草枕
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著者名:夏目漱石 

        一

 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
 住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも□鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺□(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、――千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支(ささ)えている。背中(せなか)には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽(あ)き足(た)らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
 余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。
 立ち上がる時に向うを見ると、路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が聳(そび)えている。杉か檜(ひのき)か分からないが根元(ねもと)から頂(いただ)きまでことごとく蒼黒(あおぐろ)い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引(たなび)いて、続(つ)ぎ目(め)が確(しか)と見えぬくらい靄(もや)が濃い。少し手前に禿山(はげやま)が一つ、群(ぐん)をぬきんでて眉(まゆ)に逼(せま)る。禿(は)げた側面は巨人の斧(おの)で削(けず)り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋(うず)めている。天辺(てっぺん)に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然(はっきり)している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布(けっと)が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義(なんぎ)だ。
 土をならすだけならさほど手間(てま)も入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は平(たい)らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩(ほりくず)した土の上に悠然(ゆうぜん)と峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る景色(けしき)はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌(いわ)のない所でさえ歩(あ)るきよくはない。左右が高くって、中心が窪(くぼ)んで、まるで一間幅(はば)を三角に穿(く)って、その頂点が真中(まんなか)を貫(つらぬ)いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉(わた)ると云う方が適当だ。固(もと)より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲(ななまが)りへかかる。
 たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
 巌角(いわかど)を鋭どく廻って、按摩(あんま)なら真逆様(まっさかさま)に落つるところを、際(きわ)どく右へ切れて、横に見下(みおろ)すと、菜(な)の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金(こがね)の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上(あが)る雲雀(ひばり)が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦(す)れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
 春は眠くなる。猫は鼠を捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂(たましい)の居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦(あんしょう)して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後(しり)えを見ては、物欲(ものほ)しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極(きわ)みの歌に、悲しさの、極みの想(おもい)、籠(こも)るとぞ知れ」
 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳(わけ)には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛(ばんこく)の愁(うれい)などと云う字がある。詩人だから万斛で素人(しろうと)なら一合(ごう)で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨(ぼんこつ)の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲(かなしみ)も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
 しばらくは路が平(たいら)で、右は雑木山(ぞうきやま)、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英(たんぽぽ)を踏みつける。鋸(のこぎり)のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠(たま)を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座(ちんざ)している。呑気(のんき)なものだ。また考えをつづける。
 詩人に憂(うれい)はつきものかも知れないが、あの雲雀(ひばり)を聞く心持になれば微塵(みじん)の苦(く)もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍(おど)るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物(けいぶつ)に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥(くたび)れて、旨(うま)いものが食べられぬくらいの事だろう。
 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅(ぷく)の画(え)として観(み)、一巻(かん)の詩として読むからである。画(が)であり詩である以上は地面(じめん)を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲(ひともう)けする了見(りょうけん)も起らぬ。ただこの景色が――腹の足(た)しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴(ともな)わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊(たっ)とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局(きょく)に当れば利害の旋風(つむじ)に捲(ま)き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩(くら)んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解(げ)しかねる。
 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観(み)て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚(たな)へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
 それすら、普通の芝居や小説では人情を免(まぬ)かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄(とりえ)は利慾が交(まじ)らぬと云う点に存(そん)するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒(じょうしょ)は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌(いや)だ。
 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通(しとお)して、飽々(あきあき)した。飽(あ)き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞(こぶ)するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界(じんかい)を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌(しいか)の純粋なるものもこの境(きょう)を解脱(げだつ)する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世(うきよ)の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁(べん)じている。いくら詩的になっても地面の上を馳(か)けてあるいて、銭(ぜに)の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀(ひばり)を聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌(しいか)はそこを解脱(げだつ)したのがある。採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独(ひとり)坐幽篁裏(ゆうこうのうちにざし)、弾琴(きんをだんじて)復長嘯(またちょうしょうす)、深林(しんりん)人不知(ひとしらず)、明月来(めいげつきたりて)相照(あいてらす)。ただ二十字のうちに優(ゆう)に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。この乾坤の功徳(くどく)は「不如帰(ほととぎす)」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後(のち)に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気(のんき)な扁舟(へんしゅう)を泛(うか)べてこの桃源(とうげん)に溯(さかのぼ)るものはないようだ。余は固(もと)より詩人を職業にしておらんから、王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人(ひとり)絵の具箱と三脚几(さんきゃくき)を担(かつ)いで春の山路(やまじ)をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間(ま)でも非人情(ひにんじょう)の天地に逍遥(しょうよう)したいからの願(ねがい)。一つの酔興(すいきょう)だ。
 もちろん人間の一分子(いちぶんし)だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳(わけ)には行かぬ。淵明だって年(ねん)が年中(ねんじゅう)南山(なんざん)を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪(たけやぶ)の中に蚊帳(かや)を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生(は)えた筍(たけのこ)は八百屋(やおや)へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募(つの)ってはおらん。こんな所でも人間に逢(あ)う。じんじん端折(ばしょ)りの頬冠(ほおかむ)りや、赤い腰巻(こしまき)の姉(あね)さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜(ひのき)に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑(の)んだり吐いたりしても、人の臭(にお)いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵(こよい)の宿は那古井(なこい)の温泉場(おんせんば)だ。
 ただ、物は見様(みよう)でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言(ことば)に、あの鐘(かね)の音(おと)を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第(みようしだい)でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路(うきよこうじ)の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見(おのうはいけん)の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落(しちきおち)でも、墨田川(すみだがわ)でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情(じょう)三分芸(ぶげい)七分で見せるわざだ。我らが能から享(う)けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際(てぎわ)から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長(ゆうちょう)な振舞(ふるまい)をするからである。
 しばらくこの旅中(りょちゅう)に起る出来事と、旅中に出逢(であ)う人間を能の仕組(しくみ)と能役者の所作(しょさ)に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄(す)てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕(こ)ぎつけたいものだ。南山(なんざん)や幽篁(ゆうこう)とは性(たち)の違ったものに相違ないし、また雲雀(ひばり)や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視(み)てみたい。芭蕉(ばしょう)と云う男は枕元(まくらもと)へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅(が)な事と見立てて発句(ほっく)にした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺(じい)さんも婆(ばあ)さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似(まね)をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探(さ)ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤(じんじかっとう)の詮議立(せんぎだ)てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳(わけ)に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐(ふところ)には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画(え)の前へ立って、画中の人物が画面の中(うち)をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間(あいだ)三尺も隔(へだ)てていれば落ちついて見られる。あぶな気(げ)なしに見られる。言(ことば)を換(か)えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙(あ)げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識(かんしき)する事が出来る。
 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂(もた)れ懸(かか)っていたと思ったが、いつのまにか、崩(くず)れ出(だ)して、四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾(と)くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃(こまや)かでほとんど霧を欺(あざむ)くくらいだから、隔(へだ)たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背(せ)が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾(すそ)と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 路は存外(ぞんがい)広くなって、かつ平(たいら)だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子(まご)がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡(ぬ)れたね」
 まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画(かげえ)のように雨につつまれて、またふうと消えた。
 糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋(ひとすじ)ごとに風に捲(ま)かれる様(さま)までが目に入(い)る。羽織はとくに濡れ尽(つく)して肌着に浸(し)み込んだ水が、身体(からだ)の温度(ぬくもり)で生暖(なまあたたか)く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行(ある)く。
 茫々(ぼうぼう)たる薄墨色(うすずみいろ)の世界を、幾条(いくじょう)の銀箭(ぎんせん)が斜(なな)めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏(よ)まれる。有体(ありてい)なる己(おの)れを忘れ尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保(たも)つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡(がり)の人にもあらず。依然として市井(しせい)の一豎子(じゅし)に過ぎぬ。雲煙飛動の趣(おもむき)も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。蕭々(しょうしょう)として独(ひと)り春山(しゅんざん)を行く吾(われ)の、いかに美しきかはなおさらに解(かい)せぬ。初めは帽を傾けて歩行(あるい)た。後(のち)にはただ足の甲(こう)のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目(まんもく)の樹梢(じゅしょう)を揺(うご)かして四方(しほう)より孤客(こかく)に逼(せま)る。非人情がちと強過ぎたようだ。

        二

「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下(のきした)から奥を覗(のぞ)くと煤(すす)けた障子(しょうじ)が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋(わらじ)が淋(さび)しそうに庇(ひさし)から吊(つる)されて、屈托気(くったくげ)にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子(だがし)の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭(ぶんきゅうせん)が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅(すみ)に片寄せてある臼(うす)の上に、ふくれていた鶏(にわとり)が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈(どべっつい)が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜(ちゃがま)がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚(た)きつけてある。
 返事がないから、無断でずっと這入(はい)って、床几(しょうぎ)の上へ腰を卸(おろ)した。鶏(にわとり)は羽摶(はばた)きをして臼(うす)から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子(しょうじ)がしめてなければ奥まで馳(か)けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗(いぬ)のように考えているらしい。床几の上には一升枡(いっしょうます)ほどな煙草盆(たばこぼん)が閑静に控えて、中にはとぐろを捲(ま)いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長(ゆうちょう)に燻(いぶ)っている。雨はしだいに収まる。
 しばらくすると、奥の方から足音がして、煤(すす)けた障子がさらりと開(あ)く。なかから一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈(へつい)に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気(のんき)に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世(みせ)を明(あ)け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
 二三年前宝生(ほうしょう)の舞台で高砂(たかさご)を見た事がある。その時これはうつくしい活人画(かつじんが)だと思った。箒(ほうき)を担(かつ)いだ爺さんが橋懸(はしがか)りを五六歩来て、そろりと後向(うしろむき)になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真(ま)むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡(ぬ)れなさった。今火を焚(た)いて乾(かわ)かして上げましょ」
「そこをもう少し燃(も)しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声(ふたこえ)で鶏(にわとり)を追い下(さ)げる。ここここと馳(か)け出した夫婦は、焦茶色(こげちゃいろ)の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞(ふん)を垂(た)れた。
「まあ一つ」と婆さんはいつの間(ま)にか刳(く)り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦(こ)げている底に、一筆(ひとふで)がきの梅の花が三輪無雑作(むぞうさ)に焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻(ごま)ねじと微塵棒(みじんぼう)を持ってくる。糞(ふん)はどこぞに着いておらぬかと眺(なが)めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
 婆さんは袖無(そでな)しの上から、襷(たすき)をかけて、竈(へっつい)の前へうずくまる。余は懐(ふところ)から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧の通りの山里(やまざと)で」
「鶯(うぐいす)は鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。此辺(ここら)は夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日(きょう)は――先刻(さっき)の雨でどこぞへ逃げました」
 折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯(さっ)と風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、御(お)あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端(のきば)を見ると青い煙りが、突き当って崩(くず)れながらに、微(かす)かな痕(あと)をまだ板庇(いたびさし)にからんでいる。
「ああ、好(い)い心持ちだ、御蔭(おかげ)で生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌(てんぐいわ)が見え出しました」
 逡巡(しゅんじゅん)として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山(ぜんざん)の一角(いっかく)は、未練もなく晴れ尽して、老嫗(ろうう)の指さす方(かた)に□□(さんがん)と、あら削(けず)りの柱のごとく聳(そび)えるのが天狗岩だそうだ。
 余はまず天狗巌を眺(なが)めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々(はんはん)に両方を見比(みくら)べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂(たかさご)の媼(ばば)と、蘆雪(ろせつ)のかいた山姥(やまうば)のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄(ものすご)いものだと感じた。紅葉(もみじ)のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生(ほうしょう)の別会能(べつかいのう)を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面(めん)は定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏(おだ)やかに、あたたかに見える。金屏(きんびょう)にも、春風(はるかぜ)にも、あるは桜にもあしらって差(さ)し支(つかえ)ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳(かざ)して、遠く向うを指(ゆびさ)している、袖無し姿の婆さんを、春の山路(やまじ)の景物として恰好(かっこう)なものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端(とたん)に、婆さんの姿勢は崩れた。
 手持無沙汰(てもちぶさた)に写生帖を、火にあてて乾(かわ)かしながら、
「御婆さん、丈夫そうだね」と訊(たず)ねた。
「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、苧(お)もうみます、御団子(おだんご)の粉(こ)も磨(ひ)きます」
 この御婆さんに石臼(いしうす)を挽(ひ)かして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、
「ここから那古井(なこい)までは一里足(た)らずだったね」と別な事を聞いて見る。
「はい、二十八丁と申します。旦那(だんな)は湯治(とうじ)に御越(おこ)しで……」
「込み合わなければ、少し逗留(とうりゅう)しようかと思うが、まあ気が向けばさ」
「いえ、戦争が始まりましてから、頓(とん)と参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」
「妙な事だね。それじゃ泊(と)めてくれないかも知れんね」
「いえ、御頼みになればいつでも宿(と)めます」
「宿屋はたった一軒だったね」
「へえ、志保田(しほだ)さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」
「じゃ御客がなくても平気な訳だ」
「旦那は始めてで」
「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」
 会話はちょっと途切(とぎ)れる。帳面をあけて先刻(さっき)の鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴が聴(きこ)え出した。この声がおのずと、拍子(ひょうし)をとって頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページの端(はじ)に、
春風や惟然(いねん)が耳に馬の鈴
と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。
 やがて長閑(のどか)な馬子唄(まごうた)が、春に更(ふ)けた空山一路(くうざんいちろ)の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画(え)にかいた声だ。
馬子唄(まごうた)の鈴鹿(すずか)越ゆるや春の雨
と、今度は斜(はす)に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。
「また誰ぞ来ました」と婆さんが半(なか)ば独(ひと)り言(ごと)のように云う。
 ただ一条(ひとすじ)の春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。最前逢(お)うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を下(くだ)り、思われては山を登ったのだろう。路寂寞(じゃくまく)と古今(ここん)の春を貫(つらぬ)いて、花を厭(いと)えば足を着くるに地なき小村(こむら)に、婆さんは幾年(いくねん)の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日(こんにち)の白頭(はくとう)に至ったのだろう。
馬子(まご)唄や白髪(しらが)も染めで暮るる春
と次のページへ認(したた)めたが、これでは自分の感じを云い終(おお)せない、もう少し工夫(くふう)のありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。何でも白髪という字を入れて、幾代の節と云う句を入れて、馬子唄という題も入れて、春の季(き)も加えて、それを十七字に纏(まと)めたいと工夫しているうちに、
「はい、今日は」と実物の馬子が店先に留(とま)って大きな声をかける。
「おや源さんか。また城下へ行くかい」
「何か買物があるなら頼まれて上げよ」
「そうさ、鍛冶町(かじちょう)を通ったら、娘に霊厳寺(れいがんじ)の御札(おふだ)を一枚もらってきておくれなさい」
「はい、貰ってきよ。一枚か。――御秋(おあき)さんは善(よ)い所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母(おば)さん」
「ありがたい事に今日(こんにち)には困りません。まあ仕合せと云うのだろか」
「仕合せとも、御前。あの那古井(なこい)の嬢さまと比べて御覧」
「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」
「なあに、相変らずさ」
「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫(な)でる。
 枝繁(えだしげ)き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の塊(かた)まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮(か)りの住居(すまい)を、さらさらと転(ころ)げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣(たてがみ)を上下(うえした)に振る。
「コーラッ」と叱(しか)りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想(めいそう)を破る。
 御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前(めさき)に散らついている。裾模様(すそもよう)の振袖(ふりそで)に、高島田(たかしまだ)で、馬に乗って……」
「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母(おば)さん」
「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑(ふ)が出来ました」
 余はまた写生帖をあける。この景色は画(え)にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、
花の頃を越えてかしこし馬に嫁
と書きつける。不思議な事には衣装(いしょう)も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影(おもかげ)が忽然(こつぜん)と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速(さっそく)取り崩(くず)す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗(きれい)に立ち退(の)いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧(もうろう)と胸の底に残って、棕梠箒(しゅろぼうき)で煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を曳(ひ)く彗星(すいせい)の何となく妙な気になる。
「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶(あいさつ)する。
「帰りにまた御寄(およ)り。あいにくの降りで七曲(ななまが)りは難義だろ」
「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行(あるき)出す。源さんの馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。
「あれは那古井(なこい)の男かい」
「はい、那古井の源兵衛で御座んす」
「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、峠(とうげ)を越したのかい」
「志保田の嬢様が城下へ御輿入(おこしいれ)のときに、嬢様を青馬(あお)に乗せて、源兵衛が覊絏(はづな)を牽(ひ)いて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
 鏡に対(むか)うときのみ、わが頭の白きを喞(かこ)つものは幸の部に属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪の疾(と)き趣(おもむき)を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ仙(せん)に近づける方だろう。余はこう答えた。
「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」
「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場(とうじば)へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様(すそもよう)の振袖(ふりそで)を着て、高島田に結(い)っていればいいが」
「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」
 余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外真面目(まじめ)である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云う。
「嬢様と長良(ながら)の乙女(おとめ)とはよく似ております」
「顔がかい」
「いいえ。身の成り行きがで御座んす」
「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」
「昔(むか)しこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者(ちょうじゃ)の娘が御座りましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸想(けそう)して、あなた」
「なるほど」
「ささだ男に靡(なび)こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩(わずら)ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
と云う歌を咏(よ)んで、淵川(ふちかわ)へ身を投げて果(は)てました」
 余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅(こが)な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
「これから五丁東へ下(くだ)ると、道端(みちばた)に五輪塔(ごりんのとう)が御座んす。ついでに長良(ながら)の乙女(おとめ)の墓を見て御行きなされ」
 余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。
「那古井の嬢様にも二人の男が祟(たた)りました。一人は嬢様が京都へ修行に出て御出(おい)での頃御逢(おあ)いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」
「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」
「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な理由(わけ)もありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」
「めでたく、淵川(ふちかわ)へ身を投げんでも済んだ訳だね」
「ところが――先方(さき)でも器量望みで御貰(おもら)いなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともと強(し)いられて御出なさったのだから、どうも折合(おりあい)がわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々(ごくごく)内気(うちき)の優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」
 これからさきを聞くと、せっかくの趣向(しゅこう)が壊(こわ)れる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣(はごろも)を帰せ帰せと催促(さいそく)するような気がする。七曲(ななまが)りの険を冒(おか)して、やっとの思(おもい)で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下(おろ)されては、飄然(ひょうぜん)と家を出た甲斐(かい)がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭(にお)いが毛孔(けあな)から染込(しみこ)んで、垢(あか)で身体(からだ)が重くなる。
「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚床几(しょうぎ)の上へかちりと投げ出して立ち上がる。
「長良(ながら)の五輪塔から右へ御下(おくだ)りなさると、六丁ほどの近道になります。路(みち)はわるいが、御若い方にはその方(ほう)がよろしかろ。――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」

        三

 昨夕(ゆうべ)は妙な気持ちがした。
 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合(ぐあい)庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔(むか)し来た時とはまるで見当が違う。晩餐(ばんさん)を済まして、湯に入(い)って、室(へや)へ帰って茶を飲んでいると、小女(こおんな)が来て床(とこ)を延(の)べよかと云(い)う。
 不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食(ばんめし)の給仕も、湯壺(ゆつぼ)への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多(めった)にきかぬ。と云うて、田舎染(いなかじ)みてもおらぬ。赤い帯を色気(いろけ)なく結んで、古風な紙燭(しそく)をつけて、廊下のような、梯子段(はしごだん)のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降(お)りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
 給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段(ふだん)使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠(とおざ)かった時に、あとがひっそりとして、人の気(け)がしないのが気になった。
 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州(ぼうしゅう)を館山(たてやま)から向うへ突き抜けて、上総(かずさ)から銚子(ちょうし)まで浜伝いに歩行(あるい)た事がある。その時ある晩、ある所へ宿(とまっ)た。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟(むね)の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間(ま)をいくつも通り越して一番奥の、中二階(ちゅうにかい)へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入(はい)ろうとすると、板庇(いたびさし)の下に傾(かたむ)きかけていた一叢(ひとむら)の修竹(しゅうちく)が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫(な)でたので、すでにひやりとした。椽板(えんいた)はすでに朽(く)ちかかっている。来年は筍(たけのこ)が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
 その晩は例の竹が、枕元で婆娑(ばさ)ついて、寝られない。障子(しょうじ)をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明(つきあきら)かなるに、眼を走(は)しらせると、垣も塀(へい)もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原(おおうなばら)でどどんどどんと大きな濤(なみ)が人の世を威嚇(おどか)しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳(かや)のうちに辛防(しんぼう)しながら、まるで草双紙(くさぞうし)にでもありそうな事だと考えた。
 その後(ご)旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
 仰向(あおむけ)に寝ながら、偶然目を開(あ)けて見ると欄間(らんま)に、朱塗(しゅぬ)りの縁(ふち)をとった額(がく)がかかっている。文字(もじ)は寝ながらも竹影(ちくえい)払階(かいをはらって)塵不動(ちりうごかず)と明らかに読まれる。大徹(だいてつ)という落款(らっかん)もたしかに見える。余は書においては皆無鑒識(かいむかんしき)のない男だが、平生から、黄檗(おうばく)の高泉和尚(こうせんおしょう)の筆致(ひっち)を愛している。隠元(いんげん)も即非(そくひ)も木庵(もくあん)もそれぞれに面白味はあるが、高泉(こうせん)の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現(げん)に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
 横を向く。床(とこ)にかかっている若冲(じゃくちゅう)の鶴の図が目につく。これは商売柄(しょうばいがら)だけに、部屋に這入(はい)った時、すでに逸品(いっぴん)と認めた。若冲の図は大抵精緻(せいち)な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼(きがね)なしの一筆(ひとふで)がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形(たまごなり)の胴がふわっと乗(のっ)かっている様子は、はなはだ吾意(わがい)を得て、飄逸(ひょういつ)の趣(おもむき)は、長い嘴(はし)のさきまで籠(こも)っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
 すやすやと寝入る。夢に。
 長良(ながら)の乙女(おとめ)が振袖を着て、青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上(のぼ)って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿(さお)を持って、向島(むこうじま)を追懸(おっか)けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末(ゆくえ)も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
 そこで眼が醒(さ)めた。腋(わき)の下から汗が出ている。妙に雅俗混淆(がぞくこんこう)な夢を見たものだと思った。昔し宋(そう)の大慧禅師(だいえぜんじ)と云う人は、悟道の後(のち)、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命(せいめい)にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅(はば)が利(き)かない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子(しょうじ)に月がさして、木の枝が二三本斜(なな)めに影をひたしている。冴(さ)えるほどの春の夜(よ)だ。
 気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛(まぎ)れ込んだのかと耳を峙(そばだ)てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜(よ)に一縷(いちる)の脈をかすかに搏(う)たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良(ながら)の乙女(おとめ)の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
 初めのうちは椽(えん)に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退(とおの)いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐(あわ)れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然(じねん)に細(ほそ)りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒(びょう)を縮め、分(ふん)を割(さ)いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫(びょうふ)のごとく、消えんとしては、消えんとする灯火(とうか)のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨(うら)みをことごとく萃(あつ)めたる調べがある。
 今までは床(とこ)の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕(した)って飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮(あせっ)ても鼓膜(こまく)に応(こた)えはあるまいと思う一刹那(いっせつな)の前、余はたまらなくなって、われ知らず布団(ふとん)をすり抜けると共にさらりと障子(しょうじ)を開(あ)けた。途端(とたん)に自分の膝(ひざ)から下が斜(なな)めに月の光りを浴びる。寝巻(ねまき)の上にも木の影が揺れながら落ちた。
 障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠(かいどう)かと思わるる幹を背(せ)に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧(もうろう)たる影法師(かげぼうし)がいた。あれかと思う意識さえ、確(しか)とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕(くだ)いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟(むね)の角(かど)が、すらりと動く、背(せい)の高い女姿を、すぐに遮(さえぎ)ってしまう。
 借着(かりぎ)の浴衣(ゆかた)一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然(ぼうぜん)としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参(きさん)して考え出した。括(くく)り枕(まくら)のしたから、袂時計(たもとどけい)を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物(ばけもの)ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家(ここ)の御嬢さんかも知れない。しかし出帰(でがえ)りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当(ふおんとう)だ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪(け)しからん。
 怖(こわ)いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄(すご)い事も、己(おの)れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画(え)になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿(やど)るところやら、憂(うれい)のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢(あふ)るるところやらを、単に客観的に眼前(がんぜん)に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自(みず)から強(し)いて煩悶(はんもん)して、愉快を貪(むさ)ぼるものがある。常人(じょうにん)はこれを評して愚(ぐ)だと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描(えが)いて好(この)んでその中(うち)に起臥(きが)するのは、自から烏有(うゆう)の山水を刻画(こくが)して壺中(こちゅう)の天地(てんち)に歓喜すると、その芸術的の立脚地(りっきゃくち)を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行(わらじたび)をする間(あいだ)、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊(そうゆう)を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々(ちょうちょう)して、したり顔である。これはあえて自(みずか)ら欺(あざむ)くの、人を偽(いつ)わるのと云う了見(りょうけん)ではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角(いっかく)を磨滅(まめつ)して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
 この故(ゆえ)に天然(てんねん)にあれ、人事にあれ、衆俗(しゅうぞく)の辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上(むじょう)の宝□(ほうろ)を知る。俗にこれを名(なづ)けて美化(びか)と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる彩光(さいこう)は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ一翳(いちえい)眼に在(あ)って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累(ぞくるい)の覊絏牢(きせつろう)として絶(た)ちがたきが故に、栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに逼(せま)る事、念々切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙(おうきょ)が幽霊を描(えが)くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
 余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰(だ)れが見ても、誰(だれ)に聞かしても饒(ゆたか)に詩趣を帯びている。――孤村(こそん)の温泉、――春宵(しゅんしょう)の花影(かえい)、――月前(げつぜん)の低誦(ていしょう)、――朧夜(おぼろよ)の姿――どれもこれも芸術家の好題目(こうだいもく)である。この好題目が眼前(がんぜん)にありながら、余は入(い)らざる詮義立(せんぎだ)てをして、余計な探(さ)ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟(りくつ)の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪(わ)るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜(ひょうぼう)する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴(ふいちょう)する資格はつかぬ。昔し以太利亜(イタリア)の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭(かけ)にして、山賊の群(むれ)に這入(はい)り込んだと聞いた事がある。飄然(ひょうぜん)と画帖を懐(ふところ)にして家を出(い)でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
 こんな時にどうすれば詩的な立脚地(りっきゃくち)に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据(す)えつけて、その感じから一歩退(しりぞ)いて有体(ありてい)に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸(しがい)を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近(てぢか)なのは何(なん)でも蚊(か)でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠(かわや)に上(のぼ)った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直(あんちょく)に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟(さと)りであるから軽便だと云って侮蔑(ぶべつ)する必要はない。軽便であればあるほど功徳(くどく)になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人(ひとり)が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否(いな)やうれしくなる。涙を十七字に纏(まと)めた時には、苦しみの涙は自分から遊離(ゆうり)して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉(うれ)しさだけの自分になる。
 これが平生(へいぜい)から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫(さんまん)になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
「海棠(かいだう)の露をふるふや物狂(ものぐる)ひ」と真先(まっさき)に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧(おぼろ)かな」とやったが、これは季が重(かさ)なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気(のんき)になればいい。それから「正一位(しやういちゐ)、女に化(ば)けて朧月(おぼろづき)」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
 この調子なら大丈夫と乗気(のりき)になって出るだけの句をみなかき付ける。
春の星を落して夜半(よは)のかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵(こよひ)歌つかまつる御姿
海棠(かいだう)の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
 恍惚(こうこつ)と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人(なんびと)も我を認め得ぬ。明覚(めいかく)の際には誰(たれ)あって外界(がいかい)を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷(る)のごとき幻境が横(よこた)わる。醒(さ)めたりと云うには余り朧(おぼろ)にて、眠ると評せんには少しく生気(せいき)を剰(あま)す。起臥(きが)の二界を同瓶裏(どうへいり)に盛りて、詩歌(しいか)の彩管(さいかん)をもって、ひたすらに攪(か)き雑(ま)ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前(てまえ)までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞(かすみ)の国へ押し流す。睡魔の妖腕(ようわん)をかりて、ありとある実相の角度を滑(なめら)かにすると共に、かく和(やわ)らげられたる乾坤(けんこん)に、われからと微(かす)かに鈍(にぶ)き脈を通わせる。地を這(は)う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂(たましい)の、わが殻(から)を離れんとして離るるに忍びざる態(てい)である。抜け出(い)でんとして逡巡(ためら)い、逡巡いては抜け出でんとし、果(は)ては魂と云う個体を、もぎどうに保(たも)ちかねて、氤□(いんうん)たる瞑氛(めいふん)が散るともなしに四肢五体に纏綿(てんめん)して、依々(いい)たり恋々(れんれん)たる心持ちである。
 余が寤寐(ごび)の境(さかい)にかく逍遥(しょうよう)していると、入口の唐紙(からかみ)がすうと開(あ)いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地(ここち)よく眺(なが)めている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が閉(と)じている瞼(まぶた)の裏(うち)に幻影(まぼろし)の女が断(ことわ)りもなく滑(すべ)り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入(はい)る。仙女(せんにょ)の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる眼(まなこ)のなかから見る世の中だから確(しか)とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足(えりあし)の長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯影(ほかげ)にすかすような気がする。
 まぼろしは戸棚(とだな)の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖(そで)をすべって暗闇(くらやみ)のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉(た)たる。余が眠りはしだいに濃(こま)やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
 いつまで人と馬の相中(あいなか)に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅(すみ)から隅まで明るい。うららかな春日(はるび)が丸窓の竹格子(たけごうし)を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜(ひそ)む余地はなさそうだ。神秘は十万億土(じゅうまんおくど)へ帰って、三途(さんず)の川(かわ)の向側(むこうがわ)へ渡ったのだろう。

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