工場細胞
◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:小林多喜二 

          上 一

 金網の張ってある窓枠(まどわく)に両手がかゝって――その指先きに力が入ったと思うと、男の顔が窓に浮かんできた。
 昼になる少し前だった。「H・S製罐(せいかん)工場」では、五ラインの錻刀切断機(スリッター)、胴付機(ボデイ・マシン)、縁曲機(フレンジャー)、罐巻締機(キャンコ・シーマー)、漏気試験機(エアー・テスター)がコンクリートで固めた床を震わしながら、耳をろうする音響をトタン張りの天井に反響させていた。鉄骨の梁(はり)を渡っているシャフトの滑車(プレー)の各機械を結びつけている幾条ものベルトが、色々な角度に空間を切りながら、ヒタ、ヒタ、ヒタ、タ、タ、タ……と、きまった調子でたるみながら廻転していた。むせッぽい小暗い工場の中をコンヴェイヤーに乗って、機械から機械へ移っていく空罐詰が、それだけ鋭く光った。――女工たちは機械の音に逆った大きな声で唄をうたっていた。で、窓は知らずにいた。
 ――あらッ!
「田中絹代」が声をあげた。この工場の癖で、田中絹代と似ているその女工を誰も本名を云うものはなかった。彼女は窓際に走った。コンヴェイヤーの前に立って、罐のテストをしていた男工の眼が、女の後を辿った。――外から窓に男がせり上がっている。その男は細くまるめた紙を、工場の中に入れようとしているらしい。
 女が走ってくるのを認めると、男の顔が急に元気づいたように見えた。彼女は金網の間から紙を受取ると、耳に窓をあてた。
 ――監督にとられないように、皆に配ってくれ。頼みますよ。
 男は窓の下へ音をさして落ちて行った。が、直(す)ぐ塀を乗り越して行く悍(たくま)しい後姿が見えた。
 昼のボーが鳴ると、機械の騒音が順々に吸われるように落ちて行って――急に女工たちの疳高(かんだか)い声がやかましく目立ってきた。
 ――何ァによ、絹ちゃん、ラヴ・レター?
 ――ラヴ・レターの見本か? 馬鹿に太(で)ッかいもんでないか。
 それを見ていた男工も寄ってきた。
 ――そんな事すると、伝明さんが泣くとよ。
 ――そうかい、出目でなけァ駄目とは恐ろしく物好きな女だな?
 皆が吹き出した。
 田中絹代がビラを皆に一枚々々渡してやった。
 ――な、何ァんでえ、これはまた特別に色気が無いもんでないか。
 ――組合のビラよ。
   失業労働者大会
・市役所へ押しかけろ!
・我等に仕事を与えよ!
・失業者の生活を市で保証せよ!
 仕上場の方から天井の低い薄暗いトロッコ道を、レールを踏んで、森本等が手拭いで首筋から顔をゴシ/\こすりながら出てきた。ズボンのポケットには無雑作に同じビラが突ッこまされていた。
 ――よオッ! 鉄削(かなけづ)りやッてきたな!
 連中を見ると、製罐部の職工が何時もの奴を出した。
 ――何云ってるんだ。この罐々虫!
 負けていなかった。
 ――鉄ばかり削っているうちに、手前えの身体ば鰹節(かつおぶし)みてえに削らねェ用心でもせ!
 製罐部と仕上場の職工は、何時でもはじき合っている。片方は熟練工だし、他方は機械についてさえいればいゝ職工だった。そこから来ていた。普段はそれでもよかったが、何かあると、知らないうちに、各々は別々に固まった。――例えば、仕上場の誰かゞ「歓迎」か「観迎」か分らなかったとする。すると、仕上場全部が「一大事」でも起ったように騒ぎ出す。彼等はこんな事でも充分に夢中になった。頭を幾つ並べてみたところで、同じ位の頭では結局どうしても分らず、持てあましてしまう。然し彼等は道路一つ向うの「事務所」へ出掛けて行って、ネクタイをしめた社員にきくことがあっても、製罐部の方へは行かないのだ。
 相手の胸にこたえるような冗談口をさがして、投げ合いながら、皆ゾロ/\階段を食堂へ上って行った。上から椅子の足を床にずらす音や、女工たちのキャッ/\という声が「塩鱒」の焼ける匂いと一緒に、賑(にぎ)やかに聞えてきた。
 この日、Yの「合同労働組合」のビラは「H・S工場」へ三百枚程入った。職場々々の「職長(おやじ)」さえもビラを持っていた。然し、そのビラのことは食事中ちっとも誰もの話題にならなかった。
 飯が終って、森本が遅く階段を降りてくると、段々のところ/″\や、工場の隅々に、さっきのビラが無雑作にまるめられたり、鼻紙になったり、何枚も捨てられているのを見た。――彼はありありと顔を歪(ゆが)めた。

          二

「H・S製罐会社」は運河に臨んでいた。――Y港の西寄りは鉄道省の埋立地になって居り、その一帯に運河が鑿(ほ)られている。運河の水は油や煤煙を浮かべたまゝ澱(よど)んでいた。発動機船や鰈(かれい)のような平らべったい艀(はしけ)が、水門の橋梁の下をくゞって、運河を出たり入ったりする。――「H・S工場」はその一角に超弩級艦のような灰色の図体を据えていた。それは全く軍艦を思わせた。罐は製品倉庫から運河の岸壁で、そのまゝ荷役が出来るようになっていた。
 市(まち)の人は「H・S工場」を「H・S王国」とか、「Yのフォード」と呼んでいる。――若い職工は帰るときには、ナッパ服を脱(ぬ)いで、金ボタンのついた襟(えり)の低い学生服と換えた。中年の職工や職長(おやじ)はワイシャツを着て、それにネクタイをしめた。――Y駅のプラットフォームにある「近郊名所案内」には「H・S工場、――約十八町」と書かれている。
 Y市は港町の関係上、海陸連絡の運輸労働者――浜人足、仲仕が圧倒的に多かった。朝鮮人がその三割をしめている。それで「労働者」と云えば、Yではそれ等を指していた。彼等はその殆んどが半自由労働者なので、どれも惨(みじ)めな生活をしていた。「H・S工場」の職工はそれで自分等が「労働者」であると云われるのを嫌った。――「H・S工場」に勤めていると云えば、それはそれだけで、近所への一つの「誇り」にさえなっていたのだ。
 
 森本は仕事台に寄っても仕事に実(み)が入らなかった。――彼は今日組合のビラが撒(ま)かれることは知っていたし、又そのビラが撒かれたときの「H・S工場」内の動きについて、ある会合で報告しなければならないことになっていた。だが、見ろ、こんな様(ざま)をオメ/\と一体誰に報告が出来るものか。職工の一人も問題にしないばかりか、巡査上りの守衛から、工場長さえ取り合いもしない。ビラの代りに、工場の中に虻(あぶ)か蜂の一匹でも迷いこんだ方が、それより大きな騒ぎになるかも知れないのだ。「虻」と「ビラ」か! それさえ比較にならないのだ。――そこまでくると、彼はもう張り合いが感ぜられなくなった。
 職場の片隅に取付けてある十馬力の発動機(モーター)は絶え間なく陰鬱な唸(うな)りをたてながら、眼に見えない程足場をゆすっていた。停電に備えるガソリン・エンジンがすぐ側に据えつけられている。――そこは工場の心臓だった。そこから幹線動脈のように、調帯(ベルト)が職場の天井を渡っている主動軸(メエンシャフト)の滑車にかゝっていた。そして、それがそこを基点として更にそれ/″\の機械に各々ちがった幅のベルトでつながっていた。そのまゝが人間の動脈網を思わせる。穿孔機(ボールバン)、旋盤、穿削機(ミーリング)……が鋭い音響をたてながら鉄を削り、孔(あな)をうがち、火花を閃(ひら)めかせた。
 働いている職工たちは、まるで縛りつけられている機械から一生懸命にもがいているように見えた。腰がふん張って、厚い肩が据えられると、タガネの尻を押している腕先きに全身の力が微妙にこもる。生きた骨にそのまゝ鑪(やすり)を当てられるような、不快さが直接(じか)に腕に伝わる。刃先から水沫のように、よれた鉄屑が散った。鍛冶場から、鋲付(リベッティング)の音が一しきり、一しきり機関銃のように起った。
 こゝは製罐部のような小刻(こきざみ)な、一定の調子(リズム)をもった音響でなしに、図太い、グヮン/\した音響が細い鋭い音響と入り交り、汽槌(スチーム・ハンマー)のドズッ、ドズッ! という地響きと鉄敷(かなじき)の上の疳高く張り上がった音が縫って……ごっちゃになり、一つになり、工場全体が轟々(ごうごう)と唸りかえっていた。鍛冶場の火焔が送風器で勢いよく燃え上ると、仕上場にいる職工の片頬だけが、瞬間メラ/\と赤く燃えた。
 天井を縦断している二条のレールをワイヤー・プレーをギリ/\と吊したグレーンが、皆の働いている頭のすぐ上を物凄(ものすご)い音を立てゝ渡って行った。それは鋳物場で型上げしたばかりの、機関車の車輌の三倍もある大きな奴で、ワイヤー受けの溝をほるために、横穿孔機(ボールバン)に据えつけるためだった。
 ――頼むどオ! 南部センベイは安いんだ!
 身体を除(の)けながら、上へ怒鳴っている。
 ――まず緊縮! 文句云うな。手前一人片付けば、サバ/\するァ!
 ハンドルを握っていた職工が上で唾(つば)をひッかける真似をした。
 ――畜生々々!
 下のは大ゲサに横へ跳(は)ねた。
 ――上から見れア、どいつもこいつも薄汚くゴミ/\してやがる。
 ――少し高いところさ上ったと思って、可哀相に畜生、すぐブル根性を出しやがる。
 ――ヘン、だ。手前らを顎(あご)で一度は使っても見たくならァ。
 横ボール盤の側に、四五人の職工とパンパン帽をかぶった職長が集って、ワイヤー・プレーを跛(びっこ)に吊したグレーンがガラ/\と寄ってくるのを見ていた。
 ――オーライ!
 渡り職工の職長が手を挙げた。手先きを見ていたハンドルの職工がグイと手元にひいた。グレーンがとまると、ワイヤー・プレーは余勢でゆるく揺れた。その度にチエンが、ギーイ、ギーイときしんだ。周(ま)わりを取巻いていた職工たちが、その揺れの拍子を捕えて、丁度足場の上へ押して行った。
 ――レッコ、レッコ!
 職長は手先きをお出で/\をするように動かした。チエンがギクシャクしながら、延びてきた。エンヤ、コラサ、エンヤ、コラサ……皆は掛声をかけ始めた。ワイヤー・プレーは底を二つの滑車にのせ、穿孔機(ボールバン)の腕にその軸と翼を締めつけて、固定された。グレーンが喧(やかま)しい音をたてゝ、チエンを捲き上げた。白墨を耳に挟(はさ)んだ彼等は、据えつけた機械のまわりを歩いたり、指先きでこすってみたり、ヤレ、ヤレという顔をした。
 ――森本のところからは、それが蟻(あり)が手におえない大きなものを寄って、たかって引きずッているように見えた。素晴しく大きな鉄の機械の前には、人間は汚れた鉄クソのように小さかった。彼は製罐部の護謨塗機(ライニング・マシン)の壊れた部分品を、万力台(バイス)にはさんで、鑪(やすり)をかけていた。――足場の乗りが一分ちがったとする。その時チエンがほぐれて……。
是非お友達にも!
★暇つぶし何某★

[次ページ]
[ページジャンプ]
[青空文庫の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[作品情報参照]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶし青空文庫]

Size:134 KB

担当:FIRTREE