雲は天才である
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著者名:石川啄木 

      一

 六月三十日、S――村尋常高等小學校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常(いつも)の如く極めて活氣のない懶(もの)うげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが學校教師の單調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は既(はや)四時近いのであらうか。といふのは、田舍の小學校にはよく有勝(ありがち)な奴で、自分が此學校に勤める樣になつて既に三ヶ月にもなるが、未(いま)だ嘗て此時計がK停車場(ぢやう)の大時計と正確に合つて居た例(ためし)がない、といふ事である。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遲れて居ましたと、土曜日毎に該(がい)停車場から程遠くもあらぬ郷里へ歸省する女教師が云つた。これは、校長閣下自身の辯明によると、何分此校の生徒の大多數が農家の子弟(してい)であるので、時間の正確を守らうとすれば、勢い始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、といふ事であるが、實際は、勤勉なる此邊(このへん)の農家の朝飯は普通の家庭に比して餘程早い。然し同僚の誰(たれ)一人、敢て此時計の怠慢に對して、職務柄にも似合はず何等匡正(きやうせい)の手段を講ずるものはなかつた。誰しも朝の出勤時間の、遲くなるなら格別、一分(ぷん)たりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども實は、幾年來の習慣で朝寢が第二の天性となって居るので……
 午後の三時、規定(おきまり)の授業は一時間前に悉皆(すつかり)終つた。平日(いつも)ならば自分は今正に高等科の教壇に立つて、課外二時間の授業最中であるべきであるが、この日は校長から、お互月末の調査(しらべ)もあるし、それに今日は妻(さい)が頭痛でヒドク弱つてるから可成(なるべく)早く生徒を歸らしたい、課外は休んで貰へまいかという話、といふのは、破格な次第ではあるが此校長の一家四人――妻と子供二人と――は、既に久しく學校の宿直室を自分等の家として居るので、村費で雇はれた小使が襁褓(おしめ)の洗濯まで其職務中に加へられ、牝鷄(ひんけい)常に曉を報ずるといふ内情は、自分もよく知つて居る。何んでも妻君の顏色の曇つた日は、この一校の長たる人の生徒を遇する極めて酷だ、などいふ噂もある位、推して知るべしである。自分は舌の根まで込み上げて來た不快を辛くも噛み殺して、今日は餘儀なく課外を休んだ。一體自分は尋常科二年受持の代用教員で、月給は大枚金八圓也、毎月正に難有(ありがたく)頂戴して居る。それに受持以外に課外二時間宛(づゝ)と來ては、他目(よそめ)には勞力に伴(ともな)はない報酬、否、報酬に伴はない勞力とも見えやうが、自分は露聊(つゆいさゝ)かこれに不平は抱いて居ない。何故なれば、この課外教授といふのは、自分が抑々生れて初めて教鞭をとつて、此校の職員室に末席を涜(けが)すやうになつての一週間目、生徒の希望を容れて、といふよりは寧ろ自分の方が生徒以上に希望して開いたので、初等の英語と外國歴史の大體とを一時間宛とは表面だけの事、實際は、自分の有つて居る一切の知識、(知識といつても無論貧少なものであるが、自分は、然し、自ら日本一の代用教員を以て任じて居る。)一切の不平、一切の經驗、一切の思想――つまり一切の精神が、この二時間のうちに、機を覗ひ時を待つて、吾が舌端より火箭(くわせん)となつて迸しる。的(まと)なきに箭(や)を放つのではない。男といはず女といはず、既に十三、十四、十五、十六、といふ年齡の五十幾人のうら若い胸、それが乃(すなは)ち火を待つばかりに紅血(こうけつ)の油を盛つた青春の火盞(ひざら)ではないか。火箭が飛ぶ、火が油に移る、嗚呼そのハッ/\と燃え初(そ)むる人生の烽火(のろし)の煙の香ひ! 英語が話せれば世界中何處へでも行くに不便はない。ただこの平凡な一句でも自分には百萬の火箭を放つべき堅固な弦(つる)だ。昔希臘(ギリシヤ)といふ國があつた。基督が磔刑(はりつけ)にされた。人は生れた時何物をも持つて居ないが精神だけは持つて居る。羅馬は一都府の名で、また昔は世界の名であつた。ルーソーは歐羅巴中に響く喇叭を吹いた。コルシカ島はナポレオンの生れた處だ。バイロンといふ人があつた。トルストイは生きて居る。ゴルキーが以前放浪者(ごろつき)で、今肺病患者である。露西亞は日本より豪い。我々はまだ年が若い。血のない人間は何處に居るか。……ああ、一切の問題が皆火の種だ。自分も火だ。五十幾つの胸にも火事が始まる。四間に五間の教場は宛然(さながら)熱火の洪水だ。自分の骨(ほね)露(あら)はに痩せた拳が礑(はた)と卓子(テーブル)を打つ。と、躍り上るものがある、手を振るものがある。萬歳と叫ぶものがある。完(まつ)たく一種の暴動だ。自分の眼瞼(まぶた)から感激の涙が一滴溢れるや最後、其處にも此處にも聲を擧げて泣く者、上氣して顏が火と燃え、聲も得(え)出(だ)さで革命の神の石像の樣に突立つ者、さながら之れ一幅(ぷく)生命反亂の活畫圖(くわつぐわづ)が現はれる。涙は水ではない、心の幹をしぼつた樹脂(やに)である、油である。火が愈々燃え擴がる許りだ。『千九百○六年……此年○月○日、S――村尋常高等小學校内の一教場に暴動起る』と後世の世界史が、よしや記(しる)さぬまでも、この一場の恐るべき光景は、自分並びに五十幾人のジャコビン黨の胸板には、恐らく「時」の破壞の激浪も消し難き永久不磨の金字で描かれるであらう。疑ひもなく此二時間は、自分が一日二十四時間千四百四十分の内、最も得意な、愉快な、幸福な時間で、大方自分が日々この學校の門を出入する意義も、全くこの課外教授がある爲めであるらしい。然し乍ら此日六月三十日、完全なる『教育』の模型として、既に十幾年の間身を教育勅語の御前に捧げ、口に忠信孝悌の語を繰返す事正に一千萬遍、其思想や穩健にして中正、其風采や質樸無難にして具さに平凡の極致に達し、平和を愛し温順を尚ぶの美徳餘つて、妻君の尻の下に布かるゝをも敢て恥辱とせざる程の忍耐力あり、現に今このS――村に於ては、毎月十八圓といふ村内最高額の俸給を受け給ふ――田島校長閣下の一言によつて、自分は不本意乍ら其授業を休み、間接には馬鈴薯に目鼻よろしくといふマダム田島の御機嫌をとつた事になる不面目を施し、退いて職員室の一隅に、兒童出席簿と睨み合をし乍ら算盤(そろばん)の珠をさしたり減(ひ)いたり、過去一ヶ月間に於ける兒童各自の出缺席から、其總數、其歩合を計算して、明日は痩犬の樣な俗吏の手に渡さるべき所謂月表なるものを作らねばならぬ。それのみなら未(ま)だしも、成績の調査、缺席の事由、食料携帶の状況、學用品供給の模樣など、名目は立派でも殆んど無意義な仕事が少なからずあるのである。茲に於て自分は感じた、地獄極樂は決して宗教家の方便ではない、實際我等の此の世界に現存して居るものである、と。さうだ、この日の自分は明らかに校長閣下の一言によつて、極樂へ行く途中から、正確なるべき時間迄が娑婆の時計と一時間も相違のある此の蒸(む)し熱(あつ)き地獄に墮(おと)されたのである。算盤の珠のパチ/\/\といふ音、これが乃ち取りも直さず、中世紀末の大冒險家、地極煉獄天國の三界を跨(また)にかけたダンテ・アリギエリでさへ、聞いては流石に膽(きも)を冷した『パペ、サタン、パペ、サタン、アレッペ』といふ奈落の底の聲ではないか。自分は實際、この計算と來ると、吝嗇(しみつたれ)な金持の爺が己の財産を勘定して見る時の樣に、ニコ/\ものでは兎(と)ても行(や)れないのである。極樂から地獄! この永劫の宣告を下したものは誰か、抑々誰か。曰く、校長だ。自分は此日程此校長の顏に表れて居る醜惡と缺點とを精密に見極めた事はない。第一に其鼻下の八字髯が極めて光澤が無い、これは其人物に一分一厘の活氣もない證據だ。そして其髯が鰻のそれの如く兩端遙かに□(あご)の方面に垂下して居る、恐らく向上といふ事を忘却した精神の象徴はこれであらう。亡國の髯だ、朝鮮人と昔の漢學の先生と今の學校教師にのみあるべき髯だ、黒子(ほくろ)が總計三箇ある、就中大きいのが左の目の下に不吉の星の如く、如何にも目障(めざは)りだ。これは俗に泣黒子(なきぼくろ)と云つて、幸にも自分の一族、乃至は平生畏敬して居る人々の顏立(かほだち)には、ついぞ見當らぬ道具である。宜(むべ)なる哉、この男、どうせ將來好い目に逢ふ氣づかひが無いのだもの。……數へ來れば幾等もあるが、結句、田島校長=0[#「田島校長=0」は横書き]という結論に歸着した。詰り、一毫の微(び)と雖ども自分の氣に合ふ點がなかつたのである。
 この不法なるクーデターの顛末(てんまつ)が、自分の口から、生徒控處の一隅で、殘りなく我がジャコビン黨全員の耳に達せられた時、一團の暗雲あつて忽ちに五十幾個の若々しき天眞の顏を覆うた。樂園の光明門を閉ざす鉛色の雲霧である。明らかに彼等は、自分と同じ不快、不平を一喫したのである。無論自分は、かの妻君の頭痛一件まで持ち出したのではない、が、自分の言葉の終るや否や、或者はドンと一つ床を蹴つて一喝した、『校長馬鹿ツ。』更に他の聲が續いた、『鰻ツ。』『蒲燒にするぞツ。』最後に『チェースト』と極めて陳腐な奇聲を放つて相和した奴もあつた。自分は一盻(げい)の微笑を彼等に注ぎかけて、靜かに歩みを地獄の門に向けた。軈て十五歩も歩んだ時、急に後(うしろ)の騷ぎが止(や)んだ、と思ふと、『ワン、ツー、スリー、泥鰻(どろうなぎ)――』と、校舍も爲めに動く許りの鬨の聲、中には絹裂く樣な鋭どい女生徒の聲も確かに交つて居る。餘りの事に振向いて見た、が、此時は既に此等革命の健兒の半數以上は生徒昇降口から風に狂ふ木の葉の如く戸外へ飛び出した所であつた。恐らく今日も門前に遊んで居る校長の子供の小さい頭には、時ならぬ拳(こぶし)の雨の降つた事であらう。然し控處にはまだ空しく歸りかねて殘つた者がある。機會を見計つて自分に何か特にお話を請求しようといふ執心の輩(てあひ)、髮長き兒も二人三人見える、――總て十一二人。小使の次男なのと、女教師の下宿して居る家の兒と、(共に其縁故によつて、校長閣下から多少大目に見られて居る)この二人は自分の跡から尾(つ)いて來たまゝ、先刻(さつき)からこの地獄の入口に門番の如く立つて、中の樣子を看守して居る。
 入口といふのは、紙の破れた障子二枚によつて此室と生徒控處とを區別したもので、校門から眞直の玄關を上ると、すぐ左である。この入口から、我が當面の地獄、――天井の極く低い、十疊敷位の、汚點(しみ)だらけな壁も、古風な小形の窓も、年代の故(せゐ)で歪(ゆが)んだ皮椅子も皆一種人生の倦怠を表はして居る職員室に這入ると、向つて凹字形に都合四脚の卓子(テーブル)が置かれてある。突當りの並んだ二脚の、右が校長閣下の席で、左は檢定試驗上りの古手の首座訓導、校長の傍が自分で、向ひ合つての一脚が女教師のである。吾校の職員と云へば唯この四人だけ、自分が其内最も末席なは云ふ迄もない。よし百人の職員があるにしても代用教員は常に末席を仰せ付かる性質のものであるのだ。御規則とは隨分陳腐な洒落(しやれ)である。サテ、自分の後は直ちに障子一重で宿直室になつて居る。
 此職員室の、女教師の背なる壁の掛時計が懶うげなる悲鳴をあげて午後三時を報じた時、其時四人の職員は皆各自の卓子に相割據して居た。――卓子は互に密接して居るものの、此時の状態は確かに一の割據時代を現出して居たので。――二三十分も續いた『パペ、サタン、アレッペ』といふ苦しげなる聲は、三四分前に至つて、足音に驚いて卒(には)かに啼き止む小田の蛙の歌の如く、礑と許り止んだ。と同時に、(老いたる尊とき導師は震(わな)なくダンテの手をひいて、更に他の修羅圈内に進んだのであらう。)新らしき一陣の殺氣颯(さつ)と面(おもて)を打つて、別箇の光景をこの室内に描き出したのである。
 詳しく説明すれば、實に詰らぬ話であるが、問題は斯うである。二三日以前、自分は不圖した轉機(はずみ)から思附いて、このS――村小學校の生徒をして日常朗唱せしむべき、云はゞ校歌といつた樣な性質の一歌詞を作り、そして作曲した。作曲して見たのが此時、自分が呱々の聲をあげて以來二十一年、實際初めてゞあるに關らず、恥かし乍ら自白すると、出來上つたのを聲の透る我が妻に歌はせて聞いた時の感じでは、少々巧い、と思はれた。今でもさう思つて居るが……。妻からも賞められた。その夜遊びに來た二三の生徒に、自分でヰオリンを彈き乍ら教へたら、矢張賞めてくれた、然も非常に面白い、これからは毎日歌ひますと云つて。歌詞は六行一聯の六聯で、曲の方はハ調四分の二拍子、それが最後の二行が四分の三拍子に變る。斯う變るので一段と面白いのですよ、と我が妻は云ふ。イヤ、それはそれとして、兎も角も自分はこれに就いて一點疚(やま)しい處のないのは明白な事實だ。作歌作曲は決して盜人、僞善者、乃至一切破廉恥漢の行爲と同一視さるべきではない。マサカ代用教員如きに作曲などをする資格がないといふ規定もない筈だ。して見ると、自分は不相變(あひかはらず)正々堂々たるものである、俯仰して天地に恥づる所なき大丈夫である。所が、豈(あに)曷(いづく)んぞ圖らんや、この堂々として赤裸々たる處が却つて敵をして矢を放たしむる的となつた所以であつたのだ。ト何も大袈裟に云ふ必要もないが、其歌を自分の教へてやつた生徒は其夜僅か三人(名前も明らかに記憶して居る)に過ぎなかつたが、何んでもジャコビン黨員の胸には皆同じ色――若き生命の淺緑と湧き立つ春の泉の血の色との火が燃えて居て、脣が皆一樣に乾いて居る爲めに野火の移りの早かつたものか、一日二日と見る/\うちに傳唱されて、今日は早や、多少調子の違つた處のないでもないが、高等科生徒の殆んど三分の二、イヤ五分の四迄は確かに知つて居る。晝休みの際などは、誰先立つとなく運動場に一蛇(だ)のポロテージ行進が始つて居た。彼是(かれこれ)百人近くはあつたらう、尤も野次馬の一群も立交つて居たが、口々に歌つて居るのが乃ち斯く申す新田耕助先生新作の校友歌であつたのである。然し何も自分の作つたものが大勢に歌はれたからと云つて、決して恥でもない、罪でもない、寧ろ愉快なものだ、得意なものだ。現に其行進を見た時は、自分も何だか氣が浮立つて、身體中何處か斯う擽られる樣で、僅か五分間許りではあるが、自分も其行進列中の一人と迄なつて見た位である。……問題の鍵は以後(これから)である。
 午後三時前三――四分、今迄矢張り不器用な指を算盤の上に躍らせて、『パペ、サタン、パペ、サタン』を繰返して居た校長田島金藏氏は、今しも出席簿の方の計算を終つたと見えて、やをら頭を擡げて煙管(きせる)を手に持つた。ポンと卓子(テーブル)の縁(ふち)を敲(たた)く、トタンに、何とも名状し難い、狸の難産の樣な、水道の栓から草鞋でも飛び出しさうな、――も少し適切に云ふと、隣家の豚が夏の眞中に感冒(かぜ)をひいた樣な奇響――敢て、響といふ――が、恐らく仔細に分析して見たら出損なつた咳の一種でゞもあらうか、彼の巨大なる喉佛の邊から鳴つた。次いで復(また)幽かなのが一つ。もうこれ丈けかと思ひ乍ら自分は此時算盤の上に現はれた八四・七九という數を月表の出席歩合男の部へ記入しようと、筆の穗を一寸噛んだ。此刹那、沈痛なる事晝寢の夢の中で去年死んだ黒猫の幽靈の出た樣な聲あつて、
『新田さん。』
と呼んだ。校長閣下の御聲掛りである。
 自分はヒョイと顏を上げた。と同時に、他の二人――首座と女教師も顏を上げた。此一瞬からである、『パペ、サタン、パペ、サタン、アレッペ』の聲の礑(はた)と許り聞えずなつたのは。女教師は默つて校長の顏を見て居る。首席訓導はグイと身體をもぢつて、煙草を吸ふ準備をする。何か心に待構へて居るらしい。然り、この僅か三秒の沈默の後には、近頃珍らしい嵐が吹き出したのだもの。
『新田さん。』と校長は再び自分を呼んだ。餘程嚴格な態度を裝うて居るらしい。然しお氣の毒な事には、平凡と醜惡とを「教育者」といふ型に入れて鑄出した此人相には、最早他の何等の表情をも容るべき空虚がないのである。誠に完全な「無意義」である。若し強いて嚴格な態度でも裝はうとするや最後、其結果は唯對手をして一種の滑稽と輕量な憐愍の情とを起させる丈だ。然し當人は無論一切御存じなし、破鐘の欠伸(あくび)する樣な訥辯は一歩を進めた。『貴男(あなた)に少しお聞き申したい事がありますがナ。エート、生命(いのち)の森の……。何でしたつけナ、初の句は?(と首座訓導を見る、首座は、甚だ迷惑といふ風で默つて下を見た。)ウン、左樣々々、春まだ淺く月若き、生命(いのち)の森の夜の香に、あくがれ出でて、……とかいふアノ唱歌ですて。アレは、新田さん、貴男(あなた)が祕(ひそ)かに作つて生徒に歌はせたのだと云ふ事ですが、眞實(ほんと)ですか。』
『嘘です。歌も曲も私の作つたには相違ありませぬが、祕かに作つたといふのは嘘です。蔭仕事は嫌ひですからナ』
『デモさういふ事でしたつけね、古山さん先刻(さつき)の御話では。』と再び隣席の首座訓導を顧みる。
 古山の顏には、またしても迷惑の雲が懸つた。矢張り默つた儘で、一閃(せん)の偸視(ぬすみみ)を自分に注いで、煙を鼻からフウと出す。
 此光景を目撃して、ハヽア、然うだ、と自分は早や一切を直覺した。かの正々堂々赤裸々として俯仰天地に恥づるなき我が歌に就いて、今自分に持ち出さんとして居る抗議は、蓋し泥鰻金藏閣下一人の頭腦から割出したものではない。完(まつ)たく古山と合議の結果だ。或は古山の方が當の發頭人であるかも知れない。イヤ然うあるべきだ、この校長一人丈けでは、如何(どう)して這□(こんな)元氣の出る筈が無いのだもの。一體この古山といふのは、此村土着の者であるから、既に十年の餘も斯うして此學校に居る事が出來たのだ。四十の坂を越して矢張五年前と同じく十三圓で滿足して居るのでも、意氣地のない奴だといふ事が解る。夫婦喧嘩で有名な男で、(此點は校長に比して稍々温順の美徳を缺いて居る。)話題と云へば、何日(いつ)でも酒と、若い時の經驗談とやらの女話、それにモ一つは釣道樂、と之れだけである。最もこの釣道樂だけは、この村で屈指なもので、既に名人の域に入つて居ると自身も信じ人も許して居る。隨つて主義も主張もない、(昔から釣の名人になるやうな男は主義も主張も持つてないと相場が極つて居る。)隨つて當年二十一歳の自分と話が合はない。自分から云はせると、校長と謂ひ此男と謂ひ、營養不足で天然に立枯になつた朴(ほう)の木の樣なもので、松なら枯れても枝振(えだぶり)といふ事もあるが、何の風情もない。彼等と自分とは、毎日吸ふ煙草までが違つて居る。彼等の吸ふのは枯れた橡(とち)の葉の粉だ、辛くもないが甘くもない、香もない。自分のは、五匁三錢の安物かも知れないが、兎に角正眞正銘の煙草である。香の強い、辛い所に甘い所のある、眞の活々した人生の煙だ。リリーを一本吸うたら目が□つて來ましたつけ、と何日か古山の云うたのは、蓋し實際であらう。斯くの如くして、自分は常に職員室の異分子である。繼(まま)ツ子である、平和の攪亂者と目されて居る。若し此小天地の中に自分の話相手になる人を求むれば、それは實に女教師一人のみだ。芳紀やゝ過ぎて今年正に二十四歳、自分には三歳の姉である。それが未(ま)だ、獨身で熱心なクリスチァンで、讃美歌が上手で、新教育を享けて居て、思想が先づ健全で、顏は? 顏は毎日見て居るから別段目にも立たないが、頬は桃色で、髮は赤い、目は年に似はず若々しいが、時々判斷力が閃めく、尋常科一年の受持であるが、誠に善良なナースである。で、大抵自分の云ふ事が解る。理のある所には屹度(きつと)同情する。然し流石に女で、それに稍々思慮が有過(ありす)ぎる傾があるので、今日の樣な場合には、敢て一言も口を出さない。が、其眼球の輕微なる運動は既に十分自分の味方であることを語つて居る。況んや、現に先刻この女が、自分の作つた歌を誰から聞いたものか、低聲に歌つて居たのを、確かに自分は聽いたのだもの。
 さて、自分は此處で、かの歌の如何にして作られ、如何にして傳唱されたかを、詳(つまび)らかに説明した。そして、最後の言葉が自分の脣から出て、校長と首座と女教師と三人六箇の耳に達した時、其時、カーン、カーン、カーン、と掛時計が、懶氣に叫んだのである。突然『アーア』といふ聲が、自分の後(うしろ)、障子の中から起つた。恐らく頭痛で弱つて居るマダム馬鈴薯が、何日もの如く三歳(つ)になる女の兒の帶に一條の紐を結び、其一端を自身の足に繋いで、危い處へやらぬ樣にし、切爐(きりろ)の側に寢そべつて居たのが、今時計の音に眞晝の夢を覺されたのであらう。『アーア』と又聞えた。
 三秒、五秒、十秒、と恐ろしい沈默が續いた。四人の職員は皆各自の卓子に割據して居た。この沈默を破つた一番鎗は古山朴(ほう)の木である。
『其歌は校長さんの御認可を得たのですか。』
『イヤ、決して、斷じて、許可を下した覺えはありませぬ。』と校長は自分の代りに答へて呉れる。
 自分はケロリとして煙管を啣(くは)へ乍ら、幽かな微笑を女教師の方に向いて洩した。古山もまた煙草を吸ひ始める。
 校長は、と見ると、何時の間にか赤くなつて、鼻の上から水蒸氣が立つて居る。『どうも、餘りと云へば自由が過ぎる。新田さんは、それあ新教育も享けてお出でだらうが、どうもその、少々身勝手が過ぎるといふもんで……。』
『さうですか。』
『さうですかツて、それを解らぬ筈はない。一體その、エート、確か本年四月の四日の日だつたと思ふが、私が郡視學さんの平野先生へ御機嫌伺ひに出た時でした。さう、確かに其時です。新田さんの事は郡視學さんからお話があつたもんだで、遂(つい)私も新田さんを此學校に入れた次第で、郡視學さんの手前もあり、今迄は隨分私の方で遠慮もし、寛裕(おほめ)にも見て置いた譯であるが、然し、さう身勝手が過ぎると、私も一校の司配を預かる校長として、』と句を切つて、一寸反り返る。此機を逸(はづ)さず自分は云つた。
『どうぞ御遠慮なく。』
『不埓(ふらち)だ。校長を屁とも思つて居らぬ。』
 この聲は少し高かつた。握つた拳で卓子をドンと打つ、驚いた樣に算盤が床へ落ちて、けたゝましい音を立てた。自分は今迄校長の斯う活氣のある事を知らなかつた。或は自白する如く、今日迄は郡視學の手前遠慮して居たかも知れない。然し彼の云ふ處は實際だ。自分は實際此校長位は屁とも思つて居ないのだもの。この時、後の障子に、サと物音がした。マダム馬鈴薯が這ひ出して來て、樣子如何にと耳を濟まして居るらしい。
『只今伺つて居りました處では、』と白ツぱくれて古山が口を出した、『どうもこれは校長さんの方に理がある樣に、私には思はれますので、然し新田さんも別段お惡い處もない、唯その校歌を自分勝手に作つて、自分勝手に生徒に教へたといふ、つまり、順序を踏まなかつた點が、大に、イヤ、多少間違つて居るのでは有るまいかと、私には思はれます。』
『此學校に校歌といふものがあるのですか。』
『今迄さういふものは有りませんで御座んした。』
『今では?』
 今度は校長が答へた。『現にさう云ふ貴君(あなた)が作つたではないか。』
『問題は其處ですて。私には順序……』
 皆まで云はさず自分は手をあげて古山を制した。
『問題も何も無いぢやないですか。既に私の作つたアレを、貴男方が校歌だと云つてるぢやありませぬか。私はこのS――村尋常高等小學校の校歌を作つた覺えはありませぬ。私はたゞ、この學校の生徒が日夕吟誦しても差支のない樣な、校歌といふやうな性質のものを試みに作つた丈です。それを貴君方が校歌というて居られる。詰り、校歌としてお認め下さるのですな。そこで生徒が皆それを、其校歌を歌ふ。問題も何も有つた話ぢやありますまい。此位天下泰平な事はないでせう。』
 校長と古山は顏を見合せる。女教師の目には滿足した樣な微笑が浮んだ。入口の處には二人の立番の外に、新らしく來たのがある。後の障子が颯と開いて、腰の邊(あたり)に細い紐を卷いたなり、帶も締めず、垢臭い木綿の細かい縞の袷をダラシなく着、胸は露はに、抱いた子に乳房啣(ふくま)せ乍ら、靜々と立現れた化生(けしやう)の者がある。マダム馬鈴薯の御入來だ。袷には黒く汗光りのする繻子の半襟がかゝつてある。如何(どう)考へても、決して餘り有難くない御風體である。針の樣に鋭どく釣上つた眼尻から、チョと自分を睨(にら)んで、校長の直ぐ傍に突立つた。若しも、地獄の底で、白髮茨の如き痩せさらぼひたる斃死の状(さま)の人が、吾兒の骨を諸手(もろて)に握つて、キリ/\/\と噛む音を、現實の世界で目に見る或形にしたら、恐らくそれは此女の自分を一睨した時の目付それであらう。此目付で朝な夕な胸を刺されたる校長閣下の心事も亦、考へれば諒とすべき點のないでもない。
 生ける女神(めがみ)――貧乏の?――は、石像の如く無言で突立つた。やがて電光の如き變化が此室内に起つた。校長は今迄忘れて居た嚴格の態度を再び裝はんとするものの如く、其顏面筋肉の二三ヶ所に、或る運動を與へた。援軍の到來と共に、勇氣を回復したのか、恐怖を感じたのか、それは解らぬが、兎に角或る激しき衝動を心に受けたのであらう。古山も面を上げた。然し、もうダメである。攻勢守勢既に其地を代へた後であるのだもの。自分は敵勢の加はれるに却つて一層勝誇つた樣な感じがした。女教師は、女神を一目見るや否や、譬へ難き不快の霧に清い胸を閉されたと見えて、忽ちに俯いた。見れば、恥辱を感じたのか、氣の毒と思つたのか、それとも怒つたのか、耳の根迄紅くなつて、鉛筆の尖(さき)でコツ/\と卓子(テーブル)を啄(つつ)いて居る。
 古山が先づ口を切つた。『然し、物には總て順序がある。其順序を踏まぬ以上は、……一足飛びに陸軍大將にも成れぬ譯ですて。』成程古今無類の卓説である。
 校長が續いた。『其正當の順序を踏まぬ以上は、たとへ校歌に採用して可いものであつても未だ校歌とは申されない。よし立派な免状を持つて居らぬにしても、身を教育の職に置いて月給迄貰つて居る者が、物の順序を考へぬとは、餘りといへば餘りな事だ。』
 云ひ終つて堅く口を閉ぢる。氣の毒な事に其への字が餘り恰好がよくないので。
 女神の視線が氷の矢の如く自分の顏に注がれた。返答如何にと促がすのであらう。トタンに、無雜作に、といふよりは寧ろ、無作法に束ねられた髮から、櫛が辷り落ちた。敢て拾はうともしない。自分は笑ひながら云うた。
『折角順序々々と云ふお言葉ですが、一體何ういふ順序があるのですか。恥かしい話ですが、私は一向存じませぬので。……若し其校歌採用の件とかの順序を知らない爲めに、他日誤つて何處かの校長にでもなつた時、失策する樣な事があつても大變ですから、今教へて頂く譯に行きませぬでせうか。』
 校長は苦(にが)り切つて答へた。『順序と云つても別に面倒な事はない。第一に(と力を入れて)校長が認定して、可いと思へば、郡視學さんの方へ屆けるので、それで、ウム、その唱歌が學校生徒に歌はせて差支へない、と云ふ認可が下りると、初めて校歌になるのです。』
『ハヽア、それで何ですな、私の作つたのは、其正當の順序とかいふ手數にかけなかつたので、詰り、早解りの所が、落第なんですな。結構です。作者の身に取つては、校歌に採用されると、されないとは、完く屁の樣な問題で、唯自分の作つた歌が生徒皆に歌はれるといふ丈けで、もう名譽は十分なんです。ハヽヽヽヽ。これなら別に論はないでせう。』
『然し、』と古山が繰り出す。此男然しが十八番(おはこ)だ。『その學校の生徒に歌はせるには矢張り校長さんなり、また私なりへ、一應其歌の意味でも話すとか、或は出來上つてから見せるとかしたら隱便で可いと、マア思はれるのですが。』
『のみならず、學校の教案などは形式的で記(しる)す必要がないなどと云つて居て、宅(うち)へ歸ればすぐ小説なぞを書くんださうだ。それで教育者の一人とは呆れる外はない。實に、どうも……。然し、これはマア別の話だが。新田さん、學校には、畏くも文部大臣からのお達しで定められた教授細目といふのがありますぞ。算術、國語、地理、歴史は勿論の事、唱歌、裁縫の如きでさへ、チヤンと細目が出來て居ます。私共長年教育の事業に從事した者が見ますと、現今の細目は實に立派なもので、精に入り微を穿つとでも云ひませうか。彼是十何年も前の事ですが、私共がまだ師範學校で勉強して居た時分、其の頃で早や四十五圓も取つて居た小原銀太郎と云ふ有名な助教諭先生の監督で、小學校教授細目を編んだ事がありますが、其時のと今のと比較して見るに、イヤ實にお話にならぬ、冷汗(ひやあせ)です。で、その、正眞(ほんたう)の教育者といふものは、其完全無缺な規定の細目を守つて、一毫亂れざる底(てい)に授業を進めて行かなければならない、若しさもなければ、小にしては其教へる生徒の父兄、また月給を支拂つてくれる村役場にも甚だ濟まない譯、大にしては我々が大日本の教育を亂すといふ罪にも坐する次第で、完たく此處の所が、我々教育者にとつて最も大切な點であらうと私などは、既に十年の餘も、――此處へ來てからは、まだ四年と三ヶ月にしか成らぬが、――努力精勵して居るのです。尤も、細目に無いものは一切教へてはならぬといふのではない。そこはその、先刻から古山さんも頻りに主張して居られる通り、物には順序がある。順序を踏んで認可を得た上なれば、無論教へても差支へがない。若しさうでなくば、只今諄々(じゆん/\)と申した樣な仕儀になり、且つ私も校長を拜命して居る以上は、私に迄責任が及んで來るかも知れないのです。それでは、何うもお互に迷惑だ。のみならず吾校の面目をも傷ける樣になる。』
『大變な事になるんですね。』と自分は極めて洒々(しやあ/\)たるものである。尤も此お説法中は、時々失笑を禁じえなんだので、それを噛み殺すに少からず骨を折つたが。『それでつまり私の作つた歌が其完全無缺なる教授細目に載つて居ないのでせう。』
『無論ある筈がないでサア。』と古山。
『ない筈ですよ。二三日前に作つた許りですもの。アハヽヽヽ。先刻からのお話は、結局あの歌を生徒に歌はせては不可ん、といふ極く明瞭な一事に歸着するんですね。色々の順序の枝だの細目の葉だのを切つて了つて、肝膽を披瀝(ひれき)した所が、さうでせう。』
 これには返事が無い。
『其細目といふ矢釜敷(やかましい)お爺さんに、代用教員は教壇以外にて一切生徒に教ふべからず、といふ事か、さもなくんば、學校以外で生徒を教へる事の細目とかいふものが、ありますか。』
『細目にそんな馬鹿な事があるものか。』と校長は怒つた。
『それなら安心です。』
『何が安心だ。』
『だつて、さうでせう。先刻詳しくお話した通り、私があの歌を教へたのは、二三日前、乃ちあれの出來上つた日の夜に、私の宅に遊びに來た生徒只の三人だけなのですから、何も私が細目のお爺さんにお目玉を頂戴する筈はないでせう。若しあの歌に、何か危險な思想でも入れてあるとか、又は生徒の口にすべからざる語でもあるなら格別ですが、……。イヤ餘程心配しましたが、これで青天白日漸々(やう/\)無罪に成りました。』
 全勝の花冠は我が頭上に在焉(あり)。敵は見ン事鐵嶺以北に退却した。劍折れ、馬斃れ、彈丸盡きて、戰の續けられる道理は昔からないのだ。
『私も昨日、あれを書いたのを榮さん(生徒の名)から借りて寫したんですよ。私なんぞは何も解りませんけれども、大層もう結構なお作だと思ひまして、實は明日唱歌の時間にはあれを教へようと思つたんでしたよ。』
 これは勝誇つた自分の胸に、發矢(はつし)と許り投げられた美しい光榮の花環であつた。女教師が初めて口を開いたのである。

      二

 此時、校長田島金藏氏は、感極まつて殆んど落涙に及ばんとした。初めは怨めしさうに女教師の顏を見てゐたが、フイと首を□らして、側に立つ垢臭い女神、頭痛の化生、繻子の半襟をかけたマダム馬鈴薯を仰いだ。平常(いつも)は死んだ源五郎鮒の目の樣に鈍い目も、此時だけは激戰の火花の影を猶留めて、極度の恐縮と嘆願の情にやゝ濕みを持つて居る。世にも弱き夫が渾身の愛情を捧げて妻が一顧の哀憐を買はむとするの圖は正に之である。然し大理石に泥を塗つたやうな女神の面は微塵も動かなんだ。そして、唯一聲、『フン、』と云つた。噫世に誰か此フンの意味の能く解る人があらう。やがて身を屈(かゞ)めて、落ちて居た櫛を拾ふ。抱いて居る兒はまだ乳房を放さない。隨分強慾な兒だ。
 古山は、野卑な目付に憤怒の色を湛へて自分を凝視して居る。水の面の白い浮標(うき)の、今沈むかと氣が氣でない時も斯うであらう。我が敬慕に値する善良なる女教師山本孝子女史は、いつの間にかまた、パペ、サタン、を初めて居る。
 入口を見ると、三分刈のクリ/\頭が四つ、朱鷺色(ときいろ)のリボンを結んだのが二つ並んで居た。自分が振り向いた時、いづれも嫣然(につこり)とした。中に一人、女教師の下宿してる家の榮さんといふのが、大きい眼をパチ/\とさせて、一種の暗號祝電を自分に送つて呉れた。珍らしい悧巧な少年である。自分も返電を行(や)つた。今度は六人の眼が皆一度にパチ/\とする。
 不意に、若々しい、勇ましい合唱の聲が聞えた。二階の方からである。
春まだ淺く月若き
生命(いのち)の森の夜(よる)の香(か)に
あくがれ出でて我が魂(たま)の
夢むともなく夢むれば……
 あゝ此歌である、日露開戰の原因となつたは。自分は颯と電氣にでも打たれた樣に感じた。同時に梯子段を踏む騷々しい響がして、聲は一寸亂れる。降(お)りて來るな、と思ふと早や姿が現はれた。一隊五人の健兒、先頭に立つたのは了輔と云つて村長の長男、背こそ高くないが校内第一の腕白者、成績も亦優等で、ジャコビン黨の内でも最も急進的な、謂はば爆彈派の首領である。多分二階に人を避けて、今日課外を休まされた復讐の祕密會議でも開いたのであらう。あの元氣で見ると、既に成算胸にあるらしい。願くば復(また)以前の樣に、深夜宿直室へ礫の雨を注ぐ樣な亂暴はしてくれねばよいが。
 一隊の健兒は、春の曉の鐘の樣な冴え/″\した聲を張り上げて歌ひつゞけ乍ら、勇ましい歩調(あしどり)で、先づ廣い控處の中央に大きい圓を描いた。と見ると、今度は我が職員室を目蒐けて堂々と練(ね)つて來るのである。
「自主(じしゆ)」の劍(つるぎ)を右手(めて)に持ち、
左手(ゆんで)に翳(かざ)す「愛」の旗、
「自由」の駒に跨がりて
進む理想の路すがら、
今宵生命(いのち)の森の蔭
水のほとりに宿かりぬ。

そびゆる山は英傑の
跡を弔ふ墓標(はかじるし)、
音なき河は千載に
香る名をこそ流すらむ。
此處は何處と我問へば、
汝(な)が故郷と月答ふ。

勇める駒の嘶(いなな)くと
思へば夢はふと覺めぬ。
白羽の甲(かぶと)銀の楯
皆消えはてぬ、さはあれど
ここに消えざる身ぞ一人
理想の路に佇みぬ。

雪をいただく岩手山
名さへ優しき姫神の
山の間を流れゆく
千古の水の北上に
心を洗ひ……
と此處まで歌つたときは、恰度(ちやうど)職員室の入口に了輔の右の足が踏み込んだ處である。歌は止んだ。此數分の間に室内に起つた光景は、自分は少しも知らなんだ。自分はたゞ一心に歩んでくる了輔の目を見詰めて、心では一緒に歌つてゐたのである。――然も心の聲のあらん限りをしぼつて。
 不圖氣がつくと、世界滅盡の大活劇が一秒の後に迫つて來たかと見えた。校長の顏は盛んな山火事だ。そして目に見ゆる程ブル/\と震へて居る。古山は既に椅子から突立つて飢饉に逢つた仁王樣の樣に、拳を握つて矢張震へて居る。青い太い靜脈が顏一杯に脹れ出して居る。
 榮さんは了輔の耳に口を寄せて、何か囁いて居る。了輔は目を象の鼻穴程に□(みは)つて熱心に聞いて居る。どちらかと云へば生來太い方の聲なので、返事をするのが自分にも聞える。
『……ナニ、此歌を?……ウム……勝つたか、ウム、然うさ、然うとも、見たかつたナ……飮まないつて、酒を?……然し赤いな、赤鰻ツ。』
 最後の聲が稍高かつた。古山は激しい聲で、
『校長さん。』
と叫んだ。校長は立つた。轉機(はずみ)で椅子が後(うしろ)に倒れた。妻君は未(ま)だ動かないで居る。然し其顏の物凄い事。
『彼方(あつち)へ行け。』
『彼方へお出なさい。』
 自分と女教師とは同時に斯う云つて、手を動かし、目で知らせた。了輔の目と自分の目と合つた。自分は目で強く壓した。
 了輔は遂に驅け出した。
そびゆる山は英傑の
跡を弔ふ墓標(はかじるし)、
と歌ひ乍ら。他の兒等も皆彼の跡を追うた。
『勝つた先生萬歳』
と鬨の聲が聞える。五六人の聲だ。中に、量のある了輔の聲と、榮さんのソプラノなのが際立(きはだ)つて響く。
 自分の目と女教師の目と礑(はた)と空中で行き合つた。その目には非常な感激が溢れて居る。無論自分に不利益な感激でない事は、其光り樣で解る。――恰(あたか)も此時、
 恰も此時、玄關で人の聲がした。何か云ひ爭うて居るらしい。然し初めは、自分も激して居る故(せゐ)か、確(しか)とは聞き取れなかつた。一人は小使の聲である。一人は? どうも前代未聞の聲の樣だ。
『……何云つたつて、乞食(こじき)は矢ツ張乞食だんべい。今も云ふ通り、學校はハア、乞食などの來る所でねエだよ。校長さアが何日も云ふとるだ、癖がつくだで乞食が來たら、何(ど)ねエな奴でも追拂つてしまへツて。さツさと行かつしやれ、お互に無駄な暇取るだアよ。』と小使の聲。
 凛とした張のある若い男の聲が答へる。『それア僕は乞食には乞食だ、が、普通の乞食とは少々格が違ふ。ナニ、強請(ゆすり)だんべいツて? ヨシ/\、何でも可いから、兎に角其手紙を新田といふ人に見せてくれ。居るツて今云つたぢやないか。新田白牛といふ人だ。』
 ハテナ、と自分は思ふ。小使がまた云ふ。
『新田耕助先生ちう若けエ人なら居るだが、はくぎうなんて可笑(をか)しな奴ア一人だつて居ねエだよ。耕助先生にア乞食に親類もあんめエ。間違エだよ。コレア人違エだんべエ。之エ返しますだよ。』
『困つた人だね、僕は君には些(ちつ)とも用はないんだ。新田といふ人に逢ひさへすれば可い。たゞ新田君に逢へば滿足だ、本望だ。解つたか、君。……お願ひだから其手紙を、ね、頼む。……これでも不可(いかん)といふなら、僕は自分で上つて行つて、尋ねる人に逢ふ迄サ。』
 自分は此時、立つて行つて見ようかと思つた。が、何故か敢へて立たなかつた。立派な美しい、堂々たる、廣い胸の底から滯りなく出る樣な聲に完たく醉はされたのであらう。自分は、何故といふ事もなく、時々寫眞版で見た、子供を抱いたナポレオンの顏を思出した。そして、今玄關に立つて自分の名を呼んで逢ひたいと云つて居る人が、屹度其ナポレオンに似た人に相違ないと思つた。
『そ、そねエ事して、何(ど)うなるだアよ。俺ハア校長さアに叱られ申すだ。ぢやア、マア待つて居さつしやい。兎に角此手紙丈けはあの先生に見せて來るだアから。……人違エにやきまつてるだア。俺これ迄十六年も此學校に居るだアに、まだ乞食から手紙見せられた先生なんざア一人だつて無エだよ。』
 自分の心は今一種奇妙な感じに捉へられた。周圍(あたり)を見ると、校長も古山も何時の間にか腰を掛けて居る。マダム馬鈴薯はまだ不動の姿勢をとつてゐる。女教師ももとの通り。そして四人の目は皆、何物をか期待する樣に自分に注がれて居る。其昔、大理石で疊んだ壯麗なる演戲場の棧敷から、罪なき赤手の奴隷――完たき『無力』の選手――が、暴力の權化なる巨獸、換言すれば獅子(ライオン)と呼ばれたる神權の帝王に對して、如何程の抵抗を試み得るものかと興ある事に眺め下した人々の目附、その目附も斯くやあつたらうと、心の中に想はるる。
 村でも「佛樣」と仇名せらるる好人物の小使――忠太と名を呼べば、雨の日も風の日も、『アイ』と返事をする――が、厚い脣に何かブツ/\呟(つぶ)やき乍ら、職員室に這入つて來た。
『これ先生さアに見せて呉れ云ふ乞食が來てますだ。ハイ。』
と、變な目をしてオヅ/\自分を見乍ら、一通の封書を卓子に置く。そして、玄關の方角に指ざし乍ら、左の目を閉ぢ、口を歪め、ヒョットコの眞似をして見せて、
『變な奴でがす。お氣を附けさつしやい。俺、樣々斷つて見ましたが、どうしても聽かねエだ。』
と小言で囁く。
 默つて封書を手に取上げた。表には、勢のよい筆太の〆が殆んど全體に書かれて、下に見覺えのある亂暴な字體で、薄墨のあやなくにじんだ『八戸(はちのへ)ニテ、朱雲』の六字。日附はない。『ああ、朱雲からだ!』と自分は思はず聲を出す。裏を返せば『岩手縣岩手郡S――村尋常高等小學校内、新田白牛樣』と先以て眞面目な行書である。自分は或事を思ひ出した、が、兎も角もと急いで封を切る。すべての人の視線は自分の痩せた指先の、何かは知れぬ震ひに注がれて居るのであらう。不意に打出した胸太鼓、若き生命の轟きは電(いなづま)の如く全身の血に波動を送る。震ふ指先で引き出したのは一枚の半紙、字が大きいので、文句は無論極めて短かい。
爾來大に疎遠、失敬。
 これ丈けで二行に書いてある。
石本俊吉此手紙を持つて行く。君は出來る丈けの助力を此人物に與ふべし。小生生れて初めて紹介状なるものを書いた。
六月二十五日
天野朱雲拜新田耕サン
 そして、上部の餘白へ横に
(獨眼龍ダヨ。)と一句。
 世にも無作法極まる亂暴な手紙と云へば、蓋し斯くの如きものの謂であらう。然も之は普通の消息ではない。人が、自己の信用の範圍に於て、或る一人を、他の未知の一人に握手せしむる際の、謂はば、神前の祭壇に讀み上ぐべき或る神聖なる儀式の告文、と云つた樣な紹介状ではないか。若し斯くの如き紹介状を享(う)くる人が、温厚篤實にして萬(よろづ)中庸を尚(たつと)ぶ世上の士君子、例へば我校長田島氏の如きであつたら、恐らく見もせぬうちから玄關に立つ人を前門の虎と心得て、いざ狼の立塞がぬ間にと、草履(ざうり)片足で裏門から逃げ出さぬとも限らない。然も此一封が、嘗てこのS――村に呱々の聲を擧げ、この學校――尤も其頃は校舍も今の半分しか無く、教師も唯の一人、無論高等科設置以前の見すぼらしい單級學校ではあつたが、――で、矢張り穩健で中正で無愛憎(ぶあいそう)で、規則と順序と年末の賞與金と文部省と妻君とを、此上なく尊敬する一教育者の手から、聖代の初等教育を授けられた日本國民の一人、當年二十七歳の天野大助が書いたのだと知つたならば、抑々何の辭を以て其驚愕の意を發表するであらうか。實際これでは紹介状ドコロの話ではない。命令だ、しかも隨分亂暴な命令だ、見ず知らずの獨眼龍に出來る限りの助力をせよといふのだもの。然し乍ら、この驚くべき一文を胸轟かせて讀み終つた自分は、決して左樣は感じなんだ。敢て問ふ、世上滔々たる浮華虚禮の影が、此の手紙の隅に微塵たりとも隱れて居るか。□一金三兩也。馬代。くすかくさぬか、これどうぢや。くすといふならそれでよし、くさぬにつけてはたゞおかぬ。うぬがうでには骨がある。□といふ、昔さる自然生(じねんじよ)の三吉が書いた馬代の請求の附状(つけじやう)が、果して大儒(たいじゆ)新井白石の言の如く千古の名文であるならば、簡にしてよく其要を得た我が畏友朱雲の紹介状も亦、正に千古の名文と謂(いひ)つべしである。のみならず、斯くの如き手紙を平氣で書き、亦平氣で讀むという彼我(ひが)二人の間は、眞に同心一體、肝膽相照すといふ趣きの交情でなくてはならぬ。一切の枝葉を掃(はら)ひ、一切の被服(ひふく)を脱(ぬ)ぎ、六尺似神(じしん)の赤裸々を提げて、平然として目ざす城門に肉薄するのが乃(すなは)ち此手紙である。此平然たる所には、實に乾坤(けんこん)に充滿する無限の信用と友情とが溢れて居るのだ。自分は僅か三秒か四秒の間にこの手紙を讀んだ。そして此瞬間に、躍々たる畏友の面目を感じ、其温かき信用と友情の囁きを聞いた。
『よろしい。此室(こゝ)へお通し申して呉れ。』
『乞食をですかツ』
と校長が怒鳴つた。
『何だつてそれア餘りですよ。新田さん。學校の職員室へ乞食なんぞを。』
 斯う叫んだのは、窓の硝子もピリ/\とする程甲高(かんだか)い、幾億劫來聲を出した事のない毛蟲共が千萬疋もウヂャウヂャと集まつて雨乞の祈祷でもするかの樣な、何とも云へぬ厭な聲である。舌が無いかと思はれたマダム馬鈴薯の、突然噴火した第一聲の物凄さ。
 小使忠太の團栗眼はクル/\/\と三□轉した。度を失つてまだ動かない。そこで一つ威嚇の必要がある。
『お通し申せ。』
と自分は一喝を喰はした。忠太はアタフタと出て行つた、が、早速(すぐ)と復引き返して來た。後には一人物が隨つて居る。多分既に草鞋を解(と)いて、玄關に上つて居つたのであらう。
『新田さん、貴君はそれで可いのですか。よ、新田さん、貴君一人の學校ではありませんよ。人ツ、代用のクセに何だと思つてるだらう。マア御覽なさい。アンナ奴。』
 馬鈴薯が頻りにわめく。自分は振向きもしない。そして、今しも忠太の背から現はれむとする、「アンナ奴」と呼ばれたる音吐朗々のナポレオンに、渾身の注意を向けた。朱雲の手紙に「獨眼龍ダヨ」と頭註がついてあつたが、自分はたゞ單に、ヲートルローの大戰で誤つて一眼を失つたのだらう位に考へて、敢て其爲めに千古の眞骨頭ナポレオン・ボナパルトの颯爽たる威風が、一毫たりとも損ぜられたものとは信じなんだのである。或は却つて一段の秋霜烈日の嚴を増したのではないかと思つた。
 忠太は體を横に開いて、ヒョコリと頭を下げる。や否や、逃ぐるが如く出て行つてしまつた。
 天が下には隱家(かくれが)もなくなつて、今現身(げんしん)の英傑は我が目前咫尺の處に突兀として立ち給うたのである。自分も立ち上つた。
 此時、自分は俄かに驚いて叫ばんとした。あはれ千載萬載一遇の此月此日此時、自分の双眼が突如として物の用に立たなくなつたのではないか。これ程劇甚な不幸は、またとこの世にあるべきでない。自分は力の限り二三度瞬(またゝ)いて見て、そして復(また)力の限り目を□(みは)つた。然しダメである。ヲートルローの大戰に誤つて流彈の爲めに一眼を失なひ、却つて一段秋霜烈日の嚴を加へた筈のナポレオン・ボナパルトは、既に長(とこ)しなへに新田耕助の仰ぎ見るべからざるものとなつたのである。自分の大きく□つた目は今、數秒の前千古の英傑の立ち止つたと思うた其同じ處に、悄然として塵塚の痩犬の如き一人物の立つて居るのを見つめて居るのだ。實に天下の奇蹟である。いかなる英傑でも死んだ跡には唯骸骨を殘すのみだといふ。シテ見れば、今自分の前に立つてゐるのは、或はナポレオンの骸骨であるのかも知れない。
 よしや骸骨であるにしても、これは又サテ/\見すぼらしい骸骨である哩(わい)。身長五尺の上を出る事正に零寸零分、埃と垢で縞目も見えぬも木綿の袷を着て、帶にして居るのは巾狹き牛皮の胴締、裾からは白い小倉の洋袴(ズボン)の太いのが七八寸も出て居る。足袋は無論穿(は)て居ない。髮は二寸も延びて、さながら丹波栗の毬(いが)を泥濘路(ぬかるみ)にころがしたやう。目は? 成程獨眼龍だ。然しヲートルローで失つたのでは無論ない。恐らく生來(うまれつき)であらう。左の方が前世に死んだ時の儘で堅く眠つて居る。右だつて完全な目ではない。何だか普通の人とは黒玉の置き所が少々違つて居るやうだ。鼻は先づ無難、口は少しく左に歪(ゆが)んで居る。そして頬が薄くて、血色が極めて惡い。これらの道具立の中に、獨り威張つて見える廣い額には、少なからず汗の玉が光つて居る、涼しさうにもない。その筈だ、六月三十日に袷を着ての旅人だもの。忠太がヒョットコの眞似をして見せたのも、「アンナ奴」と馬鈴薯の叫んだのも、自身の顏の見えぬ故(せゐ)でもあらうが、然し左程當を失して居ない樣にも思はれる。
 斯う自分の感じたのは無論一轉瞬の間であつた。たとへ一轉瞬の間と雖ども、かくの如きさもしい事を、此の日本一の代用教員たる自分の胸に感じたのは、實に慚愧に堪へぬ惡徳であつたと、自分の精神に覺醒の鞭撻を與へて呉れたのは、この奇人の歪める口から迸(ほとば)しつた第一聲である。
『僕は石本俊吉と申します。』
 あゝ、聲だけは慥かにナポレオンにしても恥かしくない聲だ。この身體の何處に貯へて置くかと怪まれる許り立派な、美しい、堂々たる、廣い胸の底から滯りなく出る樣な、男らしい凛(りん)とした聲である。一葉の牡蠣(かき)の殼にも、詩人が聞けば、遠き海洋(わだつみ)の劫初の轟きが籠つて居るといふ。さらば此男も、身體こそ無造作に刻まれた肉魂の一斷片に過ぎぬが、人生の大殿堂を根柢から搖り動かして轟き渡る一撞萬聲の鯨鐘の聲を深く這裏(このうら)に藏(かく)して居るのかも知れない。若しさうとすると、自分を慚愧すべき一瞬の惡徳から救ひ出したのは、此影うすきナポレオンの骸骨ではなくて、老ゆる事なき人生至奧の鐘の聲の事になる。さうだ、慥かにさうだ。この時自分は、その永遠無窮の聲によつて人生の大道に覺醒した。そして、畏友朱雲から千古の名文によつて紹介された石本俊吉君に、初對面の挨拶を成すべき場合に立つて居ると覺悟をきめたのである。
『僕が新田です。初めて。』
『初めて。』
と互に一揖(いふ)[#ルビの「いふ」は底本では「しふ」]する。
『天野君のお手紙はどうも有難う。』
『どうしまして。』
 斯う言つて居る間に、自分は不圖或一種の痛快を感じた。それは、隨分手酷い反抗のあつたに不拘(かゝはらず)、飄然として風の如く此職員室に立ち現はれた人物が、五尺二寸と相場の決つた平凡人でなくて、實に優秀なる異彩を放つ所の奇男子であるといふ事だ。で、自分は、手づから一脚の椅子を石本に勸めて置いて、サテ屹となつて四邊(あたり)を見た。女教師は何と感じてか凝然(ぢつ)として此新來の客の後姿に見入つて居る。他の三人の顏色は云はずとも知れた事。自分は疑ひもなく征服者の地位に立つて居る。
『一寸御紹介します。この方は、私の兄とも思つて居る人からの紹介状を持つて、遙々訪ねて下すつた石本俊吉君です。』
 何れも無言。それが愈々自分に痛快に思はれた。馬鈴薯は『チョッ』と舌打して自分を一睨(げい)したが、矢張一言もなく、すぐ又石本を睨(ね)め据ゑる。恐らく餘程石本の異彩ある態度に辟易してるのであらう。石本も亦敢て頭を下げなんだ。そして、如何に片目の彼にでも直ぐ解る筈の此不快なる光景に對して、殆んど無感覺な位極めて平氣である。どうも面白い。餘程戰場の數を踏んだ男に違ひない。荒れ狂ふ獅子の前に推し出しても、今朝喰つた飯の何杯であつたかを忘れずに居る位の勇氣と沈着をば持つて居さうにも思はれる。
 得意の微笑を以て自分は席に復した。石本も腰を下した。二人の目が空中に突當る。此時自分は、對手の右の目が一種拔群の眼球を備へて居る事を發見した。無論頭腦の敏活な人、智の活力の盛んな人の目ではない。が兎に角拔群な眼球である丈けは認められる。そして其拔群な眼球が、自分を見る事決して初對面の人の如くでなく、親しげに、なつかしげに、十年の友の如く心置きなく見て居るといふ事をも悟つた。ト同時に、口の歪んで居る事も、獨眼龍な事も、ナポレオンの骸骨な事も、忠太の云つた「氣をつけさつしあい」といふ事も、悉皆(すつかり)胸の中から洗ひ去られた。感じ易き我が心は、利害得失の思慮を運らす暇もなく、彼の目に溢れた好意を其儘自分の胸の盃で享けたのだ。いくら浮世の辛い水を飮んだといつても、年若い者のする事は常に斯うである。思慮ある人は笑ひもしよう。笑はば笑へ、敢て關するところでない。自分は年が若いのだもの。あゝ、青春幾時かあらむ。よしや頭が禿げてもこの熱(あつた)かい若々しい心情(こゝろもち)だけは何日(いつ)までも持つて居たいものだと思つて居る。曷(いづく)んぞ今にして早く蒸溜水の樣な心に成られるよう。自分と石本俊吉とは、逢會僅か二分間にして既に親友と成つた。自分は二十一歳、彼は、老(ふ)けても見え若くも見えるが、自分よりは一歳(ひとつ)か二歳(ふたつ)兄であらう。何れも年が若いのだ。初對面の挨拶が濟んだ許りで、二人の目と目とが空中で突當る。此瞬間に二つの若き魂がピタリと相觸れた。親友に成る丈けの順序はこれで澤山だ。自分は彼も亦一個の快男兒であると信ずる。
 然し其風采は? 噫其風采は!――自分は實際を白状すると、先刻(さつき)から戰時多端の際であつたので、實は稍々心の平靜を失して居た傾がある。隨つて此の新來の客に就いても、觀察未だ到らなかつた點が無いと云へぬ。今、一脚の卓子に相對して、既に十年の友の心を以て仔細に心置きなく見るに及んで、自分は今更の如く感動した。噫々、何といふ其風采であらう。口を開けばこそ、音吐朗々として、眞に凛たる男兒の聲を成すが、斯う無音の儘で相對して見れば、自分はモウ直視するに堪へぬ樣な氣がする。噫々といふ外には、自分のうら若き友情は、他に此感じを表はすべき辭を急に見出しかねるのだ。誠に失禮な言草ではあるが、自分は先に「悄然として塵塚の痩犬の如き一人物」と云つた。然しこれではまだ恐らく比喩(ひゆ)が適切でない。「一人物」といふよりも、寧ろ「悄然」其物が形を現はしたといふ方が當つて居るかも知れぬ。
 顏の道具立は如何にも調和を失して居る、奇怪である、餘程混雜して居る。然し、其混雜して居る故かも知れぬが、何處と云つて或る一つの纒まつた印象をば刻んで居ない。若し其道具立の一つ/\から順々に歸納的に結論したら、却つて「悄然」と正反對な或るエックスを得るかも知れない。然し此男の悄然として居る事は事實だから仕樣がないのだ。長い汚ない頭髮、垢と塵埃に縞目もわからぬ木綿の古袷、血色の惡い痩せた顏、これらは無論其「悄然」の條件の一項一項には相違ないが、たゞ之れ丈けならば、必ずしも世に類(たぐひ)のないでもない、實際自分も少からず遭遇した事もある。が、斯く迄極度に悄然とした風采は、二十一年今初めてである。無理な語ではあるが、若し然(しか)云ふを得(う)べくんば、彼は唯一箇の不調和な形を具へた肉の斷片である、別に何の事はない肉の斷片に過ぎぬ、が、其斷片を遶る不可見の大氣(アトモスフィーヤ)が極度の「悄然」であるのであらう。さうだ、彼自身は何處までも彼自身である。唯其周圍の大氣が、凝固したる陰鬱と沈痛と悲慘の雲霧であるのだ。そして、これは一時的であるかも知れぬが、少なからぬ「疲勞」の憔悴が此大氣をして一層「悄然」の趣きを深くせしむる陰影を作(な)して居る。或は又、「空腹」の影薄さも這裏(このうら)に宿つて居るかも知れない。
 禮を知らぬ空想の翼が電光の如くひらめく、偶然にも造花の惡戯(いたづら)によつて造られ、親も知らず兄弟も知らずに、蟲の啼く野の石に捨てられて、地獄の鐵の壁から傳はつてくる大地の冷氣に育(はぐ)くまれ、常に人生といふ都の外濠傳ひに、影の如く立ち並ぶ冬枯の柳の下を、影の如くそこはかと走り續けて來た、所謂自然生(じねんじよ)の大放浪者、大慈の神の手から直ちに野に捨てられた人肉の一斷片、――が、或は今自分の前に居る此男ではあるまいか。さうすると、かの音吐朗々たる不釣合な聲も、或日或時或機會、螽(いなご)を喰ひ野蜜を甞め、駱駝(らくだ)の毛衣を着て野に呼ぶ豫言者の口から學び得たのかと推諒する事も出來る。又、「エイ、エイッ」と馬丁の掛聲勇ましき黒塗馬車の公道を嫌つて、常に人生の横町許り彷徨(うろつ)いて居る朱雲がかゝる男と相知るの必ずしも不合理でない事もうなづかれる。然し、それにしては「石本俊吉」といふ立派な紳士の樣な名が、どうも似合はない樣だ。或は又、昔は矢張慈母の乳も飮み慈父の手にも抱かれ、愛の搖籃(ゆりかご)の中に温かき日に照され清淨の月に接吻された兒が、世によくある奴の不運といふ高利貸に、親も奪はれ家も取られ、濁りなき血の汗を搾(しぼ)り搾られた揚句が、冷たい苔の下に落ちた青梅同樣、長しなへに空の日の光といふものを遮(さへぎ)られ、酷薄と貧窮と恥辱と飢餓の中に、年少脆弱、然も不具の身を以て、健氣にも單身寸鐵を帶びず、眠る間もなき不斷の苦鬪を持續し來つて、肉は落ち骨は痩せた壯烈なる人生の戰士――が、乃ち此男ではあるまいか。朱雲は嘗て九圓の月俸で、かゝる人生の戰士が暫しの休息所たる某監獄に看守の職を奉じて居た事がある。して見れば此二人が必ずしも接近の端緒を得なんだとはいへない。今思ひ出す、彼は嘗て斯う云うた事がある、『監獄が惡人の巣だと考へるのは、大いに間違つて居るよ、勿體ない程間違つて居るよ。鬼であるべき筈の囚人共が、政府の官吏として月給で生き劍をブラ下げた我々看守を、却つて鬼と呼んで居る。其筈だ、眞の鬼が人間の作つた法律の網などに懸るものか。囚人には涙もある、血もある、又よく物の味も解つて居る、實に立派な戰士だ、たゞ悲しいかな、一つも武器といふものを持つて居ない。世の中で美(うま)い酒を飮んでゐる奴等は、金とか地位とか、皆それ/″\に武器を持つて居るが、それを、その武器だけを持たなかつた許りに戰がまけて、立派な男が柿色の衣を着る。君、大臣になれば如何な現行犯をやつても、普通の巡査では手を出されぬ世の中ではないか。僕も看守だ、が、同僚と喧嘩はしても、まだ囚人の頬片(ほつぺた)に指も觸れた事がない。朝から晩まで夜叉の樣に怒鳴つて許り居る同僚もあるが、どうして此僕にそんな事が出來るものか。』
 然し此想像も亦、敢て當れりとは云ひ難い。何故となれば、現に今自分を見て居るこの男の右の眼の、親しげな、なつかしげな、心置きなき和(なごや)かな光が、別に理由を説明するでもないが、何だか、『左樣ではありませぬ』と主張して居る樣に見える。平生いかに眼識の明を誇つて居る自分でも、此咄嗟の間には十分精確な判斷を下す事は出來ぬ。が兎も角、我が石本君の極めて優秀なる風采と態度とは、決して平凡な一本路を終始並足で歩いて來た人でないといふ事丈けは、完全に表はして居るといつて可い。まだ一言の述懷も説明も聞かぬけれど、自分は斯う感じて無限の同情を此悄然たる人に捧げた。自分と石本君とは百分の一秒毎に、密接の度を強めるのだ。そして、旅順の大戰に足を折られ手を碎かれ、兩眼また明を失つた敗殘の軍人の、輝く金鵄勳章を胸に飾つて乳母車で通るのを見た時と同じ意味に於ての痛切なる敬意が、また此時自分の心頭に雲の如く湧いた。
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