艸木虫魚
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著者名:薄田泣菫 

     4

 聞くところによれば、紀州家では今度の売立で相続税を産み出すとのことだが、虚堂禅師の墨蹟を初め、重だった書画骨董は、それぞれこうした逸話をもっていないものはないはずだから、逸話や伝説を珍重する茶人仲間では、たいした附値を見ることだろうと想像せられる。紀州家の当主は、まず何を措いても、所蔵の書画骨董にこんな逸話を添物にして残しておいてくれた、祖先頼宣に対して感謝しなければなるまい。
 頼宣が老年になって、家を嫡子光貞に譲るとき、次男左京大夫には、茶入や懸物などの家康伝来の名品を幾つか取揃えて譲ったものだ。それを見た渡辺若狭守は不審そうに訊ねた。(この三つの話を通じて、いつでも渡辺若狭守が顔を出すのを、不思議に思う人があるかも知れないが、こういう役はいつも相手を引きたたせて、大きく見せるために存在する、言わば冬瓜の肩にとまった虫のようなもので、それが髯を生やした蟋蟀(こおろぎ)であろうと、若狭守であろうと、どちらにしても少しも差支がない。)
「御次男様へ、茶の湯のお道具、さように数々お譲りになりましたところで、さしあたりお用いになるべき御客様もござりますまいに。」
 すると、頼宣は、
「左京は小身のことゆえ、時には兄に金銀の借用方を申込むこともあろう。その折これを質ぐさに入れたなら、道具は本家にかえり、左京はまた金子を手に入れることが出来ようと思うからじゃ。」
と言ったということだ。してみると、紀州家の当代が、相続税を産みたさに、伝来の重宝を売ったところで、頼宣はただ笑って済ますぐらいのことだろう。


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   遺愛品

 小説家M氏は、脳溢血で懇意の友人にも挨拶しないで、突然歿くなった。毎日日課として、八種ほどの田舎新聞の続き物を何の苦もなく書上げ、その上道頓堀の芝居見物や、古本あさりや、骨董いじりなどに、一日中駈けずり廻って、少しの疲労をも見なかったほど達者な人だったが、歿くなる折には、まるで朽木が倒れるように、ぽくりと往ってしまった。

 入棺式の時刻になると、故人の懇意な友人や門下生達は、思い出の深い書斎に集って、この小説家の遺骸と一緒に、白木の棺に納めるべき遺愛品の撰択について協議を始めた。M氏には子供らしい妙な癖があって、自分に門下生の多いのを誇りたさの念から、一度物を訊きに自分を訪ねて来たものは、誰によらず門人名簿に書き加えていたから、その日そこに集った人達のなかにも、本人はいっぱし懇意な友達のつもりでいても、その名前がちゃんと門人名簿のなかに見つからないとも保証出来なかった。
「井伊大老の短冊などはどんなものでしょう。たしか一、二枚あったように覚えていますが――。」門下生のHという新聞記者は、寝不足な眼をしょぼしょぼさせながら皆の顔を見た。「××新聞に載っていた、大老についての記述が、先生最後の絶筆となったようなわけですから、その縁でもって……。」
「あれは、たしか未完結のままでしたね。」
 故人と同じ古本道楽で、豆本の蒐集家として聞えた、禿頭の銀行家は、円っこい膝の上で、指の節をぽきぽき鳴らしながら、誰に訊くともなしにこんなことを言った。
「そうです。未完結のままで。」
「そりゃいかん。そんなものを棺に納めたら、かえって故人が妄執の種となるばかりですよ。」
 銀行家は、取引先の担保にいかさまな品書きを見つけた折のように、皮肉な笑を見せた。Hはそれなり口を噤んでしまった。
「義士のものはどうだっしゃろ。Mはんの出世作は、たしか義士伝だしたな。」
 故人と大の仲よしで、その作物を舞台にかけては、いつも評判をとっていた老俳優の駒十郎は、こんなことを言うのにも、台詞らしい抑揚(めりはり)を忘れなかった。
「さあ……。」
 誰かが気のない返事をした。
「いけまへんやろか。」
 駒十郎は、てれ隠しに袂から巻煙草を一本取出して、それを口に銜(くわ)えた。身体を動かす度に、香水の匂がぷんぷんあたりに漂った。
「可愛らしい玩具か何かないものかしら。来山の遊女(おやま)人形といったような……。」
 胡麻白頭の俳人Sは、縁なしの眼鏡越しに、じろじろあたりを見廻した。自分の玩具好きから、M氏をもその方の趣味に引込もうとして、二、三度手土産に面白い京人形を持って来たことがあるので、それを捜すつもりらしかったが、あいにくその人形は物吝みをしないM氏が、強請(ねだ)られるままに出入の若い女優にくれてしまっていたからそこらに影を見せなかった。
「十万堂の遊女人形は、あれは女房の代りじゃなかったんですか。」故人がかかりつけの医者で、謡曲好きのGは、痺(しびれ)が切れたらしい足を胡坐に組みかえた。「すると、Mさんには、かえって御迷惑になるかも知れませんな。」
 皆は意味あり気な眼を見交した。
 先刻から襖を開けて、押入に首を突込んだまま、そこに山のように積重ねてある書物を、あれかこれかと捜していたらしい、脚本作者のWは、そのなかから八冊ばかりの大型の和本を取出すと、
「これだ。これだ。これだったら、誰にも異存があろうはずがない。」
と、頓狂な声を立てながら、得意そうに頭の上にふりかざして、皆に見せびらかした。それは西鶴の『好色一代男』で、どの巻も、どの巻も、手持よく保存せられたと見えて、表紙にも小口にも、汚れや痛みなどの極めて少い立派な本だった。
「なるほどね。一代男とはいい思いつきだ。Mさんは夙くから西鶴の歎美者だったしそれに一代男というと……。」
 銀行家は、禿げた前額を撫上げながら、ちょっと言葉を切って、にやりとした。
「一代男というと……。」皆は頭のなかで、この草子の主人公世之助が、慾望の限を尽した遊蕩生活を繰返してみた。そして人情のうらおもて、とりわけ女心のかげひなたを知りぬいていたM氏にとって、こんなに好い道づれはまたとあるまいと思った。
「それはいい。Mさんと世之助とでは、きっと話が合うから。」
 皆は口を揃えて『好色一代男』を棺に納めることに同意した。そして生前懇意だった人のために、死後好い道づれを見つけることが出来たのを心から喜んだ。
「それじゃ、どなたも御異存はございませんな。」
 脚本作者のWが『一代男』八冊を手に取上げて、やっとこなと立上ろうとすると、急に次の間の襖が開いて、
「異存がおまっせ、わてに。」
と、呼びかけながら、いが栗頭の五十恰好の男が入って来た。大阪に名高い古本屋の主人で、M氏とは至って懇意な仲だった。
 古本屋の主人は、脚本作者の側に割込むと、ちょっと頭を下げて皆に挨拶した。そして懐中からぺちゃんこになった敷島の袋を取出すと、一本抜取ってそれに火をつけた。
「どなたのお言葉か知りまへんが、一代男をとは殺生だっせ。これを灰にして見なはれ。世間にたんとはない西鶴物が、また一部だけ影を隠すわけだすからな。それにこんな手持のよい一代男は、どこを捜したかて、滅多に見られるわけのものやおまへん。わてがこれを先生に納めたのは、つい先日(こないだ)のことだしたが、その時の値段が確か千五百円だしたぜ。」
「ほう、千五百円。そない高い本とは知らなんだ。どれ、どれ……。」
 駒十郎は、喫みさしの煙草を、火鉢の灰に突込んで、その手で脚本作者の膝から、本の一冊を取上げた。あたりの二、三人は、首をのばしてそれを覗き込んだ。
「そんなに高くなったかな。五百円の値を聞いて、びっくりしたのは、つい二、三年前のように思ったが。」古本好きの銀行家は、書物の値段が自分に相談なしに、ぐんぐんせり上っているのが、幾らか不機嫌らしかった。「ともかくも、そんなに高価なものを灰にしてしまっては、遺族の方々にも申訳がないから。」
「じゃ、一代男は思い止まりましょう。」
「外に何か見つかればいいが。」誰かがこんなことを言った。
 駒十郎は先刻から挿絵の一つに見とれて、側に坐った新聞記者のHを相手に、自分の出る芝居の番附だけは、どうかしてこんな風に描かせたいものだといったようなことを、小声でひそひそ話していた。
「いいものがおます。也有の『鶉衣』だす。」古本屋の主人は、勢よく立上ったかと思うと、かねて勝手を知った書棚に往って、四冊本の俳文集を取出して来た。
「この本だしたら、也有の名著で、先生のこの上もない愛読書だしたし、それに……。」

 皆は後を聞かないでも満足した。そして一代男の代りに鶉衣四冊を棺に納めることに同意した。
「ああ、そうだったな。」医者のGが、拍子ぬけのしたように呟いた。「也有もMさんも同じ尾張人だったから、途々名古屋弁でもって仲好く話して往くことだろうて。」
 皆はそれを聞くと、故人の特徴のある名古屋訛を思い出した。そしてそれももう二度と聞かれなくなったのだと思って、覚えずほろりとした。


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   暗示

     1

 こういう話がある。
 ある時、山ぞいの二また道を、若い男と若い女とが、どちらも同じ方向をさして歩いていたことがあった。
 二また道の間隔は、段々せばめられて、やがて一筋道となった。見ず知らずの二人は、一緒に連立って歩かなければならなくなった。
 若い男は、背には空になった水桶をかつぎ、左の手には鶏をぶら提げ、右の手には杖を持ちながら、一頭の山羊をひっぱっていた。
 道が薄暗い渓合に入って来ると、女は気づかわしそうに言葉をかけた。
「わたし何だか心配でたまらなくなったわ。こんな寂しい渓合を、あなたとたった二人で連立って歩いていて、もしかあなたが力ずくで接吻でもなすったら、どうしようかしら。ほんとうに困っちまうのよ。」
「え。僕が力ずくであなたを接吻するんですって。」男は思いがけない言いがかりに、腹立ちと可笑さとのごっちゃになった表情をした。「馬鹿をいうものじゃありません。僕は御覧の通り、こんなに大きな水桶を背負って、片手には鶏をぶら提げ、片手には杖をついて、おまけに山羊をひっぱってるじゃありませんか。まるで手足を縛られたも同然の僕に、そんな真似が出来ようはずがありませんよ。」
「それあそうでしょうけれど……。」女はまだ気が容せなさそうにいった。「でも、もしかあなたが、その杖を地べたに突きさして、それに山羊を繋いで、それから背の水桶をおろして、鶏をそのなかに伏せてさえおけば、いくら私が嫌がったって、力ずくで接吻することくらい出来るじゃありませんか。」
「そんなことなんか、僕考えてみたこともありません。」
 男は険しい眼つきで、きっと女の顔を睨んだが、ふとその紅い唇が眼につくと、何だか気の利いたことの言える唇だなと思った。
 二人は連立って、薄暗い樹蔭の小路に入って往った。人通りの全く絶えたあたりに来ると、男は女が言ったように、杖を地べたに突きさし、それに山羊を繋ぎ、背の水桶をおろして、鶏をそのなかに伏せた。そして女の肩を捉えて、無理強いに接吻したということだ。

     2

 この場合、若い男は初めのうちは何も知らなかったのだが、女の敏感な警戒性が思わず洩した一言に暗示せられて、それを実行に移したのである。善行にせよ、悪業にせよ、すべて男の勇敢な実行の背後には、得てしてこうした婦人の暗示が隠れているものだ。


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   詩人の喧騒

 支那の西湖に臨んで社廟が一つ立っている。廟の下手は湖水に漁獲(すなどり)をする小舟の多くが船がかりするところで、うすら寒い秋の夜などになると、篷(とま)のなかから貧しい漁師達が寝そびれた紛れの低い船歌を聞くことがよくある。
 月の明るいある夜のことだった。そこらに泊り合せた多くの船では、漁師たちはもう寝しずまったらしく、あたりはひっそりして何の物音も聞えなかった。その中に皆の群から少し離れて、社廟のすぐ真下(ました)に繋いだ小舟では、若い漁師がどうしたものかうまく寝つかれないで、唯ひとりもぞくさしていた。
 若い漁師は所在なさに篷を上げて外を見た。水銀のような青白い光の雫は、細かく湖の上に降り注いで、そのまま水に吸い込まれているようだった。時々小さな魚が水の面に跳ね上るのが見られたが、水泡の爆(は)ぜ割れる微かな音一つ立てなかった。
「静かな夜だなあ。」
 若い漁師は寒そうに首を竦(すく)めて、覚えずこう呟こうとして、そのまま口を噤んでしまった。少しでも声を立てて深い寂黙(しじま)を破るのが、何だか気味悪く感じられたのだ。
 漁師はまたもとのように篷の下に潜り込もうとしたが、ふと近くに何だか得体の分らない、怪しい騒めきが始まったのを聴きつけて、覚えず半身を舷から乗出すようにして聴耳を立てた。騒めきは掠めるような人声で、すぐ頭の上の社廟のなかに起きていた。何でも五、六人の人たちが、二組に分れて言い争っているらしかった。その一組は呼吸の通っている人達とみえて、声柄に何の変りもなかったが、今一つの組が肉身を具えたこの世の人たちでなかったのは、その物言いぶりが何よりもよく語っていた。紛れもない幽魂(たましい)そのものの声で、それを耳にすると、掘りかえされた墓土の黴臭い呼吸と、闇に生れた眼なし鰻の冷さが気味悪く感じられた。恐いもの見たさの物好きが強く働いていなかったら、若い漁師はそこそこに舟を漕いで、遠くへ逃げ出したかも知れなかった。
「すると、お前たちが心静かに月に見とれていると、そこへこちらの二人が無理に入って来たというのだな。」
 だしぬけにこういう声が聞えた。その声には、口喧嘩(いさかい)をし合っている輩(てあい)のものとは似てもつかない重々しい力があった。若い漁師はすぐにそれを社廟の神様のお声だなと気づいて、軽い身顫いを覚えた。
「さようにございます。手前どもが永い間閉じ籠められた常闇(とこやみ)の国から抜け出して来て、久しぶりに見たのが今夜の満月でございましょう。手前どもはあの青白い光を見ると、むかしのいろんなことを思い出して、唯もう夢のような気持で、水際の草の上に蝗(いなご)のように脛(すね)を折り曲げて、じっとあたりの静かさを楽しんでいたものでございます。そこへいきなり理不尽に割り込んでござらしたのがこの旦那衆で……。」
 喧嘩の片われは、下様(しもざま)な雑人(ぞうにん)だと見えて、言葉つきにどことなく自ら卑下したところがあった。他の一人がすぐ後を引取った。
「いさかいは、そこから始まったのでございます。手前どもの団欒(まどい)に、そこのお二人が割り込んで見えなければ、悶着(もめ)は起らなかったはずです。どうか正しいお裁きが願いたいもので……。」
「それはいかん。」神様は苦々しそうに相手をたしなめた。「おまえ達は、相当な身なりをしているくせに、何故あってそんな不作法な真似をするのだ。一体何者なのか。おまえ達は……。」
「詩人です。二人とも。」
 相手の一人は得意そうに言い放った。その声にはみだらな女と酒とのにおいがぷんと籠っているように感じられた。若い漁師はそれを聞いて、この人たちは詩を作ることを、魚を獲ることと同じように、立派な職業(しごと)だと考えているらしい。魚は市場に持って往けば、いつだって金に替えることが出来るが、詩と来たらてんで引取手(ひきとりて)があるまいに、可笑しな勘違いだと思って、口もとに軽い微笑を浮べた。
「そうか、詩人か。」神様は二人の男が詩人だと聞いて、いくらか気持が更(かわ)ったらしく、急に調子を荒らげて相手の雑人を叱りつけた。「何だ。貴様たち。こちらは文字のある先生方じゃないか。下衆のくせに寄ってたかって、先生方に反抗(はむか)うなんて、恥知らず奴(め)が……。」
「滅相な。手前どもがこの旦那衆に反抗(はむか)うなんて、そんな……。」相手の一人がびっくりしたように言った。持病の喘息で生命を捨てたものらしく、言葉を急き込む度に、ぜいぜい息切れがするのが手に取るように聞えた。「そんな間違ったことはございません。喧嘩(いさかい)の種を蒔いたのはこの旦那衆です。静かに月を見ている手前どものなかへ割り込んで来るなり、鵞鳥のような声でもって、何だか、へい、訳も解らないことを、ぎゃあぎゃあ我鳴り立てなすったものだから……。」
「そんな高声で、何をまた議論し合ったのだ。」
 社廟の神様は、詩人たちに訊いたらしかった。
「無論詩のことでございます。」きっぱりと返事をするのが聞えた。「その他(ほか)のことは、何一つ論ずる値打がありませんから。」
「ほう、詩のことか。詩のことなら、議論の題目として何不足はないはずだ。」神様も恋をする若い人達と同じように、詩は大の好物らしかった。「お前達も、黙って聴いていればいいじゃないか。」
「聴いてはいませんでしたが、黙ってはいました。なぜと申しまして、聴いたところで手前どもにはあまり難かしくて、とても解りようがなかったのですから。すると、この旦那衆は、黙っているのが気に喰わないと見えて、また一段と声を張り上げて喚き散らしなさいます。これでもか、これでもかといった風に。それを辛抱(がまん)しかねた仲間の一人が、
「どうか少しお静かに願います。」
といったものです。すると、こちらの旦那衆が、
「何っ。」
と、いいさま、いきなり起上って拳(こぶし)を振り上げなさいましたので……。」
「何でも、へい、世間の噂には、江都の詩人汪先生は、友達が宋代とやらの詩を貶(けな)したからといって、えらく腹に据えかねて、いきり立って議論を吹っかけたので、近くの樹にとまっていた小鳥が、みんな逃げてしまったそうに聞きました。一体詩人というものは、みんな牛のように吼えるものと見えまして……。」
 雑人の一人が、横合から冷かし気味にこんなことをいったものだ。すると、神様は陽気に笑い出した。
「は、は、は、は。詩人達が牛のように吼えるものかどうかは知らぬが、確かに牛のように角突き合いはよくするものらしいね。ところで、先生方――。」神様の詩人達に対する言葉は皮肉になった。「先生方の詩論とやらは、いずれは高尚で結構ずくめなものだろうが、それも処と相手とを吟味した上でなくっては。今夜のところはこのままさらりと水に流そう。が、その代り以後はちと場所柄をわきまえるようにしてもらいたいものだて。」
 それを聞くと、雑人方は、草の枯葉が共擦れするような、微かな気配を立ててひそめき出した。若い漁師は眼をつぶらにして社廟をふり仰いで見た。青白い月明りが薄絹のようにたよたよと顫えている後壁の隙間から、魚の腹のような冷い燐火が、三つ四つ続けさまにふらふらと飛び出したかと思うと、その瞬間、
「き、き……。」
と二十日鼠の笑うような声が低く聞き取られたように思った。
 その後から、青と赤との衣を着た人がのっそりと二人出て来た。詩人だなと思って、若い漁師は伸び上るようにしてその顔を見ていたが、それが誰だったかに気がつくと、慌てて首をすくめて眼を伏せた。
「何だ。那奴(あいつ)じゃないか。こないだ鳶が空から取落した奴を、松江の鱸だといって、うまく騙して売りつけてやった、あの露次裏の老ぼれじゃないか。」
 詩人二人は、そんなことに気がつこうはずがなく、口の中で何かぶつくさぼやきながら、霧の中に見えなくなってしまった。


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   樹木の不思議

     1

 今日久しぶりに岡山にいる友人G氏が訪ねて来た。そして手土産だといって梨を一籠くれた。梨は一つずつ丁寧に二重の薄紙に包まれていたが、その紙をめくってみるとなかからは黄熟した肌の滑っこい、みずみずしい大粒の実が現われた。
 梨好きな私は、早速その一つを皮をむかせて食べてみた。きめの細かい肉は歯ざわりがさくさくとして、口の中に溶け込むように軽かった。
「うまいね、この梨。ことしの夏は京都、奈良、鳥取と方々の果樹園のものを食べてみたが、こんなうまいのは始めてだよ。」
「実際うまいだろう。皆がそう言っている……。」と客はさも満足そうにいって、口もとに軽い微笑の影を漂わせた。「うまいはずだよ。これには不思議な力が籠っているんだから……。」
「不思議な力。」私はいぶかしそうにG氏の顔を見た。
「まったく不思議なんだ。それはこう言う訳なんだがね。」
 G氏は落ついた句調で、ぽつりぽつりと次のようなことを話した。

     2

 岡山を西へ一里半ばかり離れた田舎に、かなり広い梨畑をもった農夫があった。どうしたものか、いつの年も咲き盛った花の割合に、実のとまりが極く少く、とまった果実もそれが熟れる頃になると、妙に虫がついて、収穫として畑よりあがるものは、ほんの僅かしかなかった。年毎の損つづきに気を腐らした農夫は、いっそ梨畑を掘り返して、そのあとに何か新しいものを植えつけてみたらと思った。で、いつもこんな場合に、いい分別を貸してもらうことになっている神道――教会の教師を訪ねて、その相談をもちかけた。いうまでもなく、農夫はその教会のふるい信徒の一人だった。
 農夫の口から委細を聞いた教師は、気むつかしく首をふった。
「梨畑を掘り返すにはまだ早い。もっと御祈念を積みなさい。」
「御祈念はいたしとります。」
 農夫の言葉つきには、どこかに不足らしいところがあった。
「何と言って御祈念している……。」
「神様。どうぞ私の梨畑を……。」
 気後れがするらしく、口のなかで言う農夫の言葉を、教師は皆まで聞かなかった。
「私の梨畑だと。お前さんにそんなものはないはずだ。何もかも一切神様にお返ししなさい、といって聞かせたことをもう忘れているね。」
 それを聞くと、農夫は両手を膝の上へ、頭を垂れたまま、悄気(しょげ)かえったようにじっと考え込んでいたが、暫くすると、
「いや、よくわかりました。私が間違っておりました。」
と、丁寧に教師に挨拶をして帰って往った。
 その日から農夫の心は貧しくなった。彼は一切のものを神に返した。毎朝鋏と鍬とをもって梨畑へ出かけると、いつもきまったように樹の下に立って、
「神様。これからあなたの畑で働かせていただきます。もしか梨の実がみのって、少しでも余分のものがおありでしたら、そのときには盗人や虫におやりになる前に、まず私にいただかせて下さいますように。」
と、真心を籠めて祈念した。そして自分の畑を自分の手で処理するといったようなこれまでの気儘な態度をあらためて、自分はただこの畑の世話をするために雇われた貧しい働き人の一人に過ぎないような謙遜な気もちで、一切を自然にまかせっきりにして、傍からそっと草を抜き、肥料を施しなどした。
 こうは思いあらためたものの、農夫は心の奥でその結果について幾らかの不安を抱かないわけではなかったが、次の夏が来て、梨の実がみのる季節になると、彼は不思議なものを見せつけられて、心の底から驚嘆した。
 一度は掘り返して火に焼いてしまおうと思った、やくざな梨畑の樹という樹は、枝も撓(たわ)むばかりに大きな果実を幾つとなくつけているのであった。

     3

「その不思議な梨畑に出来たのが、実はこれなんだよ。」
 客のG氏はこう言って、自分が持って来た果物籠から、梨の実の一つを取出したかと思うと、皮をもむかないで、いきなりそれに噛みついた。

     4

 こんな話がむかしにも一つある。
 足利時代に又四郎という庭造りの名人があった。庭造りというと、今も昔も在り来りの型より外には、何一つ知らぬ輩のみ多いが、又四郎はそんなのとは異って、文字もあり、する仕事にも、それぞれちゃんとした典拠があったようだ。
 あるとき又四郎が、さる寺方から頼まれて、築山を造ったことがあった。その仕事振を見ようとして、住職がぶらりと庭へ出てみると、不思議なことには滝頭(たきがしら)が西へとってあった。
 住職は合点が往かなかった。
「滝頭を西にとったのはおかしい。すべてどんなものでも、頭は東にあるのが、本当じゃなかろうか。」
「ごもっともさまで。……すべて滝頭を東にとりますのは、庭造りの極った型でございます。」又四郎は答えた。「が、それは在家の庭のことで、寺方のになりますと、滝頭を西にとった方が、かえって本当かと思われます、むかしから仏法東漸と申しまして……。」
「仏法東漸か。なるほどそう聞けば、それも尤なようだて。」
 住職は笑って納得するより外には仕方がなかった。

 同じ頃に、蘭坡和尚という禅僧があった。和尚は自坊の境内に一段の風致を加えるために、枝ぶりのいい松を五、六株植えたことがあった。程経て気がついてみると、松の葉は赤く枯れかかっていた。和尚は衰えた松の薬には酒がいいことを聞いていたが、酒は自分にも二つとない好物だったので、いくら松のためとは言い条、それを譲るわけにはゆかなかった。和尚はかねて懇意な間柄だったので、又四郎に相談をもちかけた。
「見らるるとおり、あのように松が枯れかけて来た。何かいい薬はないものかしら。」
「薬はいろいろあるにはあります。が、どれもこれもあまり効力(ききめ)といってはないようです……。」
 又四郎は赤ちゃけた松の葉を見上げながら冷やかに答えた。
「あまり効力がない。それは困ったものだな。」
 和尚はさも当惑したように円い頭をふった。頭の上では松の樹が勢のない溜息をついて、同じように枝をふったらしかった。又四郎は言った。
「そんな薬よりも、ずっと効力が見えるものが一つあります。もっともこれは私の秘伝でございますが……。」
「そうか。秘伝と聞けば、なお更それを聞きたいものだて。」
「それは、和尚さま、お経にある文句なのです。」
 又四郎は口もとに軽い微笑を浮べて言った。
「お経の文句。それはどのお経にある。」
 和尚の眼はものずきに燃えていた。
「観音経のなかの、
□甘露法雨
滅除煩悩焔
という文句です。あの文句を紙に書いて、そっと樹の根に埋めておきますと、霊験はあらたかなものです。枯れかけた樹の色が、急に青々と若返って来ます。」
 又四郎は枯れかけた当の松の樹にも、立ち聞きせられるのを気遣うように、声を低めて言った。
「いかさま。これはいいことを教えてもらった。」
 和尚のよろこびは一通りではなかった、彼はいそいそと自分の居間に帰って往ったが、暫くすると、折り畳んだ紙片を掌面に載せてまた出て来た。
「又四郎どの。御面倒だが、それじゃこの紙片を土に埋めて下さい。」
 又四郎は受取った紙片をそっとおし拡げてみていたが、すぐまたそれを和尚の手に返した。
「和尚さま。□甘露法雨の□の字が樹になっていますよ。」
「ほい。わしとしたことが、これは失敗ったな。」
 和尚は頭を撫でて高く笑った。

 文字はすぐに書きあらためられて、又四郎の手で松の根もとに埋められた、そしてそのまま捨ておかれた。
 枯れかけた松の色は、やがてまた青くなり出した。

     5

 何事も自然にまかせて、あまりおせっかいをしないのが、一番いいようだ。


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   蔬菜の味

     1

 元の道士として聞えた画家張伯雨が、あるとき蔬菜の画を描き、それに漢陰園味と題名をつけたことがあった。というのは、むかし、子貢が、丈人と漢陰に出合ったことがあった。そのとき丈人が圃(はたけ)に水をやるのに、御苦労さまにも坑道をつけた井のなかに降りて往き、そこから水甕を抱いて出て来るのを見て、子貢がひどく気の毒がって、そんなまだるっこいことをするよりも、いっそこうしたがよかろうと、槹(はねつるべ)の仕方を伝授したものだ。すると、丈人はむっとした顔をして、ひどく機嫌を損じたらしかった。丈人の嫌がったのは、子貢が心安だての差出口よりも、そんな便利な機械を使う事だった。すべて土に親しんで、蔬菜でも作って楽もうというには、そんな調法な機械をいじくるよりも、どこまでも甕で水を運ぶまだるっこさに甘んじて、その素人くさい労役を味うだけの心がけがなくてはならないが、伯雨はその心持を汲みとって自分の作画に名づけたものだった。後に明の姚雲東がその蔬菜の画を手に入れて、ひどく感心したあまりに、自分でも屋敷のまわりに圃を作り、雑菜の種子を播いて、日々そのなかを耕すようになった。
 そして明暮(あけくれ)蔬菜の生長を見て楽んでいるうちに、雲東は自分でも伯雨のまねをしてみずから土に親んで得た園味を思うさま描き現わしてみたいと思うようになった。
 九箇月を費してやっと出来上ったのは、名高い雑菜の図で、自分の圃に作ったいろんな野菜の写生画と詩文とに、溢れるような田園の趣味を漂わせたものだった。
 伯雨の漢陰園味も、雲東の雑菜の図も、今はどこに伝わっているか知る由もなく、いくら玩賞したいと思ったところで、そんな機会がとても得られるわけのものではないが、私は秀れた作家の手になった蔬菜の図には、ある程度の情熱をさえ感じる。自分の身近くにころがっている、極めてありふれたものを更に見直して、そのなかに隠れている美に気づき、それに深い愛着をもつのは、誰にとっても極めていいことに相違ない。

     2

 肥り肉(じし)の女が、よく汗ばんだ襟首を押しはだける癖があるように、大根は身体中(からだじゅう)の肉がはちきれるほど肥えて来ると、息苦しそうに土のなかに爪立をして、むっちりした肩のあたりを一、二寸ばかり畦土の上へもち上げて来る。そして初冬の冷い空気がひえびえと膚にさわるのを、いかにも気持よさそうに娯しんでいるようだ。畑から大根を引くとき、長い根がじりじりと土から離れてゆくのを手に感じるのは悪くないものだが、それよりも心をひかれるのは、土を離れた大根が、新鮮な白い素肌のままで、畑の畦に投げ出された刹那である。身につけたものを悉く脱ぎすてて、狡そうな画家の眼の前に立ったモデル女の上気した肌の羞恥を、そのまま大根のむっちりした肉つきに感じるのはこの時で、あの多肉根が持つなだらかな線と、いたいたしいまでの肌の白さと、抽き立てのみずみずしさとは、観る人にこうした気持を抱かせないではおかない。唯大根の葉っぱに小さな刺があるのは、ふっくらした女の手首に、粗い毛の生えているのを見つけたようなもので、どうかすると接触の気味悪さを思わしめないこともない。

 銭舜挙の筆だと伝えられたものに、大根と蟹とを配合して、鋭い線で描き上げた小幅を見たことがあった。怪奇な蟹の形相に顫えている、白い純潔な肉の痛々しい恐怖が、いまだに頭に残っている。

     3

 玉菜が、そのむかし海岸植物として、潮の香のむせるような断崖に育ち、終日白馬のように躍り狂う海を眺めて暮していたのは、真っ直に土におろした根の深さと、肉の厚い葉の強健さとでも知られることだ。あの大きな掌面(てのひら)をいくつもいくつも重ね合せて、大事そうに胸に抱いた円い球のなかには、一体何がしまわれているのだろう。静脈の痕ありありと読まれるその掌面を、一つ一つ丹念にめくってゆくと、最後に小さな貝殻のような葉っぱの外には、何一つ残されていないのに気がつくかなしさ。上の葉は下の葉に無理強いにおっかぶせようとし、下の葉はそれを跳ね返して、明るい太陽の方へ手を伸そうとする希望はもちながらも、ある強い力に支配せられて、自分より下の葉には、また同じようにおっかぶせようとしている。その重みと力とが互に咬み合い、互に抱きあって、なかに閉じ込められた葉は、永久に太陽を見ぬいらだたしさ。――私は玉菜を見る度に、いつもそうした胸苦しさを、何よりも先に感じないわけにゆかない。

     4

 里芋は着物を剥がれて、素っ裸のまま、台所の片隅に顫えている時よりも、親芋と一緒に土から掘り出されるおりの方が、ずっとおどけていて、趣きがあるようだ。親芋の大きな尻をとりまいて、多くの兄弟たちが、てんでに毛だらけなからだをすり寄せているのを見ると、小さな生物のような気がして、尻っ尾のないのが不思議なくらいのものだ。
 土だらけの里芋の皮を削り落そうとするとき、どうかすると指先が痒くてたまらなくなるのは、玉葱や辣薤(らっきょう)を手にするときに、眼のうちが急に痛くなるのと同じように、土から生れたものの無言の皮肉である。
 今から二十四、五年前に、私は徳富健次郎氏と連れ立って、大阪道頓堀の戎橋の上を通っていたことがあった。大跨に二、三歩先を歩いていた徳富氏は、急に立ちとまって背後をふり返った。
「薄田さん。あなたお弟子をお持ちですか。」
「弟子――そんなものは持ちませんよ。」
 その頃やっと二十五、六だった私に、弟子などあろうはずがなかった。
「それで安心しました。どうかなるべく弟子なぞもたないようにして下さい。子芋が出来ると、とかく親芋の味がまずくなるものですからね。」
 徳富氏はこう言って、またすたすたと歩き出した。
 私はその後、それと気づかないでえぐ芋を口に含んだときには、すぐに徳富氏のこの言葉を思い出して、
「青道心(あおどうしん)の小坊主め。お前一人は親の味をよう盗まなかったのか。気の毒な奴だな。」
と、苦笑いさせられたことがよくある。

     5

 籠に盛られた新鮮な白菜をみるとき、私はまず初冬の夜明の空気の冷さを感じ、葉っぱの縮緬皺にたまった露のかなしい重みを感じ、また葉のおもてをすべる日光の猫の毛のような肌ざわりの柔かさを感じるが、その次の瞬間には、すぐこの野菜が塩漬にせられた後の、歯ざわりの心よさを感じぬわけにゆかない。
 ちょうど赤楽の茶□を手にした茶人が、その釉薬のおもしろみに、火の力を感じると同時に、その厚ぼったい口あたりに、茶を啜るときの気持よさを感じるのと同じようなものだ。
 どうにも仕方がない。


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   栗

 今日但馬にいる人のところから、小包を送って来た。手に取ると、包みの尻が破けていて、焦茶色の大粒の栗の実が、四つ五つころころと転がり出した。
「いよう。栗だな。丹波栗だ……。」
 私は思わず叫んだ。そしてその瞬間、子供のように胸のときめきを覚えた。
 どれもこれも小鳥のように生意気に嘴(くちばし)を尖らし、どれもこれも小肥りに肥って、はち切れそうに背を円くしている。
 焦茶色の肌は、太陽の熱をむさぼるように吸って、こんがりと焼け上った気味だ。
 唐木机の脚、かぶと虫の兜、蟋蟀の太腿――強健なものは、多くの場合に焦茶色にくすぶっている。
 夏末に雑木林を通ると、頭の上に大きな栗の毬(いが)がぶら下っているのを見かけることがよくある。爆ぜ割れた毬の中から、小さな栗の実が頭を出してきょろきょろしているのは、巣立ち前の燕の子が、泥の家から空をうかがっているようなもので、その眼はもの好きと冒険とに光っているが、燕の母親がその雛っ児たちを容易には巣の外へ飛出させないように、胸に抱えた子供たちの向う見ずな慾望を知っている栗の毬は、滅多に自分のふところを緩めようとはしない。
 殻(から)のなかに閉じ籠って、太陽を飽食している栗の実は、日に日に肉づいて往って、われとわが生命の充実し、内圧する重みにもちこたえられなくなって来る。
 実(み)が殻から離れゆく秋が来たのだ。内部の強い動きから、毬はおのずと大きく爆ぜ割れる。
 向う見ずの栗の実は、「まだ見ぬ国」にあくがれて、われがちに殻から外へ飛び出して来る。焦茶色の頭巾をかぶった燕の子の巣立ちである。
 あるものは静かに枯葉の上に落ち、あるものは石にぶっつかり、かちんと音を立てて、跳ねかえりざま、どこかに姿をかくしてしまう。――どちらにしても、親木の立っている場所から八尺とは離れていない。彼らはそれを少しも悔まない。彼らにとって、ともかくもそこはまだ見ぬ国なのである。焦茶色の外皮の堅さは、こんな場合にもかすり傷一つ負わさない。
 私はこんなことを思いながら、栗の実の二つ三つを噛んで、それを火鉢の灰に埋めた。灰のなかからぷすぷすと煙がいぶり出して来た。


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   老樹

     1

 南メキシコの片田舎に、世界で一番古いだろうと言われる老木が立っている。それはすばらしく大きな糸杉(サイプレス)で、幹の周囲が百二十六呎(フィート)、樹齢はごく内輪に見積っても、まず六千年は請合だと言われている。
 私の住んでいる西宮をあまり離れていない六甲村に、今度天然記念物となった大きな樟樹がある。幹の周囲三十八尺六寸、根もとの周囲六十四尺にあまるすばらしいもので、樹齢はざっと千三百年にはなるだろうということだ。その附近に住んでいる、今年七十二才の前田某という老人の言葉によると、今から六十年ほど前、老人が十二、三才の頃には、この木の幹に張るしめ縄の長さが、五尋(ひろ)くらいで足りたものが、今では六尋も要るので、千幾百年も経ってこんな大きさになっていながら、まだ成長をやめないのかと、唯もう驚かれるばかりだということだ。
 六千年といえば、長い人類の歴史をも遥か下の方に見くだして、その頭は闇い「忘却」のかなたに入っている。その間樹は絶えず成長を続けて来たのだ。その脚の下には大地を踏(ふま)え、肩の上には天を支えて微塵の動ぎをも見せない巨柱のように衝っ立ってはいるが、樹は一瞬の間も休みなく変化を続けて、その大きさを増しているのだ。すべての草花は、その短い一生の間に、自分の全重量のざっと二百倍もの水分を土のなかから吸収するといわれているが、この巨木が六千年の間昼夜をすてず、大地のなかから吸い上げた養いが、どれほど大きなものであったろうかは、誰にも思いやられることだ。その養いは数知れぬ青い葉となって日光に呼吸し、すぐよかな枝となって空に躍り、また鯨の背のような厚ぼったい樹皮となり、髄となりして、今も尚六千年のむかし、土から柔かい双葉を持ち上げた、その頃の生命の新鮮さを失わないでいる。
 人間はものの数ではない。神よりも強健で、神よりも生命が長い。――そんなものが一つ、まだ見ぬメキシコの森林に存在することを思うだけでも、私の心は波のように踴躍する。


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   台所のしめじ茸

     1

 十月中頃のある日の午後二時過ぎ、水が飲みたくなって台所へおりて往った。天気が好いので、家のものたちは皆外へ出て往った後で、そこらはひっそりとしていた。
 窓を洩れる西日が、明るく落ちている板敷に、新らしい歯朶(しだ)の葉を被せかけた笊(ざる)がおいてあるのが眼についた。そっとその葉をとりのけてみると、朽葉のかけらを頭に土ぼこりを尻っぺたにこびりつけた菌(きのこ)が、少し前屈みになった内ぶところに、頭の円い小坊主を幾つか抱え込んで、ころころと横になっていた。
「おう。しめじ茸か。しばらくだったな。」
 私は久方ぶりに友達に逢ったようにこう思って、その一つを取り上げてみた。冷たい秋の山のにおいが、しっとりと手のひらに浸み入るようだった。
 私はよく雑木山のなかで、しめじ茸を見つけたことがあった。この菌は狐のたいまつなどが、湿っぽい土地に一人ぽっちで立っているのと違って、少し乾(かわ)いたところに、大勢の仲間と一緒に出ている。私は黄ばみかかった落葉樹の下で、この菌の胡粉を塗ったような白い揃いの着付で、肩もすれずれに円舞を踊っているのを見たことがあった。また短い芝草の生えた緩い傾斜で、勢揃いでもしているように、朽葉色の蓋(かさ)を反らして、ずらりと一列に立ち並んでいるのを見たこともあった。どんな場合にも、一つびとつ離ればなれに孤独を誇るようなことがなく、いつも朋輩のなかに立ち交って、群居生活を娯んでいるのが、このしめじ茸の持って生れた本性であるらしい。私はそれを思って、この菌を採る場合には、あとに残されたものの寂しさを憐んで、頭の円い小坊主だけは、出来るだけ多くそのままにしておいたものだが……
 蟋蟀が鳴いている。竈のうしろかどこかから、懶そうな声が途切れ途切れに聞えて来る。
「それ、虫が鳴いている。お前と俺と二人にとって、那奴(あいつ)はむかし馴染だったな。」
 私はもとのように歯朶の葉をそっと菌に被せかけた。そして日光のこぼれている板敷から、少し側の方へ笊を押しやった。

     2

 いつだったか、渡辺崋山の草虫帖の一つに、菌をとり扱っているのを見たことがあった。枯木の幹を横さまに、その周囲に七つ八つの椎茸を描いたもので、円い太腿をした蟋蟀が二つ配(あしら)ってあった。画面の全体が焦茶色の調子でひきしめられていたが、枯れ朽ちた椎の木の上皮に養いを取って、かりそめの生を心ゆくばかり娯しんでいる菌の気持が、心にくいまでよく出ていたことを覚えている。


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   客室の南瓜

     1

 南瓜――といえば、以前は薬食いとして冬まで持ち越し、または年を越させたものだが、米国産の細長いつるくび南瓜や、朱色の肌をした平べったい金冬瓜や、いろんな恰好をしたコロンケットなどが、娯みに栽培せられるようになってから、南瓜は秋から冬を通じて、客間の装飾としても用いられるようになった。
 私は奈良興福寺にある名高い木彫の天灯鬼が、左肩に載せた灯を左手で支えて、ぐっと身体をひねっている姿や、その相手の龍頭鬼が龍を首に巻きつかせたまま、灯を頭に載せ、両手を組み、白い眼をむいているのを見るのが好きだ。鬼というものをこんなにまで写生風に取扱って、それに溢れるばかりの感情を盛った作者の腕前に心から驚歎させられるが、それと同時に、この小鬼たちに対して友だちのような心安さから、その肩に盛り上った肉塊(ししむら)を撫で廻し、その臍のあたりを小突いてみたくなることがよくある。私が南瓜を愛するのはそれと同じ気持で、瘤のようにでこぼこした、または縮緬皺の細かい肉つきの手触りと色つやとに、その生みの親である太陽と土との、怪奇な意匠と秀れた仕上げとを味いたいからに外ならぬ。実際南瓜こそは、情熱に焼け爛れた太陽と黒土との間に生れた、鼻っ欠けの私生児に過ぎないかも知れないが、この私生児は、日の熱と土の力とを両つとも立派に持ち伝えた、碌でなしのえらものである。

     2

 円い瓜、長目な瓜、細長い瓜、またはでこぼこの瓜――それがどんな形であろうと、私が瓜の実を好む気持に少しも変りはない。高麗焼の陶器に、朝鮮民族の呑気な、しかし、また本質的な線の力強さを味い得るように、私たちは瓜の実の持ついろいろな線や、恰好や、肌触りに、見かけは間伸びがしたようで、どこかにちゃんと締め括りがあり、大まかなようで、実は細かい用意があるのに驚かされることがよくある。
 瓜のおもしろ味は、蔓や巻髪を切離してはならない。最も力の籠っているのは、蔓と瓜の実とをつなぐ臍(ほぞ)の柄(え)で、生(な)り物全体の重みを支えなければならぬだけに、秀れた茶壺の捻り返しを見るような、力と鮮やかさとを味わされることが多い。この臍を起点として、瓜の肌に沿うて流れる輪廓の線は、真桑瓜や雀瓜のように、こぢんまりと恰好よく纏っているのもあるが、どうかすると、長糸瓜のように、線と線とが互に平行したまま、無謀にも七尺あまりも走った後、やっと思い出したように、いくらか尻膨れになってつづまりをつけるのや、または冬瓜や西瓜のように、図外れに大きな弧線を描いて、どうにも始末におえなくなっているのがある。そのなげやりに近いまでの胆の太さは、芸術家と実行者とを、愛と放棄とを、両つながらその意図に有っている自然翁でなくては、とても出来ない放れ業である。
 いつだったか、元末の画家呂敬甫の『瓜虫図』の写しを見たことがあった。長い蔓に生った大きな青い瓜に、火の雫のような赤蜻蛉を配ったものだった。また小栗宗湛の『青瓜図』をも見たことがあった。蔓につながった二つの大きな瓜を横たえ、それに二疋の螳螂を添えたもので、瓜の大きさと葉の緑とが、いまだに記憶に残っている。二つの絵に共通の点は、こうした自然物に対する深い愛と、大きな瓜に小さな昆虫を配したところにあるが、軽い羽をもった赤蜻蛉も、反抗心に燃えている螳螂も、どっかりと横に寝そべったあの青瓜の大頭(おおあたま)の前に出ては、何となく気圧(けお)されがちに見えるのもおもしろいと思った。

     3

 夜半亭蕪村の描いた真桑瓜と西瓜の化物を見たことがあった。すべての想像に画のようなはっきりとした輪廓をもたせないではおかなかったこの芸術家は、絶えず幻想を娯み、また幻想に悩まされていたのではあるまいかと疑われるほど、妖怪変化について多くの記述と絵画とを遺している。私が見たのもその一つで、遠州見付の夜啼婆、鎌倉若宮八幡の銀杏の樹の化物などと一所に描かれたものだった。山城駒のわたりの真桑瓜の化物が、左手に草履を掴んで、勢よく駆け出そうとする奴姿は、朝露と土とに塗れている軽快な真桑瓜の精として上出来だった。が、それよりもいいと思ったのは、大阪木津の西瓜の化物で、二本差で気取ってはいるが、大きな頭の重みで、俯向き加減にそろそろと歩いている姿には、覚えず心をひかれた。図はずれに大きくなり過ぎた頭の重みから、絶えず生命の悩ましさと危さとを感じて、慢性の脳神経衰弱症にとりつかれている、この幼馴染の青瓜を思うと、私は実際気の毒でならない。

     4

 出来の悪い冬瓜の末生(うらなり)を見ると、じき思い出されるのは、風羅念仏の俳人惟然坊の頭である。この俳人は生れつき頭が柔かいので、夜寝るのに枕の堅いのが大嫌いであった。ある時師の無名庵に泊って、木枕にぐるぐる帯を巻きつけていたのを、芭蕉に見とがめられて、
「お前は頭に奢を持っている男だな。貧乏したのは、そのせいかもしれないぞ。」
と冷かされたのは名高い話だ。私は襤褸屑(ぼろくず)のように破けた葉っぱを纏った、貧乏な、頭痛持らしく額に筋を立てている青瓜を見る度に、あの蝋色の胡粉を散らした歪形(いびつがた)な頭の下に、せめて枕だけは柔かいのをあてがってやりたく思うことがよくある。

     5

 太閤記を見ると、秀吉が朝鮮征伐のために、陣を進めた九州の旅先で、異形(いぎょう)の仮装をして、瓜売になったことが載っている。広く仕切った瓜畑に、粗末な茶店など設け、太閤自ら家康、利家といったような輩と一緒に瓜商人に装って、
「瓜はどうかな。味のよい瓜を買うてたもれ。」
と声まで似せて売り歩いたものだ。すると、旅僧になっていた織田有楽斎が呼びとめた。
「もし、もし。瓜売どの。老年の修行者に瓜をお施し下され。」
 秀吉が自分の荷のなかから、瓜を二つ取出して、その手に載せてやると、有楽斎はそれを見てちょっと眉をしかめた。
「折角じゃが、これは熟れていぬようじゃ。もっと甘そうなのを……。」
と押が強く所望するおかしさに、居合す人達は皆笑いくずれたということだ。闊達な秀吉の気質と真桑瓜の持味とは、うまく調和しそうに思われる。


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   秋が来た

 また秋がやって来た。
 空を見よ。澄みきった桔梗色の美しさ。一雨さっと降り上った後の初夏の青磁色の空の新鮮さもさることながら、大空そのものの底の知られない深さと透明さとは、この頃ならでは仰ぎ見るべくもない。私は建詰った市街の屋根と屋根との間から、ふと紫色の空を見つけて、
「おう、秋だ。」
と思わずそこに立停ったことがよくある。何という清澄さであろう。すぐれた哲人の観心の生涯を他にしては、この世でまたと見られない味である。桔梗色に澄み切ったままでもよいが、ときおり白雲の一つ二つが、掠めたように静かに行き過ぎるのも悪くはない。哲人が観心の生涯にも、どうかすると追懐のちぎれ雲が影を落さないものとも限らない。雲はやがて行き過ぎて、いつの間にかその姿を消してしまう。残るものは桔梗色の深い清澄さそのものである。偶に雲の代りに小鳥の影が矢のように空を横切る事がある。陶工柿右衛門の眼は、すばしこくこれを捉えて、その大皿の円窓に、こうした小鳥の可愛らしい姿を描き残している。
 山の寂黙(じゃくもく)そのものを味うにも、この頃が一番よい。感じ易い木の葉はもうそろそろ散りかかって、透けた木の間から洩れ落ちる昼過ぎの陽の柔かさ。あたりのものかげから冷え冷えと流れて来る山気(さんき)をかき乱すともないつつましやかさを背に感じながら、落葉の径をそことしもなく辿っていると、ふとだしぬけに生きた山の匂をまざまざと鼻さきに嗅ぎつけることがよくある。ちょうど古寺に来て、薄暗い方丈で老和尚と差向いに坐ったとき、黙りこくった和尚その人の肌の匂を感じた折のように、こうした場合には何一つ言葉やもの音を聞かないのが、かえって味いが深いものだ。
 畑には果実が枝も撓むばかりに房々と実のっている。憂鬱な梨、葡萄、女の乳房のように□ぎ口から絶えず乳を滴らす無花果、蜜柑、紅玉のような柿。――支那花鳥画の名手徐熙の孫で、花卉を描くのに初めて没骨法を用いたというので知られている徐崇嗣は、豊熟した果実の枝を離れて地に墜つる状を描いて、その情趣を髣髴せしめたということだが、私は果実の大地に墜ちる音を聞くのが好きだ。人気もない林の小径に立って、笑み割れた落栗の実が、一つ二つ枯葉の上に落ちるのを聞くのは、秋に好ましいものの一つである。
 日が暮れると、青白い月が顔を出して来る。安住の宮を求めて、東より西へと絶えずさすらい歩く天上の巡礼者が、足音も立てず静かに森の上に立つと、そこらのありとあらゆるものは、行いすました尼の前に出たように、しっとりと涙の露に濡れながら、昼間見て来たことをも一度心のうちに繰り返し、繰り返して、それぞれ瞑想に耽るのである。


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   秋の佗人

 二日二夜の間びしょびしょと降りつづけた秋雨は、三日目の朝になって、やっと霽(は)れあがった。樹々の葉からは、風もないのに雨のしずくがはらはらとこぼれかかった。石灯籠の下にある草柘植(くさつげ)を少し離れて、名も知らない小さな菌(きのこ)が二かたまり生えているのが眼についた。昨日の夕方、雨の庭を眺めたときには、それらしい影も形も見えなかったのに……。
 京都の三条大橋の東に檀王法林寺というお寺がある。そこの境内から川端へ抜けるところに赤門があり、夕方になると閉されるが、いつ締まるのか誰もそれを見かけたものがない。川向うの上木屋町あたりで若い妓(おんな)たちが、この門の締まるのを見ると、有卦に入るといって、欄干にもたれてじっとそれを待っているが、見ているときには締まらないで、ちょっと眼を外(そ)っ方(ぽう)に逸らした時に、ちゃんと閉じられているということだ。
 ちょうどそのように、誰の眼にも気づかれないうちに、菌はひょっこりと地べたに飛出している。うるさい人間の「おせっかい」と「眼」との隙を見つけて、そこにほっと呼吸をついているといったように。
 このわび人たちは、仲間にはぐれないように互に肩をくっつけ合い、蓋(かさ)を傾け合って、ひそひそ声で話している。時偶庭木の葉を洩れて、日光がちらちらと零(こぼ)れかかると、菌たちはとんでもない邪魔ものに闖入せられたかのように、襟もとを顫わせて嫌がっている。わび人はわび人らしく、じめじめした湿地と薄暗がりとを娯しんでいるのだ。
 そこらに着飾って立つ花のように、縞羅紗のズボンをはき、腰に剣をさした若い騎士の蜂が、ちょくちょく訪ねて来るのでもない。誰一人その存在を気づかず、偶にそれと知っても、その微かな呼吸に籠る激しい「毒」を恐れて、それに近づこうともしない。こうして与えられた「孤独」を守って、彼らはそこに自分たちの生命をいたわり、成長させている。
 いたずら盛りの子供が、幾度か棒切を持って、この小さなわび人たちを虐げようとしたことがあった。その都度私は彼をたしなめて、その「孤独」を庇ってやった。
 二、三日してまた雨が降った。雨の絶間にふと気づくと、菌はもう見えなかった。揃いの着付に揃いの蓋を被っていたこのわび人たちの姿は、どこにも見られなかった。
 彼らは誰にも気づかれないで来たように、誰にも気づかれないで去ったのである。


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   草の実のとりいれ

 収穫(とりいれ)といえば、すぐに晩秋の野における農夫の労働生活が思われる。これは激しい汗みずくな、しかしまた楽みにも充ちたものである。草の実の採入れは、それとは趣の異った、暢気な、間のぬけた、ほんのちょっとした気慰みの仕事に過ぎないが、それでも、そのなかに閑寂そのものの味が味われないこともない。
 秋の彼岸前後になると、懐妊した女の乳のように、おしろい花の実が黒く色づき初める。それを撮み取ろうとすると、円い実は小さな生物か何ぞのように、こざかしく指の間を潜りぬけて、ころころと地べたに転がり落ちる。人間の採集がほんの気紛れからで、あまりあてにはならない事をよく知っている草の実は、こうして人間のおせっかいから遁れて、われとわが種子を保護するのである。それを思うと、落葉の下、土くれの蔭までもかき分けて、落ちたおしろいの実の行方をさがすなどすまじき事のように思う。
 おしろいの実を掌に取り集めると、誰でもがその一つ二つを爪で割ってみたくなるものだ。中には女が化粧につかうおしろいのような白い粉が一ぱいにつまっている。小供の時もよくそうして割ってみた。大人になって後もなお時々割ってみる事がある。自然はいかさまな小商人(こあきんど)のように、中味を詰め替える事をしないので、今もむかしのものと少しも変らない、正真まざりっ気なしのおしろいの粉が、ほろほろとこぼれかかる。この小さな草の実にこうした誘惑を感じるのも、不思議なことの一つである。
 鳳仙花の種子を採集するには、蟋蟀を捉えるのと同じ程度の細心さがなくてはならない。なぜかというに、この草の実は苞形(つとがた)の外殻(から)に包まれていて、この苞の敏感さは、人間の指さきがどうかした拍子にその肌に触れると、さも自分の清浄さを汚されでもしたかのように急に爆ぜわれて、なかに抱いている小坊主の種子を一気に弾き飛ばしてしまうからだ。苞ぐるみ巧くそれを□ぎとったところで、どうせ長もちはしないに極っているが、手のひらのなかで苞の爆ぜるのを感じるのは、ちょっとくすぐったいもので、蟋蟀のように刺(とげ)だらけの脛(すね)で、肌を蹴飛ばしたりしないのが気持がいい。
 のっぽな露西亜種の向日葵が、野球用の革手袋(ミット)を思わせるような大きな盤の上に、高々と大粒な実を盛り上げて、秋風に吹かれているのは哀れが深い。秋から冬へかけて、シベリヤを旅行した人の話を聞くと、あの辺の子供たちは、雪の道を学校への往き復りに、隠しの中からこの草の実の炮じたのを取り出しては、ぽつりぽつりと噛っているそうだ。そろそろ粉雪のちらつく頃になると、好きな虫けらも見当らないので、そこらの雀という雀は、余儀なく菜食主義者とならなければならない。脂肪の多い向日葵の実は、この俄仕立(にわかじたて)の青道心(あおどうしん)のこの上もない餌となるので、それを思うと、私はこの種子を収める場合に、いつも余分のものをなるべく多く貯えなければならなくなる。
 けばだった鶏頭の花をかき分けて、一つびとつ小粒の実を拾いとるのは、やがて天鵞絨(ビロード)や絨氈の厚ぼったい手ざわりを娯むのである。からからに干からびた紫蘇の枝から、紫蘇の実をしごきとる時、手のひらに残ったかすかな草の香を嗅ぐと、誰でもが何とはなしにそれと言葉には言いつくし難い哀愁を覚えるものである。枯れた蔓にぶら下って、秋を観じている小瓢箪の実が、いつのまにか内部に脱け落ちて、おりふしの風にからからと音を立てながらも、取り出すすべのないのも、秋のもどかしさである。
 糸瓜の実が尻ぬけをしたあとを、何心なく覗き込み、細かい繊維の網から出来上った長い長い空洞が、おりからの秋天の如く無一物なのに驚いて、声を放って哄笑するのも、時にとっての一興である。


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   赤土の山と海と

 私の郷里は水島灘に近い小山の裾にある。山には格別秀れたところもないが、少年時代の遊び場所として、私にとっては忘れがたい土地なのだ。
 山は一面に松林で蔽われている。赤松と黒松との程よい交錯。そこでなければ味われない肌理(きめ)の細かい風の音と、健康を喚び覚させるような辛辣な空気の匂とは、私の好きなものの一つであった。
 メレジュコオフスキイの『先駆者』を読むと、レオナルド・ダ・ヴィンチが戦争を避けて、友人ジロラモ・メルチの別荘地ヴァプリオに泊っている頃、メルチの子供フランチェスコと連れ立って、近くの森のなかを見て歩く条がある。少年は若芽を吹き出したばかりの木立のかげで、この絶代の知慧者から、自然に対する愛と知識とを教えられているが、こういう指導者を持たなかった私は、いつもたった一人でこの松山を遊び歩いた。そして人知れず行われている樹木の成長と、枯朽とを静かに見入ったり繁みの中から水のように滴り出る小鳥の歌にじっと聴きとれたりした。一葉蘭(いちようらん)が花と葉と、どちらもたった一つずつの、極めて乏しい天恵の下に、それでも自分を娯しむ生活を営んでいるのを知り、社交嫌いな鷦鷯(みそさざい)が、人一倍巣を作ることの上手な世話女房であるのを見たのも、この山のなかであった。フランチェスコは森の静寂のなかで、レオナルドの鉄のような心臓の鼓動を聞きながら、時々同伴者の頭の縮れっ毛や、長い髯が日に輝いているのを盗み見て、神様ではなかろうかと思ったということだが、私も偶に自分の背後や横側で、黒い大きなものが、自分と同じような身振で物に見とれ聞きとれているのを見て、思わずびっくりしたことがあった。それは山の傾斜に落ちている私の影だった。
 私はそんなことにも倦むと、山のいただきにある大きな岩の背に寝転んだ。
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