蟹工船
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著者名:小林多喜二 

(腰をかがめて縮こまってみせる)働かない人、これ。(偉張って、相手をなぐり倒す恰好)それ、みんな駄目! 働く人、これ。(形相凄(すご)く立ち上る、突ッかかって行く恰好。相手をなぐり倒し、フンづける真似)働かない人、これ。(逃げる恰好)――日本、働く人ばかり、いい国。――プロレタリアの国! ――分る?」
「ん、ん、分る!」
 ロシア人が奇声をあげて、ダンスの時のような足ぶみをした。
「日本、働く人、やる。(立ち上って、刃向う恰好)うれしい。ロシア、みんな嬉しい。バンザイ。――貴方方、船へかえる。貴方方の船、働かない人、これ。(偉張る)貴方方、プロレタリア、これ、やる!(拳闘のような真似――それからお手々つないでをやり、又突ッかかって行く恰好)――大丈夫、勝つ! ――分る?」
「分る!」知らないうちに興奮していた若い漁夫が、いきなり支那人の手を握った。「やるよ、キットやるよ!」
 船頭は、これが「赤化」だと思っていた。馬鹿に恐ろしいことをやらせるものだ。これで――この手で、露西亜が日本をマンマと騙(だま)すんだ、と思った。
 ロシア人達は終ると、何か叫声をあげて、彼等の手を力一杯握った。抱きついて、硬い毛の頬をすりつけたりした。面喰(めんくら)った日本人は、首を後に硬直さして、どうしていいか分らなかった。……。
 皆は、「糞壺」の入口に時々眼をやり、その話をもっともっとうながした。彼等は、それから見てきたロシア人のことを色々話した。そのどれもが、吸取紙に吸われるように、皆の心に入りこんだ。
「おい、もう止(よ)せよ」
 船頭は、皆が変にムキにその話に引き入れられているのを見て、一生懸命しゃべっている若い漁夫の肩を突ッついた。

        四

 靄(もや)が下りていた。何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒(チェムニー)、ウインチの腕、吊(つ)り下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。柔かい、生ぬるい空気が、頬(ほお)を撫(な)でて流れる。――こんな夜はめずらしかった。
 トモのハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッとくる。網が山のように積(つま)さっている間に、高さの跛(びっこ)な二つの影が佇(たたず)んでいた。
 過労から心臓を悪くして、身体が青黄く、ムクンでいる漁夫が、ドキッ、ドキッとくる心臓の音でどうしても寝れず、甲板に上ってきた。手すりにもたれて、フ糊でも溶かしたようにトロッとしている海を、ぼんやり見ていた。この身体では監督に殺される。然(しか)し、それにしては、この遠いカムサツカで、しかも陸も踏めずに死ぬのは淋(さび)し過ぎる。――すぐ考え込まさった。その時、網と網の間に、誰かいるのに漁夫が気付いた。
 蟹の甲殻の片(かけら)を時々ふむらしく、その音がした。
 ひそめた声が聞こえてきた。
 漁夫の眼が慣れてくると、それが分ってきた。十四、五の雑夫に漁夫が何か云っているのだった。何を話しているのかは分らなかった。後向きになっている雑夫は、時々イヤ、イヤをしている子供のように、すねているように、向きをかえていた。それにつれて、漁夫もその通り向きをかえた。それが少しの間続いた。漁夫は思わず(そんな風だった)高い声を出した。が、すぐ低く、早口に何か云った。と、いきなり雑夫を抱きすくめてしまった。喧嘩(けんか)だナ、と思った。着物で口を抑えられた「むふ、むふ……」という息声だけが、一寸(ちょっと)の間聞えていた。然し、そのまま動かなくなった。――その瞬間だった。柔かい靄の中に、雑夫の二本の足がローソクのように浮かんだ。下半分が、すっかり裸になってしまっている。それから雑夫はそのまま蹲(しゃが)んだ。と、その上に、漁夫が蟇(がま)のように覆(おお)いかぶさった。それだけが「眼の前」で、短かい――グッと咽喉(のど)につかえる瞬間に行われた。見ていた漁夫は、思わず眼をそらした。酔わされたような、撲(な)ぐられたような興奮をワクワクと感じた。
 漁夫達はだんだん内からむくれ上ってくる性慾に悩まされ出してきていた。四カ月も、五カ月も不自然に、この頑丈(がんじょう)な男達が「女」から離されていた。――函館で買った女の話や、露骨な女の陰部の話が、夜になると、きまって出た。一枚の春画がボサボサに紙に毛が立つほど、何度も、何度もグルグル廻された。
…………
床とれの、
こちら向けえの、
口すえの、
足をからめの、
気をやれの、
ホンに、つとめはつらいもの。

 誰か歌った。すると、一度で、その歌が海綿にでも吸われるように、皆に覚えられてしまった。何かすると、すぐそれを歌い出した。そして歌ってしまってから、「えッ、畜生!」と、ヤケに叫んだ、眼だけ光らせて。
 漁夫達は寝てしまってから、
「畜生、困った! どうしたって眠(ね)れないや」と、身体をゴロゴロさせた。「駄目だ、伜が立って!」
「どうしたら、ええんだ!」――終(しま)いに、そう云って、勃起(ぼっき)している睾丸(きんたま)を握りながら、裸で起き上ってきた。大きな身体の漁夫の、そうするのを見ると、身体のしまる、何か凄惨(せいさん)な気さえした。度胆(どぎも)を抜かれた学生は、眼だけで隅(すみ)の方から、それを見ていた。
 夢精をするのが何人もいた。誰もいない時、たまらなくなって自涜をするものもいた。――棚(たな)の隅にカタのついた汚れた猿又や褌(ふんどし)が、しめっぽく、すえた臭(にお)いをして円(まる)められていた。学生はそれを野糞のように踏みつけることがあった。
 ――それから、雑夫の方へ「夜這(よば)い」が始まった。バットをキャラメルに換えて、ポケットに二つ三つ入れると、ハッチを出て行った。
 便所臭い、漬物樽(つけものだる)の積まさっている物置を、コックが開けると、薄暗い、ムッとする中から、いきなり横ッ面でもなぐられるように、怒鳴られた。
「閉めろッ! 今、入ってくると、この野郎、タタキ殺すぞ!」

        ×     ×     ×

 無電係が、他船の交換している無電を聞いて、その収獲を一々監督に知らせた。それで見ると、本船がどうしても負けているらしい事が分ってきた。監督がアセリ出した。すると、テキ面にそのことが何倍かの強さになって、漁夫や雑夫に打ち当ってきた。――何時(いつ)でも、そして、何んでもドン詰りの引受所が「彼等」だけだった。監督や雑夫長はわざと「船員」と「漁夫、雑夫」との間に、仕事の上で競争させるように仕組んだ。
 同じ蟹(かに)つぶしをしていながら、「船員に負けた」となると、(自分の儲(もう)けになる仕事でもないのに)漁夫や雑夫は「何に糞ッ!」という気になる。監督は「手を打って」喜んだ。今日勝った、今日負けた、今度こそ負けるもんか――血の滲(にじ)むような日が滅茶苦茶に続く。同じ日のうちに、今までより五、六割も殖(ふ)えていた。然し五日、六日になると、両方とも気抜けしたように、仕事の高がズシ、ズシ減って行った。仕事をしながら、時々ガクリと頭を前に落した。監督はものも云わないで、なぐりつけた。不意を喰(く)らって、彼等は自分でも思いがけない悲鳴を「キャッ!」とあげた。――皆は敵(かたき)同志か、言葉を忘れてしまった人のように、お互にだまりこくって働いた。ものを云うだけのぜいたくな「余分」さえ残っていなかった。
 監督は然し、今度は、勝った組に「賞品」を出すことを始めた。燻(くすぶ)りかえっていた木が、又燃え出した。
「他愛のないものさ」監督は、船長室で、船長を相手にビールを飲んでいた。
 船長は肥えた女のように、手の甲にえくぼが出ていた。器用に金口(きんぐち)をトントンとテーブルにたたいて、分らない笑顔(えがお)で答えた。――船長は、監督が何時でも自分の眼の前で、マヤマヤ邪魔をしているようで、たまらなく不快だった。漁夫達がワッと事を起して、此奴をカムサツカの海へたたき落すようなことでもないかな、そんな事を考えていた。
 監督は「賞品」の外に、逆に、一番働きの少いものに「焼き」を入れることを貼紙(はりがみ)した。鉄棒を真赤に焼いて、身体にそのまま当てることだった。彼等は何処まで逃げても離れない、まるで自分自身の影のような「焼き」に始終追いかけられて、仕事をした。仕事が尻上(しりあが)りに、目盛りをあげて行った。
 人間の身体には、どの位の限度があるか、然しそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。――仕事が終って、丸太棒のように棚(たな)の中に横倒れに倒れると、「期せずして」う、う――、うめいた。
 学生の一人は、小さい時は祖母に連れられて、お寺の薄暗いお堂の中で見たことのある「地獄」の絵が、そのままこうであることを思い出した。それは、小さい時の彼には、丁度うわばみのような動物が、沼地ににょろ、にょろと這(は)っているのを思わせた。それとそっくり同じだった。――過労がかえって皆を眠らせない。夜中過ぎて、突然、硝子(ガラス)の表に思いッ切り疵(きず)を付けるような無気味な歯ぎしりが起ったり、寝言や、うなされているらしい突調子(とっぴょうし)な叫声が、薄暗い「糞壺」の所々から起った。
 彼等は寝れずにいるとき、フト、「よく、まだ生きているな……」と自分で自分の生身の身体にささやきかえすことがある。よく、まだ生きている。――そう自分の身体に!
 学生上りは一番「こたえて」いた。
「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」――その学生は、糞(くそ)が何日もつまって、頭を手拭(てぬぐい)で力一杯に締めないと、眠れなかった。
「それアそうだろう」相手は函館からもってきたウイスキーを、薬でも飲むように、舌の先きで少しずつ嘗(な)めていた。「何んしろ大事業だからな。人跡未到の地の富源を開発するッてんだから、大変だよ。――この蟹工船(かにこうせん)だって、今はこれで良くなったそうだよ。天候や潮流の変化の観測が出来なかったり、地理が実際にマスターされていなかったりした創業当時は、幾ら船が沈没したりしたか分らなかったそうだ。露国の船には沈められる、捕虜になる、殺される、それでも屈しないで、立ち上り、立ち上り苦闘して来たからこそ、この大富源が俺たちのものになったのさ。……まア仕方がないさ」
「…………」
 ――歴史が何時でも書いているように、それはそうかも知れない気がする。然し、彼の心の底にわだかまっているムッとした気持が、それでちっとも晴れなく思われた。彼は黙ってベニヤ板のように固くなっている自分の腹を撫(な)でた。弱い電気に触れるように、拇指(おやゆび)のあたりが、チャラチャラとしびれる。イヤな気持がした。拇指を眼の高さにかざして、片手でさすってみた。――皆は、夕飯が終って、「糞壺」の真中に一つ取りつけてある、割目が地図のように入っているガタガタのストーヴに寄っていた。お互の身体が少し温(あたたま)ってくると、湯気が立った。蟹の生ッ臭い匂(にお)いがムレて、ムッと鼻に来た。
「何んだか、理窟は分らねども、殺されたくねえで」
「んだよ!」
 憂々した気持が、もたれかかるように、其処(そこ)へ雪崩(なだ)れて行く。殺されかかっているんだ! 皆はハッキリした焦点もなしに、怒りッぽくなっていた。
「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、糞(くそ)、こッ殺されてたまるもんか!」
 吃(ども)りの漁夫が、自分でももどかしく、顔を真赤に筋張らせて、急に、大きな声を出した。
 一寸(ちょっと)、皆だまった。何かにグイと心を「不意」に突き上げられた――のを感じた。
「カムサツカで死にたくないな……」
「…………」
「中積船、函館ば出たとよ。――無電係の人云ってた」
「帰りてえな」
「帰れるもんか」
「中積船でヨク逃げる奴がいるってな」
「んか□ ……ええな」
「漁に出る振りして、カムサツカの陸さ逃げて、露助と一緒に赤化宣伝ばやってるものもいるッてな」
「…………」
「日本帝国のためか、――又、いい名義を考えたもんだ」――学生は胸のボタンを外(はず)して、階段のように一つ一つ窪(くぼ)みの出来ている胸を出して、あくびをしながら、ゴシゴシ掻(か)いた。垢(あか)が乾いて、薄い雲母のように剥(は)げてきた。
「んよ、か、会社の金持ばかり、ふ、ふんだくるくせに」
 カキの貝殻のように、段々のついた、たるんだ眼蓋(まぶた)から、弱々しい濁った視線をストオヴの上にボンヤリ投げていた中年を過ぎた漁夫が唾(つば)をはいた。ストオヴの上に落ちると、それがクルックルッと真円(まんまる)にまるくなって、ジュウジュウ云いながら、豆のように跳(は)ね上って、見る間に小さくなり、油煙粒ほどの小さいカスを残して、無くなった。皆はそれにウカツな視線を投げている。
「それ、本当かも知れないな」
 然し、船頭が、ゴム底タビの赤毛布の裏を出して、ストーヴにかざしながら、「おいおい叛逆(てむかい)なんかしないでけれよ」と云った。
「…………」
「勝手だべよ。糞」吃りが唇を蛸(たこ)のように突き出した。
 ゴムの焼けかかっているイヤな臭いがした。
「おい、親爺(おど)、ゴム!」
「ん、あ、こげた!」
 波が出て来たらしく、サイドが微(かす)かになってきた。船も子守唄(うた)程に揺れている。腐った海漿(ほおずき)のような五燭燈でストーヴを囲んでいるお互の、後に落ちている影が色々にもつれて、組合った。――静かな夜だった。ストーヴの口から赤い火が、膝(ひざ)から下にチラチラと反映していた。不幸だった自分の一生が、ひょいと――まるッきり、ひょいと、しかも一瞬間だけ見返される――不思議に静かな夜だった。
「煙草無(ね)えか?」
「無え……」
「無えか?……」
「なかったな」
「糞」
「おい、ウイスキーをこっちにも廻せよ、な」
 相手は角瓶(かくびん)を逆かさに振ってみせた。
「おッと、勿体(もったい)ねえことするなよ」
「ハハハハハハハ」
「飛んでもねえ所さ、然し来たもんだな、俺も……」その漁夫は芝浦の工場にいたことがあった。そこの話がそれから出た。それは北海道の労働者達には「工場」だとは想像もつかない「立派な処」に思われた。「ここの百に一つ位のことがあったって、あっちじゃストライキだよ」と云った。
 その事から――そのキッかけで、お互の今までしてきた色々のことが、ひょいひょいと話に出てきた。「国道開たく工事」「灌漑(かんがい)工事」「鉄道敷設」「築港埋立」「新鉱発掘」「開墾」「積取人夫」「鰊(にしん)取り」――殆(ほと)んど、そのどれかを皆はしてきていた。
 ――内地では、労働者が「横平(おうへい)」になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行詰ってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」鉤爪(かぎづめ)をのばした。其処(そこ)では、彼等は朝鮮や、台湾の殖民地と同じように、面白い程無茶な「虐使」が出来た。然し、誰も、何んとも云えない事を、資本家はハッキリ呑み込んでいた。「国道開たく」「鉄道敷設」の土工部屋では、虱(しらみ)より無雑作に土方がタタき殺された。虐使に堪(た)えられなくて逃亡する。それが捕(つか)まると、棒杭(ぼうぐい)にしばりつけて置いて、馬の後足で蹴(け)らせたり、裏庭で土佐犬に噛(か)み殺させたりする。それを、しかも皆の目の前でやってみせるのだ。肋骨(ろっこつ)が胸の中で折れるボクッとこもった音をきいて、「人間でない」土方さえ思わず顔を抑えるものがいた。気絶をすれば、水をかけて生かし、それを何度も何度も繰りかえした。終(しま)いには風呂敷包みのように、土佐犬の強靱(きょうじん)な首で振り廻わされて死ぬ。ぐったり広場の隅(すみ)に投げ出されて、放って置かれてからも、身体の何処かが、ピクピクと動いていた。焼火箸(やけひばし)をいきなり尻にあてることや、六角棒で腰が立たなくなる程なぐりつけることは「毎日」だった。飯を食っていると、急に、裏で鋭い叫び声が起る。すると、人の肉が焼ける生ッ臭い匂いが流れてきた。
「やめた、やめた。――とても飯なんて、食えたもんじゃねえや」
 箸を投げる。が、お互暗い顔で見合った。
 脚気(かっけ)では何人も死んだ。無理に働かせるからだった。死んでも「暇がない」ので、そのまま何日も放って置かれた。裏へ出る暗がりに、無雑作にかけてあるムシロの裾(すそ)から、子供のように妙に小さくなった、黄黒く、艶(つや)のない両足だけが見えた。
「顔に一杯蠅(はえ)がたかっているんだ。側を通ったとき、一度にワアーンと飛び上るんでないか!」
 額を手でトントン打ちながら入ってくると、そう云う者があった。
 皆は朝は暗いうちに仕事場に出された。そして鶴嘴(つるはし)のさきがチラッ、チラッと青白く光って、手元が見えなくなるまで、働かされた。近所に建っている監獄で働いている囚人の方を、皆はかえって羨(うらやま)しがった。殊(こと)に朝鮮人は親方、棒頭(ぼうがしら)からも、同じ仲間の土方(日本人の)からも「踏んづける」ような待遇をうけていた。
 其処から四、五里も離れた村に駐在している巡査が、それでも時々手帖をもって、取調べにテクテクやってくる。夕方までいたり、泊りこんだりした。然し土方達の方へは一度も顔を見せなかった。そして、帰りには真赤な顔をして、歩きながら道の真中を、消防の真似(まね)でもしているように、小便を四方にジャジャやりながら、分らない独言を云って帰って行った。
 北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。――北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」と云っている。蛸は自分が生きて行くためには自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか! そこでは誰をも憚(はばか)らない「原始的」な搾取が出来た。「儲(もう)け」がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。しかも、そして、その事を巧みに「国家的」富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜目がなかった。「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタき殺されて」行った。
「其処(あこ)から生きて帰れたなんて、神助け事だよ。有難かったな! んでも、この船で殺されてしまったら、同じだべよ。――何アーんでえ!」そして突調子(とっぴょうし)なく大きく笑った。その漁夫は笑ってしまってから、然し眉(まゆ)のあたりをアリアリと暗くして、横を向いた。
 鉱山(やま)でも同じだった。――新しい山に坑道を掘る。そこにどんな瓦斯(ガス)が出るか、どんな飛んでもない変化が起るか、それを調べあげて一つの確針をつかむのに、資本家は「モルモット」より安く買える「労働者」を、乃木軍神がやったと同じ方法で、入り代り、立ち代り雑作なく使い捨てた。鼻紙より無雑作に! 「マグロ」の刺身のような労働者の肉片が、坑道の壁を幾重にも幾重にも丈夫にして行った。都会から離れていることを好い都合にして、此処でもやはり「ゾッ」とすることが行われていた。トロッコで運んでくる石炭の中に拇指(おやゆび)や小指がバラバラに、ねばって交ってくることがある。女や子供はそんな事には然し眉を動かしてはならなかった。そう「慣らされていた」彼等は無表情に、それを次の持場まで押してゆく。――その石炭が巨大な機械を、資本家の「利潤」のために動かした。
 どの坑夫も、長く監獄に入れられた人のように、艶(つや)のない黄色くむくんだ、始終ボンヤリした顔をしていた。日光の不足と、炭塵(たんじん)と、有毒ガスを含んだ空気と、温度と気圧の異常とで、眼に見えて身体がおかしくなってゆく。「七、八年も坑夫をしていれば、凡(およ)そ四、五年間位は打(ぶ)ッ続けに真暗闇(まっくらやみ)の底にいて、一度だって太陽を拝まなかったことになる、四、五年も!」――だが、どんな事があろうと、代りの労働者を何時でも沢山仕入れることの出来る資本家には、そんなことはどうでもいい事であった。冬が来ると、「やはり」労働者はその坑山に流れ込んで行った。
 それから「入地百姓」――北海道には「移民百姓」がいる。「北海道開拓」「人口食糧問題解決、移民奨励」、日本少年式な「移民成金」など、ウマイ事ばかり並べた活動写真を使って、田畑を奪われそうになっている内地の貧農を煽動(せんどう)して、移民を奨励して置きながら、四、五寸も掘り返せば、下が粘土ばかりの土地に放り出される。豊饒(ほうじょう)な土地には、もう立札が立っている。雪の中に埋められて、馬鈴薯も食えずに、一家は次の春には餓死することがあった。それは「事実」何度もあった。雪が溶けた頃になって、一里も離れている「隣りの人」がやってきて、始めてそれが分った。口の中から、半分嚥(の)みかけている藁屑(わらくず)が出てきたりした。
 稀(ま)れに餓死から逃れ得ても、その荒ブ地を十年もかかって耕やし、ようやくこれで普通の畑になったと思える頃、実はそれにちアんと、「外の人」のものになるようになっていた。資本家は――高利貸、銀行、華族、大金持は、嘘(うそ)のような金を貸して置けば、(投げ捨てて置けば)荒地は、肥えた黒猫の毛並のように豊饒な土地になって、間違なく、自分のものになってきた。そんな事を真似て、濡手をきめこむ、目の鋭い人間も、又北海道に入り込んできた。――百姓は、あっちからも、こっちからも自分のものを噛(か)みとられて行った。そして終(しま)いには、彼等が内地でそうされたと同じように「小作人」にされてしまっていた。そうなって百姓は始めて気付いた。――「失敗(しま)った!」
 彼等は少しでも金を作って、故里(ふるさと)の村に帰ろう、そう思って、津軽海峡を渡って、雪の深い北海道へやってきたのだった。――蟹工船にはそういう、自分の土地を「他人」に追い立てられて来たものが沢山いた。
 積取人夫は蟹工船の漁夫と似ていた。監視付きの小樽(おたる)の下宿屋にゴロゴロしていると、樺太(かばふと)や北海道の奥地へ船で引きずられて行く。足を「一寸(いっすん)」すべらすと、ゴンゴンゴンとうなりながら、地響をたてて転落してくる角材の下になって、南部センベイよりも薄くされた。ガラガラとウインチで船に積まれて行く、水で皮がペロペロになっている材木に、拍子を食って、一なぐりされると、頭のつぶれた人間は、蚤(のみ)の子よりも軽く、海の中へたたき込まれた。
 ――内地では、何時までも、黙って「殺されていない」労働者が一かたまりに固って、資本家へ反抗している。然し「殖民地」の労働者は、そういう事情から完全に「遮断(しゃだん)」されていた。
 苦しくて、苦しくてたまらない。然し転(ころ)んで歩けば歩く程、雪ダルマのように苦しみを身体に背負い込んだ。
「どうなるかな……?」
「殺されるのさ、分ってるべよ」
「…………」何か云いたげな、然しグイとつまったまま、皆だまった。
「こ、こ、殺される前に、こっちから殺してやるんだ」どもりがブッきら棒に投げつけた。
 トブーン、ドブーンとゆるく腹(サイド)に波が当っている。上甲板の方で、何処かのパイプからスティムがもれているらしく、シー、シ――ン、シ――ンという鉄瓶(てつびん)のたぎるような、柔かい音が絶えずしていた。

 寝る前に、漁夫達は垢(あか)でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツを脱いで、ストーヴの上に広げた。囲んでいるもの達が、炬燵(こたつ)のように各□その端をもって、熱くしてからバタバタとほろった。ストーヴの上に虱(しらみ)や南京虫が落ちると、プツン、プツンと、音をたてて、人が焼ける時のような生ッ臭い臭(にお)いがした。熱くなると、居たまらなくなった虱が、シャツの縫目から、細かい沢山の足を夢中に動かして、出て来る。つまみ上げると、皮膚の脂肪(あぶら)ッぽいコロッとした身体の感触がゾッときた。かまきり虫のような、無気味な頭が、それと分る程肥えているのもいた。
「おい、端を持ってけれ」
 褌(ふんどし)の片端を持ってもらって、広げながら虱をとった。
 漁夫は虱を口に入れて、前歯で、音をさせてつぶしたり、両方の拇指(おやゆび)の爪で、爪が真赤になるまでつぶした。子供が汚い手をすぐ着物に拭(ふ)くように、袢天(はんてん)の裾(すそ)にぬぐうと、又始めた。――それでも然し眠れない。何処から出てくるか、夜通し虱と蚤(のみ)と南京虫(ナンキンむし)に責められる。いくらどうしても退治し尽されなかった。薄暗く、ジメジメしている棚に立っていると、すぐモゾモゾと何十匹もの蚤が脛(すね)を這(は)い上ってきた。終(しま)いには、自分の体の何処かが腐ってでもいないのか、と思った。蛆(うじ)や蠅に取りつかれている腐爛(ふらん)した「死体」ではないか、そんな不気味さを感じた。
 お湯には、初め一日置きに入れた。身体が生ッ臭くよごれて仕様がなかった。然し一週間もすると、三日置きになり、一カ月位経つと、一週間一度。そしてとうとう月二回にされてしまった。水の濫費(らんぴ)を防ぐためだった。然し、船長や監督は毎日お湯に入った。それは濫費にはならなかった。(!)――身体が蟹の汁で汚れる、それがそのまま何日も続く、それで虱か南京虫が湧(わ)かない「筈(はず)」がなかった。
 褌を解くと、黒い粒々がこぼれ落ちた。褌をしめたあとが、赤くかたがついて、腹に輪を作った。そこがたまらなく掻(か)ゆかった。寝ていると、ゴシゴシと身体をやけにかく音が何処からも起った。モゾモゾと小さいゼンマイのようなものが、身体の下側を走るかと思うと――刺す。その度に漁夫は身体をくねらし、寝返りを打った。然し又すぐ同じだった。それが朝まで続く。皮膚が皮癬(ひぜん)のように、ザラザラになった。
「死に虱だべよ」
「んだ、丁度ええさ」
 仕方なく、笑ってしまった。

        五

 あわてた漁夫が二、三人デッキを走って行った。
 曲り角で、急にまがれず、よろめいて、手すりにつかまった。サロン・デッキで修繕をしていた大工が背のびをして、漁夫の走って行った方を見た。寒風の吹きさらしで、涙が出て、初め、よく見えなかった。大工は横を向いて勢いよく「つかみ鼻」をかんだ。鼻汁が風にあふられて、歪(ゆが)んだ線を描いて飛んだ。
 ともの左舷のウインチがガラガラなっている。皆漁に出ている今、それを動かしているわけがなかった。ウインチにはそして何かブラ下っていた。それが揺れている。吊(つ)り下がっているワイヤーが、その垂直線の囲りを、ゆるく円を描いて揺れていた。「何んだべ?」――その時、ドキッと来た。
 大工は周章(あわて)たように、もう一度横を向いて「つかみ鼻」をかんだ。それが風の工合でズボンにひっかかった。トロッとした薄い水鼻だった。
「又、やってやがる」大工は涙を何度も腕で拭(ぬぐ)いながら眼をきめた。
 こっちから見ると、雨上りのような銀灰色の海をバックに、突き出ているウインチの腕、それにすっかり身体を縛られて、吊し上げられている雑夫が、ハッキリ黒く浮び出てみえた。ウインチの先端まで空を上ってゆく。そして雑巾(ぞうきん)切れでもひッかかったように、しばらくの間――二十分もそのままに吊下げられている。それから下がって行った。身体をくねらして、もがいているらしく、両足が蜘蛛(くも)の巣にひっかかった蠅(はえ)のように動いている。
 やがて手前のサロンの陰になって、見えなくなった。一直線に張っていたワイヤーだけが、時々ブランコのように動いた。
 涙が鼻に入ってゆくらしく、水鼻がしきりに出た。大工は又「つかみ鼻」をした。それから横ポケットにブランブランしている金槌(かなづち)を取って、仕事にかかった。
 大工はひょいと耳をすまして――振りかえって見た。ワイヤ・ロープが、誰か下で振っているように揺れていて、ボクンボクンと鈍い不気味な音は其処(そこ)からしていた。
 ウインチに吊された雑夫は顔の色が変っていた。死体のように堅くしめている唇から、泡(あわ)を出していた。大工が下りて行った時、雑夫長が薪(まき)を脇(わき)にはさんで、片肩を上げた窮屈な恰好(かっこう)で、デッキから海へ小便をしていた。あれでなぐったんだな、大工は薪をちらっと見た。小便は風が吹く度に、ジャ、ジャとデッキの端にかかって、はねを飛ばした。
 漁夫達は何日も何日も続く過労のために、だんだん朝起きられなくなった。監督が石油の空罐(あきかん)を寝ている耳もとでたたいて歩いた。眼を開けて、起き上るまで、やけに罐をたたいた。脚気(かっけ)のものが、頭を半分上げて何か云っている。然(しか)し監督は見ない振りで、空罐をやめない。声が聞えないので、金魚が水際に出てきて、空気を吸っている時のように、口だけパクパク動いてみえた。いい加減たたいてから、
「どうしたんだ、タタき起すど!」と怒鳴りつけた。「いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じなんだ。死ぬ覚悟で働け! 馬鹿野郎」
 病人は皆蒲団(ふとん)を剥(は)ぎとられて、甲板へ押し出された。脚気のものは階段の段々に足先きがつまずいた。手すりにつかまりながら、身体を斜めにして、自分の足を自分の手で持ち上げて、階段を上がった。心臓が一足毎に無気味にピンピン蹴(け)るようにはね上った。
 監督も、雑夫長も病人には、継子(ままこ)にでも対するようにジリジリと陰険だった。「肉詰」をしていると追い立てて、甲板で「爪たたき」をさせられる。それを一寸(ちょっと)していると「紙巻」の方へ廻わされる。底寒くて、薄暗い工場の中ですべる足元に気をつけながら、立ちつくしていると、膝(ひざ)から下は義足に触るより無感覚になり、ひょいとすると膝の関節が、蝶(ちょう)つがいが離れたように、不覚にヘナヘナと坐り込んでしまいそうになった。
 学生が蟹をつぶした汚れた手の甲で、額を軽くたたいていた。一寸すると、そのまま横倒しに後へ倒れてしまった。その時、側に積(か)さなっていた罐詰の空罐がひどく音をたてて、学生の倒れた上に崩れ落ちた。それが船の傾斜に沿って、機械の下や荷物の間に、光りながら円るく転んで行った。仲間が周章てて学生をハッチに連れて行こうとした。それが丁度、監督が口笛を吹きながら工場に下りてきたのと、会った。ひょいと見てとると、
「誰が仕事を離れったんだ!」
「誰が□……」思わずグッと来た一人が、肩でつッかかるようにせき込んだ。
「誰がア――? この野郎、もう一度云ってみろ!」監督はポケットからピストルを取り出して、玩具のようにいじり廻わした。それから、急に大声で、口を三角形にゆがめながら、背のびをするように身体をゆすって、笑い出した。
「水を持って来い!」
 監督は桶(おけ)一杯に水を受取ると、枕木のように床に置き捨てになっている学生の顔に、いきなり――一度に、それを浴せかけた。
「これでええんだ。――要(い)らないものなんか見なくてもええ、仕事でもしやがれ!」
 次の朝、雑夫が工場に下りて行くと、旋盤の鉄柱に、前の日の学生が縛りつけられているのを見た。首をひねられた鶏のように、首をガクリ胸に落し込んで、背筋の先端に大きな関節を一つポコンと露(あら)わに見せていた。そして子供の前掛けのように、胸に、それが明らかに監督の筆致で、
「此者ハ不忠ナル偽病者ニツキ、麻縄(あさなわ)ヲ解クコトヲ禁ズ」
 と書いたボール紙を吊していた。
 額に手をやってみると、冷えきった鉄に触るより冷たくなっている。雑夫等は工場に入るまで、ガヤガヤしゃべっていた。それが誰も口をきくものがない。後から雑夫長の下りてくる声をきくと、彼等はその学生の縛られている機械から二つに分れて各々の持場に流れて行った。
 蟹漁が忙がしくなると、ヤケに当ってくる。前歯を折られて、一晩中「血の唾」をはいたり、過労で作業中に卒倒したり、眼から血を出したり、平手で滅茶苦茶に叩(たた)かれて、耳が聞えなくなったりした。あんまり疲れてくると、皆は酒に酔ったよりも他愛なくなった。時間がくると、「これでいい」と、フト安心すると、瞬間クラクラッとした。
 皆が仕舞いかけると、
「今日は九時までだ」と監督が怒鳴って歩いた。「この野郎達、仕舞いだッて云う時だけ、手廻わしを早くしやがって!」
 皆は高速度写真のようにノロノロ又立ち上った。それしか気力がなくなっていた。
「いいか、此処(ここ)へは二度も、三度も出直して来れるところじゃないんだ。それに何時(いつ)だって蟹が取れるとも限ったものでもないんだ。それを一日の働きが十時間だから十三時間だからって、それでピッタリやめられたら、飛んでもないことになるんだ。――仕事の性質(たち)が異(ちが)うんだ。いいか、その代り蟹が採れない時は、お前達を勿体ない程ブラブラさせておくんだ」監督は「糞壺」へ降りてきて、そんなことを云った。「露助はな、魚が何んぼ眼の前で群化(くき)てきても、時間が来れば一分も違わずに、仕事をブン投げてしまうんだ。んだから――んな心掛けだから露西亜(ロシア)の国がああなったんだ。日本男児の断じて真似(まね)てならないことだ!」
 何に云ってるんだ、ペテン野郎! そう思って聞いていないものもあった。然し大部分は監督にそう云われると日本人はやはり偉いんだ、という気にされた。そして自分達の毎日の残虐な苦しさが、何か「英雄的」なものに見え、それがせめても皆を慰めさせた。
 甲板で仕事をしていると、よく水平線を横切って、駆逐艦が南下して行った。後尾に日本の旗がはためくのが見えた。漁夫等は興奮から、眼に涙を一杯ためて、帽子をつかんで振った。――あれだけだ。俺達の味方は、と思った。
「畜生、あいつを見ると、涙が出やがる」
 だんだん小さくなって、煙にまつわって見えなくなるまで見送った。
 雑巾切れのように、クタクタになって帰ってくると、皆は思い合わせたように、相手もなく、ただ「畜生!」と怒鳴った。暗がりで、それは憎悪(ぞうお)に満ちた牡牛(おうし)の唸(うな)り声に似ていた。誰に対してか彼等自身分ってはいなかったが、然し毎日々々同じ「糞壺」の中にいて、二百人近くのもの等がお互にブッキラ棒にしゃべり合っているうちに、眼に見えずに、考えること、云うこと、することが、(なめくじが地面を匐(は)うほどののろさだが)同じになって行った。――その同じ流れのうちでも、勿論澱(よど)んだように足ぶみをするものが出来たり、別な方へ外(そ)れて行く中年の漁夫もある。然しそのどれもが、自分では何んにも気付かないうちに、そうなって行き、そして何時の間にか、ハッキリ分れ、分れになっていた。
 朝だった。タラップをノロノロ上りながら、炭山(やま)から来た男が、
「とても続かねえや」と云った。
 前の日は十時近くまでやって、身体は壊(こわ)れかかった機械のようにギクギクしていた。タラップを上りながら、ひょいとすると、眠っていた。後から「オイ」と声をかけられて思わず手と足を動かす。そして、足を踏み外(はず)して、のめったまま腹ん這(ば)いになった。
 仕事につく前に、皆が工場に降りて行って、片隅(かたすみ)に溜(たま)った。どれも泥人形のような顔をしている。
「俺ア仕事サボるんだ。出来ねえ」――炭山(やま)だった。
 皆も黙ったまま、顔を動かした。
 一寸して、
「大焼きが入るからな……」と誰か云った。
「ずるけてサボるんでねえんだ。働けねえからだよ」
 炭山(やま)が袖を上膊(じょうはく)のところまで、まくり上げて、眼の前ですかして見るようにかざした。
「長げえことねえんだ。――俺アずるけてサボるんでねえんだど」
「それだら、そんだ」
「…………」
 その日、監督は鶏冠(とさか)をピンと立てた喧嘩鶏(けんかどり)のように、工場を廻って歩いていた。「どうした、どうした□」と怒鳴り散らした。がノロノロと仕事をしているのが一人、二人でなしに、あっちでも、こっちでも――殆(ほと)んど全部なので、ただイライラ歩き廻ることしか出来なかった。漁夫達も船員もそういう監督を見るのは始めてだった。上甲板で、網から外した蟹が無数に、ガサガサと歩く音がした。通りの悪い下水道のように、仕事がドンドンつまって行った。然し「監督の棍棒(こんぼう)」が何の役にも立たない!
 仕事が終ってから、煮しまった手拭(てぬぐい)で首を拭きながら、皆ゾロゾロ「糞壺」に帰ってきた。顔を見合うと、思わず笑い出した。それが何故(なぜ)か分らずに、おかしくて、おかしくて仕様がなかった。
 それが船員の方にも移って行った。船員を漁夫とにらみ合わせて、仕事をさせ、いい加減に馬鹿をみせられていたことが分ると、彼等も時々「サボリ」出した。
「昨日ウンと働き過ぎたから、今日はサボだど」
 仕事の出しなに、誰かそう云うと、皆そうなった。然し「サボ」と云っても、ただ身体を楽に使うということでしかなかったが。
 誰だって身体がおかしくなっていた。イザとなったら「仕方がない」やるさ。「殺されること」はどっち道同じことだ。そんな気が皆にあった。――ただ、もうたまらなかった。

        ×     ×     ×

「中積船だ! 中積船だ!」上甲板で叫んでいるのが、下まで聞えてきた。皆は思い思い「糞壺」の棚からボロ着のまま跳(は)ね下りた。
 中積船は漁夫や船員を「女」よりも夢中にした。この船だけは塩ッ臭くない、――函館の匂いがしていた。何カ月も、何百日も踏みしめたことのない、あの動かない「土」の匂いがしていた。それに、中積船には日附の違った何通りもの手紙、シャツ、下着、雑誌などが送りとどけられていた。
 彼等は荷物を蟹臭い節立った手で、鷲(わし)づかみにすると、あわてたように「糞壺」にかけ下りた。そして棚に大きな安坐(あぐら)をかいて、その安坐の中で荷物を解いた。色々のものが出る。――側から母親がものを云って書かせた、自分の子供のたどたどしい手紙や、手拭、歯磨、楊子(ようじ)、チリ紙、着物、それ等の合せ目から、思いがけなく妻の手紙が、重さでキチンと平べったくなって、出てきた。彼等はその何処からでも、陸にある「自家(うち)」の匂いをかぎ取ろうとした。乳臭い子供の匂いや、妻のムッとくる膚の臭(にお)いを探がした。
………………………………
おそそにかつれて困っている、
三銭切手でとどくなら、
おそそ罐詰で送りたい――かッ!

 やけに大声で「ストトン節」をどなった。
 何んにも送って来なかった船員や漁夫は、ズボンのポケットに棒のように腕をつッこんで、歩き廻っていた。
「お前の居ない間(ま)に、男でも引ッ張り込んでるだんべよ」
 皆にからかわれた。
 薄暗い隅(すみ)に顔を向けて、皆ガヤガヤ騒いでいるのをよそに、何度も指を折り直して、考え込んでいるのがいた。――中積船で来た手紙で、子供の死んだ報知(しらせ)を読んだのだった。二カ月も前に死んでいた子供の、それを知らずに「今まで」いた。手紙には無線を頼む金もなかったので、と書かれていた。漁夫が□ と思われる程、その男は何時までもムッつりしていた。
 然し、それと丁度反対のがあった。ふやけた蛸(たこ)の子のような赤子の写真が入っていたりした。
「これがか□」と、頓狂(とんきょう)な声で笑い出してしまう。
 それから「どうだ、これが産れたんだとよ」と云ってワザワザ一人々々に、ニコニコしながら見せて歩いた。
 荷物の中には何んでもないことで、然し妻でなかったら、やはり気付かないような細かい心配りの分るものが入っていた。そんな時は、急に誰でも、バタバタと心が「あやしく」騒ぎ立った。――そして、ただ、無性に帰りたかった。
 中積船には、会社で派遣した活動写真隊が乗り込んできていた。出来上っただけの罐詰を中積船に移してしまった晩、船で活動写真を映すことになった。
 平べったい鳥打ちを少し横めにかぶり、蝶(ちょう)ネクタイをして、太いズボンをはいた、若い同じような恰好(かっこう)の男が二、三人トランクを重そうに持って、船へやってきた。
「臭い、臭い!」
 そう云いながら、上着を脱いで、口笛を吹きながら、幕をはったり、距離をはかって台を据えたりし始めた。漁夫達は、それ等の男から、何か「海で」ないもの――自分達のようなものでないもの、を感じ、それにひどく引きつけられた。船員や漁夫は何処か浮かれ気味で、彼等の仕度(したく)に手伝った
 一番年かさらしい下品に見える、太い金縁の眼鏡をかけた男が、少し離れた処に立って、首の汗を拭いていた。
「弁士さん、そったら処(とこ)さ立ってれば、足から蚤(のみ)がハネ上って行きますよ!」
 と、「ひやア――ッ!」焼けた鉄板でも踏んづけたようにハネ上った。
 見ていた漁夫達がドッと笑った。
「然しひどい所にいるんだな!」しゃがれた、ジャラジャラ声だった。それはやはり弁士だった。
「知らないだろうけれども、この会社が此処(ここ)へこうやって、やって来るために、幾何(いくら)儲(もう)けていると思う? 大したもんだ。六カ月に五百万円だよ。一年千万円だ。――口で千万円って云えば、それっ切りだけれども、大したもんだ。それに株主へ二割二分五厘なんて滅法界もない配当をする会社なんて、日本にだってそうないんだ。今度社長が代議士になるッて云うし、申分がないさ。――やはり、こんな風にしてもひどくしなけア、あれだけ儲けられないんだろうな」
 夜になった。
「一万箱祝」を兼ねてやることになり、酒、焼酎(しょうちゅう)、するめ、にしめ、バット、キャラメルが皆の間に配られた。
「さ、親父(おど)のどこさ来い」
 雑夫が、漁夫、船員の間に、引張り凧(だこ)になった。「安坐(あぐら)さ抱いて見せてやるからな」
「危い、危い! 俺のどこさ来いてば」
 それがガヤガヤしばらく続いた。
 前列の方で四、五人が急に拍手した。皆も分らずに、それに続けて手をたたいた。監督が白い垂幕の前に出てきた。――腰をのばして、両手を後に廻わしながら、「諸君は」とか、「私は」とか、普段云ったことのない言葉を出したり、又何時(いつ)もの「日本男児」だとか、「国富」だとか云い出した。大部分は聞いていなかった。こめかみと顎(あご)の骨を動かしながら、「するめ」を咬(か)んでいた。
「やめろ、やめろ!」後から怒鳴る。
「お前えなんか、ひっこめ! 弁士がいるんだ、ちアんと」
「六角棒の方が似合うぞ!」――皆ドッと笑った。口笛をピュウピュウ吹いて、ヤケに手をたたいた。
 監督もまさか其処(そこ)では怒れず、顔を赤くして、何か云うと(皆が騒ぐので聞えなかった)引っ込んだ。そして活動写真が始まった。
 最初「実写」だった。宮城、松島、江ノ島、京都……が、ガタピシャガタピシャと写って行った。時々切れた。急に写真が二、三枚ダブって、目まいでもしたように入り乱れたかと思うと、瞬間消えて、パッと白い幕になった。
 それから西洋物と日本物をやった。どれも写真はキズが入っていて、ひどく「雨が降った」それに所々切れているのを接合させたらしく、人の動きがギクシャクした。――然しそんなことはどうでもよかった。皆はすっかり引き入れられていた。外国のいい身体をした女が出てくると、口笛を吹いたり、豚のように鼻をならした。弁士は怒ってしばらく説明しないこともあった。
 西洋物はアメリカ映画で、「西部開発史」を取扱ったものだった。――野蛮人の襲撃をうけたり、自然の暴虐に打ち壊(こわ)されては、又立ち上り、一間(いっけん)々々と鉄道をのばして行く。途中に、一夜作りの「町」が、まるで鉄道の結びコブのように出来る。そして鉄道が進む、その先きへ、先きへと町が出来て行った。――其処から起る色々な苦難が、一工夫と会社の重役の娘との「恋物語」ともつれ合って、表へ出たり、裏になったりして描かれていた。最後の場面で、弁士が声を張りあげた。
「彼等幾多の犠牲的青年によって、遂に成功するに至った延々何百哩(マイル)の鉄道は、長蛇の如く野を走り、山を貫き、昨日までの蛮地は、かくして国富と変ったのであります」
 重役の娘と、何時(いつ)の間にか紳士のようになった工夫が相抱くところで幕だった。
 間に、意味なくゲラゲラ笑わせる、短い西洋物が一本はさまった。
 日本の方は、貧乏な一人の少年が「納豆売り」「夕刊売り」などから「靴磨き」をやり、工場に入り、模範職工になり、取り立てられて、一大富豪になる映画だった。――弁士は字幕(タイトル)にはなかったが、「げに勤勉こそ成功の母ならずして、何んぞや!」と云った。
 それには雑夫達の「真剣な」拍手が起った。然し漁夫か船員のうちで、
「嘘(うそ)こけ! そんだったら、俺なんて社長になってねかならないべよ」
 と大声を出したものがいた。
 それで皆は大笑いに笑ってしまった。
 後で弁士が、「ああいう処へは、ウンと力を入れて、繰りかえし、繰りかえし云って貰いたいって、会社から命令されて来たんだ」と云った。
 最後は、会社の、各所属工場や、事務所などを写したものだった。「勤勉」に働いている沢山の労働者が写っていた。
 写真が終ってから、皆は一万箱祝いの酒で酔払った。
 長い間口にしなかったのと、疲労し過ぎていたので、ベロベロに参って了(しま)った。薄暗い電気の下に、煙草の煙が雲のようにこめていた。空気がムレて、ドロドロに腐っていた。肌脱(はだぬ)ぎになったり、鉢巻をしたり、大きく安坐をかいて、尻をすっかりまくり上げたり、大声で色々なことを怒鳴り合った。――時々なぐり合いの喧嘩(けんか)が起った。
 それが十二時過ぎまで続いた。
 脚気(かっけ)で、何時も寝ていた函館の漁夫が、枕を少し高くして貰って、皆の騒ぐのを見ていた。同じ処から来ている友達の漁夫は、側の柱に寄りかかりながら、歯にはさまったするめを、マッチの軸で「シイ」「シイ」音をさせてせせっていた。
 余程過ぎてからだった。――「糞壺」の階段を南京袋のように漁夫が転がって来た。着物と右手がすっかり血まみれになっていた。
「出刃、出刃! 出刃を取ってくれ!」土間を匐(は)いながら、叫んでいる。「浅川の野郎、何処へ行きゃがった。居ねえんだ。殺してやるんだ」
 監督のためになぐられたことのある漁夫だった。――その男はストーヴのデレッキを持って、眼の色をかえて、又出て行った。誰もそれをとめなかった。
「な!」函館の漁夫は友達を見上げた。「漁夫だって、何時も木の根ッこみたいな馬鹿でねえんだな。面白くなるど!」
 次の朝になって、監督の窓硝子(まどガラス)からテーブルの道具が、すっかり滅茶苦茶に壊(こわ)されていたことが分った。監督だけは、何処にいたのか運良く「こわされて」いなかった。

        六

 柔かい雨曇りだった。――前の日まで降っていた。それが上りかけた頃だった。曇った空と同じ色の雨が、これもやはり曇った空と同じ色の海に、時々和(なご)やかな円るい波紋を落していた。
 午(ひる)過ぎ、駆逐艦がやって来た。手の空いた漁夫や雑夫や船員が、デッキの手すりに寄って、見とれながら、駆逐艦についてガヤガヤ話しあった。物めずらしかった。
 駆逐艦からは、小さいボートが降ろされて、士官連が本船へやってきた。サイドに斜めに降ろされたタラップの、下のおどり場には船長、工場代表、監督、雑夫長が待っていた。ボートが横付けになると、お互に挙手の礼をして船長が先頭に上ってきた。監督が上をひょいと見ると、眉(まゆ)と口隅をゆがめて、手を振って見せた。「何を見てるんだ。行ってろ、行ってろ!」
「偉張んねえ、野郎!」――ゾロゾロデッキを後のものが前を順に押しながら、工場へ降りて行った。生ッ臭い匂いが、デッキにただよって、残った。
「臭いね」綺麗な口髭(くちひげ)の若い士官が、上品に顔をしかめた。
 後からついてきた監督が、周章(あわ)てて前へ出ると、何か云って、頭を何度も下げた。
 皆は遠くから飾りのついた短剣が、歩くたびに尻に当って、跳ね上がるのを見ていた。どれが、どれよりも偉いとか偉くないとか、それを本気で云い合った。しまいに喧嘩のようになった。
「ああなると、浅川も見られたもんでないな」
 監督のペコペコした恰好(かっこう)を真似(まね)して見せた。皆はそれでドッと笑った。
 その日、監督も雑夫長もいないので、皆は気楽に仕事をした。唄(うた)をうたったり、機械越しに声高(こわだか)に話し合った。
「こんな風に仕事をさせたら、どんなもんだべな」
 皆が仕事を終えて、上甲板に上ってきた。サロンの前を通ると、中から酔払って、無遠慮に大声で喚(わめ)き散らしているのが聞えた。
 給仕(ボーイ)が出てきた。サロンの中は煙草の煙でムンムンしていた。
 給仕の上気した顔には、汗が一つ一つ粒になって出ていた。両手に空のビール瓶(びん)を一杯もっていた。顎(あご)で、ズボンのポケットを知らせて、
「顔を頼む」と云った。
 漁夫がハンカチを出してふいてやりながら、サロンを見て、「何してるんだ?」ときいた。
「イヤ、大変さ。ガブガブ飲みながら、何を話してるかって云えば――女のアレがどうしたとか、こうしたとかよ。お蔭で百回も走らせられるんだ。農林省の役人が来れば来たでタラップからタタキ落ちる程酔払うしな!」
「何しに来るんだべ?」
 給仕は、分らんさ、という顔をして、急いでコック場に走って行った。
 箸(はし)では食いづらいボロボロな南京米に、紙ッ切れのような、実が浮んでいる塩ッぽい味噌汁で、漁夫等が飯を食った。
「食ったことも、見たことも無えん洋食が、サロンさ何んぼも行ったな」
「糞喰え――だ」
 テーブルの側の壁には、

一、飯のことで文句を云うものは、偉い人間になれぬ。
一、一粒の米を大切にせよ。血と汗の賜物(たまもの)なり。
一、不自由と苦しさに耐えよ。

 振仮名がついた下手な字で、ビラが貼(は)らさっていた。下の余白には、共同便所の中にあるような猥褻(わいせつ)な落書がされていた。
 飯が終ると、寝るまでの一寸の間、ストーヴを囲んだ。――駆逐艦のことから、兵隊の話が出た。漁夫には秋田、青森、岩手の百姓が多かった。それで兵隊のことになると、訳が分らず、夢中になった。兵隊に行ってきたものが多かった。彼等は、今では、その当時の残虐に充ちた兵隊の生活をかえって懐(なつか)しいものに、色々想(おも)い出していた。
 皆寝てしまうと、急に、サロンで騒いでいる音が、デッキの板や、サイドを伝って、此処まで聞えてきた。ひょいと眼をさますと、「まだやっている」のが耳に入った。――もう夜が明けるんではないか。誰か――給仕かも知れない、甲板を行ったり、来たりしている靴の踵(かかと)のコツ、コツという音がしていた。実際、そして、騒ぎは夜明けまで続いた。
 士官連はそれでも駆逐艦に帰って行ったらしく、タラップは降ろされたままになっていた。そして、その段々に飯粒や蟹の肉や茶色のドロドロしたものが、ゴジャゴジャになった嘔吐(へど)が、五、六段続いて、かかっていた。嘔吐からは腐ったアルコールの臭(にお)いが強く、鼻にプーンときた。胸が思わずカアーッとくる匂いだった。
 駆逐艦は翼をおさめた灰色の水鳥のように、見えない程に身体をゆすって、浮かんでいた。それは身体全体が「眠り」を貪(むさぼ)っているように見えた。煙筒からは煙草の煙よりも細い煙が風のない空に、毛糸のように上っていた。
 監督や雑夫長などは昼になっても起きて来なかった。
「勝手な畜生だ!」仕事をしながら、ブツブツ云った。
 コック部屋の隅(すみ)には、粗末に食い散らされた空の蟹罐詰やビール瓶が山積みに積まさっていた。朝になると、それを運んで歩いたボーイ自身でさえ、よくこんなに飲んだり、食ったりしたもんだ、と吃驚(びっくり)した。
 給仕は仕事の関係で、漁夫や船員などが、とても窺(うかが)い知ることの出来ない船長や監督、工場代表などのムキ出しの生活をよく知っていた。と同時に、漁夫達の惨(みじ)めな生活(監督は酔うと、漁夫達を「豚奴(ぶため)々々」と云っていた)も、ハッキリ対比されて知っている。公平に云って、上の人間はゴウマンで、恐ろしいことを儲(もう)けのために「平気」で謀(たくら)んだ。漁夫や船員はそれにウマウマ落ち込んで行った。――それは見ていられなかった。
 何も知らないうちはいい、給仕は何時もそう考えていた。彼は、当然どういうことが起るか――起らないではいないか、それが自分で分るように思っていた。
 二時頃だった。船長や監督等は、下手に畳んでおいたために出来たらしい、色々な折目のついた服を着て、罐詰を船員二人に持たして、発動機船で駆逐艦に出掛けて行った。甲板で蟹外しをしていた漁夫や雑夫が、手を休めずに「嫁行列」でも見るように、それを見ていた。
「何やるんだか、分ったもんでねえな」
「俺達の作った罐詰ば、まるで糞紙よりも粗末にしやがる!」
「然しな……」中年を過ぎかけている、左手の指が三本よりない漁夫だった。「こんな処まで来て、ワザワザ俺達ば守っててけるんだもの、ええさ――な」
 ――その夕方、駆逐艦が、知らないうちにムクムクと煙突から煙を出し初めた。デッキを急がしく水兵が行ったり来たりし出した。そして、それから三十分程して動き出した。艦尾の旗がハタハタと風にはためく音が聞えた。蟹工船では、船長の発声で、「万歳」を叫んだ。
 夕飯が終ってから、「糞壺」へ給仕がおりてきた。皆はストーヴの周囲で話していた。薄暗い電燈の下に立って行って、シャツから虱を取っているのもいた。電燈を横切る度(たび)に、大きな影がペンキを塗った、煤(すす)けたサイドに斜めにうつった。
「士官や船長や監督の話だけれどもな、今度ロシアの領地へこっそり潜入して漁をするそうだど。それで駆逐艦がしっきりなしに、側にいて番をしてくれるそうだ――大部、コレやってるらしいな。(拇指と人差指で円るくしてみせた)
「皆の話を聞いていると、金がそのままゴロゴロ転(ころ)がっているようなカムサツカや北樺太など、この辺一帯を、行く行くはどうしても日本のものにするそうだ。日本のアレは支那や満洲ばかりでなしに、こっちの方面も大切だって云うんだ。それにはここの会社が三菱などと一緒になって、政府をウマクつッついているらしい。今度社長が代議士になれば、もっとそれをドンドンやるようだど。
「それでさ、駆逐艦が蟹工船の警備に出動すると云ったところで、どうしてどうして、そればかりの目的でなくて、この辺の海、北樺太、千島の附近まで詳細に測量したり気候を調べたりするのが、かえって大目的で、万一のアレに手ぬかりなくする訳だな。これア秘密だろうと思うんだが、千島の一番端の島に、コッソリ大砲を運んだり、重油を運んだりしているそうだ。
「俺初めて聞いて吃驚(びっくり)したんだけれどもな、今までの日本のどの戦争でも、本当は――底の底を割ってみれば、みんな二人か三人の金持の(そのかわり大金持の)指図で、動機(きっかけ)だけは色々にこじつけて起したもんだとよ。何んしろ見込のある場所を手に入れたくて、手に入れたくてパタパタしてるんだそうだからな、そいつ等は。――危いそうだ」

        七

 ウインチがガラガラとなって、川崎船が下がってきた。丁度その下に漁夫が四人程居て、ウインチの腕が短いので、下りてくる川崎船をデッキの外側に押してやって、海までそれが下りれるようにしてやっていた。――よく危いことがあった。ボロ船のウインチは、脚気(かっけ)の膝(ひざ)のようにギクシャクとしていた。ワイヤーを巻いている歯車の工合で、グイと片方のワイヤーだけが跛(びっこ)にのびる。川崎船が燻製鰊(くんせいにしん)のように、すっかり斜めにブラ下がってしまうことがある。その時、不意を喰(く)らって、下にいた漁夫がよく怪我(けが)をした。――その朝それがあった。「あッ、危い!」誰か叫んだ。真上からタタキのめされて、下の漁夫の首が胸の中に、杭(くい)のように入り込んでしまった。
 漁夫達は船医のところへ抱(かか)えこんだ。彼等のうちで、今ではハッキリ監督などに対して「畜生!」と思っている者等は、医者に「診断書」を書いて貰うように頼むことにした。監督は蛇に人間の皮をきせたような奴だから、何んとかキット難くせを「ぬかす」に違いなかった。その時の抗議のために診断書は必要だった。それに船医は割合漁夫や船員に同情を持っていた。
「この船は仕事をして怪我をしたり、病気になったりするよりも、ひッぱたかれたり、たたきのめされたりして怪我したり、病気したりする方が、ずウッと多いんだからねえ」と驚いていた。一々日記につけて、後の証拠にしなければならない、と云っていた。それで、病気や怪我をした漁夫や船員などを割合に親切に見てくれていた。
 診断書を作って貰いたいんですけれどもと、一人が切り出した。
 初め、吃驚したようだった。
「さあ、診断書はねえ……」
「この通りに書いて下さればいいんですが」
 はがゆかった。
「この船では、それを書かせないことになってるんだよ。勝手にそう決めたらしいんだが。……後々のことがあるんでね」
 気の短い、吃(ども)りの漁夫が「チェッ!」と舌打ちをしてしまった。
「この前、浅川君になぐられて、耳が聞えなくなった漁夫が来たので、何気なく診断書を書いてやったら、飛んでもないことになってしまってね。――それが何時までも証拠になるんで、浅川君にしちゃね……」
 彼等は船医の室を出ながら、船医もやはり其処まで行くと、もう「俺達」の味方でなかったことを考えていた。
 その漁夫は、然(しか)し「不思議に」どうにか生命を取りとめることが出来た。
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