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著者名:石川啄木 

  激論

われはかの夜の激論を忘るること能(あた)はず、
新らしき社会に於(お)ける「権力」の処置に就(つ)きて、
はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと
我との間に惹(ひ)き起されたる激論を、
かの五時間に亙(わた)れる激論を。

「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家(せんどうか)の言なり。」
かれは遂(つひ)にかく言ひ放ちき。
その声はさながら咆(ほ)ゆるごとくなりき。
若(も)しその間に卓子(テエブル)のなかりせば、
かれの手は恐らくわが頭(かうべ)を撃ちたるならむ。
われはその浅黒き、大いなる顔の
男らしき怒りに漲(みなぎ)れるを見たり。

五月の夜はすでに一時なりき。
或(あ)る一人の立ちて窓を明けたるとき、
Nとわれとの間なる蝋燭(らふそく)の火は幾度か揺れたり。
病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬(ほほ)に、
雨をふくめる夜風の爽(さはや)かなりしかな。

さてわれは、また、かの夜の、
われらの会合に常にただ一人の婦人なる
Kのしなやかなる手の指環(ゆびわ)を忘るること能(あた)はず。
ほつれ毛をかき上ぐるとき、
また、蝋燭の心(しん)を截(き)るとき、
そは幾度かわが眼の前に光りたり。
しかして、そは実にNの贈れる約婚のしるしなりき。
されど、かの夜のわれらの議論に於いては、
かの女(ぢよ)は初めよりわが味方なりき。

  墓碑銘

われは常にかれを尊敬せりき、
しかして今も猶(なほ)尊敬す――
かの郊外の墓地の栗(くり)の木の下に
かれを葬(はうむ)りて、すでにふた月を経たれど。

実(げ)に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、
すでにふた月は過ぎ去りたり。
かれは議論家にてはなかりしかど、
なくてかなはぬ一人なりしが。

或る時、彼の語りけるは、
「同志よ、われの無言をとがむることなかれ。
われは議論すること能(あた)はず、
されど、我には何時(いつ)にても起(た)つことを得る準備あり。」

「彼の眼は常に論者の怯懦(けふだ)を叱責(しつせき)す。」
同志の一人はかくかれを評しき。
然(しか)り、われもまた度度(たびたび)しかく感じたりき。
しかして、今や再びその眼より正義の叱責をうくることなし。

かれは労働者――一個の機械職工なりき。
かれは常に熱心に、且(か)つ快活に働き、
暇(ひま)あれば同志と語り、またよく読書したり。
かれは煙草(たばこ)も酒も用ゐざりき。

かれの真摯(しんし)にして不屈、且つ思慮深き性格は、
かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり。
かれは烈(はげ)しき熱に冒(をか)されて、病の床に横(よこた)はりつつ、
なほよく死にいたるまで譫話(うはごと)を口にせざりき。

「今日は五月一日なり、われらの日なり。」
これ、かれのわれに遺(のこ)したる最後の言葉なり。
この日の朝(あした)、われはかれの病を見舞ひ、
その日の夕(ゆふべ)、かれは遂に永き眠りに入れり。

ああ、かの広き額(ひたひ)と、鉄槌(てつつゐ)のごとき腕(かひな)と、
しかして、また、かの生を恐れざりしごとく
死を恐れざりし、常に直視する眼と、
眼(まなこ)つぶれば今も猶わが前にあり。

彼の遺骸(ゐがい)は、一個の唯物論(ゆゐぶつろん)者として
かの栗の木の下に葬られたり。
われら同志の撰びたる墓碑銘(ぼひめい)は左の如し、
「われは何時(いつ)にても起つことを得る準備あり。」

  古びたる鞄をあけて

わが友は、古びたる鞄(かばん)をあけて、
ほの暗き蝋燭(らふそく)の火影(ほかげ)の散らぼへる床に、
いろいろの本を取り出だしたり。
そは皆この国にて禁じられたるものなりき。
やがて、わが友は一葉の写真を探しあてて、
「これなり」とわが手に置くや、
静かにまた窓に凭(よ)りて口笛を吹き出したり。
そは美くしとにもあらぬ若き女の写真なりき。

  げに、かの場末の

げに、かの場末の縁日の夜の
活動写真の小屋の中に、
青臭(くさ)きアセチレン瓦斯(ガス)の漂(ただよ)へる中に、
鋭くも響きわたりし
秋の夜の呼子の笛はかなしかりしかな。
ひょろろろと鳴りて消ゆれば、
あたり忽(たちま)ち暗くなりて、
薄青きいたづら小僧の映画ぞわが眼にはうつりたる。
やがて、また、ひょろろと鳴れば、
声嗄(か)れし説明者こそ、
西洋の幽霊(いうれい)の如(ごと)き手つきして、
くどくどと何事を語り出でけれ。
我はただ涙ぐまれき。

されど、そは、三年(みとせ)も前の記憶なり。
はてしなき議論の後の疲れたる心を抱き、
同志の中の誰彼(たれかれ)の心弱さを憎みつつ、
ただひとり、雨の夜の町を帰り来れば、
ゆくりなく、かの呼子の笛が思ひ出されたり。
――ひょろろろと、
また、ひょろろろと――

我は、ふと、涙ぐまれぬ。
げに、げに、わが心の餓(う)ゑて空(むな)しきこと、
今も猶(なほ)昔のごとし。

  わが友は、今日も

我が友は、今日もまた、
マルクスの「資本論(キヤプタル)」の
難解になやみつつあるならむ。

わが身のまはりには、
黄色なる小さき花片(はなびら)が、ほろほろと、
何故(なぜ)とはなけれど、
ほろほろと散るごときけはひあり。

もう三十にもなるといふ、
身の丈(たけ)三尺ばかりなる女の、
赤き扇(あふぎ)をかざして踊るを、
見世物(みせもの)にて見たることあり。
あれはいつのことなりけむ。

それはさうと、あの女は――
ただ一度我等の会合に出て
それきり来なくなりし――
あの女は、
今はどうしてゐるらむ。

明るき午後のものとなき静心(しづごごろ)なさ。

  家

今朝も、ふと、目のさめしとき、
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
顔洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、
つとめ先より一日の仕事を了(を)へて帰り来て、
夕餉(ゆふげ)の後の茶を啜(すす)り、煙草(たばこ)をのめば、
むらさきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る――
はかなくもまたかなしくも。

場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構(かま)へ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなしとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき椅子(いす)も。

この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひし毎(ごと)に少しづつ変へし間取りのさまなどを
心のうちに描(ゑが)きつつ、
ランプの笠(かさ)の真白きにそれとなく眼をあつむれば、
その家に住むたのしさのまざまざ見ゆる心地して、
泣く児に添乳(そへぢ)する妻のひと間の隅のあちら向き、
そを幸ひと口もとにはかなき笑みものぼり来る。

さて、その庭は広くして草の繁るにまかせてむ。
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の木の腰掛を根に置かむ――
雨降らぬ日は其処(そこ)に出て、
かの煙濃(こ)く、かをりよき埃及(エジプト)煙草ふかしつつ、
四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の
本の頁(ページ)を切りかけて、
食事の知らせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、
また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる
村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく……

はかなくも、またかなしくも、
いつとしもなく、若き日にわかれ来りて、
月月のくらしのことに疲れゆく、
都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、
はかなくも、またかなしくも
なつかしくして、何時(いつ)までも棄(す)つるに惜(を)しきこの思ひ、
そのかずかずの満たされぬ望みと共に、
はじめより空しきことと知りながら、
なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付して、
妻にも告げず、真白なるランプの笠を見つめつつ、
ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。

  飛行機

見よ、今日も、かの蒼空(あをぞら)に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。




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