行人
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著者名:夏目漱石 

 三沢はこう云いながら、ちょっと意味のある眼遣(めづか)いをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽(あお)いだ。そうして急に持ち交(か)えた柄(え)の方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うを指(さ)した。
「あの室へ這入(はい)ったんだ。君の帰った後(あと)で」
 三沢の室は廊下の突き当りで往来の方を向いていた。女の室は同じ廊下の角(かど)で、中庭の方から明りを取るようにできていた。暑いので両方共入り口は明けたまま、障子(しょうじ)は取り払ってあったから、自分のいる所から、団扇の柄で指(さ)し示された部屋の入口は、四半分ほど斜めに見えた。しかしそこには女の寝ている床(とこ)の裾(すそ)が、画(え)の模様のように三角に少し出ているだけであった。
 自分はその蒲団の端(はじ)を見つめてしばらく何も云わなかった。
「潰瘍(かいよう)の劇(はげ)しいんだ。血を吐(は)くんだ」と三沢がまた小さな声で告げた。自分はこの時彼が無理をやると潰瘍になる危険があるから入院したと説明して聞かせた事を思い出した。潰瘍という言葉はその折自分の頭に何らの印象も与えなかったが、今度は妙に恐ろしい響を伝えた。潰瘍の陰に、死という怖いものが潜(ひそ)んでいるかのように。
 しばらくすると、女の部屋で微(かす)かにげえげえという声がした。
「そら吐いている」と三沢が眉(まゆ)をひそめた。やがて看護婦が戸口へ現れた。手に小さな金盥(かなだらい)を持ちながら、草履(ぞうり)を突っかけて、ちょっと我々の方を見たまま出て行った。
「癒(なお)りそうなのかな」
 自分の眼には、今朝(けさ)腮(あご)を胸に押しつけるようにして、じっと腰をかけていた美くしい若い女の顔がありありと見えた。
「どうだかね。ああ嘔(は)くようじゃ」と三沢は答えた。その表情を見ると気の毒というよりむしろ心配そうなある物に囚(とら)えられていた。
「君は本当にあの女を知っているのか」と自分は三沢に聞いた。
「本当に知っている」と三沢は真面目(まじめ)に答えた。
「しかし君は大阪へ来たのが今度始めてじゃないか」と自分は三沢を責めた。
「今度来て今度知ったのだ」と三沢は弁解した。「この病院の名も実はあの女に聞いたのだ。僕はここへ這入(はい)る時から、あの女がことによるとやって来やしないかと心配していた。けれども今朝君の話を聞くまではよもやと思っていた。僕はあの女の病気に対しては責任があるんだから……」

        二十一

 大阪へ着くとそのまま、友達といっしょに飲みに行ったどこかの茶屋で、三沢は「あの女」に会ったのである。
 三沢はその時すでに暑さのために胃に変調を感じていた。彼を強(し)いた五六人の友達は、久しぶりだからという口実のもとに、彼を酔わせる事を御馳走(ごちそう)のように振舞(ふるま)った。三沢も宿命に従う柔順な人として、いくらでも盃(さかずき)を重ねた。それでも胸の下の所には絶えず不安な自覚があった。ある時は変な顔をして苦しそうに生唾(なまつばき)を呑(の)み込んだ。ちょうど彼の前に坐っていた「あの女」は、大阪言葉で彼に薬をやろうかと聞いた。彼はジェムか何かを五六粒手の平(ひら)へ載(の)せて口のなかへ投げ込んだ。すると入物を受取った女も同じように白い掌(てのひら)の上に小さな粒を並べて口へ入れた。
 三沢は先刻(さっき)から女の倦怠(だる)そうな立居に気をつけていたので、御前もどこか悪いのかと聞いた。女は淋(さび)しそうな笑いを見せて、暑いせいか食慾がちっとも進まないので困っていると答えた。ことにこの一週間は御飯が厭(いや)で、ただ氷ばかり呑んでいる、それも今呑んだかと思うと、すぐまた食べたくなるんで、どうもしようがないと云った。
 三沢は女に、それはおおかた胃が悪いのだろうから、どこかへ行って専門の大家にでも見せたら好かろうと真面目な忠告をした。女も他(ひと)に聞くと胃病に違ないというから、好い医者に見せたいのだけれども家業が家業だからと後(あと)は云い渋っていた。彼はその時女から始めてここの病院と院長の名前を聞いた。
「僕もそう云う所へちょっと入ってみようかな。どうも少し変だ」
 三沢は冗談(じょうだん)とも本気ともつかない調子でこんな事を云って、女から縁喜(えんぎ)でもないように眉(まゆ)を寄せられた。
「それじゃまあたんと飲んでから後(あと)の事にしよう」と三沢は彼の前にある盃(さかずき)をぐっと干して、それを女の前に突き出した。女はおとなしく酌をした。
「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」
 彼は女を前に引きつけてむやみに盃をやった。女も素直(すなお)にそれを受けた。しかししまいには堪忍(かんにん)してくれと云い出した。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。
「酒を呑(の)んで胃病の虫を殺せば、飯なんかすぐ喰える。呑まなくっちゃ駄目だ」
 三沢は自暴(やけ)に酔ったあげく、乱暴な言葉まで使って女に酒を強(し)いた。それでいて、己れの胃の中には、今にも爆発しそうな苦しい塊(かたまり)が、うねりを打っていた。

      *       *       *       *

 自分は三沢の話をここまで聞いて慄(ぞっ)とした。何の必要があって、彼は己(おのれ)の肉体をそう残酷に取扱ったのだろう。己れは自業自得としても、「あの女」の弱い身体(からだ)をなんでそう無益(むやく)に苦めたものだろう。
「知らないんだ。向(むこう)は僕の身体を知らないし、僕はまたあの女の身体を知らないんだ。周囲(まわり)にいるものはまた我々二人の身体を知らないんだ。そればかりじゃない、僕もあの女も自分で自分の身体が分らなかったんだ。その上僕は自分の胃(い)の腑(ふ)が忌々(いまいま)しくってたまらなかった。それで酒の力で一つ圧倒してやろうと試みたのだ。あの女もことによると、そうかも知れない」
 三沢はこう云って暗然としていた。

        二十二

「あの女」は室(へや)の前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寝ていた。看護婦は入口の柱の傍(そば)へ寄って覗(のぞ)き込むようにすれば見えると云って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった。
 附添の看護婦は暑いせいか大概はその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それがまた看護婦としては特別器量(きりょう)が好いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬鹿にしているなどと云った。彼の看護婦はまた別の意味からして、この美しい看護婦を好く云わなかった。病人の世話をそっちのけにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだとか、いろいろの事を探って来ては三沢や自分に報告した。ある時は病人の便器を差し込んだなり、引き出すのを忘れてそのまま寝込んでしまった怠慢(たいまん)さえあったと告げた。
 実際この美しい看護婦が器量の優(すぐ)れている割合に義務を重んじなかった事は自分達の眼にもよく映った。
「ありゃ取り換えてやらなくっちゃ、あの女が可哀(かわい)そうだね」と三沢は時々苦(にが)い顔をした。それでもその看護婦が入口の柱にもたれて、うとうとしていると、彼はわが室(へや)の中(うち)からその横顔をじっと見つめている事があった。
「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよく洩(も)れた。――牛乳でも肉汁(ソップ)でも、どんな軽い液体でも狂った胃がけっして受けつけない。肝心(かんじん)の薬さえ厭(いや)がって飲まない。強いて飲ませると、すぐ戻してしまう。
「血は吐くかい」
 三沢はいつでもこう云って看護婦に反問した。自分はその言葉を聞くたびに不愉快な刺戟(しげき)を受けた。
「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれども外(ほか)の室(へや)のように賑(にぎや)かな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返(いちょうがえ)しの影をいくつとなく見た。中には眼の覚(さ)めるように派出(はで)な模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人(しろうと)に近い地味(じみ)な服装(なり)で、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であら姐(ねえ)はんという感投詞(かんとうし)を用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。それも廊下の端(はじ)に洋傘(こうもり)を置いて室の中へ入るや否や急に消えたように静かになった。
「君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。
「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」
「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」
「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」
 三沢は病院の二階に「あの女」の馴染客(なじみきゃく)があって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、共に苦しむ酒のため」という都々逸(どどいつ)を紙片(かみぎれ)へ書いて、あの女の所へ届けた上、出院のとき袴(はかま)羽織(はおり)でわざわざ見舞に来た話をして、何という馬鹿だという顔つきをした。
「静かにして、刺戟(しげき)のないようにしてやらなくっちゃいけない。室でもそっと入って、そっと出てやるのが当り前だ」と彼は云った。
「ずいぶん静じゃないか」と自分は云った。
「病人が口を利(き)くのを厭(いや)がるからさ。悪い証拠(しょうこ)だ」と彼がまた云った。

        二十三

 三沢は「あの女」の事を自分の予想以上に詳(くわ)しく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいない間(ま)に得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内所話(ないしょばなし)でも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。
 彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取扱かわれる売子(うれっこ)であった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体(からだ)が悪くてもけっして休むような横着はしなかった。時たま堪(た)えられないで床に就(つ)く場合でも、早く御座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。……
「今あの女の室(へや)に来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしくしちゃいない。まるで叔母さんか何ぞのようだ。あの女も下女のいう事だけは素直によく聞くので、厭(いや)がる薬を呑ませたり、わがままを云い募(つの)らせないためには必要な人間なんだ」
 三沢はすべてこういう内幕(うちまく)の出所(でどころ)をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明した。けれども自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕(つら)まえて、「三沢はああ云ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目(まじめ)な顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞に行ったところで、身上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方へ落ち込んで行く心細い例を話して聞かせた。
「あの女」は嘔気(はきけ)が止まないので、上から営養の取りようがなくなって、昨日(きのう)とうとう滋養浣腸(じようかんちょう)を試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵(たまご)を混和した単純な液体ですら、衰弱を極(きわ)めたあの女の腸には荷が重過ぎると見えて予期通り吸収されなかった。
 看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入って、誰が悠々(ゆうゆう)と身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅(きら)を着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹(かか)った憐(あわれ)な若い女とを、黙って心のうちに対照した。
「あの女」は器量と芸を売る御蔭(おかげ)で、何とかいう芸者屋の娘分になって家(うち)のものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通り宅(うち)のものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪(どくあく)な病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋(げいしゃや)の娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。
 自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。

        二十四

「あの女」の本当の母というのを、三沢はたった一遍見た事があると語った。
「それもほんの後姿(うしろすがた)だけさ」と彼はわざわざ断(ことわ)った。
 その母というのは自分の想像通(どおり)、あまり楽(らく)な身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装(みなり)をして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼(きがね)らしくこそこそと来ていつの間(ま)にか、また梯子段(はしごだん)を下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。
「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。
「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占(し)めていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香(いろか)を命とする綺麗(きれい)な人ばかりなので、その中に交(まじ)るこの母は、ただでさえ燻(くす)ぶり過ぎて地味(じみ)なのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像に描(えが)いて暗に憐(あわれ)を催した。
「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹(かか)ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍(そば)についていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利(き)かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」
「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があっても入費がないんだから」
 自分は情ない気がした。ああ云う浮いた家業をする女の平生は羨(うらや)ましいほど派出(はで)でも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸(ひさん)の程度が一層甚(はなは)だしいのではないかと考えた。
「旦那(だんな)が付いていそうなものだがな」
 三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったと見えて、自分がこう不審を打ったとき、彼は何の答もなく黙っていた。あの女に関していっさいの新智識を供給する看護婦もそこへ行くと何の役にも立たなかった。
「あの女」のか弱い身体(からだ)は、その頃の暑さでもどうかこうか持ち応(こた)えていた。三沢と自分はそれをほとんど奇蹟(きせき)のごとくに語り合った。そのくせ両人(ふたり)とも露骨を憚(はばか)って、ついぞ柱の影から室(へや)の中を覗(のぞ)いて見た事がないので、現在の「あの女」がどのくらい窶(やつ)れているかは空(むな)しい想像画に過ぎなかった。滋養浣腸(じようかんちょう)さえ思わしく行かなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の眼には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の悪くない入院前の「あの女」の顔が描(えが)かれるだけであった。それで二人共あの女はもうむずかしいだろうと話し合っていた。そうして実際は双方共死ぬとは思わなかったのである。
 同時にいろいろな患者が病院を出たり入ったりした。ある晩「あの女」と同じくらいな年輩の二階にいる婦人が担架(たんか)で下へ運ばれて行った。聞いて見ると、今日(きょう)明日(あす)にも変がありそうな危険なところを、付添の母が田舎(いなか)へ連れて帰るのであった。その母は三沢の看護婦に、氷ばかりも二十何円とかつかったと云って、どうしても退院するよりほかに途(みち)がないとわが窮状を仄(ほのめ)かしたそうである。
 自分は三階の窓から、田舎へ帰る釣台を見下(みおろ)した。釣台は暗くて見えなかったが、用意の提灯(ちょうちん)の灯(ひ)はやがて動き出した。窓が高いのと往来が狭いので、灯は谷の底をひそかに動いて行くように見えた。それが向うの暗い四つ角を曲ってふっと消えた時、三沢は自分を顧(かえり)みて「帰り着くまで持てば好いがな」と云った。

        二十五

 こんな悲酸(ひさん)な退院を余儀なくされる患者があるかと思うと、毎日子供を負ぶって、廊下だの物見台だの他人(ひと)の室(へや)だのを、ぶらぶら廻って歩く呑気(のんき)な男もあった。
「まるで病院を娯楽場のように思ってるんだね」
「第一(だいち)どっちが病人なんだろう」
 自分達はおかしくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負ぶっているのは叔父で、負ぶさっているのは甥(おい)であった。この甥が入院当時骨と皮ばかりに瘠(や)せていたのを叔父の丹精(たんせい)一つでこのくらい肥(ふと)ったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか云った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。
 三沢の一軒おいて隣にはまた変な患者がいた。手提鞄(てさげかばん)などを提(さ)げて、普通の人間の如く平気で出歩いた。時には病院を空(あ)ける事さえあった。帰って来ると素(す)っ裸体(ぱだか)になって、病院の飯を旨(うま)そうに食った。そうして昨日(きのう)はちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。
 岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入(はい)ったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室の床(とこ)には後光(ごこう)の射した阿弥陀様(あみださま)の軸がかけてあった。二人差向いで気楽そうに碁(ご)を打っている事もあった。それでも細君に聞くと、この春餅(もち)を食った時、血を猪口(ちょく)に一杯半ほど吐いたから伴(つ)れて来たのだともったいらしく云って聞かせた。
「あの女」の看護婦は依然として入口の柱に靠(もた)れて、わが膝(ひざ)を両手で抱いている事が多かった。こっちの看護婦はそれをまた器量を鼻へかけて、わざわざあんな人の眼に着く所へ出るのだと評していた。自分は「まさか」と云って弁護する事もあった。けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互に嫉(にく)み合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下(がんか)に見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。こう主張しながらも彼は別にこの看護婦を悪(にく)む様子はなかった。自分もこの女に対してさほど厭な感じはもっていなかった。醜い三沢の付添いは「本間(ほんま)に器量の好(え)いものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。
 こんな周囲に取り囲まれた三沢は、身体の回復するに従って、「あの女」に対する興味を日に増し加えて行くように見えた。自分がやむをえず興味という妙な熟字をここに用いるのは、彼の態度が恋愛でもなければ、また全くの親切でもなく、興味の二字で現すよりほかに、適切な文字がちょっと見当らないからである。
 始めて「あの女」を控室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らないくらい鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるや否や、主客(しゅかく)の別はすでについてしまった。それからと云うもの、「あの女」の噂(うわさ)が出るたびに、彼はいつでも先輩の態度を取って自分に向った。自分も一時は彼に釣り込まれて、当初の興味がだんだん研(と)ぎ澄(す)まされて行くような気分になった。けれども客の位置に据(す)えられた自分はそれほど長く興味の高潮(こうちょう)を保ち得なかった。

        二十六

 自分の興味が強くなった頃、彼の興味は自分より一層強くなった。自分の興味がやや衰えかけると、彼の興味はますます強くなって来た。彼は元来がぶっきらぼうの男だけれども、胸の奥には人一倍優(やさ)しい感情をもっていた。そうして何か事があると急に熱する癖があった。
 自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」の室(へや)へ入り込まないかを不審に思った。彼はけっして自分のような羞恥家(はにかみや)ではなかった。同情の言葉をかけに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞に行くぐらいの事は、彼の性質から見て何でもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、直(じか)に行って、会って慰めてやれば好いじゃないか」とまで云った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」と渋(しぶ)っていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨拶(あいさつ)であった。そうしてその意味は解らなかった。解らなかったけれども、本当は彼の行かない方が、自分の希望であった。
 ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつの間にか口を利(き)くようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱に倚(よ)りかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取換(とりか)わすぐらいな程度に過ぎなかったけれども、――とにかくこの美しい看護婦から自分は運勢早見(うんせいはやみ)なんとかいう、玩具(おもちゃ)の占(うらな)いの本みたようなものを借りて、三沢の室でそれをやって遊んだ。
 これは赤と黒と両面に塗り分けた碁石(ごいし)のような丸く平たいものをいくつか持って、それを眼を眠(ねむ)ったまま畳の上へ並べて置いて、赤がいくつ黒がいくつと後から勘定(かんじょう)するのである。それからその数字を一つは横へ、一つは竪(たて)に繰って、両方が一点に会(かい)したところを本で引いて見ると、辻占(つじうら)のような文句が出る事になっていた。
 自分が眼を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、看護婦は赤がいくつ黒がいくつと云いながら占(うらな)いの文句を繰ってくれた。すると、「この恋もし成就(じょうじゅ)する時は、大いに恥を掻(か)く事あるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出した。三沢も笑った。
「おい気をつけなくっちゃいけないぜ」と云った。三沢はその前から「あの女」の看護婦に自分が御辞儀(おじぎ)をするところが変だと云って、始終(しじゅう)自分に調戯(からか)っていたのである。
「君こそ少し気をつけるが好い」と自分は三沢に竹箆返(しっぺいがえ)しを喰わしてやった。すると三沢は真面目(まじめ)な顔をして「なぜ」と反問して来た。この場合この強情な男にこれ以上いうと、事が面倒になるから自分は黙っていた。
 実際自分は三沢が「あの女」の室(へや)へ出入(でいり)する気色(けしき)のないのを不審に思っていたが一方ではまた彼の熱しやすい性質を考えて、今まではとにかく、これから先彼がいつどう変返(へんがえ)るかも知れないと心配した。彼はすでに下の洗面所まで行って、朝ごとに顔を洗うぐらいの気力を回復していた。
「どうだもう好い加減に退院したら」
 自分はこう勧めて見た。そうして万一金銭上の関係で退院を躊躇(ちゅうちょ)するようすが見えたら、彼が自宅から取り寄せる手間(てま)と時間を省(はぶ)くため、自分が思い切って一つ岡田に相談して見ようとまで思った。三沢は自分の云う事には何の返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。

        二十七

 自分は二日前に天下茶屋(てんがちゃや)のお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛(しば)られていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折合っている蒲団(ふとん)の上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。
「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分はおとなしく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。
「じゃいっしょに海辺(かいへん)へ行って静養する訳にも行かないな」
 三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでも跳(は)ね返すし、こっちが退(の)こうとすると、急にまた他(ひと)の袂(たもと)を捕(つら)まえて放さないし、と云った風に気分の出入(でいり)が著(いちじ)るしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日(こんにち)に至ったのである。
「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。
「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。
 自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路に、その快よく別れる前の不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部(うわべ)にあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに過ぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変な苦(にが)い意味を味わった。
 自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡(りょうけん)もない癖に、自分だけがだんだん彼女(かのじょ)に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬(しっと)があった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性(せい)の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。
 自分は歩きながら自分の卑怯(ひきょう)を恥じた。同時に三沢の卑怯を悪(にく)んだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年交際(まじわり)を重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。
 自分はその明日(あした)病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫(わ)びる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨(むね)を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。

        二十八

「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」
 自分はこう聞いて見ないではいられなかった。三沢は自分の問に答える前にじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。
「別段これという訳もないが、もう出る方が好かろうと思って……」
 三沢はこれぎり何にも云わなかった。自分も黙っているよりほかに仕方がなかった。二人はいつもより沈んで相対していた。看護婦はすでに帰った後(あと)なので、室(へや)の中はことに淋(さみ)しかった。今まで蒲団(ふとん)の上に胡坐(あぐら)をかいていた彼は急に倒れるように仰向(あおむき)に寝た。そうして上眼(うわめ)を使って窓の外を見た。外にはいつものように色の強い青空が、ぎらぎらする太陽の熱を一面に漲(みなぎ)らしていた。
「おい君」と彼はやがて云った。「よく君の話す例の男ね。あの男は金を持っていないかね」
 自分は固(もと)より岡田の経済事情を知ろうはずがなかった。あの始末屋(しまつや)の御兼さんの事を考えると、金という言葉を口から出すのも厭(いや)だった。けれどもいざ三沢の出院となれば、そのくらいな手数(てかず)は厭(いと)うまいと、昨日(きのう)すでに覚悟をきめたところであった。
「節倹家だから少しは持ってるだろう」
「少しで好いから借りて来てくれ」
 自分は彼が退院するについて会計へ払う入院料に困るのだと思った。それでどのくらい不足なのかを確めた。ところが事実は案外であった。
「ここの払と東京へ帰る旅費ぐらいはどうかこうか持っているんだ。それだけなら何も君を煩(わずら)わす必要はない」
 彼は大した物持(ものもち)の家に生れた果報者でもなかったけれども、自分が一人息子だけに、こういう点にかけると、自分達よりよほど自由が利(き)いた。その上母や親類のものから京都で買物を頼まれたのを、新しい道伴(みちづれ)ができたためつい大阪まで乗り越して、いまだに手を着けない金が余っていたのである。
「じゃただ用心のために持って行こうと云うんだね」
「いや」と彼は急に云った。
「じゃどうするんだ」と自分は問いつめた。
「どうしても僕の勝手だ。ただ借りてくれさえすれば好いんだ」
 自分はまた腹が立った。彼は自分をまるで他人扱いにしているのである。自分は憤(むっ)として黙っていた。
「怒っちゃいけない」と彼が云った。「隠すんじゃない、君に関係のない事を、わざと吹聴(ふいちょう)するように見えるのが厭だから、知らせずにおこうと思っただけだから」
 自分はまだ黙っていた。彼は寝ながら自分の顔を見上げていた。
「そんなら話すがね」と彼が云い出した。
「僕はまだあの女を見舞ってやらない。向(むこう)でもそんな事は待ち受けてやしないだろうし、僕も必ず見舞に行かなければならないほどの義理はない。が、僕は何だかあの女の病気を危険にした本人だという自覚がどうしても退(の)かない。それでどっちが先へ退院するにしても、その間際(まぎわ)に一度会っておきたいと始終(しじゅう)思っていた。見舞じゃない、詫(あや)まるためにだよ。気の毒な事をしたと一口詫まればそれで好いんだ。けれどもただ詫まる訳にも行かないから、それで君に頼んで見たのだ。しかし君の方の都合が悪ければ強いてそうして貰わないでもどうかなるだろう。宅(うち)へ電報でもかけたら」

        二十九

 自分は行(ゆき)がかり上(じょう)一応岡田に当って見る必要があった。宅(うち)へ電報を打つという三沢をちょっと待たして、ふらりと病院の門を出た。岡田の勤めている会社は、三沢の室(へや)とは反対の方向にあるので、彼の窓から眺(なが)める訳には行かないけれども、道程(みちのり)からいうといくらもなかった。それでも暑いので歩いて行くうちに汗が背中を濡(ぬ)らすほど出た。
 彼は自分の顔を見るや否や、さも久しぶりに会った人らしく「やっしばらく」と叫ぶように云った。そうしてこれまでたびたび電話で繰り返した挨拶(あいさつ)をまた新しくまのあたり述べた。
 自分と岡田とは今でこそ少し改まった言葉使もするが、昔を云えば、何の遠慮もない間柄であった。その頃は金も少しは彼のために融通してやった覚(おぼえ)がある。自分は勇気を鼓舞(こぶ)するために、わざとその当時の記憶を呼起してかかった。何にも知らない彼は、立ちながら元気な声を出して、「どうです二郎さん、僕の予言は」と云った。「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」
 自分は思い切って、まず肝心(かんじん)の用事を話した。彼は案外な顔をして聞いていたが、聞いてしまうとすぐ、「ようがす、そのくらいならどうでもします」と容易に引き受けてくれた。
 彼は固(もと)よりその隠袋(ポッケット)の中(うち)に入用(いりよう)の金を持っていなかった。「明日(あした)でも好いんでしょう」と聞いた。自分はまた思い切って、「できるなら今日中(きょうじゅう)に欲しいんだ」と強いた。彼はちょっと当惑したように見えた。
「じゃ仕方がない迷惑でしょうけれども、手紙を書きますから、宅(うち)へ持って行ってお兼に渡して下さいませんか」
 自分はこの事件についてお兼さんと直接の交渉はなるべく避けたかったけれども、この場合やむをえなかったので、岡田の手紙を懐(ふところ)へ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口まで馳(か)け出して来て、「この御暑いのによくまあ」と驚いてくれた。そうして、「さあどうぞ」を二三返繰返したが、自分は立ったまま「少し急ぎますから」と断って、岡田の手紙を渡した。お兼さんは上り口に両膝(りょうひざ)を突いたなり封を切った。
「どうもわざわざ恐れ入りましたね。それではすぐ御伴をして参りますから」とすぐ奥へ入った。奥では用箪笥(ようだんす)の環(かん)の鳴る音がした。
 自分はお兼さんと電車の終点までいっしょに乗って来てそこで別れた。「では後(のち)ほど」と云いながらお兼さんは洋傘(こうもり)を開いた。自分はまた俥(くるま)を急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体(からだ)を拭いたり、しばらく三沢と話しているうちに、自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関まで呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、そこに挟(はさ)んであった札(さつ)を自分の手の上に乗せた。
「ではどうぞちょっと御改ためなすって」
 自分は形式的にそれを勘定した上、「確(たしか)に。――どうもとんだ御手数(おてかず)をかけました。御暑いところを」と礼を述べた。実際急いだと見えてお兼さんは富士額の両脇を、細かい汗の玉でじっとりと濡(ぬ)らしていた。
「どうです、ちっと上って涼んでいらしったら」
「いいえ今日(こんにち)は急ぎますから、これで御免(ごめん)を蒙(こうむ)ります。御病人へどうぞよろしく。――でも結構でございましたね、早く御退院になれて。一時は宅でも大層心配致しまして、よく電話で御様子を伺ったとか申しておりましたが」
 お兼さんはこんな愛想(あいそ)を云いながら、また例のクリーム色の洋傘(こうもり)を開いて帰って行った。

        三十

 自分は少し急(せ)き込んでいた。紙幣(しへい)を握ったまま段々を馳(か)け上るように三階まで来た。三沢は平生よりは落ちついていなかった。今火を点(つ)けたばかりの巻煙草(まきたばこ)をいきなり灰吹(はいふき)の中に放り込んで、ありがとうともいわずに、自分の手から金を受取った。自分は渡した金の高を注意して、「好いか」と聞いた。それでも彼はただうんと云っただけである。
 彼はじっと「あの女」の室(へや)の方を見つめた。時間の具合で、見舞に来たものの草履(ぞうり)は一足も廊下の端(はじ)に脱ぎ棄(す)ててなかった。平生から静過ぎる室の中は、ことに寂寞としていた。例の美くしい看護婦は相変らず角の柱に倚(よ)りかかって、産婆学の本か何か読んでいた。
「あの女は寝ているのかしら」
 彼は「あの女」の室(へや)へ入るべき好機会を見出しながら、かえってその眠を妨(さまた)げるのを恐れるように見えた。
「寝ているかも知れない」と自分も思った。
 しばらくして三沢は小さな声で「あの看護婦に都合を聞いて貰おうか」と云い出した。彼はまだこの看護婦に口を利(き)いた事がないというので、自分がその役を引受けなければならなかった。
 看護婦は驚いたようなまたおかしいような顔をして自分を見た。けれどもすぐ自分の真面目な態度を認めて、室の中へ入って行った。かと思うと、二分と経(た)たないうちに笑いながらまた出て来た。そうして今ちょうど気分の好いところだからお目にかかれるという患者の承諾をもたらした。三沢は黙って立ち上った。
 彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座に坐(すわ)って、ぼんやりその後影(うしろかげ)を見送った。彼の姿が見えなくなってもやはり空(くう)に同じ所を見つめていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑(あなどり)の微笑(びしょう)を唇(くちびる)の上に漂(ただよ)わせて自分を見たが、それなり元の通り柱に背を倚(よ)せて、黙って読みかけた書物をまた膝(ひざ)の上にひろげ始めた。
 室の中は三沢の入った後も彼の入らない前も同じように静(しずか)であった。話し声などは無論聞こえなかった。看護婦は時々不意に眼を上げて室の奥の方を見た。けれども自分には何の相図(あいず)もせずに、すぐその眼を頁(ページ)の上に落した。
 自分はこの三階の宵(よい)の間(ま)に虫の音らしい涼しさを聴(き)いた例(ためし)はあるが、昼のうちにやかましい蝉(せみ)の声はついぞ自分の耳に届いた事がない。自分のたった一人で坐っている病室はその時明かな太陽の光を受けながら、真夜中よりもなお静かであった。自分はこの死んだような静かさのために、かえって神経を焦(い)らつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。
 やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居を跨(また)ぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶(あいさつ)する言葉だけが自分の耳に入った。
 彼は上草履(うわぞうり)の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。
「やっと済んだ。これでもう出ても好い」
 三沢は同じ言葉を繰返すだけで、その他には何にも云わなかった。自分もそれ以上は聞き得なかった。ともかくも退院の手続を早くする方が便利だと思って、そこらに散らばっているものを片づけ始めた。三沢も固(もと)よりじっとしてはいなかった。

        三十一

 二人は俥(くるま)を雇(やと)って病院を出た。先へ梶棒(かじぼう)を上げた三沢の車夫が余り威勢よく馳(か)けるので、自分は大きな声でそれを留めようとした。三沢は後(うしろ)を振り向いて、手を振った。「大丈夫、大丈夫」と云うらしく聞こえたから、自分もそれなりにして注意はしなかった。宿へ着いたとき、彼は川縁(かわべり)の欄干(らんかん)に両手を置いて、眼の下の広い流をじっと眺(なが)めていた。
「どうした。心持でも悪いか」と自分は後から聞いた。彼は後を向かなかった。けれども「いいや」と答えた。「ここへ来てこの河を見るまでこの室(へや)の事をまるで忘れていた」
 そういって、彼は依然として流れに向っていた。自分は彼をそのままにして、麻の座蒲団(ざぶとん)の上に胡坐(あぐら)をかいた。それでも待遠しいので、やがて袂(たもと)から敷島(しきしま)の袋を出して、煙草を吸い始めた。その煙草が三分の一煙(けむ)になった頃、三沢はようやく手摺(てすり)を離れて自分の前へ来て坐(すわ)った。
「病院で暮らしたのも、つい昨日今日のようだが、考えて見ると、もうだいぶんになるんだね」と云って指を折りながら、日数(ひかず)を勘定(かんじょう)し出した。
「三階の光景が当分眼を離れないだろう」と自分は彼の顔を見た。
「思いも寄らない経験をした。これも何かの因縁(いんねん)だろう」と三沢も自分の顔を見た。
 彼は手を叩(たた)いて、下女を呼んで今夜の急行列車の寝台(しんだい)を注文した。それから時計を出して、食事を済ました後(あと)、時間にどのくらい余裕があるかを見た。窮屈に馴(な)れない二人はやがて転(ごろ)りと横になった。
「あの女は癒(なお)りそうなのか」
「そうさな。事によると癒るかも知れないが……」
 下女が誂(あつら)えた水菓子を鉢(はち)に盛って、梯子段(はしごだん)を上って来たので、「あの女」の話はこれで切れてしまった。自分は寝転(ねころ)んだまま、水菓子を食った。その間彼はただ自分の口の辺(あたり)を見るばかりで、何事も云わなかった。しまいにさも病人らしい調子で、「おれも食いたいな」と一言(ひとこと)云った。先刻(さっき)から浮かない様子を見ていた自分は、「構うものか、食うが好い。食え食え」と勧めた。三沢は幸いにして自分が氷菓子(アイスクリーム)を食わせまいとしたあの日の出来事を忘れていた。彼はただ苦笑いをして横を向いた。
「いくら好(すき)だって、悪いと知りながら、無理に食わせられて、あの女のようになっちゃ大変だからな」
 彼は先刻から「あの女」の事を考えているらしかった。彼は今でも「あの女」の事を考えているとしか思われなかった。
「あの女は君を覚えていたかい」
「覚えているさ。この間会って、僕から無理に酒を呑まされたばかりだもの」
「恨(うら)んでいたろう」
 今まで横を向いてそっぽへ口を利(き)いていた三沢は、この時急に顔を向け直してきっと正面から自分を見た。その変化に気のついた自分はすぐ真面目な顔をした。けれども彼があの女の室に入った時、二人の間にどんな談話が交換されたかについて、彼はついに何事をも語らなかった。
「あの女はことによると死ぬかも知れない。死ねばもう会う機会はない。万一(まんいち)癒(なお)るとしても、やっぱり会う機会はなかろう。妙なものだね。人間の離合というと大袈裟(おおげさ)だが。それに僕から見れば実際離合の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰る事を知って、笑いながら御機嫌(ごきげん)ようと云った。僕はその淋(さび)しい笑を、今夜何だか汽車の中で夢に見そうだ」

        三十二

 三沢はただこう云った。そうして夢に見ない先からすでに「あの女」の淋しい笑い顔を眼の前に浮べているように見えた。三沢に感傷的のところがあるのは自分もよく承知していたが、単にあれだけの関係で、これほどあの女に動かされるのは不審であった。自分は三沢と「あの女」が別れる時、どんな話をしたか、詳しく聞いて見ようと思って、少し水を向けかけたが、何の効果もなかった。しかも彼の態度が惜しいものを半分他(ひと)に配(わ)けてやると、半分無くなるから厭(いや)だという風に見えたので、自分はますます変な気持がした。
「そろそろ出かけようか。夜の急行は込むから」ととうとう自分の方で三沢を促(うな)がすようになった。
「まだ早い」と三沢は時計を見せた。なるほど汽車の出るまでにはまだ二時間ばかり余っていた。もう「あの女」の事は聞くまいと決心した自分は、なるべく病院の名前を口へ出さずに、寝転(ねころ)びながら彼と通り一遍の世間話を始めた。彼はその時人並(ひとなみ)の受け答をした。けれどもどこか調子に乗らないところがあるので、何となく不愉快そうに見えた。それでも席は動かなかった。そうしてしまいには黙って河の流ればかり眺(なが)めていた。
「まだ考えている」と自分は大きな声を出してわざと叫んだ。三沢は驚いて自分を見た。彼はこういう場合にきっと、御前はヴァルガーだと云う眼つきをして、一瞥(いちべつ)の侮辱を自分に与えなければ承知しなかったが、この時に限ってそんな様子はちっとも見せなかった。
「うん考えている」と軽く云った。「君に打ち明けようか、打ち明けまいかと迷っていたところだ」と云った。
 自分はその時彼から妙な話を聞いた。そうしてその話が直接「あの女」と何の関係もなかったのでなおさら意外の感に打たれた。
 今から五六年前彼の父がある知人の娘を同じくある知人の家に嫁(よめ)らした事があった。不幸にもその娘さんはある纏綿(てんめん)した事情のために、一年経(た)つか経たないうちに、夫の家を出る事になった。けれどもそこにもまた複雑な事情があって、すぐわが家に引取られて行く訳に行かなかった。それで三沢の父が仲人(なこうど)という義理合から当分この娘さんを預かる事になった。――三沢はいったん嫁(とつ)いで出て来た女を娘さん娘さんと云った。
「その娘さんは余り心配したためだろう、少し精神に異状を呈していた。それは宅(うち)へ来る前か、あるいは来てからかよく分らないが、とにかく宅のものが気がついたのは来てから少し経ってからだ。固(もと)より精神に異状を呈しているには相違なかろうが、ちょっと見たって少しも分らない。ただ黙って欝(ふさ)ぎ込んでいるだけなんだから。ところがその娘さんが……」
 三沢はここまで来て少し躊躇(ちゅうちょ)した。
「その娘さんがおかしな話をするようだけれども、僕が外出するときっと玄関まで送って出る。いくら隠れて出ようとしてもきっと送って出る。そうして必ず、早く帰って来てちょうだいねと云う。僕がええ早く帰りますからおとなしくして待っていらっしゃいと返事をすれば合点(がってん)合点をする。もし黙っていると、早く帰って来てちょうだいね、ね、と何度でも繰返す。僕は宅(うち)のものに対してきまりが悪くってしようがなかった。けれどもまたこの娘さんが不憫(ふびん)でたまらなかった。だから外出してもなるべく早く帰るように心がけていた。帰るとその人の傍(そば)へ行って、立ったままただいまと一言(ひとこと)必ず云う事にしていた」
 三沢はそこへ来てまた時計を見た。
「まだ時間はあるね」と云った。

        三十三

 その時自分はこれぎりでその娘さんの話を止(や)められてはと思った。幸いに時間がまだだいぶあったので、自分の方から何とも云わない先に彼はまた語り続けた。
「宅のものがその娘さんの精神に異状があるという事を明かに認め出してからはまだよかったが、知らないうちは今云った通り僕もその娘さんの露骨なのにずいぶん弱らせられた。父や母は苦(にが)い顔をする。台所のものはないしょでくすくす笑う。僕は仕方がないから、その娘さんが僕を送って玄関まで来た時、烈(はげ)しく怒りつけてやろうかと思って、二三度後(うしろ)を振り返って見たが、顔を合(あわ)せるや否や、怒るどころか、邪慳(じゃけん)な言葉などは可哀(かわい)そうでとても口から出せなくなってしまった。その娘さんは蒼(あお)い色の美人だった。そうして黒い眉毛(まゆげ)と黒い大きな眸(ひとみ)をもっていた。その黒い眸は始終(しじゅう)遠くの方の夢を眺(ながめ)ているように恍惚(うっとり)と潤(うるお)って、そこに何だか便(たより)のなさそうな憐(あわれ)を漂(ただ)よわせていた。僕が怒ろうと思ってふり向くと、その娘さんは玄関に膝(ひざ)を突いたなりあたかも自分の孤独を訴(うった)えるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活きていてもたった一人で淋(さむ)しくってたまらないから、どうぞ助けて下さいと袖(そで)に縋(すが)られるように感じた。――その眼がだよ。その黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」
「君に惚(ほ)れたのかな」と自分は三沢に聞きたくなった。
「それがさ。病人の事だから恋愛なんだか病気なんだか、誰にも解るはずがないさ」と三沢は答えた。
「色情狂っていうのは、そんなもんじゃないのかな」と自分はまた三沢に聞いた。
 三沢は厭(いや)な顔をした。
「色情狂と云うのは、誰にでもしなだれかかるんじゃないか。その娘さんはただ僕を玄関まで送って出て来て、早く帰って来てちょうだいねと云うだけなんだから違うよ」
「そうか」
 自分のこの時の返事は全く光沢(つや)がなさ過ぎた。
「僕は病気でも何でも構わないから、その娘さんに思われたいのだ。少くとも僕の方ではそう解釈していたいのだ」と三沢は自分を見つめて云った。彼の顔面の筋肉はむしろ緊張していた。「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片づいた先の旦那(だんな)というのが放蕩家(ほうとうか)なのか交際家なのか知らないが、何でも新婚早々たびたび家(うち)を空(あ)けたり、夜遅く帰ったりして、その娘さんの心をさんざん苛(いじ)めぬいたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦みを言わずに我慢していたのだね。その時の事が頭に祟(たた)っているから、離婚になった後(あと)でも旦那に云いたかった事を病気のせいで僕に云ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。強(し)いてもそうでないと信じていたい」
「それほど君はその娘さんが気に入ってたのか」と自分はまた三沢に聞いた。
「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなるほど」
「それから。――その娘さんは」
「死んだ。病院へ入(い)って」
 自分は黙然(もくねん)とした。
「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回忌を勘定(かんじょう)して見て、単にそのためだけでも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。
「ああ肝心(かんじん)の事を忘れた」とその時三沢が叫んだ。自分は思わず「何だ」と聞き返した。
「あの女の顔がね、実はその娘さんに好く似ているんだよ」
 三沢の口元には解ったろうと云う一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場(ステーション)へ俥(くるま)を急がした。場内は急行を待つ乗客ですでにいっぱいになっていた。二人は橋を向(むこう)へ渡って上(のぼ)り列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。
「また会おう」
 自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音と共にたちまち暗中(あんちゅう)に消えた。


     兄


        一

 自分は三沢を送った翌日(あくるひ)また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場(ステーション)に出かけなければならなかった。
 自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕(こ)ぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄(ろう)してその成効(せいこう)に誇るのが好(すき)であった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。
「どうして来るんです」と自分は聞いた。
 自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末(ばすえ)の地面が、新たに電車の布設される通(とお)り路(みち)に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連(つれ)て旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟(おおげさ)な計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。
「何という大した考えもないんでございましょう。ただ昔(むか)しお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」
 お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞(さだ)さんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界(さんがい)まで出て来るはずがないと思った。
 自分はその時すでに懐(ふところ)が危(あや)しくなっていた。その上後(あと)から三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補(ふそくてんぽ)の方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快よくこちらの要(い)るだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。
 自分は岡田夫婦といっしょに停車場(ステーション)に行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚(びっくり)したでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独(ひとり)で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽(あ)きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫(あや)まるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌(あいきょう)のうちに、どことなく黒人(くろうと)らしい媚(こび)を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知(そし)らぬ風をして岡田に話しかけた。――
「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」
「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」
 岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。
「始終(しじゅう)傍(そば)にいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、直(ただち)に俥(くるま)を南へ走らした。自分は空(くう)に乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴(つ)れて行ったのも自分を驚かした目覚(めざ)ましい手柄(てがら)の一つに相違なかった。

        二

 母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊っている所よりはよほど上品な構(かまえ)であった。室(へや)には扇風器だの、唐机(とうづくえ)だの、特別にその唐机の傍(そば)に備えつけた電灯などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着の旨(むね)を書いて下女に渡していた。岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書(えはがき)を袂(たもと)の中から出して、これは叔父さん、これはお重(しげ)さん、これはお貞(さだ)さんと一々名宛(なあて)を書いて、「さあ一口(ひとくち)ずつ皆(みん)などうぞ」と方々へ配っていた。
 自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がその後(あと)へ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚(びっくり)した。
「お貞さんは病気なんですか」
「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度伴(つ)れて来(き)ようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹(なか)が悪くなってね。残念な事をしましたよ」
「でも大した事じゃないのよ。もうお粥(かゆ)がそろそろ食べられるんだから」と嫂(あによめ)が傍(そば)から説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へ宛(あ)てたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」と細(こま)かく謹(つつし)んで書いたので、兄から「将棋の駒がまだ祟(たた)ってると見えるね」と笑われていた。
 絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄が止(と)めるのも聞かずに帰って行った。
「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」
「宅(うち)へ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」
 母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己(おの)れがそれだけ年を取ったという淡い哀愁(あいしゅう)を含んでいた。
「お貞さんだって、もう直(じき)ですよお母さん」と自分は横合から口を出した。
「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づく当(あて)のないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分を顧(かえり)みて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔(かけへだて)のある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気(むかしかたぎ)で、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎(いちろう)さんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。
 みんなは話に気を取られて浴衣(ゆかた)を着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊(のり)の強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促(うな)がした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺(てすり)の所へ出て、鼻の先にある高い塗塀(ぬりべい)を欝陶(うっとう)しそうに眺(なが)めていた母は、「いい室(へや)だが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍(そば)へ行って、下を見た。下には張物板(はりものいた)のような細長い庭に、細い竹が疎(まばら)に生えて錆(さ)びた鉄灯籠(かなどうろう)が石の上に置いてあった。その石も竹も打水(うちみず)で皆しっとり濡(ぬ)れていた。
「狭いが凝(こ)ってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」
「おやどこに河があるの」と母がいう後(あと)から、兄も嫂(あによめ)もその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏(まと)めた上またここへ来る約束をして宿を出た。

        三

 自分はその夕方宿の払(はらい)を済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯(ゆうめし)が後(おく)れたと見えて、膳(ぜん)を控えたまま楊枝(ようじ)を使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。
「今夜は御止(およ)しよ」と母が留(と)めた。
 兄は寝転(ねころ)びながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。
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