破戒
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著者名:島崎藤村 

『ふゝ、左様(さう)大事を取つて居た日にや、事業(しごと)も何も出来やしない。』
『事業? 壮健(たつしや)に成ればいくらでも事業は出来ますわ。あゝ、一緒に東京へ帰つて下されば好いんですのに。』
『解らないねえ。未(ま)だ其様(そん)なことを言つてる。奈何してまあ女といふものは左様(さう)解らないだらう。何程(どれほど)私が市村さんの御世話に成つて居るか、お前だつて其位(それくらゐ)のことは考へさうなものぢやないか。其人の前で、私に帰れなんて――すこし省慮(かんがへ)の有るものなら、彼様(あん)なことの言へた義理ぢや無からう。彼様(あゝ)いふことを言出されると、折角是方(こつち)で思つたことも無に成つて了ふ。それに今度は、すこし自分で研究したいことも有る。今胸に浮んで居る思想(かんがへ)を完成(まと)めて書かうといふには、是非とも自分で斯の山の上を歩いて、田園生活といふものを観察しなくちやならない。それには実にもつて来いといふ機会だ。』と言つて、蓮太郎はすこし気を変へて、『あゝ好い天気だ。全く小春日和(こはるびより)だ。今度の旅行は余程面白からう――まあ、お前も家(うち)へ行つて待つて居て呉れ、信州土産はしつかり持つて帰るから。』
 二人は暫時(しばらく)無言で歩いた。丑松は右の手の鞄を左へ持ち変へて、黙つて後から随いて行つた。やがて高い白壁造りの倉庫のあるところへ出て来た。
『あゝ。』と細君は萎(しを)れ乍ら、『何故(なぜ)私が帰つて下さいなんて言出したか、其訳を未だ貴方に話さないんですから。』
『ホウ、何か訳が有るのかい。』と蓮太郎は聞咎める。
『外(ほか)でも無いんですけれど。』と細君は思出したやうに震へて、『どうもねえ、昨夜の夢見が悪くて――斯う恐しく胸騒ぎがして――一晩中私は眠られませんでしたよ。何だか私は貴方のことが心配でならない。だつて、彼様(あん)な夢を見る筈が無いんですもの。だつて、其夢が普通(たゞ)の夢では無いんですもの。』
『つまらないことを言ふなあ。それで一緒に東京へ帰れと言ふのか。はゝゝゝゝ。』と蓮太郎は快活らしく笑つた。
『左様(さう)貴方のやうに言つたものでも有ませんよ。未来(さき)の事を夢に見るといふ話は克(よ)く有ますよ。どうも私は気に成つて仕様が無い。』
『ちよツ、夢なんぞが宛(あて)に成るものぢや無し――』
『しかし――奇異(きたい)なことが有れば有るものだ。まあ、貴方の死んだ夢を見るなんて。』
『へん、御幣舁(ごへいかつ)ぎめ。』

       (二)

 不思議な問答をするとは思つたが、丑松は其を聞いて、格別気にも懸けなかつた。彼程(あれほど)淡泊(さつぱり)として、快濶(さばけ)た気象の細君で有ながら、左様(そん)なことを気に為(す)るとは。まあ、あの夢といふ奴は児童(こども)の世界のやうなもので、時と場所の差別も無く、実に途方も無いことを眼前(めのまへ)に浮べて見せる。先輩の死――どうして其様(そん)な馬鹿らしいことが細君の夢に入つたものであらう。しかし其を気にするところが女だ。と斯う感じ易い異性の情緒(こゝろ)を考へて、いつそ可笑(をか)しくも思はれた位。『女といふものは、多く彼様(あゝ)したものだ。』と自分で自分に言つて見た時は、思はず彼の迷信深い蓮華寺の奥様を、それからあのお志保を思出すのであつた。
 橋を渡つて、停車場(ステーション)近くへ出た。細君はすこし後に成つた。丑松は左の手に持ち変へた鞄をまた/\右の手に移して、蓮太郎と別離(わかれ)の言葉を交し乍ら歩いた。
『そんなら先生は――』と丑松は名残惜しさうに聞いて見る。『いつ頃まで信州に居らつしやる御積りなんですか。』
『僕ですか。』と蓮太郎は微笑(ほゝゑ)んで答へた。『左様(さう)ですなあ――すくなくとも市村君の選挙が済むまで。実はね、家内も彼様(あゝ)言ひますし、一旦は東京へ帰らうかとも思ひましたよ。ナニ、これが普通の選挙の場合なら、黙つて帰りますサ。どうせ僕なぞが居たところで、大した応援も出来ませんからねえ。まあ市村君の身になつて考へて見ると、先生は先生だけの覚悟があつて、候補者として立つのですから、誰を政敵にするのも其味は一つです。はゝゝゝゝ。しかし、市村君が勝つか、あの高柳利三郎が勝つか、といふことは、僕等の側から考へると、一寸普通の場合とは違ふかとも思はれる――』
 丑松は黙つて随いて行つた。蓮太郎は何か思出したやうに、後から来る細君の方を振返つて見て、やがて復(ま)た歩き初める。
『だつて、君、考へて見て呉れたまへ。あの高柳の行為(やりかた)を考へて見て呉れたまへ。あゝ、いくら吾儕(われ/\)が無智な卑賤(いや)しいものだからと言つて、蹈付(ふみつ)けられるにも程が有る。どうしても彼様(あん)な男に勝たせたくない。何卒(どうか)して市村君のものに為て遣りたい。高柳の話なぞを聞かなければ格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地(いくぢ)が無さ過ぎるからねえ。』
『では、先生は奈何(どう)なさる御積りなんですか。』
『奈何するとは?』
『黙つて帰ることが出来ないと仰(おつしや)ると――』
『ナニ、君、僅かに打撃を加へる迄(まで)のことさ。はゝゝゝゝ。なにしろ先方(さき)には六左衛門といふ金主が附いたのだから、いづれ買収も為るだらうし、壮士的な運動も遣(や)るだらう。そこへ行くと、是方(こつち)は草鞋(わらぢ)一足、舌一枚――おもしろい、おもしろい、敵はたゞ金の力より外に頼りに為るものが無いのだからおもしろい。はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
『しかし、うまく行つて呉れると好いですがなあ――』
『はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
 斯(か)ういふ談話(はなし)をして行くうちに、二人は上田停車場(ステーション)に着いた。
 上野行の上り汽車が是処(こゝ)を通る迄には未だ少許(すこし)間が有つた。多くの旅客は既に斯の待合室に満ち溢(あふ)れて居た。細君も直に一緒になつて、三人して弁護士を待受けた。蓮太郎は巻煙草を取出して、丑松に勧め、自分もまた火を点(つ)けて、其を燻(ふか)し/\何を言出すかと思ふと、『いや、信州といふところは余程面白いところさ。吾儕(われ/\)のやうなものを斯様(こんな)に待遇するところは他の国には無いね。』と言ひさして、丑松の顔を眺(なが)め、細君の顔を眺め、それから旅客(たびびと)の群をも眺め廻し乍ら、『ねえ瀬川君、僕も御承知の通りな人間でせう。他の場合とは違つて選挙ですから、実は僕なぞの出る幕では無いと思つたのです。万一、選挙人の感情を害するやうなことが有つては、反(かへ)つて藪蛇(やぶへび)だ。左様(さう)思ふから、まあ演説は見合せにする考へだつたのです。ところが信州といふところは変つた国柄で、僕のやうなものに是非談話(はなし)をして呉れなんて――はあ、今夜は小諸で、市村君と一緒に演説会へ出ることに。』と言つて、思出したやうに笑つて、『この上田で僕等が談話をした時には七百人から集りました。その聴衆が実に真面目に好く聞いて呉れましたよ。長野に居た新聞記者の言草では無いが、「信州ほど演説の稽古をするに好い処はない、」――全く其通りです。智識の慾に富んで居るのは、斯の山国の人の特色でせうね。これが他の国であつて見たまへ、まあ僕等のやうなものを相手にして呉れる人はありやしません。それが信州へ来れば「先生」ですからねえ。はゝゝゝゝ。』
 細君は苦笑ひをしながら聞いて居た。
 軈て、切符を売出した。人々はぞろ/\動き出した。丁度そこへ弁護士、肥大な体躯(からだ)を動(ゆす)り乍ら、満面に笑(ゑみ)を含んで馳け付けて、挨拶する間も無く蓮太郎夫婦と一緒に埒(らち)の内へと急いだ。丑松も、入場切符を握つて、随いて入つた。
 四番の上りは二十分も後れたので、それを待つ旅客は『プラットホオム』の上に群(むらが)つた。細君は大時計の下に腰掛けて茫然(ばうぜん)と眺め沈んで居る、弁護士は人々の間をあちこちと歩いて居る、丑松は蓮太郎の傍を離れないで、斯うして別れる最後の時までも自分の真情を通じたいが胸中に満ち/\て居た。どうかすると、丑松は自分の日和下駄の歯で、乾いた土の上に何か画(か)き初める。蓮太郎は柱に倚凭(よりかゝ)り乍ら、何の文字とも象徴(しるし)とも解らないやうなものが土の上に画かれるのを眺め入つて居た。
『大分汽車は後れましたね。』
 といふ蓮太郎の言葉に気がついて、丑松は下駄の歯の痕(あと)を掻消して了(しま)つた。すこし離れて斯(こ)の光景(ありさま)を眺めて居た中学生もあつたが、やがて他(わき)を向いて意味も無く笑ふのであつた。
『あ、ちよと、瀬川君、飯山の御住処(おところ)を伺つて置きませう。』斯う蓮太郎は尋ねた。
『飯山は愛宕町(あたごまち)の蓮華寺といふところへ引越しました。』と丑松は答へる。
『蓮華寺?』
『下水内郡飯山町蓮華寺方――それで分ります。』
『むゝ、左様(さう)ですか。それから、是(これ)はまあ是限(これぎ)りの御話ですが――』と蓮太郎は微笑(ほゝゑ)んで、『ひよつとすると、僕も君の方まで出掛けて行くかも知れません。』
『飯山へ?』丑松の目は急に輝いた。
『はあ――尤(もつと)も、佐久小県の地方を廻つて、一旦長野へ引揚げて、それからのことですから、まだ奈何(どう)なるか解りませんがね、若(も)し飯山へ出掛けるやうでしたら是非御訪(おたづ)ねしませう。』
 其時、汽笛の音が起つた。見れば直江津の方角から、長い列車が黒烟(くろけぶり)を揚げて進んで来た。顔も衣服(きもの)も垢染(あかじ)み汚れた駅夫の群は忙しさうに駈けて歩く。やがて駅長もあらはれた。汽車はもう人々の前に停つた。多くの乗客はいづれも窓に倚凭(よりかゝ)つて眺める。細君も、弁護士も、丑松に別離(わかれ)を告げて周章(あわたゞ)しく乗込んだ。
『それぢや、君、失敬します。』
 といふ言葉を残して置いて、蓮太郎も同じ室へ入る、直に駅夫が飛んで来てぴしやんと其戸を閉めて行つた。丑松の側に居た駅長が高く右の手を差上げて、相図の笛を吹鳴らしたかと思ふと、汽車はもう線路を滑り初めた。細君は窓から顔を差出して、もう一度丑松に挨拶したが、たゞさへ悪い其色艶が忘れることの出来ないほど蒼(あを)かつた。見る見る乗客の姿は動揺して、甲から乙へと影のやうに通過ぎる。丑松は喪心した人のやうになつて、長いこと同じところに樹(う)ゑたやうに立つた。あゝ、先輩は行つて了つた、と思ひ浮べた頃は、もう汽車の形すら見えなかつたのである。後に残る白い雲のやうな煙の群、その一団一団の集合(あつまり)が低く地の上に這(は)ふかと見て居ると、急に風に乱れて、散り/″\になつて、終(しまひ)に初冬の空へ掻消すやうに失くなつて了つた。

       (三)

 何故(なぜ)人の真情は斯う思ふやうに言ひ表すことの出来ないものであらう。其日といふ其日こそは、あの先輩に言ひたい/\と思つて、一度となく二度となく自分で自分を励まして見たが、とう/\言はずに別れて了(しま)つた。どんなに丑松は胸の中に戦ふ深い恐怖(おそれ)と苦痛(くるしみ)とを感じたらう。どんなに丑松は寂しい思を抱(いだ)き乍(なが)ら、もと来た道を根津村の方へと帰つて行つたらう。
 初七日も無事に過ぎた。墓参りもし、法事も済み、わざとの振舞は叔母が手料理の精進(しやうじん)で埒明(らちあ)けて、さて漸(やうや)く疲労(つかれ)が出た頃は、叔父も叔母も安心の胸を撫下した。独り精神(こゝろ)の苦闘(たゝかひ)を続けたのは丑松で、蓮太郎が残して行つた新しい刺激は書いたものを読むにも勝(まさ)る懊悩(あうなう)を与へたのである。時として丑松は、自分の一生のことを考へる積りで、小県(ちひさがた)の傾斜を彷徨(さまよ)つて見た。根津の丘、姫子沢の谷、鳥が啼(な)く田圃側(たんぼわき)なぞに霜枯れた雑草を蹈(ふ)み乍ら、十一月上旬の野辺に満ちた光を眺めて佇立(たゝず)んだ時は、今更のやうに胸を流れる活きた血潮の若々しさを感ずる。確実(たしか)に、自分には力がある。斯(か)う丑松は考へるのであつた。しかし其力は内部(なか)へ/\と閉塞(とぢふさが)つて了つて、衝(つ)いて出て行く道が解らない。丑松はたゞ同じことを同じやうに繰返し乍ら、山の上を歩き廻つた。あゝ、自然は慰めて呉れ、励ましては呉れる。しかし右へ行けとも、左へ行けとも、そこまでは人に教へなかつた。丑松が尋ねるやうな問には、野も、丘も、谷も答へなかつたのである。
 ある日の午後、丑松は二通の手紙を受取つた。二通ともに飯山から。一通は友人の銀之助。例の筆まめ、相変らず長々しく、丁度談話(はなし)をするやうな調子で、さま/″\慰藉(なぐさめ)を書き籠め、さて飯山の消息には、校長の噂(うはさ)やら、文平の悪口やら、『僕も不幸にして郡視学を叔父に持たなかつた』とかなんとか言ひたい放題なことを書き散らし、普通教育者の身を恨(うら)み罵(のゝし)り、到底今日の教育界は心ある青年の踏み留まるべきところでは無いと奮慨してよこした。長野の師範校に居る博物科の講師の周旋で、いよ/\農科大学の助手として行くことに確定したから、いづれ遠からず植物研究に身を委(ゆだ)ねることが出来るであらう――まあ、喜んで呉れ、といふ意味を書いてよこした。
 功名を慕ふ情熱は、斯の友人の手紙を見ると同時に、烈しく丑松の心を刺激した。一体、丑松が師範校へ入学したのは、多くの他の学友と同じやうに、衣食の途(みち)を得る為で――それは小学教師を志願するやうなものは、誰しも似た境遇に居るのであるから――とはいふものゝ、丑松も無論今の位置に満足しては居なかつた。しかし、銀之助のやうな場合は特別として、高等師範へでも行くより外に、小学教師の進んで出る途は無い。さも無ければ、長い/\十年の奉公。其義務年限の間、束縛されて働いて居なければならない。だから丑松も高等師範へ――といふことは卒業の当時考へないでも無い。志願さへすれば最早とつくに選抜されて居たらう。そこがそれ穢多の悲しさには、妙にそちらの方には気が進まなかつたのである。丑松に言はせると、たとへ高等師範を卒業して、中学か師範校かの教員に成つたとしたところで、もしも蓮太郎のやうな目に逢つたら奈何(どう)する。何処(どこ)まで行つても安心が出来ない。それよりは飯山あたりの田舎(ゐなか)に隠れて、じつと辛抱して、義務年限の終りを待たう。其間に勉強して他の方面へ出る下地を作らう。素性が素性なら、友達なんぞに置いて行かれる積りは毛頭無いのだ。斯う嘆息して、丑松は深く銀之助の身の上を羨んだ。
 他の一通は高等四年生総代としてある。それは省吾の書いたもので、手紙の文句も覚束なく、作文の時間に教へた通りをそつくり其儘の見舞状、『根津にて、瀬川先生――風間省吾より』としてあつた。『猶々(なほ/\)』とちひさく隅の方に、『蓮華寺の姉よりも宜敷(よろしく)』としてあつた。
『姉よりも宜敷。』
 と繰返して、丑松は言ふに言はれぬ可懐(なつか)しさを感じた。やがてお志保のことを考へる為に、裏の方へ出掛けた。

       (四)

 追憶(おもひで)の林檎畠――昔若木であつたのも今は太い幹となつて、中には僅かに性命(いのち)を保つて居るやうな虫ばみ朽ちたのもある。見れば木立も枯れ/″\、細く長く垂れ下る枝と枝とは左右に込合つて、思ひ/\に延びて、いかにも初冬の風趣(おもむき)を顕(あらは)して居た。その裸々(らゝ)とした幹の根元から、芽も籠る枝のわかれ、まだところ/″\に青み残つた力なげの霜葉まで、日につれて地に映る果樹の姿は丑松の足許(あしもと)にあつた。そここゝの樹の下に雄雌(をすめす)の鶏、土を浴びて静息(じつ)として蹲踞(はひつくば)つて居るのは、大方羽虫を振ふ為であらう。丁度この林檎畠を隔てゝ、向ふに草葺(くさぶき)の屋根も見える――あゝ、お妻の生家(さと)だ。克(よ)く遊びに行つた家(うち)だ。薄煙青々と其土壁を泄(も)れて立登るのは、何となく人懐しい思をさせるのであつた。
『姉よりも宜敷(よろしく)。』
 とまた繰返して、丑松は樹と樹の間をあちこちと歩いて見た。
 楽しい思想(かんがへ)は来て、いつの間にか、丑松の胸の中に宿つたのである。昔、昔、少年の丑松があの幼馴染(をさななじみ)のお妻と一緒に遊んだのは爰(こゝ)だ。互に人目を羞(は)ぢらつて、輝く若葉の蔭に隠れたのは爰だ。互に初恋の私語(さゝやき)を取交したのは爰だ。互に無邪気な情の為に燃え乍ら、唯もう夢中で彷徨(さまよ)つたのは爰だ。
 斯(か)ういふ風に、過去つたことを思ひ浮べて居ると、お妻からお志保、お志保からお妻と、二人の俤(おもかげ)は往(い)つたり来たりする。別にあの二人は似て居るでも無い。年齢(とし)も違ふ、性質も違ふ、容貌(かほかたち)も違ふ。お妻を姉とも言へないし、お志保を妹とも思はれない。しかし一方のことを思出すと、きつと又た一方のことをも考へて居るのは不思議で――
 あゝ、穢多の悲嘆(なげき)といふことさへ無くば、是程(これほど)深く人懐しい思も起らなかつたであらう。是程深く若い生命(いのち)を惜むといふ気にも成らなかつたであらう。是程深く人の世の歓楽(たのしみ)を慕ひあこがれて、多くの青年が感ずることを二倍にも三倍にもして感ずるやうな、其様(そん)な切なさは知らなかつたであらう。あやしい運命に妨(さまた)げられゝば妨げられる程、余計に丑松の胸は溢(あふ)れるやうに感ぜられた。左様(さう)だ――あのお妻は自分の素性を知らなかつたからこそ、昔一緒にこの林檎畠を彷徨(さまよ)つて、蜜のやうな言葉を取交しもしたのである。誰が卑賤(いや)しい穢多の子と知つて、其朱唇(くちびる)で笑つて見せるものが有らう。もしも自分のことが世に知れたら――斯ういふことは考へて見たばかりでも、実に悲しい、腹立たしい。懐しさは苦しさに交つて、丑松の心を掻乱すやうにした。
 思ひ耽(ふけ)つて樹の下を歩いて居ると、急に鶏の声が起つて、森閑(しんかん)とした畠の空気に響き渡つた。
『姉よりも宜敷(よろしく)。』
 ともう一度繰返して、それから丑松は斯(こ)の場処を出て行つた。
 其晩はお志保のことを考へ乍ら寝た。一度有つたことは二度有るもの。翌(あく)る晩も其又次の晩も、寝る前には必ず枕の上でお志保を思出すやうになつた。尤も朝になれば、そんなことは忘れ勝ちで、『奈何(どう)して働かう、奈何して生活しよう――自分は是から将来(さき)奈何したら好からう』が日々(にち/\)心を悩ますのである。父の忌服(きぶく)は半ば斯ういふ煩悶のうちに過したので、さていよ/\『奈何する』となつた時は、別に是ぞと言つて新しい途(みち)の開けるでも無かつた。四五日の間、丑松はうんと考へた積りであつた。しかし、後になつて見ると、唯もう茫然(ぼんやり)するやうなことばかり。つまり飯山へ帰つて、今迄通りの生活を続けるより外(ほか)に方法も無かつたのである。あゝ、年は若し、経験は少し、身は貧しく、義務年限には縛られて居る――丑松は暗い前途を思ひやつて、やたらに激昂したり戦慄(ふる)へたりした。


   第拾弐章

       (一)

 二七日(ふたなぬか)が済(す)む、直に丑松は姫子沢を発(た)つことにした。やれ、それ、と叔父夫婦は気を揉(も)んで、暦を繰つて日を見るやら、草鞋(わらぢ)の用意をして呉れるやら、握飯(むすび)は三つも有れば沢山だといふものを五つも造(こしら)へて、竹の皮に包んで、別に瓜の味噌漬(みそづけ)を添へて呉れた。お妻の父親(おやぢ)もわざわざやつて来て、炉辺(ろばた)での昔語。煤(すゝ)けた古壁に懸かる例の『山猫』を見るにつけても、亡(な)くなつた老牧夫の噂(うはさ)は尽きなかつた。叔母が汲んで出す別離(わかれ)の茶――其色も濃く香も好いのを飲下した時は、どんなにか丑松も暖い血縁(みうち)のなさけを感じたらう。道祖神の立つ故郷(ふるさと)の出口迄叔父に見送られて出た。
 其日は灰色の雲が低く集つて、荒寥(くわうれう)とした小県(ちひさがた)の谷間(たにあひ)を一層暗欝(あんうつ)にして見せた。烏帽子(ゑぼし)一帯の山脈も隠れて見えなかつた。父の墓のある西乃入の沢あたりは、あるひは最早(もう)雪が来て居たらう。昨日一日の凩(こがらし)で、急に枯々な木立も目につき、梢(こずゑ)も坊主になり、何となく野山の景色が寂しく冬らしくなつた。長い、長い、考へても淹悶(うんざり)するやうな信州の冬が、到頭(たうとう)やつて来た。人々は最早あの□染(くちなしぞめ)の真綿帽子を冠り出した。荷をつけて通る馬の鼻息の白いのを見ても、いかに斯(この)山上の気候の変化が激烈であるかを感ぜさせる。丑松は冷い空気を呼吸し乍ら、岩石の多い坂路を下りて行つた。荒谷(あらや)の村はづれ迄行けば、指の頭(さき)も赤く腫(は)れ脹(ふく)らんで、寒さの為に感覚を失つた位。
 田中から直江津行の汽車に乗つて、豊野へ着いたのは丁度正午(ひる)すこし過。叔母が呉れた握飯(むすび)は停車場(ステーション)前の休茶屋で出して食つた。空腹(すきばら)とは言ひ乍ら五つ迄は。さて残つたのを捨てる訳にもいかず、犬に呉れるは勿体(もつたい)なし、元の竹の皮に包んで外套(ぐわいたう)の袖袋(かくし)へ突込んだ。斯うして腹をこしらへた上、川船の出るといふ蟹沢を指して、草鞋(わらぢ)の紐(ひも)を〆直(しめなほ)して出掛けた。其間凡(およ)そ一里許(ばかり)。尤も往きと帰りとでは、同じ一里が近く思はれるもので、北国街道の平坦(たひら)な長い道を独りてく/\やつて行くうちに、いつの間にか丑松は広濶(ひろ/″\)とした千曲川(ちくまがは)の畔(ほとり)へ出て来た。急いで蟹沢の船場迄行つて、便船(びんせん)は、と尋ねて見ると、今々飯山へ向けて出たばかりといふ。どうも拠(よんどころ)ない。次の便船の出るまで是処(こゝ)で待つより外は無い。それでもまだ歩いて行くよりは増だ、と考へて、丑松は茶屋の上(あが)り端(はな)に休んだ。
 霙(みぞれ)が落ちて来た。空はいよ/\暗澹(あんたん)として、一面の灰紫色に掩(おほ)はれて了(しま)つた。斯うして一時間の余も待つて居るといふことが、既にもう丑松の身にとつては、堪へ難い程の苦痛(くるしみ)であつた。それに、道を急いで来た為に、いやに身体(からだ)は蒸(む)されるやう。襯衣(シャツ)の背中に着いたところは、びつしより熱い雫(しづく)になつた。額に手を当てゝ見れば、汗に濡(ぬ)れた髪の心地(こゝろもち)の悪さ。胸のあたりを掻展(かきひろ)げて、少許(すこし)気息(いき)を抜いて、軈(やが)て濃い茶に乾いた咽喉(のど)を霑(うるほ)して居る内に、ポツ/\舟に乗る客が集つて来る。あるものは奥の炬燵(こたつ)にあたるもあり、あるものは炉辺へ行つて濡れた羽織を乾すもあり、中には又茫然(ぼんやり)と懐手して人の談話(はなし)を聞いて居るのもあつた。主婦(かみさん)は家(うち)の内でも手拭を冠り、藍染真綿を亀の甲のやうに着て、茶を出すやら、座蒲団を勧めるやら、金米糖(こんぺいたう)は古い皿に入れて款待(もてな)した。
 丁度そこへ二台の人力車(くるま)が停つた。矢張(やはり)斯の霙(みぞれ)を衝(つ)いて、便船に後(おく)れまいと急いで来た客らしい。人々の視線は皆な其方に集つた。車夫はまるで濡鼠、酒代(さかて)が好いかして威勢よく、先づ雨被(あまよけ)を取除(とりはづ)して、それから手荷物のかず/\を茶屋の内へと持運ぶ。つゞいて客もあらはれた。

       (二)

 丑松が驚いたのは無理もなかつた。それは高柳の一行であつた。往(ゆ)きに一緒に成つて、帰りにも亦(ま)た斯(こ)の通り一緒に成るとは――しかも、同じ川舟を待合はせるとは。それに往きには高柳一人であつたのが、帰りには若い細君らしい女と二人連。女は、薄色縮緬(うすいろちりめん)のお高祖(こそ)を眉深(まぶか)に冠つたまゝ、丑松の腰掛けて居る側を通り過ぎた。新しい艶のある吾妻袍衣(あづまコート)に身を包んだ其嫋娜(すらり)とした後姿を見ると、斯(こ)の女が誰であるかは直に読める。丑松はあの蓮太郎の話を想起(おもひおこ)して、いよ/\其が事実であつたのに驚いて了(しま)つた。
 主婦(かみさん)に導かれて、二人はずつと奥の座敷へ通つた。そこには炬燵(こたつ)が有つて、先客一人、五十あまりの坊主、直に慣々(なれ/\)しく声を掛けたところを見ると、かねて懇意の仲ででも有らう。軈(やが)て盛んな笑声が起る。丑松は素知らぬ顔、屋外(そと)の方へ向いて、物寂(ものさみ)しい霙(みぞれ)の空を眺めて居たが、いつの間にか後の方へ気を取られる。聞くとは無しについ聞耳を立てる。座敷の方では斯様(こん)な談話(はなし)をして笑ふのであつた。
『道理で――君は暫時(しばらく)見えないと思つた。』と言ふは世慣(よな)れた坊主の声で、『私(わし)は又、選挙の方が忙しくて、其で地方廻りでも為(し)て居るのかと思つた。へえ、左様(さう)ですかい、そんな御目出度(おめでたい)ことゝは少許(すこし)も知らなかつたねえ。』
『いや、どうも忙しい思(おもひ)を為て来ましたよ。』斯(か)う言つて笑ふ声を聞くと、高柳はさも得意で居るらしい。
『それはまあ何よりだつた。失礼ながら、奥様(おくさん)は? 矢張(やはり)東京の方からでも?』
『はあ。』
 この『はあ』が丑松を笑はせた。
 談話(はなし)の様子で見ると、高柳夫婦は東京の方へ廻つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から飯山へ乗込むといふ寸法らしい。そこは抜目の無い、細工の多い男だから、根津から直に引返すやうなことを為(し)ないで、わざ/\遠廻りして帰つて来たものと見える。さて、坊主を捕(つかま)へて、片腹痛いことを吹聴(ふいちやう)し始めた。聞いて居る丑松には其心情の偽(いつはり)が読め過ぎるほど読めて、終(しまひ)には其処に腰掛けても居られないやうになつた。『恐しい世の中だ』――斯う考へ乍ら、あの夫婦の暗い秘密を自分の身に引比べると、さあ何となく気懸りでならない。やがて、故意(わざ)と無頓着な様子を装(つくろ)つて、ぶらりと休茶屋の外へ出て眺めた。
 霙(みぞれ)は絶えず降りそゝいで居た。あの越後路から飯山あたりへかけて、毎年(まいとし)降る大雪の前駆(さきぶれ)が最早やつて来たかと思はせるやうな空模様。灰色の雲は対岸に添ひ徊徘(さまよ)つた、広濶(ひろ/″\)とした千曲川の流域が一層遠く幽(かすか)に見渡される。上高井の山脈、菅平の高原、其他畳み重なる多くの山々も雪雲に埋没(うづも)れて了(しま)つて、僅かに見えつ隠れつして居た。
 斯うして茫然(ばうぜん)として、暫時(しばらく)千曲川の水を眺めて居たが、いつの間にか丑松の心は背後(うしろ)の方へ行つて了つた。幾度か丑松は振返つて二人の様子を見た。見まい/\と思ひ乍ら、つい見た。丁度乗船の切符を売出したので、人々は皆な争つて買つた。間も無く船も出るといふ。混雑する旅人の群に紛(まぎ)れて、先方(さき)の二人も亦た時々盗むやうに是方(こちら)の様子を注意するらしい――まあ、思做(おもひなし)の故(せゐ)かして、すくなくとも丑松には左様(さう)酌(と)れたのである。女の方で丑松を知つて居るか、奈何か、それは克(よ)く解らないが、丑松の方では確かに知つて居る。髪のかたちこそ新婚の人のそれに結ひ変へては居るが、紛れの無い六左衛門の娘、白いもの花やかに彩色(いろどり)して恥の面を塗り隠し、野心深い夫に倚添(よりそ)ひ、崖(がけ)にある坂路をつたつて、舟に乗るべきところへ下りて行つた。『何と思つて居るだらう――あの二人は。』斯う考へ乍ら、丑松も亦た人々の後に随(つ)いて、一緒にその崖を下りた。

       (三)

 川舟は風変りな屋形造りで、窓を附け、舷(ふなべり)から下を白く化粧して赤い二本筋を横に表してある。それに、艫寄(ともより)の半分を板戸で仕切つて、荷積みの為に区別がしてあるので、客の座るところは細長い座敷を見るやう。立てば頭が支へる程。人々はいづれも狭苦しい屋形の下に膝を突合せて乗つた。
 やがて水を撃つ棹(さを)の音がした。舟底は砂の上を滑り始めた。今は二挺櫓(ろ)で漕ぎ離れたのである。丑松は隅の方に両足を投出して、独り寂しさうに巻煙草を燻(ふか)し乍(なが)ら、深い/\思に沈んで居た。河の面に映る光線の反射は割合に窓の外を明くして、降りそゝぐ霙の眺めをおもしろく見せる。舷(ふなべり)に触れて囁(つぶや)くやうに動揺する波の音、是方(こちら)で思つたやうに聞える眠たい櫓のひゞき――あゝ静かな水の上だ。荒寥(くわうれう)とした岸の楊柳(やなぎ)もところ/″\。時としては其冬木の姿を影のやうに見て進み、時としては其枯々な枝の下を潜るやうにして通り抜けた。是(これ)から将来(さき)の自分の生涯は畢竟(つまり)奈何(どう)なる。斯う丑松は自分で自分に尋ねることもあつた。誰が其を知らう。窓から首を出して飯山の空を眺めると、重く深く閉塞(とぢふさが)つた雪雲の色はうたゝ孤独な穢多の子の心を傷(いた)ましめる。残酷なやうな、可懐(なつか)しいやうな、名のつけやうの無い心地(こゝろもち)は丑松の胸の中を掻乱(かきみだ)した。今――学校の連中は奈何(どう)して居るだらう。友達の銀之助は奈何して居るだらう。あの不幸な、老朽な敬之進は奈何して居るだらう。蓮華寺の奥様は。お志保は。と不図、省吾から来た手紙の文句なぞを思出して見ると、逢(あ)ひたいと思ふ其人に復(ま)た逢はれるといふ楽みが無いでもない。丑松はあの寺の古壁を思ひやるごとに、空寂なうちにも血の湧くやうな心地(こゝろもち)に帰るのであつた。
『蓮華寺――蓮華寺。』
 と水に響く櫓の音も同じやうに調子を合せた。
 霙は雪に変つて来た。徒然(つれ/″\)な舟の中は人々の雑談で持切つた。就中(わけても)、高柳と一緒になつた坊主、茶にしたやうな口軽な調子で、柄に無い政事上の取沙汰(とりざた)、酢(す)の菎蒻(こんにやく)のとやり出したので、聞く人は皆な笑ひ憎んだ。斯(こ)の坊主に言はせると、選挙は一種の遊戯で、政事家は皆な俳優に過ぎない、吾儕(われ/\)は唯見物して楽めば好いのだと。斯の言葉を聞いて、また人々が笑へば、そこへ弥次馬が飛出す、其尾に随いて贔顧(ひいき)不贔顧(ぶひいき)の論が始まる。『いよ/\市村も侵入(きりこ)んで来るさうだ。』と一人が言へば、『左様(さう)言ふ君こそ御先棒に使役(つか)はれるんぢや無いか。』と攪返(まぜかへ)すものがある。弁護士の名は幾度か繰返された。其を聞く度に、高柳は不快らしい顔付。ふゝむと鼻の先で笑つて、嘲つたやうに口唇を引歪(ひきゆが)めた。
 斯(か)ういふ他(ひと)の談話(はなし)の間にも、女は高柳の側に倚添つて、耳を澄まして、夫の機嫌を取り乍ら聞いて居た。見れば、美しい女の数にも入るべき人で、殊(こと)に華麗(はなやか)な新婚の風俗は多くの人の目を引いた。髪は丸髷(まるまげ)に結ひ、てがらは深紅(しんく)を懸け、桜色の肌理(きめ)細やかに肥えあぶらづいて、愛嬌(あいけう)のある口元を笑ふ度に掩ひかくす様は、まだ世帯の苦労なぞを知らない人である。さすが心の表情は何処(どこ)かに読まれるもので――大きな、ぱつちりとした眼のうちには、何となく不安の色も顕(あらは)れて、熟(じつ)と物を凝視(みつ)めるやうな沈んだところも有つた。どうかすると、女は高柳の耳の側へ口を寄せて、何か人に知れないやうに私語(さゝや)くことも有つた。どうかすると又、丑松の方を盗むやうに見て、『おや、彼の人は――何処かで見掛けたやうな気がする』と斯う其眼で言ふことも有つた。
 同族の哀憐(あはれみ)は、斯の美しい穢多の女を見るにつけても、丑松の胸に浮んで来た。人種さへ変りが無くば、あれ程の容姿(きりやう)を持ち、あれ程富有(ゆたか)な家に生れて来たので有るから、無論相当のところへ縁付かれる人だ――彼様(あん)な野心家の餌(ゑば)なぞに成らなくても済(す)む人だ――可愛さうに。斯う考へると同時に、丁度女も自分と同じ秘密を持つて居るかと思ひやると、どうも其処が気懸りでならない。よしんば先方(さき)で自分を知つて居るとしたところで、其が奈何(どう)した、と丑松は自分で自分に尋ねて見た。根津の人、または姫子沢のもの、と思つて居るなら自分に取つて一向恐れるところは無い。恐れるとすれば、其は反(かへ)つて先方(さき)のことだ。斯う自分で答へて見た。第一、自分は四五年以来(このかた)、数へる程しか故郷へ帰らなかつた――卒業した時に一度――それから今度の帰省が足掛三年目――まあ、あの向町なぞは成るべく避(よ)けて通らなかつたし、通つたところで他(ひと)が左様(さう)注意して見る筈も無し、見たところで何処のものだか解らない――大丈夫。斯う用心深く考へても見た。畢竟(つまり)自分が二人の暗い秘密を聞知つたから、それで斯う気が咎(とが)めるのであらう。彼様(あゝ)して私語(さゝや)くのは何でも無いのであらう。避けるやうな素振(そぶり)は唯人目を羞(は)ぢるのであらう。あの目付も。
 とはいふものゝ、何となく不安に思ふ其懸念が絶えず心の底にあつた。丑松は高柳夫婦を見ないやうにと勉(つと)めた。

       (四)

 千曲川の瀬に乗つて下ること五里。尤(もつと)も、其間には、ところ/″\の舟場へも漕ぎ寄せ、洪水のある度に流れるといふ粗造な船橋の下をも潜り抜けなどして、そんなこんなで手間取れた為に、凡(およ)そ三時間は舟旅に費(かゝ)つた。飯山へ着いたのは五時近い頃。其日は舟の都合で、乗客一同上(かみ)の渡しまで。丑松は人々と一緒に其処から岸へ上つた。見れば雪は河原にも、船橋の上にも在つた。丁度小降のなかを暮れて、仄白(ほのじろ)く雪の町々。そこにも、こゝにも、最早ちら/\灯(あかり)が点く。其時蓮華寺で撞(つ)く鐘の音が黄昏(たそがれ)の空に響き渡る――あゝ、庄馬鹿が撞くのだ。相変らず例の鐘楼に上つて冬の一日(ひとひ)の暮れたことを報せるのであらう。と其を聞けば、言ふに言はれぬ可懐(なつか)しさが湧上つて来る。丑松は久し振りで飯山の地を踏むやうな心地(こゝろもち)がした。
 半月ばかり見ないうちに、家々は最早(もう)冬籠(ふゆごもり)の用意、軒丈ほどの高さに毎年(まいとし)作りつける粗末な葦簾(よしず)の雪がこひが悉皆(すつかり)出来上つて居た。越後路と同じやうな雪国の光景(ありさま)は丑松の眼前(めのまへ)に展(ひら)けたのである。
 新町の通りへ出ると、一筋暗く踏みつけた町中の雪道を用事ありげな男女(をとこをんな)が往つたり来たりして居た。いづれも斯(こ)の夕暮を急ぐ人々ばかり。丑松は右へ避(よ)け、左へ避けして、愛宕(あたご)町をさして急いで行かうとすると、不図(ふと)途中で一人の少年に出逢(であ)つた。近いて見ると、それは省吾で、何か斯う酒の罎(びん)のやうなものを提げて、寒さうに慄(ふる)へ乍(なが)らやつて来た。
『あれ、瀬川先生。』と省吾は嬉しさうに馳寄(かけよ)つて、『まあ、魂消(たまげ)た――それでも先生の早かつたこと。私はまだ/\容易に帰りなさらないかと思ひやしたよ。』
 好く言つて呉れた。斯の無邪気な少年の驚喜した顔付を眺(なが)めると、丑松は最早(もう)あのお志保に逢ふやうな心地(こゝろもち)がしたのである。
『君は――お使かね。』
『はあ。』
 と省吾は黒ずんだ色の罎を出して見せる。出して見せ乍ら、笑つた。
 果して父の為に酒を買つて帰つて行くところであつた。『此頃(こなひだ)は御手紙を難有う。』斯(か)う丑松は礼を述べて、一寸学校の様子を聞いた。自分が留守の間、毎日誰か代つて教へたと尋ねた。それから敬之進のことを尋ねて見た。
『父さん?』と省吾は寂(さみ)しさうに笑つて、『あの、父さんは家に居りやすよ。』
 よく/\言ひ様に窮(こま)つたと見えて、斯う答へたが、子供心にも父を憐むといふ情合(じやうあひ)は其顔色に表れるのであつた。見れば省吾は足袋も穿(は)いて居なかつた。斯うして酒の罎を提げて悄然(しよんぼり)として居る少年の様子を眺めると、あの無職業な敬之進が奈何して日を送つて居るかも大凡(おほよそ)想像がつく。
『家へ帰つたらねえ、父さんに宜敷(よろしく)言つて下さい。』
 と言はれて、省吾は御辞儀一つして、軈(やが)てぷいと駈出して行つて了つた。丑松も雪の中を急いだ。

       (五)

 宵(よひ)の勤行(おつとめ)も終る頃で、子坊主がかん/\鳴らす鉦(かね)の音を聞き乍ら、丑松は蓮華寺の山門を入つた。上の渡しから是処迄(こゝまで)来るうちに、もう悉皆(すつかり)雪だらけ。羽織の裾も、袖も真白。其と見た奥様は飛んで出て、吾子が旅からでも帰つて来たかのやうに喜んだ。人々も出て迎へた。下女の袈裟治(けさぢ)は塵払(はたき)を取出して、背中に附いた雪を払つて呉れる。庄馬鹿は洗足(すゝぎ)の湯を汲んで持つて来る。疲れて、がつかりして、蔵裏(くり)の上(あが)り框(がまち)に腰掛け乍ら、雪の草鞋(わらぢ)を解(ほど)いた後、温暖(あたゝか)い洗(すゝ)ぎ湯(ゆ)の中へ足を浸した時の其丑松の心地は奈何(どんな)であつたらう。唯(たゞ)――お志保の姿が見えないのは奈何したか。人々の情を嬉敷(うれしく)思ふにつけても、丑松は心に斯(か)う考へて、何となく其人の居ないのが物足りなかつた。
 其時、白衣(びやくえ)に袈裟(けさ)を着けた一人の僧が奥の方から出て来た。奥様の紹介(ひきあはせ)で、丑松は始めて蓮華寺の住職を知つた。聞けば、西京から、丑松の留守中に帰つたといふ。丁度町の檀家(だんか)に仏事が有つて、これから出掛けるところとやら。住職は一寸丑松に挨拶して、寺内の僧を供に連れて出て行つた。
 夕飯(ゆふはん)は蔵裏の下座敷であつた。人々は丑松を取囲(とりま)いて、旅の疲労(つかれ)を言慰めたり、帰省の様子を尋ねたりした。煤けた古壁によせて、昔からあるといふ衣桁(えかう)には若い人の着るものなぞが無造作に懸けてある。其晩は学校友達の婚礼とかで、お志保も招ばれて行つたとのこと。成程(なるほど)左様(さう)言はれて見ると、其人の平常衣(ふだんぎ)らしい。亀甲綛(きつかふがすり)の書生羽織に、縞(しま)の唐桟(たうざん)を重ね、袖だゝみにして折り懸け、長襦袢(ながじゆばん)の色の紅梅を見るやうなは八口(やつくち)のところに美しくあらはれて、朝に晩に肌身に着けるものかと考へると、その壁の模様のやうに動かずにある着物が一層(ひとしほ)お志保を可懐(なつか)しく思出させる。のみならず、五分心の洋燈(ランプ)のひかりは香の煙に交る室内の空気を照らして、物の色艶なぞを奥床しく見せるのであつた。
 さま/″\の物語が始まつた。驚き悲しむ人々を前に置いて、丑松は実地自分が歴(へ)て来た旅の出来事を語り聞かせた。種牛の為に傷けられた父の最後、番小屋で明した山の上の一夜、牧場の葬式、谷蔭の墓、其他草を食ひ塩を嘗(な)め谷川の水を飲んで烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の麓に彷徨(さまよ)ふ牛の群のことを話した。丑松は又、上田の屠牛場(とぎうば)のことを話した。其小屋の板敷の上には種牛の血汐が流れた光景(ありさま)を話した。唯、蓮太郎夫婦に出逢つたこと、別れたこと、それから飯山へ帰る途中川舟に乗合した高柳夫婦――就中(わけても)、あの可憐(あはれ)な美しい穢多の女の身の上に就いては、決して一語(ひとこと)も口外しなかつた。
 斯うして帰省中のいろ/\を語り聞かせて居るうちに、次第に丑松は一種不思議な感想(かんじ)を起すやうに成つた。それは、丑松の積りでは、対手が自分の話を克(よ)く聞いて居て呉れるのだらうと思つて、熱心になつて話して居ると、どうかすると奥様の方では妙な返事をして、飛んでも無いところで『え?』なんて聞き直して、何か斯う話を聞き乍ら別の事でも考へて居るかのやうに――まあ、半分は夢中で応対(うけこたへ)をして居るのだと感づいた。終(しまひ)には、対手が何にも自分の話を聞いて居ないのだといふことを発見(みいだ)した。しばらく丑松は茫然(ぼんやり)として、穴の開くほど奥様の顔を熟視(みまも)つたのである。
 克く見れば、奥様は両方の□(まぶち)を泣腫(なきは)らして居る。唯さへ気の短い人が余計に感じ易く激し易く成つて居る。言ふに言はれぬ心配なことでも起つたかして、時々深い憂愁(うれひ)の色が其顔に表はれたり隠れたりした。一体、是(これ)は奈何(どう)したのであらう。聞いて見れば留守中、別に是ぞと変つた事も無かつた様子。銀之助は親切に尋ねて呉れたといふし、文平は克(よ)く遊びに来て話して行くといふ。それから斯の寺の方から言へば、住職が帰つたといふことより外に、何も新しい出来事は無かつたらしい。それにしても斯の内部(なか)の様子の何処となく平素(ふだん)と違ふやうに思はれることは。
 軈(やが)て袈裟治は二階へ上つて行つて、部屋の洋燈(ランプ)を点(つ)けて来て呉れた。お志保はまだ帰らなかつた。
『奈何(どう)したんだらう、まあ彼の奥様の様子は。』
 斯う胸の中で繰返し乍ら、丑松は暗い楼梯(はしごだん)を上つた。
 其晩は遅く寝た。過度の疲労に刺激されて、反(かへ)つて能(よ)く寝就かれなかつた。例の癖で、頭を枕につけると、またお志保のことを思出した。尤も何程(いくら)心に描いて見ても、明瞭(あきらか)に其人が浮んだためしは無い。どうかすると、お妻と混同(ごつちや)になつて出て来ることも有る。幾度か丑松は無駄骨折をして、お志保の俤を捜さうとした。瞳を、頬を、髪のかたちを――あゝ、何処を奈何(どう)捜して見ても、何となく其処に其人が居るとは思はれ乍ら、それで奈何しても統一(まとまり)が着かない。時としては彼(あ)のつつましさうに物言ふ声を、時としては彼の口唇(くちびる)にあらはれる若々しい微笑(ほゝゑみ)を――あゝ、あゝ、記憶ほど漠然(ぼんやり)したものは無い。今、思ひ出す。今、消えて了ふ。丑松は顕然(はつきり)と其人を思ひ浮べることが出来なかつた。


   第拾参章

       (一)

『御頼申(おたのまう)します。』
 蓮華寺の蔵裏(くり)へ来て、斯う言ひ入れた一人の紳士がある。それは丑松が帰つた翌朝(あくるあさ)のこと。階下(した)では最早(もう)疾(とつく)に朝飯(あさはん)を済まして了つたのに、未だ丑松は二階から顔を洗ひに下りて来なかつた。『御頼申します。』と復(ま)た呼ぶので、下女の袈裟治は其を聞きつけて、周章(あわ)てゝ台処の方から飛んで出て来た。
『一寸伺ひますが、』と紳士は至極丁寧な調子で、『瀬川さんの御宿は是方様(こちらさま)でせうか――小学校へ御出(おで)なさる瀬川さんの御宿は。』
『左様(さう)でやすよ。』と下女は襷(たすき)を脱(はづ)し乍ら挨拶した。
『何ですか、御在宿(おいで)で御座(ござい)ますか。』
『はあ、居なさりやす。』
『では、是非御目に懸りたいことが有まして、斯ういふものが伺ひましたと、何卒(どうか)左様(さう)仰(おつしや)つて下さい。』
 と言つて、紳士は下女に名刺を渡す。下女は其を受取つて、『一寸、御待ちなすつて』を言捨て乍ら、二階の部屋へと急いだ。
 丑松は未(ま)だ寝床を離れなかつた。下女が枕頭(まくらもと)へ来て喚起(よびおこ)した時は、客の有るといふことを半分夢中で聞いて、苦しさうに呻吟(うな)つたり、手を延ばしたりした。軈(やが)て寝惚眼(ねぼけまなこ)を擦り/\名刺を眺めると、急に驚いたやうに、むつくり跳(は)ね起きた。
『奈何(どう)したの、斯人(このひと)が。』
『貴方(あんた)を尋ねて来なさりやしたよ。』
 暫時(しばらく)の間、丑松は夢のやうに、手に持つた名刺と下女の顔とを見比べて居た。
『斯人は僕のところへ来たんぢや無いんだらう。』
 と不審を打つて、幾度か小首を傾(かし)げる。
『高柳利三郎?』
 と復(ま)た繰返した。袈裟治は襷を手に持つて、一寸小肥りな身体(からだ)を動(ゆす)つて、早く返事を、と言つたやうな顔付。
『何か間違ひぢやないか。』到頭丑松は斯う言出した。『どうも、斯様(こん)な人が僕のところへ尋ねて来る筈(はず)が無い。』
『だつて、瀬川さんと言つて尋ねて来なすつたもの――小学校へ御出なさる瀬川さんと言つて。』
『妙なことが有ればあるもんだなあ。高柳――高柳利三郎――彼の男が僕のところへ――何の用が有つて来たんだらう。兎(と)も角(かく)も逢つて見るか。それぢやあ、御上りなさいツて、左様(さう)言つて下さい。』
『それはさうと、御飯は奈何(どう)しやせう。』
『御飯?』
『あれ、貴方(あんた)は起きなすつたばかりぢやごはせんか。階下(した)で食べなすつたら? 御味噌汁(おみおつけ)も温めてありやすにサ。』
『廃(よ)さう。今朝は食べたく無い。それよりは客を下の座敷へ通して、一寸待たして置いて下さい――今、直に斯部屋を片付けるから。』
 袈裟治は下りて行つた。急に丑松は部屋の内を眺め廻した。着物を着更へるやら、寝道具を片付けるやら。そこいらに散乱(ちらか)つたものは皆な押入の内へ。床の間に置並べた書籍(ほん)の中には、蓮太郎のものも有る。手捷(てばしこ)く其を机の下へ押込んで見たが、また取出して、押入の内の暗い隅の方へ隠蔽(かく)すやうにした。今は斯(こ)の部屋の内にあの先輩の書いたものは一冊も出て居ない。斯う考へて、すこし安心して、さて顔を洗ふつもりで、急いで楼梯(はしごだん)を下りた。それにしても何の用事があつて、彼様(あん)な男が尋ねて来たらう。途中で一緒に成つてすら言葉も掛けず、見れば成る可く是方(こちら)を避(よ)けようとした人。其人がわざ/\やつて来るとは――丑松は客を自分の部屋へ通さない前から、疑心(うたがひ)と恐怖(おそれ)とで慄(ふる)へたのである。

       (二)

『始めまして――私は高柳利三郎です。かねて御名前は承つて居りましたが、つい未(ま)だ御尋(おたづ)ねするやうな機会も無かつたものですから。』
『好く御入来(おいで)下さいました。さあ、何卒(どうか)まあ是方(こちら)へ。』
 斯(か)ういふ挨拶を蔵裏の下座敷で取交して、やがて丑松は二階の部屋の方へ客を導いて行つた。
 突然な斯の来客の底意の程も図りかね、相対(さしむかひ)に座(すわ)る前から、もう何となく気不味(きまづ)かつた。丑松はすこしも油断することが出来なかつた。とは言ふものゝ、何気ない様子を装(つくろ)つて、自分は座蒲団を敷いて座り、客には白い毛布を四つ畳みにして薦(すゝ)めた。
『まあ、御敷下さい。』と丑松は快濶(くわいくわつ)らしく、『どうも失礼しました。実は昨晩遅かつたものですから、寝過して了(しま)ひまして。』
『いや、私こそ――御疲労(おつかれ)のところへ。』と高柳は如才ない調子で言つた。『昨日(さくじつ)は舟の中で御一緒に成ました時に、何とか御挨拶を申上げようか、申上げなければ済まないが、と斯(か)う存じましたのですが、あんな処で御挨拶しますのも反(かへ)つて失礼と存じまして――御見懸け申し乍ら、つい御無礼を。』
 丁度取引でも為るやうな風に、高柳は話し出した。しかし、愛嬌(あいけう)のある、明白(てきぱき)した物の言振(いひぶり)は、何処かに人を□(ひきつ)けるところが無いでもない。隆とした其風采(なりふり)を眺めたばかりでも、いかに斯の新進の政事家が虚栄心の為に燃えて居るかを想起(おもひおこ)させる。角帯に纏ひつけた時計の鎖は富豪の身を飾ると同じやうなもの。それに指輪は二つまで嵌(は)めて、いづれも純金の色に光り輝いた。『何の為に尋ねて来たのだらう、是男は。』と斯う丑松は心に繰返して、対手の暗い秘密を自分の身に思比べた時は、長く目と目を見合せることも出来ない位。
 高柳は膝を進めて、
『承りますれば御不幸が御有なすつたさうですな。さぞ御力落しでいらつしやいませう。』
『はい。』と丑松は自分の手を眺め乍ら答へた。『飛んだ災難に遭遇(であひ)まして、到頭阿爺(おやぢ)も亡(な)くなりました。』
『それは奈何(どう)も御気の毒なことを。』と言つて、急に高柳は思ひついたやうに、『むゝ、左様々々(さう/\)、此頃(こなひだ)も貴方と豊野の停車場(ステーション)で御一緒に成つて、それから私が田中で下りる、貴方も御下りなさる――左様でしたらう、ホラ貴方も田中で御下りなさる。丁度彼の時が御帰省の途中だつたんでせう。して見ると、貴方と私とは、往きも、還りも御一緒――はゝゝゝゝ。何か斯う克(よ)く/\の因縁(いんねん)づくとでも、まあ、申して見たいぢや有ませんか。』
 丑松は答へなかつた。
『そこです。』と高柳は言葉に力を入れて、『御縁が有ると思へばこそ、斯(か)うして御話も申上げるのですが――実は、貴方の御心情に就きましても、御察し申して居ることも有ますし。』
『え?』と丑松は対手(あひて)の言葉を遮(さへぎ)つた。
『そりやあもう御察し申して居ることも有ますし、又、私の方から言ひましても、少許(すこし)は察して頂きたいと思ひまして、それで御邪魔に出ましたやうな訳なんで。』
『どうも貴方の仰(おつしや)ることは私に能く解りません。』
『まあ、聞いて下さい――』
『ですけれど、どうも貴方の御話の意味が汲取れないんですから。』
『そこを察して頂きたいと言ふのです。』と言つて、高柳は一段声を低くして、『御聞及びでも御座(ござい)ませうが、私も――世話して呉れるものが有まして――家内を迎へました。まあ、世の中には妙なことが有るもので、あの家内の奴が好く貴方を御知り申して居るのです。』
『はゝゝゝゝ、奥様(おくさん)が私を御存じなんですか。』と言つて丑松は少許(すこし)調子を変へて、『しかし、それが奈何(どう)しました。』
『ですから私も御話に出ましたやうな訳なんで。』
『と仰ると?』
『まあ、家内なぞの言ふことですから、何が何だか解りませんけれど――実際、女の話といふものは取留の無いやうなものですからなあ――しかし、不思議なことには、彼奴(あいつ)の家(うち)の遠い親類に当るものとかが、貴方の阿爺(おとつ)さんと昔御懇意であつたとか。』斯(か)う言つて、高柳は熱心に丑松の様子を窺(うかゞ)ふやうにして見て、『いや、其様(そん)なことは、まあ奈何でもいゝと致しまして、家内が貴方を御知り申して居ると言ひましたら、貴方だつても御聞流しには出来ますまいし、私も亦た私で、どうも不安心に思ふことが有るものですから――実は、昨晩は、その事を考へて、一睡も致しませんでした。』
 暫時(しばらく)部屋の内には声が無かつた。二人は互ひに捜(さぐ)りを入れるやうな目付して、無言の儘(まゝ)で相対して居たのである。
『噫(あゝ)。』と高柳は投げるやうに嘆息した。『斯様(こん)な御話を申上げに参るといふのは、克(よ)く/\だと思つて頂きたいのです。貴方より外に吾儕(わたしども)夫婦(ふうふ)のことを知つてるものは無し、又、吾儕夫婦より外に貴方のことを知つてるものは有ません――ですから、そこは御互ひ様に――まあ、瀬川さん左様(さう)ぢや有ませんか。』と言つて、すこし調子を変へて、『御承知の通り、選挙も近いてまゐりました。どうしても此際(こゝ)のところでは貴方に助けて頂かなければならない。もし私の言ふことを聞いて下さらないとすれば、私は今、こゝで貴方と刺しちがへて死にます――はゝゝゝゝ、まさか貴方の性命(いのち)を頂くとも申しませんがね、まあ、私は其程の決心で参つたのです。』

       (三)

 其時、楼梯(はしごだん)を上つて来る人の足音がしたので、急に高柳は口を噤(つぐ)んで了(しま)つた。『瀬川先生、御客様(おきやくさん)でやすよ。』と呼ぶ袈裟治の声を聞きつけて、ついと丑松は座を離れた。唐紙を開けて見ると、もうそこへ友達が微笑み乍ら立つて居たのである。
『おゝ、土屋君か。』
 と思はず丑松は溜息を吐いた。
 銀之助は一寸高柳に会釈(ゑしやく)して、別に左様(さう)主客の様子を気に留めるでもなく、何か用事でも有るのだらう位に、例の早合点から独り定めに定めて、
『昨夜君は帰つて来たさうだね。』
 と慣々(なれ/\)しい調子で話し出した。相変らず快活なは斯の人。それに遠からず今の勤務(つとめ)を廃(や)めて、農科大学の助手として出掛けるといふ、その希望(のぞみ)が胸の中に溢(あふ)れるかして、血肥りのした顔の面は一層活々と輝いた。妙なもので、短く五分刈にして居る散髪頭が反(かへ)つて若い学者らしい威厳を加へたやうに見える。友達ながらに一段の難有(ありがた)みが出来た。丑松は何となく圧倒(けおさ)れるやうにも感じたのである。
 心の底から思ひやる深い真情を外に流露(あらは)して、銀之助は弔辞(くやみ)を述べた。高柳は煙草を燻し/\黙つて二人の談話(はなし)を聞いて居た。
『留守中はいろ/\難有う。』と丑松は自分で自分を激□(はげ)ますやうにして、『学校の方も君がやつて呉れたさうだねえ。』
『あゝ、左(どう)にか右(かう)にか間に合せて置いた。二級懸持ちといふやつは巧くいかないものでねえ。』と言つて、銀之助は恰(さ)も心(しん)から出たやうに笑つて、『時に、君は奈何(どう)する。』
『奈何するとは?』
『親の忌服だもの、四週間位は休ませて貰ふサ。』
『左様もいかない。学校の方だつて都合があらあね。第一、君が迷惑する。』
『なに、僕の方は関はないよ。』
『明日は月曜だねえ。兎(と)に角(かく)明日は出掛けよう。それはさうと、土屋君、いよ/\君の希望(のぞみ)も達したといふぢやないか。君から彼(あの)手紙を貰つた時は、実に嬉しかつた。彼様(あんな)に早く進行(はかど)らうとは思はなかつた。』
『ふゝ、』と銀之助は思出し笑ひをして、『まあ、御蔭でうまくいつた。』
『実際うまくいつたよ。』と友達の成功を悦(よろこ)ぶ傍から、丑松は何か思ひついたやうに萎(しを)れて、『県庁の方からは最早(もう)辞令が下つたかね。』
『いゝや、辞令は未だ。尤(もつと)も義務年限といふやつが有るんだから、ただ廃(や)めて行く訳にはいかない。そこは県庁でも余程斟酌(しんしやく)して呉れてね、百円足らずの金を納めろと言ふのさ。』
『百円足らず?』
『よしんば在学中の費用を皆な出せと言はれたつて仕方が無い。其位のことで勘免(かんべん)して呉れたのは、実に難有い。早速阿爺(おやぢ)の方へ請求(ねだ)つてやつたら、阿爺も君、非常に喜んでね、自身で長野迄出掛けて来るさうだ。いづれ、其内には沙汰があるだらうと思ふよ。まあ、君と斯(か)うして飯山に居るのも、今月一ぱい位のものだ。』
 斯う言つて銀之助は今更のやうに丑松の顔を眺めた。丑松は深い溜息を吐(つ)いて居た。
『別の話だが、』と銀之助は言葉を継(つ)いで、『君の好な猪子先生――ホラ、あの先生が信州へ来てるさうだねえ。昨日僕は新聞で読んだ。』
『新聞で?』丑松の頬は燃え輝いたのである。
『あゝ、信毎に出て居た。肺病だといふけれど、熾盛(さかん)な元気の人だねえ。』
 と蓮太郎の噂(うはさ)が出たので、急に高柳は鋭い眸(ひとみ)を銀之助の方へ注いだ。丑松は無言であつた。
『穢多もなか/\馬鹿にならんよ。』と銀之助は頓着なく、『まあ、思想(かんがへ)から言へば、多少病的かも知れないが、しかし進んで戦ふ彼(あ)の勇気には感服する。一体、肺病患者といふものは彼様(あゝ)いふものか知らん。彼の先生の演説を聞くと、非常に打たれるさうだ。』と言つて気を変へて、『まあ、瀬川君なぞは聞かない方が可(いゝ)よ――聞けば復(ま)た病気が発(おこ)るに極(きま)つてるから。』
『馬鹿言ひたまへ。』
『あはゝゝゝゝ。』
 と銀之助は反返(そりかへ)つて笑つた。
 遽然(にはかに)丑松は黙つて了つた。丁度、喪心した人のやうに成つた。丁度、身体中の機関(だうぐ)が一時に動作(はたらき)を止めて、斯うして生きて居ることすら忘れたかのやうであつた。
『奈何したんだらう、また瀬川君は――相変らず身体の具合でも悪いのかしら。』と斯う銀之助は自分で自分に言つて見た。やゝしばらく三人は無言の儘で相対して居た。『今日は僕は是で失敬する。』と銀之助が言出した時は、丑松も我に帰つて、『まあ、いゝぢやないか』を繰返したのである。
『いや、復(ま)た来る。』
 銀之助は出て行つて了つた。

       (四)

『只今(たゞいま)猪子といふ方の御話が出ましたが、』と高柳は巻煙草の灰を落し乍ら言つた。『あの、何ですか、瀬川さんは彼(あ)の方と御懇意でいらつしやるんですか。』
『いゝえ。』と丑松はすこし言淀(いひよど)んで、『別に、懇意でも有ません。』
『では、何か御関係が御有なさるんですか。』
『何も関係は有ません。』
『左様(さやう)ですか――』
『だつて関係の有やうが無いぢやありませんか、懇意でも何でも無い人に。』
『左様(さう)仰れば、まあ、そんなものですけれど。はゝゝゝゝ。彼の方は市村君と御一緒のやうですから、奈何(どう)いふ御縁故か、もし貴方が御存じならば伺つて見たいと思ひまして。』
『知りません、私は。』
『市村といふ弁護士も、あれでなか/\食へない男なんです。彼様(あん)な立派なことを言つて居ましても、畢竟(つまり)猪子といふ人を抱きこんで、道具に使用(つか)ふといふ腹に相違ないんです。彼の男が高尚らしいやうなことを言ふかと思ふと、私は噴飯(ふきだ)したくなる。そりやあもう、政事屋なんてものは皆な穢(きたな)い商売人ですからなあ――まあ、其道のもので無ければ、可厭(いや)な内幕も克(よ)く解りますまいけれど。』
 斯う言つて、高柳は嘆息して、

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