行人
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著者名:夏目漱石 

「知りませんって、名前を聞かないでむやみに人の室へ客を案内する奴(やつ)があるかい」
「だって聞いてもおっしゃらないんですもの」
 下女はこう云って、また先刻(さっき)のような意地の悪い笑を目元で笑った。自分はいきなり火鉢から手を放して立ち上った。敷居際に膝を突いている下女を追い退(の)けるようにして上(あが)り口(ぐち)まで出た。そうして土間の片隅にコートを着たまま寒そうに立っていた嫂(あによめ)の姿を見出した。

        二

 その日は朝から曇っていた。しかも打ち続いた好天気を一度に追い払うように寒い風が吹いた。自分は事務所から帰りがけに、外套(がいとう)の襟(えり)を立てて歩きながら道々雨になるのを気遣(きづか)った。その雨が先刻(さっき)夕飯(ゆうめし)の膳(ぜん)に向う時分からしとしとと降り出した。
「好くこんな寒い晩に御出かけでした」
 嫂は軽く「ええ」と答えたぎりであった。自分は今まで坐(すわ)っていた蒲団(ふとん)の裏を返して、それを三尺の床の前に直して、「さあこっちへいらっしゃい」と勧めた。彼女はコートの片袖(かたそで)をするすると脱ぎながら「そうお客扱いにしちゃ厭(いや)よ」と云った。自分は茶器を洒(すす)がせるために電鈴(ベル)を押した手を放して、彼女の顔を見た。寒い戸外の空気に冷えたその頬(ほお)はいつもより蒼白(あおじろ)く自分の眸子(ひとみ)を射た。不断から淋(さむ)しい片靨(かたえくぼ)さえ平生(つね)とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。
「まあ好いからそこへ坐って下さい」
 彼女は自分の云う通りに蒲団の上に坐った。そうして白い指を火鉢(ひばち)の上に翳(かざ)した。彼女はその姿から想像される通り手爪先(てづまさき)の尋常(じんじょう)な女であった。彼女の持って生れた道具のうちで、初(はじめ)から自分の注意を惹(ひ)いたものは、華奢(きゃしゃ)に出来上ったその手と足とであった。
「二郎さん、あなたも手を出して御あたりなさいな」
 自分はなぜか躊躇(ちゅうちょ)して手を出しかねた。その時雨の音が窓の外で蕭々(しょうしょう)とした。昼間吹募(ふきつの)った西北(にしきた)の風は雨と共にぱったりと落ちたため世間は案外静かになっていた。ただ時を区切(くぎ)って樋(とい)を叩(たた)く雨滴(あまだれ)の音だけがぽたりぽたりと響いた。嫂(あによめ)は平生(いつも)の通り落ちついた態度で、室(へや)の中を見廻しながら「なるほど好い御室ね、そうして静(しずか)だ事」と云った。
「夜だから好く見えるんです。昼間来て御覧なさい、ずいぶん汚ならしい室ですよ」
 自分はしばらく嫂と応対していた。けれども今自白すると腹の中は話の調子で示されるほど穏かなものではけっしてなかった。自分は嫂がこの下宿へ訪ねて来(き)ようとはその時までけっして予期していなかったのである。空想にすら描いていなかったのである。彼女の姿を上(あが)り口(ぐち)の土間に見出した時自分ははっと驚いた。そうしてその驚きは喜びの驚きよりもむしろ不安の驚きであった。
「何で来たのだろう。何でこの寒いのにわざわざ来たのだろう。何でわざわざ晩になって灯(ひ)が点(つ)いてから来たのだろう」
 これが彼女を見た瞬間の疑惑であった。この疑惑に初手(しょて)からこだわった自分の胸には、火鉢を隔てて彼女と相対している日常の態度の中(うち)に絶えざる圧迫があった。それが自分の談話や調子に不愉快なそらぞらしさを与えた。自分はそれを明かに自覚した。それからその空々(そらぞら)しさがよく相手の頭に映っているという事も自覚した。けれどもどうする訳にも行かなかった。自分は嫂に「冴(さ)え返って寒くなりましたね」と云った。「雨の降るのに好く御出かけですね」と云った。「どうして今頃御出かけです」と聞いた。対話がそこまで行っても自分の胸に少しの光明を投げなかった時、自分は硬(かた)くなった、そうしてジョコンダに似た怪しい微笑の前に立ち竦(すく)まざるを得なかった。
「二郎さんはしばらく会わないうちに、急に改まっちまったのね」と嫂が云い出した。
「そんな事はありません」と自分は答えた。
「いいえそうよ」と彼女が押し返した。

        三

 自分はつと立って嫂の後(うしろ)へ廻った。彼女は半間(はんげん)の床(とこ)を背にして坐っていた。室が狭いので彼女の帯のあたりはほとんど杉の床柱とすれすれであった。自分がその間へ一足割り込んだ時、彼女は窮屈そうに体躯(からだ)を前の方へ屈(かが)めて「何をなさるの」と聞いた。自分は片足を宙(ちゅう)に浮かしたまま、床の奥から黒塗の重箱を取り出して、それを彼女の前へ置いた。
「一つどうです」
 こう云いながら蓋(ふた)を取ろうとすると、彼女は微(かす)かに苦笑を洩(も)らした。重箱の中には白砂糖をふりかけた牡丹餅(ぼたもち)が行儀よく並べてあった。昨日(きのう)が彼岸(ひがん)の中日(ちゅうにち)である事を自分はこの牡丹餅によって始めて知ったのである。自分は嫂(あによめ)の顔を見て真面目に「食べませんか」と尋ねた。彼女はたちまち吹き出した。
「あなたもずいぶんね、その御萩(おはぎ)は昨日(きのう)宅(うち)から持たせて上げたんじゃありませんか」
 自分はやむをえず苦笑しながら一つ頬張(ほおば)った。彼女は自分のために湯呑(ゆのみ)へ茶を注(つ)いでくれた。
 自分はこの牡丹餅から彼女が今日墓詣(はかまい)りのため里(さと)へ行ってその帰りがけにここへ寄ったのだと云う事をようやく確めた。
「大変御無沙汰(ごぶさた)をしていますが、あちらでも別にお変りはありませんか」
「ええありがとう、別に……」
 言葉寡(ことばずくな)な彼女はただ簡単にこう答えただけであったが、その後へ、「御無沙汰って云えば、あなた番町へもずいぶん御無沙汰ね」と付け加えて、ことさらに自分の顔を見た。
 自分は全く番町へは遠ざかっていた。始めは宅(うち)の事が苦(く)になって一週に一度か二度行かないと気が済まないくらいだったが、いつか中心を離れてよそからそっと眺める癖を養い出した。そうしてその眺めている間少くとも事が起らずに済んだという自覚が、無沙汰を無事の原因のように思わせていた。
「なぜ元のようにちょくちょくいらっしゃらないの」
「少し仕事の方が忙(いそが)しいもんですから」
「そう? 本当に? そうじゃないでしょう」
 自分は嫂からこう追窮されるのに堪(た)えなかった。その上自分には彼女の心理が解らなかった。他(ほか)の人はどうあろうとも、嫂だけはこの点において自分を追窮する勇気のないものと今まで固く信じていたからである。自分は思い切って「あなたは大胆過ぎる」と云おうかと思った。けれども疾(とう)に相手から小胆と見縊(みくび)られている自分はついに卑怯(ひきょう)であった。
「本当に忙がしいのです。実はこの間から少し勉強しようと思って、そろそろその準備に取りかかったもんですから、つい近頃はどこへも出る気にならないんです。僕はいつまでこんな事をしてぐずぐずしていたってつまらないから、今のうち少し本でも読んでおいて、もう少ししたら外国へでも行って見たいと思ってるんだから」
 この答えの後半は本当に自分の希望であった。自分は何でもいいからただ遠くへ行きたい行きたいと願っていた。
「外国って、洋行?」と嫂が聞いた。
「まあそうです」
「結構ね。御父さんに願って早くやって御頂きなさい。妾(あたし)話して上げましょうか」
 自分も無駄と知りながらそんな事を幻(まぼろし)のように考えていたのだが、彼女の言葉を聞いた時急に、「お父さんは駄目ですよ」と首を振って見せた。彼女はしばらく黙っていた。やがて物憂(ものう)そうな調子で「男は気楽なものね」と云った。
「ちっとも気楽じゃありません」
「だって厭(いや)になればどこへでも勝手に飛んで歩けるじゃありませんか」

        四

 自分はいつか手を出して火鉢(ひばち)へあたっていた。その火鉢は幾分か背を高くかつ分厚(ぶあつ)に拵(こしら)えたものであったけれども、大きさから云うと、普通(なみ)の箱火鉢と同じ事なので二人向い合せに手を翳(かざ)すと、顔と顔との距離があまり近過ぎるくらいの位地にあった。嫂(あによめ)は席に着いた初から寒いといって、猫背(ねこぜ)の人のように、心持胸から上を前の方に屈(こご)めて坐っていた。彼女のこの姿勢のうちには女らしいという以外に何の非難も加えようがなかった。けれどもその結果として自分は勢い後(うしろ)へ反(そ)り返る気味で座を構えなければならなくなった。それですら自分は彼女の富士額(ふじびたい)をこれほど近くかつ長く見つめた事はなかった。自分は彼女の蒼白(あおじろ)い頬の色を□(ほのお)のごとく眩(まぶ)しく思った。
 自分はこういう比較的窮屈な態度の下(もと)に、彼女から突如として彼女と兄の関係が、自分が宅(うち)を出た後(あと)もただ好くない一方に進んで行くだけであるという厭(いや)な事実を聞かされた。彼女はこれまでこちらから問いかけなければ、けっして兄の事について口を開かない主義を取っていた。たといこちらから問いかけても「相変らずですわ」とか、「何心配するほどの事じゃなくってよ」とか答えてただ微笑するのが常であった。それをまるで逆(さか)さまにして、自分の最も心苦しく思っている問題の真相を、向うから積極的にこちらへ吐きかけたのだから、卑怯(ひきょう)な自分は不意に硫酸を浴(あび)せられたようにひりひりとした。
 しかしいったん緒(いとぐち)を見出した時、自分はできるだけ根掘り葉掘り聞こうとした。けれども言葉の浪費を忌(い)む彼女は、そうこちらの思い通りにはさせなかった。彼女の口にするところは重(おも)に彼ら夫婦間に横たわる気不味(きまず)さの閃電(せんでん)に過ぎなかった。そうして気不味さの近因についてはついに一言(ひとこと)も口にしなかった。それを聞くと、彼女はただ「なぜだか分らないのよ」というだけであった。実際彼女にはそれが分らないのかも知れなかった。また分っている癖にわざと話さないのかも知れなかった。
「どうせ妾(あたし)がこんな馬鹿に生れたんだから仕方がないわ。いくらどうしたってなるようになるよりほかに道はないんだから。そう思って諦(あき)らめていればそれまでよ」
 彼女は初めから運命なら畏(おそ)れないという宗教心を、自分一人で持って生れた女らしかった。その代り他(ひと)の運命も畏れないという性質(たち)にも見えた。
「男は厭(いや)になりさえすれば二郎さん見たいにどこへでも飛んで行けるけれども、女はそうは行きませんから。妾なんかちょうど親の手で植付けられた鉢植(はちうえ)のようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。じっとしているだけです。立枯(たちがれ)になるまでじっとしているよりほかに仕方がないんですもの」
 自分は気の毒そうに見えるこの訴えの裏面に、測(はか)るべからざる女性(にょしょう)の強さを電気のように感じた。そうしてこの強さが兄に対してどう働くかに思い及んだ時、思わずひやりとした。
「兄さんはただ機嫌(きげん)が悪いだけなんでしょうね。ほかにどこも変ったところはありませんか」
「そうね。そりゃ何とも云えないわ。人間だからいつどんな病気に罹(かか)らないとも限らないから」
 彼女はやがて帯の間から小さい女持の時計を出してそれを眺(なが)めた。室(へや)が静かなのでその蓋(ふた)を締める音が意外に強く耳に鳴った。あたかも穏かな皮膚の面(おもて)に鋭い針の先が触れたようであった。
「もう帰りましょう。――二郎さん御迷惑でしたろうこんな厭(いや)な話を聞かせて。妾(あたし)今まで誰にもした事はないのよ、こんな事。今日自分の宅(うち)へ行ってさえ黙ってるくらいですもの」
 上(あが)り口に待っていた車夫の提灯(ちょうちん)には彼女の里方(さとかた)の定紋(じょうもん)が付いていた。

        五

 その晩は静かな雨が夜通し降った。枕を叩(たた)くような雨滴(あまだれ)の音の中に、自分はいつまでも嫂(あによめ)の幻影(まぼろし)を描いた。濃(こ)い眉(まゆ)とそれから濃い眸子(ひとみ)、それが眼に浮ぶと、蒼白(あおしろ)い額や頬は、磁石(じしゃく)に吸いつけられる鉄片(てっぺん)の速度で、すぐその周囲(まわり)に反映した。彼女の幻影は何遍も打ち崩(くず)された。打ち崩されるたびに復(また)同じ順序がすぐ繰返された。自分はついに彼女の唇(くちびる)の色まで鮮かに見た。その唇の両端(りょうはし)にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号(シンボル)のごとく微(かす)かに顫動(せんどう)するのを見た。それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦(うず)が、靨(えくぼ)に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。
 自分はそれくらい活(い)きた彼女をそれくらい劇(はげ)しく想像した。そうして雨滴(あまだれ)の音のぽたりぽたりと響く中に、取り留めもないいろいろな事を考えて、火照(ほて)った頭を悩まし始めた。
 彼女と兄との関係が悪く変る以上、自分の身体(からだ)がどこにどう飛んで行こうとも、自分の心はけっして安穏(あんのん)であり得なかった。自分はこの点について彼女にもっと具体的な説明を求めたけれども、普通の女のように零砕(れいさい)な事実を訴えの材料にしない彼女は、ほとんど自分の要求を無視したように取り合わなかった。自分は結果からいうと、焦慮(じら)されるために彼女の訪問を受けたと同じ事であった。
 彼女の言葉はすべて影のように暗かった。それでいて、稲妻(いなずま)のように簡潔な閃(ひらめき)を自分の胸に投げ込んだ。自分はこの影と稲妻とを綴(つづ)り合せて、もしや兄がこの間中(あいだじゅう)癇癖(かんぺき)の嵩(こう)じたあげく、嫂に対して今までにない手荒な事でもしたのではなかろうかと考えた。打擲(ちょうちゃく)という字は折檻(せっかん)とか虐待(ぎゃくたい)とかいう字と並べて見ると、忌(いま)わしい残酷な響を持っている。嫂は今の女だから兄の行為を全くこの意味に解しているかも知れない。自分が彼女に兄の健康状態を聞いた時、彼女は人間だからいつどんな病気に罹るかも知れないと冷(ひやや)かに云って退(の)けた。自分が兄の精神作用に掛念(けねん)があってこの問を出したのは彼女にも通じているはずである。したがって平生よりもなお冷淡な彼女の答は、美しい己(おの)れの肉に加えられた鞭(むち)の音を、夫の未来に反響させる復讐(ふくしゅう)の声とも取れた。――自分は怖(こわ)かった。
 自分は明日(あす)にも番町へ行って、母からでもそっと彼ら二人の近況を聞かなければならないと思った。けれども嫂(あによめ)はすでに明言した。彼ら夫婦関係の変化については何人(なんびと)もまだ知らない、また何人(なんびと)にも告げた事がないと明言した。影のような稲妻(いなずま)のような言葉のうちからその消息をぼんやりと焼きつけられたのは、天下に自分の胸がたった一つあるばかりであった。
 なぜあれほど言葉の寡(すく)ない嫂が自分にだけそれを話し出したのだろうか。彼女は平生から落ちついている。今夜も平生の通り落ちついていた。彼女は昂奮(こうふん)の極(きょく)訴える所がないので、わざわざ自分を訪(と)うたものとは思えなかった。だいち訴えという言葉からしてが彼女の態度には不似合であった。結果から云えば、自分は先刻(さっき)云った通りむしろ彼女から焦慮(じら)されたのであるから。
 彼女は火鉢にあたる自分の顔を見て、「なぜそう堅苦(かたくる)しくしていらっしゃるの」と聞いた。自分が「別段堅苦しくはしていません」と答えた時、彼女は「だって反(そ)っ繰(く)り返(かえ)ってるじゃありませんか」と笑った。その時の彼女の態度は、細い人指(ひとさし)ゆびで火鉢の向側から自分の頬(ほっ)ぺたでも突っつきそうに狎(な)れ狎れしかった。彼女はまた自分の名を呼んで、「吃驚(びっくり)したでしょう」と云った。突然雨の降る寒い晩に来て、自分を驚かしてやったのが、さも愉快な悪戯(いたずら)ででもあるかのごとくに云った。……
 自分の想像と記憶は、ぽたりぽたりと垂れる雨滴(あまだれ)の拍子(ひょうし)のうちに、それからそれからととめどもなく深更まで廻転した。

        六

 それから三四日(さんよっか)の間というもの自分の頭は絶えず嫂の幽霊に追い廻された。事務所の机の前に立って肝心(かんじん)の図を引く時ですら、自分はこの祟(たたり)を払い退(の)ける手段を知らなかった。ある日には始終(しじゅう)他人の手を借りて仕事を運んで行くようなはがゆい思さえ加わった。こうして自分で自分を離れた気分を持ちながら、上部(うわべ)だけを人並にやって行くのに傍(はた)の者はなぜ不審がらないのだろうと疑ぐって見たりした。自分はよほど前から事務所ではもう快活な男として通用しないようになっていた。ことに近来は口数さえ碌(ろく)に利(き)かなかった。それでこの三四日間に起った変化もまた他(ひと)の注意に上(のぼ)らずに済んでいるのだろうと考えた。そうして自己と周囲と全く遮断(しゃだん)された人の淋(さび)しさを独(ひと)り感じた。
 自分はこの間に一人の嫂をいろいろに視た。――彼女は男子さえ超越する事のできないあるものを嫁に来たその日からすでに超越していた。あるいは彼女には始めから超越すべき牆(かき)も壁もなかった。始めから囚(とら)われない自由な女であった。彼女の今までの行動は何物にも拘泥(こうでい)しない天真の発現に過ぎなかった。
 ある時はまた彼女がすべてを胸のうちに畳み込んで、容易に己を露出しないいわゆるしっかりもののごとく自分の眼に映じた。そうした意味から見ると、彼女はありふれたしっかりものの域(いき)を遥(はるか)に通り越していた。あの落ちつき、あの品位、あの寡黙(かもく)、誰が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々(ずうずう)しいものでもあった。
 ある刹那(せつな)には彼女は忍耐の権化(ごんげ)のごとく、自分の前に立った。そうしてその忍耐には苦痛の痕迹(こんせき)さえ認められない気高(けだか)さが潜(ひそ)んでいた。彼女は眉(まゆ)をひそめる代りに微笑した。泣き伏す代りに端然(たんぜん)と坐った。あたかもその坐っている席の下からわが足の腐れるのを待つかのごとくに。要するに彼女の忍耐は、忍耐という意味を通り越して、ほとんど彼女の自然に近いある物であった。
 一人の嫂(あによめ)が自分にはこういろいろに見えた。事務所の机の前、昼餐(ひるめし)の卓(たく)の上、帰(かえ)り途(みち)の電車の中、下宿の火鉢の周囲(まわり)、さまざまの所でさまざまに変って見えた。自分は他(ひと)の知らない苦しみを他に言わずに苦しんだ。その間思い切って番町へ出かけて行って、大体の様子を探るのがともかくも順序だとはしばしば胸に浮かんだ。けれども卑怯(ひきょう)な自分はそれをあえてする勇気をもたなかった。眼の前に怖(こわ)い物のあるのを知りながら、わざと見ないために瞼(まぶた)を閉じていた。
 すると五日目の土曜の午後に突然父から事務所の電話口まで呼び出された。
「御前は二郎かい」
「そうです」
「明日(あす)の朝ちょっと行くが好いかい」
「へえ」
「差支(さしつか)えがあるかい」
「いえ別に……」
「じゃ待っててくれ、好(い)いだろうね。さようなら」
 父はそれで電話を切ってしまった。自分は少からず狼狽(ろうばい)した。何の用事であるかをさえ確める余裕をもたなかった自分は、電話口を離れてから後悔した。もし用事があるなら呼びつけられそうなものだのにとすぐ変に思っても見た。父が向うから来るという違例な事が、この間の嫂の訪問に何か関係があるような気がして、自分の胸は一層不安になった。
 下宿に帰ったら、大阪の岡田から来た一枚の絵端書(えはがき)が机の上に載せてあった。それは彼ら夫婦が佐野とお貞さんを誘って、楽しい半日を郊外に暮らした記念であった。自分は机に向って長い間その絵端書を見つめていた。

        七

 日曜には思い切って寝坊をする癖のついていた自分も、次の朝だけは割合に早く起きた。飯を済まして新聞を読むと、その新聞が汽車を待ち合せる間に買って、せわしなく眼を通す時のように、何の見るところもないほど、つまらなく感ぜられた。自分はすぐ新聞を棄(す)てた。しかし五六分経(た)たないうちにまたそれを取り上げた。自分は煙草を吸ったり、眼鏡(めがね)の曇(くもり)を丁寧(ていねい)に拭(ぬぐ)ったり、いろいろな所作(しょさ)をして、父の来るのを待ち受けた。
 父は容易に来なかった。自分は父の早起をよく承知していた。彼の性急(せっかち)にも子供のうちから善(よ)く馴(な)らされていた。落ちつかない自分は、電話でもかけて、どうしたのかこっちから父の都合を聞いて見ようかと思った。
 母に狎(な)れ抜いた自分は、常から父を憚(はばか)っていた。けれども、本当の底を割って見ると、柔和(やさ)しい母の方が、苛酷(きび)しい父よりはかえって怖(こわ)かった。自分は父に怒られたり小言を云われたりする時に、恐縮はしながらも、やっぱり男は男だと腹の中で思う事がたびたびあった。けれどもこの場合はいつもと違っていた。いくら父でもそう容易(たやす)く高を括(くく)る訳に行かなかった。電話をかけようとした自分はまたかけ得ずにしまった。
 父はとうとう十時頃になってやって来た。羽織(はおり)袴(はかま)で少しきまり過ぎた服装(なり)はしていたが、顔つきは存外穏かであった。小さい時から彼の手元で育った自分は、事のあるかないかを彼の顔色からすぐ判断する功を積んでいた。
「もっと早くおいでだろうと思って先刻(さっき)から待っていました」
「おおかた床の中で待ってたんだろう。早いのはいくら早くっても驚かないが、御前に気の毒だからわざと遅く出かけたのさ」
 父は自分の汲(く)んで出した茶を、飲むように甞(な)めるように、口の所へ持って行って、室(へや)の中をじろじろ見廻した。室には机と本箱と火鉢があるだけであった。
「好い室だね」
 父は自分達に対してもよくこんな愛嬌(あいきょう)を云う男であった。彼が長年社交のために用い慣れた言葉は、遠慮のない家庭にまで、いつか這入り込んで来た。それほど枯れた御世辞(おせじ)だから、それが自分には他(ひと)の「御早う」ぐらいにしか響かなかった。
 彼は三尺の床(とこ)を覗(のぞ)いてそこに掛けた幅物(ふくもの)を眺め出した。
「ちょうど好いね」
 その軸は特にここの床(とこ)の間(ま)を飾るために自分が父から借りて来た小形の半切(はんせつ)であった。彼が「これなら持って行っても好い」と投げ出してくれただけあって、自分にはちょうど好くも何ともない変なものであった。自分は苦笑してそれを眺めていた。
 そこには薄墨で棒が一本筋違(すじかい)に書いてあった。その上に「この棒ひとり動かず、さわれば動く」と賛(さん)がしてあった。要するに絵とも字とも片(かた)のつかないつまらないものであった。
「御前は笑うがね。これでも渋いものだよ。立派な茶懸(ちゃがけ)になるんだから」
「誰でしたっけね書き手は」
「それは分らないが、いずれ大徳寺か何か……」
「そうそう」
 父はそれで懸物(かけもの)の講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、黄檗(おうばく)がどうのと、自分にはまるで興味のない事を説明して聞かせた。しまいに「この棒の意味が解るか」などと云って自分を悩ませた。

        八

 その日自分は父に伴(つ)れられて上野の表慶館を見た。今まで彼に随(つ)いてそういう所へ行った事は幾度となくあったが、まさかそのために彼がわざわざ下宿へ誘いに来(き)ようとは思えなかった。自分は父と共に下宿の門(かど)を出て上野へ向う途々(みちみち)も、今に彼の口から何か本当の用事が出るに違(ちがい)ないと予期していた。しかしそれをこっちから聞く勇気はとても起らなかった。兄の名も嫂(あによめ)の名も彼の前には封じられた言葉のごとく、自分の声帯を固く括(くく)りつけた。
 表慶館で彼は利休の手紙の前へ立って、何々せしめ候(そろ)……かね、といった風に、解らない字を無理にぽつぽつ読んでいた。御物(ごもつ)の王羲之(おうぎし)の書を見た時、彼は「ふうんなるほど」と感心していた。その書がまた自分には至ってつまらなく見えるので、「大いに人意を強うするに足るものだ」と云ったら、「なぜ」と彼は反問した。
 二人は二階の広間へ入った。するとそこに応挙(おうきょ)の絵がずらりと十幅ばかりかけてあった。それが不思議にも続きもので、右の端(はじ)の巌(いわ)の上に立っている三羽の鶴と、左の隅(すみ)に翼をひろげて飛んでいる一羽のほかは、距離にしたら約二三間の間ことごとく波で埋(うま)っていた。
「唐紙(からかみ)に貼(は)ってあったのを、剥(は)がして懸物(かけもの)にしたのだね」
 一幅ごとに残っている開閉(あけたて)の手摺(てずれ)の痕(あと)と、引手(ひきて)の取れた部分の白い型を、父は自分に指し示した。自分は広間の真中に立ってこの雄大な画(え)を描いた昔の日本人を尊敬する事を、父の御蔭(おかげ)でようやく知った。
 二階から下りた時、父は玉(ぎょく)だの高麗焼(こうらいやき)だのの講釈をした。柿右衛門(かきえもん)と云う名前も聞かされた。一番下らないのはのんこうの茶碗であった。疲れた二人はついに表慶館を出た。館の前を掩(おお)うように聳(そび)えている蒼黒(あおぐろ)い一本の松の木を右に見て、綺麗(きれい)な小路(こみち)をのそのそ歩いた。それでも肝心(かんじん)の用事について、父は一言(ひとこと)も云わなかった。
「もうじき花が咲くね」
「咲きますね」
 二人はまたのそのそ東照宮の前まで来た。
「精養軒で飯でも食うか」
 時計はもう一時半であった。小さい時分から父に伴(つ)れられて外出(そとで)するたびに、きっとどこかで物を食う癖のついた自分は、成人の後(のち)も御供と御馳走(ごちそう)を引き離しては考えていなかった。けれどもその日はなぜだか早く父に別れたかった。
 行きがけに気のつかなかったその精養軒の入口は、五色の旗で隙間(すきま)なく飾られた綱を、いつの間にか縦横に渡して、絹帽(シルクハット)の客を華(はな)やかに迎えていた。
「何かあるんですよ今日は。おおかた貸し切りなんでしょう」
「なるほど」
 父は立ち留って木(こ)の間(ま)にちらちらする旗の色を眺めていたが、やがて気のついた風で、「今日は二十三日だったね」と聞いた。その日は二十三日であった。そうしてKという兄の知人の結婚披露の当日であった。
「つい忘れていた。一週間ばかり前に招待状が来ていたっけ。一郎と直(なお)と二人の名宛(なあて)で」
「Kさんはまだ結婚しなかったのですかね」
「そうさ。善(よ)く知らないが、まさか二度目じゃなかろうよ」
 二人は山を下りてとうとうその左側にある洋食屋に這入(はい)った。
「ここは往来がよく見える。ことに寄ると一郎が、絹帽を被(かぶ)って通るかも知れないよ」
「嫂(ねえ)さんもいっしょなんですか」
「さあ。どうかね」
 二階の窓際近くに席を占めた自分達は、花で飾られた低い瓶(ヴァーズ)を前に、広々した三橋(みはし)の通りを見下した。

        九

 食事中父は機嫌(きげん)よく話した。しかし用談らしい改まったものは、珈琲(コーヒー)を飲むまでついに彼の口に上(のぼ)らなかった。表へ出た時、彼は始めて気のついたらしい顔をして、向う側の白い大きな建物を眺めた。
「やあいつの間にか勧工場(かんこうば)が活動に変化しているね。ちっとも知らなかった。いつ変ったんだろう」
 白い洋館の正面に金字で書いてある看板の周囲は、無数の旗の影で安価に彩(いろど)られていた。自分は職業柄、さも仰山(ぎょうさん)らしく東京の真中に立っているこの粗末な建築を、情ない眼つきで見た。
「どうも驚くね世の中の早く変るには。そう思うとおれなぞもいつ死ぬか分らない」
 好い日曜なのと時刻が時刻なので、往来は今が人の出盛りであった。華(はな)やかな色と、陽気な肉と、浮いた足並の簇(むら)がるなかでこう云った父の言葉は、妙に周囲と調和を欠いていた。
 自分は番町と下宿と方角の岐(わか)れる所で、父に別れようとした。
「用があるのかい」
「ええ少し……」
「まあ好いから宅(うち)までおいで」
 自分は帽子の鍔(つば)へ手をかけたまま躊躇(ちゅうちょ)した。
「いいからおいでよ。自分の宅じゃないか。たまには来るものだ」
 自分はきまりの悪い顔をして父の後(あと)に随(した)がった。父はすぐ後(うしろ)をふり向いた。
「宅じゃ近頃御前が来ないので、みんな不思議がってるんだぜ。二郎はどうしたんだろうって。遠慮が無沙汰(ぶさた)というが、御前のは無遠慮が無沙汰になるんだからなお悪い」
「そう云う訳でもありませんが。……」
「何しろ来るが好い。言訳は宅へ行って、御母さんにたんとするさ。おれはただ引っ張って行く役なんだから」
 父はずんずん歩いた。自分は腹の中であたかも丁年(ていねん)未満の若者のような自分の態度を苦笑しながら、黙って父と歩調を共にした。その日はこの間とは打って変って、青春の第一日ともいうべき暖かい光を、南へ廻った太陽が自分達の上へ投げかけていた。獺(かわうそ)の襟(えり)をつけた重いとんびを纏(まと)った父も、少し厚手の外套(がいとう)を着た自分も、先刻(さっき)からの運動で、少し温気(うんき)に蒸(む)される気味であった。その春の半日を自分は父の御蔭(おかげ)で、珍らしく方々引っ張り廻された。この老いた父と、こう肩を並べて歩いた例(ためし)は近頃とんとなかった。この老いた父とこれから先もう何度こうして歩けるものかそれも分らなかった。
 自分は鈍い不安のうちに、微(かす)かな嬉(うれ)しさと、その嬉しさに伴う一種のはかなさとを感じた。そうして不意に自分の胸を襲ったこの感傷的な気分に、なるべく己(おの)れを任せるような心持で足を運ばせた。
「御母さんは驚いているよ。御彼岸(おひがん)に御萩(おはぎ)を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」
 自分は何とも返事をしなかった。
「今日は久しぶりに御前を伴(つ)れて行って皆(みん)なに会わせようと思って。――御前一郎に近頃会った事はあるまい」
「ええ実は下宿をする時挨拶(あいさつ)をしたぎりです」
「それ見ろ。ところが今日はあいにく一郎が留守(るす)だがね。御父さんが上野の披露会の事を忘れていたのが悪かったけれども」
 自分は父に伴(つ)れられて、とうとう番町の門を潜(くぐ)った。

        十

 座敷に這入(はい)った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄(けんぺい)ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々(みちみち)父の情(なさけ)をありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言(いちごん)で打ち崩(くず)されたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子(まいご)が帰って来た」と云った。嫂(あによめ)はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡(ことばずくな)な挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。自分も人前を憚(はばか)って一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧謔(かいぎゃく)と誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰山(ぎょうさん)でかつ滑稽(こっけい)に聞えた。
「春になったから、皆(みん)なもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠(きりばたけ)でさえ立派な家(うち)が建つ時節じゃないか」
 桐畠というのは家のつい近所にある角地面(かどじめん)の名であった。そこへ住まうと何か祟(たたり)があるという昔からの言い伝えで、この間まで空地(あきち)になっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請(ふしん)を始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々(いきいき)と傍(そば)のものに話し掛けた。平生彼の居馴染(いなじ)んだ室(へや)は、奥の二間(ふたま)続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。ただ袴(はかま)と羽織を脱(ぬ)ぎ棄(す)てたなり、そこへ坐(すわ)ったまま、長く自分達を相手に喋舌(しゃべ)っていた。
 久しく住み馴(な)れた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すような趣(おもむき)があった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子戸(ガラスど)はたいてい二重に鎖(とざ)されて、庭の苔(こけ)を残酷に地面から引き剥(はが)す霜(しも)が一面に降っていた。今はその外側の仕切(しきり)がことごとく戸袋の中(うち)に収(おさ)められてしまった。内側も左右に開かれていた。許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。樹(き)も苔(こけ)も石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。すべてが出る時と趣を異(こと)にしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。
 自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母(ふぼ)や妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名は先刻(さっき)からまだ一度も誰の会話にも上(のぼ)らなかった。自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞いた。自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。自分は自分の前にいる嫂(あによめ)を見て、彼女が披露の席に臨まないという事だけを確めた。
 自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。同時に彼の名が出て来るのを憚(はばか)った。そうした心持でみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。
 自分はしばらくしてお重に「お重お前の室(へや)をちょっと御見せ。綺麗(きれい)になったって威張ってたから見てやろう」と云った。彼女は「当り前よ、威張るだけの事はあるんだから行って御覧なさい」と答えた。自分は下宿をするまで朝夕(ちょうせき)寝起きをした、家中(うちじゅう)で一番馴染(なじみ)の深い、故(もと)のわが室を覗(のぞ)きに立った。お重は果して後(あと)から随(つ)いて来た。

        十一

 彼女の室は自慢するほど綺麗にはなっていなかったけれども、自分の住み荒した昔に比べると、どこかになまめいた匂(にお)いが漂よっていた。自分は机の前に敷いてある派出(はで)な模様の座蒲団(ざぶとん)の上に胡坐(あぐら)をかいて、「なるほど」と云いながらそこいらを見廻した。
 机の上には和製のマジョリカ皿があった。薔薇(ばら)の造り花がセゼッション式の一輪瓶(いちりんざし)に挿(さ)してあった。白い大きな百合(ゆり)を刺繍(ぬい)にした壁飾りが横手にかけてあった。
「ハイカラじゃないか」
「ハイカラよ」
 お重の澄ました顔には得意の色が見えた。
 自分はしばらくそこでお重に調戯(からか)っていた。五六分してから彼女に「近頃兄さんはどうだい」とさも偶然らしく問いかけて見た。すると彼女は急に声を潜(ひそ)めて、「そりゃ変なのよ」と答えた。彼女の性質は嫂とは全く反対なので、こう云う場合には大変都合が好かった。いったん緒口(いとぐち)さえ見出せば、あとはこっちで水を向ける必要も何もなかった。隠す事を知らない彼女は腹にある事をことごとく話した。黙って聞いていた自分にもしまいには蒼蠅(うるさ)いほどであった。
「つまり兄さんが家(うち)のものとあんまり口を利(き)かないと云うんだろう」
「ええそうよ」
「じゃ僕の家を出た時と同じ事じゃないか」
「まあそうよ」
 自分は失望した。考えながら、煙草(たばこ)の灰をマジョリカ皿の中へ遠慮なくはたき落した。お重は厭(いや)な顔をした。
「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」
 自分は嫂(あによめ)ほどに頭のできていないお重から、何も得るところのないのを覚(さと)って、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。
 その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目(まじめ)に研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓(つね)った後(あと)「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室(へや)の中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉(のど)は今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。
「妾(あたし)説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思って吃驚(びっく)りしたわ。兄さんは後で仏蘭西(フランス)の何とかいう人のやった実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いから罹(かか)らないんだって云うのよ。妾(あたし)嬉(うれ)しかったわ」
「なぜ」
「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」
「そんなに厭かい」
「きまってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんな事をしちゃ」
 自分もおかしいうちに何だか気味の悪い心持がした。座敷へ帰って来ると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。父と母は差し向いになって小さな声で何か話し合っていた。その様子が今しがた自分一人で家中を陽気にした賑(にぎ)やかな人の様子とも見えなかった。「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞えた。
「あれじゃ困りますよ」という声も聞えた。

        十二

 自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らの挙(あ)げた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在を苦(く)にしているらしく見えて、はなはだ痛々しかった。彼ら(ことに母)は兄一人のために宅中(うちじゅう)の空気が湿(しめ)っぽくなるのを辛(つら)いと云った。尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁(いんねん)がないと暗に主張しているらしく思われた。したがって自分が彼らの前に坐(すわ)っている間、彼らは兄を云々するほか、何人(なんびと)の上にも非難を加えなかった。平生から兄に対する嫂の仕打に飽(あ)き足らない顔を見せていた母でさえ、この時は彼女についてついに一口も訴えがましい言葉を洩(も)らさなかった。
 彼らの不平のうちには、同情から出る心配も多量に籠(こも)っていた。彼らは兄の健康について少からぬ掛念(けねん)をもっていた。その健康に多少支配されなければならない彼の精神状態にも冷淡ではあり得なかった。要するに兄の未来は彼らにとって、恐ろしいX(エッキス)であった。
「どうしたものだろう」
 これが相談の時必ず繰り返されべき言葉であった。実を云えば、一人一人離れている折ですら、胸の中(うち)でぼんやり繰り返して見るべき二人の言葉であった。
「変人(へんじん)なんだから、今までもよくこんな事があったには有ったんだが、変人だけにすぐ癒(なお)ったもんだがね。不思議だよ今度(こんだ)は」
 兄の機嫌買(きげんかい)を子供のうちから知り抜いている彼らにも、近頃の兄は不思議だったのである。陰欝(いんうつ)な彼の調子は、自分が下宿する前後から今日(こんにち)まで少しの晴間なく続いたのである。そうしてそれがだんだん険悪の一方に向って真直(まっすぐ)に進んで行くのである。
「本当に困っちまうよ妾(わたし)だって。腹も立つが気の毒でもあるしね」
 母は訴えるように自分を見た。
 自分は父や母と相談のあげく、兄に旅行でも勧めて見る事にした。彼らが自分達の手際(てぎわ)ではとても駄目だからというので、自分は兄と一番親密なHさんにそれを頼むが好かろうと発議(ほつぎ)して二人の賛成を得た。しかしその頼み役には是非共自分が立たなければ済まなかった。春休みにはまだ一週間あった。けれども学校の講義はもうそろそろしまいになる日取であった。頼んで見るとすれば、早くしなければ都合が悪かった。
「じゃ二三日(にさんち)うちに三沢の所へ行って三沢からでも話して貰うかまた様子によったら僕がじかに行って話すか、どっちかにしましょう」
 Hさんとそれほど懇意でない自分は、どうしても途中に三沢を置く必要があった。三沢は在学中Hさんを保証人にしていた。学校を出てからもほとんど家族の一人のごとく始終(しじゅう)そこへ出入していた。
 帰りがけに挨拶(あいさつ)をしようと思って、ちょっと嫂(あによめ)の室(へや)を覗(のぞ)いたら、嫂は芳江を前に置いて裸人形に美しい着物を着せてやっていた。
「芳江大変大きくなったね」
 自分は芳江の頭へ立ちながら手をかけた。芳江はしばらく顔を見なかった叔父に突然綾(あや)されたので、少しはにかんだように唇(くちびる)を曲げて笑っていた。門を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。父は久しぶりだから飯(めし)でも食って彼に会って行けと云ったが、自分はとうとうそれまで腰を据(す)えていられなかった。

        十三

 翌日(あくるひ)自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。
「この両三日(りょうさんにち)はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」
 主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧(ていねい)な言葉で自分に話し掛けた。
 彼の室(へや)は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁(がくぶち)も何(な)にもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼(は)り付けたのもあった。
「何だか存じませんが、好(すき)だものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚(ほんだな)の上に、丸い壺(つぼ)と並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。
 それには女の首が描(か)いてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼の柔(やわら)かに湿(うるお)ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂(におい)を画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。
「あれもこの間いたずらに描きましたので」
 三沢は画(え)の上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒(ゆた)かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。
「面白いです」と云った。
「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰(もら)えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」
 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻(でもど)りの御嬢さんであった。彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言(ひとこと)も口にしなかった。女の精神病に罹(かか)った事にもまるで触れなかった。自分もそれを聞く気は起らなかった。かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。
 問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移って行った。彼の母は嬉(うれ)しそうであった。
「あれもいろいろ御心配をかけましたが、今度ようやくきまりまして……」
 この間三沢から受取った手紙に、少し一身上(いっしんじょう)の事について、君に話があるからそのうち是非行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。自分は彼の母に対して、ただ人並の祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きな滴(したた)るほどに潤(うるお)った眼をもっているだろうか、それが何より先に確めて見たかった。
 三沢は思ったほど早く帰らなかった。彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと云って、何なら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断った。しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほど実(み)が入らなかった。
 三沢にどうだろうと云った自分の妹(いもと)のお重は、まだどこへ行くともきまらずにぐずぐずしている。そういう自分もお重と同じ事である。せっかく身の堅まった兄と嫂(あによめ)は折り合わずにいる。――こんな事を対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。

        十四

 そのうち三沢が帰って来た。近頃は身体(からだ)の具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐(あぐら)をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵(ひってき)して陽気であった。自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。
「君どうかしたか」
 彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。
「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」
 この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭(ひざがしら)を眺めていた。
「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精(くわ)しい話ができて」
 三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起(た)ったが、しばらくするとまた襖(ふすま)の陰(かげ)から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今支度(したく)をしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走(ちそう)を受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛(あいまい)な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据(す)えていた。そうして本棚(ほんだな)の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。
「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」
 三沢の母は召使に膳(ぜん)を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端(はし)には古そうに見える九谷焼の猪口(ちょく)が載せてあった。
 それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁歩(あ)るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。
 Hさんは銘仙(めいせん)の着物に白い縮緬(ちりめん)の兵児帯(へこおび)をぐるぐる巻きつけたまま、椅子(いす)の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈(ごぶがり)の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥(ふと)っていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語を操(あや)つる時のように、鈍(のろ)かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終(しじゅう)にこにこしているように見えた。
 彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚(おうよう)なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍(はた)から見るとさも窮屈そうな姿勢の下(もと)に、夷然(いぜん)として落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にも逆(さか)らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。
「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」
 悠長(ゆうちょう)な彼はこう云って自分の吐いた煙草(たばこ)の煙を眺めていた。

        十五

 やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後(あと)に随(つ)いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻(ひね)った。
「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」
 彼の不審はけっして偽(いつわり)とは見えなかった。彼は昨日(きのう)Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切(とぎ)れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。
「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」
 わがままに育った兄は、平生から家(うち)で気むずかしい癖に、外では至極(しごく)穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘(わがまま)の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重(おも)にどんな話をしたか、差支(さしつか)えない限りそれを聞こうと試みた。
「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」
 これも嘘(うそ)ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭(めいりょう)に覚えていて、それを最も淡泊(たんぱく)な態度で話してくれた。
 兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利(イギリス)や亜米利加(アメリカ)で流行(はや)る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。
 兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側(がわ)ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。
「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」
 Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯(うけ)がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。
「だからこの際旅行は至極(しごく)好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」
 Hさんの言葉には自信がなかった。
「あなたのおっしゃる事なら素直(すなお)に聞くだろうと思うんですが」
「そうも行かんさ」
 Hさんは苦笑していた。
 表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆(みん)なそぞろ歩きでもするように、長閑(のど)かに履物(はきもの)の音を響かして行った。空には星の光が鈍(にぶ)かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。

        十六

 自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑(にぎわ)し始めた一週間の後(のち)になっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭(いや)になった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。
「どうも旨(うま)く行かないそうだ」
 事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。
「それでわざわざ来てくれたのかい」
「まあそうだ」
「どうも御苦労さま、すまない」
 自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。
「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」
 自分はこういう慰藉(いしゃ)をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠(たいゆう)な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜(ひそ)んでいた。
「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵(こしら)えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」
 自分はとうとう諦(あきら)めた。三沢は何にも批評せずに、机の角に肱(ひじ)を突き立てて、その上に顋(あご)を載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。
 この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰(かえ)り途(みち)に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言(いちごん)も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。
 彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。
 自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶(あいさつ)をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」
「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」
 彼は実際心当りがあるような口を利(き)いた。近いうち彼の娶(めと)るべき女からでも聞いたのだろう。
 彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」
「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」
「結婚式はいつだい」
「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」
 彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。

        十七

 四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉(うれ)しがるこの花の時節を無為(むい)に送った。しかし月が替(かわ)って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。
 家(うち)へはその後(のち)一回も足を向けなかった。家からも誰一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書(えはがき)がまた一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼(かね)さんの署名があった。
 自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間(そろあいだ)同日午後一時より御来聴被下度候(くだされたくそろ)此段御案内申進候也(そろなり)」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。それよりも自分の気分に転化の刺戟(しげき)を与えたのは、三沢が余事のごとく名宛(なあて)のあとへ付け足した、短い報知であった。
「Hさんは嘘(うそ)を吐(つ)かない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。
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