行人
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著者名:夏目漱石 

 夕飯前(ゆうはんまえ)に浴衣(ゆかた)がけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり岡田に向って、「君の所にゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あの構(かまえ)で電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌(きげん)の好(い)い浮き浮きした調子ばかり見えた。

        四

 それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹(たちき)の色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残(なごり)の光で岡田の顔を見た。
「君東京にいた時よりよほど快豁(かいかつ)になったようですね。血色も大変好い。結構だ」
 岡田は「ええまあお蔭(かげ)さまで」と云ったような瞹眛(あいまい)な挨拶(あいさつ)をしたが、その挨拶のうちには一種嬉(うれ)しそうな調子もあった。
 もう晩飯(ばんめし)の用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人帰路(きろ)についた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑(ひやかし)のように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別に否(いな)みもしなかった。
 しばらくしてから彼は今までの快豁(かいかつ)な調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言(ひとりごと)をいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。
 自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってから後(あと)で、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。
「なに子供が可愛(かわい)いかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻(さい)たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」
 岡田は単にわが女房を世間並(せけんなみ)にするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖(こわ)いから、まあもう少し先へ延(のば)そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人(ふたり)ぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。
「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」
「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
 岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。
 宅(うち)では食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗(きれい)に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧(うすげしょう)をして二人のお酌をした。時々は団扇(うちわ)を持って自分を扇(あお)いでくれた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉(おしろい)の匂(におい)を微(かす)かに感じた。そうしてそれが麦酒(ビール)や山葵(わさび)の香(か)よりも人間らしい好い匂のように思われた。
「岡田君はいつもこうやって晩酌(ばんしゃく)をやるんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうも後引上戸(あとひきじょうご)で困ります」と答えてわざと夫の方を見やった。夫は、「なに後(あと)が引けるほど飲ませやしないやね」と云って、傍(そば)にある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友達の事に思い及んだ。
「奥さん、三沢(みさわ)という男から僕に宛(あ)てて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一(だいち)あなたはあの一件からして片づけてしまわなくっちゃならない義務があるでしょう」
 岡田はこう云って、自分の洋盃(コップ)へ麦酒をゴボゴボと注(つ)いだ。もうよほど酔っていた。

        五

 その晩はとうとう岡田の家(うち)へ泊った。六畳の二階で一人寝かされた自分は、蚊帳(かや)の中の暑苦しさに堪(た)えかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開け放った。窓際(まどぎわ)を枕に寝ていたので、空は蚊帳越にも見えた。試(ためし)に赤い裾(すそ)から、頭だけ出して眺(なが)めると星がきらきらと光った。自分はこんな事をする間にも、下にいる岡田夫婦の今昔(こんじゃく)は忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨(うらや)ましい気もした。三沢から何(なん)の音信(たより)のないのも気がかりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。一番どうでも好かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。
 翌日(よくじつ)眼が覚(さ)めると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。
「おいお兼とうとう絞(しぼ)りのが咲き出したぜ。ちょいと来て御覧」
 自分は時計を見て、腹這(はらばい)になった。そうして燐寸(マッチ)を擦(す)って敷島(しきしま)へ火を点(つ)けながら、暗(あん)にお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、あなたは。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙(いそが)しくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側(えんがわ)に立っているらしい。
「それでも綺麗(きれい)ね。咲いて見ると。――金魚はどうして」
「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」
 自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草(たばこ)を吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上った。そうしてかなり急な階子段(はしごだん)を一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。
 三人で飯を済ました後(あと)、岡田は会社へ出勤しなければならないので、緩(ゆっく)り案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来る前から、そんな事を全く予期していなかったと云って、白い詰襟姿(つめえりすがた)の彼を坐ったまま眺(なが)めていた。
「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内して上げるが好い」と岡田は急に思いついたような顔つきで云った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にも何とも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥(ぶらつ)いて見よう」と云いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘(こうもり)を取って、自分に手渡ししてくれた。それからただ一口「お早く」と云った。
 自分は二度電車に乗せられて、二度下ろされた。そうして岡田の通(かよ)っている石造の会社の周囲(しゅうい)を好い加減に歩き廻った。同じ流れか、違う流れか、水の面(おもて)が二三度目に入(はい)った。そのうち暑さに堪(た)えられなくなって、また好い加減に岡田の家(うち)へ帰って来た。
 二階へ上(あが)って、――自分は昨夜(ゆうべ)からこの六畳の二階を、自分の室(へや)と心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上(あが)って来た。自分は驚いて脱(ぬ)いだ肌(はだ)を入れた。昨日廂(ひさし)に束(つか)ねてあったお兼さんの髪は、いつの間にか大きな丸髷(まるまげ)に変っていた。そうして桃色の手絡(てがら)が髷(まげ)の間から覗(のぞ)いていた。

        六

 お兼さんは黒い盆の上に載(の)せた平野水(ひらのすい)と洋盃(コップ)を自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急に罎(びん)を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕(ゆうべ)気がつかなかった指環(ゆびわ)が一つ光っていた。
 自分が洋盃(コップ)を取上げて咽喉(のど)を潤(うるお)した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。
「先ほどお出(で)かけになった後(あと)で」と云いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。御待かねの……」
 自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
「一両日後(おく)れるかも知れぬ」
 葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。
「まるで電報のようでございますね」
「それであなた笑ってたんですか」
「そう云う訳でもございませんけれども、何だかあんまり……」
 お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。
「あんまり、どうしました」
「あんまりもったいないようですから」
 お兼さんのお父さんというのは大変緻密(ちみつ)な人で、お兼さんの所へ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りに蠅(はえ)の頭のような字を十五行も並べて来るという話しを、お兼さんは面白そうにした。自分は三沢の事を全く忘れて、ただ前にいるお兼さんを的(まと)に、さまざまの事を尋ねたり聞いたりした。
「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守(るす)をしていると退屈するでしょう」
「そうでもございませんわ。私(わたくし)兄弟の多い家(うち)に生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見(いじめ)るものはないと思っておりますから」
「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないと淋(さみ)しくっていけないって云ってましたよ」
 お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺(なが)めていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳(わけ)にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
 自分はこの居苦(いぐる)しくまた立苦(たちぐる)しくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲(ゆず)るつもりか、けっして多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。

        七

「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩の事であった。自分は露(つゆ)に近い縁側(えんがわ)を好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中に坐(すわ)っていたが、話が始まるや否や、すぐ立って縁側へ出て来た。
「どうも遠くじゃ話がし悪(にく)くっていけない」と云いながら、模様のついた座蒲団(ざぶとん)を自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。
「二郎さん写真は見たでしょう、この間僕が送った」
 写真の主(ぬし)というのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時家(うち)のものが代りばんこに見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。
「ええちょっと見ました」
「どうです評判は」
「少し御凸額(おでこ)だって云ったものもあります」
 お兼さんは笑い出した。自分もおかしくなった。と云うのは、その男の写真を見て、お凸額だと云い始めたものは、実のところ自分だからである。
「お重(しげ)さんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口にかかっちゃ、たいていのものは敵(かな)わないからね」
 岡田は自分の妹のお重を大変口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将棋(しょうぎ)の駒(こま)見たいよと云われてからの事である。
「お重さんに何と云われたって構わないが肝心(かんじん)の当人はどうなんです」
 自分は東京を立つとき、母から、貞(さだ)には無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。岡田夫婦はまた佐野(さの)という婿(むこ)になるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙げた。
 お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介(やっかい)ものという名があるだけである。
「先方があまり乗気になって何だか剣呑(けんのん)だから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」
 自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味はもち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険な事だろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦の云う事を聞いていた自分は、ふと口を滑(すべ)らした。――
「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」
「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人(しんぼうにん)を御貰(おもら)いになる御考えなんですよ」
 お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかには何も考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日(あした)会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭を枕(まくら)に着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。

        八

 翌日(あくるひ)岡田は会社を午(ひる)で切上げて帰って来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。
 お兼さんはいつの間にか箪笥(たんす)の抽出(ひきだし)を開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度(したく)は好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。
「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんは絽(ろ)の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段(はしごだん)の中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。
 洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変り」
「あんまり変り栄(ばえ)もしない服装(なり)だね」と岡田が云った。
「これでたくさんよあんな所(とこ)へ行くのに」とお兼さんが答えた。
 三人は暑(あつさ)を冒(おか)して岡を下(くだ)った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛(とっぴ)な葉書を思い出したりした。全体あれはどこで出したものなんだろうと考えても見た。これから会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかしそのたんびに「物好(ものずき)」という言葉がどうしてもいっしょに出て来た。
 岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直(まっすぐ)にして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪(こちら)へいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。
 三人は浜寺(はまでら)で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大(おおき)な松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘(こうもり)を開いたままさっさと行った。
「もう来ているだろうか」
「そうね。ことに因(よ)るともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」
 自分は二人の後(あと)に跟(つ)いて、こんな会話を聴(き)きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚(びっくり)した。三人は段々を下りて細い廊下を通った。
「隧道(トンネル)ですよ」
 お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談(じょうだん)で、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。
 座敷では佐野が一人敷居際(しきいぎわ)に洋服の片膝を立てて、煙草(たばこ)を吹かしながら海の方を見ていた。自分達の足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁(きんぶち)の眼鏡(めがね)が光った。部屋へ這入(はい)るとき第一に彼と顔を見合せたのは実に自分だったのである。

        九

 佐野は写真で見たよりも一層御凸額(おでこ)であった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈(か)っているので、ことにそう見えたのかも知れない。初対面の挨拶(あいさつ)をするとき、彼は「何分(なにぶん)よろしく」と云って頭を丁寧(ていねい)に下げた。この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛(そくばく)ができた。
 四人(よつたり)は膳(ぜん)に向いながら話をした。お兼さんは佐野とはだいぶ心やすい間柄(あいだがら)と見えて、時々向側から調戯(からか)ったりした。
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京(あっち)で大変なんですって」
「どう大変なんです。――おおかた好い方へ大変なんでしょうね」
「そりゃもちろんよ。嘘(うそ)だと覚し召すならお隣りにいらっしゃる方に伺って御覧になれば解るわ」
 佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。自分はちょっと何とか云わなければ跋(ばつ)が悪かった。それで真面目(まじめ)な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田が「浄瑠璃(じょうるり)じゃあるまいし」と交返(まぜかえ)した。
 岡田は自分の母の遠縁に当る男だけれども、長く自分の宅(うち)の食客(しょっかく)をしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低い物の云い方をする習慣をもっていた。久しぶりに会った昨日(きのう)一昨日(おととい)などはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口の利(き)き方が急に対等になった。ある時は対等以上に横風(おうふう)になった。
 四人のいる座敷の向(むこう)には、同じ家のだけれども棟(むね)の違う高い二階が見えた。障子(しょうじ)を取り払ったその広間の中を見上げると、角帯(かくおび)を締(し)めた若い人達が大勢(おおぜい)いて、そのうちの一人が手拭(てぬぐい)を肩へかけて踊(おどり)かなにか躍(おど)っていた。「御店(おたな)ものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺(てすり)の所へ出て来て、汚ないものを容赦(ようしゃ)なく廂(ひさし)の上へ吐(は)いた。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人煙草(たばこ)を吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にも怖(こわ)がるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。今まで苦々(にがにが)しい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。
「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。
「あなたみたいね」とお兼さんが評した。
「どっちがです」と佐野が聞いた。
「両方ともよ。吐いたり管(くだ)を捲(ま)いたり」とお兼さんが答えた。
 岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野は独(ひと)り高笑(たかわらい)をした。
 四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶(あいさつ)した。三人はプラットフォームから外へ出た。
「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好さそうですね」
 自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えた後(あと)ははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。

        十

 自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。実をいうと彼らは自分のよそに行って宿を取る事を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂(はつらつ)と自分の眼を射るように思われたり、家並(いえなみ)が締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。
 佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼の方から浴衣(ゆかた)がけで岡田を尋ねて来た。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了(けつりょう)した旨(むね)の報告を書いた。
 仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑(の)むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡(うたい)をうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番しまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。お貞(さだ)さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。
 自分はこの手紙を封じる時、ようやく義務が済んだような気がした。しかしこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっちょこちょいに恥入るところもあった。そこで自分はこの手紙を封筒へ入(いれ)たまま、岡田の所へ持って行った。岡田はすうと眼を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐って、双方を見較(みくら)べた。
「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、宅(うち)の方はきまるんです。したがって佐野さんもちょっと動けなくなるんですが」
「結構です。それが僕らの最も希望するところです」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉で繰(く)り返した。二人からこう事もなげに云われた自分は、それで安心するよりもかえって心元なくなった。
「何がそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草(たばこ)の煙を吹いた。「この事件について一番冷淡だったのは君じゃありませんか」
「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」
「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらは初(はじめ)からきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟(りくつ)をいうのが厭(いや)になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼(は)った。

        十一

 自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退(たちの)きたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要もなかろうと云った。
「けれどもまあ緩(ゆっ)くりなさい」
 これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着(おうちゃく)な泊り客は、こっちにも多少の窮屈(きゅうくつ)は免(まぬ)かれなかった。自分は電報のように簡単な端書(はがき)を書いたぎり何の音沙汰(おとさた)もない三沢が悪(にく)らしくなった。もし明日中(あしたじゅう)に何とか音信(たより)がなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。
「じゃ明日は佐野を誘って宝塚(たからづか)へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰(さしくり)をしてくれるのが苦(く)になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好(はでずき)の女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味(じみ)であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。
「御酒(ごしゅ)を召上らない方(かた)は一生のお得ですね」
 自分の杯(さかずき)に親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐(じゅっかい)を、さも羨(うらや)ましそうに洩(も)らした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲(すもう)でも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんは眉(まゆ)をひそめながら、嬉(うれ)しそうな眼つきをするのが常であったから、お兼さんは旦那の酔(よ)うのが嫌(きら)いなのではなくって、酒に費用(ついえ)のかかるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。
 自分はせっかくの好意だけれども宝塚行を断(ことわ)った。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留守に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見て来(き)ようと取りきめた。岡田は「そうですか。文楽(ぶんらく)だと好いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるもんだから」と気の毒そうに云った。
 翌朝(よくあさ)自分は岡田といっしょに家(うち)を出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。
「僕はあなたの親類だと思ってやしません。あなたのお父さんやお母さんに書生として育てられた食客(しょっかく)と心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんなあなたの御両親のお蔭(かげ)でできたんです。だから何か御恩返しをしなくっちゃすまないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機でしたんですよ。けっして他意はないんですからね」
 お貞さんは宅(うち)の厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。
「お宅(たく)じゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」
 自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の眼にはお貞さんと佐野という縁故も何もない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。
「旨(うま)く行くでしょうか」
「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩(おおげんか)をした事なんかありゃしませんぜ」
「あなた方(がた)は特別だけれども……」
「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」
 岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。

        十二

 三沢の便(たよ)りははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立(はらだた)しく感ぜられた、強(し)いてもこれから一人で立とうと決心した。
「まあもう一日(いちんち)二日(ふつか)はよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌(あいきょう)に云ってくれた。自分が鞄(かばん)の中へ浴衣(ゆかた)や三尺帯(さんじゃくおび)を詰めに二階へ上(あが)りかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上(あが)り口(ぐち)へ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩(ごゆっ)くりどうぞ」と降りて行った。
 自分は胡坐(あぐら)のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中(うち)でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨(うま)く行かないので、仰向(あおむけ)になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口(すばしりぐち)へ降りる時、滑(すべ)って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水(きんめいすい)入の硝子壜(ガラスびん)を、壊(こわ)したなり帯へ括(くく)りつけて歩いた彼の姿扮(すがた)などが眼に浮んだ。ところへまた梯子段(はしごだん)を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
 お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息吐(つ)いたように云って、すぐ自分の前に坐(すわ)った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとう御着(おつき)になりましたか」
 自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指(さ)してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑(の)み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄(かばん)を提(さ)げて岡田の家を出る事にした。
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断(ことわ)るのを無理に、下女が鞄を持って停車場(ステーション)まで随(つ)いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌(きげん)よう」と云った。
 電車を下りて俥(くるま)に乗ると、その俥は軌道(レール)を横切って細い通りを真直(まっすぐ)に馳(か)けた。馳け方があまり烈(はげ)しいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度(いくたび)か衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降(お)ろされた。
 鞄を持ったまま三階に上(あが)った自分は、三沢を探すため方々の室(へや)を覗(のぞ)いて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢(ひょうのう)を胸の上に載(の)せて寝ていた。
「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐(あぐら)をかいて上着(うわぎ)を脱いだ。
「そこに蒲団(ふとん)がある」と三沢は上眼(うわめ)を使って、室の隅(すみ)を指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。
「看護婦はついてるのかい」
「うん。今どこかへ出て行った」

        十三

 三沢は平生から胃腸のよくない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友達はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などをひっくり返して、アトニーとか下垂性(かすいせい)とかトーヌスとかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいた事をいうと、彼は素人(しろうと)が何を知るものかと云わぬばかりの顔をした。
「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞に出かけた。彼の病気は短くて二三日長くて一二週間で大抵は癒(なお)った。それで彼は彼の病気を馬鹿にしていた。他人の自分はなおさらであった。
 けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。その上に胃の上の氷嚢(ひょうのう)でまた驚かされた。自分はそれまで氷嚢は頭か心臓の上でなければ載(の)せるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見つめて厭(いや)な心持になった。枕元に坐っていればいるほど、付景気(つけげいき)の言葉がだんだん出なくなって来た。
 三沢は看護婦に命じて氷菓子(アイスクリーム)を取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってとめにかかった。すると三沢は怒った。
「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真面目(まじめ)な顔をして議論を仕かけた。自分は実のところ何にも知らないのである。看護婦は、よかろうけれども念のためだからと云って、わざわざ医局へ聞きに行った。そうして少量なら差支(さしつかえ)ないという許可を得て来た。
 自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気は全体何というんだと聞いて見た。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上の事を尋ねると、今朝看護婦会から派出されたばかりで、何もまだ分らないんだと云って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙箋(しせん)を繰って、胃が少し糜爛(ただ)れたんだという事だけ教えてくれた。
 自分はまた三沢の傍(そば)へ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と云った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高い上に、病人は日本の蒲団(ふとん)を敷いて寝ているんだから、彼の眼には強い色の空と、電信線の一部分が筋違(すじかい)に見えるだけであった。
 自分は窓側(まどぎわ)に手を突いて、外を見下(みおろ)した。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼に入(い)った。その煙は市全体を掩(おお)うように大きな建物の上を這(は)い廻っていた。
「河が見えるだろう」と三沢が云った。
 大きな河が左手の方に少し見えた。
「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。
 山は正面にさっきから見えていた。
 それが暗(くら)がり峠(とうげ)で、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突(つ)き貫(ぬ)いて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。

        十四

 自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥(くるま)で乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程(みちのり)と思われた。
 その宿には玄関も何にもなかった。這入(はい)ってもいらっしゃいと挨拶(あいさつ)に出る下女もなかった。自分は三沢の泊ったという二階の一間(ひとま)に通された。手摺(てすり)の前はすぐ大きな川で、座敷から眺(なが)めていると、大変涼(すず)しそうに水は流れるが、向(むき)のせいか風は少しも入らなかった。夜(よ)に入(い)って向側に点ぜられる灯火のきらめきも、ただ眼に少しばかりの趣(おもむき)を添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。
 自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日(ふつか)ここに寝たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、鞄(かばん)を投げ込んだまま外出して、その晩の十時過に始めて帰って来たのだそうである。着いた時には五六人の伴侶(つれ)がいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五六人の伴侶の何人(なんびと)であるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮ばなかった。
「酔ってたかい」と自分は下女に聞いて見た。そこは下女も知らなかった。けれども少し経(た)って吐(は)いたから酔っていたんだろうと答えた。
 自分はその夜(よ)蚊帳(かや)を釣って貰って早く床(とこ)に這入(はい)った。するとその蚊帳に穴があって、蚊(か)が二三疋(びき)這入って来た。団扇(うちわ)を動かして、それを払(はら)い退(の)けながら寝ようとすると、隣の室(へや)の話し声が耳についた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。
 電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日(あした)はなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういうわがままはなるべく取次(とりつ)がないが好い」と叱りつけるように云ってやったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行く事は行くよ。君が来てくれというなら」とつけ足(た)して室へ帰った。
 下女はいつ気がついたか、蚊帳の穴を針と糸で塞(ふさ)いでいた。けれどもすでに這入っている蚊はそのままなので、横になるや否や、時々額や鼻の頭の辺(あたり)でぶうんと云う小(ちいさ)い音がした。それでもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部屋でする話声で眼が覚(さ)めた。聞いているとやはり男と女の声であった。自分はこっち側(がわ)に客は一人もいないつもりでいたので、ちょっと驚かされた。しかし女が繰返(くりかえ)して、「そんならもう帰して貰いますぜ」というような言葉を二三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察してまた眠りに落ちた。
 それからもう一度下女が雨戸を引く音に夢を破られて、最後に起き上ったのが、まだ川の面(おもて)に白い靄(もや)が薄く見える頃だったから、正味(しょうみ)寝たのは何時間にもならなかった。

        十五

 三沢の氷嚢(ひょうのう)は依然としてその日も胃の上に在(あ)った。
「まだ氷で冷やしているのか」
 自分はいささか案外な顔をしてこう聞いた。三沢にはそれが友達甲斐(がい)もなく響いたのだろう。
「鼻風邪(はなかぜ)じゃあるまいし」と云った。
 自分は看護婦の方を向いて、「昨夕(ゆうべ)は御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色の蒼(あお)い膨(ふく)れた女であった。顔つきが絵にかいた座頭に好く似ているせいか、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡山のもので、小さい時膿毒性(のうどくしょう)とかで右の眼を悪くしたんだと、こっちで尋ねもしない事を話した。なるほどこの女の一方の眼には白い雲がいっぱいにかかっていた。
「看護婦さん、こんな病人に優しくしてやると何を云い出すか分らないから、好加減(いいかげん)にしておくがいいよ」
 自分は面白半分わざと軽薄な露骨(ろこつ)を云って、看護婦を苦笑(くしょう)させた。すると三沢が突然「おい氷だ」と氷嚢を持ち上げた。
 廊下の先で氷を割る音がした時、三沢はまた「おい」と云って自分を呼んだ。
「君には解るまいが、この病気を押していると、きっと潰瘍(かいよう)になるんだ。それが危険だから僕はこうじっとして氷嚢を載(の)せているんだ。ここへ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋して貰ったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入ったのだ。酔興じゃないんだ」
 自分は三沢の医学上の智識について、それほど信を置き得なかった。けれどもこう真面目(まじめ)に出られて見ると、もう交(ま)ぜ返(かえ)す勇気もなかった。その上彼のいわゆる潰瘍とはどんなものか全く知らなかった。
 自分は起(た)って窓側(まどぎわ)へ行った。そうして強い光に反射して、乾いた土の色を見せている暗(くら)がり峠(とうげ)を望んだ。ふと奈良へでも遊びに行って来(き)ようかという気になった。
「君その様子じゃ当分約束を履行(りこう)する訳にも行かないだろう」
「履行しようと思って、これほどの養生をしているのさ」
 三沢はなかなか強情の男であった。彼の強情につき合えば、彼の健康が旅行に堪(た)え得るまで自分はこの暑い都の中で蒸(む)されていなければならなかった。
「だって君の氷嚢はなかなか取れそうにないじゃないか」
「だから早く癒(なお)るさ」
 自分は彼とこういう談話を取り換(か)わせているうちに、彼の強情のみならず、彼のわがままな点をよく見て取った。同時に一日も早く病人を見捨てて行こうとする自分のわがままもまたよく自分の眼に映った。
「君大阪へ着いたときはたくさん伴侶(つれ)があったそうじゃないか」
「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」
 彼の挙げた姓名のうちには、自分の知っているものも二三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆(みん)な大阪で降りて三沢と共に飯を食ったのだそうである。
 自分はともかくももう二三日いて病人の経過を見た上、どうとかしようと分別(ふんべつ)した。

        十六

 その間自分は三沢の付添のように、昼も晩も大抵は病院で暮した。孤独な彼は実際毎日自分を待受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、けっして礼などは云わなかった。わざわざ草花を買って持って行ってやっても、憤(むっ)と膨(ふく)れている事さえあった。自分は枕元で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間が来ると病人に薬を呑(の)ませたりした。朝日が強く差し込む室(へや)なので、看護婦を相手に、寝床(ねどこ)を影の方へ移す手伝もさせられた。
 自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長は大概黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立派な男で、言葉遣(ことばづか)いや態度にも容貌(ようぼう)の示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍(かいよう)になると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡(たんかん)な返答をした。自分は平生解らない術語を使って、他(ひと)を馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽(こっけい)に思った。
 彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅(うち)へ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気(はきけ)が来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就(きょしゅう)に迷った。
 自分が始めて彼の膳(ぜん)を見たときその上には、生豆腐(なまどうふ)と海苔(のり)と鰹節(かつぶし)の肉汁(ソップ)が載(の)っていた。彼はこれより以上箸(はし)を着ける事を許されなかったのである。自分はこれでは前途遼遠(ぜんとりょうえん)だと思った。同時にその膳に向って薄い粥(かゆ)を啜(すす)る彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席を外(はず)して、つい近所の洋食屋へ行って支度(したく)をして帰って来ると、彼はきっと「旨(うま)かったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。
「あの家(うち)はこの間君と喧嘩(けんか)した氷菓子(アイスクリーム)を持って来る家だ」
 三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼の傍(そば)にいてやりたい気がした。
 しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳(かや)の中で、早く涼しい田舎(いなか)へ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠を妨(さまた)げた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気(しゅき)を帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴(どな)っていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌(あいきょう)をいうものの、蔭(かげ)ではあなたの悪口ばかり並べるんだから止(や)めろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞(おせじ)を云ってくれりゃそれで嬉(うれ)しいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目(まじめ)な話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者から他(ひと)の話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。
 自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。

        十七

 そんなこんなで好く眠られなかった朝、もう看病は御免蒙(ごめんこうむ)るという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすや眠っていた。
 三階の窓から見下(みおろ)すと、狭い通なので、門前の路(みち)が細く綺麗(きれい)に見えた。向側は立派な高塀(たかべい)つづきで、その一つの潜(くぐ)りの外へ主人(あるじ)らしい人が出て、如露(じょうろ)で丹念(たんねん)に往来を濡(ぬ)らしていた。塀の内には夏蜜柑(なつみかん)のような深緑の葉が瓦(かわら)を隠すほど茂っていた。
 院内では小使が丁字形(ていじけい)の棒の先へ雑巾(ぞうきん)を括(くく)り付けて廊下をぐんぐん押して歩いた。雑巾をゆすがないので、せっかく拭いた所がかえって白く汚れた。軽い患者はみな洗面所へ出て顔を洗った。看護婦の払塵(はたき)の声がここかしこで聞こえた。自分は枕(まくら)を借りて、三沢の隣の空室(あきべや)へ、昨夕(ゆうべ)の睡眠不足を補いに入った。
 その室(へや)も朝日の強く当る向(むき)にあるので、一寝入するとすぐ眼が覚(さ)めた。額や鼻の頭に汗と油が一面に浮き出しているのも不愉快だった。自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話をかけたのはこれで三度目である。彼はきまりきって、「御病人の御様子はどうです」と聞く。「二三日中(うち)是非伺います」という。「何でも御用があるなら御遠慮なく」という。最後にきっとお兼さんの事を一口二口つけ加えて、「お兼からもよろしく」とか、「是非お遊びにいらっしゃるように妻(さい)も申しております」とか、「うちの方が忙がしいんで、つい御無沙汰(ごぶさた)をしています」とか云う。
 その日も岡田の話はいつもの通りであった。けれども一番しまいに、「今から一週間内……と断定する訳には行かないが、とにかくもう少しすると、あなたをちょいと驚かせる事が出て来るかも知れませんよ」と妙な事を仄(ほの)めかした。自分は全く想像がつかないので、全体どんな話なんですかと二三度聞き返したが、岡田は笑いながら、「もう少しすれば解ります」というぎりなので、自分もとうとうその意味を聞かないで、三沢の室(へや)へ帰って来た。
「また例の男かい」と三沢が云った。
 自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持になれなかった。すると思いがけない三沢の方から「君もう大阪は厭(いや)になったろう。僕のためにいて貰う必要はないから、どこかへ行くなら遠慮なく行ってくれ」と云い出した。彼はたとい病院を出る場合が来ても、むやみな山登りなどは当分慎まなければならないと覚(さと)ったと説明して聞かせた。
「それじゃ僕の都合の好いようにしよう」
 自分はこう答えてしばらく黙っていた。看護婦は無言のまま室の外に出て行った。自分はその草履(ぞうり)の音の消えるのを聞いていた。それから小さい声をして三沢に、「金はあるか」と尋ねた。彼は己(おの)れの病気をまだ己れの家に知らせないでいる。それにたった一人の知人たる自分が、彼の傍(そば)を立ち退(の)いたら、精神上よりも物質的に心細かろうと自分は懸念(けねん)した。
「君に才覚ができるのかい」と三沢は聞いた。
「別に目的(あて)もないが」と自分は答えた。
「例の男はどうだい」と三沢が云った。
「岡田か」と自分は少し考え込んだ。
 三沢は急に笑い出した。
「何いざとなればどうかなるよ。君に算段して貰わなくっても。金はあるにはあるんだから」と云った。

        十八

 金の事はついそれなりになった。自分は岡田へ金を借りに行く時の思いを想像すると実際厭(いや)だった。病気に罹(かか)った友達のためだと考えても、少しも進む気はしなかった。その代りこの地を立つとも立たないとも決心し得ないでぐずぐずした。
 岡田からの電話はかかって来た時大(おおい)に自分の好奇心を動揺させたので、わざわざ彼に会って真相を聞き糺(ただ)そうかと思ったけれども、一晩経(た)つとそれも面倒になって、ついそのままにしておいた。
 自分は依然として病院の門を潜(くぐ)ったり出たりした。朝九時頃玄関にかかると、廊下も控所も外来の患者でいっぱいに埋(うま)っている事があった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順(いちじゅん)見渡してから、梯子段(はしごだん)に足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。
 あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅(すみ)に丸くなって横顔だけを見せていた。その傍(そば)には洗髪(あらいがみ)を櫛巻(くしまき)にした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥(いちべつ)はまずその女の後姿(うしろすがた)の上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増(としま)が向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶(くもん)の迹(あと)はほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜(ひそ)んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上(のぼ)りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌(ようぼう)の下に包んでいる病苦とを想像した。
 三沢は看護婦から病院のAという助手の話を聞かされていた。このAさんは夜になって閑(ひま)になると、好く尺八(しゃくはち)を吹く若い男であった。独身(ひとり)もので病院に寝泊りをして、室(へや)は三沢と同じ三階の折れ曲った隅にあった。この間まで始終(しじゅう)上履(スリッパー)の音をぴしゃぴしゃ云わして歩いていたが、この二三日まるで顔を見せないので、三沢も自分も、どうかしたのかねぐらいは噂(うわさ)し合っていたのである。
 看護婦はAさんが時々跛(びっこ)を引いて便所へ行く様子がおかしいと云って笑った。それから病院の看護婦が時々ガーゼと金盥(かなだらい)を持ってAさんの部屋へ入って行くところを見たとも云った。三沢はそういう話に興味があるでもなく、また無いでもないような無愛嬌(ぶあいきょう)な顔をして、ただ「ふん」とか「うん」とか答えていた。
 彼はまた自分にいつまで大阪にいるつもりかと聞いた。彼は旅行を断念してから、自分の顔を見るとよくこう云った。それが自分には遠慮がましくかつ催促がましく聞こえてかえって厭(いや)であった。
「僕の都合で帰ろうと思えばいつでも帰るさ」
「どうかそうしてくれ」
 自分は立って窓から真下を見下した。「あの女」はいくら見ていても門の外へ出て来なかった。
「日の当る所へわざわざ出て何をしているんだ」と三沢が聞いた。
「見ているんだ」と自分は答えた。
「何を見ているんだ」と三沢が聞き返した。

        十九

 自分はそれでも我慢して容易に窓側(まどぎわ)を離れなかった。つい向うに見える物干に、松だの石榴(ざくろ)だのの盆栽が五六鉢(はち)並んでいる傍(そば)で、島田に結(い)った若い女が、しきりに洗濯ものを竿(さお)の先に通していた。自分はちょっとその方を見てはまた下を向いた。けれども待ち設けている当人はいつまで経(た)っても出て来る気色(けしき)はなかった。自分はとうとう暑さに堪(た)え切れないでまた三沢の寝床の傍へ来て坐(すわ)った。彼は自分の顔を見て、「どうも強情な男だな、他(ひと)が親切に云ってやればやるほど、わざわざ日の当る所に顔を曝(さら)しているんだから。君の顔は真赤(まっか)だよ」と注意した。自分は平生から三沢こそ強情な男だと思っていた。それで「僕の窓から首を出していたのは、君のような無意味な強情とは違う。ちゃんと目的があってわざと首を出したんだ」と少しもったいをつけて説明した。その代り肝心(かんじん)の「あの女」の事をかえって云い悪(にく)くしてしまった。
 ほど経(へ)て三沢はまた「先刻(さっき)は本当に何か見ていたのか」と笑いながら聞いた。自分はこの時もう気が変っていた。「あの女」を口にするのが愉快だった。どうせ強情な三沢の事だから、聞けばきっと馬鹿だとか下らないとか云って自分を冷罵するに違ないとは思ったが、それも気にはならなかった。そうしたら実は「あの女」について自分はある原因から特別の興味をもつようになったのだぐらい答えて、三沢を少し焦(じ)らしてやろうという下心さえ手伝った。
 ところが三沢は自分の予期とはまるで反対の態度で、自分のいう一句一句をさも感心したらしく聞いていた。自分も乗気になって一二分で済むところを三倍ほどに語り続けた。一番しまいに自分の言葉が途切れた時、三沢は「それは無論素人(しろうと)なんじゃなかろうな」と聞いた。自分は「あの女」を詳(くわ)しく説明したけれども、つい芸者という言葉を使わなかったのである。
「芸者ならことによると僕の知っている女かも知れない」
 自分は驚かされた。しかしてっきり冗談(じょうだん)だろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の眼つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子段(はしごだん)を上(のぼ)る時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しい事は答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているような憐(あわ)れな姿勢だけがありありと眼に映った。
「きっとあれだ。今に看護婦に名前を聞かしてやろう」
 三沢はこう云って薄笑いをした。けれども自分を担(かつ)いでる様子はさらに見えなかった。自分は少し釣り込まれた気味で、彼と「あの女」との関係を聞こうとした。
「今に話すよ。あれだと云う事が確に分ったら」
 そこへ病院の看護婦が「回診です」と注意しに来たので、「あの女」の話はそれなり途切(とぎ)れてしまった。自分は回診の混雑を避けるため、時間が来ると席を外(はず)して廊下へ出たり、貯水桶(ちょすいおけ)のある高いところへ出たりしていたが、その日は手近にある帽を取って、梯子段を下まで降りた。「あの女」がまだどこかにいそうな気がするので、自分は玄関の入口に佇立(たたず)んで四方を見廻した。けれども廊下にも控室にも患者の影はなかった。

        二十

 その夕方の空が風を殺して静まり返った灯(ひ)ともし頃、自分はまた曲りくねった段々を急ぎ足に三沢の室(へや)まで上(のぼ)った。彼は食後と見えて蒲団(ふとん)の上に胡坐(あぐら)をかいて大きくなっていた。
「もう便所へも一人で行くんだ。肴(さかな)も食っている」
 これが彼のその時の自慢であった。
 窓は三(みっ)つ共(とも)明け放ってあった。室が三階で前に目を遮(さえ)ぎるものがないから、空は近くに見えた。その中に燦(きら)めく星も遠慮なく光を増して来た。三沢は団扇(うちわ)を使いながら、「蝙蝠(こうもり)が飛んでやしないか」と云った。看護婦の白い服が窓の傍(そば)まで動いて行って、その胴から上がちょっと窓枠(まどわく)の外へ出た。自分は蝙蝠(こうもり)よりも「あの女」の事が気にかかった。「おい、あの事は解ったか」と聞いて見た。
「やっぱりあの女だ」

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