行人
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著者名:夏目漱石 

 女は黙ったなりしきりに指を折って何か勘定(かんじょう)し始めた。その指を眺めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った。
 女はしばらく間をおいて、ただ「結構でございます」と一口云って後は淋(さび)しく笑った。しかしその笑い方が、父には泣かれるよりも怒られるよりも変な感じを与えたと云った。
 父は○○の宿所を明らさまに告げて、「ちと暇な時に遊びがてら御嬢さんでも連れて行って御覧なさい。ちょっと好い家(うち)ですよ。○○も夜ならたいてい御目にかかれると云っていましたから」と云った。すると女はたちまち眉(まゆ)を曇らして、「そんな立派な御屋敷へ我々風情(ふぜい)がとても御出入(おでいり)はできませんが」と云ったまましばらく考えていたが、たちまち抑え切れないように真剣な声を出して、「御出入は致しません。先様(さきさま)で来いとおっしゃってもこっちで御遠慮しなければなりません。しかしただ一つ一生の御願に伺っておきたい事がございます。こうして御目にかかれるのももう二度とない御縁だろうと思いますから、どうぞそれだけ聞かして頂いた上心持よく御別れが致したいと存じます」と云った。

        十八

 父は年の割に度胸の悪い男なので、女からこう云われた時は、どんな凄(すさ)まじい文句を並べられるかと思って、少からず心配したそうである。
「幸い相手の眼が見えないので、自分の周章(あわて)さ加減を覚(さと)られずにすんだ」と彼はことさらにつけ加えた。その時女はこう云ったそうである。
「私は御覧の通り眼を煩(わずら)って以来、色という色は皆目(かいもく)見えません。世の中で一番明るい御天道様(おてんとさま)さえもう拝む事はできなくなりました。ちょっと表へ出るにも娘の厄介(やっかい)にならなければ用事は足せません。いくら年を取っても一人で不自由なく歩く事のできる人間が幾人(いくたり)あるかと思うと、何の因果(いんが)でこんな業病(ごうびょう)に罹(かか)ったのかと、つくづく辛い心持が致します。けれどもこの眼は潰(つぶ)れてもさほど苦しいとは存じません。ただ両方の眼が満足に開いている癖に、他(ひと)の料簡方(りょうけんがた)が解らないのが一番苦しゅうございます」
 父は「なるほど」と答えた。「ごもっとも」とも答えた。けれども女のいう意味はいっこう通じなかった。彼にはそういう経験がまるでなかったと彼は明言した。女は瞹眛(あいまい)な父の言葉を聞いて、「ねえあなたそうではございませんか」と念を押した。
「そりゃそんな場合は無論有るでしょう」と父が云った。
「有るでしょうでは、あなたもわざわざ○○さんに御頼まれになって、ここまでいらしって下すった甲斐(かい)がないではございませんか」と女が云った。父はますます窮した。
 自分はこの時偶然兄の顔を見た。そうして彼の神経的に緊張した眼の色と、少し冷笑を洩(も)らしているような嫂(あによめ)の唇(くちびる)との対照を比較して、突然彼らの間にこの間から蟠(わだか)まっている妙な関係に気がついた。その蟠まりの中に、自分も引きずり込まれているという、一種厭(いと)うべき空気の匂(にお)いも容赦なく自分の鼻を衝(つ)いた。自分は父がなぜ座興とは云いながら、択(よ)りに択って、こんな話をするのだろうと、ようやく不安の念が起った。けれども万事はすでに遅かった。父は知らぬ顔をして勝手次第に話頭を進めて行った。
「おれはそれでも解らないから、淡泊(たんぱく)にその女に聞いて見た。せっかく○○に頼まれてわざわざここまで来て、肝心(かんじん)な要領を伺わないで引き取っては、あなたに対してはもちろん○○から云っても定めし不本意だろうから、どうかあなたの胸を存分私に打明けて下さいませんか。それでないと私も帰ってから○○に話がし悪(にく)いからって」
 その時女は始めて思い切った決断の色を面(おもて)に見せて、「では申し上げます。あなたも○○さんの代理にわざわざ尋ねて来て下さるくらいでいらっしゃるから、定めし関係の深い御方には違いございませんでしょう」という冒頭(まえおき)をおいて、彼女の腹を父に打明けた。
 ○○が結婚の約束をしながら一週間経(た)つか経たないのに、それを取り消す気になったのは、周囲の事情から圧迫を受けてやむをえず断ったのか、あるいは別に何か気に入らないところでもできて、その気に入らないところを、結婚の約束後急に見つけたため断ったのか、その有体(ありてい)の本当が聞きたいのだと云うのが、女の何より知りたいところであった。
 女は二十年以上○○の胸の底に隠れているこの秘密を掘り出したくってたまらなかったのである。彼女には天下の人がことごとく持っている二つの眼を失って、ほとんど他(ひと)から片輪(かたわ)扱いにされるよりも、いったん契(ちぎ)った人の心を確実に手に握れない方が遥(はる)かに苦痛なのであった。
「御父さんはどういう返事をしておやりでしたか」とその時兄が突然聞いた。その顔には普通の興味というよりも、異状の同情が籠(こも)っているらしかった。
「おれも仕方がないから、そりゃ大丈夫、僕が受け合う。本人に軽薄なところはちっともないと答えた」と父は好い加減な答えをかえって自慢らしく兄に話した。

        十九

「女はそんな事で満足したんですか」と兄が聞いた。自分から見ると、兄のこの問には冒(おか)すべからざる強味が籠(こも)っていた。それが一種の念力(ねんりき)のように自分には響いた。
 父は気がついたのか、気がつかなかったのか、平気でこんな答をした。
「始(はじめ)は満足しかねた様子だった。もちろんこっちの云う事がそらそれほど根のある訳でもないんだからね。本当を云えば、先刻(さっき)お前達に話した通り男の方はまるで坊ちゃんなんで、前後の分別も何もないんだから、真面目(まじめ)な挨拶(あいさつ)はとてもできないのさ。けれどもそいつがいったん女と関係した後で止せば好かったと後悔したのは、どうも事実に違なかろうよ」
 兄は苦々しい顔をして父を見ていた。父は何という意味か、両手で長い頬を二度ほど撫(な)でた。
「この席でこんな御話をするのは少し憚(はばか)りがあるが」と兄が云った。自分はどんな議論が彼の口から出るか、次第によっては途中からその鉾先(ほこさき)を、一座の迷惑にならない方角へ向易(むけか)えようと思って聞いていた。すると彼はこう続けた。
「男は情慾を満足させるまでは、女よりも烈(はげ)しい愛を相手に捧(ささ)げるが、いったん事が成就(じょうじゅ)するとその愛がだんだん下り坂になるに反して、女の方は関係がつくとそれからその男をますます慕(した)うようになる。これが進化論から見ても、世間の事実から見ても、実際じゃなかろうかと思うのです。それでその男もこの原則に支配されて後から女に気がなくなった結果結婚を断ったんじゃないでしょうか」
「妙な御話ね。妾(あたし)女だからそんなむずかしい理窟(りくつ)は知らないけれども、始めて伺ったわ。ずいぶん面白い事があるのね」
 嫂(あによめ)がこう云った時、自分は客に見せたくないような厭(いや)な表情を兄の顔に見出したので、すぐそれをごまかすため何か云って見ようとした。すると父が自分より早く口を開いた。
「そりゃ学理から云えばいろいろ解釈がつくかも知れないけれども、まあ何だね、実際はその女が厭になったに相違ないとしたところで、当人面喰(めんく)らったんだね、まず第一に。その上小胆(しょうたん)で無分別で正直と来ているから、それほど厭でなくっても断りかねないのさ」
 父はそう云ったなり洒然(しゃぜん)としていた。
 床(とこ)の前に謡本を置いていた一人の客が、その時父の方を向いてこう云った。
「しかし女というものはとにかく執念深(しゅうねんぶか)いものですね。二十何年もその事を胸の中に畳込んでおくんですからね。全くのところあなたは好い功徳(くどく)をなすった。そう云って安心させてやればその眼の見えない女のためにどのくらい嬉(うれ)しかったか解りゃしません」
「そこがすべての懸合事(かけあいごと)の気転ですな。万事そうやれば双方のためにどのくらい都合が好いか知れんです」
 他の客が続いてこう云った時、父は「いやどうも」と頭を掻(か)いて「実は今云った通り最初はね、そのくらいな事じゃなかなか疑(うたぐ)りが解けないんで、私も少々弱らせられました。それをいろいろに光沢(つや)をつけたり、出鱈目(でたらめ)を拵(こしら)えたりして、とうとう女を納得させちまったんですが、ずいぶん骨が折れましたよ」と少し得意気であった。
 やがて客は謡本を風呂敷に包んで露(つゆ)に濡(ぬ)れた門を潜(くぐ)って出た。皆(みん)な後(あと)で世間話をしているなかに、兄だけはむずかしい顔をして一人書斎に入った。自分は例のごとく冷(ひやや)かに重い音をさせる上草履(スリッパー)の音を一つずつ聞いて、最後にどんと締まる扉(ドア)の響に耳を傾けた。

        二十

 二三週間はそれなり過ぎた。そのうち秋がだんだん深くなった。葉鶏頭(はげいとう)の濃い色が庭を覗(のぞ)くたびに自分の眼に映った。
 兄は俥(くるま)で学校へ出た。学校から帰るとたいていは書斎へ這入(はい)って何かしていた。家族のものでも滅多(めった)に顔を合わす機会はなかった。用があるとこっちから二階に上(のぼ)って、わざわざ扉を開けるのが常になっていた。兄はいつでも大きな書物の上に眼を向けていた。それでなければ何か万年筆で細かい字を書いていた。一番我々の眼についたのは、彼の茫然(ぼうぜん)として洋机(テーブル)の上に頬杖(ほおづえ)を突いている時であった。
 彼は一心に何か考えているらしかった。彼は学者でかつ思索家であるから、黙って考えるのは当然の事のようにも思われたが、扉を開けてその様子を見た者は、いかにも寒い気がすると云って、用を済ますのを待ち兼ねて外へ出た。最も関係の深い母ですら、書斎へ行くのをあまりありがたいとは思っていなかったらしい。
「二郎、学者ってものは皆(みん)なあんな偏屈(へんくつ)なものかね」
 この問を聞いた時、自分は学者でないのを不思議な幸福のように感じた。それでただえへへと笑っていた。すると母は真面目(まじめ)な顔をして、「二郎、御前がいなくなると、宅(うち)は淋(さむ)しい上にも淋しくなるが、早く好い御嫁さんでも貰って別になる工面(くめん)を御為(おし)よ」と云った。自分には母の言葉の裏に、自分さえ新しい家庭を作って独立すれば、兄の機嫌(きげん)が少しはよくなるだろうという意味が明らさまに読まれた。自分は今でも兄がそんな妙な事を考えているのだろうかと疑(うたぐ)っても見た。しかし自分もすでに一家を成してしかるべき年輩だし、また小さい一軒の竈(かまど)ぐらいは、現在の収入でどうかこうか維持して行かれる地位なのだから、かねてから、そういう考えはちらちらと無頓着(むとんじゃく)な自分の頭をさえ横切ったのである。
 自分は母に対して、「ええ外へ出る事なんか訳はありません。明日(あした)からでも出ろとおっしゃれば出ます。しかし嫁の方はそうちんころのように、何でも構わないから、ただ路に落ちてさえいれば拾って来るというような遣口(やりくち)じゃ僕には不向(ふむき)ですから」と云った。その時母は、「そりゃ無論……」と答えようとするのを自分はわざと遮(さえぎ)った。
「御母さんの前ですが、兄さんと姉さんの間ですね。あれにはいろいろ複雑な事情もあり、また僕が固(もと)から少し姉さんと知り合だったので、御母さんにも御心配をかけてすまないようですけれども、大根(おおね)をいうとね。兄さんが学問以外の事に時間を費(ついや)すのが惜(おし)いんで、万事人任(ひとまか)せにしておいて、何事にも手を出さずに華族然と澄ましていたのが悪いんですよ。いくら研究の時間が大切だって、学校の講義が大事だって、一生同じ所で同じ生活をしなくっちゃならない吾(わ)が妻じゃありませんか。兄さんに云わしたらまた学者相応の意見もありましょうけれども学者以下の我々にはとてもあんな真似はできませんからね」
 自分がこんな下らない理窟(りくつ)を云い募(つの)っているうちに、母の眼にはいつの間にか涙らしい光の影が、だんだん溜(たま)って来たので、自分は驚いてやめてしまった。
 自分は面(つら)の皮が厚いというのか、遠慮がなさ過ぎると云うのか、それほど宅(うち)のものが気兼(きがね)をして、云わば敬して遠ざけているような兄の書斎の扉(ドア)を他(ひと)よりもしばしば叩(たた)いて話をした。中へ這入(はい)った当分の感じは、さすがの自分にも少し応(こた)えた。けれども十分ぐらい経(た)つと彼はまるで別人のように快活になった。自分は苦(にが)い兄の心機をこう一転させる自分の手際(てぎわ)に重きをおいて、あたかも己(おの)れの虚栄心を満足させるための手段らしい態度をもって、わざわざ彼の書斎へ出入(でいり)した事さえあった。自白すると、突然兄から捕(つら)まって危く死地に陥(おとしい)れられそうになったのも、実はこういう得意の瞬間であった。

        二十一

 その折自分は何を話ていたか今たしかに覚えていない。何でも兄から玉突(たまつき)の歴史を聞いた上、ルイ十四世頃の銅版の玉突台をわざわざ見せられたような気がする。
 兄の室(へや)へ這入っては、こんな問題を種に、彼の新しく得た知識を、はいはい聞いているのが一番安全であった。もっとも自分も御饒舌(おしゃべり)だから、兄と違った方面で、ルネサンスとかゴシックとかいう言葉を心得顔にふり廻す事も多かった。しかしたいていは世間離れのしたこう云う談話だけで書斎を出るのが例であったが、その折は何かの拍子(ひょうし)で兄の得意とする遺伝とか進化とかについての学説が、銅版の後で出て来た。自分は多分云う事がないため、黙って聞いていたものと見える。その時兄が「二郎お前はお父さんの子だね」と突然云った。自分はそれがどうしたと云わぬばかりの顔をして、「そうです」と答えた。
「おれはお前だから話すが、実はうちのお父さんには、一種妙におっちょこちょいのところがあるじゃないか」
 兄から父を評すれば正にそうであるという事を自分は以前から呑込(のみこ)んでいた。けれども兄に対してこの場合何と挨拶(あいさつ)すべきものか自分には解らなかった。
「そりゃあなたのいう遺伝とか性質とかいうものじゃおそらくないでしょう。今の日本の社会があれでなくっちゃ、通させないから、やむをえないのじゃないですか。世の中にゃお父さんどころかまだまだたまらないおっちょこがありますよ。兄さんは書斎と学校で高尚に日を暮しているから解らないかも知れないけれども」
「そりゃおれも知ってる。お前の云う通りだ。今の日本の社会は――ことによったら西洋もそうかも知れないけれども――皆(みん)な上滑(うわすべ)りの御上手ものだけが存在し得るように出来上がっているんだから仕方がない」
 兄はこう云ってしばらく沈黙の裡(うち)に頭を埋(うず)めていた。それから怠(だる)そうな眼を上げた。
「しかし二郎、お父さんのは、お気の毒だけれども、持って生れた性質なんだよ。どんな社会に生きていても、ああよりほかに存在の仕方はお父さんに取ってむずかしいんだね」
 自分はこの学問をして、高尚になり、かつ迂濶(うかつ)になり過ぎた兄が、家中(うちじゅう)から変人扱いにされるのみならず、親身の親からさえも、日に日に離れて行くのを眼前に見て、思わず顔を下げて自分の膝頭(ひざがしら)を見つめた。
「二郎お前もやっぱりお父さん流だよ。少しも摯実(しじつ)の気質がない」と兄が云った。
 自分は癇癪(かんしゃく)の不意に起る野蛮な気質を兄と同様に持っていたが、この場合兄の言葉を聞いたとき、毫(ごう)も憤怒の念が萌(きざ)さなかった。
「そりゃひどい。僕はとにかく、お父さんまで世間の軽薄ものといっしょに見做(みな)すのは。兄さんは独(ひと)りぼっちで書斎にばかり籠(こも)っているから、それでそういう僻(ひが)んだ観察ばかりなさるんですよ」
「じゃ例を挙(あ)げて見せようか」
 兄の眼は急に光を放った。自分は思わず口を閉じた。
「この間謡(うたい)の客のあった時に、盲女(めくらおんな)の話をお父さんがしたろう。あのときお父さんは何とかいう人を立派に代表して行きながら、その女が二十何年も解らずに煩悶(はんもん)していた事を、ただ一口にごまかしている。おれはあの時、その女のために腹の中で泣いた。女は知らない女だからそれほど同情は起らなかったけれども、実をいうとお父さんの軽薄なのに泣いたのだ。本当に情ないと思った。……」
「そう女みたように解釈すれば、何だって軽薄に見えるでしょうけれども……」
「そんな事を云うところが、つまりお父さんの悪いところを受け継(つ)いでいる証拠(しょうこ)になるだけさ。おれは直(なお)の事をお前に頼んで、その報告をいつまでも待っていた。ところがお前はいつまでも言葉を左右に託して、空恍(そらとぼ)けている……」

        二十二

「空恍けてると云われちゃちっと可哀(かわい)そうですね。話す機会もなし、また話す必要がないんですもの」
「機会は毎日ある。必要はお前になくてもおれの方にあるから、わざわざ頼んだのだ」
 自分はその時ぐっと行きつまった。実はあの事件以後、嫂(あによめ)について兄の前へ一人出て、真面目に彼女を論ずるのがいかにも苦痛だったのである。自分は話頭を無理に横へ向けようとした。
「兄さんはすでにお父さんを信用なさらず。僕もそのお父さんの子だという訳で、信用なさらないようだが、和歌の浦でおっしゃった事とはまるで矛盾していますね」
「何が」と兄は少し怒気を帯びて反問した。
「何がって、あの時、あなたはおっしゃったじゃありませんか。お前は正直なお父さんの血を受けているから、信用ができる、だからこんな事を打ち明けて頼むんだって」
 自分がこう云うと、今度は兄の方がぐっと行きつまったような形迹(けいせき)を見せた。自分はここだと思って、わざと普通以上の力を、言葉の裡(うち)へ籠(こ)めながらこう云った。
「そりゃ御約束した事ですから、嫂(ねえ)さんについて、あの時の一部始終(いちぶしじゅう)を今ここで御話してもいっこう差支(さしつか)えありません。固(もと)より僕はあまり下らない事だから、機会が来なければ口を開く考えもなし、また口を開いたって、ただ一言(いちごん)で済んでしまう事だから、兄さんが気にかけない以上、何も云う必要を認めないので、今日(こんにち)まで控えていたんですから。――しかし是非何とか報告をしろと、官命で出張した属官流に逼(せま)られれば、仕方がない。今即刻(すぐ)でも僕の見た通りをお話します。けれどもあらかじめ断っておきますが、僕の報告から、あなたの予期しているような変な幻(まぼろし)はけっして出て来ませんよ。元々あなたの頭にある幻なんで、客観的にはどこにも存在していないんだから」
 兄は自分の言葉を聞いた時、平生と違って、顔の筋肉をほとんど一つも動かさなかった。ただ洋卓(テーブル)の前に肱(ひじ)を突いたなり、じっとしていた。眼さえ伏せていたから、自分には彼の表情がちっとも解らなかった。兄は理に明らかなようで、またその理にころりと抛(な)げられる癖があった。自分はただ彼の顔色が少し蒼(あお)くなったのを見て、これは必竟(ひっきょう)彼が自分の強い言語に叩(たた)かれたのだと判断した。
 自分はそこにあった巻莨入(まきたばこいれ)から煙草(たばこ)を一本取り出して燐寸(マッチ)の火を擦(す)った。そうして自分の鼻から出る青い煙と兄の顔とを等分に眺めていた。
「二郎」と兄がようやく云った。その声には力も張(はり)もなかった。
「何です」と自分は答えた。自分の声はむしろ驕(おご)っていた。
「もうおれはお前に直(なお)の事について何も聞かないよ」
「そうですか。その方が兄さんのためにも嫂さんのためにも、また御父さんのためにも好いでしょう。善良な夫になって御上げなさい。そうすれば嫂さんだって善良な夫人でさあ」と自分は嫂(あによめ)を弁護するように、また兄を戒めるように云った。
「この馬鹿野郎」と兄は突然大きな声を出した。その声はおそらく下まで聞えたろうが、すぐ傍(そば)に坐っている自分には、ほとんど予想外の驚きを心臓に打ち込んだ。
「お前はお父さんの子だけあって、世渡りはおれより旨(うま)いかも知れないが、士人の交わりはできない男だ。なんで今になって直の事をお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児(けいはくじ)め」
 自分の腰は思わず坐っている椅子(いす)からふらりと離れた。自分はそのまま扉(ドア)の方へ歩いて行った。
「お父さんのような虚偽な自白を聞いた後(あと)、何で貴様の報告なんか宛(あて)にするものか」
 自分はこういう烈(はげ)しい言葉を背中に受けつつ扉(ドア)を閉めて、暗い階段の上に出た。

        二十三

 自分はそれから約一週間ほどというもの、夕食以外には兄と顔を合した事がなかった。平生食卓を賑(にぎ)やかにする義務をもっているとまで、皆(みん)なから思われていた自分が、急に黙ってしまったので、テーブルは変に淋(さみ)しくなった。どこかで鳴く□(こおろぎ)の音(ね)さえ、併(なら)んでいる人の耳に肌寒(はださむ)の象徴(シンボル)のごとく響いた。
 こういう寂寞(せきばく)たる団欒(だんらん)の中に、お貞さんは日ごとに近づいて来る我結婚の日限(にちげん)を考えるよりほかに、何の天地もないごとくに、盆を膝(ひざ)の上へ載(の)せて御給仕をしていた。陽気な父は周囲に頓着(とんじゃく)なく、己(おの)れに特有な勝手な話ばかりした。しかしその反響はいつものようにどこからも起らなかった。父の方でもまるでそれを予期する気色(けしき)は見えなかった。
 時々席に列(つらな)ったものが、一度に声を出して笑う種になったのはただ芳江ばかりであった。母などは話が途切(とぎ)れておのずと不安になるたびに、「芳江お前は……」とか何とか無理に問題を拵(こしら)えて、一時を糊塗(こと)するのを例にした。するとそのわざとらしさが、すぐ兄の神経に触った。
 自分は食卓を退(しりぞ)いて自分の室(へや)に帰るたびに、ほっと一息吐(ひといきつ)くように煙草(たばこ)を呑んだ。
「つまらない。一面識(いちめんしき)のないものが寄って会食するよりなおつまらない。他(ひと)の家庭もみんなこんな不愉快なものかしら」
 自分は時々こう考えて、早く家(うち)を出てしまおうと決心した事もあった。あまり食卓の空気が冷やかな折は、お重が自分の後を恋(した)って、追いかけるように、自分の室へ這入(はい)って来た。彼女は何にも云わずにそこで泣き出したりした。ある時はなぜ兄さんに早く詫(あや)まらないのだと詰問するように自分を悪(にく)らしそうに睨(にら)めたりした。
 自分は宅(うち)にいるのがいよいよ厭(いや)になった。元来性急(せっかち)のくせに決断に乏しい自分だけれども、今度こそは下宿なり間借りなりして、当分気を抜こうと思い定(さだ)めた。自分は三沢の所へ相談に行った。その時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長く煩(わずら)うから悪いんだ」と云った。彼は「君がお直(なお)さんなどの傍(そば)に長くくっついているから悪いんだ」と答えた。
 自分は上方(かみがた)から帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、嫂(あによめ)については、いまだかつて一言も彼に告げた例(ためし)がなかった。彼もまた自分の嫂に関しては、いっさい口を閉じて何事をも云わなかった。
 自分は始めて彼の咽喉(のど)を洩(も)れる嫂の名を聞いた。またその嫂と自分との間に横(よこた)わる、深くも浅くも取れる相互関係をあらわした彼の言葉を聞いた。そうして驚きと疑(うたがい)の眼を三沢の上に注(そそ)いだ。その中に怒(いかり)を含んでいると解釈した彼は、「怒(おこ)るなよ」と云った。その後(あと)で「気狂(きちがい)になった女に、しかも死んだ女に惚(ほ)れられたと思って、己惚(おのぼ)れているおれの方が、まあ安全だろう。その代り心細いには違ない。しかし面倒は起らないから、いくら惚れても、惚れられてもいっこう差支(さしつか)えない」と云った。自分は黙っていた。彼は笑いながら「どうだ」と自分の肩を捕(つか)まえて小突いた。自分には彼の態度が真面目(まじめ)なのか、また冗談なのか、少しも解らなかった。真面目にせよ、冗談にせよ、自分は彼に向って何事をも説明したり、弁明したりする気は起らなかった。
 自分はそれでも三沢に適当な宿を一二軒教わって、帰りがけに、自分の室(へや)まで見て帰った。家(うち)へ戻るや否や誰より先に、まずお重を呼んで、「兄さんもお前の忠告してくれた通り、いよいよ家を出る事にした」と告げた。お重は案外なようなまた予期していたような表情を眉間(みけん)にあつめて、じっと自分の顔を眺めた。

        二十四

 兄妹(きょうだい)として云えば、自分とお重とは余り仲の善(い)い方ではなかった。自分が外へ出る事を、まず第一に彼女に話したのは、愛情のためというよりは、むしろ面当(つらあて)の気分に打勝たれていた。すると見る見るうちにお重の両方の眼に涙がいっぱい溜(たま)って来た。
「早く出て上げて下さい。その代り妾(あたし)もどんな所でも構わない、一日も早くお嫁に行きますから」と云った。
 自分は黙っていた。
「兄さんはいったん外へ出たら、それなり家へ帰らずに、すぐ奥さんを貰って独立なさるつもりでしょう」と彼女がまた聞いた。
 自分は彼女の手前「もちろんさ」と答えた。その時お重は今まで持ち応(こた)えていた涙をぽろりぽろりと膝の上に落した。
「何だって、そんなに泣くんだ」と自分は急に優しい声を出して聞いた。実際自分はこの事件についてお重の眼から一滴の涙さえ予期していなかったのである。
「だって妾ばかり後(あと)へ残って……」
 自分に判切(はっきり)聞こえたのはただこれだけであった。その他は彼女のむやみに引泣上(しゃくりあ)げる声が邪魔をしてほとんど崩(くず)れたまま自分の鼓膜(こまく)を打った。
 自分は例のごとく煙草を呑(の)み始めた。そうしておとなしく彼女の泣き止むのを待っていた。彼女はやがて袖(そで)で眼を拭いて立ち上った。自分はその後姿を見たとき、急に可哀(かわい)そうになった。
「お重、お前とは好く喧嘩(けんか)ばかりしたが、もう今まで通り啀(いが)み合う機会も滅多(めった)にあるまい。さあ仲直りだ。握手しよう」
 自分はこう云って手を出した。お重はかえってきまり悪気(わるげ)に躊躇(ちゅうちょ)した。
 自分はこれからだんだんに父や母に自分の外へ出る決心を打ち明けて、彼らの許諾を一々求めなければならないと思った。ただ最後に兄の所へ行って、同じ決心を是非共繰返す必要があるので、それだけが苦(く)になった。
 母に打ち明けたのはたしかその明くる日であった。母はこの唐突(とうとつ)な自分の決心に驚いたように、「どうせ出るならお嫁でもきまってからと思っていたのだが。――まあ仕方があるまいよ」と云った後(あと)、憮然(ぶぜん)として自分の顔を見た。自分はすぐその足で、父の居間へ行こうとした。母は急に後から呼び留めた。
「二郎たとい、お前が家(うち)を出たってね……」
 母の言葉はそれだけで支(つか)えてしまった。自分は「何ですか」と聞き返したため、元の場所に立っていなければならなかった。
「兄さんにはもう御話しかい」と母は急に即(つ)かぬ事を云い出した。
「いいえ」と自分は答えた。
「兄さんにはかえってお前から直下(じか)に話した方が好いかも知れないよ。なまじ、御父さんや御母さんから取次ぐと、かえって感情を害するかも知れないからね」
「ええ僕もそう思っています。なるたけ綺麗(きれい)にして出るつもりですから」
 自分はこう断って、すぐ父の居間に這入(はい)った。父は長い手紙を書いていた。
「大阪の岡田からお貞の結婚について、この間また問い合せが来たので、その返事を書こう書こうと思いながら、とうとう今日まで放っておいたから、今日は是非一つその義務を果そうと思って、今書いているところだ。ついでだからそう云っとくが、御前の書く拝啓の啓の字は間違っている。崩(くず)すならそこにあるように崩すものだ」
 長い手紙の一端がちょうど自分の坐った膝(ひざ)の前に出ていた。自分は啓の字を横に見たが、どこが間違っているのかまるで解らなかった。自分は父が筆を動かす間、床(とこ)に活けた黄菊だのその後(うしろ)にある懸物(かけもの)だのを心のうちで品評していた。

        二十五

 父は長い手紙を裾(すそ)の方から巻き返しながら、「何か用かね、また金じゃないか。金ならないよ」と云って、封筒に上書(うわがき)を認(したた)めた。
 自分はきわめて簡略に自分の決意を述べた上、「永々御厄介になりましたが……」というような形式の言葉をちょっと後(あと)へ付け加えた。父はただ「うんそうか」と答えた。やがて切手を状袋の角(かど)へ貼(は)り付けて、「ちょっとそのベルを押してくれ」と自分に頼んだ。自分は「僕が出させましょう」と云って手紙を受け取った。父は「お前の下宿の番地を書いて、御母さんに渡しておきな」と注意した。それから床の幅(ふく)についていろいろな説明をした。
 自分はそれだけ聞いて父の室(へや)を出た。これで挨拶(あいさつ)の残っているものはいよいよ兄と嫂(あによめ)だけになった。兄にはこの間の事件以来ほとんど親しい言葉を換(か)わさなかった。自分は彼に対して怒(おこ)り得るほどの勇気を持っていなかった。怒り得るならば、この間罵(のの)しられて彼の書斎を出るとき、すでに激昂(げっこう)していなければならなかった。自分は後(うしろ)から小さな石膏像(せっこうぞう)の飛んでくるぐらいに恐れを抱く人間ではなかった。けれどもあの時に限って、怒るべき勇気の源がすでに枯れていたような気がする。自分は室に入(い)った幽霊が、ふうとまた室を出るごとくに力なく退却した。その後も彼の書斎の扉(ドア)を叩(たた)いて、快く詫(あや)まるだけの度胸は、どこからも出て来なかった。かくして自分は毎日苦(にが)い顔をしている彼の顔を、晩餐(ばんさん)の食卓に見るだけであった。
 嫂(あによめ)とも自分は近頃滅多(めった)に口を利(き)かなかった。近頃というよりもむしろ大阪から帰って後(のち)という方が適当かも知れない。彼女は単独に自分の箪笥(たんす)などを置いた小(ち)さい部屋の所有主であった。しかしながら彼女と芳江が二人ぎりそこに遊んでいる事は、一日中で時間につもるといくらもなかった。彼女はたいてい母と共に裁縫その他の手伝をして日を暮していた。
 父や母に自分の未来を打ち明けた明(あく)る朝、便所から風呂場へ通う縁側(えんがわ)で、自分はこの嫂にぱたりと出会った。
「二郎さん、あなた下宿なさるんですってね。宅(うち)が厭(いや)なの」と彼女は突然聞いた。彼女は自分の云った通りを、いつの間にか母から伝えられたらしい言葉遣(ことばづかい)をした。自分は何気なく「ええしばらく出る事にしました」と答えた。
「その方が面倒でなくって好いでしょう」
 彼女は自分が何か云うかと思って、じっと自分の顔を見ていた。しかし自分は何とも云わなかった。
「そうして早く奥さんをお貰いなさい」と彼女の方からまた云った。自分はそれでも黙っていた。
「早い方が好いわよあなた。妾(あたし)探して上げましょうか」とまた聞いた。
「どうぞ願います」と自分は始めて口を開いた。
 嫂は自分を見下(みさ)げたようなまた自分を調戯(からか)うような薄笑いを薄い唇(くちびる)の両端に見せつつ、わざと足音を高くして、茶の間の方へ去った。
 自分は黙って、風呂場と便所の境にある三和土(たたき)の隅(すみ)に寄せ掛けられた大きな銅の金盥(かなだらい)を見つめた。この金盥は直径二尺以上もあって自分の力で持上げるのも困難なくらい、重くてかつ大きなものであった。自分は子供の時分からこの金盥を見て、きっと大人(おとな)の行水(ぎょうずい)を使うものだとばかり想像して、一人嬉(うれ)しがっていた。金盥は今塵(ちり)で佗(わび)しく汚れていた。低い硝子戸越(ガラスどご)しには、これも自分の子供時代から忘れ得ない秋海棠(しゅうかいどう)が、変らぬ年ごとの色を淋(さみ)しく見せていた。自分はこれらの前に立って、よく秋先(あきさき)に玄関前の棗(なつめ)を、兄と共に叩(たた)き落して食った事を思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後にはすでにこれだけ無邪気な過去がずっと続いている事を発見した時、今昔の比較が自(おのず)から胸に溢(あふ)れた。そうしてこれからこの餓鬼大将(がきだいしょう)であった兄と不愉快な言葉を交換して、わが家を出なければならないという変化に想(おも)い及んだ。

        二十六

 その日自分が事務所から帰ってお重に「兄さんは」と聞くと、「まだよ」という返事を得た。
「今日はどこかへ廻る日なのかね」と重(かさ)ねて尋ねた時、お重は「どうだか知らないわ。書斎へ行って壁に貼(は)りつけてある時間表を見て来て上げましょうか」と云った。
 自分はただ兄が帰ったら教えてくれるように頼んで、誰にも会わずに室(へや)へ這入(はい)った。洋服を脱(ぬ)ぎ替えるのも面倒なので、そのまま横になって寝ているうち、いつの間にか本当の眠りに落ちた。そうして他人に説明も何もできないような複雑に変化する不安な夢に襲われていると、急にお重から起された。
「大兄(おおにい)さんがお帰りよ」
 こういう彼女の言葉が耳に這入った時、自分はすぐ起ち上がった。けれども意識は朦朧(もうろう)として、夢のつづきを歩いていた。お重は後(うしろ)から「まあ顔でも洗っていらっしゃい」と注意した。判然(はっきり)しない自分の意識は、それすらあえてする勇気を必要と感ぜしめなかった。
 自分はそのまま兄の書斎に這入った。兄もまだ洋服のままであった。彼は扉(ドア)の音を聞いて、急に入口に眼を転じた。その光のうちにはある予期を明かに示していた。彼が外出して帰ると、嫂(あによめ)が芳江を連れて、不断の和服を持って上がって来るのが、その頃の習慣であった。自分は母が嫂に「こういう風におしよ」と云いつけたのを傍(そば)にいて聞いていた事がある。自分はぼんやりしながらも、兄のこの眼附によって、和服の不断着より、嫂と芳江とを彼は待ち設けていたのだと覚(さと)った。
 自分は寝惚(ねぼ)けた心持が有ったればこそ、平気で彼の室を突然開けたのだが、彼は自分の姿を敷居の前に見て、少しも怒(いか)りの影を現さなかった。しかしただ黙って自分の背広姿(せびろすがた)を打ち守るだけで、急に言葉を出す気色(けしき)はなかった。
「兄さん、ちょっと御話がありますが……」
と、自分はついにこっちから切り出した。
「こっちへ御這入り」
 彼の言語は落ちついていた。かつこの間の事について何の介意(かいい)をも含んでいないらしく自分の耳に響いた。彼は自分のために、わざわざ一脚の椅子を己れの前へ据(す)えて、自分を麾(さしま)ねいた。
 自分はわざと腰をかけずに、椅子の背に手を載せたまま、父や母に云ったとほぼ同様の挨拶(あいさつ)を述べた。兄は尊敬すべき学者の態度で、それを静かに聞いていた。自分の単簡(たんかん)の説明が終ると、彼は嬉(うれ)しくも悲しくもない常の来客に応接するような態度で「まあそこへおかけ」と云った。
 彼は黒いモーニングを着て、あまり好い香(におい)のしない葉巻を燻(くゆ)らしていた。
「出るなら出るさ。お前ももう一人前(いちにんまえ)の人間だから」と云ってしばらく煙ばかり吐いていた。それから「しかしおれがお前を出したように皆(みん)なから思われては迷惑だよ」と続けた。「そんな事はありません。ただ自分の都合で出るんですから」と自分は答えた。
 自分の寝惚(ねぼ)けた頭はこの時しだいに冴(さ)えて来た。できるだけ早く兄の前から退(しりぞ)きたくなった結果、ふり返って室の入口を見た。
「直(なお)も芳江も今湯に這入っているようだから、誰も上がって来やしない。そんなにそわそわしないでゆっくり話すが好い、電灯でも点(つ)けて」
 自分は立ち上がって、室(へや)の内を明るくした。それから、兄の吹かしている葉巻を一本取って火を点(つ)けた。
「一本八銭だ。ずいぶん悪い煙草だろう」と彼が云った。

        二十七

「いつ出るつもりかね」と兄がまた聞いた。
「今度の土曜あたりにしようかと思ってます」と自分は答えた。
「一人出るのかい」と兄がまた聞いた。
 この奇異な質問を受けた時、自分はしばらく茫然(ぼうぜん)として兄の顔を打ち守っていた。彼がわざとこう云う失礼な皮肉を云うのか、そうでなければ彼の頭に少し変調を来(きた)したのか、どっちだか解らないうちは、自分にもどの見当(けんとう)へ打って出て好いものか、料簡(りょうけん)が定まらなかった。
 彼の言葉は平生から皮肉(ひにく)たくさんに自分の耳を襲った。しかしそれは彼の智力が我々よりも鋭敏に働き過ぎる結果で、その他に悪気のない事は、自分によく呑み込めていた。ただこの一言(いちごん)だけは鼓膜(こまく)に響いたなり、いつまでもそこでじんじん熱く鳴っていた。
 兄は自分の顔を見て、えへへと笑った。自分はその笑いの影にさえ歇斯的里性(ヒステリせい)の稲妻(いなずま)を認めた。
「無論一人で出る気だろう。誰も連れて行く必要はないんだから」
「もちろんです。ただ一人になって、少し新しい空気を吸いたいだけです」
「新しい空気はおれも吸いたい。しかし新しい空気を吸わしてくれる所は、この広い東京に一カ所もない」
 自分は半(なか)ばこの好んで孤立している兄を憐(あわ)れんだ。そうして半ば彼の過敏な神経を悲しんだ。
「ちっと旅行でもなすったらどうです。少しは晴々(せいせい)するかも知れません」
 自分がこう云った時、兄はチョッキの隠袋(かくし)から時計を出した。
「まだ食事の時間には少し間があるね」と云いながら、彼は再び椅子(いす)に腰を落ちつけた。そうして「おい二郎もうそうたびたび話す機会もなくなるから、飯ができるまでここで話そうじゃないか」と自分の顔を見た。
 自分は「ええ」と答えたが、少しも尻(しり)は坐(すわ)らなかった。その上何も話す種がなかった。すると兄が突然「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。
 兄の説明によると、パオロと云うのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の眼を忍んで、互に慕(した)い合った結果、とうとう夫に見つかって殺されるという悲しい物語りで、ダンテの神曲の中とかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持について、一種厭(いや)な疑念を挟(さしは)さんだ。兄は臭(くさ)い煙草の煙の間から、始終(しじゅう)自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利(イタリー)の物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。
「二郎、なぜ肝心(かんじん)な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」
 自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七(さんかつはんしち)見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。
「おれはこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸(かも)した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経(ふ)るに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄(す)てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺戟(しげき)するように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だと云って咎(とが)める。しかしそれはその事情の起った瞬間を治めるための道義に駆(か)られた云わば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」

        二十八

 自分は年輩から云っても性格から云っても、平生なら兄の説に手を挙(あ)げて賛成するはずであった。けれどもこの場合、彼がなぜわざわざパオロとフランチェスカを問題にするのか、またなぜ彼ら二人が永久に残る理由(いわれ)を、物々しく解説するのか、その主意が分らなかったので、自然の興味は全く不快と不安の念に打ち消されてしまった。自分は奥歯に物の挟(はさ)まったような兄の説明を聞いて、必竟(ひっきょう)それがどうしたのだという気を起した。
「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」
 自分は何とも云わなかった。
「ところがおれは一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ」
 自分はそれでも返事をしなかった。
「相撲(すもう)の手を習っても、実際力のないものは駄目だろう。そんな形式に拘泥(こうでい)しないでも、実力さえたしかに持っていればその方がきっと勝つ。勝つのは当り前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂力(りょりょく)は自然の賜物(たまもの)だ。……」
 兄はこういう風に、影を踏んで力(りき)んでいるような哲学をしきりに論じた。そうして彼の前に坐(すわ)っている自分を、気味の悪い霧で、一面に鎖(とざ)してしまった。自分にはこの朦朧(もうろう)たるものを払い退(の)けるのが、太い麻縄(あさなわ)を噛(か)み切るよりも苦しかった。
「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとするつもりだろう」と彼は最後に云った。
 自分は癇癪持(かんしゃくもち)だけれども兄ほど露骨に突進はしない性質であった。ことさらこの時は、相手が全然正気なのか、または少し昂奮(こうふん)し過ぎた結果、精神に尋常でない一種の状態を引き起したのか、第一その方を懸念(けねん)しなければならなかった。その上兄の精神状態をそこに導いた原因として、どうしても自分が責任者と目指されているという事実を、なおさら苛(つら)く感じなければならなかった。
 自分はとうとうしまいまで一言(いちごん)も云わずに兄の言葉を聞くだけ聞いていた。そうしてそれほど疑ぐるならいっそ嫂(あによめ)を離別したら、晴々(せいせい)して好かろうにと考えたりした。
 ところへその嫂が兄の平生着(ふだんぎ)を持って、芳江の手を引いて、例のごとく階段を上(あが)って来た。
 扉(ドア)の敷居に姿を現した彼女は、風呂から上りたてと見えて、蒼味(あおみ)の注(さ)した常の頬に、心持の好いほど、薄赤い血を引き寄せて、肌理(きめ)の細かい皮膚に手触(てざわり)を挑(いど)むような柔らかさを見せていた。
 彼女は自分の顔を見た。けれども一言(ひとこと)も自分には云わなかった。
「大変遅くなりました。さぞ御窮屈でしたろう。あいにく御湯へ這入(はい)っていたものだから、すぐ御召(おめし)を持って来る事ができなくって」
 嫂はこう云いながら兄に挨拶(あいさつ)した。そうして傍(そば)に立っていた芳江に、「さあお父さんに御帰り遊ばせとおっしゃい」と注意した。芳江は母の命令(いいつけ)通り「御帰り」と頭を下げた。
 自分は永らくの間、嫂が兄に対してこれほど家庭の夫人らしい愛嬌(あいきょう)を見せた例(ためし)を知らなかった。自分はまたこの愛嬌に対して柔(やわら)げられた兄の気分が、彼の眼に強く集まった例も知らなかった。兄は人の手前極(きわ)めて自尊心の強い男であった。けれども、子供のうちから兄といっしょに育った自分には、彼の脳天を動きつつある雲の往来(ゆきき)がよく解った。
 自分は助け船が不意に来た嬉(うれ)しさを胸に蔵(かく)して兄の室(へや)を出た。出る時嫂は一面識もない眼下のものに挨拶でもするように、ちょっと頭を下げて自分に黙礼をした。自分が彼女からこんな冷淡な挨拶を受けたのもまた珍らしい例であった。

        二十九

 二三日してから自分はとうとう家を出た。父や母や兄弟の住む、古い歴史をもった家を出た。出る時はほとんど何事をも感じなかった。母とお重が別れを惜(おし)むように浮かない顔をするのが、かえって厭(いや)であった。彼らは自分の自由行動をわざと妨げるように感ぜられた。
 嫂(あによめ)だけは淋(さみ)しいながら笑ってくれた。
「もう御出掛。では御機嫌(ごきげん)よう。またちょくちょく遊びにいらっしゃい」
 自分は母やお重の曇った顔を見た後(あと)で、この一口の愛嬌を聞いた時、多少の愉快を覚えた。
 自分は下宿へ移ってからも有楽町の事務所へ例の通り毎日通(かよ)っていた。自分をそこへ周旋してくれたものは、例の三沢であった。事務所の持主は、昔三沢の保証人をしていた(兄の同僚の)Hの叔父に当(あた)る人であった。この人は永らく外国にいて、内地でも相応に経験を積んだ大家であった。胡麻塩頭(ごましおあたま)の中へ指を突っ込んで、むやみに頭垢(ふけ)を掻き落す癖があるので、差(さ)し向(むかい)の間に火鉢(ひばち)でも置くと、時々火の中から妙な臭(におい)を立てさせて、ひどく相手を弱らせる事があった。
「君の兄さんは近来何を研究しているか」などとたびたび自分に聞いた。自分は仕方なしに、「何だか一人で書斎に籠(こも)ってやってるようです」と極(きわ)めて大体な答えをするのを例のようにしていた。
 梧桐(あおぎり)が坊主になったある朝、彼は突然自分を捕(とら)えて、「君の兄さんは近頃どうだね」とまた聞いた。こう云う彼の質問に慣れ切っていた自分も、その時ばかりは余りの不意打にちょっと返事を忘れた。
「健康はどうだね」と彼はまた聞いた。
「健康はあまり好い方じゃないです」と自分は答えた。
「少し気をつけないといけないよ。あまり勉強ばかりしていると」と彼は云った。
 自分は彼の顔を打ち守って、そこに一種の真面目(まじめ)な眉(まゆ)と眼の光とを認めた。
 自分は家を出てから、まだ一遍しか家(うち)へ行かなかった。その折そっと母を小蔭(こかげ)に呼んで、兄の様子を聞いて見たら「近頃は少し好いようだよ。時々裏へ出て芳江をブランコに載せて、押してやったりしているからね。……」
 自分はそれで少しは安心した。それぎり宅(うち)の誰とも顔を合わせる機会を拵(こしら)えずに今日(こんにち)まで過ぎたのである。
 昼の時間に一品料理を取寄せて食っていると、B先生(事務所の持主)がまた突然「君はたしか下宿したんだったね」と聞いた。自分はただ簡単に「ええ」と答えておいた。
「なぜ。家の方が広くって便利だろうじゃないか。それとも何か面倒な事でもあるのかい」
 自分はぐずついてすこぶる曖昧(あいまい)な挨拶(あいさつ)をした。その時呑(の)み込んだ麺麭(パン)の一片(いっぺん)が、いかにも水気がないように、ぱさぱさと感ぜられた。
「しかし一人の方がかえって気楽かも知れないね。大勢ごたごたしているよりも。――時に君はまだ独身だろう、どうだ早く細君でももっちゃ」
 自分はB先生のこの言葉に対しても、平生の通り気楽な答ができなかった。先生は「今日は君いやに意気銷沈(いきしょうちん)しているね」と云ったぎり話頭を転じて、他(ほか)のものと愚にもつかない馬鹿話を始め出した。自分は自分の前にある茶碗の中に立っている茶柱を、何かの前徴のごとく見つめたぎり、左右に起る笑い声を聞くともなく、また聞かぬでもなく、黙然(もくねん)と腰をかけていた。そうして心の裡(うち)で、自分こそ近頃神経過敏症に罹(かか)っているのではなかろうかと不愉快な心配をした。自分は下宿にいてあまり孤独なため、こう頭に変調を起したのだと思いついて、帰ったら久しぶりに三沢の所へでも話に行こうと決心した。

        三十

 その晩三沢の二階に案内された自分は、気楽そうに胡坐(あぐら)をかいた彼の姿を見て羨(うらや)ましい心持がした。彼の室(へや)は明るい電灯と、暖かい火鉢(ひばち)で、初冬(はつふゆ)の寒さから全然隔離されているように見えた。自分は彼の痼疾(こしつ)が秋風の吹き募(つの)るに従って、漸々(ぜんぜん)好い方へ向いて来た事を、かねてから彼の色にも姿にも知った。けれども今の自分と比較して、彼がこうゆったり構えていようとは思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院を憶(おも)い起すと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換えたと一般であった。
 彼はつい近頃父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまず己(おの)れを後(のち)にするという好意からか、もしくは贅沢(ぜいたく)な択好(よりごの)みからか、せっかくの位置を自分に譲ってくれた。
 自分は電灯で照された彼の室を見廻して、その壁を隙間(すきま)なく飾っている風雅なエッチングや水彩画などについて、しばらく彼と話し合った。けれどもどういうものか、芸術上の議論は十分経(た)つか経たないうちに自然と消えてしまった。すると三沢は突然自分に向って、「時に君の兄さんだがね」と云い出した。自分はここでもまた兄さんかと驚いた。
「兄がどうしたって?」
「いや別にどうしたって事もないが……」
 彼はこれだけ云ってただ自分の顔を眺めていた。自分は勢い彼の言葉とB先生の今朝の言葉とを胸の中(うち)で結びつけなければならなかった。
「そう半分でなく、話すなら皆(みん)な話してくれないか。兄がいったいどうしたと云うんだ。今朝もB先生から同じような事を聞かれて、妙な気がしているところだ」
 三沢は焦烈(じれ)ったそうな自分の顔をなお懇気(こんき)に見つめていたが、やがて「じゃ話そう」と云った。
「B先生の話も僕のもやっぱり同じHさんから出たのだろうと思うがね。Hさんのはまた学生から出たのだって云ったよ。何でもね、君の兄さんの講義は、平生から明瞭(めいりょう)で新しくって、大変学生に気受(きうけ)が好いんだそうだが、その明瞭な講義中に、やはり明瞭ではあるが、前後とどうしても辻褄(つじつま)の合わない所が一二箇所出て来るんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰返して、そこを説明しようとするが、どうしても解らないんだそうだ。しまいに手を額へ当てて、どうも近来頭が少し悪いもんだから……とぼんやり硝子窓(ガラスまど)の外を眺めながら、いつまでも立っているんで、学生も、そんならまたこの次にしましょうと、自分の方で引き下がった事が、何でも幾遍もあったと云う話さ。Hさんは僕に今度長野(自分の姓)に逢(あ)ったら、少し注意して見るが好い。ことによると烈(はげ)しい神経衰弱なのかも知れないからって云ったが、僕もとうとうそれなり忘れてしまって、今君の顔を見るまで実は思い出せなかったのだ」
「そりゃいつ頃の事だ」と自分はせわしなく聞いた。
「ちょうど君の下宿する前後の事だと思っているが、判然(はっきり)した事は覚えていない」
「今でもそうなのか」
 三沢は自分の思い逼(せま)った顔を見て、慰めるように「いやいや」と云った。
「いやいやそれはほんに一時的の事であったらしい。この頃では全然平生と変らなくなったようだと、Hさんが二三日(にさんち)前僕に話したから、もう安心だろう。しかし……」
 自分は家(うち)を出た時に自分の胸に刻み込んだ兄との会見を思わず憶(おも)い出した。そうしてその折の自分の疑いが、あるいは学校で証明されたのではなかろうかと考えて、非常に心細くかつ恐ろしく感じた。

        三十一

 自分は力(つと)めて兄の事を忘れようとした。するとふと大阪の病院で三沢から聞いた精神病の「娘さん」を聯想(れんそう)し始めた。
「あのお嬢さんの法事には間に合ったのかね」と聞いて見た。
「間に合った。間に合ったが、実にあの娘さんの親達は失敬な厭(いや)な奴(やつ)だ」と彼は拳骨(げんこつ)でも振り廻しそうな勢いで云った。自分は驚いてその理由を聞いた。
 彼はその日三沢家を代表して、築地の本願寺の境内(けいだい)とかにある菩提所(ぼだいしょ)に参詣(さんけい)した。薄暗い本堂で長い読経(どきょう)があった後、彼も列席者の一人として、一抹(いちまつ)の香を白い位牌(いはい)の前に焚(た)いた。彼の言葉によると、彼ほどの誠をもって、その若く美しい女の霊前に額(ぬか)ずいたものは、彼以外にほとんどあるまいという話であった。
「あいつらはいくら親だって親類だって、ただ静かなお祭りでもしている気になって、平気でいやがる。本当に涙を落したのは他人のおれだけだ」
 自分は三沢のこういう憤慨を聞いて、少し滑稽(こっけい)を感じたが、表ではただ「なるほど」と肯(うけ)がった。すると三沢は「いやそれだけなら何も怒りゃしない。しかし癪(しゃく)に障(さわ)ったのはその後(あと)だ」
 彼は一般の例に従って、法要の済んだ後(あと)、寺の近くにある或る料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対して談(はなし)をするうちに妙に引っ掛って来た。何の悪意もない彼には、最初いっこうその当こすりが通じなかったが、だんだん時間の進むに従って、彼らの本旨(ほんし)がようやく分って来た。
「馬鹿にもほどがあるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」
「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」と自分が云った。
「誤解?」と彼は大きな声を出した。自分は仕方なしに黙った。彼はしきりにその親達の愚劣な点を述べたててやまなかった。その女の夫となった男の軽薄を罵(のの)しって措(お)かなかった。しまいにこう云った。
「なぜそんなら始めから僕にやろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当(めあて)にして……」
「いったい君は貰(もら)いたいと申し込んだ事でもあるのか」と自分は途中で遮(さえぎ)った。
「ないさ」と彼は答えた。
「僕がその娘さんに――その娘さんの大きな潤(うるお)った眼が、僕の胸を絶えず往来(ゆきき)するようになったのは、すでに精神病に罹(かか)ってからの事だもの。僕に早く帰って来てくれと頼み始めてからだもの」
 彼はこう云って、依然としてその女の美しい大(おおき)な眸(ひとみ)を眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒(おか)しても、愚劣な親達の手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己(おの)れの懐(ふところ)で暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺(あたり)に現れた。
 自分の想像は、この時その美しい眼の女よりも、かえって自分の忘れようとしていた兄の上に逆戻りをした。そうしてその女の精神に祟(たた)った恐ろしい狂いが耳に響けば響くほど、兄の頭が気にかかって来た。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違ないと断言した。精神病で心の憚(はばかり)が解けたからだとその理由までも説明した。兄はことによると、嫂(あによめ)をそういう精神病に罹(かか)らして見たい、本音を吐かせて見たい、と思ってるかも知れない。そう思っている兄の方が、傍(はた)から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分の方から恐ろしい言葉を家中に響かせて狂い廻らないとも限らない。
 自分は三沢の顔などを見ている暇をもたなかった。

        三十二

 自分はかねて母から頼まれて、この次もし三沢の所へ行ったら、彼にお重を貰う気があるか、ないか、それとなく彼の様子を探って来るという約束をした。しかしその晩はどうしてもそういう元気が出なかった。自分の心持を了解しない彼は、かえって自分に結婚を勧めてやまなかった。自分の頭はまたそれに対して気乗(きのり)のした返事をするほど、穏かに澄んでいなかった。彼は折を見て、ある候補者を自分に紹介すると云った。自分は生返事をして彼の家を出た。外は十文字に風が吹いていた。仰ぐ空には星が粉(こ)のごとくささやかな力を集めて、この風に抵抗しつつ輝いた。自分は佗(わび)しい胸の上に両手を当てて下宿へ帰った。そうして冷たい蒲団(ふとん)の中にすぐ潜(もぐ)り込んだ。
 それから二三日(にさんち)しても兄の事がまだ気にかかったなり、頭がどうしても自分と調和してくれなかった。自分はとうとう番町へ出かけて行った。直接兄に会うのが厭(いや)なので、二階へはとうとう上(あが)らなかったが、母を始め他(ほか)の者には無沙汰見舞(ぶさたみまい)の格で、何気なく例の通りの世間話をした。兄を交えない一家の団欒(だんらん)はかえって寛(くつろ)いだ暖かい感じを自分に与えた。
 自分は帰り際(ぎわ)に、母をちょっと次の間へ呼んで、兄の近況を聞いて見た。
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