三四郎
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著者名:夏目漱石 

今年(ことし)の米はいまに価(ね)が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想(あいそ)よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。
 手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。
 あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義のあいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校の地位を競争している噂(うわさ)だなどと話している者があった。三四郎は漠然(ばくぜん)と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助(しょうのすけ)がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下で熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席(よせ)へ出る娘義太夫(ぎだゆう)だと教えてくれた。それから寄席の看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。
 昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒(よどみけん)という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物(くだもの)を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵をかいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂(あおきどう)も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。赤門をはいって、二人(ふたり)で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉(こいずみ)八雲(やくも)先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、
「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木(ささき)与次郎(よじろう)といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町(ひがしかたまち)の五番地の広田(ひろた)という家(うち)にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答えた。
 それから当分のあいだ三四郎は毎日学校へ通って、律義(りちぎ)に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。
 ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。
「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意(ぐうい)でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、
「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、
「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。
「なぜ」
「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」
 その日の夕方、与次郎は三四郎を拉(らっ)して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、
「どうだ」と聞いた。
 次に大通りから細い横町へ曲がって、平(ひら)の家(や)という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿(てんめん)している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また
「どうだ」と聞いた。
 次に本場の寄席(よせ)へ連れて行ってやると言って、また細い横町へはいって、木原店(きはらだな)という寄席を上がった。ここで小(こ)さんという落語家(はなしか)を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また
「どうだ」と聞いた。
 三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。
 小さんは天才である。あんな芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊(えんゆう)もうまい。しかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持(たいこもち)は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発溌地(はっち)に躍動するばかりだ。そこがえらい。
 与次郎はこんなことを言って、また
「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較のほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。
 高等学校の前で別れる時、三四郎は、
「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、
「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町(かたまち)の方へ曲がってしまった。この一言で三四郎ははじめて図書館にはいることを知った。
 その翌日から三四郎は四十時間の講義をほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館にはいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫は入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物がいくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人である。なかには必要の本を書棚(しょだな)からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。
 三四郎は一年生だから書庫へはいる権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録(ふだもくろく)を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものである。しかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。
 次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実を発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラ・ベーンという作家の小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。
 はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃(すいみつとう)をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草(たばこ)を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地(しろじ)の浴衣(ゆかた)をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツだけがましなくらいなものである。三四郎は様子を見ているうちにたしかに水蜜桃だと物色(ぶっしょく)した。大学の講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎はそばへ行って挨拶(あいさつ)をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。
 三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒(ぶどうしゅ)を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。
 その日は葡萄酒の景気と、一種の精神作用とで、例になくおもしろい勉強ができたので、三四郎は大いにうれしく思った。二時間ほど読書三昧(ざんまい)に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。
「ヘーゲルのベルリン大学に哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫(ごう)も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化(じゅんか)一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学の講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余(よ)今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々(しんしん)たる頭(かしら)をおさえて未来永劫(えいごう)に試験制度を呪詛(じゅそ)することを記憶せよ」
 とある。署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。
「ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道(ぐどう)の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底(ふおんてい)の疑義を解釈せんと欲したる清浄心(しょうじょうしん)の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定(けつじょう)しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚(うぬぼ)れなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」
 と、のっぺらぼうを二へん繰り返している。三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎を図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である。
「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。さっそく本を置いて入口の新聞を閲覧する所まで出て行ったが、野々宮君がいない。玄関まで出てみたがやっぱりいない。石段を降りて、首を延ばしてその辺を見回したが影も形も見えない。やむを得ず引き返した。もとの席へ来てみると、与次郎が、例のヘーゲル論をさして、小さな声で、
「だいぶ振(ふる)ってる。昔の卒業生に違いない。昔のやつは乱暴だが、どこかおもしろいところがある。実際このとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったらしい。三四郎は
「野々宮さんはおらんぜ」と言う。
「さっき入口にいたがな」
「何か用があるようだったか」
「あるようでもあった」
 二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓(きぐう)している広田先生の、もとの弟子(でし)でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。
 三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。
 その翌日はちょうど日曜なので、学校では野々宮君に会うわけにゆかない。しかしきのう自分を捜していたことが気がかりになる。さいわいまだ新宅を訪問したことがないから、こっちから行って用事を聞いてきようという気になった。
 思い立ったのは朝であったが、新聞を読んでぐずぐずしているうちに昼になる。昼飯(ひる)を食べたから、出かけようとすると、久しぶりに熊本出の友人が来る。ようやくそれを帰したのはかれこれ四時過ぎである。ちとおそくなったが、予定のとおり出た。
 野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前大久保(おおくぼ)へ越した。しかし電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場(ステーション)の近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田(かんだ)の高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段(くだん)まで来て、ついでに飯田橋(いいだばし)まで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線(そとぼりせん)へ乗り換えて、御茶(おちゃ)の水(みず)から、神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸(かまくらがし)を数寄屋橋(すきやばし)の方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線(こうぶせん)は一筋(ひとすじ)だと、かねて聞いているから安心して乗った。
 大久保の停車場を降りて、仲百人(なかひゃくにん)の通りを戸山(とやま)学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先(つまさき)上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪(もうそうやぶ)がある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置に筋(すじ)かいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。
 台所のわきにりっぱな生垣(いけがき)があって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きな萩(はぎ)が人の背より高く延びて、座敷の椽側(えんがわ)を少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子(いす)を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋の雑誌を読んでいた。三四郎のはいって来たのを見て、
「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇(ちゅうちょ)していた。するとまた
「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあいに西洋の書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡の試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、
「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、
「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。
「それでわざわざ来てくれたんですか」
「なに、そういうわけでもありません」
「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構なものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」
「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」
「ええ赤い魚(さかな)の粕漬(かすづけ)なんですがね」
「じゃひめいちでしょう」
 三四郎はつまらんものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎は特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿(さら)へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。
 二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶(あいさつ)をしかけるところへ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。
 三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、
「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、
「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。
「どこかへおいでになるのですか」
「ええ、妹がこのあいだから病気をして、大学の病院にはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色(けしき)もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。
「じゃ、よほどお悪いんですな」 
「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものだから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。
「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」
「さよう。四(し)、五日(ごんち)行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」
「おいでになるにしくはないでしょう」
 野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守(るす)が下女一人になる。下女が非常に臆病(おくびょう)で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢(りゅうちょう)には頼まなかったが、相手の三四郎が、そう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知してしまった。
 下女が御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩(はぎ)の間から大きな声を出して、
「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろいものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」
 と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪(みつぼ)ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。
 まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳(ぜん)を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷(ふるさと)の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。
 飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤(きとく)なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台(ねだい)の上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分が代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太(ねだ)のぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。
 三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱に寂(さび)がある。その代り唐紙(からかみ)の立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家(うち)を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。もの好きならば当人の随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか、大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……
 宵(よい)の口ではあるが、場所が場所だけにしんとしている。庭の先で虫の音(ね)がする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、
「ああああ、もう少しの間だ」
 と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実の独白(ひとりごと)と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然(ぼうぜん)としていた三四郎は、石火(せっか)のごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種の因果(いんが)で結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。
 三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧(ぎぐ)の刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子(たけごうし)のあいだから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。
 すると停車場(ステーション)の方から提灯(ちょうちん)をつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。
「もう少し先だ」
 足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手を這(は)い降りて、提灯のあとを追っかけて行った。
 五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。――
「轢死(れきし)じゃないですか」
 三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人(あるじ)だろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人は灯(ひ)をかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸(しがい)が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛(はすか)けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ。
 三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、踵(きびす)をめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手を這(は)い上がって、座敷へもどったら、動悸(どうき)が打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなと覚(さと)った。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。
 三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫(じょうぶ)そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇(くらやみ)へ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。
 三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味(おもしろみ)があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。
 三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力を研究するために、女を轢死(れきし)させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。
 安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端(はた)で会った女である。……
 三四郎はあくる日例になく早く起きた。
 寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂(ひさし)の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。
「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎は自分の経験を残らず話した。
「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」
「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力を試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。
 三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五(ご)、六日(ろくんち)以来行ってやらなかったものだから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味がほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯(かんしょうがい)というべきものである。自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強の妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。
 野々宮君は昨夜よく寝られなかったものだからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田(わせだ)の学校へ行く日で、大学のほうは休みだから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生の広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車の時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家(うち)へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物(ぐぶつ)だ。とまた妹を攻撃する。三四郎はおかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。
 その代り広田さんの事を聞いた。三四郎は広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃の先生と青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。
 帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷(あわせ)を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。
 三四郎は新しい四角な帽子をかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。
 御茶の水で電車を降りて、すぐ俥(くるま)に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作(しょさ)である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートとインキ壺(つぼ)を持って、八番の教室にはいる時分である。一、二時間の講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科の玄関まで乗りつけた。
 上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋(へや)だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名(かな)で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利(き)いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」
 三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。
 うしろから看護婦が草履(ぞうり)の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)
 目の大きな、鼻の細い、唇(くちびる)の薄い、鉢(はち)が開いたと思うくらいに、額が広くって顎(あご)がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟(とっさ)の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光(ひ)の触れ合う境のところが菫色(すみれいろ)に燃えて、生きた暈(つきかさ)をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。
 三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱(ゆううつ)と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那(せつな)の感に自(みずか)らを放下(ほうげ)し去った。
「おはいりなさい」
 女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色(ねいろ)があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬(ほお)を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。
 戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。この婦人は三四郎のからだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものとみえる。
「小川(おがわ)さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれた風呂敷包(ふろしきづつ)みを出すと、受け取って、礼を述べて、
「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台(ベッド)の向こう側へ回った。
 寝台の上に敷いた蒲団(ふとん)を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜(はす)にはぐって、裾(すそ)のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着(むとんじゃく)でいるので控えた。
 おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、
「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、
「ええ」と言う。
「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である。三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。
 挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布(カンバス)の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋(はつあき)の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。
 着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木(ときわぎ)の影が映る時のようである。それはあざやかな縞(しま)が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分(ぶ)一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。
 うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。
 女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼(ふたえまぶた)の切長(きれなが)のおちついた恰好(かっこう)である。目立って黒い眉毛(まゆげ)の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。
 きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光(ひ)にめげないように見える上を、きわめて薄く粉(こ)が吹いている。てらてら照(ひか)る顔ではない。
 肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。
 女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。
「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいだから出た。きりりとしている。しかし鷹揚(おうよう)である。ただ夏のさかりに椎(しい)の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。
「はあ」と言って立ち止まった。
「十五号室はどの辺になりましょう」
 十五号は三四郎が今出て来た部屋である。
「野々宮さんの部屋ですか」
 今度は女のほうが「はあ」と言う。
「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」
「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。
「ええ、ついその先の角です」
「どうもありがとう」
 女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎は赤面するばかりに狼狽(ろうばい)した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。
 三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。
 三四郎はいまさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安(かねやす)で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこから来たか与次郎が突然声をかけた。
「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。
 二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、
「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑(ごくしょ)に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、
「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。
 正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

       四

 三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方(しかた)なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義がおもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。
「講義がおもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日(こんにち)までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢(かいびゃく)以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」
「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合(ふつりあい)ではなはだおかしい。
 こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月(はんつき)ばかりたった。三四郎の耳は漸々(ぜんぜん)借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから、三四郎に向かって、
「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、
「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎は世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具(おもちゃ)として使用しうるほどに、ある社会の消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎は下痢(げり)のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜(ひょうぼう)するほど、人生観のハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。
 そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三の青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲(まわり)もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通の人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方(さき)が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓(すじょう)もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端(たばた)だの、道灌山(どうかんやま)だの、染井(そめい)の墓地だの、巣鴨(すがも)の監獄だの、護国寺(ごこくじ)だの、――三四郎は新井(あらい)の薬師(やくし)までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合(おちあい)の火葬場(やきば)の辺で道を間違えて、高田(たかた)へ出たので、目白(めじろ)から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗(くり)を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。
 三四郎はふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである。三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。
 三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しかし想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのん気である。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。
 ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂(だんござか)の上から、左へ折れて千駄木(せんだぎ)林町(はやしちょう)の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてからだ総体がしまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣(いけがき)をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。
 坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟(のぼり)さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜(こまく)のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。
 時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。
 与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面(きちょうめん)である。その代り連(つれ)がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃(すいみつとう)以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草をのんで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主(かんぬし)のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。
 三四郎はなんとか言って、挨拶(あいさつ)をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかわからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、
「この男は私の同級生です。熊本の高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴(ふいちょう)しておいて、それから三四郎の方を向いて、
「これが広田先生。高等学校の……」とわけもなく双方(そうほう)を紹介してしまった。
 この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、
「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。
「貸家はと……ある」
「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」
「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」
「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。
「石の門はいかん」と先生が言う。
「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」
「なぜでもいかん」
「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」
 与次郎はまじめである。広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。
 横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路(こうじ)がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影(みかげ)の柱が二本立っている。扉(とびら)は鉄である。三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。
「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎は植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田と三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。
「東京はどうです」
「ええ……」
「広いばかりできたない所でしょう」
「ええ……」
「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」
 三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相(せそう)とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、
「君、不二山(ふじさん)を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「翻訳とは……」
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
 三四郎は翻訳の意味を了した。
「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫(ごう)も人格上の感化を与えていない」
 三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、
「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。
「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。
「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻(からたち)の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである。与次郎ののん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。
 ところへ植込みの松の向こうから、与次郎が大きな声を出した。
「先生先生」
 先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台(とうみょうだい)のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。
「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家(うち)だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」
 三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間(ひとまひとま)見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。
「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。
「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。
「借りもしないのに……」
「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」
 広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷の入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。
 それから三人はもとの大通りへ出て、動坂(どうざか)から田端(たばた)の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町(こうじまち)からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。
「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものだから、時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」
「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」
「どっちがのんきかわかりゃしない」
「ありゃなんの絵です」
 先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、
「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。
「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」
「なぜ」
「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」
「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈(まるあんどん)のようなものだ」
 丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、
「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎は簡単に、
「ぼくは二十三だ」と答えた。
「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首(がんくび)だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、
「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。
「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから、明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」
 三四郎も広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。
「時代錯誤(アナクロニズム)だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会(えどめいしょずえ)に出ている」
「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
 広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵(にしきえ)の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社(かいこうしゃ)という新式の煉瓦(れんが)作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。
 与次郎も三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山(どうかんやま)へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹(さたけ)の下屋敷(しもやしき)で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪(やぶ)の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。
 それから谷中(やなか)へ出て、根津(ねづ)を回って、夕方に本郷の下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日を暮らしたように感じた。
 翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通の講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅(けやき)の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋(へや)の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇(くらやみ)で饅頭(まんじゅう)を食うように、なんとなく神秘的である。三四郎は講義がわからないところが妙だと思った。頬杖(ほおづえ)を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義の価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭(めいりょう)になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。
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