吾輩は猫である
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著者名:夏目漱石 

 今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着(こうちゃく)している。白状するが餅というものは今まで一辺(ぺん)も口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味(きび)がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉を掻(か)き寄せる。爪を見ると餅の上皮(うわかわ)が引き掛ってねばねばする。嗅(か)いで見ると釜の底の飯を御櫃(おはち)へ移す時のような香(におい)がする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三(おさん)は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那(せつな)に猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否椀底(わんてい)の様子を熟視すればするほど気味(きび)が悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気(おしげ)もなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくら□躇(ちゅうちょ)していても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中を覗(のぞ)き込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸(いっすん)ばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛(か)み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一辺(ぺん)噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳(かん)づいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮(あせ)るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方(じんみらいざいかた)のつく期(ご)はあるまいと思われた。この煩悶(はんもん)の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着(ほうちゃく)した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫(ごう)も愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三(おさん)が来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳(か)け出して来るに相違ない。煩悶の極(きょく)尻尾(しっぽ)をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾(しっぽ)は餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲を撫(な)で廻す。撫(な)でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左(ひだ)りの方を伸(のば)して口を中心として急劇に円を劃(かく)して見る。そんな呪(まじな)いで魔は落ちない。辛防(しんぼう)が肝心(かんじん)だと思って左右交(かわ)る交(がわ)るに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足(あとあし)二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻(か)き廻す。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起(た)っていられたものだと思う。第三の真理が驀地(ばくち)に現前(げんぜん)する。「危きに臨(のぞ)めば平常なし能(あた)わざるところのものを為(な)し能う。之(これ)を天祐(てんゆう)という」幸(さいわい)に天祐を享(う)けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合(けわい)である。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起(やっき)となって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ち遣(や)って勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は縮緬(ちりめん)の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)に何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分(だいぶ)見聞(けんもん)したが、この時ほど恨(うら)めしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消え失(う)せて、在来の通り四(よ)つ這(ばい)になって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧(かえり)みる。御三(おさん)は御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月(かんげつ)君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情(なさ)け容赦もなく引張るのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入(はい)ってしまっておった。
 こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気を易(か)えて新道の二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの所(とこ)の三毛子(みけこ)でも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美貌家(びぼうか)である。吾輩は猫には相違ないが物の情(なさ)けは一通り心得ている。うちで主人の苦(にが)い顔を見たり、御三の険突(けんつく)を食って気分が勝(すぐ)れん時は必ずこの異性の朋友(ほうゆう)の許(もと)を訪問していろいろな話をする。すると、いつの間(ま)にか心が晴々(せいせい)して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大(ばくだい)なものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側(えんがわ)に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾(しっぽ)の曲がり加減、足の折り具合、物憂(ものう)げに耳をちょいちょい振る景色(けしき)なども到底(とうてい)形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品(ひん)よく控(ひか)えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛(びろうど)を欺(あざむ)くほどの滑(なめ)らかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚(こうこつ)として眺(なが)めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音(ね)だと感心している間(ま)に、吾輩の傍(そば)に来て「あら先生、おめでとう」と尾を左(ひだ)りへ振る。吾等猫属(ねこぞく)間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家(うち)にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更(まんざら)悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠(おししょう)さんに買って頂いたの、宜(い)いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善い音(ね)ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音(ね)でしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべて暗(あん)に欣羨(きんせん)の意を洩(も)らす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔(あな)を三角にして咽喉仏(のどぼとけ)を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたの所(とこ)の御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠(おししょう)さんだわ。二絃琴(にげんきん)の御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔(むか)しは立派な方なんでしょうな」「ええ」
  君を待つ間(ま)の姫小松……………
 障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾(ひ)き出す。「宜(い)い声でしょう」と三毛子は自慢する。「宜(い)いようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間(ま)が抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院(てんしょういん)様の御祐筆(ごゆうひつ)の妹の御嫁に行った先(さ)きの御(お)っかさんの甥(おい)の娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹の御嫁に入(い)った先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。分ったでしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。詰(つま)るところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先(さ)っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰の虚言(うそ)を吐(つ)かねばならぬ事がある。
 障子の中(うち)で二絃琴の音(ね)がぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、私(あた)し帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。まさか雑煮(ぞうに)を食って踊りを踊ったとも云われないから「何別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだろうと思って実は出掛けて来たのですよ」「そう。御大事になさいまし。さようなら」少しは名残(なご)り惜し気に見えた。これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持になった。帰りに例の茶園(ちゃえん)を通り抜けようと思って霜柱(しもばしら)の融(と)けかかったのを踏みつけながら建仁寺(けんにんじ)の崩(くず)れから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上に背(せ)を山にして欠伸(あくび)をしている。近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。黒の性質として他(ひと)が己(おの)れを軽侮(けいぶ)したと認むるや否や決して黙っていない。「おい、名なしの権兵衛(ごんべえ)、近頃じゃ乙(おつ)う高く留ってるじゃあねえか。いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきな面(つ)らあするねえ。人(ひと)つけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。説明してやりたいが到底(とうてい)分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙(ごめんこうむ)るに若(し)くはないと決心した。「いや黒君おめでとう。不相変(あいかわらず)元気がいいね」と尻尾(しっぽ)を立てて左へくるりと廻わす。黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、この吹(ふ)い子(ご)の向(むこ)う面(づら)め」吹い子の向うづらという句は罵詈(ばり)の言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっと伺(うか)がうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体(あくたい)をつかれてる癖に、その訳(わけ)を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬに極(き)まっているから、面(めん)と対(むか)ったまま無言で立っておった。いささか手持無沙汰の体(てい)である。すると突然黒のうちの神(かみ)さんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いた鮭(しゃけ)がない。大変だ。またあの黒の畜生(ちきしょう)が取ったんだよ。ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」と怒鳴(どな)る。初春(はつはる)の長閑(のどか)な空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代(みよ)を大(おおい)に俗了(ぞくりょう)してしまう。黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角な顋(あご)を前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。「君不相変(あいかわらず)やってるな」と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。「何がやってるでえ、この野郎。しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。人を見縊(みく)びった事をいうねえ。憚(はばか)りながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足を逆(さ)かに肩の辺(へん)まで掻(か)き上げた。「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」「知ってるのに、相変らずやってるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのを頻(しき)りに吹き懸ける。人間なら胸倉(むなぐら)をとられて小突き廻されるところである。少々辟易(へきえき)して内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。牛肉を一斤(きん)すぐ持って来るんだよ。いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣(しりん)の寂寞(せきばく)を破る。「へん年に一遍牛肉を誂(あつら)えると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえ阿魔(あま)だ」と黒は嘲(あざけ)りながら四つ足を踏張(ふんば)る。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のために誂(あつら)えたもののごとくいう。「今度は本当の御馳走だ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。「御めっちの知った事じゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と云いながら突然後足(あとあし)で霜柱(しもばしら)の崩(くず)れた奴を吾輩の頭へばさりと浴(あ)びせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っている間(ま)に黒は垣根を潜(くぐ)って、どこかへ姿を隠した。大方西川の牛(ぎゅう)を覘(ねらい)に行ったものであろう。
 家(うち)へ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。はてなと明け放した椽側から上(あが)って主人の傍(そば)へ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。頭を奇麗に分けて、木綿(もめん)の紋付の羽織に小倉(こくら)の袴(はかま)を着けて至極(しごく)真面目そうな書生体(しょせいてい)の男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗(しゅんけいぬ)りの巻煙草(まきたばこ)入れと並んで越智東風君(おちとうふうくん)を紹介致候(そろ)水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。主客(しゅかく)の対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。
「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行って午飯(ひるめし)を食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶を続(つ)ぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあの方(かた)の事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、膝(ひざ)の上に乗った吾輩の頭をぽかと叩(たた)く。少し痛い。「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立(こんだて)を見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「誂(あつ)らえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首を捻(ひね)ってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨(かも)のロースか小牛のチャップなどは如何(いかが)ですと云うと、先生は、そんな月並(つきなみ)を食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君仏蘭西(フランス)や英吉利(イギリス)へ行くと随分天明調(てんめいちょう)や万葉調(まんようちょう)が食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版で圧(お)したようで、どうも西洋料理へ這入(はい)る気がしないと云うような大気□(だいきえん)で――全体あの方(かた)は洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落(しゃれ)なんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつの間(ま)に洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話や蛙(かえる)のシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」と花瓶(かびん)の水仙を眺める。少しく残念の気色(けしき)にも取られる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挟(はさ)む。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽(そこつ)を詫(わ)びているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボーを二人前(ににんまえ)持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目(まじめ)な貌(かお)でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽(こっけい)なんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様(おあいにくさま)でメンチボーなら御二人前(おふたりまえ)すぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐(かい)がない。どうかトチメンボーを都合(つごう)して食わせてもらう訳(わけ)には行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来て真(まこと)に御生憎で、御誂(おあつらえ)ならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私(わたく)しも仕方がないから、懐(ふところ)から日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数(てすう)が掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席を前(すす)める。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾(いかん)ですな、遺憾極(きわま)るですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝(ひざ)が揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着(とんじゃく)なく笑う。アンドレア・デル・サルトに罹(かか)ったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、橡面坊(とちめんぼう)を種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯(ひるめし)の時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉(のど)を鳴らす音が主客(しゅかく)の耳に入る。
 東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済(す)ます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注(さ)す。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏(ふし)でも附けて、詩歌(しいか)文章の類(るい)を読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々(おいおい)は同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天(はくらくてん)の琵琶行(びわこう)のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村(ぶそん)の春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物(しんじゅうもの)をやりました」「近松? あの浄瑠璃(じょうるり)の近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松に極(きま)っている。それを聞き直す主人はよほど愚(ぐ)だと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀(ていねい)に撫(な)でている。藪睨(やぶにら)みから惚(ほ)れられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬(ごびゅう)は決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子(とうふうし)は主人の顔色を窺(うかが)う。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極(き)めてやるんですか」「役を極めて懸合(かけあい)でやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。白(せりふ)はなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚(でっち)でも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装(いしょう)と書割(かきわり)がないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せて芳原(よしわら)へ行く所(とこ)なんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首を傾(かたむ)ける。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳を掠(かす)めて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大変な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁(おいらん)と仲居(なかい)と遣手(やりて)と見番(けんばん)だけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名をきいてちょっと苦(にが)い顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。「仲居というのは娼家(しょうか)の下婢(かひ)にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋(おんなべや)の助役(じょやく)見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色(こわいろ)を使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋に隷属(れいぞく)するもので、遣手は娼家に起臥(きが)する者ですね。次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所を指(さ)すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何を司(つかさ)どっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢(とんちんかん)なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外真面目である。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口髯(くちひげ)を生やして、女の甘ったるいせりふを使(つ)かうのですからちょっと妙でした。それにその花魁が癪(しゃく)を起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「私(わたく)しは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務(つと)まるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を洩(も)らす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾(りゅうとうだび)に終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。私(わたく)しが船頭の仮色(こわいろ)を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで耐(こ)らえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極(きま)りが悪(わ)るい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても後(あと)がつづけられないので、とうとうそれ限(ぎ)りで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏(のどぼとけ)がごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭を撫(な)でてくれる。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞(ちょうじ)を述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版(こぎくばん)の帳面を出す。「これへどうか御署名の上御捺印(ごなついん)を願いたいので」と帳面を主人の膝(ひざ)の前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃(せいぞろい)をしている。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生(かきせんせい)は掛念(けねん)の体(てい)に見える。「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表(おひょう)し被下(くださ)ればそれで結構です」「そんなら這入(はい)ります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないと云う事が分っておれば謀叛(むほん)の連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。加之(のみならず)こう知名の学者が名前を列(つら)ねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張(ほおば)る。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩は今朝の雑煮(ぞうに)事件をちょっと思い出す。主人が書斎から印形(いんぎょう)を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。主人は菓子皿のカステラが一切(ひときれ)足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。
 東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間(ま)にか迷亭先生の手紙が来ている。
「新年の御慶(ぎょけい)目出度(めでたく)申納候(もうしおさめそろ)。……」
 いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後(そのご)別に恋着(れんちゃく)せる婦人も無之(これなく)、いず方(かた)より艶書(えんしょ)も参らず、先(ま)ず先(ま)ず無事に消光罷(まか)り在り候(そろ)間、乍憚(はばかりながら)御休心可被下候(くださるべくそろ)」と云うのが来たくらいである。それに較(くら)べるとこの年始状は例外にも世間的である。
「一寸参堂仕り度(たく)候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以(もっ)て、此千古未曾有(みぞう)の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候(そろ)……」
 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。
「昨日は一刻のひまを偸(ぬす)み、東風子にトチメンボーの御馳走(ごちそう)を致さんと存じ候処(そろところ)、生憎(あいにく)材料払底の為(た)め其意を果さず、遺憾(いかん)千万に存候(ぞんじそろ)。……」
 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。
「明日は某男爵の歌留多会(かるたかい)、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」
 うるさいなと、主人は読みとばす。
「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候(そろ)為め、不得已(やむをえず)賀状を以て拝趨(はいすう)の礼に易(か)え候段(そろだん)不悪(あしからず)御宥恕(ごゆうじょ)被下度候(くだされたくそろ)。……」
 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。
「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度(たき)心得に御座候(そろ)。寒厨(かんちゅう)何の珍味も無之候(これなくそうら)えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候(おりそろ)。……」
 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。
「然(しか)しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候(かねそろ)も計りがたきにつき、其節は孔雀(くじゃく)の舌(した)でも御風味に入れ可申候(もうすべくそろ)。……」
 両天秤(りょうてんびん)をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。
「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半(なか)ばにも足らぬ程故健啖(けんたん)なる大兄の胃嚢(いぶくろ)を充(み)たす為には……」
 うそをつけと主人は打ち遣(や)ったようにいう。
「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可(べか)らずと存候(ぞんじそろ)。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔(など)には一向(いっこう)見当り不申(もうさず)、苦心(くしん)此事(このこと)に御座候(そろ)。……」
 独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫(ごう)も感謝の意を表しない。
「此孔雀の舌の料理は往昔(おうせき)羅馬(ローマ)全盛の砌(みぎ)り、一時非常に流行致し候(そろ)ものにて、豪奢(ごうしゃ)風流の極度と平生よりひそかに食指(しょくし)を動かし居候(おりそろ)次第御諒察(ごりょうさつ)可被下候(くださるべくそろ)。……」
 何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。
「降(くだ)って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候(あいなりおりそろ)。レスター伯がエリザベス女皇(じょこう)をケニルウォースに招待致し候節(そろせつ)も慥(たし)か孔雀を使用致し候様(そろよう)記憶致候(いたしそろ)。有名なるレンブラントが画(えが)き候(そろ)饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘(まま)卓上に横(よこた)わり居り候(そろ)……」
 孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。
「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成(あいな)るは必定(ひつじょう)……」
 大兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。
「歴史家の説によれば羅馬人(ローマじん)は日に二度三度も宴会を開き候由(そろよし)。日に二度も三度も方丈(ほうじょう)の食饌(しょくせん)に就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を醸(かも)すべく、従って自然は大兄の如く……」
 また大兄のごとくか、失敬な。
「然(しか)るに贅沢(ぜいたく)と衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味を貪(むさぼ)ると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致し候(そろ)……」
 はてねと主人は急に熱心になる。
「彼等は食後必ず入浴致候(いたしそろ)。入浴後一種の方法によりて浴前(よくぜん)に嚥下(えんか)せるものを悉(ことごと)く嘔吐(おうと)し、胃内を掃除致し候(そろ)。胃内廓清(いないかくせい)の功を奏したる後(のち)又食卓に就(つ)き、飽(あ)く迄珍味を風好(ふうこう)し、風好し了(おわ)れば又湯に入りて之(これ)を吐出(としゅつ)致候(いたしそろ)。かくの如くすれば好物は貪(むさ)ぼり次第貪り候(そうろう)も毫(ごう)も内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申(もうすべき)かと愚考致候(いたしそろ)……」
 なるほど一挙両得に相違ない。主人は羨(うらや)ましそうな顔をする。
「廿世紀の今日(こんにち)交通の頻繁(ひんぱん)、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄(そろおりから)、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬(ローマ)人に傚(なら)って此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候(そろ)事と自信致候(いたしそろ)。左(さ)もなくば切角(せっかく)の大国民も近き将来に於て悉(ことごと)く大兄の如く胃病患者と相成る事と窃(ひそ)かに心痛罷(まか)りあり候(そろ)……」
 また大兄のごとくか、癪(しゃく)に障(さわ)る男だと主人が思う。
「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂(いわば)禍(わざわい)を未萌(みほう)に防ぐの功徳(くどく)にも相成り平素逸楽(いつらく)を擅(ほしいまま)に致し候(そろ)御恩返も相立ち可申(もうすべく)と存候(ぞんじそろ)……」
 何だか妙だなと首を捻(ひね)る。
「依(よっ)て此間中(じゅう)よりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟(しょうりょう)致し居候(おりそうら)えども未(いま)だに発見の端緒(たんしょ)をも見出(みいだ)し得ざるは残念の至に存候(ぞんじそろ)。然し御存じの如く小生は一度思い立ち候事(そろこと)は成功するまでは決して中絶仕(つかまつ)らざる性質に候えば嘔吐方(おうとほう)を再興致し候(そろ)も遠からぬうちと信じ居り候(そろ)次第。右は発見次第御報道可仕候(つかまつるべくそろ)につき、左様御承知可被下候(くださるべくそろ)。就(つい)てはさきに申上候(そろ)トチメンボー及び孔雀の舌の御馳走も可相成(あいなるべく)は右発見後に致し度(たく)、左(さ)すれば小生の都合は勿論(もちろん)、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にも御便宜(ごべんぎ)かと存候(ぞんじそろ)草々不備」
 何だとうとう担(かつ)がれたのか、あまり書き方が真面目だものだからつい仕舞(しまい)まで本気にして読んでいた。新年匆々(そうそう)こんな悪戯(いたずら)をやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云った。
 それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。白磁(はくじ)の水仙がだんだん凋(しぼ)んで、青軸(あおじく)の梅が瓶(びん)ながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度(いちりょうど)三毛子を訪問して見たが逢(あ)われない。最初は留守だと思ったが、二返目(へんめ)には病気で寝ているという事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをしているのを手水鉢(ちょうずばち)の葉蘭の影に隠れて聞いているとこうであった。
「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだ何(なん)にも食べません、あったかにして御火燵(おこた)に寝かしておきました」何だか猫らしくない。まるで人間の取扱を受けている。
 一方では自分の境遇と比べて見て羨(うらや)ましくもあるが、一方では己(おの)が愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。
「どうも困るね、御飯をたべないと、身体(からだ)が疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私共でさえ一日御□(ごぜん)をいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」
 下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際この家(うち)では下女より猫の方が大切かも知れない。
「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風邪(かぜ)でも引いたのかって私の脈(みゃく)をとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、抛(ほう)っておいたら今に癒(なお)るだろうってんですもの、あんまり苛(ひど)いじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでも大事の猫なんですって、三毛を懐(ふところ)へ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」
「ほんにねえ」は到底(とうてい)吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはり天璋院(てんしょういん)様の何とかの何とかでなくては使えない、はなはだ雅(が)であると感心した。
「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いて咽喉(のど)が痛むんでございますよ。風邪を引くと、どなたでも御咳(おせき)が出ますからね……」
 天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿叮嚀(ていねい)な言葉を使う。
「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかり殖(ふ)えた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者に碌(ろく)な者はないから御前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」
 下女は大(おおい)に感動している。
「風邪(かぜ)を引くといってもあまり出あるきもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」
 下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。
「悪い友達?」「ええあの表通りの教師の所(とこ)にいる薄ぎたない雄猫(おねこ)でございますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝鳥(がちょう)が絞(し)め殺されるような声を出す人でござんす」
 鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽(うがい)をやる時、楊枝(ようじ)で咽喉(のど)をつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやる。つまり機嫌のいい時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやる。細君の話しではここへ引越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してから今日(きょう)まで一日もやめた事がないという。ちょっと厄介な癖であるが、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾等猫などには到底(とうてい)想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。
「あんな声を出して何の呪(まじな)いになるか知らん。御維新前(ごいっしんまえ)は中間(ちゅうげん)でも草履(ぞうり)取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」
 下女は無暗(むやみ)に感服しては、無暗にねえを使用する。
「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫(のらねこ)さ、今度来たら少し叩(たた)いておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっと讐(かたき)をとってやります」
 飛んだ冤罪(えんざい)を蒙(こうむ)ったものだ。こいつは滅多(めった)に近(ち)か寄(よ)れないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。
 帰って見ると主人は書斎の中(うち)で何か沈吟(ちんぎん)の体(てい)で筆を執(と)っている。二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの所(とこ)で聞いた評判を話したら、さぞ怒(おこ)るだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。
 ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然(ひょうぜん)とやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? 誰(だ)れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本の中(うち)にあると云う事さ」「冗談(じょうだん)じゃない。孔雀の舌の讐(かたき)を際(きわ)どいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹(ほらふ)きとは違うさ」と口髯(くちひげ)を捻(ひね)る。泰然たるものだ。「昔(むか)しある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子(まご)の書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家(ほんけ)のような事を云う。主人は禅坊主が大燈国師(だいとうこくし)の遺誡(ゆいかい)を読むような声を出して読み始める。「巨人(きょじん)、引力(いんりょく)」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々(そうそう)本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「雑(ま)ぜかえしてはいかんよ」と予(あらか)じめ念を押してまた読み始める。
ケートは窓から外面(そと)を眺(なが)める。小児(しょうに)が球(たま)を投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲(なげう)つ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己(おの)れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」
「それぎりかい」「むむ、甘(うま)いじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボーの御返礼に預(あずか)った」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆(ぎりょう)あらんとは、全く此度(こんど)という今度(こんど)は担(かつ)がれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌(しゃべ)る。主人には一向(いっこう)通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。凄(すご)いものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近(えんきん)無差別(むさべつ)黒白(こくびゃく)平等(びょうどう)の水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になる」と主人はあくまでも疳違(かんちが)いをしている。
 ところへ寒月(かんげつ)君が先日は失礼しましたと這入(はい)って来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治(たいじ)られたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけは左(さ)のみ浮かれた気色(けしき)もない。「先日は君の紹介で越智東風(おちとうふう)と云う人が来たよ」「ああ上(あが)りましたか、あの越智東風(おちこち)と云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上(あが)っても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈(こうしゃく)をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風(こち)と云うのを音(おん)で読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮(きんからかわ)の煙草入(たばこいれ)から煙草をつまみ出す。「私(わたく)しの名は越智東風(おちとうふう)ではありません、越智(おち)こちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井(くもい)を腹の底まで呑(の)み込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語(せいご)になる、のみならずその姓名が韻(いん)を踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風(こち)を音(おん)で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔(あな)まで吐き返す。途中で煙が戸迷(とまど)いをして咽喉(のど)の出口へ引きかかる。先生は煙管(きせる)を握ってごほんごほんと咽(むせ)び返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管(きせる)で膝頭(ひざがしら)を叩(たた)く。吾輩は険呑(けんのん)になったから少し傍(そば)を離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰(えら)んで金色夜叉(こんじきやしゃ)にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮(おみや)ですといったのさ。東風(とうふう)の御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采(かっさい)しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀(くじゃく)の舌とトチメンボーの復讐(かたき)を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳(ぎょうとく)の俎(まないた)と云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解(かい)さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化(ごまか)しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率(しんそつ)に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿(さ)したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管(きせる)を大神楽(だいかぐら)のごとく指の尖(さき)で廻わす。「どんな経験か、聞かし玉(たま)え」と主人は行徳の俎を遠く後(うしろ)に見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左(さ)のごとくである。
「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風(とうふう)から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先(さ)き触(ぶ)れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物(こっけいもの)を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚(た)いて室(へや)を煖(あたた)かにしてやらないと風邪(かぜ)を引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気(のんき)な僕もその時だけは大(おおい)に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体(もったい)ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜(ロシア)と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦(しんく)をして御国(みくに)のために働らいているのに節季師走(せっきしわす)でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以(もっ)て来て、僕の小学校時代の朋友(ほうゆう)で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気(あじき)なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番仕舞(しまい)にね。私(わた)しも取る年に候えば初春(はつはる)の御雑煮(おぞうに)を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風(とうふう)が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免蒙(こうむ)る事に極(き)めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手(どて)三番町(さんばんちょう)の方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠(おほり)の向(むこ)うから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂(かぐらざか)の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変淋(さみ)しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳(か)け廻(めぐ)る。よく人が首を縊(くく)ると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつの間(ま)にか例の松の真下(ました)に来ているのさ」
「例の松た、何だい」と主人が断句(だんく)を投げ入れる。
「首懸(くびかけ)の松さ」と迷亭は領(えり)を縮める。
「首懸の松は鴻(こう)の台(だい)でしょう」寒月が波紋(はもん)をひろげる。
「鴻(こう)の台(だい)のは鐘懸(かねかけ)の松で、土手三番町のは首懸(くびかけ)の松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、昔(むか)しからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首が縊(くく)りたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊(くびくく)りだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっている。年に二三返(べん)はきっとぶら下がっている。どうしても他(ほか)の松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ好い枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か来ないかしらと、四辺(あたり)を見渡すと生憎(あいにく)誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうか知らん。いやいや自分が下がっては命がない、危(あぶ)ないからよそう。しかし昔の希臘人(ギリシャじん)は宴会の席で首縊(くびくく)りの真似をして余興を添えたと云う話しがある。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首を入れる途端に他(ほか)のものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるという趣向(しゅこう)である。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合に撓(しわ)る。撓り按排(あんばい)が実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もし東風(とうふう)が来て待っていると気の毒だと考え出した。
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