艸木虫魚
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著者名:薄田泣菫 

節義のために死んだ父の遺言を守って、一代に肩を比べるもののないほどの学才を持ちながら、役にもつかないで、一生を門を閉じて暮した人だったが、この人が飼っていた驢馬は、大変もの分りがよく、
「あの馬は、すっかり人間のいうことが分るようだ。」
という評判をとったほどのものだった。
 寡慾で、貧乏だった徐枋は、家に食うものといっては何一つなくて、ひもじい目をすることがよくあった。そんな折にはこの画家は、即興の画なり書なりをしたため、それを籠に入れて、しっかりと驢馬の背に結びつけたものだ。すると、この評判の怜悧ものは、門を出るなり、側目もふらないで、一散に程近い町の方へ走って往った。そして巧みにひとごみのなかを分けながら、市場の前まで歩いて来て、ぴたりとそこへ立ちとまった。
「ほら、徐先生のお使が来た。きっとまたお急ぎの御用だぞ。」
 それを見つけた町の人は、いつものことなので、てんでに走り寄って、籠のなかから書画を持ち出し、自分たちの気に入ったものを選び取った。そしてその代りに米や魚や野菜を、しこたまそのなかに運び入れることを忘れなかった。
 籠が一杯になると、驢馬は市場を後に、もと来た道を道草も喰わないで、静かに帰って往った。


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   遊び

     1

 すべて画家とか、彫刻家とかいう人たちのなかには、いろんな動物を飼って、その習性なり、形態なりを研究し、写生するのがよくある。
 与謝蕪村の門弟松本奉時という大阪の画家は、ひどく蛙が好きで、方々からいろんな種類を集めて、それを写生したり、鳴かせたりして喜んでいた。それだけに、長い間には珍らしいのを見つけることも少くはなかったが、あるとき、三本足と六本足の蛙を見つけて、これこそ後の世に伝えなければならぬと、筆をとってこくめいに写生したものが、今に残っているということだ。

     2

 長崎東福寺の住職東海和尚は、画の方でもかなり聞えた人で、よく河豚を描いて人にくれたりしていたが、ほんとうのところは、まだ一度もこの魚を見たことがなかった。
 あるとき、和尚は海辺を通って、潮の引いたあとの水溜に、二、三びきの小魚を見つけたことがあった。
「何だろう、可愛らしい小ざかなだな。」
 和尚は水溜の側にしゃがんで、暫く魚のそぶりに見とれていたが、ふとちょっかいが出してみたくなって、手を伸べて魚の尻っ尾を押えようとした。魚は怒って山寺の老和尚のように、腹を大きく膨らませたかと思うと、急に游ぎがむつかしくなって、水の上にひっくりかえって、癲癇持のように泡をふき出した。その恰好は自分がいつも画に描きなれている河豚にそっくりだった。
「河豚だ。河豚だ。こいつおもしろい奴だな。」
 和尚は笑いながら、はち切れそうな魚の腹を指先でちょっと弾いてみたりした。
「和尚さま、何してござるだ。そんな毒魚(どくうお)いじくって……。」
 だしぬけに肩の上から太い声がするので、和尚はうしろを振り返った。そこにはこのあたりのものらしい漁師の咎め立てするような苦い顔が見つかった。
「わしか。わしはちょっと仲のいい友達と遊ばしてもらっていたばかりじゃ。」
 和尚はこういって、河豚と遊ぶのを少しもやめなかった。その態度には、好きな遊戯に夢中になっている小児の純一さがあった。


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   古本と蔵書印

 本屋の息子(むすこ)に生れただけあって、文豪アナトオル・フランスは無類の愛書家だった。巴里(パリ)のセイヌ河のほとりに、古本屋が並んでいて、皺くちゃな婆さん達が編物をしながら店番をしているのは誰もが知っていることだが、アナトオル・フランスも少年の頃、この古本屋の店さきに立って、手あたり次第にそこらの本をいじくりまわして、いろんな知識を得たのみならず、老年になっても時々この店さきにその姿を見せることがあった。フランスはこの古本屋町を讃美して、「すべての知識の人、趣味の人にとって、そこは第二の故郷である。」と言い、また「私はこのセイヌ河のほとりで大きくなった。そこでは古本屋が景色の一部をなしている。」とも言っている。彼はこの古本屋から貪るように知識を吸収したが、そのお礼としてまたいろいろな趣味と知識とを提供するを忘れなかった。――というのは外のことではない。彼が自分の文庫に持てあました書物を、時折この古本屋に売り払ったことをいうのだ。
 一度こんなことがあった。――あるときフランスは来客を書斎に案内して、自分の蔵書を一々その人に見せていた。愛書家として聞えている割合には、その蔵書がひどく貧しく、とりわけ新刊物がまるで見えないのに驚いた客は、すなおにその驚きを主人に打ちあけたものだ。すると、フランスは、
「私は新刊物は持っていません。方々から寄贈をうけたものも、今は一冊も手もとに残していません。みんな田舎にいる友人に送ってやったからです。」
と、言いわけがましく言ったそうだが、その田舎の友人というのが、実はセイヌ河のほとりにある古本屋をさしていったのだ。
 そのフランスを真似るというわけではないが、私もよく読みふるしの本を古本屋に売る。家が狭いので、いくら好きだといっても、そうそう書物ばかりを棚に積み重ねておくわけにも往かないからである。
 京都に住んでいた頃は、読みふるした本があると、いつも纏めて丸太町川端のKという古本屋に売り払ったものだ。あるとき希臘(ギリシャ)羅馬(ローマ)の古典の英訳物を五、六十冊ほど取揃えてこの本屋へ売ったことがあった。私はアイスヒュロスを読むにも、ソフォクレエスを読むにも、ピンダロスやテオクリトスを読むにも、ダンテを読むにも、また近代の大陸文学を読むにも、英訳の異本が幾種かあるものは、その全部とは往かないまでも、評判のあるものはなるべく沢山取寄せて、それを比較対照して読むことにしているが、一度読んでしまってからは、そのなかで自分が一番秀れていると思ったものを一種か二種か残しておいて、他はみな売り払うことにきめている。今Kという古本屋に譲ったのも、こうしたわけで私にはもう不用になっていたものなのである。
 それから二、三日すると、京都大学のD博士がふらりと遊びに来た。博士は聞えた外国文学通で、また愛書家でもあった。
「いま来がけに丸太町の古本屋で、こんなものを見つけて来ました。」
 博士は座敷に通るなりこう言って、手に持った二冊の書物をそこに投り出した。一つは緑色で他の一つは藍色の布表紙だった。私はそれを手に取上げた瞬間にはっと思った。自分が手を切った女が、他の男と連れ立っているのを見た折に感じる、ちょうどそれに似た驚きだった。書物はまがう方もない、私がK書店に売り払ったなかのものに相違なかった。
「ピンダロスにテオクリトスですか。」
 私は二、三日前まで自分の手もとにあったものを、今は他人の所有として見なければならない心のひけ目を感じながら、そっと書物の背を撫でまわしたり、ペエジをめくって馴染のある文句を読みかえしたりした。
「京都にもこんな本を読んでる人があるんですね。いずれは気まぐれでしょうが……」
 博士は何よりも好きな煙草の脂(やに)で黒くなった歯をちらと見せながら、心もち厚い唇を上品にゆがめた。
「気まぐれでしょうか。気まぐれに読むにしては、物があまりに古すぎますね。」
 私はうっかりこう言って、それと同時にこの書物の前の持主が私であったことを、すなおに打明ける機会を取りはずしてしまったことを感じた。
「それじゃ同志社あたりに来ていた宣教師の遺愛品(ビクエスト)かな。そうかも知れない。」
 博士は藍表紙のテオクリトスを手にとると、署名の書き入れでも捜すらしく、前附の紙を一枚一枚めくっていたが、そんなものはどこにも見られなかった。
 私は膝の上に取残されたピンダロスの緑色の表紙を撫でながら、前の持主を喘息か何かで亡くなった宣教師だと思い違いせられた、その運命を悲しまぬわけに往かなかった。
「宣教師だなんて、とんでもない。宣教師などにお前がわかってたまるものかい。――だが、こんなことになったのも、俺が蔵書印を持合さなかったからのことで。二度とまたこんな間違いの起らぬように、大急ぎで一つすばらしい蔵書印をこしらえなくちゃ……」

 私はその後D博士を訪問する度に、その書斎の硝子戸越しに、幾度かこの二冊の書物を見た。その都度書物の背の金文字は藪睨みのような眼つきをして、
「おや、宣教師さん。いらっしゃい。」
と、当つけがましく挨拶するように思われた。
 私はその瞬間、
「おう、すっかり忘れていた。今度こそは大急ぎで一つ蔵書印のすばらしく立派な奴を……」
と、いつでも考え及ぶには及ぶのだったが、その都度忘れてしまって、いまだに蔵書印というものを持たないでいる。


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   ある日の基督

     1

 西班牙(スペイン)の ALPUJARRAS 山には、人間の顔をした梟が棲んでいるそうです。それについて土地の人達のなかに、むかしからこんな事が言い伝えられています。
 あるとき、キリストがヨハネとペテロとを連れて、この山の裾野を通りかかったことがありました。師匠も弟子もひどく腹がすいていました。折よく山羊の群を飼っている男に出会(でくわ)したので、ペテロがその男を呼びとめて、
「村の衆。私達は旅の者だが、ひどく腹が減って困っている。どうか私達のためにお前さんの山羊を一つ御馳走してはくれまいか。」
と頼んでみました。羊飼はひどく吝(しわ)い男でしたから、初のうちはなかなか承知しそうにもありませんでしたが、三人が口を揃えてうるさく強請(せが)むので、ぶつくさ呟きながらも引請けるには引請けました。
 だが、羊飼は自分の山羊を使おうとはしないで、代りに猫を殺して、それでもって客を振舞いました。キリストは食卓につくなり、変な眼つきをしてその肉片を見ていましたが、暫くすると口のなかで、
皿のなかの油揚(フライ)
山羊ならよいが
小猫の肉(み)なら
やっとこさで逃げ出しゃれ
と、二、三度繰り返して言いました。すると、皿のなかの油揚が急に立ちあがり、窓越しに外へ飛び出して、そのまま姿を隠してしまいました。
「不埒な羊飼だ。こんな男はいっそ梟にでも生れ代るといいのに……」
 キリストは腹立まぎれに独語のように呟(ぼや)きました。すると、その次の一刹那には、羊飼の姿がそこから消えてしまって、人間のような顔をした梟が一羽、□(まぐさ)の上にとまっていましたが、二、三度羽ばたきをしたかと思うと、ついと家の外へ飛び出してしまいました。
「ほう、羊飼が梟になりおった。気の毒なことをしたな。だが、あれよりも可憫(かあい)そうなのは私だよ。無駄口一つきく事が出来ないのだからな。」
 キリストはそれを見て、心のなかでこんなことを思いました。そして神の子に生れて、摩訶不思議な力を持っているものの世間の狭さ、窮屈さを思って、微かな溜息をもらしました。

     2

 その後、キリストはまた多くの弟子達を連れて、ユダヤのある村を通りかかった事がありました。村端れには柳の並木の美しい野原が続いていました。
 その日はぽかぽか暖か過ぎるほどの上天気だったので、キリストは上衣を脱いで、一本の柳の枝に掛けました。そして彼は村人の多くがこの救世主の説教を聴こうとして待合せている野の傾斜をさして歩き出しました。
 説教のすばらしい出来に満足したキリストは、足どりも軽く柔い草を踏んで、柳の並木に帰って来ました。しかし、いくら捜しても、彼の上衣と、その上衣を掛けておいた柳の木はそこらに見つかりませんでした。
「てっきり柳の木があの上衣を持逃げしたのだ。あれはある信者の女が、自分の手で織ってよこしたもので、極上等の織物だったからな。だが、この時候に上衣なしに外を出歩かねばならないなんて……」
 キリストはそう思うと、忌々しくて溜りませんでした。彼は眼を上げて柳の並木を見ました。柳の木はこの若い救世主をなぶるように、長い下枝をゆらゆらと揺り動かせました。
「ひとの物を持逃げするなんて。そんな木は一本残らず消えてなくなればいい。」
 キリストはうっかり口を滑らしました。すると、その瞬間そこらの柳の並木は、急に葉も、枝も、萎れかえってすっかり立枯となってしまいました。
「おう、柳の木が枯れてしまった。――可憫そうなことをしたな。だが、ほんとうのことをいうと、あの木よりも私の方が可憫そうなんだ。うっかり口もきけないという仕末なのだからな。」
 キリストは以前西班牙の山の中で羊飼を梟にした失敗(しくじり)を思い出して、自分が不用意に洩した言葉がそのまま実現せられてゆくのに驚きました。自分がつぶやくように言った言葉を、すぐにその仕事の一つに取入れる神の慈愛に驚くよりも、その神を動かすあるものが自分の内に隠れているのに驚きました。そしてまたしても神の子に生れて、摩訶不思議な力を身に具えている自分の世間の狭さ、窮屈さを心から悲しんだという事です。


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   老和尚とその弟子

 名高い西宮海清寺の住職南天棒和尚の弟子に、東馬(とうま)甚斎という居士があった。満洲に放浪していた頃は、馬賊の群に交って、相応な働をしたと言われるほどあって、筋骨の逞しい、鬼のようにいかつい恰幅をした壮士で、日本に帰って来てからは、そこらの電車に乗るのにいつも切符というものを持たないで、車掌がそれを喧(やかま)しく言うと、
「俺は東馬だ。顔を見覚えておけ、顔を……」
と獣のような不気味な顔を、相手の鼻先に突き出すので、車掌も運転手も度胆をぬかれて、ぶつくさ呟きながらも、大抵はそのまま見遁していたものだった。
 あるとし、満洲から帰って海清寺に落ちついた甚斎は、僧堂に自分の気に添わない雲水が二、三人いることに気がついた。
「あんなのは、一日も早く追い出さなくちゃ。和尚の顔にもかかわることだ。」
 甚斎は腹のなかでそう思ったらしかった。彼はその翌日から庫裡(くり)へ顔を出した。そして雲水たちの食事の世話を焼きだした。
 ある朝、雲水たちは汁鍋の蓋を取ってびっくりした。鍋のなかには、無造作にひきちぎられた雑草の葉っぱの上に、殿様蛙の幾匹かが、味噌汁の熱気に焼け爛れた身体を、苦しそうにしゃちこ張らせたまま、折重って死んでいた。
「気味が悪いな。一体どうしてこんなものが……」
 雲水の一人は咎めだてするように、そこに突立っている甚斎の顔を見た。
「俺の手料理さ。肉食の好きな君たちには、あまり珍らしくもあるまいが、まあ遠慮せんで食べてくれ。俺もここでお相伴(しょうばん)をするから。」
 甚斎はこう言って、皆の汁椀にそれぞれ雑草の葉っぱと蛙とを盛り分けた。そして鍋に残った蛙の死骸の一つをつまみ上げて、蝦蟇(がま)仙人のように自分の掌面(てのひら)に載せたかと思うと、いきなり唇を尖(とが)らせてするするとそれを鵜呑にしてしまった。
 皆は呆気にとられた。そして不気味そうに自分たちの椀のなかを覗き込んでじっと眉を顰(ひそ)めていたが、眼の前にいっかい膝の上で石のような拳(こぶし)を撫でまわしている甚斎の姿を見ると、悲しそうにそっと溜息をついた。
 皆は不承不精に椀を取り上げた。そして犬のように臭気(くさみ)を嗅ぎながら、雑草の葉っぱを前歯でちょっぴり噛ってみたり、蛙の後脚をそっと舌でさわってみたりした。
 そんなことが度重るうちに、自分の身にうしろ暗いところのある雲水は、後々(あとあと)を気遣って、いつの間にか寺から姿を隠してしまった。甚斎は手を拍(う)って喜んだ。
 そのことが南天棒の耳に入ると、甚斎は方丈に呼び出された。他人のなかでは荒馬のように粗暴な甚斎も、和尚の前へ出ては猫のようにおとなしかった。和尚はいった。
「東馬、お前は雲水たちをいびり出したそうじゃな。乱暴にも程があるじゃないか。」
「はい。別に追出したというわけではありませんが……」甚斎は雄鶏のように昂然と胸を反(そ)らせた。「彼等から出て往きました。雲水にもあるまじき所業の多かった輩(てあい)でしたから、あとに残ったものは、実際救われましたようなわけで……」
 老和尚は相手の得意そうな顔をじろりと見返した。
「後に残ったものは救われたかも知れんが、出て往ったものは救われたじゃろうかな。」
「……」甚斎は壁に衝き当ったようにどぎまぎした。
「救われないかも知れませんが、それにしたって、あんな不行跡者は仕方がありません。」
「それはいかん。」和尚はこう言って、側の本箱から一冊の写本を取出した。そして紙に折目のついているところを繰り開けて、甚斎の鼻先に突きつけた。「ここのところを読んでみなさい。声をあげて。」
 甚斎は和尚の手から本を受取った。そして納所坊主(なっしょぼうず)がお経を読む折のように、声を張り上げてそれを読み出した。
「下谷高岸寺に、ある頃弟子僧二人あり。一人は律義廉直にして、専ら寺徳をなす。一人は戒行を保たで、大酒を好み、あまつさへ争論止まず、私多し。ある時什物を取出し売るを――ひどい奴があったものですな。まるで此寺(こちら)の雲水そっくりのようで……。」
「むだ口を利(き)かんと、後を読みなさい。」
 和尚は媼さんのような口もとをしてたしなめた。甚斎はまた読み続けた。
「あるとき、什物を取出し売るを、一人の僧見て諫(いさめ)を加へけるに、聞入れざれば、この由住持に告げ、追退(おいの)け給はずば、ために悪しかりなんと言ふ。住持先づ諭し見るべしとて、厳しく戒めたるままにて捨て置きぬ。又あるとき仏具を取出し売りたるに、いよいよ禍ひに及び、わが身にもかからん間、彼のものに給はずんば、我に暇給はるべしと頻りに言ひける程に、住持涙を浮べ、さあらば、願ひのままにその方に暇をつかはすべし。悪僧は今暫し傍におきて諭すべしといふに――これは手ぬるい。ねえ、老師。少し手ぬるいじゃござんせんか。」
「どうでもいい、そんなことは。早く後を読み続けなさい。」
 和尚はわざと突っ放すように言った。甚斎は亀の子のように首をすくめた。
「この僧大いに怨み、われ暇のこと申さば、悪僧を追出し給はんと思ふものから、それを却つて罪なきわれに暇給はること、近頃依怙(えこ)の心に非ずやといへば、住持答へて、さにあらず、御身は今この寺を出でたりとも、僧一人の勤めはなるものなり。悪僧は今わが傍(かたえ)を離るれば、忽ち捕はれて罪人とならんも計り難し。さすれば……」
 甚斎は間(ま)が悪いように段々と声を落して、くどくどと口のなかで読み下した。
「もっと声を大きくして……」
 和尚は注意をした。甚斎の声は灯(ひ)をかきたてたように、またぱっと明るくなった。
「わが徳も捨たれて、一人の弟子を失ふなり。故に傍(かたえ)に暫し置きて、彼が命をも延ばし、且は厳しく教戒をもせば、善心に立ち返ることもやありなんと思ふが故なり、と言へば、悪僧このことを聞き、師の厚恩に感じ、やがて本心に飜(か)へりしとぞ。」
 読み終った甚斎が、幾らか不足そうな顔つきで書物を膝の上に置くと、和尚はそれを受取って、大事に本箱に蔵い込みながら言った。
「どうじゃ、わかったか。修業の足りない雲水が、悪いことをしたからというて、寺を追い出すのは、それは罪を重ねさすようなものなんじゃ。」
「どうも相済みません。」
 甚斎は不満と後悔とのごっちゃになったような表情をした。
「いや。俺にあやまってくれても、俺はどうするわけにもゆかんて。」和尚はさも当惑したもののように言った。「折角俺を頼って来た仏弟子を、修業半ばに追い返したんじゃ、仏様に対して俺が相済まんわけじゃ。でお前には気の毒じゃが、一まずここを引き取ってもらいたい。」
「それはあんまりなお言葉です。老師が御承知の通り、私には家というものがありません。」
 甚斎はいかつい顔を歪めて、鼻を詰らせたような声を出した。
「いや、家がないことはない。お前には世間というものがある。しかし寺を追い出された雲水には、何も残っていないのじゃ。」
「これからはきっと慎みますから、今度ばかりはどうぞ……」
 甚斎は蛙のように両手をついてあやまった。
「いや、ならぬ。」
 和尚はきっぱりと言い切った。甚斎は恨めしそうな顔をして、すごすごと庫裡の方へ引取って往った。
 暫くすると、甚斎はいつもに似ずつつましやかに方丈に入って来た。その顔は蒼味を帯びていた。和尚は机にもたれて、何か読みものをしていた。
「老師。心からお詫のしるしを、ここにお預けいたしますから、今度のことばかりは、どうぞ大目にお見遁しを……」
 こう言って、彼は手に持った小さな紙包を机の端においた。和尚は黙々としてその包を開けてみた。なかには真赤な血にまみれた、なまなましい小指が一つ転っていた。和尚はじろりと尻目に甚斎の左手を見た。小指の附根には、無造作に繃帯がしてあった。和尚はまた黙々としてそれをもとのように包みなおした。
 和尚の眼は何物にも妨げられなかったように、またしずかに読み本の上に注がれた。甚斎はもどかしさに堪らぬように、
「老師。これでお免(ゆるし)が願われましょうか。」
 和尚はきっと相手の顔を見た。その言葉の調子は低かったが、石のような重みと、石のような冷さとをもって、甚斎のひしがれた心の上に落ちかかった。
「お前に用のないものが、俺に入用なとでも思っとるのか。うつけもの奴(め)が。」

 師家のお役に立たなかった小指は、またもとの持主に帰らねばならなかった。甚斎とその小指とは一緒に、海清寺のかかりつけの医者のもとへ送られた。そして小指は器用にもとの附根に縫いつけられた。
「どうだ、痛くはなかったか。」
 手術が済んだ後、甚斎に訊いたものがあった。すると、この乱暴者はにやりと笑ったのみで、何とも答えなかった。


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   名器を毀つ

     1

 勧修寺大納言経広は心ざまが真直で、誰に遠慮もなく物の言える人だった。
 時の禁裏後西院天皇は茶の湯がお好きで、茶人に共通の道具癖から井戸という茶碗の名器を手に入れて、この上もなく珍重させられていた。
 あるとき経広が御前にまかり出ると、主上はとりわけ上機嫌で、御自分で秘蔵の井戸を取り出されてお茶を賜ったりなどした。経広は主上の御口からその茶碗が名高い井戸だということを承ると、驚きと喜びとに思わず声をはずませた。
「井戸と申しますと、名前のみはかねて聞き及びましたが、眼にいたすのはまったく初めてのことで、ついては御許を蒙って、篤と拝見いたしたいと存じますが……」
 主上からお許しが出ると、経広はいそいそと立ち上って南向きの勾欄に近づいて往った。ちょうど秋の曇り日の午過ぎだったので、御殿の中は経広の老眼にはあまりに薄暗かった。彼は明りを求めて勾欄の上にのしかかるようにして茶碗を眺めた。いかにも感に堪えたように幾度か掌面(てのひら)にひねくり廻しているうちに、どうしたはずみにか、つい御器(おうつわ)を取り落とすような粗忽をしでかした。茶碗は切石の上に落ちて、粉々に砕けてしまった。
 主上はさっと顔色を変えられたらしかった。座に帰って来た経広には、悪びれた気色も見えなかった。
「過失とは申しながら、御秘蔵の名器を毀ちました罪は重々恐れ入ります。しかし、よくよく考えまするに、名器とは言い条、これまで数多の人の手にかかりたるやも知れざる品、むかし宋の徽宗皇帝は秘蔵の名硯を米元章に御貸与えになり、一度臣下の手に触れたものは、また用い難いとあって、そのまま元章にお下げになりましたとやら。さような嫌いのある品を御側近うお置きになりますのはいかがかと存ぜられます。してみれば、唯今の粗忽もかえって怪我の功名かと存じまして……」
 この一言を聞かれると、主上の御機嫌は直ったが、しかし何となく寂しそうだった。
 心ざまの真直な経広は、茶器の愛に溺れきっていられる主上を諫めようとして、向う見ずにもその前にまず肝腎の茶器を壊してしまったのだ。

     2

 伊達政宗があるとき家に伝えた名物茶碗を取出していたことがあった。
 太閤秀吉が自分の好みから、また政略上の方便から煽り立てた茶の湯の流行は、激情と反抗心との持主である奥州の荒くれ男をも捉えて、利休の門に弟子入をさせ、時おりは為(しよ)う事なさの退屈しのぎから、茶器弄りをさえさせるようになったのだった。
 茶碗は天目だった。紺青色の釉(くすり)のなかに宝玉のような九曜星の美しい花紋が茶碗の肌一面に光っていた。政宗は持前の片眼に磨りつけるようにして、この窯変の不思議を貪り眺めていたが、ついうっとりとなったまま、危く茶碗を掌面(てのひら)より取り落そうとした。
 政宗ははっとなって覚えず胆を潰した。
「金二千両もしたものじゃ。壊してなるものか。」
 こんな考えが電光のように頭のなかを走った。仕合せと茶碗は膝の上で巧く両手の掌面(てのひら)に抱きとめられていた。政宗は冷汗をかいた。胸には高く動悸が鳴っている……
「おれは娘っ子のようにおっ魂消たな。――恥しいことじゃ。」
 政宗はその次の瞬間そう思って悔しさに身悶えした。突嗟の場合器の値段を思い浮べて、胸をどきつかせたのが何としても堪えられなく厭だった。

 いつだったか、政宗は徳川家康に茶の饗応(ふるまい)を受けたことがあった。そのおり家康は湯を汲み出そうとして何心なく釜の蓋へ手をやった。蓋は火のように熱していた。あまりの熱さに家康は小児のように、
「おう、熱う……」
と叫んで、釜の蓋を取り離したかと思うと、慌ててその手を自分の耳朶へやった。その様子がいかにも可笑しかったので、政宗は覚えず
「うふ……」
と吹き出してしまった。
 家康はそれを聞くと、また気をとり直して、前よりは熱していたらしい釜の蓋を平気で撮み上げた。そして何事もなかったように静かに茶を立てにかかった。
 政宗はいつに変らぬ亭主のねばり強さに感心させられたが、それでも腹のなかではもしか俺だったら、初めに手にとり上げたが最後、どんなに熱くたって釜の蓋を取り落すような事はしまいと思った。

 政宗は今それを思い出した。あんなに心上りしたことを考えていたものが、今の有様はどうだったかと思うと、顔から火が出るような気持がした。誰だったか知らないが自分の耳近くにやって来て、
「うふ……」
と冷かすように吹き出したらしい気配(けはい)を政宗は感じた。
 逆上(のぼ)せ易いこの茶人はかっとなってしまった。彼は鷲掴みに茶碗を片手にひっ掴んだかと思うと、いきなりそれを庭石目がけて叩きつけた。茶碗はけたたましい音を立てて、粉微塵に砕け散った。
「は、は、は、は……」
 政宗は声高く笑った。彼はその瞬間、金二千両の天目茶碗を失った代りに、自分の心の落着きをしかと取り返すことが出来たように思って、昂然と胸を反らした。

     3

 泉州小泉の城主片桐貞昌は、茶道石州流の開祖として、船越吉勝、多賀左近と合せて、その頃の三宗匠と称えられた名誉の茶人であった。
 貞昌があるとき、海道筋に旅をして宿屋に泊ったことがあった。ちょうど冬のことだったので、宿屋の主人(あるじ)は夜長の心遣いから、溺器(しびん)を室の片隅に持運んで来た。それは一風変った形をした陶器だったが、物の鑑定(めきき)にたけた貞昌の眼は、それを見遁さなかった。彼は主人に言いつけて、器を綺麗に洗い濯がせた後、あらためて手にとって見直すことにした。
 洗い清められた溺器(しびん)の肌には、古い陶物(やきもの)の厚ぼったい不器用な味がよく出ていた。愛撫に充ちた貞昌の眼は労わるようにその上を滑った。
「亭主。この器が譲り受けたい。価は何程にしてくれるの。」
 暫くしてから、貞昌は主人の方に振り向きざま言葉をかけた。
「お気に召しましたらお持ち帰りを願いますが、旅籠屋が溺器をお譲りして代物(だいもつ)をいただきましたとあっては……」
 主人は小泉一万石の城主ともあるものが、ものもあろうに旅籠屋の溺器を買い取ろうとするなぞ、風流にしてはあまりに戯談に過ぎ、戯談にしてはあまりに風流に過ぎるとでも思っているらしかった。
「他人から物を譲り受けて、代物を払わぬという法はない。」
 貞昌は半は自分の供のものたちへ言いきかせるようにいって、何程かの金を主人の手に渡させた。
 貞昌は静かに立って夜の障子を開けた。薄暗い内庭に踏石がほんのり白く浮んで見えた。彼は手に持った溺器を強くそれに叩きつけた。居合せた人たちはびっくりした顔を上げた。
 何事もなかったような気振(けぶり)で貞昌は座に帰った。そして静かな声でいった。
「わしの見たところに間違がなければ、あれは立派な古渡(こわたり)じゃ。今は埋れて溺器に用いられているが、もしか眼の利く商人(あきんど)に見つかって掘り出されでもしようものなら、どんなところへ名器として納まらぬものでもない代物(しろもの)じゃ。そんなことがあってはならぬと思うから、可惜(あたら)ものをつい割ってしもうた。」

     4

 三人は三様の心持と方法とで、世の中から三つの陶器を失った。失われたのは、いずれも秀れた名器だったが、彼等はそれを失うことによりて、一層尊いあるものを救うことが出来たのだ。


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   利休と丿観

 山科の丿観(へちかん)は、利休と同じ頃の茶人だった。丿観は利休の茶に幾らか諂(へつら)い気味があるのを非難して、
「あの男は若い頃は、心持の秀れた人だったが、この頃の容子を見ると、真実が少くなって、まるで別人のようだ。あれを見ると、人間というものは、二十年目ぐらいには心までが変って往くものと見える。自分も四十の坂を越えて、やっと解脱の念が起きた。鴨長明は蝸牛のように、方丈の家を洛中に引っ張りまわし、自分は蟹のように他人の掘った穴を借りている。こうして現世を夢幻と観ずるのは、すべて心ある人のすることだが、利休は人の盛なことのみを知って、それがいつかは衰えるものだということを知らないようだ。」
と言い言いしていたが、利休は別に自分のすばらしい天地をもっており、それに性格から言っても、丿観よりは大きいところがあったから、そんな非難をもあまり頓着しなかったようだ。
 あるとき、丿観が茶会を開いて、利休を招いたことがあった。案内にはわざと時刻を間違えておいた。
 その時刻になって、利休は丿観の草庵を訪れた。ところが、折角客を招こうというのに、門の扉はぴったりと閉っていた。
「はてな。」
 利休は門の外で早くも主人の趣向にぶっつかったように思った。丿観はそのころの茶人仲間でも、一番趣向の気取っているので知られた男だった。利休はその前の年の秋、太閤が北野に大茶の湯を催したときのことを思い出した。その日利休は太閤のお供をして、方々の大名たちの茶席を訪れた。そして由緒のある高貴な道具の数々と、そんなものを巧く取合せていた茶席の主人の心遣とを味って、眼も心も幾らか疲労を覚えた頃、ふと見ると、緑青を砕いたような松原の樹蔭に、朱塗の大傘を立てて、その下を小ぢんまりと蘆垣で囲っているのがあった。主人は五十ばかりの法体で、松の小枝に瓢をつるし、その下で静かに茶を煮ていた。
 ものずきな太閤が、ずかずかと傘の下に入って往って、
「どうだ。ここにも茶があるのかい。」
と大声に訊かれると、主人はつつましやかに、
「はい。用意いたしております。」
と言いざま、天目茶碗に白湯をくみ、瓢から香煎(こうせん)をふり出して、この珍客にたてまつった。その法体の主人こそ、別でもない山科の丿観で、その日の高く取り澄した心憎さは、いまだに利休の心に軽い衝動を与えずにはおかなかった。
 利休は潜り戸を開けて、なかに入った。見ると、すぐ脚もとに新しく掘ったばかしの坑があり、簀子をその上に横たえて、ちょっと見に分らぬように土が被せかけてあった。
「これだな、主人の趣向は。」
 客はその瞬間、すぐに主人の悪戯(いたずら)を見てとった。平素から客としての第一の心得は、主人の志を無駄にしないことだと、人に教えもし、自分にも信じている彼は、何の躊躇もなく脚をその上に運んだ。すると、簀の子はめりめりとへし折れる音がして、客はころころと坑のなかに転げ込んだ。
 異様なもの音を聞いた主人の丿観は、わざと慌てふためいて外へ飛び出して来た。坑のなかには利休が馬鈴薯のように土だらけになって、尻餅をついていた。
「これは、これは。宗匠でいらっしゃいましたか。とんだ粗相をいたして、まことに相済みません。」
「丿観どの。老人(としより)はとかく脚もとが危うてな……」
 客としての心得は、主人の志を無駄にしないことだと思っていた利休も、案外その志と坑とが両つともあまりに深く、落込んだままどうすることも出来ないで、困りきっていた場合なので、丿観が上から出した手に縋って、やっとこなと起き上って坑の外へ這い出して来た。二人は顔を見合せて、からからと声をあげて笑った。
 客は早速湯殿に案内せられた。湯槽には新しい湯が溢れるばかりに沸いていた。茶の湯の大宗匠はそのなかに浸り、のんびりした気持になって頭のてっぺんや、頸窩(ぼんのくぼ)にへばりついた土を洗い落した。
 浴みが済むと、新しい卸し立ての衣裳が客を待っていた。利休は勧めらるるがままにそれを着けて、茶席に入った。
「すっかり生れかわったような気持だて。」
 利休は全くいい気持だった。こんな気持を味うことが出来るのも、自分が落し坑だと知って、わざとそれに陥(はま)り込んだからだと思った。これから後も落し坑には精々落ちた方がいいと思って、にやりとした。
 丿観は、客が上機嫌らしいのを見て、すっかり自分の計画が当ったのだと考えて、いい心持になっていた。それを見るにつけて利休は、主人の折角の志を無駄にしなかったことを信じて、一層満足に思った。


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   探幽と松平伊豆
     少年少女のために

 探幽は名画家の多い狩野家でも、とりわけ画才が秀れているので聞えていた人でした。
 この探幽があるとき松平伊豆守信綱に招かれて、その屋敷に遊んだことがありました。主人の信綱はその日の記念として、雲龍の図を探幽に求めました。
 雲龍の図だというので、墨汁は家来たちの手でたっぷりと用意せられました。探幽は画絹を前に、しばらくは構図の工夫に思い耽っていましたが、やがて考えが決ったと見えて、筆をとり上げようとしますと、そこへ次の間から信綱が興奮したらしい顔を現わしました。そしてまだ何一つ描き下してない画絹を見ると、
「何じゃ、まだ一つも画いてないのか。さてさて絵師というものは鈍なものじゃて。」
 わざと聞えよがしに言ったかと思うと、いきなり足の爪先でそこにあった硯を蹴飛ばして、そのまま次の間に姿を隠しました。墨汁は画絹は言うに及ばず、探幽の膝から胸のあたりまで飛び散りました。まるで気の狂った泥鼠が乱暴を働いた後のようでした。探幽はむっとしました。
「あまりといえば乱暴ななされ方だ。」
 真青に顔の色を変えて、そのまま立ち上って帰ろうとしました。それを見た松平家の家来たちは、てんでに言葉をつくして平謝りに謝りました。このまま探幽を帰しては、居合す家来たちの大きな手落となると聞いては、探幽もむげに我を通すわけには往きませんでした。彼はしぶしぶ座に帰って、また画絹の前に坐りました。
 伊豆守の無礼だけは、どうしても免すわけに往かぬと探幽は思いました。膝から胸のあたりに飛び散った生々しい墨汁の痕を見ると、彼は身内が燃えるように覚えました。このいらいらしい気持から遁れるには、湧き返る憤怒をそのまま、画絹へ投つけるより外にはありませんでした。探幽は顫える手に絵筆を取り上げて、画絹と掴み合うような意気込で、雲龍の図にとりかかりました。

 程なく画は描き上げられました。それはすばらしい出来でした。探幽はそれを見て、憤怒のまだ消え切らない口もとをへし曲げるようにして、ちらと微笑しました。先刻から探幽の恐しい筆使いを見て、どうなることかと気遣っていたらしい松平家の家来たちは、お互いに顔を見合せて、腹の底より感心したらしい溜息を洩しました。
 そこへ主人の信綱が、以前と打って変って慇懃なものごしで、にこにこしながら出て来ました。
「先刻はいかい失礼をいたした。気持に感激がないと、いい絵は出来難いものじゃと聞いたので、ついその……」
 探幽は初めて信綱が自分に無礼を働いたわけに気がつきました。それと同時に、知慧自慢の伊豆守がこの画の前に立って、誰彼の容赦なく、作者を怒らせて描かせた吾が趣向を語って聞かせるだろう、その得意らしい顔つきが、気になってなりませんでした。で、負けぬ気になって次のように言いました。
「素人衆は一途に感激のことを申されますが、画家にとって大切なのは感激よりも、その感激に手綱をつけて、引き締めて往く力でございます。この絵もそれを引き締めるのに大分骨が折れましたが、まあ、どうかこうか……」


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   人間というもの
     少年少女のために

     1

 むかし、支那に馮幼将という、竹の画がすぐれて上手な画家がありました。この画家がある人に頼まれて、その家の壁に得意の筆で五、六本の竹を描いたことがありました。
 画が出来上ったので、作者が墨に塗れた筆をもったまま壁の前に立って、満足そうにその出来ばえを眺めていますと、だしぬけに騒々しい羽音がして、三羽五羽ばかしの雀が、その肩越しにさっと飛んで来ました。そして先を争って若竹の枝にとまろうとして、幾度か画面にぶっつかっては落ち、ぶっつかっては落ち、終いには床に落ちたまま羽ばたきもせず、不思議そうに円(まる)い頭を傾(かし)げて、じっと考え込んでいました。
 また童二如という画家がありました。梅が好きで、梅を描くことにかけては、その頃の画家に誰ひとりこの人に肩を並べるものがありませんでした。
 あるとき、童二如が自分の書斎の壁に梅を描きました。すると、それが冬の寒いもなかだったにもかかわらず、五、六ぴきの蜜蜂が寒そうに羽をならして飛んで来ました。そして描かれた花の上にとまって、不思議そうにそこらを嗅ぎまわっていましたが、甘い匂いといっては、ただの一しずくも吸い取ることが出来ないのを知ると、
「何だ。画にかいた花だったのか。ひとを調弄(からか)うのも大概にするがいいや。」
とぶつぶつ呟きながら、ひどく腹を立てて飛び去りました。

     2

 ある日のこと、画家にあざむかれた雀の小坊主と蜜蜂とは、人間に立ち聴きせられないように、わざと木深い森の中に隠れて、何がな復讐(しかえし)の手段はないものかと、ひそひそ評議をこらしていました。
「人間って奴、何だってあんなにまやかし物が作りたいんだろうな。みんな神様の真似ごとじゃないか。」
 癇癪持の蜜蜂は、羽をならしながら憎々(にくにく)しそうに言いました。曩(さき)の日のことを思うと、今になってもまだ腹に据えかねるのでした。
「そうだよ。みんな神様の真似ごとさ。唯仕事がすこしばかりまずいだけなんだ。」
 第一の雀が片脚をあげて、毛深いぼんのくぼの附近(あたり)を掻きながら、こんなことを言いました。
「巧くもないくせに、何だってそんなことに手出しなぞするんだろうな。」
「小(ち)っちゃな神様になりたいからなんだよ。」第三の雀が貝殻のような嘴をすぼめて、皮肉な口をききました。「現におれ達をかついだあの二人の画かきだね。あいつらはおれ達の眼をうまくくらまかしたというので、たいした評判を取り、おかげであの画は途方もない値段である富豪(かねもち)の手に買い取られたそうだ。何が幸福(しあわせ)になるんだか、人間の世の中はわからないことだらけだよ。」
「そうだとも。そうだとも。」
 残りの雀は声を揃えて調子を合せました。
「ほんとうに忌々(いまいま)しいたらありゃしない。ひとの失敗(しくじり)を自分の幸福(しあわせ)にするなんて。今度出逢ったが最後、この剣でもって思いきりみなの復讐(しかえし)をしてやらなくっちゃ。」
 蜜蜂は黄ろい毛だらけの尻に隠していた短剣をそっと引っこ抜いて、得意そうに皆に見せびらかしました。剣は持主が手入れを怠けたせいか、古い留針(とめばり)のように尖端(さき)が少し錆びかかっていました。
「お前。まだ分ってないんだな。画を描くことの出来る手は、また生物(いきもの)を殺すことも出来る手だってことがさ。」第一の雀は蜜蜂の態度に軽い反感をもったらしく、わざと自分の不作法を見せつけるように、枝の上から白い糞(ふん)を飛ばしました。「お前、その剣でもって人間の首筋を刺すことが出来るかも知れんが、その代り、とても生きては帰れないんだぞ。」
「じゃ、どうすればいいんだ。復讐(しかえし)もしないで黙って待っていろというのか。」
 蜜蜂は腹立たしくて溜らないように叫びました。頭の触角と羽とが小刻みにぶるぶると顫えました。
「復讐(しかえし)は簡単だよ。これから人間の画かきどもが何を描こうとも、おれ達はわざと気づかないふりをして外(そ)っ方(ぽう)を向いているんだ。そうすれば、おれ達がいくらそそっかしいにしたって、以前のように騙かされようがないじゃないか。騙かされさえしなかったら、どんな高慢な画かきにしても、手前味噌の盛りようがないんだからな。」
「大きにそうかも知れんて。じゃ、そうと決めようじゃないか。」
「よかろう。忘れても人間に洩らすんじゃないよ。」
「これでやっと復讐(しかえし)が出来ようというもんだ。」
 皆は吾を忘れて悦び合っていました。すると、だしぬけに程近い草のなかから、
「へっ、復讐かい。それが。おめでたく出来てるな。」
と冷笑する声が聞えました。
 皆はびっくりして声のした方へ眼をやりました。日あたりのいい草の上で、今まで昼寝をしていたらしい一匹の黒猫が、起き上りざま背を円めて、大きな欠伸(あくび)をするのが眼につきました。
「いよう、黒外套(くろがいとう)の哲学者先生。お久しぶりですな。」剽軽者(ひょうきんもの)の一羽の雀は心安立(こころやすだて)と御機嫌とりとからこんな風に呼びかけました。「先生は唯今私達の仲間がみんなおめでたく出来てるようにおっしゃいましたね。」
「いったよ。確かにいった。実際そうなんだから仕方がない。」
 黒猫の眼は金色に輝きました。
「何がおめでたいんだか、そのわけを聞かしてもらおうじゃないか。」
 雀の二、三羽が、不平そうにそっと嘴を突らしました。
「望みならいって聞かそう。」黒猫は哲学者の冷静を強いて失うまいとするように、長い口髭を一本一本指でしごきながらいいました。「お前達は人間の描いたものには、もう一切目を藉(か)さない。そうすれば欺かれる心配がなくなるから、自然画の評判も立たなくなるわけだと思ってるらしいが、それがおめでたくて何だろう。画の評判ってものは、お前達が立てるのじゃなくて、ほんとうは世間のするしわざじゃないか。」
「世間。おれはまだ世間ってものを見たことがない。」
 第一の雀は不思議そうな顔をして、第二の雀をふりかえりました。
「世間ってのは、人間の仲間をひっくるめていう名前なんだよ。」黒外套の哲学者は、今更そんな講釈をするのは退屈至極だといわないばかりに大きなあくびをしました。
「人間を活(い)かすも殺すも、この世間の思わく一つによることなんだが、もともと人間って奴が妙な生れつきでね。多勢集まると、一人でいる時よりも品が落ちて、とかく愚(ばか)になりやすいんだ。だからお前達のようなもののしたことをも大袈裟に吹聴して、うっかり評判を立てるようなことにもなるんさ。」
「じゃ、その世間とやらを引き入れて、そいつに背(せな)を向けさせたらどうなんだ。」癇癪持の蜜蜂は、やけになって喚(わめ)きました。「どんな高慢ちきの画かきだって、ちっとは困るだろうて。」
「それが出来たら困るかも知れん。また困らぬかも知れん。なぜといって、人間の腹の中にはそれぞれ虫が潜(もぐ)っていて、こいつの頭(かぶり)のふりよう一つで、平気で世間を相手に気儘気随をおっ通したがる病(やまい)があるんだから。そうだ。まあ、病(やまい)だろうね。尤もそんな折には誰でもが極って持ち出したがる文句があるんだよ。
 ――今はわからないんだ。やがてわかる時が来るだろう。
といってね。文句というものは、またたびと同じようになかなか調法なものさ。」
 黒猫は口もとににやりと微笑を浮べたかと思うと、そのまま起き上って、足音も立てず草の中に姿を隠してしまいました。
「腹の中に虫が……。変だなあ。人間って奴、どこまで分らないずくめなんだろう。」
 知慧自慢の第二の雀が焦茶色の円い頭を傾(かし)げて、さもさも当惑したように考え込むと、残りの雀も同じように腑に落ちなさそうな顔をして、きょろきょろしていました。
 短気ものの蜜蜂は、悔(くや)しまぎれに直接行動でも思い込んだらしく、誰にも言葉を交わさないで、いきなり小さな羽を拡げて、森から外へ飛び出しました。


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   肖像画
     少年少女のために

 むかし、天保の頃に、二代目一陽斎豊国という名高い浮世絵師がありました。
 あるとき、豊国は蔵前の札差(ふださし)として聞えた某(なにがし)の老人から、その姿絵を頼まれました。どこの老人もがそうであるように、この札差も性急(せっかち)でしたから、絵の出来るのを待ちかねて、幾度か催促しました。ところが、多くの絵師のそれと同じように、豊国はそんな註文なぞ忘れたかのように、ながく打捨ておきました。
 やっと三年目になって、姿絵は出来上りました。使に立った札差の小僧は、豊国の手から、主人の姿絵を受取って、それに眼を落しました。
「これはよくにていますな。うちの御隠居さんそっくりですよ。」
と思わず叫びながら、つくづく見とれていましたが、暫くするとその眼からはらはらと涙がこぼれかかろうとしました。すぐ前で煙草をふかしていた豊国は、それを見遁しませんでした。
「おい、おい。小僧さん。何だって涙なぞこぼすのだ。御隠居のお小言でも思い出したのかい。それならそれでいいが、絵面を濡らすことだけは堪忍してくんな。」
「いいえ、違います。」小僧は慌てて手の甲で、涙を受取りました。「私にも国もとにこの御隠居様と同じ年恰好のお祖父様(じいさま)があります。小さい時から大層私を可愛がってくれましたので、江戸へ奉公に出て来ても、一日だって忘れたことはありません。今これを見るにつけて、私のお祖父様をもこんな風に描いていただきましたら、どんなにか嬉しかろうと存じまして。」
「ふうん。そんな訳だったのか。お前、祖父さん思いだな。」豊国は口にくわえていた煙管を、ぽんと畳の上へ投げ出しました。「その孝心にめでて、お前の祖父さんを描いてやりたくは思うが、でも、遠い国許に居るのじゃ、そうもいかないし、ここで一つお前の姿絵を描いてやるから、それを国許へ送ってやったらどんなものだい。そんなに可愛がってくれた祖父さんだ。今も何かにつけて、お前を思い出しているだろうからな。」
「ありがとう存じます。」
 小僧は感に余って、丁寧に頭を下げました。
「それじゃ、すぐ始めよう。まあ、こっちへ上んな。そして涙でも拭きねえ。」
 豊国はすっかり上機嫌で、絵筆を取上げました。小僧は気恥かしそうにその前に坐って、きちんと膝の上に両手を揃えました。
 絵は程なく出来上りました。豊国はそれに彩色まで施してやりました。
「さあ、これを送ってやりねえ。吾ながらよく出来たよ。」
「ありがとう存じます。お祖父様がどんなにか喜ぶことでしょう。」
 小僧はこれがほんとうに自分の姿なのかと、不思議そうに絵に見入りました。そして遠い国にいる老人が、これを見るときの驚きと喜びとを胸に描いてみました。

 自分の姿絵を小僧の手から受取った札差の老人は、
「よく出来た。そっくり俺に生写しだよ。これだったら三年かかったのに、少しも無理はないはずだ。」
と言って、大喜びに喜びました。しかし、小僧が半ば得意そうに、半ば言訳がましく、先刻のいきさつを話しながら、ふところから取出した今一枚の姿絵を見ると、また気むつかしくなりました。そしてやくざなものを扱うようにそれをそこに投げ出しました。
「何だ。つまらない。お前にちっとも似てやしないじゃないか。」


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   道風の見た雨蛙
     少年少女のために

 細かい秋の雨がびしょびしょと降りしきる朝でした。久しぶりの雨なので、雨蛙はもう家にじっとしていられなくなって、上機嫌で散歩に出ました。濡れそぼった無花果の広い葉からは、甘そうな雫がしたたり落ちていました。雨蛙は竹垣の端からその葉の上へひょいと飛び移るなり、自慢の咽喉で、
「け、け、け……」
と一声鳴いてみました。すると、だしぬけにどこからか、
「先生。上機嫌ですな。」
と、声がかかりました。雨蛙はその声の主が誰であるかをすぐに感づきました。こんな雨の日に外を出歩こうというものは、自分を取り除けては、蟹と蝸牛(かたつむり)の外には誰もいないのに、蟹はあの通りの気むつかしやで、滅多に他人と口をきこうともしませんでしたから。
 雨蛙はこっそり無花果の葉の裏をのぞき込みました。そこには柄のついた雨除け眼鏡をはめた蝸牛がいました。この友達は今日もいつものように大がかりに自分の家を背にしょっていました。
「や。お早う。やっぱりお前だったな。」
 蝸牛は老人のように眼鏡越しに相手を見ました。
「お早う。上機嫌ですな、先生。」
「先生だって。おいおい、何だってそんなにあらたまるんだい。今朝に限って。」
 雨蛙はからかわれでもしたようにいやな顔をしました。
「気に触ったらごめんなさい。じゃ、やっぱりこれまで通り、お前と呼ばしてもらおうか。」
 蝸牛の態度には、どこかにあらたまったところがありました。きさくな雨蛙は、それが気に入らないように頬をふくらませていました。
「お前で結構さ。もともとおれたちは長い間の朋輩つきあいで、お天気嫌いな癖も、お互いにもってる仲じゃないか。」
「そう言ってくれるとうれしい。実はさっきお前も知っているあの従弟のなめくじから、お前の噂を聞いて、すっかり感心したもんだから、つい、その……」蝸牛はてれかくしに眼鏡をはずして、雨の雫を拭きとりました。「ところで、だしぬけに変なことを訊くようだが、お前、人間に近づきがあるそうだな。」
「人間にか。人間には幾人(いくたり)か近づきがあるよ。」雨蛙は相手の気色を見てとって、すっかり機嫌をなおしたようでした。「おれが歌の稽古をつけてもらったのも、やっぱり人間だったよ。」
「ほう、歌の稽古を……」
 雨蛙は以前山に棲んでいた頃、程近い人家にまぎれ込んで、竹製の刀架(かたなかけ)の孔のなかにもぐり込んでいたことがありました。ちょうど春雨の頃で、雨の音を聞きながら、口から出まかせの節で歌を唱っていると、急に座敷の方から美しい笛の音が流れて来ました。それにつれて歌を合わせていると、自分の咽喉がびっくりするほど滑らかに調子に合って来たことを、雨蛙は気づきました。そんなことを四、五日繰りかえしているうちに、雨蛙はだんだん芸が上達して、その刀架の孔から、広い世間へ這い出して来た折には、もういっぱしの歌唱いになっていました。
 雨蛙は今その話を蝸牛にして聞かせました。雨除け眼鏡をはめた友達は、すっかり感心しました。
「そしてその家の主人の名前は……」
「柳田将監という笛の名人だったよ。日光山に住んでいる……」雨蛙は自分の師匠の名を自慢そうに言って聞かせました。
「それじゃない。もっと外にもあるだろう。」
「あるとも。俳句の上手な一茶という男も知ってるよ。」
「その男はどこで知ったのだ。」
 蝸牛は持ち重りのする背(せな)の家を揺ぶってみました。家のまわりから雨の雫が落ちかかりました。
「信濃路(しなのじ)の小さな田舎でだったよ。おれはその頃将監さんに仕込まれた咽喉でもって旅芸人を稼いでいたのだ。柏原という村へ来て、くたびれ休めにそこにあった小屋の縁側に腰をかけたものだ。気がつくと、暗い家のなかに貧乏くさい男が、じっとわしを見つめているじゃないか。気味が悪かったものだから、おれも苦りきっていてやったよ。すると、その男がうめくように一句詠(よ)むじゃないか。

われを見て苦い顔する蛙かな

といってね。」
「へえ、変に気のひがんだ奴だな。」
「そうだよ。実際気のひがんだ奴らしかった。」雨蛙はまた話をつづけました。「お金を貸せとでも言われたら困ると思って、おれはそこそこに逃げ出しちゃった。すると貧乏爺(びんぼうおやじ)め、追っかけるようにまた一句投げつけるじゃないか。

薄縁(うすべり)に尿(いばり)して逃る蛙かな

といってね。相手怖さからおれが縁側にうっかり持病の小便をもらしたのを見つかったんだね。」
 雨蛙は申訳がなさそうに滑(すべ)っこい頭をかきました。
「は、は、は、は。こいつは笑わせるよ。は、は、は。」蝸牛はたまらぬように笑いこけました。その拍子に雨除け眼鏡があぶなくはずれかかろうとしたのをやっともとへ直しながら、「一茶という奴、おかしな野郎だな。だが、もっと外にもあるはずだが……たしか小野道風とかいった……」
「小野道風……」雨蛙は忘れた名前をふるい出すように、二、三度頭を横にふりました。
「そんな人は知らないよ。ねっから記憶(おぼえ)がないようだ。」
「記憶(おぼえ)がないはずはない。あの人の名前をお前に忘れられたら、大変なことになる……」
 蝸牛はこう言って、先刻従弟のなめくじに聞いたことを話して聞かせました。
 それは小野道風といった名高い書家が、まだ修業盛りの頃、どうも一向芸が上達しないので、すっかり嫌気がさして、雨の降るなかを、ぶらぶら散歩に出かけました。ふと見ると、途ばたのしだれ柳の下に雨蛙が一匹いて、枝に飛びつこうとしています。幾度か飛んで、幾度か落ちしている末、とうとう骨折のかいがあって、枝に縋りつきました、それを見た道風はすっかり感心しました。
「何事も努力だな。あの蛙がわしにそれを教えてくれたのだ。」
と思った彼は、家に帰ってから夜を日についで、みっちり勉強を重ねました。やがて書道のえらい大家になったという話なのでした。
「何でもその道風とやらは、公卿(くげ)の次男坊だそうだから、お冠でも着ていたかも知れない。そんな男の記憶はないかしら。」
「ある。ある。やっと思い出した。ずっと以前にそんな男に出あったことがあったっけ。」雨蛙はだしぬけに大きな声で叫びました。「だが、話が少しほんとうのことと違っているようだ。おれは何も道風とやらに教えようと思って、そんなに骨を折っていたわけじゃないよ。」
「これ。そんなに大きな声を……」
 蝸牛は慌てて眼でとめました。そして声をひそめて、この頃世間の噂によると、人間は雨蛙が道風を感化して、すぐれた書家をつくり上げた手柄を記念するために、今度銅像を建てようと目論んでいるという事を話しました。
「そんな場合じゃないか。話が違っているなどと、余計な口をきくものじゃないよ。」
 銅像――と聞くだけでも、雨蛙は喜びました。彼は秋になると、鋭い嘴(くちばし)をもった鵙(もず)がやって来て、自分たちを生捕りにして、樹の枝に磔(はりつけ)にするのを何よりも恐れていました。あの癇癪(かんしゃく)もちの小鳥が、赤銅張(しゃくどうば)りの自分をどうにもあつかいかねている姿を想像するのは、雨蛙にとってこの上もない満足でした。
「だが、おれは着物を着ていない。すっ裸だ。こんな姿(なり)でもいいのかしら。」
 雨蛙は心のなかでそう思うと、急に自分の姿が恥かしくなって、両手をひろげてふくれた腹を隠しました。腹には臍(へそ)がありませんでした。
「おれには臍がない。困ったなあ。臍のない銅像を見ると、皆が噴き出すだろうからな。」
 雨はざあざあ降りしきって来ました。雨蛙は両手で腹を抱えたまま、ずぶ濡れになって腑抜(ふぬ)けがしたようにぼんやりとそこに立っていました。
「えらい降りだな。」蝸牛はどうかすると、滑り落ちそうな無花果の葉っぱをしっかりとつかまえました。「おい、おい。何をそんなに考え込んでるんだ。」
「おれは銅像になぞしてもらいたくない。」雨蛙は哀しそうにいいました。「おれの腹には臍がないし、それに話が大分喰い違っているようだ。おれはあの折人にものを教えようとも思っていなければ、そんなに骨を折って柳の枝に飛びつこうともしていたわけじゃないんだよ。」
「じゃ、何をしてたんだ。正直に言いなさい。」
 蝸牛は険しい顔をしました。友達のそんな気色を見てとった雨蛙は、気おくれがしたように声を低めました。
「ほんとうのことをいうと、おれはぶらんこをしていたんだよ。道風さんにはすまないけど、唯それだけのことなんだ。」
「ぶらんこ……」
 蝸牛は呆気にとられたようにいいました。そして柄(え)のついた雨除け眼鏡を持ちなおして、しげしげと相手の顔を見入っていましたが、こんなせち辛い世のなかに、のん気にぶらんこをして遊ぶような、そんな友達なぞ持ちたくないといったように、顔をしかめたまま、黙って向をかえました。

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