行人
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著者名:夏目漱石 

その黒い眸は始終(しじゅう)遠くの方の夢を眺(ながめ)ているように恍惚(うっとり)と潤(うるお)って、そこに何だか便(たより)のなさそうな憐(あわれ)を漂(ただ)よわせていた。僕が怒ろうと思ってふり向くと、その娘さんは玄関に膝(ひざ)を突いたなりあたかも自分の孤独を訴(うった)えるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活きていてもたった一人で淋(さむ)しくってたまらないから、どうぞ助けて下さいと袖(そで)に縋(すが)られるように感じた。――その眼がだよ。その黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」
「君に惚(ほ)れたのかな」と自分は三沢に聞きたくなった。
「それがさ。病人の事だから恋愛なんだか病気なんだか、誰にも解るはずがないさ」と三沢は答えた。
「色情狂っていうのは、そんなもんじゃないのかな」と自分はまた三沢に聞いた。
 三沢は厭(いや)な顔をした。
「色情狂と云うのは、誰にでもしなだれかかるんじゃないか。その娘さんはただ僕を玄関まで送って出て来て、早く帰って来てちょうだいねと云うだけなんだから違うよ」
「そうか」
 自分のこの時の返事は全く光沢(つや)がなさ過ぎた。
「僕は病気でも何でも構わないから、その娘さんに思われたいのだ。少くとも僕の方ではそう解釈していたいのだ」と三沢は自分を見つめて云った。彼の顔面の筋肉はむしろ緊張していた。「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片づいた先の旦那(だんな)というのが放蕩家(ほうとうか)なのか交際家なのか知らないが、何でも新婚早々たびたび家(うち)を空(あ)けたり、夜遅く帰ったりして、その娘さんの心をさんざん苛(いじ)めぬいたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦みを言わずに我慢していたのだね。その時の事が頭に祟(たた)っているから、離婚になった後(あと)でも旦那に云いたかった事を病気のせいで僕に云ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。強(し)いてもそうでないと信じていたい」
「それほど君はその娘さんが気に入ってたのか」と自分はまた三沢に聞いた。
「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなるほど」
「それから。――その娘さんは」
「死んだ。病院へ入(い)って」
 自分は黙然(もくねん)とした。
「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回忌を勘定(かんじょう)して見て、単にそのためだけでも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。
「ああ肝心(かんじん)の事を忘れた」とその時三沢が叫んだ。自分は思わず「何だ」と聞き返した。
「あの女の顔がね、実はその娘さんに好く似ているんだよ」
 三沢の口元には解ったろうと云う一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場(ステーション)へ俥(くるま)を急がした。場内は急行を待つ乗客ですでにいっぱいになっていた。二人は橋を向(むこう)へ渡って上(のぼ)り列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。
「また会おう」
 自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音と共にたちまち暗中(あんちゅう)に消えた。


     兄


        一

 自分は三沢を送った翌日(あくるひ)また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場(ステーション)に出かけなければならなかった。
 自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕(こ)ぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄(ろう)してその成効(せいこう)に誇るのが好(すき)であった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。
「どうして来るんです」と自分は聞いた。
 自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末(ばすえ)の地面が、新たに電車の布設される通(とお)り路(みち)に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連(つれ)て旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟(おおげさ)な計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。
「何という大した考えもないんでございましょう。ただ昔(むか)しお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」
 お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞(さだ)さんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界(さんがい)まで出て来るはずがないと思った。
 自分はその時すでに懐(ふところ)が危(あや)しくなっていた。その上後(あと)から三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補(ふそくてんぽ)の方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快よくこちらの要(い)るだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。
 自分は岡田夫婦といっしょに停車場(ステーション)に行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚(びっくり)したでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独(ひとり)で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽(あ)きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫(あや)まるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌(あいきょう)のうちに、どことなく黒人(くろうと)らしい媚(こび)を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知(そし)らぬ風をして岡田に話しかけた。――
「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」
「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」
 岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。
「始終(しじゅう)傍(そば)にいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、直(ただち)に俥(くるま)を南へ走らした。自分は空(くう)に乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴(つ)れて行ったのも自分を驚かした目覚(めざ)ましい手柄(てがら)の一つに相違なかった。

        二

 母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊っている所よりはよほど上品な構(かまえ)であった。室(へや)には扇風器だの、唐机(とうづくえ)だの、特別にその唐机の傍(そば)に備えつけた電灯などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着の旨(むね)を書いて下女に渡していた。岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書(えはがき)を袂(たもと)の中から出して、これは叔父さん、これはお重(しげ)さん、これはお貞(さだ)さんと一々名宛(なあて)を書いて、「さあ一口(ひとくち)ずつ皆(みん)などうぞ」と方々へ配っていた。
 自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がその後(あと)へ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚(びっくり)した。
「お貞さんは病気なんですか」
「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度伴(つ)れて来(き)ようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹(なか)が悪くなってね。残念な事をしましたよ」
「でも大した事じゃないのよ。もうお粥(かゆ)がそろそろ食べられるんだから」と嫂(あによめ)が傍(そば)から説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へ宛(あ)てたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」と細(こま)かく謹(つつし)んで書いたので、兄から「将棋の駒がまだ祟(たた)ってると見えるね」と笑われていた。
 絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄が止(と)めるのも聞かずに帰って行った。
「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」
「宅(うち)へ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」
 母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己(おの)れがそれだけ年を取ったという淡い哀愁(あいしゅう)を含んでいた。
「お貞さんだって、もう直(じき)ですよお母さん」と自分は横合から口を出した。
「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づく当(あて)のないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分を顧(かえり)みて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔(かけへだて)のある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気(むかしかたぎ)で、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎(いちろう)さんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。
 みんなは話に気を取られて浴衣(ゆかた)を着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊(のり)の強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促(うな)がした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺(てすり)の所へ出て、鼻の先にある高い塗塀(ぬりべい)を欝陶(うっとう)しそうに眺(なが)めていた母は、「いい室(へや)だが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍(そば)へ行って、下を見た。下には張物板(はりものいた)のような細長い庭に、細い竹が疎(まばら)に生えて錆(さ)びた鉄灯籠(かなどうろう)が石の上に置いてあった。その石も竹も打水(うちみず)で皆しっとり濡(ぬ)れていた。
「狭いが凝(こ)ってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」
「おやどこに河があるの」と母がいう後(あと)から、兄も嫂(あによめ)もその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏(まと)めた上またここへ来る約束をして宿を出た。

        三

 自分はその夕方宿の払(はらい)を済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯(ゆうめし)が後(おく)れたと見えて、膳(ぜん)を控えたまま楊枝(ようじ)を使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。
「今夜は御止(およ)しよ」と母が留(と)めた。
 兄は寝転(ねころ)びながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺(てんのうじ)だの中の島だの千日前(せんにちまえ)だのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫極(きわ)まるものであった。
 もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩(くら)んだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちで一番面白く自分の耳に響いたのは彼の昔泊(とま)ったという宿屋の夜の景色であった。
「細い通りの角で、欄干(らんかん)の所へ出ると柳が見えた。家が隙間(すきま)なく並んでいる割には閑静で、窓から眺(なが)められる長い橋も画(え)のように趣(おもむき)があった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚なくって困ったが……」
「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角さえ分らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断面を驚くばかり鮮(あざや)かに覚えている代りに、場所の名や年月(としつき)を全く忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。
「どこだか解らなくっちゃつまらないわね」と嫂がまた云った。兄と嫂とはこんなところでよく喰い違った。兄の機嫌(きげん)の悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になる例(ためし)も稀(まれ)ではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。後(あと)を御話しよ」と云った。兄は「御母さんにも直(なお)にもつまらない事ですよ」と断って、「二郎そこの二階に泊ったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分は固(もと)より兄の話を一人で聞くべき責任を引受けた。
「どうしました」
「夜になって一寝入(ひとねいり)して眼が醒(さ)めると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干(らんかん)の傍(そば)まで出て下を覗(のぞ)いた。すると向(むこう)に見える柳の下で、真裸(まっぱだか)な男が三人代る代る大(おおき)な沢庵石(たくあんいし)の持ち上げ競(くら)をしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体(はだか)の人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒(てんびんぼう)のようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」
「何だか水滸伝(すいこでん)のような趣(おもむき)じゃありませんか」
「その時からしてがすでに縹緲(ひょうびょう)たるものさ。今日(こんにち)になって回顧するとまるで夢のようだ」
 兄はこんな事を回想するのが好であった。そうしてそれは母にも嫂(あによめ)にも通じない、ただ父と自分だけに解る趣であった。
「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」
 自分は三沢のいた病院の三階から見下(みおろ)される狭い綺麗(きれい)な通を思い出した。そうして兄の見た棒使や力持はあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。
 岡田夫婦は約のごとくその晩また尋(たず)ねて来た。

        四

 岡田はすこぶる念入の遊覧目録といったようなものを、わざわざ宅(うち)から拵(こしら)えて来て、母と兄に見せた。それがまた余り綿密過ぎるので、母も兄も「これじゃ」と驚いた。
「まあ幾日(いくか)くらい御滞在になれるんですか、それ次第でプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるんです」
 岡田の言葉のうちには多少の不服が籠(こも)っていたが、同時に得意な調子も見えた。
「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。あなたの話を傍(そば)で聞いていると」
 お兼さんは笑いながらこう云って真面目(まじめ)な夫に注意した。
「いえ自慢じゃない。自慢じゃないが……」
 注意された岡田はますます真面目になった。それが少し滑稽(こっけい)に見えたので皆(みん)なが笑い出した。
「岡田さんは五六年のうちにすっかり上方風(かみがたふう)になってしまったんですね」と母が調戯(からか)った。
「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がその後(あと)に随(つ)いてまた冷嘲(ひやか)し始めた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵(かな)わない。全く東京ものは口が悪い」と云った。
「それにお重(しげ)の兄(あにき)だもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。
「お兼(かね)少し助けてくれ」と岡田がしまいに云った。そうして母の前に置いてあった先刻(さっき)のプログラムを取って袂(たもと)へ入れながら、「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒った風をした。
 冗談(じょうだん)がひとしきり済むと、自分の予期していた通り、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」と云ったような打って変った几帳面(きちょうめん)な言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまたしかつめらしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨拶(あいさつ)をする、自分には両方共大袈裟(おおげさ)に見えた。それから岡田はちょうど好い都合だから、是非本人に会ってやってくれと、また会見の打ち合せをし始めた。兄もその話しの中に首を突込まなくっては義理が悪いと見えて、煙草を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寝ているお貞(さだ)さんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残して行った美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を聯想(れんそう)した。
 嫂(あによめ)とお兼さんは親しみの薄い間柄(あいだがら)であったけれども、若い女同志という縁故で先刻(さっき)から二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質(たち)であった。お兼さんは愛嬌(あいきょう)のある方であった。お兼さんが十口(とくち)物をいう間に嫂は一口(ひとくち)しかしゃべれなかった。しかも種が切れると、その都度(つど)きっとお兼さんの方から供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂の方が急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無頓着(むとんじゃく)らしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留守居(るすい)ができます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴(な)づいておりますから」と嫂は答えていた。

        五

 母と兄夫婦の滞在日数は存外少いものであった。まず市内で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。
「せめてもう少しはいいでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易な事じゃありませんよ、億劫(おっくう)で」
 こうは云うものの岡田も、母の滞在中会社の方をまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京の宅(うち)の事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合せであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄と嫂(あによめ)だけが連立(つれだ)って避暑に出かけるとか、もしまたお貞(さだ)さんの結婚問題が目的なら、当人の病気が癒(なお)るのを待って、母なり父なりが連れて来て、早く事を片づけてしまうとか、自然の予定は二通りも三通りもあった。それがこう変な形になって現れたのはどういう訳だか、自分には始めから呑(の)み込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳込(たたみこ)んでいるという風に見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気がついているらしいところもあった。
 佐野との会見は型(かた)のごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰った後でも両方共佐野の批評はしなかった。もう事が極って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調(ととの)った。自分は兄に、「おめでた過ぎるくらい事件がどんどん進行して行く癖に、本人がいっこう知らないんだから面白い」と云った。
「当人は無論知ってるんだ」と兄が答えた。
「大喜びだよ」と母が保証した。
 自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と云った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。
「女だけじゃないよ。男だって自分勝手にむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそその方が好いかも知れないね」と云った。その云い方が少し冷(ひやや)か過ぎたせいか、母は何だか厭(いや)な顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。
 少し経(た)ってから母はようやく口を開いた。
「でも貞だけでもきまってくれるとお母さんは大変楽(らく)な心持がするよ。後(あと)は重(しげ)ばかりだからね」
「これもお父さんの御蔭(おかげ)さ」と兄が答えた。その時兄の唇(くちびる)に薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。
「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああやってるのと同じ事さ」と母はだいぶ満足な体(てい)に見えた。
 憐(あわ)れな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。
 兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞(だま)しているような気がしてならなかった。けれどもまた一方から云えば、佐野は瞞されてもしかるべきだという考えが始めから頭のどこかに引っかかっていた。
 とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳に応(こた)えるとか云って、早く大阪を立ち退(の)く事を主張した。自分は固(もと)より賛成であった。

        六

 実際その頃の大阪は暑かった。ことに我々の泊っている宿屋は暑かった。庭が狭いのと塀(へい)が高いので、日の射し込む余地もなかったが、その代り風の通る隙間(すきま)にも乏しかった。ある時は湿(しめ)っぽい茶座敷の中で、四方から焚火(たきび)に焙(あぶ)られているような苦しさがあった。自分は夜通(よどお)し扇風器をかけてぶうぶう鳴らしたため、馬鹿な真似をして風邪(かぜ)でもひいたらどうすると云って母から叱られた事さえあった。
 大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬(ありま)なら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶棒(かじぼう)へ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路を上(のぼ)るのだそうだが、暑いので犬がともすると渓河(たにがわ)の清水(しみず)を飲もうとするのを、車夫が怒(いか)って竹の棒でむやみに打擲(うちたた)くから、犬がひんひん苦しがりながら俥(くるま)を引くんだという話を、かつて聞いたまましゃべった。
「厭(いや)だねそんな俥に乗るのは、可哀想(かわいそう)で」と母が眉(まゆ)をひそめた。
「なぜまた水を飲ませないんだろう。俥が遅れるからかね」と兄が聞いた。
「途中で水を飲むと疲れて役に立たないからだそうです」と自分が答えた。
「へえー、なぜ」と今度は嫂(あによめ)が不思議そうに聞いたが、それには自分も答える事ができなかった。
 有馬行(ありまゆき)は犬のせいでもなかったろうけれども、とうとう立消(たちぎえ)になった。そうして意外にも和歌(わか)の浦(うら)見物が兄の口から発議(ほつぎ)された。これは自分もかねてから見たいと思っていた名所であった。母も子供の時からその名に親しみがあるとかで、すぐ同意した。嫂だけはどこでも構わないという風に見えた。
 兄は学者であった。また見識家(けんしきか)であった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりではない、母や嫂に対しても、機嫌(きげん)の好い時は馬鹿に好いが、いったん旋毛(つむじ)が曲り出すと、幾日(いくか)でも苦い顔をして、わざと口を利(き)かずにいた。それで他人の前へ出ると、また全く人間が変ったように、たいていな事があっても滅多(めった)に紳士の態度を崩(くず)さない、円満な好侶伴(こうりょはん)であった。だから彼の朋友はことごとく彼を穏(おだや)かな好い人物だと信じていた。父や母はその評判を聞くたびに案外な顔をした。けれどもやっぱり自分の子だと見えて、どこか嬉(うれ)しそうな様子が見えた。兄と衝突している時にこんな評判でも耳に入ろうものなら、自分はむやみに腹が立った。一々その人の宅(うち)まで出かけて行って、彼らの誤解を訂正してやりたいような気さえ起った。
 和歌の浦行に母がすぐ賛成したのも、実は彼女が兄の気性(きしょう)をよく呑み込んでいるからだろうと自分は思った。母は長い間わが子の我(が)を助けて育てるようにした結果として、今では何事によらずその我(が)の前に跪(ひざまず)く運命を甘んじなければならない位地(いち)にあった。
 自分は便所に立った時、手水鉢(ちょうずばち)の傍(そば)にぼんやり立っていた嫂(あによめ)を見付(めっ)けて、「姉さんどうです近頃は。兄さんの機嫌(きげん)は好い方なんですか悪い方なんですか」と聞いた。嫂は「相変らずですわ」とただ一口答えただけであった。嫂はそれでも淋(さみ)しい頬に片靨(かたえくぼ)を寄せて見せた。彼女は淋しい色沢(いろつや)の頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた。

        七

 自分は立つ前に岡田に借りた金の片(かた)をつけて行きたかった。もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、ああいう人の金はなるべく早く返しておいた方が、こっちの心持がいいという考えがあった。それで誰も傍(そば)にいない折を見計らって、母にどうかしてくれと頼んだ。
 母は兄を大事にするだけあって、無論彼を心(しん)から愛していた。けれども長男という訳か、また気むずかしいというせいか、どこかに遠慮があるらしかった。ちょっとの事を注意するにしても、なるべく気に障(さわ)らないように、始めから気を置いてかかった。そこへ行くと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしにやっつけられた。その代りまた兄以上に可愛(かわい)がられもした。小遣(こづかい)などは兄にないしょでよく貰った覚(おぼえ)がある。父の着物などもいつの間にか自分のに仕立直してある事は珍らしくなかった。こういう母の仕打が、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。些細(ささい)な事から兄はよく機嫌(きげん)を悪くした。そうして明るい家の中(うち)に陰気な空気を漲(みな)ぎらした。母は眉(まゆ)をひそめて、「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々私語(ささや)いた。自分は母から腹心の郎党として取扱われるのが嬉しさに、「癖なんだから、放(ほう)っておおきなさい」ぐらい云って澄ましていた時代もあった。兄の性質が気むずかしいばかりでなく、大小となく影でこそこそ何かやられるのを忌(い)む正義の念から出るのだという事を後(あと)から知って以来、自分は彼に対してこんな軽薄な批評を加えるのを恥(は)ずるようになった。けれども表向(おもてむき)兄の承諾を求めると、とうてい行われにくい用件が多いので、自分はつい機会(おり)を見ては母の懐(ふところ)に一人抱(だ)かれようとした。
 母は自分が三沢のために岡田から金を借りた顛末(てんまつ)を聞いて驚いた顔をした。
「そんな女のためにお金を使う訳がないじゃないか、三沢さんだって。馬鹿らしい」と云った。
「だけど、そこには三沢も義理があるんだから」と自分は弁解した。
「義理義理って、御母さんには解らないよ、お前のいう事は。気の毒なら、手ぶらで見舞に行くだけの事じゃないか。もし手ぶらできまりが悪ければ、菓子折の一つも持って行きゃあたくさんだね」
 自分はしばらく黙っていた。
「よし三沢さんにそれだけの義理があったにしたところでさ。何もお前が岡田なんぞからそれを借りて上げるだけの義理はなかろうじゃないか」
「じゃよござんす」と自分は答えた。そうして立って下へ行こうとした。兄は湯に入っていた。嫂(あによめ)は小さい下の座敷を借りて髪を結わしていた。座敷には母よりほかにいなかった。
「まあお待ちよ」と母が呼び留めた。「何も出して上げないと云ってやしないじゃないか」
 母の言葉には兄一人でさえたくさんなところへ、何の必要があって、自分までこの年寄を苛(いじ)めるかと云わぬばかりの心細さが籠(こも)っていた。自分は母のいう通り元の席に着いたが、気の毒でちょっと顔を上げ得なかった。そうしてこの無恰好(ぶかっこう)な態度で、さも子供らしく母から要(い)るだけの金子(きんす)を受取った。母が一段声を落して、いつものように、「兄さんにはないしょだよ」と云った時、自分は不意に名状しがたい不愉快に襲われた。

        八

 自分達はその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引返して来なければならないのだから、岡田の金もその時で好いとは思ったが、性急(せっかち)の自分には紙入をそのまま懐中しているからがすでに厭(いや)だった。岡田はその晩も例の通り宿屋へ話に来るだろうと想像された。だからその折にそっと返しておこうと自分は腹の中(うち)できめた。
 兄が湯から上って来た。帯も締(し)めずに、浴衣(ゆかた)を羽織るようにひっかけたままずっと欄干(らんかん)の所まで行ってそこへ濡手拭(ぬれてぬぐい)を懸けた。
「お待遠」
「お母さん、どうです」と自分は母を促(うな)がした。
「まあお這入(はい)りよ、お前から」と云った母は、兄の首や胸の所を眺(なが)めて、「大変好い血色におなりだね。それに少し肉が付いたようじゃないか」と賞(ほ)めていた。兄は性来(しょうらい)の痩(やせ)っぽちであった。宅(うち)ではそれをみんな神経のせいにして、もう少し肥(ふと)らなくっちゃ駄目(だめ)だと云い合っていた。その内でも母は最も気を揉(も)んだ。当人自身も痩せているのを何かの刑罰のように忌(い)み恐れた。それでもちっとも肥れなかった。
 自分は母の言葉を聞きながら、この苦しい愛嬌(あいきょう)を、慰藉(いしゃ)の一つとしてわが子の前に捧げなければならない彼女の心事を気の毒に思った。兄に比べると遥(はる)かに頑丈(がんじょう)な体躯(からだ)を起しながら、「じゃ御先へ」と母に挨拶(あいさつ)して下へ降りた。風呂場の隣の小さい座敷をちょいと覗(のぞ)くと、嫂は今髷(まげ)ができたところで、合せ鏡をして鬢(びん)だの髱(たぼ)だのを撫(な)でていた。
「もう済んだんですか」
「ええ。どこへいらっしゃるの」
「御湯へ這入ろうと思って。お先へ失礼してもよござんすか」
「さあどうぞ」
 自分は湯に入(い)りながら、嫂が今日に限ってなんでまた丸髷(まるまげ)なんて仰山(ぎょうさん)な頭に結(ゆ)うのだろうと思った。大きな声を出して、「姉さん、姉さん」と湯壺(ゆつぼ)の中から呼んで見た。「なによ」という返事が廊下の出口で聞こえた。
「御苦労さま、この暑いのに」と自分が云った。
「なぜ」
「なぜって、兄さんの御好(おこの)みなんですか、そのでこでこ頭は」
「知らないわ」
 嫂(あによめ)の廊下伝いに梯子段(はしごだん)を上(のぼ)る草履(ぞうり)の音がはっきり聞こえた。
 廊下の前は中庭で八つ手の株が見えた。自分はその暗い庭を前に眺(なが)めて、番頭に背中を流して貰(もら)っていた。すると入口の方から縁側(えんがわ)を沿って、また活溌(かっぱつ)な足音が聞こえた。
 そうして詰襟(つめえり)の白い洋服を着た岡田が自分の前を通った。自分は思わず、「おい君、君」と呼んだ。
「や、今お湯、暗いんでちっとも気がつかなかった」と岡田は一足(ひとあし)後戻りして風呂を覗(のぞ)き込みながら挨拶(あいさつ)をした。
「あなたに話がある」と自分は突然云った。
「話が? 何です」
「まあ、お入(はい)んなさい」
 岡田は冗談(じょうだん)じゃないと云う顔をした。
「お兼は来ませんか」
 自分が「いいえ」と答えると、今度は「皆さんは」と聞いた。自分がまた「みんないますよ」というと、不思議そうに「じゃ今日はどこへも行かなかったんですか」と聞いた。
「行ってもう帰って来たんです」
「実は僕も今会社から帰りがけですがね。どうも暑いじゃあありませんか。――とにかくちょっと伺候(しこう)して来ますから。失礼」
 岡田はこう云い捨てたなり、とうとう自分の用事を聞かずに二階へ上(あが)って行ってしまった。自分もしばらくして風呂から出た。

        九

 岡田はその夜(よ)だいぶ酒を呑んだ。彼は是非都合して和歌の浦までいっしょに行くつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期の通りにならないのがはなはだ残念だと云ってしきりに母や兄に詫(わ)びていた。
「じゃ今夜が御別れだから、少し御過(おす)ごしなさい」と母が勧めた。
 あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰も彼の相手にはなれなかった。それで皆(みん)な御免蒙(ごめんこうむ)って岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、独(ひと)り膳(ぜん)を控えて盃(さかずき)を甜(な)め続けた。
 彼は性来(しょうらい)元気な男であった。その上酒を呑むとますます陽気になる好い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓着(とんじゃく)なしに好きな事を喋舌(しゃべ)って、時々一人高笑いをした。
 彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖(ふ)えて、これから十年立つとまたその富が今の何十倍になるというような統計を挙(あ)げておおいに満足らしく見えた。
「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を云ったとき、岡田は禿(は)げかかった頭へ手を載(の)せて笑い出した。
「しかし僕の今日(こんにち)あるも――というと、偉過(えらす)ぎるが、まあどうかこうかやって行けるのも、全く叔父(おじ)さんと叔母さんのお蔭(かげ)です。僕はいくらこうして酒を呑(の)んで太平楽(たいへいらく)を並べていたって、それだけはけっして忘れやしません」
 岡田はこんな事を云って、傍(そば)にいる母と遠くにいる父に感謝の意を表した。彼は酔うと同じ言葉を何遍も繰返す癖のある男だったが、ことにこの感謝の意は少しずつ違った形式で、幾度(いくたび)か彼の口から洩(も)れた。しまいに彼は灘万(なだまん)のまな鰹(がつお)とか何とかいうものを、是非父に喰わせたいと云い募(つの)った。
 自分は彼がもと書生であった頃、ある正月の宵(よい)どこかで振舞酒(ふるまいざけ)を浴びて帰って来て、父の前へ長さ三寸ばかりの赤い蟹(かに)の足を置きながら平伏して、謹(つつし)んで北海の珍味を献上しますと云ったら、父は「何だそんな朱塗(しゅぬ)りの文鎮(ぶんちん)見たいなもの。要(い)らないから早くそっちへ持って行け」と怒った昔を思い出した。
 岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。始めは興(きょう)を添えた彼の座談もだんだん皆(みん)なに飽きられて来た。嫂(あによめ)は団扇(うちわ)を顔へ当てて欠(あくび)を隠した。自分はとうとう彼を外へ連出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五六町彼といっしょに歩いた。そうして懐(ふところ)から例の金を出して彼に返した。金を受取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚ろくべくたしかなものであった。「今でなくってもいいのに。しかしお兼が喜びますよ。ありがとう」と云って、洋服の内隠袋(うちがくし)へ収めた。
 通りは静であった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外(ぞんがい)濁っていた。自分は心の内に明日(あす)の天気を気遣(きづか)った。すると岡田が藪(やぶ)から棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と云い出した。そうして昔(むか)し兄と自分と将棋(しょうぎ)を指した時、自分が何か一口(ひとくち)云ったのを癪(しゃく)に、いきなり将棋の駒を自分の額へぶつけた騒ぎを、新しく自分の記憶から呼び覚(さま)した。
「あの時分からわがままだったからね、どうも。しかしこの頃はだいぶ機嫌(きげん)が好いようじゃありませんか」と彼がまた云った。自分は煮え切らない生(なま)返事をしておいた。
「もっとも奥さんができてから、もうよっぽどになりますからね。しかし奥さんの方でもずいぶん気骨(きぼね)が折れるでしょう。あれじゃ」
 自分はそれでも何の答もしなかった。ある四角(よつかど)へ来て彼と別れるときただ「お兼さんによろしく」と云ったまままた元の路へ引き返した。

        十

 翌日(よくじつ)朝の汽車で立った自分達は狭い列車のなかの食堂で昼飯(ひるめし)を食った。「給仕がみんな女だから面白い。しかもなかなか別嬪(べっぴん)がいますぜ、白いエプロンを掛けてね。是非中で昼飯をやって御覧なさい」と岡田が自分に注意したから、自分は皿を運んだりサイダーを注(つ)いだりする女をよく心づけて見た。しかし別にこれというほどの器量をもったものもいなかった。
 母と嫂(あによめ)は物珍らしそうに窓の外を眺(なが)めて、田舎(いなか)めいた景色を賞し合った。実際窓外(そうがい)の眺めは大阪を今離れたばかりの自分達には一つの変化であった。ことに汽車が海岸近くを走るときは、松の緑と海の藍(あい)とで、煙に疲れた眼に爽(さわや)かな青色を射返(いかえ)した。木蔭(こかげ)から出たり隠れたりする屋根瓦の積み方も東京地方のものには珍らしかった。
「あれは妙だね。御寺かと思うと、そうでもないし。二郎、やっぱり百姓家なのかね」と母がわざわざ指をさして、比較的大きな屋根を自分に示した。
 自分は汽車の中で兄と隣り合せに坐った。兄は何か考え込んでいた。自分は心の内でまた例のが始まったのじゃないかと思った。少し話でもして機嫌(きげん)を直そうか、それとも黙って知らん顔をしていようかと躊躇(ちゅうちょ)した。兄は何か癪(しゃく)に障(さわ)った時でも、むずかしい高尚な問題を考えている時でも同じくこんな様子をするから、自分にはいっこう見分がつかなかった。
 自分はしまいにとうとう思い切ってこっちから何か話を切り出そうとした。と云うのは、向側(むこうがわ)に腰をかけている母が、嫂と応対の相間(あいま)相間に、兄の顔を偸(ぬす)むように一二度見たからである。
「兄さん、面白い話がありますがね」と自分は兄の方を見た。
「何だ」と兄が云った。兄の調子は自分の予期した通り無愛想(ぶあいそう)であった。しかしそれは覚悟の前であった。
「ついこの間三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」
 自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁(とつ)いだあと不縁になって、三沢の宅(うち)へ引き取られた時、三沢の出る後(あと)を慕(した)って、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻(せっぷん)したという話だろう」と云った。
 自分は喫驚(びっくり)した。
「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆(みん)ないる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」
「それは知らない。皆(みんな)の前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸(しがい)の傍(そば)にいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時接吻(せっぷん)したとすると」
「だから知らんと断ってるじゃないか」
 自分は黙って考え込んだ。
「いったい兄さんはどうして、そんな話を知ってるんです」
「Hから聞いた」
 Hとは兄の同僚で、三沢を教えた男であった。そのHは三沢の保証人だったから、少しは関係の深い間柄(あいだがら)なんだろうけれども、どうしてこんな際(きわ)どい話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか、それは彼も知らなかった。
「兄さんはなぜまた今日までその話を為(し)ずに黙っていたんです」と自分は最後に兄に聞いた。兄は苦(にが)い顔をして、「する必要がないからさ」と答えた。自分は様子によったらもっと肉薄して見ようかと思っているうちに汽車が着いた。

        十一

 停車場(ステーション)を出るとすぐそこに電車が待っていた。兄と自分は手提鞄(てさげかばん)を持ったまま婦人を扶(たす)けて急いでそれに乗り込んだ。
 電車は自分達四人が一度に這入(はい)っただけで、なかなか動き出さなかった。
「閑静な電車ですね」と自分が侮(あな)どるように云った。
「これなら妾達(わたしたち)の荷物を乗っけてもよさそうだね」と母は停車場の方を顧(かえり)みた。
 ところへ書物を持った書生体(しょせいてい)の男だの、扇を使う商人風の男だのが二三人前後して車台に上(のぼ)ってばらばらに腰をかけ始めたので、運転手はついに把手(ハンドル)を動かし出した。
 自分達は何だか市の外廓(がいかく)らしい淋(さむ)しい土塀(どべい)つづきの狭い町を曲って、二三度停留所を通り越した後(のち)、高い石垣の下にある濠(ほり)を見た。濠の中には蓮(はす)が一面に青い葉を浮べていた。その青い葉の中に、点々と咲く紅(くれない)の花が、落ちつかない自分達の眼をちらちらさせた。
「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母というのが、昔し紀州家の奥に勤めていたとか云うので、母は一層感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、折々耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。
 和歌山市を通り越して少し田舎道(いなかみち)を走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜目(ぬけめ)のない岡田はかねてから注意して土地で一流の宿屋へ室(へや)の注文をしたのだが、あいにく避暑の客が込み合って、眺(なが)めの好い座敷が塞(ふさ)がっているとかで、自分達は直(ただち)に俥(くるま)を命じて浜手の角を曲った。そうして海を真前(まんまえ)に控えた高い三階の上層の一室に入った。
 そこは南と西の開(あ)いた広い座敷だったが、普請(ふしん)は気の利(き)いた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物にならなかった。時々大一座(おおいちざ)でもあった時に使う二階はぶっ通しの大広間で、伽藍堂(がらんどう)のような真中(まんなか)に立って、波を打った安畳を眺(なが)めると、何となく殺風景な感が起った。
 兄はその大広間に仮の仕切として立ててあった六枚折の屏風(びょうぶ)を黙って見ていた。彼はこういうものに対して、父の薫陶(くんとう)から来た一種の鑑賞力をもっていた。その屏風には妙にべろべろした葉の竹が巧(たくみ)に描(えが)かれていた。兄は突然後(うしろ)を向いて「おい二郎」と云った。
 その時兄と自分は下の風呂に行くつもりで二人ながら手拭(てぬぐい)をさげていた。そうして自分は彼の二間ばかり後(うしろ)に立って、屏風の竹を眺める彼をまた眺めていた。自分は兄がこの屏風の画(え)について、何かまた批評を加えるに違いないと思った。
「何です」と答えた。
「先刻(さっき)汽車の中で話しが出た、あの三沢の事だね。お前はどう思う」
 兄の質問は実際自分に取って意外であった。彼はなぜその話しを今まで自分に聞かせなかったと汽車の中で問われた時、すでに苦(にが)い顔をして必要がないからだと答えたばかりであった。
「例の接吻(キッス)の話ですか」と自分は聞き返した。
「いえ接吻じゃない。その女が三沢の出る後(あと)を慕って、早く帰って来てちょうだいと必ず云ったという方の話さ」
「僕には両方共面白いが、接吻の方が何だかより多く純粋でかつ美しい気がしますね」
 この時自分達は二階の梯子段(はしごだん)を半分ほど降りていた。兄はその中途でぴたりと留(とま)った。
「そりゃ詩的に云うのだろう。詩を見る眼で云ったら、両方共等しく面白いだろう。けれどもおれの云うのはそうじゃない。もっと実際問題にしての話だ」

        十二

 自分には兄の意味がよく解らなかった。黙って梯子段の下まで降りた。兄も仕方なしに自分の後(あと)に跟(つ)いて来た。風呂場の入口で立ち留った自分は、ふり返って兄に聞いた。
「実際問題と云うと、どういう事になるんですか。ちょっと僕には解らないんですが」
 兄は焦急(じれっ)たそうに説明した。
「つまりその女がさ、三沢の想像する通り本当にあの男を思っていたか、または先の夫に対して云いたかった事を、我慢して云わずにいたので、精神病の結果ふらふらと口にし始めたのか、どっちだと思うと云うんだ」
 自分もこの問題は始めその話を聞いた時、少し考えて見た。けれどもどっちがどうだかとうてい分るべきはずの者でないと諦(あきら)めて、それなり放ってしまった。それで自分は兄の質問に対してこれというほどの意見も持っていなかった。
「僕には解らんです」
「そうか」
 兄はこう云いながら、やっぱり風呂に這入(はい)ろうともせず、そのまま立っていた。自分も仕方なしに裸になるのを控えていた。風呂は思ったより小さくかつ多少古びていた。自分はまず薄暗い風呂を覗(のぞ)き込んで、また兄に向った。
「兄さんには何か意見が有るんですか」
「おれはどうしてもその女が三沢に気があったのだとしか思われんがね」
「なぜですか」
「なぜでもおれはそう解釈するんだ」
 二人はその話の結末をつけずに湯に入った。湯から上って婦人連(れん)と入代った時、室(へや)には西日がいっぱい射(さ)して、海の上は溶けた鉄のように熱く輝いた。二人は日を避けて次の室に這入った。そうしてそこで相対して坐った時、先刻(さっき)の問題がまた兄の口から話頭に上(のぼ)った。
「おれはどうしてもこう思うんだがね……」
「ええ」と自分はただおとなしく聞いていた。
「人間は普通の場合には世間の手前とか義理とかで、いくら云いたくっても云えない事がたくさんあるだろう」
「それはたくさんあります」
「けれどもそれが精神病になると――云うとすべての精神病を含めて云うようで、医者から笑われるかも知れないが、――しかし精神病になったら、大変気が楽(らく)になるだろうじゃないか」
「そう云う種類の患者もあるでしょう」
「ところでさ、もしその女がはたしてそういう種類の精神病患者だとすると、すべて世間並(せけんなみ)の責任はその女の頭の中から消えて無くなってしまうに違なかろう。消えて無くなれば、胸に浮かんだ事なら何でも構わず露骨に云えるだろう。そうすると、その女の三沢に云った言葉は、普通我々が口にする好い加減な挨拶(あいさつ)よりも遥(はるか)に誠の籠(こも)った純粋のものじゃなかろうか」
 自分は兄の解釈にひどく感服してしまった。「それは面白い」と思わず手を拍(う)った。すると兄は案外不機嫌(ふきげん)な顔をした。
「面白いとか面白くないとか云う浮いた話じゃない。二郎、実際今の解釈が正確だと思うか」と問いつめるように聞いた。
「そうですね」
 自分は何となく躊躇(ちゅうちょ)しなければならなかった。
「噫々(ああああ)女も気狂(きちがい)にして見なくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」
 兄はこう云って苦しい溜息(ためいき)を洩(も)らした。

        十三

 宿の下にはかなり大きな掘割(ほりわり)があった。それがどうして海へつづいているかちょっと解らなかったが、夕方には漁船が一二艘(そう)どこからか漕(こ)ぎ寄せて来て、緩(ゆる)やかに楼の前を通り過ぎた。
 自分達はその掘割に沿うて一二丁右の方へ歩いた後(あと)、また左へ切れて田圃路(たんぼみち)を横切り始めた。向うを見ると、田の果(はて)がだらだら坂の上(のぼ)りになって、それを上り尽した土手の縁(ふち)には、松が左右に長く続いていた。自分達の耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞えた。三階から見るとその砕けた波が忽然(こつぜん)白い煙となって空(くう)に打上げられる様が、明かに見えた。
 自分達はついにその土手の上へ出た。波は土手のもう一つ先にある厚く築き上げられた石垣に当って、みごとに粉微塵(こみじん)となった末、煮え返るような色を起して空(くう)を吹くのが常であったが、たまには崩(くず)れたなり石垣の上を流れ越えて、ざっと内側へ落ち込んだりする大きいのもあった。
 自分達はしばらくその壮観に見惚(みと)れていたが、やがて強い浪(なみ)の響を耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、これが片男波(かたおなみ)だろうと好い加減な想像を話の種に二人並んで歩いた。兄夫婦は自分達より少し先へ行った。二人とも浴衣(ゆかた)がけで、兄は細い洋杖(ステッキ)を突いていた。嫂(あによめ)はまた幅の狭い御殿模様か何かの麻(あさ)の帯を締めていた。彼らは自分達よりほとんど二十間ばかり先へ出ていた。そうして二人とも並んで足を運ばして行った。けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、また気にしないような眼遣(めづかい)で、時々見た。その見方がまた余りに神経的なので、母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話しの面倒になるのを恐れたから、素知(そし)らぬ顔をしてわざと緩々(ゆるゆる)歩いた。そうしてなるべく呑(の)ん気(き)そうに見せるつもりで母を笑わせるような剽軽(ひょうきん)な事ばかり饒舌(しゃべ)った。母はいつもの通り「二郎、御前見たいに暮して行けたら、世間に苦はあるまいね」と云ったりした。
 しまいに彼女はとうとう堪(こら)え切れなくなったと見えて、「二郎あれを御覧」と云い出した。
「何ですか」と自分は聞き返した。
「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向(おもてむき)承認しない訳に行かなかった。
「また何か兄さんの気に障(さわ)る事でもできたんですか」
「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那(だんな)が素(そ)っ気(け)なくしていたって、こっちは女だもの。直(なお)の方から少しは機嫌(きげん)の直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同(おん)なじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」
 母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただ嫂(あによめ)の方にばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係を傍(はた)で見ているものの胸にはきっと起る自然のものであった。
「兄さんはまた何か考え込んでいるんですよ。それで姉さんも遠慮してわざと口を利(き)かずにいるんでしょう」
 自分は母のためにわざとこんな気休(きやす)めを云ってごまかそうとした。

        十四

「たとい何か考えているにしてもだね。直(なお)の方がああ無頓着(むとんじゃく)じゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」
 兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿(うしろすがた)は、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評が満更(まんざら)当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛(かわい)がり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷(かこく)に見ていはしまいかと疑った。
 自分の見た彼女はけっして温(あたた)かい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌(あいきょう)のない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾(しぼ)り出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後(よめいりご)の彼女に見出した事が時々あった。けれども矯(た)めがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。
 不幸にして兄は今自分が嫂について云ったような気質を多量に具えていた。したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、己(おの)れの要するものを、要する事のできないお互に対して、初手(しょて)から求め合っていて、いまだにしっくり反(そり)が合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機嫌(きげん)の好い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄の方が熱しやすい性(たち)だけに、女に働きかける温か味の功力(くりき)と見るのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡過ぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡過ぎると腹のうちで評しているかも知れない。
 自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理窟(りくつ)を云う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が云い出した。
「いったい直は愛嬌のある質(たち)じゃないが、御父さんや妾(わたし)にはいつだって同(おん)なじ調子だがね。二郎、御前にだってそうだろう」
 これは全く母の云う通りであった。自分は元来性急(せっかち)な性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴(どな)りつけたりするが、不思議にまだ嫂(あによめ)と喧嘩(けんか)をした例(ためし)はなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心おきなく話をした。
「僕にもそうですがね。なるほどそう云われれば少々変には違ない」
「だからさ妾(わたし)には直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」
「まさか」
 自白すると自分はこの問題を母ほど細(こま)かく考えていなかった。したがってそんな疑いを挟(さしは)さむ余地がなかった。あってもその原因が第一不審であった。
「だって宅中(うちじゅう)で兄さんが一番大事な人じゃありませんか、姉さんにとって」
「だからさ。御母さんには訳が解らないと云うのさ」
 自分にはせっかくこんな景色の好い所へ来ながら、際限もなく母を相手に、嫂を陰で評しているのが馬鹿らしく感ぜられてきた。
「そのうち機会(おり)があったら、姉さんにまたよく腹の中を僕から聞いて見ましょう。何心配するほどの事はありませんよ」と云い切って、向(むこう)の石垣まで突き出している掛茶屋から防波堤(ぼうはてい)の上に馳(か)け上った。そうして、精一杯の声を揚(あ)げて、「おーいおーい」と呼んだ。兄夫婦は驚いてふり向いた。その時石の堤に当って砕けた波が、吹き上げる泡(あわ)と脚(あし)を洗う流れとで、自分を濡鼠(ぬれねずみ)のごとくにした。
 自分は母に叱られながら、ぽたぽた雫(しずく)を垂らして、三人と共に宿に帰った。どどんどどんという波の音が、帰り道中(じゅう)自分の鼓膜(こまく)に響いた。

        十五

 その晩自分は母といっしょに真白な蚊帳(かや)の中に寝た。普通の麻よりは遥(はるか)に薄くできているので、風が来て綺麗(きれい)なレースを弄(もてあそ)ぶ様(さま)が涼しそうに見えた。
「好い蚊帳ですね。宅(うち)でも一つこんなのを買おうじゃありませんか」と母に勧めた。
「こりゃ見てくれだけは綺麗だが、それほど高いものじゃないよ。かえって宅にあるあの白麻の方が上等なんだよ。ただこっちのほうが軽くって、継(つ)ぎ目(め)がないだけに華奢(きゃしゃ)に見えるのさ」
 母は昔ものだけあって宅(うち)にある岩国(いわくに)かどこかでできる麻の蚊帳の方を賞(ほ)めていた。
「だいち寝冷(ねびえ)をしないだけでもあっちの方が得じゃないか」と云った。
 下女が来て障子(しょうじ)を締め切ってから、蚊帳は少しも動かなくなった。
「急に暑苦しくなりましたね」と自分は嘆息するように云った。
「そうさね」と答えた母の言葉は、まるで暑さが苦にならないほど落ちついていた。それでも団扇遣(うちわづかい)の音だけは微(かす)かに聞こえた。
 母はそれからふっつり口を利(き)かなくなった。自分も眼を眠(ねむ)った。襖(ふすま)一つ隔てた隣座敷には兄夫婦が寝ていた。これは先刻(さっき)から静(しずか)であった。自分の話相手がなくなってこっちの室(へや)が急にひっそりして見ると、兄の室はなお森閑と自分の耳を澄ました。
 自分は眼を閉じたままじっとしていた。しかしいつまで経(た)っても寝つかれなかった。しまいには静さに祟(たた)られたようなこの暑い苦しみを痛切に感じ出した。それで母の眠(ねむり)を妨(さまた)げないようにそっと蒲団(ふとん)の上に起き直った。それから蚊帳(かや)の裾(すそ)を捲(まく)って縁側(えんがわ)へ出る気で、なるべく音のしないように障子(しょうじ)をすうと開(あ)けにかかった。すると今まで寝入っていたとばかり思った母が突然「二郎どこへ行くんだい」と聞いた。
「あんまり寝苦しいから、縁側へ出て少し涼もうと思います」
「そうかい」

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