破戒
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:島崎藤村 

『甥(をひ)がですか、あゝ左様(さう)でしたらう。私の許(ところ)へも長い手紙をよこしましたよ。其を読んだ時は、彼男(あのをとこ)の喜ぶ顔付が目に見えるやうでした。実際、甥は貴方の為を思つて居るのですからな。』
 郡視学が甥と言つたのは、検定試験を受けて、合格して、此頃新しく赴任して来た正教員。勝野文平といふのが其男の名である。割合に新参の校長は文平を引立てゝ、自分の味方に附けようとしたので。尤(もつと)も席順から言へば、丑松は首座。生徒の人望は反つて校長の上にある程。銀之助とても師範出の若手。いかに校長が文平を贔顧(ひいき)だからと言つて、二人の位置を動かす訳にはいかない。文平は第三席に着けられて出たのであつた。
『それに引換へて瀬川君の冷淡なことは。』と校長は一段声を低くした。
『瀬川君?』と郡視学も眉をひそめる。
『まあ聞いて下さい。万更(まんざら)の他人が受賞したではなし、定めし瀬川君だつても私の為に喜んで居て呉れるだらう、と斯う貴方なぞは御考へでせう。ところが大違ひです。こりやあ、まあ、私が直接(ぢか)に聞いたことでは無いのですけれど――又、私に面と向つて、まさかに其様(そん)なことが言へもしますまいが――といふのは、教育者が金牌なぞを貰つて鬼の首でも取つたやうに思ふのは大間違だと。そりやあ成程(なるほど)人爵の一つでせう。瀬川君なぞに言はせたら価値(ねうち)の無いものでせう。然し金牌は表章(しるし)です。表章が何も難有(ありがた)くは無い。唯其意味に価値(ねうち)がある。はゝゝゝゝ、まあ左様(さう)ぢや有ますまいか。』
『どうしてまた瀬川君は其様(そん)な思想(かんがへ)を持つのだらう。』と郡視学は嘆息した。
『時代から言へば、あるひは吾儕(われ/\)の方が多少後(おく)れて居るかも知れません。しかし新しいものが必ずしも好いとは限りませんからねえ。』と言つて校長は嘲(あざけ)つたやうに笑つて、『なにしろ、瀬川君や土屋君が彼様(あゝ)して居たんぢや、万事私も遣りにくゝて困る。同志の者ばかり集つて、一致して教育事業をやるんででもなけりやあ、到底面白くはいきませんさ。勝野君が首座ででもあつて呉れると、私も大きに安心なんですけれど。』
『そんなに君が面白くないものなら、何とか其処には方法も有さうなものですがなあ。』と郡視学は意味ありげに相手の顔を眺めた。
『方法とは?』と校長も熱心に。
『他の学校へ移すとか、後釜(あとがま)へは――それ、君の気に入つた人を入れるとかサ。』
『そこです――同じ移すにしても、何か口実が無いと――余程そこは巧(うま)くやらないと――あれで瀬川君はなか/\生徒間に人望が有ますから。』
『さうさ、過失の無いものに向つて、出て行けとも言はれん。はゝゝゝゝ、余りまた細工をしたやうに思はれるのも厭だ。』と言つて郡視学は気を変へて、『まあ私の口から甥を褒めるでも有ませんが、貴方の為には必定(きつと)御役に立つだらうと思ひますよ。瀬川君に比べると、勝るとも劣ることは有るまいといふ積りだ。一体瀬川君は何処が好いんでせう。どうして彼様(あん)な教師に生徒が大騒ぎをするんだか――私なんかには薩張(さつぱり)解らん。他(ひと)の名誉に思ふことを冷笑するなんて、奈何(どう)いふことがそんならば瀬川君なぞには難有(ありがた)いんです。』
『先づ猪子蓮太郎あたりの思想でせうよ。』
『むゝ――あの穢多か。』と郡視学は顔を渋(しか)める。
『あゝ。』と校長も深く歎息した。『猪子のやうな男の書いたものが若いものに読まれるかと思へば恐しい。不健全、不健全――今日の新しい出版物は皆な青年の身をあやまる原因(もと)なんです。その為に畸形(かたは)の人間が出来て見たり、狂見(きちがひみ)たやうな男が飛出したりする。あゝ、あゝ、今の青年の思想ばかりは奈何(どう)しても吾儕(われ/\)に解りません。』

       (三)

 不図応接室の戸を叩(たゝ)く音がした。急に二人は口を噤(つぐ)んだ。復(ま)た叩く。『お入り』と声をかけて、校長は倚子(いす)を離れた。郡視学も振返つて、戸を開けに行く校長の後姿を眺め乍ら、誰、町会議員からの使ででもあるか、斯う考へて、入つて来る人の様子を見ると――思ひの外な一人の教師、つゞいてあらはれたのが丑松であつた。校長は思はず郡視学と顔を見合せたのである。
『校長先生、何か御用談中ぢや有ませんか。』
 と丑松は尋ねた。校長は一寸微笑(ほゝゑ)んで、
『いえ、なに、別に用談でも有ません――今二人で御噂をして居たところです。』
『実はこの風間さんですが、是非郡視学さんに御目に懸つて、直接に御願ひしたいことがあるさうですから。』
 斯(か)う言つて、丑松は一緒に来た同僚を薦(すゝ)めるやうにした。
 風間敬之進(けいのしん)は、時世の為に置去にされた、老朽な小学教員の一人。丑松や銀之助などの若手に比べると、阿爺(おやぢ)にしてもよい程の年頃である。黒木綿の紋付羽織、垢染(あかじ)みた着物、粗末な小倉の袴を着けて、兢々(おづ/\)郡視学の前に進んだ。下り坂の人は気の弱いもので、すこし郡視学に冷酷な態度(やうす)が顕(あらは)れると、もう妙に固くなつて思ふことを言ひかねる。
『何ですか、私に用事があると仰(おつしや)るのは。』斯う催促して、郡視学は威丈高(ゐたけだか)になつた。あまり敬之進が躊躇(ぐづ/\)して居るので、終(しまひ)には郡視学も気を苛(いら)つて、時計を出して見たり、靴を鳴らして見たりして、
『奈何(どう)いふ御話ですか。仰つて見て下さらなければ解りませんなあ。』
 もどかしく思ひ乍ら椅子を離れて立上るのであつた。敬之進は猶々(なほ/\)言ひかねるといふ様子で、
『実は――すこし御願ひしたい件(こと)が有まして。』
『ふむ。』
 復(ま)た室の内は寂(しん)として暫時(しばらく)声がなくなつた。首を垂れ乍ら少許(すこし)慄(ふる)へて居る敬之進を見ると、丑松は哀憐(あはれみ)の心を起さずに居られなかつた。郡視学は最早(もう)堪(こら)へかねるといふ風で、
『私は是で多忙(いそが)しい身体です。何か仰ることがあるなら、ずん/\仰つて下さい。』
 丑松は見るに見かねた。
『風間さん、其様(そんな)に遠慮しない方が可(いゝ)ぢや有ませんか。貴方は退職後のことを御相談して頂きたいといふんでしたらう。』斯う言つて、軈(やが)て郡視学の方へ向いて、『私から伺ひます。まあ、風間さんのやうに退職となつた場合には、恩給を受けさして頂く訳に参りませんものでせうか。』
『無論です、そんなことは。』と郡視学は冷かに言放つた。『小学校令の施行規則を出して御覧なさい。』
『そりやあ規則は規則ですけれど。』
『規則に無いことが出来るものですか。身体が衰弱して、職務を執るに堪へないから退職する――其を是方(こちら)で止める権利は有ません。然し、恩給を受けられるといふ人は、満十五ヶ年以上在職したものに限つた話です。風間さんのは十四ヶ年と六ヶ月にしかならない。』
『でも有ませうが、僅か半歳のことで教育者を一人御救ひ下さるとしたら。』
『其様(そん)なことを言つて見た日にやあ際涯(さいげん)が無い。何ぞと言ふと風間さんは直に家の事情、家の事情だ。誰だつて家の事情のないものはありやしません。まあ、恩給のことなぞは絶念(あきら)めて、折角(せつかく)御静養なさるが可(いゝ)でせう。』
 斯う撥付(はねつ)けられては最早(もう)取付く島が無いのであつた。丑松は気の毒さうに敬之進の横顔を熟視(みまも)つて、
『どうです風間さん、貴方からも御願ひして見ては。』
『いえ、只今の御話を伺へば――別に――私から御願する迄も有ません。御言葉に従つて、絶念(あきら)めるより外は無いと思ひます。』
 其時小使が重たさうな風呂敷包を提げて役場から帰つて来た。斯(こ)のしらせを機(しほ)に、郡視学は帽子を執つて、校長に送られて出た。

       (四)

 男女の教員は広い職員室に集つて居た。其日は土曜日で、月給取の身にとつては反つて翌(あす)の日曜よりも楽しく思はれたのである。茲(こゝ)に集る人々の多くは、日々(にち/\)の長い勤務(つとめ)と、多数の生徒の取扱とに疲(くたぶ)れて、さして教育の事業に興味を感ずるでもなかつた。中には児童を忌み嫌ふやうなものもあつた。三種講習を済まして、及第して、漸(やうや)く煙草のむことを覚えた程の年若な準教員なぞは、まだ前途(さき)が長いところからして楽しさうにも見えるけれど、既に老朽と言はれて髭ばかり厳(いかめ)しく生えた手合なぞは、述懐したり、物羨みしたりして、外目(よそめ)にも可傷(いたは)しく思ひやられる。一月の骨折の報酬(むくい)を酒に代へる為、今茲に待つて居るやうな連中もあるのであつた。
 丑松は敬之進と一緒に職員室へ行かうとして、廊下のところで小使に出逢つた。
『風間先生、笹屋の亭主が御目に懸りたいと言つて、先刻(さつき)から来て待つて居りやす。』
 不意を打たれて、敬之進はさも苦々しさうに笑つた。
『何? 笹屋の亭主?』
 笹屋とは飯山の町はづれにある飲食店、農夫の為に地酒を暖めるやうな家(うち)で、老朽な敬之進が浮世を忘れる隠れ家といふことは、疾(とく)に丑松も承知して居た。けふ月給の渡る日と聞いて、酒の貸の催促に来たか、とは敬之進の寂しい苦笑(にがわらひ)で知れる。『ちよツ、学校まで取りに来なくてもよささうなものだ。』と敬之進は独語(ひとりごと)のやうに言つた。『いゝから待たして置け。』と小使に言含めて、軈(やが)て二人して職員室へと急いだのである。
 十月下旬の日の光は玻璃窓(ガラスまど)から射入つて、煙草の烟(けぶり)に交る室内の空気を明く見せた。彼処(あそこ)の掲示板の下に一群(ひとむれ)、是処の時間表の側(わき)に一団(ひとかたまり)、いづれも口から泡を飛ばして言ひのゝしつて居る。丑松は室の入口に立つて眺めた。見れば郡視学の甥(をひ)といふ勝野文平、灰色の壁に倚凭(よりかゝ)つて、銀之助と二人並んで話して居る様子。新しい艶のある洋服を着て、襟飾(えりかざり)の好みも煩(うるさ)くなく、すべて適(ふさ)はしい風俗の中(うち)に、人を吸引(ひきつ)ける敏捷(すばしこ)いところがあつた。美しく撫付(なでつ)けた髪の色の黒さ。頬の若々しさ。それに是男の鋭い眼付は絶えず物を穿鑿(せんさく)するやうで、一時(いつとき)も静息(やす)んでは居られないかのやう。これを銀之助の五分刈頭、顔の色赤々として、血肥りして、形(なり)も振(ふり)も関はず腕捲(うでまく)りし乍ら、談(はな)したり笑つたりする肌合に比べたら、其二人の相違は奈何(どんな)であらう。物見高い女教師連の視線はいづれも文平の身に集つた。
 丑松は文平の瀟洒(こざつぱり)とした風采(なりふり)を見て、別に其を羨む気にもならなかつた。たゞ気懸りなのは、彼(あの)新教員が自分と同じ地方から来たといふことである。小諸(こもろ)辺の地理にも委敷(くはしい)様子から押して考へると、何時(いつ)何処で瀬川の家の話を聞かまいものでもなし、広いやうで狭い世間の悲しさ、あの『お頭』は今これ/\だと言ふ人でもあつた日には――無論今となつて其様(そん)なことを言ふものも有るまいが――まあ万々一――それこそ彼(あの)教員も聞捨てには為(し)まい。斯う丑松は猜疑深(うたがひぶか)く推量して、何となく油断がならないやうに思ふのであつた。不安な丑松の眼(まなこ)には種々(さま/″\)な心配の種が映つて来たのである。
 軈て校長は役場から来た金の調べを終つた。それ/″\分配するばかりになつたので、丑松は校長を助けて、人々の机の上に十月分の俸給を載せてやつた。
『土屋君、さあ御土産。』
 と銀之助の前にも、五十銭づゝ封じた銅貨を幾本か並べて、外に銀貨の包と紙幣(さつ)とを添へて出した。
『おや/\、銅貨を沢山呉れるねえ。』と銀之助は笑つて、『斯様(こんな)にあつては持上がりさうも無いぞ。はゝゝゝゝ。時に、瀬川君、けふは御引越が出来ますね。』
 丑松は笑つて答へなかつた。傍(そば)に居た文平は引取つて、
『どちらへか御引越ですか。』
『瀬川君は今夜から精進(しやうじん)料理さ。』
『はゝゝゝゝ。』
 と笑ひ葬つて、丑松は素早く自分の机の方へ行つて了つた。
 毎月のこととは言ひ乍ら、俸給を受取つた時の人々の顔付は又格別であつた。実に男女の教員の身にとつては、労働(はたら)いて得た収穫を眺めた時ほど愉快に感ずることは無いのである。ある人は紙の袋に封じた儘(まゝ)の銀貨を鳴らして見る、ある人は風呂敷に包んで重たさうに提げて見る、ある女教師は又、海老茶袴(えびちやばかま)の紐(ひも)の上から撫(な)でゝ、人知れず微笑んで見るのであつた。急に校長は椅子を離れて、用事ありげに立上つた。何事かと人々は聞耳を立てる。校長は一つ咳払ひして、さて器械的な改つた調子で、敬之進が退職の件(こと)を報告した。就いては来る十一月の三日、天長節の式の済んだ後(あと)、この老功な教育者の為に茶話会を開きたいと言出した。賛成の声は起る。敬之進はすつくと立つて、一礼して、軈(やが)て拍子の抜けたやうに元の席へ復(かへ)つた。
 一同帰り仕度を始めたのは間も無くであつた。男女の教員が敬之進を取囲(とりま)いて、いろ/\言ひ慰めて居る間に、ついと丑松は風呂敷包を提(ひつさ)げて出た。銀之助が友達を尋(さが)して歩いた時は、職員室から廊下、廊下から応接室、小使部屋、昇降口まで来て見ても、もう何処にも丑松の姿は見えなかつたのである。

       (五)

 丑松は大急ぎで下宿へ帰つた。月給を受取つて来て妙に気強いやうな心地(こゝろもち)にもなつた。昨日は湯にも入らず、煙草も買はず、早く蓮華寺へ、と思ひあせるばかりで、暗い一日(ひとひ)を過したのである。実際、懐中(ふところ)に一文の小使もなくて、笑ふといふ気には誰がならう。悉皆(すつかり)下宿の払ひを済まし、車さへ来れば直に出掛けられるばかりに用意して、さて巻煙草に火を点けた時は、言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。
 引越は成るべく目立たないやうに、といふ考へであつた。気掛りなは下宿の主婦(かみさん)の思惑(おもはく)で――まあ、この突然(だしぬけ)な転宿(やどがへ)を何と思つて見て居るだらう。何か彼(あの)放逐された大尽と自分との間には一種の関係があつて、それで面白くなくて引越すとでも思はれたら奈何(どう)しよう。あの愚痴な性質から、根彫葉刻(ねほりはほり)聞咎(きゝとが)めて、何故(なぜ)引越す、斯う聞かれたら何と返事をしたものであらう。そこがそれ、引越さなくても可(いゝ)ものを無理に引越すのであるから、何となく妙に気が咎(とが)める。下手なことを言出せば反つて藪蛇だ。『都合があるから引越す。』理由は其で沢山だ。斯う種々(いろ/\)に考へて、疑つたり恐れたりして見たが、多くの客を相手にする主婦の様子は左様(さう)心配した程でも無い。さうかうする中に、頼んで置いた車も来る。荷物と言へば、本箱、机、柳行李(やなぎがうり)、それに蒲団の包があるだけで、道具は一切一台の車で間に合つた。丑松は洋燈(ランプ)を手に持つて、主婦の声に送られて出た。
 斯うして車の後に随(つ)いて、とぼ/\と二三町も歩いて来たかと思はれる頃、今迄の下宿の方を一寸振返つて見た時は、思はずホツと深い溜息を吐(つ)いた。道路(みち)は悪し、車は遅し、丑松は静かに一生の変遷(うつりかはり)を考へて、自分で自分の運命を憐み乍ら歩いた。寂しいとも、悲しいとも、可笑(をか)しいとも、何ともかとも名の附けやうのない心地(こゝろもち)は烈しく胸の中を往来し始める。追憶(おもひで)の情は身に迫つて、無限の感慨を起させるのであつた。それは十一月の近(ちかづ)いたことを思はせるやうな蕭条(せうでう)とした日で、湿つた秋の空気が薄い烟(けぶり)のやうに町々を引包んで居る。路傍(みちばた)に黄ばんだ柳の葉はぱら/\と地に落ちた。
 途中で紙の旗を押立てた少年の一群(ひとむれ)に出遇つた。音楽隊の物真似、唱歌の勇しさ、笛太鼓も入乱れ、足拍子揃へて面白可笑しく歌つて来るのは何処の家(うち)の子か――あゝ尋常科の生徒だ。見れば其後に随いて、少年と一緒に歌ひ乍ら、人目も関はずやつて来る上機嫌の酔漢(さけよひ)がある。蹣跚(よろ/\)とした足元で直に退職の敬之進と知れた。
『瀬川君、一寸まあ見て呉れ給へ――是が我輩の音楽隊さ。』
 と指(ゆびさ)し乍ら熟柿(じゆくし)臭(くさ)い呼吸(いき)を吹いた。敬之進は何処かで飲んで来たものと見える。指された少年の群は一度にどつと声を揚げて、自分達の可傷(あはれ)な先生を笑つた。
『始めえ――』敬之進は戯れに指揮するやうな調子で言つた。『諸君。まあ聞き給へ。今日(こんにち)迄我輩は諸君の先生だつた。明日(あす)からは最早(もう)諸君の先生ぢや無い。そのかはり、諸君の音楽隊の指揮をしてやる。よしか。解つたかね。あはゝゝゝ。』と笑つたかと思ふと、熱い涙(なんだ)は其顔を伝つて流れ落ちた。
 無邪気な音楽隊は、一斉に歓呼を揚げて、足拍子揃へて通過ぎた。敬之進は何か思出したやうに、熟(じつ)と其少年の群を見送つて居たが、軈(やが)て心付いて歩き初めた。
『まあ、君と一緒に其処迄行かう。』と敬之進は身を慄(ふる)はせ乍ら、『時に瀬川君、まだ斯の通り日も暮れないのに、洋燈(ランプ)を持つて歩くとは奈何(どう)いふ訳だい。』
『私ですか。』と丑松は笑つて、『私は今引越をするところです。』
『あゝ引越か。それで君は何処へ引越すのかね。』
『蓮華寺へ。』
 蓮華寺と聞いて、急に敬之進は無言になつて了つた。暫時(しばらく)の間、二人は互に別々のことを考へ乍ら歩いた。
『あゝ。』と敬之進はまた始めた。『実に瀬川君なぞは羨ましいよ。だつて君、左様(さう)ぢやないか。君なぞは未だ若いんだもの。前途多望とは君等のことだ。何卒(どうか)して我輩も、もう一度君等のやうに若くなつて見たいなあ。あゝ、人間も我輩のやうに老込んで了つては駄目だねえ。』

       (六)

 車は遅かつた。丑松敬之進の二人は互に並んで話し/\随いて行つた。とある町へ差掛かつた頃、急に車夫は車を停めて、冷々(ひや/″\)とした空気を呼吸し乍(なが)ら、額に流れる汗を押拭つた。見れば町の空は灰色の水蒸気に包まれて了(しま)つて、僅に西の一方に黄な光が深く輝いて居る。いつもより早く日は暮れるらしい。遽(にはか)に道路(みち)も薄暗くなつた。まだ灯(あかり)を点(つ)ける時刻でもあるまいに、もう一軒点けた家(うち)さへある。其軒先には三浦屋の文字が明白(あり/\)と読まれるのであつた。
 盛な歓楽の声は二階に湧上つて、屋外(そと)に居る二人の心に一層の不愉快と寂寥(さびしさ)とを添へた。丁度人々は酒宴(さかもり)の最中。灯影(ほかげ)花やかに映つて歌舞の巷(ちまた)とは知れた。三味(しやみ)は幾挺かおもしろい音(ね)を合せて、障子に響いて媚(こ)びるやうに聞える。急に勇しい太鼓も入つた。時々唄に交つて叫ぶやうに聞えるは、囃方(はやしかた)の娘の声であらう。これも亦(また)、招(よ)ばれて行く妓(こ)と見え、箱屋一人連れ、褄(つま)高く取つて、いそ/\と二人の前を通過ぎた。
 客の笑声は手に取るやうに聞えた。其中には校長や郡視学の声も聞えた。人々は飲んだり食つたりして時の移るのも知らないやうな様子。
『瀬川君、大層陽気ぢやないか。』と敬之進は声を潜(ひそ)めて、『や、大一座(おほいちざ)だ。一体今宵(こんや)は何があるんだらう。』
『まだ風間さんには解らないんですか。』と丑松も聞耳を立て乍ら言つた。
『解らないさ。だつて我輩は何(なん)にも知らないんだもの。』
『ホラ、校長先生の御祝でさあね。』
『むゝ――むゝ――むゝ、左様(さう)ですかい。』
 一曲の唄が済んで、盛な拍手が起つた。また盃の交換(やりとり)が始つたらしい。若い女の声で、『姉さん、お銚子』などと呼び騒ぐのを聞捨てゝ、丑松敬之進の二人は三浦屋の側(わき)を横ぎつた。
 車は知らない中に前(さき)へ行つて了つた。次第に歌舞の巷を離れると、太鼓の音も遠く聞えなくなる。敬之進は嘆息したり、沈吟したりして、時々絶望した人のやうに唐突(だしぬけ)に大きな声を出して笑つた。『浮世(ふせい)夢のごとし』――それに勝手な節を付けて、低声に長く吟じた時は、聞いて居る丑松も沈んで了つて、妙に悲しいやうな、可痛(いたま)しいやうな心地(こゝろもち)になつた。
『吟声調(てう)を成さず――あゝ、あゝ、折角(せつかく)の酒も醒めて了つた。』
 と敬之進は嘆息して、獣の呻吟(うな)るやうな声を出し乍ら歩く。丑松も憐んで、軈て斯う尋ねて見た。
『風間さん、貴方は何処迄行くんですか。』
『我輩かね。我輩は君を送つて、蓮華寺の門前まで行くのさ。』
『門前迄?』
『何故(なぜ)我輩が門前迄送つて行くのか、其は君には解るまい。しかし其を今君に説明しようとも思はないのさ。御互ひに長く顔を見合せて居ても、斯うして親(ちか)しくするのは昨今だ。まあ、いつか一度、君とゆつくり話して見たいもんだねえ。』
 やがて蓮華寺の山門の前まで来ると、ぷいと敬之進は別れて行つて了つた。奥様は蔵裏(くり)の外まで出迎へて喜ぶ。車はもうとつくに。荷物は寺男の庄太が二階の部屋へ持運んで呉れた。台所で焼く魚のにほひは、蔵裏迄も通つて来て、香の煙に交つて、住慣(すみな)れない丑松の心に一種異様の感想(かんじ)を与へる。仏に物を供へる為か、本堂の方へ通ふ子坊主もあつた。二階の部屋も窓の障子も新しく張替へて、前に見たよりはずつと心地(こゝろもち)が好い。薬湯と言つて、大根の乾葉(ひば)を入れた風呂なども立てゝ呉れる。新しい膳に向つて、うまさうな味噌汁の香(にほひ)を嗅いで見た時は、第一この寂しげな精舎(しやうじや)の古壁の内に意外な家庭の温暖(あたゝかさ)を看付(みつ)けたのであつた。


   第参章

       (一)

 もとより銀之助は丑松の素性を知る筈がない。二人は長野の師範校に居る頃から、極く好く気性の合つた友達で、丑松が佐久小県(さくちひさがた)あたりの灰色の景色を説き出すと、銀之助は諏訪湖(すはこ)の畔(ほとり)の生れ故郷の物語を始める、丑松が好きな歴史の話をすれば、銀之助は植物採集の興味を、と言つたやうな風に、互ひに語り合つた寄宿舎の窓は二人の心を結びつけた。同窓の記憶はいつまでも若く青々として居る。銀之助は丑松のことを思ふ度に昔を思出して、何となく時の変遷(うつりかはり)を忍ばずには居られなかつた。同じ寄宿舎の食堂に同じ引割飯の香(にほひ)を嗅いだ其友達に思ひ比べると、実に丑松の様子の変つて来たことは。あの憂欝(いううつ)――丑松が以前の快活な性質を失つた証拠は、眼付で解る、歩き方で解る、談話(はなし)をする声でも解る。一体、何が原因(もと)で、あんなに深く沈んで行くのだらう。とんと銀之助には合点が行かない。『何かある――必ず何か訳がある。』斯う考へて、どうかして友達に忠告したいと思ふのであつた。
 丑松が蓮華寺へ引越した翌日(あくるひ)、丁度日曜、午後から銀之助は尋ねて行つた。途中で文平と一緒になつて、二人して苔蒸(こけむ)した石の階段を上ると、咲残る秋草の径(みち)の突当つたところに本堂、左は鐘楼、右が蔵裏であつた。六角形に出来た経堂の建築物(たてもの)もあつて、勾配のついた瓦屋根や、大陸風の柱や、白壁や、すべて過去の壮大と衰頽(すゐたい)とを語るかのやうに見える。黄ばんだ銀杏(いてふ)の樹の下に腰を曲(こゞ)め乍ら、余念もなく落葉を掃いて居たのは、寺男の庄太。『瀬川君は居りますか。』と言はれて、馬鹿丁寧な挨拶。やがて庄太は箒(はうき)をそこに打捨てゝ置いて、跣足(すあし)の儘(まゝ)で蔵裏の方へ見に行つた。
 急に丑松の声がした。あふむいて見ると、銀杏(いてふ)に近い二階の窓の障子を開けて、顔を差出して呼ぶのであつた。
『まあ、上りたまへ。』
 と復た呼んだ。

       (二)

 銀之助文平の二人は丑松に導かれて暗い楼梯(はしごだん)を上つて行つた。秋の日は銀杏の葉を通して、部屋の内へ射しこんで居たので、変色した壁紙、掛けてある軸、床の間に置並べた書物(ほん)と雑誌の類(たぐひ)まで、すべて黄に反射して見える。冷々(ひや/″\)とした空気は窓から入つて来て、斯の古い僧坊の内にも何となく涼爽(さはやか)な思を送るのであつた。机の上には例の『懴悔録』、読伏せて置いた其本に気がついたと見え、急に丑松は片隅へ押隠すやうにして、白い毛布を座蒲団がはりに出して薦(すゝ)めた。
『よく君は引越して歩く人さ。』と銀之助は身辺(あたり)を眺め廻し乍ら言つた。『一度瀬川君のやうに引越す癖が着くと、何度でも引越したくなるものと見える。まあ、部屋の具合なぞは、先の下宿の方が好ささうぢやないか。』
『何故(なぜ)御引越になつたんですか。』と文平も尋ねて見る。
『どうも彼処(あそこ)の家(うち)は喧(やかま)しくつて――』斯(か)う答へて丑松は平気を装はうとした。争はれないもので、困つたといふ気色(けしき)はもう顔に表れたのである。
『そりやあ寺の方が静は静だ。』と銀之助は一向頓着なく、『何ださうだねえ、先の下宿では穢多が逐出(おひだ)されたさうだねえ。』
『さう/\、左様(さう)いふ話ですなあ。』と文平も相槌(あひづち)を打つた。
『だから僕は斯う思つたのさ。』と銀之助は引取つて、『何か其様(そん)な一寸したつまらん事にでも感じて、それで彼(あの)下宿が嫌に成つたんぢやないかと。』
『どうして?』と丑松は問ひ反した。
『そこがそれ、君と僕と違ふところさ。』と銀之助は笑ひ乍ら、『実は此頃(こなひだ)或雑誌を読んだところが、其中に精神病患者のことが書いてあつた。斯うさ。或人が其男の住居(すまひ)の側(わき)に猫を捨てた。さあ、其猫の捨ててあつたのが気になつて、妻君にも相談しないで、其日の中にぷいと他へ引越して了つた。斯ういふ病的な頭脳(あたま)の人になると、捨てられた猫を見たのが移転(ひつこし)の動機になるなぞは珍しくも無い、といふ話があつたのさ。はゝゝゝゝ――僕は瀬川君を精神病患者だと言ふ訳では無いよ。しかし君の様子を見るのに、何処か身体の具合でも悪いやうだ。まあ、君は左様(さう)は思はないかね。だから穢多の逐出(おひだ)された話を聞くと、直に僕は彼(あ)の猫のことを思出したのさ。それで君が引越したくなつたのかと思つたのさ。』
『馬鹿なことを言ひたまへ。』と丑松は反返(そりかへ)つて笑つた。笑ふには笑つたが、然しそれは可笑(をかし)くて笑つたやうにも聞えなかつたのである。
『いや、戯言(じようだん)ぢやない。』と銀之助は丑松の顔を熟視(みまも)つた。『実際、君の顔色は好くない――診(み)て貰つては奈何(どう)かね。』
『僕は君、其様(そん)な病人ぢや無いよ。』と丑松は微笑(ほゝゑ)み乍ら答へた。
『しかし。』と銀之助は真面目(まじめ)になつて、『自分で知らないで居る病人はいくらも有る。君の身体は変調を来して居るに相違ない。夜寝られないなんて言ふところを見ても、どうしても生理的に異常がある――まあ僕は左様(さう)見た。』
『左様(さう)かねえ、左様見えるかねえ。』
『見えるともサ。妄想(まうさう)、妄想――今の患者の眼に映つた猫も、君の眼に映つた新平民も、皆(みん)な衰弱した神経の見せる幻像(まぼろし)さ。猫が捨てられたつて何だ――下らない。穢多が逐出(おひだ)されたつて何だ――当然(あたりまへ)ぢや無いか。』
『だから土屋君は困るよ。』と丑松は対手(あひて)の言葉を遮(さへぎ)つた。『何時(いつ)でも君は早呑込だ。自分で斯うだと決めて了ふと、もう他の事は耳に入らないんだから。』
『すこし左様(さう)いふ気味も有ますなあ。』と文平は如才なく。
『だつて引越し方があんまり唐突(だしぬけ)だからさ。』と言つて、銀之助は気を変へて、『しかし、寺の方が反つて勉強は出来るだらう。』
『以前(まへ)から僕は寺の生活といふものに興味を持つて居た。』と丑松は言出した。丁度下女の袈裟治(けさぢ)(北信に多くある女の名)が湯沸(ゆわかし)を持つて入つて来た。

       (三)

 信州人ほど茶を嗜(たしな)む手合も鮮少(すくな)からう。斯(か)ういふ飲料(のみもの)を好むのは寒い山国に住む人々の性来の特色で、日に四五回づゝ集つて飲むことを楽みにする家族が多いのである。丑松も矢張(やはり)茶好の仲間には泄(も)れなかつた。茶器を引寄せ、無造作に入れて、濃く熱いやつを二人の客にも勧め、自分も亦茶椀を口唇(くちびる)に押宛(おしあ)て乍(なが)ら、香(かう)ばしく焙(あぶ)られた茶の葉のにほひを嗅いで見ると、急に気分が清々する。まあ蘇生(いきかへ)つたやうな心地(こゝろもち)になる。やがて丑松は茶椀を下に置いて、寺住の新しい経験を語り始めた。
『聞いて呉れ給へ。昨日の夕方、僕はこの寺の風呂に入つて見た。一日働いて疲労(くたぶ)れて居るところだつたから、入つた心地(こゝろもち)は格別さ。明窓(あかりまど)の障子を開けて見ると紫□(しをん)の花なぞが咲いてるぢやないか。其時僕は左様(さう)思つたねえ。風呂に入り乍ら蟋蟀(きり/″\す)を聴くなんて、成程(なるほど)寺らしい趣味だと思つたねえ。今迄の下宿とは全然(まるで)様子が違ふ――まあ僕は自分の家(うち)へでも帰つたやうな心地(こゝろもち)がしたよ。』
『左様(さう)さなあ、普通の下宿ほど無趣味なものは無いからなあ。』と銀之助は新しい巻煙草に火を点(つ)けた。
『それから君、種々(いろ/\)なことがある。』と丑松は言葉を継いで、『第一、鼠の多いには僕も驚いた。』
『鼠?』と文平も膝を進める。
『昨夜(ゆうべ)は僕の枕頭(まくらもと)へも来た。慣(な)れなければ、鼠だつて気味が悪いぢやないか。あまり不思議だから、今朝其話をしたら、奥様の言草が面白い。猫を飼つて鼠を捕らせるよりか、自然に任せて養つてやるのが慈悲だ。なあに、食物(くひもの)さへ宛行(あてが)つて遣(や)れば、其様(そんな)に悪戯(いたづら)する動物ぢや無い。吾寺(うち)の鼠は温順(おとな)しいから御覧なさいツて。成程左様(さう)言はれて見ると、少許(すこし)も人を懼(おそ)れない。白昼(ひるま)ですら出て遊(あす)んで居る。はゝゝゝゝ、寺の内(なか)の光景(けしき)は違つたものだと思つたよ。』
『そいつは妙だ。』と銀之助は笑つて、『余程奥様といふ人は変つた婦人(をんな)と見えるね。』
『なに、それほど変つても居ないが、普通の人よりは宗教的なところがあるさ。さうかと思ふと、吾儕(わたしども)だつて高砂(たかさご)で一緒になつたんです、なんて、其様(そん)なことを言出す。だから、尼僧(あま)ともつかず、大黒(だいこく)ともつかず、と言つて普通の家(うち)の細君でもなし――まあ、門徒寺(もんとでら)に日を送る女といふものは僕も初めて見た。』
『外にはどんな人が居るのかい。』斯う銀之助は尋ねた。
『子坊主が一人。下女。それに庄太といふ寺男。ホラ、君等の入つて来た時、庭を掃いて居た男があつたらう。彼(あれ)が左様(さう)だあね。誰も彼男(あのをとこ)を庄太と言ふものは無い――皆(みん)な「庄馬鹿」と言つてる。日に五度(ごたび)づつ、払暁(あけがた)、朝八時、十二時、入相(いりあひ)、夜の十時、これだけの鐘を撞(つ)くのが彼男(あのをとこ)の勤務(つとめ)なんださうだ。』
『それから、あの何は。住職は。』とまた銀之助が聞いた。
『住職は今留守さ。』
 斯う丑松は見たり聞いたりしたことを取交ぜて話したのであつた。終(しまひ)に、敬之進の娘で、是寺へ貰はれて来て居るといふ、そのお志保の話も出た。
『へえ、風間さんの娘なんですか。』と文平は巻煙草の灰を落し乍ら言つた。『此頃(こなひだ)一度校友会に出て来た――ホラ、あの人でせう?』
『さう/\。』と丑松も思出したやうに、『たしか僕等の来る前の年に卒業して出た人です。土屋君、左様(さう)だつたねえ。』
『たしか左様だ。』

       (四)

 其日蓮華寺の台所では、先住の命日と言つて、精進物(しやうじんもの)を作るので多忙(いそが)しかつた。月々の持斎(ぢさい)には経を上げ膳を出す習慣(ならはし)であるが、殊に其日は三十三回忌とやらで、好物の栗飯を炊(た)いて、仏にも供へ、下宿人にも振舞ひたいと言ふ。寺内の若僧の妻までも来て手伝つた。用意の調(とゝの)つた頃、奥様は台所を他(ひと)に任せて置いて、丑松の部屋へ上つて来た。丑松も、銀之助も、文平も、この話好きな奥様の目には、三人の子のやうに映つたのである。昔者とは言ひ乍ら、書生の談話(はなし)も解つて、よく種々(いろ/\)なことを知つて居た。時々宗教(をしへ)の話なぞも持出した。奥様はまた十二月二十七日の御週忌の光景(ありさま)を語り聞かせた。其冬の日は男女(をとこをんな)の檀徒が仏の前に集つて、記念の一夜を送るといふ昔からの習慣を語り聞かせた。説教もあり、読経もあり、御伝抄(おでんせう)の朗読もあり、十二時には男女一同御夜食の膳に就くなぞ、其御通夜の儀式のさま/″\を語り聞かせた。
『なむあみだぶ。』
 と奥様は独語のやうに繰返して、やがて敬之進の退職のことを尋ねる。
 奥様に言はせると、今の住職が敬之進の為に尽したことは一通りで無い。あの酒を断つたらば、とは克(よ)く住職の言ふことで、禁酒の証文を入れる迄に敬之進が後悔する時はあつても、また/\縒(より)が元へ戻つて了ふ。飲めば窮(こま)るといふことは知りつゝ、どうしても持つた病には勝てないらしい。その為に敷居が高くなつて、今では寺へも来られないやうな仕末。あの不幸(ふしあはせ)な父親の為には、どんなにかお志保も泣いて居るとのことであつた。
『左様(さう)ですか――いよ/\退職になりましたか。』
 斯う言つて奥様は嘆息した。
『道理で。』と丑松は思出したやうに、『昨日私が是方(こちら)へ引越して来る時に、風間さんは門の前まで随いて来ましたよ。何故斯うして門の前まで一緒に来たか、それは今説明しようとも思はない、なんて、左様(さう)言つて、それからぷいと別れて行つて了ひました。随分酔つて居ましたツけ。』
『へえ、吾寺(うち)の前まで? 酔つて居ても娘のことは忘れないんでせうねえ――まあ、それが親子の情ですから。』
 と奥様は復(ま)た深い溜息を吐(つ)いた。
 斯ういふ談話(はなし)に妨(さまた)げられて、銀之助は思ふことを尽さなかつた。折角(せつかく)言ふ積りで来て、それを尽さずに帰るのも残念だし、栗飯が出来たからと引留められもするし、夜にでもなつたらば、と斯う考へて、心の中では友達のことばかり案じつゞけて居た。
 夕飯は例になく蔵裏(くり)の下座敷であつた。宵の勤行(おつとめ)も済んだと見えて、給仕は白い着物を着た子坊主がして呉れた。五分心(ごぶしん)の灯は香の煙に交る夜の空気を照らして、高い天井の下をおもしろく見せる。古壁に懸けてある黄な法衣(ころも)は多分住職の着るものであらう。変つた室内の光景(ありさま)は三人の注意を引いた。就中(わけても)、銀之助は克(よ)く笑つて、其高い声が台所迄も響くので、奥様は若い人達の話を聞かずに居られなかつた。終(しまひ)にはお志保までも来て、奥様の傍に倚添(よりそ)ひ乍ら聞いた。
 急に文平は快活らしくなつた。妙に婦人の居る席では熱心になるのが是男の性分で、二階に三人で話した時から見ると、この下座敷へ来てからは声の調子が違つた。天性愛嬌(あいけう)のある上に、清(すゞ)しい艶のある眸(ひとみ)を輝かし乍ら、興に乗つてよもやまの話を初めた時は、確に面白い人だと思はせた。文平はまた、時々お志保の方を注意して見た。お志保は着物の前を掻合せたり、垂れ下る髪の毛を撫付けたりして、人々の物語に耳を傾けて居たのである。
 銀之助はそんなことに頓着なしで、軈(やが)て思出したやうに、
『たしか吾儕(わたしども)の来る前の年でしたなあ、貴方等(あなたがた)の卒業は。』
 斯う言つてお志保の顔を眺めた。奥様も娘の方へ振向いた。
『はあ。』と答へた時は若々しい血潮が遽(にはか)にお志保の頬に上つた。そのすこし羞恥(はぢ)を含んだ色は一層(ひとしほ)容貌(おもばせ)を娘らしくして見せた。
『卒業生の写真が学校に有ますがね、』と銀之助は笑つて、『彼頃(あのころ)から見ると、皆(みん)な立派な姉さんに成りましたなあ――どうして吾儕(わたしども)が来た時分には、まだ鼻洟(はな)を垂らしてるやうな連中もあつたツけが。』
 楽しい笑声は座敷の内に溢(あふ)れた。お志保は紅(あか)くなつた。斯ういふ間にも、独り丑松は洋燈(ランプ)の火影(ほかげ)に横になつて、何か深く物を考へて居たのである。

       (五)

『ねえ、奥様。』と銀之助が言つた。『瀬川君は非常に沈んで居ますねえ。』
『左様(さやう)さ――』と奥様は小首を傾(かし)げる。
『一昨々日(さきをとゝひ)、』と銀之助は丑松の方を見て、『君が斯のお寺へ部屋を捜しに来た日だ――ホラ、僕が散歩してると、丁度本町で君に遭遇(でつくは)したらう。彼時(あのとき)の君の考へ込んで居る様子と言つたら――僕は暫時(しばらく)そこに突立つて、君の後姿を見送つて、何とも言ひ様の無い心地(こゝろもち)がしたねえ。君は猪子先生の「懴悔録」を持つて居た。其時僕は左様(さう)思つた。あゝ、また彼(あ)の先生の書いたものなぞを読んで、神経を痛めなければ可(いゝ)がなあと。彼様(あゝ)いふ本を読むのは、君、可くないよ。』
『何故?』と丑松は身を起した。
『だつて、君、あまり感化を受けるのは可くないからサ。』
『感化を受けたつても可いぢやないか。』
『そりやあ好い感化なら可いけれども、悪い感化だから困る。見たまへ、君の性質が変つて来たのは、彼の先生のものを読み出してからだ。猪子先生は穢多だから、彼様(あゝ)いふ風に考へるのも無理は無い。普通の人間に生れたものが、なにも彼(あ)の真似を為なくてもよからう――彼程(あれほど)極端に悲まなくてもよからう。』
『では、貧民とか労働者とか言ふやうなものに同情を寄せるのは不可(いかん)と言ふのかね。』
『不可と言ふ訳では無いよ。僕だつても、美しい思想だとは思ふさ。しかし、君のやうに、左様(さう)考へ込んで了つても困る。何故君は彼様(あゝ)いふものばかり読むのかね、何故君は沈んでばかり居るのかね――一体、君は今何を考へて居るのかね。』
『僕かい? 別に左様(さう)深く考へても居ないさ。君等の考へるやうな事しか考へて居ないさ。』
『でも何かあるだらう。』
『何かとは?』
『何か原因がなければ、そんなに性質の変る筈が無い。』
『僕は是で変つたかねえ。』
『変つたとも。全然(まるで)師範校時代の瀬川君とは違ふ。彼(あ)の時分は君、ずつと快活な人だつたあね。だから僕は斯う思ふんだ――元来君は欝(ふさ)いでばかり居る人ぢや無い。唯あまり考へ過ぎる。もうすこし他の方面へ心を向けるとか、何とかして、自分の性質を伸ばすやうに為たら奈何(どう)かね。此頃(こなひだ)から僕は言はう/\と思つて居た。実際、君の為に心配して居るんだ。まあ身体の具合でも悪いやうなら、早く医者に診せて、自分で自分を救ふやうに為るが可(いゝ)ぢやないか。』
 暫時(しばらく)座敷の中は寂(しん)として話声が絶えた。丑松は何か思出したことがあると見え、急に喪心した人のやうに成つて、茫然(ばうぜん)として居たが。やがて気が付いて我に帰つた頃は、顔色がすこし蒼ざめて見えた。
『どうしたい、君は。』と銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めて、『はゝゝゝゝ、妙に黙つて了つたねえ。』
『はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
 と丑松は笑ひ紛(まぎらは)して了つた。銀之助も一緒になつて笑つた。奥様とお志保は二人の顔を見比べて、熱心に聞き惚れて居たのである。
『土屋君は「懴悔録」を御読みでしたか。』と文平は談話(はなし)を引取つた。
『否(いゝえ)、未(ま)だ読んで見ません。』斯う銀之助は答へた。
『何か彼の猪子といふ先生の書いたものを御覧でしたか――私は未だ何(なん)にも読んで見ないんですが。』
『左様(さう)ですなあ、僕の読んだのは「労働」といふものと、それから「現代の思潮と下層社会」――あれを瀬川君から借りて見ました。なか/\好いところが有ますよ、力のある深刻な筆で。』
『一体彼の先生は何処を出た人なんですか。』
『たしか高等師範でしたらう。』
『斯ういふ話を聞いたことが有ましたツけ。彼の先生が長野に居た時分、郷里の方でも兎(と)に角(かく)彼様(あゝ)いふ人を穢多の中から出したのは名誉だと言つて、講習に頼んださうです。そこで彼の先生が出掛けて行つた。すると宿屋で断られて、泊る所が無かつたとか。其様(そん)なことが面白くなくて長野を去るやうになつた、なんて――まあ、師範校を辞(や)めてから、彼の先生も勉強したんでせう。妙な人物が新平民なぞの中から飛出したものですなあ。』
『僕も其は不思議に思つてる。』
『彼様(あん)な下等人種の中から、兎に角思想界へ頭を出したなんて、奈何(どう)しても私には其理由が解らない。』
『しかし、彼の先生は肺病だと言ふから、あるひは其病気の為に、彼処(あそこ)まで到(い)つたものかも知れません。』
『へえ、肺病ですか。』
『実際病人は真面目ですからなあ。「死」といふ奴を眼前(めのまへ)に置いて、平素(しよつちゆう)考へて居るんですからなあ。彼の先生の書いたものを見ても、何となく斯う人に迫るやうなところがある。あれが肺病患者の特色です。まあ彼の病気の御蔭で豪(えら)く成つた人はいくらもある。』
『はゝゝゝゝ、土屋君の観察は何処迄も生理的だ。』
『いや、左様(さう)笑つたものでも無い。見たまへ、病気は一種の哲学者だから。』
『して見ると、穢多が彼様(あゝ)いふものを書くんぢや無い、病気が書かせるんだ――斯う成りますね。』
『だつて、君、左様(さう)釈(さと)るより外に考へ様は無いぢやないか――唯新平民が美しい思想を持つとは思はれないぢやないか――はゝゝゝゝ。』
 斯ういふ話を銀之助と文平とが為して居る間、丑松は黙つて、洋燈(ランプ)の火を熟視(みつ)めて居た。自然(おのづ)と外部(そと)に表れる苦悶の情は、頬の色の若々しさに交つて、一層その男らしい容貌(おもばせ)を沈欝(ちんうつ)にして見せたのである。
 茶が出てから、三人は別の話頭(はなし)に移つた。奥様は旅先の住職の噂(うはさ)なぞを始めて、客の心を慰める。子坊主は隣の部屋の柱に凭(もた)れて、独りで舟を漕いで居た。台所の庭の方から、遠く寂しく地響のやうに聞えるは、庄馬鹿が米を舂(つ)く音であらう。夜も更(ふ)けた。

       (六)

 友達が帰つた後、丑松は心の激昂を制(おさ)へきれないといふ風で、自分の部屋の内を歩いて見た。其日の物語、あの二人の言つた言葉、あの二人の顔に表れた微細な感情まで思出して見ると、何となく胸肉(むなじゝ)の戦慄(ふる)へるやうな心地がする。先輩の侮辱されたといふことは、第一口惜(くや)しかつた。賤民だから取るに足らん。斯(か)ういふ無法な言草は、唯考へて見たばかりでも、腹立たしい。あゝ、種族の相違といふ屏□(わだかまり)の前には、いかなる熱い涙も、いかなる至情の言葉も、いかなる鉄槌(てつつゐ)のやうな猛烈な思想も、それを動かす力は無いのであらう。多くの善良な新平民は斯うして世に知られずに葬り去らるゝのである。
 斯(こ)の思想(かんがへ)に刺激されて、寝床に入つてからも丑松は眠らなかつた。目を開いて、頭を枕につけて、種々(さま/″\)に自分の一生を考へた。鼠が復た顕れた。畳の上を通る其足音に妨げられては、猶々(なほ/\)夢を結ばない。一旦吹消した洋燈を細目に点(つ)けて、枕頭(まくらもと)を明くして見た。暗い部屋の隅の方に影のやうに動く小(ちひさ)な動物の敏捷(はしこ)さ、人を人とも思はず、長い尻尾を振り乍ら、出たり入つたりする其有様は、憎らしくもあり、をかしくもあり、『き、き』と鳴く声は斯の古い壁の内に秋の夜の寂寥(さびしさ)を添へるのであつた。
 それからそれへと丑松は考へた。一つとして不安に思はれないものはなかつた。深く注意した積りの自分の行為(おこなひ)が、反つて他(ひと)に疑はれるやうなことに成らうとは――まあ、考へれば考へるほど用意が無さ過ぎた。何故(なぜ)、あの大日向が鷹匠町の宿から放逐された時に、自分は静止(じつ)として居なかつたらう。何故(なぜ)、彼様(あんな)に泡を食つて、斯の蓮華寺へ引越して来たらう。何故、あの猪子蓮太郎の著述が出る度に、自分は其を誇り顔に吹聴(ふいちやう)したらう。何故、彼様に先輩の弁護をして、何か斯う彼の先輩と自分との間には一種の関係でもあるやうに他(ひと)に思はせたらう。何故、彼の先輩の名前を彼様(あゝ)他(ひと)の前で口に出したらう。何故、内証で先輩の書いたものを買はなかつたらう。何故、独りで部屋の内に隠れて、読みたい時に密(そつ)と出して読むといふ智慧が出なかつたらう。
 思ひ疲れるばかりで、結局(まとまり)は着かなかつた。
 一夜は斯ういふ風に、褥(しとね)の上で慄(ふる)へたり、煩悶(はんもん)したりして、暗いところを彷徨(さまよ)つたのである。翌日(あくるひ)になつて、いよ/\丑松は深く意(こゝろ)を配るやうに成つた。過去(すぎさ)つた事は最早(もう)仕方が無いとして、是(これ)から将来(さき)を用心しよう。蓮太郎の名――人物――著述――一切、彼(あ)の先輩に関したことは決して他(ひと)の前で口に出すまい。斯う用心するやうに成つた。
 さあ、父の与へた戒(いましめ)は身に染々(しみ/″\)と徹(こた)へて来る。『隠せ』――実にそれは生死(いきしに)の問題だ。あの仏弟子が墨染の衣に守り窶(やつ)れる多くの戒も、是(こ)の一戒に比べては、寧(いつ)そ何でもない。祖師を捨てた仏弟子は、堕落と言はれて済む。親を捨てた穢多の子は、堕落でなくて、零落である。『決してそれとは告白(うちあ)けるな』とは堅く父も言ひ聞かせた。これから世に出て身を立てようとするものが、誰が好んで告白(うちあ)けるやうな真似を為よう。
 丑松も漸(やうや)く二十四だ。思へば好い年齢(とし)だ。
 噫(あゝ)。いつまでも斯うして生きたい。と願へば願ふほど、余計に穢多としての切ない自覚が湧き上るのである。現世の歓楽は美しく丑松の眼に映じて来た。たとへ奈何(いか)なる場合があらうと、大切な戒ばかりは破るまいと考へた。


   第四章

       (一)

 郊外は収穫(とりいれ)の為に忙(せは)しい時節であつた。農夫の群はいづれも小屋を出て、午後の労働に従事して居た。田(た)の面(も)の稲は最早(もう)悉皆(すつかり)刈り乾して、すでに麦さへ蒔付(まきつ)けたところもあつた。一年(ひとゝせ)の骨折の報酬(むくい)を収めるのは今である。雪の来ない内に早く。斯うして千曲川の下流に添ふ一面の平野は、宛然(あだかも)、戦場の光景(ありさま)であつた。
 其日、丑松は学校から帰ると直に蓮華寺を出て、平素(ふだん)の勇気を回復(とりかへ)す積りで、何処へ行くといふ目的(めあて)も無しに歩いた。新町の町はづれから、枯々な桑畠の間を通つて、思はず斯(こ)の郊外の一角へ出たのである。積上げた『藁(わら)によ』の片蔭に倚凭(よりかゝ)つて、霜枯れた雑草の上に足を投出し乍ら、肺の底までも深く野の空気を吸入れた時は、僅に蘇生(いきかへ)つたやうな心地(こゝろもち)になつた。見れば男女の農夫。そこに親子、こゝに夫婦、黄に揚る塵埃(ほこり)を満身に浴びながら、我劣らじと奮闘をつゞけて居た。籾(もみ)を打つ槌(つち)の音は地に響いて、稲扱(いねこ)く音に交つて勇しく聞える。立ちのぼる白い煙もところ/″\。雀の群は時々空に舞揚つて、騒しく鳴いて、軈(やが)てまたぱツと田の面に散乱れるのであつた。
 秋の日は烈しく照りつけて、人々には言ふに言はれぬ労苦を与へた。男は皆な頬冠(ほつかぶ)り、女は皆な編笠(あみがさ)であつた。それはめづらしく乾燥(はしや)いだ、風の無い日で、汗は人々の身体を流れたのである。野に満ちた光を通して、丑松は斯の労働の光景(ありさま)を眺めて居ると、不図(ふと)、倚凭(よりかゝ)つた『藁によ』の側(わき)を十五ばかりの一人の少年が通る。日に焼けた額と、柔嫩(やはらか)な目付とで、直に敬之進の忰(せがれ)と知れた。省吾(しやうご)といふのが其少年の名で、丁度丑松が受持の高等四年の生徒なのである。丑松は其容貌(かほつき)を見る度に、彼の老朽な教育者を思出さずには居られなかつた。
『風間さん、何処(どちら)へ?』
 斯う声を掛けて見る。
『あの、』と省吾は言淀(いひよど)んで、『母さんが沖(野外)に居やすから。』
『母さん?』
『あれ彼処に――先生、あれが吾家(うち)の母さんでごはす。』
 と省吾は指差して見せて、すこし顔を紅(あか)くした。同僚の細君の噂(うはさ)、それを丑松も聞かないでは無かつたが、然し眼前(めのまへ)に働いて居る女が其人とはすこしも知らなかつた。古びた上被(うはつぱり)、茶色の帯、盲目縞(めくらじま)の手甲(てつかふ)、編笠に日を避(よ)けて、身体を前後に動かし乍ら、□々(せつせ)と稲の穂を扱落(こきおと)して居る。信州北部の女はいづれも強健(つよ)い気象のものばかり。克(よ)く働くことに掛けては男子にも勝(まさ)る程であるが、教員の細君で野面(のら)にまで出て、烈しい気候を相手に精出すものも鮮少(すくな)い。是(これ)も境遇からであらう、と憐んで見て居るうちに、省吾はまた指差して、彼の槌を振上げて籾(もみ)を打つ男、彼(あれ)は手伝ひに来た旧(むかし)からの出入のもので、音作といふ百姓であると話した。母と彼男(あのをとこ)との間に、箕(み)を高く頭の上に載せ、少許(すこし)づつ籾を振ひ落して居る女、彼(あれ)は音作の『おかた』(女房)であると話した。丁度其女房が箕を振る度に、空殻(しひな)の塵(ほこり)が舞揚つて、人々は黄色い烟を浴びるやうに見えた。省吾はまた、母の傍(わき)に居る小娘を指差して、彼が異母(はらちがひ)の妹のお作であると話した。
『君の兄弟は幾人(いくたり)あるのかね。』と丑松は省吾の顔を熟視(まも)り乍ら尋ねた。
『七人。』といふ省吾の返事。
『随分多勢だねえ、七人とは。君に、姉さんに、尋常科の進さんに、あの妹に――それから?』
『まだ下に妹が一人と弟が一人。一番年長(うへ)の兄さんは兵隊に行つて死にやした。』
『むゝ左様(さう)ですか。』
『其中で、死んだ兄さんと、蓮華寺へ貰はれて行きやした姉さんと、私(わし)と――これだけ母さんが違ひやす。』
『そんなら、君やお志保さんの真実(ほんたう)の母さんは?』
『最早(もう)居やせん。』
 斯ういふ話をして居ると、不図(ふと)継母(まゝはゝ)の呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。

       (二)

『省吾や。お前(めへ)はまあ幾歳(いくつ)に成つたら御手伝ひする積りだよ。』と言ふ細君の声は手に取るやうに聞えた。省吾は継母を懼(おそ)れるといふ様子して、おづ/\と其前に立つたのである。
『考へて見な、もう十五ぢやねえか。』と怒を含んだ細君の声は復た聞えた。『今日は音さんまで御頼申(おたのまう)して、斯うして塵埃(ほこり)だらけに成つて働(かま)けて居るのに、それがお前の目には見えねえかよ。母さんが言はねえだつて、さつさと学校から帰つて来て、直に御手伝ひするのが当然(あたりまへ)だ。高等四年にも成つて、未(ま)だ□螽捕(いなごと)りに夢中に成つてるなんて、其様(そん)なものが何処にある――与太坊主め。』
 見れば細君は稲扱(いねこ)く手を休めた。音作の女房も振返つて、気の毒さうに省吾の顔を眺め乍ら、前掛を〆直(しめなほ)したり、身体の塵埃(ほこり)を掃つたりして、軈(やが)て顔に流れる膏汗(あぶらあせ)を拭いた。莚(むしろ)の上の籾は黄な山を成して居る。音作も亦た槌の長柄に身を支へて、うんと働いた腰を延ばして、濃く青い空気を呼吸した。
『これ、お作や。』と細君の児を叱る声が起つた。『どうして其様(そん)な悪戯(いたづら)するんだい。女の児は女の児らしくするもんだぞ。真個(ほんと)に、どいつもこいつも碌なものはありやあしねえ。自分の子ながら愛想(あいそ)が尽きた。見ろ、まあ、進を。お前達二人より余程(よつぽど)御手伝ひする。』
『あれ、進だつて遊(あす)んで居やすよ。』といふのは省吾の声。
『なに、遊んでる?』と細君はすこし声を震はせて、『遊んでるものか。先刻(さつき)から御子守をして居やす。其様(そん)なお前のやうな役に立たずぢやねえよ。ちよツ、何ぞと言ふと、直に口答へだ。父さんが過多(めた)甘やかすもんだから、母さんの言ふことなぞ少許(ちつと)も聞きやしねえ。真個(ほんと)に図太(づな)い口の利きやうを為る。だから省吾は嫌ひさ。すこし是方(こちら)が遠慮して居れば、何処迄いゝ気に成るか知れやしねえ。あゝ必定(きつと)また蓮華寺へ寄つて、姉さんに何か言付けて来たんだらう。それで斯様(こんな)に遅くなつたんだらう。内証で隠れて行つて見ろ――酷いぞ。』
『奥様。』と音作は見兼ねたらしい。『何卒(どうか)まあ、今日(こんち)のところは、私(わし)に免じて許して下さるやうに。ない(なあと同じ農夫の言葉)、省吾さん、貴方(あんた)もそれぢやいけやせん。母さんの言ふことを聞かねえやうなものなら、私だつて提棒(さげぼう)(仲裁)に出るのはもう御免だから。』
 音作の女房も省吾の側へ寄つて、軽く背を叩(たゝ)いて私語(さゝや)いた。軈て女房は其手に槌の長柄を握らせて、『さあ、御手伝ひしやすよ。』と亭主の方へ連れて行つた。『どれ、始めずか(始めようか)。』と音作は省吾を相手にし、槌を振つて籾を打ち始めた。『ふむ、よう。』の掛声も起る。細君も、音作の女房も、復た仕事に取懸つた。
 図(はか)らず丑松は敬之進の家族を見たのである。彼(あ)の可憐な少年も、お志保も、細君の真実(ほんたう)の子では無いといふことが解つた。夫の貧を養ふといふ心から、斯うして細君が労苦して居るといふことも解つた。五人の子の重荷と、不幸な夫の境遇とは、細君の心を怒り易く感じ易くさせたといふことも解つた。斯う解つて見ると、猶々(なほ/\)丑松は敬之進を憐むといふ心を起したのである。
 今はすこし勇気を回復した。明(あきらか)に見、明に考へることが出来るやうに成つた。眼前(めのまへ)に展(ひろが)る郊外の景色を眺めると、種々(さま/″\)の追憶(おもひで)は丑松の胸の中を往つたり来たりする。丁度斯うして、田圃(たんぼ)の側(わき)に寝そべり乍ら、収穫(とりいれ)の光景(さま)を眺めた彼(あ)の無邪気な少年の時代を憶出(おもひだ)した。烏帽子(ゑぼし)一帯の山脈の傾斜を憶出した。其傾斜に連なる田畠と石垣とを憶出した。茅萱(ちがや)、野菊、其他種々な雑草が霜葉を垂れる畦道(あぜみち)を憶出した。秋風が田の面を渡つて黄な波を揚げる頃は、□螽(いなご)を捕つたり、野鼠を追出したりして、夜はまた炉辺(ろばた)で狐と狢(むじな)が人を化かした話、山家で言ひはやす幽霊の伝説、放縦(ほしいまゝ)な農夫の男女(をとこをんな)の物語なぞを聞いて、余念もなく笑ひ興じたことを憶出(おもひだ)した。あゝ、穢多の子といふ辛い自覚の味を知らなかつた頃――思へば一昔――其頃と今とは全く世を隔てたかの心地がする。丑松はまた、あの長野の師範校で勉強した時代のことを憶出した。未だ世の中を知らなかつたところからして、疑ひもせず、疑はれもせず、他(ひと)と自分とを同じやうに考へて、笑つたり騒いだりしたことを憶出した。あの寄宿舎の楽しい窓を憶出した。舎監の赤い髭を憶出した。食堂の麦飯の香(にほひ)を憶出した。よく阿弥陀(あみだ)の□(くじ)に当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。夜の休息(やすみ)を知らせる鐘が鳴り渡つて、軈(やが)て見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、沈まりかへつて居た朋輩が復(ま)た起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。終(しまひ)には往生寺の山の上に登つて、苅萱(かるかや)の墓の畔(ほとり)に立ち乍ら、大(おほき)な声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると――実に一生の光景(ありさま)は変りはてた。楽しい過去の追憶(おもひで)は今の悲傷(かなしみ)を二重にして感じさせる。『あゝ、あゝ、奈何(どう)して俺は斯様(こんな)に猜疑深(うたがひぶか)くなつたらう。』斯う天を仰いで歎息した。急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺め乍ら考へて居たが、思はず知らず疲労(つかれ)が出て、『藁によ』に倚凭(よりかゝ)つたまゝ寝て了つた。

       (三)

 ふと眼を覚まして四辺(そこいら)を見廻した時は、暮色が最早(もう)迫つて来た。向ふの田の中の畦道(あぜみち)を帰つて行く人々も見える。荒くれた男女の農夫は幾群か丑松の側(わき)を通り抜けた。鍬(くは)を担いで行くものもあり、俵を背負つて行くものもあり、中には乳呑児(ちのみご)を抱擁(だきかゝ)へ乍ら足早に家路をさして急ぐのもあつた。秋の一日(ひとひ)の烈しい労働は漸(やうや)く終を告げたのである。

次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:479 KB

担当:undef