天鵞絨
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著者名:石川啄木 

『眞(ほん)にせえ。』とお定も言つた。
 で、昨晩(ゆうべ)見た階下の樣子を思出して見ても、此室の疊の古い事、壁紙の所々裂けた事、天井が手の屆く程低い事などを考へ合せて見ても、源助の家は、二人及び村の大抵の人の想像した如く、左程立派でなかつた。二人はまた其事を語つてゐたが、お八重が不圖、五尺の床の間にかけてある。縁日物の七福神の掛物を指さして、
『あれア何だか知(おべ)だ[#「だ」は底本では「た」]すか?』
『惠比須大黒だべす。』
 二人は床の間に腰掛けたが、
『お定さん、これア何だす?』と圖の人を指さす。
『槌持つてるもの、大黒樣だべアすか。』
『此方ア?』
『惠比須だす。』
『すたら、これア何だす?』
『布袋樣(ほていさま)す、腹ア出てるもの。あれ、忠太老爺(おやぢ)に似たぜ。』と言ふや、二人は其忠太の恐ろしく肥つた腹を思出して、口に袂をあてた儘、暫しは子供の如く笑ひ續けてゐた。
 階下(した)では裏口の戸を開ける音や、鍋の音がしたので、お八重が先に立つて階段を降りた。お吉はそれと見て、
『まあ早いことお前さん達は、まだ/\寢(やす)んでらつしやれば可いのに。』と笑顏を作つた。二人は勝手への隔(へだて)の敷居に兩手を突いて、『お早エなつす。』を口の中だけに言つて、挨拶をすると、お吉は可笑しさに些(ちよつ)[#ルビの「ちよつ」は底本では「ちよ」]と横向いて笑つたが、
『怎もお早う。』と晴やかに言ふ。
 よく眠れたかとか、郷里(くに)の夢を見なかつたかとか、お吉は昨晩(ゆうべ)よりもズット忸(なれ)々しく種々(いろ/\)な事を言つてくれたが、
『お前さん達のお郷里(くに)ぢや水道はまだ無いでせう?』
 二人は目を見合せた。水道とは何の事やら、其話は源助からも聞いた記憶(おぼえ)がない。何と返事をして可(い)いか困つてると、
『何でも一通り東京の事知つてなくちや、御奉公に上つても困るから、私と一緒に入來(いらつ)しやい。教へて上げますから。』と、お吉は手桶を持つて下り立つた。『ハ。』と答へて、二人とも急いで店から自分達の下駄を持つて來て、裏に出ると、お吉はもう五六間先方(むかう)へ行つて立つてゐる。
 何の事はない、郵便凾の小さい樣なものが立つてゐて、四邊(あたり)の土が水に濡れてゐる。
『これが水道ツて言ふんですよ。可(よ)ござんすか。それで恁うすると水が幾何(いくら)でも出て來ます。』とお吉は笑ひながら栓(せん)を捻(ひね)つた。途端(とたん)に、水がゴウと出る。
『やあ。』とお八重は思はず驚きの聲を出したので、すぐに羞(はづ)かしくなつて、顏を火の樣にした。お定も口にこそ出さなかつたが、同じ『やあ。』が喉元まで出かけたつたので、これも顏を紅くしたが、お吉は其中に一杯になつた桶と空(から)なのと取代へて、
『さあ、何方なり一つ此栓を捻(ひね)つて御覽なさい。』と宛然(さながら)小學校の先生が一年生に教へる樣な調子。二人は目と目で互に讓り合つて、仲々手を出さぬので、
『些(ちつ)とも怖い事はないんですよ。』とお吉は笑ふ。で、お八重が思切つて、妙な手つきで栓を力委せに捻ると、特別な仕掛がある譯ではないから水が直ぐ出た。お八重は何となく得意になつて、輕く聲を出して笑ひながらお定の顏を見た。
 歸りはお吉の辭するも諾(き)かず、二人で桶を一つ宛(づゝ)輕々と持つて勝手口まで運んだが、背後(うしろ)からお吉が、
『まあお前さん達は力が強い事!』と笑つた。此の後に潜んだ意味などを察する程に、怜悧(かしこ)いお定ではないので、何だか賞められた樣な氣がして、密(そつ)と口元に笑を含んだ。
 それから、顏を洗へといはれて、急いで二階から淺黄の手拭やら櫛やらを持つて來たが、鏡は店に大きいのがあるからといはれて、怖る/\種々(いろ/\)の光る立派な道具を飾り立てた店に行つて、二人は髮を結ひ出した。間もなく、表二階に泊つてる職人が起きて來て、二人を見ると、『お早う。』と聲をかけて妙な笑を浮べたが、二人は唯もうきまりが惡くて、顏を赤くして頭を垂れてゐる儘、鏡に寫る己が姿を見るさへも羞しく、堅くなつて□卒(そゝくさ)に髮を結つてゐたが、それでもお八重の方はチョイチョイ横目を使つて、職人の爲る事を見てゐた樣であつた。
 すべて恁□(こんな)具合で、朝餐(あさめし)も濟んだ。其朝餐の時は、同じ食卓に源助夫婦と新さんとお八重お定の五人が向ひ合つたので、二人共三膳とは食へなかつた。此日は、源助が半月に餘る旅から歸つたので、それ/″\手土産を持つて知邊(しるべ)の家を□らなければならぬから、お吉は家が明けられぬと言つて、見物は明日に決つた。
 二人は、不器用な手つきで、食後の始末にも手傳ひ、二人限(きり)で水汲にも行つたが、其時お八重はもう、一度經驗があるので上級生の樣な態度をして、
『流石は東京だでヤなつす!』と言つた。
 かくて此日一日は、殆んど裏二階の一室で暮らしたが、お吉は時々やつて來て、何呉となく女中奉公の心得を話してくれるのであつた。お定は生中(なまなか)禮儀などを守らず、つけつけ言つてくれる此女を、もう世の中に唯一人の頼りにして、嘗て自分等の村の役場に、盛岡から來てゐた事のある助役樣の内儀(おかみ)さんより親切な人だと考へてゐた。
 お吉が二人に物言ふさまは、若し傍で見てゐる人があつたなら、甚□(どんな)に可笑(をか)しかつたか知れぬ。言葉を早く直さねばならぬと言つては、先づ短いのから稽古せよと、『かしこまりました。』とか『行つてらツしやい。』とか、『お歸んなさい。』とか『左樣(さい)でございますか。』とか、繰返し/\教へるのであつたが、二人は胸の中でそれを擬(ま)ねて見るけれど、仲々お吉の樣にはいかぬ。郷里(くに)言葉の『然(そ)だすか。』と『左樣(さい)でございますか。』とは、第一長さが違ふ。二人には『で』に許り力が入つて、兎角『さいで、ございますか。』と二つに切れる。『さあ、一(ひと)つ口(くち)に出して行(や)つて御覽なさいな。』とお吉に言はれると、二人共すぐ顏を染めては、『さあ』『さあ』と互ひに讓り合ふ。
 それからお吉は、また二人が餘り温(おと)なしくして許りゐるので、店に行つて見るなり、少し街上(おもて)を歩いてみるなりしたら怎(どう)だと言つて、
『家の前から昨晩(ゆうべ)腕車(くるま)で來た方へ少し行くと、本郷の通りへ出ますから、それは/\賑かなもんですよ。其處の角には勸工場と云つて何品(なん)でも賣る所があるし、右へ行くと三丁目の電車、左へ行くと赤門の前――赤門といへば大學の事ですよ、それ、日本一の學校、名前位は聞いた事があるでせうさ。何(なあ)に、大丈夫氣をつけてさへ歩けば、何處まで行つたつて迷兒(まひご)になんかなりやしませんよ。角の勸工場と家の看板さへ知つてりや。』と言つたが、『それ、家の看板には恁う書いてあつたでせう。』と人差指で疊に『山田』と覺束なく書いて見せた。『やまだと讀むんですよ。』
 二人は稍得意な笑顏をして頷き合つた。何故なれば、二人共尋常科だけは卒へたのだから、山の字も田の字も知つてゐたからなので。
 それでも仲々階下(した)にさへ降(お)り澁(しぶ)つて、二人限(きり)になれば何やら密々(ひそ/\)話合つては、袂を口にあてて聲立てずに笑つてゐたが、夕方近くなつてから、お八重の發起で街路へ出て見た。成程大きなペンキ塗の看板には『山田理髮店』と書いてあつて、花の樣なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視(とみかうみ)して、此家忘れてなるものかと見□してると、理髮店の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交る/\に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算しながら、二町許りで本郷館の前まで來た。
 盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此處へ來て見ると宛然(まるで)田舍の樣だ。ああ東京の街! 右から左から、刻一刻に滿干(さしひき)する人の潮! 三方から電車と人が崩(なだ)れて來る三丁目の喧囂(さはがしさ)は、宛(さな)がら今にも戰が始りさうだ。お定はもう一歩も前に進みかねた。
 勸工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出したが、お定は『此次にすべす。』と言つて澁つた。で、お八重は決しかねて立つてゐると、車夫が寄つて來て、頻りに促す。二人は怖ろしくなつて、もと來た路を驅け出した。此時も背後(うしろ)に笑聲(わらひごゑ)が聞えた。
 第一日は斯くて暮れた。

      九 

 第二日目は、お吉に伴れられて、朝八時頃から見物に出た。
 先づ赤門、『恁□(こんな)學校にも教師(せんせ)ア居(え)べすか?』とお定は囁(さゝ)やいたが、『居るのす。』と答へたお八重はツンと濟してゐた。不忍の池では海の樣だと思つた。お定の村には山と川と田と畑としか無かつたので。さて上野の森、話に聞いた銅像よりも、木立の中の大佛の方が立派に見えた。電車といふものに初めて乘せられて、淺草は人の塵溜、玉乘に汗を握り、水族館の地下室では、源助の話を思出して帶の間の財布を上から抑へた。人の數が掏摸に見える。凌雲閣には餘り高いのに怖氣(おぢけ)立つて、到頭上らず。吾妻橋に出ては、東京では川まで大きいと思つた。兩國の川開きの話をお吉に聞かされたが、甚□(どんな)事(こと)をするものやら遂に解らず了(じま)ひ。上潮に末廣の長い尾を曳く川蒸汽は、仲々異(い)なものであつた。銀座の通り、新橋のステイション、勸工場にも幾度か入つた。二重橋は天子樣の御門と聞いて叩頭(おじぎ)をした。日比谷の公園では、立派な若い男と女が手をとり合つて歩いてるのに驚いた。
 須田町の乘換に方角を忘れて、今來た方へ引返すのだと許り思つてゐるうちに、本郷三丁目に來て降りるのだといふ。お定はもう日が暮れかかつてるのに、まだ引張り□されるのかと氣が氣でなくなつたが、一町と歩かずに本郷館の横へ曲つた時には、東京の道路は訝(をか)しいものだと考へた。
 理髮店に歸ると、源助は黒い額に青筋立てて、長火鉢の彼方(あつち)に怒鳴つてゐた。其前には十七許りの職人が平蜘蛛(ひらくも)の如く匍(うづくま)つてゐる。此間から見えなかつた斬髮機(バリカン)が一挺、此職人が何處かに隱し込んで置いたのを見附かつたとかで、お定は二階の風呂敷包が氣になつた。
 二人はもう、身體も心も綿の如く疲れきつてゐて、晝頃何處やらで蕎麥を一杯宛食つただけなのに、燈火(あかり)がついて飯になると、唯一膳の飯を辛(やつ)と喉を通した。頭腦(あたま)は□乎(ぼうつ)としてゐて、これといふ考へも浮ばぬ。話も興がない。耳の底には、まだ轟々たる都の轟きが鳴つてゐる。
 幸ひ好い奉公の口があつたが、先づ四五日は緩(ゆつく)り遊んだが可(よ)からうといふ源助の話を聞いて、二人は夕餐が濟むと間もなく二階に上つた。二人共『疲れた。』と許り、べたりと横に坐つて、話もない。何處かしら非常に遠い所へ行つて[#「行つて」は底本では「行つた」]來た樣な心地である。淺草とか日比谷とかいふ語だけは、すぐ近間(ちかく)にある樣だけれど、それを口に出すには遠くまで行つて來なけやならぬ樣に思へる。一時間前まで見て來て色々の場所、あれも/\と心では數へられるけれど、さて其景色は仲々眼に浮ばぬ。目を瞑ると轟々たる響。玉乘や、勸工場の大きな花瓶が、チラリ、チラリと心を掠(かす)める。足下から鳩が飛んだりする。
お吉が、『電車ほど便利なものはない。』と言つた。然しお定には、電車程怖ろしいものはなかつた。線路を横切つた時の心地は、思出しても冷汗が流れる。後先を見□して、一町も向うから電車が來ようものなら、もう足が動かぬ、漸(や)つとそれを遣(や)り過して、十間も行つてから思切つて向側に驅ける。先づ安心と思ふと胸には動悸が高い。況(ま)して乘つた時の窮屈(きうくつ)さ。洋服着た男とでも肩が擦れ/\になると、譯もなく身體が縮んで了つて、些(ちよい)と首を動かすにも頸筋が痛い思ひ。停(とま)るかと思へば動き出す。動き出したかと思へば停る。しつきりなしの人の乘降(のりおり)、よくも間違が起らぬものと不思議に堪へなかつた。電車に一町乘るよりは、山路を三里素足(はだし)で歩いた方が遙か優(ま)しだ。
 大都は其凄まじい轟々たる響きを以て、お定の心を壓した。然しお定は別に郷里に歸りたいとも思はなかつた。それかと言つて、東京が好なのでもない。此處に居ようとも思はねば、居まいとも思はぬ。一刻の前をも忘れ、一刻の後をも忘れて、温(おと)なしいお定は疲れてゐるのだ。ただ疲れてゐるのだ。
 煎餅を盛つた小さい盆を持つて、上つて來たお吉は、明日お湯屋に伴(つ)れて行くと言つて下りて行つた。
 九時前に二人は蒲團を延べた。

三日目は雨。

四日目は降りみ降らずみ。九月ももう二十日を過ぎたので、殘暑の汗を洗ふ雨の糸を、初秋めいたうそ寒さが白く見せて、蕭々(しと/\)と廂(ひさし)を濡らす音が、山中の村で聞くとは違つて、厭に陰氣な心を起させる。二人はつくねんとして相對した儘、言葉少なに郷里(くに)の事を思出してゐた。
 午餐(おひる)が濟んで、二人がまだお吉と共に勝手にゐたうちに、二人の奉公口を世話してくれたといふ、源助と職業(しごと)仲間の男が來て、先樣(さきさま)では一日も早くといふから、今日中に遣(や)る事にしたら怎(どう)だと言つた。
 源助は、二人がまだ何も東京の事を知らぬからと言ふ樣な事を言つてゐたが、お吉は、行つて見なけや何日までだつて慣れぬといふ其男の言葉に賛成した。
 遂に行く事に決つた。
 で、お吉は先づお八重、次にお定と、髮を銀杏返しに結つてくれたが、お定は、餘り前髮を大きく取つたと思つた、帶も締めて貰つた。
 三時頃になつて、お八重が先づ一人源助に伴(とも)なはれて出て行つた。お定は急に淋しくなつて七福神の床の間に腰かけて、小さい胸を犇(ひし)と抱いた。眼には大きい涙が。
 一時間許りで源助は歸つて來たが、先樣の奧樣は淡白(きさく)な人で、お八重を見るや否や、これぢや水道の水を半年もつかふと、大した美人になると言つた事などを語つた。
 早目に晩餐(ばんめし)を濟まして、今度はお定の番。すぐ近い坂の上だといふ事で、風呂敷包を提げた儘、黄昏時(たそがれどき)の雨の霽間を源助の後に跟(つ)いて行つたが、何と挨拶したら可いものかと胸を痛めながら悄然(しよんぼり)と歩いてゐた。源助は、先方でも眞の田舍者な事を御承知なのだから、萬事間違のない樣に奧樣の言ふ事を聞けと繰返し教へて呉れた。
 眞砂町のトある小路、右側に『小野』と記した軒燈の、點火(とも)り初めた許りの所へ行つて、『此の家だ。』と源助は入口の格子をあけた。お定は遂ぞ覺えぬ不安に打たれた。

 源助は三十分許り經(た)つと歸つて行つた。
 竹筒臺の洋燈(ランプ)が明るい。茶棚やら箪笥やら、時計やら、箪笥の上の立派な鏡臺やら、八疊の一室にありとある物は皆、お定に珍らしく立派なもので。黒柿の長火鉢の彼方に、二寸も厚い座蒲團に坐つた奧樣の年は二十五六、口が少しへの字になつて鼻先が下に曲つてるけれども、お定には唯立派な奧樣に見えた。お定は洋燈の光に小さくなつて、石の如く坐つてゐた。
 銀行に出る人と許り聞いて來たのであるが、お定は銀行の何ものなるも知らぬ。其旦那樣はまだお歸りにならぬといふ事で、五歳(いつゝ)許りの、眼のキョロ/\した男の兒が、奧樣の傍に横になつて、何やら繪のかいてある雜誌を見つゝ、時々不思議相にお定を見てゐた。
 奧樣は、源助を送り出すと、其儘手づから洋燈を持つて、家の中の部屋々々をお定に案内して呉れたのであつた。玄關の障子を開けると三疊、横に六疊間、奧が此八疊間、其奧にも一つ六疊間があつて主人夫婦の寢室になつてゐる。臺所の横は、お定の室と名指された四疊の細長い室で、二階の八疊は主人の書齋である。
 さて、奧樣は、眞白な左の腕を見せて、長火鉢の縁(ふち)に臂(ひぢ)を突き乍ら、お定のために明日からの日課となるべき事を細々と説くのであつた。何處の戸を一番先に開けて、何處の室の掃除は朝飯過で可いか。來客のある時の取次の仕方から、下駄靴の揃へ樣、御用聞に來る小僧等への應對の仕方まで、艶のない聲に諄々と喋り續けるのであるが、お定には僅かに要領だけ聞きとれたに過ぎぬ。
 其處へ旦那樣がお歸りになると、奧樣は座を讓つて、反對の側の、先刻まで源助の坐つた座蒲團に移つたが、
『貴郎(あなた)、今日は大層遲かつたぢやございませんか?』
『ああ、今日は重役の鈴木ン許(とこ)に□つたもんだからな。(と言つてお定の顏を見てゐたが、)これか、今度の女中は?』
『ええ、先刻菊坂の理髮店(とこや)だつてのが伴れて來ましたの。(お定を向いて)此方が旦那樣だから御挨拶しな』
『ハ。』と口の中で答へたお定は、先刻からもう其挨拶に困つて了つて、肩をすぼめて切ない思ひをしてゐたので、恁(か)ういはれると忽ち火の樣に赤くなつた。
『何卒(どうか)ハ、お頼申(たのまを)します。』と、聞えぬ程に言つて、兩手を突く。旦那樣は、三十の上を二つ三つ越した髭の嚴しい立派な人であつた。
『名前は?』
といふを冒頭(はじめ)に、年も訊かれた、郷里も訊かれた、兩親のあるか無いかも訊かれた。學校へ上つたか怎(どう)かも訊かれた。お定は言葉に窮(こま)つて了つて、一言言はれる毎に穴あらば入りたくなる。足が耐へられぬ程痲痺(しび)れて來た。
 稍あつてから、『今晩は何もしなくても可(い)いから、先刻(さつき)教へたアノ洋燈(ランプ)をつけて、四疊に行つてお寢(やす)み。蒲團は其處の押入に入つてある筈だし、それから、まだ慣れぬうちは夜中に目をさまして便所にでもゆく時、戸惑ひしては不可(いけない)から、洋燈は細めて危なくない所に置いたら可いだらう。』と言ふ許可(ゆるし)が出て、奧樣から燐寸(マツチ)を渡された時、お定は甚□(どんな)に嬉しかつたか知れぬ。
 言はれた通りに四疊へ行くと、お定は先づ兩脚を延ばして、膝頭を輕く拳(こぶし)で叩いて見た。一方に障子二枚の明りとり、晝はさぞ暗い事であらう。窓と反對の、奧の方の押入を開けると、蒲團もあれば枕もある。妙な臭氣が鼻を打つた。
 お定は其處に膝をついて、開けた襖に[#「に」は底本では「を」]片手をかけた儘一時間許りも身動きをしなかつた。先づ明日の朝自分の爲(せ)ねばならぬ事を胸に數へたが、お八重さんが今頃怎(どう)してる事かと、友の身が思はれる。郷里(くに)を出て以來、片時も離れなかつた友と別れて、源助にもお吉にも離れて、ああ、自分は今初めて一人になつたと思ふと、温なしい娘心はもう涙ぐまれる。東京の女中! 郷里(くに)で考へた時は何ともいへぬ華やかな樂しいものであつたに、……然(さ)ういへば自分はまだ手紙も一本郷里へ出さぬ。と思ふと、兩親の顏や弟共の聲、馬の事、友達の事、草苅の事、水汲の事、生れ故郷が詳らかに思出されて、お定は凝(ぢつ)と涙の目を押瞑(おしつむ)つた儘、『阿母(あツぱあ)、許してけろ。』と胸の中で繰返した。
 左(さ)う右(か)うしてるうちにも、神經が鋭くなつて、壁の彼方から聞える主人夫婦の聲に、若しや自分の事を言やせぬかと氣をつけてゐたが、時計が十時を打つと、皆寢て了つた樣だ。お定は若しも明朝寢坊をしてはと、漸々(やう/\)涙を拭つて蒲團を取出した。
 三分心の置洋燈を細めて、枕に就くと、氣が少し暢然(ゆつたり)した。お八重さんももう寢たらうかと、又しても友の上を思出して、手を伸べて掛蒲團を引張ると、何となくフワリとして綿が柔かい。郷里で着て寢たのは、板の樣に薄く堅い、荒い木綿の飛白(かすり)の皮をかけたのであつたが、これは又源助の家で着たのよりも柔かい。そして、前にゐた幾人の女中の汗やら髮の膩(あぶら)やらが浸みてるけれども、お定には初めての、黒い天鵞絨の襟がかけてあつた。お定は不圖、丑之助がよく自分の頬片(ほつぺた)を天鵞絨の樣だと言つた事を思出した。
 また降り出したと見えて、蕭かな雨の音が枕に傳はつて來た。お定は暫時(しばらく)恍乎(ぼんやり)として、自分の頬を天鵞絨の襟に擦つて見てゐたが、幽かな微笑を口元に漂はせた儘で、何時しか安らかな眠に入つて了つた。

      一〇

 目が覺めると、障子が既に白んで、枕邊の洋燈は昨晩の儘に點いてはゐるけれど、光が鈍く※々(じゝ)[#「虫+慈」、196-上-20]と幽かな音を立ててゐる。寢過しはしないかと狼狽(うろた)へて、すぐ寢床から飛起きたが、誰も起きた樣子がない。で、昨日まで着てゐた衣服(きもの)は手早く疊んで、萠黄の風呂敷包から、荒い縞の普通着(ふだんぎ)(郷里(くに)では無論普通に着なかつたが)を出して着換へた。帶も紫がかつた繻子ののは疊んで、幅狹い唐縮緬を締めた。
 奧樣が起きて來る氣色がしたので、大急ぎに蒲團[#「蒲團」は底本では「薄團」]を押入に入れ、劃(しきり)の障子をあけると、『早いね。』と奧樣が聲をかけた。お定は臺所の板の間に膝をついてお叩頭(じぎ)をした。
 それからお定は吩咐(いひつけ)に隨つて、焜爐(こんろ)に炭を入れて、石油を注いで火をおこしたり、縁側の雨戸を繰つたりしたが、
『まだ水を汲んでないぢやないか。』
と言はれて、臺所中見□したけれども、手桶らしいものが無い。すると奧樣は、
『それ其處にバケツがあるよ。それ、それ、何處を見てるだらう、此人は。』と言つて、三和土(たゝき)になつた流場の隅を指した。お定は、指された物を自分で指して、叱られたと思つたから顏を赤くしながら、
『これでごあんすか?』と奧樣の顏を見た。バケツといふ物は見た事がないので。
『然うとも。それがバケツでなくて何ですよ。』と稍御機嫌が惡い。
 お定は、怎□物に水を汲むのだもの、俺には解る筈がないと考へた。
 此家では、『水道』が流場の隅にあつた。
 長火鉢の鐵瓶の水を代へたり、方々雜布を掛けさせられたりしてから、お定は小路を出て一町程行つた所の八百屋に使ひに遣られた。奧樣は葱とキヤベーヂを一個買つて來いといふのであつたが、キヤベーヂとは何の事か解らぬ。で、恐る/\聞いて見ると、『それ恁□(こんな)ので(と兩手で圓を作つて)白い葉が堅く重なつてるのさ。お前の郷里(くに)にや無いのかえ。』と言はれた。でお定は、
『ハア、玉菜でごあんすか。』と言ふと、
『名は怎(どう)でも可(い)いから早く買つて來なよ。』と急(せ)き立てられる。お定はまた顏を染めて戸外へ出た。
 八百屋の店には、朝市へ買出しに行つた車がまだ歸つて來ないので、昨日の賣殘りが四種五種列べてあるに過ぎなかつたが、然しお定は、其前に立つと、妙な心地になつた。何とやらいふ菜に茄子が十許り、脹切(はちき)れさうによく出來た玉菜(キャベーヂ)が五個六個(いつゝむつゝ)、それだけではあるけれ共、野良育ちのお定には此上なく慕かしい野菜の香が、仄かに胸を爽(さわや)かにする。お定は、露を帶びた裏畑を頭に描き出した。ああ、あの紫色の茄子の畝(うね)! 這ひ蔓(はびこ)つた葉に地面を隱した瓜畑! 水の樣な曉の光に風も立たず、一夜さを鳴き細つた蟲の聲!
 萎びた黒繻子の帶を、ダラシなく尻に垂れた内儀(おかみ)に、『入來(いらつ)しやい。』と聲をかけられたお定は、もうキヤベーヂといふ語を忘れてゐたので、唯『それを』と指さした。葱は生憎(あひにく)一把もなかつた。
 風呂敷に包んだ玉菜一個を、お定は大事相に胸に抱いて、仍且(やはり)郷里(くに)の事を思ひながら主家に歸つた。勝手口から入ると、奧樣が見えぬ。お定は密(こつそ)りと玉菜を出して、膝の上に載せた儘、暫時(しばし)は飽かずも其香を嗅いでゐた。
『何してるだらう、お定は?』と、直ぐ背後(うしろ)から聲をかけられた時の不愍(きまりわる)さ!

 朝餐後の始末を兎に角終つて、旦那樣のお出懸に知らぬ振をして出て來なかつたと奧樣に小言を言はれたお定は、午前十時頃、何を考へるでもなく呆然(ぼんやり)と、臺所の中央(まんなか)に立つてゐた。
 と、他所行の衣服を着たお吉が勝手口から入つて來たので、お定は懷かしさに我を忘れて、『やあ』と聲を出した。お吉は些(ちよつ)と笑顏を作つたが、
『まあ大變な事になつたよ、お定さん。』
『怎(どう)したべす?』
『怎したも恁うしたも、お郷里(くに)からお前さん達の迎へが來たよ。』
『迎へがすか?』と驚いたお定の顏には、お吉の想像して來たと反對に、何ともいへぬ嬉しさが輝いた。
 お吉は暫時(しばらく)呆れた樣にお定の顏を見てゐたが、『奧樣は被居(いらつ)しやるだらう、お定さん。』
 お定は頷(うなづ)いて障子の彼方を指した。
『奧樣にお話して、これから直ぐお前さんを伴(つ)れてかなけやならないのさ。』
 お吉は、お定に取次を頼むも面倒といつた樣に、自分で障子に手をかけて、『御免下さいまし。』と言つた儘、中に入つて行つた。お定は臺所に立つたり、右手を胸にあてて奧樣とお吉の話を洩れ聞いてゐた。
 お吉の言ふ所では、迎への人が今朝着いたといふ事で、昨日上げた許りなのに誠に申譯がないけれど、これから直ぐお定を歸してやつて呉れと、言葉滑(なめ)らかに願つてゐた。
『それはもう、然(さ)ういふ事情なれば、此方で置きたいと言つたつて仕樣がない事だし、伴れて歸つても構ひませんけれど、』と奧樣は言つて、『だけどね、漸(や)つと昨晩(ゆうべ)來た許りで、まだ一晝夜にも成らないぢやないかねえ。』
『其處ン所は何ともお申譯がございませんのですが、何分手前共でも迎への人が來ようなどとは、些(ちつ)とも思懸けませんでしたので。』
『それはまあ仕方がありませんさ。だが、郷里(くに)といつても隨分遠い所でせう?』
『ええ、ええ、それはもう遙(ずつ)と遠方で、南部の鐵瓶を拵へる處よりも、まだ餘程田舍なさうでございます。』
『其□(そんな)處からまあ、よくねえ。』と言つて、『お定や、お定や。』
 お定は、怎(どう)やら奧樣に濟まぬ樣な氣がするので、怖る怖る行つて坐ると、お前も聞いた樣な事情だから、まだ一晝夜にも成らぬのにお前も本意(ほんい)ないだらうけれども、この内儀(おかみ)さんと一緒に歸つたら可(よ)からうと言ふ奧樣の話で、お定は唯顏を赤くして堅くなつて聞いてゐたが、軈てお吉に促されて、言葉寡(ことばすくな)に禮を述べて其家を出た。
 戸外(おもて)へ出ると、お定は直ぐ、
『甚□(どんな)人だべ、お内儀(かみ)さん!』と訊いた。
『いけ好かない奧樣だね。』と言つたが、『迎への人かえ? 何とか言つたけ、それ、忠吉さんとか忠次郎さんとかいふ、禿頭(はげあたま)の腹の大(でつ)かい人だよ。』
『忠太ツて言ふべす、そだら。』
『然(さ)う/\其忠太さんさ。面白い言葉な人だねえ。』と言つたが、『來なくても可いのに、お前さん達許り詰らないやね、態々(わざ/\)出て來て直ぐ伴れて歸られるなんか。』
『眞(ほん)に然(さ)うでごあんす。』と、お定は口を噤んで了つた。
 稍あつてから又、『お八重さんは怎(どう)したべす?』と訊いた。
『お八重さんには新太郎が迎ひに行つたのさ。』
 源助の家へ歸ると、お八重はまだ歸つてゐなかつたが、腰までしか無い短い羽織を着た、布袋の樣に肥つた忠太爺が、長火鉢に源助と向合つてゐて、お定を見るや否や、突然(いきなり)、
『七日八日見ねえでる間(うち)に、お定ツ子ア遙(ぐつ)と美(え)え女子(をなご)になつた喃(なあ)。』と四邊(あたり)構はず高い聲で笑つた。
 お定は路々、郷里から迎ひが來たといふのが嬉しい樣な、また、其人が自分の嫌ひな忠太と訊いて不滿な樣な心地もしてゐたのであるが、生れてから十九の今まで毎日々々慣れた郷里言葉(くにことば)を其儘に聞くと、もう胸の底には不滿も何も消えて了つた。
 で、忠太は先ず、二人が東京へ逃げたと知れた時に、村では兩親初め甚□(どんな)に驚かされたかを語つた。源助さんの世話になつてるなれば心配はない樣なものの、親心といふものは又別なもの、自分も今は忙がしい盛りだけれど、強(たつ)ての頼みを辭(こば)み難く、態々(わざ/\)迎ひに來たと語るのであつたが、然し一言もお定に對して小言がましい事は言はなかつた。何故なれば忠太は其實、矢張源助の話を聞いて以來、死ぬまでに是非共一度は東京見物に行きたいものと、家には働手が多勢ゐて自分は閑人なところから、毎日考へてゐた所へ、幸ひと二人の問題が起つたので、構はずにや置かれぬから何なら自分が行つて呉れても可いと、不取敢氣の小さい兼大工を説き落し、兼と二人でお定の家へ行つて、同じ事を遠□しに諄々(くどくど)と喋り立てたのであるが、母親は流石に涙顏をしてゐたけれども、定次郎は別に娘の行末を悲觀してはゐなかつた。それを漸々(やう/\)納得(なつとく)させて、二人の歸りの汽車賃と、自分のは片道だけで可いといふので、兼から七圓に定次郎から五圓、先づ體の可い官費旅行の東京見物を企てたのであつた。
 軈てお八重も新太郎に伴れられて歸つて來たが、坐るや否や先づ險(けは)しい眼尻を一層險しくして、凝(ぢつ)と忠太の顏を睨むのであつた。忠太は、お定に言つたと同じ樣な事を、繰返してお八重にも語つたが、お八重は返事も碌々(ろく/\)せず、脹(ふく)れた顏をしてゐた。
 源助の忠太に對する驩待振(くわんたいぶり)は、二人が驚く許り奢(おご)つたものであつた。無論これは、村の人達に傳へて貰ひたい許りに、少しは無理までして外見(みえ)を飾つたのであるが。
 其夜は、裏二階の六疊に忠太とお八重お定の三人枕を並べて寢せられたが、三人限(きり)になると、お八重は直ぐ忠太の膝をつねりながら、
『何しや來たす此人(このふと)ア。』と言つて、執念(しつこ)くも自分等の新運命を頓挫させた罪を詰(なぢ)るのであつたが、晩酌に陶然とした忠太は、間もなく高い鼾をかいて、太平の眠に入つて了つた。するとお八重は、お定の温しくしてるのを捉へて、自分の行つた横山樣が、何とかいふ學校の先生をして、四十圓も月給をとる學士樣な事や、其奧樣の着てゐた衣服の事、自分を大層可愛がつてくれた事、それからそれと仰々しく述べ立てて、今度は仕方がないから歸るけれど、必ず又自分だけは東京に來ると語つた。そしてお八重は、其奧樣のお好みで結はせられたと言つて、生れて初めての庇髮に結つてゐて、奧樣から拜領の、少し油染みた焦橄欖(こげおりいぶ)のリボンを大事相に挿(さ)してゐた。
 お八重は又自分を迎ひに來て呉れた時の新太郎の事を語つて、『那□(あんな)親切な人ア家(え)の方にや無(ね)えす。』と讃めた。
 お定はお八重の言ふが儘に、唯温しく返事をしてゐた。
 その後二三日は、新太郎の案内で、忠太の東京見物に費された。お八重お定の二人も、もう仲々來られぬだらうから、よく見て行けと言ふので、毎日其お伴をした。 
 二人は又、お吉に伴れられて行つて、本郷館で些少な土産物をも買ひ整へた。

      一一

 お八重お定の二人が、郷里を出て十二日目の夕、忠太に伴れられて、上野のステイションから歸郷の途に就いた。
 貫通車の三等室、東京以北の總有(あらゆる)國々の訛(なまり)を語る人々を、ぎつしりと詰めた中に、二人は相並んで、布袋の樣な腹をした忠太と向合つてゐた。長い/\プラットフォームに數限りなき掲燈(あかり)が晝の如く輝き初めた時、三人を乘せた列車が緩(ゆる)やかに動き出して、秋の夜の暗を北に一路、刻一刻東京を遠ざかつて行く。
 お八重はいふ迄もなく、お定さへも此時は妙に淋しく名殘惜しくなつて、密々(こそ/\)と其事を語り合つてゐた。此日は二人共庇髮に結つてゐたが、お定の頭にはリボンが無かつた。
 忠太は、棚の上の荷物を氣にして、時々其を見上げ見上げしながら、物珍し相に乘合の人々を、しげしげと見比べてゐたが、一時間許り經(た)つと少し身體を屈めて、
『尻(けつ)ア痛くなつて來た。』と呟やいた。『汝(うな)ア痛くねえが?』
『痛くねえす。』とお定は囁いたが、それでも忠太がまだ何か話欲しさうに屈(かゞ)んでるので、
『家(え)の方でヤ玉菜だの何ア大きくなつたべなす。』
『大きくなつたどもせえ。』と言つた忠太の聲が大きかつたので、周圍(あたり)の人は皆此方を見る。
『汝(うな)ア共ア逃げでがら、まだ二十日にも成んめえな。』
 お定は顏を赤くしてチラと周圍を見たが、その儘返事もせず俯(うつむ)いて了つた。お八重は顏を蹙(しか)めて、忌々し氣に忠太を横目で見てゐた。

 十時頃になると、車中の人は大抵こくり/\と居睡(ゐねむり)を始めた。忠太は思ふ樣腹を前に出して、グッと背後(うしろ)に凭(もた)れながら、口を開けて、時々鼾(いびき)をかいてゐる。お八重は身體を捻つて背中合せに腰掛けた商人體の若い男と、頭を押接(つ)けた儘、眠つたのか眠らぬのか、凝(ぢつ)としてゐる。
 窓の外は、機關車に惡い石炭を焚くので、雨の樣な火の子が横樣に、暗を縫うて後ろに飛ぶ。懷手をして圓い頤(あご)を襟に埋めて俯いてゐるお定は、郷里を逃げ出して以來の事を、それからそれと胸に數へてゐた。お定の胸に刻みつけられた東京は、源助の家と、本郷館の前の人波と、八百屋の店と、への字口の鼻先が下向いた奧樣とである。この四つが、目眩(めまぐ)ろしい火光(あかり)と轟々たる物音に、遠くから包まれて、ハッと明るい。お定が一生の間、東京といふ言葉を聞く毎に、一人胸の中に思出す景色は、恐らく此四つに過ぎぬであらう。
 軈てお定は、懷手した左の指を少し許り襟から現して、柔かい己が頬を密(そつ)と撫(な)でて見た。小野の家で着て寢た蒲團の、天鵞絨の襟を思出したので。
 瞬く間、窓の外が明るくなつたと思ふと、汽車は、とある森の中の小さい驛を通過(パツス)した。お定は此時、丑之助の右の耳朶(みゝたぶ)の、大きい黒子(ほくろ)を思出したのである。

 新太郎と共に、三人を上野まで送つて呉れたお吉は、さぞ今頃、此間中は詰らぬ物入(ものいり)をしたと、寢物語に源助にこぼしてゐる事であらう。




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