破戒
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著者名:島崎藤村 

『評判な美しい女でごはすもの。色の白い、背のすらりとした――まあ、彼様(あん)な身分のものには惜しいやうな娘(こ)だつて、克(よ)く他(ひと)が其を言ひやすよ。へえもう二十四五にも成るだらず。若く装(つく)つて、十九か二十位にしか見せやせんがなあ。』
 斯ういふ話をして居る間にも、蓮太郎は何か思ひ当ることがあるといふ風であつた。待つても/\丑松が帰つて来ないので、軈て蓮太郎はすこし其辺(そこいら)を散歩して来るからと、田圃(たんぼ)の方へ山の景色を見に行つた――是非丑松に逢ひたい、といふ言伝(ことづて)を呉々も叔母に残して置いて。

       (二)

『これ、丑松や、猪子といふ御客様(さん)がお前(めへ)を尋ねて来たぞい。』斯(か)う言つて叔母は駈寄つた。
『猪子先生?』丑松の目は喜悦(よろこび)の色で輝いたのである。
『多時(はあるか)待つて居なすつたが、お前が帰らねえもんだで。』と叔母は丑松の様子を眺め乍ら、『今々其処へ出て行きなすつた――ちよツくら、田圃(たんぼ)の方へ行つて見て来るツて。』斯う言つて、気を変へて、『一体彼(あ)の御客様は奈何(どう)いふ方だえ。』
『私の先生でさ。』と丑松は答へた。
『あれ、左様(さう)かつちや。』と叔母は呆れて、『そんならそのやうに、御礼を言ふだつたに。俺はへえ、唯お前の知つてる人かと思つた――だつて、御友達のやうにばかり言ひなさるから。』
 丑松は蓮太郎の跡を追つて、直に田圃の方へ出掛けようとしたが、丁度そこへ叔父も帰つて来たので、暫時(しばらく)上(あが)り端(はな)のところに腰掛けて休んだ。叔父は酷(ひど)く疲れたといふ風、家の内へ入るが早いか、『先づ、よかつた』を幾度と無く繰返した。何もかも今は無事に済んだ。葬式も。礼廻りも。斯ういふ思想(かんがへ)は奈何(どんな)に叔父の心を悦(よろこ)ばせたらう。『ああ――これまでに漕付(こぎつ)ける俺の心配といふものは。』斯う言つて、また思出したやうに安心の溜息を吐くのであつた。『全く、天の助けだぞよ。』と叔父は附加して言つた。
 平和な姫子沢の家の光景(ありさま)と、世の変遷(うつりかはり)も知らずに居る叔父夫婦の昔気質(むかしかたぎ)とは、丑松の心に懐旧の情を催さした。裏庭で鳴き交す鶏の声は、午後の乾燥(はしや)いだ空気に響き渡つて、一層長閑(のどか)な思を与へる。働好な、壮健(たつしや)な、人の好い、しかも子の無い叔母は、いつまでも児童(こども)のやうに丑松を考へて居るので、其児童扱(こどもあつか)ひが又、些少(すくな)からず丑松を笑はせた。『御覧やれ、まあ、あの手付なぞの阿爺(おやぢ)さんに克く似てることは。』と言つて笑つた時は、思はず叔母も涙が出た。叔父も一緒に成つて笑つた。其時叔母が汲んで呉れた渋茶の味の甘かつたことは。款待振(もてなしぶり)の田舎饅頭(ゐなかまんぢゆう)、その黒砂糖の餡(あん)の食ひ慣れたのも、可懐(なつか)しい少年時代を思出させる。故郷に帰つたといふ心地(こゝろもち)は、何よりも深く斯ういふ場合に、丑松の胸を衝(つ)いて湧上(わきあが)るのであつた。
『どれ、それでは行つて見て来ます。』
 と言つて家を出る。叔父も直ぐに随いて出た。何か用事ありげに呼留めたので、丑松は行かうとして振返つて見ると、霜葉(しもば)の落ちた柿の樹の下のところで、叔父は声を低くして
『他事(ほか)ぢやねえが、猪子で俺は思出した。以前(もと)師範校の先生で猪子といふ人が有つた。今日の御客様は彼人(あのひと)とは違ふか。』
『それですよ、その猪子先生ですよ。』と丑松は叔父の顔を眺め乍ら答へる。
『むゝ、左様(さう)かい、彼人かい。』と叔父は周囲(あたり)を眺め廻して、やがて一寸親指を出して見せて、『彼人は是(これ)だつて言ふぢやねえか――気を注(つ)けろよ。』
『はゝゝゝゝ。』と丑松は快活らしく笑つて、『叔父さん、其様(そん)なことは大丈夫です。』
 斯う言つて急いだ。

       (三)

『大丈夫です』とは言つたものゝ、其実丑松は蓮太郎だけに話す気で居る。先輩と自分と、唯二人――二度とは無い、斯(か)ういふ好い機会は。と其を考へると、丑松の胸はもう烈しく踊るのであつた。
 枯々とした草土手のところで、丑松は蓮太郎と一緒に成つた。聞いて見ると、先輩は細君を上田に残して置いて、其日の朝根津村へ入つたとのこと。連(つれ)は市村弁護士一人。尤(もつと)も弁護士は有権者を訪問する為に忙(せは)しいので、旅舎(やどや)で別れて、蓮太郎ばかり斯の姫子沢へ丑松を尋ねにやつて来た。都合あつて演説会は催さない。随つて斯の村で弁護士の政論を聞くことは出来ないが、そのかはり蓮太郎は丑松とゆつくり話せる。まあ、斯ういふ信濃の山の上で、温暖(あたゝか)な小春の半日を語り暮したいとのことである。
 其日のやうな楽しい経験――恐らく斯の心地(こゝろもち)は、丑松の身にとつて、さう幾度もあらうとは思はれなかつた程。日頃敬慕する先輩の傍に居て、其人の声を聞き、其人の笑顔を見、其人と一緒に自分も亦た同じ故郷の空気を呼吸するとは。丑松は唯話すばかりが愉快では無かつた。沈黙(だま)つて居る間にも亦た言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。まして、蓮太郎は――書いたものゝ上に表れたより、話して見ると又別のおもしろみの有る人で、容貌(かほつき)は厳(やかま)しいやうでも、存外情の篤(あつ)い、優しい、言はゞ極く平民的な気象を持つて居る。左様(さう)いふ風だから、後進の丑松に対しても城郭(へだて)を構へない。放肆(ほしいまゝ)に笑つたり、嘆息したりして、日あたりの好い草土手のところへ足を投出し乍ら、自分の病気の話なぞを為た。一度車に乗せられて、病院へ運ばれた時は、堪へがたい虚咳(からぜき)の後で、刻むやうにして喀血(かくけつ)したことを話した。今は胸も痛まず、其程の病苦も感ぜず、身体の上のことは忘れる位に元気づいて居る――しかし彼様(あゝ)いふ喀血が幾回もあれば、其時こそ最早(もう)駄目だといふことを話した。
 斯ういふ風に親しく言葉を交へて居る間にも、とは言へ、全く丑松は自分を忘れることが出来なかつた。『何時(いつ)例のことを切出さう。』その煩悶(はんもん)が胸の中を往つたり来たりして、一時(いつとき)も心を静息(やす)ませない。『あゝ、伝染(うつ)りはすまいか。』どうかすると其様(そん)なことを考へて、先輩の病気を恐しく思ふことも有る。幾度か丑松は自分で自分を嘲(あざけ)つた。
 千曲川(ちくまがは)沿岸の民情、風俗、武士道と仏教とがところ/″\に遺した中世の古蹟、信越線の鉄道に伴ふ山上の都会の盛衰、昔の北国街道の栄花(えいぐわ)、今の死駅の零落――およそ信濃路のさま/″\、それらのことは今二人の談話(はなし)に上つた。眼前(めのまへ)には蓼科(たてしな)、八つが嶽、保福寺(ほふくじ)、又は御射山(みさやま)、和田、大門などの山々が連つて、其山腹に横はる大傾斜の眺望は西東(にしひがし)に展(ひら)けて居た。青白く光る谷底に、遠く流れて行くは千曲川の水。丑松は少年の時代から感化を享(う)けた自然のこと、土地の案内にも委(くは)しいところからして、一々指差して語り聞かせる。蓮太郎は其話に耳を傾けて、熱心に眺め入つた。対岸に見える八重原の高原、そこに人家の煙の立ち登る光景(さま)は、殊に蓮太郎の注意を引いたやうであつた。丑松は又、谷底の平地に日のあたつたところを指差して見せて、水に添ふて散布するは、依田窪(よだくぼ)、長瀬、丸子(まりこ)などの村落であるといふことを話した。濃く青い空気に包まれて居る谷の蔭は、霊泉寺、田沢、別所などの温泉の湧くところ、農夫が群れ集る山の上の歓楽の地、よく蕎麦(そば)の花の咲く頃には斯辺(このへん)からも労苦を忘れる為に出掛けるものがあるといふことを話した。
 蓮太郎に言はせると、彼も一度は斯ういふ山の風景に無感覚な時代があつた。信州の景色は『パノラマ』として見るべきで、大自然が描いた多くの絵画の中では恐らく平凡といふ側に貶(おと)される程のものであらう――成程(なるほど)、大きくはある。然し深い風趣(おもむき)に乏しい――起きたり伏たりして居る波濤(なみ)のやうな山々は、不安と混雑とより外に何の感想(かんじ)をも与へない――それに対(むか)へば唯心が掻乱(かきみだ)されるばかりである。斯う蓮太郎は考へた時代もあつた。不思議にも斯の思想(かんがへ)は今度の旅行で破壊(ぶちこは)されて了(しま)つて、始めて山といふものを見る目が開(あ)いた。新しい自然は別に彼の眼前(めのまへ)に展けて来た。蒸(む)し煙(けぶ)る傾斜の気息(いき)、遠く深く潜む谷の声、活きもし枯れもする杜(もり)の呼吸、其間にはまた暗影と光と熱とを帯びた雲の群の出没するのも目に注(つ)いて、『平野は自然の静息、山嶽は自然の活動』といふ言葉の意味も今更のやうに思ひあたる。一概に平凡と擯斥(しりぞ)けた信州の風景は、『山気』を通して反(かへ)つて深く面白く眺められるやうになつた。
 斯ういふ蓮太郎の観察は、山を愛する丑松の心を悦(よろこ)ばせた。其日は西の空が開けて、飛騨(ひだ)の山脈を望むことも出来たのである。見れば斯の大谿谷のかなたに当つて、畳み重なる山と山との上に、更に遠く連なる一列の白壁。今年の雪も早や幾度か降り添ふたのであらう。その山々は午後の日をうけて、青空に映り輝いて、殆んど人の気魄(たましひ)を奪ふばかりの勢であつた。活々(いき/\)とした力のある山塊の輪郭と、深い鉛紫(えんし)の色を帯びた谷々の影とは、一層その眺望に崇高な趣を添へる。針木嶺、白馬嶽、焼嶽、鎗が嶽、または乗鞍嶽(のりくらがたけ)、蝶が嶽、其他多くの山獄の峻(けは)しく競(きそ)ひ立つのは其処だ。梓川、大白川なぞの源を発するのは其処だ。雷鳥の寂しく飛びかふといふのは其処だ。氷河の跡の見られるといふのは其処だ。千古人跡の到らないといふのは其処だ。あゝ、無言にして聳(そび)え立つ飛騨の山脈の姿、長久(とこしへ)に荘厳(おごそか)な自然の殿堂――見れば見る程、蓮太郎も、丑松も、高い気象を感ぜずには居られなかつたのである。殊に其日の空気はすこし黄に濁つて、十一月上旬の光に交つて、斯の広濶(ひろ)い谿谷(たにあひ)を盛んに煙(けぶ)るやうに見せた。長い間、二人は眺め入つた。眺め入り乍ら、互に山のことを語り合つた。

       (四)

 噫(あゝ)。幾度丑松は蓮太郎に自分の素性を話さうと思つたらう。昨夜なぞは遅くまで洋燈(ランプ)の下で其事を考へて、もし先輩と二人ぎりに成るやうな場合があつたなら、彼様(あゝ)言はうか、此様(かう)言はうかと、さま/″\の想像に耽(ふけ)つたのであつた。蓮太郎は今、丑松の傍に居る。さて逢(あ)つて見ると、言出しかねるもので、風景なぞのことばかり話して、肝心の思ふことは未(ま)だ話さなかつた。丑松は既に種々(いろ/\)なことを話して居乍ら、未だ何(なんに)も蓮太郎に話さないやうな気がした。
 夕飯の用意を命じて置いて来たからと、蓮太郎に誘はれて、丑松は一緒に根津の旅舎(やどや)の方へ出掛けて行つた。道々丑松は話しかけて、正直なところを言はう/\として見た。それを言つたら、自分の真情が深く先輩の心に通ずるであらう、自分は一層(もつと)先輩に親むことが出来るであらう、斯う考へて、其を言はうとして、言ひ得ないで、時々立止つては溜息を吐くのであつた。秘密――生死(いきしに)にも関はる真実(ほんたう)の秘密――仮令(たとひ)先方(さき)が同じ素性であるとは言ひ乍ら、奈何(どう)して左様(さう)容易(たやす)く告白(うちあ)けることが出来よう。言はうとしては躊躇(ちうちよ)した。躊躇しては自分で自分を責めた。丑松は心の内部(なか)で、懼(おそ)れたり、迷つたり、悶えたりしたのである。
 軈(やが)て二人は根津の西町の町はづれへ出た。石地蔵の佇立(たゝず)むあたりは、向町(むかひまち)――所謂(いはゆる)穢多町で、草葺(くさぶき)の屋造(やね)が日あたりの好い傾斜に添ふて不規則に並んで居る。中にも人目を引く城のやうな一郭(ひとかまへ)、白壁高く日に輝くは、例の六左衛門の住家(すみか)と知れた。農業と麻裏製造(あさうらづくり)とは、斯(こ)の部落に住む人々の職業で、彼の小諸の穢多町のやうに、靴、三味線、太鼓、其他獣皮に関したものの製造、または斃馬(へいば)の売買なぞに従事して居るやうな手合は一人も無い。麻裏はどの穢多の家(うち)でも作るので、『中抜き』と言つて、草履の表に用(つか)ふ美しい藁がところ/″\の垣根の傍に乾してあつた。丑松は其を見ると、瀬川の家の昔を思出した。小諸時代を思出した。亡くなつた母も、今の叔母も、克(よ)く其の『中抜き』を編んで居たことを思出した。自分も亦(ま)た少年の頃には、戸隠から来る『かはそ』(草履裏の麻)なぞを玩具(おもちや)にして、父の傍で麻裏造る真似をして遊んだことを思出した。
 六左衛門のことは、其時、二人の噂(うはさ)に上つた。蓮太郎はしきりに彼の穢多の性質や行為(おこなひ)やらを問ひ尋ねる。聞かれた丑松とても委敷(くはしく)は無いが、知つて居る丈(だけ)を話したのは斯うであつた。六左衛門の富は彼が一代に作つたもの。今日のやうな俄分限者(にはかぶげんしや)と成つたに就いては、甚(はなは)だ悪しざまに罵るものがある。慾深い上に、虚栄心の強い男で、金の力で成ることなら奈何(どん)な事でもして、何卒(どうか)して『紳士』の尊称を得たいと思つて居る程。恐らく上流社会の華(はな)やかな交際は、彼が見て居る毎日の夢であらう。孔雀の真似を為(す)る鴉(からす)の六左衛門が東京に別荘を置くのも其為である。赤十字社の特別社員に成つたのも其為である。慈善事業に賛成するのも其為である。書画骨董(こつとう)で身の辺(まはり)を飾るのも亦た其為である。彼程(あれほど)学問が無くて、彼程蔵書の多いものも鮮少(すくな)からう、とは斯界隈(このかいわい)での一つ話に成つて居る。
 斯ういふことを語り乍ら歩いて行くうちに、二人は六左衛門の家の前へ出て来た。丁度午後の日を真面(まとも)にうけて、宏壮(おほき)な白壁は燃える火のやうに見える。建物幾棟(いくむね)かあつて、長い塀(へい)は其周囲(まはり)を厳(いかめ)しく取繞(とりかこ)んだ。新平民の子らしいのが、七つ八つを頭(かしら)にして、何か『めんこ』の遊びでもして、其塀の外に群り集つて居た。中には頬の紅(あか)い、眼付の愛らしい子もあつて、普通の家の小供と些少(すこし)も相違の無いのがある。中には又、卑しい、愚鈍(おろか)しい、どう見ても日蔭者の子らしいのがある。是れを眺めても、穢多の部落が幾通りかの階級に別れて居ることは知れた。親らしい男は馬を牽(ひ)いて、其小供の群に声を掛けて通り、姉らしい若い女は細帯を巻付けた儘(まゝ)で、いそ/\と二人の側を影のやうに擦抜(すりぬ)けた。斯うして無智と零落とを知らずに居る穢多町の空気を呼吸するといふことは、可傷(いたま)しいとも、恥かしいとも、腹立たしいとも、名のつけやうの無い思をさせる。『吾儕(われ/\)を誰だと思ふ。』と丑松は心に憐んで、一時(いつとき)も早く是処を通過ぎて了(しま)ひたいと考へた。
『先生――行かうぢや有ませんか。』
 と丑松はそこに佇立(たゝず)み眺(なが)めて居る蓮太郎を誘ふやうにした。
『見たまへ、まあ、斯の六左衛門の家(うち)を。』と蓮太郎は振返つて、『何処(どこ)から何処まで主人公の性質を好く表してるぢや無いか。つい二三日前、是の家に婚礼が有つたといふ話だが、君は其様(そん)な噂(うはさ)を聞かなかつたかね。』
『婚礼?』と丑松は聞咎(きゝとが)める。
『その婚礼が一通りの婚礼ぢや無い――多分彼様(あゝ)いふのが政治的結婚とでも言ふんだらう。はゝゝゝゝ。政事家の為(す)ることは違つたものさね。』
『先生の仰(おつしや)ることは私に能(よ)く解りません。』
『花嫁は君、斯の家の娘さ。御聟(おむこ)さんは又、代議士の候補者だから面白いぢやないか――』
『ホウ、代議士の候補者? まさか彼の一緒に汽車に乗つて来た男ぢや有ますまい。』
『それさ、その紳士さ。』
『へえ――』と丑松は眼を円くして、『左様(さう)ですかねえ――意外なことが有れば有るものですねえ――』
『全く、僕も意外さ。』といふ蓮太郎の顔は輝いて居たのである。
『しかし何処で先生は其様(そん)なことを御聞きでしたか。』
『まあ、君、宿屋へ行つて話さう。』


   第九章

       (一)

 一軒、根津の塚窪(つかくぼ)といふところに、未(ま)だ会葬の礼に泄(も)れた家が有つて、丁度序(ついで)だからと、丑松は途中で蓮太郎と別れた。蓮太郎は旅舎(やどや)へ。直に後から行く約束して、丑松は畠中の裏道を辿(たど)つた。塚窪の坂の下まで行くと、とある農家の前に一人の飴屋(あめや)、面白可笑(をか)しく唐人笛(たうじんぶえ)を吹立てゝ、幼稚(をさな)い客を呼集めて居る。御得意と見えて、声を揚げて飛んで来る男女(をとこをんな)の少年もあつた――彼処(あすこ)からも、是処(こゝ)からも。あゝ、少年の空想を誘ふやうな飴屋の笛の調子は、どんなに頑是(ぐわんぜ)ないものゝ耳を楽ませるであらう。いや、買ひに集る子供ばかりでは無い、丑松ですら思はず立止つて聞いた。妙な癖で、其笛を聞く度に、丑松は自分の少年時代を思出さずに居られないのである。
 何を隠さう――丑松が今指して行く塚窪の家には、幼馴染(をさななじみ)が嫁(かたづ)いて居る。お妻といふのが其女の名である。お妻の生家(さと)は姫子沢に在つて、林檎畠一つ隔(へだ)てゝ、丑松の家の隣に住んだ。丑松がお妻と遊んだのは、九歳(こゝのつ)に成る頃で、まだ瀬川の一家族が移住して来て間も無い当時のことであつた。もと/\お妻の父といふは、上田の在から養子に来た男、根が苦労人ではあり、他所者(よそもの)でもあり、するところからして、自然(おのづ)と瀬川の家にも後見(うしろみ)と成つて呉れた。それに、丑松を贔顧(ひいき)にして、伊勢詣(いせまうで)に出掛けた帰途(かへりみち)なぞには、必ず何か買つて来て呉れるといふ風であつた。斯ういふ隣同志の家の子供が、互ひに遊友達と成つたは不思議でも何でも無い。のみならず、二人は丁度同い年であつたのである。
 楽しい追憶(おもひで)の情は、唐人笛の音を聞くと同時に、丑松の胸の中に湧上(わきあが)つて来た。朦朧(おぼろげ)ながら丑松は幼いお妻の俤(おもかげ)を忘れずに居る。はじめて自分の眼に映つた少女(をとめ)の愛らしさを忘れずに居る。あの林檎畠が花ざかりの頃は、其枝の低く垂下つたところを彷徨(さまよ)つて、互ひに無邪気な初恋の私語(さゝやき)を取交したことを忘れずに居る。僅かに九歳(こゝのつ)の昔、まだ夢のやうなお伽話(とぎばなし)の時代――他のことは多く記憶にも残らない程であるが、彼の無垢(むく)な情緒(こゝろもち)ばかりは忘れずに居る。尤(もつと)も、幼い二人の交際(まじはり)は長く続かなかつた。不図(ふと)丑松はお妻の兄と親しくするやうに成つて、それぎり最早(もう)お妻とは遊ばなかつた。
 お妻が斯(こ)の塚窪へ嫁(かたづ)いて来たは、十六の春のこと。夫といふのも丑松が小学校時代の友達で、年齢(とし)は三人同じであつた。田舎(ゐなか)の習慣(ならはし)とは言ひ乍ら、殊(こと)に彼の夫婦は早く結婚した。まだ丑松が師範校の窓の下で歴史や語学の研究に余念も無い頃に、もう彼の若い夫婦は幼いものに絡(まと)ひ付かれ、朝に晩に『父さん、母さん』と呼ばれて居たのであつた。
 斯(か)ういふ過去の歴史を繰返したり、胸を踊らせたりして、丑松は坂を上つて行つた。山の方から溢(あふ)れて来る根津川の支流は、清く、浅く、家々の前を奔(はし)り流れて居る。路傍(みちばた)の栗の梢(こずゑ)なぞ、早や、枯れ/″\。柿も一葉を留めない程。水草ばかりは未だ青々として、根を浸すありさまも心地よく見られる。冬籠(ふゆごもり)の用意に多忙(いそが)しい頃で、人々はいづれも流のところに集つて居た。余念も無く蕪菜(かぶな)を洗ふ女の群の中に、手拭に日を避(よ)け、白い手をあらはし、甲斐々々(かひ/″\)しく働く襷掛(たすきが)けの一人――声を掛けて見ると、それがお妻で、丑松は斯の幼馴染の様子の変つたのに驚いて了(しま)つた。お妻も亦た驚いたやうであつた。
 其日はお妻の夫も舅(しうと)も留守で、家に居るのは唯姑(しうとめ)ばかり。五人も子供が有ると聞いたが、年嵩(としかさ)なのが見えないは、大方遊びにでも行つたものであらう。五歳(いつゝ)ばかりを頭(かしら)に、三人の女の児は母親に倚添(よりそ)つて、恥かしがつて碌(ろく)に御辞儀(おじぎ)も為なかつた。珍しさうに客の顔を眺めるもあり、母親の蔭に隠れるもあり、漸(やうや)く歩むばかりの末の児は、見慣(みな)れぬ丑松を怖れたものか、軈(やが)てしく/\やり出すのであつた。是光景(ありさま)に、姑も笑へば、お妻も笑つて、『まあ、可笑(をか)しな児だよ、斯の児は。』と乳房を出して見せる。それを咬(くは)へて、泣吃逆(なきじやつくり)をし乍(なが)ら、密(そつ)と丑松の方を振向いて見て居る児童(こども)の様子も愛らしかつた。
 話好きな姑は一人で喋舌(しやべ)つた。お妻は茶を入れて丑松を款待(もてな)して居たが、流石(さすが)に思出したことも有ると見えて、
『そいつても、まあ、丑松さんの大きく御成(おなん)なすつたこと。』
 と言つて、客の顔を眺(なが)めた時は、思はず紅(あか)くなつた。
 会葬の礼を述べた後、丑松はそこ/\にして斯の家を出た。姑と一緒に、お妻も亦(ま)た門口に出て、客の後姿を見送るといふ様子。今更のやうに丑松は自他(われひと)の変遷(うつりかはり)を考へて、塚窪の坂を上つて行つた。彼の世帯染みた、心の好ささうな、何処(どこ)やら床(ゆか)しいところのあるお妻は――まあ、忘れずに居る其俤に比べて見ると、全く別の人のやうな心地(こゝろもち)もする。自分と同い年で、しかも五人子持――あれが幼馴染(をさななじみ)のお妻であつたかしらん、と時々立止つて嘆息した。
 斯ういふ追懐(おもひで)の情は、とは言へ、深く丑松の心を傷けた。平素(しよつちゆう)もう疑惧(うたがひ)の念を抱いて苦痛(くるしみ)の為に刺激(こづ)き廻されて居る自分の今に思ひ比べると、あの少年の昔の楽しかつたことは。噫、何にも自分のことを知らないで、愛らしい少女(をとめ)と一緒に林檎畠を彷徨(さまよ)つたやうな、楽しい時代は往(い)つて了(しま)つた。もう一度丑松は左様(さう)いふ時代の心地(こゝろもち)に帰りたいと思つた。もう一度丑松は自分が穢多であるといふことを忘れて見たいと思つた。もう一度丑松は彼の少年の昔と同じやうに、自由に、現世(このよ)の歓楽(たのしみ)の香を嗅いで見たいと思つた。斯う考へると、切ない慾望(のぞみ)は胸を衝(つ)いて春の潮のやうに湧き上る。穢多としての悲しい絶望、愛といふ楽しい思想(かんがへ)、そんなこんなが一緒に交つて、若い生命(いのち)を一層(ひとしほ)美しくして見せた。終(しまひ)には、あの蓮華寺のお志保のことまでも思ひやつた。活々とした情の為に燃え乍ら、丑松は蓮太郎の旅舎(やどや)を指して急いだのである。

       (二)

 御泊宿、吉田屋、と軒行燈(のきあんどん)に記してあるは、流石(さすが)に古い街道の名残(なごり)。諸国商人の往来もすくなく、昔の宿はいづれも農家となつて、今はこの根津村に二三軒しか旅籠屋(はたごや)らしいものが残つて居ない。吉田屋は其一つ、兎角(とかく)商売も休み勝ち、客間で秋蚕(しうこ)飼ふ程の時世と変りはてた。とは言ひ乍ら、寂(さび)れた中にも風情(ふぜい)のあるは田舎(ゐなか)の古い旅舎(やどや)で、門口に豆を乾並べ、庭では鶏も鳴き、水を舁(かつ)いで風呂場へ通ふ男の腰付もをかしいもの。炉(ろ)で焚(た)く『ぼや』の火は盛んに燃え上つて、無邪気な笑声が其周囲(まはり)に起るのであつた。
『左様(さう)だ――例のことを話さう。』
 と丑松は自分で自分に言つた。吉田屋の門口へ入つた時は、其思想(かんがへ)が復(ま)た胸の中を往来したのである。
 案内されて奥の方の座敷へ通ると、蓮太郎一人で、弁護士は未だ帰らなかつた。額、唐紙、すべて昔の風を残して、古びた室内の光景(さま)とは言ひ乍ら、談話(はなし)を為(す)るには至極静かで好かつた。火鉢に炭を加へ、其側に座蒲団を敷いて、相対(さしむかひ)に成つた時の心地(こゝろもち)は珍敷(めづらし)くもあり、嬉敷(うれし)くもあり、蓮太郎が手づから入れて呉れる茶の味は又格別に思はれたのである。其時丑松は日頃愛読する先輩の著述を数へて、始めて手にしたのが彼(あ)の大作、『現代の思潮と下層社会』であつたことを話した。『貧しきものゝなぐさめ』、『労働』、『平凡なる人』、とり/″\に面白く味(あぢは)つたことを話した。丑松は又、『懴悔録』の広告を見つけた時の喜悦(よろこび)から、飯山の雑誌屋で一冊を買取つて、其を抱いて内容(なかみ)を想像し乍ら下宿へ帰つた時の心地(こゝろもち)、読み耽つて心に深い感動を受けたこと、社会(よのなか)といふものゝ威力(ちから)を知つたこと、さては其著述に顕(あら)はれた思想(かんがへ)の新しく思はれたことなぞを話した。
 蓮太郎の喜悦(よろこび)は一通りで無かつた。軈て風呂が湧いたといふ案内をうけて、二人して一緒に入りに行つた時も、蓮太郎は其を胸に浮べて、かねて知己とは思つて居たが、斯(か)う迄自分の書いたものを読んで呉れるとは思はなかつたと、丑松の熱心を頼母(たのも)しく考へて居たらしいのである。病が病だから、蓮太郎の方では遠慮する気味で、其様(そん)なことで迷惑を掛けたく無い、と健康(たつしや)なものゝ知らない心配は絶えず様子に表はれる。斯うなると丑松の方では反(かへ)つて気の毒になつて、病の為に先輩を恐れるといふ心は何処へか行つて了つた。話せば話すほど、哀憐(あはれみ)は恐怖(おそれ)に変つたのである。
 風呂場の窓の外には、石を越して流下る水の声もおもしろく聞えた。透(す)き澄(とほ)るばかりの沸(わか)し湯(ゆ)に身体を浸し温めて、しばらく清流の響に耳を嬲(なぶ)らせる其楽しさ。夕暮近い日の光は窓からさし入つて、蒸(む)し烟(けぶ)る風呂場の内を朦朧(もうろう)として見せた。一ぱい浴びて流しのところへ出た蓮太郎は、湯気に包まれて燃えるかのやう。丑松も紅(あか)くなつて、顔を伝ふ汗の熱さに暫時(しばらく)世の煩(わづら)ひを忘れた。
『先生、一つ流しませう。』と丑松は小桶(こをけ)を擁(かゝ)へて蓮太郎の背後(うしろ)へ廻る。
『え、流して下さる?』と蓮太郎は嬉しさうに、『ぢやあ、願ひませうか。まあ君、ざつと遣つて呉れたまへ。』
 斯うして丑松は、日頃慕つて居る其人に近いて、奈何(どう)いふ風に考へ、奈何いふ風に言ひ、奈何いふ風に行ふかと、すこしでも蓮太郎の平生を見るのが楽しいといふ様子であつた。急に二人は親密(したしみ)を増したやうな心地(こゝろもち)もしたのである。
『さあ、今度は僕の番だ。』
 と蓮太郎は湯を汲出(かいだ)して言つた。幾度か丑松は辞退して見た。
『いえ、私は沢山です。昨日入つたばかりですから。』と復(ま)た辞退した。
『昨日は昨日、今日は今日さ。』と蓮太郎は笑つて、『まあ、左様(さう)遠慮しないで、僕にも一つ流させて呉れたまへ。』
『恐れ入りましたなあ。』
『どうです、瀬川君、僕の三助もなか/\巧いものでせう――はゝゝゝゝ。』と戯れて、やがて蓮太郎はそこに在る石鹸(シャボン)を溶いて丑松の背中へつけて遣り乍ら、『僕がまだ長野に居る時分、丁度修学旅行が有つて、生徒と一緒に上州の方へ出掛けたことが有りましたツけ。まだ覚えて居るが、彼(あ)の時の投票は、僕がそれ大食家さ。しかし大食家と言はれる位に、彼の頃は壮健(たつしや)でしたよ。それからの僕の生涯は、実に種々(いろ/\)なことが有ましたねえ。克(よ)くまあ僕のやうな人間が斯うして今日迄生きながらへて来たやうなものさ。』
『先生、もう沢山です。』
『何だねえ、今始めたばかりぢや無いか。まだ、君、垢が些少(ちつと)も落ちやしない。』
 と蓮太郎は丁寧に丑松の背中を洗つて、終(しまひ)に小桶の中の温い湯を掛けてやつた。遣ひ捨ての湯水は石鹸の泡に交つて、白くゆるく板敷の上を流れて行つた。
『君だから斯様(こん)なことを御話するんだが、』と蓮太郎は思出したやうに、『僕は仲間のことを考へる度に、実に情ないといふ心地(こゝろもち)を起さずには居られない。御恥しい話だが、思想の世界といふものは、未だ僕等の仲間には開けて居ないのだね。僕があの師範校を出た頃には、それを考へて、随分暗い月日を送つたことも有ましたよ。病気になつたのも、実は其結果さ。しかし病気の為に、反(かへ)つて僕は救はれた。それから君、考へてばかり居ないで、働くといふ気になつた。ホラ、君の読んで下すつたといふ「現代の思潮と下層社会」――あれを書く頃なぞは、健康(たつしや)だといふ日は一日も無い位だつた。まあ、後日新平民のなかに面白い人物でも生れて来て、あゝ猪子といふ男は斯様(こん)なものを書いたかと、見て呉れるやうな時が有つたら、それでもう僕なぞは満足するんだねえ。むゝ、その踏台さ――それが僕の生涯(しやうがい)でもあり、又希望(のぞみ)でもあるのだから。』

       (三)

 言はう/\と思ひ乍ら、何か斯(か)う引止められるやうな気がして、丑松は言はずに風呂を出た。まだ弁護士は帰らなかつた。夕飯の用意にと、蓮太郎が宿へ命じて置いたは千曲川の鮠(はや)、それは上田から来る途中で買取つたとやらで、魚田楽(ぎよでん)にこしらへさせて、一緒に初冬の河魚の味を試みたいとのこと。仕度するところと見え、摺鉢(すりばち)を鳴らす音は台所の方から聞える。炉辺(ろばた)で鮠の焼ける香は、ぢり/\落ちて燃える魚膏(あぶら)の煙に交つて、斯の座敷までも甘(うま)さうに通つて来た。
 蓮太郎は鞄(かばん)の中から持薬を取出した。殊に湯上りの顔色は病気のやうにも見えなかつた。嗅ぐともなしに『ケレオソオト』のにほひを嗅いで見て、軈(やが)て高柳のことを言出す。
『して見ると、瀬川君はあの男と一緒に飯山を御出掛でしたね。』
『どうも不思議だとは思ひましたよ。』と丑松は笑つて、『妙に是方(こちら)を避(よ)けるといふやうな風でしたから。』
『そこがそれ、心に疚(やま)しいところの有る証拠さ。』
『今考へても、彼の外套(ぐわいたう)で身体を包んで、隠れて行くやうな有様が、目に見えるやうです。』
『はゝゝゝゝ。だから、君、悪いことは出来ないものさ。』
 と言つて、それから蓮太郎は聞いて来た一伍一什(いちぶしじゆう)を丑松に話した。高柳が秘密に六左衛門の娘を貰つたといふ事実は、妙なところから出たとのこと。すこし調べることがあつて、信州で一番古い秋葉村の穢多町(上田の在にある)、彼処へ蓮太郎が尋ねて行くと、あの六左衛門の親戚で加(しか)も讐敵(かたき)のやうに仲の悪いとかいふ男から斯の話が泄(も)れたとのこと。蓮太郎が弁護士と一緒に、今朝この根津村へ入つた時は、折も折、丁度高柳夫婦が新婚旅行にでも出掛けようとするところ。無論先方(さき)では知るまいが、確に是方(こちら)では後姿を見届けたとのことであつた。
『実に驚くぢやないか。』と蓮太郎は嘆息した。『瀬川君、君はまあ奈何(どう)思ふね、彼の男の心地(こゝろもち)を。これから君が飯山へ帰つて見たまへ――必定(きつと)あの男は平気な顔して結婚の披露を為るだらうから――何処(どこ)か遠方の豪家からでも細君を迎へたやうに細工(こしら)へるから――そりやあもう新平民の娘だとは言ふもんぢやないから。』
 斯ういふ話を始めたところへ、下女が膳を持運んで来た。皿の上の鮠(はや)は焼きたての香を放つて、空腹(すきばら)で居る二人の鼻を打つ。銀色の背、樺(かば)と白との腹、その鮮(あたら)しい魚が茶色に焼け焦げて、ところまんだら味噌の能(よ)く付かないのも有つた。いづれも肥え膏(あぶら)づいて、竹の串に突きさゝれてある。流石(さすが)に嗅ぎつけて来たと見え、一匹の小猫、下女の背後(うしろ)に様子を窺(うかゞ)ふのも可笑(をか)しかつた。御給仕には及ばないを言はれて、下女は小猫を連れて出て行く。
『さあ、先生、つけませう。』と丑松は飯櫃(めしびつ)を引取つて、気(いき)の出るやつを盛り始めた。
『どうも済(す)みません。各自(めい/\)勝手にやることにしようぢや有ませんか。まあ、斯(か)うして膳に向つて見ると、あの師範校の食堂を思出さずには居られないねえ。』
 と笑つて、蓮太郎は話し/\食つた。丑松も骨離(ほねばなれ)の好い鮠(はや)の肉を取つて、香ばしく焼けた味噌の香を嗅ぎ乍ら話した。
『あゝ。』と蓮太郎は箸持つ手を膝の上に載せて、『どうも当世紳士の豪(えら)いには驚いて了(しま)ふ――金といふものゝ為なら、奈何(どん)なことでも忍ぶのだから。瀬川君、まあ、聞いて呉れたまへ。彼の通り高柳が体裁を飾つて居ても、実は非常に内輪の苦しいといふことは、僕も聞いて居た。借財に借財を重ね、高利貸には責められる、世間への不義理は嵩(かさ)む、到底今年選挙を争ふ見込なぞは立つまいといふことは、聞いて居た。しかし君、いくら窮境に陥つたからと言つて、金を目的(めあて)に結婚する気に成るなんて――あんまり根性が見え透(す)いて浅猿(あさま)しいぢやないか。あるひは、彼男に言はせたら、六左衛門だつて立派な公民だ、其娘を貰ふのに何の不思議が有る、親子の間柄で選挙の時なぞに助けて貰ふのは至当(あたりまへ)ぢやないか――斯う言ふかも知れない。それならそれで可(いゝ)さ。階級を打破して迄(まで)も、気に入つた女を貰ふ位の心意気が有るなら、又面白い。何故そんなら、狐鼠々々(こそ/\)と祝言(しうげん)なぞを為るんだらう。何故そんなら、隠れてやつて来て、また隠れて行くやうな、男らしくない真似を為るんだらう。苟(いやし)くも君、堂々たる代議士の候補者だ。天下の政治を料理するなどと長広舌を振ひ乍ら、其人の生涯を見れば奈何(どう)だらう。誰やらの言草では無いが、全然(まるで)紳士の面を冠つた小人の遣方だ――情ないぢやないか。成程(なるほど)世間には、金に成ることなら何でもやる、買手が有るなら自分の一生でも売る、斯(か)ういふ量見の人はいくらも有るさ。しかし、彼男のは、売つて置いて知らん顔をして居よう、といふのだから酷(はなはだ)しい。まあ、君、僕等の側に立つて考へて見て呉れたまへ――是程(これほど)新平民といふものを侮辱した話は無からう。』
 暫時(しばらく)二人は言葉を交さないで食つた。軈てまた蓮太郎は感慨に堪へないと言ふ風で、病気のことなぞはもう忘れて居るかのやうに、
『彼男(あのをとこ)も彼男なら、六左衛門も六左衛門だ。そんなところへ娘を呉れたところで何が面白からう。是(これ)から東京へでも出掛けた時に、自分の聟は政事家だと言つて、吹聴する積りなんだらうが、あまり寝覚の好い話でも無からう。虚栄心にも程が有るさ。ちつたあ娘のことも考へさうなものだがなあ。』
 斯う言つて蓮太郎は考深い目付をして、孤(ひと)り思に沈むといふ様子であつた。
 聞いて見れば聞いて見るほど、彼の政事家の内幕にも驚かれるが、又、この先輩の同族を思ふ熱情にも驚かれる。丑松は、弱い体躯(からだ)の内に燃える先輩の精神の烈しさを考へて、一種の悲壮な感想(かんじ)を起さずには居られなかつた。実際、蓮太郎の談話(はなし)の中には丑松の心を動かす力が籠つて居たのである。尤(もつと)も、病のある人ででも無ければ、彼様(あゝ)は心を傷めまい、と思はれるやうな節々が時々其言葉に交つて聞えたので。

       (四)

 到頭丑松は言はうと思ふことを言はなかつた。吉田屋を出たのは宵(よひ)過ぎる頃であつたが、途々それを考へると、泣きたいと思ふ程に悲しかつた。何故、言はなかつたらう。丑松は歩き乍ら、自分で自分に尋ねて見る。亡父(おやぢ)の言葉も有るから――叔父も彼様(あゝ)忠告したから――一旦秘密が自分の口から泄(も)れた以上は、それが何時(いつ)誰の耳へ伝はらないとも限らない、先輩が細君へ話す、細君はまた女のことだから到底秘密を守つては呉れまい、斯(か)ういふことに成ると、それこそ最早(もう)回復(とりかへし)が付かない――第一、今の場合、自分は穢多であると考へたく無い、是迄も普通の人間で通つて来た、是(これ)から将来(さき)とても無論普通の人間で通りたい、それが至当な道理であるから――
 種々(いろ/\)弁解(いひわけ)を考へて見た。
 しかし、斯ういふ弁解は、いづれも後から造(こしら)へて押付けたことで、それだから言へなかつたとは奈何しても思はれない。残念乍ら、丑松は自分で自分を欺いて居るやうに感じて来た。蓮太郎にまで隠して居るといふことは、実は丑松の良心が許さなかつたのである。
 あゝ、何を思ひ、何を煩ふ。決して他の人に告白(うちあ)けるのでは無い。唯あの先輩だけに告白けるのだ。日頃自分が慕つて居る、加(しか)も自分と同じ新平民の、其人だけに告白けるのに、危い、恐しいやうなことが何処にあらう。
『どうしても言はないのは虚偽(うそ)だ。』
 と丑松は心に羞(は)ぢたり悲んだりした。
 そればかりでは無い。勇み立つ青春の意気も亦(ま)た丑松の心に強い刺激を与へた。譬(たと)へば、丑松は雪霜の下に萌(も)える若草である。春待つ心は有ながらも、猜疑(うたがひ)と恐怖(おそれ)とに閉ぢられて了(しま)つて、内部(なか)の生命(いのち)は発達(のび)ることが出来なかつた。あゝ、雪霜が日にあたつて、溶けるといふに、何の不思議があらう。青年が敬慕の情を心ゆく先輩の前に捧げて、活きて進むといふに、何の不思議があらう。見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は蓮太郎の感化を享(う)けて、精神の自由を慕はずには居られなかつたのである。言ふべし、言ふべし、それが自分の進む道路(みち)では有るまいか。斯う若々しい生命が丑松を励ますのであつた。
『よし、明日は先生に逢つて、何もかも打開(ぶちま)けて了はう。』
 と決心して、姫子沢の家をさして急いだ。
 其晩はお妻の父親(おやぢ)がやつて来て、遅くまで炉辺(ろばた)で話した。叔父は蓮太郎のことに就いて別に深く掘つて聞かうとも為なかつた。唯丑松が寝床の方へ行かうとした時、斯ういふ問を掛けた。
『丑松――お前(めへ)は今日の御客様(おきやくさん)に、何にも自分のことを話しやしねえだらうなあ。』
 と言はれて、丑松は叔父の顔を眺めて、
『誰が其様(そん)なことを言ふもんですか。』
 と答へるには答へたが、それは本心から出た言葉では無いのであつた。
 寝床に入つてからも、丑松は長いこと眠られなかつた。不思議な夢は来て、眼前(めのまへ)を通る。其人は見納めの時の父の死顔であるかと思ふと、蓮太郎のやうでもあり、病の為に蒼(あを)ざめた蓮太郎の顔であるかと思ふと、お妻のやうでもあつた。あの艶を帯(も)つた清(すゞ)しい眸(ひとみ)、物言ふ毎にあらはれる皓歯(しらは)、直に紅(あか)くなる頬――その真情の外部(そと)に輝き溢(あふ)れて居る女らしさを考へると、何時の間にか丑松はお志保の俤(おもかげ)を描いて居たのである。尤(もつと)もこの幻影(まぼろし)は長く後まで残らなかつた。払暁(あけがた)になると最早(もう)忘れて了つて、何の夢を見たかも覚えて居ない位であつた。


   第拾章

       (一)

 いよ/\苦痛(くるしみ)の重荷を下す時が来た。
 丁度蓮太郎は弁護士と一緒に、上田を指して帰るといふので、丑松も同行の約束した。それは父を傷(きずつ)けた種牛が上田の屠牛場(とぎうば)へ送られる朝のこと。叔父も、丑松も其立会として出掛ける筈になつて居たので。昨夜の丑松の決心――あれを実行するには是上(このうへ)も無い好い機会(しほ)。復(ま)た逢(あ)はれるのは何時のことやら覚束(おぼつか)ない。どうかして叔父や弁護士の聞いて居ないところで――唯先輩と二人ぎりに成つた時に――斯う考へて、丑松は叔父と一緒に出掛ける仕度をしたのであつた。
 上田街道へ出ようとする角のところで、そこに待合せて居る二人と一緒になつた。丑松は叔父を弁護士に紹介し、それから蓮太郎にも紹介した。
『先生、これが私の叔父です。』
 と言はれて、叔父は百姓らしい大な手を擦(も)み乍(なが)ら、
『丑松の奴がいろ/\御世話様に成りますさうで――昨日(さくじつ)はまた御出下すつたさうでしたが、生憎(あいにく)と留守にいたしやして。』
 斯(か)ういふ挨拶をすると、蓮太郎は丁寧に亡(な)くなつた人の弔辞(くやみ)を述べた。
 四人は早く発(た)つた。朝じめりのした街道の土を踏んで、深い霧の中を辿(たど)つて行つた時は、遠近(をちこち)に鶏の鳴き交す声も聞える。其日は春先のやうに温暖(あたゝか)で、路傍の枯草も蘇生(いきかへ)るかと思はれる程。灰色の水蒸気は低く集つて来て、僅かに離れた杜(もり)の梢(こずゑ)も遠く深く烟(けぶ)るやうに見える。四人は後になり前になり、互に言葉を取交し乍ら歩いた。就中(わけても)、弁護士の快活な笑声は朝の空気に響き渡る。思はず足も軽く道も果取(はかど)つたのである。
 東上田へ差懸つた頃、蓮太郎と丑松の二人は少許(すこし)連(つれ)に後(おく)れた。次第に道路(みち)は明くなつて、ところ/″\に青空も望まれるやうに成つた。白い光を帯び乍ら、頭の上を急いだは、朝雲の群。行先(ゆくて)にあたる村落も形を顕(あらは)して、草葺(くさぶき)の屋根からは煙の立ち登る光景(さま)も見えた。霧の眺めは、今、おもしろく晴れて行くのである。
 蓮太郎は苦しい様子も見せなかつた。この石塊(いしころ)の多い歩き難い道を彼様(あゝ)して徒歩(ひろ)つても可(いゝ)のかしらん、と丑松はそれを案じつゞけて、時々蓮太郎を待合せては、一緒に遅く歩くやうに為たが、まあ素人目(しろうとめ)で眺めたところでは格別気息(いき)の切れるでも無いらしい。漸(やうや)く安心して、軈(やが)て話し/\行く連の二人の後姿は、と見ると其時は凡(およ)そ一町程も離れたらう。急に日があたつて、湿(しめ)つた道路も輝き初めた。温和(やはらか)に快暢(こゝろよ)い朝の光は小県(ちひさがた)の野に満ち溢(あふ)れて来た。
 あゝ、告白(うちあ)けるなら、今だ。
 丑松に言はせると、自分は決して一生の戒を破るのでは無い。是(これ)が若(も)し世間の人に話すといふ場合ででも有つたら、それこそ今迄の苦心も水の泡であらう。唯斯人(このひと)だけに告白けるのだ。親兄弟に話すも同じことだ。一向差支が無い。斯う自分で自分に弁解(いひほど)いて見た。丑松も思慮の無い男では無し、彼程(あれほど)堅い父の言葉を忘れて了(しま)つて、好んで死地に陥るやうな、其様(そん)な愚(おろか)な真似を為(す)る積りは無かつたのである。
『隠せ。』
 といふ厳粛な声は、其時、心の底の方で聞えた。急に冷(つめた)い戦慄(みぶるひ)が全身を伝つて流れ下る。さあ、丑松もすこし躊躇(ためら)はずには居られなかつた。『先生、先生』と口の中で呼んで、どう其を切出したものかと悶(もが)いて居ると、何か目に見えない力が背後(うしろ)に在つて、妙に自分の無法を押止めるやうな気がした。
『忘れるな』とまた心の底の方で。

       (二)

『瀬川君、君は恐しく考へ込んだねえ。』と蓮太郎は丑松の方を振返つて見た。『時に、大分後れましたよ。奈何(どう)ですか、少許(すこし)急がうぢや有ませんか。』
 斯う言はれて、丑松も其後に随(つ)いて急いだ。
 間も無く二人は連に追付いた。鳥のやうに逃げ易い機会は捕まらなかつた。いづれ未(ま)だ先輩と二人ぎりに成る時は有るであらう、と其を丑松は頼みに思ふのである。
 日は次第に高くなつた。空は濃く青く透(す)き澄(とほ)るやうになつた。南の方(かた)に当つて、ちぎれ/\な雲の群も起る。今は温暖(あたゝか)い光の為に蒸(む)されて、野も煙り、岡も呼吸し、踏んで行く街道の土の灰色に乾く臭気(にほひ)も心地(こゝろもち)が好い。浅々と萌初(もえそ)めた麦畠は、両側に連つて、奈何(どんな)に春待つ心の烈しさを思はせたらう。斯(か)うして眺(なが)め/\行く間にも、四人の眼に映る田舎(ゐなか)が四色で有つたのはをかしかつた。弁護士は小作人と地主との争闘(あらそひ)を、蓮太郎は労働者の苦痛(くるしみ)と慰藉(なぐさめ)とを、叔父は『えご』、『山牛蒡(やまごばう)』、『天王草(てんわうぐさ)』、又は『水沢瀉(みづおもだか)』等の雑草に苦しめられる耕作の経験から、収穫(とりいれ)に関係の深い土質の比較、さては上州地方の平野に住む農夫に比べて斯の山の上の人々の粗懶(なげやり)な習慣なぞを――流石(さすが)に三人の話は、生活といふことを離れなかつたが、同じ田舎を心に描いても、丑松のは若々しい思想(かんがへ)から割出して、働くばかりが田舎ではないと言つたやうな風に観察する。斯(か)ういふ思ひ/\の話に身が入つて、四人は疲労(つかれ)を忘れ乍ら上田の町へ入つた。
 上田には弁護士の出張所も設けて有る。そこには蓮太郎の細君が根津から帰る夫を待受けて居たので。蓮太郎と弁護士とは、一寸立寄つて用事を済(す)ました上、また屠牛場で一緒に成るといふことにしよう、其種牛の最後をも見よう――斯(か)ういふ約束で別れた。丑松は叔父と連立つて一歩(ひとあし)先へ出掛けた。
 屠牛場近く行けば行く程、亡くなつた牧夫のことが烈しく二人の胸に浮んで来た。二人の話は其追懐(おもひで)で持切つた。他人が居なければ遠慮も要(い)らず、今は何を話さうと好自由(すきじいう)である。
『なあ、丑松。』と叔父は歩き乍ら嘆息して、『へえ、もう今日で六日目だぞよ。兄貴が亡くなる、お前(めへ)がやつて来る。葬式(おじやんぼん)を出す、御苦労招びから、礼廻りと、丁度今日で六日目だ。あゝ、明日は最早(もう)初七日だ。日数の早く経(た)つには魂消(たまげ)て了ふ。兄貴に別れたのは、つい未だ昨日のやうにしか思はれねえがなあ。』
 丑松は黙つて考へ乍ら随いて行つた。叔父は言葉を継いで、
『真実(ほんたう)に世の中は思ふやうに行かねえものさ。兄貴も、是から楽をしようといふところで、彼様(あん)な災難に罹るなんて。まあ、金を遺(のこ)すぢや無し、名を遺すぢや無し、一生苦労を為つゞけて、其苦労が誰の為かと言へば――畢竟(つまり)、お前や俺の為だ。俺も若え時は、克(よ)く兄貴と喧嘩して、擲(なぐ)られたり、泣かせられたりしたものだが、今となつて考へて見ると、親兄弟程難有(ありがた)いものは無えぞよ。仮令(たとひ)世界中の人が見放しても、親兄弟は捨てねえからなあ。兄貴を忘れちやならねえと言ふのは――其処だはサ。』
 暫時(しばらく)二人は無言で歩いた。
『忘れるなよ。』と叔父は復た初めた。『何程(どのくれえ)まあ兄貴もお前の為に心配して居たものだか。ある時、俺に、「丑松も今が一番危え時だ。斯うして山の中で考へたと、世間へ出て見たとは違ふから、そこを俺が思つてやる。なか/\他人の中へ突出されて、内兜(うちかぶと)を見透(みす)かされねえやうに遂行(やりと)げるのは容易ぢやねえ。何卒(どうか)してうまく行(や)つて呉れゝば可(いゝ)が――下手に学問なぞをして、つまらねえ思想(かんがへ)を起さなければ可(いゝ)が――まあ、三十に成つて見ねえ内は、安心が出来ねえ。」と斯ういふから、「なあに、大丈夫――丑松のことなら俺が保証する。」と言つてやつたよ。すると、兄貴は首を振つて、「どうも不可(いかねえ)もので、親の悪いところばかり子に伝はる。丑松も用心深いのは好(いゝ)が、然し又、あんまり用心深過ぎて反つて疑はれるやうな事が出来やすまいか。」としきりに其を言ふ。其時俺が、「左様(さう)心配した日には際限(きり)が無え。」と笑つたことサ。はゝゝゝゝ。』と思出したやうに慾の無い声で笑つて、軈て気を変へて、『しかし、能くまあ、お前も是迄に漕付けて来た。最早大丈夫だ。全くお前には其丈の徳が具(そな)はつて居るのだ。なにしろ用心するに越したことはねえぞよ。奈何(どん)な先生だらうが、同じ身分の人だらうが、決して気は許せねえ――そりやあ、もう、他人と親兄弟とは違ふからなあ。あゝ、兄貴の生きてる時分には、牧場から下つて来る、俺や婆さんの顔を見る、直にお前の噂(うはさ)だつた。もう兄貴は居ねえ。是からは俺と婆さんと二人ぎりで、お前の噂をして楽むんだ。考へて見て呉れよ、俺も子は無しサ――お前より外に便りにするものは無えのだから。』

       (三)

 例の種牛は朝のうちに屠牛場(とぎうば)へ送られた。種牛の持主は早くから詰掛けて、叔父と丑松とを待受けて居た。二人は、空車引いて馳(か)けて行く肉屋の丁稚(でつち)の後に随いて、軈て屠牛場の前迄行くと、門の外に持主、先(ま)づ見るより、克(よ)く来て呉れたを言ひ継(つゞ)ける。心から老牧夫の最後を傷(いた)むといふ情合(じやうあひ)は、斯持主の顔色に表れるのであつた。『いえ。』と叔父は対手の言葉を遮(さへぎ)つて、『全く是方(こちら)の不注意(てぬかり)から起つた事なんで、貴方(あんた)を恨(うら)みる筋は些少(ちつと)もごはせん。』とそれを言へば、先方(さき)は猶々(なほ/\)痛み入る様子。『私はへえ、面目なくて、斯(か)うして貴方等(あんたがた)に合せる顔も無いのでやす――まあ畜生の為(し)たことだからせえて(せえては、しての訛(なまり)、農夫の間に用ゐられる)、御災難と思つて絶念(あきら)めて下さるやうに。』とかへす/″\言ふ。是処(こゝ)は上田の町はづれ、太郎山の麓に迫つて、新しく建てられた五棟ばかりの平屋。鋭い目付の犬は五六匹門外に集つて来て、頻(しきり)に二人の臭気(にほひ)を嗅いで見たり、低声に□(うな)つたりして、やゝともすれば吠(ほ)え懸りさうな気勢(けはひ)を示すのであつた。
 持主に導かれて、二人は黒い門を入つた。内に庭を隔(へだ)てゝ、北は検査室、東が屠殺の小屋である。年の頃五十余のでつぷり肥つた男が人々の指図をして居たが、其老練な、愛嬌(あいけう)のある物の言振で、屠手(としゆ)の頭(かしら)といふことは知れた。屠手として是処に使役(つか)はれて居る壮丁(わかもの)は十人計(ばか)り、いづれ紛(まが)ひの無い新平民――殊に卑賤(いや)しい手合と見えて、特色のある皮膚の色が明白(あり/\)と目につく。一人々々の赤ら顔には、烙印(やきがね)が押当てゝあると言つてもよい。中には下層の新平民に克(よ)くある愚鈍な目付を為乍(しなが)ら是方(こちら)を振返るもあり、中には畏縮(いぢけ)た、兢々(おづ/\)とした様子して盗むやうに客を眺めるもある。目鋭(めざと)い叔父は直に其(それ)と看(み)て取つて、一寸右の肘(ひぢ)で丑松を小衝(こづ)いて見た。奈何して丑松も平気で居られよう。叔父の肘が触(さは)るか触らないに、其暗号は電気(エレキ)のやうに通じた。幸ひ案じた程でも無いらしいので、漸(やつ)と安心して、それから二人は他の談話(はなし)の仲間に入つた。
 繋留場には、種牛の外に、二頭の牡牛も繋(つな)いであつて、丁度死刑を宣告された罪人が牢獄(ひとや)の内に押籠(おしこ)められたと同じやうに、一刻々々と近いて行く性命(いのち)の終を翹望(まちのぞ)んで居た。丑松は今、叔父や持主と一緒に、斯(この)繋留場の柵(さく)の前に立つたのである。持主の言草ではないが、『畜生の為たこと』と思へば、別に腹が立つの何のといふ其様(そん)な心地(こゝろもち)には成らないかはりに、可傷(いたま)しい父の最後、牧場の草の上に流れた血潮――堪へがたい追憶(おもひで)の情は丑松の胸に浮んで来たのである。見れば他のは佐渡牛といふ種類で、一頭は黒く、一頭は赤く、人間の食慾を満すより外には最早(もう)生きながらへる価値(ねうち)も無い程に痩(や)せて、其憔悴(みすぼら)しさ。それに比べると、種牛は体格も大きく、骨組も偉(たくま)しく、黒毛艶々として美しい雑種。持主は柵の横木を隔てゝ、其鼻面を撫でゝ見たり、咽喉(のど)の下を摩(さす)つてやつたりして、
『わりや(汝(なんぢ)は)飛んでもねえことを為て呉れたなあ。何も俺だつて、好んで斯様(こん)な処へ貴様を引張つて来た訳ぢやねえ――是といふのも自業自得(じごふじとく)だ――左様(さう)思つて絶念(あきら)めろよ。』
 吾児に因果でも言含めるやうに掻口説(かきくど)いて、今更別離(わかれ)を惜むといふ様子。
『それ、こゝに居なさるのが瀬川さんの子息(むすこ)さんだ。御詑(おわび)をしな。御詑をしな。われ(汝)のやうな畜生だつて、万更霊魂(たましひ)の無えものでも有るめえ。まあ俺の言ふことを好く覚えて置いて、次の生(よ)には一層(もつと)気の利いたものに生れ変つて来い。』
 斯(か)う言ひ聞かせて、軈(やが)て持主は牛の来歴を二人に語つた。現に今、多くを飼養して居るが、是(これ)に勝(まさ)る血統(ちすぢ)のものは一頭も無い。父牛は亜米利加(アメリカ)産、母牛は斯々(しか/″\)、悪い癖さへ無くば西乃入(にしのいり)牧場の名牛とも唄はれたであらうに、と言出して嘆息した。持主は又附加(つけた)して、斯(この)種牛の肉の売代(うりしろ)を分けて、亡くなつた牧夫の追善に供へたいから、せめて其で仏の心を慰めて呉れといふことを話した。
 其時獣医が入つて来て、鳥打帽を冠つた儘、人々に挨拶する。つゞいて、牛肉屋の亭主も入つて来たは、屠(つぶ)された後の肉を買取る為であらう。間も無く蓮太郎、弁護士の二人も、叔父や丑松と一緒になつて、庭に立つて眺めたり話したりした。
『むゝ、彼(あれ)が御話のあつた種牛ですね。』と蓮太郎は小声で言つた。人々は用意に取掛かると見え、いづれも白の上被(うはつぱり)、冷飯草履は脱いで素足に尻端折。笑ふ声、私語(さゝや)く声は、犬の鳴声に交つて、何となく構内は混雑して来たのである。
 いよ/\種牛は引出されることになつた。一同の視線は皆な其方へ集つた。今迄沈まりかへつて居た二頭の佐渡牛は、急に騒ぎ初めて、頻と頭を左右に振動かす。一人の屠手は赤い方の鼻面を確乎(しつか)と制(おさ)へて、声を□(はげま)して制したり叱つたりした。畜生ながらに本能(むし)が知らせると見え、逃げよう/\と焦り出したのである。黒い佐渡牛は繋がれたまゝ柱を一廻りした。死地に引かれて行く種牛は寧(むし)ろ冷静(おちつ)き澄ましたもので、他の二頭のやうに悪□(わるあがき)を為(す)るでも無く、悲しい鳴声を泄(も)らすでも無く、僅かに白い鼻息を見せて、悠々(いう/\)と獣医の前へ進んだ。紫色の潤(うる)みを帯びた大きな目は傍で観て居る人々を睥睨(へいげい)するかのやう。彼の西乃入の牧場を荒(あば)れ廻つて、丑松の父を突殺した程の悪牛では有るが、斯(か)うした潔(いさぎよ)い臨終の光景(ありさま)は、又た人々に哀憐(あはれみ)の情を催(おこ)させた。叔父も、丑松もすくなからず胸を打たれたのである。獣医はあちこちと廻つて歩き乍ら、種牛の皮を撮(つま)んで見たり、咽喉(のど)を押へて見たり、または角を叩(たゝ)いて見たりして、最後に尻尾を持上たかと思ふと、検査は最早(もう)其で済んだ。屠手は総懸りで寄つて群(たか)つて、『しツ/\』と声を揚げ乍ら、無理無体に屠殺の小屋の方へ種牛を引入れた。屠手の頭(かしら)は油断を見澄まして、素早く細引を投げ搦(から)む。□(どう)と音して牛の身体が板敷の上へ横に成つたは、足と足とが引締められたからである。持主は茫然(ばうぜん)として立つた。丑松も考深い目付をして眺め沈んで居た。やがて、種牛の眉間(みけん)を目懸けて、一人の屠手が斧(をの)(一方に長さ四五寸の管(くだ)があつて、致命傷を与へるのは是(この)管である)を振翳(ふりかざ)したかと思ふと、もう其が是畜生の最後。幽(かすか)な呻吟(うめき)を残して置いて、直に息を引取つて了つた――一撃で種牛は倒されたのである。

       (四)

 日の光は斯(こ)の小屋の内へ射入つて、死んで其処に倒れた種牛と、多忙(いそが)しさうに立働く人々の白い上被(うはつぱり)とを照した。屠手の頭は鋭い出刃庖丁を振つて、先づ牛の咽喉(のど)を割(さ)く。尾を牽(ひ)くものは直に尾を捨て、細引を持つものは細引を捨てゝ、いづれも牛の上に登つた。多勢の壮丁(わかもの)が力に任せ、所嫌はず踏付けるので、血潮は割かれた咽喉を通して紅(あか)く板敷の上へ流れた。咽喉から腹、腹から足、と次第に黒い毛皮が剥取(はぎと)られる。膏と血との臭気(にほひ)は斯の屠牛場に満ち溢(あふ)れて来た。
 他の二頭の佐渡牛が小屋の内へ引入れられて、撃(う)ち殺されたのは間も無くであつた。斯の可傷(いたま)しい光景(ありさま)を見るにつけても、丑松の胸に浮ぶは亡くなつた父のことで。丑松は考深い目付を為乍(しなが)ら、父の死を想(おも)ひつゞけて居ると、軈て種牛の毛皮も悉皆(すつかり)剥取られ、角も撃ち落され、脂肪に包まれた肉身(なかみ)からは湯気のやうな息の蒸上(むしのぼ)るさまも見えた。屠手の頭は手も庖丁も紅く血潮に交(まみ)れ乍ら、あちこちと小屋の内を廻つて指揮(さしづ)する。そこには竹箒(たけばうき)で牛の膏(あぶら)を掃いて居るものがあり、こゝには砥石を出して出刃を磨いで居るものもあつた。赤い佐渡牛は引割と言つて、腰骨(こしぼね)を左右に切開かれ、其骨と骨との間へ横木を入れられて、逆方(さかさま)に高く釣るし上げられることになつた。
『そら、巻くぜ。
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