坑夫
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:夏目漱石 

また自分の未熟なところを発表するようだが、実を云うと汽車賃の事は今が今まで自分の考えには毫(ごう)も上(のぼ)らなかったのである。汽車に乗るんだなと思いながら、いくら金を払うものか、また金を払う必要があるものか、とんと思い至らなかったのは愚(ぐ)の至(いたり)である。愚はどこまでも承認するがこの質問に出逢(であ)うまでは無賃(ただ)で乗れるかのごとき心持で平気でいたのは事実である。よく分らないけれども、何でも自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙に潜(ひそ)んでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場(ステーション)へ来て汽車賃の汽の字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのと平(ひら)に同行を断ったのは、どう云う了簡(りょうけん)だろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢(であ)ってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々(われわれ)の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有(も)ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁(いんねん)で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯(しょうがい)その思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響を蒙(こうぶ)った覚(おぼえ)がないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をして見せる。がその行為言動が、傍(はた)から見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気がつかないでもとんだ苦しみを受ける場合が起ってくる。自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心を冒(おか)さない先に、劇薬でも注射して、ことごとく殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。
 それで、自分が長蔵さんから「御前さん汽車賃を持っていなさるか」と問われた時に、自分ははっと思って、少からず狼狽(うろた)えた。三十二銭のうちで饅頭(まんじゅう)の代と茶代を引くと何にもありゃしない。汽車賃もない癖に、坑夫になろうなんて呑込顔(のみこみがお)に受合ったんだから、自分は少し図迂図迂(ずうずう)しい人間であったんだと気がついたら、急に頬辺(ほっぺた)が熱くなった。その時分の事を考えると自分ながら可愛らしい。これが今だったら、たとい電車の中で借金の催促をされようとも、ただ困るだけで、けっして赤面はしない。ましてぽん引きの長蔵さんなどに対して、神聖なる羞恥(しゅうち)の血色を見せるなんてもったいない事は、夢にもやる気遣(きづか)いはありゃしない。
 自分はどう云うものか、長蔵さんに対して汽車賃はありますと答えたかった。しかし実際がないんだから嘘(うそ)を吐(つ)く訳には行かない。嘘を吐きっ放(ぱなし)にして済ませられるなら、思い切って、嘘を吐く事にしたろうが、とにかく今切符を買うと云う間際(まぎわ)で、吐けばすぐ露現(ろけん)してしまうんだから始末がわるい。と云って汽車賃はありませんと答えるのがいかにも苦痛である。どうも子供だから、しかも満更(まんざら)の子供でなくって、少し大きくなりかけた、色気のついた、煩悶(はんもん)をしている、つまらん常識があるような、ないような子供だから、なおなお不都合だった。そこで汽車賃はありますとも、ありませんとも云いにくかったもんだから、
「少しあります」
と答えた。それも響の物に応ずるごとく、停滞なく出ればよかったが、何しろもったいなくも頬辺を赤くしたあとで、はなはだ恐縮の態度で出したんだから、馬鹿である。
「少しって、御前さん、いくら持ってるい」
と長蔵さんが聞き返した。長蔵さんは自分が頬辺を赤くしても、恐縮しても、まるで頓着(とんじゃく)しない。ただいくら持ってるか聞きたい様子であった。ところがあいにく肝心(かんじん)の自分にはいくらあるか判然しない。何しろ〆(しめ)て三十二銭のうち、饅頭(まんじゅう)を三皿食って、茶代を五銭やったんだから、残るところはたくさんじゃない。あっても無くっても同じくらいなものだ。
「ほんのわずかです。とても足りそうもないです」
と正直なところを云うと、
「足りないところは、私(わたし)が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」
と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁(ていさい)がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭(いや)だから、懐(ふところ)から例の蟇口(がまぐち)を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐(わに)の皮で拵(こしら)えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物(ぜいたくもの)である。長蔵さんは蟇口を受け取って、ちょっと眺(なが)めていたが、
「ふふん、安くないね」
と云ったなり中味も改めずに腹掛の隠しへ入れちまった。中味を改めないところはよかったが、
「じゃ、私が切符を買って来て上げるから、ちゃんとここに待っていなくっちゃ、いけない。はぐれると、坑夫になれないんだからね」
と念を押して、ベンチを離れて切符口の方へすたすた行ってしまった。見ていると人込(ひとごみ)の中へ這入(はい)ったなり振り返りもしないで切符を買う番のくるのを待っている。さっき松原の掛茶屋を出てから、今先方(いまさきがた)までの長蔵さんは始終(しじゅう)自分の傍(そば)に食っついていて、たまに離れると便所からでも顔を出して呼ぶくらいであったのに、蟇口を受け取って、切符を買う時はまるで自分を忘れているように見受けられた。あんまり人が多くって、こっちへ眼をつける暇がなかったんだろう。これに反して自分は一生懸命に長蔵さんの後姿を見守って、札を買う順番が一人一人に廻って来るたんびに長蔵さんがだんだん切符口へ近づいて行くのを、遠くから妙な神経を起して眺(なが)めていた。蟇口は立派だが中を開けられたら銅貨が出るばかりだ。開けて見て、何だこれっぱかりしか持っていないのかと長蔵さんが驚くに違ない。どうも気の毒である。いくら足し前をするんだろうなどと入らざる事を苦(く)に病(や)んでいると、やがて長蔵さんは平生(へいぜい)の顔つきで帰って来た。
「さあ、これが御前さんの分だ」
と云いながら赤い切符を一枚くれたぎりいくら不足だとも何とも云わない。きまりが悪かったから、自分もただ
「ありがとう」
と受取ったぎり賃銭の事は口へ出さなかった。蟇口の事もそれなりにして置いた。長蔵さんの方でも蟇口の事はそれっきり云わなかった。したがって蟇口はついに長蔵さんにやった事になる。
 それから、とうとう二人して汽車へ乗った。汽車の中では別にこれと云う出来事もなかった。ただ自分の隣りに腫物(できもの)だらけの、腐爛目(ただれめ)の、痘痕(あばた)のある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。生家(うち)を逃亡(かけお)ちて、坑夫にまで、なり下(さが)る決心なんだから、大抵の事に辟易(へきえき)しそうもないもんだがやっぱり醜(きた)ないものの傍(そば)へは寄りつきたくなかった。あの按排(あんばい)では自殺の一日前でも、腐爛目の隣を逃げ出したに違ない。それなら万事こう几帳面(きちょうめん)に段落をつけるかと思うと、そうでないから困る。第一長蔵さんや茶店のかみさんに逢(あ)った時なんぞは平生の自分にも似ず、□(ぐう)の音(ね)も出さずに心(しん)からおとなしくしていた。議論も主張も気慨(きがい)も何もあったもんじゃありゃしない。もっともこれはだいぶ餓(ひも)じい時であったから、少しは差引いて勘定を立(たて)るのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾――また矛盾が出たから廃(よ)そう。
 自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮(ふる)って、縦横(たてよこ)十文字に自分の心緒(しんしょ)を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔(むか)しだから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の生涯(しょうがい)中に二度とありゃしない。二十(はたち)以下の無分別から出た無茶だから、その筋道が入り乱れて要領を得んのだと評してはなおいけない。経験の当時こそ入り乱れて滅多(めった)やたらに盲動するが、その盲動に立ち至るまでの経過は、落ち着いた今日(こんにち)の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。この鉱山行(ゆき)だって、昔の夢の今日だから、このくらい人に解るように書く事が出来る。色気がなくなったから、あらいざらい書き立てる勇気があると云うばかりじゃない。その時の自分を今の眼の前に引擦(ひきず)り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たといこれほどにだってとうてい書けるものじゃない。俗人はその時その場合に書いた経験が一番正しいと思うが、大間違である。刻下(こっか)の事情と云うものは、転瞬(てんしゅん)の客気(かっき)に駆られて、とんでもない誤謬(ごびゅう)を伝え勝ちのものである。自分の鉱山行などもその時そのままの心持を、日記にでも書いて置いたら、定めし乳臭い、気取った、偽りの多いものが出来上ったろう。とうてい、こうやって人の前へ御覧下さいと出された義理じゃない。
 自分が腐爛目の難を避けて、向う側に席を移すと、長蔵さんは一目ちょっと自分と腐爛目を見たなりで、やはり元の所へ腰を掛けたまま動かなかった。長蔵さんの神経が自分よりよほど剛健なのには少からず驚嘆した。のみならず、平気な顔で腐爛目と話し出したに至って、少しく愛想(あいそ)が尽きた。
「また山行きかね」
「ああまた一人連れて行くんだ」
「あれかい」
と腐爛目は自分の方を見た。長蔵さんはこの時何か返事をしかけたんだろうがふと自分と顔を見合せたものだから、そのまま厚い唇を閉じて横を向いてしまった。その顔について廻って、腐爛目は、
「まただいぶん儲(もう)かるね」
と云った。自分はこの言葉を聞くや否やたちまち窓の外へ顔を出した。そうして窓から唾液(つばき)をした。するとその唾液が汽車の風で自分の顔へ飛んで来た。何だか不愉快だった。前の腰掛で知らない男が二人弁じている。
「泥棒が這入(はい)るとするぜ」
「こそこそがかい」
「なに強盗がよ。それでもって、抜身(ぬきみ)か何かで威嚇(おど)した時によ」
「うん、それで」
「それで、主人(あるじ)が、泥棒だからってんで贋銭(にせがね)をやって帰したとするんだ」
「うんそれから」
「後(あと)で泥棒が贋銭と気がついて、あすこの亭主は贋銭使(つかい)だ贋銭使だって方々振れて歩くんだ。常公(つねこう)の前(めえ)だが、どっちが罪が重いと思う」
「どっちたあ」
「その亭主と泥棒がよ」
「そうさなあ」
と相手は解決に苦しんでいる。自分は眠(ねぶ)くなったから、窓の所へ頭を持たしてうとうとした。
 寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでもおそらく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようでなかなか容易でない。まず凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である。柔道をやる人が、時々朋友(ほうゆう)に咽喉(のど)を締めて貰う事がある。夏の日永(ひなが)のだるい時などは、絶息したまま五分も道場に死んでいて、それから活(かつ)を入れさせると、生れ代るような好い気分になる――ただし人の話だが。――自分は、もしや死にっきりに死んじまやしないかと云う神経のために、ついぞこの荒療治(あらりょうじ)を頼んだ事がない。睡眠はこれほどの効験もあるまいが、その代り生き戻り損(そこな)う危険も伴(ともな)っていないから、心配のあるもの、煩悶(はんもん)の多いもの、苦痛に堪(た)えぬもの、ことに自滅の一着として、生きながら坑夫になるものに取っては、至大なる自然の賚(たまもの)である。その自然の賚が偶然にも今自分の頭の上に落ちて来た。ありがたいと礼を云う閑(ひま)もないうちに、うっとりとしちまって、生きている以上は是非共その経過を自覚しなければならない時間を、丸潰(まるつぶ)しに潰していた。ところが眼(め)が覚(さ)めた。後から考えて見たら、汽車の動いてる最中に寝込(ねこ)んだもんだから、汽車の留ったために、眠りが調子を失ってどこかへ飛んで行ったのである。自分は眠っていると、時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力があるようだ。だから本当に煩悶を忘れるためにはやはり本当に死ななくっては駄目だ。ただし煩悶がなくなった時分には、また生き返りたくなるにきまってるから、正直に理想を云うと、死んだり生きたり互違(たがいちがい)にするのが一番よろしい。――こんな事をかくと、何だか剽軽(ひょうきん)な冗談(じょうだん)を云ってるようだがけっしてそんな浮いた了見(りょうけん)じゃない。本気に真面目(まじめ)を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気(ばかげ)た感じだから滑稽(こっけい)のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想(かわいそう)に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目(まじめ)に抱(いだ)かねばならぬほど、その時の自分は情(なさけ)ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。
 自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家(うち)を出奔(しゅっぽん)したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだがむらむらと塊(かた)まって、頭の底から一度に湧(わ)いて来た。その速い事と云ったら、言語(ごんご)に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺(おぼ)れかかったその刹那(せつな)に、自分の過去の一生を、細大(さいだい)漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後(のち)聞いたが、自分のこの時の経験に因(よ)って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。自覚すると同時に、急に厭(いや)な心持になった。ただ厭では、とても形容が出来ないんだが、さればと云って、別に叙述しようもない心持ちだからただの厭でとめて置く。自分と同じような心持ちを経験した人ならば、ただこれだけで、なるほどあれだなと、直(すぐ)勘(かん)づくだろう。また経験した事がないならば、それこそ幸福だ、けっして知るに及ばない。
 その内同じ車室に乗っていたものが二三人立ち上がる。外からも二三人這入(はい)って来る。どこへ陣取ろうかと云う眼つきできょろきょろするのと、忘れものはないかと云う顔つきでうろうろするのと、それから何の用もないのに姿勢を更(か)えて窓へ首を出したり、欠伸(あくび)をしたりするのと、が一度に合併して、すべて動揺の状態に世の中を崩(くず)し始めて来た、自分は自分の周囲のものが、ことごとく活動しかけるのを自覚していた。自覚すると共に、自分は普通の人間と違って、みんなが活動する時分でさえ、他(ひと)に釣り込まれて気分が動いて来ないような仲間外(はず)れだと考えた。袖(そで)が触(す)れ違って、膝(ひざ)を突き合せていながらも、魂だけはまるで縁も由緒(ゆかり)もない、他界から迷い込んだ幽霊のような気持であった。今までは、どうか、こうか、人並に調子を取って来たのが汽車が留まるや否や、世間は急に陽気になって上へ騰(あが)る。自分は急に陰気になって下へ降(さが)る、とうてい交際(つきあい)はできないんだと思うと、背中と胸の厚さがしゅうと減って、臓腑(ぞうふ)が薄(うす)っ片(ぺら)な一枚の紙のように圧(お)しつけられる。途端に魂だけが地面の下へ抜け出しちまった。まことに申訳のない、御恥ずかしい心持ちをふらつかせて、凹(へこ)んでいた。
 ところへ長蔵さんが、立って来て、
「御前さん、まだ眼が覚めないかね。ここから降りるんだよ」
と注意してくれた。それでようやくなるほどと気がついて立ち上った。魂が地の底へ抜け出して行く途中でも、手足に血が通(かよ)ってるうちは、呼ぶと返って来るからおかしなものだ。しかしこれがもう少し烈(はげ)しくなると、なかなか思うように魂が身体(からだ)に寄りついてくれない。その後(ご)台湾沖で難船した時などは、ほとんど魂に愛想(あいそ)を尽かされて、非常な難義をした事がある。何(なん)にでも上には上があるもんだ。これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う。しかしこの時はこの心持が自分に取ってもっとも新しくて、しかもはなはだ苦(にが)い経験であった。
 長蔵さんのどてらの尻を嗅(か)ぎながら改札場から表へ出ると、大きな宿(しゅく)の通りへ出た。一本筋の通りだが存外広い、ばかりではない、心持の判然(はっきり)するほど真直(まっすぐ)である。自分はこの広い往還(おうかん)の真中に立って遥(はる)か向うの宿外(しゅくはずれ)を見下(みおろ)した。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯(しょうがい)中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。自分は肺の底が抜けて魂が逃げ出しそうなところを、ようやく呼びとめて、多少人間らしい了簡(りょうけん)になって、宿の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸(ひ)く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ちついていない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場(ステーション)から出ても、またこの宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれたようなもので、けっして本気の沙汰(さた)で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかったくらい、鈍(にぶ)い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、すべてに興味を失った、かなつぼ眼(まなこ)を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた限界が、はっと云う間(ま)に、一本筋の往還を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴(したた)るほどの山が、自分の眼を遮(さえぎ)りながらも、邪魔にならぬ距離を有(たも)って、どろんとしたわが眸(ひとみ)を翠(みどり)の裡(うち)に吸寄せている。――そこで何んとなく今云ったような心持になっちまったのである。
 第一には大道砥(だいどうと)のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠(わだか)まりのない爽(さわやか)なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷(まご)つかせない。心配せずにこっちへ御出(おいで)と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼(きがね)をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後(あと)を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並(いえなみ)を見ると、――これは瓦葺(かわらぶき)も藁葺(わらぶき)もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配(こうばい)を纏(まと)められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜(はす)に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってくる。自分の立っている左右の二階屋などは――宿屋のように覚えているが――見上げるほどの高さであるのに、宿外れの軒を透(すか)して見ると、指の股(また)に這入(はい)ると思われるくらい低い。その途中に暖簾(のれん)が風に動いていたり、腰障子(こししょうじ)に大きな蛤(はまぐり)がかいてあったりして、多少の変化は無論あるけれども、軒並(のきなみ)だけを遠くまで追っ掛けて行くと、一里が半秒(はんセコンド)で眼の中に飛び込んで来る。それほど明瞭(めいりょう)である。
 前に云った通り自分の魂は二日酔(ふつかえい)の体(てい)たらくで、どこまでもとろんとしていた。ところへ停車場(ステーション)を出るや否や断りなしにこの明瞭な――盲目(めくら)にさえ明瞭なこの景色(けしき)にばったりぶつかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。また実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精不精(ふしょうぶしょう)に徘徊(はいかい)していた惰性を一変して屹(きっ)となるには、多少の時間がかかる。自分の前(さき)に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色がいかにも明瞭であるなと心づいたあと、――その際(きわ)どい中間(ちゅうかん)に起った心持ちである。この景色はかように暢達(のびのび)して、かように明白で、今までの自分の情緒(じょうしょ)とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界(げかい)に対(むか)い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢(のん)びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光(ごこう)でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼(はっきり)した快感をもって、他界の幻影(まぼろし)に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外(はずれ)まで行かれる。たしかにこの宿(しゅく)を通り抜ける事はできる。左右の家は触(さわ)れば触る事が出来る。二階へ上(のぼ)れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸(ひとみ)のなかに受けながら立っていた。
 自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後(のち)これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。
 見ると日はもう傾(かたぶ)きかけている。初夏(しょか)の日永(ひなが)の頃だから、日差(ひざし)から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜(はす)かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺(なが)めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下(くだ)ると、突き当りが山で、その山は方角から推(お)すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。
 その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼(まっさお)で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼(あお)い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜(すぎひのき)の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝(こんもり)として、奥深い様子であった。自分は傾(かたぶ)きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓(ふもと)へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいくような気がする結果とも云われるし。日がだんだん傾(かたぶ)いて陰の方は蒼い山の上皮(うわかわ)と、蒼い空の下層(したがわ)とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他(ひと)の領分を犯(おか)し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区劃(くかく)が判然しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである。
 自分は昨夕(ゆうべ)東京を出て、千住(せんじゅ)の大橋まで来て、袷(あわせ)の尻を端折(はしょ)ったなり、松原へかかっても、茶店へ腰を掛けても、汽車へ乗っても、空脛(からすね)のままで押し通して来た。それでも暑いくらいであった。ところがこの町へ這入(はい)ってから何だか空脛では寒い気持がする。寒いと云うよりも淋しいんだろう。長蔵さんと黙って足だけを動かしていると、まるで秋の中を通り抜けてるようである。そこで自分はまた空腹になった。たびたび空腹になった事ばかりを書くのはいかがわしい事で、かつこの際空腹になっては、どうも詩的でないが、致し方がない。実際自分は空腹になった。家(うち)を出てから、ただ歩くだけで、人間の食うものを食わないから、たちまち空腹になっちまう。どんなに気分がわるくっても、煩悶(はんもん)があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落つけるためには飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かも知れない。品(ひん)の悪い話だが、自分は長蔵さんと並んで往来の真中を歩きながら、左右に眼をくばって、両側の飲食店を覗(のぞ)き込むようにして長い町を下(くだ)って行った。ところがこの町には飲食店がだいぶんある。旅屋(はたごや)とか料理屋とか云う上等なものは駄目としても、自分と長蔵さんが這入ってしかるべきやたいち流(りゅう)のがあすこにもここにも見える。しかし長蔵さんは毫(ごう)も支度(したく)をしそうにない。最前の我多馬車(がたばしゃ)の時のように「御前さん夕食(ゆうめし)を食うかね」とも聞いてくれない。その癖自分と同じように、きょろきょろ両側に眼を配って何だか発見したいような気色(けしき)がありありと見える。自分は今に長蔵さんが恰好(かっこう)な所を見つけて、晩食(ばんめし)をしたために自分を連れ込む事と自信して、気を永く辛抱しながら、長い町を北へ北へと下って行った。
 自分は空腹を自白したが、倒れるほどひもじくは無かった。胃の中にはまだ先刻(さっき)の饅頭(まんじゅう)が多少残ってるようにも感ぜられた。だから歩けば歩かれる。ただ汽車を下りるや否や滅(め)り込(こ)みそうな精神が、真直(まっすぐ)な往来の真中に抛(ほう)り出されて、おやと眼を覚したら、山里の空気がひやりと、夕日の間から皮膚を冒(おか)して来たんで、心機一転の結果としてここに何か食って見たくなったんである。したがって食わなければ食わないでも済む。長蔵さん何か食わしてくれませんかと云うほど苦しくもなかった。しかし何だか口が淋(さび)しいと見えて、しきりに縄暖簾(なわのれん)や、お煮〆(にしめ)や、御中食所(おちゅうじきどころ)が気にかかる。相手の長蔵さんがまた申し合せたように右左と覗(のぞ)き込むので、こっちはますます食意地(くいいじ)が張ってくる。自分はこの長い町を通りながら、自分らに適当と思う程度の一膳(いちぜん)めし屋をついに九軒まで勘定した。数えて九軒目に至ったら、さしもに長い宿(しゅく)はとうとうおしまいになり掛けて、もう一町も行けば宿外(しゅくはず)れへ出抜(ずぬ)けそうである。はなはだ心細かった。時にふと右側を見ると、また酒めしと云う看板に逢着(ほうちゃく)した。すると自分の心のうちにこれが最後だなと云う感じが起った。それがためか煤(すす)けた軒の腰障子(こししょうじ)に、肉太に認(したた)めた酒めし、御肴と云う文字がもっとも劇烈な印象をもって自分の頭に映じて来た。その映じた文字がいまだに消えない。酒の字でも、めしの字でも、御肴(おんさかな)の字でもありあり見える。この様子では、いくら耄碌(もうろく)してもこの五字だけは、そっくりそのまま、紙の上に書く事が出来るだろう。
 自分が最後の酒、めし、御肴をしみじみ見ていると、不思議な事に長蔵さんも一生懸命に腰障子の方に眼をつけている。自分はさすが頑強(がんきょう)の長蔵さんも今度こそ食いに這入(はい)るに違なかろうと思った。ところが這入らない。その代りぴたりと留った。見ると腰障子の奥の方では何だか赤いものが動いている。長蔵さんの顔色を窺(うかが)うと、何でもこの赤いものを見詰めているらしい。この赤いものは無論人間である。が長蔵さんがなぜ立ち留ってこの赤い人間を覗(のぞ)き込むのか、とんと自分には分らなかった。人間には違ないが、ただ薄暗く赤いばかりで、顔つきなどは無論判然しやしない。がと思って、自分も不審かたがた立ち留っていると、やがて障子の奥から赤毛布(あかげっと)が飛び出した。いくら山里でも五月の空に毛布は無用だろうと云う人があるかも知れないが、実際この男は赤毛布で身を堅めていた。その代り下には手織の単衣(ひとえもの)一枚だけしきゃ着ていないんだから、つまり〆(しめ)て見ると自分と大した相違はない事になる。もっとも単衣一枚で凌(しの)いでると云う事は、あとからの発見で、障子の影から飛び出した時にはただ赤いばかりであった。
 すると長蔵さんは、いきなり、この赤い男の側(そば)へつかつかやって行って、
「お前さん、働く気はないかね」
と云った。自分が長蔵さんに捕(つか)まった時に聞かされた、第一の質問はやはり「働く気はないかね」であったから、自分はおやまた働かせる気かなと思って、少からぬ興味の念に駆(か)られながら二人を見物していた。その時この長蔵さんは、誰を見ても手頃な若い衆(しゅ)とさえ鑑定すれば、働く気はないかねと持ち掛ける男だと云う事を判然(はんぜん)と覚(さと)った。つまり長蔵さんは働かせる事を商売にするんで、けっして自分一人を非常な適任者と認めて、それで坑夫に推挙した訳ではなかった。おおかたどこで、どんな人に、幾人(いくたり)逢(あ)おうとも、版行(はんこう)で押したような口調で御前さん働く気はないかねを根気よく繰返し得る男なんだろう。考えると、よくこんな商売を厭(あ)きもせず、長の歳月(としつき)やられたものだ。長蔵さんだって、天性御前さん働く気はないかねに適した訳でもあるまい。やっぱり何かの事情やむを得ず御前さんを復習しているんだろう。こう思えば、まことに罪のない男である。要するに芸がないからほかの事は出来ないんだが、ほかの事が出来ないんだと意識して煩悶(はんもん)する気色(けしき)もなく、自分でなくっちゃ御前さんをやり得る人間は天下広しといえども二人と有るまいと云うほどの平気な顔で、やっている。
 その当時自分にこれだけの長蔵観(ちょうぞうかん)があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做(みな)して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序(じょ)の節(せつ)に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌(みぎ)りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――
 自分は長蔵さんと赤毛布(あかげっと)の立談(たちばなし)を聞きながら、自分は長蔵さんから毫(ごう)も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔(しゅっぽん)して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々(うんぬん)するのは変挺(へんてこ)な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執(と)って人格と書き出したら、何となく馬鹿気(ばかげ)ていて、思わず噴(ふ)き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧(かえり)みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比(くら)べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。
 と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴(おんさかな)の裏(うち)から飛び出した若い男を捕(つら)まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々怪(け)しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――
 坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業(かぎょう)だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚(さと)っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思(おもい)のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう。取扱方の同様なのを延(ひ)き伸ばして行くと、つまり取り扱われるものが同様だからと云う妙な結論に到着してくる。自分はふらふらとそこへ到着していたと見える。長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で、赤毛布はすなわち自分である。何だか他人(ひと)が赤毛布を着て立ってるようには思われない。自分の魂が、自分を置き去りにして、赤毛布の中に飛び込んで、そうして長蔵さんから坑夫になれと談じつけられている。そこで、どうも情(なさけ)なくなっちまった。自分が直接に長蔵さんと応対している間は、人格も何も忘れているんだが、自分が赤毛布になって、君儲(もう)かるんだぜと説得されている体裁(ていさい)を、自分が傍(わき)へ立って見た日には方(かた)なしである。自分ははたしてこんなものかと、少しく興を醒(さ)まして赤毛布を、つらつら観察していた。
 ところが不思議にもこの赤毛布がまた自分と同じような返事をする。被(かぶ)ってる赤毛布ばかりじゃない、心底(しんそこ)から、この若い男は自分と同じ人間だった。そこで自分はつくづくつまらないなと感じた。その上もう一つつまらない事が重なったのは、長蔵さんが、にくにくしいほど公平で、自分の方が赤毛布(あかげっと)よりも坑夫に適していると云うところを少しも見せない。全く器械的にやっている。先口(せんくち)だから、もう少しこっちを贔屓(ひいき)にしたら好かろうと思うくらいであった。――これで見ると人間の虚栄心はどこまでも抜けないものだ。窮して坑夫になるとか、ならないとか云う切歯(せっぱ)詰った時でさえ自分はこれほどの虚栄心を有(も)っていた。泥棒に義理があったり、乞食に礼式があるのも全くこの格なんだろう。――しかしこの虚栄心の方は、自分すなわち赤毛布であると云うことを自覚して、大(おおい)につまらなくなったよりも、よほどつまらなさ加減が少かった。
 自分が大につまらなくなって、ぼんやり立っていると、二人(ふたり)の談判は見る間(ま)に片づいてしまった。これは必ずしも長蔵さんがことほどさように上手だからと云う訳ではない。赤毛布の方がことほどさように馬鹿だったからである。自分はこの男を一概に馬鹿と云うが、あながち、自分に比較して軽蔑(けいべつ)する気じゃけっしてない。自分の当時は、長蔵さんの話をはいはい聞く点において、すぐ坑夫になろうと承知する点において、その他いろいろの点において、全くこの若い男と同等すなわち馬鹿であったのである。もし強(し)いて違うところを詮議(せんぎ)したら赤毛布を被(かぶ)ってるのと絣(かすり)を着ているとの差違(ちがい)くらいなものだろう。だから馬鹿と云うのは、自分と同じく気の毒な人と云う意味で、馬鹿のうちに少しぐらいは同情の意を寓(ぐう)したつもりである。
 で、馬鹿が二人長蔵さんに尾(つ)いていっしょに銅山まで引っ張られる事になった。しかるに自分が赤毛布と肩を並べて歩き出した時、ふと気がついて見ると、さっきのつまらない心持ちがもう消えていた。どうも人間の了見(りょうけん)ほど出たり引っ込んだりするものはない。有るんだなと安心していると、すでにない。ないから大丈夫と思ってると、いや有る。有るようで、ないようでその正体はどこまで行っても捕まらない。その後(のち)さる温泉場で退屈だから、宿の本を借りて読んで見たらいろいろ下らない御経の文句が並べてあったなかに、心は三世にわたって不可得(ふかとく)なりとあった。三世にわたるなんてえのは、大袈裟(おおげさ)な法螺(ほら)だろうが、不可得(ふかとく)と云うのは、こんな事を云うんじゃなかろうかと思う。もっともある人が自分の話を聞いて、いやそれは念(ねん)と云うもので心(こころ)じゃないと反対した事がある。自分はいずれでも御随意だから黙っていた。こんな議論は全く余計な事だが、なぜ云いたくなるかというと、世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものがだいぶんある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろうくらいに考えているには弱らせられる。そうして、そう云う呑気(のんき)な料簡(りょうけん)で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにして見せるのと騒いでいるから驚いちまう。水だって流れりゃ返って来やしない。ぐずぐずしていりゃ蒸発しちまう。
 とにかくこの際は、赤毛布と並んで歩き出した時、もう先刻(さっき)のつまらない考えが蒸発していたと云う事だけを記憶して置いて貰(もら)えばいい。――そうして吾(われ)ながら驚いたのは、どうも赤毛布(あかげっと)と並んで歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城(いばらき)か何かの田舎(いなか)もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋(いも)の事を芋(えも)と訓じたのはこれからさきの逸話に属するが、歩き出したてから、あんまりありがたい音声ではなかった。その上顔が人並にできていなかった。この男に比べると角張(かくば)った顎(あご)の、厚唇(あつくちびる)の長蔵さんなどは威風堂々たるものである。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。そうして、赤い毛布(けっと)が妙に臭い。それにもかかわらず自分はこの山里で、銅山行きの味方を得たような心持ちがして嬉(うれ)しかった。自分はどうせ捨てる身だけれども、一人で捨てるより道伴(みちづれ)があって欲(ほし)い。一人で零落(おちぶ)れるのは二人で零落れるのよりも淋しいもんだ。そう明らさまに申しては失礼に当るが、自分はこの男について何一つ好いてるところはなかったけれども、ただいっしょに零落れてくれると云う点だけがありがたいのでそれがため大いに愉快を感じた。それで歩き出すや否や、少し話もし掛けて見たくらいに、近しい仲となってしまった。これから推(お)して考えると、川で死ぬ時は、きっと船頭の一人や二人を引き擦(ず)り込みたくなるに相違ない。もし死んでから地獄へでも行くような事があったなら、人のいない地獄よりも、必ず鬼のいる地獄を択(えら)ぶだろう。
 そう云う訳で、たちまち赤毛布が好きになって、約一二町も歩いて来たら、また空腹を覚え出した。よく空腹を覚えるようだが、これは前段の続きでけっして新しい空腹ではない。順序を云うと、第一に精神が稀薄になって、もっとも刻下感(こっかかん)に乏しい時に汽車を下りたんで、次に真直(まっすぐ)な往来を真直に突き当りの山まで見下(みおろ)したもんだからようやく正気づいたのは前(まえ)申した通りである。それが機縁になって、今度は食気(くいけ)がついて、それから人格を認められていない事を認識して、はなはだつまらなくなって、つまらなくなったと思ったら坑夫の同類が出来て、少しく頽勢(たいせい)を挽回(ばんかい)したと云うしだいになる。だに因(よ)ってまた空腹に立ち戻ったと説明したら善く呑(の)み込めるだろう。さて空腹にはなったが、最後の一膳飯屋(いちぜんめしや)はもう通り越している。宿(しゅく)はすでに尽きかかった。行く手は暗い山道である。とうてい願は叶(かな)いそうもない。それに赤毛布は今食ったばかりの腹だから、勇ましくどんどん歩く。どうも、降参しちまった。そこで思い切って、最後の手段として長蔵さんに話しかけて見た。
「長蔵さん、これからあの山を越すんですか」
「あの取附(とっつき)の山かい。あれを越しちゃ大変だ。これから左へ切れるんさ」
と云ったなりまたすたすた歩いて行く。どうも是非に及ばない。
「まだよっぽどあるんですか、僕は少し腹が減ったんだが」
と、とうとう空腹の由を自白した。すると長蔵さんは
「そうかい。芋でも食うべい」
と、云いながら、すぐさま、左側の芋屋へ飛び込んだ。よく約束したように、そこん所(とこ)に芋屋があったもんだ。これを大袈裟(おおげさ)に云えば天佑(てんゆう)である。今でもこの時の上出来に行った有様を回顧すると、おかしいばかりじゃない、嬉しい。もっとも東京の芋屋のように奇麗(きれい)じゃなかった。ほとんど名状しがたいくらいに真黒になった芋屋で、芋屋と云えば芋屋だが、芋専門じゃない。と云って芋のほかに何を売ってるんだったか、今は忘れちまった。食う方に気を取られ過ぎたせいかとも思う。
 やがて長蔵さんは両手に芋を載(の)せて、真黒な家(うち)から、のそりと出て来た。入れ物がないもんだから、両手を前へ出して、
「さあ、食った」
と云う。自分は眼前に芋を突きつけられながら、ただ
「ありがとう」
と礼を述べて、芋を眺(なが)めていた。どの芋にしようかと考えた訳ではない。そんな選択を許すような芋ではなかった。赤くって、黒くって、瘠(や)せていて、湿(しめ)っぽそうで、それで所々皮が剥(は)げて、剥げた中から緑青(ろくしょう)を吹いたような味(み)が出ている。どれにぶつかったって大同小異である。そんなら一目惨澹(いちもくさんたん)たるこの芋の光景に辟易(へきえき)して、手を出さなかったかと云うと、そうでもない。自分の胃の状況から察すると、芋中(いもちゅう)のヽヽとも云わるべきこの御薩(おさつ)を快よく賞翫(しょうがん)する食欲は十分有ったように思う。しかし「さあ、食った」と突きつけられた時は、何だかおびえたような気分で、おいきたと手を出し損(そく)なった。これはおおかた「さあ、食った」の云い方が悪かったんだろう。
 自分が芋を取らないのを見て、長蔵さんは、少々もどかしいと云う眼つきで、再び
「さあ」
と、例の顎(あご)で芋を指(さ)しながら、前へ出した手頸(てくび)を、食えと云う相図にちょっと動かした。よく考えて見ると、両手が芋で塞(ふさが)ってるんで、自分がどうかしてやらないと、長蔵さんは、いくら芋が食いたくても、口へ持って行く事ができないんであった。じれたのももっともである。そこで自分はようやく気がついて、二の腕で、変な曲線を描(えが)いて、右の手を芋まで持って行こうとすると、持って行く途中で、芋の方が一本ころころと往来の中へ落ちた。これはすぐさま赤毛布(あかげっと)が拾った。拾ったと思ったら、
「この芋(えも)は好芋(えええも)だ。おれが貰おう」
と云った。それでこの男は芋(いも)を芋(えも)と発音すると云う事が分った。
 自分はこの時長蔵さんから、最初に三本、あとから一本締(しめ)て五本、前後二回に受取ったと記憶している。そうしてそれを懐(なつ)かしげに食いながら、いよいよ宿外(しゅくはず)れまで来るとまた一事件(ひとじけん)起った。
 宿(しゅく)の外(はず)れには橋がある。橋の下は谷川で、青い水が流れている。自分はもう町が尽きるんだなとは思いながら、つい芋に心を奪われて、橋の上へ乗っかかるまでは川があるとも気がつかなかった。ところが急に水の音がするんで、おやと思うと橋へ出ている。川がある。水が流れている。――何だか馬鹿気た話だが、事実にもっとも近い叙述をやろうとすると、まあ、こう書くのが一番適切だろう、こう書いて置く。けっして小説家の弄(もてあそ)ぶような法螺(ほら)七分の形容ではない。これが形容でないとするとその時の自分がいかに芋を旨(うま)がったのかがおのずから分明(ぶんみょう)になる。さて水音に驚いて、欄干(らんかん)から下を見ると、音のするのはもっともで、川の中に大きな石がだいぶんある。そうしてその形状(かっこう)がいかにも不作法(ぶさほう)にでき上って、あたかも水の通り道の邪魔になるように寝たり、突っ立ったりしている。それへ水がやけにぶつかる。しかもその水には勾配(こうばい)がついている。山から落ちた勢いをなし崩(くず)しに持ち越して、追っ懸(か)けられるように跳(おど)って来る。だから川と云うようなものの、実は幅の広い瀑(たき)を月賦(げっぷ)に引き延ばしたくらいなものである。したがって水の少ない割には大変烈(はげ)しい。鼻(はな)っ端(ぱし)の強い江戸ッ子のようにむやみやたらに突っかかって来る。そうして白い泡(あわ)を噴(ふ)いたり、青い飴(あめ)のようになったり、曲ったり、くねったりして下(しも)へ流れて行く。どうも非常にやかましい。時に日はだんだん暮れてくる。仰向(あおむ)いて見たが、日向(ひなた)はどこにも見えない。ただ日の落ちた方角がぽうっと明るくなって、その明かるい空を背負(しょ)ってる山だけが目立って蒼黒(あおぐろ)くなって来た。時は五月だけれども寒いもんだ。この水音だけでも夏とは思われない。まして入日(いりひ)を背中から浴びて、正面は陰になった山の色と来たら、――ありゃ全体何と云う色だろう。ただ形容するだけなら紫(むらさき)でも黒でも蒼(あお)でも構わないんだが、あの色の気持を書こうとすると駄目だ。何でもあの山が、今に動き出して、自分の頭の上へ来て、どっと圧(お)っ被(かぶ)さるんじゃあるまいかと感じた。それで寒いんだろう。実際今から一時間か二時間のうちには、自分の左右前後四方八方ことごとく、あの山のような気味のわるい色になって、自分も長蔵さんも茨城県も、全く世界一色(いっしき)の内に裹(つつ)まれてしまうに違ないと云う事を、それとはなく意識して、一二時間後に起る全体の色を、一二時間前に、入日(いりひ)の方(かた)の局部の色として認めたから、局部から全体を唆(そその)かされて、今にあの山の色が広がるんだなと、どっかで虫が知らせたために、山の方が動き出して頭の上へ圧っ被さるんじゃあるまいかと云う気を起したんだなと――自分は今机の前で解剖して見た。閑(ひま)があるととかく余計な事がしたくなって困る。その時はただ寒いばかりであった。傍(そば)にいる茨城県の毛布(けっと)が羨(うらや)ましくなって来たくらいであった。
 すると橋の向うから――向(むこう)たって突き当りが山で、左右が林だから、人家なんぞは一軒もありゃしない。――実際自分はこう突然人家が尽きてしまおうとは、自分が自分の足で橋板を踏むまでも思いも寄らなかったのである。――その淋(さむ)しい山の方から、小僧が一人やって来た。年は十三四くらいで、冷飯草履(ひやめしぞうり)を穿(は)いている。顔は始めのうちはよく分らなかったが、何しろ薄暗い林の中を、少し明るく通り抜けてる石ころ路を、たった一人してこっちへひょこひょこ歩いて来る。どこから、どうして現れたんだか分らない。木下闇(こしたやみ)の一本路が一二丁先で、ぐるりと廻り込んで、先が見えないから、不意に姿を出したり、隠したりするような仕掛(しかけ)にできてるのかも知れないが、何しろ時が時、場所が場所だから、ちょっと驚いた。自分は四本目の芋(いも)を口へ宛(あて)がったなり、顎(あご)を動かす事を忘れて、この小僧をしばらくの間眺めていた。もっともしばらくと云ったって、わずか二十秒くらいなものである。芋はそれからすぐに食い始めたに違いない。
 小僧の方では、自分らを見て、驚いたか驚かないか、その辺はしかと確められないが、何しろ遠慮なく近づいて来た。五六間のこっちから見ると頭の丸い、顔の丸い、鼻の丸い、いずれも丸く出来上った小僧である。品質から云うと赤毛布(あかげっと)よりもずっと上製である。自分らが三人並んで橋向うの小路(こみち)を塞(ふさ)いでいるのを、とんと苦にならない様子で通り抜けようとする。すこぶる平気な態度であった。すると長蔵さんが、また、
「おい、小僧さん」
と呼び留めた。小僧は臆(おく)した気色(けしき)もなく
「なんだ」
と答えた。ぴたりと踏み留(とどま)った。その度胸には自分も少々驚いた。さすがこの日暮に山から一人で降りて来るがものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心していると、長蔵さんは、
「芋(いも)を食わないかね」
と云いながら、食い残しを、気前よく、二本、小僧の鼻の前(さき)に出した。すると小僧はたちまち二本とも引ったくるように受け取って、ありがとうとも何とも云わず、すぐその一本を食い始めた。この手っ取り早い行動を熟視した自分は、なるほど山から一人で下りてくるだけあって自分とは少々訳が違うなと、また感心しちまった。それとも知らぬ小僧は無我無心に芋を食っている。しかも頬張(ほおば)った奴(やつ)を、唾液(つばき)も交(ま)ぜずに、むやみに呑(の)み下(くだ)すので、咽喉(のど)が、ぐいぐいと鳴るように思われた。もう少し落ちついて食う方が楽だろうと心配するにもかかわらず、当人は、傍(はた)で見るほど苦しくはないと云わんばかりにぐいぐい食う。芋だから無論堅いもんじゃない。いくら鵜呑(うのみ)にしたって咽喉に傷のできっこはあるまいが、その代り咽喉がいっぱいに塞(ふさ)がって、芋が食道を通り越すまでは呼息(いき)の詰る恐れがある。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後(あと)の芋が、前(さき)の芋を追っ懸(か)けてぐいぐい胃の腑(ふ)に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間(ま)に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交(か)わさなかった。自分は腹の中(うち)で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓(ひも)じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍餓(ひも)じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、
「旨(う)まかったか」
と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌(ぶあいきょう)な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分傾(かたぶ)けて、高い山の黒ずんで行く天辺(てっぺん)を妙に眺(なが)めた時は、また可愛想(かわいそう)になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿(しゅく)とが、何か深い因縁(いんねん)で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体(もったい)をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年(ながねん)方々を流浪(るろう)してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化(ば)け損(そく)なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから考えずに置く。何しろ小僧は妙な顔をして、黒い山の天辺(てっぺん)を眺めていた。
 すると長蔵さんがまた聞き出した。
「御前、どこへ行くかね」
 小僧はたちまち黒い山から眼を離して、
「どこへも行きゃあしねえ」
と答えた。顔に似合わずすこぶる無愛想(ぶあいそう)である。長蔵さんは平気なもんで、
「じゃどこへ帰るかね」
と、聞き直した。小僧も平気なもんで、
「どこへも帰りゃしねえ」
と云ってる。自分はこの問答を聞きながら、ますます物騒な感じがした。この小僧は宿無(やどなし)に違ないんだが、こんなに小さい、こんなに淋しい、そうして、こんなに度胸の据(すわ)った宿無を、今までかつて想像した事がないものだから、宿無とは知りながら、ただの宿無に附属する憐(あわ)れとか気の毒とかの念慮よりも、物騒の方が自然勢力を得たしだいである。もっとも長蔵さんにはそんな感じは少しも起らなかったらしい。長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それでたくさんだったんだろう。どこへも行かない、またどこへも帰らない小僧に向って、
「じゃ、おいらといっしょにおいで。御金を儲(もう)けさしてやるから」
と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、
「うん」
と承知した。赤毛布(あかげっと)と云い、小僧と云い、実に面白いように早く話が纏(まと)まってしまうには驚いた。人間もこのくらい簡単にできていたら、御互に世話はなかろう。しかしそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜(ゆず)らないもっとも世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合(やすうけあい)を見て、少からず驚くと共に、天下には自分のように右へでも左へでも誘われしだい、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものがだいぶんあるんだと云う事に気がついた。東京にいるときは、目眩(めまぐるし)いほど人が動いていても、動きながら、みんな根(ね)が生えてるんで、たまたま根が抜けて動き出したのは、天下広しといえども、自分だけであろうくらいで、千住から尻を端折(はしょ)って歩き出した。だから心細さも人一倍であったが、この宿(しゅく)で、はからずも赤毛布(あかげっと)を手に入れた。赤毛布を手に入れてから、二十分と立たないうちにまたこの小僧を手に入れた。そうして二人とも自分よりは遥(はるか)に根が抜けている。こう続々同志が出来てくると、行く先は山だろうが、河だろうが、あまり苦にはならない。自分は幸か不幸か、中以上の家庭に生れて、昨日(きのう)の午後九時までは申し分のない坊ちゃんとして生活していた。煩悶(はんもん)も坊ちゃんとしての煩悶であったのは勿論(もちろん)だが、煩悶の極(きょく)試みたこの駆落(かけおち)も、やっぱり坊ちゃんとしての駆落であった。さればこそ、この駆落に対して、不相当にもったいぶった意味をつけて、ありがたがらないまでも、一生の大事件のように考えていた。生死(しょうし)の分れ路のように考えていた。と云うものは坊ちゃんの眼で見渡した世の中には、駆落をしたものは一人もない。――たまにあれば新聞にあるばかりである。ところが新聞では駆落が平面になって、一枚の紙に浮いて出るだけで、云わばあぶり出しの駆落だから、食べたって身にはならない。あたかも別世界から、電話がかかったようなもので、はあ、はあ、と聞いてる分の事である。だから本当の意味で切実な駆落をするのは自分だけだと云うありがたみがつけ加わってくる。もっとも自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横(じゅうおう)に飛び廻って、大いに苦しがったりまた大いに悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心するほどなませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当なありがたみをつけたと云うのは、自分の不経験からして、さほど大袈裟(おおげさ)に考えないでも済む事を、さも仰山(ぎょうさん)に買い被(かぶ)って、独(ひと)りでどぎまぎしていた事実を指(さ)すのである。しかるにこのどぎまぎが赤毛布に逢(あ)い、小僧に逢って、両人(ふたり)の平然たる態度を見ると共に、いつの間にやら薄らいだのは、やっぱり経験の賜(たまもの)である。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:322 KB

担当:undef