破戒
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著者名:島崎藤村 

『あれ彼処に――先生、あれが吾家(うち)の母さんでごはす。』
 と省吾は指差して見せて、すこし顔を紅(あか)くした。同僚の細君の噂(うはさ)、それを丑松も聞かないでは無かつたが、然し眼前(めのまへ)に働いて居る女が其人とはすこしも知らなかつた。古びた上被(うはつぱり)、茶色の帯、盲目縞(めくらじま)の手甲(てつかふ)、編笠に日を避(よ)けて、身体を前後に動かし乍ら、□々(せつせ)と稲の穂を扱落(こきおと)して居る。信州北部の女はいづれも強健(つよ)い気象のものばかり。克(よ)く働くことに掛けては男子にも勝(まさ)る程であるが、教員の細君で野面(のら)にまで出て、烈しい気候を相手に精出すものも鮮少(すくな)い。是(これ)も境遇からであらう、と憐んで見て居るうちに、省吾はまた指差して、彼の槌を振上げて籾(もみ)を打つ男、彼(あれ)は手伝ひに来た旧(むかし)からの出入のもので、音作といふ百姓であると話した。母と彼男(あのをとこ)との間に、箕(み)を高く頭の上に載せ、少許(すこし)づつ籾を振ひ落して居る女、彼(あれ)は音作の『おかた』(女房)であると話した。丁度其女房が箕を振る度に、空殻(しひな)の塵(ほこり)が舞揚つて、人々は黄色い烟を浴びるやうに見えた。省吾はまた、母の傍(わき)に居る小娘を指差して、彼が異母(はらちがひ)の妹のお作であると話した。
『君の兄弟は幾人(いくたり)あるのかね。』と丑松は省吾の顔を熟視(まも)り乍ら尋ねた。
『七人。』といふ省吾の返事。
『随分多勢だねえ、七人とは。君に、姉さんに、尋常科の進さんに、あの妹に――それから?』
『まだ下に妹が一人と弟が一人。一番年長(うへ)の兄さんは兵隊に行つて死にやした。』
『むゝ左様(さう)ですか。』
『其中で、死んだ兄さんと、蓮華寺へ貰はれて行きやした姉さんと、私(わし)と――これだけ母さんが違ひやす。』
『そんなら、君やお志保さんの真実(ほんたう)の母さんは?』
『最早(もう)居やせん。』
 斯ういふ話をして居ると、不図(ふと)継母(まゝはゝ)の呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。

       (二)

『省吾や。お前(めへ)はまあ幾歳(いくつ)に成つたら御手伝ひする積りだよ。』と言ふ細君の声は手に取るやうに聞えた。省吾は継母を懼(おそ)れるといふ様子して、おづ/\と其前に立つたのである。
『考へて見な、もう十五ぢやねえか。』と怒を含んだ細君の声は復た聞えた。『今日は音さんまで御頼申(おたのまう)して、斯うして塵埃(ほこり)だらけに成つて働(かま)けて居るのに、それがお前の目には見えねえかよ。母さんが言はねえだつて、さつさと学校から帰つて来て、直に御手伝ひするのが当然(あたりまへ)だ。高等四年にも成つて、未(ま)だ□螽捕(いなごと)りに夢中に成つてるなんて、其様(そん)なものが何処にある――与太坊主め。』
 見れば細君は稲扱(いねこ)く手を休めた。音作の女房も振返つて、気の毒さうに省吾の顔を眺め乍ら、前掛を〆直(しめなほ)したり、身体の塵埃(ほこり)を掃つたりして、軈(やが)て顔に流れる膏汗(あぶらあせ)を拭いた。莚(むしろ)の上の籾は黄な山を成して居る。音作も亦た槌の長柄に身を支へて、うんと働いた腰を延ばして、濃く青い空気を呼吸した。
『これ、お作や。』と細君の児を叱る声が起つた。『どうして其様(そん)な悪戯(いたづら)するんだい。女の児は女の児らしくするもんだぞ。真個(ほんと)に、どいつもこいつも碌なものはありやあしねえ。自分の子ながら愛想(あいそ)が尽きた。見ろ、まあ、進を。お前達二人より余程(よつぽど)御手伝ひする。』
『あれ、進だつて遊(あす)んで居やすよ。』といふのは省吾の声。
『なに、遊んでる?』と細君はすこし声を震はせて、『遊んでるものか。先刻(さつき)から御子守をして居やす。其様(そん)なお前のやうな役に立たずぢやねえよ。ちよツ、何ぞと言ふと、直に口答へだ。父さんが過多(めた)甘やかすもんだから、母さんの言ふことなぞ少許(ちつと)も聞きやしねえ。真個(ほんと)に図太(づな)い口の利きやうを為る。だから省吾は嫌ひさ。すこし是方(こちら)が遠慮して居れば、何処迄いゝ気に成るか知れやしねえ。あゝ必定(きつと)また蓮華寺へ寄つて、姉さんに何か言付けて来たんだらう。それで斯様(こんな)に遅くなつたんだらう。内証で隠れて行つて見ろ――酷いぞ。』
『奥様。』と音作は見兼ねたらしい。『何卒(どうか)まあ、今日(こんち)のところは、私(わし)に免じて許して下さるやうに。ない(なあと同じ農夫の言葉)、省吾さん、貴方(あんた)もそれぢやいけやせん。母さんの言ふことを聞かねえやうなものなら、私だつて提棒(さげぼう)(仲裁)に出るのはもう御免だから。』
 音作の女房も省吾の側へ寄つて、軽く背を叩(たゝ)いて私語(さゝや)いた。軈て女房は其手に槌の長柄を握らせて、『さあ、御手伝ひしやすよ。』と亭主の方へ連れて行つた。『どれ、始めずか(始めようか)。』と音作は省吾を相手にし、槌を振つて籾を打ち始めた。『ふむ、よう。』の掛声も起る。細君も、音作の女房も、復た仕事に取懸つた。
 図(はか)らず丑松は敬之進の家族を見たのである。彼(あ)の可憐な少年も、お志保も、細君の真実(ほんたう)の子では無いといふことが解つた。夫の貧を養ふといふ心から、斯うして細君が労苦して居るといふことも解つた。五人の子の重荷と、不幸な夫の境遇とは、細君の心を怒り易く感じ易くさせたといふことも解つた。斯う解つて見ると、猶々(なほ/\)丑松は敬之進を憐むといふ心を起したのである。
 今はすこし勇気を回復した。明(あきらか)に見、明に考へることが出来るやうに成つた。眼前(めのまへ)に展(ひろが)る郊外の景色を眺めると、種々(さま/″\)の追憶(おもひで)は丑松の胸の中を往つたり来たりする。丁度斯うして、田圃(たんぼ)の側(わき)に寝そべり乍ら、収穫(とりいれ)の光景(さま)を眺めた彼(あ)の無邪気な少年の時代を憶出(おもひだ)した。烏帽子(ゑぼし)一帯の山脈の傾斜を憶出した。其傾斜に連なる田畠と石垣とを憶出した。茅萱(ちがや)、野菊、其他種々な雑草が霜葉を垂れる畦道(あぜみち)を憶出した。秋風が田の面を渡つて黄な波を揚げる頃は、□螽(いなご)を捕つたり、野鼠を追出したりして、夜はまた炉辺(ろばた)で狐と狢(むじな)が人を化かした話、山家で言ひはやす幽霊の伝説、放縦(ほしいまゝ)な農夫の男女(をとこをんな)の物語なぞを聞いて、余念もなく笑ひ興じたことを憶出(おもひだ)した。あゝ、穢多の子といふ辛い自覚の味を知らなかつた頃――思へば一昔――其頃と今とは全く世を隔てたかの心地がする。丑松はまた、あの長野の師範校で勉強した時代のことを憶出した。未だ世の中を知らなかつたところからして、疑ひもせず、疑はれもせず、他(ひと)と自分とを同じやうに考へて、笑つたり騒いだりしたことを憶出した。あの寄宿舎の楽しい窓を憶出した。舎監の赤い髭を憶出した。食堂の麦飯の香(にほひ)を憶出した。よく阿弥陀(あみだ)の□(くじ)に当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。夜の休息(やすみ)を知らせる鐘が鳴り渡つて、軈(やが)て見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、沈まりかへつて居た朋輩が復(ま)た起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。終(しまひ)には往生寺の山の上に登つて、苅萱(かるかや)の墓の畔(ほとり)に立ち乍ら、大(おほき)な声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると――実に一生の光景(ありさま)は変りはてた。楽しい過去の追憶(おもひで)は今の悲傷(かなしみ)を二重にして感じさせる。『あゝ、あゝ、奈何(どう)して俺は斯様(こんな)に猜疑深(うたがひぶか)くなつたらう。』斯う天を仰いで歎息した。急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺め乍ら考へて居たが、思はず知らず疲労(つかれ)が出て、『藁によ』に倚凭(よりかゝ)つたまゝ寝て了つた。

       (三)

 ふと眼を覚まして四辺(そこいら)を見廻した時は、暮色が最早(もう)迫つて来た。向ふの田の中の畦道(あぜみち)を帰つて行く人々も見える。荒くれた男女の農夫は幾群か丑松の側(わき)を通り抜けた。鍬(くは)を担いで行くものもあり、俵を背負つて行くものもあり、中には乳呑児(ちのみご)を抱擁(だきかゝ)へ乍ら足早に家路をさして急ぐのもあつた。秋の一日(ひとひ)の烈しい労働は漸(やうや)く終を告げたのである。
 まだ働いて居るものもあつた。敬之進の家族も急いで働いて居た。音作は腰を曲(こゞ)め、足に力を入れ、重い俵(たはら)を家の方へ運んで行く。後には女二人と省吾ばかり残つて、籾(もみ)を振(ふる)つたり、それを俵へ詰めたりして居た。急に『かあさん、かあさん。』と呼ぶ声が起る。見れば省吾の弟、泣いて反返(そりかへ)る児を背負(おぶ)ひ乍ら、一人の妹を連れて母親の方へ駈寄つた。『おゝ、おゝ。』と細君は抱取つて、乳房を出して銜(くは)へさせて、
『進や。父さんは何してるか、お前(めへ)知らねえかや。』
『俺(おら)知んねえよ。』
『あゝ。』と細君は襦袢(じゆばん)の袖口で□(まぶち)を押拭ふやうに見えた。『父さんのことを考へると、働く気もなにも失くなつて了ふ――』
『母さん、作ちやんが。』と進は妹の方を指差し乍ら叫んだ。
『あれ。』と細君は振返つて、『誰だい其袋を開けたものは――誰だい母さんに黙つて其袋を開けたものは。』
『作ちやんは取つて食ひやした。』と進の声で。
『真実(ほんと)に仕方が無いぞい――彼娘(あのこ)は。』と細君は怒気を含んで、『其袋を茲(こゝ)へ持つて来な――これ、早く持つて来ねえかよ。』
 お作は八歳(やつつ)ばかりの女の児。麻の袋を手に提げた儘、母の権幕を畏(おそ)れて進みかねる。『母さん、お呉(くん)な。』と進も他の子供も強請(せが)み付く。省吾も其と見て、母の傍へ駈寄つた。細君はお作の手から袋を奪取るやうにして、
『どれ、見せな――そいつたツても、まあ、情ない。道理で先刻(さつき)から穏順(おとな)しいと思つた。すこし母さんが見て居ないと、直に斯様(こん)な真似を為る。黙つて取つて食ふやうなものは、泥棒だぞい――盗人(ぬすツと)だぞい――ちよツ、何処へでも勝手に行つて了へ、其様(そん)な根性(こんじやう)の奴は最早(もう)母さんの子ぢやねえから。』
 斯う言つて、袋の中に残る冷(つめた)い焼餅(おやき)らしいものを取出して、細君は三人の児に分けて呉れた。
『母さん、俺(おん)にも。』とお作は手を出した。
『何だ、お前は。自分で取つて食つて置き乍ら。』
『母さん、もう一つお呉(くん)な。』と省吾は訴へるやうに、『進には二つ呉れて、私(わし)には一つしか呉ねえだもの。』
『お前は兄さんぢやねえか。』
『進には彼様(あん)な大いのを呉れて。』
『嫌なら、廃(よ)しな、さあ返しな――機嫌克(よ)くして母さんの呉れるものを貰つた例(ためし)はねえ。』
 進は一つ頬張り乍ら、軈(やが)て一つの焼餅(おやき)を見せびらかすやうにして、『省吾の馬鹿――やい、やい。』と呼んだ。省吾は忌々敷(いま/\しい)といふ様子。いきなり駈寄つて、弟の頭を握拳(にぎりこぶし)で打つ。弟も利かない気。兄の耳の辺(あたり)を打ち返した。二人の兄弟は怒の為に身を忘れて、互に肩を聳して、丁度野獣(けもの)のやうに格闘(あらそひ)を始める。音作の女房が周章(あわ)てゝ二人を引分けた時は、兄弟ともに大な声を揚げて泣叫ぶのであつた。
『どうしてまあ兄弟喧嘩(きやうだいげんくわ)を為るんだねえ。』と細君は怒つて、『左様(さう)お前達に側(はた)で騒がれると、母さんは最早(もう)気が狂(ちが)ひさうに成る。』
 斯の光景(ありさま)を丑松は『藁によ』の蔭に隠れ乍ら見て居た。様子を聞けば聞くほど不幸な家族を憐まずには居られなくなる。急に暮鐘の音に驚かされて、丑松は其処を離れた。
 寂しい秋晩の空に響いて、また蓮華寺の鐘の音が起つた。それは多くの農夫の為に、一日の疲労(つかれ)を犒(ねぎら)ふやうにも、楽しい休息(やすみ)を促(うなが)すやうにも聞える。まだ野に残つて働いて居る人々は、いづれも仕事を急ぎ初めた。今は夕靄(ゆふもや)の群が千曲川(ちくまがは)の対岸を籠(こ)めて、高社山(かうしやざん)一帯の山脈も暗く沈んだ。西の空は急に深い焦茶(こげちや)色に変つたかと思ふと、やがて落ちて行く秋の日が最後の反射を田(た)の面(も)に投げた。向ふに見える杜(もり)も、村落も、遠く暮色に包まれて了つたのである。あゝ、何の煩ひも思ひ傷むことも無くて、斯(か)ういふ田園の景色を賞することが出来たなら、どんなにか青春の時代も楽しいものであらう。丑松が胸の中に戦ふ懊悩(あうなう)を感ずれば感ずる程、余計に他界(そと)の自然は活々(いき/\)として、身に染(し)みるやうに思はるゝ。南の空には星一つ顕(あらは)れた。その青々とした美しい姿は、一層夕暮の眺望を森厳(おごそか)にして見せる。丑松は眺め入り乍ら、自分の一生を考へて歩いた。
『しかし、其が奈何(どう)した。』と丑松は豆畠の間の細道へさしかゝつた時、自分で自分を激□(はげ)ますやうに言つた。『自分だつて社会の一員(ひとり)だ。自分だつて他(ひと)と同じやうに生きて居る権利があるのだ。』
 斯の思想(かんがへ)に力を得て、軈て帰りかけて振返つて見た時は、まだ敬之進の家族が働いて居た。二人の女が冠つた手拭は夕闇に仄白(ほのじろ)く、槌の音は冷々(ひや/″\)とした空気に響いて、『藁を集めろ』などゝいふ声も幽(かすか)に聞える。立つて是方(こちら)を向いたのは省吾か。今は唯動いて居る暗い影かとばかり、人々の顔も姿も判らない程に暮れた。

       (四)

『おつかれ』(今晩は)と逢(あ)ふ人毎に声を掛けるのは山家の黄昏(たそがれ)の習慣(ならはし)である。丁度新町の町はづれへ出て、帰つて行く農夫に出逢ふ度に、丑松は斯(この)挨拶を交換(とりかは)した。一ぜんめし、御休所、笹屋、としてある家(うち)の前で、また『おつかれ』を繰返したが、其は他の人でもない、例の敬之進であつた。
『おゝ、瀬川君か。』と敬之進は丑松を押留めるやうにして、『好い処で逢つた。何時か一度君とゆつくり話したいと思つて居た。まあ、左様(さう)急がんでもよからう。今夜は我輩に交際(つきあ)つて呉れてもよからう。斯ういふ処で話すのも亦(ま)た一興だ。是非、君に聞いて貰ひたいこともあるんだから――』
 斯(か)う慫慂(そゝのか)されて、丑松は敬之進と一緒に笹屋の入口の敷居を跨いで入つた。昼は行商、夜は農夫などが疲労(つかれ)を忘れるのは茲(こゝ)で、大な炉(ろ)には『ぼや』(雑木の枝)の火が赤々と燃上つた。壁に寄せて古甕(ふるがめ)のいくつか並べてあるは、地酒が溢れて居るのであらう。今は農家は忙しい時季(とき)で、長く御輿(みこし)を座(す)ゑるものも無い。一人の農夫が草鞋穿(わらぢばき)の儘(まゝ)、ぐいと『てツぱ』(こつぷ酒)を引掛けて居たが、軈(やが)て其男の姿も見えなくなつて、炉辺(ろばた)は唯二人の専有(もの)となつた。
『今晩は何にいたしやせう。』と主婦(かみさん)は炉の鍵に大鍋を懸け乍ら尋ねた。『油汁(けんちん)なら出来やすが、其ぢやいけやせんか。河で捕れた鰍(かじか)もごはす。鰍でも上げやせうかなあ。』
『鰍?』と敬之進は舌なめずりして、『鰍、結構――それに、油汁と来ては堪(こた)へられない。斯ういふ晩は暖い物に限りますからね。』
 敬之進は酒慾の為に慄へて居た。素面(しらふ)で居る時は、からもう元気の無い人で、言葉もすくなく、病人のやうに見える。五十の上を一つか二つも越したらうか、年の割合には老(ふけ)たといふでも無く、まだ髪は黒かつた。丑松は『藁によ』の蔭で見たり聞いたりした家族のことを思ひ浮べて、一層斯人(このひと)に親しくなつたやうな心地がした。『ぼや』の火も盛んに燃えた。大鍋の中の油汁(けんちん)は沸々(ふつ/\)と煮立つて来て、甘さうな香(にほひ)が炉辺に満溢(みちあふ)れる。主婦(かみさん)は其を小丼(こどんぶり)に盛つて出し、酒は熱燗(あつかん)にして、一本づゝ古風な徳利を二人の膳の上に置いた。
『瀬川君。』と敬之進は手酌でちびり/\始め乍ら、『君が飯山へ来たのは何時でしたつけねえ。』
『私(わたし)ですか。私が来てから最早(もう)足掛三年に成ります。』と丑松は答へた。
『へえ、其様(そんな)に成るかねえ。つい此頃(こなひだ)のやうにしか思はれないがなあ。実に月日の経つのは早いものさ。いや、我輩なぞが老込む筈だよ。君等がずん/\進歩するんだもの。我輩だつて、君、一度は君等のやうな時代もあつたよ。明日は、明日は、明日はと思つて居る内に、もう五十といふ声を聞くやうに成つた。我輩の家(うち)と言ふのはね、もと飯山の藩士で、少年の時分から君侯の御側に勤めて、それから江戸表へ――丁度御維新(ごいツしん)に成る迄。考へて見れば時勢は還(うつ)り変つたものさねえ。変遷、変遷――見たまへ、千曲川の岸にある城跡を。彼(あ)の名残の石垣が君等の目にはどう見えるね。斯う蔦(つた)や苺(いちご)などの纏絡(まとひつ)いたところを見ると、我輩はもう言ふに言はれないやうな心地(こゝろもち)になる。何処の城跡へ行つても、大抵は桑畠(くはばたけ)。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄踏堪(ふみこた)へて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものは無い――実は我輩も其一人だがね。はゝゝゝゝ。』
 と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差し乍ら、
『一つ交換といふことに願ひませうか。』
『まあ、御酌(おしやく)しませう。』と丑松は徳利を持添へて勧めた。
『それは不可(いかん)。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君は斯の方は遣(や)らないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ。』
『なに、私のは三盃上戸(さんばいじやうご)といふ奴なんです。』
『兎(と)に角(かく)、斯盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様(こん)なことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様(さやう)さ、小学教員の資格が出来てから足掛十五年に成るがね、其間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君等に笑はれるかも知れないが、終(しまひ)には教場へ出て、何を生徒に教へて居るのか、自分乍ら感覚が無くなつて了つた。はゝゝゝゝ。いや、全くの話が、長く教員を勤めたものは、皆な斯ういふ経験があるだらうと思ふよ。実際、我輩なぞは教育をして居るとは思はなかつたね。羽織袴(はおりはかま)で、唯月給を貰ふ為に、働いて居るとしか思はなかつた。だつて君、左様(さう)ぢやないか、尋常科の教員なぞと言ふものは、学問のある労働者も同じことぢやないか。毎日、毎日――騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、僅少(わづか)の月給で、長い時間を働いて、克(よ)くまあ今日迄自分でも身体が続いたと思ふ位だ。あるひは君等の目から見たら、今茲(こゝ)で我輩が退職するのは智慧(ちゑ)の無い話だと思ふだらう。そりやあ我輩だつて、もう六ヶ月踏堪(ふみこた)へさへすれば、仮令(たとへ)僅少(わづか)でも恩給の下(さが)る位は承知して居るさ。承知して居ながら、其が我輩には出来ないから情ない。是から以後(さき)我輩に働けと言ふのは、死ねといふも同じだ。家内はまた家内で心配して、教員を休(や)めて了(しま)つたら、奈何(どう)して活計(くらし)が立つ、銀行へ出て帳面でもつけて呉れろと言ふんだけれど、どうして君、其様(そん)な真似が我輩に出来るものか。二十年来慣れたことすら出来ないものを、是から新規に何が出来よう。根気も、精分も、我輩の身体の内にあるものは悉皆(すつかり)もう尽きて了つた。あゝ、生きて、働いて、仆(たふ)れるまで鞭撻(むちう)たれるのは、馬車馬の末路だ――丁度我輩は其馬車馬さ。はゝゝゝゝ。』

       (五)

 急に入つて来た少年に妨げられて、敬之進は口を噤(つぐ)んだ。流許(ながしもと)に主婦(かみさん)、暗い洋燈(ランプ)の下で、かちや/\と皿小鉢を鳴らして居たが、其と見て少年の側へ駈寄つた。
『あれ、省吾さんでやすかい。』
 と言はれて、省吾は用事ありげな顔付。
『吾家(うち)の父さんは居りやすか。』
『あゝ居なさりやすよ。』と主婦は答へた。
 敬之進は顔を渋(しか)めた。入口の庭の薄暗いところに佇立(たゝず)んで居る省吾を炉辺(ろばた)まで連れて来て、つく/″\其可憐な様子を眺(なが)め乍(なが)ら、
『奈何(どう)した――何か用か。』
『あの、』と省吾は言淀(いひよど)んで、『母さんがねえ、今夜は早く父さんに御帰りなさいツて。』
『むゝ、また呼びによこしたのか――ちよツ、極(きま)りを遣(や)つてら。』と敬之進は独語(ひとりごと)のやうに言つた。
『そんなら父さんは帰りなさらないんですか。』と省吾はおづ/\尋ねて見る。
『帰るサ――御話が済(す)めば帰るサ。母さんに斯う言へ、父さんは学校の先生と御話して居ますから、其が済めば帰りますツて。』と言つて、敬之進は一段声を低くして、『省吾、母さんは今何してる?』
『籾(もみ)を片付けて居りやす。』
『左様(さう)か、まだ働いてるか。それから彼(あ)の……何か……母さんはまた例(いつも)のやうに怒つてやしなかつたか。』
 省吾は答へなかつた。子供心にも、父を憐むといふ目付して、黙つて敬之進の顔を熟視(みまも)つたのである。
『まあ、冷(つめた)さうな手をしてるぢやないか。』と敬之進は省吾の手を握つて、『それ金銭(おあし)を呉れる。柿でも買へ。母さんや進には内証だぞ。さあ最早(もう)それで可(いゝ)から、早く帰つて――父さんが今言つた通りに――よしか。解つたか。』
 省吾は首を垂れて、萎(しを)れ乍ら出て行つた。
『まあ聞いて呉れたまへ。』と敬之進は復(ま)た述懐を始めた。『ホラ、君が彼の蓮華寺へ引越す時、我輩も門前まで行きましたらう――実は、君だから斯様(こん)なこと迄も御話するんだが、彼寺には不義理なことがしてあつて、住職は非常に怒つて居る。我輩が飲む間は、交際(つきあ)はぬといふ。情ないとは思ふけれど、其様(そん)な関係で、今では娘の顔を見に行くことも出来ないやうな仕末。まあ、彼寺へ呉れて了つたお志保と、省吾と、それから亡くなつた総領と、斯う三人は今の家内の子では無いのさ。前(せん)の家内といふのは、矢張(やはり)飯山の藩士の娘でね、我輩の家(うち)の楽な時代に嫁(かたづ)いて来て、未だ今のやうに零落しない内に亡(な)くなつた。だから我輩は彼女(あいつ)のことを考へる度に、一生のうちで一番楽しかつた時代を思出さずには居られない。一盃(いつぱい)やると、きつと其時代のことを思出すのが我輩の癖で――だつて君、年を取れば、思出すより外に歓楽(たのしみ)が無いのだもの。あゝ、前(せん)の家内は反(かへ)つて好い時に死んだ。人間といふものは妙なもので、若い時に貰つた奴がどうしても一番好いやうな気がするね。それに、性質が、今の家内のやうに利(き)かん気では無かつたが、そのかはり昔風に亭主に便(たよ)るといふ風で、何処迄(どこまで)も我輩を信じて居た。蓮華寺へ行つたお志保――彼娘(あのこ)がまた母親に克(よ)く似て居て、眼付なぞはもう彷彿(そつくり)さ。彼娘の顔を見ると、直に前(せん)の家内が我輩の眼に映る。我輩ばかりぢやない、他(ひと)が克く其を言つて、昔話なぞを始めるものだから、さあ今の家内は面白くないと見えるんだねえ。正直御話すると、我輩も蓮華寺なぞへ彼娘を呉れたくは無かつた。然し吾家(うち)に置けば、彼娘の為にならない。第一、其では可愛さうだ。まあ、蓮華寺では非常に欲(ほし)がるし、奥様も子は無し、それに他の土地とは違つて寺院(てら)を第一とする飯山ではあり、するところからして、お志保を手放して遣つたやうな訳さ。』
 聞けば聞くほど、丑松は気の毒に成つて来た。成程(なるほど)、左様(さう)言はれて見れば、落魄(らくはく)の画像(ゑすがた)其儘(そのまゝ)の様子のうちにも、どうやら武士らしい威厳を具へて居るやうに思はるゝ。
『丁度、それは彼娘の十三の時。』と敬之進は附和(つけた)して言つた。

       (六)

『噫(あゝ)。我輩の生涯(しやうがい)なぞは実に碌々(ろく/\)たるものだ。』と敬之進は更に嘆息した。『しかし瀬川君、考へて見て呉れたまへ。君は碌々といふ言葉の内に、どれほどの酸苦が入つて居ると考へる。斯(か)うして我輩は飲むから貧乏する、と言ふ人もあるけれど、我輩に言はせると、貧乏するから飲むんだ。一日たりとも飲まずには居られない。まあ、我輩も、始の内は苦痛(くるしみ)を忘れる為に飲んだのさ。今では左様(さう)ぢや無い、反つて苦痛を感ずる為に飲む。はゝゝゝゝ。と言ふと可笑(をか)しく聞えるかも知れないが、一晩でも酒の気が無からうものなら、寂しくて、寂しくて、身体は最早(もう)がた/\震(ふる)へて来る。寝ても寝られない。左様(さう)なると殆(ほと)んど精神は無感覚だ。察して呉れたまへ――飲んで苦しく思ふ時が、一番我輩に取つては活きてるやうな心地(こゝろもち)がするからねえ。恥を御話すればいろ/\だが、我輩も飯山学校へ奉職する前には、下高井の在で長く勤めたよ。今の家内を貰つたのは、丁度その下高井に居た時のことさ。そこはそれ、在に生れた女だけあつて、働くことは家内も克(よ)く働く。霜を掴(つか)んで稲を刈るやうなことは到底我輩には出来ないが――我輩がまた其様(そん)な真似をして見給へ、直に病気だ――ところが彼女(あいつ)には堪へられる。貧苦を忍ぶといふ力は家内の方が反つて我輩より強いね。だから君、最早(もう)斯う成つた日にやあ、恥も外聞もあつたものぢや無い、私は私でお百姓する、なんて言出して、馬鹿な、女の手で作なぞを始めた。我輩の家に旧(もと)から出入りする百姓の音作、あの夫婦が先代の恩返しだと言つて、手伝つては呉れるがね、どうせ左様(さう)うまく行きツこはないさ。それを我輩が言ふんだけれど、どうしても家内は聞入れない。尤(もつと)も、我輩は士族だから、一反歩は何坪あるのか、一束(つか)に何斗の年貢を納めるのか、一升蒔(まき)で何俵の籾(もみ)が取れるのか、一体年(ねん)に肥料が何(ど)の位要(い)るものか、其様(そん)なことは薩張(さつぱり)解らん。現に我輩は家内が何坪借りて作つて居るかといふことも知らない。まあ、家内の量見では、子供に耕作(さく)でも見習はせて、行く/\は百姓に成つて了ふ積りらしいんだ。そこで毎時(いつ)でも我輩と衝突が起る。どうせ彼様(あん)な無学な女は子供の教育なんか出来よう筈も無い。実際、我輩の家庭で衝突の起因(おこり)と言へば必ず子供のことさ。子供がある為に夫婦喧嘩もするやうなものだが、又、その夫婦喧嘩をした為に子供が出来たりする。あゝ、もう沢山(たくさん)だ、是上出来たら奈何(どう)しよう、一人子供が増(ふえ)れば其丈(それだけ)貧苦を増すのだと思つても、出来るものは君どうも仕方が無いぢやないか。今の家内が三番目の女の児を産んだ時、えゝお末と命(つ)けてやれ、お末とでも命けたら終(おしまひ)に成るか、斯う思つたら――どうでせう、君、直にまた四番目サ。仕方が無いから、今度は留吉とした。まあ、五人の子供に側で泣き立てられて見たまへ。なか/\遣(や)りきれた訳のものでは無いよ。惨苦、惨苦――我輩は子供の多い貧乏な家庭を見る度に、つく/″\其惨苦を思ひやるねえ。五人の子供ですら食はせるのは容易ぢやない、若(も)しまた是上に出来でもしたら、我輩の家なぞでは最早(もう)奈何(どう)していゝか解らん。』
 斯う言つて、敬之進は笑つた。熱い涙は思はず知らず流れ落ちて、零落(おちぶ)れた袖を湿(ぬら)したのである。
『我輩は君、これでも真面目なんだよ。』と敬之進は、額と言はず、頬と言はず、腮(あご)と言はず、両手で自分の顔を撫で廻した。『どうでせう、省吾の奴も君の御厄介に成つてるが、彼様(あん)な風で物に成りませうか。もう少許(すこし)活溌だと好いがねえ。どうも女のやうな気分の奴で、泣易くて困る。平素(しよツちゆう)弟に苦(いぢ)められ通しだ。同じ自分の子で、どれが可愛くて、どれが憎いといふことは有さうも無ささうなものだが、それがそれ、妙なもので、我輩は彼の省吾が可愛さうでならない。彼の通り弱いものだから、其丈(それだけ)哀憐(あはれみ)も増すのだらうと思ふね。家内はまた弟の進贔顧(びいき)。何ぞといふと、省吾の方を邪魔にして、無暗(むやみ)に叱るやうなことを為る。そこへ我輩が口を出すと、前妻(せんさい)の子ばかり可愛がつて進の方は少許(ちつと)も関(かま)つて呉れんなんて――直に邪推だ。だからもう我輩は何にも言はん。家内の為る通りに為せて、黙つて見て居るのさ。成るべく家内には遠ざかるやうにして、密(そつ)と家(うち)を抜け出して来ては、独りで飲むのが何よりの慰藉(たのしみ)だ。稀(たま)に我輩が何か言はうものなら、私は斯様(こんな)に裸体(はだか)で嫁に来やしなかつたなんて、其を言はれると一言(いちごん)も無い。実際、彼奴(あいつ)が持つて来た衣類(もの)は、皆な我輩が飲んで了つたのだから――はゝゝゝゝ。まあ、君等の目から見たら、さぞ我輩の生涯なぞは馬鹿らしく見えるだらうねえ。』
 述懐は反(かへ)つて敬之進の胸の中を軽くさせた。其晩は割合に早く酔つて、次第に物の言ひ様も煩(くど)く、終(しまひ)には呂律(ろれつ)も廻らないやうに成つて了つたのである。
 軈(やが)て二人は斯(こ)の炉辺(ろばた)を離れた。勘定は丑松が払つた。笹屋を出たのは八時過とも思はれる頃。夜の空気は暗く町々を包んで、往来の人通りもすくない。気が狂(ちが)つて独語(ひとりごと)を言ひ乍ら歩く女、酔つて家(うち)を忘れたやうな男、そんな手合が時々二人に突当つた。敬之進は覚束(おぼつか)ない足許(あしもと)で、やゝともすれば往来の真中へ倒れさうに成る。酔眼朦朧(もうろう)、星の光すら其瞳には映りさうにも見えなかつた。拠(よんどころ)なく丑松は送り届けることにして、ある時は右の腕で敬之進の身体(からだ)を支へるやうにしたり、ある時は肩へ取縋(とりすが)らせて背負(おぶ)ふやうにしたり、ある時は抱擁(だきかゝ)へて一緒に釣合を取り乍ら歩いた。
 漸(やつと)の思で、敬之進を家まで連れて行つた時は、まだ細君も音作夫婦も働いて居た。人々は夜露を浴び乍ら、屋外(そと)で仕事を為て居るのであつた。丑松が近(ちかづ)くと、それと見た細君は直に斯う声を掛けた。
『あちや、まあ、御困りなすつたでごはせう。』


   第五章

       (一)

 十一月三日はめづらしい大霜。長い/\山国の冬が次第に近(ちかづ)いたことを思はせるのは是(これ)。其朝、丑松の部屋の窓の外は白い煙に掩(おほ)はれたやうであつた。丑松は二十四年目の天長節を飯山の学校で祝ふといふ為に、柳行李(やなぎがうり)の中から羽織袴を出して着て、去年の外套(ぐわいたう)に今年もまた身を包んだ。
 暗い楼梯(はしごだん)を下りて、北向の廊下のところへ出ると、朝の光がうつくしく射して来た。溶けかゝる霜と一緒に、日にあたる裏庭の木葉(このは)は多く枝を離れた。就中(わけても)、脆(もろ)いのは銀杏(いてふ)で、梢(こずゑ)には最早(もう)一葉(ひとは)の黄もとゞめない。丁度其霜葉(しもば)の舞ひ落ちる光景(ありさま)を眺め乍ら、廊下の古壁に倚凭(よりかゝ)つて立つて居るのは、お志保であつた。丑松は敬之進のことを思出して、つく/″\彼(あ)の落魄(らくはく)の生涯(しやうがい)を憐むと同時に、亦(ま)た斯(こ)の人を注意して見るといふ気にも成つたのである。
『お志保さん。』と丑松は声を掛けた。『奥様に左様(さう)言つて呉れませんか――今日は宿直の当番ですから何卒(どうか)晩の弁当をこしらへて下さるやうに――後で学校の小使を取りによこしますからツて――ネ。』
 と言はれて、お志保は壁を離れた。娘の時代には克(よ)くある一種の恐怖心から、何となく丑松を憚(はゞか)つて居るやうにも見える。何処か敬之進に似たところでもあるか、斯(か)う丑松は考へて、其となく俤(おもかげ)を捜(さが)して見ると、若々しい髪のかたち、額つき――まあ、どちらかと言へば、彼(あ)の省吾は父親似、斯(こ)の人はまた亡(な)くなつたといふ母親の方にでも似たのであらう。『眼付なぞはもう彷彿(そつくり)さ』と敬之進も言つた。
『あの、』とお志保はすこし顔を紅(あか)くし乍ら、『此頃(こなひだ)の晩は、大層父が御厄介に成りましたさうで。』
『いや、私の方で反(かへ)つて失礼しましたよ。』と丑松は淡泊(さつぱり)した調子で答へた。
『昨日、弟が参りまして、其話をいたしました。』
『むゝ、左様(さう)でしたか。』
『さぞ御困りで御座(ござい)ましたらう――父が彼様(あゝ)いふ風ですから、皆さんの御厄介にばかり成りまして。』
 敬之進のことは一時(いつとき)もお志保の小な胸を離れないらしい。柔嫩(やはらか)な黒眸(くろひとみ)の底には深い憂愁(うれひ)のひかりを帯びて、頬も紅(あか)く泣腫(なきは)れたやうに見える。軈(やが)て斯ういふ言葉を取交した後、丑松は外套の襟で耳を包んで、帽子を冠つて蓮華寺を出た。
 とある町の曲り角で、外套の袖袋(かくし)に手を入れて見ると、古い皺(しわ)だらけに成つた手袋が其内(そのなか)から出て来た。黒の莫大小(メリヤス)の裏毛の付いたやつで、皺を延ばして填(は)めた具合は少許(すこし)細く緊(しま)り過ぎたが、握つた心地(こゝろもち)は暖かであつた。其手袋を鼻の先へ押当てゝ、紛(ぷん)とした湿気(しけ)くさい臭気(にほひ)を嗅いで見ると、急に過去(すぎさ)つた天長節のことが丑松の胸の中に浮んで来る。去年――一昨年――一昨々年――噫(あゝ)、未だ世の中を其程(それほど)深く思ひ知らなかつた頃は、噴飯(ふきだ)したくなるやうな、気楽なことばかり考へて、この大祭日を祝つて居た。手袋は旧(もと)の儘(まゝ)、色は褪(さ)めたが変らずにある。それから見ると人の精神(こゝろ)の内部(なか)の光景(ありさま)の移り変ることは。これから将来(さき)の自分の生涯は畢竟(つまり)奈何(どう)なる――誰が知らう。来年の天長節は――いや、来年のことは措(お)いて、明日のことですらも。斯う考へて、丑松の心は幾度(いくたび)か明くなつたり暗くなつたりした。
 さすがに大祭日だ。町々の軒は高く国旗を掲げ渡して、いづれの家も静粛に斯の記念の一日(ひとひ)を送ると見える。少年の群は喜ばしさうな声を揚げ乍ら、霜に濡れた道路を学校の方へと急ぐのであつた。悪戯盛(いたづらざか)りの男の生徒、今日は何時にない大人びた様子をして、羽織袴でかしこまつた顔付のをかしさ。女生徒は新しい海老茶袴(えびちやばかま)、紫袴であつた。

       (二)

 国のみかどの誕生の日を祝ふために、男女の生徒は足拍子揃へて、二階の式場へ通ふ階段を上つた。銀之助は高等二年を、文平は高等一年を、丑松は高等四年を、いづれも受持々々の組の生徒を引連れて居た。退職の敬之進は最早(もう)客分ながら、何となく名残が惜まるゝといふ風で、旧(もと)の生徒の後に随(つ)いて同じやうに階段を上るのであつた。
 斯の大祭の歓喜(よろこび)の中にも、丑松の心を驚かして、突然新しい悲痛(かなしみ)を感ぜさせたことがあつた。といふは、猪子蓮太郎の病気が重くなつたと、ある東京の新聞に出て居たからで。尤(もつと)も丑松の目に触れたは、式の始まるといふ前、審(くは)しく読む暇も無かつたから、其儘(そのまゝ)懐中(ふところ)へ押込んで来たのであつた。世には短い月日の間に長い生涯を送つて、あわただしく通り過ぎるやうに生れて来た人がある。恐らく蓮太郎も其一人であらう。新聞には最早(もう)むつかしいやうに書いてあつた。あゝ、先輩の胸中に燃える火は、世を焼くよりも前(さき)に、自分の身体を焚(や)き尽して了(しま)ふのであらう。斯ういふ同情(おもひやり)は一時(いつとき)も丑松の胸を離れない。猶(なほ)繰返し読んで見たさは山々、しかし左様(さう)は今の場合が許さなかつた。
 其日は赤十字社の社員の祝賀をも兼ねた。式場に集る人々の胸の上には、赤い織色の綬(きれ)、銀の章(しるし)の輝いたのも面白く見渡される。東の壁のところに、二十余人の寺々の住職、今年にかぎつて蓮華寺一人欠けたのも物足りないとは、流石(さすが)に土地柄も思はれてをかしかつた。殊に風采の人目を引いたのは、高柳利三郎といふ新進政事家、すでに檜舞台(ひのきぶたい)をも踏んで来た男で、今年もまた代議士の候補者に立つといふ。銀之助、文平を始め、男女の教員は一同風琴の側に集つた。
『気をつけ。』
 と呼ぶ丑松の凛(りん)とした声が起つた。式は始つたのである。
 主座教員としての丑松は反つて校長よりも男女の少年に慕はれて居た。丑松が『最敬礼』の一声は言ふに言はれぬ震動を幼いものゝ胸に伝へるのであつた。軈(やが)て、『君が代』の歌の中に、校長は御影(みえい)を奉開して、それから勅語を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声は雷(らい)のやうに響き渡る。其日校長の演説は忠孝を題に取つたもので、例の金牌(きんぱい)は胸の上に懸つて、一層(ひとしほ)其風采を教育者らしくして見せた。『天長節』の歌が済む、来賓を代表した高柳の挨拶もあつたが、是はまた場慣れて居る丈(だけ)に手に入つたもの。雄弁を喜ぶのは信州人の特色で、斯ういふ一場の挨拶ですらも、人々の心を酔はせたのである。
 平和と喜悦(よろこび)とは式場に満ち溢れた。
 閉会の後、高等四年の生徒はかはる/″\丑松に取縋(とりすが)つて、種々(いろ/\)物を尋ねるやら、跳(はね)るやら。あるものは手を引いたり、あるものは袖の下を潜り抜けたりして、戯れて、避(よ)けて行かうとする丑松を放すまいとした。仙太と言つて、三年の生徒で、新平民の少年がある。平素(ふだん)から退(の)け者(もの)にされるのは其生徒。けふも寂しさうに壁に倚凭(よりかゝ)つて、皆(みんな)の歓(よろこ)び戯れる光景(ありさま)を眺め乍ら立つて居た。可愛さうに、仙太は斯(こ)の天長節ですらも、他の少年と同じやうには祝ひ得ないのである。丑松は人知れず口唇(くちびる)を噛み〆(しめ)て、『勇気を出せ、懼(おそ)れるな』と励ますやうに言つて遣りたかつた。丁度他の教師が見て居たので、丑松は遁(に)げるやうにして、少年の群を離れた。
 今朝の大霜で、学校の裏庭にある樹木は大概落葉して了(しま)つたが、桜ばかりは未だ秋の名残をとゞめて居た。丑松は其葉蔭を選んで、時々私語(さゝや)くやうに枝を渡る微風の音にも胸を踊らせ乍ら、懐中(ふところ)から例の新聞を取出して展(ひろ)げて見ると――蓮太郎の容体は余程危(あやふ)いやうに書いてあつた。記者は蓮太郎の思想に一々同意するものでは無いが、兎(と)も角(かく)も新平民の中から身を起して飽くまで奮闘して居る其意気を愛せずには居られないと書いてあつた。惜まれて逝(ゆ)く多くの有望な人々と同じやうに、今また斯の人が同じ病苦に呻吟(しんぎん)すると聞いては、うたゝ同情の念に堪へないと書いてあつた。思ひあたることが無いでもない、人に迫るやうな渠(かれ)の筆の真面目(しんめんもく)は斯うした悲哀(あはれ)が伴ふからであらう、斯ういふ記者も亦(ま)たその為に薬籠(やくろう)に親しむ一人であると書いてあつた。
 動揺する地上の影は幾度か丑松を驚かした。日の光は秋風に送られて、かれ/″\な桜の霜葉をうつくしくして見せる。蕭条(せうでう)とした草木の凋落(てうらく)は一層先輩の薄命を冥想(めいさう)させる種となつた。

       (三)

 敬之進の為に開いた茶話会は十一時頃からあつた。其日の朝、蓮華寺を出る時、丑松は廊下のところでお志保に逢つて、この不幸な父親を思出したが、斯うして会場の正面に座(す)ゑられた敬之進を見ると、今度は反対(あべこべ)に彼の古壁に倚凭つた娘のことを思出したのである。敬之進の挨拶は長い身の上の述懐であつた。憐むといふ心があればこそ、丑松ばかりは首を垂れて聞いて居たやうなものゝ、さもなくて、誰が老(おい)の繰言(くりごと)なぞに耳を傾けよう。
 茶話会の済んだ後のことであつた。丁度庭球(テニス)の遊戯(あそび)を為るために出て行かうとする文平を呼留めて、一緒に校長はある室の戸を開けて入つた。差向ひに椅子に腰掛けたは運動場近くにある窓のところで、庭球(テニス)狂(きちがひ)の銀之助なぞが呼び騒ぐ声も、玻璃(ガラス)に響いて面白さうに聞えたのである。
『まあ、勝野君、左様(さう)運動にばかり夢中にならないで、すこし話したまへ。』と校長は忸々敷(なれ/\しく)、『時に、奈何(どう)でした、今日の演説は?』
『先生の御演説ですか。』と文平が打球板(ラッケット)を膝の上に載せて、『いや、非常に面白く拝聴(うかゞ)ひました。』
『左様(さう)ですかねえ――少許(すこし)は聞きごたへが有ましたかねえ。』
『御世辞でも何でも無いんですが、今迄私が拝聴(うかゞ)つた中(うち)では、先(ま)づ第一等の出来でしたらう。』
『左様(さう)言つて呉れる人があると難有(ありがた)い。』と校長は微笑み乍ら、『実は彼(あ)の演説をするために、昨夜(ゆうべ)一晩かゝつて準備(したく)しましたよ。忠孝といふ字義の解釈は奈何(どう)聞えました。我輩の積りでは、あれでも余程頭脳(あたま)を痛めたのさ。種々(いろ/\)な字典を参考するやら、何やら――そりやあもう、君。』
『どうしても調べたものは調べた丈のことが有ます。』
『しかし、真実(ほんたう)に聞いて呉れた人は君くらゐのものだ。町の人なぞは空々寂々――いや、実際、耳を持たないんだからねえ。中には、高柳の話に酷(ひど)く感服してる人がある。彼様(あん)な演説屋の話と、吾儕(われ/\)の言ふことゝを、一緒にして聞かれて堪(たま)るものかね。』
『どうせ解らない人には解らないんですから。』
 と文平に言はれて、不平らしい校長の顔付は幾分(いくら)か和(やはら)いで来た。
 其時迄、校長は何か言ひたいことがあつて、それを言はないで、反(かへ)つて斯(か)ういふ談話(はなし)をして居るといふ風であつたが、軈(やが)て思ふことを切出した。わざ/\文平を呼留めて斯室へ連れて来たのは、どうかして丑松を退ける工夫は無いか、それを相談したい下心であつたのである。『と云ふのはねえ、』と校長は一段声を低くした。『瀬川君だの、土屋君だの、彼様(あゝ)いふ異分子が居ると、どうも学校の統一がつかなくて困る。尤(もつと)も土屋君の方は、農科大学の助手といふことになつて、遠からず出掛けたいやうな話ですから――まあ斯人(このひと)は黙つて居ても出て行く。難物は瀬川君です。瀬川君さへ居なくなつて了へば、後は君、もう吾儕(われ/\)の天下さ。どうかして瀬川君を廃(よ)して、是非其後へは君に座(すわ)つて頂きたい。実は君の叔父さんからも種々(いろ/\)御話が有ましたがね、叔父さんも矢張(やつぱり)左様(さう)いふ意見なんです。何とか君、巧(うま)い工夫はあるまいかねえ。』
『左様(さう)ですなあ。』と文平は返事に困つた。
『生徒を御覧なさい――瀬川先生、瀬川先生と言つて、瀬川君ばかり大騒ぎしてる。彼様(あんな)に大騒ぎするのは、瀬川君の方で生徒の機嫌を取るからでせう? 生徒の機嫌を取るといふのは、何か其処に訳があるからでせう? 勝野君、まあ君は奈何(どう)思ひます。』
『今の御話は私に克(よ)く解りません。』
『では、君、斯う言つたら――これはまあ是限(これぎ)りの御話なんですがね、必定(きつと)瀬川君は斯の学校を取らうといふ野心があるに相違(ちがひ)ないんです。』
『はゝゝゝゝ、まさか其程にも思つて居ないでせう。』と笑つて、文平は校長の顔を熟視(みまも)つた。
『でせうか?』と校長は疑深く、『思つて居ないでせうか?』
『だつて、未(ま)だ其様(そん)なことを考へるやうな年齢(とし)ぢや有ません――瀬川君にしろ、土屋君にしろ、未だ若いんですもの。』
 この『若いんですもの』が校長を嘆息させた。庭で遊ぶ庭球(テニス)の球の音はおもしろく窓の玻璃(ガラス)に響いた。また一勝負始まつたらしい。思はず文平は聞耳を立てた。その文平の若々しい顔付を眺めると、校長は更に嘆息して、
『一体、瀬川君なぞは奈何(どう)いふことを考へて居るんでせう。』
『奈何いふことゝは?』と文平は不思議さうに。
『まあ、近頃の瀬川君の様子を見るのに、非常に沈んで居る――何か斯う深く考へて居る――新しい時代といふものは彼様(あゝ)物を考へさせるんでせうか。どうも我輩には不思議でならない。』
『しかし、瀬川君の考へて居るのは、何か別の事でせう――今、先生の仰つたやうな、其様(そん)な事ぢや無いでせう。』
『左様(さう)なると、猶々(なほ/\)我輩には解釈が付かなくなる。どうも我輩の時代に比べると、瀬川君なぞの考へて居ることは全く違ふやうだ。我輩の面白いと思ふことを、瀬川君なぞは一向詰らないやうな顔してる。我輩の詰らないと思ふことを、反つて瀬川君なぞは非常に面白がつてる。畢竟(つまり)一緒に事業(しごと)が出来ないといふは、時代が違ふからでせうか――新しい時代の人と、吾儕(われ/\)とは、其様(そんな)に思想(かんがへ)が合はないものなんでせうか。』
『ですけれど、私なぞは左様(さう)思ひません。』
『そこが君の頼母(たのも)しいところさ。何卒(どうか)、君、彼様(あゝ)いふ悪い風潮に染まないやうにして呉れたまへ。及ばずながら君のことに就いては、我輩も出来るだけの力を尽すつもりだ。世の中のことは御互ひに助けたり助けられたりさ――まあ、勝野君、左様(さう)ぢや有ませんか。今茲(こゝ)で直に異分予を奈何(どう)するといふ訳にもいかない。ですから、何か好い工夫でも有つたら、考へて置いて呉れたまへ――瀬川君のことに就いて何か聞込むやうな場合でも有つたら、是非それを我輩に知らせて呉れたまへ。』

       (四)

 盛んな遊戯の声がまた窓の外に起つた。文平は打球板(ラッケット)を提げて出て行つた。校長は椅子を離れて玻璃(ガラス)の戸を上げた。丁度運動場では庭球(テニス)の最中。大人びた風の校長は、まだ筋骨の衰頽(おとろへ)を感ずる程の年頃でも無いが、妙に遊戯の嫌ひな人で、殊に若いものゝ好な庭球などゝ来ては、昔の東洋風の軽蔑(けいべつ)を起すのが癖。だから、『何を、児戯(こども)らしいことを』と言つたやうな目付して、夢中になつて遊ぶ人々の光景(ありさま)を眺めた。
 地は日の光の為に乾き、人は運動の熱の為に燃えた。いつの間にか文平は庭へ出て、遊戯の仲間に加つた。銀之助は今、文平の組を相手にして、一戦を試みるところ。流石(さすが)の庭球狂(テニスきちがひ)もさん/″\に敗北して、軈(やが)て仲間の生徒と一緒に、打球板(ラッケット)を捨てゝ退いた。敵方の揚げる『勝負有(ゲエム)』の声は、拍手の音に交つて、屋外(そと)の空気に響いておもしろさうに聞える。東よりの教室の窓から顔を出した二三の女教師も、一緒になつて手を叩(たゝ)いて居た。其時、幾組かに別れて見物した生徒の群は互ひに先を争つたが、中に一人、素早く打球板(ラッケット)を拾つた少年があつた。新平民の仙太と見て、他の生徒が其側へ馳寄(かけよ)つて、無理無体に手に持つ打球板(ラッケット)を奪ひ取らうとする。仙太は堅く握つた儘(まゝ)、そんな無法なことがあるものかといふ顔付。それはよかつたが、何時まで待つて居ても組のものが出て来ない。『さあ、誰か出ないか』と敵方は怒つて催促する。少年の群は互ひに顔を見合せて、困つて立つて居る仙太を冷笑して喜んだ。誰も斯(こ)の穢多の子と一緒に庭球の遊戯(あそび)を為ようといふものは無かつたのである。
 急に、羽織を脱ぎ捨てゝ、そこにある打球板(ラッケット)を拾つたは丑松だ。それと見た人々は意味もなく笑つた。見物して居る女教師も微笑(ほゝゑ)んだ。文平贔顧(びいき)の校長は、丑松の組に勝たせたくないと思ふかして、熱心になつて窓から眺(なが)めて居た。丁度午後の日を背後(うしろ)にしたので、位置の利は始めから文平の組の方にあつた。
『壱(ワン)、零(ゼロ)。』
 と呼ぶのは、網の傍に立つ審判官の銀之助である。丑松仙太は先づ第一の敗を取つた。見物して居る生徒は、いづれも冷笑を口唇(くちびる)にあらはして、仙太の敗を喜ぶやうに見えた。
『弐(ツウ)、零(ゼロ)。』
 と銀之助は高く呼んだ。丑松の組は第二の敗を取つたのである。『弐(ツウ)、零(ゼロ)。』と見物の生徒は聞えよがしに繰返した。
 敵方といふのは、年若な準教員――それ、丑松が蓮華寺へ明間(あきま)を捜しに行つた時、帰路(かへり)に遭遇(であ)つた彼男と、それから文平と、斯う二人の組で、丑松に取つては侮(あなど)り難い相手であつた。それに、敵方の力は揃つて居るに引替へ、味方の仙太はまだ一向に練習が足りない。
『参(スリイ)、零(ゼロ)。』
 と呼ぶ声を聞いた時は、丑松もすこし気を苛(いら)つた。人種と人種の競争――それに敗(ひけ)を取るまいといふ丑松の意気が、何となく斯様(こん)な遊戯の中にも顕(あら)はれるやうで、『敗(まけ)るな、敗けるな』と弱い仙太を激□(はげ)ますのであつた。丑松は撃手(サアブ)。最後の球を打つ為に、外廓(そとぐるわ)の線の一角に立つた。『さあ、来い』と言はぬばかりの身構へして、窺(うかゞ)ひ澄まして居る文平を目がけて、打込んだ球はかすかに網に触れた。『触(タッチ)』と銀之助の一声。丑松は二度目の球を試みた。力あまつて線を越えた。ああ、『落(フオウル)』だ。丑松も今は怒気を含んで、満身の力を右の腕に籠め乍ら、勝つも負けるも運は是球一つにあると、打込む勢は獅子奮進。青年の時代に克(よ)くある一種の迷想から、丁度一生の運命を一時の戯(たはむれ)に占ふやうに見える。『内(イン)』と受けた文平もさるもの。故意(わざ)と丑松の方角を避けて、うろ/\する仙太の虚(すき)を衝(つ)いた。烈しい日の光は真正面(まとも)に射して、飛んで来る球のかたちすら仙太の目には見えなかつたのである。
『勝負有(ゲエム)。』
 と人々は一音に叫んだ。仙太の手から打球板(ラッケット)を奪ひ取らうとした少年なぞは、手を拍(う)つて、雀躍(こをどり)して、喜んだ。思はず校長も声を揚げて、文平の勝利を祝ふといふ風であつた。
『瀬川君、零敗(ゼロまけ)とはあんまりぢやないか。』
 といふ銀之助の言葉を聞捨てゝ、丑松はそこに置いた羽織を取上げながら、すご/\と退いた。やがて斯(こ)の運動場(うんどうば)から裏庭の方へ廻つて、誰も見て居ないところへ来ると、不図何か思出したやうに立留つた。さあ、丑松は自分で自分を責めずに居られなかつたのである。蓮太郎――大日向――それから仙太、斯う聯想した時は、猜疑(うたがひ)と恐怖(おそれ)とで戦慄(ふる)へるやうになつた。噫(あゝ)、意地の悪い智慧(ちゑ)はいつでも後から出て来る。


   第六章

       (一)

 天長節の夜は宿直の当番であつたので、丑松銀之助の二人は学校に残つた。敬之進は急に心細く、名残惜しくなつて、いつまでも此処を去り兼ねる様子。夕飯の後、まだ宿直室に話しこんで、例の愚痴の多い性質から、生先(おひさき)長い二人に笑はれて居るうちに、壁の上の時計は八時打ち、九時打つた。それは翌朝(よくあさ)の霜の烈しさを思はせるやうな晩で、日中とは違つて、めつきり寒かつた。丑松が見廻りの為に出て行つた後、まだ敬之進は火鉢の傍に齧(かじ)り付いて、銀之助を相手に掻口説(かきくど)いて居た。
 軈(やが)て二十分ばかり経つて丑松は帰つて来た。手提洋燈(てさげランプ)を吹消して、急いで火鉢の側(わき)に倚添ひ乍ら、『いや、もう屋外(そと)は寒いの寒くないのツて、手も何も凍(かじか)んで了ふ――今夜のやうに酷烈(きび)しいことは今歳(ことし)になつて始めてだ。どうだ、君、是通りだ。』と丑松は氷のやうに成つた手を出して、銀之助に触つた。『まあ、何といふ冷い手だらう。』斯(か)う言つて、自分の手を引込まして、銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めたのである。
『顔色が悪いねえ、君は――奈何(どう)かしやしないか。』
 と思はず其を口に出した。敬之進も同じやうに不審を打つて、
『我輩も今、其を言はうかと思つて居たところさ。』
 丑松は何か思出したやうに慄へて、話さうか、話すまいか、と暫時(しばらく)躊躇(ちうちよ)する様子にも見えたが、あまり二人が熱心に自分の顔を熟視(みまも)るので、つい/\打明けずには居られなく成つて来た。
『実はねえ――まあ、不思議なことがあるんだ。』
『不思議なとは?』と銀之助も眉をひそめる。
『斯ういふ訳さ――僕が手提洋燈(てさげランプ)を持つて、校舎の外を一廻りして、あの運動場の木馬のところまで行くと、誰か斯う僕を呼ぶやうな声がした。見れば君、誰も居ないぢやないか。はてな、聞いたやうな声だと思つて、考へて見ると、其筈(そのはず)さ――僕の阿爺(おやぢ)の声なんだもの。』
『へえ、妙なことが有れば有るものだ。』と敬之進も不審(いぶか)しさうに、『それで、何ですか、奈何(どん)な風に君を呼びましたか、其声は。』
『「丑松、丑松」とつゞけざまに。』
『フウ、君の名前を?』と敬之進はもう目を円(まる)くして了(しま)つた。
『はゝゝゝゝ。』と銀之助は笑出して、『馬鹿なことを言ひたまへ。瀬川君も余程(よツぽど)奈何(どう)かして居るんだ。』
『いや、確かに呼んだ。』と丑松は熱心に。
『其様(そん)な事があつて堪るものか。何かまた間違へでも為たんだらう。』
『土屋君、君は左様(さう)笑ふけれど、確かに僕の名を呼んだに相違ないよ。風が呻吟(うな)つたでも無ければ、鳥が啼いたでも無い。そんな声を、まさかに僕だつて間違へる筈も無からうぢやないか。どうしても阿爺だ。』
『君、真実(ほんたう)かい――戯語(じようだん)ぢや無いのかい――また欺(かつ)ぐんだらう。』
『土屋君は其だから困る。僕は君これでも真面目(まじめ)なんだよ。確かに僕は斯(こ)の耳で聞いて来た。』
『其耳が宛(あて)に成らないサ。君の父上(おとつ)さんは西乃入(にしのいり)の牧場に居るんだらう。あの烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の谷間(たにあひ)に居るんだらう。それ、見給へ。其父上(おとつ)さんが斯様(こん)な隔絶(かけはな)れた処に居る君の名前を呼ぶなんて――馬鹿らしい。』
『だから不思議ぢやないか。』
『不思議? ちよツ、不思議といふのは昔の人のお伽話(とぎばなし)だ。はゝゝゝゝ、智識の進んで来た今日、そんな馬鹿らしいことの有るべき筈が無い。』
『しかし、土屋君。』と敬之進は引取つて、『左様(さう)君のやうに一概に言つたものでもないよ。』
『はゝゝゝゝ、旧弊な人は是だから困る。』と銀之助は嘲(あざけ)るやうに笑つた。
 急に丑松は聞耳を立てた。復(ま)た何か聞きつけたといふ風で、すこし顔色を変へて、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)を表したのである。戯れて居るので無いといふことは、其真面目な眼付を見ても知れた。
『や――復た呼ぶ声がする。何だか斯う窓の外の方で。』と丑松は耳を澄まして、『しかし、あまり不思議だ。一寸、僕は失敬するよ――もう一度行つて見て来るから。』
 ぷいと丑松は駈出して行つた。
 さあ、銀之助は友達のことが案じられる。敬之進はもう心に驚いて了(しま)つて、何かの前兆(しらせ)では有るまいか――第一、父親の呼ぶといふのが不思議だ、と斯う考へつゞけたのである。
『それはさうと、』と敬之進は思付いたやうに、『斯うして吾儕(われ/\)ばかり火鉢にあたつて居るのも気懸(きがゝ)りだ。奈何(どう)でせう、二人で行つて見てやつては。』
『むゝ、左様(さう)しませうか。』と銀之助も火鉢を離れて立上つた。『瀬川君はすこし奈何(どう)かしてるんでせうよ。まあ、僕に言はせると、何か神経の作用なんですねえ――兎(と)に角(かく)、それでは一寸待つて下さい。僕が今、手提洋燈(てさげランプ)を点(つ)けますから。』

       (二)

 深い思に沈み乍ら、丑松は声のする方へ辿(たど)つて行つた。見れば宿直室の窓を泄(も)れる灯(ひ)が、僅に庭の一部分を照して居るばかり。校舎も、樹木も、形を潜めた。何もかも今は夜の空気に包まれて、沈まり返つて、闇に隠れて居るやうに見える。それは少許(すこし)も風の無い、□(しん)とした晩で、寒威(さむさ)は骨に透徹(しみとほ)るかのやう。恐らく山国の気候の烈しさを知らないものは、斯(か)うした信濃の夜を想像することが出来ないであらう。
 父の呼ぶ声が復(ま)た聞えた。急に丑松は立留つて、星明りに周囲(そこいら)を透(すか)して視(み)たが、別に人の影らしいものが目に入るでも無かつた。すべては皆な無言である。犬一つ啼いて通らない斯の寒い夜に、何が音を出して丑松の耳を欺かう。
『丑松、丑松。』
 とまた呼んだ。さあ、丑松は畏(おそ)れず慄(ふる)へずに居られなかつた。心はもう底の底までも掻乱(かきみだ)されて了(しま)つたのである。
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