蟹工船
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著者名:小林多喜二 

「おかしいな、何んだって、あの鬼顔出さないんだべ」
「やっきになって、得意のピストルでも打つかと思ってたどもな」
 三百人は吃りの音頭で、一斉に「ストライキ万歳」を三度叫んだ。学生が「監督の野郎、この声聞いて震えてるだろう!」と笑った。――船長室へ押しかけた。
 監督は片手にピストルを持ったまま、代表を迎えた。
 船長、雑夫長、工場代表……などが、今までたしかに何か相談をしていたらしいことがハッキリ分るそのままの恰好で、迎えた。監督は落付いていた。
 入ってゆくと、
「やったな」とニヤニヤ笑った。
 外では、三百人が重なり合って、大声をあげ、ドタ、ドタ足踏みをしていた。監督は「うるさい奴だ!」とひくい声で云った。が、それ等には気もかけない様子だった代表が興奮して云うのを一通りきいてから、「要求条項」と、三百人の「誓約書」を形式的にチラチラ見ると、「後悔しないか」と、拍子抜けするほど、ゆっくり云った。
「馬鹿野郎ッ!」吃りがいきなり監督の鼻ッ面を殴(なぐ)りつけるように怒鳴った。
「そうか、いい。――後悔しないんだな」
 そう云って、それから一寸(ちょっと)調子をかえた。「じゃ、聞け。いいか。明日の朝にならないうちに、色よい返事をしてやるから」――だが、云うより早かった、芝浦が監督のピストルをタタキ落すと、拳骨で頬(ほお)をなぐりつけた。監督がハッと思って、顔を押えた瞬間、吃りがキノコのような円椅子で横なぐりに足をさらった。監督の身体はテーブルに引っかかって、他愛なく横倒れになった。その上に四本の足を空にして、テーブルがひっくりかえって行った。
「色よい返事だ? この野郎、フザけるな! 生命にかけての問題だんだ!」
 芝浦は巾(はば)の広い肩をけわしく動かした。水夫、火夫、学生が二人をとめた。船長室の窓が凄(すご)い音を立てて壊(こわ)れた。その瞬間、「殺しちまい!」「打ッ殺せ!」「のせ! のしちまえ!」外からの叫び声が急に大きくなって、ハッキリ聞えてきた。――何時の間にか、船長や雑夫長や工場代表が室の片隅(かたすみ)の方へ、固まり合って棒杭のようにつッ立っていた。顔の色がなかった。
 ドアーを壊して、漁夫や、水、火夫が雪崩(なだ)れ込んできた。

 昼過ぎから、海は大嵐になった。そして夕方近くになって、だんだん静かになった。
「監督をたたきのめす!」そんなことがどうして出来るもんか、そう思っていた。ところが! 自分達の「手」でそれをやってのけたのだ。普段おどかし看板にしていたピストルさえ打てなかったではないか。皆はウキウキと噪(はしゃ)いでいた。――代表達は頭を集めて、これからの色々な対策を相談した。「色よい返事」が来なかったら、「覚えてろ!」と思った。
 薄暗くなった頃だった。ハッチの入口で、見張りをしていた漁夫が、駆逐艦がやってきたのを見た。――周章(あわ)てて「糞壺」に馳(か)け込んだ。
「しまったッ□」学生の一人がバネのようにはね上った。見る見る顔の色が変った。
「感違いするなよ」吃りが笑い出した。「この、俺達の状態や立場、それに要求などを、士官達に詳しく説明して援助をうけたら、かえってこのストライキは有利に解決がつく。分りきったことだ」
 外のものも、「それアそうだ」と同意した。
「我帝国の軍艦だ。俺達国民の味方だろう」
「いや、いや……」学生は手を振った。余程のショックを受けたらしく、唇を震わせている。言葉が吃(ども)った。
「国民の味方だって? ……いやいや……」
「馬鹿な! ――国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理窟なんてある筈(はず)があるか□」
「駆逐艦が来た!」「駆逐艦が来た!」という興奮が学生の言葉を無理矢理にもみ潰(つぶ)してしまった。
 皆はドヤドヤと「糞壺」から甲板にかけ上った。そして声を揃(そろ)えていきなり、「帝国軍艦万歳」を叫んだ。
 タラップの昇降口には、顔と手にホータイをした監督や船長と向い合って、吃り、芝浦、威張んな、学生、水、火夫等が立った。薄暗いので、ハッキリ分らなかったが、駆逐艦からは三艘汽艇が出た。それが横付けになった。一五、六人の水兵が一杯つまっていた。それが一度にタラップを上ってきた。
 呀(あ)ッ! 着剣(つけけん)をしているではないか! そして帽子の顎紐(あごひも)をかけている!
「しまった!」そう心の中で叫んだのは、吃りだった。
 次の汽艇からも十五、六人。その次の汽艇からも、やっぱり銃の先きに、着剣した、顎紐をかけた水兵! それ等は海賊船にでも躍(おど)り込むように、ドカドカッと上ってくると、漁夫や水、火夫を取り囲んでしまった。
「しまった! 畜生やりゃがったな!」
 芝浦も、水、火夫の代表も初めて叫んだ。
「ざま、見やがれ!」――監督だった。ストライキになってからの、監督の不思議な態度が初めて分った。だが、遅かった。
「有無」を云わせない。「不届者」「不忠者」「露助の真似する売国奴」そう罵倒(ばとう)されて、代表の九人が銃剣を擬されたまま、駆逐艦に護送されてしまった。それは皆がワケが分らず、ぼんやり見とれている、その短い間だった。全く、有無を云わせなかった。――一枚の新聞紙が燃えてしまうのを見ているより、他愛なかった。
 ――簡単に「片付いてしまった」
「俺達には、俺達しか、味方が無(ね)えんだな。始めて分った」
「帝国軍艦だなんて、大きな事を云ったって大金持の手先でねえか、国民の味方? おかしいや、糞喰らえだ!」
 水兵達は万一を考えて、三日船にいた。その間中、上官連は、毎晩サロンで、監督達と一緒に酔払っていた。――「そんなものさ」
 いくら漁夫達でも、今度という今度こそ、「誰が敵」であるか、そしてそれ等が(全く意外にも!)どういう風に、お互が繋がり合っているか、ということが身をもって知らされた。
 毎年の例で、漁期が終りそうになると、蟹罐詰の「献上品」を作ることになっていた。然し「乱暴にも」何時でも、別に斎戒沐浴(もくよく)して作るわけでもなかった。その度に、漁夫達は監督をひどい事をするものだ、と思って来た。――だが、今度は異(ちが)ってしまっていた。
「俺達の本当の血と肉を搾(しぼ)り上げて作るものだ。フン、さぞうめえこったろ。食ってしまってから、腹痛でも起さねばいいさ」
 皆そんな気持で作った。
「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」

「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」
 それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。――「今に見ろ!」
 然し「今に見ろ」を百遍繰りかえして、それが何になるか。――ストライキが惨(みじ)めに敗れてから、仕事は「畜生、思い知ったか」とばかりに、過酷になった。それは今までの過酷にもう一つ更に加えられた監督の復仇的(ふっきゅうてき)な過酷さだった。限度というものの一番極端を越えていた。――今ではもう仕事は堪え難いところまで行っていた。
「――間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺達の急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺達全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打てなかったろう。まさか、俺達全部を引き渡してしまうなんて事、出来ないからな。仕事が、出来なくなるもの」
「そうだな」
「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺達本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボルことだ。この前と同じ手で。吃りが云ったでないか、何より力を合わせることだって。それに力を合わせたらどんなことが出来たか、ということも分っている筈だ」
「それでも若し駆逐艦を呼んだら、皆で――この時こそ力を合わせて、一人も残らず引渡されよう! その方がかえって助かるんだ」
「んかも知らない。然し考えてみれば、そんなことになったら、監督が第一周章(あわ)てるよ、会社の手前。代りを函館から取り寄せるのには遅すぎるし、出来高だって問題にならない程少ないし。……うまくやったら、これア案外大丈夫だど」
「大丈夫だよ。それに不思議に誰だって、ビクビクしていないしな。皆、畜生! ッて気でいる」
「本当のことを云えば、そんな先きの成算なんて、どうでもいいんだ。――死ぬか、生きるか、だからな」
「ん、もう一回だ!」

 そして、彼等は、立ち上った。――もう一度!


        附記

 この後のことについて、二、三附け加えて置こう。
イ、二度目の、完全な「サボ」は、マンマと成功したということ。「まさか」と思っていた、面喰(くら)った監督は、夢中になって無電室にかけ込んだが、ドアーの前で立ち往生してしまったこと、どうしていいか分らなくなって。ロ、漁期が終って、函館へ帰港したとき、「サボ」をやったりストライキをやった船は、博光丸だけではなかったこと。二、三の船から「赤化宣伝」のパンフレットが出たこと。ハ、それから監督や雑夫長等が、漁期中にストライキの如き不祥事を惹起(ひきおこ)させ、製品高に多大の影響を与えたという理由のもとに、会社があの忠実な犬を「無慈悲」に涙銭一文くれず、(漁夫達よりも惨めに!)首を切ってしまったということ。面白いことは、「あ――あ、口惜(くや)しかった! 俺ア今まで、畜生、だまされていた!」と、あの監督が叫んだということ。ニ、そして、「組織」「闘争」――この初めて知った偉大な経験を担(にな)って、漁夫、年若い雑夫等が、警察の門から色々な労働の層へ、それぞれ入り込んで行ったということ。
――この一篇は、「殖民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。
(一九二九・三・三〇)



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