行人
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著者名:夏目漱石 

 父や母に自分の未来を打ち明けた明(あく)る朝、便所から風呂場へ通う縁側(えんがわ)で、自分はこの嫂にぱたりと出会った。
「二郎さん、あなた下宿なさるんですってね。宅(うち)が厭(いや)なの」と彼女は突然聞いた。彼女は自分の云った通りを、いつの間にか母から伝えられたらしい言葉遣(ことばづかい)をした。自分は何気なく「ええしばらく出る事にしました」と答えた。
「その方が面倒でなくって好いでしょう」
 彼女は自分が何か云うかと思って、じっと自分の顔を見ていた。しかし自分は何とも云わなかった。
「そうして早く奥さんをお貰いなさい」と彼女の方からまた云った。自分はそれでも黙っていた。
「早い方が好いわよあなた。妾(あたし)探して上げましょうか」とまた聞いた。
「どうぞ願います」と自分は始めて口を開いた。
 嫂は自分を見下(みさ)げたようなまた自分を調戯(からか)うような薄笑いを薄い唇(くちびる)の両端に見せつつ、わざと足音を高くして、茶の間の方へ去った。
 自分は黙って、風呂場と便所の境にある三和土(たたき)の隅(すみ)に寄せ掛けられた大きな銅の金盥(かなだらい)を見つめた。この金盥は直径二尺以上もあって自分の力で持上げるのも困難なくらい、重くてかつ大きなものであった。自分は子供の時分からこの金盥を見て、きっと大人(おとな)の行水(ぎょうずい)を使うものだとばかり想像して、一人嬉(うれ)しがっていた。金盥は今塵(ちり)で佗(わび)しく汚れていた。低い硝子戸越(ガラスどご)しには、これも自分の子供時代から忘れ得ない秋海棠(しゅうかいどう)が、変らぬ年ごとの色を淋(さみ)しく見せていた。自分はこれらの前に立って、よく秋先(あきさき)に玄関前の棗(なつめ)を、兄と共に叩(たた)き落して食った事を思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後にはすでにこれだけ無邪気な過去がずっと続いている事を発見した時、今昔の比較が自(おのず)から胸に溢(あふ)れた。そうしてこれからこの餓鬼大将(がきだいしょう)であった兄と不愉快な言葉を交換して、わが家を出なければならないという変化に想(おも)い及んだ。

        二十六

 その日自分が事務所から帰ってお重に「兄さんは」と聞くと、「まだよ」という返事を得た。
「今日はどこかへ廻る日なのかね」と重(かさ)ねて尋ねた時、お重は「どうだか知らないわ。書斎へ行って壁に貼(は)りつけてある時間表を見て来て上げましょうか」と云った。
 自分はただ兄が帰ったら教えてくれるように頼んで、誰にも会わずに室(へや)へ這入(はい)った。洋服を脱(ぬ)ぎ替えるのも面倒なので、そのまま横になって寝ているうち、いつの間にか本当の眠りに落ちた。そうして他人に説明も何もできないような複雑に変化する不安な夢に襲われていると、急にお重から起された。
「大兄(おおにい)さんがお帰りよ」
 こういう彼女の言葉が耳に這入った時、自分はすぐ起ち上がった。けれども意識は朦朧(もうろう)として、夢のつづきを歩いていた。お重は後(うしろ)から「まあ顔でも洗っていらっしゃい」と注意した。判然(はっきり)しない自分の意識は、それすらあえてする勇気を必要と感ぜしめなかった。
 自分はそのまま兄の書斎に這入った。兄もまだ洋服のままであった。彼は扉(ドア)の音を聞いて、急に入口に眼を転じた。その光のうちにはある予期を明かに示していた。彼が外出して帰ると、嫂(あによめ)が芳江を連れて、不断の和服を持って上がって来るのが、その頃の習慣であった。自分は母が嫂に「こういう風におしよ」と云いつけたのを傍(そば)にいて聞いていた事がある。自分はぼんやりしながらも、兄のこの眼附によって、和服の不断着より、嫂と芳江とを彼は待ち設けていたのだと覚(さと)った。
 自分は寝惚(ねぼ)けた心持が有ったればこそ、平気で彼の室を突然開けたのだが、彼は自分の姿を敷居の前に見て、少しも怒(いか)りの影を現さなかった。しかしただ黙って自分の背広姿(せびろすがた)を打ち守るだけで、急に言葉を出す気色(けしき)はなかった。
「兄さん、ちょっと御話がありますが……」
と、自分はついにこっちから切り出した。
「こっちへ御這入り」
 彼の言語は落ちついていた。かつこの間の事について何の介意(かいい)をも含んでいないらしく自分の耳に響いた。彼は自分のために、わざわざ一脚の椅子を己れの前へ据(す)えて、自分を麾(さしま)ねいた。
 自分はわざと腰をかけずに、椅子の背に手を載せたまま、父や母に云ったとほぼ同様の挨拶(あいさつ)を述べた。兄は尊敬すべき学者の態度で、それを静かに聞いていた。自分の単簡(たんかん)の説明が終ると、彼は嬉(うれ)しくも悲しくもない常の来客に応接するような態度で「まあそこへおかけ」と云った。
 彼は黒いモーニングを着て、あまり好い香(におい)のしない葉巻を燻(くゆ)らしていた。
「出るなら出るさ。お前ももう一人前(いちにんまえ)の人間だから」と云ってしばらく煙ばかり吐いていた。それから「しかしおれがお前を出したように皆(みん)なから思われては迷惑だよ」と続けた。「そんな事はありません。ただ自分の都合で出るんですから」と自分は答えた。
 自分の寝惚(ねぼ)けた頭はこの時しだいに冴(さ)えて来た。できるだけ早く兄の前から退(しりぞ)きたくなった結果、ふり返って室の入口を見た。
「直(なお)も芳江も今湯に這入っているようだから、誰も上がって来やしない。そんなにそわそわしないでゆっくり話すが好い、電灯でも点(つ)けて」
 自分は立ち上がって、室(へや)の内を明るくした。それから、兄の吹かしている葉巻を一本取って火を点(つ)けた。
「一本八銭だ。ずいぶん悪い煙草だろう」と彼が云った。

        二十七

「いつ出るつもりかね」と兄がまた聞いた。
「今度の土曜あたりにしようかと思ってます」と自分は答えた。
「一人出るのかい」と兄がまた聞いた。
 この奇異な質問を受けた時、自分はしばらく茫然(ぼうぜん)として兄の顔を打ち守っていた。彼がわざとこう云う失礼な皮肉を云うのか、そうでなければ彼の頭に少し変調を来(きた)したのか、どっちだか解らないうちは、自分にもどの見当(けんとう)へ打って出て好いものか、料簡(りょうけん)が定まらなかった。
 彼の言葉は平生から皮肉(ひにく)たくさんに自分の耳を襲った。しかしそれは彼の智力が我々よりも鋭敏に働き過ぎる結果で、その他に悪気のない事は、自分によく呑み込めていた。ただこの一言(いちごん)だけは鼓膜(こまく)に響いたなり、いつまでもそこでじんじん熱く鳴っていた。
 兄は自分の顔を見て、えへへと笑った。自分はその笑いの影にさえ歇斯的里性(ヒステリせい)の稲妻(いなずま)を認めた。
「無論一人で出る気だろう。誰も連れて行く必要はないんだから」
「もちろんです。ただ一人になって、少し新しい空気を吸いたいだけです」
「新しい空気はおれも吸いたい。しかし新しい空気を吸わしてくれる所は、この広い東京に一カ所もない」
 自分は半(なか)ばこの好んで孤立している兄を憐(あわ)れんだ。そうして半ば彼の過敏な神経を悲しんだ。
「ちっと旅行でもなすったらどうです。少しは晴々(せいせい)するかも知れません」
 自分がこう云った時、兄はチョッキの隠袋(かくし)から時計を出した。
「まだ食事の時間には少し間があるね」と云いながら、彼は再び椅子(いす)に腰を落ちつけた。そうして「おい二郎もうそうたびたび話す機会もなくなるから、飯ができるまでここで話そうじゃないか」と自分の顔を見た。
 自分は「ええ」と答えたが、少しも尻(しり)は坐(すわ)らなかった。その上何も話す種がなかった。すると兄が突然「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。
 兄の説明によると、パオロと云うのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の眼を忍んで、互に慕(した)い合った結果、とうとう夫に見つかって殺されるという悲しい物語りで、ダンテの神曲の中とかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持について、一種厭(いや)な疑念を挟(さしは)さんだ。兄は臭(くさ)い煙草の煙の間から、始終(しじゅう)自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利(イタリー)の物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。
「二郎、なぜ肝心(かんじん)な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」
 自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七(さんかつはんしち)見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。
「おれはこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸(かも)した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経(ふ)るに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄(す)てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺戟(しげき)するように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だと云って咎(とが)める。しかしそれはその事情の起った瞬間を治めるための道義に駆(か)られた云わば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」

        二十八

 自分は年輩から云っても性格から云っても、平生なら兄の説に手を挙(あ)げて賛成するはずであった。けれどもこの場合、彼がなぜわざわざパオロとフランチェスカを問題にするのか、またなぜ彼ら二人が永久に残る理由(いわれ)を、物々しく解説するのか、その主意が分らなかったので、自然の興味は全く不快と不安の念に打ち消されてしまった。自分は奥歯に物の挟(はさ)まったような兄の説明を聞いて、必竟(ひっきょう)それがどうしたのだという気を起した。
「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」
 自分は何とも云わなかった。
「ところがおれは一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ」
 自分はそれでも返事をしなかった。
「相撲(すもう)の手を習っても、実際力のないものは駄目だろう。そんな形式に拘泥(こうでい)しないでも、実力さえたしかに持っていればその方がきっと勝つ。勝つのは当り前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂力(りょりょく)は自然の賜物(たまもの)だ。……」
 兄はこういう風に、影を踏んで力(りき)んでいるような哲学をしきりに論じた。そうして彼の前に坐(すわ)っている自分を、気味の悪い霧で、一面に鎖(とざ)してしまった。自分にはこの朦朧(もうろう)たるものを払い退(の)けるのが、太い麻縄(あさなわ)を噛(か)み切るよりも苦しかった。
「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとするつもりだろう」と彼は最後に云った。
 自分は癇癪持(かんしゃくもち)だけれども兄ほど露骨に突進はしない性質であった。ことさらこの時は、相手が全然正気なのか、または少し昂奮(こうふん)し過ぎた結果、精神に尋常でない一種の状態を引き起したのか、第一その方を懸念(けねん)しなければならなかった。その上兄の精神状態をそこに導いた原因として、どうしても自分が責任者と目指されているという事実を、なおさら苛(つら)く感じなければならなかった。
 自分はとうとうしまいまで一言(いちごん)も云わずに兄の言葉を聞くだけ聞いていた。そうしてそれほど疑ぐるならいっそ嫂(あによめ)を離別したら、晴々(せいせい)して好かろうにと考えたりした。
 ところへその嫂が兄の平生着(ふだんぎ)を持って、芳江の手を引いて、例のごとく階段を上(あが)って来た。
 扉(ドア)の敷居に姿を現した彼女は、風呂から上りたてと見えて、蒼味(あおみ)の注(さ)した常の頬に、心持の好いほど、薄赤い血を引き寄せて、肌理(きめ)の細かい皮膚に手触(てざわり)を挑(いど)むような柔らかさを見せていた。
 彼女は自分の顔を見た。けれども一言(ひとこと)も自分には云わなかった。
「大変遅くなりました。さぞ御窮屈でしたろう。あいにく御湯へ這入(はい)っていたものだから、すぐ御召(おめし)を持って来る事ができなくって」
 嫂はこう云いながら兄に挨拶(あいさつ)した。そうして傍(そば)に立っていた芳江に、「さあお父さんに御帰り遊ばせとおっしゃい」と注意した。芳江は母の命令(いいつけ)通り「御帰り」と頭を下げた。
 自分は永らくの間、嫂が兄に対してこれほど家庭の夫人らしい愛嬌(あいきょう)を見せた例(ためし)を知らなかった。自分はまたこの愛嬌に対して柔(やわら)げられた兄の気分が、彼の眼に強く集まった例も知らなかった。兄は人の手前極(きわ)めて自尊心の強い男であった。けれども、子供のうちから兄といっしょに育った自分には、彼の脳天を動きつつある雲の往来(ゆきき)がよく解った。
 自分は助け船が不意に来た嬉(うれ)しさを胸に蔵(かく)して兄の室(へや)を出た。出る時嫂は一面識もない眼下のものに挨拶でもするように、ちょっと頭を下げて自分に黙礼をした。自分が彼女からこんな冷淡な挨拶を受けたのもまた珍らしい例であった。

        二十九

 二三日してから自分はとうとう家を出た。父や母や兄弟の住む、古い歴史をもった家を出た。出る時はほとんど何事をも感じなかった。母とお重が別れを惜(おし)むように浮かない顔をするのが、かえって厭(いや)であった。彼らは自分の自由行動をわざと妨げるように感ぜられた。
 嫂(あによめ)だけは淋(さみ)しいながら笑ってくれた。
「もう御出掛。では御機嫌(ごきげん)よう。またちょくちょく遊びにいらっしゃい」
 自分は母やお重の曇った顔を見た後(あと)で、この一口の愛嬌を聞いた時、多少の愉快を覚えた。
 自分は下宿へ移ってからも有楽町の事務所へ例の通り毎日通(かよ)っていた。自分をそこへ周旋してくれたものは、例の三沢であった。事務所の持主は、昔三沢の保証人をしていた(兄の同僚の)Hの叔父に当(あた)る人であった。この人は永らく外国にいて、内地でも相応に経験を積んだ大家であった。胡麻塩頭(ごましおあたま)の中へ指を突っ込んで、むやみに頭垢(ふけ)を掻き落す癖があるので、差(さ)し向(むかい)の間に火鉢(ひばち)でも置くと、時々火の中から妙な臭(におい)を立てさせて、ひどく相手を弱らせる事があった。
「君の兄さんは近来何を研究しているか」などとたびたび自分に聞いた。自分は仕方なしに、「何だか一人で書斎に籠(こも)ってやってるようです」と極(きわ)めて大体な答えをするのを例のようにしていた。
 梧桐(あおぎり)が坊主になったある朝、彼は突然自分を捕(とら)えて、「君の兄さんは近頃どうだね」とまた聞いた。こう云う彼の質問に慣れ切っていた自分も、その時ばかりは余りの不意打にちょっと返事を忘れた。
「健康はどうだね」と彼はまた聞いた。
「健康はあまり好い方じゃないです」と自分は答えた。
「少し気をつけないといけないよ。あまり勉強ばかりしていると」と彼は云った。
 自分は彼の顔を打ち守って、そこに一種の真面目(まじめ)な眉(まゆ)と眼の光とを認めた。
 自分は家を出てから、まだ一遍しか家(うち)へ行かなかった。その折そっと母を小蔭(こかげ)に呼んで、兄の様子を聞いて見たら「近頃は少し好いようだよ。時々裏へ出て芳江をブランコに載せて、押してやったりしているからね。……」
 自分はそれで少しは安心した。それぎり宅(うち)の誰とも顔を合わせる機会を拵(こしら)えずに今日(こんにち)まで過ぎたのである。
 昼の時間に一品料理を取寄せて食っていると、B先生(事務所の持主)がまた突然「君はたしか下宿したんだったね」と聞いた。自分はただ簡単に「ええ」と答えておいた。
「なぜ。家の方が広くって便利だろうじゃないか。それとも何か面倒な事でもあるのかい」
 自分はぐずついてすこぶる曖昧(あいまい)な挨拶(あいさつ)をした。その時呑(の)み込んだ麺麭(パン)の一片(いっぺん)が、いかにも水気がないように、ぱさぱさと感ぜられた。
「しかし一人の方がかえって気楽かも知れないね。大勢ごたごたしているよりも。――時に君はまだ独身だろう、どうだ早く細君でももっちゃ」
 自分はB先生のこの言葉に対しても、平生の通り気楽な答ができなかった。先生は「今日は君いやに意気銷沈(いきしょうちん)しているね」と云ったぎり話頭を転じて、他(ほか)のものと愚にもつかない馬鹿話を始め出した。自分は自分の前にある茶碗の中に立っている茶柱を、何かの前徴のごとく見つめたぎり、左右に起る笑い声を聞くともなく、また聞かぬでもなく、黙然(もくねん)と腰をかけていた。そうして心の裡(うち)で、自分こそ近頃神経過敏症に罹(かか)っているのではなかろうかと不愉快な心配をした。自分は下宿にいてあまり孤独なため、こう頭に変調を起したのだと思いついて、帰ったら久しぶりに三沢の所へでも話に行こうと決心した。

        三十

 その晩三沢の二階に案内された自分は、気楽そうに胡坐(あぐら)をかいた彼の姿を見て羨(うらや)ましい心持がした。彼の室(へや)は明るい電灯と、暖かい火鉢(ひばち)で、初冬(はつふゆ)の寒さから全然隔離されているように見えた。自分は彼の痼疾(こしつ)が秋風の吹き募(つの)るに従って、漸々(ぜんぜん)好い方へ向いて来た事を、かねてから彼の色にも姿にも知った。けれども今の自分と比較して、彼がこうゆったり構えていようとは思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院を憶(おも)い起すと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換えたと一般であった。
 彼はつい近頃父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまず己(おの)れを後(のち)にするという好意からか、もしくは贅沢(ぜいたく)な択好(よりごの)みからか、せっかくの位置を自分に譲ってくれた。
 自分は電灯で照された彼の室を見廻して、その壁を隙間(すきま)なく飾っている風雅なエッチングや水彩画などについて、しばらく彼と話し合った。けれどもどういうものか、芸術上の議論は十分経(た)つか経たないうちに自然と消えてしまった。すると三沢は突然自分に向って、「時に君の兄さんだがね」と云い出した。自分はここでもまた兄さんかと驚いた。
「兄がどうしたって?」
「いや別にどうしたって事もないが……」
 彼はこれだけ云ってただ自分の顔を眺めていた。自分は勢い彼の言葉とB先生の今朝の言葉とを胸の中(うち)で結びつけなければならなかった。
「そう半分でなく、話すなら皆(みん)な話してくれないか。兄がいったいどうしたと云うんだ。今朝もB先生から同じような事を聞かれて、妙な気がしているところだ」
 三沢は焦烈(じれ)ったそうな自分の顔をなお懇気(こんき)に見つめていたが、やがて「じゃ話そう」と云った。
「B先生の話も僕のもやっぱり同じHさんから出たのだろうと思うがね。Hさんのはまた学生から出たのだって云ったよ。何でもね、君の兄さんの講義は、平生から明瞭(めいりょう)で新しくって、大変学生に気受(きうけ)が好いんだそうだが、その明瞭な講義中に、やはり明瞭ではあるが、前後とどうしても辻褄(つじつま)の合わない所が一二箇所出て来るんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰返して、そこを説明しようとするが、どうしても解らないんだそうだ。しまいに手を額へ当てて、どうも近来頭が少し悪いもんだから……とぼんやり硝子窓(ガラスまど)の外を眺めながら、いつまでも立っているんで、学生も、そんならまたこの次にしましょうと、自分の方で引き下がった事が、何でも幾遍もあったと云う話さ。Hさんは僕に今度長野(自分の姓)に逢(あ)ったら、少し注意して見るが好い。ことによると烈(はげ)しい神経衰弱なのかも知れないからって云ったが、僕もとうとうそれなり忘れてしまって、今君の顔を見るまで実は思い出せなかったのだ」
「そりゃいつ頃の事だ」と自分はせわしなく聞いた。
「ちょうど君の下宿する前後の事だと思っているが、判然(はっきり)した事は覚えていない」
「今でもそうなのか」
 三沢は自分の思い逼(せま)った顔を見て、慰めるように「いやいや」と云った。
「いやいやそれはほんに一時的の事であったらしい。この頃では全然平生と変らなくなったようだと、Hさんが二三日(にさんち)前僕に話したから、もう安心だろう。しかし……」
 自分は家(うち)を出た時に自分の胸に刻み込んだ兄との会見を思わず憶(おも)い出した。そうしてその折の自分の疑いが、あるいは学校で証明されたのではなかろうかと考えて、非常に心細くかつ恐ろしく感じた。

        三十一

 自分は力(つと)めて兄の事を忘れようとした。するとふと大阪の病院で三沢から聞いた精神病の「娘さん」を聯想(れんそう)し始めた。
「あのお嬢さんの法事には間に合ったのかね」と聞いて見た。
「間に合った。間に合ったが、実にあの娘さんの親達は失敬な厭(いや)な奴(やつ)だ」と彼は拳骨(げんこつ)でも振り廻しそうな勢いで云った。自分は驚いてその理由を聞いた。
 彼はその日三沢家を代表して、築地の本願寺の境内(けいだい)とかにある菩提所(ぼだいしょ)に参詣(さんけい)した。薄暗い本堂で長い読経(どきょう)があった後、彼も列席者の一人として、一抹(いちまつ)の香を白い位牌(いはい)の前に焚(た)いた。彼の言葉によると、彼ほどの誠をもって、その若く美しい女の霊前に額(ぬか)ずいたものは、彼以外にほとんどあるまいという話であった。
「あいつらはいくら親だって親類だって、ただ静かなお祭りでもしている気になって、平気でいやがる。本当に涙を落したのは他人のおれだけだ」
 自分は三沢のこういう憤慨を聞いて、少し滑稽(こっけい)を感じたが、表ではただ「なるほど」と肯(うけ)がった。すると三沢は「いやそれだけなら何も怒りゃしない。しかし癪(しゃく)に障(さわ)ったのはその後(あと)だ」
 彼は一般の例に従って、法要の済んだ後(あと)、寺の近くにある或る料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対して談(はなし)をするうちに妙に引っ掛って来た。何の悪意もない彼には、最初いっこうその当こすりが通じなかったが、だんだん時間の進むに従って、彼らの本旨(ほんし)がようやく分って来た。
「馬鹿にもほどがあるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」
「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」と自分が云った。
「誤解?」と彼は大きな声を出した。自分は仕方なしに黙った。彼はしきりにその親達の愚劣な点を述べたててやまなかった。その女の夫となった男の軽薄を罵(のの)しって措(お)かなかった。しまいにこう云った。
「なぜそんなら始めから僕にやろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当(めあて)にして……」
「いったい君は貰(もら)いたいと申し込んだ事でもあるのか」と自分は途中で遮(さえぎ)った。
「ないさ」と彼は答えた。
「僕がその娘さんに――その娘さんの大きな潤(うるお)った眼が、僕の胸を絶えず往来(ゆきき)するようになったのは、すでに精神病に罹(かか)ってからの事だもの。僕に早く帰って来てくれと頼み始めてからだもの」
 彼はこう云って、依然としてその女の美しい大(おおき)な眸(ひとみ)を眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒(おか)しても、愚劣な親達の手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己(おの)れの懐(ふところ)で暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺(あたり)に現れた。
 自分の想像は、この時その美しい眼の女よりも、かえって自分の忘れようとしていた兄の上に逆戻りをした。そうしてその女の精神に祟(たた)った恐ろしい狂いが耳に響けば響くほど、兄の頭が気にかかって来た。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違ないと断言した。精神病で心の憚(はばかり)が解けたからだとその理由までも説明した。兄はことによると、嫂(あによめ)をそういう精神病に罹(かか)らして見たい、本音を吐かせて見たい、と思ってるかも知れない。そう思っている兄の方が、傍(はた)から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分の方から恐ろしい言葉を家中に響かせて狂い廻らないとも限らない。
 自分は三沢の顔などを見ている暇をもたなかった。

        三十二

 自分はかねて母から頼まれて、この次もし三沢の所へ行ったら、彼にお重を貰う気があるか、ないか、それとなく彼の様子を探って来るという約束をした。しかしその晩はどうしてもそういう元気が出なかった。自分の心持を了解しない彼は、かえって自分に結婚を勧めてやまなかった。自分の頭はまたそれに対して気乗(きのり)のした返事をするほど、穏かに澄んでいなかった。彼は折を見て、ある候補者を自分に紹介すると云った。自分は生返事をして彼の家を出た。外は十文字に風が吹いていた。仰ぐ空には星が粉(こ)のごとくささやかな力を集めて、この風に抵抗しつつ輝いた。自分は佗(わび)しい胸の上に両手を当てて下宿へ帰った。そうして冷たい蒲団(ふとん)の中にすぐ潜(もぐ)り込んだ。
 それから二三日(にさんち)しても兄の事がまだ気にかかったなり、頭がどうしても自分と調和してくれなかった。自分はとうとう番町へ出かけて行った。直接兄に会うのが厭(いや)なので、二階へはとうとう上(あが)らなかったが、母を始め他(ほか)の者には無沙汰見舞(ぶさたみまい)の格で、何気なく例の通りの世間話をした。兄を交えない一家の団欒(だんらん)はかえって寛(くつろ)いだ暖かい感じを自分に与えた。
 自分は帰り際(ぎわ)に、母をちょっと次の間へ呼んで、兄の近況を聞いて見た。母はこの頃兄の神経がだいぶ落ちついたと云って喜んでいた。自分は母の一言(いちごん)でやっと安心したようなものの、母には気のつかない特殊の点に、何だか変調がありそうで、かえってそれが気がかりになった。さればと云って、兄に会って自分から彼を試験しようという勇気は無論起し得なかった。三沢から聞いた兄の講義が一時変になった話も母には告げ得なかった。
 自分は何も云う事のないのに、ぼんやり暗い部屋の襖(ふすま)の蔭(かげ)に寒そうに立っていた。母も自分に対してそこを動かなかった。その上彼女の方から自分に何かいう必要を認めるように見えた。
「もっともこの間少し風邪(かぜ)を引いた時、妙な囈語(うわごと)を云ったがね」と云った。
「どんな事を云いました」と自分は聞いた。
 母はそれには答えないで、「なに熱のせいだから、心配する事はないんだよ」と自分の問を打ち消した。
「熱がそんなに有ったんですか」と自分はさらに別の事を尋ねた。
「それがね、熱は三十八度か八度五分ぐらいなんだから、そんなはずはないと思って、お医者に聞いて見ると、神経衰弱のものは少しの熱でも頭が変になるんだってね」
 医学の初歩さえ心得ない自分は始めてこの知識に接して、思わず眉(まゆ)をひそめた。けれども室(へや)が暗いので、母には自分の顔が見えなかった。
「でも氷で頭を冷したら、そのお蔭で熱がすぐ引いたんで安心したけれど……」
 自分は熱の引かない時の兄が、どんな囈語を云ったか、それがまだ知りたいので、薄ら寒い襖の蔭に依然として立っていた。
 次の間(ま)は電灯で明るく照されていた。父が芳江に何か云って調戯(からか)うたびに、みんなの笑う声が陽気に聞こえた。すると突然その笑い声の間から、「おい二郎」と父が自分を呼んだ。
「おい二郎、また御母さんに小遣(こづかい)でも強請(せび)ってるんだろう。お綱、お前みたように、そうむやみに二郎の口車に乗っちゃいけないよ」と大きな声で云った。
「いいえそんな事じゃありません」と自分も大きな声で負けずに答えた。
「じゃ何だい、そんな暗い所で、こそこそ御母さんを取(と)っ捉(つら)まえて話しているのは。おい早く光(あか)るい所へ面(つら)を出せ」
 父がこう云った時、明るい室(へや)の方に集まったものは一度にどっと笑った。自分は母から聞きたい事も聞かずに、父の命令通り、はいと云って、皆(みん)なの前へ姿をあらわした。

        三十三

 それからしばらくの間は、B先生の顔を見ても、三沢の所へ遊びに行っても、兄の話はいっこう話題に上(のぼ)らなかった。自分は少し安心した。そうしてなるべく家(うち)の事を忘れようと試みた。しかし下宿の徒然(とぜん)に打ち勝たれるのが何より苦しいので、よく三沢の時間を潰(つぶ)しにこっちから押し寄せたり、また引っ張り出したりした。
 三沢は厭(あ)きずにいつまでも例の精神病の娘さんの話をした。自分はこの異様なおのろけを聞くたびに、きっと兄と嫂(あによめ)の事を連想して自(おのず)から不快になった。それで、時々またかという様子を色にも言葉にも表わした。三沢も負けてはいなかった。
「君も君のおのろけを云えば、それで差引損得なしじゃないか」などと自分を冷かした。自分はもうちっとで彼と往来で喧嘩(けんか)をするところであった。
 彼にはこういう風に、精神病の娘さんが、影身(かげみ)に添って離れないので、自分はかねて母から頼まれたお重の事を彼に話す余地がなかった。お重の顔は誰が見ても、まあ十人並以上だろうと、仲の善(よ)くない自分にも思えたが、惜(おし)い事に、この大切な娘さんとは、まるで顔の型が違っていた。
 自分の遠慮に引き換えて、彼は平気で自分に嫁の候補者を推挙した。「今度(こんだ)どこかでちょっと見て見ないか」と勧めた事もあった。自分は始めこそ生(なま)返事ばかりしていたが、しまいは本気にその女に会おうと思い出した。すると三沢は、まだ機会が来ないから、もう少し、もう少し、と会見の日を順繰(じゅんぐり)に先へ送って行くので、自分はまた気を腐らした末、ついにその女の幻(まぼろし)を離れてしまった。
 反対に、お貞さんの方の結婚はいよいよ事実となって現(あらわ)るべく、目前に近(ちかづ)いて来た。お貞さんは相応の年をしている癖に、宅中(うちじゅう)で一番初心(うぶ)な女であった。これという特色はないが、何を云っても、じき顔を赤くするところに変な愛嬌(あいきょう)があった。
 自分は三沢と夜更(よふけ)に寒い町を帰って来て、下宿の冷たい夜具に潜(もぐ)り込みながら、時々お貞さんの事を思い出した。そうして彼女もこんな冷たい夜具を引き担(かつ)ぎながら、今頃は近い未来に逼(せま)る暖かい夢を見て、誰も気のつかない笑い顔を、半(なか)ば天鵞絨(びろうど)の襟(えり)の裡(なか)に埋(うず)めているだろうなどと想像した。
 彼女の結婚する二三日前に、岡田と佐野は、氷を裂くような汽車の中から身を顫(ふる)わして新橋の停車場(ステーション)に下りた。彼は迎えに出た自分の顔を見て、いようという掛声(かけごえ)をした。それから「相変らず二郎さんは呑気(のんき)だね」と云った。岡田は己(おの)れの呑気さ加減を自覚しない男のようにも思われた。
 翌日番町へ行ったら、岡田一人のために宅中(うちじゅう)騒々しく賑(にぎわ)っていた。兄もほかの事と違うという意味か、別に苦(にが)い顔もせずに、その渦中(かちゅう)に捲込(まきこ)まれて黙っていた。
「二郎さん、今になって下宿するなんて、そんな馬鹿がありますか、家(うち)が淋(さび)しくなるだけじゃありませんか。ねえお直(なお)さん」と彼は嫂(あによめ)に話しかけた。この時だけは嫂もさすが変な顔をして黙っていた。自分も何とも云いようがなかった。兄はかえって冷然とすべてに取り合わない気色(けしき)を見せた。岡田はすでに酔って何事にも拘泥(こうでい)せずへらへら口を動かした。
「もっとも一郎さんも善くないと僕は思いますよ。そうあなた、書斎にばかり引っ込んで勉強していたって、つまらないじゃありませんか。もうあなたぐらい学問をすれば、どこへ出たって引けを取るんじゃないんだからね。しかし二郎さん始め、お直さんや叔母さんも好くないようですね。一郎は書斎よりほかは嫌いだ嫌いだって云っときながら、僕が来てこう引っ張り出せば、訳なく二階から下りて来て、僕と面白そうに話してくれるじゃありませんか。そうでしょう一郎さん」
 彼はこう云って兄の方を見た。兄は黙って苦笑(にがわら)いをした。
「ねえ叔母さん」
 母も黙っていた。
「ねえお重さん」
 彼は返事を受けるまで順々に聞いて廻るらしかった。お重はすぐ「岡田さん、あなたいくら年を取っても饒舌(しゃべ)る病気が癒(なお)らないのね。騒々しいわよ」と云った。それで皆(みん)なが笑い出したので、自分はほっと一(ひ)と息(いき)吐(つ)いた。

        三十四

 芳江が「叔父さんちょっといらっしゃい」と次の間から小さな手を出して自分を招いた。「何だい」と立って行くと彼女はどこからか、大きな信玄袋(しんげんぶくろ)を引摺(ひきず)り出して、「これお貞さんのよ、見せたげましょうか」と自慢らしく自分を見た。
 彼女は信玄袋の中から天鵞絨(びろうど)で張った四角な箱を出した。自分はその中にある真珠の指環を手に取って、ふんと云いながら眺めた。芳江は「これもよ」と云って、今度は海老茶色(えびちゃいろ)のを出したが、これは自分が洗濯その他(た)の世話になった礼に買ってやった宝石なしの単純な金の指環であった。彼女はまた「これもよ」と云って、繻珍(しゅちん)の紙入を出した。その紙入には模様風に描いた菊の花が金で一面に織り出されていた。彼女はその次に比較的大きくて細長い桐(きり)の箱を出した。これは金と赤銅(しゃくどう)と銀とで、蔦(つた)の葉を綴(つづ)った金具の付いている帯留(おびどめ)であった。最後に彼女は櫛(くし)と笄(こうがい)を示して、「これ卵甲(らんこう)よ。本当の鼈甲(べっこう)じゃないんだって。本当の鼈甲は高過ぎるからおやめにしたんですって」と説明した。自分には卵甲という言葉が解らなかった。芳江には無論解らなかった。けれども女の子だけあって、「これ一番安いのよ。四方張(しほうばり)よか安いのよ。玉子の白味で貼(は)り付けるんだから」と云った。「玉子の白味でどこをどう貼り付けるんだい」と聞くと、彼女は、「そんな事知らないわ」と取り済ました口の利(き)き方(かた)をして、さっさと信玄袋を引き摺(ず)って次の間へ行ってしまった。
 自分は母からお貞さんの当日着る着物を見せて貰った。薄紫がかった御納戸(おなんど)の縮緬(ちりめん)で、紋(もん)は蔦、裾(すそ)の模様は竹であった。
「これじゃあまり閑静(かんせい)過ぎやしませんか、年に合わして」と自分は母に聞いて見た。母は「でもねあんまり高くなるから」と答えた。そうして「これでも御前二十五円かかったんだよ」とつけ加えて、無知識な自分を驚かした。地(じ)は去年の春京都の織屋が背負(しょ)って来た時、白のまま三反ばかり用意に買っておいて、この間まで箪笥(たんす)の抽出(ひきだし)にしまったなり放(ほう)ってあったのだそうである。
 お貞さんは一座の席へ先刻(さっき)から少しも顔を出さなかった。自分はおおかたきまりが悪いのだろうと想像して、そのきまりの悪いところを、ここで一目見たいと思った。
「お貞さんはどこにいるんです」と母に聞いた。すると兄が「ああ忘れた。行く前にちょっとお貞さんに話があるんだった」と云った。
 みんな変な顔をしたうちに、嫂(あによめ)の唇(くちびる)には著るしい冷笑の影が閃(ひら)めいた。兄は誰にも取合う気色(けしき)もなく、「ちょっと失敬」と岡田に挨拶(あいさつ)して、二階へ上がった。その足音が消えると間もなく、お貞さんは自分達のいる室(へや)の敷居際(しきいぎわ)まで来て、岡田に叮嚀(ていねい)な挨拶をした。
 彼女は「さあどうぞ」と会釈(えしゃく)する岡田に、「今ちょっと御書斎まで参らなければなりませんから、いずれのちほど」と答えて立ち上がった。彼女の上気したようにほっと赤くなった顔を見た一座のものは、気の毒なためか何だか、強(し)いて引きとめようともしなかった。
 兄の二階へ上がる足音はそれほど強くはなかったが、いつでも上履(スリッパー)を引掛けているため、ぴしゃぴしゃする響が、下からよく聞こえた。お貞さんのは素足の上に、女のつつましやかな気性(きしょう)をあらわすせいか、まるで聴(き)き取れなかった。戸を開けて戸を閉じる音さえ、自分の耳には全く這入(はい)らなかった。
 彼ら二人はそこで約三十分ばかり何か話していた。その間嫂は平生の冷淡さに引き換えて、尋常(なみ)のものより機嫌(きげん)よく話したり笑ったりした。けれどもその裏に不機嫌を蔵(かく)そうとする不自然の努力が強く潜在している事が自分によく解った。岡田は平気でいた。
 自分は彼女が兄と会見を終って、自分達の室(へや)の横を通る時、その足音を聞きつけて、用あり気に不意と廊下へ出た。ばったり出逢(であ)った彼女の顔は依然として恥ずかしそうに赤く染(そま)っていた。彼女は眼を俯(ふ)せて、自分の傍(そば)を擦(す)り抜けた。その時自分は彼女の瞼(まぶた)に涙の宿った痕迹(こんせき)をたしかに認めたような気がした。けれども書斎に入(い)った彼女が兄と差向いでどんな談話をしたか、それはいまだに知る事を得ない。自分だけではない、その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う。

        三十五

 自分は親戚の片割(かたわれ)として、お貞さんの結婚式に列席するよう、父母から命ぜられていた。その日はちょうど雨がしょぼしょぼ降って、婚礼には似合しからぬ佗(わ)びしい天気であった。いつもより早く起きて番町へ行って見ると、お貞さんの衣裳(いしょう)が八畳の間に取り散らしてあった。
 便所へ行った帰りに風呂場の口を覗(のぞ)いて見たら、硝子戸(ガラスど)が半分開(あ)いて、その中にお貞さんのお化粧をしている姿がちらりと見えた。それから「あらそこへ障(さわ)っちゃ厭(いや)ですよ」という彼女の声が聞こえた。芳江は面白半分何か悪戯(いたずら)をすると見えた。自分も芳江の真似(まね)をやろうと思ったが、場合が場合なのでつい遠慮して茶の間へ戻った。
 しばらくしてから、また八畳へ出て見ると、みんながお召換(めしかえ)をやっていた。芳江が「あのお貞さんは手へも白粉(おしろい)を塗(つ)けたのよ」と大勢に吹聴(ふいちょう)していた。実を云うと、お貞さんは顔よりも手足の方が赤黒かったのである。
「大変真白になったな。亭主を欺瞞(だま)すんだから善(よ)くない」と父が調戯(からか)っていた。
「あしたになったら旦那様(だんなさま)がさぞ驚くでしょう」と母が笑った。お貞さんも下を向いて苦笑した。彼女は初めて島田に結った。それが予期できなかった斬新(ざんしん)の感じを自分に与えた。
「この髷(まげ)でそんな重いものを差したらさぞ苦しいでしょうね」と自分が聞くと、母は「いくら重くっても、生涯(しょうがい)に一度はね……」と云って、己(おの)れの黒紋付(くろもんつき)と白襟(しろえり)との合い具合をしきりに気にしていた。お貞さんの帯は嫂(あによめ)が後へ廻って、ぐっと締めてやった。
 兄は例の臭(くさ)い巻煙草(まきたばこ)を吹かしながら広い縁側(えんがわ)をあちらこちらと逍遥(しょうよう)していた。彼はこの結婚に、まるで興味をもたないような、また彼一流の批評を心の中に加えているような、判断のでき悪(にく)い態度をあらわして、時々我々のいる座敷を覗(のぞ)いた。けれどもちょっと敷居際(しきいぎわ)にとまるだけでけっして中へは這入(はい)らなかった。「仕度(したく)はまだか」とも催促しなかった。彼はフロックに絹帽(シルクハット)を被(かぶ)っていた。
 いよいよ出る時に、父は一番綺麗な俥(くるま)を択(よ)って、お貞さんを乗せてやった。十一時に式があるはずのところを少し時間が後(おく)れたため岡田は太神宮の式台へ出て、わざわざ我々を待っていた。皆(みん)ながどやどやと一度に控所に這入ると、そこにはお婿(むこ)さんがただ一人質に取られた置物のように椅子(いす)へ腰をかけていた。やがて立ち上がって、一人一人に挨拶(あいさつ)をするうちに、自分は控所にある洋卓(テーブル)やら、絨氈(じゅうたん)やら、白木(しらき)の格天井(ごうてんじょう)やらを眺めた。突き当りには御簾(みす)が下りていて、中には何か在(あ)るらしい気色(けしき)だけれども、奥の全く暗いため何物をも髣髴(ほうふつ)する事ができなかった。その前には鶴と浪(なみ)を一面に描いためでたい一双の金屏風(きんびょうぶ)が立て廻してあった。
 縁女(えんじょ)と仲人(なこうど)の奥さんが先、それから婿と仲人の夫、その次へ親類がつづくという順を、袴(はかま)羽織(はおり)の男が出て来て教えてくれたが、肝腎(かんじん)の仲人たるべき岡田はお兼さんを連れて来なかったので、「じゃはなはだ御迷惑だけど、一郎さんとお直(なお)さんに引き受けていただきましょうか、この場限(かぎ)り」と岡田が父に相談した。父は簡単に「好かろうよ」と答えた。嫂(あによめ)は例のごとく「どうでも」と云った。兄も「どうでも」と云ったが、後(あと)から、「しかし僕らのような夫婦が媒妁人(ばいしゃくにん)になっちゃ、少し御両人のために悪いだろう」と付け足した。
「悪いなんて――僕がするより名誉でさあね。ねえ二郎さん」と岡田が例のごとく軽い調子で云った。兄は何やらその理由を述べたいらしい気色(けしき)を見せたが、すぐ考え直したと見えて、「じゃ生れて初めての大役を引き受けて見るかな。しかし何にも知らないんだから」と云うと、「何向うで何もかも教えてくれるから世話はない。お前達は何もしないで済むようにちゃんと拵(こしら)えてあるんだ」と父が説明した。

        三十六

 反橋(そりはし)を渡る所で、先の人が何かに支(つか)えて一同ちょっととまった機会を利用して、自分はそっと岡田のフロックの尻を引張った。
「岡田さんは実に呑気(のんき)だね」と云った。
「なぜです」
 彼は自ら媒妁人(ばいしゃくにん)をもって任じながら、その細君を連れて来ない不注意に少しも気がついていないらしかった。自分から呑気の訳を聞いた時、彼は苦笑して頭を掻(か)きながら、「実は伴(つ)れて来(き)ようと思ったんですがね、まあどうかなるだろうと思って……」と答えた。
 反橋を降りて奥へ這入(はい)ろうという入口の所で、花嫁は一面に張り詰められた鏡の前へ坐(すわ)って、黒塗の盥(たらい)の中で手を洗っていた。自分は後(うしろ)から背延(せいのび)をして、お貞さんの姿を見た時、なるほどこれで列が後(おく)れるんだなと思うと同時に吹き出したくなった。せっかく丹精して塗り立てた彼女の手も、この神聖な一杓(ひとしゃく)の水で、無残(むざん)に元のごとく赤黒くされてしまったのである。
 神殿の左右には別室があった。その右の方へ兄が佐野さんを伴れて這入った。その左の方へ嫂(あによめ)がお貞さんを伴れて這入った。それが左右から出て来て着座するのを見ると、兄夫婦は真面目な顔をして向い合せに坐っていた。花嫁花婿も無論の事、謹(つつし)んだ姿で相対していた。
 式壇を正面に、後(うしろ)の方にずらりと並んだ父だの母だの自分達は、この二様の意味をもった夫婦と、絵の具で塗り潰(つぶ)した綺麗(きれい)な太鼓と、何物を中に蔵(かく)しているか分らない、御簾(みす)を静粛に眺めた。
 兄は腹のなかで何を考えているか、よそ目から見ると、尋常と変るところは少しもなかった。嫂(あによめ)は元より取(と)り繕(つくろ)った様子もなく、自然そのままに取り済ましていた。
 彼らはすでに過去何年かの間に、夫婦という社会的に大切な経験を彼らなりに甞(な)めて来た、古い夫婦であった。そうして彼らの甞めた経験は、人生の歴史の一部分として、彼らに取っては再びしがたい貴(たっと)いものであったかも知れない。けれどもどっちから云っても、蜜(みつ)に似た甘いものではなかったらしい。この苦(にが)い経験を有する古夫婦が、己(おの)れ達のあまり幸福でなかった運命の割前を、若い男と若い女の頭の上に割りつけて、また新しい不仕合な夫婦を作るつもりなのかしらん。
 兄は学者であった。かつ感情家であった。その蒼白(あおじろ)い額の中にあるいはこのくらいな事を考えていたかも知れない。あるいはそれ以上に深い事を考えていたかも知れない。あるいはすべての結婚なるものを自(みずか)ら呪詛(じゅそ)しながら、新郎と新婦の手を握らせなければならない仲人(なこうど)の喜劇と悲劇とを同時に感じつつ坐(すわ)っていたかも知れない。
 とにかく兄は真面目(まじめ)に坐っていた。嫂も、佐野さんも、お貞さんも、真面目に坐っていた。そのうち式が始まった。巫女(みこ)の一人が、途中から腹痛で引き返したというので介添(かいぞえ)がその代りを勤めた。
 自分の隣に坐っていたお重が「大兄さんの時より淋しいのね」と私語(ささや)いた。その時は簫(しょう)や太鼓を入れて、巫女の左右に入れ交(か)う姿も蝶(ちょう)のように翩々(ひらひら)と華麗(はなやか)に見えた。
「御前の嫁に行く時は、あの時ぐらい賑(にぎや)かにしてやるよ」と自分はお重に云った。お重は笑っていた。
 式が済んでみんなが控所へ帰った時、お貞さんは我々が立っているのに、わざわざ絨氈(じゅうたん)の上に手を突いて、今まで厄介になった礼を丁寧(ていねい)に述べた。彼女の眼には淋(さび)しそうな涙がいっぱい溜(たま)っていた。
 新夫婦と岡田は昼の汽車で、すぐ大阪へ向けて立った。自分は雨のプラットフォームの上で、二三日箱根あたりで逗留(とうりゅう)するはずのお貞さんを見送った後(あと)、父や兄に別れて独(ひと)り自分の下宿へ帰った。そうして途々(みちみち)自分にも当然番の廻ってくるべき結婚問題を人生における不幸の謎(なぞ)のごとく考えた。

        三十七

 お貞さんが攫(さら)われて行くように消えてしまった後の宅(うち)は、相変らずの空気で包まれていた。自分の見たところでは、お貞さんが宅中(うちじゅう)で一番の呑気(のんき)ものらしかった。彼女は永年世話になった自分の家に、朝夕(あさゆう)箒(ほうき)を執(と)ったり、洗(あら)い洒(そそ)ぎをしたりして、下女だか仲働だか分らない地位に甘んじた十年の後(あと)、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明瞭(めいりょう)でかつ器械的なものであったらしい。一家団欒(だんらん)の時季とも見るべき例の晩餐(ばんさん)の食卓が、一時重苦しい灰色の空気で鎖(とざ)された折でさえ、お貞さんだけはその中に坐って、平生と何の変りもなく、給仕の盆を膝(ひざ)の上に載せたまま平気で控えていた。結婚当日の少し前、兄から書斎へ呼ばれて出て来た時、彼女の顔を染めた色と、彼女の瞼(まぶた)に充(み)ちた涙が、彼女の未来のために、何を語っていたか知らないが、彼女の気質から云えば、それがために長い影響を受けようとも思えなかった。
 お貞さんが去ると共に冬も去った。去ったと云うよりも、まず大した事件も起らずに済んだと評する方が適当かも知れない。斑(まだ)らな雪、枯枝を揺(ゆさ)ぶる風、手水鉢(ちょうずばち)を鎖(と)ざす氷、いずれも例年の面影(おもかげ)を規則正しく自分の眼に映した後、消えては去り消えては去った。自然の寒い課程がこう繰返されている間、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と人との関係もどうかこうか今まで通り持ち応(こた)えた。
 自分の地位にも無論変化はなかった。ただお重が遊び半分時々苦情を訴えに来た。彼女は来るたびに「お貞さんはどうしているでしょうね」と聞いた。
「どうしているでしょうって、――お前の所へ何とも云って来ないのか」
「来る事は来るわ」
 聞いて見ると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分より遥(はるか)に豊富な知識をもっていた。
 自分はまた彼女が来るたびに、兄の事を聞くのを忘れなかった。
「兄さんはどうだい」
「どうだいって、あなたこそ悪いわ。家(うち)へ来ても兄さんに逢(あ)わずに帰るんだから」
「わざわざ避けるんじゃない。行ってもいつでも留守なんだから仕方がない」
「嘘(うそ)をおっしゃい。この間来た時も書斎へ這入(はい)らずに逃げた癖に」
 お重は自分より正直なだけに真赤(まっか)になった。自分はあの事件以後どうかして兄と故(もと)の通り親しい関係になりたいと心では希望していたが、実際はそれと反対で、何だか近寄り悪(にく)い気がするので、全くお重の云うごとく、宅(うち)へ行って彼に挨拶(あいさつ)する機会があっても、なるべく会わずに帰る事が多かった。
 お重にやり込められると、自分は無言の降意を表するごとくにあははと笑ったり、わざと短い口髭(くちひげ)を撫(な)でたり、時によると例の通り煙草に火を点(つ)けて瞹眛(あいまい)な煙を吐いたりした。
 そうかと思うとかえってお重の方から突然「大兄さんもずいぶん変人ね。あたし今になって全くあなたが喧嘩(けんか)して出たのも無理はないと思うわ」などと云った。お重から藪(やぶ)から棒にこう驚かされると、自分は腹の底で自分の味方が一人殖(ふ)えたような気がして嬉(うれ)しかった。けれども表向彼女の意見に相槌(あいづち)を打つほどの稚気(ちき)もなかった。叱りつけるほどの衒気(げんき)もなかった。ただ彼女が帰った後で、たちまち今までの考えが逆(さかさ)まになって、兄の精神状態が周囲に及ぼす影響などがしきりに苦になった。だんだん生物から孤立して、書物の中に引き摺(ず)り込まれて行くように見える彼を平生よりも一倍気の毒に思う事もあった。

        三十八

 母も一二遍来た。最初来た時は大変機嫌(きげん)が好かった。隣の座敷にいる法学士はどこへ出て何を勤めているのだなどと、自分にも判然(はっきり)解らないような事を、さも大事らしく聞いたりした。その時彼女は宅(うち)の近況について何にも語らずに、「この頃は方々で風邪(かぜ)が流行(はや)るから気をおつけ。お父さんも二三日(にさんち)前から咽喉(のど)が痛いって、湿布(しっぷ)をしてお出でだよ」と注意して去った。自分は彼女の去った後(あと)、兄夫婦の事を思い出す暇さえなかった。彼らの存在を忘れた自分は、快よい風呂に入って、旨(うま)い夕飯(ゆうめし)を食った。
 次に訪(たず)ねてくれた時の母の調子は、前に較(くら)べると少し変っていた。彼女は大阪以後、ことに自分が下宿して以後、自分の前でわざと嫂(あによめ)の批評を回避するような風を見せた。自分も母の前では気が咎(とが)めるというのか、必要のない限り、嫂の名を憚(はばか)って、なるべく口へ出さなかった。ところがこの注意深い母がその折卒然(そつぜん)と自分に向って、「二郎、ここだけの話だが、いったいお直(なお)の気立は好いのかね悪いのかね」と聞いた。はたして何か始まったのだと心得た自分は冷りとした。
 下宿後の自分は、兄についても嫂についても不謹慎な言葉を無責任に放つ勇気は全くなかったので、母は自分から何一つ満足な材料を得ずして去った。自分の方でも、なぜ彼女がこの気味の悪い質問を自分に突然とかけたかついに要領を得ずに母を逸した。「何かまた心配になるような事でもできたのですか」と聞いても、彼女は「なに別にこれと云って変った事はないんだがね……」と答えるだけで、後は自分の顔を打守るに過ぎなかった。
 自分は彼女が帰った後(あと)、しきりにこの質問に拘泥(こうでい)し始めた。けれども前後の事情だの母の態度だのを綜合(そうごう)して考えて見て、どうしても新しい事件が、わが家庭のうちに起ったとは受取れないと判断した。
 母もあまり心配し過ぎて、とうとう嫂(あね)が解らなくなったのだ。
 自分は最後にこう解釈して、恐ろしい夢に捉(とら)えられたような気持を抱いた。
 お重も来(き)、母も来る中に、嫂だけは、ついに一度も自分の室(へや)の火鉢(ひばち)に手を翳(かざ)さなかった。彼女がわざと遠慮して自分を尋ねない主意は、自分にも好く呑(の)み込めていた。自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね。お室に立派な床(とこ)があって、庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」と聞いた。しかし「今度拝見に行きますよ」とは云わなかった。自分も「見にいらっしゃい」とは云いかねた。もっとも彼女の口に上った梅は、どこかの畠(はたけ)から引っこ抜いて来て、そのままそこへ植えたとしか思われない無意味なものであった。
 嫂が来ないのとは異様の意味で、また同様の意味で、兄の顔はけっして自分の室の裡(うち)に見出されなかった。
 父も来なかった。
 三沢は時々来た。自分はある機会を利用して、それとなく彼にお重を貰う意があるかないかを探って見た。
「そうだね。あのお嬢さんももう年頃だから、そろそろどこかへ片づける必要が逼(せま)って来るだろうね。早く好い所を見つけて嬉(うれ)しがらせてやりたまえ」
 彼はただこう云っただけで、取り合う気色(けしき)もなかった。自分はそれぎり断念してしまった。
 永いようで短い冬は、事の起りそうで事の起らない自分の前に、時雨(しぐれ)、霜解(しもどけ)、空(から)っ風(かぜ)……と既定の日程を平凡に繰り返して、かように去ったのである。


     塵労


        一

 陰刻(いんこく)な冬が彼岸(ひがん)の風に吹き払われた時自分は寒い窖(あなぐら)から顔を出した人のように明るい世界を眺めた。自分の心のどこかにはこの明るい世界もまた今やり過ごした冬と同様に平凡だという感じがあった。けれども呼息(いき)をするたびに春の匂(におい)が脈(みゃく)の中に流れ込む快よさを忘れるほど自分は老いていなかった。
 自分は天気の好い折々室(へや)の障子(しょうじ)を明け放って往来を眺めた。また廂(ひさし)の先に横(よこた)わる蒼空(あおぞら)を下から透(すか)すように望んだ。そうしてどこか遠くへ行きたいと願った。学校にいた時分ならもう春休みを利用して旅へ出る支度(したく)をするはずなのだけれども、事務所へ通うようになった今の自分には、そんな自由はとても望めなかった。偶(たま)の日曜ですら寝起(ねおき)の悪い顔を一日下宿に持ち扱って、散歩にさえ出ない事があった。
 自分は半ば春を迎えながら半ば春を呪(のろ)う気になっていた。下宿へ帰って夕飯(ゆうめし)を済ますと、火鉢(ひばち)の前へ坐(すわ)って煙草(たばこ)を吹かしながら茫然(ぼんやり)自分の未来を想像したりした。その未来を織る糸のうちには、自分に媚(こ)びる花やかな色が、新しく活けた佐倉炭(さくらずみ)の焔(ほのお)と共にちらちらと燃え上るのが常であったけれども、時には一面に変色してどこまで行っても灰のように光沢(つや)を失っていた。自分はこういう想像の夢から突然何かの拍子(ひょうし)で現在の我に立ち返る事があった。そうしてこの現在の自分と未来の自分とを運命がどういう手段で結びつけて行くだろうと考えた。
 自分が不意に下宿の下女から驚かされたのは、ちょうどこんな風に現実と空想の間に迷ってじっと火鉢に手を翳(かざ)していた、ある宵(よい)の口(くち)の出来事であった。自分は自分の注意を己(おの)れ一人に集めていたというものか、実際下女の廊下を踏んで来る足音に気がつかなかった。彼女が思いがけなくすうと襖(ふすま)を開けた時自分は始めて偶然のように眼を上げて彼女と顔を見合せた。
「風呂かい」
 自分はすぐこう聞いた。これよりほかに下女が今頃自分の室(へや)の襖を開けるはずがないと思ったからである。すると下女は立ちながら「いいえ」と答えたなり黙っていた。自分は下女の眼元に一種の笑いを見た。その笑いの中(うち)には相手を翻弄(ほんろう)し得た瞬間の愉快を女性的(にょしょうてき)に貪(むさぼ)りつつある妙な閃(ひらめき)があった。自分は鋭く下女に向って、「何だい、突立(つった)ったまま」と云った。下女はすぐ敷居際(しきいぎわ)に膝(ひざ)を突いた。そうして「御客様です」とやや真面目(まじめ)に答えた。
「三沢だろう」と自分が云った。自分はある事で三沢の訪問を予期していたのである。
「いいえ女の方です」
「女の人?」
 自分は不審の眉(まゆ)を寄せて下女に見せた。下女はかえって澄ましていた。
「こちらへ御通し申しますか」
「何という人だい」
「知りません」

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