破戒
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:島崎藤村 

 ともう一度繰返して、それから丑松は斯(こ)の場処を出て行つた。
 其晩はお志保のことを考へ乍ら寝た。一度有つたことは二度有るもの。翌(あく)る晩も其又次の晩も、寝る前には必ず枕の上でお志保を思出すやうになつた。尤も朝になれば、そんなことは忘れ勝ちで、『奈何(どう)して働かう、奈何して生活しよう――自分は是から将来(さき)奈何したら好からう』が日々(にち/\)心を悩ますのである。父の忌服(きぶく)は半ば斯ういふ煩悶のうちに過したので、さていよ/\『奈何する』となつた時は、別に是ぞと言つて新しい途(みち)の開けるでも無かつた。四五日の間、丑松はうんと考へた積りであつた。しかし、後になつて見ると、唯もう茫然(ぼんやり)するやうなことばかり。つまり飯山へ帰つて、今迄通りの生活を続けるより外(ほか)に方法も無かつたのである。あゝ、年は若し、経験は少し、身は貧しく、義務年限には縛られて居る――丑松は暗い前途を思ひやつて、やたらに激昂したり戦慄(ふる)へたりした。


   第拾弐章

       (一)

 二七日(ふたなぬか)が済(す)む、直に丑松は姫子沢を発(た)つことにした。やれ、それ、と叔父夫婦は気を揉(も)んで、暦を繰つて日を見るやら、草鞋(わらぢ)の用意をして呉れるやら、握飯(むすび)は三つも有れば沢山だといふものを五つも造(こしら)へて、竹の皮に包んで、別に瓜の味噌漬(みそづけ)を添へて呉れた。お妻の父親(おやぢ)もわざわざやつて来て、炉辺(ろばた)での昔語。煤(すゝ)けた古壁に懸かる例の『山猫』を見るにつけても、亡(な)くなつた老牧夫の噂(うはさ)は尽きなかつた。叔母が汲んで出す別離(わかれ)の茶――其色も濃く香も好いのを飲下した時は、どんなにか丑松も暖い血縁(みうち)のなさけを感じたらう。道祖神の立つ故郷(ふるさと)の出口迄叔父に見送られて出た。
 其日は灰色の雲が低く集つて、荒寥(くわうれう)とした小県(ちひさがた)の谷間(たにあひ)を一層暗欝(あんうつ)にして見せた。烏帽子(ゑぼし)一帯の山脈も隠れて見えなかつた。父の墓のある西乃入の沢あたりは、あるひは最早(もう)雪が来て居たらう。昨日一日の凩(こがらし)で、急に枯々な木立も目につき、梢(こずゑ)も坊主になり、何となく野山の景色が寂しく冬らしくなつた。長い、長い、考へても淹悶(うんざり)するやうな信州の冬が、到頭(たうとう)やつて来た。人々は最早あの□染(くちなしぞめ)の真綿帽子を冠り出した。荷をつけて通る馬の鼻息の白いのを見ても、いかに斯(この)山上の気候の変化が激烈であるかを感ぜさせる。丑松は冷い空気を呼吸し乍ら、岩石の多い坂路を下りて行つた。荒谷(あらや)の村はづれ迄行けば、指の頭(さき)も赤く腫(は)れ脹(ふく)らんで、寒さの為に感覚を失つた位。
 田中から直江津行の汽車に乗つて、豊野へ着いたのは丁度正午(ひる)すこし過。叔母が呉れた握飯(むすび)は停車場(ステーション)前の休茶屋で出して食つた。空腹(すきばら)とは言ひ乍ら五つ迄は。さて残つたのを捨てる訳にもいかず、犬に呉れるは勿体(もつたい)なし、元の竹の皮に包んで外套(ぐわいたう)の袖袋(かくし)へ突込んだ。斯うして腹をこしらへた上、川船の出るといふ蟹沢を指して、草鞋(わらぢ)の紐(ひも)を〆直(しめなほ)して出掛けた。其間凡(およ)そ一里許(ばかり)。尤も往きと帰りとでは、同じ一里が近く思はれるもので、北国街道の平坦(たひら)な長い道を独りてく/\やつて行くうちに、いつの間にか丑松は広濶(ひろ/″\)とした千曲川(ちくまがは)の畔(ほとり)へ出て来た。急いで蟹沢の船場迄行つて、便船(びんせん)は、と尋ねて見ると、今々飯山へ向けて出たばかりといふ。どうも拠(よんどころ)ない。次の便船の出るまで是処(こゝ)で待つより外は無い。それでもまだ歩いて行くよりは増だ、と考へて、丑松は茶屋の上(あが)り端(はな)に休んだ。
 霙(みぞれ)が落ちて来た。空はいよ/\暗澹(あんたん)として、一面の灰紫色に掩(おほ)はれて了(しま)つた。斯うして一時間の余も待つて居るといふことが、既にもう丑松の身にとつては、堪へ難い程の苦痛(くるしみ)であつた。それに、道を急いで来た為に、いやに身体(からだ)は蒸(む)されるやう。襯衣(シャツ)の背中に着いたところは、びつしより熱い雫(しづく)になつた。額に手を当てゝ見れば、汗に濡(ぬ)れた髪の心地(こゝろもち)の悪さ。胸のあたりを掻展(かきひろ)げて、少許(すこし)気息(いき)を抜いて、軈(やが)て濃い茶に乾いた咽喉(のど)を霑(うるほ)して居る内に、ポツ/\舟に乗る客が集つて来る。あるものは奥の炬燵(こたつ)にあたるもあり、あるものは炉辺へ行つて濡れた羽織を乾すもあり、中には又茫然(ぼんやり)と懐手して人の談話(はなし)を聞いて居るのもあつた。主婦(かみさん)は家(うち)の内でも手拭を冠り、藍染真綿を亀の甲のやうに着て、茶を出すやら、座蒲団を勧めるやら、金米糖(こんぺいたう)は古い皿に入れて款待(もてな)した。
 丁度そこへ二台の人力車(くるま)が停つた。矢張(やはり)斯の霙(みぞれ)を衝(つ)いて、便船に後(おく)れまいと急いで来た客らしい。人々の視線は皆な其方に集つた。車夫はまるで濡鼠、酒代(さかて)が好いかして威勢よく、先づ雨被(あまよけ)を取除(とりはづ)して、それから手荷物のかず/\を茶屋の内へと持運ぶ。つゞいて客もあらはれた。

       (二)

 丑松が驚いたのは無理もなかつた。それは高柳の一行であつた。往(ゆ)きに一緒に成つて、帰りにも亦(ま)た斯(こ)の通り一緒に成るとは――しかも、同じ川舟を待合はせるとは。それに往きには高柳一人であつたのが、帰りには若い細君らしい女と二人連。女は、薄色縮緬(うすいろちりめん)のお高祖(こそ)を眉深(まぶか)に冠つたまゝ、丑松の腰掛けて居る側を通り過ぎた。新しい艶のある吾妻袍衣(あづまコート)に身を包んだ其嫋娜(すらり)とした後姿を見ると、斯(こ)の女が誰であるかは直に読める。丑松はあの蓮太郎の話を想起(おもひおこ)して、いよ/\其が事実であつたのに驚いて了(しま)つた。
 主婦(かみさん)に導かれて、二人はずつと奥の座敷へ通つた。そこには炬燵(こたつ)が有つて、先客一人、五十あまりの坊主、直に慣々(なれ/\)しく声を掛けたところを見ると、かねて懇意の仲ででも有らう。軈(やが)て盛んな笑声が起る。丑松は素知らぬ顔、屋外(そと)の方へ向いて、物寂(ものさみ)しい霙(みぞれ)の空を眺めて居たが、いつの間にか後の方へ気を取られる。聞くとは無しについ聞耳を立てる。座敷の方では斯様(こん)な談話(はなし)をして笑ふのであつた。
『道理で――君は暫時(しばらく)見えないと思つた。』と言ふは世慣(よな)れた坊主の声で、『私(わし)は又、選挙の方が忙しくて、其で地方廻りでも為(し)て居るのかと思つた。へえ、左様(さう)ですかい、そんな御目出度(おめでたい)ことゝは少許(すこし)も知らなかつたねえ。』
『いや、どうも忙しい思(おもひ)を為て来ましたよ。』斯(か)う言つて笑ふ声を聞くと、高柳はさも得意で居るらしい。
『それはまあ何よりだつた。失礼ながら、奥様(おくさん)は? 矢張(やはり)東京の方からでも?』
『はあ。』
 この『はあ』が丑松を笑はせた。
 談話(はなし)の様子で見ると、高柳夫婦は東京の方へ廻つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から飯山へ乗込むといふ寸法らしい。そこは抜目の無い、細工の多い男だから、根津から直に引返すやうなことを為(し)ないで、わざ/\遠廻りして帰つて来たものと見える。さて、坊主を捕(つかま)へて、片腹痛いことを吹聴(ふいちやう)し始めた。聞いて居る丑松には其心情の偽(いつはり)が読め過ぎるほど読めて、終(しまひ)には其処に腰掛けても居られないやうになつた。『恐しい世の中だ』――斯う考へ乍ら、あの夫婦の暗い秘密を自分の身に引比べると、さあ何となく気懸りでならない。やがて、故意(わざ)と無頓着な様子を装(つくろ)つて、ぶらりと休茶屋の外へ出て眺めた。
 霙(みぞれ)は絶えず降りそゝいで居た。あの越後路から飯山あたりへかけて、毎年(まいとし)降る大雪の前駆(さきぶれ)が最早やつて来たかと思はせるやうな空模様。灰色の雲は対岸に添ひ徊徘(さまよ)つた、広濶(ひろ/″\)とした千曲川の流域が一層遠く幽(かすか)に見渡される。上高井の山脈、菅平の高原、其他畳み重なる多くの山々も雪雲に埋没(うづも)れて了(しま)つて、僅かに見えつ隠れつして居た。
 斯うして茫然(ばうぜん)として、暫時(しばらく)千曲川の水を眺めて居たが、いつの間にか丑松の心は背後(うしろ)の方へ行つて了つた。幾度か丑松は振返つて二人の様子を見た。見まい/\と思ひ乍ら、つい見た。丁度乗船の切符を売出したので、人々は皆な争つて買つた。間も無く船も出るといふ。混雑する旅人の群に紛(まぎ)れて、先方(さき)の二人も亦た時々盗むやうに是方(こちら)の様子を注意するらしい――まあ、思做(おもひなし)の故(せゐ)かして、すくなくとも丑松には左様(さう)酌(と)れたのである。女の方で丑松を知つて居るか、奈何か、それは克(よ)く解らないが、丑松の方では確かに知つて居る。髪のかたちこそ新婚の人のそれに結ひ変へては居るが、紛れの無い六左衛門の娘、白いもの花やかに彩色(いろどり)して恥の面を塗り隠し、野心深い夫に倚添(よりそ)ひ、崖(がけ)にある坂路をつたつて、舟に乗るべきところへ下りて行つた。『何と思つて居るだらう――あの二人は。』斯う考へ乍ら、丑松も亦た人々の後に随(つ)いて、一緒にその崖を下りた。

       (三)

 川舟は風変りな屋形造りで、窓を附け、舷(ふなべり)から下を白く化粧して赤い二本筋を横に表してある。それに、艫寄(ともより)の半分を板戸で仕切つて、荷積みの為に区別がしてあるので、客の座るところは細長い座敷を見るやう。立てば頭が支へる程。人々はいづれも狭苦しい屋形の下に膝を突合せて乗つた。
 やがて水を撃つ棹(さを)の音がした。舟底は砂の上を滑り始めた。今は二挺櫓(ろ)で漕ぎ離れたのである。丑松は隅の方に両足を投出して、独り寂しさうに巻煙草を燻(ふか)し乍(なが)ら、深い/\思に沈んで居た。河の面に映る光線の反射は割合に窓の外を明くして、降りそゝぐ霙の眺めをおもしろく見せる。舷(ふなべり)に触れて囁(つぶや)くやうに動揺する波の音、是方(こちら)で思つたやうに聞える眠たい櫓のひゞき――あゝ静かな水の上だ。荒寥(くわうれう)とした岸の楊柳(やなぎ)もところ/″\。時としては其冬木の姿を影のやうに見て進み、時としては其枯々な枝の下を潜るやうにして通り抜けた。是(これ)から将来(さき)の自分の生涯は畢竟(つまり)奈何(どう)なる。斯う丑松は自分で自分に尋ねることもあつた。誰が其を知らう。窓から首を出して飯山の空を眺めると、重く深く閉塞(とぢふさが)つた雪雲の色はうたゝ孤独な穢多の子の心を傷(いた)ましめる。残酷なやうな、可懐(なつか)しいやうな、名のつけやうの無い心地(こゝろもち)は丑松の胸の中を掻乱(かきみだ)した。今――学校の連中は奈何(どう)して居るだらう。友達の銀之助は奈何して居るだらう。あの不幸な、老朽な敬之進は奈何して居るだらう。蓮華寺の奥様は。お志保は。と不図、省吾から来た手紙の文句なぞを思出して見ると、逢(あ)ひたいと思ふ其人に復(ま)た逢はれるといふ楽みが無いでもない。丑松はあの寺の古壁を思ひやるごとに、空寂なうちにも血の湧くやうな心地(こゝろもち)に帰るのであつた。
『蓮華寺――蓮華寺。』
 と水に響く櫓の音も同じやうに調子を合せた。
 霙は雪に変つて来た。徒然(つれ/″\)な舟の中は人々の雑談で持切つた。就中(わけても)、高柳と一緒になつた坊主、茶にしたやうな口軽な調子で、柄に無い政事上の取沙汰(とりざた)、酢(す)の菎蒻(こんにやく)のとやり出したので、聞く人は皆な笑ひ憎んだ。斯(こ)の坊主に言はせると、選挙は一種の遊戯で、政事家は皆な俳優に過ぎない、吾儕(われ/\)は唯見物して楽めば好いのだと。斯の言葉を聞いて、また人々が笑へば、そこへ弥次馬が飛出す、其尾に随いて贔顧(ひいき)不贔顧(ぶひいき)の論が始まる。『いよ/\市村も侵入(きりこ)んで来るさうだ。』と一人が言へば、『左様(さう)言ふ君こそ御先棒に使役(つか)はれるんぢや無いか。』と攪返(まぜかへ)すものがある。弁護士の名は幾度か繰返された。其を聞く度に、高柳は不快らしい顔付。ふゝむと鼻の先で笑つて、嘲つたやうに口唇を引歪(ひきゆが)めた。
 斯(か)ういふ他(ひと)の談話(はなし)の間にも、女は高柳の側に倚添つて、耳を澄まして、夫の機嫌を取り乍ら聞いて居た。見れば、美しい女の数にも入るべき人で、殊(こと)に華麗(はなやか)な新婚の風俗は多くの人の目を引いた。髪は丸髷(まるまげ)に結ひ、てがらは深紅(しんく)を懸け、桜色の肌理(きめ)細やかに肥えあぶらづいて、愛嬌(あいけう)のある口元を笑ふ度に掩ひかくす様は、まだ世帯の苦労なぞを知らない人である。さすが心の表情は何処(どこ)かに読まれるもので――大きな、ぱつちりとした眼のうちには、何となく不安の色も顕(あらは)れて、熟(じつ)と物を凝視(みつ)めるやうな沈んだところも有つた。どうかすると、女は高柳の耳の側へ口を寄せて、何か人に知れないやうに私語(さゝや)くことも有つた。どうかすると又、丑松の方を盗むやうに見て、『おや、彼の人は――何処かで見掛けたやうな気がする』と斯う其眼で言ふことも有つた。
 同族の哀憐(あはれみ)は、斯の美しい穢多の女を見るにつけても、丑松の胸に浮んで来た。人種さへ変りが無くば、あれ程の容姿(きりやう)を持ち、あれ程富有(ゆたか)な家に生れて来たので有るから、無論相当のところへ縁付かれる人だ――彼様(あん)な野心家の餌(ゑば)なぞに成らなくても済(す)む人だ――可愛さうに。斯う考へると同時に、丁度女も自分と同じ秘密を持つて居るかと思ひやると、どうも其処が気懸りでならない。よしんば先方(さき)で自分を知つて居るとしたところで、其が奈何(どう)した、と丑松は自分で自分に尋ねて見た。根津の人、または姫子沢のもの、と思つて居るなら自分に取つて一向恐れるところは無い。恐れるとすれば、其は反(かへ)つて先方(さき)のことだ。斯う自分で答へて見た。第一、自分は四五年以来(このかた)、数へる程しか故郷へ帰らなかつた――卒業した時に一度――それから今度の帰省が足掛三年目――まあ、あの向町なぞは成るべく避(よ)けて通らなかつたし、通つたところで他(ひと)が左様(さう)注意して見る筈も無し、見たところで何処のものだか解らない――大丈夫。斯う用心深く考へても見た。畢竟(つまり)自分が二人の暗い秘密を聞知つたから、それで斯う気が咎(とが)めるのであらう。彼様(あゝ)して私語(さゝや)くのは何でも無いのであらう。避けるやうな素振(そぶり)は唯人目を羞(は)ぢるのであらう。あの目付も。
 とはいふものゝ、何となく不安に思ふ其懸念が絶えず心の底にあつた。丑松は高柳夫婦を見ないやうにと勉(つと)めた。

       (四)

 千曲川の瀬に乗つて下ること五里。尤(もつと)も、其間には、ところ/″\の舟場へも漕ぎ寄せ、洪水のある度に流れるといふ粗造な船橋の下をも潜り抜けなどして、そんなこんなで手間取れた為に、凡(およ)そ三時間は舟旅に費(かゝ)つた。飯山へ着いたのは五時近い頃。其日は舟の都合で、乗客一同上(かみ)の渡しまで。丑松は人々と一緒に其処から岸へ上つた。見れば雪は河原にも、船橋の上にも在つた。丁度小降のなかを暮れて、仄白(ほのじろ)く雪の町々。そこにも、こゝにも、最早ちら/\灯(あかり)が点く。其時蓮華寺で撞(つ)く鐘の音が黄昏(たそがれ)の空に響き渡る――あゝ、庄馬鹿が撞くのだ。相変らず例の鐘楼に上つて冬の一日(ひとひ)の暮れたことを報せるのであらう。と其を聞けば、言ふに言はれぬ可懐(なつか)しさが湧上つて来る。丑松は久し振りで飯山の地を踏むやうな心地(こゝろもち)がした。
 半月ばかり見ないうちに、家々は最早(もう)冬籠(ふゆごもり)の用意、軒丈ほどの高さに毎年(まいとし)作りつける粗末な葦簾(よしず)の雪がこひが悉皆(すつかり)出来上つて居た。越後路と同じやうな雪国の光景(ありさま)は丑松の眼前(めのまへ)に展(ひら)けたのである。
 新町の通りへ出ると、一筋暗く踏みつけた町中の雪道を用事ありげな男女(をとこをんな)が往つたり来たりして居た。いづれも斯(こ)の夕暮を急ぐ人々ばかり。丑松は右へ避(よ)け、左へ避けして、愛宕(あたご)町をさして急いで行かうとすると、不図(ふと)途中で一人の少年に出逢(であ)つた。近いて見ると、それは省吾で、何か斯う酒の罎(びん)のやうなものを提げて、寒さうに慄(ふる)へ乍(なが)らやつて来た。
『あれ、瀬川先生。』と省吾は嬉しさうに馳寄(かけよ)つて、『まあ、魂消(たまげ)た――それでも先生の早かつたこと。私はまだ/\容易に帰りなさらないかと思ひやしたよ。』
 好く言つて呉れた。斯の無邪気な少年の驚喜した顔付を眺(なが)めると、丑松は最早(もう)あのお志保に逢ふやうな心地(こゝろもち)がしたのである。
『君は――お使かね。』
『はあ。』
 と省吾は黒ずんだ色の罎を出して見せる。出して見せ乍ら、笑つた。
 果して父の為に酒を買つて帰つて行くところであつた。『此頃(こなひだ)は御手紙を難有う。』斯(か)う丑松は礼を述べて、一寸学校の様子を聞いた。自分が留守の間、毎日誰か代つて教へたと尋ねた。それから敬之進のことを尋ねて見た。
『父さん?』と省吾は寂(さみ)しさうに笑つて、『あの、父さんは家に居りやすよ。』
 よく/\言ひ様に窮(こま)つたと見えて、斯う答へたが、子供心にも父を憐むといふ情合(じやうあひ)は其顔色に表れるのであつた。見れば省吾は足袋も穿(は)いて居なかつた。斯うして酒の罎を提げて悄然(しよんぼり)として居る少年の様子を眺めると、あの無職業な敬之進が奈何して日を送つて居るかも大凡(おほよそ)想像がつく。
『家へ帰つたらねえ、父さんに宜敷(よろしく)言つて下さい。』
 と言はれて、省吾は御辞儀一つして、軈(やが)てぷいと駈出して行つて了つた。丑松も雪の中を急いだ。

       (五)

 宵(よひ)の勤行(おつとめ)も終る頃で、子坊主がかん/\鳴らす鉦(かね)の音を聞き乍ら、丑松は蓮華寺の山門を入つた。上の渡しから是処迄(こゝまで)来るうちに、もう悉皆(すつかり)雪だらけ。羽織の裾も、袖も真白。其と見た奥様は飛んで出て、吾子が旅からでも帰つて来たかのやうに喜んだ。人々も出て迎へた。下女の袈裟治(けさぢ)は塵払(はたき)を取出して、背中に附いた雪を払つて呉れる。庄馬鹿は洗足(すゝぎ)の湯を汲んで持つて来る。疲れて、がつかりして、蔵裏(くり)の上(あが)り框(がまち)に腰掛け乍ら、雪の草鞋(わらぢ)を解(ほど)いた後、温暖(あたゝか)い洗(すゝ)ぎ湯(ゆ)の中へ足を浸した時の其丑松の心地は奈何(どんな)であつたらう。唯(たゞ)――お志保の姿が見えないのは奈何したか。人々の情を嬉敷(うれしく)思ふにつけても、丑松は心に斯(か)う考へて、何となく其人の居ないのが物足りなかつた。
 其時、白衣(びやくえ)に袈裟(けさ)を着けた一人の僧が奥の方から出て来た。奥様の紹介(ひきあはせ)で、丑松は始めて蓮華寺の住職を知つた。聞けば、西京から、丑松の留守中に帰つたといふ。丁度町の檀家(だんか)に仏事が有つて、これから出掛けるところとやら。住職は一寸丑松に挨拶して、寺内の僧を供に連れて出て行つた。
 夕飯(ゆふはん)は蔵裏の下座敷であつた。人々は丑松を取囲(とりま)いて、旅の疲労(つかれ)を言慰めたり、帰省の様子を尋ねたりした。煤けた古壁によせて、昔からあるといふ衣桁(えかう)には若い人の着るものなぞが無造作に懸けてある。其晩は学校友達の婚礼とかで、お志保も招ばれて行つたとのこと。成程(なるほど)左様(さう)言はれて見ると、其人の平常衣(ふだんぎ)らしい。亀甲綛(きつかふがすり)の書生羽織に、縞(しま)の唐桟(たうざん)を重ね、袖だゝみにして折り懸け、長襦袢(ながじゆばん)の色の紅梅を見るやうなは八口(やつくち)のところに美しくあらはれて、朝に晩に肌身に着けるものかと考へると、その壁の模様のやうに動かずにある着物が一層(ひとしほ)お志保を可懐(なつか)しく思出させる。のみならず、五分心の洋燈(ランプ)のひかりは香の煙に交る室内の空気を照らして、物の色艶なぞを奥床しく見せるのであつた。
 さま/″\の物語が始まつた。驚き悲しむ人々を前に置いて、丑松は実地自分が歴(へ)て来た旅の出来事を語り聞かせた。種牛の為に傷けられた父の最後、番小屋で明した山の上の一夜、牧場の葬式、谷蔭の墓、其他草を食ひ塩を嘗(な)め谷川の水を飲んで烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の麓に彷徨(さまよ)ふ牛の群のことを話した。丑松は又、上田の屠牛場(とぎうば)のことを話した。其小屋の板敷の上には種牛の血汐が流れた光景(ありさま)を話した。唯、蓮太郎夫婦に出逢つたこと、別れたこと、それから飯山へ帰る途中川舟に乗合した高柳夫婦――就中(わけても)、あの可憐(あはれ)な美しい穢多の女の身の上に就いては、決して一語(ひとこと)も口外しなかつた。
 斯うして帰省中のいろ/\を語り聞かせて居るうちに、次第に丑松は一種不思議な感想(かんじ)を起すやうに成つた。それは、丑松の積りでは、対手が自分の話を克(よ)く聞いて居て呉れるのだらうと思つて、熱心になつて話して居ると、どうかすると奥様の方では妙な返事をして、飛んでも無いところで『え?』なんて聞き直して、何か斯う話を聞き乍ら別の事でも考へて居るかのやうに――まあ、半分は夢中で応対(うけこたへ)をして居るのだと感づいた。終(しまひ)には、対手が何にも自分の話を聞いて居ないのだといふことを発見(みいだ)した。しばらく丑松は茫然(ぼんやり)として、穴の開くほど奥様の顔を熟視(みまも)つたのである。
 克く見れば、奥様は両方の□(まぶち)を泣腫(なきは)らして居る。唯さへ気の短い人が余計に感じ易く激し易く成つて居る。言ふに言はれぬ心配なことでも起つたかして、時々深い憂愁(うれひ)の色が其顔に表はれたり隠れたりした。一体、是(これ)は奈何(どう)したのであらう。聞いて見れば留守中、別に是ぞと変つた事も無かつた様子。銀之助は親切に尋ねて呉れたといふし、文平は克(よ)く遊びに来て話して行くといふ。それから斯の寺の方から言へば、住職が帰つたといふことより外に、何も新しい出来事は無かつたらしい。それにしても斯の内部(なか)の様子の何処となく平素(ふだん)と違ふやうに思はれることは。
 軈(やが)て袈裟治は二階へ上つて行つて、部屋の洋燈(ランプ)を点(つ)けて来て呉れた。お志保はまだ帰らなかつた。
『奈何(どう)したんだらう、まあ彼の奥様の様子は。』
 斯う胸の中で繰返し乍ら、丑松は暗い楼梯(はしごだん)を上つた。
 其晩は遅く寝た。過度の疲労に刺激されて、反(かへ)つて能(よ)く寝就かれなかつた。例の癖で、頭を枕につけると、またお志保のことを思出した。尤も何程(いくら)心に描いて見ても、明瞭(あきらか)に其人が浮んだためしは無い。どうかすると、お妻と混同(ごつちや)になつて出て来ることも有る。幾度か丑松は無駄骨折をして、お志保の俤を捜さうとした。瞳を、頬を、髪のかたちを――あゝ、何処を奈何(どう)捜して見ても、何となく其処に其人が居るとは思はれ乍ら、それで奈何しても統一(まとまり)が着かない。時としては彼(あ)のつつましさうに物言ふ声を、時としては彼の口唇(くちびる)にあらはれる若々しい微笑(ほゝゑみ)を――あゝ、あゝ、記憶ほど漠然(ぼんやり)したものは無い。今、思ひ出す。今、消えて了ふ。丑松は顕然(はつきり)と其人を思ひ浮べることが出来なかつた。


   第拾参章

       (一)

『御頼申(おたのまう)します。』
 蓮華寺の蔵裏(くり)へ来て、斯う言ひ入れた一人の紳士がある。それは丑松が帰つた翌朝(あくるあさ)のこと。階下(した)では最早(もう)疾(とつく)に朝飯(あさはん)を済まして了つたのに、未だ丑松は二階から顔を洗ひに下りて来なかつた。『御頼申します。』と復(ま)た呼ぶので、下女の袈裟治は其を聞きつけて、周章(あわ)てゝ台処の方から飛んで出て来た。
『一寸伺ひますが、』と紳士は至極丁寧な調子で、『瀬川さんの御宿は是方様(こちらさま)でせうか――小学校へ御出(おで)なさる瀬川さんの御宿は。』
『左様(さう)でやすよ。』と下女は襷(たすき)を脱(はづ)し乍ら挨拶した。
『何ですか、御在宿(おいで)で御座(ござい)ますか。』
『はあ、居なさりやす。』
『では、是非御目に懸りたいことが有まして、斯ういふものが伺ひましたと、何卒(どうか)左様(さう)仰(おつしや)つて下さい。』
 と言つて、紳士は下女に名刺を渡す。下女は其を受取つて、『一寸、御待ちなすつて』を言捨て乍ら、二階の部屋へと急いだ。
 丑松は未(ま)だ寝床を離れなかつた。下女が枕頭(まくらもと)へ来て喚起(よびおこ)した時は、客の有るといふことを半分夢中で聞いて、苦しさうに呻吟(うな)つたり、手を延ばしたりした。軈(やが)て寝惚眼(ねぼけまなこ)を擦り/\名刺を眺めると、急に驚いたやうに、むつくり跳(は)ね起きた。
『奈何(どう)したの、斯人(このひと)が。』
『貴方(あんた)を尋ねて来なさりやしたよ。』
 暫時(しばらく)の間、丑松は夢のやうに、手に持つた名刺と下女の顔とを見比べて居た。
『斯人は僕のところへ来たんぢや無いんだらう。』
 と不審を打つて、幾度か小首を傾(かし)げる。
『高柳利三郎?』
 と復(ま)た繰返した。袈裟治は襷を手に持つて、一寸小肥りな身体(からだ)を動(ゆす)つて、早く返事を、と言つたやうな顔付。
『何か間違ひぢやないか。』到頭丑松は斯う言出した。『どうも、斯様(こん)な人が僕のところへ尋ねて来る筈(はず)が無い。』
『だつて、瀬川さんと言つて尋ねて来なすつたもの――小学校へ御出なさる瀬川さんと言つて。』
『妙なことが有ればあるもんだなあ。高柳――高柳利三郎――彼の男が僕のところへ――何の用が有つて来たんだらう。兎(と)も角(かく)も逢つて見るか。それぢやあ、御上りなさいツて、左様(さう)言つて下さい。』
『それはさうと、御飯は奈何(どう)しやせう。』
『御飯?』
『あれ、貴方(あんた)は起きなすつたばかりぢやごはせんか。階下(した)で食べなすつたら? 御味噌汁(おみおつけ)も温めてありやすにサ。』
『廃(よ)さう。今朝は食べたく無い。それよりは客を下の座敷へ通して、一寸待たして置いて下さい――今、直に斯部屋を片付けるから。』
 袈裟治は下りて行つた。急に丑松は部屋の内を眺め廻した。着物を着更へるやら、寝道具を片付けるやら。そこいらに散乱(ちらか)つたものは皆な押入の内へ。床の間に置並べた書籍(ほん)の中には、蓮太郎のものも有る。手捷(てばしこ)く其を机の下へ押込んで見たが、また取出して、押入の内の暗い隅の方へ隠蔽(かく)すやうにした。今は斯(こ)の部屋の内にあの先輩の書いたものは一冊も出て居ない。斯う考へて、すこし安心して、さて顔を洗ふつもりで、急いで楼梯(はしごだん)を下りた。それにしても何の用事があつて、彼様(あん)な男が尋ねて来たらう。途中で一緒に成つてすら言葉も掛けず、見れば成る可く是方(こちら)を避(よ)けようとした人。其人がわざ/\やつて来るとは――丑松は客を自分の部屋へ通さない前から、疑心(うたがひ)と恐怖(おそれ)とで慄(ふる)へたのである。

       (二)

『始めまして――私は高柳利三郎です。かねて御名前は承つて居りましたが、つい未(ま)だ御尋(おたづ)ねするやうな機会も無かつたものですから。』
『好く御入来(おいで)下さいました。さあ、何卒(どうか)まあ是方(こちら)へ。』
 斯(か)ういふ挨拶を蔵裏の下座敷で取交して、やがて丑松は二階の部屋の方へ客を導いて行つた。
 突然な斯の来客の底意の程も図りかね、相対(さしむかひ)に座(すわ)る前から、もう何となく気不味(きまづ)かつた。丑松はすこしも油断することが出来なかつた。とは言ふものゝ、何気ない様子を装(つくろ)つて、自分は座蒲団を敷いて座り、客には白い毛布を四つ畳みにして薦(すゝ)めた。
『まあ、御敷下さい。』と丑松は快濶(くわいくわつ)らしく、『どうも失礼しました。実は昨晩遅かつたものですから、寝過して了(しま)ひまして。』
『いや、私こそ――御疲労(おつかれ)のところへ。』と高柳は如才ない調子で言つた。『昨日(さくじつ)は舟の中で御一緒に成ました時に、何とか御挨拶を申上げようか、申上げなければ済まないが、と斯(か)う存じましたのですが、あんな処で御挨拶しますのも反(かへ)つて失礼と存じまして――御見懸け申し乍ら、つい御無礼を。』
 丁度取引でも為るやうな風に、高柳は話し出した。しかし、愛嬌(あいけう)のある、明白(てきぱき)した物の言振(いひぶり)は、何処かに人を□(ひきつ)けるところが無いでもない。隆とした其風采(なりふり)を眺めたばかりでも、いかに斯の新進の政事家が虚栄心の為に燃えて居るかを想起(おもひおこ)させる。角帯に纏ひつけた時計の鎖は富豪の身を飾ると同じやうなもの。それに指輪は二つまで嵌(は)めて、いづれも純金の色に光り輝いた。『何の為に尋ねて来たのだらう、是男は。』と斯う丑松は心に繰返して、対手の暗い秘密を自分の身に思比べた時は、長く目と目を見合せることも出来ない位。
 高柳は膝を進めて、
『承りますれば御不幸が御有なすつたさうですな。さぞ御力落しでいらつしやいませう。』
『はい。』と丑松は自分の手を眺め乍ら答へた。『飛んだ災難に遭遇(であひ)まして、到頭阿爺(おやぢ)も亡(な)くなりました。』
『それは奈何(どう)も御気の毒なことを。』と言つて、急に高柳は思ひついたやうに、『むゝ、左様々々(さう/\)、此頃(こなひだ)も貴方と豊野の停車場(ステーション)で御一緒に成つて、それから私が田中で下りる、貴方も御下りなさる――左様でしたらう、ホラ貴方も田中で御下りなさる。丁度彼の時が御帰省の途中だつたんでせう。して見ると、貴方と私とは、往きも、還りも御一緒――はゝゝゝゝ。何か斯う克(よ)く/\の因縁(いんねん)づくとでも、まあ、申して見たいぢや有ませんか。』
 丑松は答へなかつた。
『そこです。』と高柳は言葉に力を入れて、『御縁が有ると思へばこそ、斯(か)うして御話も申上げるのですが――実は、貴方の御心情に就きましても、御察し申して居ることも有ますし。』
『え?』と丑松は対手(あひて)の言葉を遮(さへぎ)つた。
『そりやあもう御察し申して居ることも有ますし、又、私の方から言ひましても、少許(すこし)は察して頂きたいと思ひまして、それで御邪魔に出ましたやうな訳なんで。』
『どうも貴方の仰(おつしや)ることは私に能く解りません。』
『まあ、聞いて下さい――』
『ですけれど、どうも貴方の御話の意味が汲取れないんですから。』
『そこを察して頂きたいと言ふのです。』と言つて、高柳は一段声を低くして、『御聞及びでも御座(ござい)ませうが、私も――世話して呉れるものが有まして――家内を迎へました。まあ、世の中には妙なことが有るもので、あの家内の奴が好く貴方を御知り申して居るのです。』
『はゝゝゝゝ、奥様(おくさん)が私を御存じなんですか。』と言つて丑松は少許(すこし)調子を変へて、『しかし、それが奈何(どう)しました。』
『ですから私も御話に出ましたやうな訳なんで。』
『と仰ると?』
『まあ、家内なぞの言ふことですから、何が何だか解りませんけれど――実際、女の話といふものは取留の無いやうなものですからなあ――しかし、不思議なことには、彼奴(あいつ)の家(うち)の遠い親類に当るものとかが、貴方の阿爺(おとつ)さんと昔御懇意であつたとか。』斯(か)う言つて、高柳は熱心に丑松の様子を窺(うかゞ)ふやうにして見て、『いや、其様(そん)なことは、まあ奈何でもいゝと致しまして、家内が貴方を御知り申して居ると言ひましたら、貴方だつても御聞流しには出来ますまいし、私も亦た私で、どうも不安心に思ふことが有るものですから――実は、昨晩は、その事を考へて、一睡も致しませんでした。』
 暫時(しばらく)部屋の内には声が無かつた。二人は互ひに捜(さぐ)りを入れるやうな目付して、無言の儘(まゝ)で相対して居たのである。
『噫(あゝ)。』と高柳は投げるやうに嘆息した。『斯様(こん)な御話を申上げに参るといふのは、克(よ)く/\だと思つて頂きたいのです。貴方より外に吾儕(わたしども)夫婦(ふうふ)のことを知つてるものは無し、又、吾儕夫婦より外に貴方のことを知つてるものは有ません――ですから、そこは御互ひ様に――まあ、瀬川さん左様(さう)ぢや有ませんか。』と言つて、すこし調子を変へて、『御承知の通り、選挙も近いてまゐりました。どうしても此際(こゝ)のところでは貴方に助けて頂かなければならない。もし私の言ふことを聞いて下さらないとすれば、私は今、こゝで貴方と刺しちがへて死にます――はゝゝゝゝ、まさか貴方の性命(いのち)を頂くとも申しませんがね、まあ、私は其程の決心で参つたのです。』

       (三)

 其時、楼梯(はしごだん)を上つて来る人の足音がしたので、急に高柳は口を噤(つぐ)んで了(しま)つた。『瀬川先生、御客様(おきやくさん)でやすよ。』と呼ぶ袈裟治の声を聞きつけて、ついと丑松は座を離れた。唐紙を開けて見ると、もうそこへ友達が微笑み乍ら立つて居たのである。
『おゝ、土屋君か。』
 と思はず丑松は溜息を吐いた。
 銀之助は一寸高柳に会釈(ゑしやく)して、別に左様(さう)主客の様子を気に留めるでもなく、何か用事でも有るのだらう位に、例の早合点から独り定めに定めて、
『昨夜君は帰つて来たさうだね。』
 と慣々(なれ/\)しい調子で話し出した。相変らず快活なは斯の人。それに遠からず今の勤務(つとめ)を廃(や)めて、農科大学の助手として出掛けるといふ、その希望(のぞみ)が胸の中に溢(あふ)れるかして、血肥りのした顔の面は一層活々と輝いた。妙なもので、短く五分刈にして居る散髪頭が反(かへ)つて若い学者らしい威厳を加へたやうに見える。友達ながらに一段の難有(ありがた)みが出来た。丑松は何となく圧倒(けおさ)れるやうにも感じたのである。
 心の底から思ひやる深い真情を外に流露(あらは)して、銀之助は弔辞(くやみ)を述べた。高柳は煙草を燻し/\黙つて二人の談話(はなし)を聞いて居た。
『留守中はいろ/\難有う。』と丑松は自分で自分を激□(はげ)ますやうにして、『学校の方も君がやつて呉れたさうだねえ。』
『あゝ、左(どう)にか右(かう)にか間に合せて置いた。二級懸持ちといふやつは巧くいかないものでねえ。』と言つて、銀之助は恰(さ)も心(しん)から出たやうに笑つて、『時に、君は奈何(どう)する。』
『奈何するとは?』
『親の忌服だもの、四週間位は休ませて貰ふサ。』
『左様もいかない。学校の方だつて都合があらあね。第一、君が迷惑する。』
『なに、僕の方は関はないよ。』
『明日は月曜だねえ。兎(と)に角(かく)明日は出掛けよう。それはさうと、土屋君、いよ/\君の希望(のぞみ)も達したといふぢやないか。君から彼(あの)手紙を貰つた時は、実に嬉しかつた。彼様(あんな)に早く進行(はかど)らうとは思はなかつた。』
『ふゝ、』と銀之助は思出し笑ひをして、『まあ、御蔭でうまくいつた。』
『実際うまくいつたよ。』と友達の成功を悦(よろこ)ぶ傍から、丑松は何か思ひついたやうに萎(しを)れて、『県庁の方からは最早(もう)辞令が下つたかね。』
『いゝや、辞令は未だ。尤(もつと)も義務年限といふやつが有るんだから、ただ廃(や)めて行く訳にはいかない。そこは県庁でも余程斟酌(しんしやく)して呉れてね、百円足らずの金を納めろと言ふのさ。』
『百円足らず?』
『よしんば在学中の費用を皆な出せと言はれたつて仕方が無い。其位のことで勘免(かんべん)して呉れたのは、実に難有い。早速阿爺(おやぢ)の方へ請求(ねだ)つてやつたら、阿爺も君、非常に喜んでね、自身で長野迄出掛けて来るさうだ。いづれ、其内には沙汰があるだらうと思ふよ。まあ、君と斯(か)うして飯山に居るのも、今月一ぱい位のものだ。』
 斯う言つて銀之助は今更のやうに丑松の顔を眺めた。丑松は深い溜息を吐(つ)いて居た。
『別の話だが、』と銀之助は言葉を継(つ)いで、『君の好な猪子先生――ホラ、あの先生が信州へ来てるさうだねえ。昨日僕は新聞で読んだ。』
『新聞で?』丑松の頬は燃え輝いたのである。
『あゝ、信毎に出て居た。肺病だといふけれど、熾盛(さかん)な元気の人だねえ。』
 と蓮太郎の噂(うはさ)が出たので、急に高柳は鋭い眸(ひとみ)を銀之助の方へ注いだ。丑松は無言であつた。
『穢多もなか/\馬鹿にならんよ。』と銀之助は頓着なく、『まあ、思想(かんがへ)から言へば、多少病的かも知れないが、しかし進んで戦ふ彼(あ)の勇気には感服する。一体、肺病患者といふものは彼様(あゝ)いふものか知らん。彼の先生の演説を聞くと、非常に打たれるさうだ。』と言つて気を変へて、『まあ、瀬川君なぞは聞かない方が可(いゝ)よ――聞けば復(ま)た病気が発(おこ)るに極(きま)つてるから。』
『馬鹿言ひたまへ。』
『あはゝゝゝゝ。』
 と銀之助は反返(そりかへ)つて笑つた。
 遽然(にはかに)丑松は黙つて了つた。丁度、喪心した人のやうに成つた。丁度、身体中の機関(だうぐ)が一時に動作(はたらき)を止めて、斯うして生きて居ることすら忘れたかのやうであつた。
『奈何したんだらう、また瀬川君は――相変らず身体の具合でも悪いのかしら。』と斯う銀之助は自分で自分に言つて見た。やゝしばらく三人は無言の儘で相対して居た。『今日は僕は是で失敬する。』と銀之助が言出した時は、丑松も我に帰つて、『まあ、いゝぢやないか』を繰返したのである。
『いや、復(ま)た来る。』
 銀之助は出て行つて了つた。

       (四)

『只今(たゞいま)猪子といふ方の御話が出ましたが、』と高柳は巻煙草の灰を落し乍ら言つた。『あの、何ですか、瀬川さんは彼(あ)の方と御懇意でいらつしやるんですか。』
『いゝえ。』と丑松はすこし言淀(いひよど)んで、『別に、懇意でも有ません。』
『では、何か御関係が御有なさるんですか。』
『何も関係は有ません。』
『左様(さやう)ですか――』
『だつて関係の有やうが無いぢやありませんか、懇意でも何でも無い人に。』
『左様(さう)仰れば、まあ、そんなものですけれど。はゝゝゝゝ。彼の方は市村君と御一緒のやうですから、奈何(どう)いふ御縁故か、もし貴方が御存じならば伺つて見たいと思ひまして。』
『知りません、私は。』
『市村といふ弁護士も、あれでなか/\食へない男なんです。彼様(あん)な立派なことを言つて居ましても、畢竟(つまり)猪子といふ人を抱きこんで、道具に使用(つか)ふといふ腹に相違ないんです。彼の男が高尚らしいやうなことを言ふかと思ふと、私は噴飯(ふきだ)したくなる。そりやあもう、政事屋なんてものは皆な穢(きたな)い商売人ですからなあ――まあ、其道のもので無ければ、可厭(いや)な内幕も克(よ)く解りますまいけれど。』
 斯う言つて、高柳は嘆息して、
『私とても、斯うして何時まで政界に泳いで居る積りは無いのです。一日も早く足を洗ひたいといふ考へでは有るのです。如何(いかん)せん、素養は無し、貴方等(あなたがた)のやうに規則的な教育を享(う)けたでは無し、それで此の生存競争の社会(よのなか)に立たうといふのですから、勢ひ常道を踏んでは居られなくなる。あるひは、貴方等の目から御覧に成つたらば、吾儕(わたしども)の事業(しごと)は華麗(はで)でせう。成程(なるほど)、表面(うはべ)は華麗です。しかし、これほど表面が華麗で、裏面(うら)の悲惨な生涯(しやうがい)は他に有ませうか。あゝ、非常な財産が有つて、道楽に政事でもやつて見ようといふ人は格別、吾儕のやうに政事熱に浮かされて、青年時代から其方へ飛込んで了つたものは、今となつて見ると最早(もう)奈何することも出来ません。第一、今日の政事家で政論に衣食するものが幾人(いくたり)ありませう。実際吾儕(わたしども)の内幕は御話にならない。まあ、斯様(こん)なことを申上げたら、嘘のやうだと思召すかも知れませんが、正直な御話が――代議士にでもして頂くより外(ほか)に、さしあたり吾儕の食ふ道は無いのです。はゝゝゝゝ。何と申したつて、事実は事実ですから情ない。もし私が今度の選挙に失敗すれば、最早につちもさつちもいかなくなる。どうしても此際(こゝ)のところでは出るやうにして頂かなければならない。どうしても貴方に助けて頂かなければならない。それには先づ貴方に御縋(おすが)り申して、家内のことを世間の人に御話下さらないやうに。そのかはり、私も亦(また)、貴方のことを――それ、そこは御相談で、御互様に言はないといふやうなことに――何卒(どうか)、まあ、私を救ふと思召(おぼしめ)して、是話(このはなし)を聞いて頂きたいのです。瀬川さん、是は私が一生の御願ひです。』
 急に高柳は白い毛布を離れて、畳の上へ手を突いた。丁度哀憐(あはれみ)をもとめる犬のやうに、丑松の前に平身低頭したのである。
 丑松はすこし蒼(あをざ)めて、
『どうも左様(さう)貴方のやうに、独りで物を断(き)めて了(しま)つては――』
『いや、是非とも私を助けると思召して。』
『まあ、私の言ふことも聞いて下さい。どうも貴方の御話は私に合点(がてん)が行きません。だつて、左様(さう)ぢや有ますまいか。なにも貴方等(あなたがた)のことを私が世間の人に話す必要も無いぢや有ませんか。全く、私は貴方等と何の関係も無い人間なんですから。』
『でも御座(ござい)ませうが――』
『いえ、其では困ります。何も私は貴方等を御助け申すやうなことは無し、私は亦(また)、貴方等から助けて頂くやうなことも無いのですから。』
『では?』
『ではとは?』
『畢竟(つまり)そんなら奈何して下さるといふ御考へなんですか。』
『どうするも斯(か)うするも無いぢや有ませんか。貴方と私とは全く無関係――はゝゝゝゝ、御話は其丈(それだけ)です。』
『無関係と仰ると?』
『是迄(これまで)だつて、私は貴方のことに就いて、何(なんに)も世間の人に話した覚は無し、是から将来(さき)だつても矢張(やはり)其通り、何も話す必要は有ません。一体、私は左様他人(ひと)のことを喋舌(しやべ)るのが嫌ひです――まして、貴方とは今日始めて御目に懸つたばかりで――』
『そりやあ成程、私のことを御話し下さる必要は無いかも知れません。私も貴方のことを他人(ひと)に言ふ必要は無いのです。必要は無いのですが――どうも其では何となく物足りないやうな心地(こゝろもち)が致しまして。折角(せつかく)私も斯うして出ましたものですから、十分に御意見を伺つた上で、御為に成るものなら成りたいと存じて居りますのです。実は――左様した方が、貴方の御為かとも。』
『いや、御親切は誠に難有いですが、其様(そんな)にして頂く覚は無いのですから。』
『しかし、私が斯うして御話に出ましたら、万更(まんざら)貴方だつて思当ることが無くも御座(ござい)ますまい。』
『それが貴方の誤解です。』
『誤解でせうか――誤解と仰ることが出来ませうか。』
『だつて、私は何(なんに)も知らないんですから。』
『まあ、左様(さう)仰れば其迄ですが――でも、何とか、そこのところは御相談の為やうが有さうなもの。悪いことは申しません。御互ひの身の為です。決して誰の為でも無いのです。瀬川さん――いづれ復(ま)た私も御邪魔に伺ひますから、何卒(どうか)克(よ)く考へて御置きなすつて下さい。』


   第拾四章

       (一)

 月曜の朝早く校長は小学校へ出勤した。応接室の側の一間を自分の室と定めて、毎朝授業の始まる前には、必ず其処に閉籠(とぢこも)るのが癖。それは一日の事務の準備(したく)をする為でもあつたが、又一つには職員等(たち)の不平と煙草の臭気(にほひ)とを避ける為で。丁度其朝は丑松も久し振の出勤。校長は丑松に逢つて、忌服中のことを尋ねたり、話したりして、軈てまた例の室に閉籠つた。
 この室の戸を叩(たゝ)くものが有る。其音で、直に校長は勝野文平といふことを知つた。いつも斯ういふ風にして、校長は斯(こ)の鍾愛(きにいり)の教員から、さま/″\の秘密な報告を聞くのである。男教員の述懐、女教員の蔭口、其他時間割と月給とに関する五月蠅(うるさい)ほどの嫉(ねた)みと争ひとは、是処(こゝ)に居て手に取るやうに解るのである。其朝も亦、何か新しい注進を齎(もたら)して来たのであらう、斯う思ひ乍ら、校長は文平を室の内へ導いたのであつた。
 いつの間にか二人は丑松の噂(うはさ)を始めた。
『勝野君。』と校長は声を低くして、『君は今、妙なことを言つたね――何か瀬川君のことに就いて新しい事実を発見したとか言つたね。』
『はあ。』と文平は微笑(ほゝゑ)んで見せる。
『どうも君の話は解りにくゝて困るよ。何時でも遠廻しに匂はせてばかり居るから。』
『だつて、校長先生、人の一生の名誉に関(かゝ)はるやうなことを、左様(さう)迂濶(うくわつ)には喋舌(しやべ)れないぢや有ませんか。』
『ホウ、一生の名誉に?』
『まあ、私の聞いたのが事実だとして、其が斯の町へ知れ渡つたら、恐らく瀬川君は学校に居られなくなるでせうよ。学校に居られないばかりぢや無い、あるひは社会から放逐されて、二度と世に立つことが出来なくなるかも知れません。』
『へえ――学校にも居られなくなる、社会からも放逐される、と言へば君、非常なことだ。それでは宛然(まるで)死刑を宣告されるも同じだ。』
『先(ま)づ左様(さう)言つたやうなものでせうよ。尤も、私が直接(ぢか)に突留めたといふ訳でも無いのですが、種々(いろ/\)なことを綜(あつ)めて考へて見ますと――ふふ。』
『ふゝぢや解らないねえ。奈何(どん)な新しい事実か、まあ話して聞かせて呉れ給へ。』
『しかし、校長先生、私から其様(そん)な話が出たといふことになりますと、すこし私も迷惑します。』
『何故(なぜ)?』
『何故ツて、左様ぢや有ませんか。私が取つて代りたい為に、其様なことを言ひ触らしたと思はれても厭ですから――毛頭私は其様な野心が無いんですから――なにも瀬川君を中傷する為に、御話するのでは無いんですから。』
『解つてますよ、其様なことは。誰が君、其様なことを言ふもんですか。其様な心配が要るもんですか。君だつても他の人から聞いたことなんでせう――それ、見たまへ。』
 文平が思はせ振な様子をして、何か意味ありげに微笑めば微笑むほど、余計に校長は聞かずに居られなくなつた。
『では、勝野君、斯ういふことにしたら可(いゝ)でせう。我輩は其話を君から聞かない分にして置いたら可(いゝ)でせう。さ、誰も居ませんから、話して聞かせて呉れ給へ。』
 斯う言つて、校長は一寸文平に耳を貸した。文平が口を寄せて、何か私語(さゝや)いて聞かせた時は、見る/\校長も顔色を変へて了(しま)つた。急に戸を叩く音がする。ついと文平は校長の側を離れて窓の方へ行つた。戸を開けて入つて来たのは丑松で、入るや否や思はず一歩(ひとあし)逡巡(あとずさり)した。
『何を話して居たのだらう、斯(こ)の二人は。』と丑松は猜疑深(うたぐりぶか)い目付をして、二人の様子を怪まずには居られなかつたのである。
『校長先生、』と丑松は何気なく尋ねて見た。『どうでせう、今日はすこし遅く始めましたら。』
『左様(さやう)――生徒は未(ま)だ集りませんか。』と校長は懐中時計を取出して眺める。
『どうも思ふやうに集りません。何を言つても、是雪ですから。』
『しかし、最早(もう)時間は来ました。生徒の集る、集らないは兎(と)に角(かく)、規則といふものが第一です。何卒(どうぞ)小使に左様言つて、鈴を鳴らさせて下さい。』

       (二)

 其朝ほど無思想な状態(ありさま)で居たことは、今迄丑松の経験にも無いのであつた。実際其朝は半分眠り乍ら羽織袴を着けて来た。奥様が詰て呉れた弁当を提げて、久し振で学校の方へ雪道を辿(たど)つた時も、多くの教員仲間から弔辞(くやみ)を受けた時も、受持の高等四年生に取囲(とりま)かれて種々(いろ/\)なことを尋ねられた時も、丑松は半分眠り乍ら話した。授業が始つてからも、時々眼前(めのまへ)の事物(ことがら)に興味を失つて、器械のやうに読本の講釈をして聞かせたり、生徒の質問に答へたりした。其日は遊戯の時間の監督にあたる日、鈴が鳴つて休みに成る度に、男女の生徒は四方から丑松に取縋(とりすが)つて、『先生、先生』と呼んだり叫んだりしたが、何を話して何を答へたやら、殆んど其感覚が無かつた位。丑松は夢見る人のやうに歩いて、あちこちと馳せちがふ多くの生徒の監督をした。
 銀之助が駈寄つて、
『瀬川君――君は気分でも悪いと見えるね。』
 と言つたのは覚えて居るが、其他の話はすべて記憶に残らなかつた。
 斯(か)ういふ中にも、唯一つ、あの省吾に呉れたいと思つて、用意したものを持つて来ることだけは忘れなかつた。昼休みには、高等科から尋常科までの生徒が学校の内で飛んだり跳ねたりして騒いだ。なかには広い運動場に出て、雪投げをして遊ぶものもあつた。丁度高等四年の教室には誰も居なかつたので、そこへ丑松は省吾を連れて行つて、新聞紙に包んだものを取出して見せて、
『君に呈(あ)げようと思つて斯ういふものを持つて来ました。帳面です、内に入つてるのは。是(これ)は君、家へ帰つてから開けて見るんですよ。いいかね。学校の内で開けて見るんぢや無いんですよ――ね、是を君に呈げますから。』
 と言つて、丑松は自分の前に立つ少年の驚き喜ぶ顔を見たいと思ふのであつた。意外にも省吾は斯の贈物を受けなかつた。唯もう目を円(まる)くして、丑松の様子と新聞紙の包とを見比べるばかり。奈何(どう)して斯様(こん)なものを呉れるのであらう。第一、それからして不思議でならない。と言つたやうな顔付。
『いゝえ、私は沢山です。』
 と省吾は幾度か辞退した。
『其様(そん)な、君のやうな――』と丑松は省吾の顔を眺めて、『人が呈(あ)げるツて言ふものは、貰ふもんですよ。』
『はい、難有う。』と復た省吾は辞退した。
『困るぢやないか、君、折角(せつかく)呈げようと思つて斯うして持つて来たものを。』
『でも、母さんに叱られやす。』
『母さんに? 其様な馬鹿なことが有るもんか。私が呈げるツて言ふのに、叱るなんて――私は君の父上(おとつ)さんとも懇意だし、それに、君の姉さんには種々(いろ/\)御世話に成つて居るし、此頃(こなひだ)から呈げよう/\と思つて居たんです。ホラ、よく西洋綴の帳面で、罫の引いたのが有ませう。あれですよ、斯の内に入つてるのは。まあ、君、其様(そん)なことを言はないで、是を家へ持つて帰つて、作文でも何でも君の好なものを書いて見て呉れたまへ。』
 斯う言つて、其を省吾の手に持たして居るところへ、急に窓の外の方で上草履の音が起る。丑松は省吾を其処に残して置いて、周章(あわ)てゝ教室を出て了つた。

       (三)

 東の廊下の突当り、二階へ通ふやうになつて居る階段のところは、あまり生徒もやつて来なかつた。丑松が男女の少年の監督に忙(せは)しい間に、校長と文平の二人は斯(こ)の静かな廊下で話した――並んで灰色の壁に倚凭(よりかゝ)り乍(なが)ら話した。
『一体、君は誰から瀬川君のことを聞いて来たのかね。』と校長は尋ねて見た。
『妙な人から聞いて来ました。』と文平は笑つて、『実に妙な人から――』
『どうも我輩には見当がつかない。』
『尤も、人の名誉にも関はることだから、話だけは為(す)るが、名前を出して呉れては困る、と先方(さき)の人も言ふんです。兎(と)に角(かく)代議士にでも成らうといふ位の人物ですから、其様な無責任なことを言ふ筈(はず)も有ません。』
『代議士にでも?』
『ホラ。』
『ぢやあ、あの新しい細君を連れて帰つて来た人ぢや有ませんか。』
『まあ、そこいらです。』
『して見ると――はゝあ、あの先生が地方廻りでもして居る間に、何処かで其様な話を聞込んで来たものかしら。悪い事は出来ないものさねえ。いつか一度は露顕(あらは)れる時が来るから奇体さ。』と言つて、校長は嘆息して、『しかし、驚ろいたねえ。瀬川君が穢多だなぞとは、夢にも思はなかつた。』
『実際、私も意外でした。』
『見給へ、彼(あ)の容貌(ようばう)を。皮膚といひ、骨格といひ、別に其様な賤民らしいところが有るとも思はれないぢやないか。』
『ですから世間の人が欺(だま)されて居たんでせう。』
『左様ですかねえ。解らないものさねえ。一寸見たところでは、奈何(どう)しても其様な風に受取れないがねえ。』
『容貌ほど人を欺すものは有ませんさ。そんなら、奈何でせう、彼(あ)の性質は。』
『性質だつても君、其様な判断は下せない。』
『では、校長先生、彼の君の言ふこと為(な)すことが貴方の眼には不思議にも映りませんか。克(よ)く注意して、瀬川丑松といふ人を御覧なさい――どうでせう、彼(あ)の物を視る猜疑深(うたがひぶか)い目付なぞは。』
『はゝゝゝゝ、猜疑深いからと言つて、其が穢多の証拠には成らないやね。』
『まあ、聞いて下さい。此頃迄(こなひだまで)瀬川君は鷹匠(たかしやう)町の下宿に居ましたらう。彼(あ)の下宿で穢多の大尽が放逐されましたらう。すると瀬川君は突然(だしぬけ)に蓮華寺へ引越して了ひましたらう――ホラ、をかしいぢや有ませんか。』
『それさ、それを我輩も思ふのさ。』
『猪子蓮太郎との関係だつても左様(さう)でせう。彼様(あん)な病的な思想家ばかり難有(ありがた)く思はないだつて、他にいくらも有さうなものぢや有ませんか。彼様な穢多の書いたものばかり特に大騒ぎしなくても好ささうなものぢや有ませんか。どうも瀬川君が贔顧(ひいき)の仕方は普通の愛読者と少許(すこし)違ふぢや有ませんか。』
『そこだ。』
『未(ま)だ校長先生には御話しませんでしたが、小諸(こもろ)の与良(よら)といふ町には私の叔父が住んで居ます。其町はづれに蛇堀川(じやぼりがは)といふ沙河(すながは)が有まして、橋を渡ると向町になる――そこが所謂(いはゆる)穢多町です。叔父の話によりますと、彼処は全町同じ苗字を名乗つて居るといふことでしたツけ。其苗字が、確か瀬川でしたツけ。』
『成程ねえ。』
『今でも向町の手合は苗字を呼びません。普通に新平民といへば名前を呼捨です。おそらく明治になる前は、苗字なぞは無かつたのでせう。それで、戸籍を作るといふ時になつて、一村挙(こぞ)つて瀬川と成つたんぢや有るまいかと思ふんです。』
『一寸待ちたまへ。瀬川君は小諸の人ぢや無いでせう。小県(ちひさがた)の根津の人でせう。』
『それが宛(あて)になりやしません――兎に角、瀬川とか高橋とかいふ苗字が彼(あ)の仲間に多いといふことは叔父から聞きました。』
『左様言はれて見ると、我輩も思当ることが無いでも無い。しかしねえ、もし其が事実だとすれば、今迄知れずに居る筈も無からうぢやないか。最早(もう)疾(とつく)に知れて居さうなものだ――師範校に居る時代に、最早知れて居さうなものだ。』
『でせう――それそこが瀬川君です。今日(こんにち)まで人の目を暗(くらま)して来た位の智慧(ちゑ)が有るんですもの、余程狡猾(かうくわつ)の人間で無ければ彼(あ)の真似は出来やしません。』
『あゝ。』と校長は嘆息して了つた。『それにしても、よく知れずに居たものさ、どうも瀬川君の様子がをかしい/\と思つたよ――唯、訳も無しに、彼様(あゝ)考へ込む筈(はず)が無いからねえ。』
 急に大鈴の音が響き渡つた。二人は壁を離れて、長い廊下を歩き出した。午後の課業が始まると見え、男女の生徒は上草履鳴らして、廊下の向ふのところを急いで通る。丑松も少年の群に交り乍ら、一寸是方(こちら)を振向いて見て行つた。
『勝野君。』と校長は丑松の姿を見送つて、『成程(なるほど)、君の言つた通りだ。他(ひと)の一生の名誉にも関はることだ。まあ、もうすこし瀬川君の秘密を探つて見ることに為(し)ようぢやないか。』
『しかし、校長先生。』と文平は力を入れて言つた。『是話が彼の代議士の候補者から出たといふことだけは決して他(ひと)に言はないで置いて下さい――さもないと、私が非常に迷惑しますから。』
『無論さ。』

       (四)

 時間表によると、其日の最終(をはり)の課業が唱歌であつた。唱歌の教師は丑松から高等四年の生徒を受取つて、足拍子揃へさして、自分の教室の方へ導いて行つた。二時から三時まで、それだけは丑松も自由であつたので、不図、蓮太郎のことが書いてあつたとかいふ昨日の銀之助の話を思出して、応接室を指して急いで行つた。いつも其机の上には新聞が置いてある。戸を開けて入つて見ると、信毎は一昨日の分も残つて、まだ綴込みもせずに散乱(とりちら)した儘。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:479 KB

担当:undef