破戒
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著者名:島崎藤村 

 蓮太郎は苦しい様子も見せなかつた。この石塊(いしころ)の多い歩き難い道を彼様(あゝ)して徒歩(ひろ)つても可(いゝ)のかしらん、と丑松はそれを案じつゞけて、時々蓮太郎を待合せては、一緒に遅く歩くやうに為たが、まあ素人目(しろうとめ)で眺めたところでは格別気息(いき)の切れるでも無いらしい。漸(やうや)く安心して、軈(やが)て話し/\行く連の二人の後姿は、と見ると其時は凡(およ)そ一町程も離れたらう。急に日があたつて、湿(しめ)つた道路も輝き初めた。温和(やはらか)に快暢(こゝろよ)い朝の光は小県(ちひさがた)の野に満ち溢(あふ)れて来た。
 あゝ、告白(うちあ)けるなら、今だ。
 丑松に言はせると、自分は決して一生の戒を破るのでは無い。是(これ)が若(も)し世間の人に話すといふ場合ででも有つたら、それこそ今迄の苦心も水の泡であらう。唯斯人(このひと)だけに告白けるのだ。親兄弟に話すも同じことだ。一向差支が無い。斯う自分で自分に弁解(いひほど)いて見た。丑松も思慮の無い男では無し、彼程(あれほど)堅い父の言葉を忘れて了(しま)つて、好んで死地に陥るやうな、其様(そん)な愚(おろか)な真似を為(す)る積りは無かつたのである。
『隠せ。』
 といふ厳粛な声は、其時、心の底の方で聞えた。急に冷(つめた)い戦慄(みぶるひ)が全身を伝つて流れ下る。さあ、丑松もすこし躊躇(ためら)はずには居られなかつた。『先生、先生』と口の中で呼んで、どう其を切出したものかと悶(もが)いて居ると、何か目に見えない力が背後(うしろ)に在つて、妙に自分の無法を押止めるやうな気がした。
『忘れるな』とまた心の底の方で。

       (二)

『瀬川君、君は恐しく考へ込んだねえ。』と蓮太郎は丑松の方を振返つて見た。『時に、大分後れましたよ。奈何(どう)ですか、少許(すこし)急がうぢや有ませんか。』
 斯う言はれて、丑松も其後に随(つ)いて急いだ。
 間も無く二人は連に追付いた。鳥のやうに逃げ易い機会は捕まらなかつた。いづれ未(ま)だ先輩と二人ぎりに成る時は有るであらう、と其を丑松は頼みに思ふのである。
 日は次第に高くなつた。空は濃く青く透(す)き澄(とほ)るやうになつた。南の方(かた)に当つて、ちぎれ/\な雲の群も起る。今は温暖(あたゝか)い光の為に蒸(む)されて、野も煙り、岡も呼吸し、踏んで行く街道の土の灰色に乾く臭気(にほひ)も心地(こゝろもち)が好い。浅々と萌初(もえそ)めた麦畠は、両側に連つて、奈何(どんな)に春待つ心の烈しさを思はせたらう。斯(か)うして眺(なが)め/\行く間にも、四人の眼に映る田舎(ゐなか)が四色で有つたのはをかしかつた。弁護士は小作人と地主との争闘(あらそひ)を、蓮太郎は労働者の苦痛(くるしみ)と慰藉(なぐさめ)とを、叔父は『えご』、『山牛蒡(やまごばう)』、『天王草(てんわうぐさ)』、又は『水沢瀉(みづおもだか)』等の雑草に苦しめられる耕作の経験から、収穫(とりいれ)に関係の深い土質の比較、さては上州地方の平野に住む農夫に比べて斯の山の上の人々の粗懶(なげやり)な習慣なぞを――流石(さすが)に三人の話は、生活といふことを離れなかつたが、同じ田舎を心に描いても、丑松のは若々しい思想(かんがへ)から割出して、働くばかりが田舎ではないと言つたやうな風に観察する。斯(か)ういふ思ひ/\の話に身が入つて、四人は疲労(つかれ)を忘れ乍ら上田の町へ入つた。
 上田には弁護士の出張所も設けて有る。そこには蓮太郎の細君が根津から帰る夫を待受けて居たので。蓮太郎と弁護士とは、一寸立寄つて用事を済(す)ました上、また屠牛場で一緒に成るといふことにしよう、其種牛の最後をも見よう――斯(か)ういふ約束で別れた。丑松は叔父と連立つて一歩(ひとあし)先へ出掛けた。
 屠牛場近く行けば行く程、亡くなつた牧夫のことが烈しく二人の胸に浮んで来た。二人の話は其追懐(おもひで)で持切つた。他人が居なければ遠慮も要(い)らず、今は何を話さうと好自由(すきじいう)である。
『なあ、丑松。』と叔父は歩き乍ら嘆息して、『へえ、もう今日で六日目だぞよ。兄貴が亡くなる、お前(めへ)がやつて来る。葬式(おじやんぼん)を出す、御苦労招びから、礼廻りと、丁度今日で六日目だ。あゝ、明日は最早(もう)初七日だ。日数の早く経(た)つには魂消(たまげ)て了ふ。兄貴に別れたのは、つい未だ昨日のやうにしか思はれねえがなあ。』
 丑松は黙つて考へ乍ら随いて行つた。叔父は言葉を継いで、
『真実(ほんたう)に世の中は思ふやうに行かねえものさ。兄貴も、是から楽をしようといふところで、彼様(あん)な災難に罹るなんて。まあ、金を遺(のこ)すぢや無し、名を遺すぢや無し、一生苦労を為つゞけて、其苦労が誰の為かと言へば――畢竟(つまり)、お前や俺の為だ。俺も若え時は、克(よ)く兄貴と喧嘩して、擲(なぐ)られたり、泣かせられたりしたものだが、今となつて考へて見ると、親兄弟程難有(ありがた)いものは無えぞよ。仮令(たとひ)世界中の人が見放しても、親兄弟は捨てねえからなあ。兄貴を忘れちやならねえと言ふのは――其処だはサ。』
 暫時(しばらく)二人は無言で歩いた。
『忘れるなよ。』と叔父は復た初めた。『何程(どのくれえ)まあ兄貴もお前の為に心配して居たものだか。ある時、俺に、「丑松も今が一番危え時だ。斯うして山の中で考へたと、世間へ出て見たとは違ふから、そこを俺が思つてやる。なか/\他人の中へ突出されて、内兜(うちかぶと)を見透(みす)かされねえやうに遂行(やりと)げるのは容易ぢやねえ。何卒(どうか)してうまく行(や)つて呉れゝば可(いゝ)が――下手に学問なぞをして、つまらねえ思想(かんがへ)を起さなければ可(いゝ)が――まあ、三十に成つて見ねえ内は、安心が出来ねえ。」と斯ういふから、「なあに、大丈夫――丑松のことなら俺が保証する。」と言つてやつたよ。すると、兄貴は首を振つて、「どうも不可(いかねえ)もので、親の悪いところばかり子に伝はる。丑松も用心深いのは好(いゝ)が、然し又、あんまり用心深過ぎて反つて疑はれるやうな事が出来やすまいか。」としきりに其を言ふ。其時俺が、「左様(さう)心配した日には際限(きり)が無え。」と笑つたことサ。はゝゝゝゝ。』と思出したやうに慾の無い声で笑つて、軈て気を変へて、『しかし、能くまあ、お前も是迄に漕付けて来た。最早大丈夫だ。全くお前には其丈の徳が具(そな)はつて居るのだ。なにしろ用心するに越したことはねえぞよ。奈何(どん)な先生だらうが、同じ身分の人だらうが、決して気は許せねえ――そりやあ、もう、他人と親兄弟とは違ふからなあ。あゝ、兄貴の生きてる時分には、牧場から下つて来る、俺や婆さんの顔を見る、直にお前の噂(うはさ)だつた。もう兄貴は居ねえ。是からは俺と婆さんと二人ぎりで、お前の噂をして楽むんだ。考へて見て呉れよ、俺も子は無しサ――お前より外に便りにするものは無えのだから。』

       (三)

 例の種牛は朝のうちに屠牛場(とぎうば)へ送られた。種牛の持主は早くから詰掛けて、叔父と丑松とを待受けて居た。二人は、空車引いて馳(か)けて行く肉屋の丁稚(でつち)の後に随いて、軈て屠牛場の前迄行くと、門の外に持主、先(ま)づ見るより、克(よ)く来て呉れたを言ひ継(つゞ)ける。心から老牧夫の最後を傷(いた)むといふ情合(じやうあひ)は、斯持主の顔色に表れるのであつた。『いえ。』と叔父は対手の言葉を遮(さへぎ)つて、『全く是方(こちら)の不注意(てぬかり)から起つた事なんで、貴方(あんた)を恨(うら)みる筋は些少(ちつと)もごはせん。』とそれを言へば、先方(さき)は猶々(なほ/\)痛み入る様子。『私はへえ、面目なくて、斯(か)うして貴方等(あんたがた)に合せる顔も無いのでやす――まあ畜生の為(し)たことだからせえて(せえては、しての訛(なまり)、農夫の間に用ゐられる)、御災難と思つて絶念(あきら)めて下さるやうに。』とかへす/″\言ふ。是処(こゝ)は上田の町はづれ、太郎山の麓に迫つて、新しく建てられた五棟ばかりの平屋。鋭い目付の犬は五六匹門外に集つて来て、頻(しきり)に二人の臭気(にほひ)を嗅いで見たり、低声に□(うな)つたりして、やゝともすれば吠(ほ)え懸りさうな気勢(けはひ)を示すのであつた。
 持主に導かれて、二人は黒い門を入つた。内に庭を隔(へだ)てゝ、北は検査室、東が屠殺の小屋である。年の頃五十余のでつぷり肥つた男が人々の指図をして居たが、其老練な、愛嬌(あいけう)のある物の言振で、屠手(としゆ)の頭(かしら)といふことは知れた。屠手として是処に使役(つか)はれて居る壮丁(わかもの)は十人計(ばか)り、いづれ紛(まが)ひの無い新平民――殊に卑賤(いや)しい手合と見えて、特色のある皮膚の色が明白(あり/\)と目につく。一人々々の赤ら顔には、烙印(やきがね)が押当てゝあると言つてもよい。中には下層の新平民に克(よ)くある愚鈍な目付を為乍(しなが)ら是方(こちら)を振返るもあり、中には畏縮(いぢけ)た、兢々(おづ/\)とした様子して盗むやうに客を眺めるもある。目鋭(めざと)い叔父は直に其(それ)と看(み)て取つて、一寸右の肘(ひぢ)で丑松を小衝(こづ)いて見た。奈何して丑松も平気で居られよう。叔父の肘が触(さは)るか触らないに、其暗号は電気(エレキ)のやうに通じた。幸ひ案じた程でも無いらしいので、漸(やつ)と安心して、それから二人は他の談話(はなし)の仲間に入つた。
 繋留場には、種牛の外に、二頭の牡牛も繋(つな)いであつて、丁度死刑を宣告された罪人が牢獄(ひとや)の内に押籠(おしこ)められたと同じやうに、一刻々々と近いて行く性命(いのち)の終を翹望(まちのぞ)んで居た。丑松は今、叔父や持主と一緒に、斯(この)繋留場の柵(さく)の前に立つたのである。持主の言草ではないが、『畜生の為たこと』と思へば、別に腹が立つの何のといふ其様(そん)な心地(こゝろもち)には成らないかはりに、可傷(いたま)しい父の最後、牧場の草の上に流れた血潮――堪へがたい追憶(おもひで)の情は丑松の胸に浮んで来たのである。見れば他のは佐渡牛といふ種類で、一頭は黒く、一頭は赤く、人間の食慾を満すより外には最早(もう)生きながらへる価値(ねうち)も無い程に痩(や)せて、其憔悴(みすぼら)しさ。それに比べると、種牛は体格も大きく、骨組も偉(たくま)しく、黒毛艶々として美しい雑種。持主は柵の横木を隔てゝ、其鼻面を撫でゝ見たり、咽喉(のど)の下を摩(さす)つてやつたりして、
『わりや(汝(なんぢ)は)飛んでもねえことを為て呉れたなあ。何も俺だつて、好んで斯様(こん)な処へ貴様を引張つて来た訳ぢやねえ――是といふのも自業自得(じごふじとく)だ――左様(さう)思つて絶念(あきら)めろよ。』
 吾児に因果でも言含めるやうに掻口説(かきくど)いて、今更別離(わかれ)を惜むといふ様子。
『それ、こゝに居なさるのが瀬川さんの子息(むすこ)さんだ。御詑(おわび)をしな。御詑をしな。われ(汝)のやうな畜生だつて、万更霊魂(たましひ)の無えものでも有るめえ。まあ俺の言ふことを好く覚えて置いて、次の生(よ)には一層(もつと)気の利いたものに生れ変つて来い。』
 斯(か)う言ひ聞かせて、軈(やが)て持主は牛の来歴を二人に語つた。現に今、多くを飼養して居るが、是(これ)に勝(まさ)る血統(ちすぢ)のものは一頭も無い。父牛は亜米利加(アメリカ)産、母牛は斯々(しか/″\)、悪い癖さへ無くば西乃入(にしのいり)牧場の名牛とも唄はれたであらうに、と言出して嘆息した。持主は又附加(つけた)して、斯(この)種牛の肉の売代(うりしろ)を分けて、亡くなつた牧夫の追善に供へたいから、せめて其で仏の心を慰めて呉れといふことを話した。
 其時獣医が入つて来て、鳥打帽を冠つた儘、人々に挨拶する。つゞいて、牛肉屋の亭主も入つて来たは、屠(つぶ)された後の肉を買取る為であらう。間も無く蓮太郎、弁護士の二人も、叔父や丑松と一緒になつて、庭に立つて眺めたり話したりした。
『むゝ、彼(あれ)が御話のあつた種牛ですね。』と蓮太郎は小声で言つた。人々は用意に取掛かると見え、いづれも白の上被(うはつぱり)、冷飯草履は脱いで素足に尻端折。笑ふ声、私語(さゝや)く声は、犬の鳴声に交つて、何となく構内は混雑して来たのである。
 いよ/\種牛は引出されることになつた。一同の視線は皆な其方へ集つた。今迄沈まりかへつて居た二頭の佐渡牛は、急に騒ぎ初めて、頻と頭を左右に振動かす。一人の屠手は赤い方の鼻面を確乎(しつか)と制(おさ)へて、声を□(はげま)して制したり叱つたりした。畜生ながらに本能(むし)が知らせると見え、逃げよう/\と焦り出したのである。黒い佐渡牛は繋がれたまゝ柱を一廻りした。死地に引かれて行く種牛は寧(むし)ろ冷静(おちつ)き澄ましたもので、他の二頭のやうに悪□(わるあがき)を為(す)るでも無く、悲しい鳴声を泄(も)らすでも無く、僅かに白い鼻息を見せて、悠々(いう/\)と獣医の前へ進んだ。紫色の潤(うる)みを帯びた大きな目は傍で観て居る人々を睥睨(へいげい)するかのやう。彼の西乃入の牧場を荒(あば)れ廻つて、丑松の父を突殺した程の悪牛では有るが、斯(か)うした潔(いさぎよ)い臨終の光景(ありさま)は、又た人々に哀憐(あはれみ)の情を催(おこ)させた。叔父も、丑松もすくなからず胸を打たれたのである。獣医はあちこちと廻つて歩き乍ら、種牛の皮を撮(つま)んで見たり、咽喉(のど)を押へて見たり、または角を叩(たゝ)いて見たりして、最後に尻尾を持上たかと思ふと、検査は最早(もう)其で済んだ。屠手は総懸りで寄つて群(たか)つて、『しツ/\』と声を揚げ乍ら、無理無体に屠殺の小屋の方へ種牛を引入れた。屠手の頭(かしら)は油断を見澄まして、素早く細引を投げ搦(から)む。□(どう)と音して牛の身体が板敷の上へ横に成つたは、足と足とが引締められたからである。持主は茫然(ばうぜん)として立つた。丑松も考深い目付をして眺め沈んで居た。やがて、種牛の眉間(みけん)を目懸けて、一人の屠手が斧(をの)(一方に長さ四五寸の管(くだ)があつて、致命傷を与へるのは是(この)管である)を振翳(ふりかざ)したかと思ふと、もう其が是畜生の最後。幽(かすか)な呻吟(うめき)を残して置いて、直に息を引取つて了つた――一撃で種牛は倒されたのである。

       (四)

 日の光は斯(こ)の小屋の内へ射入つて、死んで其処に倒れた種牛と、多忙(いそが)しさうに立働く人々の白い上被(うはつぱり)とを照した。屠手の頭は鋭い出刃庖丁を振つて、先づ牛の咽喉(のど)を割(さ)く。尾を牽(ひ)くものは直に尾を捨て、細引を持つものは細引を捨てゝ、いづれも牛の上に登つた。多勢の壮丁(わかもの)が力に任せ、所嫌はず踏付けるので、血潮は割かれた咽喉を通して紅(あか)く板敷の上へ流れた。咽喉から腹、腹から足、と次第に黒い毛皮が剥取(はぎと)られる。膏と血との臭気(にほひ)は斯の屠牛場に満ち溢(あふ)れて来た。
 他の二頭の佐渡牛が小屋の内へ引入れられて、撃(う)ち殺されたのは間も無くであつた。斯の可傷(いたま)しい光景(ありさま)を見るにつけても、丑松の胸に浮ぶは亡くなつた父のことで。丑松は考深い目付を為乍(しなが)ら、父の死を想(おも)ひつゞけて居ると、軈て種牛の毛皮も悉皆(すつかり)剥取られ、角も撃ち落され、脂肪に包まれた肉身(なかみ)からは湯気のやうな息の蒸上(むしのぼ)るさまも見えた。屠手の頭は手も庖丁も紅く血潮に交(まみ)れ乍ら、あちこちと小屋の内を廻つて指揮(さしづ)する。そこには竹箒(たけばうき)で牛の膏(あぶら)を掃いて居るものがあり、こゝには砥石を出して出刃を磨いで居るものもあつた。赤い佐渡牛は引割と言つて、腰骨(こしぼね)を左右に切開かれ、其骨と骨との間へ横木を入れられて、逆方(さかさま)に高く釣るし上げられることになつた。
『そら、巻くぜ。』と一人の屠手は天井にある滑車(くるま)を見上げ乍ら言つた。
 見る/\小屋の中央(まんなか)には、巨大(おほき)な牡牛の肉身(からだ)が釣るされて懸つた。叔父も、蓮太郎も、弁護士も、互に顔を見合せて居た。一人の屠手は鋸(のこぎり)を取出した、脊髄(あばら)を二つに引割り始めたのである。
 回向(ゑかう)するやうな持主の目は種牛から離れなかつた。種牛は最早(もう)足さへも切離された。牧場の草踏散らした双叉(ふたまた)の蹄(つめ)も、今は小屋から土間の方へ投出(はふりだ)された。灰紫色の膜に掩(おほ)はれた臓腑は、丁度斯う大風呂敷の包のやうに、べろ/\した儘(まゝ)で其処に置いてある。三人の屠手は互に庖丁を入れて、骨に添ふて肉を切開くのであつた。
 烈しい追憶(おもひで)は、復た/\丑松の胸中を往来し始めた。『忘れるな』――あゝ、その熱い臨終の呼吸は、どんなに深い響となつて、生残る丑松の骨の膸(ずゐ)までも貫徹(しみとほ)るだらう。其を考へる度に、亡くなつた父が丑松の胸中に復活(いきかへ)るのである。急に其時、心の底の方で声がして、丑松を呼び警(いまし)めるやうに聞えた。『丑松、貴様は親を捨てる気か。』と其声は自分を責めるやうに聞えた。
『貴様は親を捨てる気か。』
 と丑松は自分で自分に繰返して見た。
 成程(なるほど)、自分は変つた。成程、一にも二にも父の言葉に服従して、それを器械的に遵奉(じゆんぽう)するやうな、其様(そん)な児童(こども)では無くなつて来た。成程、自分の胸の底は父ばかり住む世界では無くなつて来た。成程、父の厳しい性格を考へる度に、自分は反つて反対(あべこべ)な方へ逸出(ぬけだ)して行つて、自由自在に泣いたり笑つたりしたいやうな、其様(そん)な思想(かんがへ)を持つやうに成つた。あゝ、世の無情を憤(いきどほ)る先輩の心地(こゝろもち)と、世に随へと教へる父の心地と――その二人の相違は奈何(どんな)であらう。斯う考へて、丑松は自分の行く道路(みち)に迷つたのである。
 気がついて我に帰つた時は、蓮太郎が自分の傍に立つて居た。いつの間にか巡査も入つて来て、獣医と一緒に成つて眺めて居た。見れば種牛は股(もゝ)から胴へかけて四つの肉塊(かたまり)に切断(たちき)られるところ。右の前足の股の肉は、既に天井から垂下(たれさが)る細引に釣るされて、海綿を持つた一人の屠手が頻と其血を拭ふのであつた。斯うして巨大(おほき)な種牛の肉体(からだ)は実に無造作に屠(ほふ)られて了(しま)つたのである。屠手の頭が印判を取出して、それぞれの肉の上へ押して居るかと見るうちに、一方では引取りに来た牛肉屋の丁稚(でつち)、編席(アンペラ)敷いた箱を車の上に載せて、威勢よく小屋の内へがら/\と引きこんだ。
『十二貫五百。』
 といふ声は小屋の隅の方に起つた。
『十一貫七百。』
 とまた。
 屠(ほふ)られた種牛の肉は、今、大きな秤(はかり)に懸けられるのである、屠手の一人が目方を読み上げる度に、牛肉屋の亭主は鉛筆を舐(な)めて、其を手帳へ書留めた。
 やがて其日の立会も済み、持主にも別れを告げ、人々と一緒に斯の屠牛場から引取らうとした時、もう一度丑松は小屋の方を振返つて見た。屠手のあるものは残物の臓腑を取片付ける、あるものは手桶(てをけ)に足を突込んで牛の血潮を洗ひ落す、種牛の片股は未(ま)だ釣るされた儘で、黄な膏(あぶら)と白い脂肪とが日の光を帯びて居た。其時は最早あの可傷(いたま)しい回想(おもひで)の断片といふ感想(かんじ)も起らなかつた。唯大きな牛肉の塊としか見えなかつた。


   第拾壱章

       (一)

『先(ま)づ好かつた。』と叔父は屠牛場の門を出た時、丑松の肩を叩(たゝ)いて言つた。『先づまあ、是(これ)で御関所は通り越した。』
『あゝ、叔父さんは声が高い。』と制するやうにして、丑松は何か思出したやうに、先へ行く蓮太郎と弁護士との後姿を眺(なが)めた。
『声が高い?』叔父は笑ひ乍ら、『ふゝ、俺のやうな皺枯声(しやがれごゑ)が誰に聞えるものかよ。それは左様(さう)と、丑松、へえ最早(もう)是で安心だ。是処(こゝ)まで漕付(こぎつ)ければ、最早大丈夫だ。どのくれえ、まあ、俺も心配したらう。あゝ今夜からは三人で安気(あんき)に寝られる。』
 牛肉を満載した車は二人の傍を通過ぎた。枯々な桑畠(くはばたけ)の間には、其車の音がから/\と響き渡つて、随(つ)いて行く犬の叫び声も何となく喜ばしさうに聞える。心の好い叔父は唯訳も無く身を祝つて、顔の薄痘痕(うすあばた)も喜悦(よろこび)の為に埋もれるかのやう。奈何(どう)いふ思想(かんがへ)が来て今の世の若いものゝ胸を騒がせて居るか、其様(そん)なことはとんと叔父には解らなかつた。昔者の叔父は、斯(こ)の天気の好いやうに、唯一族が無事でさへあれば好かつた。軈(やが)て、考深い目付を為て居る丑松を促(うなが)して、昼仕度を為るために急いだのである。
 昼食(ちうじき)の後、丑松は叔父と別れて、単独(ひとり)で弁護士の出張所を訪ねた。そこには蓮太郎が細君と一緒に、丑松の来るのを待受けて居たので。尤(もつと)も、一同で楽しい談話(はなし)をするのは三時間しか無かつた。聞いて見ると細君は東京の家へ、蓮太郎と弁護士とは小諸の旅舎(やどや)まで、其日四時三分の汽車で上田を発つといふ。細君は深く夫の身の上を案じるかして、一緒に東京の方へ帰つて呉れと言出したが、蓮太郎は聞入れなかつた。もと/\友人や後進のものを先にして、家のものを後にするのが蓮太郎の主義で、今度信州に踏留まるといふのも、畢竟(つまり)は弁護士の為に尽したいから。其は細君も万々承知。夫の気象として、左様(さう)いふのは無理もない。しかし斯の山の上で、夫の病気が重りでもしたら。斯ういふ心配は深く細君の顔色に表はれる。『奥様(おくさん)、其様(そんな)に御心配無く――猪子君は私が御預りしましたから。』と弁護士が引受顔なので、細君も強ひてとは言へなかつた。
 先輩が可懐(なつか)しければ其細君までも可懐しい。斯う思ふ丑松の情は一層深くなつた。始めて汽車の中で出逢(であ)つた時からして、何となく人格の奥床(おくゆか)しい細君とは思つたが、さて打解けて話して見ると、別に御世辞が有るでも無く、左様(さう)かと言つて可厭(いや)に澄まして居るといふ風でも無い――まあ、極(ご)く淡泊(さつぱり)とした、物に拘泥(こうでい)しない気象の女と知れた。風俗(なりふり)なぞには関(かま)はない人で、是(これ)から汽車に乗るといふのに、其程(それほど)身のまはりを取修(とりつくろ)ふでも無い。男の見て居る前で、僅かに髪を撫(な)で付けて、旅の手荷物もそこ/\に取収(とりまと)めた。あの『懴悔録』の中に斯人(このひと)のことが書いてあつたのを、急に丑松は思出して、兎(と)も角(かく)も普通の良い家庭に育つた人が種族の違ふ先輩に嫁(かたづ)く迄(まで)の其二人の歴史を想像して見た。
 汽車を待つ二三時間は速(すぐ)に経(た)つた。左右(さうかう)するうちに、停車場(ステーション)さして出掛ける時が来た。流石(さすが)弁護士は忙(せは)しい商売柄、一緒に門を出ようと為(す)るところを客に捕つて、立つて時計を見乍らの訴訟話。蓮太郎は細君を連れて一歩(ひとあし)先へ出掛けた。『あゝ何時復た先生に御目に懸れるやら。』斯う独語(ひとりごと)のやうに言つて、丑松も見送り乍ら随いて行つた。せめてもの心尽し、手荷物の鞄(かばん)は提げさせて貰ふ。其様(そん)なことが丑松の身に取つては、嬉敷(うれしく)も、名残惜敷(なごりをしく)も思はれたので。
 初冬の光は町の空に満ちて、三人とも羞明(まぶし)い位であつた。上田の城跡について、人通りのすくない坂道を下りかけた時、丑松は先輩と細君とが斯ういふ談話(はなし)を為るのを聞いた。
『大丈夫だよ、左様(さう)お前のやうに心配しないでも。』と蓮太郎は叱るやうに。
『その大丈夫が大丈夫で無いから困る。』と細君は歩き乍ら嘆息した。『だつて、貴方は少許(ちつと)も身体を関はないんですもの。私が随いて居なければ、どんな無理を成さるか知れないんですもの。それに、斯の山の上の陽気――まあ、私は考へて見たばかりでも怖(おそろ)しい。』
『そりやあ海岸に居るやうな訳にはいかないさ。』と蓮太郎は笑つて、『しかし、今年は暖和(あたゝか)い。信州で斯様(こん)なことは珍しい。斯の位の空気を吸ふのは平気なものだ。御覧な、其証拠には、信州へ来てから風邪一つ引かないぢやないか。』
『でせう。大変に快(よ)く御成(おなん)なすつたでせう。ですから猶々(なほ/\)大切にして下さいと言ふんです。折角(せつかく)快く成りかけて、復(ま)た逆返(ぶりかへ)しでもしたら――』
『ふゝ、左様(さう)大事を取つて居た日にや、事業(しごと)も何も出来やしない。』
『事業? 壮健(たつしや)に成ればいくらでも事業は出来ますわ。あゝ、一緒に東京へ帰つて下されば好いんですのに。』
『解らないねえ。未(ま)だ其様(そん)なことを言つてる。奈何してまあ女といふものは左様(さう)解らないだらう。何程(どれほど)私が市村さんの御世話に成つて居るか、お前だつて其位(それくらゐ)のことは考へさうなものぢやないか。其人の前で、私に帰れなんて――すこし省慮(かんがへ)の有るものなら、彼様(あん)なことの言へた義理ぢや無からう。彼様(あゝ)いふことを言出されると、折角是方(こつち)で思つたことも無に成つて了ふ。それに今度は、すこし自分で研究したいことも有る。今胸に浮んで居る思想(かんがへ)を完成(まと)めて書かうといふには、是非とも自分で斯の山の上を歩いて、田園生活といふものを観察しなくちやならない。それには実にもつて来いといふ機会だ。』と言つて、蓮太郎はすこし気を変へて、『あゝ好い天気だ。全く小春日和(こはるびより)だ。今度の旅行は余程面白からう――まあ、お前も家(うち)へ行つて待つて居て呉れ、信州土産はしつかり持つて帰るから。』
 二人は暫時(しばらく)無言で歩いた。丑松は右の手の鞄を左へ持ち変へて、黙つて後から随いて行つた。やがて高い白壁造りの倉庫のあるところへ出て来た。
『あゝ。』と細君は萎(しを)れ乍ら、『何故(なぜ)私が帰つて下さいなんて言出したか、其訳を未だ貴方に話さないんですから。』
『ホウ、何か訳が有るのかい。』と蓮太郎は聞咎める。
『外(ほか)でも無いんですけれど。』と細君は思出したやうに震へて、『どうもねえ、昨夜の夢見が悪くて――斯う恐しく胸騒ぎがして――一晩中私は眠られませんでしたよ。何だか私は貴方のことが心配でならない。だつて、彼様(あん)な夢を見る筈が無いんですもの。だつて、其夢が普通(たゞ)の夢では無いんですもの。』
『つまらないことを言ふなあ。それで一緒に東京へ帰れと言ふのか。はゝゝゝゝ。』と蓮太郎は快活らしく笑つた。
『左様(さう)貴方のやうに言つたものでも有ませんよ。未来(さき)の事を夢に見るといふ話は克(よ)く有ますよ。どうも私は気に成つて仕様が無い。』
『ちよツ、夢なんぞが宛(あて)に成るものぢや無し――』
『しかし――奇異(きたい)なことが有れば有るものだ。まあ、貴方の死んだ夢を見るなんて。』
『へん、御幣舁(ごへいかつ)ぎめ。』

       (二)

 不思議な問答をするとは思つたが、丑松は其を聞いて、格別気にも懸けなかつた。彼程(あれほど)淡泊(さつぱり)として、快濶(さばけ)た気象の細君で有ながら、左様(そん)なことを気に為(す)るとは。まあ、あの夢といふ奴は児童(こども)の世界のやうなもので、時と場所の差別も無く、実に途方も無いことを眼前(めのまへ)に浮べて見せる。先輩の死――どうして其様(そん)な馬鹿らしいことが細君の夢に入つたものであらう。しかし其を気にするところが女だ。と斯う感じ易い異性の情緒(こゝろ)を考へて、いつそ可笑(をか)しくも思はれた位。『女といふものは、多く彼様(あゝ)したものだ。』と自分で自分に言つて見た時は、思はず彼の迷信深い蓮華寺の奥様を、それからあのお志保を思出すのであつた。
 橋を渡つて、停車場(ステーション)近くへ出た。細君はすこし後に成つた。丑松は左の手に持ち変へた鞄をまた/\右の手に移して、蓮太郎と別離(わかれ)の言葉を交し乍ら歩いた。
『そんなら先生は――』と丑松は名残惜しさうに聞いて見る。『いつ頃まで信州に居らつしやる御積りなんですか。』
『僕ですか。』と蓮太郎は微笑(ほゝゑ)んで答へた。『左様(さう)ですなあ――すくなくとも市村君の選挙が済むまで。実はね、家内も彼様(あゝ)言ひますし、一旦は東京へ帰らうかとも思ひましたよ。ナニ、これが普通の選挙の場合なら、黙つて帰りますサ。どうせ僕なぞが居たところで、大した応援も出来ませんからねえ。まあ市村君の身になつて考へて見ると、先生は先生だけの覚悟があつて、候補者として立つのですから、誰を政敵にするのも其味は一つです。はゝゝゝゝ。しかし、市村君が勝つか、あの高柳利三郎が勝つか、といふことは、僕等の側から考へると、一寸普通の場合とは違ふかとも思はれる――』
 丑松は黙つて随いて行つた。蓮太郎は何か思出したやうに、後から来る細君の方を振返つて見て、やがて復(ま)た歩き初める。
『だつて、君、考へて見て呉れたまへ。あの高柳の行為(やりかた)を考へて見て呉れたまへ。あゝ、いくら吾儕(われ/\)が無智な卑賤(いや)しいものだからと言つて、蹈付(ふみつ)けられるにも程が有る。どうしても彼様(あん)な男に勝たせたくない。何卒(どうか)して市村君のものに為て遣りたい。高柳の話なぞを聞かなければ格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地(いくぢ)が無さ過ぎるからねえ。』
『では、先生は奈何(どう)なさる御積りなんですか。』
『奈何するとは?』
『黙つて帰ることが出来ないと仰(おつしや)ると――』
『ナニ、君、僅かに打撃を加へる迄(まで)のことさ。はゝゝゝゝ。なにしろ先方(さき)には六左衛門といふ金主が附いたのだから、いづれ買収も為るだらうし、壮士的な運動も遣(や)るだらう。そこへ行くと、是方(こつち)は草鞋(わらぢ)一足、舌一枚――おもしろい、おもしろい、敵はたゞ金の力より外に頼りに為るものが無いのだからおもしろい。はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
『しかし、うまく行つて呉れると好いですがなあ――』
『はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
 斯(か)ういふ談話(はなし)をして行くうちに、二人は上田停車場(ステーション)に着いた。
 上野行の上り汽車が是処(こゝ)を通る迄には未だ少許(すこし)間が有つた。多くの旅客は既に斯の待合室に満ち溢(あふ)れて居た。細君も直に一緒になつて、三人して弁護士を待受けた。蓮太郎は巻煙草を取出して、丑松に勧め、自分もまた火を点(つ)けて、其を燻(ふか)し/\何を言出すかと思ふと、『いや、信州といふところは余程面白いところさ。吾儕(われ/\)のやうなものを斯様(こんな)に待遇するところは他の国には無いね。』と言ひさして、丑松の顔を眺(なが)め、細君の顔を眺め、それから旅客(たびびと)の群をも眺め廻し乍ら、『ねえ瀬川君、僕も御承知の通りな人間でせう。他の場合とは違つて選挙ですから、実は僕なぞの出る幕では無いと思つたのです。万一、選挙人の感情を害するやうなことが有つては、反(かへ)つて藪蛇(やぶへび)だ。左様(さう)思ふから、まあ演説は見合せにする考へだつたのです。ところが信州といふところは変つた国柄で、僕のやうなものに是非談話(はなし)をして呉れなんて――はあ、今夜は小諸で、市村君と一緒に演説会へ出ることに。』と言つて、思出したやうに笑つて、『この上田で僕等が談話をした時には七百人から集りました。その聴衆が実に真面目に好く聞いて呉れましたよ。長野に居た新聞記者の言草では無いが、「信州ほど演説の稽古をするに好い処はない、」――全く其通りです。智識の慾に富んで居るのは、斯の山国の人の特色でせうね。これが他の国であつて見たまへ、まあ僕等のやうなものを相手にして呉れる人はありやしません。それが信州へ来れば「先生」ですからねえ。はゝゝゝゝ。』
 細君は苦笑ひをしながら聞いて居た。
 軈て、切符を売出した。人々はぞろ/\動き出した。丁度そこへ弁護士、肥大な体躯(からだ)を動(ゆす)り乍ら、満面に笑(ゑみ)を含んで馳け付けて、挨拶する間も無く蓮太郎夫婦と一緒に埒(らち)の内へと急いだ。丑松も、入場切符を握つて、随いて入つた。
 四番の上りは二十分も後れたので、それを待つ旅客は『プラットホオム』の上に群(むらが)つた。細君は大時計の下に腰掛けて茫然(ばうぜん)と眺め沈んで居る、弁護士は人々の間をあちこちと歩いて居る、丑松は蓮太郎の傍を離れないで、斯うして別れる最後の時までも自分の真情を通じたいが胸中に満ち/\て居た。どうかすると、丑松は自分の日和下駄の歯で、乾いた土の上に何か画(か)き初める。蓮太郎は柱に倚凭(よりかゝ)り乍ら、何の文字とも象徴(しるし)とも解らないやうなものが土の上に画かれるのを眺め入つて居た。
『大分汽車は後れましたね。』
 といふ蓮太郎の言葉に気がついて、丑松は下駄の歯の痕(あと)を掻消して了(しま)つた。すこし離れて斯(こ)の光景(ありさま)を眺めて居た中学生もあつたが、やがて他(わき)を向いて意味も無く笑ふのであつた。
『あ、ちよと、瀬川君、飯山の御住処(おところ)を伺つて置きませう。』斯う蓮太郎は尋ねた。
『飯山は愛宕町(あたごまち)の蓮華寺といふところへ引越しました。』と丑松は答へる。
『蓮華寺?』
『下水内郡飯山町蓮華寺方――それで分ります。』
『むゝ、左様(さう)ですか。それから、是(これ)はまあ是限(これぎ)りの御話ですが――』と蓮太郎は微笑(ほゝゑ)んで、『ひよつとすると、僕も君の方まで出掛けて行くかも知れません。』
『飯山へ?』丑松の目は急に輝いた。
『はあ――尤(もつと)も、佐久小県の地方を廻つて、一旦長野へ引揚げて、それからのことですから、まだ奈何(どう)なるか解りませんがね、若(も)し飯山へ出掛けるやうでしたら是非御訪(おたづ)ねしませう。』
 其時、汽笛の音が起つた。見れば直江津の方角から、長い列車が黒烟(くろけぶり)を揚げて進んで来た。顔も衣服(きもの)も垢染(あかじ)み汚れた駅夫の群は忙しさうに駈けて歩く。やがて駅長もあらはれた。汽車はもう人々の前に停つた。多くの乗客はいづれも窓に倚凭(よりかゝ)つて眺める。細君も、弁護士も、丑松に別離(わかれ)を告げて周章(あわたゞ)しく乗込んだ。
『それぢや、君、失敬します。』
 といふ言葉を残して置いて、蓮太郎も同じ室へ入る、直に駅夫が飛んで来てぴしやんと其戸を閉めて行つた。丑松の側に居た駅長が高く右の手を差上げて、相図の笛を吹鳴らしたかと思ふと、汽車はもう線路を滑り初めた。細君は窓から顔を差出して、もう一度丑松に挨拶したが、たゞさへ悪い其色艶が忘れることの出来ないほど蒼(あを)かつた。見る見る乗客の姿は動揺して、甲から乙へと影のやうに通過ぎる。丑松は喪心した人のやうになつて、長いこと同じところに樹(う)ゑたやうに立つた。あゝ、先輩は行つて了つた、と思ひ浮べた頃は、もう汽車の形すら見えなかつたのである。後に残る白い雲のやうな煙の群、その一団一団の集合(あつまり)が低く地の上に這(は)ふかと見て居ると、急に風に乱れて、散り/″\になつて、終(しまひ)に初冬の空へ掻消すやうに失くなつて了つた。

       (三)

 何故(なぜ)人の真情は斯う思ふやうに言ひ表すことの出来ないものであらう。其日といふ其日こそは、あの先輩に言ひたい/\と思つて、一度となく二度となく自分で自分を励まして見たが、とう/\言はずに別れて了(しま)つた。どんなに丑松は胸の中に戦ふ深い恐怖(おそれ)と苦痛(くるしみ)とを感じたらう。どんなに丑松は寂しい思を抱(いだ)き乍(なが)ら、もと来た道を根津村の方へと帰つて行つたらう。
 初七日も無事に過ぎた。墓参りもし、法事も済み、わざとの振舞は叔母が手料理の精進(しやうじん)で埒明(らちあ)けて、さて漸(やうや)く疲労(つかれ)が出た頃は、叔父も叔母も安心の胸を撫下した。独り精神(こゝろ)の苦闘(たゝかひ)を続けたのは丑松で、蓮太郎が残して行つた新しい刺激は書いたものを読むにも勝(まさ)る懊悩(あうなう)を与へたのである。時として丑松は、自分の一生のことを考へる積りで、小県(ちひさがた)の傾斜を彷徨(さまよ)つて見た。根津の丘、姫子沢の谷、鳥が啼(な)く田圃側(たんぼわき)なぞに霜枯れた雑草を蹈(ふ)み乍ら、十一月上旬の野辺に満ちた光を眺めて佇立(たゝず)んだ時は、今更のやうに胸を流れる活きた血潮の若々しさを感ずる。確実(たしか)に、自分には力がある。斯(か)う丑松は考へるのであつた。しかし其力は内部(なか)へ/\と閉塞(とぢふさが)つて了つて、衝(つ)いて出て行く道が解らない。丑松はたゞ同じことを同じやうに繰返し乍ら、山の上を歩き廻つた。あゝ、自然は慰めて呉れ、励ましては呉れる。しかし右へ行けとも、左へ行けとも、そこまでは人に教へなかつた。丑松が尋ねるやうな問には、野も、丘も、谷も答へなかつたのである。
 ある日の午後、丑松は二通の手紙を受取つた。二通ともに飯山から。一通は友人の銀之助。例の筆まめ、相変らず長々しく、丁度談話(はなし)をするやうな調子で、さま/″\慰藉(なぐさめ)を書き籠め、さて飯山の消息には、校長の噂(うはさ)やら、文平の悪口やら、『僕も不幸にして郡視学を叔父に持たなかつた』とかなんとか言ひたい放題なことを書き散らし、普通教育者の身を恨(うら)み罵(のゝし)り、到底今日の教育界は心ある青年の踏み留まるべきところでは無いと奮慨してよこした。長野の師範校に居る博物科の講師の周旋で、いよ/\農科大学の助手として行くことに確定したから、いづれ遠からず植物研究に身を委(ゆだ)ねることが出来るであらう――まあ、喜んで呉れ、といふ意味を書いてよこした。
 功名を慕ふ情熱は、斯の友人の手紙を見ると同時に、烈しく丑松の心を刺激した。一体、丑松が師範校へ入学したのは、多くの他の学友と同じやうに、衣食の途(みち)を得る為で――それは小学教師を志願するやうなものは、誰しも似た境遇に居るのであるから――とはいふものゝ、丑松も無論今の位置に満足しては居なかつた。しかし、銀之助のやうな場合は特別として、高等師範へでも行くより外に、小学教師の進んで出る途は無い。さも無ければ、長い/\十年の奉公。其義務年限の間、束縛されて働いて居なければならない。だから丑松も高等師範へ――といふことは卒業の当時考へないでも無い。志願さへすれば最早とつくに選抜されて居たらう。そこがそれ穢多の悲しさには、妙にそちらの方には気が進まなかつたのである。丑松に言はせると、たとへ高等師範を卒業して、中学か師範校かの教員に成つたとしたところで、もしも蓮太郎のやうな目に逢つたら奈何(どう)する。何処(どこ)まで行つても安心が出来ない。それよりは飯山あたりの田舎(ゐなか)に隠れて、じつと辛抱して、義務年限の終りを待たう。其間に勉強して他の方面へ出る下地を作らう。素性が素性なら、友達なんぞに置いて行かれる積りは毛頭無いのだ。斯う嘆息して、丑松は深く銀之助の身の上を羨んだ。
 他の一通は高等四年生総代としてある。それは省吾の書いたもので、手紙の文句も覚束なく、作文の時間に教へた通りをそつくり其儘の見舞状、『根津にて、瀬川先生――風間省吾より』としてあつた。『猶々(なほ/\)』とちひさく隅の方に、『蓮華寺の姉よりも宜敷(よろしく)』としてあつた。
『姉よりも宜敷。』
 と繰返して、丑松は言ふに言はれぬ可懐(なつか)しさを感じた。やがてお志保のことを考へる為に、裏の方へ出掛けた。

       (四)

 追憶(おもひで)の林檎畠――昔若木であつたのも今は太い幹となつて、中には僅かに性命(いのち)を保つて居るやうな虫ばみ朽ちたのもある。見れば木立も枯れ/″\、細く長く垂れ下る枝と枝とは左右に込合つて、思ひ/\に延びて、いかにも初冬の風趣(おもむき)を顕(あらは)して居た。その裸々(らゝ)とした幹の根元から、芽も籠る枝のわかれ、まだところ/″\に青み残つた力なげの霜葉まで、日につれて地に映る果樹の姿は丑松の足許(あしもと)にあつた。そここゝの樹の下に雄雌(をすめす)の鶏、土を浴びて静息(じつ)として蹲踞(はひつくば)つて居るのは、大方羽虫を振ふ為であらう。丁度この林檎畠を隔てゝ、向ふに草葺(くさぶき)の屋根も見える――あゝ、お妻の生家(さと)だ。克(よ)く遊びに行つた家(うち)だ。薄煙青々と其土壁を泄(も)れて立登るのは、何となく人懐しい思をさせるのであつた。
『姉よりも宜敷(よろしく)。』
 とまた繰返して、丑松は樹と樹の間をあちこちと歩いて見た。
 楽しい思想(かんがへ)は来て、いつの間にか、丑松の胸の中に宿つたのである。昔、昔、少年の丑松があの幼馴染(をさななじみ)のお妻と一緒に遊んだのは爰(こゝ)だ。互に人目を羞(は)ぢらつて、輝く若葉の蔭に隠れたのは爰だ。互に初恋の私語(さゝやき)を取交したのは爰だ。互に無邪気な情の為に燃え乍ら、唯もう夢中で彷徨(さまよ)つたのは爰だ。
 斯(か)ういふ風に、過去つたことを思ひ浮べて居ると、お妻からお志保、お志保からお妻と、二人の俤(おもかげ)は往(い)つたり来たりする。別にあの二人は似て居るでも無い。年齢(とし)も違ふ、性質も違ふ、容貌(かほかたち)も違ふ。お妻を姉とも言へないし、お志保を妹とも思はれない。しかし一方のことを思出すと、きつと又た一方のことをも考へて居るのは不思議で――
 あゝ、穢多の悲嘆(なげき)といふことさへ無くば、是程(これほど)深く人懐しい思も起らなかつたであらう。是程深く若い生命(いのち)を惜むといふ気にも成らなかつたであらう。是程深く人の世の歓楽(たのしみ)を慕ひあこがれて、多くの青年が感ずることを二倍にも三倍にもして感ずるやうな、其様(そん)な切なさは知らなかつたであらう。あやしい運命に妨(さまた)げられゝば妨げられる程、余計に丑松の胸は溢(あふ)れるやうに感ぜられた。左様(さう)だ――あのお妻は自分の素性を知らなかつたからこそ、昔一緒にこの林檎畠を彷徨(さまよ)つて、蜜のやうな言葉を取交しもしたのである。誰が卑賤(いや)しい穢多の子と知つて、其朱唇(くちびる)で笑つて見せるものが有らう。もしも自分のことが世に知れたら――斯ういふことは考へて見たばかりでも、実に悲しい、腹立たしい。懐しさは苦しさに交つて、丑松の心を掻乱すやうにした。
 思ひ耽(ふけ)つて樹の下を歩いて居ると、急に鶏の声が起つて、森閑(しんかん)とした畠の空気に響き渡つた。
『姉よりも宜敷(よろしく)。』
 ともう一度繰返して、それから丑松は斯(こ)の場処を出て行つた。
 其晩はお志保のことを考へ乍ら寝た。一度有つたことは二度有るもの。翌(あく)る晩も其又次の晩も、寝る前には必ず枕の上でお志保を思出すやうになつた。尤も朝になれば、そんなことは忘れ勝ちで、『奈何(どう)して働かう、奈何して生活しよう――自分は是から将来(さき)奈何したら好からう』が日々(にち/\)心を悩ますのである。父の忌服(きぶく)は半ば斯ういふ煩悶のうちに過したので、さていよ/\『奈何する』となつた時は、別に是ぞと言つて新しい途(みち)の開けるでも無かつた。四五日の間、丑松はうんと考へた積りであつた。しかし、後になつて見ると、唯もう茫然(ぼんやり)するやうなことばかり。つまり飯山へ帰つて、今迄通りの生活を続けるより外(ほか)に方法も無かつたのである。あゝ、年は若し、経験は少し、身は貧しく、義務年限には縛られて居る――丑松は暗い前途を思ひやつて、やたらに激昂したり戦慄(ふる)へたりした。


   第拾弐章

       (一)

 二七日(ふたなぬか)が済(す)む、直に丑松は姫子沢を発(た)つことにした。やれ、それ、と叔父夫婦は気を揉(も)んで、暦を繰つて日を見るやら、草鞋(わらぢ)の用意をして呉れるやら、握飯(むすび)は三つも有れば沢山だといふものを五つも造(こしら)へて、竹の皮に包んで、別に瓜の味噌漬(みそづけ)を添へて呉れた。お妻の父親(おやぢ)もわざわざやつて来て、炉辺(ろばた)での昔語。煤(すゝ)けた古壁に懸かる例の『山猫』を見るにつけても、亡(な)くなつた老牧夫の噂(うはさ)は尽きなかつた。叔母が汲んで出す別離(わかれ)の茶――其色も濃く香も好いのを飲下した時は、どんなにか丑松も暖い血縁(みうち)のなさけを感じたらう。道祖神の立つ故郷(ふるさと)の出口迄叔父に見送られて出た。
 其日は灰色の雲が低く集つて、荒寥(くわうれう)とした小県(ちひさがた)の谷間(たにあひ)を一層暗欝(あんうつ)にして見せた。烏帽子(ゑぼし)一帯の山脈も隠れて見えなかつた。父の墓のある西乃入の沢あたりは、あるひは最早(もう)雪が来て居たらう。昨日一日の凩(こがらし)で、急に枯々な木立も目につき、梢(こずゑ)も坊主になり、何となく野山の景色が寂しく冬らしくなつた。長い、長い、考へても淹悶(うんざり)するやうな信州の冬が、到頭(たうとう)やつて来た。人々は最早あの□染(くちなしぞめ)の真綿帽子を冠り出した。荷をつけて通る馬の鼻息の白いのを見ても、いかに斯(この)山上の気候の変化が激烈であるかを感ぜさせる。丑松は冷い空気を呼吸し乍ら、岩石の多い坂路を下りて行つた。荒谷(あらや)の村はづれ迄行けば、指の頭(さき)も赤く腫(は)れ脹(ふく)らんで、寒さの為に感覚を失つた位。
 田中から直江津行の汽車に乗つて、豊野へ着いたのは丁度正午(ひる)すこし過。叔母が呉れた握飯(むすび)は停車場(ステーション)前の休茶屋で出して食つた。空腹(すきばら)とは言ひ乍ら五つ迄は。さて残つたのを捨てる訳にもいかず、犬に呉れるは勿体(もつたい)なし、元の竹の皮に包んで外套(ぐわいたう)の袖袋(かくし)へ突込んだ。斯うして腹をこしらへた上、川船の出るといふ蟹沢を指して、草鞋(わらぢ)の紐(ひも)を〆直(しめなほ)して出掛けた。其間凡(およ)そ一里許(ばかり)。尤も往きと帰りとでは、同じ一里が近く思はれるもので、北国街道の平坦(たひら)な長い道を独りてく/\やつて行くうちに、いつの間にか丑松は広濶(ひろ/″\)とした千曲川(ちくまがは)の畔(ほとり)へ出て来た。急いで蟹沢の船場迄行つて、便船(びんせん)は、と尋ねて見ると、今々飯山へ向けて出たばかりといふ。どうも拠(よんどころ)ない。次の便船の出るまで是処(こゝ)で待つより外は無い。それでもまだ歩いて行くよりは増だ、と考へて、丑松は茶屋の上(あが)り端(はな)に休んだ。
 霙(みぞれ)が落ちて来た。空はいよ/\暗澹(あんたん)として、一面の灰紫色に掩(おほ)はれて了(しま)つた。斯うして一時間の余も待つて居るといふことが、既にもう丑松の身にとつては、堪へ難い程の苦痛(くるしみ)であつた。それに、道を急いで来た為に、いやに身体(からだ)は蒸(む)されるやう。襯衣(シャツ)の背中に着いたところは、びつしより熱い雫(しづく)になつた。額に手を当てゝ見れば、汗に濡(ぬ)れた髪の心地(こゝろもち)の悪さ。胸のあたりを掻展(かきひろ)げて、少許(すこし)気息(いき)を抜いて、軈(やが)て濃い茶に乾いた咽喉(のど)を霑(うるほ)して居る内に、ポツ/\舟に乗る客が集つて来る。あるものは奥の炬燵(こたつ)にあたるもあり、あるものは炉辺へ行つて濡れた羽織を乾すもあり、中には又茫然(ぼんやり)と懐手して人の談話(はなし)を聞いて居るのもあつた。主婦(かみさん)は家(うち)の内でも手拭を冠り、藍染真綿を亀の甲のやうに着て、茶を出すやら、座蒲団を勧めるやら、金米糖(こんぺいたう)は古い皿に入れて款待(もてな)した。
 丁度そこへ二台の人力車(くるま)が停つた。矢張(やはり)斯の霙(みぞれ)を衝(つ)いて、便船に後(おく)れまいと急いで来た客らしい。人々の視線は皆な其方に集つた。車夫はまるで濡鼠、酒代(さかて)が好いかして威勢よく、先づ雨被(あまよけ)を取除(とりはづ)して、それから手荷物のかず/\を茶屋の内へと持運ぶ。つゞいて客もあらはれた。

       (二)

 丑松が驚いたのは無理もなかつた。それは高柳の一行であつた。往(ゆ)きに一緒に成つて、帰りにも亦(ま)た斯(こ)の通り一緒に成るとは――しかも、同じ川舟を待合はせるとは。それに往きには高柳一人であつたのが、帰りには若い細君らしい女と二人連。女は、薄色縮緬(うすいろちりめん)のお高祖(こそ)を眉深(まぶか)に冠つたまゝ、丑松の腰掛けて居る側を通り過ぎた。新しい艶のある吾妻袍衣(あづまコート)に身を包んだ其嫋娜(すらり)とした後姿を見ると、斯(こ)の女が誰であるかは直に読める。丑松はあの蓮太郎の話を想起(おもひおこ)して、いよ/\其が事実であつたのに驚いて了(しま)つた。
 主婦(かみさん)に導かれて、二人はずつと奥の座敷へ通つた。そこには炬燵(こたつ)が有つて、先客一人、五十あまりの坊主、直に慣々(なれ/\)しく声を掛けたところを見ると、かねて懇意の仲ででも有らう。軈(やが)て盛んな笑声が起る。丑松は素知らぬ顔、屋外(そと)の方へ向いて、物寂(ものさみ)しい霙(みぞれ)の空を眺めて居たが、いつの間にか後の方へ気を取られる。聞くとは無しについ聞耳を立てる。座敷の方では斯様(こん)な談話(はなし)をして笑ふのであつた。
『道理で――君は暫時(しばらく)見えないと思つた。』と言ふは世慣(よな)れた坊主の声で、『私(わし)は又、選挙の方が忙しくて、其で地方廻りでも為(し)て居るのかと思つた。へえ、左様(さう)ですかい、そんな御目出度(おめでたい)ことゝは少許(すこし)も知らなかつたねえ。』
『いや、どうも忙しい思(おもひ)を為て来ましたよ。』斯(か)う言つて笑ふ声を聞くと、高柳はさも得意で居るらしい。
『それはまあ何よりだつた。失礼ながら、奥様(おくさん)は? 矢張(やはり)東京の方からでも?』
『はあ。』
 この『はあ』が丑松を笑はせた。
 談話(はなし)の様子で見ると、高柳夫婦は東京の方へ廻つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から飯山へ乗込むといふ寸法らしい。そこは抜目の無い、細工の多い男だから、根津から直に引返すやうなことを為(し)ないで、わざ/\遠廻りして帰つて来たものと見える。さて、坊主を捕(つかま)へて、片腹痛いことを吹聴(ふいちやう)し始めた。聞いて居る丑松には其心情の偽(いつはり)が読め過ぎるほど読めて、終(しまひ)には其処に腰掛けても居られないやうになつた。『恐しい世の中だ』――斯う考へ乍ら、あの夫婦の暗い秘密を自分の身に引比べると、さあ何となく気懸りでならない。やがて、故意(わざ)と無頓着な様子を装(つくろ)つて、ぶらりと休茶屋の外へ出て眺めた。
 霙(みぞれ)は絶えず降りそゝいで居た。あの越後路から飯山あたりへかけて、毎年(まいとし)降る大雪の前駆(さきぶれ)が最早やつて来たかと思はせるやうな空模様。灰色の雲は対岸に添ひ徊徘(さまよ)つた、広濶(ひろ/″\)とした千曲川の流域が一層遠く幽(かすか)に見渡される。上高井の山脈、菅平の高原、其他畳み重なる多くの山々も雪雲に埋没(うづも)れて了(しま)つて、僅かに見えつ隠れつして居た。
 斯うして茫然(ばうぜん)として、暫時(しばらく)千曲川の水を眺めて居たが、いつの間にか丑松の心は背後(うしろ)の方へ行つて了つた。幾度か丑松は振返つて二人の様子を見た。見まい/\と思ひ乍ら、つい見た。丁度乗船の切符を売出したので、人々は皆な争つて買つた。間も無く船も出るといふ。混雑する旅人の群に紛(まぎ)れて、先方(さき)の二人も亦た時々盗むやうに是方(こちら)の様子を注意するらしい――まあ、思做(おもひなし)の故(せゐ)かして、すくなくとも丑松には左様(さう)酌(と)れたのである。女の方で丑松を知つて居るか、奈何か、それは克(よ)く解らないが、丑松の方では確かに知つて居る。髪のかたちこそ新婚の人のそれに結ひ変へては居るが、紛れの無い六左衛門の娘、白いもの花やかに彩色(いろどり)して恥の面を塗り隠し、野心深い夫に倚添(よりそ)ひ、崖(がけ)にある坂路をつたつて、舟に乗るべきところへ下りて行つた。『何と思つて居るだらう――あの二人は。』斯う考へ乍ら、丑松も亦た人々の後に随(つ)いて、一緒にその崖を下りた。

       (三)

 川舟は風変りな屋形造りで、窓を附け、舷(ふなべり)から下を白く化粧して赤い二本筋を横に表してある。それに、艫寄(ともより)の半分を板戸で仕切つて、荷積みの為に区別がしてあるので、客の座るところは細長い座敷を見るやう。立てば頭が支へる程。人々はいづれも狭苦しい屋形の下に膝を突合せて乗つた。
 やがて水を撃つ棹(さを)の音がした。舟底は砂の上を滑り始めた。今は二挺櫓(ろ)で漕ぎ離れたのである。丑松は隅の方に両足を投出して、独り寂しさうに巻煙草を燻(ふか)し乍(なが)ら、深い/\思に沈んで居た。河の面に映る光線の反射は割合に窓の外を明くして、降りそゝぐ霙の眺めをおもしろく見せる。舷(ふなべり)に触れて囁(つぶや)くやうに動揺する波の音、是方(こちら)で思つたやうに聞える眠たい櫓のひゞき――あゝ静かな水の上だ。荒寥(くわうれう)とした岸の楊柳(やなぎ)もところ/″\。時としては其冬木の姿を影のやうに見て進み、時としては其枯々な枝の下を潜るやうにして通り抜けた。是(これ)から将来(さき)の自分の生涯は畢竟(つまり)奈何(どう)なる。斯う丑松は自分で自分に尋ねることもあつた。誰が其を知らう。窓から首を出して飯山の空を眺めると、重く深く閉塞(とぢふさが)つた雪雲の色はうたゝ孤独な穢多の子の心を傷(いた)ましめる。残酷なやうな、可懐(なつか)しいやうな、名のつけやうの無い心地(こゝろもち)は丑松の胸の中を掻乱(かきみだ)した。今――学校の連中は奈何(どう)して居るだらう。友達の銀之助は奈何して居るだらう。あの不幸な、老朽な敬之進は奈何して居るだらう。蓮華寺の奥様は。お志保は。と不図、省吾から来た手紙の文句なぞを思出して見ると、逢(あ)ひたいと思ふ其人に復(ま)た逢はれるといふ楽みが無いでもない。丑松はあの寺の古壁を思ひやるごとに、空寂なうちにも血の湧くやうな心地(こゝろもち)に帰るのであつた。
『蓮華寺――蓮華寺。』
 と水に響く櫓の音も同じやうに調子を合せた。
 霙は雪に変つて来た。徒然(つれ/″\)な舟の中は人々の雑談で持切つた。就中(わけても)、高柳と一緒になつた坊主、茶にしたやうな口軽な調子で、柄に無い政事上の取沙汰(とりざた)、酢(す)の菎蒻(こんにやく)のとやり出したので、聞く人は皆な笑ひ憎んだ。斯(こ)の坊主に言はせると、選挙は一種の遊戯で、政事家は皆な俳優に過ぎない、吾儕(われ/\)は唯見物して楽めば好いのだと。斯の言葉を聞いて、また人々が笑へば、そこへ弥次馬が飛出す、其尾に随いて贔顧(ひいき)不贔顧(ぶひいき)の論が始まる。『いよ/\市村も侵入(きりこ)んで来るさうだ。』と一人が言へば、『左様(さう)言ふ君こそ御先棒に使役(つか)はれるんぢや無いか。』と攪返(まぜかへ)すものがある。弁護士の名は幾度か繰返された。其を聞く度に、高柳は不快らしい顔付。ふゝむと鼻の先で笑つて、嘲つたやうに口唇を引歪(ひきゆが)めた。
 斯(か)ういふ他(ひと)の談話(はなし)の間にも、女は高柳の側に倚添つて、耳を澄まして、夫の機嫌を取り乍ら聞いて居た。見れば、美しい女の数にも入るべき人で、殊(こと)に華麗(はなやか)な新婚の風俗は多くの人の目を引いた。髪は丸髷(まるまげ)に結ひ、てがらは深紅(しんく)を懸け、桜色の肌理(きめ)細やかに肥えあぶらづいて、愛嬌(あいけう)のある口元を笑ふ度に掩ひかくす様は、まだ世帯の苦労なぞを知らない人である。さすが心の表情は何処(どこ)かに読まれるもので――大きな、ぱつちりとした眼のうちには、何となく不安の色も顕(あらは)れて、熟(じつ)と物を凝視(みつ)めるやうな沈んだところも有つた。どうかすると、女は高柳の耳の側へ口を寄せて、何か人に知れないやうに私語(さゝや)くことも有つた。どうかすると又、丑松の方を盗むやうに見て、『おや、彼の人は――何処かで見掛けたやうな気がする』と斯う其眼で言ふことも有つた。
 同族の哀憐(あはれみ)は、斯の美しい穢多の女を見るにつけても、丑松の胸に浮んで来た。人種さへ変りが無くば、あれ程の容姿(きりやう)を持ち、あれ程富有(ゆたか)な家に生れて来たので有るから、無論相当のところへ縁付かれる人だ――彼様(あん)な野心家の餌(ゑば)なぞに成らなくても済(す)む人だ――可愛さうに。斯う考へると同時に、丁度女も自分と同じ秘密を持つて居るかと思ひやると、どうも其処が気懸りでならない。よしんば先方(さき)で自分を知つて居るとしたところで、其が奈何(どう)した、と丑松は自分で自分に尋ねて見た。根津の人、または姫子沢のもの、と思つて居るなら自分に取つて一向恐れるところは無い。恐れるとすれば、其は反(かへ)つて先方(さき)のことだ。斯う自分で答へて見た。第一、自分は四五年以来(このかた)、数へる程しか故郷へ帰らなかつた――卒業した時に一度――それから今度の帰省が足掛三年目――まあ、あの向町なぞは成るべく避(よ)けて通らなかつたし、通つたところで他(ひと)が左様(さう)注意して見る筈も無し、見たところで何処のものだか解らない――大丈夫。斯う用心深く考へても見た。畢竟(つまり)自分が二人の暗い秘密を聞知つたから、それで斯う気が咎(とが)めるのであらう。彼様(あゝ)して私語(さゝや)くのは何でも無いのであらう。避けるやうな素振(そぶり)は唯人目を羞(は)ぢるのであらう。あの目付も。
 とはいふものゝ、何となく不安に思ふ其懸念が絶えず心の底にあつた。
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