破戒
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著者名:島崎藤村 

 斯の思想(かんがへ)に力を得て、軈て帰りかけて振返つて見た時は、まだ敬之進の家族が働いて居た。二人の女が冠つた手拭は夕闇に仄白(ほのじろ)く、槌の音は冷々(ひや/″\)とした空気に響いて、『藁を集めろ』などゝいふ声も幽(かすか)に聞える。立つて是方(こちら)を向いたのは省吾か。今は唯動いて居る暗い影かとばかり、人々の顔も姿も判らない程に暮れた。

       (四)

『おつかれ』(今晩は)と逢(あ)ふ人毎に声を掛けるのは山家の黄昏(たそがれ)の習慣(ならはし)である。丁度新町の町はづれへ出て、帰つて行く農夫に出逢ふ度に、丑松は斯(この)挨拶を交換(とりかは)した。一ぜんめし、御休所、笹屋、としてある家(うち)の前で、また『おつかれ』を繰返したが、其は他の人でもない、例の敬之進であつた。
『おゝ、瀬川君か。』と敬之進は丑松を押留めるやうにして、『好い処で逢つた。何時か一度君とゆつくり話したいと思つて居た。まあ、左様(さう)急がんでもよからう。今夜は我輩に交際(つきあ)つて呉れてもよからう。斯ういふ処で話すのも亦(ま)た一興だ。是非、君に聞いて貰ひたいこともあるんだから――』
 斯(か)う慫慂(そゝのか)されて、丑松は敬之進と一緒に笹屋の入口の敷居を跨いで入つた。昼は行商、夜は農夫などが疲労(つかれ)を忘れるのは茲(こゝ)で、大な炉(ろ)には『ぼや』(雑木の枝)の火が赤々と燃上つた。壁に寄せて古甕(ふるがめ)のいくつか並べてあるは、地酒が溢れて居るのであらう。今は農家は忙しい時季(とき)で、長く御輿(みこし)を座(す)ゑるものも無い。一人の農夫が草鞋穿(わらぢばき)の儘(まゝ)、ぐいと『てツぱ』(こつぷ酒)を引掛けて居たが、軈(やが)て其男の姿も見えなくなつて、炉辺(ろばた)は唯二人の専有(もの)となつた。
『今晩は何にいたしやせう。』と主婦(かみさん)は炉の鍵に大鍋を懸け乍ら尋ねた。『油汁(けんちん)なら出来やすが、其ぢやいけやせんか。河で捕れた鰍(かじか)もごはす。鰍でも上げやせうかなあ。』
『鰍?』と敬之進は舌なめずりして、『鰍、結構――それに、油汁と来ては堪(こた)へられない。斯ういふ晩は暖い物に限りますからね。』
 敬之進は酒慾の為に慄へて居た。素面(しらふ)で居る時は、からもう元気の無い人で、言葉もすくなく、病人のやうに見える。五十の上を一つか二つも越したらうか、年の割合には老(ふけ)たといふでも無く、まだ髪は黒かつた。丑松は『藁によ』の蔭で見たり聞いたりした家族のことを思ひ浮べて、一層斯人(このひと)に親しくなつたやうな心地がした。『ぼや』の火も盛んに燃えた。大鍋の中の油汁(けんちん)は沸々(ふつ/\)と煮立つて来て、甘さうな香(にほひ)が炉辺に満溢(みちあふ)れる。主婦(かみさん)は其を小丼(こどんぶり)に盛つて出し、酒は熱燗(あつかん)にして、一本づゝ古風な徳利を二人の膳の上に置いた。
『瀬川君。』と敬之進は手酌でちびり/\始め乍ら、『君が飯山へ来たのは何時でしたつけねえ。』
『私(わたし)ですか。私が来てから最早(もう)足掛三年に成ります。』と丑松は答へた。
『へえ、其様(そんな)に成るかねえ。つい此頃(こなひだ)のやうにしか思はれないがなあ。実に月日の経つのは早いものさ。いや、我輩なぞが老込む筈だよ。君等がずん/\進歩するんだもの。我輩だつて、君、一度は君等のやうな時代もあつたよ。明日は、明日は、明日はと思つて居る内に、もう五十といふ声を聞くやうに成つた。我輩の家(うち)と言ふのはね、もと飯山の藩士で、少年の時分から君侯の御側に勤めて、それから江戸表へ――丁度御維新(ごいツしん)に成る迄。考へて見れば時勢は還(うつ)り変つたものさねえ。変遷、変遷――見たまへ、千曲川の岸にある城跡を。彼(あ)の名残の石垣が君等の目にはどう見えるね。斯う蔦(つた)や苺(いちご)などの纏絡(まとひつ)いたところを見ると、我輩はもう言ふに言はれないやうな心地(こゝろもち)になる。何処の城跡へ行つても、大抵は桑畠(くはばたけ)。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄踏堪(ふみこた)へて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものは無い――実は我輩も其一人だがね。はゝゝゝゝ。』
 と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差し乍ら、
『一つ交換といふことに願ひませうか。』
『まあ、御酌(おしやく)しませう。』と丑松は徳利を持添へて勧めた。
『それは不可(いかん)。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君は斯の方は遣(や)らないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ。』
『なに、私のは三盃上戸(さんばいじやうご)といふ奴なんです。』
『兎(と)に角(かく)、斯盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様(こん)なことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様(さやう)さ、小学教員の資格が出来てから足掛十五年に成るがね、其間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君等に笑はれるかも知れないが、終(しまひ)には教場へ出て、何を生徒に教へて居るのか、自分乍ら感覚が無くなつて了つた。はゝゝゝゝ。いや、全くの話が、長く教員を勤めたものは、皆な斯ういふ経験があるだらうと思ふよ。実際、我輩なぞは教育をして居るとは思はなかつたね。羽織袴(はおりはかま)で、唯月給を貰ふ為に、働いて居るとしか思はなかつた。だつて君、左様(さう)ぢやないか、尋常科の教員なぞと言ふものは、学問のある労働者も同じことぢやないか。毎日、毎日――騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、僅少(わづか)の月給で、長い時間を働いて、克(よ)くまあ今日迄自分でも身体が続いたと思ふ位だ。あるひは君等の目から見たら、今茲(こゝ)で我輩が退職するのは智慧(ちゑ)の無い話だと思ふだらう。そりやあ我輩だつて、もう六ヶ月踏堪(ふみこた)へさへすれば、仮令(たとへ)僅少(わづか)でも恩給の下(さが)る位は承知して居るさ。承知して居ながら、其が我輩には出来ないから情ない。是から以後(さき)我輩に働けと言ふのは、死ねといふも同じだ。家内はまた家内で心配して、教員を休(や)めて了(しま)つたら、奈何(どう)して活計(くらし)が立つ、銀行へ出て帳面でもつけて呉れろと言ふんだけれど、どうして君、其様(そん)な真似が我輩に出来るものか。二十年来慣れたことすら出来ないものを、是から新規に何が出来よう。根気も、精分も、我輩の身体の内にあるものは悉皆(すつかり)もう尽きて了つた。あゝ、生きて、働いて、仆(たふ)れるまで鞭撻(むちう)たれるのは、馬車馬の末路だ――丁度我輩は其馬車馬さ。はゝゝゝゝ。』

       (五)

 急に入つて来た少年に妨げられて、敬之進は口を噤(つぐ)んだ。流許(ながしもと)に主婦(かみさん)、暗い洋燈(ランプ)の下で、かちや/\と皿小鉢を鳴らして居たが、其と見て少年の側へ駈寄つた。
『あれ、省吾さんでやすかい。』
 と言はれて、省吾は用事ありげな顔付。
『吾家(うち)の父さんは居りやすか。』
『あゝ居なさりやすよ。』と主婦は答へた。
 敬之進は顔を渋(しか)めた。入口の庭の薄暗いところに佇立(たゝず)んで居る省吾を炉辺(ろばた)まで連れて来て、つく/″\其可憐な様子を眺(なが)め乍(なが)ら、
『奈何(どう)した――何か用か。』
『あの、』と省吾は言淀(いひよど)んで、『母さんがねえ、今夜は早く父さんに御帰りなさいツて。』
『むゝ、また呼びによこしたのか――ちよツ、極(きま)りを遣(や)つてら。』と敬之進は独語(ひとりごと)のやうに言つた。
『そんなら父さんは帰りなさらないんですか。』と省吾はおづ/\尋ねて見る。
『帰るサ――御話が済(す)めば帰るサ。母さんに斯う言へ、父さんは学校の先生と御話して居ますから、其が済めば帰りますツて。』と言つて、敬之進は一段声を低くして、『省吾、母さんは今何してる?』
『籾(もみ)を片付けて居りやす。』
『左様(さう)か、まだ働いてるか。それから彼(あ)の……何か……母さんはまた例(いつも)のやうに怒つてやしなかつたか。』
 省吾は答へなかつた。子供心にも、父を憐むといふ目付して、黙つて敬之進の顔を熟視(みまも)つたのである。
『まあ、冷(つめた)さうな手をしてるぢやないか。』と敬之進は省吾の手を握つて、『それ金銭(おあし)を呉れる。柿でも買へ。母さんや進には内証だぞ。さあ最早(もう)それで可(いゝ)から、早く帰つて――父さんが今言つた通りに――よしか。解つたか。』
 省吾は首を垂れて、萎(しを)れ乍ら出て行つた。
『まあ聞いて呉れたまへ。』と敬之進は復(ま)た述懐を始めた。『ホラ、君が彼の蓮華寺へ引越す時、我輩も門前まで行きましたらう――実は、君だから斯様(こん)なこと迄も御話するんだが、彼寺には不義理なことがしてあつて、住職は非常に怒つて居る。我輩が飲む間は、交際(つきあ)はぬといふ。情ないとは思ふけれど、其様(そん)な関係で、今では娘の顔を見に行くことも出来ないやうな仕末。まあ、彼寺へ呉れて了つたお志保と、省吾と、それから亡くなつた総領と、斯う三人は今の家内の子では無いのさ。前(せん)の家内といふのは、矢張(やはり)飯山の藩士の娘でね、我輩の家(うち)の楽な時代に嫁(かたづ)いて来て、未だ今のやうに零落しない内に亡(な)くなつた。だから我輩は彼女(あいつ)のことを考へる度に、一生のうちで一番楽しかつた時代を思出さずには居られない。一盃(いつぱい)やると、きつと其時代のことを思出すのが我輩の癖で――だつて君、年を取れば、思出すより外に歓楽(たのしみ)が無いのだもの。あゝ、前(せん)の家内は反(かへ)つて好い時に死んだ。人間といふものは妙なもので、若い時に貰つた奴がどうしても一番好いやうな気がするね。それに、性質が、今の家内のやうに利(き)かん気では無かつたが、そのかはり昔風に亭主に便(たよ)るといふ風で、何処迄(どこまで)も我輩を信じて居た。蓮華寺へ行つたお志保――彼娘(あのこ)がまた母親に克(よ)く似て居て、眼付なぞはもう彷彿(そつくり)さ。彼娘の顔を見ると、直に前(せん)の家内が我輩の眼に映る。我輩ばかりぢやない、他(ひと)が克く其を言つて、昔話なぞを始めるものだから、さあ今の家内は面白くないと見えるんだねえ。正直御話すると、我輩も蓮華寺なぞへ彼娘を呉れたくは無かつた。然し吾家(うち)に置けば、彼娘の為にならない。第一、其では可愛さうだ。まあ、蓮華寺では非常に欲(ほし)がるし、奥様も子は無し、それに他の土地とは違つて寺院(てら)を第一とする飯山ではあり、するところからして、お志保を手放して遣つたやうな訳さ。』
 聞けば聞くほど、丑松は気の毒に成つて来た。成程(なるほど)、左様(さう)言はれて見れば、落魄(らくはく)の画像(ゑすがた)其儘(そのまゝ)の様子のうちにも、どうやら武士らしい威厳を具へて居るやうに思はるゝ。
『丁度、それは彼娘の十三の時。』と敬之進は附和(つけた)して言つた。

       (六)

『噫(あゝ)。我輩の生涯(しやうがい)なぞは実に碌々(ろく/\)たるものだ。』と敬之進は更に嘆息した。『しかし瀬川君、考へて見て呉れたまへ。君は碌々といふ言葉の内に、どれほどの酸苦が入つて居ると考へる。斯(か)うして我輩は飲むから貧乏する、と言ふ人もあるけれど、我輩に言はせると、貧乏するから飲むんだ。一日たりとも飲まずには居られない。まあ、我輩も、始の内は苦痛(くるしみ)を忘れる為に飲んだのさ。今では左様(さう)ぢや無い、反つて苦痛を感ずる為に飲む。はゝゝゝゝ。と言ふと可笑(をか)しく聞えるかも知れないが、一晩でも酒の気が無からうものなら、寂しくて、寂しくて、身体は最早(もう)がた/\震(ふる)へて来る。寝ても寝られない。左様(さう)なると殆(ほと)んど精神は無感覚だ。察して呉れたまへ――飲んで苦しく思ふ時が、一番我輩に取つては活きてるやうな心地(こゝろもち)がするからねえ。恥を御話すればいろ/\だが、我輩も飯山学校へ奉職する前には、下高井の在で長く勤めたよ。今の家内を貰つたのは、丁度その下高井に居た時のことさ。そこはそれ、在に生れた女だけあつて、働くことは家内も克(よ)く働く。霜を掴(つか)んで稲を刈るやうなことは到底我輩には出来ないが――我輩がまた其様(そん)な真似をして見給へ、直に病気だ――ところが彼女(あいつ)には堪へられる。貧苦を忍ぶといふ力は家内の方が反つて我輩より強いね。だから君、最早(もう)斯う成つた日にやあ、恥も外聞もあつたものぢや無い、私は私でお百姓する、なんて言出して、馬鹿な、女の手で作なぞを始めた。我輩の家に旧(もと)から出入りする百姓の音作、あの夫婦が先代の恩返しだと言つて、手伝つては呉れるがね、どうせ左様(さう)うまく行きツこはないさ。それを我輩が言ふんだけれど、どうしても家内は聞入れない。尤(もつと)も、我輩は士族だから、一反歩は何坪あるのか、一束(つか)に何斗の年貢を納めるのか、一升蒔(まき)で何俵の籾(もみ)が取れるのか、一体年(ねん)に肥料が何(ど)の位要(い)るものか、其様(そん)なことは薩張(さつぱり)解らん。現に我輩は家内が何坪借りて作つて居るかといふことも知らない。まあ、家内の量見では、子供に耕作(さく)でも見習はせて、行く/\は百姓に成つて了ふ積りらしいんだ。そこで毎時(いつ)でも我輩と衝突が起る。どうせ彼様(あん)な無学な女は子供の教育なんか出来よう筈も無い。実際、我輩の家庭で衝突の起因(おこり)と言へば必ず子供のことさ。子供がある為に夫婦喧嘩もするやうなものだが、又、その夫婦喧嘩をした為に子供が出来たりする。あゝ、もう沢山(たくさん)だ、是上出来たら奈何(どう)しよう、一人子供が増(ふえ)れば其丈(それだけ)貧苦を増すのだと思つても、出来るものは君どうも仕方が無いぢやないか。今の家内が三番目の女の児を産んだ時、えゝお末と命(つ)けてやれ、お末とでも命けたら終(おしまひ)に成るか、斯う思つたら――どうでせう、君、直にまた四番目サ。仕方が無いから、今度は留吉とした。まあ、五人の子供に側で泣き立てられて見たまへ。なか/\遣(や)りきれた訳のものでは無いよ。惨苦、惨苦――我輩は子供の多い貧乏な家庭を見る度に、つく/″\其惨苦を思ひやるねえ。五人の子供ですら食はせるのは容易ぢやない、若(も)しまた是上に出来でもしたら、我輩の家なぞでは最早(もう)奈何(どう)していゝか解らん。』
 斯う言つて、敬之進は笑つた。熱い涙は思はず知らず流れ落ちて、零落(おちぶ)れた袖を湿(ぬら)したのである。
『我輩は君、これでも真面目なんだよ。』と敬之進は、額と言はず、頬と言はず、腮(あご)と言はず、両手で自分の顔を撫で廻した。『どうでせう、省吾の奴も君の御厄介に成つてるが、彼様(あん)な風で物に成りませうか。もう少許(すこし)活溌だと好いがねえ。どうも女のやうな気分の奴で、泣易くて困る。平素(しよツちゆう)弟に苦(いぢ)められ通しだ。同じ自分の子で、どれが可愛くて、どれが憎いといふことは有さうも無ささうなものだが、それがそれ、妙なもので、我輩は彼の省吾が可愛さうでならない。彼の通り弱いものだから、其丈(それだけ)哀憐(あはれみ)も増すのだらうと思ふね。家内はまた弟の進贔顧(びいき)。何ぞといふと、省吾の方を邪魔にして、無暗(むやみ)に叱るやうなことを為る。そこへ我輩が口を出すと、前妻(せんさい)の子ばかり可愛がつて進の方は少許(ちつと)も関(かま)つて呉れんなんて――直に邪推だ。だからもう我輩は何にも言はん。家内の為る通りに為せて、黙つて見て居るのさ。成るべく家内には遠ざかるやうにして、密(そつ)と家(うち)を抜け出して来ては、独りで飲むのが何よりの慰藉(たのしみ)だ。稀(たま)に我輩が何か言はうものなら、私は斯様(こんな)に裸体(はだか)で嫁に来やしなかつたなんて、其を言はれると一言(いちごん)も無い。実際、彼奴(あいつ)が持つて来た衣類(もの)は、皆な我輩が飲んで了つたのだから――はゝゝゝゝ。まあ、君等の目から見たら、さぞ我輩の生涯なぞは馬鹿らしく見えるだらうねえ。』
 述懐は反(かへ)つて敬之進の胸の中を軽くさせた。其晩は割合に早く酔つて、次第に物の言ひ様も煩(くど)く、終(しまひ)には呂律(ろれつ)も廻らないやうに成つて了つたのである。
 軈(やが)て二人は斯(こ)の炉辺(ろばた)を離れた。勘定は丑松が払つた。笹屋を出たのは八時過とも思はれる頃。夜の空気は暗く町々を包んで、往来の人通りもすくない。気が狂(ちが)つて独語(ひとりごと)を言ひ乍ら歩く女、酔つて家(うち)を忘れたやうな男、そんな手合が時々二人に突当つた。敬之進は覚束(おぼつか)ない足許(あしもと)で、やゝともすれば往来の真中へ倒れさうに成る。酔眼朦朧(もうろう)、星の光すら其瞳には映りさうにも見えなかつた。拠(よんどころ)なく丑松は送り届けることにして、ある時は右の腕で敬之進の身体(からだ)を支へるやうにしたり、ある時は肩へ取縋(とりすが)らせて背負(おぶ)ふやうにしたり、ある時は抱擁(だきかゝ)へて一緒に釣合を取り乍ら歩いた。
 漸(やつと)の思で、敬之進を家まで連れて行つた時は、まだ細君も音作夫婦も働いて居た。人々は夜露を浴び乍ら、屋外(そと)で仕事を為て居るのであつた。丑松が近(ちかづ)くと、それと見た細君は直に斯う声を掛けた。
『あちや、まあ、御困りなすつたでごはせう。』


   第五章

       (一)

 十一月三日はめづらしい大霜。長い/\山国の冬が次第に近(ちかづ)いたことを思はせるのは是(これ)。其朝、丑松の部屋の窓の外は白い煙に掩(おほ)はれたやうであつた。丑松は二十四年目の天長節を飯山の学校で祝ふといふ為に、柳行李(やなぎがうり)の中から羽織袴を出して着て、去年の外套(ぐわいたう)に今年もまた身を包んだ。
 暗い楼梯(はしごだん)を下りて、北向の廊下のところへ出ると、朝の光がうつくしく射して来た。溶けかゝる霜と一緒に、日にあたる裏庭の木葉(このは)は多く枝を離れた。就中(わけても)、脆(もろ)いのは銀杏(いてふ)で、梢(こずゑ)には最早(もう)一葉(ひとは)の黄もとゞめない。丁度其霜葉(しもば)の舞ひ落ちる光景(ありさま)を眺め乍ら、廊下の古壁に倚凭(よりかゝ)つて立つて居るのは、お志保であつた。丑松は敬之進のことを思出して、つく/″\彼(あ)の落魄(らくはく)の生涯(しやうがい)を憐むと同時に、亦(ま)た斯(こ)の人を注意して見るといふ気にも成つたのである。
『お志保さん。』と丑松は声を掛けた。『奥様に左様(さう)言つて呉れませんか――今日は宿直の当番ですから何卒(どうか)晩の弁当をこしらへて下さるやうに――後で学校の小使を取りによこしますからツて――ネ。』
 と言はれて、お志保は壁を離れた。娘の時代には克(よ)くある一種の恐怖心から、何となく丑松を憚(はゞか)つて居るやうにも見える。何処か敬之進に似たところでもあるか、斯(か)う丑松は考へて、其となく俤(おもかげ)を捜(さが)して見ると、若々しい髪のかたち、額つき――まあ、どちらかと言へば、彼(あ)の省吾は父親似、斯(こ)の人はまた亡(な)くなつたといふ母親の方にでも似たのであらう。『眼付なぞはもう彷彿(そつくり)さ』と敬之進も言つた。
『あの、』とお志保はすこし顔を紅(あか)くし乍ら、『此頃(こなひだ)の晩は、大層父が御厄介に成りましたさうで。』
『いや、私の方で反(かへ)つて失礼しましたよ。』と丑松は淡泊(さつぱり)した調子で答へた。
『昨日、弟が参りまして、其話をいたしました。』
『むゝ、左様(さう)でしたか。』
『さぞ御困りで御座(ござい)ましたらう――父が彼様(あゝ)いふ風ですから、皆さんの御厄介にばかり成りまして。』
 敬之進のことは一時(いつとき)もお志保の小な胸を離れないらしい。柔嫩(やはらか)な黒眸(くろひとみ)の底には深い憂愁(うれひ)のひかりを帯びて、頬も紅(あか)く泣腫(なきは)れたやうに見える。軈(やが)て斯ういふ言葉を取交した後、丑松は外套の襟で耳を包んで、帽子を冠つて蓮華寺を出た。
 とある町の曲り角で、外套の袖袋(かくし)に手を入れて見ると、古い皺(しわ)だらけに成つた手袋が其内(そのなか)から出て来た。黒の莫大小(メリヤス)の裏毛の付いたやつで、皺を延ばして填(は)めた具合は少許(すこし)細く緊(しま)り過ぎたが、握つた心地(こゝろもち)は暖かであつた。其手袋を鼻の先へ押当てゝ、紛(ぷん)とした湿気(しけ)くさい臭気(にほひ)を嗅いで見ると、急に過去(すぎさ)つた天長節のことが丑松の胸の中に浮んで来る。去年――一昨年――一昨々年――噫(あゝ)、未だ世の中を其程(それほど)深く思ひ知らなかつた頃は、噴飯(ふきだ)したくなるやうな、気楽なことばかり考へて、この大祭日を祝つて居た。手袋は旧(もと)の儘(まゝ)、色は褪(さ)めたが変らずにある。それから見ると人の精神(こゝろ)の内部(なか)の光景(ありさま)の移り変ることは。これから将来(さき)の自分の生涯は畢竟(つまり)奈何(どう)なる――誰が知らう。来年の天長節は――いや、来年のことは措(お)いて、明日のことですらも。斯う考へて、丑松の心は幾度(いくたび)か明くなつたり暗くなつたりした。
 さすがに大祭日だ。町々の軒は高く国旗を掲げ渡して、いづれの家も静粛に斯の記念の一日(ひとひ)を送ると見える。少年の群は喜ばしさうな声を揚げ乍ら、霜に濡れた道路を学校の方へと急ぐのであつた。悪戯盛(いたづらざか)りの男の生徒、今日は何時にない大人びた様子をして、羽織袴でかしこまつた顔付のをかしさ。女生徒は新しい海老茶袴(えびちやばかま)、紫袴であつた。

       (二)

 国のみかどの誕生の日を祝ふために、男女の生徒は足拍子揃へて、二階の式場へ通ふ階段を上つた。銀之助は高等二年を、文平は高等一年を、丑松は高等四年を、いづれも受持々々の組の生徒を引連れて居た。退職の敬之進は最早(もう)客分ながら、何となく名残が惜まるゝといふ風で、旧(もと)の生徒の後に随(つ)いて同じやうに階段を上るのであつた。
 斯の大祭の歓喜(よろこび)の中にも、丑松の心を驚かして、突然新しい悲痛(かなしみ)を感ぜさせたことがあつた。といふは、猪子蓮太郎の病気が重くなつたと、ある東京の新聞に出て居たからで。尤(もつと)も丑松の目に触れたは、式の始まるといふ前、審(くは)しく読む暇も無かつたから、其儘(そのまゝ)懐中(ふところ)へ押込んで来たのであつた。世には短い月日の間に長い生涯を送つて、あわただしく通り過ぎるやうに生れて来た人がある。恐らく蓮太郎も其一人であらう。新聞には最早(もう)むつかしいやうに書いてあつた。あゝ、先輩の胸中に燃える火は、世を焼くよりも前(さき)に、自分の身体を焚(や)き尽して了(しま)ふのであらう。斯ういふ同情(おもひやり)は一時(いつとき)も丑松の胸を離れない。猶(なほ)繰返し読んで見たさは山々、しかし左様(さう)は今の場合が許さなかつた。
 其日は赤十字社の社員の祝賀をも兼ねた。式場に集る人々の胸の上には、赤い織色の綬(きれ)、銀の章(しるし)の輝いたのも面白く見渡される。東の壁のところに、二十余人の寺々の住職、今年にかぎつて蓮華寺一人欠けたのも物足りないとは、流石(さすが)に土地柄も思はれてをかしかつた。殊に風采の人目を引いたのは、高柳利三郎といふ新進政事家、すでに檜舞台(ひのきぶたい)をも踏んで来た男で、今年もまた代議士の候補者に立つといふ。銀之助、文平を始め、男女の教員は一同風琴の側に集つた。
『気をつけ。』
 と呼ぶ丑松の凛(りん)とした声が起つた。式は始つたのである。
 主座教員としての丑松は反つて校長よりも男女の少年に慕はれて居た。丑松が『最敬礼』の一声は言ふに言はれぬ震動を幼いものゝ胸に伝へるのであつた。軈(やが)て、『君が代』の歌の中に、校長は御影(みえい)を奉開して、それから勅語を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声は雷(らい)のやうに響き渡る。其日校長の演説は忠孝を題に取つたもので、例の金牌(きんぱい)は胸の上に懸つて、一層(ひとしほ)其風采を教育者らしくして見せた。『天長節』の歌が済む、来賓を代表した高柳の挨拶もあつたが、是はまた場慣れて居る丈(だけ)に手に入つたもの。雄弁を喜ぶのは信州人の特色で、斯ういふ一場の挨拶ですらも、人々の心を酔はせたのである。
 平和と喜悦(よろこび)とは式場に満ち溢れた。
 閉会の後、高等四年の生徒はかはる/″\丑松に取縋(とりすが)つて、種々(いろ/\)物を尋ねるやら、跳(はね)るやら。あるものは手を引いたり、あるものは袖の下を潜り抜けたりして、戯れて、避(よ)けて行かうとする丑松を放すまいとした。仙太と言つて、三年の生徒で、新平民の少年がある。平素(ふだん)から退(の)け者(もの)にされるのは其生徒。けふも寂しさうに壁に倚凭(よりかゝ)つて、皆(みんな)の歓(よろこ)び戯れる光景(ありさま)を眺め乍ら立つて居た。可愛さうに、仙太は斯(こ)の天長節ですらも、他の少年と同じやうには祝ひ得ないのである。丑松は人知れず口唇(くちびる)を噛み〆(しめ)て、『勇気を出せ、懼(おそ)れるな』と励ますやうに言つて遣りたかつた。丁度他の教師が見て居たので、丑松は遁(に)げるやうにして、少年の群を離れた。
 今朝の大霜で、学校の裏庭にある樹木は大概落葉して了(しま)つたが、桜ばかりは未だ秋の名残をとゞめて居た。丑松は其葉蔭を選んで、時々私語(さゝや)くやうに枝を渡る微風の音にも胸を踊らせ乍ら、懐中(ふところ)から例の新聞を取出して展(ひろ)げて見ると――蓮太郎の容体は余程危(あやふ)いやうに書いてあつた。記者は蓮太郎の思想に一々同意するものでは無いが、兎(と)も角(かく)も新平民の中から身を起して飽くまで奮闘して居る其意気を愛せずには居られないと書いてあつた。惜まれて逝(ゆ)く多くの有望な人々と同じやうに、今また斯の人が同じ病苦に呻吟(しんぎん)すると聞いては、うたゝ同情の念に堪へないと書いてあつた。思ひあたることが無いでもない、人に迫るやうな渠(かれ)の筆の真面目(しんめんもく)は斯うした悲哀(あはれ)が伴ふからであらう、斯ういふ記者も亦(ま)たその為に薬籠(やくろう)に親しむ一人であると書いてあつた。
 動揺する地上の影は幾度か丑松を驚かした。日の光は秋風に送られて、かれ/″\な桜の霜葉をうつくしくして見せる。蕭条(せうでう)とした草木の凋落(てうらく)は一層先輩の薄命を冥想(めいさう)させる種となつた。

       (三)

 敬之進の為に開いた茶話会は十一時頃からあつた。其日の朝、蓮華寺を出る時、丑松は廊下のところでお志保に逢つて、この不幸な父親を思出したが、斯うして会場の正面に座(す)ゑられた敬之進を見ると、今度は反対(あべこべ)に彼の古壁に倚凭つた娘のことを思出したのである。敬之進の挨拶は長い身の上の述懐であつた。憐むといふ心があればこそ、丑松ばかりは首を垂れて聞いて居たやうなものゝ、さもなくて、誰が老(おい)の繰言(くりごと)なぞに耳を傾けよう。
 茶話会の済んだ後のことであつた。丁度庭球(テニス)の遊戯(あそび)を為るために出て行かうとする文平を呼留めて、一緒に校長はある室の戸を開けて入つた。差向ひに椅子に腰掛けたは運動場近くにある窓のところで、庭球(テニス)狂(きちがひ)の銀之助なぞが呼び騒ぐ声も、玻璃(ガラス)に響いて面白さうに聞えたのである。
『まあ、勝野君、左様(さう)運動にばかり夢中にならないで、すこし話したまへ。』と校長は忸々敷(なれ/\しく)、『時に、奈何(どう)でした、今日の演説は?』
『先生の御演説ですか。』と文平が打球板(ラッケット)を膝の上に載せて、『いや、非常に面白く拝聴(うかゞ)ひました。』
『左様(さう)ですかねえ――少許(すこし)は聞きごたへが有ましたかねえ。』
『御世辞でも何でも無いんですが、今迄私が拝聴(うかゞ)つた中(うち)では、先(ま)づ第一等の出来でしたらう。』
『左様(さう)言つて呉れる人があると難有(ありがた)い。』と校長は微笑み乍ら、『実は彼(あ)の演説をするために、昨夜(ゆうべ)一晩かゝつて準備(したく)しましたよ。忠孝といふ字義の解釈は奈何(どう)聞えました。我輩の積りでは、あれでも余程頭脳(あたま)を痛めたのさ。種々(いろ/\)な字典を参考するやら、何やら――そりやあもう、君。』
『どうしても調べたものは調べた丈のことが有ます。』
『しかし、真実(ほんたう)に聞いて呉れた人は君くらゐのものだ。町の人なぞは空々寂々――いや、実際、耳を持たないんだからねえ。中には、高柳の話に酷(ひど)く感服してる人がある。彼様(あん)な演説屋の話と、吾儕(われ/\)の言ふことゝを、一緒にして聞かれて堪(たま)るものかね。』
『どうせ解らない人には解らないんですから。』
 と文平に言はれて、不平らしい校長の顔付は幾分(いくら)か和(やはら)いで来た。
 其時迄、校長は何か言ひたいことがあつて、それを言はないで、反(かへ)つて斯(か)ういふ談話(はなし)をして居るといふ風であつたが、軈(やが)て思ふことを切出した。わざ/\文平を呼留めて斯室へ連れて来たのは、どうかして丑松を退ける工夫は無いか、それを相談したい下心であつたのである。『と云ふのはねえ、』と校長は一段声を低くした。『瀬川君だの、土屋君だの、彼様(あゝ)いふ異分子が居ると、どうも学校の統一がつかなくて困る。尤(もつと)も土屋君の方は、農科大学の助手といふことになつて、遠からず出掛けたいやうな話ですから――まあ斯人(このひと)は黙つて居ても出て行く。難物は瀬川君です。瀬川君さへ居なくなつて了へば、後は君、もう吾儕(われ/\)の天下さ。どうかして瀬川君を廃(よ)して、是非其後へは君に座(すわ)つて頂きたい。実は君の叔父さんからも種々(いろ/\)御話が有ましたがね、叔父さんも矢張(やつぱり)左様(さう)いふ意見なんです。何とか君、巧(うま)い工夫はあるまいかねえ。』
『左様(さう)ですなあ。』と文平は返事に困つた。
『生徒を御覧なさい――瀬川先生、瀬川先生と言つて、瀬川君ばかり大騒ぎしてる。彼様(あんな)に大騒ぎするのは、瀬川君の方で生徒の機嫌を取るからでせう? 生徒の機嫌を取るといふのは、何か其処に訳があるからでせう? 勝野君、まあ君は奈何(どう)思ひます。』
『今の御話は私に克(よ)く解りません。』
『では、君、斯う言つたら――これはまあ是限(これぎ)りの御話なんですがね、必定(きつと)瀬川君は斯の学校を取らうといふ野心があるに相違(ちがひ)ないんです。』
『はゝゝゝゝ、まさか其程にも思つて居ないでせう。』と笑つて、文平は校長の顔を熟視(みまも)つた。
『でせうか?』と校長は疑深く、『思つて居ないでせうか?』
『だつて、未(ま)だ其様(そん)なことを考へるやうな年齢(とし)ぢや有ません――瀬川君にしろ、土屋君にしろ、未だ若いんですもの。』
 この『若いんですもの』が校長を嘆息させた。庭で遊ぶ庭球(テニス)の球の音はおもしろく窓の玻璃(ガラス)に響いた。また一勝負始まつたらしい。思はず文平は聞耳を立てた。その文平の若々しい顔付を眺めると、校長は更に嘆息して、
『一体、瀬川君なぞは奈何(どう)いふことを考へて居るんでせう。』
『奈何いふことゝは?』と文平は不思議さうに。
『まあ、近頃の瀬川君の様子を見るのに、非常に沈んで居る――何か斯う深く考へて居る――新しい時代といふものは彼様(あゝ)物を考へさせるんでせうか。どうも我輩には不思議でならない。』
『しかし、瀬川君の考へて居るのは、何か別の事でせう――今、先生の仰つたやうな、其様(そん)な事ぢや無いでせう。』
『左様(さう)なると、猶々(なほ/\)我輩には解釈が付かなくなる。どうも我輩の時代に比べると、瀬川君なぞの考へて居ることは全く違ふやうだ。我輩の面白いと思ふことを、瀬川君なぞは一向詰らないやうな顔してる。我輩の詰らないと思ふことを、反つて瀬川君なぞは非常に面白がつてる。畢竟(つまり)一緒に事業(しごと)が出来ないといふは、時代が違ふからでせうか――新しい時代の人と、吾儕(われ/\)とは、其様(そんな)に思想(かんがへ)が合はないものなんでせうか。』
『ですけれど、私なぞは左様(さう)思ひません。』
『そこが君の頼母(たのも)しいところさ。何卒(どうか)、君、彼様(あゝ)いふ悪い風潮に染まないやうにして呉れたまへ。及ばずながら君のことに就いては、我輩も出来るだけの力を尽すつもりだ。世の中のことは御互ひに助けたり助けられたりさ――まあ、勝野君、左様(さう)ぢや有ませんか。今茲(こゝ)で直に異分予を奈何(どう)するといふ訳にもいかない。ですから、何か好い工夫でも有つたら、考へて置いて呉れたまへ――瀬川君のことに就いて何か聞込むやうな場合でも有つたら、是非それを我輩に知らせて呉れたまへ。』

       (四)

 盛んな遊戯の声がまた窓の外に起つた。文平は打球板(ラッケット)を提げて出て行つた。校長は椅子を離れて玻璃(ガラス)の戸を上げた。丁度運動場では庭球(テニス)の最中。大人びた風の校長は、まだ筋骨の衰頽(おとろへ)を感ずる程の年頃でも無いが、妙に遊戯の嫌ひな人で、殊に若いものゝ好な庭球などゝ来ては、昔の東洋風の軽蔑(けいべつ)を起すのが癖。だから、『何を、児戯(こども)らしいことを』と言つたやうな目付して、夢中になつて遊ぶ人々の光景(ありさま)を眺めた。
 地は日の光の為に乾き、人は運動の熱の為に燃えた。いつの間にか文平は庭へ出て、遊戯の仲間に加つた。銀之助は今、文平の組を相手にして、一戦を試みるところ。流石(さすが)の庭球狂(テニスきちがひ)もさん/″\に敗北して、軈(やが)て仲間の生徒と一緒に、打球板(ラッケット)を捨てゝ退いた。敵方の揚げる『勝負有(ゲエム)』の声は、拍手の音に交つて、屋外(そと)の空気に響いておもしろさうに聞える。東よりの教室の窓から顔を出した二三の女教師も、一緒になつて手を叩(たゝ)いて居た。其時、幾組かに別れて見物した生徒の群は互ひに先を争つたが、中に一人、素早く打球板(ラッケット)を拾つた少年があつた。新平民の仙太と見て、他の生徒が其側へ馳寄(かけよ)つて、無理無体に手に持つ打球板(ラッケット)を奪ひ取らうとする。仙太は堅く握つた儘(まゝ)、そんな無法なことがあるものかといふ顔付。それはよかつたが、何時まで待つて居ても組のものが出て来ない。『さあ、誰か出ないか』と敵方は怒つて催促する。少年の群は互ひに顔を見合せて、困つて立つて居る仙太を冷笑して喜んだ。誰も斯(こ)の穢多の子と一緒に庭球の遊戯(あそび)を為ようといふものは無かつたのである。
 急に、羽織を脱ぎ捨てゝ、そこにある打球板(ラッケット)を拾つたは丑松だ。それと見た人々は意味もなく笑つた。見物して居る女教師も微笑(ほゝゑ)んだ。文平贔顧(びいき)の校長は、丑松の組に勝たせたくないと思ふかして、熱心になつて窓から眺(なが)めて居た。丁度午後の日を背後(うしろ)にしたので、位置の利は始めから文平の組の方にあつた。
『壱(ワン)、零(ゼロ)。』
 と呼ぶのは、網の傍に立つ審判官の銀之助である。丑松仙太は先づ第一の敗を取つた。見物して居る生徒は、いづれも冷笑を口唇(くちびる)にあらはして、仙太の敗を喜ぶやうに見えた。
『弐(ツウ)、零(ゼロ)。』
 と銀之助は高く呼んだ。丑松の組は第二の敗を取つたのである。『弐(ツウ)、零(ゼロ)。』と見物の生徒は聞えよがしに繰返した。
 敵方といふのは、年若な準教員――それ、丑松が蓮華寺へ明間(あきま)を捜しに行つた時、帰路(かへり)に遭遇(であ)つた彼男と、それから文平と、斯う二人の組で、丑松に取つては侮(あなど)り難い相手であつた。それに、敵方の力は揃つて居るに引替へ、味方の仙太はまだ一向に練習が足りない。
『参(スリイ)、零(ゼロ)。』
 と呼ぶ声を聞いた時は、丑松もすこし気を苛(いら)つた。人種と人種の競争――それに敗(ひけ)を取るまいといふ丑松の意気が、何となく斯様(こん)な遊戯の中にも顕(あら)はれるやうで、『敗(まけ)るな、敗けるな』と弱い仙太を激□(はげ)ますのであつた。丑松は撃手(サアブ)。最後の球を打つ為に、外廓(そとぐるわ)の線の一角に立つた。『さあ、来い』と言はぬばかりの身構へして、窺(うかゞ)ひ澄まして居る文平を目がけて、打込んだ球はかすかに網に触れた。『触(タッチ)』と銀之助の一声。丑松は二度目の球を試みた。力あまつて線を越えた。ああ、『落(フオウル)』だ。丑松も今は怒気を含んで、満身の力を右の腕に籠め乍ら、勝つも負けるも運は是球一つにあると、打込む勢は獅子奮進。青年の時代に克(よ)くある一種の迷想から、丁度一生の運命を一時の戯(たはむれ)に占ふやうに見える。『内(イン)』と受けた文平もさるもの。故意(わざ)と丑松の方角を避けて、うろ/\する仙太の虚(すき)を衝(つ)いた。烈しい日の光は真正面(まとも)に射して、飛んで来る球のかたちすら仙太の目には見えなかつたのである。
『勝負有(ゲエム)。』
 と人々は一音に叫んだ。仙太の手から打球板(ラッケット)を奪ひ取らうとした少年なぞは、手を拍(う)つて、雀躍(こをどり)して、喜んだ。思はず校長も声を揚げて、文平の勝利を祝ふといふ風であつた。
『瀬川君、零敗(ゼロまけ)とはあんまりぢやないか。』
 といふ銀之助の言葉を聞捨てゝ、丑松はそこに置いた羽織を取上げながら、すご/\と退いた。やがて斯(こ)の運動場(うんどうば)から裏庭の方へ廻つて、誰も見て居ないところへ来ると、不図何か思出したやうに立留つた。さあ、丑松は自分で自分を責めずに居られなかつたのである。蓮太郎――大日向――それから仙太、斯う聯想した時は、猜疑(うたがひ)と恐怖(おそれ)とで戦慄(ふる)へるやうになつた。噫(あゝ)、意地の悪い智慧(ちゑ)はいつでも後から出て来る。


   第六章

       (一)

 天長節の夜は宿直の当番であつたので、丑松銀之助の二人は学校に残つた。敬之進は急に心細く、名残惜しくなつて、いつまでも此処を去り兼ねる様子。夕飯の後、まだ宿直室に話しこんで、例の愚痴の多い性質から、生先(おひさき)長い二人に笑はれて居るうちに、壁の上の時計は八時打ち、九時打つた。それは翌朝(よくあさ)の霜の烈しさを思はせるやうな晩で、日中とは違つて、めつきり寒かつた。丑松が見廻りの為に出て行つた後、まだ敬之進は火鉢の傍に齧(かじ)り付いて、銀之助を相手に掻口説(かきくど)いて居た。
 軈(やが)て二十分ばかり経つて丑松は帰つて来た。手提洋燈(てさげランプ)を吹消して、急いで火鉢の側(わき)に倚添ひ乍ら、『いや、もう屋外(そと)は寒いの寒くないのツて、手も何も凍(かじか)んで了ふ――今夜のやうに酷烈(きび)しいことは今歳(ことし)になつて始めてだ。どうだ、君、是通りだ。』と丑松は氷のやうに成つた手を出して、銀之助に触つた。『まあ、何といふ冷い手だらう。』斯(か)う言つて、自分の手を引込まして、銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めたのである。
『顔色が悪いねえ、君は――奈何(どう)かしやしないか。』
 と思はず其を口に出した。敬之進も同じやうに不審を打つて、
『我輩も今、其を言はうかと思つて居たところさ。』
 丑松は何か思出したやうに慄へて、話さうか、話すまいか、と暫時(しばらく)躊躇(ちうちよ)する様子にも見えたが、あまり二人が熱心に自分の顔を熟視(みまも)るので、つい/\打明けずには居られなく成つて来た。
『実はねえ――まあ、不思議なことがあるんだ。』
『不思議なとは?』と銀之助も眉をひそめる。
『斯ういふ訳さ――僕が手提洋燈(てさげランプ)を持つて、校舎の外を一廻りして、あの運動場の木馬のところまで行くと、誰か斯う僕を呼ぶやうな声がした。見れば君、誰も居ないぢやないか。はてな、聞いたやうな声だと思つて、考へて見ると、其筈(そのはず)さ――僕の阿爺(おやぢ)の声なんだもの。』
『へえ、妙なことが有れば有るものだ。』と敬之進も不審(いぶか)しさうに、『それで、何ですか、奈何(どん)な風に君を呼びましたか、其声は。』
『「丑松、丑松」とつゞけざまに。』
『フウ、君の名前を?』と敬之進はもう目を円(まる)くして了(しま)つた。
『はゝゝゝゝ。』と銀之助は笑出して、『馬鹿なことを言ひたまへ。瀬川君も余程(よツぽど)奈何(どう)かして居るんだ。』
『いや、確かに呼んだ。』と丑松は熱心に。
『其様(そん)な事があつて堪るものか。何かまた間違へでも為たんだらう。』
『土屋君、君は左様(さう)笑ふけれど、確かに僕の名を呼んだに相違ないよ。風が呻吟(うな)つたでも無ければ、鳥が啼いたでも無い。そんな声を、まさかに僕だつて間違へる筈も無からうぢやないか。どうしても阿爺だ。』
『君、真実(ほんたう)かい――戯語(じようだん)ぢや無いのかい――また欺(かつ)ぐんだらう。』
『土屋君は其だから困る。僕は君これでも真面目(まじめ)なんだよ。確かに僕は斯(こ)の耳で聞いて来た。』
『其耳が宛(あて)に成らないサ。君の父上(おとつ)さんは西乃入(にしのいり)の牧場に居るんだらう。あの烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の谷間(たにあひ)に居るんだらう。それ、見給へ。其父上(おとつ)さんが斯様(こん)な隔絶(かけはな)れた処に居る君の名前を呼ぶなんて――馬鹿らしい。』
『だから不思議ぢやないか。』
『不思議? ちよツ、不思議といふのは昔の人のお伽話(とぎばなし)だ。はゝゝゝゝ、智識の進んで来た今日、そんな馬鹿らしいことの有るべき筈が無い。』
『しかし、土屋君。』と敬之進は引取つて、『左様(さう)君のやうに一概に言つたものでもないよ。』
『はゝゝゝゝ、旧弊な人は是だから困る。』と銀之助は嘲(あざけ)るやうに笑つた。
 急に丑松は聞耳を立てた。復(ま)た何か聞きつけたといふ風で、すこし顔色を変へて、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)を表したのである。戯れて居るので無いといふことは、其真面目な眼付を見ても知れた。
『や――復た呼ぶ声がする。何だか斯う窓の外の方で。』と丑松は耳を澄まして、『しかし、あまり不思議だ。一寸、僕は失敬するよ――もう一度行つて見て来るから。』
 ぷいと丑松は駈出して行つた。
 さあ、銀之助は友達のことが案じられる。敬之進はもう心に驚いて了(しま)つて、何かの前兆(しらせ)では有るまいか――第一、父親の呼ぶといふのが不思議だ、と斯う考へつゞけたのである。
『それはさうと、』と敬之進は思付いたやうに、『斯うして吾儕(われ/\)ばかり火鉢にあたつて居るのも気懸(きがゝ)りだ。奈何(どう)でせう、二人で行つて見てやつては。』
『むゝ、左様(さう)しませうか。』と銀之助も火鉢を離れて立上つた。『瀬川君はすこし奈何(どう)かしてるんでせうよ。まあ、僕に言はせると、何か神経の作用なんですねえ――兎(と)に角(かく)、それでは一寸待つて下さい。僕が今、手提洋燈(てさげランプ)を点(つ)けますから。』

       (二)

 深い思に沈み乍ら、丑松は声のする方へ辿(たど)つて行つた。見れば宿直室の窓を泄(も)れる灯(ひ)が、僅に庭の一部分を照して居るばかり。校舎も、樹木も、形を潜めた。何もかも今は夜の空気に包まれて、沈まり返つて、闇に隠れて居るやうに見える。それは少許(すこし)も風の無い、□(しん)とした晩で、寒威(さむさ)は骨に透徹(しみとほ)るかのやう。恐らく山国の気候の烈しさを知らないものは、斯(か)うした信濃の夜を想像することが出来ないであらう。
 父の呼ぶ声が復(ま)た聞えた。急に丑松は立留つて、星明りに周囲(そこいら)を透(すか)して視(み)たが、別に人の影らしいものが目に入るでも無かつた。すべては皆な無言である。犬一つ啼いて通らない斯の寒い夜に、何が音を出して丑松の耳を欺かう。
『丑松、丑松。』
 とまた呼んだ。さあ、丑松は畏(おそ)れず慄(ふる)へずに居られなかつた。心はもう底の底までも掻乱(かきみだ)されて了(しま)つたのである。たしかに其は父の声で――皺枯(しやが)れた中にも威厳のある父の声で、あの深い烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の谷間(たにあひ)から、遠く斯(こ)の飯山に居る丑松を呼ぶやうに聞えた。目をあげて見れば、空とても矢張(やはり)地の上と同じやうに、音も無ければ声も無い。風は死に、鳥は隠れ、清(すゞ)しい星の姿ところ/″\。銀河の光は薄い煙のやうに遠く荘厳(おごそか)な天を流れて、深大な感動を人の心に与へる。さすがに幽(かすか)な反射はあつて、仰げば仰ぐほど暗い藍色の海のやうなは、そこに他界を望むやうな心地もせらるゝのであつた。声――あの父の呼ぶ声は、斯の星夜の寒空を伝つて、丑松の耳の底に響いて来るかのやう。子の霊魂(たましひ)を捜すやうな親の声は確かに聞えた。しかし其意味は。斯う思ひ迷つて、丑松はあちこち/\と庭の内を歩いて見た。
 あゝ、何を其様(そんな)に呼ぶのであらう。丑松は一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。自分の精神の内部(なか)の苦痛(くるしみ)が、子を思ふ親の情からして、自然と父にも通じたのであらうか。飽くまでも素性を隠せ、今日までの親の苦心を忘れるな、といふ意味であらうか。それで彼の牧場の番小屋を出て、自分のことを思ひ乍ら呼ぶ其声が谿谷(たに)から谿谷へ響いて居るのであらうか。それとも、また、自分の心の迷ひであらうか。といろ/\に想像して見て、終(しまひ)には恐怖(おそれ)と疑心(うたがひ)とで夢中になつて、『阿爺(おとつ)さん、阿爺さん。』と自分の方から目的(あてど)もなく呼び返した。
『やあ、君は其処に居たのか。』
 と声を掛けて近(ちかづ)いたのは銀之助。つゞいて敬之進も。二人はしきりに手提洋燈(てさげランプ)をさしつけて、先づ丑松の顔を調べ、身の周囲(まはり)を調べ、それから闇を窺(うかゞ)ふやうにして見て、さて丑松からまた/\父の呼声のしたことを聞取つた。
『土屋君、それ見たまへ。』
 敬之進は寒さと恐怖(おそれ)とで慄へ乍ら言つた。銀之助は笑つて、
『どうしても其様(そん)なことは理窟に合はん。必定(きつと)神経の故(せゐ)だ。一体、瀬川君は妙に猜疑深(うたがひぶか)く成つた。だから其様(そん)な下らないものが耳に聞えるんだ。』
『左様(さう)かなあ、神経の故(せゐ)かなあ。』斯う丑松は反省するやうな調子で言つた。
『だつて君、考へて見たまへ。形の無いところに形が見えたり、声の無いところに声が聞えたりするなんて、それそこが君の猜疑深(うたがひぶか)く成つた証拠さ。声も、形も、其は皆な君が自分の疑心から産出(うみだ)した幻だ。』
『幻?』
『所謂(いはゆる)疑心暗鬼といふ奴だ。耳に聞える幻――といふのも少許(すこし)変な言葉だがね、まあ左様(さう)いふことも言へるとしたら、其が今夜君の聞いたやうな声なんだ。』
『あるひは左様(さう)かも知れない。』
 暫時(しばらく)、三人は無言になつた。天も地も□(しん)として、声が無かつた。急に是の星夜の寂寞(せきばく)を破つて、父の呼ぶ声が丑松の耳の底に響いたのである。
『丑松、丑松。』
 と次第に幽(かすか)になつて、啼(な)いて空を渡る夜の鳥のやうに、終(しまひ)には遠く細く消えて聞えなくなつて了つた。
『瀬川君。』と銀之助は手提洋燈をさしつけて、顔色を変へた丑松の様子を不思議さうに眺め乍ら、『どうしたい――君は。』
『今、また阿爺(おやぢ)の声がした。』
『今? 何にも聞えやしなかつたぢやないか。』
『ホウ、左様(さう)かねえ。』
『左様かねえもないもんだ。何(なんに)も声なぞは聞えやしないよ。』と言つて、銀之助は敬之進の方へ向いて、『風間さん、奈何(どう)でした――何か貴方には聞えましたか。』
『いゝえ。』と敬之進も力を入れた。
『ホウラ。風間さんにも聞えなければ、僕にも聞えない。聞いたのは、唯君ばかりだ。神経、神経――どうしても其に相違ない。』
 斯う言つて、軈て銀之助はあちこちと闇を照らして見た。天は今僅かに星の映る鏡、地は今大な暗い影のやう。一つとして声のありさうなものが、手提洋燈の光に入るでもなかつた。『はゝゝゝゝ。』と銀之助は笑ひ出して、『まあ、僕は耳に聞いたつて信じられない。目に見たつて信じられない。手に取つて、触(さは)つて見て、それからでなければ其様(そん)なことは信じられない。いよ/\こりやあ、僕の観察の通りだ。生理的に其様な声が聞えたんだ。はゝゝゝゝ。それはさうと、馬鹿に寒く成つて来たぢやないか。僕は最早(もう)斯うして立つて居られなくなつた――行かう。』

       (三)

 其晩、寝床へ入つてからも、丑松は父と先輩とのことを考へて、寝られなかつた。銀之助は直にもう高鼾(たかいびき)。どんなに丑松は傍に枕を並べて居る友達の寝顔を熟視(みまも)つて、その平穏(おだやか)な、安静(しづか)な睡眠(ねむり)を羨んだらう。夜も更(ふ)けた頃、むつくと寝床から跳起(はねお)きて、一旦細くした洋燈(ランプ)を復た明くしながら、蓮太郎に宛てた手紙を書いて見た。今はこの病気見舞すら人目を憚(はゞか)つて認(したゝ)める程に用心したのである。時々丑松は書きかけた筆を止めて、洋燈の光に友達の寝顔を窺つて見ると、銀之助は死んだ魚のやうに大な口を開いて、前後も知らず熟睡して居た。
 全く丑松は蓮太郎を知らないでも無かつた。人の紹介で逢つて見たことも有るし、今歳(ことし)になつて二三度手紙の往復(とりやり)もしたので、幾分(いくら)か互ひの心情(こゝろもち)は通じた。然し、蓮太郎は篤志な知己として丑松のことを考へて居るばかり、同じ素性の青年とは夢にも思はなかつた。丑松もまた、其秘密ばかりは言ふことを躊躇(ちうちよ)して居る。だから何となく奥歯に物が挾まつて居るやうで、其晩書いた丑松の手紙にも十分に思つたことが表れない。何故(なぜ)是程(これほど)に慕つて居るか、其さへ書けば、他の事はもう書かなくても済(す)む。あゝ――書けるものなら丑松も書く。其を書けないといふのは、丑松の弱点で、とう/\普通の病気見舞と同じものに成つて了つた。『東京にて、猪子蓮太郎先生、瀬川丑松より』と認(したゝ)め終つた時は、深く/\良心(こゝろ)を偽(いつは)るやうな気がした。筆を投(なげう)つて、嘆息して、復(ま)た冷い寝床に潜り込んだが、少許(すこし)とろ/\としたかと思ふと、直に恐しい夢ばかり見つゞけたのである。
 翌朝のことであつた。蓮華寺の庄馬鹿が学校へやつて来て、是非丑松に逢ひたいと言ふ。『何の用か』を小使に言はせると、『御目に懸つて御渡ししたいものが御座(ござい)ます』とか。出て行つて玄関のところで逢へば、庄馬鹿は一通の電報を手渡しした。不取敢(とりあへず)開封して読下して見ると、片仮名の文字も簡短に、父の死去したといふ報知(しらせ)が書いてあつた。突然のことに驚いて了つて、半信半疑で繰返した。確かに死去の報知には相違なかつた。発信人は根津の叔父。『直ぐ帰れ』としてある。
『それはどうも飛んだことで、嘸(さぞ)御力落しで御座ませう――はい、早速帰りまして、奥様にも申上げまするで御座ます。』
 斯(か)う庄馬鹿が言つた。小児(こども)のやうに死を畏れるといふ様子は、其愚(おろか)しい目付に顕(あら)はれるのであつた。
 丑松の父といふは、日頃極めて壮健な方で、激烈(はげ)しい気候に遭遇(であ)つても風邪一つ引かず、巌畳(がんでふ)な体躯(からだ)は反(かへ)つて壮夫(わかもの)を凌(しの)ぐ程の隠居であつた。牧夫の生涯(しやうがい)といへばいかにも面白さうに聞えるが、其実普通の人に堪へられる職業では無いのであつて、就中(わけても)西乃入の牧場の牛飼などと来ては、『彼(あ)の隠居だから勤まる』と人にも言はれる程。牛の性質を克(よ)く暗記して居るといふ丈では、所詮(しよせん)あの烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の深い谿谷(たにあひ)に長く住むことは出来ない。気候には堪へられても、寂寥(さびしさ)には堪へられない。温暖(あたゝか)い日の下に産れて忍耐の力に乏しい南国の人なぞは、到底斯(か)ういふ山の上の牧夫に適しないのである。そこはそれ、北部の信州人、殊に丑松の父は素朴な、勤勉な、剛健な気象で、労苦を労苦とも思はない上に、別に人の知らない隠遁の理由をも持つて居た。思慮の深い父は丑松に一生の戒を教へたばかりで無く、自分も亦た成るべく人目につかないやうに、と斯う用心して、子の出世を祈るより外にもう希望(のぞみ)もなければ慰藉(なぐさめ)もないのであつた。丑松のため――其を思ふ親の情からして、人里遠い山の奥に浮世を離れ、朝夕炭焼の煙りを眺め、牛の群を相手に寂しい月日を送つて来たので。月々丑松から送る金の中から好(すき)な地酒を買ふといふことが、何よりの斯(この)牧夫のたのしみ。労苦も寂寥(さびしさ)も其の為に忘れると言つて居た。斯ういふ阿爺(おやぢ)が――まあ、鋼鉄のやうに強いとも言ひたい阿爺が、病気の前触(まへぶれ)も無くて、突然死去したと言つてよこしたとは。
 電報は簡短で亡くなつた事情も解らなかつた。それに、父が牧場の番小屋に上るのは、春雪の溶け初める頃で、また谷々が白く降り埋(うづ)められる頃になると、根津村の家へ下りて来る毎年(まいとし)の習慣である。もうそろ/\冬籠りの時節。考へて見れば、亡くなつた場処は、西乃入か、根津か、其すら斯電報では解らない。
 しかし、其時になつて、丑松は昨夜(ゆうべ)の出来事を思出した。あの父の呼声を思出した。あの呼声が次第に遠く細くなつて、別離(わかれ)を告げるやうに聞えたことを思出した。
 斯の電報を銀之助に見せた時は、流石(さすが)の友達も意外なといふ感想(かんじ)に打たれて、暫時(しばらく)茫然(ぼんやり)として突立つた儘(まゝ)、丑松の顔を眺めたり、死去の報告(しらせ)を繰返して見たりした。軈(やが)て銀之助は思ひついたやうに、
『むゝ、根津には君の叔父さんがあると言つたツけねえ。左様(さう)いふ叔父さんが有れば、万事見ては呉れたらう。しかし気の毒なことをした。なにしろ、まあ早速帰る仕度をしたまへ。学校の方は、君、奈何(どう)にでも都合するから。』
 斯う言つて呉れる友達の顔には真実が輝き溢(あふ)れて居た。たゞ銀之助は一語(ひとこと)も昨夜のことを言出さなかつたのである。『死は事実だ――不思議でも何でも無い』と斯(こ)の若い植物学者は眼で言つた。
 校長は時刻を違(たが)へず出勤したので、早速この報知(しらせ)を話した。丑松は直にこれから出掛けて行きたいと話した。留守中何分宜敷(よろしく)、受持の授業のことは万事銀之助に頼んで置いたと話した。
『奈何(どんな)にか君も吃驚(びつくり)なすつたでせう。』と校長は忸々敷(なれ/\しい)調子で言つた。『学校の方は君、土屋君も居るし、勝野君も居るし、其様(そん)なことはもう少許(すこし)も御心配なく。実に我輩も意外だつた、君の父上(おとつ)さんが亡(な)くならうとは。何卒(どうか)、まあ、彼方(あちら)の御用も済み、忌服(きぶく)でも明けることになつたら、また学校の為に十分御尽力を願ひませう。吾儕(われ/\)の事業(しごと)が是丈(これだけ)に揚つて来たのも、一つは君の御骨折からだ。斯うして君が居て下さるんで、奈何(どんな)にか我輩も心強いか知れない。此頃(こなひだ)も或処で君の評判を聞いて来たが、何だか斯う我輩は自分を褒められたやうな心地(こゝろもち)がした。実際、我輩は君を頼りにして居るのだから。』と言つて気を変へて、『それにしても、出掛けるとなると、思つたよりは要(かゝ)るものだ。少許位(すこしぐらゐ)は持合せも有ますから、立替へて上げても可(いゝ)のですが、どうです少許(すこし)御持ちなさらんか。もし御入用(おいりよう)なら遠慮なく言つて下さい。足りないと、また困りますよ。』
 と言ふ校長の言葉はいかにも巧みであつた。しかし丑松の耳には唯わざとらしく聞えたのである。
『瀬川君、それでは届を忘れずに出して行つて下さい――何も規則ですから。』
 斯う校長は添加(つけた)して言つた。

       (四)

 丑松が急いで蓮華寺へ帰つた時は、奥様も、お志保も飛んで出て来て、電報の様子を問ひ尋ねた。奈何(どんな)に二人は丑松の顔を眺めて、この可傷(いたま)しい報知(しらせ)の事実を想像したらう。奈何に二人は昨夜の不思議な出来事を聞取つて、女心に恐しくあさましく考へたらう。奈何に二人は世にある多くの例(ためし)を思出して、死を告げる前兆(しらせ)、逢ひに来る面影、または闇を飛ぶといふ人魂(ひとだま)の迷信なぞに事寄せて、この暗合した事実に胸を騒がせたらう。
『それはさうと、』と奥様は急に思付いたやうに、『まだ貴方は朝飯前でせう。』
『あれ、左様(さう)でしたねえ。』とお志保も言葉を添へた。
『瀬川さん。そんなら準備(したく)して御出(おいで)なすつて下さい。今直に御飯にいたしますから。是(これ)から御出掛なさるといふのに、生憎(あいにく)何にも無くて御気の毒ですねえ――塩鮭(しほびき)でも焼いて上げませうか。』
 奥様はもう涙ぐんで、蔵裏(くり)の内をぐる/\廻つて歩いた。長い年月の精舎(しやうじや)の生活は、この女の性質を感じ易く気短くさせたのである。
『なむあみだぶ。』
 と斯(こ)の有髪(うはつ)の尼(あま)は独語(ひとりごと)のやうに唱へて居た。
 丑松は二階へ上つて大急ぎで旅の仕度をした。
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