行人
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著者名:夏目漱石 

        十三

 翌日(あくるひ)自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。
「この両三日(りょうさんにち)はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」
 主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧(ていねい)な言葉で自分に話し掛けた。
 彼の室(へや)は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁(がくぶち)も何(な)にもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼(は)り付けたのもあった。
「何だか存じませんが、好(すき)だものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚(ほんだな)の上に、丸い壺(つぼ)と並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。
 それには女の首が描(か)いてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼の柔(やわら)かに湿(うるお)ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂(におい)を画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。
「あれもこの間いたずらに描きましたので」
 三沢は画(え)の上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒(ゆた)かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。
「面白いです」と云った。
「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰(もら)えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」
 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻(でもど)りの御嬢さんであった。彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言(ひとこと)も口にしなかった。女の精神病に罹(かか)った事にもまるで触れなかった。自分もそれを聞く気は起らなかった。かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。
 問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移って行った。彼の母は嬉(うれ)しそうであった。
「あれもいろいろ御心配をかけましたが、今度ようやくきまりまして……」
 この間三沢から受取った手紙に、少し一身上(いっしんじょう)の事について、君に話があるからそのうち是非行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。自分は彼の母に対して、ただ人並の祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きな滴(したた)るほどに潤(うるお)った眼をもっているだろうか、それが何より先に確めて見たかった。
 三沢は思ったほど早く帰らなかった。彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと云って、何なら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断った。しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほど実(み)が入らなかった。
 三沢にどうだろうと云った自分の妹(いもと)のお重は、まだどこへ行くともきまらずにぐずぐずしている。そういう自分もお重と同じ事である。せっかく身の堅まった兄と嫂(あによめ)は折り合わずにいる。――こんな事を対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。

        十四

 そのうち三沢が帰って来た。近頃は身体(からだ)の具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐(あぐら)をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵(ひってき)して陽気であった。自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。
「君どうかしたか」
 彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。
「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」
 この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭(ひざがしら)を眺めていた。
「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精(くわ)しい話ができて」
 三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起(た)ったが、しばらくするとまた襖(ふすま)の陰(かげ)から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今支度(したく)をしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走(ちそう)を受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛(あいまい)な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据(す)えていた。そうして本棚(ほんだな)の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。
「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」
 三沢の母は召使に膳(ぜん)を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端(はし)には古そうに見える九谷焼の猪口(ちょく)が載せてあった。
 それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁歩(あ)るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。
 Hさんは銘仙(めいせん)の着物に白い縮緬(ちりめん)の兵児帯(へこおび)をぐるぐる巻きつけたまま、椅子(いす)の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈(ごぶがり)の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥(ふと)っていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語を操(あや)つる時のように、鈍(のろ)かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終(しじゅう)にこにこしているように見えた。
 彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚(おうよう)なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍(はた)から見るとさも窮屈そうな姿勢の下(もと)に、夷然(いぜん)として落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にも逆(さか)らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。
「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」
 悠長(ゆうちょう)な彼はこう云って自分の吐いた煙草(たばこ)の煙を眺めていた。

        十五

 やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後(あと)に随(つ)いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻(ひね)った。
「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」
 彼の不審はけっして偽(いつわり)とは見えなかった。彼は昨日(きのう)Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切(とぎ)れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。
「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」
 わがままに育った兄は、平生から家(うち)で気むずかしい癖に、外では至極(しごく)穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘(わがまま)の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重(おも)にどんな話をしたか、差支(さしつか)えない限りそれを聞こうと試みた。
「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」
 これも嘘(うそ)ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭(めいりょう)に覚えていて、それを最も淡泊(たんぱく)な態度で話してくれた。
 兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利(イギリス)や亜米利加(アメリカ)で流行(はや)る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。
 兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側(がわ)ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。
「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」
 Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯(うけ)がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。
「だからこの際旅行は至極(しごく)好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」
 Hさんの言葉には自信がなかった。
「あなたのおっしゃる事なら素直(すなお)に聞くだろうと思うんですが」
「そうも行かんさ」
 Hさんは苦笑していた。
 表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆(みん)なそぞろ歩きでもするように、長閑(のど)かに履物(はきもの)の音を響かして行った。空には星の光が鈍(にぶ)かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。

        十六

 自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑(にぎわ)し始めた一週間の後(のち)になっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭(いや)になった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。
「どうも旨(うま)く行かないそうだ」
 事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。
「それでわざわざ来てくれたのかい」
「まあそうだ」
「どうも御苦労さま、すまない」
 自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。
「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」
 自分はこういう慰藉(いしゃ)をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠(たいゆう)な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜(ひそ)んでいた。
「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵(こしら)えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」
 自分はとうとう諦(あきら)めた。三沢は何にも批評せずに、机の角に肱(ひじ)を突き立てて、その上に顋(あご)を載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。
 この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰(かえ)り途(みち)に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言(いちごん)も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。
 彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。
 自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶(あいさつ)をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」
「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」
 彼は実際心当りがあるような口を利(き)いた。近いうち彼の娶(めと)るべき女からでも聞いたのだろう。
 彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」
「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」
「結婚式はいつだい」
「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」
 彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。

        十七

 四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉(うれ)しがるこの花の時節を無為(むい)に送った。しかし月が替(かわ)って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。
 家(うち)へはその後(のち)一回も足を向けなかった。家からも誰一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書(えはがき)がまた一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼(かね)さんの署名があった。
 自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間(そろあいだ)同日午後一時より御来聴被下度候(くだされたくそろ)此段御案内申進候也(そろなり)」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。それよりも自分の気分に転化の刺戟(しげき)を与えたのは、三沢が余事のごとく名宛(なあて)のあとへ付け足した、短い報知であった。
「Hさんは嘘(うそ)を吐(つ)かない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げ次第、二人はどこかへ旅をする事に約束ができたそうだ」
 自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。偽りの嫌(きら)いな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。
 自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。Hさんに向ってもその消息を確める手段を取らなかった。ただ三沢の口からもう少し精(くわ)しいところを聞かせて貰いたかった。それも今度会った時で構わないという気があるので、彼の是非来いという六月二日が暗(あん)に待ち受けられた。
 六月二日はあいにく雨であった。十一時頃には少し歇(や)んだが、季節が季節なのでからりとは晴れなかった。往来を行く人は傘をさしたり畳んだりした。見附外(みつけそと)の柳は煙のように長い枝を垂れていた。その下を通ると、青白い粉(こ)か黴(かび)が着物にくっついていつまでも落ちないように感ぜられた。
 雅楽所の門内には俥(くるま)がたくさん並んでいた。馬車も一二台いた。しかし自動車は一つも見えなかった。自分は玄関先で帽子を人に渡した。その人は金の釦鈕(ボタン)のついた制服のようなものを着ていた。もう一人の人が自分を観覧席へ連れて行ってくれた。
「そこいらへおかけなすって」
 彼はそう云ってまた玄関の方へ帰って行った。椅子はまだ疎(まば)らに占領されているだけであった。自分はなるべく人の眼に着かないように後列の一脚に腰を下(おろ)した。

        十八

 自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。もっとも見所(けんじょ)は正面のほか左右両側面(りょうそくめん)にもあった。自分は玄関から左へ突き当って右へ折れて金屏風(きんびょうぶ)の立ててある前を通って正面席に案内されたのである。自分の前には紋付(もんつき)の女が二三人いた。後(うしろ)にはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。そのほか六七人そこここに散点していた。
 自分から一席置いて隣の二人連(ふたりづれ)は、舞台の正面にかかっている幕の話をしていた。それには雅楽に何の縁故(ゆかり)もなさそうに見える変な紋(もん)が、竪(たて)に何行も染め出されていた。
「あれが織田信長(おだのぶなが)の紋ですよ。信長が王室の式微(しきび)を慨(なげ)いて、あの幕を献上したというのが始まりで、それから以後は必ずあの木瓜(もっこう)の紋の付いた幕を張る事になってるんだそうです」
 幕の上下は紫地(むらさきじ)に金(きん)の唐草(からくさ)の模様を置いた縁(ふち)で包んであった。
 幕の前を見ると、真中に太鼓(たいこ)が据(す)えてあった。その太鼓には緑や金や赤の美しい彩色(いろどり)が施(ほどこ)されてあった。そうして薄くて丸い枠(わく)の中に入れてあった。左の端には火熨斗(ひのし)ぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣るしてあった。そのほかには琴(こと)が二面あった。琵琶(びわ)も二面あった。
 楽器の前は青い毛氈(もうせん)で敷きつめられた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。そうしてその途切(とぎ)れた四五尺の空間からは日も射し風も通うようにできていた。
 自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客(けんぶつ)は一人二人と絶えず集まって来た。その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、傍(そば)にいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。この丸い小さな人がKという公爵である事を、自分は後(あと)で三沢から教(おす)わった。
 その三沢は舞楽の始まるやっと五六分前にフロックコートでやって来て、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊躇(ちゅうちょ)していたが、自分の顔を見つけるや否や、すぐ傍へ来て腰をかけた。
 彼と前後して一人の背の高い若い男が、年頃の女を二人連れて、やはり正面席へ這入(はい)って来た。男はフロックコートを着ていた。女は無論紋付であった。その男と伴(つれ)の女の一人が顔立から云ってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹である事を覚(さと)った。彼らは人の頭を五六列越して、三沢と挨拶(あいさつ)を交換した。男の顔にはできるだけの愛嬌(あいきょう)が湛(たた)えられた。女は心持顔を赤くした。三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分達の傍(そば)へは来なかった。
「あれが僕の妻(さい)になるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。自分は腹の中で、あの夢のような大きな黒い眼の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二三間前に今席を取った色沢(いろつや)の好いお嬢さんとを比較した。彼女は自分にただ黒い髪と白い襟足(えりあし)とを見せて坐っていた。それも人の影に遮(さえぎ)られて自由には見られなかった。
「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で云いかけた。それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙片(かみきれ)と万年筆を取り出した。彼はすぐそれへ何か書き始めた。正面の舞台にはもう楽人(がくじん)が現われた。

        十九

 彼らは帽子とも頭巾(ずきん)とも名の付けようのない奇抜なものを被(かぶ)っていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜(とりかぶと)というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦で作った□□(かみしも)のようなものを着ていた。その□□には骨がないので肩のあたりは柔(やわら)かな線でぴたりと身体(からだ)に付いていた。袖(そで)には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足(ぬいた)してあった。彼らはみな白の括(くく)り袴(ばかま)を穿(は)いていた。そうして一様(いちよう)に胡坐(あぐら)をかいた。
 三沢は膝(ひざ)の上で何か書きかけた白い紙をくちゃくちゃにした。自分はそのくちゃくちゃになった紙の塊(かたま)りを横から眺めた。彼は一言(いちごん)の説明も与えずに正面を見た。青い毛氈(もうせん)の上に左の帳(とばり)の影から現われたものは鉾(ほこ)をもっていた。これも管絃(かんげん)を奏する人と同じく錦の袖無(そでなし)を着ていた。
 三沢はいつまで経(た)っても「もう一人の女はね」の続きを云わなかった。観覧席にいるものはことごとく静粛であった。隣同志で話をするのさえ憚(はば)かられた。自分は仕方なしに催促を我慢した。三沢も空とぼけて澄ましていた。彼は自分と同じようにここへは始めて顔を出したので、少し硬くなっているらしかった。
 舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラム通り、単調で上品な手足の運動を飽(あ)きもせずに進行させて行った。けれども彼らの服装は、題の改(あらた)まるごとに、閑雅な上代の色彩を、代る代る自分達の眼に映しつつ過ぎた。あるものは冠に桜の花を挿(さ)していた。紗(しゃ)の大きな袖(そで)の下から燃えるような五色の紋を透(す)かせていた。黄金作(こがねづくり)の太刀(たち)も佩(は)いていた。あるものは袖口(そでぐち)を括(くく)った朱色の着物の上に、唐錦(からにしき)のちゃんちゃんを膝(ひざ)のあたりまで垂らして、まるで錦に包まれた猟人(かりゅうど)のように見えた。あるものは簑(みの)に似た青い衣(きぬ)をばらばらに着て、同じ青い色の笠(かさ)を腰に下げていた。――すべてが夢のようであった。われわれの祖先が残して行った遠い記念(かたみ)の匂(にお)いがした。みんなありがたそうな顔をしてそれを観(み)ていた。三沢も自分も狐に撮(つ)ままれた気味で坐っていた。
 舞楽が一段落ついた時に、御茶を上げますと誰かが云ったので周囲の人は席を立って別室に動き始めた。そこへ先刻(さっき)三沢と約束の整ったという女の兄(あに)さんが来て、物馴(ものな)れた口調で彼と話した。彼はこういう方面に関係のある男と見えて、当日案内を受けた誰彼をよく知っていた。三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えて貰った。
 別室には珈琲(コーヒー)とカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。普通の会の時のように、無作法(ぶさほう)なふるまいは見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女は坐(すわ)ったなり席を立たないのがあった。三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御嬢さんの所へ持って行った。自分はチョコレートの銀紙を剥(はが)しながら、敷居の上に立って、遠くからその様子を偸(ぬす)むように眺めていた。
 三沢の細君になるべき人は御辞義(おじぎ)をして、珈琲茶碗(ぢゃわん)だけを取ったが、菓子には手を触れなかった。いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易(たやす)く手を出さなかった。三沢は盆を持ったまま、引く事もできず進む事もできない態度で立っていた。女の顔が先刻(さっき)見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充(み)ちていた。

        二十

 自分は先刻から「もう一人の女」に特別の注意を払っていた。それには三沢の様子や態度が有力な原因となって働いていたに違ないが、単独に云っても、彼女は自分の視線を引着けるに足るほどな好い器量(きりょう)をもっていたのである。自分は彼女と三沢の細君になるべき人との後姿(うしろすがた)を、舞楽(ぶがく)の相間相間に絶えず眺めた。彼らは自分の坐っている所から、ことさらな方向に眸子(ひとみ)を転ずる事なしに、自然と見られるように都合の好い地位に坐っていた。
 こうして首筋ばかり眺めていた自分は今比較的自由な場所に立って、彼らの顔立を筋違(すじかい)に見始めた。あるいは正面に動く機会が来るかも知れないと思った時、自分はチョコレートを頬張(ほおば)りながら、暗(あん)にその瞬間を捉(とら)える注意を怠(おこた)らなかった。けれどもその女も三沢の意中の人も、ついにこっちを向かなかった。自分はただ彼らの容貌(ようぼう)を三分の二だけ側面から遠くに望んだ。
 そのうち三沢はまた盆を持ってこっちへ帰って来た。自分の傍(そば)を通る時、彼は微笑しながら、「どうだい」と云った。自分はただ「御苦労さま」と挨拶(あいさつ)した。後(あと)から例の背の高い兄さんがやって来た。
「どうです、あちらへいらしって煙草でも御呑(おの)みになっちゃ。喫煙室はあすこの突き当りです」
 自分は三沢との間に緒口(いとぐち)のつきかけた談話はこれでまた流れてしまった。二人は彼に導かれて喫煙室に這入(はい)った。煙と男子に占領された比較的狭いその室(へや)は思ったより賑(にぎや)かであった。
 自分はその一隅(ひとすみ)にただ一人の知った顔を見出した。それは伶人(れいじん)の姓をもった眼の大きい男であった。ある協会の主要な一員として、舞台の上で巧(たくみ)にその大きな眼を利用する男であった。彼は台詞(せりふ)を使う時のような深い声で、誰かと話していたが、ほとんど自分達と入れ代りぐらいに、喫煙室を出て行った。
「とうとう役者になったんだそうだ」
「儲(もう)かるのかね」
「ええ儲かるんだろう」
「この間何とかをやるという事が新聞に出ていたが、あの人なんですか」
「ええそうだそうです」
 彼の去った後(あと)で、室の中央にいた三人の男はこんな話をしていた。三沢の知人は自分達にその三人の名を教えてくれた。そのうちの二人は公爵で、一人は伯爵であった。そうして三人が三人とも公卿出(くげで)の華族であった。彼らの会話から察すると、三人ながらほとんど劇という芸術に対して何の知識も興味ももっていないようであった。
 我々はまた元の席に帰って二三番の欧洲楽(おうしゅうがく)を聞いた後、ようやく五時頃になって雅楽所を出た。周囲に人がいなくなった時、三沢はようやく「もう一人の女」の事について語り始めた。彼の考えは自分が最初から推察した通りであった。
「どうだい、気に入らないかね」
「顔は好いね」
「顔だけかい」
「あとは分らないが、しかし少し旧式じゃないか。何でも遠慮さえすればそれが礼儀だと思ってるようだね」
「家庭が家庭だからな。しかしああいうのが間違がないんだよ」
 二人は土手に沿うて歩いた。土手の上の松が雨を含んで蒼黒(あおぐろ)く空に映った。

        二十一

 自分は三沢と飽(あ)かず女の話をした。彼の娶(めと)るべき人は宮内省に関係のある役人の娘であった。その伴侶(つれ)は彼女と仲の好い友達であった。三沢は彼女と打ち合せをして、とくに自分のためにその人を誘い出したのであった。自分はその人の家族やら地位やら教育やらについて得らるる限りの知識を彼から供給して貰った。
 自分は本末(ほんまつ)を顛倒(てんどう)した。雅楽所で三沢に会うまでは、Hさんと兄とがこの夏いっしょにするという旅行の件を、その日の問題として暗(あん)に胸の中(うち)に畳み込んでいた。雅楽所を出る時は、それがほんのつけたりになってしまった。自分はいよいよ彼に別れる間際(まぎわ)になって、始めて四(よ)つ角(かど)の隅(すみ)に立った。
「兄の事も今日君に会ったらよく聞こうと思っていたんだが、いよいよHさんの云う通りになったんだね」
「Hさんはわざわざ僕を呼び寄せてそう云ったくらいなんだから間違はないさ。大丈夫だよ」
「どこへ行くんだろう」
「そりゃ知らない。――どこだって好いじゃないか、行きさいすりゃあ」
 遠くから見ている三沢の眼には、兄の運命が最初からそれほどの問題になっていなかった。
「それより片っ方のほうを積極的にどしどし進行させようじゃないか」
 自分は一人下宿へ帰る途々(みちみち)、やはり兄と嫂(あによめ)の事を考えない訳に行かなかった。しかしその日会った女の事もあるいは彼ら以上に考えたかも知れない。自分は彼女と一言(ひとこと)も口を交えなかった。自分はついに彼女の声を聞き得なかった。三沢は自然が二人を視線の通う一室に会合させたという事実以外に、わざとらしい痕迹(こんせき)を見せるのは厭(いや)だと云って、紹介も何もしなかった。彼はそう云って後(あと)から自分に断った。彼の遣口(やりくち)は、彼女に取っても自分に取っても、面倒や迷惑の起り得ないほど単簡(たんかん)で淡泊(たんぱく)なものであった。しかしそれだから物足りなかった。自分はもう少し何とかして貰いたかった。「しかし君の意志が解らなかったから」と三沢は弁解した。そう云われて見ると、そうでもあった。自分はあれ以上、女をめがけて進んで行く考えはなかったのだから。
 それから二三日は女の顔を時々頭の中で見た。しかしそれがために、また会いたいの焦慮(あせ)るのという熱は起らなかった。その当日のぱっとした色彩が剥(は)げて行くに連れて、番町の方が依然として重要な問題になって来た。自分はなまじい遠くから女の匂(にお)いを嗅(か)いだ反動として、かえってじじむさくなった。事務所の往復に、ざらざらした頬を撫(な)でて見て、手もなく電車に乗った貉(むじな)のようなものだと悲観したりした。
 一週間ほど経(た)って母から電話がかかった。彼女は電話口へ出て、昨日(きのう)Hさんが遊びに来た事を告げた。嫂(あによめ)が風邪気(かぜけ)なので、彼女が代理として饗応(もてなし)の席に出たら、Hさんが兄といっしょに旅行する話を始めたと告げた。彼女は喜ばしそうな調子で、自分に礼を述べた。父からも宜(よろ)しくとの事であった。自分は「いい案排(あんばい)でした」と答えた。
 自分はその晩いろいろ考えた。自分は旅行が兄のために有利であると認めたから、Hさんを煩(わずら)わして、これだけの手続を運んだのであるが、真底(しんてい)を自白すると、自分の最も苦(く)に病(や)んでいるのは、兄の自分に対する思わくであった。彼は自分をどう見ているだろうか。どのくらいの程度に自分を憎んでいるだろう、また疑(うたぐ)っているだろう。そこが一番知りたかった。したがって自分の気になるのは未来の兄であると同時に現在の兄であった。久しく彼と会見の路(みち)を絶たれた自分は、その現在の兄に関する直接の知識をほとんどもたなかった。

        二十二

 自分は旅行に出る前のHさんに一応会っておく必要を感じた。こっちで頼んだ事を順に運んでくれた好意に対して、礼を云わなければすまない義理も控えていた。
 自分は事務所の帰りがけにまた彼の玄関に立って名刺を出した。取次が奥へ這入(はい)ったかと思うと、彼は例のむくむくした丸い体躯(からだ)を、自分の前に運んで来た。
「実は今あしたの講義で苦しんでいるところなんですがね。もし急用でなければ、今日は御免(ごめん)を蒙(こうむ)りたい」
 学者の生活に気のつかなかった自分は、Hさんのこの言葉で、急に兄の日常を想(おも)い起した。彼らの書斎に立籠(たてこも)るのは、必ずしも家庭や社会に対する謀反(むほん)とも限らなかった。自分はHさんに都合の好い日を聞いて、また出直す事にした。
「じゃ御気の毒だが、そうして下さい。なるべく早く講義を切り上げて、兄さんといっしょに旅行しようと云う訳なんだからね」
 自分はHさんの前に丁寧(ていねい)な頭を下げなければならなかった。
 彼の家を再度訪問(おとず)れたのは、それからまた二三日経った梅雨晴(つゆばれ)の夕方であった。肥(ふと)った彼は暑いと云って浴衣(ゆかた)の胸を胃の上部まで開け放って坐(すわ)っていた。
「さあどこへ行くかね。まだ海とも山ともきめていないんだが」
 Hさんだけあって行く先などはとんと苦(く)にしていないらしかった。自分もそれには無頓着(むとんじゃく)であった。けれども……。
「少しそれについて御願があるんですが」
 家庭の事情の一般は、この間三沢と来た時、すでにHさんの耳に入れてしまった。しかし兄と自分との間に横たわる一種特別な関係については、まだ一言(ひとこと)も彼に告げていなかった。しかしそれはいつまで経ってもHさんの前で自分から打ち明(あけ)るべき性質のものでないと自分は考えていた。親しい三沢の知識ですら、そこになるとほとんど臆測(おくそく)に過ぎなかった。Hさんは三沢からその臆測の知識を間接に受けているかも知れなかったけれども、こっちから露骨に切り出さない以上、その信偽(しんぎ)も程度も、まるで確める訳に行かなかった。
 自分は兄から今どう見られているか、どう思われているか、それが知りたくって仕方がなかった。それを知るために、この際Hさんの助(たすけ)を借りようとすれば、勢い万事を彼の前に投げ出して見せなければならなかった。自分が三沢に何事も云わずに、あたかも彼を出し抜いたような態度で、たった一人こうしてHさんを訪問するのも、実はその用事の真相をなるべく他(ひと)に知らせたくないからであった。しかし三沢に対してさえ、良心に気兼(きがね)をするような用事の真相なら、それをHさんの前で云われるはずがなかった。
 自分はやむをえず特殊(スペシャル)な問題を一般的(ジェネラル)に崩(くず)してしまった。
「はなはだ御迷惑かも知れませんが、兄といっしょに旅行される間、兄の挙動なり言語なり、思想なり感情なりについて、あなたの御観察になったところを、できるだけ詳(くわ)しく書いて報知していただく訳には行きますまいか。その辺が明瞭(めいりょう)になると、宅(たく)でも兄の取扱上大変便宜(べんぎ)を得るだろうと思うんですが」
「そうさね。絶対にできない事もないが、ちっとむずかしそうですね。だいち時間がないじゃないか、君、そんな事をする。よし時間があっても、必要がないだろう。それより僕らが旅行から帰ったらゆっくり聞きに来たら好いじゃありませんか」

        二十三

 Hさんの云うところはもっともであった。自分は下を向いてしばらく黙っていたが、とうとう嘘(うそ)を吐(つ)いた。
「実は父や母が心配して、できるなら旅行中の模様を、経過の一段落ごとに承知したいと云うんですが……」
 自分は困った顔をした。Hさんは笑い出した。
「君そんなに心配する事はありませんよ。大丈夫だよ、僕が受け合うよ」
「しかし年寄ですから……」
「困るね、それじゃ。だから年寄は嫌(きら)いなんだ。宅(うち)へ行ってそう云いたまえな、大丈夫だって」
「何とか好い工夫はないもんでしょうか。あなたの御迷惑にならないで、そうして、父や母を満足させるような」
 Hさんはまたにやにや笑っていた。
「そんな重宝な工夫があるものかね、君。――しかしせっかくの御依頼だからこうしよう。もし旅先で報道するに足るような事が起ったら、君の所へ手紙を上げると。もし手紙が行かなかったら、平生の通りだと思って安心していると。それでよかろう」
 自分はこれより以上Hさんに望む事はできなかった。
「それで結構です。しかし出来事という意味を俗にいう不慮の出来事と取らずに、あなたが御観察になる兄の感情なり思想のうちで、これは尋常でないと御気づきになったものに応用していただけましょうか」
「なかなか面倒だね、事が。しかしまあいいや、そうしてもいい」
「それからことによると、僕の事だの母の事だの、家庭の事などが兄の口に上(のぼ)るかも知れませんが、それを御遠慮なく一々聞かしていただきたいと思いますが」
「うん、そりゃ差支(さしつか)えない限り知らせて上げましょう」
「差支えがあっても構わないから聞かしていただきたい。それでないと宅(うち)のものが困りますから」
 Hさんは黙って煙草(たばこ)を吹かし出した。自分は弱輩(じゃくはい)の癖に多少云い過ぎた事に気がついた。手持無沙汰(てもちぶさた)の感じが強く頭に上った。Hさんは庭の方を見ていた。その隅(すみ)に秋田から家主が持って来て植えたという大きな蕗(ふき)が五六本あった。雨上りの初夏の空がいつまでも明るい光を地の上に投げているので、その太い蕗の茎(くき)がすいすいと薄暗い中に青く描かれていた。
「あすこへ大きな蟇(がま)が出るんですよ」とHさんが云った。
 しばらく世間話をした後で、自分は暗くならないうちに席を立とうとした。
「君の縁談はどうなりました。この間三沢が来て、好いのを見つけてやったって得意になっていましたよ」
「ええ三沢もずいぶん世話好(せわずき)ですから」
「ところが万更(まんざら)世話好ばかりでやってるんでもないようですよ。だから君も好い加減に貰っちまったら好いじゃありませんか。器量は悪かないって話じゃないか。君には気に入らんのかね」
「気に入らんのじゃありません」
 Hさんは「はあやっぱり気に入ったのかい」と云って笑い出した。自分はHさんの門を出て、あの事も早くどうかしなければ、三沢に対して義理が悪いと考えた。しかし兄の問題が一段落でも片づいてくれない以上、とうていそっちへ向ける心の余裕は出なかった。いっそ一思いにあの女の方から惚(ほ)れ込んでくれたならなどと思っても見た。

        二十四

 自分はまた三沢を尋ねた。けれども腹をきめてから尋ねた訳でないから、実際上どんな歩調も前に動かす気にはなれなかった。自分の態度はどこまでもぐずぐずであった。そうしてただ漫然とその女の話をした。
「どうするね」
 こう聞かれると、結局要領を得た何の挨拶(あいさつ)もできなかった。
「僕は職業の上ではふわふわして浪人のように暮しているが、家庭の人としてなら、これでも一定の方針に支配されて、着々固まって行きつつあるつもりだ。ところが君はまるで反対だね。一家の主人となるとか、他(ひと)の夫になるとかいう方面には、故意に意志の働きを鈍らせる癖に、職業の問題になると、手っ取早く片づけて、ちゃんと落ちついているんだから」
「あんまり落ちついてもいないさ」
 自分は大阪の岡田から受取った手紙の中に、相応な位地(いち)があちらにあるから来ないかという勧誘があったので、ことによったら今の事務所を飛び出そうかと考えていた。
「ついこの間までは洋行するってしきりに騒いでいたじゃないか」
 三沢は自分の矛盾を追窮した。自分には西洋も大阪も変化としてこの際大した相違もなかった。
「そう万事的(あて)にならなくっちゃ駄目だ。僕だけ君の結婚問題を真面目(まじめ)に考えるのは馬鹿馬鹿しい訳だ。断っちまおう」
 三沢はだいぶ癪(しゃく)に障(さわ)ったらしく見えた。自分はまた自分が癪に障ってならなかった。
「いったい先方ではどういうんだ。君は僕ばかり責めるがね、僕には向うの意志が少しも解らないじゃないか」
「解るはずがないよ。まだ何にも話してないんだもの」
 三沢は少し激していた。そうして激するのがもっともであった。彼は女の父兄にも女自身にも、自分の事をまだ一口も告げていなかった。どう間違っても彼らの体面に障(さわ)りようのない事情の下(もと)に、女と自分を御互の視線の通う範囲内に置いただけであった。彼の処置には少しも人工的な痕迹(こんせき)を留(とど)めない、ほとんど自然そのままの利用に過ぎないというのが彼の大いなる誇りであった。
「君の考えが纏(まと)まらない以上はどうする事もできないよ」
「じゃもう少し考えて見よう」
 三沢は焦慮(じれっ)たそうであった。自分も自分が不愉快であった。
 Hさんと兄がいっしょの汽車で東京を去ったのは、自分が三沢の所へ出かけてから、一週間と経(た)たないうちであった。自分は彼らの立つ時刻も日限も知らずにいた。三沢からもHさんからも何の通知を受取らなかった自分は、家(うち)からの電話で始めてそれを聞いた。その時電話口へは思いがけなく嫂(あによめ)が出て来た。
「兄さんは今朝お立ちよ。お父さんがあなたへ知らせておけとおっしゃるから、ちょっと御呼び申しました」
 嫂の言葉は少し改まっていた。
「Hさんといっしょなんでしょうね」
「ええ」
「どこへ行ったんですか」
「何でも伊豆(いず)の海岸を廻るとかいう御話しでした」
「じゃ船ですか」
「いいえやっぱり新橋から……」

        二十五

 その日自分は下宿へ帰らずに、事務所からすぐ番町へ廻った。昨日(きのう)まで恐れて近寄らなかったのに、兄の出立と聞くや否や、すぐそちらへ足を向けるのだから、自分の行為はあまりに現金過ぎた。けれども自分はそれを隠す気もなかった。隠さなければすまない人は、宅(うち)に一人もいないように思われた。
 茶の間には嫂(あによめ)が雑誌の口絵を見ていた。
「今朝ほどは失礼」
「おや吃驚(びっくり)したわ、誰かと思ったら、二郎さん。今京橋から御帰り?」
「ええ、暑くなりましたね」
 自分は手帛(ハンケチ)を出して顔を拭(ふ)いた。それから上着を脱(ぬ)いで畳の上へ放(ほう)り出した。嫂は団扇(うちわ)を取ってくれた。
「御父さんは?」
「御父さんは御留守よ。今日は築地(つきじ)で何かあるんですって」
「精養軒?」
「じゃないでしょう。多分ほかの御茶屋だと思うんだけれども」
「お母さんは?」
「お母さんは今御風呂」
「お重は?」
「お重さんも……」
 嫂はとうとう笑いかけた。
「風呂ですか」
「いいえ、いないの」
 下女が来て氷の中へ莓(いちご)を入れるかレモンを入れるかと尋ねた。
「宅じゃもう氷を取るんですか」
「ええ二三日(にさんち)前から冷蔵庫を使っているのよ」
 気のせいか嫂はこの前見た時よりも少し窶(やつ)れていた。頬の肉が心持減ったらしかった。それが夕方の光線の具合で、顔を動かす時に、ちらりちらりと自分の眼を掠(かす)めた。彼女は左の頬を縁側(えんがわ)に向けて坐っていたのである。
「兄さんはそれでもよく思い切って旅に出かけましたね。僕はことによると今度(こんだ)もまた延ばすかも知れないと思ってたんだが」
「延ばしゃなさらないわよ」
 嫂(あによめ)はこういう時に下を向いた。そうしていつもよりも一層落ちついた沈んだ低い声を出した。
「そりゃ兄さんは義理堅いから、Hさんと約束した以上、それを実行するつもりだったには違ないけれども……」
「そんな意味じゃないのよ。そんな意味じゃなくって、そうして延ばさないのよ」
 自分はぽかんとして彼女の顔を見た。
「じゃどんな意味で延ばさないんです」
「どんな意味って、――解ってるじゃありませんか」
 自分には解らなかった。
「僕には解らない」
「兄さんは妾(あたし)に愛想を尽かしているのよ」
「愛想づかしに旅行したというんですか」
「いいえ、愛想を尽かしてしまったから、それで旅行に出かけたというのよ。つまり妾を妻と思っていらっしゃらないのよ」
「だから……」
「だから妾の事なんかどうでも構わないのよ。だから旅に出かけたのよ」
 嫂はこれで黙ってしまった。自分も何とも云わなかった。そこへ母が風呂から上(あが)って来た。
「おやいつ来たの」
 母は二人坐っているところを見て厭(いや)な顔をした。

        二十六

「もう好い加減に芳江を起さないとまた晩に寝ないで困るよ」
 嫂は黙って起(た)った。
「起きたらすぐ湯に入れておやんなさいよ」
「ええ」
 彼女の後姿(うしろすがた)は廊下を曲(まが)って消えた。
「芳江は昼寝(ひるね)ですか、どうれで静(しずか)だと思った」
「先刻(さっき)何だか拗(す)ねて泣いてたら、それっきり寝ちまったんだよ。何ぼなんでも、もう五時だから、好い加減に起してやらなくっちゃ……」
 母は不平らしい顔をしていた。
 自分はその日珍しく宅(うち)の食卓に向って、晩餐(ばんさん)の箸(はし)を取った。築地の料理屋か待合へ呼ばれたという父は、無論帰らなかったけれども、お重は予定通り戻って来た。
「おい早く来て坐らないか。みんな御前の湯から上(あが)るのを待ってたんだ」
 お重は縁側へぺたりと尻(しり)を着けて団扇(うちわ)で浴衣(ゆかた)の胸へ風を入れていた。
「そんなに急(せ)き立てなくったってよかないの。たまに来たお客さまの癖に」
 お重はつんとしてわざと鼻の先の八つ手の方を向いていた。母はまた始まったという笑の裡(うち)に自分を見た。自分はまた調戯(からかい)たくなった。
「御客さまだと思うなら、そんな大きなお尻を向けないで、早くここへ来てお坐りよ」
「蒼蠅(うるさ)いわよ」
「いったいこの暑いのに、一人でどこをほっつき歩いてたんだい」
「どこでも余計な御世話よ。ほっつき歩くだなんて、第一(だいち)言葉使からしてあなたは下品よ。――好いわ、今日坂田さんの所へ行って、兄さんの秘密をすっかり聞いて来たから」
 お重は兄の事を大兄さん、自分の事をただ兄さんと呼んでいた。始めはちい兄さんと云ったのだが、そのちいを聞くたびに妙な不快を感ずるので、自分はとうとうちいだけを取らしてしまった。
「好くってみんなに話しても」
 お重は湯で火照(ほて)った顔をぐるりと自分の方に向けた。自分は瞬(またた)きを二つ続けざまにした。
「だって御前は今兄さんの秘密だと明言したじゃないか」
「ええ秘密よ」
「秘密なら話してよくないにきまってるじゃないか」
「それを話すから面白いのよ」
 自分はお重の無鉄砲が、何を云い出すか分らないと思って腹の中では辟易(へきえき)した。
「お重御前は論理学でいうコントラジクション・イン・タームス、という事を知らないだろう」
「よくってよ。そんな高慢ちきな英語なんか使って、他(ひと)が知らないと思って」
「もう二人とも止(よ)しにおしよ。何だね面白くもない、十五六の子供じゃあるまいし」
 母はとうとう二人を窘(たし)なめた。自分もそれを好い機(しお)にすぐ舌戦を切り上げた。お重も団扇を縁側へ投げ出しておとなしく食卓に着いた。
 局面が一転した後(あと)なので、秘密らしい秘密は、食事中ついにお重の口から洩(も)れる機会がなかった。母も嫂(あによめ)もまるでそれには取り合う気色(けしき)も見せなかった。平吉という男が裏から出て来て、庭に水を打った。「まだそう燥(かわ)いていないんだから、好い加減にしておおき」と母が云っていた。

        二十七

 その晩番町を出たのは灯火(あかり)が点(つ)いてまだ間もない宵(よい)の口であった。それでも飯を済ましてから約一時間半ほどは、そこへ坐(すわ)り込んだまま、みんなを相手に喋舌(しゃべ)っていた。
 自分はその一時間半の間に、とうとうお重から例の秘密をあばかれる羽目に陥(おちい)った。しかしそれが自分に取っては、秘密でも何でもない例の結婚問題だったので、自分はかえって安心した。
「御母さん、兄さんは妾達(あたしたち)に隠れてこの間見合をなすったんですって」
「隠れて見合なんかするものか」
 自分は母がまだ何とも云わないうちにお重の言葉を遮(さえぎ)った。
「いいえたしかな筋からちゃんと聞いて来たんだから、いくら白ばっくれてももう駄目よ」
 たしかな筋というような一種の言葉が、お重の口から出るのを聞いたとき、自分は思わず苦笑した。
「馬鹿だなお前は」
「馬鹿でもいいわよ」
 お重は六月二日の出来事を母や嫂(あによめ)に向ってべらべら喋舌(しゃべ)り出した。それがなかなか精(くわ)しいので自分は少し驚いた。どこからその知識を得て来たのだろうという好奇心が強く自分の反問を促(うなが)した。けれどもお重はただ意地の悪い微笑を洩(も)らすのみで、けっして出所(しゅっしょ)を告げなかった。
「兄さんが妾達に黙っているのは、きっと打ち明けて云い悪(にく)い訳があるからなのよ。ね、そうでしょう、兄さん」
 お重は自分の好奇心を満足させないのみか、かえって向うからこっちを嬲(なぶ)りにかかった。自分は「どうでも好いや」と云った。母から真面目(まじめ)に事の顛末(てんまつ)を聞かれた時、自分は簡単にありのままを答えた。
「ただそれだけの事なんです。しかも向(むこう)じゃ全く知らないんだからそのつもりでいて下さい。お重見たいに好い加減な事を云い触らすと、僕はどうでも構わんにしたところで、先方が迷惑するかも知れませんから」
 母は先方が迷惑がるはずがないという顔つきで、むやみに細かい質問を始めた。しかし財産がどのくらいあるんだろうとか、親類に貧乏人があるだろうかとか、あるいは悪い病気の系統を引いていやしなかろうかと云うような事になると、自分にはまるで答えられなかった。のみならずしまいには聞くのさえ面倒で厭(いや)になって来た。自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。
 自分がその夜母からいろいろな質問を掛けられている間、嫂(あによめ)は始終(しじゅう)同じ席にいたが、この問題に関してはほとんど一言(ひとこと)も口を開かなかった。母も彼女に向ってついぞ相談がましい言葉をかけなかった。二人のこの態度が、二人の気質をよく代表していた。しかしそれは単に気質の相違からばかり来た一種の対照とも思えなかった。嫂(あによめ)は全くの局外者らしい位地を守るためか何だか、始終(しじゅう)芳江のおもりに気を取られ勝に見えた。日が暮れさえすればすぐ寝かされる習慣の芳江は、昼寝を貪(むさぼ)り過ぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊帳(かや)の中へ這入(はい)らなかった。
 自分は下宿へ帰って、自分の室(へや)の暑苦しいのを意外に感じた。わざと電気灯を消して暗い所に黙って坐っていた。今朝(けさ)立った兄は今日どこで泊るだろう。Hさんは今夜彼とどんな話をするだろう。鷹揚(おうよう)なHさんの顔が自然と眼の前に浮かんだ。それと共に瘠(や)せた兄の頬に刻(きざ)まれた久しぶりの笑が見えた。

        二十八

 その翌日(あくるひ)からHさんの手紙が心待に待ち受けられた。自分は一日(いちんち)、二日(ふつか)、三日(みっか)と指を折って日取を勘定(かんじょう)し始めた。けれどもHさんからは何の音信(たより)もなかった。絵端書(えはがき)一枚さえ来なかった。自分は失望した。Hさんに責任を忘れるような軽薄はなかった。しかしこちらの予期通り律義(りちぎ)にそれを果してくれないほどの大悠(たいゆう)はあった。自分は自烈(じれっ)たい部に属する人間の一人として遠くから彼を眺めた。
 すると二人が立ってからちょうど十一日目の晩に、重い封書が始めて自分の手に落ちた。Hさんは罫(けい)の細(こま)かい西洋紙へ、万年筆(まんねんふで)で一面に何か書いて来た。頁(ページ)の数(かず)から云っても、二時間や三時間でできる仕事ではなかった。自分は机の前に縛(くく)りつけられた人形(にんぎょう)のような姿勢で、それを読み始めた。自分の眼には、この小さな黒い字の一点一劃(かく)も読み落すまいという決心が、焔(ほのお)のごとく輝いた。自分の心は頁の上に釘(くぎ)づけにされた。しかも雪を行く橇(そり)のように、その上を滑(すべ)って行った。要するに自分はHさんの手紙の最初の頁の第一行から読み始めて、最後の頁の最終の文句に至るまでに、どのくらいの時間が要(い)ったかまるで知らなかった。
 手紙は下(しも)のように書いてあった。
「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれた事を、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなって見ると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのは好(この)もしい事でなかろう、――こういう考えでいました。旅行を始めてから一日(いちにち)二日(ふつか)は、この三つの事情のすべてかあるいは幾分かが常に働くので、これではせっかくの約束も反古(ほご)にしなければならないという気が強く募(つの)りました。それが三日(みっか)四日(よっか)となった時、少し考えさせられました。五日(いつか)六日(むいか)と日を重ねるに従って、考えるばかりでなく、約束通りあなたに手紙を上げるのが、あるいは必要かも知れないと思うようになりました。もっともここにいう必要という意味が、あなたと私とで、だいぶ違うかも知れませんが、それはこの手紙をしまいまで御読みになれば解る事ですから、説明はしません。それから当初私の抱いた好もしくないという倫理上の感じ、これはいくら日数(ひかず)を経過しても取去る訳には行きませんが、片方にある必要の度(ど)が、自然それを抑えつけるほど強くなって来た事もまた確(たしか)であります。おそらく手紙を書いている暇があるまい。――この故障だけは始めあなたに申上げた通りどこまでもつけ纏(まと)って離れませんでした。我々二人はいっしょの室(へや)に寝ます、いっしょの室で飯を食います、散歩に出る時もいっしょです、湯も風呂場の構造が許す限りは、いっしょに這入(はい)ります。こう数え立てて見ると、別々に行動するのは、まあ厠(かわや)に上(のぼ)る時ぐらいなものなのですから。
 無論我々二人は朝から晩までのべつに喋舌(しゃべ)り続けている訳ではありません。御互が勝手な書物を手にしている時もあります、黙って寝転(ねころ)んでいる事もあります。しかし現にその人のいる前で、その人の事を知らん顔で書いて、そうしてそれをそっと他(ひと)に知らせるのはちょっと私にとってはでき悪(にく)いのです。書くべき必要を認め出した私も、これには弱りました。いくら書く機会を見つけよう見つけようと思っても、そんな機会の出て来るはずがないのですから。しかし偶然はついに私の手を導いて、私に私の必要と認める仕事をさせるようにしてくれました。私はそれほど兄さんに気兼(きがね)をせずに、この手紙を書き初めました。そうして同じ状態の下(もと)に、それを書き終る事を希望します。

        二十九

 我々は二三日前からこの紅(べに)が谷(やつ)の奥に来て、疲れた身体(からだ)を谷と谷の間に放り出しました。いる所は私の親戚のもっている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立(ようだ)てて宜(よろ)しいと云った言葉を、はからず旅行中に利用する訳になったのであります。
 別荘というと大変人聞(ひとぎき)が好いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭(てぜま)なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏[#「吏」は底本では「史」]の住居(すまい)です。しかし田舎(いなか)だけに邸内の地面には多少の余裕があります。庭だか菜園だか分らないものが、軒から爪下(つまさが)りに向うの垣根まで続いています。その垣には珊瑚樹(さんごじゅ)の実が一面に結(な)っていて、葉越に隣の藁屋根(わらやね)が四半分ほど見えます。
 同じ軒の下から谷を隔てて向うの山も手に取るように見えます。この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣(ゆかた)の色が樹(こ)の間(ま)から見えたり、女の声が崖(がけ)の上で響いたりします。その崖の頂(いただき)には高い松が空を突くように聳(そび)えています。我々は低い軒の下から朝夕(あさゆう)この松を見上るのを、高尚な課業のように心得て暮しています。
 今まで通って来たうちで、君の兄さんにはここが一番気に入ったようです。それにはいろいろな意味があるかも知れませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人(あるじ)になりすまされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ちつきを与えるのが、その大原因だろうと思います。今までどこへ泊ってもよく寝られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寝ます。現に今私がこうやって万年筆(まんねんふで)を走らしている間も、ぐうぐう寝ています。
 もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終(しじゅう)膝(ひざ)を突き合わして、一つの部屋にごろごろしていないですむ事です。家は今申した通り手狭(てぜま)至極(しごく)なものであります。門を出て右の坂上にある或る長者(ちょうじゃ)の拵(こしら)えた西洋館などに比べると全くの燐寸箱(マッチばこ)に過ぎません。それでも垣を囲(めぐ)らして四方から切り離した独立の一軒家です。
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