破戒
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:島崎藤村 

『へえ――学校にも居られなくなる、社会からも放逐される、と言へば君、非常なことだ。それでは宛然(まるで)死刑を宣告されるも同じだ。』
『先(ま)づ左様(さう)言つたやうなものでせうよ。尤も、私が直接(ぢか)に突留めたといふ訳でも無いのですが、種々(いろ/\)なことを綜(あつ)めて考へて見ますと――ふふ。』
『ふゝぢや解らないねえ。奈何(どん)な新しい事実か、まあ話して聞かせて呉れ給へ。』
『しかし、校長先生、私から其様(そん)な話が出たといふことになりますと、すこし私も迷惑します。』
『何故(なぜ)?』
『何故ツて、左様ぢや有ませんか。私が取つて代りたい為に、其様なことを言ひ触らしたと思はれても厭ですから――毛頭私は其様な野心が無いんですから――なにも瀬川君を中傷する為に、御話するのでは無いんですから。』
『解つてますよ、其様なことは。誰が君、其様なことを言ふもんですか。其様な心配が要るもんですか。君だつても他の人から聞いたことなんでせう――それ、見たまへ。』
 文平が思はせ振な様子をして、何か意味ありげに微笑めば微笑むほど、余計に校長は聞かずに居られなくなつた。
『では、勝野君、斯ういふことにしたら可(いゝ)でせう。我輩は其話を君から聞かない分にして置いたら可(いゝ)でせう。さ、誰も居ませんから、話して聞かせて呉れ給へ。』
 斯う言つて、校長は一寸文平に耳を貸した。文平が口を寄せて、何か私語(さゝや)いて聞かせた時は、見る/\校長も顔色を変へて了(しま)つた。急に戸を叩く音がする。ついと文平は校長の側を離れて窓の方へ行つた。戸を開けて入つて来たのは丑松で、入るや否や思はず一歩(ひとあし)逡巡(あとずさり)した。
『何を話して居たのだらう、斯(こ)の二人は。』と丑松は猜疑深(うたぐりぶか)い目付をして、二人の様子を怪まずには居られなかつたのである。
『校長先生、』と丑松は何気なく尋ねて見た。『どうでせう、今日はすこし遅く始めましたら。』
『左様(さやう)――生徒は未(ま)だ集りませんか。』と校長は懐中時計を取出して眺める。
『どうも思ふやうに集りません。何を言つても、是雪ですから。』
『しかし、最早(もう)時間は来ました。生徒の集る、集らないは兎(と)に角(かく)、規則といふものが第一です。何卒(どうぞ)小使に左様言つて、鈴を鳴らさせて下さい。』

       (二)

 其朝ほど無思想な状態(ありさま)で居たことは、今迄丑松の経験にも無いのであつた。実際其朝は半分眠り乍ら羽織袴を着けて来た。奥様が詰て呉れた弁当を提げて、久し振で学校の方へ雪道を辿(たど)つた時も、多くの教員仲間から弔辞(くやみ)を受けた時も、受持の高等四年生に取囲(とりま)かれて種々(いろ/\)なことを尋ねられた時も、丑松は半分眠り乍ら話した。授業が始つてからも、時々眼前(めのまへ)の事物(ことがら)に興味を失つて、器械のやうに読本の講釈をして聞かせたり、生徒の質問に答へたりした。其日は遊戯の時間の監督にあたる日、鈴が鳴つて休みに成る度に、男女の生徒は四方から丑松に取縋(とりすが)つて、『先生、先生』と呼んだり叫んだりしたが、何を話して何を答へたやら、殆んど其感覚が無かつた位。丑松は夢見る人のやうに歩いて、あちこちと馳せちがふ多くの生徒の監督をした。
 銀之助が駈寄つて、
『瀬川君――君は気分でも悪いと見えるね。』
 と言つたのは覚えて居るが、其他の話はすべて記憶に残らなかつた。
 斯(か)ういふ中にも、唯一つ、あの省吾に呉れたいと思つて、用意したものを持つて来ることだけは忘れなかつた。昼休みには、高等科から尋常科までの生徒が学校の内で飛んだり跳ねたりして騒いだ。なかには広い運動場に出て、雪投げをして遊ぶものもあつた。丁度高等四年の教室には誰も居なかつたので、そこへ丑松は省吾を連れて行つて、新聞紙に包んだものを取出して見せて、
『君に呈(あ)げようと思つて斯ういふものを持つて来ました。帳面です、内に入つてるのは。是(これ)は君、家へ帰つてから開けて見るんですよ。いいかね。学校の内で開けて見るんぢや無いんですよ――ね、是を君に呈げますから。』
 と言つて、丑松は自分の前に立つ少年の驚き喜ぶ顔を見たいと思ふのであつた。意外にも省吾は斯の贈物を受けなかつた。唯もう目を円(まる)くして、丑松の様子と新聞紙の包とを見比べるばかり。奈何(どう)して斯様(こん)なものを呉れるのであらう。第一、それからして不思議でならない。と言つたやうな顔付。
『いゝえ、私は沢山です。』
 と省吾は幾度か辞退した。
『其様(そん)な、君のやうな――』と丑松は省吾の顔を眺めて、『人が呈(あ)げるツて言ふものは、貰ふもんですよ。』
『はい、難有う。』と復た省吾は辞退した。
『困るぢやないか、君、折角(せつかく)呈げようと思つて斯うして持つて来たものを。』
『でも、母さんに叱られやす。』
『母さんに? 其様な馬鹿なことが有るもんか。私が呈げるツて言ふのに、叱るなんて――私は君の父上(おとつ)さんとも懇意だし、それに、君の姉さんには種々(いろ/\)御世話に成つて居るし、此頃(こなひだ)から呈げよう/\と思つて居たんです。ホラ、よく西洋綴の帳面で、罫の引いたのが有ませう。あれですよ、斯の内に入つてるのは。まあ、君、其様(そん)なことを言はないで、是を家へ持つて帰つて、作文でも何でも君の好なものを書いて見て呉れたまへ。』
 斯う言つて、其を省吾の手に持たして居るところへ、急に窓の外の方で上草履の音が起る。丑松は省吾を其処に残して置いて、周章(あわ)てゝ教室を出て了つた。

       (三)

 東の廊下の突当り、二階へ通ふやうになつて居る階段のところは、あまり生徒もやつて来なかつた。丑松が男女の少年の監督に忙(せは)しい間に、校長と文平の二人は斯(こ)の静かな廊下で話した――並んで灰色の壁に倚凭(よりかゝ)り乍(なが)ら話した。
『一体、君は誰から瀬川君のことを聞いて来たのかね。』と校長は尋ねて見た。
『妙な人から聞いて来ました。』と文平は笑つて、『実に妙な人から――』
『どうも我輩には見当がつかない。』
『尤も、人の名誉にも関はることだから、話だけは為(す)るが、名前を出して呉れては困る、と先方(さき)の人も言ふんです。兎(と)に角(かく)代議士にでも成らうといふ位の人物ですから、其様な無責任なことを言ふ筈(はず)も有ません。』
『代議士にでも?』
『ホラ。』
『ぢやあ、あの新しい細君を連れて帰つて来た人ぢや有ませんか。』
『まあ、そこいらです。』
『して見ると――はゝあ、あの先生が地方廻りでもして居る間に、何処かで其様な話を聞込んで来たものかしら。悪い事は出来ないものさねえ。いつか一度は露顕(あらは)れる時が来るから奇体さ。』と言つて、校長は嘆息して、『しかし、驚ろいたねえ。瀬川君が穢多だなぞとは、夢にも思はなかつた。』
『実際、私も意外でした。』
『見給へ、彼(あ)の容貌(ようばう)を。皮膚といひ、骨格といひ、別に其様な賤民らしいところが有るとも思はれないぢやないか。』
『ですから世間の人が欺(だま)されて居たんでせう。』
『左様ですかねえ。解らないものさねえ。一寸見たところでは、奈何(どう)しても其様な風に受取れないがねえ。』
『容貌ほど人を欺すものは有ませんさ。そんなら、奈何でせう、彼(あ)の性質は。』
『性質だつても君、其様な判断は下せない。』
『では、校長先生、彼の君の言ふこと為(な)すことが貴方の眼には不思議にも映りませんか。克(よ)く注意して、瀬川丑松といふ人を御覧なさい――どうでせう、彼(あ)の物を視る猜疑深(うたがひぶか)い目付なぞは。』
『はゝゝゝゝ、猜疑深いからと言つて、其が穢多の証拠には成らないやね。』
『まあ、聞いて下さい。此頃迄(こなひだまで)瀬川君は鷹匠(たかしやう)町の下宿に居ましたらう。彼(あ)の下宿で穢多の大尽が放逐されましたらう。すると瀬川君は突然(だしぬけ)に蓮華寺へ引越して了ひましたらう――ホラ、をかしいぢや有ませんか。』
『それさ、それを我輩も思ふのさ。』
『猪子蓮太郎との関係だつても左様(さう)でせう。彼様(あん)な病的な思想家ばかり難有(ありがた)く思はないだつて、他にいくらも有さうなものぢや有ませんか。彼様な穢多の書いたものばかり特に大騒ぎしなくても好ささうなものぢや有ませんか。どうも瀬川君が贔顧(ひいき)の仕方は普通の愛読者と少許(すこし)違ふぢや有ませんか。』
『そこだ。』
『未(ま)だ校長先生には御話しませんでしたが、小諸(こもろ)の与良(よら)といふ町には私の叔父が住んで居ます。其町はづれに蛇堀川(じやぼりがは)といふ沙河(すながは)が有まして、橋を渡ると向町になる――そこが所謂(いはゆる)穢多町です。叔父の話によりますと、彼処は全町同じ苗字を名乗つて居るといふことでしたツけ。其苗字が、確か瀬川でしたツけ。』
『成程ねえ。』
『今でも向町の手合は苗字を呼びません。普通に新平民といへば名前を呼捨です。おそらく明治になる前は、苗字なぞは無かつたのでせう。それで、戸籍を作るといふ時になつて、一村挙(こぞ)つて瀬川と成つたんぢや有るまいかと思ふんです。』
『一寸待ちたまへ。瀬川君は小諸の人ぢや無いでせう。小県(ちひさがた)の根津の人でせう。』
『それが宛(あて)になりやしません――兎に角、瀬川とか高橋とかいふ苗字が彼(あ)の仲間に多いといふことは叔父から聞きました。』
『左様言はれて見ると、我輩も思当ることが無いでも無い。しかしねえ、もし其が事実だとすれば、今迄知れずに居る筈も無からうぢやないか。最早(もう)疾(とつく)に知れて居さうなものだ――師範校に居る時代に、最早知れて居さうなものだ。』
『でせう――それそこが瀬川君です。今日(こんにち)まで人の目を暗(くらま)して来た位の智慧(ちゑ)が有るんですもの、余程狡猾(かうくわつ)の人間で無ければ彼(あ)の真似は出来やしません。』
『あゝ。』と校長は嘆息して了つた。『それにしても、よく知れずに居たものさ、どうも瀬川君の様子がをかしい/\と思つたよ――唯、訳も無しに、彼様(あゝ)考へ込む筈(はず)が無いからねえ。』
 急に大鈴の音が響き渡つた。二人は壁を離れて、長い廊下を歩き出した。午後の課業が始まると見え、男女の生徒は上草履鳴らして、廊下の向ふのところを急いで通る。丑松も少年の群に交り乍ら、一寸是方(こちら)を振向いて見て行つた。
『勝野君。』と校長は丑松の姿を見送つて、『成程(なるほど)、君の言つた通りだ。他(ひと)の一生の名誉にも関はることだ。まあ、もうすこし瀬川君の秘密を探つて見ることに為(し)ようぢやないか。』
『しかし、校長先生。』と文平は力を入れて言つた。『是話が彼の代議士の候補者から出たといふことだけは決して他(ひと)に言はないで置いて下さい――さもないと、私が非常に迷惑しますから。』
『無論さ。』

       (四)

 時間表によると、其日の最終(をはり)の課業が唱歌であつた。唱歌の教師は丑松から高等四年の生徒を受取つて、足拍子揃へさして、自分の教室の方へ導いて行つた。二時から三時まで、それだけは丑松も自由であつたので、不図、蓮太郎のことが書いてあつたとかいふ昨日の銀之助の話を思出して、応接室を指して急いで行つた。いつも其机の上には新聞が置いてある。戸を開けて入つて見ると、信毎は一昨日の分も残つて、まだ綴込みもせずに散乱(とりちら)した儘。その読みふるしを開けた第二面の下のところに、彼の先輩のことを見つけた時は、奈何(どんな)に丑松も胸を踊らせて、『むゝ――あつた、あつた』と驚き喜んだらう。
『何処へ行つて是(この)新聞を読まう。』先づ心に浮んだは斯うである。『斯(こ)の応接室で読まうか。人が来ると不可(いけない)。教室が可(いゝ)か。小使部屋が可か――否、彼処へも人が来ないとは限らない。』と思ひ迷つて、新聞紙を懐に入れて、応接室を出た。『いつそ二階の講堂へ行つて読め。』斯う考へて、丑松は二階へ通ふ階段を一階づゝ音のしないやうに上つた。
 そこは天長節の式場に用ひられた大広間、長い腰掛が順序よく置並べてあるばかり、平素(ふだん)はもう森閑(しんかん)としたもので、下手な教室の隅なぞよりは反つて安全な場処のやうに思はれた。とある腰掛を択(えら)んで、懐から取出して読んで居るうちに、いつの間にか彼の高柳との間答――『懇意でも有ません、関係は有ません、何にも私は知りません』と三度迄も心を偽つて、師とも頼み恩人とも思ふ彼の蓮太郎と自分とは、全く、赤の他人のやうに言消して了つたことを思出した。『先生、許して下さい。』斯(か)う詑(わ)びるやうに言つて、軈(やが)て復(ま)た新聞を取上げた。
 漠然(ばくぜん)とした恐怖(おそれ)の情は絶えず丑松の心を刺激して、先輩に就いての記事を読み乍らも、唯もう自分の一生のことばかり考へつゞけたのであつた。其から其へと辿つて反省すると、丑松は今、容易ならぬ位置に立つて居るといふことを感ずる。さしかゝつた斯の大きな問題を何とか為なければ――左様(さう)だ、何とか斯(こ)の思想(かんがへ)を纏めなければ、一切の他の事は手にも着かないやうに思はれた。
『さて――奈何(どう)する。』
 斯う自分で自分に尋ねた時は、丑松はもう茫然(ばうぜん)として了(しま)つて、其答を考へることが出来なかつた。
『瀬川君、何を君は御読みですか。』
 と唐突(だしぬけ)に背後(うしろ)から声を掛けた人がある。思はず丑松は顔色を変へた。見れば校長で、何か穿鑿(さぐり)を入れるやうな目付して、何時の間にか腰掛のところへ来て佇立(たゝず)んで居た。
『今――新聞を読んで居たところです。』と丑松は何気ない様子を取装(とりつくろ)つて言つた。
『新聞を?』と校長は不思議さうに丑松の顔を眺めて、『へえ、何か面白い記事(こと)でも有ますかね。』
『ナニ、何でも無いんです。』
 暫時(しばらく)二人は無言であつた。校長は窓の方へ行つて、玻璃越(ガラスご)しに空の模様を覗(のぞ)いて見て、
『瀬川君、奈何でせう、斯の御天気は。』
『左様ですなあ――』
 斯ういふ言葉を取交し乍ら、二人は一緒に講堂を出た。並んで階段を下りる間にも、何となく丑松は胸騒ぎがして、言ふに言はれぬ不快な心地(こゝろもち)に成るのであつた。
 邪推かは知らないが、どうも斯(こ)の校長の態度(しむけ)が変つた。妙に冷淡(しら/″\)しく成つた。いや、冷淡しいばかりでは無い、可厭(いや)に神経質な鼻でもつて、自分の隠して居る秘密を嗅ぐかのやうにも感ぜらるゝ。『や?』と猜疑深(うたぐりぶか)い心で先方(さき)の様子を推量して見ると、さあ、丑松は斯の校長と一緒に並んで歩くことすら堪へ難い。どうかすると階段を下りる拍子に、二人の肩と肩とが触合(すれあ)ふこともある。冷(つめた)い戦慄(みぶるひ)は丑松の身体を通して流れ下るのであつた。
 小使が振鳴らす最終(をはり)の鈴の音は、其時、校内に響き渡つた。そここゝの教室の戸を開けて、後から/\押して出て来る少年の群は、長い廊下に満ち溢(あふ)れた。丑松は校長の側を離れて、急いで斯の少年の群に交つた。
 やがて生徒は雪道の中を帰つて行つた。いづれも学問する児童(こども)らしい顔付の殊勝さ。弁当箱を振廻して行くもあれば、風呂敷包を頭の上に戴(の)せて行くもある。十露盤(そろばん)小脇に擁(かゝ)へ、上草履提げ、口笛を吹くやら、唱歌を歌ふやら。呼ぶ声、叫ぶ声は、犬の鳴声に交つて、午後の空気に響いて騒しく聞える、中には下駄の鼻緒を切らして、素足で飛んで行く女の児もあつた。
 不安と恐怖との念(おもひ)を抱き乍ら、丑松も生徒の後に随いて、学校の門を出た。斯(か)うしてこの無邪気な少年の群を眺めるといふことが、既にもう丑松の身に取つては堪へがたい身の苦痛(くるしみ)を感ずる媒(なかだち)とも成るので有る。
『省吾さん、今御帰り?』
 斯う丑松は言葉を掛けた。
『はあ。』と省吾は笑つて、『私(わし)も後刻(あと)で蓮華寺へ行きやすよ、姉さんが来ても可(いゝ)と言ひやしたから。』
『むゝ――今夜は御説教があるんでしたツけねえ。』
 と思出したやうに言つた。暫時(しばらく)丑松は可懐(なつか)しさうに、駈出して行く省吾の後姿を見送りながら立つた。雪の大路の光景(ありさま)は、丁度、眼前(めのまへ)に展(ひら)けて、用事ありげな人々が往つたり来たりして居る。急に烈しい眩暈(めまひ)に襲(おそ)はれて、丑松は其処へ仆(たふ)れかゝりさうに成つた。其時、誰か斯(か)う背後(うしろ)から追迫つて来て、自分を捕(つかま)へようとして、突然(だしぬけ)に『やい、調里坊(てうりツぱう)』とでも言ふかのやうに思はれた。斯う疑へば恐しくなつて、背後を振返つて見ずには居られなかつたのである――あゝ、誰が其様なところに居よう。丑松は自分を嘲(あざけ)つたり励ましたりした。


   第拾五章

       (一)

 酷烈(はげ)しい、犯し難い社会(よのなか)の威力(ちから)は、次第に、丑松の身に迫つて来るやうに思はれた。学校から帰へつて、蓮華寺の二階へ上つた時も、風呂敷包をそこへ投出(はふりだ)す、羽織袴を脱捨てる、直に丑松は畳の上に倒れて、放肆(ほしいまゝ)な絶望に埋没(うづも)れるの外は無かつた。眠るでも無く、考へるでも無く、丁度無感覚な人のやうに成つて、長いこと身動きも為(せ)ずに居たが、軈(やが)て起直つて部屋の内を眺め廻した。
 楽しさうな笑声が、蔵裏(くり)の下座敷の方から、とぎれ/\に聞えた。聞くとも無しに聞耳を立てると、其日も亦(ま)た文平がやつて来て、人々を笑はせて居るらしい。あの邪気(あどけ)ない、制(おさ)へても制へきれないやうな笑声は、と聞くと、省吾は最早(もう)遊びに来て居るものと見える。時々若い女の声も混つた――あゝ、お志保だ。斯(か)う聞き澄まして、丑松は自分の部屋の内を歩いて見た。
『先生。』
 と声を掛けて、急に入つて来たのは省吾である。
 丁度、階下(した)では茶を入れたので、丑松にも話しに来ないか、と省吾は言付けられて来た。聞いて見ると、奥様やお志保は下座敷に集つて、そこへ庄馬鹿までやつて来て居る。可笑(をか)しい話が始つたので、人々は皆な笑ひ転げて、中にはもう泣いたものが有るとのこと。
『あの、勝野先生も来て居なさりやすよ。』
 と省吾は添付(つけた)して言つた。
『左様(さう)? 勝野君も?』と丑松は徴笑み乍ら答へた。遽然(にはかに)、心の底から閃めいたやうに、憎悪(にくしみ)の表情が丑松の顔に上つた。尤(もつと)も直に其は消えて隠れて了つたのである。
『さあ――私(わし)と一緒に早く来なされ。』
『今直に後から行きますよ。』
 とは言つたものゝ、実は丑松は行きたくないのであつた。『早く』を言ひ捨てゝ、ぷいと省吾は出て行つて了つた。
 楽しさうな笑声が、復(ま)た、起つた。蔵裏の下座敷――それはもう目に見ないでも、斯(か)うして声を聞いたばかりで、人々の光景(ありさま)が手に取るやうに解る。何もかも丑松は想像することが出来た。定めし、奥様は何か心に苦にすることがあつて、其を忘れる為にわざ/\面白可笑(をか)しく取做(とりな)して、それで彼様(あん)な男のやうな声を出して笑ふのであらう。定めし、お志保は部屋を出たり入つたりして、茶の道具を持つて来たり、其を入れて人々に薦(すゝ)めたり、又は奥様の側に倚添(よりそ)ひ乍ら談話(はなし)を聞いて微笑(ほゝゑ)んで居るのであらう。定めし、文平は婦人(をんな)子供(こども)と見て思ひ侮(あなど)つて、自分独りが男ででも有るかのやうに、可厭(いや)に容子(ようす)を売つて居ることであらう。嘸(さぞ)。そればかりでは無い、必定(きつと)また人のことを何とかかんとか――あゝ、あゝ、素性(うまれ)が素性なら、誰が彼様な男なぞの身の上を羨まう。
 現世の歓楽を慕ふ心は、今、丑松の胸を衝いてむら/\と湧き上つた。捨てられ、卑(いや)しめられ、爪弾(つまはじ)きせられ、同じ人間の仲間入すら出来ないやうな、つたない同族の運命を考へれば考へるほど、猶々(なほ/\)斯の若い生命(いのち)が惜まるゝ。
『何故、先生は来なさらないですか。』
 斯(か)う言ひ乍ら、軈(やが)て復(ま)た迎へにやつて来たのは省吾である。
 あまり邪気(あどけ)ないことを言つて督促(せきた)てるので、丑松は斯の少年を慫慂(そゝの)かして、いつそ本堂の方へ連れて行かうと考へた。部屋を出て、楼梯(はしごだん)を下りると、蔵裏から本堂へ通ふ廊下は二つに別れる。裏庭に近い方を行けば、是非とも下座敷の側を通らなければならない。其処には文平が話しこんで居るのだ。丑松は表側の廊下を通ることにした。

       (二)

 古い僧坊は廊下の右側に並んで、障子越しに話声なぞの泄(も)れて聞えるは、下宿する人が有ると見える。是寺(このてら)の広く複雑(こみい)つた構造(たてかた)といつたら、何処(どこ)に奈何(どう)いふ人が泊つて居るか、其すら克(よ)くは解らない程。平素(ふだん)は何の役にも立ちさうも無い、陰気な明間がいくつとなく有る。斯うして省吾と連立つて、細長い廊下を通る間にも、朽ち衰へた精舎(しようじや)の気は何となく丑松の胸に迫るのであつた。壁は暗く、柱は煤け、大きな板戸を彩色(いろど)つた古画の絵具も剥落ちて居た。
 斯の廊下が裏側の廊下に接(つゞ)いて、丁度本堂へ曲らうとする角のところで、急に背後(うしろ)の方から人の来る気勢(けはひ)がした。思はず丑松は振返つた。省吾も。見ればお志保で、何か用事ありげに駈寄つて、未だ物を言はない先からもう顔を真紅(まつか)にしたのである。
『あの――』とお志保は艶のある清(すゞ)しい眸(ひとみ)を輝かした。『先程は、弟が結構なものを頂きましたさうで。』
 斯う礼を述べ乍ら、其口唇(くちびる)で嬉しさうに微笑(ほゝゑ)んで見せた。
 其時奥様の呼ぶ声が聞えた。逸早(いちはや)くお志保は聞きつけて、一寸耳を澄まして居ると、『あれ、姉さん、呼んでやすよ。』と省吾も姉の顔を見上げた。復た呼ぶ声が聞える。驚いたやうに引返して行くお志保の後姿を見送つて、軈て省吾を導いて、丑松は本堂の扉(ひらき)を開けて入つた。
 あゝ、精舎の静寂(しづか)さ――丁度其は古蹟の内を歩むと同じやうな心地(こゝろもち)がする。円(まる)い塗柱に懸かる時計の針の刻々をきざむより外には、斯(こ)の高く暗い天井の下に、一つとして音のするものは無かつた。身に沁み入るやうな沈黙は、そこにも、こゝにも、隠れ潜んで居るかのやう。目に入るものは、何もかも――錆(さび)を帯びた金色(こんじき)の仏壇、生気の無い蓮(はす)の造花(つくりばな)、人の空想を誘ふやうな天界(てんがい)の女人(によにん)の壁に画(か)かれた形像(かたち)、すべてそれらのものは過去(すぎさ)つた時代の光華(ひかり)と衰頽(おとろへ)とを語るのであつた。丑松は省吾と一緒に内陣迄も深く上つて、仏壇のかげにある昔の聖僧達の画像の前を歩いた。
『省吾さん。』と丑松は少年の横顔を熟視(まも)り乍ら、『君はねえ、家眷(うち)の人の中で誰が一番好きなんですか――父さんですか、母さんですか。』
 省吾は答へなかつた。
『当てゝ見ませうか。』と丑松は笑つて、『父さんでせう?』
『いゝえ。』
『ホウ、父さんぢや無いですか。』
『だつて、父さんはお酒ばかり飲んでゝ――』
『そんなら君、誰が好きなんですか。』
『まあ、私(わし)は――姉さんでごはす。』
『姉さん? 左様かねえ、君は姉さんが一番好いかねえ。』
『私は、姉さんには、何でも話しやすよ、へえ父さんや母さんには話さないやうなことでも。』
 斯(か)う言つて、省吾は何の意味もなく笑つた。
 北の小座敷には古い涅槃(ねはん)の図が掛けてあつた。普通の寺によくある斯の宗教画は大抵模倣(うつし)の模倣で、戯曲(しばゐ)がゝりの配置(くみあはせ)とか、無意味な彩色(いろどり)とか、又は熱帯の自然と何の関係も無いやうな背景とか、そんなことより外(ほか)に是(これ)ぞと言つて特色(とりえ)の有るものは鮮少(すくな)い。斯(こ)の寺のも矢張同じ型ではあつたが、多少創意のある画家(ゑかき)の筆に成つたものと見えて、ありふれた図に比べると余程活々(いき/\)して居た。まあ、宗教(をしへ)の方の情熱が籠るとは見えない迄も、何となく人の心を□(ひきつ)ける樸実(まじめ)なところがあつた。流石(さすが)、省吾は未だ子供のことで、其禽獣(とりけもの)の悲嘆(なげき)の光景(さま)を見ても、丁度お伽話(とぎばなし)を絵で眺めるやうに、別に不思議がるでも無く、驚くでも無い。無邪気な少年はたゞ釈迦(しやか)の死を見て笑つた。
『あゝ。』と丑松は深い溜息を吐(つ)いて、『省吾さんなぞは未だ死ぬといふことを考へたことが有ますまいねえ。』
『私(わし)がでごはすか。』と省吾は丑松の顔を見上げる。
『さうさ――君がサ。』
『はゝゝゝゝ。ごはせんなあ、其様(そん)なことは。』
『左様だらうねえ。君等の時代に其様なことを考へるやうなものは有ますまいねえ。』
『ふゝ。』と省吾は思出したやうに笑つて、『お志保姉さんも克(よ)く其様なことを言ひやすよ。』
『姉さんも?』と丑松は熱心な眸を注いだ。
『はあ、あの姉さんは妙なことを言ふ人で、へえもう死んで了ひたいの、誰(だあれ)も居ないやうな処へ行つて大きな声を出して泣いて見たいのツて――まあ、奈何(どう)して其様な気になるだらず。』
 斯う言つて、省吾は小首を傾(かし)げて、一寸口笛吹く真似をした。
 間も無く省吾は出て行つた。丑松は唯単独(ひとり)になつた。急に本堂の内部(なか)は□(しん)として、種々(さま/″\)の意味ありげな装飾が一層無言のなかに沈んだやうに見える。深い天井の下に、いつまでも変らずにある真鍮(しんちゆう)の香炉、花立、燈明皿――そんな性命(いのち)の無い道具まで、何となく斯う寂寞(じやくまく)な瞑想(めいさう)に耽つて居るやうで、仏壇に立つ観音(くわんおん)の彫像は慈悲といふよりは寧(むし)ろ沈黙の化身(けしん)のやうに輝いた。斯ういふ静寂(しづか)な、世離れたところに立つて、其人のことを想(おも)ひ浮べて見ると、丁度古蹟を飾る花草のやうな気がする。丑松は、血の湧く思を抱き乍ら、円い柱と柱との間を往つたり来たりした。
『お志保さん、お志保さん。』
 あてども無く口の中で呼んで見たのである。
 いつの間には四壁(そこいら)は暗くなつて来た。青白い黄昏時(たそがれどき)の光は薄明く障子に映つて、本堂の正面の方から射しこんだので、柱と柱との影は長く畳の上へ引いた。倦(う)み、困(くるし)み、疲れた冬の一日(ひとひ)は次第に暮れて行くのである。其時白衣(びやくえ)を着けた二人の僧が入つて来た。一人は住職、一人は寺内の若僧であつた。灯(あかし)は奥深く点(つ)いて、あそこにも、こゝにも、と見て居るうちに、六挺ばかりの蝋燭(らふそく)が順序よく並んで燃(とぼ)る。仏壇を斜に、内陣の角のところに座を占めて、金泥(きんでい)の柱の側に掌(て)を合はせたは、住職。一段低い外陣に引下つて、反対の側にかしこまつたは、若僧。やがて鉦(かね)の音が荘厳(おごそか)に響き渡る。合唱の声は起つた。
『なむからかんのう、とらやあ、やあ――』
 宵(よひ)の勤行(おつとめ)が始つたのである。
 あゝ、寂しい夕暮もあればあるもの。丑松は北の間の柱に倚凭(よりかゝ)り乍ら、目を瞑(つぶ)り、頭をつけて、深く/\思ひ沈んで居た。『若(も)し自分の素性がお志保の耳に入つたら――』其を考へると、つく/″\穢多の生命(いのち)の味気なさを感ずる。漠然とした死滅の思想は、人懐しさの情に混つて、烈しく胸中を往来し始めた。熾盛(さかん)な青春の時代(ときよ)に逢ひ乍ら、今迄経験(であ)つたことも無ければ翹望(のぞ)んだことも無い世の苦といふものを覚えるやうに成つたか、と考へると、左様(さう)いふ思想(かんがへ)を起したことすら既にもう切なく可傷(いたま)しく思はれるのであつた。冷(つめた)い空気に交る香の煙のにほひは、斯の夕暮に一層のあはれを添へて、哀(かな)しいとも、堪へがたいとも、名のつけやうが無い。遽然(にはかに)、二人の僧の声が絶えたので、心づいて眺めた時は、丁度読経(どきやう)を終つて仏の名を称(とな)へるところ。間も無く住職は珠数(ずゝ)を手にして柱の側を離れた。若僧は未(ま)だ同じ場処に留つた。丑松は眺め入つた――高らかに節つけて読む高祖の遺訓の終る迄(まで)も――其文章を押頂いて、軈(やが)て若僧の立上る迄も――終(しまひ)には、蝋燭の灯が一つ/\吹消されて、仏前の燈明ばかり仄(ほの)かに残り照らす迄も。

       (三)

 夕飯の後、蓮華寺では説教の準備(したく)を為るので多忙(いそが)しかつた。昔からの習慣(ならはし)として、定紋つけた大提灯(おほぢやうちん)がいくつとなく取出された。寺内の若僧、庄馬鹿、子坊主まで聚(よ)つて会(たか)つて、火を点(とも)して、其を本堂へと持運ぶ。三人はその為に長い廊下を往つたり来たりした。
 説教聞きにとこゝろざす人々は次第に本堂へ集つて来た。是寺に附く檀家(だんか)のものは言ふも更(さら)なり、其と聞伝へたかぎりは誘ひ合せて詰掛ける。既にもう一生の行程(つとめ)を終つた爺さん婆さんの群ばかりで無く、随分種々(さま/″\)の繁忙(せは)しい職業に従ふ人々まで、其を聴かうとして熱心に集ふのを見ても、いかに斯の飯山の町が昔風の宗教と信仰との土地であるかを想像させる。聖経(おきやう)の中にある有名な文句、比喩(たとへ)なぞが、普通の人の会話に交るのは珍しくも無い。娘の連はいづれも美しい珠数の袋を懐にして、蓮華寺へと先を争ふのであつた。
 それは丑松の身に取つて、最も楽しい、又最も哀しい寺住(てらずみ)の一夜であつた。どんなに丑松は胸を踊らせて、お志保と一緒に説教聞く歓楽(たのしみ)を想像したらう。あゝ、斯ういふ晩にあたつて、自分が穢多であるといふことを考へたほど、切ない思を為たためしは無い。奥様を始め、お志保、省吾なぞは既に本堂へ上つて、北の間の隅のところに集つて居た。見れば中の間から南の間へかけて、男女(をとこをんな)の信徒、あそこに一団(ひとかたまり)、こゝにも一団、思ひ/\に挨拶したり話したりする声は、忍んではするものゝ、何となく賑に面白く聞える。庄馬鹿が、自慢の羽織を折目正しく着飾つて、是見(これみ)よがしに人々のなかを分けて歩くのも、をかしかつた。其取澄ました様子を見て、奥様も笑へば、お志保も笑つた。丁度丑松の座つたところは、永代読経として寄附の金高と姓名とを張出してある古壁の側、お志保も近くて、髪の香が心地よくかをりかゝる。提灯の影は花やかに本堂の夜の空気を照らして、一層その横顔を若々しくして見せた。何といふ親しげな有様だらう、あの省吾を背後(うしろ)から抱いて、すこし微笑(ほゝゑ)んで居る姉らしい姿は。斯う考へて、丑松はお志保の方を熟視(みまも)る度(たび)に、言ふに言はれぬ楽しさを覚えるのであつた。
 説教の始まるには未だ少許(すこし)間が有つた。其時文平もやつて来て、先づ奥様に挨拶し、お志保に挨拶し、省吾に挨拶し、それから丑松に挨拶した。あゝ、嫌な奴が来た、と心に思ふばかりでも、丑松の空想は忽ち掻乱(かきみだ)されて、慄(ぞつ)とするやうな現実の世界へ帰るさへあるに、加之(おまけに)、文平が忸々敷(なれ/\し)い調子で奥様に話しかけたり、お志保や省吾を笑はせたりするのを見ると、丑松はもう腹立たしく成る。斯うした女子供のなかで談話(はなし)をさせると、実に文平は調子づいて来る男で、一寸したことをいかにも尤(もつと)もらしく言ひこなして聞かせる。それに、この男の巧者なことには、妙に人懐(ひとなつ)こい、女の心を□(ひきつ)けるやうなところが有つて、正味自分の価値(ねうち)よりは其を二倍にも三倍にもして見せた。万事深く蔵(つゝ)んで居るやうな丑松に比べると、親切は反(かへ)つて文平の方にあるかと思はせる位。丑松は別に誰の機嫌を取るでも無かつた――いや、省吾の方には優(やさ)しくしても、お志保に対する素振を見ると寧(いつ)そ冷淡(つれない)としか受取れなかつたのである。
『瀬川君、奈何(どう)です、今日の長野新聞は。』
 と文平は低声(こごゑ)で誘(かま)をかけるやうに言出した。
『長野新聞?』と丑松は考深い目付をして、『今日は未だ読んで見ません。』
『そいつは不思議だ――君が読まないといふのは不思議だ。』
『何故(なぜ)?』
『だつて、君のやうに猪子先生を崇拝して居ながら、あの演説の筆記を読まないといふのは不思議だからサ。まあ、是非読んで見たまへ。それに、あの新聞の評が面白い。猪子先生のことを、「新平民中の獅子」だなんて――巧いことを言ふ記者が居るぢやあないか。』
 斯う口では言ふものゝ、文平の腹の中では何を考へて居るか、と丑松は深く先方(さき)の様子を疑つた。お志保はまた熱心に耳を傾けて、二人の顔を見比べて居たのである。
『猪子先生の議論は兎(と)に角(かく)、あの意気には感服するよ。』と文平は言葉を継いで、『あの演説の筆記を見たら、猪子先生の書いたものを読んで見たくなつた。まあ君は審(くは)しいと思ふから、其で聞くんだが、あの先生の著述では何が一番傑作と言はれるのかね。』
『どうも僕には解らないねえ。』斯う丑松は答へた。
『いや、戯語(じようだん)ぢや無いよ――実際、君、僕は穢多といふものに興味を持つて来た。あの先生のやうな人物が出るんだから、確に研究して見る価値(ねうち)は有るに相違ない。まあ、君だつても、其で「懴悔録」なぞを読む気に成つたんだらう。』と文平は嘲(あざけ)るやうな語気で言つた。
 丑松は笑つて答へなかつた。流石(さすが)にお志保の居る側で、穢多といふ言葉が繰返された時は、丑松はもう顔色を変へて、自分で自分を制へることが出来なかつたのである。怒気(いかり)と畏怖(おそれ)とはかはる/″\丑松の口唇(くちびる)に浮んだ。文平は又、鋭い目付をして、其微細な表情までも見泄(みも)らすまいとする。『御気の毒だが――左様(さう)君のやうに隠したつても無駄だよ』と斯う文平の目が言ふやうにも見えた。
『瀬川君、何か君のところには彼の先生のものが有るだらう。何でも好いから僕に一冊貸して呉れ給へな。』
『無いよ――何にも僕のところには無いよ。』
『無い? 無いツてことがあるものか。君の許(ところ)に無いツてことがあるものか。なにも左様(さう)隠さないで、一冊位貸して呉れたつて好ささうなものぢやないか。』
『いや、僕は隠しやしない。無いから無いと言ふんさ。』
 遽然(にはかに)、蓮華寺の住職が説教の座へ上つたので、二人はそれぎり口を噤んで了つた。人々はいづれも座(すわ)り直したり、容(かたち)を改めたりした。

       (四)

 住職は奥様と同年(おないどし)といふ。男のことであるから割合に若々しく、墨染(すみぞめ)の法衣(ころも)に金襴(きんらん)の袈裟(けさ)を掛け、外陣の講座の上に顕はれたところは、佐久小県辺(さくちひさがたあたり)に多い世間的な僧侶に比べると、遙(はる)かに高尚な宗教生活を送つて来た人らしい。額広く、鼻隆く、眉すこし迫つて、容貌(おもばせ)もなか/\立派な上に、温和な、善良な、且つ才智のある性質を好く表して居る。法話の第一部は猿の比喩(たとへ)で始まつた。智識のある猿は世に知らないといふことが無い。よく学び、よく覚え、殊に多くの経文を暗誦して、万人の師匠とも成るべき程の学問を蓄はへた。畜生の悲しさには、唯だ一つ信ずる力を欠いた。人は、よし是猿ほどの智識が無いにもせよ、信ずる力あつて、はじめて凡夫も仏の境には到り得る。なんと各々位(おの/\がた)、合点か。人間と生れた宿世(すくせ)のありがたさを考へて、朝夕念仏を怠り給ふな。斯(か)う住職は説出したのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 と人々の唱へる声は本堂の広間に満ち溢れた。男も、女も、懐中(ふところ)から紙入を取出して、思ひ/\に賽銭(さいせん)を畳の上へ置くのであつた。
 法話の第二部は、昔の飯山の城主、松平遠江守の事蹟を材(たね)に取つた。そも/\飯山が仏教の地と成つたは、斯の先祖の時代からである。火のやうな守(かみ)の宗教心は未だ年若な頃からして燃えた。丁度江戸表へ参勤の時のこと、日頃欝積(むすぼ)れて解けない胸中の疑問を人々に尋ね試みたことがある。『人は死んで、畢竟(つまり)奈何(どう)なる。』侍臣も、儒者も、斯問(このとひ)には答へることが出来なかつた。林大学(だいがく)の頭(かみ)に尋ねた。大学の頭ですらも。それから守は宗教に志し、渋谷の僧に就いて道を聞き、領地をば甥(をひ)に譲り、六年目の暁に出家して、飯山にある仏教の先祖(おや)と成つたといふ。なんと斯発心(ほつしん)の歴史は味(あぢはひ)のある話ではないか。世の多くの学者が答へることの出来ない、其難問に答へ得るものは、信心あるものより外に無い。斯う住職は説き進んだのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 一斉に唱へる声は風のやうに起つた。人々は復(ま)た賽銭を取出して並べた。
 斯ういふ説教の間にも、時々丑松は我を忘れて、熱心な眸(ひとみ)をお志保の横顔に注いだ。流石(さすが)に人目を憚(はゞか)つて見まい/\と思ひ乍らも、つい見ると、仏壇の方を眺め入つたお志保の目付の若々しさ。不思議なことには、熱い涙が人知れず其顔を流れるといふ様子で、時々啜(すゝ)り上げたり、密(そつ)と鼻を拭(か)んだりした。尚よく見ると、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)と悲愁(うれひ)とが女らしい愛らしさに交つて、陰影(かげ)のやうに顕(あらは)れたり、隠れたりする。何をお志保は考へたのだらう。何を感じたのだらう。何を思出したのだらう。斯(か)う丑松は推量した。今夜の法話が左様(さう)若い人の心を動かすとも受取れない。有体(ありてい)に言へば、住職の説教はもう旧(ふる)い、旧い遣方で、明治生れの人間の耳には寧(いつ)そ異様に響くのである。型に入つた仮白(せりふ)のやうな言廻し、秩序の無い断片的な思想、金色に光り輝く仏壇の背景――丁度それは時代な劇(しばゐ)でも観て居るかのやうな感想(かんじ)を与へる。若いものが彼様(あゝ)いふ話を聴いて、其程胸を打たれようとは、奈何(どう)しても思はれなかつたのである。
 省吾はそろ/\眠くなつたと見え、姉に倚凭(よりかゝ)つた儘(まゝ)、首を垂れて了(しま)つた。お志保はいろ/\に取賺(とりすか)して、動(ゆす)つて見たり、私語(さゝや)いて見たりしたが、一向に感覚が無いらしい。
『これ――もうすこし起きておいでなさいよ。他様(ひとさま)が見て笑ふぢや有(あり)ませんか。』と叱るやうに言つた。奥様は引取つて、
『其処へ寝かして置くが可(いゝ)やね。ナニ、子供のことだもの。』
『真実(ほんと)に未(ま)だ児童(ねんねえ)で仕方が有ません。』
 斯う言つて、お志保は省吾を抱直した。殆んど省吾は何にも知らないらしい。其時丑松が顔を差出したので、お志保も是方(こちら)を振向いた。お志保は文平を見て、奥様を見て、それから丑松を見て、紅(あか)くなつた。

       (五)

 法話の第三部は白隠に関する伝説を主にしたものであつた。昔、飯山の正受菴(しやうじゆあん)に恵端禅師といふ高僧が住んだ。白隠が斯の人を尋ねて、飯山へやつて来たのは、まだ道を求めて居る頃。参禅して教を聴く積りで、来て見ると、掻集めた木葉(このは)を背負ひ乍らとぼ/\と谷間(たにあひ)を帰つて来る人がある。散切頭(ざんぎりあたま)に、髯(ひげ)茫々(ばう/\)。それと見た白隠は切込んで行つた。『そもさん。』斯(か)ういふ熱心は、漸(やうや)く三回目に、恵端の為に認められたといふ。それから朝夕師として侍(かしづ)いて居たが、さて終(しまひ)には、白隠も問答に究して了(しま)つた。究するといふよりは、絶望して了つた。あゝ、彼様(あん)な問を出すのは狂人(きちがひ)だ、と斯う師匠のことを考へるやうに成つて、苦しさのあまりに其処を飛出したのである。思案に暮れ乍ら、白隠は飯山の町はづれを辿つた。丁度収穫(とりいれ)の頃で、堆高(うづだか)く積上げた穀物の傍に仆(たふ)れて居ると、農夫の打つ槌(つち)は誤つて斯(こ)の求道者を絶息させた。夜露が口に入る、目が覚める、蘇生(いきかへ)ると同時に、白隠は悟つた。一説に、彼は町はづれで油売に衝当(つきあた)つて、其油に滑つて、悟つたともいふ。静観庵(じやうくわんあん)として今日迄残つて居るのは、この白隠の大悟した場処を記念する為に建てられたものである。
 斯の伝説は兎(と)に角(かく)若いものゝ知らないことであつた。それから自分の意見を述べて、いよ/\結末(くゝり)といふ段になると、毎時(いつも)住職は同じやうな説教の型に陥る。自力で道に入るといふことは、白隠のやうな人物ですら容易で無い。吾他力宗は単純(ひとへ)に頼むのだ。信ずるのだ。導かれるのだ。凡夫の身をもつて達するのだ。呉々も自己(おのれ)を捨てゝ、阿弥陀如来(あみだによらい)を頼み奉るの外は無い。斯う住職は説き終つた。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 と人々の唱へる声は暫時(しばらく)止まなかつた。多くの賽銭はまた畳の上に集つた。お志保も殊勝らしく掌(て)を合せて、奥様と一緒に唱へて居たが、涙は其若い頬を伝つて絶間(とめど)も無く流れ落ちたのである。
 やがて聴衆は珠数を提(さ)げて帰つて行つた。奥様も、お志保も、今は座を離れて、円柱の側に佇立(たゝず)み乍ら、人々に挨拶したり見送つたりした。雪がまた降つて来たといふので、本堂の入口は酷(ひど)く雑踏する。女連は多く後になつた。殊に思ひ/\の風俗して、時の流行(はやり)に後れまいとする町の娘の有様は、深く/\お志保の注意を引くのであつた。お志保は熟(じつ)と眺め入り乍ら、寺住の身と思比べて居たらしいのである。
『や、どうも今晩の御説教には驚きましたねえ。』と文平は住職に近いて言つた。『実に彼の白隠の歴史には感服して了ひました。まあ、始めてです、彼様(あゝ)いふ御話を伺つたことは。あの白隠が恵端禅師の許(ところ)へ尋ねて行く。あそこのところが私は気に入りました。斯う向ふの方から、掻集めた木葉を背負ひ乍ら、散切頭に髯茫々といふ姿で、とぼ/\と谷間を帰つて来る人がある。そこへ白隠が切込んで行つた。「そもさん。」――彼様(あゝ)いかなければ不可(いけ)ませんねえ。』と身振手真似を加へて喋舌(しやべ)りたてたので、住職はもとより、其を聞く人々は笑はずに居られなかつた。さうかうする中に、聴衆は最早(もう)悉皆(すつかり)帰つて了ふ。急に本堂の内は寂しく成る。若僧や子坊主は多忙(いそが)しさうに後片付。庄馬鹿は腰を曲(こゞ)め乍ら、畳の上の賽銭を掻集めて歩いた。
 其時は最早(もう)丑松の姿が本堂の内に見えなかつた。丑松は省吾を連れて、蔵裏の方へ見送つて行つてやつた。丁度文平が奥様やお志保の側で盛んに火花を散らして居る間に、丑松は黙つて省吾を慰撫(いたは)つたり、人の知らない面倒を見て遣つたりして居たのである。


   第拾六章

       (一)

 次第に丑松は学校へ出勤するのが苦しく成つて来た。ある日、あまりの堪へがたさに、欠席の届を差出した。其朝は遅くまで寝て居た。八時打ち、九時打ち、軈(やが)て十時打つても、まだ丑松は寝て居た。窓の障子(しやうじ)は冬の日をうけて、其光が部屋の内へ射しこんで来たのに、丑松は枕頭(まくらもと)を照らされても、まだそれでも起きることが出来なかつた。下女の袈裟治は部屋々々の掃除を済(す)まして、最早(もう)とつくに雑巾掛(ざふきんがけ)まで為(し)て了(しま)つた。幾度か二階へも上つて来て見た。来て見ると、丑松は疲れて、蒼(あを)ざめて、丁度酣酔(たべすご)した人のやうに、寝床の上に倒れて居る。枕頭は取散らした儘(まゝ)。あちらの隅に書物、こちらの隅に風呂敷包、すべて斯の部屋の内に在る道具といへば、各自(めい/\)勝手に乗出して踊つたり跳ねたりした後のやうで、其乱雑な光景(ありさま)は部屋の主人の心の内部(なか)を克(よ)く想像させる。軈てまた袈裟治が湯沸(ゆわかし)を提げて入つて来た時、漸(やうや)く丑松は起上つて、茫然(ぼんやり)と寝床の上に座つて居た。寝過ぎと衰弱(おとろへ)とから、恐しい苦痛の色を顔に表して、半分は未だ眠り乍ら其処に座つて居るかのやう。『御飯を持つて来ませうか。』斯う袈裟治が聞いて見ても、丑松は食ふ気に成らなかつたのである。
『あゝ、気分が悪くて居なさると見える。』
 と独語(ひとりごと)のやうに言ひ乍ら、袈裟治は出て行つた。
 それは北国の冬らしい、寂しい日であつた。ちひさな冬の蠅は斯の部屋の内に残つて、窓の障子をめがけては、あちこち/\と天井の下を飛びちがつて居た。丑松が未だ斯の寺へ引越して来ないで、あの鷹匠町の下宿に居た頃は、煩(うるさ)いほど沢山蠅の群が集つて、何処(どこ)から塵埃(ほこり)と一緒に舞込んで来たかと思はれるやうに、鴨居だけばかりのところを組(く)んづ離(ほぐ)れつしたのであつた。思へば秋風を知つて、短い生命(いのち)を急いだのであらう。今は僅かに生残つたのが斯うして目につく程の季節と成つた。丑松は眺め入つた。眺め入り乍ら、十二月の近いたことを思ひ浮べたのである。
 斯(か)うして、働けば働ける身をもつて、何(なんに)も為(せ)ずに考へて居るといふことは、決して楽では無い。官費の教育を享(う)けたかはりに、長い義務年限が纏綿(つきまと)つて、否でも応でも其間厳重な規則に服従(したが)はなければならぬ、といふことは――無論、丑松も承知して居る。承知して居乍ら、働く気が無くなつて了つた。噫(あゝ)、朝寝の床は絶望した人を葬る墓のやうなもので有らう。丑松は復たそこへ倒れて、深い睡眠(ねむり)に陥入(おちい)つた。

       (二)

『瀬川先生、御客様でやすよ。』
 と喚起(よびおこ)す袈裟治の声に驚かされて、丑松は銀之助が来たことを知つた。銀之助ばかりでは無い、例の準教員も勤務(つとめ)の儘の服装(みなり)でやつて来た。其日は、地方を巡回して歩く休職の大尉とやらが軍事思想の普及を計る為、学校の生徒一同に談話(はなし)をして聞かせるとかで、午後の課業が休みと成つたから、一寸暇を見て尋ねて来たといふ。丑松は寝床の上に起直つて、半ば夢のやうに友達の顔を眺めた。
『君――寝て居たまへな。』
 斯う銀之助は無造作な調子で言つた。真実丑松をいたはるといふ心が斯(この)友達の顔色に表れる。丑松は掛蒲団の上にある白い毛布を取つて、丁度褞袍(どてら)を着たやうな具合に、其を身に纏(まと)ひ乍ら、
『失敬するよ、僕は斯様(こん)なものを着て居るから。ナニ、君、其様(そんな)に酷(ひど)く不良(わる)くも無いんだから。』
『風邪(かぜ)ですか。』と準教員は丑松の顔を熟視(みまも)る。
『まあ、風邪だらうと思ふんです。昨夜から非常に頭が重くて、奈何(どう)しても今朝は起きることが出来ませんでした。』と丑松は準教員の方へ向いて言つた。
『道理で、顔色が悪い。』と銀之助は引取つて、『インフルヱンザが流行(はや)るといふから、気をつけ給へ。何か君、飲んで見たら奈何だい。焼味噌のすこし黒焦(くろこげ)に成つたやつを茶漬茶椀かなんかに入れて、そこへ熱湯(にえゆ)を注込(つぎこ)んで、二三杯もやつて見給へ。大抵の風邪は愈(なほ)つて了(しま)ふよ。』と言つて、すこし気を変へて、『や、好い物を持つて来て、出すのを忘れた――それ、御土産(おみやげ)だ。』
 斯(か)う言つて、風呂敷包の中から取出したのは、十一月分の月給。
『今日は君が出て来ないから、代理に受取つて置いた。』と銀之助は言葉を続けた。
『克(よ)く改めて見て呉れ給へ――まあ有る積りだがね。』
『それは難有う。』と丑松は袋入りの銀貨取混ぜて受取つて、『確に。して見ると今日は二十八日かねえ。僕はまた二十七日だとばかり思つて居た。』
『はゝゝゝゝ、月給取が日を忘れるやうぢやあ仕様が無い。』と銀之助は反返(そりかへ)つて笑つた。
『全く、僕は茫然(ぼんやり)して居た。』と丑松は自分で自分を励ますやうにして、『今月は君、小だらう。二十九、三十と、十一月も最早(もう)二日しか無いね。あゝ今年も僅かに成つたなあ。考へて見ると、うか/\して一年暮して了つた――まあ、僕なぞは何(なんに)も為なかつた。』
『誰だつて左様(さう)さ。』と銀之助も熱心に。
『君は好いよ。君はこれから農科大学の方へ行つて、自分の好きな研究が自由にやれるんだから。』
『時に、僕の送別会もね、生徒の方から明日にしたいと言出したが――』
『明日に?』
『しかし、君も斯うして寝て居るやうぢやあ――』
『なあに、最早愈(なほ)つたんだよ。明日は是非出掛ける。』
『はゝゝゝゝ、瀬川君の病気は不良(わる)くなるのも早いし、快(よ)くなるのも早い。まあ大病人のやうに呻吟(うな)つてるかと思ふと、また虚言(うそ)を言つたやうに愈(なほ)るから不思議さ――そりやあ、もう、毎時(いつも)御極りだ。それはさうと、斯うして一緒に馬鹿を言ふのも僅かに成つて来た。其内に御別れだ。』
『左様かねえ、君はもう行つて了ふかねえ。』
 斯ういふ言葉を取交して、二人は互に感慨に堪へないといふ様子であつた。其時迄、黙つて二人の談話(はなし)を聞いて、巻煙草ばかり燻(ふか)して居た準教員は、唐突(だしぬけ)に斯様(こん)なことを言出した。
『今日僕は妙なことを聞いて来た。学校の職員の中に一人新平民が隠れて居るなんて、其様(そん)なことを町の方で噂(うはさ)するものが有るさうだ。』

       (三)

『誰が其様なことを言出したんだらう。』と銀之助は準教員の方へ向いて言つた。
『誰が言出したか、其は僕も知らないがね。』と準教員はすこし困却(こま)つたやうな調子で、『要するに、人の噂に過ぎないんだらうと思ふんだ。』
『噂にもよりけりさ。其様なことを言はれちやあ、大に吾儕(われ/\)が迷惑するねえ。克(よ)く町の人は種々(いろ/\)なことを言触らす。やれ、女の教員が奈何(どう)したの、男の教員が斯様(かう)したのツて。何故(なぜ)、左様(さう)人の噂が為たいんだらう。そんなら、君、まあ学校の職員を数へて見給へ。穢多らしいやうな顔付のものが吾儕の中にあるかい。実に怪しからんことを言ふぢやないか――ねえ、瀬川君。』
 斯う言つて、銀之助は丑松の方を見た。丑松は無言で、白い毛布に身を包んだまゝ。
『はゝゝゝゝ。』と銀之助は笑ひ出した。『校長先生は随分几帳面(きちやうめん)な方だが、なんぼなんでも新平民とは思はれないし、と言つて、教員仲間に其様なものは見当りさうも無い。左様さなあ――いやに気取つてるのは勝野君だ――まあ、其様な嫌疑のかゝるのは勝野君位のものだ。』
『まさか。』と準教員も一緒になつて笑つた。
『そんなら、君、誰だと思ふ。』と銀之助は戯れるやうに、『さしづめ、君ぢやないか。』
『馬鹿なことを言ひ給へ。』と準教員はすこし憤然(むつ)とする。
『はゝゝゝゝ、君は直に左様(さう)怒(おこ)るから不可(いかん)。なにも君だと言つた訳では無いよ。真箇(ほんたう)に、君のやうな人には戯語(じようだん)も言へない。』
『しかし。』と準教員は真面目(まじめ)に成つて、『是(これ)がもし事実だと仮定すれば――』
『事実? 到底(たうてい)其様なことは有得べからざる事実だ。』と銀之助は聞入れなかつた。『何故と言つて見給へ。学校の職員は大抵出処(でどこ)が極(きま)つて居る。君等のやうに講習を済まして来た人か、勝野君のやうに検定試験から入つて来た人か、または吾儕(われ/\)のやうに師範出か――是より外には無い。若(も)し吾儕の中に其様(そん)な人が有るとすれば、師範校時代にもう知れて了ふね。卒業する迄も其が知れずに居るなんてことは、寄宿舎生活が許さないさ。検定試験を受けるやうな人は、いづれ長く学校に関係した連中だから、是も知れずに居る筈が無し、君等の方はまた猶更(なほさら)だらう。それ見給へ。今になつて、突然其様なことを言触らすといふは、すこし可笑(をか)しいぢやないか。』
『だから――』と準教員は言葉に力を入れて、『僕だつても事実だと言つた訳では無いサ。若(もし)事実だと仮定すれば、と言つたんサ。』
『若(もし)かね。はゝゝゝゝ。君の言ふ若は仮定する必要の無い若だ。』
『左様(さう)言へばまあ其迄だが、しかし万一其様(そん)なことが有るとすれば、奈何(どう)いふ結果に成つて行くものだらう――僕は考へたばかりでも恐しいやうな気がする。』
 銀之助は答へなかつた。二人の客はもうそれぎり斯様(こん)な話を為なかつた。
 軈(やが)て二人が言葉を残して出て行かうとした時は、丑松は喪心した人のやうで、其顔色は白い毛布に映つて、一層蒼ざめて見えたのである。『あゝ、瀬川君は未だ快(よ)くないんだらう。』斯(か)う銀之助は自分で自分に言ひ乍ら、準教員と一緒に楼梯(はしごだん)を下りて行つた。
 暫時(しばらく)丑松は茫然として部屋の内を眺め廻して居たが、急に寝床を片付けて、着物を着更へて見た。不図(ふと)思ひついたやうに、押入の隅のところに隠して置いた書物を取出した。それはいづれも蓮太郎を思出させるもので、彼の先輩が心血と精力とを注ぎ尽したといふ『現代の思潮と下層社会』、小冊子には『平凡なる人』、『労働』、『貧しきものゝ慰め』、それから『懴悔録』なぞ。丑松は一々内部(なか)を好く改めて見て、蔵書の印がはりに捺(お)して置いた自分の認印(みとめ)を消して了つた。ほかに、床の間に置並べた語学の参考書の中から、五六冊不要なのを抜取つて、塵埃(ほこり)を払つて、一緒にして風呂敷に包んで居ると、丁度そこへ袈裟治が入つて来た。
『御出掛?』
 斯う声を掛ける。丑松はすこし周章(あわ)てたといふ様子して、別に返事もしないのであつた。
『この寒いのに御出掛なさるんですか。』と袈裟治は呆(あき)れて、蒼(あを)ざめた丑松の顔を眺めた。『気分が悪くて寝て居なさる人が――まあ。』
『いや、もう悉皆(すつかり)快くなつた。』
『ほゝゝゝゝ。それはさうと、御腹(おなか)が空きやしたらう。何か食べて行きなすつたら――まあ、貴方(あんた)は今朝から何(なんに)も食べなさらないぢやごはせんか。』
 丑松は首を振つて、すこしも腹は空かないと言つた。壁に懸けてある外套(ぐわいたう)を除(はづ)して着たのも、帽子を冠つたのも、着る積りも無く着、冠る積りも無く冠つたので、丁度感覚の無い器械が動くやうに、自分で自分の為(す)ることを知らない位であつた。丑松はまた、友達が持つて来て呉れた月給を机の抽匣(ひきだし)の中へ入れて、其内を紙の袋のまゝ袂へも入れた。尤も幾許(いくら)置いて、幾許自分の身に着けたか、それすら好くは覚えて居ない。斯うして書物の包を提げて、成るべく外套の袖で隠すやうにして、軈てぶらりと蓮華寺の門を出た。

       (四)

 雪は往来にも、屋根の上にもあつた。『みの帽子』を冠り、蒲(がま)の脛穿(はゞき)を着け、爪掛(つまかけ)を掛けた多くの労働者、または毛布を頭から冠つて深く身を包んで居る旅人の群――其様(そん)な手合が眼前(めのまへ)を往つたり来たりする。人や馬の曳く雪橇(ゆきぞり)は幾台(いくつ)か丑松の側を通り過ぎた。
 長い廻廊のやうな雪除(ゆきよけ)の『がんぎ』(軒廂(のきびさし))も最早(もう)役に立つやうに成つた。往来の真中に堆高(うづだか)く掻集めた白い小山の連接(つゞき)を見ると、今に家々の軒丈よりも高く降り積つて、これが飯山名物の『雪山』と唄(うた)はれるかと、冬期の生活(なりはひ)の苦痛(くるしみ)を今更のやうに堪へがたく思出させる。空の模様はまた雪にでも成るか。薄い日のひかりを眺めたばかりでも、丑松は歩き乍ら慄(ふる)へたのである。
 上町(かみまち)の古本屋には嘗(かつ)て雑誌の古を引取つて貰つた縁故もあつた。丁度其店頭(みせさき)に客の居なかつたのを幸(さいはひ)、ついと丑松は帽子を脱いで入つて、例の風呂敷包を何気なく取出した。『すこしばかり書籍(ほん)を持つて来ました――奈何(どう)でせう、是(これ)を引取つて頂きたいのですが。』と其を言へば、亭主は直に丑松の顔色を読んで、商人(あきんど)らしく笑つて、軈(やが)て膝を進め乍ら風呂敷包を手前へ引寄せた。
『ナニ、幾許(いくら)でも好いんですから――』
 と丑松は添加(つけた)して言つた。
 亭主は風呂敷包を解(ほど)いて、一冊々々書物の表紙を調べた揚句、それを二通りに分けて見た。語学の本は本で一通り。兎も角も其丈(それだけ)は丁寧に内部(なかみ)を開けて見て、それから蓮太郎の著したものは無造作に一方へ積重ねた。
『何程(いかほど)ばかりで是は御譲りに成る御積りなんですか。』と亭主は丑松の顔を眺めて、さも持余したやうに笑つた。
『まあ、貴方の方で思つたところを附けて見て下さい。』
『どうも是節は不景気でして、一向に斯(か)ういふものが捌(は)けやせん。御引取り申しても好うごはすが、しかし金高があまり些少(いさゝか)で。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:479 KB

担当:undef