破戒
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著者名:島崎藤村 

 お妻が斯(こ)の塚窪へ嫁(かたづ)いて来たは、十六の春のこと。夫といふのも丑松が小学校時代の友達で、年齢(とし)は三人同じであつた。田舎(ゐなか)の習慣(ならはし)とは言ひ乍ら、殊(こと)に彼の夫婦は早く結婚した。まだ丑松が師範校の窓の下で歴史や語学の研究に余念も無い頃に、もう彼の若い夫婦は幼いものに絡(まと)ひ付かれ、朝に晩に『父さん、母さん』と呼ばれて居たのであつた。
 斯(か)ういふ過去の歴史を繰返したり、胸を踊らせたりして、丑松は坂を上つて行つた。山の方から溢(あふ)れて来る根津川の支流は、清く、浅く、家々の前を奔(はし)り流れて居る。路傍(みちばた)の栗の梢(こずゑ)なぞ、早や、枯れ/″\。柿も一葉を留めない程。水草ばかりは未だ青々として、根を浸すありさまも心地よく見られる。冬籠(ふゆごもり)の用意に多忙(いそが)しい頃で、人々はいづれも流のところに集つて居た。余念も無く蕪菜(かぶな)を洗ふ女の群の中に、手拭に日を避(よ)け、白い手をあらはし、甲斐々々(かひ/″\)しく働く襷掛(たすきが)けの一人――声を掛けて見ると、それがお妻で、丑松は斯の幼馴染の様子の変つたのに驚いて了(しま)つた。お妻も亦た驚いたやうであつた。
 其日はお妻の夫も舅(しうと)も留守で、家に居るのは唯姑(しうとめ)ばかり。五人も子供が有ると聞いたが、年嵩(としかさ)なのが見えないは、大方遊びにでも行つたものであらう。五歳(いつゝ)ばかりを頭(かしら)に、三人の女の児は母親に倚添(よりそ)つて、恥かしがつて碌(ろく)に御辞儀(おじぎ)も為なかつた。珍しさうに客の顔を眺めるもあり、母親の蔭に隠れるもあり、漸(やうや)く歩むばかりの末の児は、見慣(みな)れぬ丑松を怖れたものか、軈(やが)てしく/\やり出すのであつた。是光景(ありさま)に、姑も笑へば、お妻も笑つて、『まあ、可笑(をか)しな児だよ、斯の児は。』と乳房を出して見せる。それを咬(くは)へて、泣吃逆(なきじやつくり)をし乍(なが)ら、密(そつ)と丑松の方を振向いて見て居る児童(こども)の様子も愛らしかつた。
 話好きな姑は一人で喋舌(しやべ)つた。お妻は茶を入れて丑松を款待(もてな)して居たが、流石(さすが)に思出したことも有ると見えて、
『そいつても、まあ、丑松さんの大きく御成(おなん)なすつたこと。』
 と言つて、客の顔を眺(なが)めた時は、思はず紅(あか)くなつた。
 会葬の礼を述べた後、丑松はそこ/\にして斯の家を出た。姑と一緒に、お妻も亦(ま)た門口に出て、客の後姿を見送るといふ様子。今更のやうに丑松は自他(われひと)の変遷(うつりかはり)を考へて、塚窪の坂を上つて行つた。彼の世帯染みた、心の好ささうな、何処(どこ)やら床(ゆか)しいところのあるお妻は――まあ、忘れずに居る其俤に比べて見ると、全く別の人のやうな心地(こゝろもち)もする。自分と同い年で、しかも五人子持――あれが幼馴染(をさななじみ)のお妻であつたかしらん、と時々立止つて嘆息した。
 斯ういふ追懐(おもひで)の情は、とは言へ、深く丑松の心を傷けた。平素(しよつちゆう)もう疑惧(うたがひ)の念を抱いて苦痛(くるしみ)の為に刺激(こづ)き廻されて居る自分の今に思ひ比べると、あの少年の昔の楽しかつたことは。噫、何にも自分のことを知らないで、愛らしい少女(をとめ)と一緒に林檎畠を彷徨(さまよ)つたやうな、楽しい時代は往(い)つて了(しま)つた。もう一度丑松は左様(さう)いふ時代の心地(こゝろもち)に帰りたいと思つた。もう一度丑松は自分が穢多であるといふことを忘れて見たいと思つた。もう一度丑松は彼の少年の昔と同じやうに、自由に、現世(このよ)の歓楽(たのしみ)の香を嗅いで見たいと思つた。斯う考へると、切ない慾望(のぞみ)は胸を衝(つ)いて春の潮のやうに湧き上る。穢多としての悲しい絶望、愛といふ楽しい思想(かんがへ)、そんなこんなが一緒に交つて、若い生命(いのち)を一層(ひとしほ)美しくして見せた。終(しまひ)には、あの蓮華寺のお志保のことまでも思ひやつた。活々とした情の為に燃え乍ら、丑松は蓮太郎の旅舎(やどや)を指して急いだのである。

       (二)

 御泊宿、吉田屋、と軒行燈(のきあんどん)に記してあるは、流石(さすが)に古い街道の名残(なごり)。諸国商人の往来もすくなく、昔の宿はいづれも農家となつて、今はこの根津村に二三軒しか旅籠屋(はたごや)らしいものが残つて居ない。吉田屋は其一つ、兎角(とかく)商売も休み勝ち、客間で秋蚕(しうこ)飼ふ程の時世と変りはてた。とは言ひ乍ら、寂(さび)れた中にも風情(ふぜい)のあるは田舎(ゐなか)の古い旅舎(やどや)で、門口に豆を乾並べ、庭では鶏も鳴き、水を舁(かつ)いで風呂場へ通ふ男の腰付もをかしいもの。炉(ろ)で焚(た)く『ぼや』の火は盛んに燃え上つて、無邪気な笑声が其周囲(まはり)に起るのであつた。
『左様(さう)だ――例のことを話さう。』
 と丑松は自分で自分に言つた。吉田屋の門口へ入つた時は、其思想(かんがへ)が復(ま)た胸の中を往来したのである。
 案内されて奥の方の座敷へ通ると、蓮太郎一人で、弁護士は未だ帰らなかつた。額、唐紙、すべて昔の風を残して、古びた室内の光景(さま)とは言ひ乍ら、談話(はなし)を為(す)るには至極静かで好かつた。火鉢に炭を加へ、其側に座蒲団を敷いて、相対(さしむかひ)に成つた時の心地(こゝろもち)は珍敷(めづらし)くもあり、嬉敷(うれし)くもあり、蓮太郎が手づから入れて呉れる茶の味は又格別に思はれたのである。其時丑松は日頃愛読する先輩の著述を数へて、始めて手にしたのが彼(あ)の大作、『現代の思潮と下層社会』であつたことを話した。『貧しきものゝなぐさめ』、『労働』、『平凡なる人』、とり/″\に面白く味(あぢは)つたことを話した。丑松は又、『懴悔録』の広告を見つけた時の喜悦(よろこび)から、飯山の雑誌屋で一冊を買取つて、其を抱いて内容(なかみ)を想像し乍ら下宿へ帰つた時の心地(こゝろもち)、読み耽つて心に深い感動を受けたこと、社会(よのなか)といふものゝ威力(ちから)を知つたこと、さては其著述に顕(あら)はれた思想(かんがへ)の新しく思はれたことなぞを話した。
 蓮太郎の喜悦(よろこび)は一通りで無かつた。軈て風呂が湧いたといふ案内をうけて、二人して一緒に入りに行つた時も、蓮太郎は其を胸に浮べて、かねて知己とは思つて居たが、斯(か)う迄自分の書いたものを読んで呉れるとは思はなかつたと、丑松の熱心を頼母(たのも)しく考へて居たらしいのである。病が病だから、蓮太郎の方では遠慮する気味で、其様(そん)なことで迷惑を掛けたく無い、と健康(たつしや)なものゝ知らない心配は絶えず様子に表はれる。斯うなると丑松の方では反(かへ)つて気の毒になつて、病の為に先輩を恐れるといふ心は何処へか行つて了つた。話せば話すほど、哀憐(あはれみ)は恐怖(おそれ)に変つたのである。
 風呂場の窓の外には、石を越して流下る水の声もおもしろく聞えた。透(す)き澄(とほ)るばかりの沸(わか)し湯(ゆ)に身体を浸し温めて、しばらく清流の響に耳を嬲(なぶ)らせる其楽しさ。夕暮近い日の光は窓からさし入つて、蒸(む)し烟(けぶ)る風呂場の内を朦朧(もうろう)として見せた。一ぱい浴びて流しのところへ出た蓮太郎は、湯気に包まれて燃えるかのやう。丑松も紅(あか)くなつて、顔を伝ふ汗の熱さに暫時(しばらく)世の煩(わづら)ひを忘れた。
『先生、一つ流しませう。』と丑松は小桶(こをけ)を擁(かゝ)へて蓮太郎の背後(うしろ)へ廻る。
『え、流して下さる?』と蓮太郎は嬉しさうに、『ぢやあ、願ひませうか。まあ君、ざつと遣つて呉れたまへ。』
 斯うして丑松は、日頃慕つて居る其人に近いて、奈何(どう)いふ風に考へ、奈何いふ風に言ひ、奈何いふ風に行ふかと、すこしでも蓮太郎の平生を見るのが楽しいといふ様子であつた。急に二人は親密(したしみ)を増したやうな心地(こゝろもち)もしたのである。
『さあ、今度は僕の番だ。』
 と蓮太郎は湯を汲出(かいだ)して言つた。幾度か丑松は辞退して見た。
『いえ、私は沢山です。昨日入つたばかりですから。』と復(ま)た辞退した。
『昨日は昨日、今日は今日さ。』と蓮太郎は笑つて、『まあ、左様(さう)遠慮しないで、僕にも一つ流させて呉れたまへ。』
『恐れ入りましたなあ。』
『どうです、瀬川君、僕の三助もなか/\巧いものでせう――はゝゝゝゝ。』と戯れて、やがて蓮太郎はそこに在る石鹸(シャボン)を溶いて丑松の背中へつけて遣り乍ら、『僕がまだ長野に居る時分、丁度修学旅行が有つて、生徒と一緒に上州の方へ出掛けたことが有りましたツけ。まだ覚えて居るが、彼(あ)の時の投票は、僕がそれ大食家さ。しかし大食家と言はれる位に、彼の頃は壮健(たつしや)でしたよ。それからの僕の生涯は、実に種々(いろ/\)なことが有ましたねえ。克(よ)くまあ僕のやうな人間が斯うして今日迄生きながらへて来たやうなものさ。』
『先生、もう沢山です。』
『何だねえ、今始めたばかりぢや無いか。まだ、君、垢が些少(ちつと)も落ちやしない。』
 と蓮太郎は丁寧に丑松の背中を洗つて、終(しまひ)に小桶の中の温い湯を掛けてやつた。遣ひ捨ての湯水は石鹸の泡に交つて、白くゆるく板敷の上を流れて行つた。
『君だから斯様(こん)なことを御話するんだが、』と蓮太郎は思出したやうに、『僕は仲間のことを考へる度に、実に情ないといふ心地(こゝろもち)を起さずには居られない。御恥しい話だが、思想の世界といふものは、未だ僕等の仲間には開けて居ないのだね。僕があの師範校を出た頃には、それを考へて、随分暗い月日を送つたことも有ましたよ。病気になつたのも、実は其結果さ。しかし病気の為に、反(かへ)つて僕は救はれた。それから君、考へてばかり居ないで、働くといふ気になつた。ホラ、君の読んで下すつたといふ「現代の思潮と下層社会」――あれを書く頃なぞは、健康(たつしや)だといふ日は一日も無い位だつた。まあ、後日新平民のなかに面白い人物でも生れて来て、あゝ猪子といふ男は斯様(こん)なものを書いたかと、見て呉れるやうな時が有つたら、それでもう僕なぞは満足するんだねえ。むゝ、その踏台さ――それが僕の生涯(しやうがい)でもあり、又希望(のぞみ)でもあるのだから。』

       (三)

 言はう/\と思ひ乍ら、何か斯(か)う引止められるやうな気がして、丑松は言はずに風呂を出た。まだ弁護士は帰らなかつた。夕飯の用意にと、蓮太郎が宿へ命じて置いたは千曲川の鮠(はや)、それは上田から来る途中で買取つたとやらで、魚田楽(ぎよでん)にこしらへさせて、一緒に初冬の河魚の味を試みたいとのこと。仕度するところと見え、摺鉢(すりばち)を鳴らす音は台所の方から聞える。炉辺(ろばた)で鮠の焼ける香は、ぢり/\落ちて燃える魚膏(あぶら)の煙に交つて、斯の座敷までも甘(うま)さうに通つて来た。
 蓮太郎は鞄(かばん)の中から持薬を取出した。殊に湯上りの顔色は病気のやうにも見えなかつた。嗅ぐともなしに『ケレオソオト』のにほひを嗅いで見て、軈(やが)て高柳のことを言出す。
『して見ると、瀬川君はあの男と一緒に飯山を御出掛でしたね。』
『どうも不思議だとは思ひましたよ。』と丑松は笑つて、『妙に是方(こちら)を避(よ)けるといふやうな風でしたから。』
『そこがそれ、心に疚(やま)しいところの有る証拠さ。』
『今考へても、彼の外套(ぐわいたう)で身体を包んで、隠れて行くやうな有様が、目に見えるやうです。』
『はゝゝゝゝ。だから、君、悪いことは出来ないものさ。』
 と言つて、それから蓮太郎は聞いて来た一伍一什(いちぶしじゆう)を丑松に話した。高柳が秘密に六左衛門の娘を貰つたといふ事実は、妙なところから出たとのこと。すこし調べることがあつて、信州で一番古い秋葉村の穢多町(上田の在にある)、彼処へ蓮太郎が尋ねて行くと、あの六左衛門の親戚で加(しか)も讐敵(かたき)のやうに仲の悪いとかいふ男から斯の話が泄(も)れたとのこと。蓮太郎が弁護士と一緒に、今朝この根津村へ入つた時は、折も折、丁度高柳夫婦が新婚旅行にでも出掛けようとするところ。無論先方(さき)では知るまいが、確に是方(こちら)では後姿を見届けたとのことであつた。
『実に驚くぢやないか。』と蓮太郎は嘆息した。『瀬川君、君はまあ奈何(どう)思ふね、彼の男の心地(こゝろもち)を。これから君が飯山へ帰つて見たまへ――必定(きつと)あの男は平気な顔して結婚の披露を為るだらうから――何処(どこ)か遠方の豪家からでも細君を迎へたやうに細工(こしら)へるから――そりやあもう新平民の娘だとは言ふもんぢやないから。』
 斯ういふ話を始めたところへ、下女が膳を持運んで来た。皿の上の鮠(はや)は焼きたての香を放つて、空腹(すきばら)で居る二人の鼻を打つ。銀色の背、樺(かば)と白との腹、その鮮(あたら)しい魚が茶色に焼け焦げて、ところまんだら味噌の能(よ)く付かないのも有つた。いづれも肥え膏(あぶら)づいて、竹の串に突きさゝれてある。流石(さすが)に嗅ぎつけて来たと見え、一匹の小猫、下女の背後(うしろ)に様子を窺(うかゞ)ふのも可笑(をか)しかつた。御給仕には及ばないを言はれて、下女は小猫を連れて出て行く。
『さあ、先生、つけませう。』と丑松は飯櫃(めしびつ)を引取つて、気(いき)の出るやつを盛り始めた。
『どうも済(す)みません。各自(めい/\)勝手にやることにしようぢや有ませんか。まあ、斯(か)うして膳に向つて見ると、あの師範校の食堂を思出さずには居られないねえ。』
 と笑つて、蓮太郎は話し/\食つた。丑松も骨離(ほねばなれ)の好い鮠(はや)の肉を取つて、香ばしく焼けた味噌の香を嗅ぎ乍ら話した。
『あゝ。』と蓮太郎は箸持つ手を膝の上に載せて、『どうも当世紳士の豪(えら)いには驚いて了(しま)ふ――金といふものゝ為なら、奈何(どん)なことでも忍ぶのだから。瀬川君、まあ、聞いて呉れたまへ。彼の通り高柳が体裁を飾つて居ても、実は非常に内輪の苦しいといふことは、僕も聞いて居た。借財に借財を重ね、高利貸には責められる、世間への不義理は嵩(かさ)む、到底今年選挙を争ふ見込なぞは立つまいといふことは、聞いて居た。しかし君、いくら窮境に陥つたからと言つて、金を目的(めあて)に結婚する気に成るなんて――あんまり根性が見え透(す)いて浅猿(あさま)しいぢやないか。あるひは、彼男に言はせたら、六左衛門だつて立派な公民だ、其娘を貰ふのに何の不思議が有る、親子の間柄で選挙の時なぞに助けて貰ふのは至当(あたりまへ)ぢやないか――斯う言ふかも知れない。それならそれで可(いゝ)さ。階級を打破して迄(まで)も、気に入つた女を貰ふ位の心意気が有るなら、又面白い。何故そんなら、狐鼠々々(こそ/\)と祝言(しうげん)なぞを為るんだらう。何故そんなら、隠れてやつて来て、また隠れて行くやうな、男らしくない真似を為るんだらう。苟(いやし)くも君、堂々たる代議士の候補者だ。天下の政治を料理するなどと長広舌を振ひ乍ら、其人の生涯を見れば奈何(どう)だらう。誰やらの言草では無いが、全然(まるで)紳士の面を冠つた小人の遣方だ――情ないぢやないか。成程(なるほど)世間には、金に成ることなら何でもやる、買手が有るなら自分の一生でも売る、斯(か)ういふ量見の人はいくらも有るさ。しかし、彼男のは、売つて置いて知らん顔をして居よう、といふのだから酷(はなはだ)しい。まあ、君、僕等の側に立つて考へて見て呉れたまへ――是程(これほど)新平民といふものを侮辱した話は無からう。』
 暫時(しばらく)二人は言葉を交さないで食つた。軈てまた蓮太郎は感慨に堪へないと言ふ風で、病気のことなぞはもう忘れて居るかのやうに、
『彼男(あのをとこ)も彼男なら、六左衛門も六左衛門だ。そんなところへ娘を呉れたところで何が面白からう。是(これ)から東京へでも出掛けた時に、自分の聟は政事家だと言つて、吹聴する積りなんだらうが、あまり寝覚の好い話でも無からう。虚栄心にも程が有るさ。ちつたあ娘のことも考へさうなものだがなあ。』
 斯う言つて蓮太郎は考深い目付をして、孤(ひと)り思に沈むといふ様子であつた。
 聞いて見れば聞いて見るほど、彼の政事家の内幕にも驚かれるが、又、この先輩の同族を思ふ熱情にも驚かれる。丑松は、弱い体躯(からだ)の内に燃える先輩の精神の烈しさを考へて、一種の悲壮な感想(かんじ)を起さずには居られなかつた。実際、蓮太郎の談話(はなし)の中には丑松の心を動かす力が籠つて居たのである。尤(もつと)も、病のある人ででも無ければ、彼様(あゝ)は心を傷めまい、と思はれるやうな節々が時々其言葉に交つて聞えたので。

       (四)

 到頭丑松は言はうと思ふことを言はなかつた。吉田屋を出たのは宵(よひ)過ぎる頃であつたが、途々それを考へると、泣きたいと思ふ程に悲しかつた。何故、言はなかつたらう。丑松は歩き乍ら、自分で自分に尋ねて見る。亡父(おやぢ)の言葉も有るから――叔父も彼様(あゝ)忠告したから――一旦秘密が自分の口から泄(も)れた以上は、それが何時(いつ)誰の耳へ伝はらないとも限らない、先輩が細君へ話す、細君はまた女のことだから到底秘密を守つては呉れまい、斯(か)ういふことに成ると、それこそ最早(もう)回復(とりかへし)が付かない――第一、今の場合、自分は穢多であると考へたく無い、是迄も普通の人間で通つて来た、是(これ)から将来(さき)とても無論普通の人間で通りたい、それが至当な道理であるから――
 種々(いろ/\)弁解(いひわけ)を考へて見た。
 しかし、斯ういふ弁解は、いづれも後から造(こしら)へて押付けたことで、それだから言へなかつたとは奈何しても思はれない。残念乍ら、丑松は自分で自分を欺いて居るやうに感じて来た。蓮太郎にまで隠して居るといふことは、実は丑松の良心が許さなかつたのである。
 あゝ、何を思ひ、何を煩ふ。決して他の人に告白(うちあ)けるのでは無い。唯あの先輩だけに告白けるのだ。日頃自分が慕つて居る、加(しか)も自分と同じ新平民の、其人だけに告白けるのに、危い、恐しいやうなことが何処にあらう。
『どうしても言はないのは虚偽(うそ)だ。』
 と丑松は心に羞(は)ぢたり悲んだりした。
 そればかりでは無い。勇み立つ青春の意気も亦(ま)た丑松の心に強い刺激を与へた。譬(たと)へば、丑松は雪霜の下に萌(も)える若草である。春待つ心は有ながらも、猜疑(うたがひ)と恐怖(おそれ)とに閉ぢられて了(しま)つて、内部(なか)の生命(いのち)は発達(のび)ることが出来なかつた。あゝ、雪霜が日にあたつて、溶けるといふに、何の不思議があらう。青年が敬慕の情を心ゆく先輩の前に捧げて、活きて進むといふに、何の不思議があらう。見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は蓮太郎の感化を享(う)けて、精神の自由を慕はずには居られなかつたのである。言ふべし、言ふべし、それが自分の進む道路(みち)では有るまいか。斯う若々しい生命が丑松を励ますのであつた。
『よし、明日は先生に逢つて、何もかも打開(ぶちま)けて了はう。』
 と決心して、姫子沢の家をさして急いだ。
 其晩はお妻の父親(おやぢ)がやつて来て、遅くまで炉辺(ろばた)で話した。叔父は蓮太郎のことに就いて別に深く掘つて聞かうとも為なかつた。唯丑松が寝床の方へ行かうとした時、斯ういふ問を掛けた。
『丑松――お前(めへ)は今日の御客様(おきやくさん)に、何にも自分のことを話しやしねえだらうなあ。』
 と言はれて、丑松は叔父の顔を眺めて、
『誰が其様(そん)なことを言ふもんですか。』
 と答へるには答へたが、それは本心から出た言葉では無いのであつた。
 寝床に入つてからも、丑松は長いこと眠られなかつた。不思議な夢は来て、眼前(めのまへ)を通る。其人は見納めの時の父の死顔であるかと思ふと、蓮太郎のやうでもあり、病の為に蒼(あを)ざめた蓮太郎の顔であるかと思ふと、お妻のやうでもあつた。あの艶を帯(も)つた清(すゞ)しい眸(ひとみ)、物言ふ毎にあらはれる皓歯(しらは)、直に紅(あか)くなる頬――その真情の外部(そと)に輝き溢(あふ)れて居る女らしさを考へると、何時の間にか丑松はお志保の俤(おもかげ)を描いて居たのである。尤(もつと)もこの幻影(まぼろし)は長く後まで残らなかつた。払暁(あけがた)になると最早(もう)忘れて了つて、何の夢を見たかも覚えて居ない位であつた。


   第拾章

       (一)

 いよ/\苦痛(くるしみ)の重荷を下す時が来た。
 丁度蓮太郎は弁護士と一緒に、上田を指して帰るといふので、丑松も同行の約束した。それは父を傷(きずつ)けた種牛が上田の屠牛場(とぎうば)へ送られる朝のこと。叔父も、丑松も其立会として出掛ける筈になつて居たので。昨夜の丑松の決心――あれを実行するには是上(このうへ)も無い好い機会(しほ)。復(ま)た逢(あ)はれるのは何時のことやら覚束(おぼつか)ない。どうかして叔父や弁護士の聞いて居ないところで――唯先輩と二人ぎりに成つた時に――斯う考へて、丑松は叔父と一緒に出掛ける仕度をしたのであつた。
 上田街道へ出ようとする角のところで、そこに待合せて居る二人と一緒になつた。丑松は叔父を弁護士に紹介し、それから蓮太郎にも紹介した。
『先生、これが私の叔父です。』
 と言はれて、叔父は百姓らしい大な手を擦(も)み乍(なが)ら、
『丑松の奴がいろ/\御世話様に成りますさうで――昨日(さくじつ)はまた御出下すつたさうでしたが、生憎(あいにく)と留守にいたしやして。』
 斯(か)ういふ挨拶をすると、蓮太郎は丁寧に亡(な)くなつた人の弔辞(くやみ)を述べた。
 四人は早く発(た)つた。朝じめりのした街道の土を踏んで、深い霧の中を辿(たど)つて行つた時は、遠近(をちこち)に鶏の鳴き交す声も聞える。其日は春先のやうに温暖(あたゝか)で、路傍の枯草も蘇生(いきかへ)るかと思はれる程。灰色の水蒸気は低く集つて来て、僅かに離れた杜(もり)の梢(こずゑ)も遠く深く烟(けぶ)るやうに見える。四人は後になり前になり、互に言葉を取交し乍ら歩いた。就中(わけても)、弁護士の快活な笑声は朝の空気に響き渡る。思はず足も軽く道も果取(はかど)つたのである。
 東上田へ差懸つた頃、蓮太郎と丑松の二人は少許(すこし)連(つれ)に後(おく)れた。次第に道路(みち)は明くなつて、ところ/″\に青空も望まれるやうに成つた。白い光を帯び乍ら、頭の上を急いだは、朝雲の群。行先(ゆくて)にあたる村落も形を顕(あらは)して、草葺(くさぶき)の屋根からは煙の立ち登る光景(さま)も見えた。霧の眺めは、今、おもしろく晴れて行くのである。
 蓮太郎は苦しい様子も見せなかつた。この石塊(いしころ)の多い歩き難い道を彼様(あゝ)して徒歩(ひろ)つても可(いゝ)のかしらん、と丑松はそれを案じつゞけて、時々蓮太郎を待合せては、一緒に遅く歩くやうに為たが、まあ素人目(しろうとめ)で眺めたところでは格別気息(いき)の切れるでも無いらしい。漸(やうや)く安心して、軈(やが)て話し/\行く連の二人の後姿は、と見ると其時は凡(およ)そ一町程も離れたらう。急に日があたつて、湿(しめ)つた道路も輝き初めた。温和(やはらか)に快暢(こゝろよ)い朝の光は小県(ちひさがた)の野に満ち溢(あふ)れて来た。
 あゝ、告白(うちあ)けるなら、今だ。
 丑松に言はせると、自分は決して一生の戒を破るのでは無い。是(これ)が若(も)し世間の人に話すといふ場合ででも有つたら、それこそ今迄の苦心も水の泡であらう。唯斯人(このひと)だけに告白けるのだ。親兄弟に話すも同じことだ。一向差支が無い。斯う自分で自分に弁解(いひほど)いて見た。丑松も思慮の無い男では無し、彼程(あれほど)堅い父の言葉を忘れて了(しま)つて、好んで死地に陥るやうな、其様(そん)な愚(おろか)な真似を為(す)る積りは無かつたのである。
『隠せ。』
 といふ厳粛な声は、其時、心の底の方で聞えた。急に冷(つめた)い戦慄(みぶるひ)が全身を伝つて流れ下る。さあ、丑松もすこし躊躇(ためら)はずには居られなかつた。『先生、先生』と口の中で呼んで、どう其を切出したものかと悶(もが)いて居ると、何か目に見えない力が背後(うしろ)に在つて、妙に自分の無法を押止めるやうな気がした。
『忘れるな』とまた心の底の方で。

       (二)

『瀬川君、君は恐しく考へ込んだねえ。』と蓮太郎は丑松の方を振返つて見た。『時に、大分後れましたよ。奈何(どう)ですか、少許(すこし)急がうぢや有ませんか。』
 斯う言はれて、丑松も其後に随(つ)いて急いだ。
 間も無く二人は連に追付いた。鳥のやうに逃げ易い機会は捕まらなかつた。いづれ未(ま)だ先輩と二人ぎりに成る時は有るであらう、と其を丑松は頼みに思ふのである。
 日は次第に高くなつた。空は濃く青く透(す)き澄(とほ)るやうになつた。南の方(かた)に当つて、ちぎれ/\な雲の群も起る。今は温暖(あたゝか)い光の為に蒸(む)されて、野も煙り、岡も呼吸し、踏んで行く街道の土の灰色に乾く臭気(にほひ)も心地(こゝろもち)が好い。浅々と萌初(もえそ)めた麦畠は、両側に連つて、奈何(どんな)に春待つ心の烈しさを思はせたらう。斯(か)うして眺(なが)め/\行く間にも、四人の眼に映る田舎(ゐなか)が四色で有つたのはをかしかつた。弁護士は小作人と地主との争闘(あらそひ)を、蓮太郎は労働者の苦痛(くるしみ)と慰藉(なぐさめ)とを、叔父は『えご』、『山牛蒡(やまごばう)』、『天王草(てんわうぐさ)』、又は『水沢瀉(みづおもだか)』等の雑草に苦しめられる耕作の経験から、収穫(とりいれ)に関係の深い土質の比較、さては上州地方の平野に住む農夫に比べて斯の山の上の人々の粗懶(なげやり)な習慣なぞを――流石(さすが)に三人の話は、生活といふことを離れなかつたが、同じ田舎を心に描いても、丑松のは若々しい思想(かんがへ)から割出して、働くばかりが田舎ではないと言つたやうな風に観察する。斯(か)ういふ思ひ/\の話に身が入つて、四人は疲労(つかれ)を忘れ乍ら上田の町へ入つた。
 上田には弁護士の出張所も設けて有る。そこには蓮太郎の細君が根津から帰る夫を待受けて居たので。蓮太郎と弁護士とは、一寸立寄つて用事を済(す)ました上、また屠牛場で一緒に成るといふことにしよう、其種牛の最後をも見よう――斯(か)ういふ約束で別れた。丑松は叔父と連立つて一歩(ひとあし)先へ出掛けた。
 屠牛場近く行けば行く程、亡くなつた牧夫のことが烈しく二人の胸に浮んで来た。二人の話は其追懐(おもひで)で持切つた。他人が居なければ遠慮も要(い)らず、今は何を話さうと好自由(すきじいう)である。
『なあ、丑松。』と叔父は歩き乍ら嘆息して、『へえ、もう今日で六日目だぞよ。兄貴が亡くなる、お前(めへ)がやつて来る。葬式(おじやんぼん)を出す、御苦労招びから、礼廻りと、丁度今日で六日目だ。あゝ、明日は最早(もう)初七日だ。日数の早く経(た)つには魂消(たまげ)て了ふ。兄貴に別れたのは、つい未だ昨日のやうにしか思はれねえがなあ。』
 丑松は黙つて考へ乍ら随いて行つた。叔父は言葉を継いで、
『真実(ほんたう)に世の中は思ふやうに行かねえものさ。兄貴も、是から楽をしようといふところで、彼様(あん)な災難に罹るなんて。まあ、金を遺(のこ)すぢや無し、名を遺すぢや無し、一生苦労を為つゞけて、其苦労が誰の為かと言へば――畢竟(つまり)、お前や俺の為だ。俺も若え時は、克(よ)く兄貴と喧嘩して、擲(なぐ)られたり、泣かせられたりしたものだが、今となつて考へて見ると、親兄弟程難有(ありがた)いものは無えぞよ。仮令(たとひ)世界中の人が見放しても、親兄弟は捨てねえからなあ。兄貴を忘れちやならねえと言ふのは――其処だはサ。』
 暫時(しばらく)二人は無言で歩いた。
『忘れるなよ。』と叔父は復た初めた。『何程(どのくれえ)まあ兄貴もお前の為に心配して居たものだか。ある時、俺に、「丑松も今が一番危え時だ。斯うして山の中で考へたと、世間へ出て見たとは違ふから、そこを俺が思つてやる。なか/\他人の中へ突出されて、内兜(うちかぶと)を見透(みす)かされねえやうに遂行(やりと)げるのは容易ぢやねえ。何卒(どうか)してうまく行(や)つて呉れゝば可(いゝ)が――下手に学問なぞをして、つまらねえ思想(かんがへ)を起さなければ可(いゝ)が――まあ、三十に成つて見ねえ内は、安心が出来ねえ。」と斯ういふから、「なあに、大丈夫――丑松のことなら俺が保証する。」と言つてやつたよ。すると、兄貴は首を振つて、「どうも不可(いかねえ)もので、親の悪いところばかり子に伝はる。丑松も用心深いのは好(いゝ)が、然し又、あんまり用心深過ぎて反つて疑はれるやうな事が出来やすまいか。」としきりに其を言ふ。其時俺が、「左様(さう)心配した日には際限(きり)が無え。」と笑つたことサ。はゝゝゝゝ。』と思出したやうに慾の無い声で笑つて、軈て気を変へて、『しかし、能くまあ、お前も是迄に漕付けて来た。最早大丈夫だ。全くお前には其丈の徳が具(そな)はつて居るのだ。なにしろ用心するに越したことはねえぞよ。奈何(どん)な先生だらうが、同じ身分の人だらうが、決して気は許せねえ――そりやあ、もう、他人と親兄弟とは違ふからなあ。あゝ、兄貴の生きてる時分には、牧場から下つて来る、俺や婆さんの顔を見る、直にお前の噂(うはさ)だつた。もう兄貴は居ねえ。是からは俺と婆さんと二人ぎりで、お前の噂をして楽むんだ。考へて見て呉れよ、俺も子は無しサ――お前より外に便りにするものは無えのだから。』

       (三)

 例の種牛は朝のうちに屠牛場(とぎうば)へ送られた。種牛の持主は早くから詰掛けて、叔父と丑松とを待受けて居た。二人は、空車引いて馳(か)けて行く肉屋の丁稚(でつち)の後に随いて、軈て屠牛場の前迄行くと、門の外に持主、先(ま)づ見るより、克(よ)く来て呉れたを言ひ継(つゞ)ける。心から老牧夫の最後を傷(いた)むといふ情合(じやうあひ)は、斯持主の顔色に表れるのであつた。『いえ。』と叔父は対手の言葉を遮(さへぎ)つて、『全く是方(こちら)の不注意(てぬかり)から起つた事なんで、貴方(あんた)を恨(うら)みる筋は些少(ちつと)もごはせん。』とそれを言へば、先方(さき)は猶々(なほ/\)痛み入る様子。『私はへえ、面目なくて、斯(か)うして貴方等(あんたがた)に合せる顔も無いのでやす――まあ畜生の為(し)たことだからせえて(せえては、しての訛(なまり)、農夫の間に用ゐられる)、御災難と思つて絶念(あきら)めて下さるやうに。』とかへす/″\言ふ。是処(こゝ)は上田の町はづれ、太郎山の麓に迫つて、新しく建てられた五棟ばかりの平屋。鋭い目付の犬は五六匹門外に集つて来て、頻(しきり)に二人の臭気(にほひ)を嗅いで見たり、低声に□(うな)つたりして、やゝともすれば吠(ほ)え懸りさうな気勢(けはひ)を示すのであつた。
 持主に導かれて、二人は黒い門を入つた。内に庭を隔(へだ)てゝ、北は検査室、東が屠殺の小屋である。年の頃五十余のでつぷり肥つた男が人々の指図をして居たが、其老練な、愛嬌(あいけう)のある物の言振で、屠手(としゆ)の頭(かしら)といふことは知れた。屠手として是処に使役(つか)はれて居る壮丁(わかもの)は十人計(ばか)り、いづれ紛(まが)ひの無い新平民――殊に卑賤(いや)しい手合と見えて、特色のある皮膚の色が明白(あり/\)と目につく。一人々々の赤ら顔には、烙印(やきがね)が押当てゝあると言つてもよい。中には下層の新平民に克(よ)くある愚鈍な目付を為乍(しなが)ら是方(こちら)を振返るもあり、中には畏縮(いぢけ)た、兢々(おづ/\)とした様子して盗むやうに客を眺めるもある。目鋭(めざと)い叔父は直に其(それ)と看(み)て取つて、一寸右の肘(ひぢ)で丑松を小衝(こづ)いて見た。奈何して丑松も平気で居られよう。叔父の肘が触(さは)るか触らないに、其暗号は電気(エレキ)のやうに通じた。幸ひ案じた程でも無いらしいので、漸(やつ)と安心して、それから二人は他の談話(はなし)の仲間に入つた。
 繋留場には、種牛の外に、二頭の牡牛も繋(つな)いであつて、丁度死刑を宣告された罪人が牢獄(ひとや)の内に押籠(おしこ)められたと同じやうに、一刻々々と近いて行く性命(いのち)の終を翹望(まちのぞ)んで居た。丑松は今、叔父や持主と一緒に、斯(この)繋留場の柵(さく)の前に立つたのである。持主の言草ではないが、『畜生の為たこと』と思へば、別に腹が立つの何のといふ其様(そん)な心地(こゝろもち)には成らないかはりに、可傷(いたま)しい父の最後、牧場の草の上に流れた血潮――堪へがたい追憶(おもひで)の情は丑松の胸に浮んで来たのである。見れば他のは佐渡牛といふ種類で、一頭は黒く、一頭は赤く、人間の食慾を満すより外には最早(もう)生きながらへる価値(ねうち)も無い程に痩(や)せて、其憔悴(みすぼら)しさ。それに比べると、種牛は体格も大きく、骨組も偉(たくま)しく、黒毛艶々として美しい雑種。持主は柵の横木を隔てゝ、其鼻面を撫でゝ見たり、咽喉(のど)の下を摩(さす)つてやつたりして、
『わりや(汝(なんぢ)は)飛んでもねえことを為て呉れたなあ。何も俺だつて、好んで斯様(こん)な処へ貴様を引張つて来た訳ぢやねえ――是といふのも自業自得(じごふじとく)だ――左様(さう)思つて絶念(あきら)めろよ。』
 吾児に因果でも言含めるやうに掻口説(かきくど)いて、今更別離(わかれ)を惜むといふ様子。
『それ、こゝに居なさるのが瀬川さんの子息(むすこ)さんだ。御詑(おわび)をしな。御詑をしな。われ(汝)のやうな畜生だつて、万更霊魂(たましひ)の無えものでも有るめえ。まあ俺の言ふことを好く覚えて置いて、次の生(よ)には一層(もつと)気の利いたものに生れ変つて来い。』
 斯(か)う言ひ聞かせて、軈(やが)て持主は牛の来歴を二人に語つた。現に今、多くを飼養して居るが、是(これ)に勝(まさ)る血統(ちすぢ)のものは一頭も無い。父牛は亜米利加(アメリカ)産、母牛は斯々(しか/″\)、悪い癖さへ無くば西乃入(にしのいり)牧場の名牛とも唄はれたであらうに、と言出して嘆息した。持主は又附加(つけた)して、斯(この)種牛の肉の売代(うりしろ)を分けて、亡くなつた牧夫の追善に供へたいから、せめて其で仏の心を慰めて呉れといふことを話した。
 其時獣医が入つて来て、鳥打帽を冠つた儘、人々に挨拶する。つゞいて、牛肉屋の亭主も入つて来たは、屠(つぶ)された後の肉を買取る為であらう。間も無く蓮太郎、弁護士の二人も、叔父や丑松と一緒になつて、庭に立つて眺めたり話したりした。
『むゝ、彼(あれ)が御話のあつた種牛ですね。』と蓮太郎は小声で言つた。人々は用意に取掛かると見え、いづれも白の上被(うはつぱり)、冷飯草履は脱いで素足に尻端折。笑ふ声、私語(さゝや)く声は、犬の鳴声に交つて、何となく構内は混雑して来たのである。
 いよ/\種牛は引出されることになつた。一同の視線は皆な其方へ集つた。今迄沈まりかへつて居た二頭の佐渡牛は、急に騒ぎ初めて、頻と頭を左右に振動かす。一人の屠手は赤い方の鼻面を確乎(しつか)と制(おさ)へて、声を□(はげま)して制したり叱つたりした。畜生ながらに本能(むし)が知らせると見え、逃げよう/\と焦り出したのである。黒い佐渡牛は繋がれたまゝ柱を一廻りした。死地に引かれて行く種牛は寧(むし)ろ冷静(おちつ)き澄ましたもので、他の二頭のやうに悪□(わるあがき)を為(す)るでも無く、悲しい鳴声を泄(も)らすでも無く、僅かに白い鼻息を見せて、悠々(いう/\)と獣医の前へ進んだ。紫色の潤(うる)みを帯びた大きな目は傍で観て居る人々を睥睨(へいげい)するかのやう。彼の西乃入の牧場を荒(あば)れ廻つて、丑松の父を突殺した程の悪牛では有るが、斯(か)うした潔(いさぎよ)い臨終の光景(ありさま)は、又た人々に哀憐(あはれみ)の情を催(おこ)させた。叔父も、丑松もすくなからず胸を打たれたのである。獣医はあちこちと廻つて歩き乍ら、種牛の皮を撮(つま)んで見たり、咽喉(のど)を押へて見たり、または角を叩(たゝ)いて見たりして、最後に尻尾を持上たかと思ふと、検査は最早(もう)其で済んだ。屠手は総懸りで寄つて群(たか)つて、『しツ/\』と声を揚げ乍ら、無理無体に屠殺の小屋の方へ種牛を引入れた。屠手の頭(かしら)は油断を見澄まして、素早く細引を投げ搦(から)む。□(どう)と音して牛の身体が板敷の上へ横に成つたは、足と足とが引締められたからである。持主は茫然(ばうぜん)として立つた。丑松も考深い目付をして眺め沈んで居た。やがて、種牛の眉間(みけん)を目懸けて、一人の屠手が斧(をの)(一方に長さ四五寸の管(くだ)があつて、致命傷を与へるのは是(この)管である)を振翳(ふりかざ)したかと思ふと、もう其が是畜生の最後。幽(かすか)な呻吟(うめき)を残して置いて、直に息を引取つて了つた――一撃で種牛は倒されたのである。

       (四)

 日の光は斯(こ)の小屋の内へ射入つて、死んで其処に倒れた種牛と、多忙(いそが)しさうに立働く人々の白い上被(うはつぱり)とを照した。屠手の頭は鋭い出刃庖丁を振つて、先づ牛の咽喉(のど)を割(さ)く。尾を牽(ひ)くものは直に尾を捨て、細引を持つものは細引を捨てゝ、いづれも牛の上に登つた。多勢の壮丁(わかもの)が力に任せ、所嫌はず踏付けるので、血潮は割かれた咽喉を通して紅(あか)く板敷の上へ流れた。咽喉から腹、腹から足、と次第に黒い毛皮が剥取(はぎと)られる。膏と血との臭気(にほひ)は斯の屠牛場に満ち溢(あふ)れて来た。
 他の二頭の佐渡牛が小屋の内へ引入れられて、撃(う)ち殺されたのは間も無くであつた。斯の可傷(いたま)しい光景(ありさま)を見るにつけても、丑松の胸に浮ぶは亡くなつた父のことで。丑松は考深い目付を為乍(しなが)ら、父の死を想(おも)ひつゞけて居ると、軈て種牛の毛皮も悉皆(すつかり)剥取られ、角も撃ち落され、脂肪に包まれた肉身(なかみ)からは湯気のやうな息の蒸上(むしのぼ)るさまも見えた。屠手の頭は手も庖丁も紅く血潮に交(まみ)れ乍ら、あちこちと小屋の内を廻つて指揮(さしづ)する。そこには竹箒(たけばうき)で牛の膏(あぶら)を掃いて居るものがあり、こゝには砥石を出して出刃を磨いで居るものもあつた。赤い佐渡牛は引割と言つて、腰骨(こしぼね)を左右に切開かれ、其骨と骨との間へ横木を入れられて、逆方(さかさま)に高く釣るし上げられることになつた。
『そら、巻くぜ。』と一人の屠手は天井にある滑車(くるま)を見上げ乍ら言つた。
 見る/\小屋の中央(まんなか)には、巨大(おほき)な牡牛の肉身(からだ)が釣るされて懸つた。叔父も、蓮太郎も、弁護士も、互に顔を見合せて居た。一人の屠手は鋸(のこぎり)を取出した、脊髄(あばら)を二つに引割り始めたのである。
 回向(ゑかう)するやうな持主の目は種牛から離れなかつた。種牛は最早(もう)足さへも切離された。牧場の草踏散らした双叉(ふたまた)の蹄(つめ)も、今は小屋から土間の方へ投出(はふりだ)された。灰紫色の膜に掩(おほ)はれた臓腑は、丁度斯う大風呂敷の包のやうに、べろ/\した儘(まゝ)で其処に置いてある。三人の屠手は互に庖丁を入れて、骨に添ふて肉を切開くのであつた。
 烈しい追憶(おもひで)は、復た/\丑松の胸中を往来し始めた。『忘れるな』――あゝ、その熱い臨終の呼吸は、どんなに深い響となつて、生残る丑松の骨の膸(ずゐ)までも貫徹(しみとほ)るだらう。其を考へる度に、亡くなつた父が丑松の胸中に復活(いきかへ)るのである。急に其時、心の底の方で声がして、丑松を呼び警(いまし)めるやうに聞えた。『丑松、貴様は親を捨てる気か。』と其声は自分を責めるやうに聞えた。
『貴様は親を捨てる気か。』
 と丑松は自分で自分に繰返して見た。
 成程(なるほど)、自分は変つた。成程、一にも二にも父の言葉に服従して、それを器械的に遵奉(じゆんぽう)するやうな、其様(そん)な児童(こども)では無くなつて来た。成程、自分の胸の底は父ばかり住む世界では無くなつて来た。成程、父の厳しい性格を考へる度に、自分は反つて反対(あべこべ)な方へ逸出(ぬけだ)して行つて、自由自在に泣いたり笑つたりしたいやうな、其様(そん)な思想(かんがへ)を持つやうに成つた。あゝ、世の無情を憤(いきどほ)る先輩の心地(こゝろもち)と、世に随へと教へる父の心地と――その二人の相違は奈何(どんな)であらう。斯う考へて、丑松は自分の行く道路(みち)に迷つたのである。
 気がついて我に帰つた時は、蓮太郎が自分の傍に立つて居た。いつの間にか巡査も入つて来て、獣医と一緒に成つて眺めて居た。見れば種牛は股(もゝ)から胴へかけて四つの肉塊(かたまり)に切断(たちき)られるところ。右の前足の股の肉は、既に天井から垂下(たれさが)る細引に釣るされて、海綿を持つた一人の屠手が頻と其血を拭ふのであつた。斯うして巨大(おほき)な種牛の肉体(からだ)は実に無造作に屠(ほふ)られて了(しま)つたのである。屠手の頭が印判を取出して、それぞれの肉の上へ押して居るかと見るうちに、一方では引取りに来た牛肉屋の丁稚(でつち)、編席(アンペラ)敷いた箱を車の上に載せて、威勢よく小屋の内へがら/\と引きこんだ。
『十二貫五百。』
 といふ声は小屋の隅の方に起つた。
『十一貫七百。』
 とまた。
 屠(ほふ)られた種牛の肉は、今、大きな秤(はかり)に懸けられるのである、屠手の一人が目方を読み上げる度に、牛肉屋の亭主は鉛筆を舐(な)めて、其を手帳へ書留めた。
 やがて其日の立会も済み、持主にも別れを告げ、人々と一緒に斯の屠牛場から引取らうとした時、もう一度丑松は小屋の方を振返つて見た。屠手のあるものは残物の臓腑を取片付ける、あるものは手桶(てをけ)に足を突込んで牛の血潮を洗ひ落す、種牛の片股は未(ま)だ釣るされた儘で、黄な膏(あぶら)と白い脂肪とが日の光を帯びて居た。其時は最早あの可傷(いたま)しい回想(おもひで)の断片といふ感想(かんじ)も起らなかつた。唯大きな牛肉の塊としか見えなかつた。


   第拾壱章

       (一)

『先(ま)づ好かつた。』と叔父は屠牛場の門を出た時、丑松の肩を叩(たゝ)いて言つた。『先づまあ、是(これ)で御関所は通り越した。』
『あゝ、叔父さんは声が高い。』と制するやうにして、丑松は何か思出したやうに、先へ行く蓮太郎と弁護士との後姿を眺(なが)めた。
『声が高い?』叔父は笑ひ乍ら、『ふゝ、俺のやうな皺枯声(しやがれごゑ)が誰に聞えるものかよ。それは左様(さう)と、丑松、へえ最早(もう)是で安心だ。是処(こゝ)まで漕付(こぎつ)ければ、最早大丈夫だ。どのくれえ、まあ、俺も心配したらう。あゝ今夜からは三人で安気(あんき)に寝られる。』
 牛肉を満載した車は二人の傍を通過ぎた。枯々な桑畠(くはばたけ)の間には、其車の音がから/\と響き渡つて、随(つ)いて行く犬の叫び声も何となく喜ばしさうに聞える。心の好い叔父は唯訳も無く身を祝つて、顔の薄痘痕(うすあばた)も喜悦(よろこび)の為に埋もれるかのやう。奈何(どう)いふ思想(かんがへ)が来て今の世の若いものゝ胸を騒がせて居るか、其様(そん)なことはとんと叔父には解らなかつた。昔者の叔父は、斯(こ)の天気の好いやうに、唯一族が無事でさへあれば好かつた。軈(やが)て、考深い目付を為て居る丑松を促(うなが)して、昼仕度を為るために急いだのである。
 昼食(ちうじき)の後、丑松は叔父と別れて、単独(ひとり)で弁護士の出張所を訪ねた。そこには蓮太郎が細君と一緒に、丑松の来るのを待受けて居たので。尤(もつと)も、一同で楽しい談話(はなし)をするのは三時間しか無かつた。聞いて見ると細君は東京の家へ、蓮太郎と弁護士とは小諸の旅舎(やどや)まで、其日四時三分の汽車で上田を発つといふ。細君は深く夫の身の上を案じるかして、一緒に東京の方へ帰つて呉れと言出したが、蓮太郎は聞入れなかつた。もと/\友人や後進のものを先にして、家のものを後にするのが蓮太郎の主義で、今度信州に踏留まるといふのも、畢竟(つまり)は弁護士の為に尽したいから。其は細君も万々承知。夫の気象として、左様(さう)いふのは無理もない。しかし斯の山の上で、夫の病気が重りでもしたら。斯ういふ心配は深く細君の顔色に表はれる。『奥様(おくさん)、其様(そんな)に御心配無く――猪子君は私が御預りしましたから。』と弁護士が引受顔なので、細君も強ひてとは言へなかつた。
 先輩が可懐(なつか)しければ其細君までも可懐しい。斯う思ふ丑松の情は一層深くなつた。始めて汽車の中で出逢(であ)つた時からして、何となく人格の奥床(おくゆか)しい細君とは思つたが、さて打解けて話して見ると、別に御世辞が有るでも無く、左様(さう)かと言つて可厭(いや)に澄まして居るといふ風でも無い――まあ、極(ご)く淡泊(さつぱり)とした、物に拘泥(こうでい)しない気象の女と知れた。風俗(なりふり)なぞには関(かま)はない人で、是(これ)から汽車に乗るといふのに、其程(それほど)身のまはりを取修(とりつくろ)ふでも無い。男の見て居る前で、僅かに髪を撫(な)で付けて、旅の手荷物もそこ/\に取収(とりまと)めた。あの『懴悔録』の中に斯人(このひと)のことが書いてあつたのを、急に丑松は思出して、兎(と)も角(かく)も普通の良い家庭に育つた人が種族の違ふ先輩に嫁(かたづ)く迄(まで)の其二人の歴史を想像して見た。
 汽車を待つ二三時間は速(すぐ)に経(た)つた。左右(さうかう)するうちに、停車場(ステーション)さして出掛ける時が来た。流石(さすが)弁護士は忙(せは)しい商売柄、一緒に門を出ようと為(す)るところを客に捕つて、立つて時計を見乍らの訴訟話。蓮太郎は細君を連れて一歩(ひとあし)先へ出掛けた。『あゝ何時復た先生に御目に懸れるやら。』斯う独語(ひとりごと)のやうに言つて、丑松も見送り乍ら随いて行つた。せめてもの心尽し、手荷物の鞄(かばん)は提げさせて貰ふ。其様(そん)なことが丑松の身に取つては、嬉敷(うれしく)も、名残惜敷(なごりをしく)も思はれたので。
 初冬の光は町の空に満ちて、三人とも羞明(まぶし)い位であつた。上田の城跡について、人通りのすくない坂道を下りかけた時、丑松は先輩と細君とが斯ういふ談話(はなし)を為るのを聞いた。
『大丈夫だよ、左様(さう)お前のやうに心配しないでも。』と蓮太郎は叱るやうに。
『その大丈夫が大丈夫で無いから困る。』と細君は歩き乍ら嘆息した。『だつて、貴方は少許(ちつと)も身体を関はないんですもの。私が随いて居なければ、どんな無理を成さるか知れないんですもの。それに、斯の山の上の陽気――まあ、私は考へて見たばかりでも怖(おそろ)しい。』
『そりやあ海岸に居るやうな訳にはいかないさ。』と蓮太郎は笑つて、『しかし、今年は暖和(あたゝか)い。信州で斯様(こん)なことは珍しい。斯の位の空気を吸ふのは平気なものだ。御覧な、其証拠には、信州へ来てから風邪一つ引かないぢやないか。』
『でせう。大変に快(よ)く御成(おなん)なすつたでせう。ですから猶々(なほ/\)大切にして下さいと言ふんです。折角(せつかく)快く成りかけて、復(ま)た逆返(ぶりかへ)しでもしたら――』
『ふゝ、左様(さう)大事を取つて居た日にや、事業(しごと)も何も出来やしない。』
『事業? 壮健(たつしや)に成ればいくらでも事業は出来ますわ。あゝ、一緒に東京へ帰つて下されば好いんですのに。』
『解らないねえ。未(ま)だ其様(そん)なことを言つてる。奈何してまあ女といふものは左様(さう)解らないだらう。何程(どれほど)私が市村さんの御世話に成つて居るか、お前だつて其位(それくらゐ)のことは考へさうなものぢやないか。其人の前で、私に帰れなんて――すこし省慮(かんがへ)の有るものなら、彼様(あん)なことの言へた義理ぢや無からう。彼様(あゝ)いふことを言出されると、折角是方(こつち)で思つたことも無に成つて了ふ。それに今度は、すこし自分で研究したいことも有る。今胸に浮んで居る思想(かんがへ)を完成(まと)めて書かうといふには、是非とも自分で斯の山の上を歩いて、田園生活といふものを観察しなくちやならない。それには実にもつて来いといふ機会だ。』と言つて、蓮太郎はすこし気を変へて、『あゝ好い天気だ。全く小春日和(こはるびより)だ。今度の旅行は余程面白からう――まあ、お前も家(うち)へ行つて待つて居て呉れ、信州土産はしつかり持つて帰るから。』
 二人は暫時(しばらく)無言で歩いた。丑松は右の手の鞄を左へ持ち変へて、黙つて後から随いて行つた。やがて高い白壁造りの倉庫のあるところへ出て来た。
『あゝ。』と細君は萎(しを)れ乍ら、『何故(なぜ)私が帰つて下さいなんて言出したか、其訳を未だ貴方に話さないんですから。』
『ホウ、何か訳が有るのかい。』と蓮太郎は聞咎める。
『外(ほか)でも無いんですけれど。』と細君は思出したやうに震へて、『どうもねえ、昨夜の夢見が悪くて――斯う恐しく胸騒ぎがして――一晩中私は眠られませんでしたよ。何だか私は貴方のことが心配でならない。だつて、彼様(あん)な夢を見る筈が無いんですもの。だつて、其夢が普通(たゞ)の夢では無いんですもの。』
『つまらないことを言ふなあ。それで一緒に東京へ帰れと言ふのか。はゝゝゝゝ。』と蓮太郎は快活らしく笑つた。
『左様(さう)貴方のやうに言つたものでも有ませんよ。未来(さき)の事を夢に見るといふ話は克(よ)く有ますよ。どうも私は気に成つて仕様が無い。』
『ちよツ、夢なんぞが宛(あて)に成るものぢや無し――』
『しかし――奇異(きたい)なことが有れば有るものだ。まあ、貴方の死んだ夢を見るなんて。』
『へん、御幣舁(ごへいかつ)ぎめ。』

       (二)

 不思議な問答をするとは思つたが、丑松は其を聞いて、格別気にも懸けなかつた。彼程(あれほど)淡泊(さつぱり)として、快濶(さばけ)た気象の細君で有ながら、左様(そん)なことを気に為(す)るとは。まあ、あの夢といふ奴は児童(こども)の世界のやうなもので、時と場所の差別も無く、実に途方も無いことを眼前(めのまへ)に浮べて見せる。先輩の死――どうして其様(そん)な馬鹿らしいことが細君の夢に入つたものであらう。しかし其を気にするところが女だ。と斯う感じ易い異性の情緒(こゝろ)を考へて、いつそ可笑(をか)しくも思はれた位。『女といふものは、多く彼様(あゝ)したものだ。』と自分で自分に言つて見た時は、思はず彼の迷信深い蓮華寺の奥様を、それからあのお志保を思出すのであつた。
 橋を渡つて、停車場(ステーション)近くへ出た。細君はすこし後に成つた。丑松は左の手に持ち変へた鞄をまた/\右の手に移して、蓮太郎と別離(わかれ)の言葉を交し乍ら歩いた。
『そんなら先生は――』と丑松は名残惜しさうに聞いて見る。『いつ頃まで信州に居らつしやる御積りなんですか。』
『僕ですか。』と蓮太郎は微笑(ほゝゑ)んで答へた。『左様(さう)ですなあ――すくなくとも市村君の選挙が済むまで。実はね、家内も彼様(あゝ)言ひますし、一旦は東京へ帰らうかとも思ひましたよ。ナニ、これが普通の選挙の場合なら、黙つて帰りますサ。どうせ僕なぞが居たところで、大した応援も出来ませんからねえ。まあ市村君の身になつて考へて見ると、先生は先生だけの覚悟があつて、候補者として立つのですから、誰を政敵にするのも其味は一つです。はゝゝゝゝ。しかし、市村君が勝つか、あの高柳利三郎が勝つか、といふことは、僕等の側から考へると、一寸普通の場合とは違ふかとも思はれる――』
 丑松は黙つて随いて行つた。蓮太郎は何か思出したやうに、後から来る細君の方を振返つて見て、やがて復(ま)た歩き初める。
『だつて、君、考へて見て呉れたまへ。あの高柳の行為(やりかた)を考へて見て呉れたまへ。あゝ、いくら吾儕(われ/\)が無智な卑賤(いや)しいものだからと言つて、蹈付(ふみつ)けられるにも程が有る。どうしても彼様(あん)な男に勝たせたくない。何卒(どうか)して市村君のものに為て遣りたい。高柳の話なぞを聞かなければ格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地(いくぢ)が無さ過ぎるからねえ。』
『では、先生は奈何(どう)なさる御積りなんですか。』
『奈何するとは?』
『黙つて帰ることが出来ないと仰(おつしや)ると――』
『ナニ、君、僅かに打撃を加へる迄(まで)のことさ。はゝゝゝゝ。なにしろ先方(さき)には六左衛門といふ金主が附いたのだから、いづれ買収も為るだらうし、壮士的な運動も遣(や)るだらう。そこへ行くと、是方(こつち)は草鞋(わらぢ)一足、舌一枚――おもしろい、おもしろい、敵はたゞ金の力より外に頼りに為るものが無いのだからおもしろい。はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
『しかし、うまく行つて呉れると好いですがなあ――』
『はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
 斯(か)ういふ談話(はなし)をして行くうちに、二人は上田停車場(ステーション)に着いた。
 上野行の上り汽車が是処(こゝ)を通る迄には未だ少許(すこし)間が有つた。多くの旅客は既に斯の待合室に満ち溢(あふ)れて居た。細君も直に一緒になつて、三人して弁護士を待受けた。蓮太郎は巻煙草を取出して、丑松に勧め、自分もまた火を点(つ)けて、其を燻(ふか)し/\何を言出すかと思ふと、『いや、信州といふところは余程面白いところさ。吾儕(われ/\)のやうなものを斯様(こんな)に待遇するところは他の国には無いね。』と言ひさして、丑松の顔を眺(なが)め、細君の顔を眺め、それから旅客(たびびと)の群をも眺め廻し乍ら、『ねえ瀬川君、僕も御承知の通りな人間でせう。他の場合とは違つて選挙ですから、実は僕なぞの出る幕では無いと思つたのです。万一、選挙人の感情を害するやうなことが有つては、反(かへ)つて藪蛇(やぶへび)だ。左様(さう)思ふから、まあ演説は見合せにする考へだつたのです。ところが信州といふところは変つた国柄で、僕のやうなものに是非談話(はなし)をして呉れなんて――はあ、今夜は小諸で、市村君と一緒に演説会へ出ることに。』と言つて、思出したやうに笑つて、『この上田で僕等が談話をした時には七百人から集りました。その聴衆が実に真面目に好く聞いて呉れましたよ。長野に居た新聞記者の言草では無いが、「信州ほど演説の稽古をするに好い処はない、」――全く其通りです。智識の慾に富んで居るのは、斯の山国の人の特色でせうね。これが他の国であつて見たまへ、まあ僕等のやうなものを相手にして呉れる人はありやしません。それが信州へ来れば「先生」ですからねえ。はゝゝゝゝ。』
 細君は苦笑ひをしながら聞いて居た。
 軈て、切符を売出した。人々はぞろ/\動き出した。丁度そこへ弁護士、肥大な体躯(からだ)を動(ゆす)り乍ら、満面に笑(ゑみ)を含んで馳け付けて、挨拶する間も無く蓮太郎夫婦と一緒に埒(らち)の内へと急いだ。丑松も、入場切符を握つて、随いて入つた。
 四番の上りは二十分も後れたので、それを待つ旅客は『プラットホオム』の上に群(むらが)つた。細君は大時計の下に腰掛けて茫然(ばうぜん)と眺め沈んで居る、弁護士は人々の間をあちこちと歩いて居る、丑松は蓮太郎の傍を離れないで、斯うして別れる最後の時までも自分の真情を通じたいが胸中に満ち/\て居た。どうかすると、丑松は自分の日和下駄の歯で、乾いた土の上に何か画(か)き初める。蓮太郎は柱に倚凭(よりかゝ)り乍ら、何の文字とも象徴(しるし)とも解らないやうなものが土の上に画かれるのを眺め入つて居た。
『大分汽車は後れましたね。』
 といふ蓮太郎の言葉に気がついて、丑松は下駄の歯の痕(あと)を掻消して了(しま)つた。すこし離れて斯(こ)の光景(ありさま)を眺めて居た中学生もあつたが、やがて他(わき)を向いて意味も無く笑ふのであつた。
『あ、ちよと、瀬川君、飯山の御住処(おところ)を伺つて置きませう。』斯う蓮太郎は尋ねた。
『飯山は愛宕町(あたごまち)の蓮華寺といふところへ引越しました。』と丑松は答へる。
『蓮華寺?』
『下水内郡飯山町蓮華寺方――それで分ります。』
『むゝ、左様(さう)ですか。それから、是(これ)はまあ是限(これぎ)りの御話ですが――』と蓮太郎は微笑(ほゝゑ)んで、『ひよつとすると、僕も君の方まで出掛けて行くかも知れません。』
『飯山へ?』丑松の目は急に輝いた。
『はあ――尤(もつと)も、佐久小県の地方を廻つて、一旦長野へ引揚げて、それからのことですから、まだ奈何(どう)なるか解りませんがね、若(も)し飯山へ出掛けるやうでしたら是非御訪(おたづ)ねしませう。』
 其時、汽笛の音が起つた。見れば直江津の方角から、長い列車が黒烟(くろけぶり)を揚げて進んで来た。顔も衣服(きもの)も垢染(あかじ)み汚れた駅夫の群は忙しさうに駈けて歩く。やがて駅長もあらはれた。汽車はもう人々の前に停つた。多くの乗客はいづれも窓に倚凭(よりかゝ)つて眺める。細君も、弁護士も、丑松に別離(わかれ)を告げて周章(あわたゞ)しく乗込んだ。
『それぢや、君、失敬します。』
 といふ言葉を残して置いて、蓮太郎も同じ室へ入る、直に駅夫が飛んで来てぴしやんと其戸を閉めて行つた。丑松の側に居た駅長が高く右の手を差上げて、相図の笛を吹鳴らしたかと思ふと、汽車はもう線路を滑り初めた。細君は窓から顔を差出して、もう一度丑松に挨拶したが、たゞさへ悪い其色艶が忘れることの出来ないほど蒼(あを)かつた。見る見る乗客の姿は動揺して、甲から乙へと影のやうに通過ぎる。
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