防雪林
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著者名:小林多喜二 

 ――貴女が札幌に出たがつてゐることは、自分のその頃のことから考へてみて、無理がない。……こつちの生活は、然し、自分が思つてゐたことゝ、まるつきり異つてゐる。……それで、貴女に、がつかりさせたくないために、あんなことを云つてやつたのだから許してくれ。――實は、こんないやな生活は、自分一人だけで澤山だと思つてゐる。
 勿論こつちでは、そこのやうに、汚い恰好をして、年中、あんな風に働く必要はない。……然し、その代り、とてもそつちなどにゐては、どうしたつて分らないやうな「恐ろしい」ことが澤山ある。……
 とにかく、貴女がどうしても、來るといふ決心をかへられないのであれば、仕方がないから、待つてゐる。……主人にも話したら人手が足りないから、丁度いゝと云つてゐる。(そして最後に)源さんには是非よろしく。
 そんな意味のことが書かれてゐた。源吉はそれを、ぼんやり又初めから讀みかへしてみた。――「源さんには是非よろしく」――讀んでから、手紙を手にもつたまゝじつとしてゐた。
 母親が歸つてきた。
「兄、何してる。行(え)け、行つてみ。――今、お文と會つた。」
 源吉は、手紙をもとの所におくと、母親には返事もしないで、外へ出た。母親は土間で、續けざまに「つかみツ鼻」をした。
「歸りに、由ば連れで來い。」と後から言葉をかけた。
 外へ出ると、ヒヤリと寒氣を感じた。空が高く晴れて、ばらまいたやうな星空だつた。源吉は、別にお祭りにも行く氣がなかつた。然し、家にゐられない氣持だつた。少し來ると、左側に高い木が五、六間並んで立つてゐた。その木の間からすぐ、石狩川の川面が見えた。星は出てゐたが、四圍は眞暗だつた。そこを、川面だけが青く光つてゐた。手前の木の幹が、それと對照して、黒くはつきり見えた。よく見ると、川に星が無數にうつつてゐた。大氣は冷え/″\としてゐた。源吉は何度も、身震ひをした。何時もお祭りの時には、神社の前よりも、若い男と女はこの河堤に集つた。源吉はお芳とそこで何囘も會つたことを思ひ出した。――源吉はイマ/\しさうに河の方へ唾をはいた。
 道が曲つてゐた。そこを曲ると、ずウと前方に、お祭りのあかりが見えた。そのあかりのところだけが、こちらからでもはつきり分つた。急に、どよめきが聞えてきた。太鼓を打つてゐるのがきこえる。人聲の中から時々、頓狂に、ゴム風船の破れる音や、笛の音が聞えた。途中の、農家の前に、その家の年寄が立つて、お祭りの方を見てゐた。
「お晩です。」と、源吉にくらがりで言葉をかけた。
「お晩です。」源吉も云つた。
「出掛けるのげア?」
「あ――。」
 源吉が行き過ぎかけると、「ごゆつくり。」と云つた。
 お祭りの舞臺には、十位もランプをつけてゐた。その前にはござを引いて、村の人達がそこに坐つて見てゐた。主に若い女や子供や年寄だつた。その邊は殆んど暗かつた。その後の道の兩側には、ランプをつけた屋臺のゴム風船屋などが、四つ程ならんでゐた。絶えず、足で機械をふんでゐる、綿飴屋が、割箸に、それをからませて、子供の前につき出して、何か云つてゐた。
 子供達が一つの屋臺の前に、二、三人づゝ立つてゐた。神社の後では、小さい土俵があつて、若者が相撲をとつてゐた。源吉は何處にも興味がなかつた。帶の前に兩手をさしながら、離れて、見てゐた。舞臺では手踊りだつた。足拍子をとる毎に、板がギシ/\云つた。たゞ手と足をどたん、ばたん、動かしてゐるといふ風に踊つてゐた。が、離れてゐるので、顏や着物のアラも見えず、澤山のランプの光で踊つてゐるのが、源吉には綺麗に見えた。所々で、踊つてゐる女が、「ハツ、――ハツ」と云つたり、聲を合せて、「そいつウーは、知らなかつた――ア」と唄を入れた。
 源吉は胸が、ヂリ/\してきた。一寸見てゐるうちに、馬鹿らしくなつた。彼は風船屋の後側を通つて、神社の裏にある土俵の方へ行かうとした。相撲の太鼓が聞えてゐた。がそこへ行く途中、然し源吉は氣が變つて、もどると、神社の外へ出てしまつた。源吉が一寸來たとき、小便をしようと思つて、道端の草原の方へ寄つて行つた。と、すぐ眼の前で(然し、暗かつたので分らなかつた。)女が腰をかゞめ、一寸着物のすそをせり上げて――、用を足し終つたところだつた。源吉は外のことに氣をとられてゐた。そこを不意にやられた。二人は立ちすくんだやうに、ギヨツとした、彼は突嗟に變な衝動を感じた。自分でも、どうしてか分らなかつた。彼は、素早く手を延ばした。と、逃げ腰になつた女の帶に手がかゝつた。源吉は咽喉が急にグツとつまつた。女は、聲をたてずに、闇の中でさからつた。が、力がちがつてゐた。すぐ女は源吉の胸のそばに寄せられた。女は帶にかけてゐる源吉の手に、爪をたてようとした。「馬鹿!」彼は息聲で云ふと、思ひツ切り、ギユツと女の身體を抱きしめてしまつた。女は、ふくらんでゐる乳房を抑へつけられてゐるので苦しがつた。日本髮につけてゐる新らしい油の匂ひが、源吉の鼻にムツと來た。源吉の心臟も、自分で分るほど、ドギン/\早くうつた。女のもはつきり分つた。女は、源吉に抑へられてゐながら、身體をもがいた。その厚味のある肉體(からだ)の、動きを直接(ぢか)に、自分の身體に源吉が感じた。源吉は、女を、今度は何の雜作もなく抱きあげると、そこから、畑に續いてゐる暗い小道へ出た。女は初め聲を出しさうに身體をふつた。滅茶苦茶に足で源吉をけつたり、胸をひつかいたりした。が、すぐ、何故かじつとした。そして、源吉のはだけられた胸に顏をあてた。暑い呼氣が源吉の胸を撫でた。
 源吉は、息をきらしながら、三町も歩いた。それから、どん/\畑の中に入つて行つた。唐黍の切株が澤山殘つてゐて、源吉は何度もそれで足の皮をむいた。それにくぼみに足を落して、よろめいた。が、惡鬼のやうな恰好になつた源吉は、かまはずに、無茶苦茶に歩いた。女は思ひ出したやうに、又劇しく抵抗した。然し抵抗すればする程源吉は元氣づいた。そして身體中が、ワク/\と震ひ上つてくるやうに感じた。

      四

 又雨がやつてきた。日がだん/\薄暗くなり、寒さうな雲が垂れ下つてきて、霰が交つたりした。今度こそ、本當に冬がくる、さう皆が思つた。朝起きてみると水のたまつた溝の表面に氷が張つてゐた。
 百姓達は冬圍ひが終つてしまふと、草家(や)の中にもぐりこんで、土間にむしろを敷いて、繩を編んだり、草鞋を造つた。一年の間、畑に出て、腰をまげて土にへばりつきながら働き通して、然し、それでもまだ百姓には足りなかつた。娘達は、その出來たものや豆類などを背負つて停車場のある町に出掛けて行つた。百姓達は、誰のためにも分らずに、色んなものを作つた。が、その半分以上のものは一つ殘らず持つて行かれてしまつた。小作人は地主の小作料に、自作農は拓殖銀行の年賦の拂込金にそれが成りあがつてしまつた。その上に肥料店と農具店があつた。米をつくり、豆をつくり、唐黍をつくり、ナスビを作つた百姓は、毎日干した菜葉と、芋しか食ふものがなかつた。それより食へなかつた。その上に飯を食ふ時、百姓はそれだけを食ふのを勿體なく思つた。それで、米に水を何倍も割つて薄くトロ/\にして、芋を入れたり、豆を交ぜたり、して食つた。
 夏にとつて軒に乾して置いた何十といふ南瓜を冬中食つた。それを毎日續け樣に食ふので、どの百姓も顏から、掌から、足からすつかり眞黄色になつてしまつた。眼玉の白いところにさへ、黄色い筋が入つた。
 冬近くなると、一年中はき切らしてボロ/\になつた足袋を繕ふのが、その家の年寄の仕事になつた。それにつぎを幾つもあてゝ、もう一冬間に合はせた。シヤツも襦袢も、腰卷もさうだつた。源吉の母親は押入から、色々のボロを引張つてきて、それを爐邊に山のやうに積んで、片方の玉の壞れた眼鏡を糸で耳にひつかけて、ランプの下に顏を持つて行つて仕事をした。
 收穫が終つてから、冬になる間、百姓の金を當てにして何人もの行商が、一日に何囘も寄つて行つた。玩具のやうな道具をもつた乞食も來ることがあつた。が、永い冬が待つてゐることを考へれば、一きれの布も、百姓にはうつかり買へなかつた。越中富山の藥屋も小さい引出の澤山ついた桐の藥箱を背負つてやつてきた。馬などの繪をかいた藥臭いちらしを子供達にくれて、いくら要らないと云つても、上り端に腰を下して動かなかつた。そして藥袋を置いて行つた。由は馬のちらしを大切に持つてゐて、暇があると、それを寫してゐた。
 百姓達はそれでもとにかく、馬を仕立てゝ、停車場のある町に出掛けて行つて、味噌や醤油や、その他の入用なものを買つてきた。その頃は、停車場前の荒物屋の店先にある電信柱には、百姓の荷馬車が何臺もつながれてゐた。牝馬が多かつた。たまに牡馬が通ると、いなゝきながら、暴れた。すると、荒物屋の中から、醉拂つた顏の赤い百姓が飛び出してきて、牝馬を側の方へ引張つて行つた。荒物屋では土間に二つ三つ椅子があつて、そこへ腰をかけて、百姓が氷水を飮むコツプに冷酒をついで、干魚をさきながら、飮んでゐた。
 百姓のうちでは、こゝで醉ひつぶれてしまふものがあつた。
「俺アなんぼ醉拂つたつて、あいつがみんなおべでる。」
 そして、店の小僧にだかれて、味噌や醤油樽と一緒に、荷馬車に、まるで荷物のやうにつまれた。つみ込まれたまゝで、昔若い時に覺えた歌をうたひながら、いゝ機嫌になつてゐると、馬はひとりで、もと來た道を、もどつて行つた。
 源吉はモツキリを二、三杯のむと、それが久し振りであつたゝめか、すつかり醉拂つてしまつた。源吉は、大きな圖體の身體を、ふりながら、他愛もなく踊りの手眞似をしたり、眼を細めて、變な聲を出して笑つたり、分けの分らないことをしやべつた。
 八時頃荒物屋を出ると、源吉は側につないであつた馬の側に行つて、ヨロ/\しながら、馬の首につかまつて、それを支へにして、鼻面を撫でながら、何か獨りブツ/\云つた。さうしながらも始終身體をフラ/\させてゐた。馬から離れると、一寸立つてゐた。が、覺束ない足取りで歩き出した。もう町は人通りが無かつた。源吉は懷に兩手をはすがひにつつこんで、醉拂つたあとによくあるが、ブル/\震ひながら、そして、ひとりで何かブツ/\云ひながら歩いた。
「何んぼ働いたつて、何んになるんでえ。糞たれ。」何囘もこんな、同じことを繰り返してゐた。少し行くと軒の低いそばやがあつた。源吉は、そこの入口の柱にどしんと身體をうちつけた。そして、そのまゝそれによりかゝりながら、目もあけずに「誰だ、畜生、誰だ」と云つた。中で、白粉をつけた女が「兄さん、寄つてよ、上つて一杯のんで行つて。」と云つた。そして、すぐ立つて出て來た。
「まアいゝ機嫌ねえ。」
 源吉は女の顏のすぐ前まで、自分の顏をつき出して、醉つてシヨボ/\した眼を、無理にひらいて、女を見た。安い白粉と、女の汗臭い匂ひがムーンと鼻に來た。
「この女子(あまつ)こ、めんこい顏してるど。」
「温めてやるよ。ねえ、上つてさ、――。」
 源吉はよろけながら、土間に入つてしまつた。

 荒物屋の前につないであつた源吉の馬は、次の朝まで其處に、そのまゝ、頭を長く下げてつながれてゐた。
         *
 長い秋の夜を、ランプを土間に下して、藁をたゝいて、繩をなつたりしながら、百姓は、自分達の過ごして來た一生を思ひかへした。秋の夜は百姓達にはさういふ時だつた。小聲で鼻唄をうたつてゐたのが、フト止むと、何時の間にか百姓達は昔のことを思つてゐた。
 内地では彼等は芋ばかりしか食へなかつた。畑から出來上つたものは安くて、肥料や農具はその倍にもなつた。地主には小作料が、重なりに重なると、立毛は押へられた、土地はとりあげられた。「北海道に行つたら」さう思つて、追ひ立てられて、然し、大きな夢をもつて、彼等は「熊が出る」北海道にやつてきた。津輕海峽を渡つて、北へ、北へとやつてきた。親子で行李を背負ひながら、北海道の飛んでもない、プラツトフオームもない、吹きツさらしの停車場で降ろされると、何里もの涯しの見えない雪道を歩かせられた。何處まで行つても雪で、平であつた。指も顏の皮も切つて行かれさうな風にふきまくられた。そして落着いてみれば、どこにも立札がしてあつた。拾つていゝ土地なんか、重箱のふた程も殘つてゐなかつた。たまに、安く土地が「拾へても」、それを耕してゆく金がなかつた。結局人から借りた金でやれば、二、三年經つて、その荒蕪地がやうやく畑らしくなつた頃、そのかたに、すつかり、彼等の手からなくなつてゐた。――ここも矢張り住みよくはなかつた。
「國(くに)ではどうしてるべ。」
 かういふ百姓にとつては、たとへ北海道に二十年ゐたとしても、三十年ゐたとしても、内地のことは忘れなかつた。死ぬ時は、内地で、――昔、自分たちには決していゝ仕打ちをさへしなかつた――村で、なければならない、さう、暗默に思つてゐた。何時でも、何時か國に歸つて行くことを考へてゐた。百姓たちが仕事の合間にフト口をきくとき、「國ではどうしてるべ。」きつと、さう云つた。内地のことは、今では、不思議にも、百姓達には、變な魅力をもつて、心の中によみがへつてきた。何かしら、綺麗な、樂しかつたものに想像されて、くるのだつた。豆腐屋の誰がどうしてゐるとか、※[#「冂」の左の縦棒を取った中に「△」、屋号を示す記号、62-2]の金がまだ生きてゐるだらうかとか、角地の娘が婿をとつたとか、石屋の旦那が樺太へ行つてるとか……そんなことが、ボツ/\、切れさうになつたり、途切れてから續いたり、そしてそれに結びつけて、昔の自分達のことを、ゆつくりした調子で話した。
 初め、「國」を出るときには、百姓たちは、北海道へ行つたら、一働きして、うんと金を作つて、國へもどつてきて安樂に暮さう、さう考へてゐた。誰でもさうだつた。源吉の父もさうだつた。然し、どの百姓だつて、それの出來たのが誰もゐなかつた。結局内地での昔の生活とちつとも異つてゐなかつた。然し百姓はそのことをちつとも分らうともしなかつた。だが本當のところどの百姓も、現實にはとてもそんなことは駄目なことだと「分つてゐながら」、漠然と、やつぱり、内地へ金をもつて歸ることを心の何處かで思つてゐた。北海道の百姓は皆平氣でさうだつた。
 たまに、内地へ一ヶ月でも行つてくるといふ者があると、(――それは然し極くまれだつた。例へば、誰か肉親が急病だとか、さういふ場合を兼ねての場合に限られてゐた。)同じ國の者が集つて行つて、自分達の親類に色々なことづけを頼んだり、何かをとゞけてもらつたりした。村の樣子をきいてきて貰ふ事を約束したりした。
 なんでも源吉の父親と母親が、初めて北海道に來て、雪の野ツ原を歩かせられたとき、(源吉はその時父の背におぶさつてゐた。)――丁度今ゐる村に入る少し手前の道端に、くひが一本立つてゐたのを見た。それは日暮れに近い時で、そのだゞツ廣い野原に、そのくひだけが、たつた一本しよんぼり立つてゐた。父親は標示杭と思ひ、まだ、何里位あるのか、その前にしやがんで雪を拂ひ落してみると、それには、「越後國――郡――村、―― ――こゝに死す」と書いてあつた。父がそのことを母に云つてきかせた。二人とも、その時はゾツと寒氣がする程の頼りなさを感じた、――「なんぼなんでも、こんな風にだけはなりたくない」さう云つたのを、源吉は何度も聞かされて知つてゐた。
 そのやうに百姓は何時でも「故里」の土に結びつかれてゐた。
 農村の秋はます/\深くなつて行つた。
 源吉の母親は、冬ま近になると、腰が痛んできた。土間に下りて、繩を作りながら、由に、腰をもませたり、肩をもませた。由が嫌がつて逃げて歩く度に、
「ぜんこ一銭けるど。」と云つたり、それでもまだ來ないと、
「せば二錢けるど」と云つた。
 由が、母の後に□つて、二度か三度、肩をもんで、すぐ、
「ぜんこけれ!」
「このほいと。」
「したツて、もんだでないか。」
「もつと。」
「ずるい/\。」
「馬鹿、お母ちやえゝツてまでだ。」
「ずるい/\/\。」
「この糞たれ!」
 二人で本氣になつた。そして、――がフト、
「なあ、源ん――俺アこの冬、國さ行(え)つてきてえんだよ――源ん。」ヅキ/\痛む腰を自分でもみながら云つた。そして暗い顏をして源吉を見た。

      五

 源吉の母親は、お文が札幌へお祭りの夜逃げて行つてから、何處か弱つてきた。何か仕事をしてゐるとき、フトお文のことを云ひ出した。そして、何時までも、そのことを獨言のやうにしやべつてゐた。源吉は、母親がさういふ事を云ひ出すと、默つて立つて、外へ出て行つた。
 秋の更けた、靜かな、ある晩だつた。裏を流れてゐる川のあたりに時々鳥が啼いてゐた。源吉と母親はランプを低く下して、土間にむしろをおいて、草鞋を作つてゐた。
 誰か表から呼んだと思つた。
「はアー」と源吉が表にきゝ耳をたてゝ言葉をかけた。
「俺だよ。」校長が、ガタピシする戸を身體であけて入つてきた。
「退屈で、話ししに來た。」と云つた。
 爐のそばで、由が假寢をしてゐた。ランプは土間の方に持つて來られてゐるので、そこが暗くつて分らなかつた。
「お文はどうしてる?」何かの話から先生がきいた。母親は、何時もの通り、何度も何度も云つたことを又繰りかへして校長先生にきかした。源吉はだまつてゐた。
「どうして連れもどさないんだ。」
「わしなんぼさう云つても、源が駄目でねえ。行きたがらねえんだもの。――札幌ばおつかながつてるんだべよ。」
「源吉君、どうした。」
「駄目だんす。」源吉はさう云つた。「連れてきたつて、又行くべよ。」
「こんだもの。」母親はあきれたやうに、先生の顏を見た。そのことから、先生が札幌にゐたときの話をした。そしてこんなことを云つた。――若し一度でも都會の味が分つたら、こんな田舍には、とても居られるものでない。電話があつて、どんな遠くの人とでもすぐその場にゐて用事が話せる。自動車が何臺とある。電車がある。それに女は何時でも人形さんのやうに、綺麗に白粉をつけ、長い袖の着物を着て歩いてる。活動寫眞は毎日あるし、芝居も見れるし、音樂會はある。公園がある。
 それに男だつて、外國の寫眞に出てくる人達とちつとも異らないやうな恰好で、町をキユツ/\と、光るほどに磨いた靴をはいて歩いてゐる。
「まあ、ねえ――」母がびつくりしたやう[#「母がびつくりしたやう」はママ]
「それにどうだ、百姓は。――」先生は一寸言葉を切つた。
「年中糞こやしの中にうづまつて、眞ツ黒けになつて、男だか女だか分らなくなる。この邊の女の手の皮なんて、まるで雜巾みたいでないか。朝は暗いうちから、それも夜まで。所がそれから又夜なべだ。――それで、ウンと金でも殘るんならいゝさ。ねえ、お母さん。」
 先生は變な調子で笑つた。「市(まち)の金持なんて、綺麗なビルデイングあたりで、綺麗な、上品な仕事を、チヨイ/\とやると、もうそれで一日終り。そしてたんまり金が入る。とてもお話にならないさ。」さう云つてから、
「どうだい。」と源吉に云つた。
 源吉はだまつてゐた。
「そんでせうねえ!」母親は感心して、「市の立派な人さんだちだものねえ。」
「源吉君分るかい、――この理窟が……」
「…………」
 源吉は先生の顏を見たが、何も答へなかつた。そして口に水をふくんで、それを霧打ちにして、藁を木槌で打つた。先生は煙草を喫ひながら、少しだまつてゐた。それから、フト思ひ出したやうに、
「あ、勝君が苗穗の鐵道の工場へ入つたつて、聞いたか。」
「ほんですか。」源吉もひよいと氣をひかれた。「やつぱりねえ。んなもんだ。」
「勝君の家(うち)で云つてたよ。――勝君も亦一苦勞だ。」
「お文ばけしかけたんだ、あの勝!」母親は怒つて云つた。
「なア、源吉君、百姓がたつた一人働けば、自分の一家を食はして行つて、おまけに地主にぜいたく三昧な暮しをさしてやる事も出來るし、その地主のお蔭で生きて行つてゐる人にも恩惠を分けてやることも出來るんだ。大したもんだよ。人間を生かしてやるも、やらないも意のまゝに出來るのは、お百姓と職工だけなんだよ。面白いだらう。」先生はいつも決して見せなかつた笑顏をした。それから笑談のやうな調子で、「偉いもんだよ。世界中で一番偉いのは百姓と職工といふわけになるだらう。ハヽヽヽヽ。ところがねえ、源吉君、その百姓と職工さんが一番貧乏して、一番薄汚くて、一番人に馬鹿にされて、一番働かされてるから、愉快だよ。」
 源吉も思はずその調子に引き入れられて、笑つた。母親は、何か、分つたやうな分らないやうな顏をしてゐた。
「面白いよ、こんなことを考へてれば。六月に地主が、皆んなを集めて、何んか饒舌つたらう。お前たちの貧乏するのは何處かお前達に罪があるんだ、働くものに追付く貧乏がないつて。皆もつともだ、もつともだつて、聞いてたツけ。――所が、なんのことない、さうやつて、ウンとこさ働かして置いて、その一番いゝ處をうま/\とひつたくつて行くのが地主だから面白いつて。まつたく地主に追付くものは一つだつてないさ。處が、奇妙な事もあればあるもんで、誰も地主にちよろまかされてるんだてえ事を知らないんだ。それでまだ稼ぎが足りないんだべ、まだ足りないんだべつて、一生懸命働いてるんだ。地主の奴、うしろで、舌ばペロ/\出して、喜んでるだべよ! 働け働けたつて、今まででさへ百姓が朝四時か五時から起きてさ、晩はまた晩で、七時も八時迄も働いてるんだ。これよりもつと朝早く、夜はおそくして、馬車馬見たいに、働いたら、それこそ三日で百姓ぶつ倒れるべよ。百姓位のべつ暇なしに働くものなんかあるか。――働きが足りないから貧乏してるなんて、ウソの大皮さ。」
「先生さま、まア何云ふだべ。」母親はびつくりして云つた。
「イヤ、お前んとこでも、ウンと働いてやれや。せば、地主の倉さ米俵が、うんとこさ積まさつて、逆にお前達の口がカラ/\になつてくるから。」先生は高聲で笑つた。
 源吉は、つんのめされた人のやうな、固い、むづかしい顏をしてゐた。時々、フト木槌がとまつた。
「俺、何時でも不思議に思つてるのは、みんながこんなに貧乏してゐるのに、どういふわけでこんなに貧乏かつてことが、誰も分つてゐないことだよ。なア、源吉君。地主があつたらこと云ひやがるし、坊主は又坊主の奴で、地主からたんまり貰つたもんだから、何事も佛樣のみ胸のまゝだなんてぬかすもんで、分らないのが、イヨ/\こんがらがつて分らなくなつたんだ。が、洗つたところを見れば、――何も、かも、はつきりしたもんだよ。百姓、あんまりはつきりすると自分でどうしていゝか困るのかなア。」又そこで笑つた。そして、獨りで「ウン、困るんだ。困るんから……分らないことにして置いてるんだ。」
 先生は源吉の方を見た。源吉が何か云ひ出すのを待つ、といふやうな恰好をした。が、源吉は眉をひそめたむづかしい顏を、まだ、してゐた。
「まア/\、先生樣、そつたらごと、地主樣にでも聞えたら、大變なごとになるべしよ。」
 先生はちよつとだまつてゐた。が、それからは別なことを話した。爐邊に寢てゐた由が、何かに吃驚したやうに、跳ね上つた。そして、立つたまゝポカーンとした。皆その方を見た。
「由、何ば寢ぼけてるんだ!」
 由は、それから四圍をキヨロ/\見ながら、身體を何囘もゆすつた。由の身體には虱が湧いてゐた。
「ホラ、校長さんがおいでになつてるど。」
 由は校長先生を見ると、頭をさげた。が、何も云はずにすぐ又爐邊に坐つた。そして兩膝頭と顎が喰付くやうに、圓まつて寢込んでしまつた。
「うなされてる。」
 校長先生はそれからしばらくして、イガ栗頭をゴシ/\かきながら歸つて行つた。表をあけながら、「ウツ、寒い。」と云つて、袂に手をひつこめた。戸がしまつてからすぐ家の側で、先生の小便をしてゐる音がした。
「お晩でした。」誰かゞさう云つて通つて行つた。
 先生は小便をしながら、「や、お晩。」と、何時ものザラ/\した聲で云つた。
 仕事が終つてから、母親が皮をむいて置いた馬鈴薯を大きな鍋に入れて湯煮をした。すつかり煮えた頃それを笊にとつて、上から鹽をかけた。母親と源吉が爐邊に坐つて、それを喰つた。うまい馬鈴薯は、さういふ風にして煮ると「粉を吹い」た。二人は熱いのをフウ/\吹きながら頬ばつた。母親は、源吉の向側に、安坐をかいて坐つてゐた。が、一寸すると、芋を口にもつて行きながら、その手が口元に行かずに、……母親は居眠りをしてゐた。が、手がガクツと動くので、自分にかへつて、とにかく芋を口に入れるが、口をもぐ/\させてゐるうちに、――のみ下さないで、口にためたまゝ、又居眠りを始めた。
 爐にくべてある木が時々パチ/\とはねた。その音で、母親が時々、少し自分にかへつた。源吉はものも云はずに、芋を喰つてゐた。何か考へ事でもしてゐるやうに、口を機械的にしか動かしてゐなかつた。
 柱時計が四つ、ゆるく、打つた。母親は、びつくりして、今度は本當に眼をさました。そして、くるつと圓くなつて寢てゐる由をゆり起した。由は眼をさますと、不機嫌に、ねじけ始めた。
「ホラ、校長先生!」母がどなつた。
 由はギヨツとしたやうに、四圍(あたり)を見た。
「うそ、うそ! うそ□――うそ※[#感嘆符三つ、70-8]……」とう/\由が本氣に泣き出してしまつた。
「この野郎。早く小便たれてこ。表さ行(え)つて。」
 由は中々立たなかつた。三度も、四度も云はれて、表へ立つた。が、戸を少し細目にあけると、そこからチンポコだけ出して、勢ひよく表へやつた。
「又、表さ出ねえで。なんぼ癖惡いんだか。――あどから臭せくツて!――赤びつき(赤子)でもあるまいし。えゝか、あとから兄から、うんブンなぐられるべ!」
「表おツかねえで。んに、寒いわ。」半分泣き聲で由が云つた。
「よし/\、うんと、そつたらごとせ。」
 母親は床を三つ敷いた。
「なア源ん、校長先生あれきつと、――あれだ。飛んでもない事云ふもんだ。本氣に聞くなよ。うん。」床をしきながら、母がさう云つた。
 源吉は、芋を喰ひあきると、火箸をもつたまゝ、爐の中を見てゐた。火箸で、火のオキを色々に、ならべてみたり、崩してみたり、しばらくさうしてゐた。
 由と母親が寢てしまつた。
 源吉は爐の側にある木をとつてくべた。それからそれが一しきり燃え終るまで、すゝけた青銅の像のやうに、坐つてゐた。ランプも石油がなくなつてきて、だん/\焔が細くなつてきた。
「源、まだ起きてたのか。燃料(たきもの)たいしだ。――寢かされ。」
 母親が眼をさまして、一寸枕から顏をあげて、こつちを見ながら云つた。源吉は火も、もう燃え殘りしかなくて、自分が寒くなつてゐたのに氣付いた。
「うん。」さう云つて、立ち上つた。……
 後の窓に、大きな影になつて、源吉の身體がうつつた。
「なんまんだ、なんまんだ、――。」ブツ/\母親が云ふのを源吉はきいた。

      六

 長い冬が來た。百姓は今年の不作の埋合せをしなければならなかつた。
 源吉は、村の人達五、六人と、朝里の山奧へ入つて、しなの皮はぎに雇はれるために、雪が降つたら出掛けることに決めてゐた。それが二月一杯できり上ると、余市の鰊場へ行くことになつてゐた。そして四月の終り頃村へ歸つてくる。それはどの百姓も大抵さうした。――それで百姓の生活がカチ/\だつた。
 何日も、何日も續いて、しつきりなしに吹雪いた。百姓はその間家から一歩も出ないで過ごした。窓から覗いてみても、たゞ眞白で、何も見えなかつた。時々、家がユキ/\と搖れた。そして、やうやく吹雪が上つた。戸をあけると外につもつてゐる雪が崩れて家の中に入つてきた。
 雪の石狩の平原は、今度こそ、何處を向いたつて、涯しもなく眞白に、廣がつてゐた。百姓家は所々ポツ/\と、屋根だけ見せて、うづまつてゐた。たゞ隨分離れてゐたと思つた隣家がはつきり、聲をかけられる位に近く見えた。空はまだ吹雪のあとを殘してゐる低い、暗い雲に覆はれて、それが地平線のあたりで、眞白な地上と、結び合つてゐた。そつちが今吹雪いてゐるらしく、眞黒になつてゐた。風は時々ピユ/\と音をさして吹いた。その度に、雪が煙のやうに吹き上り、渦を卷きながら、遠くから吹きよせてきた。その渦卷がグル/\一所で渦卷いてゐたり、素晴らしい早さで移つて行つたり、急に方向を變へたりした。家の角の邊に大きな吹き溜りが出來てゐた。
 寒氣がひどくなると、家の中などは夜中に、だまつてゐてもカリ、カリ、カリと、何かものの割れるやうな音がした。年寄つた百姓はテキ面にこたへて、腰がやんだり、肩が痛んだりして、動けなくなつた。
 家の中にとぢこめられて、食ひ物のなくなつた百姓が停車場のある町に、買ひ物にゆく、馬の鈴が聞えた。その、リン/\とした鈴がそのまゝで凍えてゐるやうな空氣に、ひゞき返つて、しばらく、――餘程遠くへ行くまで聞えてゐた。そしてその馬橇が雪の、茫漠とした野原を、曲りくねつて、一散にかけて行くのが見えた。
 雪が降り出してから、十日も經つと、百姓達は、ソロ/\この冬を、どうして過ごしてゆくかといふことを考へ出してきた。百姓達は雪を見ると、急に思ひつきでもしたやうだつた。食物がなくなつても、地主へ收めるものには手をつけることは出來ず、町へ仕入れにゆくにも金がなくなつてきた。百姓が顏を合はせると、ボツリ/\自分達の生活を話して、何んとかしなければと云つた。皆が苦しんでゐた。それで何時の間にか、そのことがずうと廣まつて行つた。
 川向ひの村に用事を足して歸つてきた勝の父親が、源吉に會つたとき、川向ひでも、色々そんな話が出てゐると云つた。石狩川が凍つたので、自由に向ひ側に行けるやうになつた。授業料ををさめることが出來なくなつて、小學校へ行く生徒が急に減つた。金をかけて、一日中遊ばせて置かれるか、と云つた。
 子供などはどこの子供も元氣のないきよとんとした顏をして、爐邊にぺつたり坐つてゐた。赤子は腹だけが、砂を一杯つめた袋のやうにつツ張つて、ヒイ/\泣いてばかりゐた。何も知らない赤子でさへ、いつも眉のあたりに皺を作つてゐた。頭だけが妙に大きくなつて、首に力なく、身體の置き方で、その方へ首をクラツと落したきり、直せなかつた。冬がくる前に、軒につるしておいた菜葉だけを、白湯のやうな味噌汁にして、三日も、四日も、五日も――朝、晝、晩續け樣に食つた。それに南瓜と馬鈴薯だつた。米は一日に一囘位しかたべられなかつた。菜葉の味噌汁が、終ひには味がなくて、のどがゲエ/\と云つた。
 だん/\百姓達は本氣になつた。
 話がかうしてゐるうちに纏つて行つた。源吉は誰からとなく、校長先生が裏に□つてゐる、といふ事をきいた。所が、同じ村のある百姓が、地主のために、立退きをせまられてゐるといふことが出來上つてから、急にさういふことが積極的になつた。
 川向ひから、若い男がやつてきた。自分の方も一緒にやつた方が、地主に當るにも都合がいゝといふことを云つた。日を決めて、一度、小學校に集つて、其處で、どうするか、といふことを打ち合はせることにした。
 その日吹雪いた。風はめつたやたらにグル/\吹きまくつた。降つてくる雪は地面と平行線になつたり、逆に下から吹き上つたり、斜めになつたり、さうなるとすぐ眼先さへ、たゞ眞白に、見えなくなつてしまつた。それで道から外れると、膝まで雪の中にうづまつた。雪は外套のどんな隙からでも入りこんで、手の甲や、爪先などは、ヅキン/\痛んできた。小學校へは、遠い家は小一里もあつた。
 どの百姓も、どの百姓も、入つてくるときはメリケン粉の中から出て來た人のやうに身體中眞白だつた。そしてかじかんだ兩手を口にあてゝハア、ハアと息をかけた。ひげも眉も、まつ毛さへも、一本々々白く凍りついてバリ/\してゐた。外套のない百姓は、着物を絲で刺したドサを頭からかぶつてやつてきた。何十年か前に、兵隊に行つたとき着た、カキ色のすゝけた外套をきたのや、ボロ/\の二重□はしをきたのや、筒砲袖の外套をきたのや、色々だつた。教室に入ると、ストーヴがたいてあるので、それでも暖かかつた。眉やヒゲから、凍つたのがとけて、水玉を作つて頬を流れ落ちた。
 百姓の顏は、どれも、風邪でもひいた後のやうな妙にはれぼつたい、それに、煤けた、生氣のない顏をしてゐた。背中が圓くなつたのや、身體はがつしりしてゐるが、どこか不平均なところのある百姓や、毛むぢやらのや、頭がすつかり禿げて、それが一年中も陽にさらされて、赤ひようたんのやうになつてゐるのや、色々だつた。さういふのが二、三人づゝ一かたまりになつて、てんでに、自分達のことを話し合つてゐた。キセルの吸殼を厚い掌にうけて、獨りで、何かむつちり考へこんでゐる年とつた百姓もゐた。五、六人を前に置いて、何か聲高に、手を振りながら、ものを云つてゐるのもゐた。
 しばらくすると、百姓の集會らしい、變な人いきれの臭氣でムンとした。
 片隅で、誰か五、六人のものが拍手をした。それにつれて、集つたものも、拍手をした。が、ぼんやりして、だまつて拍手をするのを見てゐたのもあつた。拍手が終ると、二十五、六のがつしりした身體の、眉の濃い、バリ/\した短い頬ヒゲをもつた石山といふ百姓が教壇に上つた。校長先生の親類だつた。
「皆に代つて、一通りのことをお話しします。」さう前置きをして石山は、百姓にはめづらしいはつきりした、分つた云ひ振りで(勿論、百姓などが殊更に改まつたときによくある、變な漢語も使つたが)――自分達は、犬や豚などより、もつと慘めな生活をしてゐること、――ところが自分達は何時か仕事をなまけた事でもあつたか。――では、何故か。自分達がいくら働いても働いても、とても何んの足しにもならない程貧窮してゐるのは、實に、地主のためであるといふことを分り易く、説明し、今度のやうな場合地主に小作料を收めることは「自分達の死」を意味してゐる、ナホ我々百姓は、高利貸の不當な利息、拓殖銀行の年賦にも、苦しめられ、それに税金がかゝつてくる。そして出來上つたものは、肥料や農具にも引合はない。かうまで、自分達がなつてゐるのに、だまつてゐられるか。そこで、我々は、皆んなにお集りを願ひ、その方策をきめることにしたいのだ、と結んで壇を下りた。百姓達は、聞き慣れない言葉が出る度に、石山の方を見て、考へこむ風をした。が、苦しい生活の事實を石山に云はれ、百姓は、「今更のやうに」、自分達自身の慘めさを、顏の眞ん前にとり出されて、見せられた氣がしたと思つた。石山が壇から下りると、急にガヤ/\し出した。今石山の云つた事について、あつちでも、こつちでも話し合つた。一番前にゐた年寄つた百姓が、「とんでもなえ、おつかねえこと云ふもんだ。」とブツ/\云つたのを石山はおりる時に聞いた。
 石山が下りると、すぐもう一人が壇に上つた。まだ二十一、二のヒヨロ/\した感じのする、頭の前だけを一寸のばした男だつた。が、案外力のこもつた聲で、グン/\、簡單に、ものを云つて行つた。大體に於いて、石山の云ふことを認め、直ちに小作料減率の請求を、全部の署名をして、地主に「嘆願」することにしてはどうか、といふことを云つた。齋藤といふ兵隊歸りの若者だつた。
 次は、四十位の百姓で、壇に上ると、いきなり手をふり□はしながら、醉つた眼を皆の方へすえて「俺達は……」とか「そこで以て、故に……」とか「そして須く……」「しなければならないんであります。」そんなことばかり云つた。ぐでん/\に醉拂つてゐた。皆が笑つた。誰かゞ、そんな奴は下ろせ、とか、下りろとか叫んだ。その百姓は、臺の上で見得を切つてみせると、身體をフラつかせながら壇を下りた。もと旅役者に入つてゐたことがある男で、醉拂ふと、昔の型物の眞似をするので、皆んな知つてゐた。
 年寄つた百姓が上つた。――色々説をきいたけれども、みんな「不義不忠」のことばかりだ、と云つた。言葉が齒からもれて、一言々々の間に、シツ、シツといふ音が入つた。――地主樣と自分達は親子のやうなものだ。若いものは、それを忘れてはならない。「いやしくも」地主樣にたてつくやうなことはしないことだ。「畑でも取り上げられたらどうするんだ。」――さう云つた。「お父アーン、分つたよ。」と、後から叫んだものがあつた。終つてその年寄が壇を下りると、又ガヤ/\した。
 今迄かなり、皆んなの氣持が一緒にかたまつてグツ/\と進んできたとき、この年寄つた百姓の言葉が、皆を暗闇から出て來た牛のやうに、ハツと尻ごみさした。かういふことでは、百姓は牛だつた。
「何んだベラ棒奴! ウン、野郎!」さつきの、醉拂つた百姓が又身體をヨロめかして、壇に上つてきた。「何云つてるんだい。老ボレ。そつたらごどで俺だちの貧乏どうしてくれるんだい。」
「ウン/\」といふのがあつた。「下りろ」「さうだ/\」……
 石山はそこで、出て行つた。――俺だちのしなけアならない事は、もう決つてゐるのだ。それをしなかつたら、明日食ふ米がなくなつて、俺だちは死ななければならない事だけだ。――俺だちはどうしても死んだ方がいゝと思つてゐるものは手をあげてくれ。さう云つた。
 ガヤ/\が靜まつてきた。しばらく石山はつツ立つてゐた。
 ――誰もない。ぢや俺だちは生きるんだなあ。そしたら、俺だちは俺だちの方法を實行するんだ!
 それより外に斷じてないことになるだらう。
 この斷定的な調子が、皆の氣持を、またグツと前へ突き出した。
 石山は「齋藤案」を持ち出して、それに對して論議を進めることにしようと計つた。
 そして、「この事に對して意見のある方は、手をあげて自分に云つて貰ひたい。」と云つた。
 またやかましくなつた。地主のことを惡く云ふものや、それを然し何處かで擁護してゐるものや、さういふのが、お互にブツ/\云ひ合つた。中には、ブツキラ棒に興奮して、□はらない口で、吃りながらしやべるものもあつた。が、さういふやうに色々のことを云ひながら、然し「どうする」といふことになると百姓達は、ちつとも分つてゐないやうに見えた。石山は壇上に立つたきりで、だまつて皆のしやべるのを聞いてゐた。石山は、皆の一番後の板壁に、先生が寄りかゝつてゐるのを見た。それから少し離れた窓際に、源吉が腕をくんで、がつしり立つてゐるのを知つた。皆の眞中頃にゐて、何か腕を振つてしきりにしやべつてゐる片岡といふ百姓は、此前、地主のお孃さんが遊びに來たとき、石狩川に落ちた、その時それを助けに飛込んで、自分で半分死ぬ目に會つた男だつた。が、大部分の百姓は、ポカーンと口をあいて、誰か云ふのを、代る代り、聞き惚れてゐた。
「誰か考へがありませんか。」
 石山が大聲をあげて聞いた。それで、一寸靜かになつた。
 すると、一人が、
「全然(まるツきり)地主さ納めねえ方がえゝべよ。」と云つた。
 が、その意見は、忽ち皆の反對に會つてしまつた。そんなことはとても出來得ないことであり、又すべきことでない、さう百姓は誰も考へてゐた。
「では、皆の意見は、小作料率の低減ですか。その嘆願ですか。」石山がさうきいた。と、又ガヤ/\になつた。それがしばらく續いた。
「この意見に反對の人は手をあげて下さい。」
 誰も上げなかつた。
「ありませんか。」
 間。
 誰もなかつた。
「ぢや、齋藤案に從ふことになるんですねえ。」
 皆は互に見□はしてみた。それから手が、あやふやに七ツ、八ツ擧がつた。
「そつたらごとで百姓の貧乏なほるもんけア!」
 誰か後で野生的な太々しい聲で叫んだ。さういふ瞬間であつたので皆はその方を見た。――源吉だつた。
「ぢや、源吉君、どうするんです。」石山がきいた。
「分つてるべよ。地主から畑ばとツ返すのさ!」
 ぴたり押へられた沈默だつた。次の瞬間、然し源吉の意見は一たまりもなく、皆が口々に云ふ罵言で、押しつぶされてしまつた。
 それから後、源吉は一言も云はなかつた。始終、腕をくんだまゝでゐた。
 まづ、そして、根本的なことが決められた。それからそれをどういふ風にしてやるか、といふことが問題になつた。それは、二、三日に、地主の差配が例年の通り□つてくることになつてゐるので、それに、事情を説明し、すぐ地主に交渉を始めることになつた。この時、その色々な交渉の間小作の米をどうするのか、と云ひ出すのがあつた。それが又相當大きなことなので、中々意見が一致しなかつた。又百姓には、それを最後迄の見通しをつけた上で、確實な――手落ちのない成算でやつて行けることが出來なかつた。この所、先生の意見をきいた。校長先生は、まづ、町にゐる商賣人に自分達所有の畑物を全部賣つてしまひ、その背水の陣で、地主に當ることにしたらいゝ、といふことを云つた。それには二つの條件をつけた。第一は最初の地主への交渉が不調に終つたら、第二は地主がその結果、作物を無理に押へるといふやうな樣子が分つたら、といふのがそれだつた。一軒々々持つてゐたのではすぐ押へられるし、又そのために、結束が破れるおそれもあつた。先生はかういふ點を防ぐためにもこの方法は重大であると云つた。かういふ事は百姓にはかなり思ひきつたことだつたけれども、それが當り前のことのやうに思はれる程皆せツぱつまつてゐた。
 かういふ風に決つたことを、實際にやつてゆくための人間とか、細則、具體的な方法、さういふことは、三、四人の重立つた人(その中には校長先生も入つた。)で決めて、すぐ皆に通知することにした。それでその日の集合が終つた。
 百姓達は二人三人一緒になつて、今日のことを話しながら歸つて行つた。外はまだ風はやんでゐなかつた。百姓達は厚い肩を前の方へ圓め、首を外套の襟の中にちゞめて、外へ出て行つた。
 源吉が歸らうと、外套に手を通してゐると、先生の子供が出てきて、源吉に是非遊んでゆけと、着かけてゐる外套をひつぱつて、居間の方へ連れて行つた。仕方なしに源吉は、しばらくの間、子供の相手になつてゐた。源吉は何時も他愛なく子供相手に遊ぶので、好きがられてゐた。が、源吉はその、子供達に好きがられる、何んとも云はれない大まかな、無心な氣持が、ちつとも出なかつた。源吉は何處かイラ/\して、じつとしてゐられなかつた。好加減にして出てきた。外へ行かうとして、教室の戸をあけると、殘つた四、五人が相談をしてゐた。
「源吉君、殘つて一つ相談に乘つたらどうだ。」と、若い一人が云つた。
 源吉は口のなかで、煮え切らない返事をして、外へ出た。
「それどころか!」源吉はさう思つてゐた。

 源吉は自分の考へが、皆に何んとか云はれる筈だと思つた。百姓は後へふんばる牛のやうだつた。理窟で、さうと分つてゐても、中々、おいそれと動かなかつた。けれども源吉はそんなケチな、中途半端な、方法はなんになるか、と思つた。何故、そこから、もう一歩出ないのか、さう考へた。
 源吉は小さい時から、はつきりさうと云へないが、ある考へを持つてゐた。源吉の父親が、自分の一家をつれて、その頃では死にに行くといふのと大したちがひのなかつた北海道にやつて來、何處へ行つていゝか分らないやうな雪の廣野を吹雪かれながら、「死ぬ思ひで」自分達の小屋を見付けて入つた。その頃、近所を平氣で熊が歩いてゐた。よく馬がゐなくなつたり、畑が踏み荒らされたりした。石狩川の川ブチで熊が鮭をとつてゐるのを、源吉の父が馬を洗ひに行つた途中見て、眞青になつて家へかけこんで來たことがあつた。夜になると、食物のなくなつた熊が出てくるので各農家では、家の中にドン/\火を焚いた。熊は一番火を恐れた。源吉は小さい時の記憶で、夜になると、窓から熊が覗いてゐる氣がして震へてゐたことを覺えてゐる。――その時から二十年近く、源吉の父親達が働きに働き通した。
 母親から、源吉が聞いたことだが――その頃父親が時々眞夜中に雨戸をあけて外へ出て行くことがあつた。母親は、用を達しに行くのだらうと、初め思つてゐると、中々歸つてこなかつた。一時間も二時間も歸つて來ないことがあつた。母はだん/\變に思つて、それを父にきいた。父は笑つて、「畑さ行つて來るんだ。」と云つた。それ以上云はなかつた。
 いつかの晩、母があまり變に思つたので、後をついて行つた。すると父が眞暗な畑の中にズン/\入つて行くのを見た。その時には母も何かゾツと身震ひを感じた。母は、少ししやがんで、そつちの方をすかして見てゐると、父は畑の眞中に、立つたきり、じいとしてゐた。十分も、二十分も。それからその隣りの自分の畑の方へ行くと、又、やつぱり立つたまゝしばらくさうしてゐた。と、今度はそこから一寸離れた自分の畑に歩いて行つた。母にはちつとも、そのことが分らなかつた。
 あとで、母はとう/\その晩のことを云ふと、
「馬鹿だなあ」と云つて笑つた。「俺なア、俺アの畑が可愛(めんこ)くてよ。可愛くて。畑、風邪(かぜ)でもひかなえかと思つてな。」
 そして、眞面目に「お前だつて、目さめれば、源や文が風邪ひかねえかつて氣ばつけて、夜着かけてやるべよ。」と云つた。
 が、何時の間にか、その生命のもとでのやうな土地が、「地主」といふものに渡つてゐた。父親は、ことに、死ぬ前、そのことばかりを口にして、グヂつてゐた。源吉は、それをきく度に、子供ながら、父親の氣持が分ると思つた。源吉が地主の足にかじりついたのは、さう無意味な理由からではなかつた。「畑は百姓のものでなければならない。」さう文字通りはつきりではなくても、このことは、源吉は十一、二の時から、父親の長い經驗と一緒に考へてきてゐた。
 源吉は然し、やつぱり外の百姓達と同じやうに、さういふことを、たゞぼんやり考へてゐた(――考へてゐたとは云へない程度であつたが)が、そのぼんやりした考へ? が、今度は、源吉自身の經驗で、少しづゝ形をとつてきた。そしてそのことが、もう一歩思ひ切つた跳進をしたのは、校長先生の話したことであるやうだつた。こんな簡單な、分りきつたことを、然し百姓は一生がかりで分つた、或ひは分らずに終ふことさへあつた。分らずに終ふことが、かへつて多かつた。
「分つてるべよ、地主から畑ばとつかへすのさ!」――かう源吉が云つたのは、理窟でなかつた。源吉はさう背後で云はせる父親の氣持も感じてゐたのだ! 源吉は歩きながら、こんな事が分らない、そして又そこ迄行かうとしない百姓に、心から腹を立て、「勝手にしやがれ、俺ア俺アだ。」と思つてゐた。

      七

 源吉が、集會の途中、醉拂つて歸つてきた。札幌に行つてゐる勝から、手紙が來てゐた。
 ――札幌にも雪が降つた。やつぱり寒い。俺達には冬が一番堪へる。朝六時には工場へ行く。冬の朝の六時つたら、俺達若いものだつて身體の節々が痛んで來るほど寒い。油でヒンヤリする帽子をかぶり、背中を圓くして、辨當をブラ下げて出掛けてゆく。俺の前や後にも、やつぱりさういふ連中が元氣のない恰好で急いで歩いてゆく。工場では、ボヤ/\してはゐられない。六時から晩の五時迄、弓のつるみたいに心を張つてゐなけアならない。俺が來てから、仲間の若い男が二人も、機械の中にペロ/\とのまれてしまつた。ローラーから出てきた人間はまるで大幅の雜巾のやうなヒキ肉になつて出てきた。
 一人の方の嬶が、それから淫賣をやつて子供を育てゝゐるといふ評判をきいた。
 工場が、大きな機械の□る音で、グアン/\してゐる。始めの一週間位は、家に歸つても、頭も、耳も工場にゐるときと同じやうに、グアン/\して、新聞一枚も讀めなくなつてしまつた。俺は、このまゝ馬鹿になつて行くのかと思つた。
 夜五時になつて(今では眞暗だ)汽笛が鳴る、さうすると人を喰ふ機械から歸つてもいゝといふことになる、身體も心も、急にガツたりする。歸るのが、イヤになるほど疲れてゐる。其處へそのまゝ坐つてしまひたい位だ。俺はかう思つた――百姓は、かういふ工場で働いてゐるもの等より、もつと低い、馬鹿らしい、慘めな生活をしてゐても、あの野ツ原で働くのが、どんなに過勞だと云つたつて、空氣がいゝ、まるで澄んだ水のやうに綺麗な空氣だ。空氣のなかには毛一本程のゴミも交つてゐない。働きながら、歌もうたへる。晝には、畑の眞中に、仰向けになつて、空を見ながら、ぼんやりしてゐたり、晝寢も出來る。ところが、どうだ、こゝは! 俺はこの工場の中を、君に知らせたいのだ、然し、どう知らせていゝのか俺には一寸出來ない。まるで、それに比らべたら、場末のグヂヨ/\した大きな「塵(ゴミ)箱の中で」働いてゐると云つてもいゝ。工場の中は、暗くて、臭くて、ゴミがとんで、ムツとして、ごう/\として、……お話にならない。仕事が終つて出てくるものは、眞黒い顏をして、眼だけを光らして酒に醉拂つた人のやうに、フラ/\してゐる。
 こゝに働いてゐる人達は、百姓のやうに、貧乏はしてゐても、何處かがつしりしたところがなくて、青白くて、病身らしくて、いつでもセキをしてゐる。俺は、そのことを考へて、暗い氣持になつてゐる。石狩川の大平原にゐた方が、と、きまりきつた愚痴が、此頃出かゝつてゐる。本當のところ、其處の生活も亦いゝものではないが。
 俺は、村にゐたときから、君とちがつて、どうしても落付いてゐることが出來なかつた。こんな生活でない、もつといゝ、本當の生活があると、いつでも、考へてゐた。何んであるかちつとも分らずに、そればかり考へてゐた。が、今になつて、俺達がどんなところに轉ばうが、轉べるところは決つてゐる、といふことが分つた。分らされたんだ。君はきつと、こんなことを云ふやうになつた俺を笑ふだらう。笑はれても仕方ない人間だ。然し、俺は、俺達皆が一體どんなものであり、どんなことをして居り、それがこの社會にどんな役目と、待遇をうけてゐるものであるか、かういふことを、こゝへ來てから初めて知るやうになつた。百姓も、このことは分らなければならないことだ。こゝには、こつそり、さういふことを研究してゐる人達がゐるんだ。俺も一寸顏を出すやうになつてから、ぼんやりながら分りかけてきた。そして、俺はびつくりしてゐる。この世の中が大變なからくりから出來てゐるといふことを初めて知つた。そして、そのどれもこれもが、皆、「俺達の」頭に成る程とピン/\くるものだ。
 が、それはいづれ、詳しく書くつもりだ。そつちではどうして暮してゐる。もしなんなら、手紙を書いてくれたら有難い。
 君の妹も、札幌に出てきたことを愚痴つてゐる、俺は君の妹を女給にだけはしたくないと思つて、今、何處かへ奉公させてやりたいと思つてゐる。
 こんな意味の手紙だつた。
「兄、芳さん、歸つてきたツてど。」
 源吉が臺所で水をのんでゐたとき、外から來た由が源吉を見て、云つた。源吉は口のそばまでもつて行つた二杯目のひしやくを、そのまゝに、とめて「うん□」と、ふりかへつた。眼がぎろりとした。
「お母アからきいてみればえゝさ。」
「うん?」源吉は、水の入つてゐるひしやくを持つたまゝ、ウロ/\した眼で母親を探がした。
「何處さ行(え)つてる?」
 由が裏口へ出て行つた。戸を開けた拍子に、いきなり雪が吹きこんできた。源吉はまだひしやくを、口の高さにもつたまゝ、うつろな眼をして立つてゐた。
「何處さ行(え)つたか、居ねえわ。」由が歸つてきた。
 源吉は、フト思ひ出したやうに、ゴクツとのどをならして、水をのむと、外へ出て行つた。
 然し二分もしないで、歸つてきた。醉つた眼をすゑて。土間に立つてゐた。それから表の方を一寸見た。そして、何か考へ惑つてゐた。が、チエツ! と舌打ちすると、家へ上つた。源吉はすぐ、押入れから、垢でベト/\になつた丹前をとり出して、それを頭からかぶると、寢てしまつた。由は、隅の方で、さういふ兄を、半ば恐れながら、然しじいと見てゐた。
 夜になつて、母親が、お芳のことを「驚いたもんだ。」と云つた。源吉はその時は何時ものむつちりにかへつて、飯を食ひながらだまつて聞いてゐた。
 ――お芳は札幌にゐたうちに、ある金持の北大の學生と關係した。そしてお芳が妊娠したと分つたときに、その學生にうま/\と棄てられてしまつた。その學生の實家は内地に澤山の土地をもつた地主だつた。
 お芳は、何度も/\學生にすがつて行つた。「誰の子供だか分るもんか。」終ひにはさう云はれた。そのうちに、身體のそんな事情で、カフエーの方も工合わるくなり、大きな十ヶ月の腹で、歸つてきた。
 本當は十日も前に、「こつそり」歸つてきてゐたのだつた。お芳の父親は家に入れないと云つた。貧乏百姓には、寢て米を食ふ厄介物でしかなかつたし、もう少したてば、それにもう一つ口が殖える。とんでもないものいりだつた。そして又そんな不しだらな「女郎」を家には置けない、とぐわんばつた。お芳は土間に蹴落された。「物置の隅ツこでもいゝから。」お芳は、土べたに横坐りになつたまゝ、泣いて頼んだ。――
 母親のせきに、お芳の父が會つたとき、「あれア、もう百姓仕事も出來ねえ、ふにやけ身體になつて歸つてきたんし、手もまツ白くて、小さくなつて……良(え)い穀つぶしが舞えこんだもんだし。――あつたらごとになつて親の罰だべなんす。」と云つた。
 母が「まあ/\」と云ふと、
「なんかえゝごとでもなえべか?」ときいた。母がきゝかへすと、
「あの腹の子んしな。」と云つた。
「お前さん!」母はびつくりした。
 すると、お芳の父は落着きなく、うやむやにして、頭を自分の手で押へて振りながら、歸つて行つた。「俺アは、もうどうもかもはア分(わ)かなくなつたんし。」……
 母親は、源吉に、「無理しねえばえゝが。」と云つた。「あんの調子だら、あぶねえわ。」
 源吉は返事も、相槌もうたず、にゐた。母親は、それから、聲をひそめて、
「よく聞いてみれば、お芳ア、そんなに札幌さ行(え)ぎたい、行ぎたいつて、行つたんでねえツてなア。」
 源吉は、母親の顏を見た。「うん?」
「なんでもよ、お芳居だら、口かゝるし、働くだけの畑も無えべよ、んで、ホラ、そつたらごとから、お芳にや、家(うち)つらかつたべ――。」
「それ、本當か?」
「お芳、隣りの、あの、なんてか、――石か、――石だべ、石さ云つたどよ、さうやつて。」
 源吉はそれをきくと、溜めてゐた息を大きくゆるくはいて、それから又横を向いてだまつた。
「可哀さうに! 産婆さ見せる金も無えべし、それに、こツ恥かしくて見せもされねえべしよ。――お芳の弟(おんじ)云つてたけど、毎日札幌さ手紙ば出してるどよ。んから、あの郵便持ちがくる頃に、いつでも入口さ立つて待つてるんだけど、一度だつて、返事來たごと無えてたぞ。」
 母親が、ポツリ、ポツリ云ふのが、源吉の胸に、文字通り、ぎぐり/\刺さりこんで行つた。
 初め、源吉は、お芳が歸つてきたときいたとき、カツ! とした。拳固をぎり/\握りしめると、「畜生ツ!」と思つた。一思ひにと思つて、飛び出さうとさへした。
 が源吉は、母親の、それをきいてゐるうちに、自分でお芳を憎んでゐるのか、あはれんでゐるのか分らない氣持になつた。げつそり頬のこけたお芳が郵便配達を入口に立つて待つてゐる恰好が、源吉には見えると思つた。弱々しい、考へ込んでゐる眼が、どうしても離れない。大きな腹をして、――だが、そこへ來ると、源吉は頭を振るやうにして、眼をじつとつぶつた。胸が變に、ドキついてきて、彼には苦しくてたまらなかつた。
 次の日に、源吉は、お芳が始めどうしても飮まない、飮まない、とぐわんばつてゐた藥を、やうやく飮んでゐるといふ、噂をきいた。それは、何度も何度も出した手紙が一囘だつて返事が來ないのに、色々これからの事も考へ、飮み出したのだと、云つてゐた。源吉は、自分のことのやうに、氣持に狼狽を感じた。が、だまつて、それをこらへた。
「嘘だらう。」と云つた。
「本當々々。」母親は見てきたやうに云つた。「可哀さうにさ、眼さ一杯涙ばためて、のむんだと。んで、飮んでしまへば、可哀さうに、蒲團さ顏つけて、聲ば殺して泣くどよ。」
「馬鹿こけツ!」
 源吉は、何かしら亂暴に、ブツキラ棒に云ふと、母親のそばから荒々しく立つた。
 晩に飯を食つてゐたとき、
「赤子(あか)、んで墮(お)りたのか?」と、ひよいときいた。
 母親は源吉の顏をだまつてみて、それから「うん?」と云つた。
 源吉は、自分がなんのきつかけもなく、突コツにそれを云つたことに氣付いて、赤くなつた。ドギまぎして「芳さ」と云つた。
「芳? ――うん、芳か。」さう母親が分ると、「それさ、まだ墮りねえどよ。體でも惡くしねえばえゝ。」と云つた。
         *
 百姓達は、さうやつて集つて決めたが、今度はそのことを、地主や差配を相手にやつて行くといふやうな事になると、お互が何處か、調子がをかしくなつた。知らず知らずの間に、どうにか我慢することにするか、そんな事に逆もどりをしさうな處が出てきた。さうなつたとしても、百姓は然し今までの長い間の貧乏の――泥沼の底のやうな底になれてゐたので、ちつとも不思議がらずに矢張り、その暮しに堪へて行つたかも知れなかつた。――源吉は、一層無口に、爐邊に大きく安坐(あぐら)をかきながら、「見たか!」と、心で嘲笑つた。
「お前え達のやることツたらそつたらごとだ。」
 二、三日して、小作料を納められないので、立退きをされさうになつてゐた「河淵の澤」のところへ、差配がとう/\やつてきた。澤の畑を處分するから、雪が消えたら、家をあけろ、と云つた。女や子供に、ワン/\泣かれると、澤はすつかりオロ/\して、この前の會合の仲間へ、それを云ひに行つた。「幹部」の百姓は、急に、それで騷ぎ出した。そして、すぐ學校へ寄り合ふと、今更新しいことのやうに、この前と同じ相談を又やり直した。
「どうしても、やらなけアならないかな。」年寄つたのが、そんな事を云つた。が、他の「幹部」は、今時、こんな事を云ふのをきいても、「冗談云つちや困る」とさへ思はなかつた。かへつて、首を一緒にかしげて考へこんだりした。そして、
「まあ、さうしなけアなんねえべ。」と、そんな事になつた。
 それから、何邊も同じ事を、グル/\繰りかへして、「がつしりかゝつてやるべ。」といふことに決つた。それで皆が、やうやく別れた。

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