行人
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著者名:夏目漱石 

     友達


        一

 梅田(うめだ)の停車場(ステーション)を下(お)りるや否(いな)や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥(くるま)を雇(やと)って岡田(おかだ)の家に馳(か)けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎(うと)い親類とばかり覚えていた。
 大阪へ下りるとすぐ彼を訪(と)うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地(はんち)で落ち合おう、そうしていっしょに高野(こうや)登りをやろう、もし時日(じじつ)が許すなら、伊勢から名古屋へ廻(まわ)ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだ危(あや)しかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好(い)いから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。友達は甲州線(こうしゅうせん)で諏訪(すわ)まで行って、それから引返して木曾(きそ)を通った後(あと)、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息(ひといき)に京都まで来て、そこで四五日用足(ようたし)かたがた逗留(とうりゅう)してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
 予定の時日を京都で費(ついや)した自分は、友達の消息(たより)を一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜(べんぎ)になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻(さっき)云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入(かんいり)の菓子を、御土産(おみやげ)だよと断(ことわ)って、鞄(かばん)の中へ入れてくれたのは、昔気質(むかしかたぎ)の律儀(りちぎ)からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控(ひか)えているからであった。
 自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐(わか)れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭(ひげ)を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精(アルコール)に染められた彼(かれ)の四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥(くるま)の上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼(せま)っているだろうと思って、その地(じ)の透(す)いて見えるところを想像したりなどした。
 岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居(すまい)は思ったよりもさっぱりした新しい普請(ふしん)であった。
「どうも上方流(かみがたりゅう)で余計な所に高塀(たかべい)なんか築き上(あげ)て、陰気(いんき)で困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上(あが)って御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。

        二

 自分は岡田に連れられて二階へ上(あが)って見た。当人が自慢するほどあって眺望(ちょうぼう)はかなり好かったが、縁側(えんがわ)のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床(とこ)の間(ま)にかけてある軸物(じくもの)も反(そ)っくり返っていた。
「なに日が射すためじゃない。年(ねん)が年中(ねんじゅう)かけ通しだから、糊(のり)の具合でああなるんです」と岡田は真面目(まじめ)に弁解した。
「なるほど梅(うめ)に鶯(うぐいす)だ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、この幅(ふく)を自分の父から貰(もら)って、大得意で自分の室(へや)へ持って来て見せたのである。その時自分は「岡田君この呉春(ごしゅん)は偽物(ぎぶつ)だよ。それだからあの親父(おやじ)が君にくれたんだ」と云って調戯(からかい)半分岡田を怒らした事を覚えていた。
 二人は懸物(かけもの)を見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田はいつまでも窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣(シャツ)に洋袴(ズボン)だけになってそこに寝転(ねころ)びながら相手になった。そうして彼から天下茶屋(てんがちゃや)の形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分にそれほど興味のない問題を、ただ素直にはいはいと聴(き)いていたが、電車の通じる所へわざわざ俥(くるま)へ乗って来た事だけは、馬鹿らしいと思った。二人はまた二階を下りた。
 やがて細君が帰って来た。細君はお兼(かね)さんと云って、器量(きりょう)はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑(なめ)らかな、遠見(とおみ)の大変好い女であった。父が勤めていたある官省の属官の娘で、その頃は時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入(でいり)をしていた。岡田はまたその時分自分の家の食客(しょっかく)をして、勝手口に近い書生部屋で、勉強もし昼寝(ひるね)もし、時には焼芋(やきいも)なども食った。彼らはかようにして互に顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、結婚が成立するまでに、どんな径路(けいろ)を通って来たか自分はよく知らない。岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分の宅(うち)では書生同様にしていたから、下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退(の)けた。「岡田さんお兼さんがよろしく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にもとめない様子だったから、おおかたただの徒事(いたずら)だろうと思っていた。すると岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋(しゅうせん)したのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄然(ひょうぜん)として上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下(くだ)って行った。これも自分の父と母が口を利(き)いて、話を纏(まと)めてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、後でその話を聞いてちょっと驚いた。勘定して見ると、自分が御殿場で下りた汽車と擦(す)れ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。
 お兼さんは格子(こうし)の前で畳んだ洋傘(こうもり)を、小さい包と一緒に、脇(わき)の下に抱(かか)えながら玄関から勝手の方に通り抜ける時、ちょっときまりの悪そうな顔をした。その顔は日盛(ひざかり)の中を歩いた火気(ほてり)のため、汗を帯びて赤くなっていた。
「おい御客さまだよ」と岡田が遠慮のない大きな声を出した時、お兼さんは「ただいま」と奥の方で優(やさ)しく答えた。自分はこの声の持主に、かつて着た久留米絣(くるめがすり)やフランネルの襦袢(じゅばん)を縫って貰った事もあるのだなとふと懐(なつ)かしい記憶を喚起(よびおこ)した。

        三

 お兼(かね)さんの態度は明瞭(めいりょう)で落ちついて、どこにも下卑(げび)た家庭に育ったという面影(おもかげ)は見えなかった。「二三日前(にさんちまえ)からもうおいでだろうと思って、心待(こころまち)に御待申しておりました」などと云って、眼の縁(ふち)に愛嬌(あいきょう)を漂(ただ)よわせるところなどは、自分の妹よりも品(ひん)の良(い)いばかりでなく、様子も幾分か立優(たちまさ)って見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった。
 この若い細君がまだ娘盛(むすめざかり)の五六年前(ぜん)に、自分はすでにその声も眼鼻立(めはなだち)も知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換(か)わす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴々(なれなれ)しい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、畏(かしこ)まった言語をぽつぽつ使った。岡田はそれがおかしいのか、または嬉(うれ)しいのか、時々自分の顔を見て笑った。それだけなら構わないが、折節(おりせつ)はお兼さんの顔を見て笑った。けれどもお兼さんは澄ましていた。お兼さんがちょっと用があって奥へ立った時、岡田はわざと低い声をして、自分の膝(ひざ)を突っつきながら、「なぜあいつに対して、そう改まってるんです。元から知ってる間柄(あいだがら)じゃありませんか」と冷笑(ひやか)すような句調(くちょう)で云った。
「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」
「冗談(じょうだん)いっちゃいけない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目(まじめ)になって、「だってあなたはあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。
「なんて」
「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪下(くだ)りまで引っ張って行くなんて。もう少し待っていればおれが相当なのを見(め)つけてやるのにって」
「そりゃ君昔の事ですよ」
 こうは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。かつちょっと狼狽(ろうばい)した。そうして先刻(さっき)岡田が変な眼遣(めづかい)をして、時々細君の方を見た意味をようやく理解した。
「あの時は僕も母から大変叱られてね。おまえのような書生に何が解るものか。岡田さんの事はお父さんと私(わたし)とで当人達(たち)に都合の好いようにしたんだから、余計な口を利(き)かずに黙って見ておいでなさいって。どうも手痛(てひど)くやられました」
 自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、その時の様子を多少誇張して述べた。岡田はますます笑った。
 それでもお兼さんがまた座敷へ顔を出した時、自分は多少きまりの悪い思をしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今二郎(じろう)さんがおまえの事を大変賞(ほ)めて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「あなたがあんまり悪口をおっしゃるからでしょう」と夫(おっと)に答えて、眼では自分の方を見て微笑した。
 夕飯前(ゆうはんまえ)に浴衣(ゆかた)がけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり岡田に向って、「君の所にゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あの構(かまえ)で電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌(きげん)の好(い)い浮き浮きした調子ばかり見えた。

        四

 それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹(たちき)の色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残(なごり)の光で岡田の顔を見た。
「君東京にいた時よりよほど快豁(かいかつ)になったようですね。血色も大変好い。結構だ」
 岡田は「ええまあお蔭(かげ)さまで」と云ったような瞹眛(あいまい)な挨拶(あいさつ)をしたが、その挨拶のうちには一種嬉(うれ)しそうな調子もあった。
 もう晩飯(ばんめし)の用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人帰路(きろ)についた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑(ひやかし)のように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別に否(いな)みもしなかった。
 しばらくしてから彼は今までの快豁(かいかつ)な調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言(ひとりごと)をいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。
 自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってから後(あと)で、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。
「なに子供が可愛(かわい)いかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻(さい)たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」
 岡田は単にわが女房を世間並(せけんなみ)にするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖(こわ)いから、まあもう少し先へ延(のば)そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人(ふたり)ぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。
「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」
「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
 岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。
 宅(うち)では食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗(きれい)に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧(うすげしょう)をして二人のお酌をした。時々は団扇(うちわ)を持って自分を扇(あお)いでくれた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉(おしろい)の匂(におい)を微(かす)かに感じた。そうしてそれが麦酒(ビール)や山葵(わさび)の香(か)よりも人間らしい好い匂のように思われた。
「岡田君はいつもこうやって晩酌(ばんしゃく)をやるんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうも後引上戸(あとひきじょうご)で困ります」と答えてわざと夫の方を見やった。夫は、「なに後(あと)が引けるほど飲ませやしないやね」と云って、傍(そば)にある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友達の事に思い及んだ。
「奥さん、三沢(みさわ)という男から僕に宛(あ)てて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一(だいち)あなたはあの一件からして片づけてしまわなくっちゃならない義務があるでしょう」
 岡田はこう云って、自分の洋盃(コップ)へ麦酒をゴボゴボと注(つ)いだ。もうよほど酔っていた。

        五

 その晩はとうとう岡田の家(うち)へ泊った。六畳の二階で一人寝かされた自分は、蚊帳(かや)の中の暑苦しさに堪(た)えかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開け放った。窓際(まどぎわ)を枕に寝ていたので、空は蚊帳越にも見えた。試(ためし)に赤い裾(すそ)から、頭だけ出して眺(なが)めると星がきらきらと光った。自分はこんな事をする間にも、下にいる岡田夫婦の今昔(こんじゃく)は忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨(うらや)ましい気もした。三沢から何(なん)の音信(たより)のないのも気がかりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。一番どうでも好かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。
 翌日(よくじつ)眼が覚(さ)めると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。
「おいお兼とうとう絞(しぼ)りのが咲き出したぜ。ちょいと来て御覧」
 自分は時計を見て、腹這(はらばい)になった。そうして燐寸(マッチ)を擦(す)って敷島(しきしま)へ火を点(つ)けながら、暗(あん)にお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、あなたは。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙(いそが)しくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側(えんがわ)に立っているらしい。
「それでも綺麗(きれい)ね。咲いて見ると。――金魚はどうして」
「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」
 自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草(たばこ)を吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上った。そうしてかなり急な階子段(はしごだん)を一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。
 三人で飯を済ました後(あと)、岡田は会社へ出勤しなければならないので、緩(ゆっく)り案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来る前から、そんな事を全く予期していなかったと云って、白い詰襟姿(つめえりすがた)の彼を坐ったまま眺(なが)めていた。
「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内して上げるが好い」と岡田は急に思いついたような顔つきで云った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にも何とも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥(ぶらつ)いて見よう」と云いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘(こうもり)を取って、自分に手渡ししてくれた。それからただ一口「お早く」と云った。
 自分は二度電車に乗せられて、二度下ろされた。そうして岡田の通(かよ)っている石造の会社の周囲(しゅうい)を好い加減に歩き廻った。同じ流れか、違う流れか、水の面(おもて)が二三度目に入(はい)った。そのうち暑さに堪(た)えられなくなって、また好い加減に岡田の家(うち)へ帰って来た。
 二階へ上(あが)って、――自分は昨夜(ゆうべ)からこの六畳の二階を、自分の室(へや)と心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上(あが)って来た。自分は驚いて脱(ぬ)いだ肌(はだ)を入れた。昨日廂(ひさし)に束(つか)ねてあったお兼さんの髪は、いつの間にか大きな丸髷(まるまげ)に変っていた。そうして桃色の手絡(てがら)が髷(まげ)の間から覗(のぞ)いていた。

        六

 お兼さんは黒い盆の上に載(の)せた平野水(ひらのすい)と洋盃(コップ)を自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急に罎(びん)を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕(ゆうべ)気がつかなかった指環(ゆびわ)が一つ光っていた。
 自分が洋盃(コップ)を取上げて咽喉(のど)を潤(うるお)した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。
「先ほどお出(で)かけになった後(あと)で」と云いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。御待かねの……」
 自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
「一両日後(おく)れるかも知れぬ」
 葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。
「まるで電報のようでございますね」
「それであなた笑ってたんですか」
「そう云う訳でもございませんけれども、何だかあんまり……」
 お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。
「あんまり、どうしました」
「あんまりもったいないようですから」
 お兼さんのお父さんというのは大変緻密(ちみつ)な人で、お兼さんの所へ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りに蠅(はえ)の頭のような字を十五行も並べて来るという話しを、お兼さんは面白そうにした。自分は三沢の事を全く忘れて、ただ前にいるお兼さんを的(まと)に、さまざまの事を尋ねたり聞いたりした。
「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守(るす)をしていると退屈するでしょう」
「そうでもございませんわ。私(わたくし)兄弟の多い家(うち)に生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見(いじめ)るものはないと思っておりますから」
「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないと淋(さみ)しくっていけないって云ってましたよ」
 お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺(なが)めていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳(わけ)にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
 自分はこの居苦(いぐる)しくまた立苦(たちぐる)しくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲(ゆず)るつもりか、けっして多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。

        七

「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩の事であった。自分は露(つゆ)に近い縁側(えんがわ)を好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中に坐(すわ)っていたが、話が始まるや否や、すぐ立って縁側へ出て来た。
「どうも遠くじゃ話がし悪(にく)くっていけない」と云いながら、模様のついた座蒲団(ざぶとん)を自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。
「二郎さん写真は見たでしょう、この間僕が送った」
 写真の主(ぬし)というのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時家(うち)のものが代りばんこに見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。
「ええちょっと見ました」
「どうです評判は」
「少し御凸額(おでこ)だって云ったものもあります」
 お兼さんは笑い出した。自分もおかしくなった。と云うのは、その男の写真を見て、お凸額だと云い始めたものは、実のところ自分だからである。
「お重(しげ)さんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口にかかっちゃ、たいていのものは敵(かな)わないからね」
 岡田は自分の妹のお重を大変口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将棋(しょうぎ)の駒(こま)見たいよと云われてからの事である。
「お重さんに何と云われたって構わないが肝心(かんじん)の当人はどうなんです」
 自分は東京を立つとき、母から、貞(さだ)には無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。岡田夫婦はまた佐野(さの)という婿(むこ)になるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙げた。
 お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介(やっかい)ものという名があるだけである。
「先方があまり乗気になって何だか剣呑(けんのん)だから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」
 自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味はもち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険な事だろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦の云う事を聞いていた自分は、ふと口を滑(すべ)らした。――
「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」
「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人(しんぼうにん)を御貰(おもら)いになる御考えなんですよ」
 お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかには何も考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日(あした)会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭を枕(まくら)に着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。

        八

 翌日(あくるひ)岡田は会社を午(ひる)で切上げて帰って来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。
 お兼さんはいつの間にか箪笥(たんす)の抽出(ひきだし)を開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度(したく)は好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。
「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんは絽(ろ)の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段(はしごだん)の中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。
 洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変り」
「あんまり変り栄(ばえ)もしない服装(なり)だね」と岡田が云った。
「これでたくさんよあんな所(とこ)へ行くのに」とお兼さんが答えた。
 三人は暑(あつさ)を冒(おか)して岡を下(くだ)った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛(とっぴ)な葉書を思い出したりした。全体あれはどこで出したものなんだろうと考えても見た。これから会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかしそのたんびに「物好(ものずき)」という言葉がどうしてもいっしょに出て来た。
 岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直(まっすぐ)にして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪(こちら)へいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。
 三人は浜寺(はまでら)で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大(おおき)な松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘(こうもり)を開いたままさっさと行った。
「もう来ているだろうか」
「そうね。ことに因(よ)るともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」
 自分は二人の後(あと)に跟(つ)いて、こんな会話を聴(き)きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚(びっくり)した。三人は段々を下りて細い廊下を通った。
「隧道(トンネル)ですよ」
 お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談(じょうだん)で、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。
 座敷では佐野が一人敷居際(しきいぎわ)に洋服の片膝を立てて、煙草(たばこ)を吹かしながら海の方を見ていた。自分達の足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁(きんぶち)の眼鏡(めがね)が光った。部屋へ這入(はい)るとき第一に彼と顔を見合せたのは実に自分だったのである。

        九

 佐野は写真で見たよりも一層御凸額(おでこ)であった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈(か)っているので、ことにそう見えたのかも知れない。初対面の挨拶(あいさつ)をするとき、彼は「何分(なにぶん)よろしく」と云って頭を丁寧(ていねい)に下げた。この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛(そくばく)ができた。
 四人(よつたり)は膳(ぜん)に向いながら話をした。お兼さんは佐野とはだいぶ心やすい間柄(あいだがら)と見えて、時々向側から調戯(からか)ったりした。
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京(あっち)で大変なんですって」
「どう大変なんです。――おおかた好い方へ大変なんでしょうね」
「そりゃもちろんよ。嘘(うそ)だと覚し召すならお隣りにいらっしゃる方に伺って御覧になれば解るわ」
 佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。自分はちょっと何とか云わなければ跋(ばつ)が悪かった。それで真面目(まじめ)な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田が「浄瑠璃(じょうるり)じゃあるまいし」と交返(まぜかえ)した。
 岡田は自分の母の遠縁に当る男だけれども、長く自分の宅(うち)の食客(しょっかく)をしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低い物の云い方をする習慣をもっていた。久しぶりに会った昨日(きのう)一昨日(おととい)などはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口の利(き)き方が急に対等になった。ある時は対等以上に横風(おうふう)になった。
 四人のいる座敷の向(むこう)には、同じ家のだけれども棟(むね)の違う高い二階が見えた。障子(しょうじ)を取り払ったその広間の中を見上げると、角帯(かくおび)を締(し)めた若い人達が大勢(おおぜい)いて、そのうちの一人が手拭(てぬぐい)を肩へかけて踊(おどり)かなにか躍(おど)っていた。「御店(おたな)ものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺(てすり)の所へ出て来て、汚ないものを容赦(ようしゃ)なく廂(ひさし)の上へ吐(は)いた。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人煙草(たばこ)を吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にも怖(こわ)がるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。今まで苦々(にがにが)しい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。
「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。
「あなたみたいね」とお兼さんが評した。
「どっちがです」と佐野が聞いた。
「両方ともよ。吐いたり管(くだ)を捲(ま)いたり」とお兼さんが答えた。
 岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野は独(ひと)り高笑(たかわらい)をした。
 四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶(あいさつ)した。三人はプラットフォームから外へ出た。
「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好さそうですね」
 自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えた後(あと)ははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。

        十

 自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。実をいうと彼らは自分のよそに行って宿を取る事を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂(はつらつ)と自分の眼を射るように思われたり、家並(いえなみ)が締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。
 佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼の方から浴衣(ゆかた)がけで岡田を尋ねて来た。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了(けつりょう)した旨(むね)の報告を書いた。
 仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑(の)むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡(うたい)をうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番しまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。お貞(さだ)さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。
 自分はこの手紙を封じる時、ようやく義務が済んだような気がした。しかしこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっちょこちょいに恥入るところもあった。そこで自分はこの手紙を封筒へ入(いれ)たまま、岡田の所へ持って行った。岡田はすうと眼を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐って、双方を見較(みくら)べた。
「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、宅(うち)の方はきまるんです。したがって佐野さんもちょっと動けなくなるんですが」
「結構です。それが僕らの最も希望するところです」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉で繰(く)り返した。二人からこう事もなげに云われた自分は、それで安心するよりもかえって心元なくなった。
「何がそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草(たばこ)の煙を吹いた。「この事件について一番冷淡だったのは君じゃありませんか」
「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」
「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらは初(はじめ)からきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟(りくつ)をいうのが厭(いや)になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼(は)った。

        十一

 自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退(たちの)きたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要もなかろうと云った。
「けれどもまあ緩(ゆっ)くりなさい」
 これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着(おうちゃく)な泊り客は、こっちにも多少の窮屈(きゅうくつ)は免(まぬ)かれなかった。自分は電報のように簡単な端書(はがき)を書いたぎり何の音沙汰(おとさた)もない三沢が悪(にく)らしくなった。もし明日中(あしたじゅう)に何とか音信(たより)がなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。
「じゃ明日は佐野を誘って宝塚(たからづか)へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰(さしくり)をしてくれるのが苦(く)になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好(はでずき)の女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味(じみ)であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。
「御酒(ごしゅ)を召上らない方(かた)は一生のお得ですね」
 自分の杯(さかずき)に親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐(じゅっかい)を、さも羨(うらや)ましそうに洩(も)らした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲(すもう)でも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんは眉(まゆ)をひそめながら、嬉(うれ)しそうな眼つきをするのが常であったから、お兼さんは旦那の酔(よ)うのが嫌(きら)いなのではなくって、酒に費用(ついえ)のかかるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。
 自分はせっかくの好意だけれども宝塚行を断(ことわ)った。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留守に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見て来(き)ようと取りきめた。岡田は「そうですか。文楽(ぶんらく)だと好いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるもんだから」と気の毒そうに云った。
 翌朝(よくあさ)自分は岡田といっしょに家(うち)を出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。
「僕はあなたの親類だと思ってやしません。あなたのお父さんやお母さんに書生として育てられた食客(しょっかく)と心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんなあなたの御両親のお蔭(かげ)でできたんです。だから何か御恩返しをしなくっちゃすまないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機でしたんですよ。けっして他意はないんですからね」
 お貞さんは宅(うち)の厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。
「お宅(たく)じゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」
 自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の眼にはお貞さんと佐野という縁故も何もない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。
「旨(うま)く行くでしょうか」
「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩(おおげんか)をした事なんかありゃしませんぜ」
「あなた方(がた)は特別だけれども……」
「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」
 岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。

        十二

 三沢の便(たよ)りははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立(はらだた)しく感ぜられた、強(し)いてもこれから一人で立とうと決心した。
「まあもう一日(いちんち)二日(ふつか)はよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌(あいきょう)に云ってくれた。自分が鞄(かばん)の中へ浴衣(ゆかた)や三尺帯(さんじゃくおび)を詰めに二階へ上(あが)りかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上(あが)り口(ぐち)へ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩(ごゆっ)くりどうぞ」と降りて行った。
 自分は胡坐(あぐら)のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中(うち)でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨(うま)く行かないので、仰向(あおむけ)になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口(すばしりぐち)へ降りる時、滑(すべ)って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水(きんめいすい)入の硝子壜(ガラスびん)を、壊(こわ)したなり帯へ括(くく)りつけて歩いた彼の姿扮(すがた)などが眼に浮んだ。ところへまた梯子段(はしごだん)を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
 お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息吐(つ)いたように云って、すぐ自分の前に坐(すわ)った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとう御着(おつき)になりましたか」
 自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指(さ)してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑(の)み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄(かばん)を提(さ)げて岡田の家を出る事にした。
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断(ことわ)るのを無理に、下女が鞄を持って停車場(ステーション)まで随(つ)いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌(きげん)よう」と云った。
 電車を下りて俥(くるま)に乗ると、その俥は軌道(レール)を横切って細い通りを真直(まっすぐ)に馳(か)けた。馳け方があまり烈(はげ)しいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度(いくたび)か衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降(お)ろされた。
 鞄を持ったまま三階に上(あが)った自分は、三沢を探すため方々の室(へや)を覗(のぞ)いて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢(ひょうのう)を胸の上に載(の)せて寝ていた。
「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐(あぐら)をかいて上着(うわぎ)を脱いだ。
「そこに蒲団(ふとん)がある」と三沢は上眼(うわめ)を使って、室の隅(すみ)を指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。
「看護婦はついてるのかい」
「うん。今どこかへ出て行った」

        十三

 三沢は平生から胃腸のよくない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友達はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などをひっくり返して、アトニーとか下垂性(かすいせい)とかトーヌスとかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいた事をいうと、彼は素人(しろうと)が何を知るものかと云わぬばかりの顔をした。
「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞に出かけた。彼の病気は短くて二三日長くて一二週間で大抵は癒(なお)った。それで彼は彼の病気を馬鹿にしていた。他人の自分はなおさらであった。
 けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。その上に胃の上の氷嚢(ひょうのう)でまた驚かされた。自分はそれまで氷嚢は頭か心臓の上でなければ載(の)せるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見つめて厭(いや)な心持になった。枕元に坐っていればいるほど、付景気(つけげいき)の言葉がだんだん出なくなって来た。
 三沢は看護婦に命じて氷菓子(アイスクリーム)を取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってとめにかかった。すると三沢は怒った。
「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真面目(まじめ)な顔をして議論を仕かけた。自分は実のところ何にも知らないのである。看護婦は、よかろうけれども念のためだからと云って、わざわざ医局へ聞きに行った。そうして少量なら差支(さしつかえ)ないという許可を得て来た。
 自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気は全体何というんだと聞いて見た。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上の事を尋ねると、今朝看護婦会から派出されたばかりで、何もまだ分らないんだと云って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙箋(しせん)を繰って、胃が少し糜爛(ただ)れたんだという事だけ教えてくれた。
 自分はまた三沢の傍(そば)へ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と云った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高い上に、病人は日本の蒲団(ふとん)を敷いて寝ているんだから、彼の眼には強い色の空と、電信線の一部分が筋違(すじかい)に見えるだけであった。
 自分は窓側(まどぎわ)に手を突いて、外を見下(みおろ)した。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼に入(い)った。その煙は市全体を掩(おお)うように大きな建物の上を這(は)い廻っていた。
「河が見えるだろう」と三沢が云った。
 大きな河が左手の方に少し見えた。
「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。
 山は正面にさっきから見えていた。
 それが暗(くら)がり峠(とうげ)で、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突(つ)き貫(ぬ)いて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。

        十四

 自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥(くるま)で乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程(みちのり)と思われた。
 その宿には玄関も何にもなかった。這入(はい)ってもいらっしゃいと挨拶(あいさつ)に出る下女もなかった。自分は三沢の泊ったという二階の一間(ひとま)に通された。手摺(てすり)の前はすぐ大きな川で、座敷から眺(なが)めていると、大変涼(すず)しそうに水は流れるが、向(むき)のせいか風は少しも入らなかった。夜(よ)に入(い)って向側に点ぜられる灯火のきらめきも、ただ眼に少しばかりの趣(おもむき)を添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。
 自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日(ふつか)ここに寝たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、鞄(かばん)を投げ込んだまま外出して、その晩の十時過に始めて帰って来たのだそうである。着いた時には五六人の伴侶(つれ)がいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五六人の伴侶の何人(なんびと)であるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮ばなかった。
「酔ってたかい」と自分は下女に聞いて見た。そこは下女も知らなかった。けれども少し経(た)って吐(は)いたから酔っていたんだろうと答えた。
 自分はその夜(よ)蚊帳(かや)を釣って貰って早く床(とこ)に這入(はい)った。するとその蚊帳に穴があって、蚊(か)が二三疋(びき)這入って来た。団扇(うちわ)を動かして、それを払(はら)い退(の)けながら寝ようとすると、隣の室(へや)の話し声が耳についた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。
 電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日(あした)はなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういうわがままはなるべく取次(とりつ)がないが好い」と叱りつけるように云ってやったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行く事は行くよ。君が来てくれというなら」とつけ足(た)して室へ帰った。
 下女はいつ気がついたか、蚊帳の穴を針と糸で塞(ふさ)いでいた。けれどもすでに這入っている蚊はそのままなので、横になるや否や、時々額や鼻の頭の辺(あたり)でぶうんと云う小(ちいさ)い音がした。それでもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部屋でする話声で眼が覚(さ)めた。聞いているとやはり男と女の声であった。自分はこっち側(がわ)に客は一人もいないつもりでいたので、ちょっと驚かされた。しかし女が繰返(くりかえ)して、「そんならもう帰して貰いますぜ」というような言葉を二三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察してまた眠りに落ちた。
 それからもう一度下女が雨戸を引く音に夢を破られて、最後に起き上ったのが、まだ川の面(おもて)に白い靄(もや)が薄く見える頃だったから、正味(しょうみ)寝たのは何時間にもならなかった。

        十五

 三沢の氷嚢(ひょうのう)は依然としてその日も胃の上に在(あ)った。
「まだ氷で冷やしているのか」
 自分はいささか案外な顔をしてこう聞いた。三沢にはそれが友達甲斐(がい)もなく響いたのだろう。
「鼻風邪(はなかぜ)じゃあるまいし」と云った。
 自分は看護婦の方を向いて、「昨夕(ゆうべ)は御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色の蒼(あお)い膨(ふく)れた女であった。顔つきが絵にかいた座頭に好く似ているせいか、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡山のもので、小さい時膿毒性(のうどくしょう)とかで右の眼を悪くしたんだと、こっちで尋ねもしない事を話した。なるほどこの女の一方の眼には白い雲がいっぱいにかかっていた。
「看護婦さん、こんな病人に優しくしてやると何を云い出すか分らないから、好加減(いいかげん)にしておくがいいよ」
 自分は面白半分わざと軽薄な露骨(ろこつ)を云って、看護婦を苦笑(くしょう)させた。すると三沢が突然「おい氷だ」と氷嚢を持ち上げた。
 廊下の先で氷を割る音がした時、三沢はまた「おい」と云って自分を呼んだ。
「君には解るまいが、この病気を押していると、きっと潰瘍(かいよう)になるんだ。それが危険だから僕はこうじっとして氷嚢を載(の)せているんだ。ここへ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋して貰ったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入ったのだ。酔興じゃないんだ」
 自分は三沢の医学上の智識について、それほど信を置き得なかった。けれどもこう真面目(まじめ)に出られて見ると、もう交(ま)ぜ返(かえ)す勇気もなかった。その上彼のいわゆる潰瘍とはどんなものか全く知らなかった。
 自分は起(た)って窓側(まどぎわ)へ行った。そうして強い光に反射して、乾いた土の色を見せている暗(くら)がり峠(とうげ)を望んだ。ふと奈良へでも遊びに行って来(き)ようかという気になった。
「君その様子じゃ当分約束を履行(りこう)する訳にも行かないだろう」
「履行しようと思って、これほどの養生をしているのさ」
 三沢はなかなか強情の男であった。彼の強情につき合えば、彼の健康が旅行に堪(た)え得るまで自分はこの暑い都の中で蒸(む)されていなければならなかった。
「だって君の氷嚢はなかなか取れそうにないじゃないか」
「だから早く癒(なお)るさ」
 自分は彼とこういう談話を取り換(か)わせているうちに、彼の強情のみならず、彼のわがままな点をよく見て取った。同時に一日も早く病人を見捨てて行こうとする自分のわがままもまたよく自分の眼に映った。
「君大阪へ着いたときはたくさん伴侶(つれ)があったそうじゃないか」
「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」
 彼の挙げた姓名のうちには、自分の知っているものも二三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆(みん)な大阪で降りて三沢と共に飯を食ったのだそうである。
 自分はともかくももう二三日いて病人の経過を見た上、どうとかしようと分別(ふんべつ)した。

        十六

 その間自分は三沢の付添のように、昼も晩も大抵は病院で暮した。孤独な彼は実際毎日自分を待受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、けっして礼などは云わなかった。わざわざ草花を買って持って行ってやっても、憤(むっ)と膨(ふく)れている事さえあった。自分は枕元で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間が来ると病人に薬を呑(の)ませたりした。朝日が強く差し込む室(へや)なので、看護婦を相手に、寝床(ねどこ)を影の方へ移す手伝もさせられた。
 自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長は大概黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立派な男で、言葉遣(ことばづか)いや態度にも容貌(ようぼう)の示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍(かいよう)になると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡(たんかん)な返答をした。自分は平生解らない術語を使って、他(ひと)を馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽(こっけい)に思った。
 彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅(うち)へ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気(はきけ)が来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就(きょしゅう)に迷った。
 自分が始めて彼の膳(ぜん)を見たときその上には、生豆腐(なまどうふ)と海苔(のり)と鰹節(かつぶし)の肉汁(ソップ)が載(の)っていた。彼はこれより以上箸(はし)を着ける事を許されなかったのである。自分はこれでは前途遼遠(ぜんとりょうえん)だと思った。同時にその膳に向って薄い粥(かゆ)を啜(すす)る彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席を外(はず)して、つい近所の洋食屋へ行って支度(したく)をして帰って来ると、彼はきっと「旨(うま)かったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。
「あの家(うち)はこの間君と喧嘩(けんか)した氷菓子(アイスクリーム)を持って来る家だ」
 三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼の傍(そば)にいてやりたい気がした。
 しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳(かや)の中で、早く涼しい田舎(いなか)へ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠を妨(さまた)げた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気(しゅき)を帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴(どな)っていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌(あいきょう)をいうものの、蔭(かげ)ではあなたの悪口ばかり並べるんだから止(や)めろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞(おせじ)を云ってくれりゃそれで嬉(うれ)しいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目(まじめ)な話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者から他(ひと)の話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。
 自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。

        十七

 そんなこんなで好く眠られなかった朝、もう看病は御免蒙(ごめんこうむ)るという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすや眠っていた。
 三階の窓から見下(みおろ)すと、狭い通なので、門前の路(みち)が細く綺麗(きれい)に見えた。向側は立派な高塀(たかべい)つづきで、その一つの潜(くぐ)りの外へ主人(あるじ)らしい人が出て、如露(じょうろ)で丹念(たんねん)に往来を濡(ぬ)らしていた。塀の内には夏蜜柑(なつみかん)のような深緑の葉が瓦(かわら)を隠すほど茂っていた。

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