行人
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著者名:夏目漱石 

「いえけっしてそんなわけじゃありません」
 これだけの返事をした時の自分は真に純良なる弟であった。

        四十三

「そう云うつもりでなければ、つもりでないようにもっと詳(くわし)く話したら好いじゃないか」
 兄は苦(にが)り切って団扇(うちわ)の絵を見つめていた。自分は兄に顔を見られないのを幸いに、暗に彼の様子を窺(うかが)った。自分からこういうと兄を軽蔑(けいべつ)するようではなはだすまないが、彼の表情のどこかには、というよりも、彼の態度のどこかには、少し大人気(おとなげ)を欠いた稚気(ちき)さえ現われていた。今の自分はこの純粋な一本調子に対して、相応の尊敬を払う見地(けんち)を具(そな)えているつもりである。けれども人格のできていなかった当時の自分には、ただ向(むこう)の隙(すき)を見て事をするのが賢いのだという利害の念が、こんな問題にまでつけ纏(まつ)わっていた。
 自分はしばらく兄の様子を見ていた。そうしてこれは与(くみ)しやすいという心が起った。彼は癇癪(かんしゃく)を起している。彼は焦(じ)れ切っている。彼はわざとそれを抑えようとしている。全く余裕のないほど緊張している。しかし風船球のように軽く緊張している。もう少し待っていれば自分の力で破裂するか、または自分の力でどこかへ飛んで行くに相違ない。――自分はこう観察した。
 嫂(あによめ)が兄の手に合わないのも全くここに根ざしているのだと自分はこの時ようやく勘づいた。また嫂として存在するには、彼女の遣口(やりくち)が一番巧妙なんだろうとも考えた。自分は今日(こんにち)までただ兄の正面ばかり見て、遠慮したり気兼(きがね)したり、時によっては恐れ入ったりしていた。しかし昨日(きのう)一日一晩嫂と暮した経験は図(はか)らずもこの苦々(にがにが)しい兄を裏から甘く見る結果になって眼前に現われて来た。自分はいつ嫂から兄をこう見ろと教わった覚はなかった。けれども兄の前へ出て、これほど度胸の据(すわ)った事もまたなかった。自分は比較的すまして、団扇を見つめている兄の額のあたりをこっちでも見つめていた。
 すると兄が急に首を上げた。
「二郎何とか云わないか」と励(はげ)しい言葉を自分の鼓膜(こまく)に射込んだ。自分はその声でまたはっと平生の自分に返った。
「今云おうと思ってるところです。しかし事が複雑なだけに、何から話して好いか解らないんでちょっと困ってるんです。兄さんもほかの事たあ違うんだから、もう少し打ち解けてゆっくり聞いて下さらなくっちゃ。そう裁判所みたように生真面目(きまじめ)に叱りつけられちゃ、せっかく咽喉(のど)まで出かかったものも、辟易(へきえき)して引込んじまいますから」
 自分がこう云うと、兄はさすがに一見識(ひとけんしき)ある人だけあって、「ああそうかおれが悪かった。お前が性急(せっかち)の上へ持って来て、おれが癇癪持と来ているから、つい変にもなるんだろう。二郎、それじゃいつゆっくり話される。ゆっくり聞く事なら今でもおれにはできるつもりだが」と云った。
「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もう直(じき)です。その上で落ちついて僕の考えも申し上げたいと思ってますから」
「それでも好(い)い」
 兄は落ちついて答えた。今までの彼の癇癪(かんしゃく)を自分の信用で吹き払い得たごとくに。
「ではどうか、そう願います」と云って自分が立ちかけた時、兄は「ああ」と肯(うな)ずいて見せたが、自分が敷居を跨(また)ぐ拍子(ひょうし)に「おい二郎」とまた呼び戻した。
「詳(くわし)い事は追って東京で聞くとして、ただ一言(ひとこと)だけ要領を聞いておこうか」
「姉さんについて……」
「無論」
「姉さんの人格について、御疑いになるところはまるでありません」
 自分がこう云った時、兄は急に色を変えた。けれども何にも云わなかった。自分はそれぎり席を立ってしまった。

        四十四

 自分はその時場合によれば、兄から拳骨(げんこつ)を食うか、または後(うしろ)から熱罵を浴(あび)せかけられる事と予期していた。色を変えた彼を後に見捨てて、自分の席を立ったくらいだから、自分は普通よりよほど彼を見縊(みくび)っていたに違なかった。その上自分はいざとなれば腕力に訴えてでも嫂(あによめ)を弁護する気概を十分具(そな)えていた。これは嫂が潔白だからというよりも嫂に新たなる同情が加わったからと云う方が適切かも知れなかった。云い換えると、自分は兄をそれだけ軽蔑(けいべつ)し始めたのである。席を立つ時などは多少彼に対する敵愾心(てきがいしん)さえ起った。
 自分が室(へや)へ帰って来た時、母はもう浴衣(ゆかた)を畳んではいなかった。けれども小さい行李(こり)の始末に余念なく手を動かしていた。それでも心は手許(てもと)になかったと見えて、自分の足音を聞くや否や、すぐこっちを向いた。
「兄さんは」
「今来るでしょう」
「もう話は済んだの」
「済むの済まないのって、始めからそんな大した話じゃないんです」
 自分は母の気を休めるため、わざと蒼蠅(うるさ)そうにこう云った。母はまた行李の中へ、こまごましたものを出したり入れたりし始めた。自分は今度は彼(か)の女(じょ)に恥じて、けっして傍(そば)に手伝っている嫂の顔をあえて見なかった。それでも彼女の若くて淋(さむ)しい唇(くちびる)には冷かな笑の影が、自分の眼を掠(かす)めるように過ぎた。
「今から荷造りですか。ちっと早過ぎるな」と自分はわざと年を取った母を嘲(あざ)けるごとく注意した。
「だって立つとなれば、なるたけ早く用意しておいた方が都合が好いからね」
「そうですとも」
 嫂のこの返事は、自分が何か云おうとする先(せん)を越して声に応ずる響のごとく出た。
「じゃ縄(なわ)でも絡(から)げましょう。男の役だから」
 自分は兄と反対に車夫や職人のするような荒仕事に妙を得ていた。ことに行李(こり)を括(くく)るのは得意であった。自分が縄を十文字に掛け始めると、嫂(あによめ)はすぐ立って兄のいる室(へや)の方に行った。自分は思わずその後姿を見送った。
「二郎兄さんの機嫌(きげん)はどうだったい」と母がわざわざ小さな声で自分に聞いた。
「別にこれと云う事もありません。なあに心配なさる事があるもんですか。大丈夫です」と自分はことさらに荒っぽく云って、右足で行李の蓋(ふた)をぎいぎい締めた。
「実はお前にも話したい事があるんだが。東京へでも帰ったらいずれまたゆっくりね」
「ええゆっくり伺いましょう」
 自分はこう無造作(むぞうさ)に答えながら、腹の中では母のいわゆる話なるものの内容を朧気(おぼろげ)ながら髣髴(ほうふつ)した。
 しばらくすると、兄と嫂が別席から出て来た。自分は平気を粧(よそお)いながら母と話している間にも、両人の会見とその会見の結果について多少気がかりなところがあった。母は二人の並んで来る様子を見て、やっと安心した風を見せた。自分にもどこかにそんなところがあった。
 自分は行李を絡(から)げる努力で、顔やら背中やらから汗がたくさん出た。腕捲(うでまく)りをした上、浴衣(ゆかた)の袖(そで)で汗を容赦なく拭いた。
「おい暑そうだ。少し扇(あお)いでやるが好い」
 兄はこう云って嫂を顧みた。嫂は静に立って自分を扇いでくれた。
「何よござんす。もう直(じき)ですから」
 自分がこう断っているうちに、やがて明日(あす)の荷造りは出来上った。


     帰ってから


        一

 自分は兄夫婦の仲がどうなる事かと思って和歌山から帰って来た。自分の予想ははたして外(はず)れなかった。自分は自然の暴風雨(あらし)に次(つい)で、兄の頭に一種の旋風が起る徴候を十分認めて彼の前を引き下った。けれどもその徴候は嫂(あによめ)が行って十分か十五分話しているうちに、ほとんど警戒を要しないほど穏かになった。
 自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠(はりねずみ)のように尖(とが)ってるあの兄を、わずかの間に丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した。自分はようやく安心したような顔を、晴々と輝かせた母を見るだけでも満足であった。
 兄の機嫌(きげん)は和歌の浦を立つ時も変らなかった。汽車の内でも同じ事であった。大阪へ来てもなお続いていた。彼は見送りに出た岡田夫婦を捕(つら)まえて戯談(じょうだん)さえ云った。
「岡田君お重(しげ)に何か言伝(ことづて)はないかね」
 岡田は要領を得ない顔をして、「お重さんにだけですか」と聞き返していた。
「そうさ君の仇敵(きゅうてき)のお重にさ」
 兄がこう答えた時、岡田はやっと気のついたという風に笑い出した。同じ意味で謎(なぞ)の解けたお兼(かね)さんも笑い出した。母の予言通り見送りに来ていた佐野も、ようやく笑う機会が来たように、憚(はばか)りなく口を開いて周囲の人を驚かした。
 自分はその時まで嫂(あによめ)にどうして兄の機嫌(きげん)を直したかを聞いて見なかった。その後もついぞ聞く機会をもたなかった。けれどもこういう霊妙な手腕をもっている彼女であればこそ、あの兄に対して始終(しじゅう)ああ高(たか)を括(くく)っていられるのだと思った。そうしてその手腕を彼女はわざと出したり引込ましたりする、単に時と場合ばかりでなく、全く己れの気まま次第で出したり引込ましたりするのではあるまいかと疑ぐった。
 汽車は例のごとく込み合っていた。自分達は仕切りの付いている寝台(しんだい)をやっとの思いで四つ買った。四つで一室になっているので都合は大変好かった。兄と自分は体力の優秀な男子と云う訳で、婦人方(がた)二人に、下のベッドを当(あて)がって、上へ寝た。自分の下には嫂が横になっていた。自分は暗い中を走る汽車の響のうちに自分の下にいる嫂をどうしても忘れる事ができなかった。彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将(あおだいしょう)に身体(からだ)を絡(から)まれるような心持もした。
 兄は谷一つ隔てて向うに寝ていた。これは身体が寝ているよりも本当に精神が寝ているように思われた。そうしてその寝ている精神を、ぐにゃぐにゃした例の青大将が筋違(すじかい)に頭から足の先まで巻き詰めているごとく感じた。自分の想像にはその青大将が時々熱くなったり冷たくなったりした。それからその巻きようが緩(ゆる)くなったり、緊(きつ)くなったりした。兄の顔色は青大将の熱度の変ずるたびに、それからその絡みつく強さの変ずるたびに、変った。
 自分は自分の寝台(ねだい)の上で、半(なかば)は想像のごとく半は夢のごとくにこの青大将と嫂とを連想してやまなかった。自分はこの詩に似たような眠(ねむり)が、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋と云う声で、急に破られたのを今でも記憶している。その時汽車の音がはたりと留(とま)ると同時に、さあという雨の音が聞こえた。自分は靴足袋(くつたび)の裏に湿気(しめりけ)を感じて起き上ると、足の方に当る窓が塵除(ちりよけ)の紗(しゃ)で張ってあった。自分はいそいで窓を閉(た)て換えた。ほかの人のはどうかと思って、聞いて見たが、答がなかった。ただ嫂だけが雨が降り込むようだというので、やむをえず上から飛び下りてまた窓を閉て換えてやった。

        二

「雨のようね」と嫂が聞いた。
「ええ」
 自分は半(なか)ば風に吹き寄せられた厚い窓掛の、じとじとに湿(しめ)ったのを片方へがらりと引いた。途端(とたん)に母の寝返りを打つ音が聞こえた。
「二郎、ここはどこだい」
「名古屋です」
 自分は吹き込む紗(しゃ)の窓を通して、ほとんど人影の射さない停車場(ステーション)の光景を、雨のうちに眺めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音がたった一人で活きて来るように響いた。
「二郎ついでに妾(わたし)の足の方も締(し)めておくれな」
「御母さんの所も硝子(ガラス)が閉(た)っていないんですか。先刻(さっき)呼んだらよく寝ていらっしゃるようでしたから……」
 自分は嫂(あによめ)の方を片づけて、すぐ母の方に行った。厚い窓掛を片寄せて、手探(てさぐ)りに探って見ると、案外にも立派に硝子戸(ガラスど)が締(し)まっていた。
「御母さんこっちは雨なんか這入(はい)りゃしませんよ。大丈夫です、この通りだから」
 自分はこう云いながら、母の足の方に当る硝子を、とんとんと手で叩(たた)いて見せた。
「おや雨は這入らないのかい」
「這入るものですか」
 母は微笑した。
「いつ頃(ごろ)から雨が降り出したか御母さんはちっとも知らなかったよ」
 母はさも愛想(あいそ)らしくまた弁疏(いいわけ)らしく口を利(き)いて、「二郎、御苦労だったね、早く御休み。もうよっぽど遅いんだろう」と云った。
 時計は十二時過であった。自分はまたそっと上の寝台に登った。車室は元の通り静かになった。嫂は母が口を利き出してから、何も云わなくなった。母は自分が自分の寝台に上(のぼ)ってから、また何も云わなくなった。ただ兄だけは始めからしまいまで一言(ひとこと)も物を云わなかった。彼は聖者(しょうじゃ)のごとくただすやすやと眠っていた。この眠方(ねむりかた)が自分には今でも不審の一つになっている。
 彼は自分で時々公言するごとく多少の神経衰弱に陥っていた。そうして時々(じじ)不眠のために苦しめられた。また正直にそれを家族の誰彼に訴えた。けれども眠くて困ると云った事はいまだかつてなかった。
 富士が見え出して雨上りの雲が列車に逆(さか)らって飛ぶ景色を、みんなが起きて珍らしそうに眺める時すら、彼は前後に関係なく心持よさそうに寝ていた。
 食堂が開(あ)いて乗客の多数が朝飯(あさめし)を済ました後(のち)、自分は母を連れて昨夜以来の空腹を充(み)たすべく細い廊下を伝わって後部の方へ行った。その時母は嫂に向って、「もう好い加減に一郎を起して、いっしょにあっちへ御出(おい)で。妾達(わたしたち)は向(むこう)へ行って待っているから」と云った。嫂はいつもの通り淋(さむ)しい笑い方をして、「ええ直(じき)御後(おあと)から参ります」と答えた。
 自分達は室内の掃除に取りかかろうとする給仕(ボイ)を後(あと)にして食堂へ這入(はい)った。食堂はまだだいぶ込んでいた。出たり這入ったりするものが絶えず狭い通り路をざわつかせた。自分が母に紅茶と果物を勧めている時分に、兄と嫂の姿がようやく入口に現れた。不幸にして彼らの席は自分達の傍(そば)に見出せるほど、食卓は空(す)いていなかった。彼らは入口の所に差し向いで座を占めた。そうして普通の夫婦のように笑いながら話したり、窓の外を眺めたりした。自分を相手に茶を啜(すす)っていた母は、時々その様子を満足らしく見た。
 自分達はかくして東京へ帰ったのである。

        三

 繰返していうが、我々はこうして東京へ帰ったのである。
 東京の宅は平生の通り別にこれと云って変った様子もなかった。お貞(さだ)さんは襷(たすき)を掛けて別条なく働いていた。彼女が手拭(てぬぐい)を被(かぶ)って洗濯をしている後姿を見て、一段落置いた昔のお貞さんを思いだしたのは、帰って二日目の朝であった。
 芳江(よしえ)というのは兄夫婦の間にできた一人っ子であった。留守(るす)のうちはお重(しげ)が引受けて万事世話をしていた。芳江は元来母や嫂(あによめ)に馴(な)ついていたが、いざとなると、お重だけでも不自由を感じないほど世話の焼けない子であった。自分はそれを嫂の気性(きしょう)を受けて生れたためか、そうでなければお重の愛嬌(あいきょう)のあるためだと解釈していた。
「お重お前のようなものがよくあの芳江を預かる事ができるね。さすがにやっぱり女だなあ」と父が云ったら、お重は膨(ふく)れた顔をして、「御父さんもずいぶんな方(かた)ね」と母にわざわざ訴えに来た話を、汽車の中で聞いた。
 自分は帰ってから一両日して、彼女に、「お重お前を御父さんがやっぱり女だなとおっしゃったって怒ってるそうだね」と聞いた。彼女は「怒ったわ」と答えたなり、父の書斎の花瓶(はないけ)の水を易(か)えながら、乾いた布巾(ふきん)で水を切っていた。
「まだ怒ってるのかい」
「まだってもう忘れちまったわ。――綺麗(きれい)ねこの花は何というんでしょう」
「お重しかし、女だなあというのは、そりゃ賞(ほ)めた言葉だよ。女らしい親切な子だというんだ。怒る奴(やつ)があるもんか」
「どうでもよくってよ」
 お重は帯で隠した尻の辺(あたり)を左右に振って、両手で花瓶を持ちながら父の居間の方へ行った。それが自分にはあたかも彼女が尻で怒(いかり)を見せているようでおかしかった。
 芳江は我々が帰るや否や、すぐお重の手から母と嫂に引渡された。二人は彼女を奪い合うように抱いたり下(おろ)したりした。自分の平生から不思議に思っていたのは、この外見上冷静な嫂に、頑是(がんぜ)ない芳江がよくあれほどに馴つきえたものだという眼前の事実であった。この眸(ひとみ)の黒い髪のたくさんある、そうして母の血を受けて人並よりも蒼白(あおじろ)い頬をした少女は、馴れやすからざる彼女の母の後(あと)を、奇蹟(きせき)のごとく追って歩いた。それを嫂は日本一の誇として、宅中(うちじゅう)の誰彼に見せびらかした。ことに己(おのれ)の夫に対しては見せびらかすという意味を通り越して、むしろ残酷な敵打(かたきうち)をする風にも取れた。兄は思索に遠ざかる事のできない読書家として、たいていは書斎裡(しょさいり)の人であったので、いくら腹のうちでこの少女を鍾愛(しょうあい)しても、鍾愛の報酬たる親しみの程度ははなはだ稀薄(きはく)なものであった。感情的な兄がそれを物足らず思うのも無理はなかった。食卓の上などでそれが色に出る時さえ兄の性質としてはたまにはあった。そうなるとほかのものよりお重が承知しなかった。
「芳江さんは御母さん子ね。なぜ御父さんの側(そば)に行かないの」などと故意(わざ)とらしく聞いた。
「だって……」と芳江は云った。
「だってどうしたの」とお重がまた聞いた。
「だって怖(こわ)いから」と芳江はわざと小さな声で答えた。それがお重にはなおさら忌々(いまいま)しく聞こえるのであった。
「なに? 怖いって? 誰が怖いの?」
 こんな問答がよく繰り返えされて、時には五分も十分も続いた。嫂(あによめ)はこう云う場合に、けっして眉目(びもく)を動さなかった。いつでも蒼(あお)い頬に微笑を見せながらどこまでも尋常な応対をした。しまいには父や母が双方を宥(なだ)めるために、兄から果物を貰わしたり、菓子を受け取らしたりさせて、「さあそれで好い。御父さんから旨(うま)いものをちょうだいして」とやっと御茶を濁す事もあった。お重はそれでも腹が癒(い)えなそうに膨(ふく)れた頬をみんなに見せた。兄は黙って独(ひと)り書斎へ退(しりぞ)くのが常であった。

        四

 父はその年始めて誰かから朝貌(あさがお)を作る事を教わって、しきりに変った花や葉を愛玩(あいがん)していた。変ったと云っても普通のものがただ縮れて見立(みだて)がなくなるだけだから、宅中(うちじゅう)でそれを顧みるものは一人もなかった。ただ父の熱心と彼の早起と、いくつも並んでいる鉢(はち)と、綺麗(きれい)な砂と、それから最後に、厭(いや)に拗(す)ねた花の様(さま)や葉の形に感心するだけに過ぎなかった。
 父はそれらを縁側(えんがわ)へ並べて誰を捉(つら)まえても説明を怠(おこた)らなかった。
「なるほど面白いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしく御世辞(おせじ)を余儀なくされていた。
 父は常に我々とはかけ隔(へだた)った奥の二間(ふたま)を専領(せんりょう)していた。簀垂(すだれ)のかかったその縁側に、朝貌はいつでも並べられた。したがって我々は「おい一郎」とか「おいお重」とか云って、わざわざそこへ呼び出されたものであった。自分は兄よりも遥(はるか)に父の気に入るような賛辞を呈して引き退(さ)がった。そうして父の聞えない所で、「どうもあんな朝貌を賞(ほ)めなけりゃならないなんて、実際恐れ入るね。親父(おやじ)の酔興にも困っちまう」などと悪口を云った。
 いったい父は講釈好(こうしゃくずき)の説明好であった。その上時間に暇があるから、誰でも構わず、号鈴(ベル)を鳴らして呼寄せてはいろいろな話をした。お重などは呼ばれるたびに、「兄さん今日は御願だから代りに行ってちょうだい」と云う事がよくあった。そのお重に父はまた解り悪(にく)い事を話すのが大好だった。
 自分達が大阪から帰ったとき朝貌(あさがお)はまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。
「どうしました。例の変り種は」と自分が聞いて見ると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもう止(や)めだ」と答えた。自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。すると例のお重とお貞さんが父を弁護した。
「そうじゃ無いのよ。あんまり手数(てすう)がかかるんで、御父さんも根気が尽きちまったのよ。それでも御父さんだからあれだけにできたんですって、皆(みん)な賞(ほ)めていらしったわ」
 母と嫂(あによめ)は自分の顔を見て、さも自分の無識を嘲(あざ)けるように笑い出した。すると傍(そば)にいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。
 こんな瑣事(さじ)で日を暮しているうちに兄と嫂の間柄は自然自分達の胸を離れるようになった。自分はかねて約束した通り、兄の前へ出て嫂の事を説明する必要がなくなったような気がした。母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと云ったむずかしそうな事件も母の口から容易に出ようとも思えなかった。最後にあれほど嫂について智識を得たがっていた兄が、だんだん冷静に傾いて来た。その代り父母や自分に対しても前ほどは口を利(き)かなくなった。暑い時でもたいていは書斎へ引籠(ひきこも)って何か熱心にやっていた。自分は時々嫂に向って、「兄さんは勉強ですか」と聞いた。嫂は「ええおおかた来学年の講義でも作ってるんでしょう」と答えた。自分はなるほどと思って、その忙しさが永く続くため、彼の心を全然そっちの方へ転換させる事ができはしまいかと念じた。嫂は平生の通り淋(さび)しい秋草のようにそこらを動いていた。そうして時々片靨(かたえくぼ)を見せて笑った。

        五

 そのうち夏もしだいに過ぎた。宵々(よいよい)に見る星の光が夜ごとに深くなって来た。梧桐(あおぎり)の葉の朝夕風に揺ぐのが、肌に応(こた)えるように眼をひやひやと揺振(ゆすぶ)った。自分は秋に入ると生れ変ったように愉快な気分を時々感じ得た。自分より詩的な兄はかつて透(す)き通る秋の空を眺めてああ生き甲斐(がい)のある天だと云って嬉(うれ)しそうに真蒼(まっさお)な頭の上を眺めた事があった。
「兄さんいよいよ生き甲斐のある時候が来ましたね」と自分は兄の書斎のヴェランダに立って彼を顧みた。彼はそこにある籐椅子(といす)の上に寝ていた。
「まだ本当の秋の気分にゃなれない。もう少し経(た)たなくっちゃ駄目だね」と答えて彼は膝(ひざ)の上に伏せた厚い書物を取り上げた。時は食事前の夕方であった。自分はそれなり書斎を出て下へ行こうとした。すると兄が急に自分を呼び止めた。
「芳江は下にいるかい」
「いるでしょう。先刻(さっき)裏庭で見たようでした」
 自分は北の方の窓を開けて下を覗(のぞ)いて見た。下には特に彼女のために植木屋が拵(こしら)えたブランコがあった。しかし先刻いた芳江の姿は見えなかった。「おやどこへか行ったかな」と自分が独言(ひとりごと)を云ってると、彼女の鋭い笑い声が風呂場の中で聞えた。
「ああ湯に這入(はい)っています」
「直(なお)といっしょかい。御母さんとかい」
 芳江の笑い声の間にはたしかに、女として深さのあり過ぎる嫂(あによめ)の声が聞えた。
「姉さんです」と自分は答えた。
「だいぶ機嫌(きげん)が好さそうじゃないか」
 自分は思わずこう云った兄の顔を見た。彼は手に持っていた大きな書物で頭まで隠していたからこの言葉を発した時の表情は少しも見る事ができなかった。けれども、彼の意味はその調子で自分によく呑(の)み込めた。自分は少し逡巡(しゅんじゅん)した後(あと)で、「兄さんは子供をあやす事を知らないから」と云った。兄の顔はそれでも書物の後(うしろ)に隠れていた。それを急に取るや否や彼は「おれの綾成(あや)す事のできないのは子供ばかりじゃないよ」と云った。自分は黙って彼の顔を打ち守った。
「おれは自分の子供を綾成す事ができないばかりじゃない。自分の父や母でさえ綾成す技巧を持っていない。それどころか肝心(かんじん)のわが妻(さい)さえどうしたら綾成せるかいまだに分別がつかないんだ。この年になるまで学問をした御蔭(おかげ)で、そんな技巧は覚える余暇(ひま)がなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要と見えるね」
「でも立派な講義さえできりゃ、それですべてを償(つぐな)って余(あまり)あるから好いでさあ」
 自分はこう云って、様子次第、退却しようとした。ところが兄は中止する気色(けしき)を見せなかった。
「おれは講義を作るためばかりに生れた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心(かんじん)の人間らしい心持を人間らしく満足させる事ができなくなってしまったのだ。でなければ先方(さき)で満足させてくれる事ができなくなったのだ」
 自分は兄の言葉の裏に、彼の周囲を呪(のろ)うように苦々(にがにが)しいある物を発見した。自分は何とか答えなければならなかった。しかし何と答えて好いか見当(けんとう)がつかなかった。ただ問題が例の嫂事件を再発(さいほつ)させては大変だと考えた。それで卑怯(ひきょう)のようではあるが、問答がそこへ流れ入る事を故意に防いだ。
「兄さんが考え過ぎるから、自分でそう思うんですよ。それよりかこの好天気を利用して、今度の日曜ぐらいに、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか」
 兄はかすかに「うん」と云って慵(ものう)げに承諾の意を示した。

        六

 兄の顔には孤独の淋(さみ)しみが広い額を伝わって瘠(こ)けた頬に漲(みなぎ)っていた。
「二郎おれは昔から自然が好きだが、つまり人間と合わないので、やむをえず自然の方に心を移す訳になるんだろうかな」
 自分は兄が気の毒になった。「そんな事はないでしょう」と一口に打ち消して見た。けれどもそれで兄の満足を買う訳には行かなかった。自分はすかさずまたこう云った。
「やっぱり家(うち)の血統にそう云う傾きがあるんですよ。御父さんは無論、僕でも兄さんの知っていらっしゃる通りですし、それにね、あのお重がまた不思議と、花や木が好きで、今じゃ山水画などを見ると感に堪(た)えたような顔をして時々眺めている事がありますよ」
 自分はなるべく兄を慰めようとして、いろいろな話をしていた。そこへお貞さんが下から夕食の報知(しらせ)に来た。自分は彼女に、「お貞さんは近頃嬉(うれ)しいと見えて妙ににこにこしていますね」と云った。自分が大阪から帰るや否や、お貞さんは暑い下女室(げじょべや)の隅(すみ)に引込んで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出したみんなの合併(がっぺい)絵葉書(えはがき)の中(うち)へ、自分がお貞さん宛(あて)に「おめでとう」と書いた五字から起ったのだと知れて家内中大笑いをした。そのためか一つ家にいながらお貞さんは変に自分を回避した。したがって顔を合わせると自分はことさらに何か云いたくなった。
「お貞さん何が嬉(うれ)しいんですか」と自分は面白半分追窮するように聞いた。お貞さんは手を突いたなり耳まで赤くなった。兄は籐椅子(といす)の上からお貞さんを見て、「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行って見るとね、結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。それどころか、結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。恐ろしい目に会う事さえある。まあ用心が肝心(かんじん)だ」と云った。
 お貞さんには兄の意味が全く通じなかったらしい。何と答えて好いか解らないので、むしろ途方(とほう)に暮れた顔をしながら涙を眼にいっぱい溜(た)めていた。兄はそれを見て、「お貞さん余計な事を話して御気の毒だったね。今のは冗談だよ。二郎のような向う見ずに云って聞かせる事を、ついお貞さん見たいな優(やさ)しい娘さんに云っちまったんだ。全くの間違だ。勘弁(かんべん)してくれたまえ。今夜は御馳走(ごちそう)があるかね。二郎それじゃ御膳(ごぜん)を食べに行こう」と云った。
 お貞さんは兄が籐椅子から立ち上るのを見るや否や、すぐ腰を立てて一足先へ階子段(はしごだん)をとんとんと下りて行った。自分は兄と肩を比(なら)べて室(へや)を出にかかった。その時兄は自分を顧みて「二郎、この間の問題もそれぎりになっていたね。つい書物や講義の事が忙(いそが)しいものだから、聞こう聞こうと思いながら、ついそのままにしておいてすまない。そのうちゆっくり聴(き)くつもりだから、どうか話してくれ」と云った。自分は「この間の問題とは何ですか」と空惚(そらとぼ)けたかった。けれどもそんな勇気はこの際出る余裕がなかったから、まず体裁の好い挨拶(あいさつ)だけをしておいた。
「こう時間が経(た)つと、何だか気の抜けた麦酒(ビール)見たようで、僕には話し悪(にく)くなってしまいましたよ。しかしせっかくのお約束だから聴(き)くとおっしゃればやらん事もありませんがね。しかし兄さんのいわゆる生き甲斐(がい)のある秋にもなったものだから、そんなつまらない事より、まず第一に遠足でもしようじゃありませんか」
「うん遠足も好かろうが……」
 二人はこんな話を交換しながら、食卓の据(す)えてある下の室(へや)に入った。そうしてそこに芳江を傍(そば)に引きつけている嫂(あによめ)を見出した。

        七

 食卓の上で父と母は偶然またお貞さんの結婚問題を話頭に上(のぼ)せた。母は兼(かね)て白縮緬(しろちりめん)を織屋から買っておいたから、それを紋付(もんつき)に染めようと思っているなどと云った。お貞さんはその時みんなの後(うしろ)に坐(すわ)って給仕をしていたが、急に黒塗の盆をおはちの上へ置いたなり席を立ってしまった。
 自分は彼女の後姿(うしろすがた)を見て笑い出した。兄は反対に苦(にが)い顔をした。
「二郎お前がむやみに調戯(からか)うからいけない。ああ云う乙女(おぼこ)にはもう少しデリカシーの籠(こも)った言葉を使ってやらなくっては」
「二郎はまるで堂摺連(どうするれん)と同じ事だ」と父が笑うようなまた窘(たし)なめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた。
「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからして直(なお)とはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」
 兄の説明を聞いた母は始めてなるほどと云ったように苦笑した。もう食事を済ましていた嫂は、わざと自分の顔を見て変な眼遣(めづかい)をした。それが自分には一種の相図のごとく見えた。自分は父から評された通りだいぶ堂摺連の傾きを持っていたが、この時は父や母に憚(はばか)って、嫂の相図を返す気は毫(ごう)も起らなかった。
 嫂は無言のまますっと立った、室(へや)の出口でちょっと振り返って芳江を手招きした。芳江もすぐ立った。
「おや今日はお菓子を頂かないで行くの」とお重が聞いた。芳江はそこに立ったまま、どうしたものだろうかと思案する様子に見えた。嫂は「おや芳江さん来ないの」とさもおとなしやかに云って廊下の外へ出た。今まで躊躇(ちゅうちょ)していた芳江は、嫂の姿が見えなくなるや否や急に意を決したもののごとく、ばたばたとその後(あと)を追駈(おいか)けた。
 お重は彼女の後姿(うしろすがた)をさも忌々(いまいま)しそうに見送った。父と母は厳格な顔をして己(おの)れの皿の中を見つめていた。お重は兄を筋違(すじか)いに見た。けれども兄は遠くの方をぼんやり眺めていた。もっとも彼の眉根(まゆね)には薄く八の字が描かれていた。
「兄さん、そのプッジングを妾(あたし)にちょうだい。ね、好いでしょう」とお重が兄に云った。兄は無言のまま皿をお重の方に押(おし)やった。お重も無言のままそれを匙(スプーン)で突(つっ)ついたが、自分から見ると、食べたくない物を業腹(ごうはら)で食べているとしか思われなかった。
 兄が席を立って書斎に入(い)ったのはそれからしてしばらく後(のち)の事であった。自分は耳を峙(そばだ)てて彼の上靴(スリッパ)が静(しずか)に階段を上(のぼ)って行く音を聞いた。やがて上の方で書斎の戸(ドア)がどたんと閉まる声がして、後は静になった。
 東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには気がついているらしかった。けれども一番心配そうなのは母であった。彼女は嫂(あによめ)の態度を見破って、かつ容赦の色を見せないお重を、一日も早く片づけて若い女同士の葛藤(かっとう)を避けたい気色(けしき)を色にも顔にも挙動にも現した。次にはなるべく早く嫁を持たして、兄夫婦の間から自分という厄介(やっかい)ものを抜き去りたかった。けれども複雑な世の中は、そう母の思うように旨(うま)く回転してくれなかった。自分は相変らず、のらくらしていた。お重はますます嫂を敵(かたき)のように振舞った。不思議に彼女は芳江を愛した。けれどもそれは嫂のいない留守に限られていた。芳江も嫂のいない時ばかりお重に縋(すが)りついた。兄の額には学者らしい皺(しわ)がだんだん深く刻(きざ)まれて来た。彼はますます書物と思索の中に沈んで行った。

        八

 こんな訳で、母の一番軽く見ていたお貞さんの結婚が最初にきまったのは、彼女の思わくとはまるで反対であった。けれども早晩(いつか)片づけなければならないお貞さんの運命に一段落をつけるのも、やはり父や母の義務なんだから、彼らは岡田の好意を喜びこそすれ、けっしてそれを悪く思うはずはなかった。彼女の結婚が家中(うちじゅう)の問題になったのもつまりはそのためであった。お重はこの問題についてよくお貞さんを捕(つら)まえて離さなかった。お貞さんはまたお重には赤い顔も見せずに、いろいろの相談をしたり己(おの)れの将来をも語り合ったらしい。
 ある日自分が外から帰って来て、風呂から上ったところへ、お重が、「兄さん佐野さんていったいどんな人なの」と例の前後を顧慮しない調子で聞いた。これは自分が大阪から帰ってから、もう二度目もしくは三度目の質問であった。
「何だそんな藪(やぶ)から棒に。御前はいったい軽卒でいけないよ」
 怒りやすいお重は黙って自分の顔を見ていた。自分は胡坐(あぐら)をかきながら、三沢へやる端書(はがき)を書いていたが、この様子を見て、ちょっと筆を留めた。
「お重また怒ったな。――佐野さんはね、この間云った通り金縁眼鏡(きんぶちめがね)をかけたお凸額(でこ)さんだよ。それで好いじゃないか。何遍聞いたって同(おんな)じ事だ」
「お凸額(でこ)や眼鏡は写真で充分だわ。何も兄さんから聞かないだって妾(あたし)知っててよ。眼があるじゃありませんか」
 彼女はまだ打ち解けそうな口の利(き)き方をしなかった。自分は静かに端書(はがき)と筆を机の上へ置いた。
「全体何を聞こうと云うのだい」
「全体あなたは何を研究していらしったんです。佐野さんについて」
 お重という女は議論でもやり出すとまるで自分を同輩のように見る、癖(くせ)だか、親しみだか、猛烈な気性(きしょう)だか、稚気(ちき)だかがあった。
「佐野さんについてって……」と自分は聞いた。
「佐野さんの人(ひと)となりについてです」
 自分は固(もと)よりお重を馬鹿にしていたが、こういう真面目(まじめ)な質問になると、腹の中でどっしりした何物も貯えていなかった。自分はすまして巻煙草(まきたばこ)を吹かし出した。お重は口惜(くや)しそうな顔をした。
「だって余(あん)まりじゃありませんか、お貞さんがあんなに心配しているのに」
「だって岡田がたしかだって保証するんだから、好いじゃないか」
「兄さんは岡田さんをどのくらい信用していらっしゃるんです。岡田さんはたかが将棋の駒じゃありませんか」
「顔は将棋の駒だって何だって……」
「顔じゃありません。心が浮いてるんです」
 自分は面倒と癇癪(かんしゃく)でお重を相手にするのが厭(いや)になった。
「お重御前そんなにお貞さんの事を心配するより、自分が早く嫁にでも行く工夫をした方がよっぽど利口だよ。お父さんやお母さんは、お前が片づいてくれる方をお貞さんの結婚よりどのくらい助かると思っているか解りゃしない。お貞さんの事なんかどうでもいいから、早く自分の身体(からだ)の落ちつくようにして、少し親孝行でも心がけるが好い」
 お重ははたして泣き出した。自分はお重と喧嘩(けんか)をするたびに向うが泣いてくれないと手応(てごたえ)がないようで、何だか物足らなかった。自分は平気で莨(たばこ)を吹かした。
「じゃ兄さんも早くお嫁を貰(もら)って独立したら好いでしょう。その方が妾が結婚するよりいくら親孝行になるか知れやしない。厭に嫂(ねえ)さんの肩ばかり持って……」
「お前は嫂さんに抵抗し過ぎるよ」
「当前(あたりまえ)ですわ。大兄(おおにい)さんの妹ですもの」

        九

 自分は三沢へ端書(はがき)を書いた後(あと)で、風呂から出立(でたて)の頬に髪剃(かみそり)をあてようと思っていた。お重を相手にぐずぐずいうのが面倒になったのを好い幸いに、「お重気の毒だが風呂場から熱い湯をうがい茶碗にいっぱい持って来てくれないか」と頼んだ。お重は嗽茶碗(うがいぢゃわん)どころの騒ぎではないらしかった。それよりまだ十倍も厳粛な人生問題を考えているもののごとく澄まして膨(ふく)れていた。自分はお重に構わず、手を鳴らして下女から必要な湯を貰った。それから机の上へ旅行用の鏡を立てて、象牙(ぞうげ)の柄(え)のついた髪剃(かみそり)を並べて、熱湯で濡(ぬ)らした頬をわざと滑稽(こっけい)に膨(ふく)らませた。
 自分が物新しそうにシェーヴィング・ブラッシを振り廻して、石鹸(シャボン)の泡で顔中を真白にしていると、先刻(さっき)から傍(そば)に坐ってこの様子を見ていたお重は、ワッと云う悲劇的な声をふり上げて泣き出した。自分はお重の性質として、早晩ここに来るだろうと思って、暗(あん)にこの悲鳴を予期していたのである。そこでますます頬(ほっ)ぺたに空気をいっぱい入れて、白い石鹸をすうすうと髪剃の刃で心持よさそうに落し始めた。お重はそれを見て業腹(ごうはら)だか何だかますます騒々しい声を立てた。しまいに「兄さん」と鋭どく自分を呼んだ。自分はお重を馬鹿にしていたには違ないが、この鋭い声には少し驚かされた。
「何だ」
「何だって、そんなに人を馬鹿にするんです。これでも私はあなたの妹です。嫂(ねえ)さんはいくらあなたが贔屓(ひいき)にしたって、もともと他人じゃありませんか」
 自分は髪剃を下へ置いて、石鹸だらけの頬をお重の方に向けた。
「お重お前は逆(のぼ)せているよ。お前がおれの妹で、嫂さんが他家(よそ)から嫁に来た女だぐらいは、お前に教わらないでも知ってるさ」
「だから私に早く嫁に行けなんて余計な事を云わないで、あなたこそ早くあなたの好きな嫂さんみたような方(かた)をお貰(もら)いなすったら好いじゃありませんか」
 自分は平手(ひらて)でお重の頭を一つ張りつけてやりたかった。けれども家中騒ぎ廻られるのが怖(こわ)いんで、容易に手は出せなかった。
「じゃお前も早く兄さんみたような学者を探(さが)して嫁に行ったら好かろう」
 お重はこの言葉を聞くや否や、急に掴(つか)みかかりかねまじき凄(すさま)じい勢いを示した。そうして涙の途切(とぎ)れ目途切れ目に、彼女の結婚がお貞さんより後(おく)れたので、それでこんなに愚弄(ぐろう)されるのだと言明した末、自分を兄妹に同情のない野蛮人だと評した。自分も固(もと)より彼女の相手になり得るほどの悪口家(わるくちや)であった。けれども最後にとうとう根気負(こんきまけ)がして黙ってしまった。それでも彼女は自分の傍(そば)を去らなかった。そうして事実は無論の事、事実が生んだ飛んでもない想像まで縦横に喋舌(しゃべ)り廻してやまなかった。その中(うち)で彼女の最も得意とする主題は、何でもかでも自分と嫂(あによめ)とを結びつけて当て擦(こす)るという悪い意地であった。自分はそれが何より厭(いや)であった。自分はその時心の中(うち)で、どんなお多福でも構わないから、お重より早く結婚して、この夫婦関係がどうだの、男女(なんにょ)の愛がどうだのと囀(さえず)る女を、たった一人後(あと)に取り残してやりたい気がした。それからその方がまた実際母の心配する通り、兄夫婦にも都合が好かろうと真面目(まじめ)に考えても見た。
 自分は今でも雨に叩(たた)かれたようなお重の仏頂面(ぶっちょうづら)を覚えている。お重はまた石鹸を溶いた金盥(かなだらい)の中に顔を突込んだとしか思われない自分の異(い)な顔を、どうしても忘れ得ないそうである。

        十

 お重は明らかに嫂(あによめ)を嫌っていた。これは学究的に孤独な兄に同情が強いためと誰にも肯(うな)ずかれた。
「御母さんでもいなくなったらどうなさるでしょう。本当に御気の毒ね」
 すべてを隠す事を知らない彼女はかつて自分にこう云った。これは固(もと)より頬(ほっ)ぺたを真白にして自分が彼女と喧嘩(けんか)をしない遠い前の事であった。自分はその時彼女を相手にしなかった。ただ「兄さん見たいに訳の解った人が、家庭間の関係で、御前などに心配して貰う必要が出て来るものか、黙って見ていらっしゃい。御父さんも御母さんもついていらっしゃるんだから」と訓戒でも与えるように云って聞かせた。
 自分はその時分からお重と嫂とは火と水のような個性の差異から、とうてい円熟に同棲(どうせい)する事は困難だろうとすでに観察していた。
「御母さんお重も早く片づけてしまわないといけませんね」と自分は母に忠告がましい差出口を利(き)いた事さえあった。その折母はなぜとも何とも聞き返さなかったが、さも自分の意味を呑み込んだらしい眼つきをして、「お前が云ってくれないでも、御父さんだって妾(わたし)だって心配し抜いているところだよ。お重ばかりじゃないやね。御前のお嫁だって、蔭じゃどのくらいみんなに手数(てかず)をかけて探して貰ってるか分りゃしない。けれどもこればかりは縁だからね……」と云って自分の顔をしけじけと見た。自分は母の意味も何も解らずに、ただ「はあ」と子供らしく引き下がった。
 お重は何でも直(じき)むきになる代りに裏表のない正直な美質を持っていたので、母よりはむしろ父に愛されていた。兄には無論可愛がられていた。お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片づけるのが順だろう」と云うのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山(たんと)ない機会を逃すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地(けんち)に多少譲歩している父も無事に納得した。
 けれども黙っていたお重には、それがはなはだしい不愉快を与えたらしかった。しかし彼女が今度の結婚問題について万事快くお貞さんの相談に乗るのを見ても、彼女が機先を制せられたお貞さんに悪感情を抱いていないのはたしかな事実であった。
 彼女はただ嫂の傍(そば)にいるのが厭(いや)らしく見えた。いくら父母のいる家であっても、いくら思い通りの子供らしさを精一杯に振り舞わす事ができても、この冷かな嫂からふんという顔つきで眺められるのが何より辛(つら)かったらしい。
 こういう気分に神経を焦(いら)つかせている時、彼女はふと女の雑誌か何かを借りるために嫂の室(へや)へ這入(はい)った。そうしてそこで嫂がお貞さんのために縫っていた嫁入仕度(よめいりじたく)の着物を見た。
「お重さんこれお貞さんのよ。好いでしょう。あなたも早く佐野さんみたような方の所へいらっしゃいよ」と嫂は縫っていた着物を裏表引繰返(ひっくりかえ)して見せた。その態度がお重には見せびらかしの面当(つらあて)のように聞えた。早く嫁に行く先をきめて、こんなものでも縫う覚悟でもしろという謎(なぞ)にも取れた。いつまで小姑(こじゅうと)の地位を利用して人を苛虐(いじ)めるんだという諷刺(ふうし)とも解釈された。最後に佐野さんのような人の所へ嫁に行けと云われたのがもっとも神経に障(さわ)った。
 彼女は泣きながら父の室(へや)に訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、嫂(あによめ)には一言(いちごん)も聞糺(ききただ)さずに、翌日お重を連れて三越へ出かけた。

        十一

 それから二三日して、父の所へ二人ほど客が来た。父は生来(せいらい)交際好(こうさいずき)の上に、職業上の必要から、だいぶ手広く諸方へ出入していた。公(おおやけ)の務(つとめ)を退いた今日(こんにち)でもその惰性だか影響だかで、知合間(しりあいかん)の往来(おうらい)は絶える間もなかった。もっとも始終(しじゅう)顔を出す人に、それほど有名な人も勢力家も見えなかった。その時の客は貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人とであった。
 父はこの二人と謡(うたい)の方の仲善(なかよし)と見えて、彼らが来るたびに謡をうたって楽(たのし)んだ。お重は父の命令で、少しの間鼓(つづみ)の稽古(けいこ)をした覚(おぼえ)があるので、そう云う時にはよく客の前へ呼び出されて鼓を打った。自分はその高慢ちきな顔をまだ忘れずにいる。
「お重お前の鼓は好いが、お前の顔はすこぶる不味(まず)いね。悪い事は云わないから、嫁に行った当座はけっして鼓を御打ちでないよ。いくら御亭主が謡気狂(うたいきちがい)でもああ澄まされた日にゃ、愛想を尽かされるだけだから」とわざわざ罵(のの)しった事がある。すると傍(そば)に聞いていたお貞さんが眼を丸くして、「まあひどい事をおっしゃる事、ずいぶんね」と云ったので、自分も少し言い過ぎたかと思った。けれども烈(はげ)しいお重は平生に似ず全く自分の言葉を気にかけないらしかった。「兄さんあれでも顔の方はまだ上等なのよ。鼓と来たらそれこそ大変なの。妾(あたし)謡の御客があるほど厭(いや)な事はないわ」とわざわざ自分に説明して聞かせた。お重の顔ばかりに注意していた自分は、彼女の鼓がそれほど不味いとはそれまで気がつかなかった。
 その日も客が来てから一時間半ほどすると予定の通り謡が始まった。自分はやがてまたお重が呼び出される事と思って、調戯(からかい)半分茶の間の方に出て行った。お重は一生懸命に会席膳(かいせきぜん)を拭いていた。
「今日はポンポン鳴らさないのか」と自分がことさらに聞くと、お重は妙にとぼけた顔をして、立っている自分を見上げた。
「だって今御膳が出るんですもの。忙しいからって、断ったのよ」
 自分は台所や茶の間のごたごたした中で、ふざけ過ぎて母に叱られるのも面白くないと思って、また室(へや)へ取って返した。
 夕食後ちょっと散歩に出て帰って来ると、まだ自分の室(へや)に這入(はい)らない先から母に捉(つら)まった。
「二郎ちょうど好いところへ帰って来ておくれだ。奥へ行って御父さんの謡(うたい)を聞いていらっしゃい」
 自分は父の謡を聞き慣れているので、一番ぐらい聴くのはさほど厭とも思わなかった。
「何をやるんです」と母に質問した。母は自分とは正反対に謡がまた大嫌(だいきら)いだった。「何だか知らないがね。早くいらっしゃいよ。皆さんが待っていらっしゃるんだから」と云った。
 自分は委細承知して奥へ通ろうとした。すると暗い縁側(えんがわ)の所にお重がそっと立っていた。自分は思わず「おい……」と大きな声を出しかけた。お重は急に手を振って相図のように自分の口を塞(ふさ)いでしまった。
「なぜそんな暗い所に一人で立っているんだい」と自分は彼女の耳へ口を付けて聞いた。彼女はすぐ「なぜでも」と答えた。しかし自分がその返事に満足しないでやはり元の所に立っているのを見て、「先刻(さっき)から、何遍も出て来い出て来いって催促するのよ。だから御母さんに断って、少し加減が悪い事にしてあるのよ」
「なぜまた今日に限って、そんなに遠慮するんだい」
「だって妾(あたし)鼓(つづみ)なんか打つのはもう厭(いや)になっちまったんですもの、馬鹿らしくって。それにこれからやるのなんかむずかしくってとてもできないんですもの」
「感心にお前みたような女でも謙遜(けんそん)の道は少々心得ているから偉いね」と云い放ったまま、自分は奥へ通った。

        十二

 奥には例の客が二人床(とこ)の前に坐(すわ)っていた。二人とも品の好い容貌(ようぼう)の人で、その薄く禿げかかった頭が後(うしろ)にかかっている探幽(たんゆう)の三幅対(さんぷくつい)とよく調和した。
 彼らは二人とも袴(はかま)のまま、羽織を脱ぎ放しにしていた。三人のうちで袴を着けていなかったのは父ばかりであったが、その父でさえ羽織だけは遠慮していた。
 自分は見知り合だから正面の客に挨拶(あいさつ)かたがた、「どうか拝聴を……」と頭を下げた。客はちょっと恐縮の体(てい)を装(よそお)って、「いやどうも……」と頭を掻(か)く真似をした。父は自分にまたお重の事を尋ねたので、「先刻(さっき)から少し頭痛がするそうで、御挨拶(ごあいさつ)に出られないのを残念がっていました」と答えた。父は客の方を見ながら、「お重が心持が悪いなんて、まるで鬼の霍乱(かくらん)だな」と云って、今度は自分に、「先刻綱(つな)(母の名)の話では腹が痛いように聞いたがそうじゃない頭痛なのかい」と聞き直した。自分はしまったと思ったが「多分両方なんでしょう。胃腸の熱で頭が痛む事もあるようだから。しかし心配するほどの病気じゃないようです。じき癒(なお)るでしょう」と答えた。客は蒼蠅(うるさ)いほどお重に同情の言葉を注射した後(あと)、「じゃ残念だが始めましょうか」と云い出した。
 聴手(ききて)には、自分より前に兄夫婦が横向になって、行儀よく併(なら)んで坐(すわ)っていたので、自分は鹿爪(しかつめ)らしく嫂(あによめ)の次に席を取った。「何をやるんです」と坐りながら聞いたら、この道について何の素養も趣味もない嫂は、「何でも景清(かげきよ)だそうです」と答えて、それぎり何とも云わなかった。
 客のうちで赭顔(あからがお)の恰腹(かっぷく)の好い男が仕手(して)をやる事になって、その隣の貴族院議員が脇(わき)、父は主人役で「娘」と「男」を端役(はやく)だと云う訳か二つ引き受けた。多少謡を聞分ける耳を持っていた自分は、最初からどんな景清ができるかと心配した。兄は何を考えているのか、はなはだ要領を得ない顔をして、凋落(ちょうらく)しかかった前世紀の肉声を夢のように聞いていた。嫂の鼓膜(こまく)には肝腎(かんじん)の「松門(しょうもん)」さえ人間としてよりもむしろ獣類の吠(うなり)として不快に響いたらしい。自分はかねてからこの「景清」という謡(うたい)に興味を持っていた。何だか勇ましいような惨(いた)ましいような一種の気分が、盲目(もうもく)の景清の強い言葉遣(ことばづかい)から、また遥々(はるばる)父を尋ねに日向(ひゅうが)まで下(くだ)る娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。
 しかしそれは歴乎(れっき)とした謡手が本気に各自の役を引き受けた場合で、今聞かせられているような胡麻節(ごまぶし)を辿(たど)ってようやく出来上る景清に対してはほとんど同情が起らなかった。
 やがて景清の戦物語(いくさものがたり)も済んで一番の謡も滞(とどこお)りなく結末まで来た。自分はその成蹟(せいせき)を何と評して好いか解らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言(かごん)にも似ず「勇しいものですね」と云った。自分も「そうですね」と答えておいた。すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。
 兄は元来正直な男で、かつ己(おの)れの教育上嘘(うそ)を吐(つ)かないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧拙に属する話だから、相手にはほとんど手応(てごたえ)がなかった。
 こう云う場合に馴(な)れた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡(うた)いぶりを一応賞(ほ)めた後(あと)で、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩(くず)して、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶(えん)である。しかも事実でね」と云い出した。

        十三

 父は交際家だけあって、こういう妙な話をたくさん頭の中にしまっていた。そうして客でもあると、献酬(けんしゅう)の間によくそれを臨機応変に運用した。多年父の傍(そば)に寝起(ねおき)している自分にもこの女景清(おんなかげきよ)の逸話は始めてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。
「ついこの間の事で、また実際あった事なんだから御話をするが、その発端(ほったん)はずっと古い。古いたって何も源平時代から説き出すんじゃないからそこは御安心だが、何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかね……」
 父はこういう前置をして皆(みん)なを笑わせた後(あと)で本題に這入(はい)った。それは彼の友達と云うよりもむしろずっと後輩に当る男の艶聞(えんぶん)見たようなものであった。もっとも彼は遠慮して名前を云わなかった。自分は家(うち)へ出入(ではい)る人の数々について、たいていは名前も顔も覚えていたが、この逸話をもった男だけはいくら考えてもどんな想像も浮かばなかった。自分は心のうちで父は今表向(おもてむき)多分この人と交際しているのではなかろうと疑ぐった。
 何しろ事はその人の二十(はたち)前後に起ったので、その時当人は高等学校へ這入り立てだとか、這入ってから二年目になるとか、父ははなはだ瞹眛(あいまい)な説明をしていたが、それはどっちにしたって、我々の気にかかるところではなかった。
「その人は好い人間だ。好い人間にもいろいろあるが、まあ好い人間だ。今でもそうだから、廿歳(はたち)ぐらいの時分は定めて可愛らしい坊ちゃんだったろう」
 父はその男をこう荒っぽく叙述(じょじゅつ)しておいて、その男とその家の召使とがある関係に陥入(おちい)った因果(いんが)をごく単簡(たんかん)に物語った。
「元来そいつはね本当の坊ちゃんだから、情事なんて洒落(しゃれ)た経験はまるでそれまで知らなかったのだそうだ。当人もまた婦人に慕(した)われるなんて粋事(いきごと)は自分のようなものにとうてい有り得べからざる奇蹟(きせき)と思っていたのだそうだ。ところがその奇蹟が突然天から降って来たので大変驚ろいたんですね」
 話しかけられた客はむしろ真面目(まじめ)な顔をして、「なるほど」と受けていたが、自分はおかしくてたまらなかった。淋(さみ)しそうな兄の頬(ほお)にも笑の渦(うず)が漂(ただ)よった。
「しかもそれが男の方が消極的で、女の方が積極的なんだからいよいよ妙ですよ。私がそいつに、その女が君に覚召(おぼしめし)があると悟ったのはどういう機(はずみ)だと聞いたらね。真面目(まじめ)な顔をして、いろいろ云いましたが、そのうちで一番面白いと思ったせいか、いまだに覚えているのは、そいつが瓦煎餅(かわらせんべい)か何か食ってるところへ女が来て、私にもその御煎餅(おせんべ)をちょうだいなと云うや否や、そいつの食い欠いた残りの半分を引(ひ)っ手繰(たく)って口へ入れたという時なんです」
 父の話方は無論滑稽(こっけい)を主にして、大事の真面目な方を背景に引き込ましてしまうので、聞いている客を始め我々三人もただ笑うだけ笑えばそれで後(あと)には何も残らないような気がした。その上客は笑う術をどこかで練修(れんしゅう)して来たように旨(うま)く笑った。一座のうちで比較的真面目だったのはただ兄一人であった。
「とにかくその結果はどうなりました。めでたく結婚したんですか」と冗談とも思われない調子で聞いていた。
「いやそこをこれから話そうというのだ。先刻(さっき)も云った通り『景清』の趣(おもむき)の出てくるところはこれからさ。今言ってるところはほんの冒頭(まえおき)だて」と父は得意らしく答えた。

        十四


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