと思ふ。』と銀之助は戯れるやうに、『さしづめ、君ぢやないか。』
『馬鹿なことを言ひ給へ。』と準教員はすこし憤然(むつ)とする。
『はゝゝゝゝ、君は直に左様(さう)怒(おこ)るから不可(いかん)。なにも君だと言つた訳では無いよ。真箇(ほんたう)に、君のやうな人には戯語(じようだん)も言へない。』
『しかし。』と準教員は真面目(まじめ)に成つて、『是(これ)がもし事実だと仮定すれば――』
『事実? 到底(たうてい)其様なことは有得べからざる事実だ。』と銀之助は聞入れなかつた。『何故と言つて見給へ。学校の職員は大抵出処(でどこ)が極(きま)つて居る。君等のやうに講習を済まして来た人か、勝野君のやうに検定試験から入つて来た人か、または吾儕(われ/\)のやうに師範出か――是より外には無い。若(も)し吾儕の中に其様(そん)な人が有るとすれば、師範校時代にもう知れて了ふね。卒業する迄も其が知れずに居るなんてことは、寄宿舎生活が許さないさ。検定試験を受けるやうな人は、いづれ長く学校に関係した連中だから、是も知れずに居る筈が無し、君等の方はまた猶更(なほさら)だらう。それ見給へ。今になつて、突然其様なことを言触らすといふは、すこし可笑(をか)しいぢやないか。』
『だから――』と準教員は言葉に力を入れて、『僕だつても事実だと言つた訳では無いサ。若(もし)事実だと仮定すれば、と言つたんサ。』
『若(もし)かね。はゝゝゝゝ。君の言ふ若は仮定する必要の無い若だ。』
『左様(さう)言へばまあ其迄だが、しかし万一其様(そん)なことが有るとすれば、奈何(どう)いふ結果に成つて行くものだらう――僕は考へたばかりでも恐しいやうな気がする。』
 銀之助は答へなかつた。二人の客はもうそれぎり斯様(こん)な話を為なかつた。
 軈(やが)て二人が言葉を残して出て行かうとした時は、丑松は喪心した人のやうで、其顔色は白い毛布に映つて、一層蒼ざめて見えたのである。『あゝ、瀬川君は未だ快(よ)くないんだらう。』斯(か)う銀之助は自分で自分に言ひ乍ら、準教員と一緒に楼梯(はしごだん)を下りて行つた。
 暫時(しばらく)丑松は茫然として部屋の内を眺め廻して居たが、急に寝床を片付けて、着物を着更へて見た。不図(ふと)思ひついたやうに、押入の隅のところに隠して置いた書物を取出した。それはいづれも蓮太郎を思出させるもので、彼の先輩が心血と精力とを注ぎ尽したといふ『現代の思潮と下層社会』、小冊子には『平凡なる人』、『労働』、『貧しきものゝ慰め』、それから『懴悔録』なぞ。丑松は一々内部(なか)を好く改めて見て、蔵書の印がはりに捺(お)して置いた自分の認印(みとめ)を消して了つた。ほかに、床の間に置並べた語学の参考書の中から、五六冊不要なのを抜取つて、塵埃(ほこり)を払つて、一緒にして風呂敷に包んで居ると、丁度そこへ袈裟治が入つて来た。
『御出掛?』
 斯う声を掛ける。丑松はすこし周章(あわ)てたといふ様子して、別に返事もしないのであつた。
『この寒いのに御出掛なさるんですか。』と袈裟治は呆(あき)れて、蒼(あを)ざめた丑松の顔を眺めた。『気分が悪くて寝て居なさる人が――まあ。』
『いや、もう悉皆(すつかり)快くなつた。』
『ほゝゝゝゝ。それはさうと、御腹(おなか)が空きやしたらう。何か食べて行きなすつたら――まあ、貴方(あんた)は今朝から何(なんに)も食べなさらないぢやごはせんか。』
 丑松は首を振つて、すこしも腹は空かないと言つた。壁に懸けてある外套(ぐわいたう)を除(はづ)して着たのも、帽子を冠つたのも、着る積りも無く着、冠る積りも無く冠つたので、丁度感覚の無い器械が動くやうに、自分で自分の為(す)ることを知らない位であつた。丑松はまた、友達が持つて来て呉れた月給を机の抽匣(ひきだし)の中へ入れて、其内を紙の袋のまゝ袂へも入れた。尤も幾許(いくら)置いて、幾許自分の身に着けたか、それすら好くは覚えて居ない。斯うして書物の包を提げて、成るべく外套の袖で隠すやうにして、軈てぶらりと蓮華寺の門を出た。

       (四)

 雪は往来にも、屋根の上にもあつた。『みの帽子』を冠り、蒲(がま)の脛穿(はゞき)を着け、爪掛(つまかけ)を掛けた多くの労働者、または毛布を頭から冠つて深く身を包んで居る旅人の群――其様(そん)な手合が眼前(めのまへ)を往つたり来たりする。人や馬の曳く雪橇(ゆきぞり)は幾台(いくつ)か丑松の側を通り過ぎた。
 長い廻廊のやうな雪除(ゆきよけ)の『がんぎ』(軒廂(のきびさし))も最早(もう)役に立つやうに成つた。往来の真中に堆高(うづだか)く掻集めた白い小山の連接(つゞき)を見ると、今に家々の軒丈よりも高く降り積つて、これが飯山名物の『雪山』と唄(うた)はれるかと、冬期の生活(なりはひ)の苦痛(くるしみ)を今更のやうに堪へがたく思出させる。空の模様はまた雪にでも成るか。薄い日のひかりを眺めたばかりでも、丑松は歩き乍ら慄(ふる)へたのである。
 上町(かみまち)の古本屋には嘗(かつ)て雑誌の古を引取つて貰つた縁故もあつた。丁度其店頭(みせさき)に客の居なかつたのを幸(さいはひ)、ついと丑松は帽子を脱いで入つて、例の風呂敷包を何気なく取出した。『すこしばかり書籍(ほん)を持つて来ました――奈何(どう)でせう、是(これ)を引取つて頂きたいのですが。』と其を言へば、亭主は直に丑松の顔色を読んで、商人(あきんど)らしく笑つて、軈(やが)て膝を進め乍ら風呂敷包を手前へ引寄せた。
『ナニ、幾許(いくら)でも好いんですから――』
 と丑松は添加(つけた)して言つた。
 亭主は風呂敷包を解(ほど)いて、一冊々々書物の表紙を調べた揚句、それを二通りに分けて見た。語学の本は本で一通り。兎も角も其丈(それだけ)は丁寧に内部(なかみ)を開けて見て、それから蓮太郎の著したものは無造作に一方へ積重ねた。
『何程(いかほど)ばかりで是は御譲りに成る御積りなんですか。』と亭主は丑松の顔を眺めて、さも持余したやうに笑つた。
『まあ、貴方の方で思つたところを附けて見て下さい。』
『どうも是節は不景気でして、一向に斯(か)ういふものが捌(は)けやせん。御引取り申しても好うごはすが、しかし金高があまり些少(いさゝか)で。実は申上げるにしやしても、是方(こちら)の英語の方だけの御直段(おねだん)で、新刊物の方はほんの御愛嬌(ごあいけう)――』と言つて、亭主は考へて、『こりや御持帰りに成りやした方が御為かも知れやせん。』
『折角(せつかく)持つて来たものです――まあ、左様言はずに、引取れるものなら引取つて下さい。』
『あまり些少(いさゝか)ですが、好うごはすか。そんなら、別々に申上げやせうか。それとも籠(こ)めて申上げやせうか。』
『籠めて言つて見て下さい。』
『奈何(いかゞ)でせう、精一杯なところを申上げて、五十五銭。へゝゝゝゝ。それで宜(よろ)しかつたら御引取り申して置きやす。』
『五十五銭?』
 と丑松は寂しさうに笑つた。
 もとより何程(いくら)でも好いから引取つて貰ふ気。直に話は纏(まとま)つた。あゝ書物ばかりは売るもので無いと、予(かね)て丑松も思はないでは無いが、然しこゝへ持つて来たのは特別の事情がある。やがて自分の宿処と姓名とを先方(さき)の帳面へ認(したゝ)めてやつて、五十五銭を受取つた。念の為、蓮太郎の著したものだけを開けて見て、消して持つて来た瀬川といふ認印(みとめ)のところを確めた。中に一冊、忘れて消して無いのがあつた。『あ――ちよつと、筆を貸して呉れませんか。』斯う言つて、借りて、赤々と鮮明(あざやか)に読まれる自分の認印の上へ、右からも左からも墨黒々と引いた。
『斯うして置きさへすれば大丈夫。』――丑松の積りは斯うであつた。彼の心は暗かつたのである。思ひ迷ふばかりで、実は奈何(どう)していゝか解らなかつたのである。古本屋を出て、自分の為(し)たことを考へ乍ら歩いた時は、もう哭(な)きたい程の思に帰つた。
『先生、先生――許して下さい。』
 と幾度か口の中で繰返した。其時、あの高柳に蓮太郎と自分とは何の関係も無いと言つたことを思出した。鋭い良心の詰責(とがめ)は、身を衛(まも)る余儀なさの弁解(いひわけ)と闘つて、胸には刺されるやうな深い/\悲痛(いたみ)を感ずる。丑松は羞(は)ぢたり、畏(おそ)れたりしながら、何処へ行くといふ目的(めあて)も無しに歩いた。

       (五)

 一ぜんめし、御酒肴(おんさけさかな)、笹屋、としてあるは、かねて敬之進と一緒に飲んだところ。丑松の足は自然とそちらの方へ向いた。表の障子を開けて入ると、そここゝに二三の客もあつて、飲食(のみくひ)して居る様子。主婦(かみさん)は流許(ながしもと)へ行つたり、竈(かまど)の前に立つたりして、多忙(いそが)しさうに尻端折(しりはしをり)で働いて居た。
『主婦(かみ)さん、何か有ますか。』
 斯(か)う丑松は声を掛けた。主婦は煤(すゝ)けた柱の傍に立つて、手を拭(ふ)き乍(なが)ら、
『生憎(あいにく)今日(こんち)は何(なんに)も無くて御気の毒だいなあ。川魚の煮(た)いたのに、豆腐の汁(つゆ)ならごはす。』
『そんなら両方貰ひませう。それで一杯飲まして下さい。』
 其時、一人の行商が腰掛けて居た樽(たる)を離れて、浅黄の手拭で頭を包み乍ら、丑松の方を振返つて見た。雪靴の儘(まゝ)で柱に倚凭(よりかゝ)つて居た百姓も、一寸盗むやうに丑松を見た。主婦(かみさん)が傾(かし)げた大徳利の口を玻璃杯(コップ)に受けて、茶色に気(いき)の立つ酒をなみ/\と注いで貰ひ、立つて飲み乍ら、上目で丑松を眺める橇曳(そりひき)らしい下等な労働者もあつた。斯ういふ風に、人々の視線が集まつたのは、兎(と)に角(かく)毛色の異(かは)つた客が入つて来た為、放肆(ほしいまゝ)な雑談を妨(さまた)げられたからで。尤(もつと)も斯(こ)の物見高い沈黙は僅かの間であつた。やがて復(ま)た盛んな笑声が起つた。炉(ろ)の火も燃え上つた。丑松は炉辺(ろばた)に満ち溢(あふ)れる『ぼや』の烟のにほひを嗅(か)ぎ乍(なが)ら、そこへ主婦が持出した胡桃足(くるみあし)の膳を引寄せて、黙つて飲んだり食つたりして居ると、丁度出て行く行商と摺違ひに釣の道具を持つて入つて来た男がある。
『よう、めづらしい御客様が来てますね。』
 と言ひ乍ら、釣竿を柱にたてかけたのは敬之進であつた。
『風間さん、釣ですか。』斯(か)う丑松は声を掛ける。
『いや、どうも、寒いの寒くないのツて。』と敬之進は丑松と相対(さしむかひ)に座を占めて、『到底(とても)川端で辛棒が出来ないから、廃(や)めて帰つて来た。』
『ちつたあ釣れましたかね。』と聞いて見る。
『獲物(えもの)無しサ。』と敬之進は舌を出して見せて、『朝から寒い思をして、一匹も釣れないでは君、遣切(やりき)れないぢやないか。』
 其調子がいかにも可笑(をか)しかつた。盛んな笑声が百姓や橇曳(そりひき)の間に起つた。
『不取敢(とりあへず)、一つ差上げませう。』と丑松は盃(さかづき)の酒を飲乾して薦(すゝ)める。
『へえ、我輩に呉れるのかね。』と敬之進は目を円(まる)くして、『こりやあ驚いた。君から盃を貰はうとは思はなかつた――道理で今日は釣れない訳だよ。』と思はず流れ落ちる涎(よだれ)を拭つたのである。
 間も無く酒瓶(てうし)の熱いのが来た。敬之進は寒さと酒慾とで身を震はせ乍ら、さも/\甘(うま)さうに地酒の香を嗅いで見て、
『しばらく君には逢(あ)はなかつたやうな気がするねえ。我輩も君、学校を休(や)めてから別に是(これ)といふ用が無いもんだから、斯様(こん)な釣なぞを始めて――しかも、拠(よんどころ)なしに。』
『何ですか、斯の雪の中で釣れるんですか。』と丑松は箸を休(や)めて対手の顔を眺めた。
『素人(しろうと)は其だから困る。尤も我輩だつて素人だがね。はゝゝゝゝ。まあ商売人に言はせると、冬はまた冬で、人の知らないところに面白味がある。ナニ、君、風さへ無けりや、左様(さう)思つた程でも無いよ。』と言つて、敬之進は一口飲んで、『然し、瀬川君、考へて見て呉れ給へ。何が辛いと言つたつて、用が無くて生きて居るほど世の中に辛いことは無いね。家内やなんかが□々(せつせ)と働いて居る側で、自分ばかり懐手(ふところで)して見ても居られずサ。まだそれでも、斯うして釣に出られるやうな日は好いが、屋外(そと)へも出られないやうな日と来ては、実に我輩は為(す)る事が無くて困る。左様いふ日には、君、他に仕方が無いから、まあ昼寝を為ることに極(き)めてね――』
 至極真面目で、斯様(こん)なことを言出した。この『昼寝を為ることに極めてね』が酷(ひど)く丑松の心を動かしたのである。
『時に、瀬川君。』と敬之進は酒徒(さけのみ)らしい手付をして、盃を取上げ乍ら、『省吾の奴も長々君の御世話に成つたが、種々(いろ/\)家の事情を考へると、どうも我輩の思ふやうにばかりもいかないことが有るんで――まあ、その、学校を退(ひ)かせようかと思ふのだが、君、奈何(どう)だらう。』

       (六)

『そりやあもう我輩だつて退校させたくは無いさ。』と敬之進は言葉を続けた。『せめて普通教育位は完全に受けさせたいのが親の情さ。来年の四月には卒業の出来るものを、今茲(こゝ)で廃(や)めさせて、小僧奉公なぞに出して了(しま)ふのは可愛さうだ、とは思ふんだが、実際止むを得んから情ない。彼様(あん)な茫然(ぼんやり)した奴(やつ)だが、万更(まんざら)学問が嫌ひでも無いと見えて、学校から帰ると直に机に向つては、何か独りでやつてますよ。どうも数学が出来なくて困る。其かはり作文は得意だと見えて、君から「優」なんて字を貰つて帰つて来ると、それは大悦(おほよろこ)びさ。此頃(こなひだ)も君に帳面を頂いた時なぞは、先生が作文を書けツて下すつたと言つてね、まあ君どんなに喜びましたらう。その嬉しがりやうと言つたら、大切に本箱の中へ入れて仕舞つて置いて、何度出して見るか解らない位さ。彼(あ)の晩は寝言にまで言つたよ。それ、左様(さう)いふ風だから、兎(と)に角(かく)やる気では居るんだねえ。其を思ふと廃して了へと言ふのは実際可愛さうでもある。しかし、君、我輩のやうに子供が多勢では左(どう)にも右(かう)にも仕様が無い。一概に子供と言ふけれど、その子供がなか/\馬鹿にならん。悪戯(いたづら)なくせに、大飯食(おほめしぐら)ひばかり揃つて居て――はゝゝゝゝ、まあ君だから斯様(こん)なことまでも御話するんだが、まさか親の身として、其様(そんな)に食ふな、三杯位にして節(ひか)へて置け、なんて過多(あんまり)吝嗇(けち/\)したことも言へないぢやないか。』
 斯ういふ述懐は丑松を笑はせた。敬之進も亦(ま)た寂しさうに笑つて、
『ナニ、それもね、継母(まゝはゝ)ででも無けりや、またそこにもある。省吾の奴を奉公にでも出して了つたら、と我輩が思ふのは、実は今の家内との折合が付かないから。我輩はお志保や省吾のことを考へる度に、どの位あの二人の不幸(ふしあはせ)を泣いてやるか知れない。奈何(どう)して継母といふものは彼様(あんな)邪推深いだらう。此頃(こなひだ)も此頃で、ホラ君の御寺に説教が有ましたらう。彼晩(あのばん)、遅くなつて省吾が帰つて来た。さあ、家内は火のやうになつて怒つて、其様(そんな)に姉さんのところへ行きたくば最早(もう)家(うち)なんぞへ帰らなくても可(いゝ)。出て行つて了へ。必定(きつと)また御寺へ行つて余計なことをべら/\喋舌(しやべ)つたらう。必定また姉さんに悪い智慧を付けられたらう。だから私の言ふことなぞは聞かないんだ。斯う言つて、家内が責める。すると彼奴(あいつ)は気が弱いもんだから、黙つて寝床の内へ潜り込んで、しく/\やつて居ましたつけ。其時、我輩も考へた。寧(いつ)そこりや省吾を出した方が可(いゝ)。左様(さう)すれば、口は減るし、喧嘩(けんくわ)の種は無くなるし、あるひは家庭(うち)が一層(もつと)面白くやつて行かれるかも知れない。いや――どうかすると、我輩は彼(あ)の省吾を連れて、二人で家(うち)を出て了はうか知らん、といふやうな気にも成るのさ。あゝ。我輩の家庭(うち)なぞは離散するより外(ほか)に最早(もう)方法が無くなつて了つた。』
 次第に敬之進は愚痴な本性を顕した。酒気が身体へ廻つたと見えて、頬も、耳も、手までも紅(あか)く成つた。丑松は又、一向顔色が変らない。飲めば飲む程、反(かへ)つて頬は蒼白(あをじろ)く成る。
『しかし、風間さん、左様(さう)貴方のやうに失望したものでも無いでせう。』と丑松は言ひ慰めて、『及ばず乍ら私も力に成つて上げる気で居るんです。まあ、其盃を乾したら奈何(どう)ですか――一つ頂きませう。』
『え?』と敬之進はちら/\した眼付で、不思議さうに対手(あひて)の顔を眺めた。『これは驚いた。盃を呉れろと仰るんですか。へえ、君は斯の方もなか/\いけるんだね。我輩は又、飲めない人かとばかり思つて居た。』
 と言つて盃をさす。丑松は其を受取つて、一息にぐいと飲乾(のみほ)して了つた。
『烈しいねえ。』と敬之進は呆(あき)れて、『君は今日は奈何(どう)かしやしないか。左様(さう)君のやうに飲んでも可(いゝ)のか。まあ、好加減にした方が好からう。我輩が飲むのは不思議でも何でも無いが、君が飲むのは何だか心配で仕様が無い。』
『何故(なぜ)?』
『何故ツて、君、左様ぢやないか。君と我輩とは違ふぢや無いか。』
『はゝゝゝゝ。』
 と丑松は絶望した人のやうに笑つた。

       (七)

 何か敬之進は言ひたいことが有つて、其を言ひ得ないで、深い溜息を吐くといふ様子。其時はもう百姓も、橇曳(そりひき)も出て行つて了つた。余念も無く流許(ながしもと)で鍋(なべ)を鳴らして居る主婦(かみさん)、裏口の木戸のところに佇立(たゝず)んで居る子供、この人達より外に二人の談話(はなし)を妨(さまた)げるものは無かつた。高い天井の下に在るものは、何もかも暗く煤(すゝ)けた色を帯びて、昔の街道の名残(なごり)を顕(あらは)して居る。あちらの柱に草鞋(わらぢ)、こちらの柱に干瓢(かんぺう)、壁によせて黄な南瓜(かぼちや)いくつか並べてあるは、いかにも町はづれの古い茶屋らしい。土間も広くて、日あたりに眠る小猫もあつた。寒さの為に身を潜(すく)め乍ら目を瞑つて居る鶏もあつた。
 薄い日の光は明窓(あかりまど)から射して、軒から外へ泄(も)れる煙の渦を青白く照した。丑松は茫然と思ひ沈んで、炉(ろ)に燃え上る『ぼや』の焔(ほのほ)を熟視(みつ)めて居た。赤々とした火の色は奈何(どんな)に人の苦痛を慰めるものであらう。のみならず、強ひて飲んだ地酒の酔心地から、やたらに丑松は身を慄(ふる)はせて、時には人目も関はず泣きたい程の思に帰つた。あゝ声を揚げて放肆(ほしいまゝ)に泣いたなら、と思ふ心は幾度起るか知れない。しかし涙は頬を霑(うるほ)さなかつた――丑松は嗚咽(すゝりな)くかはりに、大きく口を開いて笑つたのである。
『あゝ。』と敬之進は嘆息して、『世の中には、十年も交際(つきあ)つて居て、それで毎時(いつでも)初対面のやうな気のする人も有るし、又、君のやうに、其様(そんな)に深い懇意な仲で無くても、斯うして何もかも打明けて話したい人が有る。我輩が斯様(こん)な話をするのは、実際、君より外に無い。まあ、是非君に聞いて貰ひたいと思ふことが有るんでね。』とすこし言淀んで、『実は――此頃(こなひだ)久し振で娘に逢ひました。』
『お志保さんに?』丑松の胸は何となく踊るのであつた。
『といふのは、君、あの娘(こ)の方から逢つて呉れろといふ言伝(ことづけ)があつて――尤(もつと)も、我輩もね、君の知つてる通り蓮華寺とは彼様(あゝ)いふ訳だし、それに家内は家内だし、するからして、成るべく彼の娘には逢はないやうにして居る。ところが何か相談したいことが有ると言ふもんだから、まあ、その、久し振で逢つて見た。どうも若いものがずん/\大きく成るのには驚いて了ふねえ。まるで見違へる位。それで君、何の相談かと思ふと、最早々々(もう/\)奈何(どう)しても蓮華寺には居られない、一日も早く家(うち)へ帰るやうにして呉れ、頼む、と言ふ。事情を聞いて見ると無理もない。其時我輩も始めて彼の住職の性質を知つたやうな訳サ。』
 と言つて、敬之進は一寸徳利を振つて見た。生憎(あいにく)酒は盃(さかづき)に満たなかつた。やがて一口飲んで、両手で口の端(はた)を撫(な)で廻して、
『斯(か)うです。まあ、君、聞いて呉れ給へ。よく世間には立派な人物だと言はれて居ながら、唯女性(をんな)といふものにかけて、非常に弱い性質(たち)の男があるものだね。蓮華寺の住職も矢張(やはり)其だらうと思ふよ。彼程(あれほど)学問もあり、弁才もあり、何一つ備はらないところの無い好い人で、殊(こと)に宗教(をしへ)の方の修行もして居ながら、それでまだ迷が出るといふのは、君、奈何(どう)いふ訳だらう。我輩は娘から彼(あ)の住職のことを聞いた時、どうしても其が信じられなかつた。いや、嘘だとしか思はれなかつた。実に人は見かけによらないものさね。ホラ、彼の住職も長いこと西京へ出張して居ましたよ。丁度帰つて来たのは、君が郷里の方へ行つて留守だつた時さ。それからといふものは、まあ娘に言はせると、奈何(どう)しても養父(おとつ)さんの態度(しむけ)とは思はれないと言ふ。かりそめにも仏の御弟子ではないか。袈裟(けさ)を着(つけ)て教を説く身分ではないか。自分の職業に対しても、もうすこし考へさうなものだと思ふんだ。あまり浅猿(あさま)しい、馬鹿馬鹿しいことで、他(ひと)に話も出来ないやね。奥様はまた奥様で、彼様(あゝ)いふ性質の女だから、人並勝れて嫉妬深(しつとぶか)いと来て居る。娘はもう悲いやら恐しいやらで、夜も碌々眠られないと言ふ。呆(あき)れたねえ、我輩も是(この)話を聞いた時は。だから、君、娘が家(うち)へ帰りたいと言ふのは、実際無理もない。我輩だつて、其様なところへ娘を遣(や)つて置きたくは無い。そりやあもう一日も早く引取りたい。そこがそれ情ないことには、今の家内がもうすこし解つて居て呉れると、奈何(どう)にでもして親子でやつて行かれないことも有るまいと思ふけれど、現に省吾一人にすら持余して居るところへ、またお志保の奴が飛込んで来て見給へ――到底(とても)今の家内と一緒に居られるもんぢや無い。第一、八人の親子が奈何して食へよう。其や是やを考へると、我輩の口から娘に帰れとは言はれないぢやないか。噫(あゝ)、辛抱、辛抱――出来ることを辛抱するのは辛抱でも何でも無い、出来ないところを辛抱するのが真実(ほんたう)の辛抱だ。行け、行け、心を毅然(しつかり)持て。奥様といふものも附いて居る。その人の傍に居て離れないやうにしたら、よもや無理なことを言懸けられもしまい。たとへ先方(さき)が親らしい行為をしない迄(まで)も、これまで育てゝ貰つた恩義も有る。一旦蓮華寺の娘と成つた以上は、奈何(どん)な辛いことがあらうと決して家(うち)へ帰るな。そこを勤め抜くのが孝行といふものだ。とまあ、賺(すか)したり励(はげま)したりして、無理やりに娘を追立てゝやつたよ。思へば可愛さうなものさ。あゝ、あゝ、斯ういふ時に先の家内が生きて居たならば――』
 敬之進の顔には真実と苦痛とが表れて、眼は涙の為に濡(ぬ)れ輝いた。成程、左様言はれて見ると、丑松も思ひ当ることがないでもない。あの蓮華寺の内部(なか)の光景(ありさま)を考へると、何か斯う暗い雲が隅のところに蟠(わだかま)つて、絶えず其が家庭の累(わづらひ)を引起す原因(もと)で、住職と奥様とは無言の間に闘つて居るかのやう――譬(たと)へば一方で日があたつて、楽しい笑声の聞える時でも、必ず一方には暴風雨(あらし)が近(ちかづ)いて居る。斯ういふ感想(かんじ)は毎日のやうに有つた。唯其は何処の家庭(うち)にも克(よ)くある角突合(つのづきあひ)――まあ、住職と奥様とは互ひに仏弟子のことだから、言はゞ高尚な夫婦喧嘩、と丑松も想像して居たので、よもや其雲のわだかまりがお志保の上にあらうとは思ひ設けなかつたのである。奥様がわざ/\磊落(らいらく)らしく装(よそほ)つて、剽軽(へうきん)なことを言つて、男のやうな声を出して笑ふのも、其為だらう。紅涙(なんだ)が克(よ)くお志保の顔を流れるのも、其為だらう。どうもをかしい/\と思つて居たことは、この敬之進の話で悉皆(すつかり)読めたのである。
 長いこと二人は悄然(しよんぼり)として、互ひに無言の儘(まゝ)で相対(さしむかひ)に成つて居た。


   第拾七章

       (一)

 勘定を済まして笹屋を出る時、始めて丑松は月給のうちを幾許(いくら)袂(たもと)に入れて持つて来たといふことに気が着いた。それは銀貨で五十銭ばかりと、外に五円紙幣(さつ)一枚あつた。父の存命中は毎月為替(かはせ)で送つて居たが、今は其を為(す)る必要も無いかはり、帰省の当時大分費(つか)つた為に斯金(このかね)が大切のものに成つて居る、彼是(かれこれ)を考へると左様無暗には費はれない。しかし丑松の心は暗かつた。
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