道草
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著者名:夏目漱石 

     一

 健三(けんぞう)が遠い所から帰って来て駒込(こまごめ)の奥に世帯(しょたい)を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋(さび)し味(み)さえ感じた。
 彼の身体(からだ)には新らしく後(あと)に見捨てた遠い国の臭(におい)がまだ付着していた。彼はそれを忌(い)んだ。一日も早くその臭を振(ふる)い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。
 彼はこうした気分を有(も)った人にありがちな落付(おちつき)のない態度で、千駄木(せんだぎ)から追分(おいわけ)へ出る通りを日に二返ずつ規則のように往来した。
 ある日小雨(こさめ)が降った。その時彼は外套(がいとう)も雨具も着けずに、ただ傘を差しただけで、何時もの通りを本郷(ほんごう)の方へ例刻に歩いて行った。すると車屋の少しさきで思い懸けない人にはたりと出会った。その人は根津権現(ねづごんげん)の裏門の坂を上(あが)って、彼と反対に北へ向いて歩いて来たものと見えて、健三が行手を何気なく眺めた時、十間(けん)位先から既に彼の視線に入ったのである。そうして思わず彼の眼(め)をわきへ外(そら)させたのである。
 彼は知らん顔をしてその人の傍(そば)を通り抜けようとした。けれども彼にはもう一遍この男の眼鼻立を確かめる必要があった。それで御互が二、三間の距離に近づいた頃また眸(ひとみ)をその人の方角に向けた。すると先方ではもう疾(と)くに彼の姿を凝(じっ)と見詰めていた。
 往来は静(しずか)であった。二人の間にはただ細い雨の糸が絶間なく落ちているだけなので、御互が御互の顔を認めるには何の困難もなかった。健三はすぐ眼をそらしてまた真正面を向いたまま歩き出した。けれども相手は道端に立ち留まったなり、少しも足を運ぶ気色(けしき)なく、じっと彼の通り過ぎるのを見送っていた。健三はその男の顔が彼の歩調につれて、少しずつ動いて回るのに気が着いた位であった。
 彼はこの男に何年会わなかったろう。彼がこの男と縁を切ったのは、彼がまだ廿歳(はたち)になるかならない昔の事であった。それから今日(こんにち)までに十五、六年の月日が経っているが、その間彼らはついぞ一度も顔を合せた事がなかったのである。
 彼の位地も境遇もその時分から見るとまるで変っていた。黒い髭(ひげ)を生(はや)して山高帽を被(かぶ)った今の姿と坊主頭の昔の面影(おもかげ)とを比べて見ると、自分でさえ隔世の感が起らないとも限らなかった。しかしそれにしては相手の方があまりに変らな過ぎた。彼はどう勘定しても六十五、六であるべきはずのその人の髪の毛が、何故(なぜ)今でも元の通り黒いのだろうと思って、心のうちで怪しんだ。帽子なしで外出する昔ながらの癖を今でも押通しているその人の特色も、彼には異な気分を与える媒介(なかだち)となった。
 彼は固(もと)よりその人に出会う事を好まなかった。万一出会ってもその人が自分より立派な服装(なり)でもしていてくれれば好(い)いと思っていた。しかし今目前(まのあたり)見たその人は、あまり裕福な境遇にいるとは誰が見ても決して思えなかった。帽子を被らないのは当人の自由としても、羽織(はおり)なり着物なりについて判断したところ、どうしても中流以下の活計を営んでいる町家(ちょうか)の年寄としか受取れなかった。彼はその人の差していた洋傘(こうもり)が、重そうな毛繻子(けじゅす)であった事にまで気が付いていた。
 その日彼は家へ帰っても途中で会った男の事を忘れ得なかった。折々は道端へ立ち止まって凝と彼を見送っていたその人の眼付に悩まされた。しかし細君には何にも打ち明けなかった。機嫌のよくない時は、いくら話したい事があっても、細君に話さないのが彼の癖であった。細君も黙っている夫に対しては、用事の外(ほか)決して口を利かない女であった。

     二

 次の日健三はまた同じ時刻に同じ所を通った。その次の日も通った。けれども帽子を被(かぶ)らない男はもうどこからも出て来なかった。彼は器械のようにまた義務のように何時もの道を往(い)ったり来たりした。
 こうした無事の日が五日続いた後(あと)、六日目の朝になって帽子を被らない男は突然また根津権現の坂の蔭から現われて健三を脅やかした。それがこの前とほぼ同じ場所で、時間も殆(ほとん)どこの前と違わなかった。
 その時健三は相手の自分に近付くのを意識しつつ、何時もの通り器械のようにまた義務のように歩こうとした。けれども先方の態度は正反対であった。何人(なんびと)をも不安にしなければやまないほどな注意を双眼(そうがん)に集めて彼を凝視した。隙(すき)さえあれば彼に近付こうとするその人の心が曇(どん)よりした眸(ひとみ)のうちにありありと読まれた。出来るだけ容赦なくその傍(そば)を通り抜けた健三の胸には変な予覚が起った。
「とてもこれだけでは済むまい」
 しかしその日家(うち)へ帰った時も、彼はついに帽子を被らない男の事を細君に話さずにしまった。
 彼と細君と結婚したのは今から七、八年前で、もうその時分にはこの男との関係がとくの昔に切れていたし、その上結婚地が故郷の東京でなかったので、細君の方ではじかにその人を知るはずがなかった。しかし噂(うわさ)としてだけならあるいは健三自身の口から既に話していたかも知れず、また彼の親類のものから聞いて知っていないとも限らなかった。それはいずれにしても健三にとって問題にはならなかった。
 ただこの事件に関して今でも時々彼の胸に浮んでくる結婚後の事実が一つあった。五、六年前彼がまだ地方にいる頃、ある日女文字で書いた厚い封書が突然彼の勤め先の机の上へ置かれた。その時彼は変な顔をしてその手紙を読んだ。しかしいくら読んでも読んでも読み切れなかった。半紙廿枚ばかりへ隙間なく細字(さいじ)で書いたものの、五分の一ほど眼を通した後(あと)、彼はついにそれを細君の手に渡してしまった。
 その時の彼には自分宛(あて)でこんな長い手紙をかいた女の素性を細君に説明する必要があった。それからその女に関聯(かんれん)して、是非ともこの帽子を被らない男を引合に出す必要もあった。健三はそうした必要にせまられた過去の自分を記憶している。しかし機嫌買(きげんかい)な彼がどの位綿密な程度で細君に説明してやったか、その点になると彼はもう忘れていた。細君は女の事だからまだ判然(はっきり)覚えているだろうが、今の彼にはそんな事を改めて彼女に問い訊(ただ)して見る気も起らなかった。彼はこの長い手紙を書いた女と、この帽子を被らない男とを一所に並べて考えるのが大嫌(だいきらい)だった。それは彼の不幸な過去を遠くから呼び起す媒介(なかだち)となるからであった。
 幸い彼の目下の状態はそんな事に屈托(くったく)している余裕を彼に与えなかった。彼は家(うち)へ帰って衣服を着換えると、すぐ自分の書斎へ這入(はい)った。彼は始終その六畳敷の狭い畳の上に自分のする事が山のように積んであるような気持でいるのである。けれども実際からいうと、仕事をするよりも、しなければならないという刺戟(しげき)の方が、遥かに強く彼を支配していた。自然彼はいらいらしなければならなかった。
 彼が遠い所から持って来た書物の箱をこの六畳の中で開けた時、彼は山のような洋書の裡(うち)に胡坐(あぐら)をかいて、一週間も二週間も暮らしていた。そうして何でも手に触れるものを片端(かたはし)から取り上げては二、三頁(ページ)ずつ読んだ。それがため肝心の書斎の整理は何時まで経っても片付かなかった。しまいにこの体(てい)たらくを見るに見かねた或(ある)友人が来て、順序にも冊数にも頓着(とんじゃく)なく、あるだけの書物をさっさと書棚の上に並べてしまった。彼を知っている多数の人は彼を神経衰弱だと評した。彼自身はそれを自分の性質だと信じていた。

     三

 健三は実際その日その日の仕事に追われていた。家(うち)へ帰ってからも気楽に使える時間は少しもなかった。その上彼は自分の読みたいものを読んだり、書きたい事を書いたり、考えたい問題を考えたりしたかった。それで彼の心は殆(ほと)んど余裕というものを知らなかった。彼は始終机の前にこびり着いていた。
 娯楽の場所へも滅多に足を踏み込めない位忙がしがっている彼が、ある時友達から謡(うたい)の稽古(けいこ)を勧められて、体(てい)よくそれを断わったが、彼は心のうちで、他人(ひと)にはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。そうして自分の時間に対する態度が、あたかも守銭奴のそれに似通っている事には、まるで気がつかなかった。
 自然の勢い彼は社交を避けなければならなかった。人間をも避けなければならなかった。彼の頭と活字との交渉が複雑になればなるほど、人としての彼は孤独に陥らなければならなかった。彼は朧気(おぼろげ)にその淋(さび)しさを感ずる場合さえあった。けれども一方ではまた心の底に異様の熱塊があるという自信を持っていた。だから索寞(さくばく)たる曠野(あらの)の方角へ向けて生活の路(みち)を歩いて行きながら、それがかえって本来だとばかり心得ていた。温かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思わなかった。
 彼は親類から変人扱いにされていた。しかしそれは彼に取って大した苦痛にもならなかった。
「教育が違うんだから仕方がない」
 彼の腹の中には常にこういう答弁があった。
「やっぱり手前味噌(てまえみそ)よ」
 これは何時でも細君の解釈であった。
 気の毒な事に健三はこうした細君の批評を超越する事が出来なかった。そういわれる度(たび)に気不味(きまず)い顔をした。ある時は自分を理解しない細君を心(しん)から忌々(いまいま)しく思った。ある時は叱(しか)り付けた。またある時は頭ごなしに遣(や)り込めた。すると彼の癇癪(かんしゃく)が細君の耳に空威張(からいばり)をする人の言葉のように響いた。細君は「手前味噌」の四字を「大風呂敷(おおぶろしき)」の四字に訂正するに過ぎなかった。
 彼には一人の腹違(はらちがい)の姉と一人の兄があるぎりであった。親類といったところでこの二軒より外に持たない彼は、不幸にしてその二軒ともとあまり親しく往来(ゆきき)をしていなかった。自分の姉や兄と疎遠になるという変な事実は、彼に取っても余り気持の好(い)いものではなかった。しかし親類づきあいよりも自分の仕事の方が彼には大事に見えた。それから東京へ帰って以後既に三、四回彼らと顔を合せたという記憶も、彼には多少の言訳になった。もし帽子を被(かぶ)らない男が突然彼の行手を遮らなかったなら、彼は何時もの通り千駄木(せんだぎ)の町を毎日二返(へん)規則正しく往来するだけで、当分外の方角へは足を向けずにしまったろう。もしその間(あいだ)に身体(からだ)の楽に出来る日曜が来たなら、ぐたりと疲れ切った四肢(しし)を畳の上に横たえて半日の安息を貪(むさぼ)るに過ぎなかったろう。
 しかし次の日曜が来たとき、彼はふと途中で二度会った男の事を思い出した。そうして急に思い立ったように姉の宅(うち)へ出掛けた。姉の宅は四(よ)ッ谷(や)の津(つ)の守坂(かみざか)の横で、大通りから一町ばかり奥へ引込んだ所にあった。彼女の夫というのは健三の従兄(いとこ)にあたる男だから、つまり姉にも従兄であった。しかし年齢(とし)は同年(おないどし)か一つ違で、健三から見ると双方とも、一廻りも上であった。この夫がもと四ッ谷の区役所へ勤めた縁故で、彼が其所(そこ)をやめた今日(こんにち)でも、まだ馴染(なじみ)の多い土地を離れるのが厭(いや)だといって、姉は今の勤先に不便なのも構わず、やっぱり元の古ぼけた家に住んでいるのである。

     四

 この姉は喘息持(ぜんそくもち)であった。年が年中ぜえぜえいっていた。それでも生れ付が非常な癇性(かんしょう)なので、よほど苦しくないと決して凝(じっ)としていなかった。何か用を拵(こしら)えて狭い家(うち)の中を始終ぐるぐる廻って歩かないと承知しなかった。その落付(おちつき)のないがさつな態度が健三の眼には如何(いか)にも気の毒に見えた。
 姉はまた非常に饒舌(しゃべ)る事の好(すき)な女であった。そうしてその喋舌り方に少しも品位というものがなかった。彼女と対坐(たいざ)する健三はきっと苦い顔をして黙らなければならなかった。
「これが己(おれ)の姉なんだからなあ」
 彼女と話をした後(あと)の健三の胸には何時でもこういう述懐が起った。
 その日健三は例の如く襷(たすき)を掛けて戸棚の中を掻(か)きまわしているこの姉を見出した。
「まあ珍らしく能(よ)く来てくれたこと。さあ御敷きなさい」
 姉は健三に座蒲団(ざぶとん)を勧めて縁側へ手を洗いに行った。
 健三はその留守に座敷のなかを見廻わした。欄間(らんま)には彼が子供の時から見覚えのある古ぼけた額が懸っていた。その落款(らっかん)に書いてある筒井憲(つついけん)という名は、たしか旗本(はたもと)の書家か何(なに)かで、大変字が上手なんだと、十五、六の昔此所(ここ)の主人から教えられた事を思い出した。彼はその主人をその頃は兄さん兄さんと呼んで始終遊びに行ったものである。そうして年からいえば叔父甥(おじおい)ほどの相違があるのに、二人して能く座敷の中で相撲(すもう)をとっては姉から怒(おこ)られたり、屋根へ登って無花果(いちじく)を□(も)いで食って、その皮を隣の庭へ投げたため、尻(しり)を持ち込まれたりした。主人が箱入りのコンパスを買って遣(や)るといって彼を騙(だま)したなり何時まで経っても買ってくれなかったのを非常に恨めしく思った事もあった。姉と喧嘩(けんか)をして、もう向うから謝罪(あやま)って来ても勘忍してやらないと覚悟を極(き)めたが、いくら待っていても、姉が詫(あや)まらないので、仕方なしにこちらからのこのこ出掛けて行ったくせに、手持無沙汰(てもちぶさた)なので、向うで御這入(おはい)りというまで、黙って門口(かどぐち)に立っていた滑稽(こっけい)もあった。……
 古い額を眺めた健三は、子供の時の自分に明らかな記憶の探照燈を向けた。そうしてそれほど世話になった姉夫婦に、今は大した好意を有(も)つ事が出来にくくなった自分を不快に感じた。
「近頃は身体(からだ)の具合はどうです。あんまり非道(ひど)く起る事もありませんか」
 彼は自分の前に坐(すわ)った姉の顔を見ながらこう訊(たず)ねた。
「ええ有難う。御蔭さまで陽気が好(い)いもんだから、まあどうかこうか家の事だけは遣ってるんだけれども、――でもやっぱり年が年だからね。とても昔しのようにがせいに働く事は出来ないのさ。昔健ちゃんの遊(あす)びに来てくれた時分にゃ、随分尻(しり)ッ端折(ぱしょ)りで、それこそ御釜(おかま)の御尻まで洗ったもんだが、今じゃとてもそんな元気はありゃしない。だけど御蔭様でこう遣って毎日牛乳も飲んでるし……」
 健三は些少(さしょう)ながら月々いくらかの小遣を姉に遣(や)る事を忘れなかったのである。
「少し痩(や)せたようですね」
「なにこりゃ私(あたし)の持前(もちまえ)だから仕方がない。昔から肥(ふと)った事のない女なんだから。やッぱり癇(かん)が強いもんだからね。癇で肥る事が出来ないんだよ」
 姉は肉のない細い腕を捲(まく)って健三の前に出して見せた。大きな落ち込んだ彼女の眼の下を薄黒い半円形の暈(かさ)が、怠(だる)そうな皮で物憂(ものう)げに染めていた。健三は黙ってそのぱさぱさした手の平を見詰めた。
「でも健ちゃんは立派になって本当に結構だ。御前さんが外国へ行く時なんか、もう二度と生きて会う事は六(む)ずかしかろうと思ってたのに、それでもよくまあ達者で帰って来られたのね。御父(おとっ)さんや御母(おっか)さんが生きて御出だったらさぞ御喜びだろう」
 姉の眼にはいつか涙が溜(たま)っていた。姉は健三の子供の時分、「今に姉さんに御金が出来たら、健ちゃんに何でも好なものを買って上げるよ」と口癖(くちくせ)のようにいっていた。そうかと思うと、「こんな偏窟(へんくつ)じゃこの子はとても物にゃならない」ともいった。健三は姉の昔の言葉やら語気やらを思い浮べて、心の中で苦笑した。

     五

 そんな古い記憶を喚(よ)び起こすにつけても、久しく会わなかった姉の老けた様子が一層(ひとしお)健三の眼についた。
「時に姉さんはいくつでしたかね」
「もう御婆(おばあ)さんさ。取って一(いち)だもの御前さん」
 姉は黄色い疎(まば)らな歯を出して笑って見せた。実際五十一とは健三にも意外であった。
「すると私(わたし)とは一廻(ひとまわり)以上違うんだね。私ゃまた精々違って十(とお)か十一だと思っていた」
「どうして一廻どころか。健ちゃんとは十六違うんだよ、姉さんは。良人(うち)が羊の三碧(さんぺき)で姉さんが四緑(しろく)なんだから。健ちゃんは慥(たし)か七赤(しちせき)だったね」
「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」
「繰って見て御覧、きっと七赤だから」
 健三はどうして自分の星を繰るのか、それさえ知らなかった。年齢(とし)の話はそれぎりやめてしまった。
「今日は御留守なんですか」と比田(ひだ)の事を訊(き)いて見た。
「昨夕(ゆうべ)も宿直(とまり)でね。なに自分の分だけなら月に三度か四度(よど)で済むんだけれども、他(ひと)に頼まれるもんだからね。それに一晩でも余計泊りさえすればやっぱりいくらかになるだろう、それでつい他(ひと)の分まで引受ける気にもなるのさ。この頃じゃあっちへ寐(ね)るのとこっちへ帰るのと、まあ半々位なものだろう。ことによると、向(むこう)へ泊る方がかえって多いかも知れないよ」
 健三は黙って障子の傍(そば)に据えてある比田の机を眺めた。硯箱(すずりばこ)や状袋(じょうぶくろ)や巻紙がきちりと行儀よく並んでいる傍に、簿記用の帳面が赤い脊皮(せがわ)をこちらへ向けて、二、三冊立て懸けてあった。それから綺麗(きれい)に光った小さい算盤(そろばん)もその下に置いてあった。
 噂(うわさ)によると比田はこの頃変な女に関係をつけて、それを自分の勤め先のつい近くに囲っているという評番(ひょうばん)であった。宿直(とまり)だ宿直だといって宅(うち)へ帰らないのは、あるいはそのせいじゃなかろうかと健三には思えた。
「比田さんは近頃どうです。大分(だいぶ)年を取ったから元とは違って真面目(まじめ)になったでしょう」
「なにやッぱり相変らずさ。ありゃ一人で遊ぶために生れて来た男なんだから仕方がないよ。やれ寄席(よせ)だ、やれ芝居(しばや)だ、やれ相撲だって、御金さえありゃ年が年中飛んで歩いてるんだからね。でも奇体なもんで、年のせいだか何だか知らないが、昔に比べると、少しは優(やさ)しくなったようだよ。もとは健ちゃんも知ってる通りの始末で、随分烈(はげ)しかったもんだがね。蹴(け)ったり、敲(たた)いたり、髪の毛を持って座敷中引摺(ひっずり)廻したり……」
「その代り姉さんも負けてる方じゃなかったんだからな」
「なに妾(あたし)ゃ手出しなんかした事あ、ついの一度だってありゃしない」
 健三は勝気な姉の昔を考え出してつい可笑(おか)しくなった。二人の立ち廻りは今姉の自白するように受身のものばかりでは決してなかった。ことに口は姉の方が比田に比べると十倍も達者だった。それにしてもこの利かぬ気の姉が、夫に騙(だま)されて、彼が宅へ帰らない以上、きっと会社へ泊っているに違いないと信じ切っているのが妙に不憫(ふびん)に思われて来た。
「久しぶりに何か奢(おご)りましょうか」と姉の顔を眺めながらいった。
「ありがと、今御鮨(おすし)をそういったから、珍らしくもあるまいけれども、食べてって御くれ」
 姉は客の顔さえ見れば、時間に関係なく、何か食わせなければ承知しない女であった。健三は仕方がないから尻(しり)を落付(おちつ)けてゆっくり腹の中に持って来た話を姉に切り出す気になった。

     六

 近頃の健三は頭を余計遣(つか)い過ぎるせいか、どうも胃の具合が好くなかった。時々思い出したように運動して見ると、胸も腹もかえって重くなるだけであった。彼は要心して三度の食事以外にはなるべく物を口へ入れないように心掛ていた。それでも姉の悪強(わるじい)には敵(かな)わなかった。
「海苔巻(のりまき)なら身体(からだ)に障(さわ)りゃしないよ。折角姉さんが健ちゃんに御馳走(ごちそう)しようと思って取ったんだから、是非食べて御くれな。厭(いや)かい」
 健三は仕方なしに旨(うま)くもない海苔巻を頬張(ほおば)って、好(い)い加減烟草(タバコ)で荒らされた口のうちをもぐもぐさせた。
 姉が余り饒舌(しゃべ)るので、彼は何時までも自分のいいたい事がいえなかった。訊(き)きたい問題を持っていながら、こう受身な会話ばかりしているのが、彼には段々むず痒(がゆ)くなって来た。しかし姉にはそれが一向通じないらしかった。
 他(ひと)に物を食わせる事の好きなのと同時に、物を遣(や)る事の好きな彼女は、健三がこの前賞(ほ)めた古ぼけた達磨(だるま)の掛物を彼に遣ろうかといい出した。
「あんなものあ、宅(うち)にあったって仕方がないんだから、持って御出でよ。なに比田(ひだ)だって要(い)りゃしないやね、汚ない達磨なんか」
 健三は貰(もら)うとも貰わないともいわずにただ苦笑していた。すると姉は何か秘密話でもするように急に調子を低くした。
「実は健ちゃん、御前さんが帰って来たら、話そう話そうと思って、つい今日(きょう)まで黙ってたんだがね。健ちゃんも帰りたてでさぞ忙がしかろうし、それに姉さんが出掛けて行くにしたところで、御住(おすみ)さんがいちゃ、少し話し悪(にく)い事だしね。そうかって、手紙を書こうにも御存じの無筆だろう……」
 姉の前置(まえおき)は長たらしくもあり、また滑稽(こっけい)でもあった。小さい時分いくら手習をさせても記憶(おぼえ)が悪くって、どんなに平易(やさ)しい字も、とうとう頭へ這入(はい)らずじまいに、五十の今日(こんにち)まで生きて来た女だと思うと、健三にはわが姉ながら気の毒でもありまたうら恥ずかしくもあった。
「それで姉さんの話ってえな、一体どんな話なんです。実は私(わたし)も今日は少し姉さんに話があって来たんだが」
「そうかいそれじゃ御前さんの方のから先へ聴くのが順だったね。何故(なぜ)早く話さなかったの」
「だって話せないんだもの」
「そんなに遠慮しないでもいいやね。姉弟(きょうだい)の間じゃないか、御前さん」
 姉は自分の多弁が相手の口を塞(ふさ)いでいるのだという明白な事実には毫(ごう)も気が付いていなかった。
「まあ姉さんの方から先へ片付けましょう。何ですか、あなたの話っていうのは」
「実は健ちゃんにはまことに気の毒で、いい悪いんだけれども、あたしも段々年を取って身体は弱くなるし、それに良人(うち)があの通りの男で、自分一人さえ好けりゃ女房なんかどうなったって、己(おれ)の知った事じゃないって顔をしているんだから。――尤(もっと)も月々の取高(とりだか)が少ない上に、交際(つきあい)もあるんだから、仕方がないといえばそれまでだけれどもね……」
 姉のいう事は女だけに随分曲りくねっていた。なかなか容易な事で目的地へ達しそうになかったけれども、その主意は健三によく解った。つまり月々遣る小遣(こづかい)をもう少し増(ま)してくれというのだろうと思った。今でさえそれをよく夫から借りられてしまうという話を耳にしている彼には、この請求が憐(あわ)れでもあり、また腹立たしくもあった。
「どうか姉さんを助けると思ってね。姉さんだってこの身体じゃどうせ長い事もあるまいから」
 これが姉の口から出た最後の言葉であった。健三はそれでも厭(いや)だとはいいかねた。

     七

 彼はこれから宅(うち)へ帰って今夜中に片付けなければならない明日(あした)の仕事を有(も)っていた。時間の価値というものを少しも認めないこの姉と対坐(たいざ)して、何時(いつ)までも、べんべんと喋舌(しゃべ)っているのは、彼にとって多少の苦痛に違なかった。彼は好加減(いいかげん)に帰ろうとした。そうして帰る間際になってやっと帽子を被(かぶ)らない男の事をいい出した。
「実はこの間島田に会ったんですがね」
「へえどこで」
 姉は吃驚(びっくり)したような声を出した。姉は無教育な東京ものによく見るわざとらしい仰山な表情をしたがる女であった。
「太田(おおた)の原(はら)の傍(そば)です」
「じゃ御前さんのじき近所じゃないか。どうしたい、何か言葉でも掛けたかい」
「掛けるって、別に言葉の掛けようもないんだから」
「そうさね。健ちゃんの方から何とかいわなきゃ、向(むこう)で口なんぞ利(き)けた義理でもないんだから」
 姉の言葉は出来るだけ健三の意を迎えるような調子であった。彼女は健三に「どんな服装(なり)をしていたい」と訊(き)き足した後で、「じゃやッぱり楽でもないんだね」といった。其所(そこ)には多少の同情も籠(こも)っているように見えた。しかし男の昔を話し出した時にはさもさも悪(にく)らしそうな語気を用い始めた。
「なんぼ因業(いんごう)だって、あんな因業な人ったらありゃしないよ。今日が期限だから、是が非でも取って行くって、いくら言訳をいっても、坐(すわ)り込んで動(いご)かないんだもの。しまいにこっちも腹が立ったから、御気の毒さま、御金はありませんが、品物で好ければ、御鍋(おなべ)でも御釜(おかま)でも持ってって下さいっていったらね、じゃ釜を持ってくっていうんだよ。あきれるじゃないか」
「釜を持って行くったって、重くってとても持てやしないでしょう」
「ところがあの業突張(ごうつくばり)の事だから、どんな事をして持ってかないとも限らないのさ。そらその日の御飯をあたしに炊(た)かせまいと思って、そういう意地の悪い事をする人なんだからね。どうせ先へ寄って好(い)い事あないはずだあね」
 健三の耳にはこの話がただの滑稽(こっけい)としては聞こえなかった。その人と姉との間に起ったこんな交渉のなかに引絡(ひっから)まっている古い自分の影法師は、彼に取って可笑(おか)しいというよりもむしろ悲しいものであった。
「私(わたし)ゃ島田に二度会ったんですよ、姉さん。これから先また何時会うか分らないんだ」
「いいから知らん顔をして御出でよ。何度会ったって構わないじゃないか」
「しかしわざわざ彼所(あすこ)いらを通って、私の宅(うち)でも探しているんだか、また用があって通りがかりに偶然出ッくわしたんだか、それが分らないんでね」
 この疑問は姉にも解けなかった。彼女はただ健三に都合の好さそうな言葉を無意味に使った。それが健三には空御世辞(からおせじ)のごとく響いた。
「こちらへはその後まるで来ないんですか」
「ああこの二、三年はまるっきり来ないよ」
「その前は?」
「その前はね、ちょくちょくってほどでもないが、それでも時々は来たのさ。それがまた可笑しいんだよ。来ると何時でも十一時頃でね。鰻飯(うなぎめし)かなにか食べさせないと決して帰らないんだからね。三度の御まんまを一(ひと)かたけでも好(い)いから他(ひと)の家(うち)で食べようっていうのがつまりあの人の腹なんだよ。そのくせ服装(なり)なんかかなりなものを着ているんだがね。……」
 姉のいう事は脱線しがちであったけれども、それを聴いている健三には、やはり金銭上の問題で、自分が東京を去ったあとも、なお多少の交際が二人の間に持続されていたのだという見当はついた。しかしそれ以上何も知る事は出来なかった。目下の島田については全く分らなかった。

     八

「島田は今でも元の所に住んでいるんだろうか」
 こんな簡単な質問さえ姉には判然(はっきり)答えられなかった。健三は少し的(あて)が外れた。けれども自分の方から進んで島田の現在の居所(いどころ)を突き留めようとまでは思っていなかったので、大した失望も感じなかった。彼はこの場合まだそれほどの手数(てかず)を尽す必要がないと信じていた。たとい尽すにしたところで、一種の好奇心を満足するに過ぎないとも考えていた。その上今の彼はこういう好奇心を軽蔑(けいべつ)しなければならなかった。彼の時間はそんな事に使用するには余りに高価すぎた。
 彼はただ想像の眼で、子供の時分見たその人の家と、その家の周囲とを、心のうちに思い浮べた。
 其所(そこ)には往来の片側に幅の広い大きな堀が一丁も続いていた。水の変らないその堀の中は腐った泥で不快に濁っていた。所々に蒼(あお)い色が湧(わ)いて厭(いや)な臭(におい)さえ彼の鼻を襲った。彼はその汚(きた)ならしい一廓(いっかく)を――様(さま)の御屋敷という名で覚えていた。
 堀の向う側には長屋がずっと並んでいた。その長屋には一軒に一つ位の割で四角な暗い窓が開けてあった。石垣とすれすれに建てられたこの長屋がどこまでも続いているので、御屋敷のなかはまるで見えなかった。
 この御屋敷と反対の側には小さな平家(ひらや)が疎(まば)らに並んでいた。古いのも新らしいのもごちゃごちゃに交(まじ)っていたその町並は無論不揃(ぶそろ)であった。老人の歯のように所々が空いていた。その空いている所を少しばかり買って島田は彼の住居(すまい)を拵(こしら)えたのである。
 健三はそれが何時出来上ったか知らなかった。しかし彼が始めてそこへ行ったのは新築後まだ間もないうちであった。四間(よま)しかない狭い家だったけれども、木口(きぐち)などはかなり吟味してあるらしく子供の眼にも見えた。間取にも工夫があった。六畳の座敷は東向で、松葉を敷き詰めた狭い庭に、大き過ぎるほど立派な御影(みかげ)の石燈籠(いしどうろう)が据えてあった。
 綺麗好(きれいず)きな島田は、自分で尻端折(しりはしお)りをして、絶えず濡雑巾(ぬれぞうきん)を縁側や柱へ掛けた。それから跣足(はだし)になって、南向の居間の前栽(せんざい)へ出て、草毟(くさむし)りをした。あるときは鍬(くわ)を使って、門口(かどぐち)の泥溝(どぶ)も浚(さら)った。その泥溝には長さ四尺ばかりの木の橋が懸っていた。
 島田はまたこの住居(すまい)以外に粗末な貸家を一軒建てた。そうして双方の家の間を通り抜けて裏へ出られるように三尺ほどの路(みち)を付けた。裏は野とも畠(はた)とも片のつかない湿地であった。草を踏むとじくじく水が出た。一番凹(へこ)んだ所などはしょっちゅう浅い池のようになっていた。島田は追々其所へも小さな貸家を建てるつもりでいるらしかった。しかしその企ては何時までも実現されなかった。冬になると鴨(かも)が下(お)りるから、今度は一つ捕ってやろうなどといっていた。……
 健三はこういう昔の記憶をそれからそれへと繰り返した。今其所へ行って見たら定めし驚ろくほど変っているだろうと思いながら、彼はなお二十年前の光景を今日(こんにち)の事のように考えた。
「ことによると、良人(うち)では年始状位まだ出してるかも知れないよ」
 健三の帰る時、姉はこんな事をいって、暗(あん)に比田(ひだ)の戻るまで話して行けと勧めたが、彼にはそれほどの必要もなかった。
 彼はその日無沙汰(ぶさた)見舞かたがた市ヶ谷(いちがや)の薬王寺(やくおうじ)前にいる兄の宅(うち)へも寄って、島田の事を訊(き)いて見ようかと考えていたが、時間の遅くなったのと、どうせ訊いたって仕方がないという気が次第に強くなったのとで、それなり駒込(こまごめ)へ帰った。その晩はまた翌日(あくるひ)の仕事に忙殺(ぼうさい)されなければならなかった。そうして島田の事はまるで忘れてしまった。

     九

 彼はまた平生(へいぜい)の我に帰った。活力の大部分を挙げて自分の職業に使う事が出来た。彼の時間は静かに流れた。しかしその静かなうちには始終いらいらするものがあって、絶えず彼を苦しめた。遠くから彼を眺めていなければならなかった細君は、別に手の出しようもないので、澄ましていた。それが健三には妻にあるまじき冷淡としか思えなかった。細君はまた心の中(うち)で彼と同じ非難を夫の上に投げ掛けた。夫の書斎で暮らす時間が多くなればなるほど、夫婦間の交渉は、用事以外に少なくならなければならないはずだというのが細君の方の理窟であった。
 彼女は自然の勢い健三を一人書斎に遺して置いて、子供だけを相手にした。その子供たちはまた滅多に書斎へ這入(はい)らなかった。たまに這入ると、きっと何か悪戯(いたずら)をして健三に叱(しか)られた。彼は子供を叱るくせに、自分の傍(そば)へ寄り付かない彼らに対して、やはり一種の物足りない心持を抱(いだ)いていた。
 一週間後の日曜が来た時、彼はまるで外出しなかった。気分を変えるため四時頃風呂(ふろ)へ行って帰ったら、急にうっとりした好(い)い気持に襲われたので、彼は手足を畳の上へ伸ばしたまま、つい仮寐(うたたね)をした。そうして晩食(ばんめし)の時刻になって、細君から起されるまでは、首を切られた人のように何事も知らなかった。しかし起きて膳(ぜん)に向った時、彼には微(かす)かな寒気が脊筋(せすじ)を上から下へ伝わって行くような感じがあった。その後で烈(はげ)しい嚏(くさみ)が二つほど出た。傍にいる細君は黙っていた。健三も何もいわなかったが、腹の中ではこうした同情に乏しい細君に対する厭(いや)な心持を意識しつつ箸(はし)を取った。細君の方ではまた夫が何故(なぜ)自分に何もかも隔意なく話して、能働的(のうどうてき)に細君らしく振舞わせないのかと、その方をかえって不愉快に思った。
 その晩彼は明らかに多少風邪(かぜ)気味であるという事に気が付いた。用心して早く寐(ね)ようと思ったが、ついしかけた仕事に妨げられて、十二時過まで起きていた。彼の床に入る時には家内のものはもう皆な寐ていた。熱い葛湯(くずゆ)でも飲んで、発汗したい希望をもっていた健三は、やむをえずそのまま冷たい夜具の裏(うち)に潜(もぐ)り込んだ。彼は例にない寒さを感じて、寐付が大変悪かった。しかし頭脳の疲労はほどなく彼を深い眠の境に誘った。
 翌日(あくるひ)眼を覚した時は存外安静であった。彼は床の中で、風邪はもう癒(なお)ったものと考えた。しかしいよいよ起きて顔を洗う段になると、何時もの冷水摩擦が退儀な位身体(からだ)が倦怠(だる)くなってきた。勇気を鼓(こ)して食卓に着いて見たが、朝食(あさめし)は少しも旨(うま)くなかった。いつもは規定として三膳食べるところを、その日は一膳で済ました後(あと)、梅干を熱い茶の中に入れてふうふう吹いて呑(の)んだ。しかしその意味は彼自身にも解らなかった。この時も細君は健三の傍に坐って給仕をしていたが、別に何にもいわなかった。彼にはその態度がわざと冷淡に構えている技巧の如く見えて多少腹が立った。彼はことさらな咳(せき)を二度も三度もして見せた。それでも細君は依然として取り合わなかった。
 健三はさっさと頭から白襯衣(ワイシャツ)を被(かぶ)って洋服に着換えたなり例刻に宅(うち)を出た。細君は何時もの通り帽子を持って夫を玄関まで送って来たが、この時の彼には、それがただ形式だけを重んずる女としか受取れなかったので、彼はなお厭な心持がした。
 外ではしきりに悪感(おかん)がした。舌が重々しくぱさついて、熱のある人のように身体全体が倦怠(けたる)かった。彼は自分の脈を取って見て、その早いのに驚ろいた。指頭(しとう)に触れるピンピンいう音が、秒を刻む袂時計(たもとどけい)の音と錯綜(さくそう)して、彼の耳に異様な節奏を伝えた。それでも彼は我慢して、するだけの仕事を外でした。

     十

 彼は例刻に宅(うち)へ帰った。洋服を着換える時、細君は何時もの通り、彼の不断着(ふだんぎ)を持ったまま、彼の傍(そば)に立っていた。彼は不快な顔をしてそちらを向いた。
「床を取ってくれ。寐(ね)るんだ」
「はい」
 細君は彼のいうがままに床を延べた。彼はすぐその中に入って寐た。彼は自分の風邪気(かぜけ)の事を一口も細君にいわなかった。細君の方でも一向其所(そこ)に注意していない様子を見せた。それで双方とも腹の中には不平があった。
 健三が眼を塞(ふさ)いでうつらうつらしていると、細君が枕元へ来て彼の名を呼んだ。
「あなた御飯を召上(めしや)がりますか」
「飯(めし)なんか食いたくない」
 細君はしばらく黙っていた。けれどもすぐ立って部屋の外へ出て行こうとはしなかった。
「あなた、どうかなすったんですか」
 健三は何にも答えずに、顔を半分ほど夜具の襟(えり)に埋(うず)めていた。細君は無言のまま、そっとその手を彼の額の上に加えた。
 晩になって医者が来た。ただの風邪だろうという診察を下(くだ)して、水薬(すいやく)と頓服(とんぷく)を呉れた。彼はそれを細君の手から飲ましてもらった。
 翌日(あくるひ)は熱がなお高くなった。医者の注意によって護謨(ゴム)の氷嚢(ひょうのう)を彼の頭の上に載せた細君は、蒲団(ふとん)の下に差し込むニッケル製の器械を下女(げじょ)が買ってくるまで、自分の手で落ちないようにそれを抑えていた。
 魔に襲われたような気分が二、三日つづいた。健三の頭にはその間の記憶というものが殆(ほと)んどない位であった。正気に帰った時、彼は平気な顔をして天井を見た。それから枕元に坐っている細君を見た。そうして急にその細君の世話になったのだという事を思い出した。しかし彼は何にもいわずにまた顔を背けてしまった。それで細君の胸には夫の心持が少しも映らなかった。
「あなたどうなすったんです」
「風邪を引いたんだって、医者がいうじゃないか」
「そりゃ解ってます」
 会話はそれで途切れてしまった。細君は厭(いや)な顔をしてそれぎり部屋を出て行った。健三は手を鳴らしてまた細君を呼び戻した。
「己(おれ)がどうしたというんだい」
「どうしたって、――あなたが御病気だから、私(わたくし)だってこうして氷嚢を更(か)えたり、薬を注(つ)いだりして上げるんじゃありませんか。それをあっちへ行けの、邪魔だのって、あんまり……」
 細君は後をいわずに下を向いた。
「そんな事をいった覚はない」
「そりゃ熱の高い時仰(おっ)しゃった事ですから、多分覚えちゃいらっしゃらないでしょう。けれども平生(へいぜい)からそう考えてさえいらっしゃらなければ、いくら病気だって、そんな事を仰しゃる訳がないと思いますわ」
 こんな場合に健三は細君の言葉の奥に果してどの位な真実が潜んでいるだろうかと反省して見るよりも、すぐ頭の力で彼女を抑えつけたがる男であった。事実の問題を離れて、単に論理の上から行くと、細君の方がこの場合も負けであった。熱に浮かされた時、魔睡薬に酔った時、もしくは夢を見る時、人間は必ずしも自分の思っている事ばかり物語るとは限らないのだから。しかしそうした論理は決して細君の心を服するに足りなかった。
「よござんす。どうせあなたは私を下女同様に取り扱うつもりでいらっしゃるんだから。自分一人さえ好ければ構わないと思って、……」
 健三は座を立った細君の後姿を腹立たしそうに見送った。彼は論理の権威で自己を佯(いつわ)っている事にはまるで気が付かなかった。学問の力で鍛え上げた彼の頭から見ると、この明白な論理に心底(しんそこ)から大人しく従い得ない細君は、全くの解らずやに違なかった。

     十一

 その晩細君は土鍋(どなべ)へ入れた粥(かゆ)をもって、また健三の枕元に坐(すわ)った。それを茶碗(ちゃわん)に盛りながら、「御起(おおき)になりませんか」と訊(き)いた。
 彼の舌にはまだ苔(こけ)が一杯生えていた。重苦しいような厚ぼったいような口の中へ物を入れる気には殆(ほと)んどなれなかった。それでも彼は何故(なぜ)だか床の上に起き返って、細君の手から茶碗を受取ろうとした。しかし舌障(したざわ)りの悪い飯粒が、ざらざらと咽喉(のど)の方へ滑り込んで行くだけなので、彼はたった一膳(ぜん)で口を拭(ぬぐ)ったなり、すぐ故(もと)の通り横になった。
「まだ食気(しょっき)が出ませんね」
「少しも旨(うま)くない」
 細君は帯の間から一枚の名刺を出した。
「こういう人が貴方(あなた)の寐(ね)ていらしゃるうちに来たんですが、御病気だから断って帰しました」
 健三は寐ながら手を出して、鳥の子紙に刷ったその名刺を受取って、姓名を読んで見たが、まだ会った事も聞いた事もない人であった。
「何時(いつ)来たのかい」
「たしか一昨日(おととい)でしたろう。ちょっと御話ししようと思ったんですが、まだ熱が下(さが)らないから、わざと黙っていました」
「まるで知らない人だがな」
「でも島田の事でちょっと御主人に御目にかかりたいって来たんだそうですよ」
 細君はとくに島田という二字に力を入れてこういいながら健三の顔を見た。すると彼の頭にこの間途中で会った帽子を被(かぶ)らない男の影がすぐひらめいた。熱から覚めた彼には、それまでこの男の事を思い出す機会がまるでなかったのである。
「御前島田の事を知ってるのかい」
「あの長い手紙が御常(おつね)さんって女から届いた時、貴方が御話しなすったじゃありませんか」
 健三は何とも答えずに一旦下へ置いた名刺をまた取り上げて眺めた。島田の事をその時どれほど詳しく彼女に話したか、それが彼には不確(ふたしか)であった。
「ありゃ何時だったかね。よッぽど古い事だろう」
 健三はその長々しい手紙を細君に見せた時の心持を思い出して苦笑した。
「そうね。もう七年位になるでしょう。私(あたし)たちがまだ千本通(せんぼんどお)りにいた時分ですから」
 千本通りというのは、彼らがその頃住んでいた或(ある)都会の外れにある町の名であった。
 細君はしばらくして、「島田の事なら、あなたに伺わないでも、御兄(おあにい)さんからも聞いて知ってますわ」といった。
「兄がどんな事をいったかい」
「どんな事って、――なんでも余(あんま)り善くない人だっていう話じゃありませんか」
 細君はまだその男の事について、健三の心を知りたい様子であった。しかし彼にはまた反対にそれを避けたい意向があった。彼は黙って眼を閉じた。盆に載せた土鍋と茶碗を持って席を立つ前、細君はもう一度こういった。
「その名刺の名前の人はまた来るそうですよ。いずれ御病気が御癒(おなお)りになったらまた伺いますからって、帰って行ったそうですから」
 健三は仕方なしにまた眼を開(あ)いた。
「来るだろう。どうせ島田の代理だと名乗る以上はまた来るに極(きま)ってるさ」
「しかしあなた御会いになって? もし来たら」
 実をいうと彼は会いたくなかった。細君はなおの事夫をこの変な男に会わせたくなかった。
「御会いにならない方が好(い)いでしょう」
「会っても好い。何も怖い事はないんだから」
 細君には夫の言葉が、また例の我(が)だと取れた。健三はそれを厭(いや)だけれども正しい方法だから仕方がないのだと考えた。

     十二

 健三の病気は日ならず全快した。活字に眼を曝(さら)したり、万年筆を走らせたり、または腕組をしてただ考えたりする時が再び続くようになった頃、一度無駄足を踏ませられた男が突然また彼の玄関先に現われた。
 健三は鳥の子紙に刷った吉田虎吉(よしだとらきち)という見覚(みおぼえ)のある名刺を受取って、しばらくそれを眺めていた。細君は小さな声で「御会いになりますか」と訊(たず)ねた。
「会うから座敷へ通してくれ」
 細君は断りたさそうな顔をして少し躊躇(ちゅうちょ)していた。しかし夫の様子を見てとった彼女は、何もいわずにまた書斎を出て行った。
 吉田というのは、でっぷり肥(ふと)った、かっぷくの好(よ)い、四十恰好(がっこう)の男であった。縞(しま)の羽織(はおり)を着て、その頃まで流行(はや)った白縮緬(しろちりめん)の兵児帯(へこおび)にぴかぴかする時計の鎖を巻き付けていた。言葉使いから見ても、彼は全くの町人であった。そうかといって、決して堅気(かたぎ)の商人(あきんど)とは受取れなかった。「なるほど」というべきところを、わざと「なある」と引張ったり、「御尤(ごもっと)も」の代りに、さも感服したらしい調子で、「いかさま」と答えたりした。
 健三には会見の順序として、まず吉田の身元から訊(き)いてかかる必要があった。しかし彼よりは能弁な吉田は、自分の方で聞かれない先に、素性の概略を説明した。
 彼はもと高崎(たかさき)にいた。そうして其所(そこ)にある兵営に出入(しゅつにゅう)して、糧秣(かいば)を納めるのが彼の商買(しょうばい)であった。
「そんな関係から、段々将校方の御世話になるようになりまして。その内でも柴野(しばの)の旦那には特別御贔負(ごひいき)になったものですから」
 健三は柴野という名を聞いて急に思い出した。それは島田の後妻の娘が嫁に行った先の軍人の姓であった。
「その縁故で島田を御承知なんですね」
 二人はしばらくその柴野という士官について話し合った。彼が今高崎にいない事や、もっと遠くの西の方へ転任してから幾年目になるという事や、相変らずの大酒(たいしゅ)で家計があまり裕(ゆたか)でないという事や、すべてこれらは、健三に取って耳新らしい報知(たより)に違なかったが、同時に大した興味を惹(ひ)く話題にもならなかった。この夫婦に対して何らの悪感(あっかん)も抱(いだ)いていない健三は、ただそうかと思って平気に聞いているだけであった。しかし話が本筋に入って、いよいよ島田の事を持ち出された時彼は、自然厭(いや)な心持がした。
 吉田はしきりにこの老人の窮迫の状を訴え始めた。
「人間があまり好過ぎるもんですから、つい人に騙(だま)されてみんな損(す)っちまうんです。とても取れる見込のないのにむやみに金を出してやったり何(なん)かするもんですからな」
「人間が好過ぎるんでしょうか。あんまり慾張(よくば)るからじゃありませんか」
 たとい吉田のいう通り老人が困窮しているとしたところで、健三にはこうより外に解釈の道はなかった。しかも困窮というからしてが既に怪しかった。肝心の代表者たる吉田も強いてその点は弁護しなかった。「あるいはそうかも知れません」といったなり、後は笑に紛らしてしまった。そのくせ月々若干(なにがし)か貢(みつ)いで遣(や)ってくれる訳には行くまいかという相談をすぐその後から持ち出した。
 正直な健三はつい自分の経済事状を打ち明けて、この一面識しかない男に話さなければならなくなった。彼は自己の手に入る百二、三十円の月収が、どう消費されつつあるかを詳しく説明して、月々あとに残るものは零(ゼロ)だという事を相手に納得させようとした。吉田は例の「なある」と「いかさま」を時々使って、神妙に健三の弁解を聴いた。しかし彼がどこまで彼を信用して、どこから彼を疑い始めているか、その点は健三にも分らなかった。ただ先方はどこまでも下手(したで)に出る手段を主眼としているらしく見えた。不穏の言葉は無論、強請(ゆすり)がましい様子は噫(おくび)にも出さなかった。

     十三

 これで吉田の持って来た用件の片が付いたものと解釈した健三は、心のうちで暗(あん)に彼の帰るのを予期した。しかし彼の態度は明らかにこの予期の裏を行った。金の問題にはそれぎり触れなかったが、毒にも薬にもならない世間話を何時までも続けて動かなかった。そうして自然天然話頭(わとう)をまた島田の身の上に戻して来た。
「どんなものでしょう。老人も取る年で近頃は大変心細そうな事ばかりいっていますが、――どうかして元通りの御交際(おつきあい)は願えないものでしょうか」
 健三はちょっと返答に窮した。仕方なしに黙って二人の間に置かれた烟草盆(タバコぼん)を眺めていた。彼の頭のなかには、重たそうに毛繻子(けじゅす)の洋傘(こうもり)をさして、異様の瞳を彼の上に据えたその老人の面影がありありと浮かんだ。彼はその人の世話になった昔を忘れる訳に行かなかった。同時に人格の反射から来るその人に対しての嫌悪(けんお)の情も禁ずる事が出来なかった。両方の間に板挟みとなった彼は、しばらく口を開き得なかった。
「手前も折角こうして上がったものですから、これだけはどうぞ曲げて御承知を願いたいもので」
 吉田の様子はいよいよ丁寧になった。どう考えても交際(つきあう)のは厭(いや)でならなかった健三は、またどうしてもそれを断わるのを不義理と認めなければ済まなかった。彼は厭でも正しい方に従おうと思い極(きわ)めた。
「そういう訳なら宜(よろ)しゅう御座います。承知の旨(むね)を向(むこう)へ伝えて下さい。しかし交際は致しても、昔のような関係ではとても出来ませんから、それも誤解のないように申し伝えて下さい。それから私(わたし)の今の状況では、私の方から時々出掛けて行って老人に慰藉(いしゃ)を与えるなんて事は六(む)ずかしいのですが……」
「するとまあただ御出入(おでいり)をさせて頂くという訳になりますな」
 健三には御出入という言葉を聞くのが辛(つら)かった。そうだともそうでないともいいかねて、また口を閉じた。
「いえなにそれで結構で、――昔と今とは事情もまるで違ますから」
 吉田は自分の役目が漸(ようや)く済んだという顔付をしてこういった後(あと)、今まで持ち扱っていた烟草入を腰へさしたなり、さっさと帰って行った。
 健三は彼を玄関まで送り出すと、すぐ書斎へ入った。その日の仕事を早く片付けようという気があるので、いきなり机へ向ったが、心のどこかに引懸りが出来て、なかなか思う通りに捗取(はかど)らなかった。
 其所(そこ)へ細君がちょっと顔を出した。「あなた」と二返ばかり声を掛けたが、健三は机の前に坐ったなり振り向かなかった。細君がそのまま黙って引込(ひっこ)んだ後、健三は進まぬながら仕事を夕方まで続けた。
 平生(へいぜい)よりは遅くなって漸く夕食(ゆうめし)の食卓に着いた時、彼は始めて細君と言葉を換わした。
「先刻(さっき)来た吉田って男は一体何なんですか」と細君が訊(き)いた。
「元高崎で陸軍の用達(ようたし)か何かしていたんだそうだ」と健三が答えた。
 問答は固(もと)よりそれだけで尽きるはずがなかった。彼女は吉田と柴野との関係やら、彼と島田との間柄やらについて、自分に納得の行くまで夫から説明を求めようとした。
「どうせ御金か何か呉れっていうんでしょう」
「まあそうだ」
「それで貴方(あなた)どうなすって、――どうせ御断りになったでしょうね」
「うん、断った。断るより外に仕方がないからな」
 二人は腹の中で、自分らの家(うち)の経済状態を別々に考えた。月々支出している、また支出しなければならない金額は、彼に取って随分苦しい労力の報酬であると同時に、それで凡(すべ)てを賄(まかな)って行く細君に取っても、少しも裕(ゆたか)なものとはいわれなかった。

     十四

 健三はそれぎり座を立とうとした。しかし細君にはまだ訊(き)きたい事が残っていた。
「それで素直に帰って行ったんですか、あの男は。少し変ね」
「だって断られれば仕方がないじゃないか。喧嘩(けんか)をする訳にも行かないんだから」
「だけど、また来るんでしょう。ああして大人しく帰って置いて」
「来ても構わないさ」
「でも厭(いや)ですわ、蒼蠅(うるさ)くって」
 健三は細君が次の間で先刻(さっき)の会話を残らず聴いていたものと察した。
「御前聴いてたんだろう、悉皆(すっかり)」
 細君は夫の言葉を肯定しない代りに否定もしなかった。
「じゃそれで好(い)いじゃないか」
 健三はこういったなりまた立って書斎へ行こうとした。彼は独断家であった。これ以上細君に説明する必要は始めからないものと信じていた。細君もそうした点において夫の権利を認める女であった。けれども表向(おもてむき)夫の権利を認めるだけに、腹の中には何時も不平があった。事々(ことごと)について出て来る権柄(けんぺい)ずくな夫の態度は、彼女に取って決して心持の好いものではなかった。何故(なぜ)もう少し打ち解けてくれないのかという気が、絶えず彼女の胸の奥に働らいた。そのくせ夫を打ち解けさせる天分も技倆(ぎりょう)も自分に充分具えていないという事実には全く無頓着(むとんじゃく)であった。
「あなた島田と交際(つきあ)っても好いと受合っていらしったようですね」
「ああ」
 健三はそれがどうしたといった風の顔付をした。細君は何時でも此所(ここ)まで来て黙ってしまうのを例にしていた。彼女の性質として、夫がこういう態度に出ると、急に厭気(いやき)がさして、それから先一歩も前へ出る気になれないのである。その不愛想な様子がまた夫の気質に反射して、益(ますます)彼を権柄ずくにしがちであった。
「御前や御前の家族に関係した事でないんだから、構わないじゃないか、己(おれ)一人で極(き)めたって」
「そりゃ私(わたくし)に対して何も構って頂かなくっても宜(よ)ござんす。構ってくれったって、どうせ構って下さる方じゃないんだから、……」
 学問をした健三の耳には、細君のいう事がまるで脱線であった。そうしてその脱線はどうしても頭の悪い証拠としか思われなかった。「また始まった」という気が腹の中でした。しかし細君はすぐ当の問題に立ち戻って、彼の注意を惹(ひ)かなければならないような事をいい出した。
「しかし御父さまに悪いでしょう。今になってあの人と御交際(おつきあい)いになっちゃあ」
「御父さまって己(おれ)のおやじかい」
「無論貴方(あなた)の御父さまですわ」
「己のおやじはとうに死んだじゃないか」
「しかし御亡くなりになる前、島田とは絶交だから、向後(こうご)一切付合(つきあい)をしちゃならないって仰(おっ)しゃったそうじゃありませんか」
 健三は自分の父と島田とが喧嘩をして義絶した当時の光景をよく覚えていた。しかし彼は自分の父に対してさほど情愛の籠(こも)った優しい記憶を有(も)っていなかった。その上絶交云々(うんぬん)についても、そう厳重にいい渡された覚(おぼえ)はなかった。
「御前誰からそんな事を聞いたのかい。己は話したつもりはないがな」
「貴方じゃありません。御兄(おあにい)さんに伺ったんです」
 細君の返事は健三に取って不思議でも何でもなかった。同時に父の意志も兄の言葉も、彼には大した影響を与えなかった。
「おやじは阿爺(おやじ)、兄は兄、己は己なんだから仕方がない。己から見ると、交際を拒絶するだけの根拠がないんだから」
 こういい切った健三は、腹の中でその交際(つきあい)が厭で厭で堪らないのだという事実を意識した。けれどもその腹の中はまるで細君の胸に映らなかった。彼女はただ自分の夫がまた例の頑固を張り通して、徒(いたず)らに皆なの意見に反対するのだとばかり考えた。

     十五

 健三は昔その人に手を引かれて歩いた。その人は健三のために小さい洋服を拵(こし)らえてくれた。大人さえあまり外国の服装に親しみのない古い時分の事なので、裁縫師は子供の着るスタイルなどにはまるで頓着(とんじゃく)しなかった。彼の上着には腰のあたりに釦(ボタン)が二つ並んでいて、胸は開(あ)いたままであった。霜降の羅紗(ラシャ)も硬くごわごわして、極めて手触(てざわり)が粗(あら)かった。ことに洋袴(ズボン)は薄茶色に竪溝(たてみぞ)の通った調馬師でなければ穿(は)かないものであった。しかし当時の彼はそれを着て得意に手を引かれて歩いた。
 彼の帽子もその頃の彼には珍らしかった。浅い鍋底(なべぞこ)のような形をしたフェルトをすぽりと坊主頭へ頭巾(ずきん)のように被(かぶ)るのが、彼に大した満足を与えた。例の如くその人に手を引かれて、寄席(よせ)へ手品を見に行った時、手品師が彼の帽子を借りて、大事な黒羅紗の山の裏から表へ指を突き通して見せたので、彼は驚ろきながら心配そうに、再びわが手に帰った帽子を、何遍か撫(な)でまわして見た事もあった。
 その人はまた彼のために尾の長い金魚をいくつも買ってくれた。武者絵(むしゃえ)、錦絵(にしきえ)、二枚つづき三枚つづきの絵も彼のいうがままに買ってくれた。彼は自分の身体(からだ)にあう緋縅(ひおど)しの鎧(よろい)と竜頭(たつがしら)の兜(かぶと)さえ持っていた。彼は日に一度位ずつその具足を身に着けて、金紙(きんがみ)で拵えた采配(さいはい)を振り舞わした。
 彼はまた子供の差す位な短かい脇差(わきざし)の所有者であった。その脇差の目貫(めぬき)は、鼠が赤い唐辛子(とうがらし)を引いて行く彫刻で出来上っていた。彼は銀で作ったこの鼠と珊瑚(さんご)で拵えたこの唐辛子とを、自分の宝物のように大事がった。彼は時々この脇差が抜いて見たくなった。また何度も抜こうとした。けれども脇差は何時(いつ)も抜けなかった。――この封建時代の装飾品もやはりその人の好意で小さな健三の手に渡されたのである。
 彼はまたその人に連れられて、よく船に乗った。船にはきっと腰蓑(こしみの)を着けた船頭がいて網を打った。いなだの鰡(ぼら)だのが水際まで来て跳ね躍(おど)る様が小さな彼の眼に白金(しろがね)のような光を与えた。船頭は時々一里も二里も沖へ漕(こ)いで行って、海□(かいず)というものまで捕った。
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