坑夫
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著者名:夏目漱石 

 さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生(は)えていていっこう要領を得ない。こっちがいくら歩行(あるい)たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松と睨(にら)めっ子(こ)をしている方が増しだ。
 東京を立ったのは昨夕(ゆうべ)の九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥(くたび)れて眠くなった。泊る宿もなし金もないから暗闇(くらやみ)の神楽堂(かぐらどう)へ上(あが)ってちょっと寝た。何でも八幡様らしい。寒くて目が覚(さ)めたら、まだ夜は明け離れていなかった。それからのべつ平押(ひらお)しにここまでやって来たようなものの、こうやたらに松ばかり並んでいては歩く精(せい)がない。
 足はだいぶ重くなっている。膨(ふく)ら脛(はぎ)に小さい鉄の才槌(さいづち)を縛(しば)り附けたように足掻(あがき)に骨が折れる。袷(あわせ)の尻は無論端折(はしお)ってある。その上洋袴下(ズボンした)さえ穿(は)いていないのだから不断なら競走でもできる。が、こう松ばかりじゃ所詮(しょせん)敵(かな)わない。
 掛茶屋がある。葭簀(よしず)の影から見ると粘土(ねばつち)のへっついに、錆(さび)た茶釜(ちゃがま)が掛かっている。床几(しょうぎ)が二尺ばかり往来へ食(は)み出した上から、二三足草鞋(わらじ)がぶら下がって、袢天(はんてん)だか、どてらだか分らない着物を着た男が背中をこちらへ向けて腰を掛けている。
 休もうかな、廃(よ)そうかなと、通り掛りに横目で覗(のぞ)き込んで見たら、例の袢天とどてらの中(ちゅう)を行く男が突然こっちを向いた。煙草(たばこ)の脂(やに)で黒くなった歯を、厚い唇(くちびる)の間から出して笑っている。これはと少し気味が悪くなり掛ける途端(とたん)に、向うの顔は急に真面目(まじめ)になった。今まで茶店の婆さんとさる面白い話をしていて、何の気もつかずに、ついそのままの顔を往来へ向けた時に、ふと自分の面相に出(で)っ喰(くわ)したものと見える。ともかく向うが真面目になったのでようやく安心した。安心したと思う間(ま)もなくまた気味が悪くなった。男は真面目になった顔を真面目な場所に据(す)えたまま、白眼(しろめ)の運動が気に掛かるほどの勢いで自分の口から鼻、鼻から額(ひたい)とじりじり頭の上へ登って行く。鳥打帽の廂(ひさし)を跨(また)いで、脳天まで届いたと思う頃また白眼がじりじり下へ降(さが)って来た。今度は顔を素通りにして胸から臍(へそ)のあたりまで来るとちょっと留まった。臍の所には蟇口(がまぐち)がある。三十二銭這入(はい)っている。白い眼は久留米絣(くるめがすり)の上からこの蟇口を覘(ねら)ったまま、木綿(もめん)の兵児帯(へこおび)を乗り越してやっと股倉(またぐら)へ出た。股倉から下にあるものは空脛(からすね)ばかりだ。いくら見たって、見られるようなものは食(く)ッ附(つ)いちゃいない。ただ不断より少々重たくなっている。白い眼はその重たくなっている所を、わざっと、じりじり見て、とうとう親指の痕(あと)が黒くついた俎下駄(まないたげた)の台まで降(くだ)って行った。
 こう書くと、何だか、長く一所(ひとところ)に立っていて、さあ御覧下さいと云わないばかりに振舞ったように思われるがそうじゃない。実は白い眼の運動が始まるや否(いな)や急に茶店へ休むのが厭(いや)になったから、すたすた歩き出したつもりである。にもかかわらず、このつもりが少々覚束(おぼつか)なかったと見えて、自分が親指にまむしを拵(こしら)えて、俎下駄を捩(ねじ)る間際(まぎわ)には、もう白い眼の運動は済んでいた。残念ながら向うは早いものである。じりじり見るんだから定めし手間が掛かるだろうと思ったら大間違い。じりじりには相違ない、どこまでも落ちついている。がそれで滅法(めっぽう)早い。茶屋の前を通り越しながら、世の中には、妙な作用を持ってる眼があるものだと思ったくらいである。それにしても、ああ緩(ゆっ)くり見られないうちに、早く向き直る工夫はなかったもんだろうか。さんざっ腹(ぱら)冷(ひや)かされて、さあ御帰り、用はないからと云う段になって、もう御免蒙(ごめんこうぶ)りますと立ち上ったようなものだ。こっちは馬鹿気(ばかげ)ている。あっちは得意である。
 歩き出してから五六間の間は変に腹が立った。しかし不愉快は五六間ですぐ消えてしまった。と思うとまた足が重くなった。――この足だもの。何しろ鉄の才槌(さいづち)を双方の足へ縛(しば)り附けて歩いてるんだから、敏活の行動は出来ないはずだ。あの白い眼にじりじりやられたのも、満更(まんざら)持前の半間(はんま)からばかり来たとも云えまい。こう思い直して見ると下らない。
 その上こんな事を気にしていられる身分じゃない。いったん飛び出したからは、もうどうあっても家(うち)へ戻る了簡(りょうけん)はない。東京にさえ居(お)り切れない身体(からだ)だ。たとい田舎(いなか)でも落ちつく気はない。休むと後(うしろ)から追っ掛けられる。昨日(きのう)までのいさくさが頭の中を切って廻った日にはどんな田舎だってやり切れない。だからただ歩くのである。けれども別段に目的(めあて)もない歩き方だから、顔の先一間四方がぼうとして何だか焼き損(そく)なった写真のように曇っている。しかもこの曇ったものが、いつ晴れると云う的(あて)もなく、ただ漠然(ばくぜん)と際限もなく行手に広がっている。いやしくも自分が生きている間は五十年でも六十年でも、いくら歩いても走(かけ)ても依然として広がっているに違いない。ああ、つまらない。歩くのはいたたまれないから歩くので、このぼんやりした前途を抜出すために歩くのではない。抜け出そうとしたって抜け出せないのは知れ切っている。
 東京を立った昨夜(ゆうべ)の九時から、こう諦(あきらめ)はつけてはいるが、さて歩き出して見ると、歩きながら気が気でない。足も重い、松が厭(あ)きるほど行列している。しかし足よりも松よりも腹の中が一番苦しい。何のために歩いているんだか分らなくって、しかも歩かなくっては一刻も生きていられないほどの苦痛は滅多(めった)にない。
 のみならず歩けば歩くほどとうてい抜ける事のできない曇った世界の中へだんだん深く潜(もぐ)り込んで行くような気がする。振り返ると日の照っている東京はもう代(よ)が違っている。手を出しても足を伸ばしても、この世では届かない。まるで娑婆(しゃば)が違う。そのくせ暖かな朗(ほがら)かな東京は、依然として眼先にありありと写っている。おういと日蔭(ひかげ)から呼びたくなるくらい明かに見える。と同時に足の向いてる先は漠々(ばくばく)たるものだ。この漠々のうちへ――命のあらん限り広がっているこの漠々のうちへ――自分はふらふら迷い込むのだから心細い。
 この曇った世界が曇ったなりはびこって、定業(じょうごう)の尽きるまで行く手を塞(ふさ)いでいてはたまらない。留まった片足を不安の念に駆(か)られて一歩前へ出すと、一歩不安の中へ踏み込んだ訳(わけ)になる。不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、やむを得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埓(らち)が明くはずがない。生涯(しょうがい)片づかない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、いっそだんだん暗くなってくれればいい。暗くなった所をまた暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇(やみ)になって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。
 意地の悪い事に自分の行く路は明るくもなってくれず、と云って暗くもなってくれない。どこまでも半陰半晴の姿で、どこまでも片づかぬ不安が立て罩(こ)めている。これでは生甲斐(いきがい)がない、さればと云って死に切れない。何でも人のいない所へ行って、たった一人で住んでいたい。それが出来なければいっその事……
 不思議な事にいっその事と観念して見たが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分いっその事と無分別を起しかけた事もたびたびあるが、そのたびたびにどきんとしない事はなかった。後(あと)からぞっとして、まあ善かったと思わない事もなかった。ところが今度は天からどきんともぞっともしない。どきんとでもぞっとでも勝手にするが善(い)いと云うくらいに、不安の念が胸一杯に広がっていたんだろう。その上いっその事を断行するのが今が今ではないと云う安心がどこかにあるらしい。明日(あした)になるか明後日(あさって)になるか、ことに由(よ)ったら一週間も掛るか、まかり間違えば無期限に延ばしても差支(さしつかえ)ないと高(たか)を括(くく)っていたせいかも知れない。華厳(けごん)の瀑(たき)にしても浅間(あさま)の噴火口(ふんかこう)にしても道程(みちのり)はまだだいぶあるくらいは知らぬ間(ま)に感じていたんだろう。行き着いていよいよとならなければ誰がどきんとするものじゃない。したがっていっその事を断行して見ようと云う気にもなる。この一面に曇った世界が苦痛であって、この苦痛をどきんとしない程度において免(まぬか)れる望があると思えば重い足も前に出し甲斐がある。まずこのくらいの決心であったらしい。しかしこれはあとから考えた心理状態の解剖である。その当時はただ暗い所へ出ればいい。何でも暗い所へ行かなければならないと、ひたすら暗い所を目的(めあて)に歩き出したばかりである。今考えると馬鹿馬鹿しいが、ある場合になると吾々は死を目的にして進むのを責(せめ)てもの慰藉(いしゃ)と心得るようになって来る。ただし目指す死は必ず遠方になければならないと云う事も事実だろうと思う。少くとも自分はそう考える。あまり近過ぎると慰藉になりかねるのは死と云う因果である。
 ただ暗い所へ行きたい、行かなくっちゃならないと思いながら、雲を攫(つか)むような料簡(りょうけん)で歩いて来ると、後(うしろ)からおいおい呼ぶものがある。どんなに魂がうろついてる時でも呼ばれて見ると性根(しょうね)があるのは不思議なものだ。自分は何の気もなく振り向いた。応ずるためと云う意識さえ持たなかったのは事実である。しかし振り向いて見て始めて気がついた。自分はさっきの茶店からまだ二十間とは離れていない。その茶店の前の往来へ、例の袢天(はんてん)とどてらの合(あい)の子(こ)が出て、脂(やに)だらけの歯をあらわに曝(さら)しながらしきりに自分を呼んでいる。
 昨夕(ゆうべ)東京を立ってから、まだ人間に口を利(き)いた事がない。人から言葉を掛けられようなどとは夢にも予期していなかった。言葉を掛けられる資格などはまるで無いものと自信し切っていた。ところへ突然呼び懸(か)けられたのだから――粗末な歯並(はなら)びだが向き出しに笑顔を見せてしきりに手招きをしているのだから、ぼんやり振り返った時の心持が、自然と判然(はっきり)すると共に、自分の足はいつの間にか、その男の方へ動き出した。
 実を云うとこの男の顔も服装(なり)も動作もあんまり気に入っちゃいない。ことにさっき白い眼でじろじろやられた時なぞは、何となく嫌悪(けんお)の念が胸の裡(うち)に萌(きざ)し掛けたくらいである。それがものの二十間とも歩かないうちに以前の感情はどこかへ消えてしまって、打って変った一種の温味(あたたかみ)を帯びた心持で後帰(あとがえ)りをしたのはなぜだか分らない。自分は暗い所へ行かなければならないと思っていた。だから茶店の方へ逆戻りをし始めると自分の目的とは反対の見当(けんとう)に取って返す事になる。暗い所から一歩(ひとあし)立ち退(の)いた意味になる。ところがこの立退(たちのき)が何となく嬉(うれ)しかった。その後(のち)いろいろ経験をして見たが、こんな矛盾は到(いた)る所に転(ころ)がっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘(うそ)をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏(まとま)ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古(てこ)ずるくらい纏まらない物体だ。しかし自分だけがどうあっても纏まらなく出来上ってるから、他人(ひと)も自分同様締(しま)りのない人間に違ないと早合点(はやがてん)をしているのかも知れない。それでは失礼に当る。
 とにかく引き返して目倉縞(めくらじま)の傍(そば)まで行くと、どてらはさも馴(な)れ馴れしい声で
「若い衆(しゅ)さん」
と云いながら、大きな顎(あご)を心持襟(えり)の中へ引きながら自分の額のあたりを見詰めている。自分は好加減(いいかげん)なところで、茶色の足を二本立てたまま、
「何か用ですか」
と叮嚀(ていねい)に聞いた。これが平生(へいぜい)ならこんなどてらから若い衆さんなんて云われて快よく返辞をする自分じゃない。返辞をするにしてもうんとか何だとかで済したろうと思う。ところがこの時に限って、人相のよくないどてらと自分とは全く同等の人間のような気持がした。別に利害の関係からしてわざと腰を低く出たんじゃ、けっしてない。するとどてらの方でも自分を同程度の人間と見做(みな)したような語気で、
「御前(おまえ)さん、働く了簡(りょうけん)はないかね」
と云った。自分は今が今まで暗い所へ行くよりほかに用のない身と覚悟していたんだから、藪(やぶ)から棒(ぼう)に働く了簡はないかねと聞かれた時には、何と答えて善(い)いか、さっぱり訳(わけ)が分らずに、空脛(からすね)を突っ張ったまま、馬鹿見たような口を開けて、ぼんやり相手を眺(なが)めていた。
「御前さん、働く了簡はないかね。どうせ働かなくっちゃならないんだろう」
とどてらがまた問い返した。問い返された時分にはこっちの腹も、どうか、こうか、受け答の出来るくらいに眼前の事況(じきょう)を会得(えとく)するようになった。
「働いても善(い)いですが」
 これは自分の答である。しかしこの答がいやしくも口に出て来るほどに、自分の頭が間に合せの工面にせよ、やっと片づいたと云うものは、単純ながら一順の過程を通っておる。
 自分はどこへ行くんだか分らないが、なにしろ人のいないところへ行く気でいた。のに振り向いてどてらの方へあるき出したのだから、歩き出しながら何となく自分に対して憫然(びんぜん)な感がある。と云うものはいくらどてらでも人間である。人間のいない方へ行くべきものが、人間の方へ引き戻されたんだから、ことほどさように人間の引力が強いと云う事を証拠立てると同時に、自分の所志にもう背(そむ)かねばならぬほどに自分は薄弱なものであったと云う事をも証拠立てている。手短(てみじか)に云うと、自分は暗い所へ行く気でいるんだが、実のところはやむを得ず行くんで、何か引っかかりが出来れば、得(え)たり賢(かしこ)しと普通の娑婆(しゃば)に留まる了簡なんだろうと思われる。幸いに、どてらが向うから引っかかってくれたんで、何の気なしに足が後向(うしろむ)きに歩き出してしまったのだ。云わば自分の大目的に申し訳のない裏切りをちょっとして見た訳になる。だからどてらが働く気はないかねと出てくれずに、御前さん野にするかね、それとも山にするかねとでも切り出したら、しばらく安心して忘れかけた目的を、ぎょっと思い出させられて、急に暗い所や、人のいない所が怖(こわ)くなってぞっとしたに違ない。それほどの娑婆気(しゃばけ)が、戻り掛ける途端(とたん)にもう萌(きざ)していたのである。そうしてどてらに呼ばれれば呼ばれるほど、どてらの方へ近寄れば近寄るほど、この娑婆気は一歩ごとに増長したものと見える。最後に空脛(からすね)を二本、棒のようにどてらの真向うに突っ立てた時は、この娑婆気が最高潮に達した瞬間である。その瞬間に働く気はないかねと来た。御粗末などてらだが非常に旨(うま)く自分の心理状態を利用した勧誘である。だし抜けの質問に一時はぼんやりしたようなものの、ぼんやりから覚(さ)めて見れば、自分はいつか娑婆の人間になっている。娑婆の人間である以上は食わなければならない。食うには働かなくっちゃ駄目だ。
「働いても、いいですが」
 答は何の苦もなく自分の口から滑(すべ)り出してしまった。するとどてらはそうだろうそのはずさと云うような顔つきをした。自分は不思議にもこの顔つきをもっともだと首肯(しゅこう)した。
「働いても、いいですが、全体どんな事をするんですか」
と自分はここで再び聞き直して見た。
「大変儲(もう)かるんだが、やって見る気はあるかい。儲かる事は受合(うけあい)なんだ」
 どてらは上機嫌の体(てい)で、にこにこ笑いながら、自分の返事を待っている。どうせどてらの笑うんだから、愛嬌(あいきょう)にもなんにもなっちゃいない。元来(がんらい)笑うだけ損になるようにでき上がってる顔だ。ところがその笑い方が妙になつかしく思われて
「ええやって見ましょう」
と受けてしまった。
「やって見る? そいつあ結構だ。君儲(もう)かるよ」
「そんなに儲けなくっても、いいですが……」
「え?」
 どてらはこの時妙な声を出した。
「全体どんな仕事なんですか」
「やるなら話すが、やるだろうね、お前さん。話した後で厭(いや)だなんて云われちゃ困るが。きっとやるだろうね」
 どてらはむやみに念を押す。自分はそこで、
「やる気です」
と答えた。しかしこの答は前のように自然天然には出なかった。云わばいきみ出した答である。大抵の事ならやって退(の)けるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気ですと云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは云い切れない。まして過去の事になると自分も人も区別はありゃしない。すべてがだろうに変化してしまう。無責任だと云われるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきも危(あや)しいところはいつでもこの式で行くつもりだ。
 そこでどてらは略(ほぼ)話が纏(まとま)ったものと呑(の)み込んで
「じゃ、まあ御這入(おはい)り。緩(ゆっ)くり御茶でも呑(の)んで話すから」
と云う。別に異存もないから、茶店に這入ってどてらの隣りに腰をおろしたら、口のゆがんだ四十ばかりの神(かみ)さんが妙な臭(にお)いのする茶を汲んで出した。茶を飲んだら、急に思い出したように腹が減って来た。減って来たのか、減っていたのに気がついたのか分らない。蟇口(がまぐち)には三十二銭這入っている、何か食おうかしらと考えていると
「君、煙草(たばこ)を呑むかい」
と、どてらが「朝日」の袋を横から差し出した。なかなか御世辞がいい。袋の角(かど)が裂けてるのは仕方がないが、何だか薄穢(うすぎた)なく垢(あか)づいた上に、びしゃりと押し潰(つぶ)されて、中にある煙草がかたまって、一本になってるように思われる。袖(そで)のないどてらだから、入れ所に窮して腹掛(はらがけ)の隠しへでも捩(ね)じ込んで置くものと見える。
「ありがとう、たくさんです」
と断ると、どてらは別に失望の体(てい)もなく、自分でかたまったうちの一本を、爪垢(つめあか)のたまった指先で引っ張り出した。はたせるかな煙草は皺(しわ)だらけになって、太刀(たち)のように反(そ)っている。それでも破けた所もないと見えて、すぱすぱ吸うと鼻から煙(けむ)が出る。際(きわ)どいところで煙草の用を足しているから不思議だ。
「御前さん、幾年(いくつ)になんなさる」
 どてらは自分の事を御前さんと云ったり君と云ったりするようだが、何で区別するんだか要領を得ない。今までのところで察して見ると、儲(もう)かるときには君になって、不断の時には御前さんに復するようにも見える。何でも儲かる事がだいぶん気になっているらしい。
「十九です」
と答えた。実際その時は十九に違なかったのである。
「まだ若いんだね」
と口のゆがんだ神さんが、後向(うしろむき)になって盆を拭(ふ)きながら云った。後向きだから、どんな顔つきをしているか見えない。独(ひと)り言(ごと)だかどてらに話しかけてるんだか、それとも自分を相手にする気なんだか分らなかった。するとどてらは、さも調子づいた様子で、
「そうさ、十九じゃ若いもんだ。働き盛りだ」
と、どうしても働かなくっちゃならないような語気である。自分はだまって床几(しょうぎ)を離れた。
 正面に駄菓子(だがし)を載(の)せる台があって、縁(ふち)の毀(と)れた菓子箱の傍(そば)に、大きな皿がある。上に青い布巾(ふきん)がかかっている下から、丸い揚饅頭(あげまんじゅう)が食(は)み出している。自分はこの饅頭が喰いたくなったから、腰を浮かして菓子台の前まで来たのだが、傍(そば)へ来て、つらつら饅頭(まんじゅう)の皿を覗(のぞ)き込んで見ると、恐ろしい蠅だ。しかもそれが皿の前で自分が留まるや否(いな)や足音にパッと四方に散ったんで、おやと思いながら、気を落ちつけて少しく揚饅頭を物色していると、散らばった蠅は、もう大風が通り越したから大丈夫だよと申し合せたように、再びぱっと饅頭の上へ飛び着いて来た。黄色(きいろ)い油切った皮の上に、黒いぽちぽちが出鱈目(でたらめ)にできる。手を出そうかなと思う矢先へもって来て、急に黒い斑点(はんてん)が、晴夜(せいや)の星宿(せいしゅく)のごとく、縦横に行列するんだから、少し辟易(へきえき)してしまって、ぼんやり皿を見下(みおろ)していた。
「御饅頭を上がんなさるかね。まだ新しい。一昨日(おととい)揚げたばかりだから」
 かみさんは、いつの間(ま)にか盆を拭いてしまって、菓子台の向側(むこうがわ)に立っている。自分は不意と眼を上げて神さんを見た。すると神さんは何と思ったか、いきなり、節太(ふしぶと)の手を皿の上に翳(かざ)して、
「まあ、大変な蠅だ事」
と云いながら、翳した手を竪(たて)に切って、二三度左右へ振った。
「上がるんなら取って上げよう」
 神さんはたちまち棚の上から木皿を一枚おろして、長い竹の箸(はし)で、饅頭をぽんぽんぽんと七つほど挟(はさ)み込んで、
「こっちがいいでしょう」
と木皿を、自分の腰を掛けていた床几(しょうぎ)の上へ持って行った。自分は仕方がないからまたもとの席へ帰って、木皿の隣へ腰を掛けた。見ると、もう蠅が飛んで来ている。自分は蠅と饅頭と木皿を眺(なが)めながら、どてらに向って
「一つどうです」
と云って見た。これはあながち「朝日」の御礼のためばかりではない。幾分かはどてらが一昨日揚げた蠅だらけの饅頭を食うだろうか食わないだろうか試して見る腹もあったらしい。するとどてらは
「や、すまない」
と云いながら、何の苦もなく一番上の奴(やつ)を取って頬張(ほおば)っちまった。唇(くちびる)の厚い口をもごつかせているところを観察すると、満更(まんざら)でもなさそうに見えた。そこで自分も思い切って、こちら側の下から、比較的奇麗(きれい)なのを摘(つま)み出して、あんぐりやった。油の味が舌の上へ流れ出したと思う間もなく、その中から苦(にが)い餡(あん)が卒然として味覚を冒(おか)して来た。しかしこの際だから別にしまったとも思わなかった。難なく餡も皮も油もぐいと胃の腑(ふ)へ呑(の)み下(くだ)してしまったら、自然と手がまた木皿の方へ出たから不思議なものだ。どてらはこの時もう第二の饅頭を平らげて、第三に移っている。自分に比較すると大変速力が早い。そうして食ってる間は口を利(き)かない。働く事も儲(もう)かる事もまるで忘れているらしい。したがって七つの饅頭は呼吸(いき)を二三度するうちに無くなってしまった。しかも自分はたった二つしか食わない。残る五つは瞬(またた)く間(ま)にどてらのためにしてやられたのである。
 いかに逡巡(しりごみ)をするほどの汚(きた)ならしいものでも、一度皮切りをやると、あとはそれほど神経に障(さわ)らずに食えるものだ。これはあとで山へ行ってしみじみ経験した事で、今では何でもない陳腐(ちんぷ)の真理になってしまったが、その時は饅頭(まんじゅう)を食いながら少々呆(あき)れたくらい後(あと)が食いたくなった。それに腹は減っている。その上相手がどてらである。このどてらが事もなげに、砂のついた饅頭をぱくつくところを見ると、多少は競争の気味にもなって、神経などは有っても役に立たない、起すだけが損だと云う心持になる。そこで自分はとうとう神さんにたのんで饅頭の御代(おかわ)りを貰(もら)った。
 今度は「一つ、どうです」とも何とも云わずに、木皿が床几(しょうぎ)の上に乗るや否や、自分の方でまず一つ頬張(ほおば)った。するとどてらも、「や、すまない」とも何とも云わずに、だまって一つ頬張った。次に自分がまた一つ頬張る。次にどてらがまた一つ頬張る。互違(たがいちがい)に頬張りっ子をして六つ目まで来た時、たった一つ残った。これが幸い自分の番に当っているので、どてらが手を出さないうちに、自分が頬張ってしまった。それからまた御代りを貰った。
「君だいぶやるね」
とどてらが云った。自分はだいぶやる気も何もなかったが、云われて見るとだいぶやるに違ない。しかしこれは初手(しょて)にどてらの方で自分の食いたくないものを、むしゃむしゃ食って見せて、自分の食慾を誘致した結果が与(あずか)って力あるようだ。ところがどてらの方では全然こっちの責任でだいぶやってるような口気(こうき)であった。だから自分は何だかどてらに対して弁解して見たい気がしたが、弁解する言葉がちょっと出て来なかった。ただ雲を攫(つか)むようにどてらにも責任があるんだろうと思うだけで、どこが責任なんだか分らなかったから黙っていた。すると
「君、揚饅頭がよっぽど好きと見えるね」
と今度は云った。饅頭にも寄り切りで、一昨日(おととい)揚げた砂だらけの蠅だらけの饅頭が好きな訳はない。と云って現に三皿まで代えて食うものを嫌(きらい)だとは無論云われない。だから今度も黙っていた。そこへ茶店の神さんが突然口を出した。――
「うちの御饅(おまん)は名代の御饅だから、みんなが旨(うま)がって食べるだよ」
 神さんの言葉を聞いた時自分は何だか馬鹿にされてるような気がした。そこでますます黙ってしまった。黙って聞いてると、
「旨い事この上なしだ」
とどてらが云ってる。本当なんだか御世辞なんだかちょっと見当(けんとう)がつかなかった。とにかく饅頭はどうでも構わないから、肝心(かんじん)の労働問題を聞糾(ききただ)して見ようと思って、
「先刻(さっき)の御話ですがね。実は僕もいろいろの事情があって、働いて飯を食わなくっちゃならない身分なんですが、いったいどんな事をやるんですか」
とこっちから口を切って見た。どてらは正面の菓子台を眺(なが)めていたが、この時急に顔だけ自分の方へ向けて
「君、儲(もう)かるんだぜ。嘘(うそ)じゃない、本当に儲かる話なんだから是非やりたまえ」
と、またぞろ自分を君呼(よば)わりにして、しきりに儲けさせたがっている。こっちへ向き直って、自分を誘い出そうと力(つと)める顔つきを見ると、頬骨の下が自然(じねん)と落ち込んで、落ち込んだ肉が再び顎(あご)の枠(わく)で角張(かくば)っている。そこへ表から射し込む日の加減で、小鼻の下から弓形(ゆみなり)にでき上った皺(しわ)が深く映っている。この様子を見た自分は何となく儲(もう)けるのが恐ろしくなった。
「僕はそんなに儲けなくっても、いいです。しかし働く事は働くです。神聖な労働なら何でもやるです」
 どてらの頬の辺(あたり)には、はてなと云う景色(けしき)がちょっと見えたが、やがて、かの弓形(ゆみなり)の皺を左右に開いて、脂(やに)だらけの歯を遠慮なく剥(む)き出して、そうして一種特別な笑い方をした。あとから考えるとどてらには神聖な労働と云う意味が通じなかったらしい。いやしくも人間たるものが金儲(かねもうけ)の意味さえ知らないで、こむずかしい口巧者(くちこうしゃ)な事を云うから、気の毒だと云うのでどてらは笑ったのである。自分は今が今まで死ぬ気でいた。死なないまでも人間のいない所へ行く気でいた。それができ損(そこな)ったから、生きるために働く気になったまでである。儲(もう)かるとか儲からないとか云う問題は、てんで頭の中にはない。今ないばかりじゃない、東京にいて親の厄介(やっかい)になってる時分からなかった。どころじゃない儲主義(もうけしゅぎ)は大いに軽蔑(けいべつ)していた。日本中どこへ行ってもそのくらいな考えは誰にもあるだろうくらいに信じていた。だからどてらがさっきから儲かる儲かると云うのを聞くたんびに何のためだろうと不思議に思っていた。無論癪(しゃく)には障(さわ)らない。癪に障るような身分でもなし、境遇でもないから、いっこう平気ではいたが、これが人間に対する至大の甘言で、勧誘の方法として、もっとも利目(ききめ)のあるものだとは夢にも想(おも)い至らなかった。そこで、どてらから笑われちまった。笑われてさえいっこう通じなかった。今考えると馬鹿馬鹿しい。
 一種特別な笑い方をしたどてらは、その笑いの収まりかけに、
「お前さん、全体今まで働いた事があんなさるのかね」
と少し真面目な調子で聞いた。働くにも働かないにも、昨日(きのう)自宅(うち)を逃げ出したばかりである。自分の経験で働いた試しは撃剣(げっけん)の稽古(けいこ)と野球の練習ぐらいなもので、稼(かせ)いで食った事はまだ一日もない。
「働いた事はないです。しかしこれから働かなくっちゃあならない身分です」
「そうだろう。働いた事がなくっちゃ……じゃ、君、まだ儲けた事もないんだね」
と当り前の事を聞いた。自分は返事をする必要がないから、黙ってると、茶店のかみさんが、菓子台の後(うしろ)から、
「働くからにゃ、儲けなくっちゃあね」
と云いながら、立ち上がった。どてらが、
「全くだ。儲けようったって、今時そう儲け口が転がってるもんじゃない」
と幾分か自分に対して恩に被(き)せるように答えるのを、
「そうさ」
と幾分かさげすむように聞き流して、裏へ出て行った。このそうさが妙に気になって、ことによると、まだその後(あと)があるかも知れないと思ったせいか、何気なく後姿(うしろかげ)を見送っていると、大きな黒松の根方(ねがた)のところへ行って、立小便(たちしょうべん)をし始めたから、急に顔を背(そむ)けて、どてらの方を向いた。どてらはすぐ、
「私(わたし)だから、お前さん、見ず知らずの他人にこんな旨(うま)い話をするんだ。これがほかのものだったら、受合ってただじゃ話しっこない旨い口なんだからね」
とまた恩に被(き)せる。自分は、面倒くさいからおとなしく、
「ありがたいです」
と四角張って答えて置いた。
「実はこう云う口なんだがね」
と、どてらが、すぐに云う。自分は黙って聞いていた。
「実はこう云う口なんだがね。銅山(やま)へ行って仕事をするんだが、私が周旋さえすれば、すぐ坑夫になれる。すぐ坑夫になれりゃ大したもんじゃないか」
 自分は何か返事を促(うなが)されるような気がしたけれども、どうもどてらの調子に載(の)せられて、そうですとは答える訳に行かなかった。坑夫と云えば鉱山の穴の中で働く労働者に違ない。世の中に労働者の種類はだいぶんあるだろうが、そのうちでもっとも苦しくって、もっとも下等なものが坑夫だとばかり考えていた矢先へ、すぐ坑夫になれりゃ大したものだと云われたのだから、調子を合すどころの騒ぎじゃない、おやと思うくらい内心では少からず驚いた。坑夫の下にはまだまだ坑夫より下等な種属があると云うのは、大晦日(おおみそか)の後(あと)にまだたくさん日が余ってると云うのと同じ事で、自分にはほとんど想像がつかなかった。実を云うとどてらがこんな事を饒舌(しゃべ)るのは、自分を若年(じゃくねん)と侮(あなど)って、好い加減に人を瞞(だま)すのではないかと考えた。ところが相手は存外真面目である。
「何しろ、取附(とっつけ)からすぐに坑夫なんだからね。坑夫なら楽なもんさ。たちまちのうちに金がうんと溜(たま)っちまって、好な事が出来らあね。なに銀行もあるんだから、預けようと思やあ、いつでも預けられるしさ。ねえ、御かみさん、初めっから坑夫になれりゃ、結構なもんだね」
とかみさんの方へ話の向(むき)を持って行くとかみさんは、さっき裏で、立ちながら用を足したままの顔をして、
「そうとも、今からすぐ坑夫になって置きゃあ四五年立つうちにゃ、唸(うな)るほど溜るばかりだ。――何しろ十九だ。――働き盛りだ。――今のうち儲けなくっちゃ損だ」
と一句、一句間(あいだ)を置いて独(ひと)り言(ごと)のように述べている。
 要するにこのかみさんも是非坑夫になれと云わぬばかりの口占(くちうら)で、全然どてらと同意見を持っているように思われた。無論それでよろしい。またそれでなくってもいっこう構わない。妙な事にこの時ほどおとなしい気分になれた事は自分が生れて以来始めてであった。相手がどんな間違を主張しても自分はただはいはいと云って聞いていたろうと思う。実を云うと過去一年間において仕出(しで)かした不都合やら義理やら人情やら煩悶(はんもん)やらが破裂して大衝突を引き起した結果、あてどもなくここまで落ちて来たのだから、昨日(きのう)までの自分の事を考えると、どうしたって、こんなに温和(おとな)しくなれる訳がないのだが、実際この時は人に逆(さから)うような気分は薬にしたくっても出て来なかった。そうしてまたそれを矛盾とも不思議とも考えなかった。おそらく考える余裕がなかったんだろう。人間のうちで纏(まとま)ったものは身体(からだ)だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日(きょう)とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆(はんぷく)を詰(なじ)られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝(ちょうほう)に社会の犠牲になるように出来上ったものだ。
 同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目(ひいきめ)なしの真相から割り出して考えると、人間ほど的(あて)にならないものはない。約束とか契(ちかい)とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束を楯(たて)にとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮(やぼ)の至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理を強(しい)て圧(お)しかくして、知らぬ顔でやって退(の)けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人を恨(うら)んだり、悶(もだ)えたり、苦しまぎれに自宅(うち)を飛び出したりしなくっても済んだかも知れない。たとい飛び出してもこの茶店まで来て、どてらと神さんに対する自分の態度が、昨日までの自分とは打って変ったところを、他人扱いに落ち着き払って比較するだけの余裕があったら、少しは悟れたろう。
 惜しい事に当時の自分には自分に対する研究心と云うものがまるでなかった。ただ口惜(くや)しくって、苦しくって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、済(す)まなくって、世の中が厭(いや)になって、人間が棄(す)て切れないで、いても立っても、いたたまれないで、むちゃくちゃに歩いて、どてらに引っ掛って、揚饅頭(あげまんじゅう)を喰ったばかりである。昨日は昨日、今日は今日、一時間前は一時間前、三十分後は三十分後、ただ眼前の心よりほかに心と云うものがまるでなくなっちまって、平生から繋続(つなぎ)の取れない魂がいとどふわつき出して、実際あるんだか、ないんだかすこぶる明暸(めいりょう)でない上に、過去一年間の大きな記憶が、悲劇の夢のように、朦朧(もうろう)と一団の妖氛(ようふん)となって、虚空(こくう)遥(はるか)に際限もなく立て罩(こ)めてるような心持ちであった。
 そこで平生の自分なら、なぜ坑夫になれば結構なんだとか、どうして坑夫より下等なものがあるんだとか、自分は儲(もう)ける事ばかりを目的に働く人間じゃないとか、儲けさえすりゃどこがいいんだとか、何とかかとか理窟(りくつ)を捏(こ)ねて、出来るだけ自己を主張しなければ勘弁(かんべん)しないところを、ただおとなしく控えていた。口だけおとなしいのではない、腹の中からまるで抵抗する気が出なかったのである。
 何でもこの時の自分は、単に働けばいいと云う事だけを考えていたらしい。いやしくも働きさえすれば、――いやしくもこのふわふわの魂が五体のうちに、うろつきながらもいられさえすれば、――要するに死に切れないものを、強(しい)て殺してしまうほどの無理を冒(おか)さない以上は、坑夫以上だろうが、坑夫以下だろうが、儲かろうが、儲かるまいが、とんと問題にならなかったものと見える。ただ働く口さえ出来ればそれで結構であるから、働き方の等級や、性質や、結果について、いかに自分の意見と相容(あいい)れぬ法螺(ほら)を吹かれても、またその法螺が、単に自分を誘致するためにする打算的の法螺であっても、またその法螺に乗る以上は理知の人間として自分の人格に尠(すくな)からぬ汚点を貽(のこ)す恐れがあっても、まるで気にならなかったんだろう。こんな時には複雑な人間が非情に単純になるもんだ。
 その上坑夫と聞いた時、何となく嬉(うれ)しい心持がした。自分は第一に死ぬかも知れないと云う決心で自宅(うち)を飛出したのである。それが第二には死ななくっても好いから人のいない所へ行きたいと移って来た。それがまたいつの間にか移って、第三にはともかくも働こうと変化しちまった。ところで、さて働くとなると、並(なみ)の働き方よりも第二に近い方がいい、一歩進めて云えば第一に縁故のある方が望ましい。第一、第二、第三と知らぬ間(あいだ)に心変りがしたようなものの、変りつつ進んで来た、心の状態は、うやむやの間に縁を引いて、擦(ず)れ落ちながらも、振り返って、もとの所を慕いつつ押されて行くのである。単に働くと云う決心が、第二を振り切るほど突飛(とっぴ)でもなかったし、第一と交渉を絶つほど遠くにもいなかったと見える。働きながら、人のいない所にいて、もっとも死に近い状態で作業が出来れば、最後の決心は意のごとくに運びながら、幾分か当初の目的にも叶(かな)う訳になる。坑夫と云えば名前の示すごとく、坑(あな)の中で、日の目を見ない家業(かぎょう)である。娑婆(しゃば)にいながら、娑婆から下へ潜(もぐ)り込んで、暗い所で、鉱塊(あらがね)土塊(つちくれ)を相手に、浮世の声を聞かないで済む。定めて陰気だろう。そこが今の自分には何よりだ。世の中に人間はごてごているが、自分ほど坑夫に適したものはけっしてないに違ない。坑夫は自分に取って天職である。――とここまで明暸(めいりょう)には無論考えなかったが、ただ坑夫と聞いた時、何となく陰気な心持ちがして、その陰気がまた何となく嬉しかった。今思い出して見ると、やっぱりどうあっても他人(ひと)の事としか受け取れない。
 そこで自分はどてらに向ってこう云った。
「僕は一生懸命に働くつもりですが、坑夫にしてくれるでしょうか」
 するとどてらはなかなか鷹揚(おうよう)な態度で、
「すぐ坑夫になるのはなかなかむずかしいんだが、私(わたし)が周旋さえすりゃきっとできる」
と云うから自分もそんなものかなと考えて、しばらく黙っていると、茶店のかみさんがまた口を出した。
「長蔵(ちょうぞう)さんが口を利(き)きさえすりゃ、坑夫は受合(うけあい)だ」
 自分はこの時始めてどてらの名前が長蔵だと云う事を知った。それからいっしょに汽車に乗ったり、下りたりする時に、自分もこの男を捕(つらま)えて二三度長蔵さんと呼んだ事がある。しかし長蔵とはどう書くのか今もって知らない。ここに書いたのはもちろん当字(あてじ)である。始めて家庭を飛出した鼻をいきなり引っ張って、思いも寄らない見当(けんとう)に向けた、云わば自分の生活状態に一転化を与えた人の名前を口で覚えていながら、筆に書けないのは異(い)な事だ。
 さてこの長蔵さんと、茶店のかみさんがきっと坑夫になれると受合うから、自分もなれるんだろうと思って、
「じゃ、どうか何分願います」
と頼んだ。しかしこの茶店に腰を掛けているものが、どうして、どこへ行って、どんな手続で坑夫になるんだかその辺(へん)はさっぱり分らなかった。
 何しろ先方でこのくらい勧めるものだから、何分願いますと云ったら、長蔵さんがどうかするに違ないと思って、あとは聞かずに黙っていた。すると長蔵さんは、勢いよくどてらの尻を床几(しょうぎ)から立てて、
「それじゃこれから、すぐに出掛けよう。御前さん、支度(したく)はいいかい。忘れもののないようによく気をつけて」
と云った。自分はうちを出る時、着のみ着のままで出たのだから、身体(からだ)よりほかに忘れ物のあるはずがない。そこで、
「何にも無いです」
と立ち上がったが、神さんと顔を見合せて気がついた。肝心(かんじん)の揚饅頭(あげまんじゅう)の代を忘れている。長蔵さんは平気な面(つら)をして、もう半分ほど葭簀(よしず)の外に出て往来を眺(なが)めていた。自分は懐中から三十二銭入りの蟇口(がまぐち)を出して饅頭三皿の代を払って、ついでだから茶代として五銭やった。饅頭の代はとうとう忘れちまって思い出せない。ただその時かみさんが、
「坑夫になって、うんと溜めて帰りにまた御寄(おより)」
と云ったのを記憶している。その後(のち)坑夫はやめたが、ついにこの茶店へは寄る機会がなかった。それから長蔵さんに尾(つ)いて、例の飽き飽きした松原へ出て、一本筋を足の甲まで埃(ほこり)を上げて、やって来ると、さっきの長たらしいのに引き易(か)えて今度は存外早く片づいちまった。いつの間(ま)にやら松がなくなったら、板橋街道のような希知(けち)な宿(しゅく)の入口に出て来た。やッぱり板橋街道のように我多馬車(がたばしゃ)が通る。一足先へ出た長蔵さんが、振り返って、
「御前さん馬車へ乗るかい」
と聞くから、
「乗っても好いです」
と答えた。そうしたら今度は
「乗らなくってもいいかい」
と反対の事を尋ねた。自分は
「乗らなくってもいいです」
と答えた。長蔵さんは三度目に
「どうするね」
と云ったから、
「どうでもいいです」
と答えた。その内に馬車は遠くへ行ってしまった。
「じゃ、歩く事にしよう」
と長蔵さんは歩き出した。自分も歩き出した。向うを見ると、今通った馬車の埃(ほこり)が日光にまぶれて、往来が濁ったように黄色く見える。そのうちに人通りがだんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂(かぐらざか)くらいな繁昌(はんじょう)する所へ出た。ここいらの店付(みせつき)や人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分は長蔵さんに、
「ここは何と云う所です」
と聞いたら、長蔵さんは、
「ここ? ここを知らないのかい」
と驚いた様子であったが、笑いもせずすぐ教えてくれた。それで所の名は分ったがここにはわざと云わない。自分がこの繁華な町の名を知らなかったのをよほど不思議に感じたと見えて、長蔵さんは、
「お前さん、いったい生れはどこだい」
と聞き出した。考えると、今まで長蔵さんが自分の過去や経歴について、ついぞ一(ひ)と口(くち)も自分に聞いた事がなかったのは、人を周旋する男の所為(しょい)としては、少しく無頓着(むとんじゃく)過ぎるようにも思われたが、この男は全くそんな事に冷淡な性(たち)であった事が後(あと)で分った。この時の質問は全く自分の無知に驚いた結果から出た好奇心に過ぎなかった。その証拠には自分が、
「東京です」
と答えたら、
「そうかい」
と云ったなり、あとは何にも聞かずに、自分を引っ張るようにして、ある横町を曲った。
 実を云うと自分は相当の地位を有(も)ったものの子である。込み入った事情があって、耐(こら)え切れずに生家(うち)を飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当(つらあて)ばかりの無分別(むふんべつ)じゃない。何となく世間が厭(いや)になった結果として、わが生家まで面白くなくなったと思ったら、もう親の顔も親類の顔も我慢にも見ていられなくなっていた。これは大変だと気がついて、根気に心を取り直そうとしたが、遅かった。踏み答えて見ようと百方に焦慮(あせ)れば焦慮るほど厭になる。揚句(あげく)の果(はて)は踏張(ふんばり)の栓(せん)が一度にどっと抜けて、堪忍(かんにん)の陣立が総崩(そうくず)れとなった。その晩にとうとう生家を飛び出してしまったのである。
 事の起りを調べて見ると、中心には一人の少女がいる。そうしてその少女の傍(そば)にまた一人の少女がいる。この二人の少女の周囲(まわり)に親がある。親類がある。世間が万遍なく取り捲(ま)いている。ところが第一の少女が自分に対して丸くなったり、四角になったりする。すると何かの因縁(いんねん)で自分も丸くなったり四角になったりしなくっちゃならなくなる。しかし自分はそう丸くなったり四角になったりしては、第二の少女に対して済まない約束をもって生れて来た人間である。自分は年の若い割には自分の立場をよく弁別(わきま)えていた。が済まないと思えば思うほど丸くなったり四角になったりする。しまいには形態ばかりじゃない組織まで変るようになって来た。それを第二の少女が恨(うら)めしそうに見ている。親も親類も見ている。世間も見ている。自分は自分の心が伸びたり縮んだり、曲ったりくねったりするところを、どうかして隠そうと力(つと)めたが、何しろ第一の少女の方で少しもやめてくれないで、むやみに伸びて見せたり、縮んで見せたりするもんだから、隠し終(おお)せる段じゃない。親にも親類にも目(め)つかってしまった。怪(け)しからんと云う事になった。怪しかるとは自分でも思っていなかったが、だんだん聞き糾(ただ)して見ると、怪しからん意味がだいぶ違ってる。そこでいろいろ弁解して見たがなかなか聞いてくれない。親の癖に自分の云う事をちっとも信用しないのが第一不都合だと思うと同時に、第一の少女の傍(そば)にいたら、この先どうなるか分らない、ことに因(よ)ると実際弁解の出来ないような怪しからん事が出来(しゅったい)するかも知れないと考え出した。がどうしても離れる事が出来ない。しかも第二の少女に対しては気の毒である、済まん事になったと云う念が日々(にちにち)烈(はげ)しくなる。――こんな具合で三方四方から、両立しない感情が攻め寄せて来て、五色の糸のこんがらかったように、こっちを引くと、あっちの筋が詰る、あっちをゆるめるとこっちが釣れると云う按排(あんばい)で、乱れた頭はどうあっても解(ほど)けない。いろいろに工夫を積んで自分に愛想(あいそ)の尽きるほどひねくって見たが、とうてい思うように纏(まと)まらないと云う一点張(いってんばり)に落ちて来た時に――やっと気がついた。つまり自分が苦しんでるんだから、自分で苦みを留めるよりほかに道はない訳だ。今までは自分で苦しみながら、自分以外の人を動かして、どうにか自分に都合のいいような解決があるだろうと、ひたすらに外のみを当(あて)にしていた。つまり往来で人と行き合った時、こっちは突ッ立ったまま、向うが泥濘(ぬかるみ)へ避(よ)けてくれる工面(くめん)ばかりしていたのだ。こっちが動かない今のままのこっちで、それで相手の方だけを思う通りに動かそうと云う出来ない相談を持ち懸(か)けていたのだ。自分が鏡の前に立ちながら、鏡に写る自分の影を気にしたって、どうなるもんじゃない。世間の掟(おきて)という鏡が容易に動かせないとすると、自分の方で鏡の前を立ち去るのが何よりの上分別である。
 そこで自分はこの入り組んだ関係の中から、自分だけをふいと煙(けむ)にしてしまおうと決心した。しかし本当に煙にするには自殺するよりほかに致し方がない。そこでたびたび自殺をしかけて見た。ところが仕掛けるたんびにどきんとしてやめてしまった。自殺はいくら稽古(けいこ)をしても上手にならないものだと云う事をようやく悟った。自殺が急に出来なければ自滅するのが好かろうとなった。しかし自分は前に云う通り相当の身分のある親を持って朝夕に事を欠かぬ身分であるから生家(うち)にいては自滅しようがない。どうしても逃亡(かけおち)が必要である。
 逃亡(かけおち)をしてもこの関係を忘れる事は出来まいとも考えた。また忘れる事が出来るだろうとも考えた。要するに、して見なければ分らないと考えた。たとい煩悶(はんもん)が逃亡につき纏(まと)って来るにしてもそれは自分の事である。あとに残った人は自分の逃亡のために助かるに違いないと考えた。のみならず逃亡をしたって、いつまでも逃亡(かけお)ちている訳じゃない。急に自滅がしにくいから、まずその一着として逃亡ちて見るんである。だから逃亡ちて見てもやっぱり過去に追われて苦しいようなら、その時徐(おもむろ)に自滅の計(はかりごと)を廻(めぐ)らしても遅くはない。それでも駄目ときまればその時こそきっと自殺して見せる。――こう書くと自分はいかにも下らない人間になってしまうが、事実を露骨に云うとこれだけの事に過ぎないんだから仕方がない。またこう書けばこそ下らなくなるが、その当時のぼんやりした意気込(いきごみ)を、ぼんやりした意気込のままに叙したなら、これでも小説の主人公になる資格は十分あるんだろうと考える。
 それでなくっても実際その当時の、二人の少女の有様やら、日(ひ)ごとに変る局面の転換やら、自分の心配やら、煩悶やら、親の意見や親類の忠告やら、何やらかやらを、そっくりそのまま書き立てたら、だいぶん面白い続きものができるんだが、そんな筆もなし時もないから、まあやめにして、せっかくの坑夫事件だけを話す事にする。
 とにかくこう云う訳で自分はいよいよとなって出奔(しゅっぽん)したんだから、固(もと)より生きながら葬(ほうぶ)られる覚悟でもあり、また自(みずか)ら葬ってしまう了簡(りょうけん)でもあったが、さすがに親の名前や過去の歴史はいくら棄鉢(すてばち)になっても長蔵さんには話したくなかった。長蔵さんばかりじゃない、すべての人間に話したくなかった。すべての人間は愚か、自分にさえできる事なら語りたくないほど情(なさけ)ない心持でひょろひょろしていた。だから長蔵さんが人を周旋する男にも似合わず、自分の身元について一言(いちごん)も聞き糺(ただ)さなかったのは、変と思いながらも、内々嬉しかった。本当を云うと、当時の自分はまだ嘘(うそ)をつく事をよく練習していなかったし、ごまかすと云う事は大変な悪事のように考えていたんだから、聞かれたら定めし困ったろうと思う。
 そこで長蔵さんに尾(つ)いて、横町を曲って行くと、一二丁行ったか行かないうちに町並が急に疎(まばら)になって、所々は田圃(たんぼ)の片割れが細く透いて見える。表はあんなに繁昌しても、繁昌は横幅だけであるなと気がついたら、また急に横町を曲らせられて、また賑(にぎや)かな所へ出された。その突当りが停車場(ステーション)であった。汽車に乗らなくっては坑夫になる手続きが済まないんだと云う事をこの時ようやく知った。実は鉱山の出張所でもこの町にあって、まずそこへ連れて行かれて、そこからまた役人が山へでも護送してくれるんだろうと思っていた。
 そこで停車場へ這入(はい)る五六間手間になってから、
「長蔵さん、汽車に乗るんですか」
と後(うしろ)から、呼び掛けながら聞いて見た。自分がこの男を長蔵さんと云ったのはこの時が始めてである。長蔵さんはちょっと振り返ったが、あかの他人から名前を呼ばれたのを不審がる様子もなく、すぐ、
「ああ、乗るんだよ」
と答えたなり、停車場に這入った。
 自分は停車場(ステーション)の入口に立って考え出した。あの男はいったい自分といっしょに汽車へ乗って先方(さき)まで行く気なんだろうか、それにしては余り親切過ぎる。なんぼなんでも見ず知らずの自分にこう叮嚀(ていねい)な世話を焼くのはおかしい。ことによると彼奴(あいつ)は詐欺師(かたり)かも知れない。自分は下らん事に今更のごとくはっと気がついて急に汽車へ乗るのが厭(いや)になって来た。いっその事また停車場を飛び出そうかしらと思って、今までプラットフォームの方を向いていた足を、入口の見当(けんとう)に向け易えた。しかしまだ歩き出すほどの決心もつかなかったと見えて、茫然(ぼうぜん)として、停車場前の茶屋の赤い暖簾(のれん)を眺(なが)めていると、いきなり大きな声を出して遠くから呼びとめられた。自分はこの声を聞くと共に、その所有者は長蔵さんであって、松原以来の声であると云う事を悟った。振り返ると、長蔵さんは遠方から顔だけ斜(はす)に出して、しきりにこちらを見て、首を竪(たて)に振っている。何でも身体(からだ)は便所の塀(へい)にかくれているらしい。せっかく呼ぶものだからと思って、自分は長蔵さんの顔を目的(めあて)に歩いて行くと、
「御前さん、汽車へ乗る前にちょっと用を足したら善かろう」
と云う。自分はそれには及ばんから、一応辞退して見たが、なかなか承知しそうもないから、そこで長蔵さんと相並んで、きたない話だが、小便を垂れた。その時自分の考えはまた変った。自分は身体よりほかに何にも持っていない。取られようにも瞞(かた)られようにも、名誉も財産もないんだから初手(しょて)から見込の立たない代物(しろもの)である。昨日(きのう)の自分と今日の自分とを混同して、長蔵さんを恐ろしがったのは、免職になりながら俸給の差(さ)し押(おさえ)を苦にするようなものであった。長蔵さんは教育のある男ではあるまいが、自分の風体(ふうてい)を見て一目(いちもく)騙(かた)るべからずと看破するには教育も何も要(い)ったものではない。だからことによると、自分を坑夫に周旋して、あとから周旋料でも取るんだろうと思い出した。それならそれで構わない。給料のうちを幾分かやれば済む事だなどと考えながら用を足した。――実は自分がこれだけの結論に到着するためには、わずかの時間内だがこれほどの手数(てすう)と推論とを要したのである。このくらい骨を折ってすら、まだ長蔵さんのポン引きなる事をいわゆるポン引きなる純粋の意味において会得(えとく)する事が出来なかったのは、年が十九だったからである。
 年の若いのは実に損なもので、こんなにポン引きの近所までどうか、こうか、漕(こ)ぎつけながら、それでも、もしや好意ずくの世話ずきから起った親切じゃあるまいかと思って、飛んだ気兼をしたのはおかしかった。
 実は二人して、用を足して、のそのそ三等待合所の入口まで来た時、自分は比較的威儀を正して長蔵さんに、こんな事を云ったんである。
「あなたに、わざわざ先方(さき)まで連れて行っていただいては恐縮ですから、もうこれでたくさんです」
 すると長蔵さんは返事もせずに変な顔をして、黙って自分の方を見ているから、これは礼の云いようがわるいのかとも思って、
「いろいろ御世話になってありがたいです。これから先はもう僕一人でやりますから、どうか御構いなく」
と云って、しきりに頭を下げた。すると、
「一人でやれるものかね」
と長蔵さんが云った。この時だけは御前さんを省(はぶ)いたようである。
「なにやれます」
と答えたら、
「どうして」
と聞き返されたんで、少し面喰(めんくら)ったが、
「今貴方(あなた)に伺って置けば、先へ行って貴方の名前を云って、どうかしますから」
ともじもじ述べ立てると、
「御前さん、私(わたし)の名前くらいで、すぐ坑夫になれると思ってるのは大間違いだよ。坑夫なんて、そんなに容易になれるもんじゃないよ」
と跳(はね)つけられちまった。仕方がないから
「でも御気の毒ですから」
と言訳かたがた挨拶(あいさつ)をすると、
「なに遠慮しないでもいい、先方(さき)まで送ってあげるから心配しないがいい。――袖摩(そです)り合うも何とかの因縁(いんねん)だ。ハハハハハ」
と笑った。そこで自分は最後に、
「どうも済みません」
と礼を述べて置いた。
 それから二人でベンチへ隣り合せに腰を掛けていると、だんだん停車場(ステーション)へ人が寄ってくる。大抵は田舎者(いなかもの)である。中には長蔵さんのような袢天(はんてん)兼(けん)どてらを着た上に、天秤棒(てんびんぼう)さえ荷(かつ)いだのがある。そうかと思うと光沢(つや)のある前掛を締めて、中折帽を妙に凹(へこ)ました江戸ッ子流の商人(あきゅうど)もある。その他の何やらかやらでベンチの四方が足音と人声でざわついて来た時に、切符口の戸がかたりと開(あ)いた。待ち兼ねた連中は急いで立ち上がって、みんな鉄網(かなあみ)の前へ集ってくる。この時長蔵さんの態度は落ちつき払ったものであった。例の太刀(たち)のごとくそっくりかえった「朝日」を厚い唇(くちびる)の間に啣(くわ)えながら、あの角張(かどば)った顔を三(さん)が二(に)ほど自分の方へ向けて、
「御前さん、汽車賃を持っていなさるかい」
と聞いた。また自分の未熟なところを発表するようだが、実を云うと汽車賃の事は今が今まで自分の考えには毫(ごう)も上(のぼ)らなかったのである。汽車に乗るんだなと思いながら、いくら金を払うものか、また金を払う必要があるものか、とんと思い至らなかったのは愚(ぐ)の至(いたり)である。愚はどこまでも承認するがこの質問に出逢(であ)うまでは無賃(ただ)で乗れるかのごとき心持で平気でいたのは事実である。よく分らないけれども、何でも自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙に潜(ひそ)んでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場(ステーション)へ来て汽車賃の汽の字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのと平(ひら)に同行を断ったのは、どう云う了簡(りょうけん)だろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢(であ)ってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々(われわれ)の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有(も)ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁(いんねん)で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯(しょうがい)その思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響を蒙(こうぶ)った覚(おぼえ)がないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をして見せる。がその行為言動が、傍(はた)から見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気がつかないでもとんだ苦しみを受ける場合が起ってくる。自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心を冒(おか)さない先に、劇薬でも注射して、ことごとく殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。
 それで、自分が長蔵さんから「御前さん汽車賃を持っていなさるか」と問われた時に、自分ははっと思って、少からず狼狽(うろた)えた。三十二銭のうちで饅頭(まんじゅう)の代と茶代を引くと何にもありゃしない。汽車賃もない癖に、坑夫になろうなんて呑込顔(のみこみがお)に受合ったんだから、自分は少し図迂図迂(ずうずう)しい人間であったんだと気がついたら、急に頬辺(ほっぺた)が熱くなった。その時分の事を考えると自分ながら可愛らしい。これが今だったら、たとい電車の中で借金の催促をされようとも、ただ困るだけで、けっして赤面はしない。ましてぽん引きの長蔵さんなどに対して、神聖なる羞恥(しゅうち)の血色を見せるなんてもったいない事は、夢にもやる気遣(きづか)いはありゃしない。
 自分はどう云うものか、長蔵さんに対して汽車賃はありますと答えたかった。しかし実際がないんだから嘘(うそ)を吐(つ)く訳には行かない。嘘を吐きっ放(ぱなし)にして済ませられるなら、思い切って、嘘を吐く事にしたろうが、とにかく今切符を買うと云う間際(まぎわ)で、吐けばすぐ露現(ろけん)してしまうんだから始末がわるい。と云って汽車賃はありませんと答えるのがいかにも苦痛である。どうも子供だから、しかも満更(まんざら)の子供でなくって、少し大きくなりかけた、色気のついた、煩悶(はんもん)をしている、つまらん常識があるような、ないような子供だから、なおなお不都合だった。そこで汽車賃はありますとも、ありませんとも云いにくかったもんだから、
「少しあります」
と答えた。それも響の物に応ずるごとく、停滞なく出ればよかったが、何しろもったいなくも頬辺を赤くしたあとで、はなはだ恐縮の態度で出したんだから、馬鹿である。
「少しって、御前さん、いくら持ってるい」
と長蔵さんが聞き返した。長蔵さんは自分が頬辺を赤くしても、恐縮しても、まるで頓着(とんじゃく)しない。ただいくら持ってるか聞きたい様子であった。ところがあいにく肝心(かんじん)の自分にはいくらあるか判然しない。何しろ〆(しめ)て三十二銭のうち、饅頭(まんじゅう)を三皿食って、茶代を五銭やったんだから、残るところはたくさんじゃない。あっても無くっても同じくらいなものだ。
「ほんのわずかです。とても足りそうもないです」
と正直なところを云うと、
「足りないところは、私(わたし)が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」
と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁(ていさい)がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭(いや)だから、懐(ふところ)から例の蟇口(がまぐち)を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐(わに)の皮で拵(こしら)えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物(ぜいたくもの)である。長蔵さんは蟇口を受け取って、ちょっと眺(なが)めていたが、
「ふふん、安くないね」
と云ったなり中味も改めずに腹掛の隠しへ入れちまった。中味を改めないところはよかったが、
「じゃ、私が切符を買って来て上げるから、ちゃんとここに待っていなくっちゃ、いけない。はぐれると、坑夫になれないんだからね」
と念を押して、ベンチを離れて切符口の方へすたすた行ってしまった。見ていると人込(ひとごみ)の中へ這入(はい)ったなり振り返りもしないで切符を買う番のくるのを待っている。さっき松原の掛茶屋を出てから、今先方(いまさきがた)までの長蔵さんは始終(しじゅう)自分の傍(そば)に食っついていて、たまに離れると便所からでも顔を出して呼ぶくらいであったのに、蟇口を受け取って、切符を買う時はまるで自分を忘れているように見受けられた。あんまり人が多くって、こっちへ眼をつける暇がなかったんだろう。これに反して自分は一生懸命に長蔵さんの後姿を見守って、札を買う順番が一人一人に廻って来るたんびに長蔵さんがだんだん切符口へ近づいて行くのを、遠くから妙な神経を起して眺(なが)めていた。蟇口は立派だが中を開けられたら銅貨が出るばかりだ。開けて見て、何だこれっぱかりしか持っていないのかと長蔵さんが驚くに違ない。どうも気の毒である。いくら足し前をするんだろうなどと入らざる事を苦(く)に病(や)んでいると、やがて長蔵さんは平生(へいぜい)の顔つきで帰って来た。
「さあ、これが御前さんの分だ」
と云いながら赤い切符を一枚くれたぎりいくら不足だとも何とも云わない。きまりが悪かったから、自分もただ
「ありがとう」
と受取ったぎり賃銭の事は口へ出さなかった。蟇口の事もそれなりにして置いた。長蔵さんの方でも蟇口の事はそれっきり云わなかった。したがって蟇口はついに長蔵さんにやった事になる。
 それから、とうとう二人して汽車へ乗った。汽車の中では別にこれと云う出来事もなかった。ただ自分の隣りに腫物(できもの)だらけの、腐爛目(ただれめ)の、痘痕(あばた)のある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。生家(うち)を逃亡(かけお)ちて、坑夫にまで、なり下(さが)る決心なんだから、大抵の事に辟易(へきえき)しそうもないもんだがやっぱり醜(きた)ないものの傍(そば)へは寄りつきたくなかった。あの按排(あんばい)では自殺の一日前でも、腐爛目の隣を逃げ出したに違ない。それなら万事こう几帳面(きちょうめん)に段落をつけるかと思うと、そうでないから困る。第一長蔵さんや茶店のかみさんに逢(あ)った時なんぞは平生の自分にも似ず、□(ぐう)の音(ね)も出さずに心(しん)からおとなしくしていた。議論も主張も気慨(きがい)も何もあったもんじゃありゃしない。もっともこれはだいぶ餓(ひも)じい時であったから、少しは差引いて勘定を立(たて)るのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾――また矛盾が出たから廃(よ)そう。
 自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮(ふる)って、縦横(たてよこ)十文字に自分の心緒(しんしょ)を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔(むか)しだから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の生涯(しょうがい)中に二度とありゃしない。二十(はたち)以下の無分別から出た無茶だから、その筋道が入り乱れて要領を得んのだと評してはなおいけない。経験の当時こそ入り乱れて滅多(めった)やたらに盲動するが、その盲動に立ち至るまでの経過は、落ち着いた今日(こんにち)の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。この鉱山行(ゆき)だって、昔の夢の今日だから、このくらい人に解るように書く事が出来る。色気がなくなったから、あらいざらい書き立てる勇気があると云うばかりじゃない。その時の自分を今の眼の前に引擦(ひきず)り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たといこれほどにだってとうてい書けるものじゃない。俗人はその時その場合に書いた経験が一番正しいと思うが、大間違である。刻下(こっか)の事情と云うものは、転瞬(てんしゅん)の客気(かっき)に駆られて、とんでもない誤謬(ごびゅう)を伝え勝ちのものである。自分の鉱山行などもその時そのままの心持を、日記にでも書いて置いたら、定めし乳臭い、気取った、偽りの多いものが出来上ったろう。とうてい、こうやって人の前へ御覧下さいと出された義理じゃない。
 自分が腐爛目の難を避けて、向う側に席を移すと、長蔵さんは一目ちょっと自分と腐爛目を見たなりで、やはり元の所へ腰を掛けたまま動かなかった。長蔵さんの神経が自分よりよほど剛健なのには少からず驚嘆した。のみならず、平気な顔で腐爛目と話し出したに至って、少しく愛想(あいそ)が尽きた。
「また山行きかね」
「ああまた一人連れて行くんだ」
「あれかい」
と腐爛目は自分の方を見た。長蔵さんはこの時何か返事をしかけたんだろうがふと自分と顔を見合せたものだから、そのまま厚い唇を閉じて横を向いてしまった。その顔について廻って、腐爛目は、
「まただいぶん儲(もう)かるね」
と云った。自分はこの言葉を聞くや否やたちまち窓の外へ顔を出した。そうして窓から唾液(つばき)をした。するとその唾液が汽車の風で自分の顔へ飛んで来た。何だか不愉快だった。前の腰掛で知らない男が二人弁じている。
「泥棒が這入(はい)るとするぜ」
「こそこそがかい」
「なに強盗がよ。それでもって、抜身(ぬきみ)か何かで威嚇(おど)した時によ」
「うん、それで」
「それで、主人(あるじ)が、泥棒だからってんで贋銭(にせがね)をやって帰したとするんだ」
「うんそれから」
「後(あと)で泥棒が贋銭と気がついて、あすこの亭主は贋銭使(つかい)だ贋銭使だって方々振れて歩くんだ。常公(つねこう)の前(めえ)だが、どっちが罪が重いと思う」
「どっちたあ」
「その亭主と泥棒がよ」
「そうさなあ」
と相手は解決に苦しんでいる。自分は眠(ねぶ)くなったから、窓の所へ頭を持たしてうとうとした。
 寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでもおそらく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようでなかなか容易でない。まず凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である。柔道をやる人が、時々朋友(ほうゆう)に咽喉(のど)を締めて貰う事がある。夏の日永(ひなが)のだるい時などは、絶息したまま五分も道場に死んでいて、それから活(かつ)を入れさせると、生れ代るような好い気分になる――ただし人の話だが。――自分は、もしや死にっきりに死んじまやしないかと云う神経のために、ついぞこの荒療治(あらりょうじ)を頼んだ事がない。睡眠はこれほどの効験もあるまいが、その代り生き戻り損(そこな)う危険も伴(ともな)っていないから、心配のあるもの、煩悶(はんもん)の多いもの、苦痛に堪(た)えぬもの、ことに自滅の一着として、生きながら坑夫になるものに取っては、至大なる自然の賚(たまもの)である。その自然の賚が偶然にも今自分の頭の上に落ちて来た。ありがたいと礼を云う閑(ひま)もないうちに、うっとりとしちまって、生きている以上は是非共その経過を自覚しなければならない時間を、丸潰(まるつぶ)しに潰していた。ところが眼(め)が覚(さ)めた。後から考えて見たら、汽車の動いてる最中に寝込(ねこ)んだもんだから、汽車の留ったために、眠りが調子を失ってどこかへ飛んで行ったのである。自分は眠っていると、時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力があるようだ。だから本当に煩悶を忘れるためにはやはり本当に死ななくっては駄目だ。ただし煩悶がなくなった時分には、また生き返りたくなるにきまってるから、正直に理想を云うと、死んだり生きたり互違(たがいちがい)にするのが一番よろしい。――こんな事をかくと、何だか剽軽(ひょうきん)な冗談(じょうだん)を云ってるようだがけっしてそんな浮いた了見(りょうけん)じゃない。本気に真面目(まじめ)を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気(ばかげ)た感じだから滑稽(こっけい)のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想(かわいそう)に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目(まじめ)に抱(いだ)かねばならぬほど、その時の自分は情(なさけ)ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。
 自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家(うち)を出奔(しゅっぽん)したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだがむらむらと塊(かた)まって、頭の底から一度に湧(わ)いて来た。その速い事と云ったら、言語(ごんご)に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺(おぼ)れかかったその刹那(せつな)に、自分の過去の一生を、細大(さいだい)漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後(のち)聞いたが、自分のこの時の経験に因(よ)って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。自覚すると同時に、急に厭(いや)な心持になった。ただ厭では、とても形容が出来ないんだが、さればと云って、別に叙述しようもない心持ちだからただの厭でとめて置く。自分と同じような心持ちを経験した人ならば、ただこれだけで、なるほどあれだなと、直(すぐ)勘(かん)づくだろう。また経験した事がないならば、それこそ幸福だ、けっして知るに及ばない。
 その内同じ車室に乗っていたものが二三人立ち上がる。外からも二三人這入(はい)って来る。どこへ陣取ろうかと云う眼つきできょろきょろするのと、忘れものはないかと云う顔つきでうろうろするのと、それから何の用もないのに姿勢を更(か)えて窓へ首を出したり、欠伸(あくび)をしたりするのと、が一度に合併して、すべて動揺の状態に世の中を崩(くず)し始めて来た、自分は自分の周囲のものが、ことごとく活動しかけるのを自覚していた。自覚すると共に、自分は普通の人間と違って、みんなが活動する時分でさえ、他(ひと)に釣り込まれて気分が動いて来ないような仲間外(はず)れだと考えた。袖(そで)が触(す)れ違って、膝(ひざ)を突き合せていながらも、魂だけはまるで縁も由緒(ゆかり)もない、他界から迷い込んだ幽霊のような気持であった。今までは、どうか、こうか、人並に調子を取って来たのが汽車が留まるや否や、世間は急に陽気になって上へ騰(あが)る。自分は急に陰気になって下へ降(さが)る、とうてい交際(つきあい)はできないんだと思うと、背中と胸の厚さがしゅうと減って、臓腑(ぞうふ)が薄(うす)っ片(ぺら)な一枚の紙のように圧(お)しつけられる。途端に魂だけが地面の下へ抜け出しちまった。まことに申訳のない、御恥ずかしい心持ちをふらつかせて、凹(へこ)んでいた。
 ところへ長蔵さんが、立って来て、
「御前さん、まだ眼が覚めないかね。ここから降りるんだよ」
と注意してくれた。それでようやくなるほどと気がついて立ち上った。魂が地の底へ抜け出して行く途中でも、手足に血が通(かよ)ってるうちは、呼ぶと返って来るからおかしなものだ。しかしこれがもう少し烈(はげ)しくなると、なかなか思うように魂が身体(からだ)に寄りついてくれない。その後(ご)台湾沖で難船した時などは、ほとんど魂に愛想(あいそ)を尽かされて、非常な難義をした事がある。何(なん)にでも上には上があるもんだ。これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う。しかしこの時はこの心持が自分に取ってもっとも新しくて、しかもはなはだ苦(にが)い経験であった。
 長蔵さんのどてらの尻を嗅(か)ぎながら改札場から表へ出ると、大きな宿(しゅく)の通りへ出た。一本筋の通りだが存外広い、ばかりではない、心持の判然(はっきり)するほど真直(まっすぐ)である。自分はこの広い往還(おうかん)の真中に立って遥(はる)か向うの宿外(しゅくはずれ)を見下(みおろ)した。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯(しょうがい)中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。自分は肺の底が抜けて魂が逃げ出しそうなところを、ようやく呼びとめて、多少人間らしい了簡(りょうけん)になって、宿の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸(ひ)く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ちついていない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場(ステーション)から出ても、またこの宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれたようなもので、けっして本気の沙汰(さた)で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかったくらい、鈍(にぶ)い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、すべてに興味を失った、かなつぼ眼(まなこ)を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた限界が、はっと云う間(ま)に、一本筋の往還を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴(したた)るほどの山が、自分の眼を遮(さえぎ)りながらも、邪魔にならぬ距離を有(たも)って、どろんとしたわが眸(ひとみ)を翠(みどり)の裡(うち)に吸寄せている。――そこで何んとなく今云ったような心持になっちまったのである。
 第一には大道砥(だいどうと)のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠(わだか)まりのない爽(さわやか)なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷(まご)つかせない。心配せずにこっちへ御出(おいで)と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼(きがね)をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後(あと)を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並(いえなみ)を見ると、――これは瓦葺(かわらぶき)も藁葺(わらぶき)もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配(こうばい)を纏(まと)められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜(はす)に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってくる。自分の立っている左右の二階屋などは――宿屋のように覚えているが――見上げるほどの高さであるのに、宿外れの軒を透(すか)して見ると、指の股(また)に這入(はい)ると思われるくらい低い。その途中に暖簾(のれん)が風に動いていたり、腰障子(こししょうじ)に大きな蛤(はまぐり)がかいてあったりして、多少の変化は無論あるけれども、軒並(のきなみ)だけを遠くまで追っ掛けて行くと、一里が半秒(はんセコンド)で眼の中に飛び込んで来る。それほど明瞭(めいりょう)である。
 前に云った通り自分の魂は二日酔(ふつかえい)の体(てい)たらくで、どこまでもとろんとしていた。ところへ停車場(ステーション)を出るや否や断りなしにこの明瞭な――盲目(めくら)にさえ明瞭なこの景色(けしき)にばったりぶつかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。また実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精不精(ふしょうぶしょう)に徘徊(はいかい)していた惰性を一変して屹(きっ)となるには、多少の時間がかかる。自分の前(さき)に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色がいかにも明瞭であるなと心づいたあと、――その際(きわ)どい中間(ちゅうかん)に起った心持ちである。この景色はかように暢達(のびのび)して、かように明白で、今までの自分の情緒(じょうしょ)とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界(げかい)に対(むか)い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢(のん)びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光(ごこう)でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼(はっきり)した快感をもって、他界の幻影(まぼろし)に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外(はずれ)まで行かれる。たしかにこの宿(しゅく)を通り抜ける事はできる。左右の家は触(さわ)れば触る事が出来る。二階へ上(のぼ)れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸(ひとみ)のなかに受けながら立っていた。
 自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後(のち)これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。
 見ると日はもう傾(かたぶ)きかけている。初夏(しょか)の日永(ひなが)の頃だから、日差(ひざし)から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜(はす)かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺(なが)めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下(くだ)ると、突き当りが山で、その山は方角から推(お)すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。
 その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼(まっさお)で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼(あお)い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜(すぎひのき)の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝(こんもり)として、奥深い様子であった。自分は傾(かたぶ)きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓(ふもと)へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいくような気がする結果とも云われるし。日がだんだん傾(かたぶ)いて陰の方は蒼い山の上皮(うわかわ)と、蒼い空の下層(したがわ)とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他(ひと)の領分を犯(おか)し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区劃(くかく)が判然しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである。
 自分は昨夕(ゆうべ)東京を出て、千住(せんじゅ)の大橋まで来て、袷(あわせ)の尻を端折(はしょ)ったなり、松原へかかっても、茶店へ腰を掛けても、汽車へ乗っても、空脛(からすね)のままで押し通して来た。それでも暑いくらいであった。ところがこの町へ這入(はい)ってから何だか空脛では寒い気持がする。寒いと云うよりも淋しいんだろう。長蔵さんと黙って足だけを動かしていると、まるで秋の中を通り抜けてるようである。そこで自分はまた空腹になった。たびたび空腹になった事ばかりを書くのはいかがわしい事で、かつこの際空腹になっては、どうも詩的でないが、致し方がない。実際自分は空腹になった。家(うち)を出てから、ただ歩くだけで、人間の食うものを食わないから、たちまち空腹になっちまう。どんなに気分がわるくっても、煩悶(はんもん)があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落つけるためには飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かも知れない。品(ひん)の悪い話だが、自分は長蔵さんと並んで往来の真中を歩きながら、左右に眼をくばって、両側の飲食店を覗(のぞ)き込むようにして長い町を下(くだ)って行った。ところがこの町には飲食店がだいぶんある。旅屋(はたごや)とか料理屋とか云う上等なものは駄目としても、自分と長蔵さんが這入ってしかるべきやたいち流(りゅう)のがあすこにもここにも見える。しかし長蔵さんは毫(ごう)も支度(したく)をしそうにない。最前の我多馬車(がたばしゃ)の時のように「御前さん夕食(ゆうめし)を食うかね」とも聞いてくれない。その癖自分と同じように、きょろきょろ両側に眼を配って何だか発見したいような気色(けしき)がありありと見える。自分は今に長蔵さんが恰好(かっこう)な所を見つけて、晩食(ばんめし)をしたために自分を連れ込む事と自信して、気を永く辛抱しながら、長い町を北へ北へと下って行った。
 自分は空腹を自白したが、倒れるほどひもじくは無かった。胃の中にはまだ先刻(さっき)の饅頭(まんじゅう)が多少残ってるようにも感ぜられた。だから歩けば歩かれる。ただ汽車を下りるや否や滅(め)り込(こ)みそうな精神が、真直(まっすぐ)な往来の真中に抛(ほう)り出されて、おやと眼を覚したら、山里の空気がひやりと、夕日の間から皮膚を冒(おか)して来たんで、心機一転の結果としてここに何か食って見たくなったんである。したがって食わなければ食わないでも済む。長蔵さん何か食わしてくれませんかと云うほど苦しくもなかった。しかし何だか口が淋(さび)しいと見えて、しきりに縄暖簾(なわのれん)や、お煮〆(にしめ)や、御中食所(おちゅうじきどころ)が気にかかる。相手の長蔵さんがまた申し合せたように右左と覗(のぞ)き込むので、こっちはますます食意地(くいいじ)が張ってくる。自分はこの長い町を通りながら、自分らに適当と思う程度の一膳(いちぜん)めし屋をついに九軒まで勘定した。数えて九軒目に至ったら、さしもに長い宿(しゅく)はとうとうおしまいになり掛けて、もう一町も行けば宿外(しゅくはず)れへ出抜(ずぬ)けそうである。はなはだ心細かった。時にふと右側を見ると、また酒めしと云う看板に逢着(ほうちゃく)した。すると自分の心のうちにこれが最後だなと云う感じが起った。それがためか煤(すす)けた軒の腰障子(こししょうじ)に、肉太に認(したた)めた酒めし、御肴と云う文字がもっとも劇烈な印象をもって自分の頭に映じて来た。その映じた文字がいまだに消えない。酒の字でも、めしの字でも、御肴(おんさかな)の字でもありあり見える。この様子では、いくら耄碌(もうろく)してもこの五字だけは、そっくりそのまま、紙の上に書く事が出来るだろう。
 自分が最後の酒、めし、御肴をしみじみ見ていると、不思議な事に長蔵さんも一生懸命に腰障子の方に眼をつけている。自分はさすが頑強(がんきょう)の長蔵さんも今度こそ食いに這入(はい)るに違なかろうと思った。ところが這入らない。その代りぴたりと留った。見ると腰障子の奥の方では何だか赤いものが動いている。長蔵さんの顔色を窺(うかが)うと、何でもこの赤いものを見詰めているらしい。この赤いものは無論人間である。が長蔵さんがなぜ立ち留ってこの赤い人間を覗(のぞ)き込むのか、とんと自分には分らなかった。人間には違ないが、ただ薄暗く赤いばかりで、顔つきなどは無論判然しやしない。がと思って、自分も不審かたがた立ち留っていると、やがて障子の奥から赤毛布(あかげっと)が飛び出した。いくら山里でも五月の空に毛布は無用だろうと云う人があるかも知れないが、実際この男は赤毛布で身を堅めていた。その代り下には手織の単衣(ひとえもの)一枚だけしきゃ着ていないんだから、つまり〆(しめ)て見ると自分と大した相違はない事になる。もっとも単衣一枚で凌(しの)いでると云う事は、あとからの発見で、障子の影から飛び出した時にはただ赤いばかりであった。
 すると長蔵さんは、いきなり、この赤い男の側(そば)へつかつかやって行って、
「お前さん、働く気はないかね」
と云った。自分が長蔵さんに捕(つか)まった時に聞かされた、第一の質問はやはり「働く気はないかね」であったから、自分はおやまた働かせる気かなと思って、少からぬ興味の念に駆(か)られながら二人を見物していた。その時この長蔵さんは、誰を見ても手頃な若い衆(しゅ)とさえ鑑定すれば、働く気はないかねと持ち掛ける男だと云う事を判然(はんぜん)と覚(さと)った。つまり長蔵さんは働かせる事を商売にするんで、けっして自分一人を非常な適任者と認めて、それで坑夫に推挙した訳ではなかった。おおかたどこで、どんな人に、幾人(いくたり)逢(あ)おうとも、版行(はんこう)で押したような口調で御前さん働く気はないかねを根気よく繰返し得る男なんだろう。考えると、よくこんな商売を厭(あ)きもせず、長の歳月(としつき)やられたものだ。長蔵さんだって、天性御前さん働く気はないかねに適した訳でもあるまい。やっぱり何かの事情やむを得ず御前さんを復習しているんだろう。こう思えば、まことに罪のない男である。要するに芸がないからほかの事は出来ないんだが、ほかの事が出来ないんだと意識して煩悶(はんもん)する気色(けしき)もなく、自分でなくっちゃ御前さんをやり得る人間は天下広しといえども二人と有るまいと云うほどの平気な顔で、やっている。
 その当時自分にこれだけの長蔵観(ちょうぞうかん)があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做(みな)して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序(じょ)の節(せつ)に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌(みぎ)りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――
 自分は長蔵さんと赤毛布(あかげっと)の立談(たちばなし)を聞きながら、自分は長蔵さんから毫(ごう)も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔(しゅっぽん)して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々(うんぬん)するのは変挺(へんてこ)な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執(と)って人格と書き出したら、何となく馬鹿気(ばかげ)ていて、思わず噴(ふ)き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧(かえり)みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比(くら)べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。
 と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴(おんさかな)の裏(うち)から飛び出した若い男を捕(つら)まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々怪(け)しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――
 坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業(かぎょう)だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚(さと)っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思(おもい)のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう。取扱方の同様なのを延(ひ)き伸ばして行くと、つまり取り扱われるものが同様だからと云う妙な結論に到着してくる。自分はふらふらとそこへ到着していたと見える。長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で、赤毛布はすなわち自分である。何だか他人(ひと)が赤毛布を着て立ってるようには思われない。自分の魂が、自分を置き去りにして、赤毛布の中に飛び込んで、そうして長蔵さんから坑夫になれと談じつけられている。そこで、どうも情(なさけ)なくなっちまった。自分が直接に長蔵さんと応対している間は、人格も何も忘れているんだが、自分が赤毛布になって、君儲(もう)かるんだぜと説得されている体裁(ていさい)を、自分が傍(わき)へ立って見た日には方(かた)なしである。自分ははたしてこんなものかと、少しく興を醒(さ)まして赤毛布を、つらつら観察していた。
 ところが不思議にもこの赤毛布がまた自分と同じような返事をする。被(かぶ)ってる赤毛布ばかりじゃない、心底(しんそこ)から、この若い男は自分と同じ人間だった。そこで自分はつくづくつまらないなと感じた。その上もう一つつまらない事が重なったのは、長蔵さんが、にくにくしいほど公平で、自分の方が赤毛布(あかげっと)よりも坑夫に適していると云うところを少しも見せない。全く器械的にやっている。先口(せんくち)だから、もう少しこっちを贔屓(ひいき)にしたら好かろうと思うくらいであった。――これで見ると人間の虚栄心はどこまでも抜けないものだ。窮して坑夫になるとか、ならないとか云う切歯(せっぱ)詰った時でさえ自分はこれほどの虚栄心を有(も)っていた。泥棒に義理があったり、乞食に礼式があるのも全くこの格なんだろう。――しかしこの虚栄心の方は、自分すなわち赤毛布であると云うことを自覚して、大(おおい)につまらなくなったよりも、よほどつまらなさ加減が少かった。
 自分が大につまらなくなって、ぼんやり立っていると、二人(ふたり)の談判は見る間(ま)に片づいてしまった。これは必ずしも長蔵さんがことほどさように上手だからと云う訳ではない。赤毛布の方がことほどさように馬鹿だったからである。自分はこの男を一概に馬鹿と云うが、あながち、自分に比較して軽蔑(けいべつ)する気じゃけっしてない。自分の当時は、長蔵さんの話をはいはい聞く点において、すぐ坑夫になろうと承知する点において、その他いろいろの点において、全くこの若い男と同等すなわち馬鹿であったのである。もし強(し)いて違うところを詮議(せんぎ)したら赤毛布を被(かぶ)ってるのと絣(かすり)を着ているとの差違(ちがい)くらいなものだろう。だから馬鹿と云うのは、自分と同じく気の毒な人と云う意味で、馬鹿のうちに少しぐらいは同情の意を寓(ぐう)したつもりである。
 で、馬鹿が二人長蔵さんに尾(つ)いていっしょに銅山まで引っ張られる事になった。しかるに自分が赤毛布と肩を並べて歩き出した時、ふと気がついて見ると、さっきのつまらない心持ちがもう消えていた。どうも人間の了見(りょうけん)ほど出たり引っ込んだりするものはない。有るんだなと安心していると、すでにない。ないから大丈夫と思ってると、いや有る。有るようで、ないようでその正体はどこまで行っても捕まらない。その後(のち)さる温泉場で退屈だから、宿の本を借りて読んで見たらいろいろ下らない御経の文句が並べてあったなかに、心は三世にわたって不可得(ふかとく)なりとあった。三世にわたるなんてえのは、大袈裟(おおげさ)な法螺(ほら)だろうが、不可得(ふかとく)と云うのは、こんな事を云うんじゃなかろうかと思う。もっともある人が自分の話を聞いて、いやそれは念(ねん)と云うもので心(こころ)じゃないと反対した事がある。自分はいずれでも御随意だから黙っていた。こんな議論は全く余計な事だが、なぜ云いたくなるかというと、世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものがだいぶんある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろうくらいに考えているには弱らせられる。そうして、そう云う呑気(のんき)な料簡(りょうけん)で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにして見せるのと騒いでいるから驚いちまう。水だって流れりゃ返って来やしない。ぐずぐずしていりゃ蒸発しちまう。
 とにかくこの際は、赤毛布と並んで歩き出した時、もう先刻(さっき)のつまらない考えが蒸発していたと云う事だけを記憶して置いて貰(もら)えばいい。――そうして吾(われ)ながら驚いたのは、どうも赤毛布(あかげっと)と並んで歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城(いばらき)か何かの田舎(いなか)もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋(いも)の事を芋(えも)と訓じたのはこれからさきの逸話に属するが、歩き出したてから、あんまりありがたい音声ではなかった。その上顔が人並にできていなかった。この男に比べると角張(かくば)った顎(あご)の、厚唇(あつくちびる)の長蔵さんなどは威風堂々たるものである。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。そうして、赤い毛布(けっと)が妙に臭い。それにもかかわらず自分はこの山里で、銅山行きの味方を得たような心持ちがして嬉(うれ)しかった。自分はどうせ捨てる身だけれども、一人で捨てるより道伴(みちづれ)があって欲(ほし)い。一人で零落(おちぶ)れるのは二人で零落れるのよりも淋しいもんだ。そう明らさまに申しては失礼に当るが、自分はこの男について何一つ好いてるところはなかったけれども、ただいっしょに零落れてくれると云う点だけがありがたいのでそれがため大いに愉快を感じた。それで歩き出すや否や、少し話もし掛けて見たくらいに、近しい仲となってしまった。これから推(お)して考えると、川で死ぬ時は、きっと船頭の一人や二人を引き擦(ず)り込みたくなるに相違ない。もし死んでから地獄へでも行くような事があったなら、人のいない地獄よりも、必ず鬼のいる地獄を択(えら)ぶだろう。
 そう云う訳で、たちまち赤毛布が好きになって、約一二町も歩いて来たら、また空腹を覚え出した。よく空腹を覚えるようだが、これは前段の続きでけっして新しい空腹ではない。順序を云うと、第一に精神が稀薄になって、もっとも刻下感(こっかかん)に乏しい時に汽車を下りたんで、次に真直(まっすぐ)な往来を真直に突き当りの山まで見下(みおろ)したもんだからようやく正気づいたのは前(まえ)申した通りである。それが機縁になって、今度は食気(くいけ)がついて、それから人格を認められていない事を認識して、はなはだつまらなくなって、つまらなくなったと思ったら坑夫の同類が出来て、少しく頽勢(たいせい)を挽回(ばんかい)したと云うしだいになる。だに因(よ)ってまた空腹に立ち戻ったと説明したら善く呑(の)み込めるだろう。さて空腹にはなったが、最後の一膳飯屋(いちぜんめしや)はもう通り越している。宿(しゅく)はすでに尽きかかった。行く手は暗い山道である。とうてい願は叶(かな)いそうもない。それに赤毛布は今食ったばかりの腹だから、勇ましくどんどん歩く。どうも、降参しちまった。そこで思い切って、最後の手段として長蔵さんに話しかけて見た。
「長蔵さん、これからあの山を越すんですか」
「あの取附(とっつき)の山かい。あれを越しちゃ大変だ。これから左へ切れるんさ」
と云ったなりまたすたすた歩いて行く。どうも是非に及ばない。
「まだよっぽどあるんですか、僕は少し腹が減ったんだが」
と、とうとう空腹の由を自白した。すると長蔵さんは
「そうかい。芋でも食うべい」
と、云いながら、すぐさま、左側の芋屋へ飛び込んだ。よく約束したように、そこん所(とこ)に芋屋があったもんだ。これを大袈裟(おおげさ)に云えば天佑(てんゆう)である。今でもこの時の上出来に行った有様を回顧すると、おかしいばかりじゃない、嬉しい。もっとも東京の芋屋のように奇麗(きれい)じゃなかった。ほとんど名状しがたいくらいに真黒になった芋屋で、芋屋と云えば芋屋だが、芋専門じゃない。と云って芋のほかに何を売ってるんだったか、今は忘れちまった。食う方に気を取られ過ぎたせいかとも思う。
 やがて長蔵さんは両手に芋を載(の)せて、真黒な家(うち)から、のそりと出て来た。入れ物がないもんだから、両手を前へ出して、
「さあ、食った」
と云う。自分は眼前に芋を突きつけられながら、ただ
「ありがとう」
と礼を述べて、芋を眺(なが)めていた。どの芋にしようかと考えた訳ではない。そんな選択を許すような芋ではなかった。赤くって、黒くって、瘠(や)せていて、湿(しめ)っぽそうで、それで所々皮が剥(は)げて、剥げた中から緑青(ろくしょう)を吹いたような味(み)が出ている。どれにぶつかったって大同小異である。そんなら一目惨澹(いちもくさんたん)たるこの芋の光景に辟易(へきえき)して、手を出さなかったかと云うと、そうでもない。自分の胃の状況から察すると、芋中(いもちゅう)のヽヽとも云わるべきこの御薩(おさつ)を快よく賞翫(しょうがん)する食欲は十分有ったように思う。しかし「さあ、食った」と突きつけられた時は、何だかおびえたような気分で、おいきたと手を出し損(そく)なった。これはおおかた「さあ、食った」の云い方が悪かったんだろう。
 自分が芋を取らないのを見て、長蔵さんは、少々もどかしいと云う眼つきで、再び
「さあ」
と、例の顎(あご)で芋を指(さ)しながら、前へ出した手頸(てくび)を、食えと云う相図にちょっと動かした。よく考えて見ると、両手が芋で塞(ふさが)ってるんで、自分がどうかしてやらないと、長蔵さんは、いくら芋が食いたくても、口へ持って行く事ができないんであった。じれたのももっともである。そこで自分はようやく気がついて、二の腕で、変な曲線を描(えが)いて、右の手を芋まで持って行こうとすると、持って行く途中で、芋の方が一本ころころと往来の中へ落ちた。これはすぐさま赤毛布(あかげっと)が拾った。拾ったと思ったら、
「この芋(えも)は好芋(えええも)だ。おれが貰おう」
と云った。それでこの男は芋(いも)を芋(えも)と発音すると云う事が分った。
 自分はこの時長蔵さんから、最初に三本、あとから一本締(しめ)て五本、前後二回に受取ったと記憶している。そうしてそれを懐(なつ)かしげに食いながら、いよいよ宿外(しゅくはず)れまで来るとまた一事件(ひとじけん)起った。
 宿(しゅく)の外(はず)れには橋がある。橋の下は谷川で、青い水が流れている。自分はもう町が尽きるんだなとは思いながら、つい芋に心を奪われて、橋の上へ乗っかかるまでは川があるとも気がつかなかった。ところが急に水の音がするんで、おやと思うと橋へ出ている。川がある。水が流れている。――何だか馬鹿気た話だが、事実にもっとも近い叙述をやろうとすると、まあ、こう書くのが一番適切だろう、こう書いて置く。けっして小説家の弄(もてあそ)ぶような法螺(ほら)七分の形容ではない。これが形容でないとするとその時の自分がいかに芋を旨(うま)がったのかがおのずから分明(ぶんみょう)になる。さて水音に驚いて、欄干(らんかん)から下を見ると、音のするのはもっともで、川の中に大きな石がだいぶんある。そうしてその形状(かっこう)がいかにも不作法(ぶさほう)にでき上って、あたかも水の通り道の邪魔になるように寝たり、突っ立ったりしている。それへ水がやけにぶつかる。しかもその水には勾配(こうばい)がついている。山から落ちた勢いをなし崩(くず)しに持ち越して、追っ懸(か)けられるように跳(おど)って来る。だから川と云うようなものの、実は幅の広い瀑(たき)を月賦(げっぷ)に引き延ばしたくらいなものである。したがって水の少ない割には大変烈(はげ)しい。鼻(はな)っ端(ぱし)の強い江戸ッ子のようにむやみやたらに突っかかって来る。そうして白い泡(あわ)を噴(ふ)いたり、青い飴(あめ)のようになったり、曲ったり、くねったりして下(しも)へ流れて行く。どうも非常にやかましい。時に日はだんだん暮れてくる。仰向(あおむ)いて見たが、日向(ひなた)はどこにも見えない。ただ日の落ちた方角がぽうっと明るくなって、その明かるい空を背負(しょ)ってる山だけが目立って蒼黒(あおぐろ)くなって来た。時は五月だけれども寒いもんだ。この水音だけでも夏とは思われない。まして入日(いりひ)を背中から浴びて、正面は陰になった山の色と来たら、――ありゃ全体何と云う色だろう。ただ形容するだけなら紫(むらさき)でも黒でも蒼(あお)でも構わないんだが、あの色の気持を書こうとすると駄目だ。何でもあの山が、今に動き出して、自分の頭の上へ来て、どっと圧(お)っ被(かぶ)さるんじゃあるまいかと感じた。それで寒いんだろう。実際今から一時間か二時間のうちには、自分の左右前後四方八方ことごとく、あの山のような気味のわるい色になって、自分も長蔵さんも茨城県も、全く世界一色(いっしき)の内に裹(つつ)まれてしまうに違ないと云う事を、それとはなく意識して、一二時間後に起る全体の色を、一二時間前に、入日(いりひ)の方(かた)の局部の色として認めたから、局部から全体を唆(そその)かされて、今にあの山の色が広がるんだなと、どっかで虫が知らせたために、山の方が動き出して頭の上へ圧っ被さるんじゃあるまいかと云う気を起したんだなと――自分は今机の前で解剖して見た。閑(ひま)があるととかく余計な事がしたくなって困る。その時はただ寒いばかりであった。傍(そば)にいる茨城県の毛布(けっと)が羨(うらや)ましくなって来たくらいであった。
 すると橋の向うから――向(むこう)たって突き当りが山で、左右が林だから、人家なんぞは一軒もありゃしない。――実際自分はこう突然人家が尽きてしまおうとは、自分が自分の足で橋板を踏むまでも思いも寄らなかったのである。――その淋(さむ)しい山の方から、小僧が一人やって来た。年は十三四くらいで、冷飯草履(ひやめしぞうり)を穿(は)いている。顔は始めのうちはよく分らなかったが、何しろ薄暗い林の中を、少し明るく通り抜けてる石ころ路を、たった一人してこっちへひょこひょこ歩いて来る。どこから、どうして現れたんだか分らない。木下闇(こしたやみ)の一本路が一二丁先で、ぐるりと廻り込んで、先が見えないから、不意に姿を出したり、隠したりするような仕掛(しかけ)にできてるのかも知れないが、何しろ時が時、場所が場所だから、ちょっと驚いた。自分は四本目の芋(いも)を口へ宛(あて)がったなり、顎(あご)を動かす事を忘れて、この小僧をしばらくの間眺めていた。もっともしばらくと云ったって、わずか二十秒くらいなものである。芋はそれからすぐに食い始めたに違いない。
 小僧の方では、自分らを見て、驚いたか驚かないか、その辺はしかと確められないが、何しろ遠慮なく近づいて来た。五六間のこっちから見ると頭の丸い、顔の丸い、鼻の丸い、いずれも丸く出来上った小僧である。品質から云うと赤毛布(あかげっと)よりもずっと上製である。自分らが三人並んで橋向うの小路(こみち)を塞(ふさ)いでいるのを、とんと苦にならない様子で通り抜けようとする。すこぶる平気な態度であった。すると長蔵さんが、また、
「おい、小僧さん」
と呼び留めた。小僧は臆(おく)した気色(けしき)もなく
「なんだ」
と答えた。ぴたりと踏み留(とどま)った。その度胸には自分も少々驚いた。さすがこの日暮に山から一人で降りて来るがものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心していると、長蔵さんは、
「芋(いも)を食わないかね」
と云いながら、食い残しを、気前よく、二本、小僧の鼻の前(さき)に出した。すると小僧はたちまち二本とも引ったくるように受け取って、ありがとうとも何とも云わず、すぐその一本を食い始めた。この手っ取り早い行動を熟視した自分は、なるほど山から一人で下りてくるだけあって自分とは少々訳が違うなと、また感心しちまった。それとも知らぬ小僧は無我無心に芋を食っている。しかも頬張(ほおば)った奴(やつ)を、唾液(つばき)も交(ま)ぜずに、むやみに呑(の)み下(くだ)すので、咽喉(のど)が、ぐいぐいと鳴るように思われた。もう少し落ちついて食う方が楽だろうと心配するにもかかわらず、当人は、傍(はた)で見るほど苦しくはないと云わんばかりにぐいぐい食う。芋だから無論堅いもんじゃない。いくら鵜呑(うのみ)にしたって咽喉に傷のできっこはあるまいが、その代り咽喉がいっぱいに塞(ふさ)がって、芋が食道を通り越すまでは呼息(いき)の詰る恐れがある。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後(あと)の芋が、前(さき)の芋を追っ懸(か)けてぐいぐい胃の腑(ふ)に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間(ま)に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交(か)わさなかった。自分は腹の中(うち)で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓(ひも)じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍餓(ひも)じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、
「旨(う)まかったか」
と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌(ぶあいきょう)な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分傾(かたぶ)けて、高い山の黒ずんで行く天辺(てっぺん)を妙に眺(なが)めた時は、また可愛想(かわいそう)になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿(しゅく)とが、何か深い因縁(いんねん)で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体(もったい)をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年(ながねん)方々を流浪(るろう)してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化(ば)け損(そく)なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから考えずに置く。何しろ小僧は妙な顔をして、黒い山の天辺(てっぺん)を眺めていた。
 すると長蔵さんがまた聞き出した。
「御前、どこへ行くかね」
 小僧はたちまち黒い山から眼を離して、
「どこへも行きゃあしねえ」
と答えた。顔に似合わずすこぶる無愛想(ぶあいそう)である。長蔵さんは平気なもんで、
「じゃどこへ帰るかね」
と、聞き直した。小僧も平気なもんで、
「どこへも帰りゃしねえ」
と云ってる。自分はこの問答を聞きながら、ますます物騒な感じがした。この小僧は宿無(やどなし)に違ないんだが、こんなに小さい、こんなに淋しい、そうして、こんなに度胸の据(すわ)った宿無を、今までかつて想像した事がないものだから、宿無とは知りながら、ただの宿無に附属する憐(あわ)れとか気の毒とかの念慮よりも、物騒の方が自然勢力を得たしだいである。もっとも長蔵さんにはそんな感じは少しも起らなかったらしい。長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それでたくさんだったんだろう。どこへも行かない、またどこへも帰らない小僧に向って、
「じゃ、おいらといっしょにおいで。御金を儲(もう)けさしてやるから」
と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、
「うん」
と承知した。赤毛布(あかげっと)と云い、小僧と云い、実に面白いように早く話が纏(まと)まってしまうには驚いた。人間もこのくらい簡単にできていたら、御互に世話はなかろう。しかしそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜(ゆず)らないもっとも世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合(やすうけあい)を見て、少からず驚くと共に、天下には自分のように右へでも左へでも誘われしだい、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものがだいぶんあるんだと云う事に気がついた。東京にいるときは、目眩(めまぐるし)いほど人が動いていても、動きながら、みんな根(ね)が生えてるんで、たまたま根が抜けて動き出したのは、天下広しといえども、自分だけであろうくらいで、千住から尻を端折(はしょ)って歩き出した。だから心細さも人一倍であったが、この宿(しゅく)で、はからずも赤毛布(あかげっと)を手に入れた。赤毛布を手に入れてから、二十分と立たないうちにまたこの小僧を手に入れた。そうして二人とも自分よりは遥(はるか)に根が抜けている。こう続々同志が出来てくると、行く先は山だろうが、河だろうが、あまり苦にはならない。自分は幸か不幸か、中以上の家庭に生れて、昨日(きのう)の午後九時までは申し分のない坊ちゃんとして生活していた。煩悶(はんもん)も坊ちゃんとしての煩悶であったのは勿論(もちろん)だが、煩悶の極(きょく)試みたこの駆落(かけおち)も、やっぱり坊ちゃんとしての駆落であった。さればこそ、この駆落に対して、不相当にもったいぶった意味をつけて、ありがたがらないまでも、一生の大事件のように考えていた。生死(しょうし)の分れ路のように考えていた。と云うものは坊ちゃんの眼で見渡した世の中には、駆落をしたものは一人もない。――たまにあれば新聞にあるばかりである。ところが新聞では駆落が平面になって、一枚の紙に浮いて出るだけで、云わばあぶり出しの駆落だから、食べたって身にはならない。あたかも別世界から、電話がかかったようなもので、はあ、はあ、と聞いてる分の事である。だから本当の意味で切実な駆落をするのは自分だけだと云うありがたみがつけ加わってくる。もっとも自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横(じゅうおう)に飛び廻って、大いに苦しがったりまた大いに悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心するほどなませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当なありがたみをつけたと云うのは、自分の不経験からして、さほど大袈裟(おおげさ)に考えないでも済む事を、さも仰山(ぎょうさん)に買い被(かぶ)って、独(ひと)りでどぎまぎしていた事実を指(さ)すのである。しかるにこのどぎまぎが赤毛布に逢(あ)い、小僧に逢って、両人(ふたり)の平然たる態度を見ると共に、いつの間にやら薄らいだのは、やっぱり経験の賜(たまもの)である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分よりよっぽど偉かったようだ。
 こう手もなく赤毛布がかかる。小僧がかかる。そう云う自分も、たわいもなく攻め落された事実を綜合(そうごう)して考えて見ると、なるほど長蔵さんの商売も、満更(まんざら)待ち草臥(くたびれ)の骨折損になる訳でもなかった。坑夫になれますよ、はあ、なれますか、じゃなりましょうと二つ返事で承知する馬鹿は、天下広しといえども、尻端折(しりはしょり)で夜逃をした自分くらいと思っていた。したがって長蔵さんのような気楽な商売は日本にたった一人あればたくさんで、しかもその一人が、まぐれ当りに自分に廻(めぐ)り合せると云う運勢をもって生れて来なくっちゃ、とても商売にならないはずだ。だから大川端(おおかわばた)で眼の下三尺の鯉(こい)を釣るよりもよっぽどの根気仕事だと、始めから腰を据(す)えてかかるのが当然なんだが、長蔵さんはとんとそんな自覚は無用だと云わぬばかりの顔をして、これが世間もっとも普通の商売であると社会から公認されたような態度で、わるびれずに往来の男を捉(つら)まえる。するとその捉まえられた男が、不思議な事に、一も二もなく、すぐにうんと云う。何となくこれが世間もっとも普通の商売じゃあるまいかと疑念を起すように成功する。これほど成功する商売なら、日本に一人じゃとても間に合わない、幾人(いくたり)あっても差支(さしつかえ)ないと云う気になる。――当人は無論そう思ってるんだろう。自分もそう思った。
 この呑気(のんき)な長蔵さんと、さらに呑気な小僧に赤毛布(あかげっと)と、それから見様見真似(みようみまね)で、大いに呑気になりかけた自分と、都合四人で橋向うの小路(こみち)を左へ切れた。これから川に沿って登りになるんだから、気をつけるが好いと云う注意を受けた。自分は今芋(いも)を食ったばかりだから、もう空腹じゃない。足は昨夕(ゆうべ)から歩き続けで草臥(くたび)れてはいるが、あるけばまだ歩ける。そこで注意の通り、なるべく気をつけて、長蔵さんと赤毛布の後(あと)を跟(つ)けて行った。路(みち)があまり広くないので四人(よつたり)は一行(いちぎょう)に並べない。だから後を跟ける事にした。小僧は小さいからこれも一足後(おく)れて、自分と摺々(すれすれ)くらいになって食っついてくる。
 自分は腹が重いのと、足が重いのとの両方で、口を利(き)くのが厭(いや)になった。長蔵さんも橋を渡ってから以後とんと御前さんを使わなくなった。赤毛布はさっき一膳飯屋の前で談判をした時から、余り多弁ではなかったが、どう云うものかここに至ってますます無口となっちまった。小僧の無口はさらにはなはだしかった。穿(は)いている冷飯草履(ひやめしぞうり)がぴちゃぴちゃ鳴るばかりである。
 こう、みんな黙ってしまうと、山路は静かなものである。ことに夜だからなお淋(さび)しい。夜と云ったって、まだ日が落ちたばかりだから、歩いてる道だけはどうか、こうか分る。左手を落ちて行く水が、気のせいか、少しずつ光って見える。もっともきらきら光るんじゃない。なんだか、どす黒く動く所が光るように見えるだけだ。岩にあたって砕ける所は比較的判然(はっきり)と白くなっている。そうしてその声がさあさあと絶え間なくする。なかなかやかましい。それでなかなか淋しい。
 その中(うち)細い道が少しずつ、上(のぼ)りになるような気持がしだした。上りだけならこのくらいな事はそう骨は折れないんだが、路が何だか凸凹(でこぼこ)する。岩の根が川の底から続いて来て、急に地面の上へ出たり、引っ込んだりするんだろう。この凸凹に下駄(げた)を突っ掛ける。烈(はげ)しいときは内臓が飛び上がるようになる。だいぶ難義になって来た。長蔵さんと赤毛布は山路に馴(な)れていると見えて、よくも見えない木下闇(こしたやみ)を、すたすた調子よくあるいて行く。これは仕方がないが、小僧が――この小僧は実際物騒である。冷飯草履をぴしゃぴしゃ云わして、暗い凸凹を平気に飛び越して行く。しかも全く無言である。昼間ならさほどにも思わないんだが、この際だから、薄暗い中でぴしゃりぴしゃりと草履の尻の鳴るのが気になる。何だか蝙蝠(こうもり)といっしょに歩いてるようだ。
 そのうち路がだんだん登りになる。川はいつしか遠くなる。呼息(いき)が切れる。凸凹はますます烈(はげ)しくなる。耳ががあんと鳴って来た。これが駆落(かけおち)でなくって、遠足なら、よほど前から、何とか文句をならべるんだが、根が自殺の仕損(しそこな)いから起った自滅の第一着なんだから、苦しくっても、辛(つら)くっても、誰に難題を持ち掛ける訳にも行かない。相手は誰だと云えば、自分よりほかに誰もいやしない。よしいたって、こだわるだけの勇気はない。その上先方(さき)は相手になってくれないほど平気である。すたすた歩いて行く。口さえ利(き)かない。まるで取附端(とっつきは)がない。やむを得ず呼吸(いき)を切らして、耳をがあんと鳴らして、黙って後(あと)から神妙(しんびょう)に尾(つ)いて行く。神妙と云う字は子供の時から覚えていたんだが、神妙の意味を悟ったのはこの時が始めてである。もっともこれが悟り始めの悟りじまいだと笑い話にもなるが、一度悟り出したら、その悟りがだいぶ長い事続いて、ついに鉱山の中で絶高頂に達してしまった。神妙の極に達すると、出るべき涙さえ遠慮して出ないようになる。涙がこぼれるほどだと譬(たとえ)に云うが、涙が出るくらいなら安心なものだ。涙が出るうちは笑う事も出来るにきまってる。
 不思議な事にこれほど神妙にあてられたものが、今はけろりとして、一切(いっさい)神妙気を出さないのみか、人からは横着者のように思われている。その時御世話になった長蔵さんから見たら、定めし増長した野郎だと思う事だろう。がまた今の朋友(ほうゆう)から評すると、昔は気の毒だったと云ってくれるかも知れない。増長したにしても気の毒だったにしても構わない。昔は神妙で今は横着なのが天然自然の状態である。人間はこうできてるんだから致し方がない。夏になっても冬の心を忘れずに、ぶるぶる悸(ふる)えていろったって出来ない相談である。病気で熱の出た時、牛肉を食わなかったから、もう生涯(しょうがい)ロースの鍋(なべ)へ箸(はし)を着けちゃならんぞと云う命令はどんな御大名だって無理だ。咽喉元(のどもと)過ぐれば熱さを忘れると云って、よく、忘れては怪(け)しからんように持ち掛けてくるが、あれは忘れる方が当り前で、忘れない方が嘘(うそ)である。こう云うと詭弁(きべん)のように聞えるが、詭弁でもなんでもない。正直正銘(しょうじきしょうめい)のところを云うんである。いったい人間は、自分を四角張った不変体(ふへんたい)のように思い込み過ぎて困るように思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押(ひらおし)に他人(ひと)を圧(お)しつけたがる事がだいぶんある。他人なら理窟(りくつ)も立つが、自分で自分をきゅきゅ云う目に逢(あ)わせて嬉(うれ)しがってるのは聞えないようだ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。むやみに他人の不信とか不義とか変心とかを咎(とが)めて、万事万端向うがわるいように噪(さわ)ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨(にら)んで、旗を揚(あ)げる人達である。御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪(にく)くって、困るもんだ。自分もあの時駆落(かけおち)をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終(しじゅう)動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参(げんざん)しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転(るてん)と、あらゆる漂泊(ひょうはく)と、困憊(こんぱい)と、懊悩(おうのう)と、得喪(とくそう)と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚(たまもの)を有(も)っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙(しんびょう)なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時(なんどき)また神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入(はい)ってくる。自分はますます神妙になった。
 この状態でだいぶ来た。何里だか見当(けんとう)のつかないほど来た。夜道だから平生(へいぜい)よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹(でこぼこ)の登りを膨(ふくら)っ脛(ぱぎ)が腫(は)れて、膝頭(ひざがしら)の骨と骨が擦(す)れ合って、股(もも)が地面(じびた)へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦(あきらめ)の体(てい)たらくから生じた結果ではない。五六間以上後(おく)れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興(ふんこう)させた成行(なりゆき)に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後(うしろ)が見えたもんだ。ことに夜中(やちゅう)である。右も左も黒い木が空を見事に突っ切って、頭の上は細く上まで開(あ)いているなと、仰向(あおむ)いた時、始めて勘づくくらいな暗い路である。星明りと云うけれど、あまり便(たより)にゃならない。提灯(ちょうちん)なんか無論持ち合せようはずがない。自分の方から云うと、先へ行く赤毛布(あかげっと)が目標(めあて)である。夜だから赤くは見えないが、何だか赤毛布らしく思われる。明るいうちから、あの毛布(けっと)、あの毛布と御題目(おだいもく)のように見詰めて覘(ねらい)をつけて来たせいで、日が暮れて、突然の眼には毛布だか何だか分らないところを、自分だけにはちゃんと赤毛布に見えるんだろう。信心の功徳(くどく)なんてえのは大方こんなところから出るに違ない。自分はこう云う訳で、どうにか目標(めじるし)だけはつけて置いたようなものの、長蔵さんに至っては、どのくらいあとから自分が跟(つ)いてくるか分りようがない。ところをちゃんと五六間以上になると留(と)まってくれる。留まってくれるんだか、留まる方が向うの勝手なんだか、判然しないが、とにかく留まることはたしかだった。とうてい素人(しろうと)にゃできない芸である。自分は苦しいうちにも、これが長蔵さんの商売に必要な芸で、長蔵さんはこの芸を長い間練習して、これまでに仕上げたんだなと、少からず感心した。赤毛布は長蔵さんと並んでいるんだから、長蔵さんさえ留まればきっととまる。長蔵さんが歩き出せば必ず歩き出す。まるで人形のように活動する男であった。ややともすると後れ勝ちの自分よりはこの赤毛布の方が遥(はるか)に取り扱いやすかったに違ない。小僧は――例の小僧は消えて無くなっちまった。始めのうちこそ小僧だから後(あと)になるんだろうと思って、草臥(くたび)れたら励ましてやろうくらいの了簡(りょうけん)があったんだが、かの冷飯草履(ひやめしぞうり)をぴしゃりぴしゃりと鳴らしながら凸凹(でこぼこ)路を飛び跳(は)ねて進行する有様を目撃してから、こりゃ敵(かな)わないと覚悟をしたのは、よっぽど前の事である。それでもしばらくの間はぴしゃりぴしゃりが自分の袖(そで)と擦(す)れ擦れくらいになって、登って来たが、今じゃもう自分の近所には影さえなくなった。並んで歩くうちは、あまり小僧の癖に活溌(かっぱつ)にあるくんで――活溌だけならいいが、活溌の上に非常に沈黙なんで――、随分物騒な心持ちだった。もし笑うなら、極(きわ)めて小さくって、非常に活溌で、そうして口を利(き)かない動物を想像して見ると分る。滅多(めった)にありゃしない。こんな動物といっしょに夜山越(やまごえ)をしたとすると、誰だって物騒な気持になる。自分はこの時この小僧の事を今考えても、妙な感じが出て来る。さっき蝙蝠(こうもり)のようだと云ったが、全く蝙蝠だ。長蔵さんと赤毛布(あかげっと)がいたから、好(よ)いようなものの、蝙蝠とたった二人限(ふたりぎり)だったら――正直なところ降参する。
 すると長蔵さんが、暗闇(くらやみ)の中で急に、
「おおい」
と声を揚げた。淋(さむ)しい夜道で、急に人声を聞いた人があるかないか知らないが、聞いて見るとちょっと異(い)な感じのするものだ。それも普通の話し声なら、まだ好いが、おおいと人を呼ぶ奴は気味がよくない。山路で、黒闇(くらやみ)で、人っ子一人通らなくって、御負(おまけ)に蝙蝠なんぞと道伴(みちづれ)になって、いとど物騒な虚に乗じて、長蔵さんが事ありげに声を揚(あ)げたんである。事のあるべきはずでない時で、しかも事がありかねまじき場所でおおいと来たんだから、突然と予期が合体して、自分の頭に妙な響を与えた。この声が自分を呼んだんなら、何か起ったなとびくんとするだけで済むんだが、五六間後(うしろ)から行く自分の注意を惹(ひ)くためとは受取れないほど大きかった。かつ声の伝わって行く方角が違う。こっちを向いた声じゃない。おおいと右左りに当ったが、立ち木に遮(さえぎ)られて、細い道を向うの方へ遠く逃げのびて、遥(はるか)の先でおおいと云う反響があった。反響はたしかにあったが、返事はないようだ。すると長蔵さんは、前より一層大きな声を出して、
「小僧やあ」
と呼んだ。今考えると、名前も知らないで、小僧やあと呼ぶなんて少しとぼけているがその時はなかなかとぼけちゃいなかった。自分はこの声を聞くと同時に蝙蝠が隠れたんだなと気がついた。先へ行ったと思うのが当り前で、まかり間違っても逃げたと鑑定をつけべきはずだのに、隠れたんだとすぐ胸先へ浮んで来たのは、よっぽど蝙蝠に祟(たた)られていたに違ない。この祟は翌朝(あした)になって太陽が出たらすっかり消えてしまって、自分で自分を何(なん)て馬鹿だろうと思ったくらいだが、実際小僧やあの呼び声を聞いた時は、ちょっと烈(はげ)しく来た。
 ところがまた反響が例のごとく向うへ延びて、突き当りがないもんだから、人魂(ひとだま)の尻尾(しっぽ)のように、幽(かす)かに消えて、その反動か、有らん限りの木も山も谷もしんと静まった時、――何とも返事がない。この反響が心細く継続(つなが)りながら消えて行く間、消えてから、すべての世界がしんと静まり返るまで、長蔵さんと赤毛布と自分と三人が、暗闇(くらやみ)に鼻を突き合せて黙って立っていた。あんまり好い心持じゃなかった。やがて、長蔵さんが、
「少し急いだら、追っつくべえ。御前さん好いかね」
と云った。無論好くはないが、仕方がないから承知をして、急ぎ出した。元来この場に臨んで急ぐなんて生意気な事ができるはずがないんだが、そこが妙なもので、急ぐ気も、急ぐ力もない癖に受合っちまった。定めし変な顔をして受合ったんだろうが、受合ったら急げても、急げないでもむちゃくちゃに急いでしまった。この間はどこをどんな具合に通ったか、まあ断然知らないと云った方が穏当だろう。やがて長蔵さんがぴたりと留ったんで、ふと気がついた。すると一(ひと)つ家(や)の前へ出ている。ランプが点(つ)いている。ランプの灯(ひ)が往来へ映っている。はっと嬉しかった。赤毛布(あかげっと)がありあり見える。そうして小僧もいる。小僧の影が往来を横に切って向うの谷へ折れ込んでいる。小僧にしては長い影だ。
 自分はこんな所に人の住む家があろうとはまるで思いがけなかったし、その上眼がくらんで、耳が鳴って、夢中に急いで、どこまで急ぐんだかあても希望もなくやって来て、ぴたりと留まるや否や、ランプの灯がまぶしいように眼に這入(はい)って来たんだから、驚いた。驚くと共にランプの灯は人間らしいものだとつくづく感心した。ランプがこんなにありがたかった事は今日(こんにち)までまだかつてない。後(あと)から聞いたら小僧はこのランプの灯まで抜(ぬ)け掛(がけ)をして、そこで自分達を待ってたんだそうだ。おおいと云う声も小僧やあと云う声も聞えたんだが返事をしなかったと云う話しだ。偉い奴だ。
 同勢(どうぜい)はこれでようやく揃(そろ)ったが、この先どうなる事だろうと思いながら、相変らず神妙(しんびょう)にしていると、長蔵さんは自分達を路傍(みちばた)に置きっ放しにして、一人で家(うち)の中へ這入って行った。仕方がないから家と云うが、実のところは、家じゃもったいない。牛さえいれば牛小屋で馬さえ嘶(な)けば馬小屋だ。何でも草鞋(わらじ)を売る所らしい。壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口(まぐち)は一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほど閉(た)ててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。ことによると、敷居の溝(みぞ)に食い込んだなり動かないのかも知れない。屋根は無論藁葺(わらぶき)で、その藁が古くなって、雨に腐(ふ)やけたせいか、崩(くず)れかかって漠然(ばくぜん)としている。夜と屋根の継目(つぎめ)が分らないほど、ぶくついて見える。その中へ長蔵さんは這入って行った。なんだか穴の中へでも潜(もぐ)り込んで行ったような心持だった。そうして話している。三人は表に待っている。自分の顔は見えないが、赤毛布と小僧の顔は、小屋の中から斜(はす)に差してくるランプの灯でよく見える。赤毛布は依然として、散漫(さんまん)なものである。この男はたとい地震がゆって、梁(はり)が落ちて来ても、親の死目に逢(あ)うか、逢わないかと云う大事な場合でも、いつでも、こんな顔をしているに違ない。小僧は空を見ている。まだ物騒だ。
 ところへ長蔵さんがあらわれた。しかし往来へは出て来ない。敷居の上へ足を乗せて、こっちを向いて立った股倉(またぐら)から、ランプの灯だけが細長く出て来る。ランプの位置がいつの間(ま)にか低くなったと見える。長蔵さんの顔は無論よく分らない。
「御前さん、これから山越をするのは大変だから、今夜はここへ泊(とま)って行こう。みんな這入るがいい」
 自分はこの言葉を聞くと等しく、今までの神妙(しんびょう)が急に破裂して、身体(からだ)がぐたりとなった。この牛小屋で一夜を明(あか)す事が、それほどの慰藉(いしゃ)を自分に与えようとは、牛小屋を見た今が今まで、とんと気がつかなかった。やはり神妙の結果泊る所が見つかっても、泊る気が起らなかったんだろう。こうなると人間ほど御(ぎょ)しやすいものはない。無理でも何でもはいはい畏(かしこ)まって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみか大(おおい)に嬉(うれ)しがる。当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なまたもっとも励精な人間であったなと云う自信が伴(ともな)ってくる。兵隊はああでなくっちゃいけないなどと考える事さえある。同時に、もし人間が物の用を無視し得るならば、かねて物の用をも忘れ得るものだと云う事も悟った。――こう書いて見たが、読み直すと何だかむずかしくって解らない。実を云うと、もっとずっとやさしいんだが、短く詰めるものだからこんなにむずかしくなっちまった。例(たと)えば酒を飲む権利はないと自信して、酒の徳を、あれどもなきがごとくに見做(みな)す事さえできれば、徳利が前に並んでも、酒は飲むものだとさえ気がつかずにいるくらいなところである。御互が泥棒にならずに済むのも、つまりを云えば幼少の時から、人工的にこの種の境界(きょうがい)に馴(な)らされているからの事だろう。が一方から云うと、こんな境界は人性の一部分を麻痺(まひ)さした結果としてでき上るもんだから、図に乗ってきゅきゅ押して行くと、人間がみんな馬鹿になっちまう。まあ泥棒さえしなければ好いとして、その他の精神器械は残らず相応に働く事ができるようにしてやるのが何よりの功徳(くどく)だと愚考する。自分が当時の自分のままで、のべつに今日(こんにち)まで生きていたならば、いかに順良だって、いかに励精だって、馬鹿に違ない。だれの眼から見たって馬鹿以上の不具(かたわ)だろう。人間であるからは、たまには怒(おこ)るがいい。反抗するがいい。怒るように、反抗するようにできてるものを、無理に怒らなかったり、反抗しなかったりするのは、自分で自分を馬鹿に教育して嬉しがるんだ。第一身体(からだ)の毒である。それを迷惑だと云うなら、怒らせないように、反抗させないように、御膳立(おぜんだて)をするが至当じゃないか。
 自分は当時種々の状況で、万事長蔵さんの云う通りはいはい云っていたし、またそのはいはいを自然と思いもするが、その代り、今のような身分にいるからは、たとい百の長蔵さんが、七日七晩(なぬかななばん)引っ張りつづけに引っ張ったってちょっとも動きゃしない。今の自分にはこの方が自然だからである。そうしてこう変るのが人間たるところだと思ってる。分りやすいように長蔵さんを引合(ひきあい)に出したが、よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て来るはずだから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。嘘(うそ)だと思うなら、試験して見るがいい。他人(ひと)を試験するなんて罪な事をしないで、まず吾身(わがみ)で吾身を試験して見るがいい。坑夫にまで零落(おちぶ)れないでも分る事だ。神さまなんかに聞いて見たって、以上分(わかり)ッこない。この理窟(りくつ)がわかる神さまは自分の腹のなかにいるばかりだ。などと、学問もない癖に、学者めいた事を云っては済まない。こんな景気のいいタンカを切る所存は毛頭なかったんだが、実を云うとこう云う仔細(しさい)である。自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦(にが)い顔をして謝罪(あやま)っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹(おなか)が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮(きゅう)して濫(らん)して、達して道を行(おこな)って、惚(ほ)れていっしょになって、愛想(あいそ)が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰(さた)である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。
 そこで元気のいい今の気焔(きえん)をやめて、再びもとの神妙(しんびょう)な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋(あばらや)でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来(がんらい)泊るために建ててあるんだなと、ようやく気がついたくらい、泊る事は予期していなかった。それでいて身体(からだ)は蒟蒻(こんにゃく)のように疲れ切ってる。平生(いつも)なら泊りたい、泊りたいですべての内臓が張切(はちき)れそうになるはずだのに、没自我(ぼつじが)の坑夫行(こうふゆき)、すなわち自滅の前座としての堕落と諦(あきら)めをつけた上の疲労だから、いくら身体に泊る必要があっても、身体の方から魂へ宛てて宿泊の件を請求していなかった。ところへ泊ると命令が天から逆に魂が下ったんで、魂はちょっとまごついたかたちで、とりあえず手足に報告すると、手足の方では非常に嬉しがったから、魂もなるほどありがたいと、始めて長蔵さんの好意を感謝した。と云う訳になる。何となく落語じみてふざけているが、実際この時の心の状態は、こう譬(たとえ)を借りて来ないと説明ができない。
 自分は長蔵さんの言葉を聞くや否や、急に神経が弛(ゆる)んで、立ち切れない足を引(ひ)き摺(ず)って、第一番に戸口の方に近寄った。赤毛布(あかげっと)はのそのそ這入(はい)ってくる。小僧は飛んで来た。飛んだんじゃあるまいが、草履(ぞうり)の尻が勢よく踵(かかと)へあたるんで、ぴしゃぴしゃ云う音が飛ぶように思われた。
 這入って見るとぷんと臭(にお)った。何の臭だかさらに分らない。小僧が鼻をぴくつかせたので、小僧もこの臭に感じたなと気がついた。長蔵さんと赤毛布はまるで無頓着(むとんじゃく)であった。土間から上へあがる段になって、雑巾(ぞうきん)でもと思ったが、小僧は委細構わず、草履を脱いで上がっちまった。小僧の草履は尻が無いんだから、半分裸足(はだし)である。ひどい奴だと眺(なが)めていると、長蔵さんが、
「御前さんも下駄だから、御上り」
と注意した。それで気味がわるいが、ほこりも払わず上がった。畳の上へ一足掛けて見るとぶくっとした。小僧はその上へころりと転がっている。自分は尻だけおろして、障子(しょうじ)――障子は二枚あった――その障子の影へ胡坐(あぐら)をかいた。この障子は入口に立ててあるから、振り向くと、長蔵さんと赤毛布(あかげっと)が草鞋(わらじ)を脱いでいる。二人共腰から手拭(てぬぐい)を出して、ばたばた足をはたいている。そうして、すぐ上がって来た。足を洗うのが面倒だと見える。ところへ主人が次の間(ま)から茶と煙草盆(たばこぼん)を持って来た。
 主人だの、次の間だの、茶だの、煙草盆だの、と云うとすこぶる尋常に聞えるが、その実名ばかりで、一々説明すると、大変な誤解をしていたんだねと呆(あき)れ返(かえ)るものばかりである。がとにかく主人が次の間から、茶と煙草盆を持って来たには違いない。そうして長蔵さんと談話(はなし)をし始めた。談話の筋は忘れたが、その様子から察すると、二人はもとからの知合で、御互の間には貸や借があるらしい。何でも馬の事をしきりに云ってた。自分だの、赤毛布だの、小僧などの事はまるで聞きもしない。まるで眼中にない訳でもあるまいが、さっき長蔵さんが一人で談判に這入(はい)った時に、残らず聞いてしまったんだろう。それとも長蔵さんはたびたびこんな呑気屋(のんきや)を銅山(やま)へ連れて行くんで、自然その往き還りにはこの主人の厄介(やっかい)になりつけてるから、別段気にも留めないのかも知れない。
 自分は、長蔵さんと主人との話を聞きながら、居眠(いねむり)を始めた。いつから始めたか知らない。馬を売損(うりそこな)って、どうとかしたと云うところから、だんだん判然(はっきり)しなくなって、自然(じねん)と長蔵さんが消える。赤毛布が消える。小僧が消える。主人と茶と煙草盆が消えて、破屋(あばらや)までも消えた時、こくりと眠(ねむり)が覚(さ)めた。気がつくと頭が胸の上へ落ちている。はっと思って、擡(もちや)げるとはなはだ重い。主人はやっぱり馬の話をしている。まだ馬かと思ってるうちに、また気が遠くなった。気が遠くなったのを、遠いままにして打遣(うっちゃ)って置くと、忽然(こつぜん)ぱっと眼があいた。薄暗い部屋の中(うち)に、影のような長蔵さんと亭主が膝(ひざ)を突き合せている。ちょうど、借(かり)がどうとかしてハハハハと亭主が笑ったところだった。この亭主は額(ひたい)が長くって、斜(はす)に頭の天辺(てっぺん)まで引込(ひっこ)んでるから、横から見ると切通(きりどお)しの坂くらいな勾配(こうばい)がある。そうして上になればなるほど毛が生(は)えている。その毛は五分(ごぶ)くらいなのと一寸(いっすん)くらいなのとが交(まじ)って、不規則にしかも疎(まばら)にもじゃもじゃしている。自分が居眠(いねぶ)りからはっと驚いて、急に眼を開けると、第一にこの頭が眸(ひとみ)の底に映った。ランプが煤(すす)だらけで暗いものだから、この頭も煤だらけになって映って来た。その癖距離は近い。だから映った影は明瞭(めいりょう)である。自分はこの明瞭でかつ朦朧(もうろう)なる亭主の頭を居眠りの不知覚から我に返る咄嗟(とっさ)にふと見たんである。この時はあまり好い心持ではなかった。それがため、居眠りもしばらく見合せるような気になって、部屋中を見廻すと、向うの隅に小僧が倒れている。こちらの横に茨城県が長く伸びている。毛布(けっと)の下から大きな足が見える。突当りが壁で、壁の隅に穴が開(あ)いて、穴の奥が真黒である。上は一面の屋根裏で、寒いほど黒くなってる所へ、油煙とともにランプの灯(ひ)があたるから、よく見ていると、藁葺(わらぶき)の裏側が震(ふる)えるように思われた。
 それからまた眠くなった。また頭が落ちる。重いから上げるとまた落ちる。始めのうちは、上げた頭が落ちながらだんだんうっとりして、うっとりの極、胸の上へがくりと落ちるや否や、一足飛(いっそくとび)に正気へ立ち戻ったが、三回四回と重なるにつけて、眼だけ開(あ)けても気は判然(はっきり)しない。ぼんやりと世界に帰って、またぞろすぐと不覚に陥(おちい)っちまう。それから例のごとく首が落ちる。微(かすか)に生きてるような気になる。かと思うとまた一切空(いっさいくう)に這入る。しまいには、とうとう、いくら首がのめって来ても、動じなくなった。あるいはのめったなり、頭の重みで横にぶっ倒れちまったのかも知れない。とにかく安々と夜明まで寝て、眼が覚(さ)めた時は、もう居眠(いねぶ)りはしていなかった。通例のごとく身体全体を畳の上につけて長くなっていた。そうして涎(よだれ)を垂れている。――自分は馬の話を聞いて居眠りを始めて、眼をあけて借金の話を聞いて、また居眠りの続を復習しているうちに、とうとう居眠りを本式に崩して長くなったぎり、魂の音沙汰(おとさた)を聞かなかったんだから、眼が覚めて、夜が明けて、世の中が土台から陰と陽に引ッ繰り返ってるのを見るや否(いな)や、眼をあいて涎(よだれ)を垂れて、横になったまま、じっとしていた。自覚があって死んでたらこんなだろう。生きてるけれども動く気にならなかった。昨夜(ゆうべ)の事は一から十までよく覚えている。しかし昨夜の一から十までが自然と延びて今日まで持ち越したとは受け取れない。自分の経験はすべてが新しくって、かつ痛切であるが、その新しい痛切の事々物々が何だか遠方にある。遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然(せつぜん)と区別がついたようだ。太陽が出ると引き込むだけの差で、こう心に連続がなくなっては不思議なくらい自分で自分が当(あて)にならなくなる。要するに人世は夢のようなもんだ。とちょっと考えたもんだから、涎も拭かずに沈んでいると、長蔵さんが、ううんと伸(のび)をして、寝たまま握(にぎ)り拳(こぶし)を耳の上まで持ち上げた。握り拳がぬっと真直に畳の上を擦(こす)って、腕のありたけ出たところで、勢(せい)がゆるんで、ぐにゃりとした。また寝るかと思ったら、今度は右の手を下へさげて、凹(くぼ)んだ頬っぺたをぼりぼり掻(か)き出した。起きてるのかも知れない。そのうち、むにゃむにゃ何か云うんで、やっぱり眼が覚めていないなと気がついた時、小僧がむくりと飛び起きた。これは真正の意味において飛起きたんだから、どしんと音がして、根太(ねだ)が抜けそうに響いた。すると、さすが長蔵さんだけあって、むにゃむにゃをやめて、すぐ畳についた方の肩を、肘(ひじ)の高さまで上げた。眼をぱちつかせている。
 こうなると、自分もいつまで沈んでいたって際限がないから、起き上った。長蔵さんも全く起きた。小僧は立ち上がった。寝ているものは赤毛布(あかげっと)ばかりである。これはまた呑気(のんき)なもんで、依然として毛布(けっと)から大きな足を出してぐうぐう鼾声(いびき)をかいて寝ている。それを長蔵さんが起す。――
「御前(おまえ)さん。おい御前さん。もう起きないと御午(おひる)までに銅山(やま)へ行きつけないよ」
 御前さんが三四返繰返されたが、毛布はよく寝ている。仕方がないから長蔵さんは毛布の肩へ手を懸けて、
「おい、おい」
と揺(ゆす)り始めたんで、やむを得ず、毛布(けっと)の方でも「おい」と同じような返事をして、中途半端(はんぱ)に立ち上った。これでみんな起きたようなものの、自分は顔も洗わず、飯も食わず、どうして好いか迷ってると、長蔵さんが、
「じゃ、そろそろ出掛けよう」
と云って、真先に土間へ降りかけたには驚いた。小僧がつづいて降りる。毛布も不得要領に土間へ大きな足をぶら下げた。こうなると自分も何とか片をつけなくっちゃならないから、一番あとから下駄を突掛(つッか)けて、長蔵さんと赤毛布(あかげっと)が草鞋(わらじ)の紐(ひも)を結ぶのを、不景気な懐手(ふところで)をして待っていた。
 土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯(あさめし)を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢(ぜいたく)の沙汰(さた)のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做(みな)されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後(のち)この顛倒(てんとう)事件を布衍(ふえん)して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢拵(こしら)えて、さも当然であるかの容子(ようす)で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。
 すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。
「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」
 飯を食わなくって好い法はないが、わるいと云ったって、始まりようがないから、自分はただ、
「好いです」
と答えて置いた。すると長蔵さんは、
「食いたいかね」
と云って、にやにやと笑った。これは自分の顔に飯が食いたいような根性(こんじょう)が幾分かあらわれたためか、または十九年来の予期に反した起きたなり飯抜きの出立(しゅったつ)に、自然不平の色が出ていたためだろう。それでなければ草鞋の紐を結んでしまってから、こんな事を聞く訳がない。現に長蔵さんは、赤毛布にも小僧にもこの質問を呈出しなかったんでも分る。今考えると、ちょっと両人(ふたり)にも同じ事を聞いて見れば善かったような気もする。朝飯を食わないで五里十里と歩き出すものは宿無(やどな)しか、または準宿無しでなくっちゃならない。目が醒(さ)めて、夜が明けてるのに、汁の煙(けむ)も、漬物の香(におい)も、いっこう連想に乗って来ないからは、行きなり放題に、今日は今日の命を取り留めて、その日その日の魂の供養(くよう)をする呑気屋(のんきや)で、世の中にあしたと云うものがないのを当り前と考えるほどに不幸なまた幸(さいわい)な人間である。自分は十九年来始めて、こう云う人間と一つ所(とこ)に泊って、これからまたいっしょに歩き出すんだなと思った。赤毛布と小僧の顔色を伺って見ると少しも朝飯を予期している様子がないんで、双方共朝飯を食い慣(つ)けていない一種の人類だと勘づいて見ると、自分の運命は坑夫にならない先から、もう、坑夫以下に摺(ず)り落ちていたと云う事が分った。しかし分ったと云うばかりで別に悲しくもなかった。涙は無論出なかった。ただ長蔵さんが、この朝飯の経験に乏(とぼ)しい人間に向って、「御前さん達も飯が食いたいかね」と尋ねてくれなかったのを、今では残念に思ってる。食った事が少いから、今までの習慣性で、「食わないでも好い」と答えるか、それとも、たまさかに有りつけるかも知れないと云う意外の望に奨励(しょうれい)されて「食いたい」と答えるか。――つまらん事だがどっちか聞いて見たい。
 長蔵さんは土間へ立って、ちょっと後(うし)ろを振り返ったが、
「熊(くま)さん、じゃ行ってくる。いろいろ御世話様」
と軽く力足(ちからあし)を二三度踏んだ。熊さんは無論亭主の名であるが、まだ奥で寝ている。覗(のぞ)いて見ると、昨夕(ゆうべ)うつつに気味をわるくした、もじゃもじゃの頭が布団(ふとん)の下から出ている。この亭主は敷蒲団(しきぶとん)を上へ掛けて寝る流儀と見える。長蔵さんが、このもじゃもじゃの頭に話しかけると、頭は、むくりと畳を離れた。そうして熊さんの顔が出た。この顔は昨夜(ゆうべ)見たほど妙でもなかった。しかし額がさかに瘠(こ)けて、脳天まで長くなってる事は、今朝でも争われない。熊さんは床の中から、
「いや、何にも御構(おかまい)申さなかった」
と云った。なるほど何にも構わない。自分だけ布団をかけている。
「寒かなかったかね」
とも云った。気楽なもんだ。長蔵さんは
「いいえ。なあに」
と受けて、土間から片足踏み出した時、後(うしろ)から、熊さんが欠伸交(あくびまじ)りに、
「じゃ、また帰りに御寄り」
と云った。
 それから長蔵さんが往来へ出る。自分も一足後(おく)れて、小僧と赤毛布(あかげっと)の尻を追っ懸(か)けて出た。みんな大急ぎに急ぐ。こう云う道中には慣(な)れ切ったものばかりと見える。何でも長蔵さんの云うところによると、これから山越をするんだが、午(ひる)までには銅山(やま)へ着かなくっちゃならないから急ぐんだそうだ。なぜ午までに着かなくっちゃならないんだか、訳が分らないが、聞いて見る勇気がなかったから、黙って食っついて行った。するとなるほど登(のぼり)になって来た。昨夕あれほど登ったつもりだのに、まだ登るんだから嘘(うそ)のようでもあるが実際見渡して見ると四方(しほう)は山ばかりだ。山の中に山があって、その山の中にまた山があるんだから馬鹿馬鹿しいほど奥へ這入(はい)る訳になる。この模様では銅山(どうざん)のある所は、定めし淋しいだろう。呼息(いき)を急(せ)いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興(すいきょう)で来たんだか浅間(あさま)しくなる。と云って都におりたくないから出奔(しゅっぽん)したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類(おやしんるい)の目に懸(か)からないように、朽果(くちは)ててしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継(つ)ぎながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄(すご)いほど木を被(かぶ)っている上に、雲がかかって見る間(ま)に、遠くなってしまう。遠くなると云うより、薄くなると云う方が適当かも知れない。薄くなった揚句(あげく)は、しだいしだいに、深い奥へ引き込んで、今までは影のように映ってたものが、影さえ見せなくなる。そうかと思うと、雲の方で山の鼻面(はなづら)を通り越して動いて行く。しきりに白いものが、捲(ま)き返しているうちに、薄く山の影が出てくる。その影の端がだんだん濃くなって、木の色が明かになる頃は先刻(さっき)の雲がもう隣りの峰へ流れている。するとまた後(あと)からすぐに別の雲が来て、せっかく見え出した山の色をぼうとさせる。しまいには、どこにどんな山があるかいっこう見当(けんとう)がつかなくなる。立ちながら眺(なが)めると、木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出して来る。頭の上の空さえ、際限もない高い所から手の届く辺(あたり)まで落ちかかった。長蔵さんは、
「こりゃ、雨だね」
と、歩きながら独言(ひとりごと)を云った。誰も答えたものはない。四人(よつたり)とも雲の中を、雲に吹かれるような、取り捲(ま)かれるような、また埋(うず)められるような有様で登って行った。自分にはこの雲が非常に嬉しかった。この雲のお蔭(かげ)で自分は世の中から隠したい身体(からだ)を十分に隠すことが出来た。そうして、さのみ苦しい思いもしずにその中を歩いて行ける。手足は自由に働いて、閉(と)じ籠(こ)められたような窮屈も覚えない上に、人目にかからん徳は十分ある。生きながら葬(ほうぶ)られると云うのは全くこの事である。それが、その時の自分には唯一の理想であった。だからこの雲は全くありがたい。ありがたいという感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほっと一息した。今考えると何が安心だか分りゃしない。全くの気違だと云われても仕方がない。仕方がないが、こう云う自分が、時と場合によれば、翌(あす)が日にも、また雲が恋しくならんとも限らない。それを思うと何だか変だ。吾(わ)が身(み)で吾が身が保証出来ないような、また吾が身が吾が身でないような気持がする。
 しかしこの時の雲は全く嬉しかった。四人が離れたり、かたまったり、隔(へだ)てられたり、包まれたりして雲の中を歩いて行った時の景色はいまだに忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布(けっと)が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてらが、わずか五六間の距離で濃くなったり薄くなったりする。そうして誰も口を利(き)かない。そうして、むやみに急ぐ。世界から切り離された四つの影が、後(あと)になり先になり、殖(ふえ)もせず減(へり)もせず、四つのまま、引かれて合うように、弾(はじ)かれて離れるように、またどうしても四つでなくてはならないように、雲の中をひたすら歩いた時の景色はいまだに忘れられない。
 自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無(やどなし)である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴(みちづれ)になって登り一里、降(くだ)り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時(なんじ)だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過(ひるすぎ)とも云われるし、また夕方と云っても差支(さしつかえ)ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微(かす)かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主(からぼうず)になったり、ところ斑(まだら)の禿頭(はげあたま)と化けちまったんで、丹砂(たんしゃ)のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆(ひとふで)に抹殺(まっさつ)して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒(さ)めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応(こた)えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着(むとんじゃく)な性質(たち)である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒(おか)すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅(あかがね)を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、
「やっと、着いた」
と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦(こす)って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿(しゅく)とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔(こけ)の生えない、新しずくめの上に、白粉(おしろい)をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇(いとま)もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、
「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」
と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家(うち)が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿(は)げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引(ひ)き摺(ず)り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向(むこう)を覗(のぞ)き込んでるのを見て、
「好いかね、御前さん、大丈夫かい」
とまた聞き直したから、自分は、
「好いです」
と明瞭(めいりょう)に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念(けねん)がある様子であった。赤毛布(あかげっと)と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人(ふたり)は過去の因果(いんが)で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色(けしき)がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危(あぶ)ないなと睨(にら)まれていたのかも知れない。好い面(つら)の皮だ。
 それから四人揃(そろ)って、橋を渡って行くと、右手に見える家にはなかなか立派なのがある。その中(うち)で一番いかめしい奴(やつ)を指(さ)して、あれが所長の家(うち)だと長蔵さんが教えてくれた。ついでに左の方を見ながら
「こっちがシキだよ、御前さん、好いかね」
と云う。自分はシキと云う言葉をこの時始めて聞いた。
 よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキなんだろうと思って黙っていた。あとから自分もこのシキと云う言葉を明瞭(めいりょう)に理解しなければならない身分になったが、やっぱり始めにぼんやり考えついた定義とさした違もなかった。そのうち左へ折れていよいよシキの方へ這入(はい)る事になった。鉄軌(レール)についてだんだん上(のぼ)って行くと、そこここに粗末な小さい家がたくさんある。これは坑夫の住んでる所だと聞いて、自分も今日から、こんな所で暮すのかと思ったが、それは間違であった。この小屋はどれも六畳と三畳二間(ふたま)で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。こう云う小屋の間を縫って、飽(あ)きずに上(のぼ)って行くと、今度は石崖(いしがけ)の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。そうして、その長屋がたくさんある。始めはわずか二三軒かと思ったら、登るに従って続々あらわれて来た。大きさも長さも似たもんで、みんな崖下(がけした)にあるんだから位地にも変りはないが、向(むき)だけは各々(めいめい)違ってる。山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅沢(ぜいたく)は言っていられない。やっとの思いで、ならした地面へ否応(いやおう)なしに、方角のお構(かまい)なく建ててしまったんだから不規則なものだ。それに、第一、登って行く道がくねってる。あの長屋の右を歩いてるなと思うと、いつの間(ま)にかその長屋の前へ出て来る。あれは、すぐ頭の上だがと心待ちに待っていると、急に路が外(そ)れて遠くへ持ってかれてしまう。まるで見当(けんとう)がつかない。その上この細長い家から顔が出ている。家から顔が出ているのが珍らしい事もないんだが、その顔がただの顔じゃない。どれも、これも、出来ていない上に、色が悪い。その悪さ加減がまた、尋常でない。青くって、黒くって、しかも茶色で、とうてい都会にいては想像のつかない色だから困る。病院の患者などとはまるで比較にならない。自分が山路を登りながら、始めてこの顔を見た時は、シキと云う意味をよく了解しない癖に、なるほどシキだなと感じた。しかしいくらシキでも、こう云う顔はたくさんあるまいと思って、登って行くと、長屋を通るたんびに顔が出ていて、その顔がみんな同じである。しまいにはシキとは恐ろしい所だと思うまで、いやな顔をたくさん見せられて、また自分の顔をたくさん見られて――長屋から出ている顔はきっと自分らを見ていた。一種獰悪(どうあく)な眼つきで見ていた。――とうとう午後の一時に飯場(はんば)へ着いた。
 なぜ飯場と云うんだか分らない。焚(た)き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後(ご)飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒(べらぼう)め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突(けんつく)を食(くら)った事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキでも飯場でもジャンボーでも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多(めった)に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑(ひま)もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極(しごく)簡単でかつ全く実際的なものである。
 そう云う訳で飯場(はんば)の意味は今もって分らないが、とにかく崖(がけ)の下に散在している長屋を指(さ)すものと思えばいい。その長屋へようやく到着した。多くある長屋のうちで、なぜこの飯場を選んだかは、長蔵さんの一人(ひとり)ぎめだから、自分には説明しにくい。が、この飯場は長蔵さんの専門御得意の取引先と云う訳でもなかったらしい。長蔵さんは自分をこの飯場へ押しつけるや否や、いつの間(ま)にか、赤毛布(あかげっと)と小僧を連れてほかの飯場へ出て行ってしまった。それで二人はほかの飯場の飯(めし)を食うようになったんだなと後(あと)から気がついた。二人の消息はその後(のち)いっこう聞かなかった。銅山(やま)のなかでもついぞ顔を合せた事がない。考えると、妙なものだ。一膳めし屋から突然飛び出した赤い毛布(けっと)と、夕方の山から降(くだ)って来た小僧と落ち合って、夏の夜(よ)を後になり先になって、崩(くず)れそうな藁屋根(わらやね)の下でいっしょに寝た明日(あくるひ)は、雲の中を半日かかって、目指す飯場へようやく着いたと思うと、赤毛布も小僧もふいと消えてなくなっちまう。これでは小説にならない。しかし世の中には纏(まと)まりそうで、纏らない、云わばでき損(そこな)いの小説めいた事がだいぶある。長い年月を隔(へだ)てて振り返って見ると、かえってこのだらしなく尾を蒼穹(そうきゅう)の奥に隠してしまった経歴の方が興味の多いように思われる。振り返って思い出すほどの過去は、みんな夢で、その夢らしいところに追懐の趣(おもむき)があるんだから、過去の事実それ自身にどこかぼんやりした、曖昧(あいまい)な点がないとこの夢幻の趣を助ける事が出来ない。したがって十分に発展して来て因果(いんが)の予期を満足させる事柄よりも、この赤毛布流に、頭も尻も秘密の中(うち)に流れ込んでただ途中だけが眼の前に浮んでくる一夜半日(いちやはんにち)の画(え)の方が面白い。小説になりそうで、まるで小説にならないところが、世間臭くなくって好い心持だ。ただに赤毛布ばかりじゃない。小僧もそうである。長蔵さんもそうである。松原の茶店の神(かみ)さんもそうである。もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記(しる)すだけである。小説のように拵(こしら)えたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。
 赤毛布と小僧が連れて行かれたのは後の事だが、自分らが飯場に到着した時は無論二人ともいっしょであった。ここで長蔵さんがいよいよ坑夫志願の談判を始めた。談判と云うと面倒なようだが、その実極(きわ)めて簡単なものであった。ただ、この男は坑夫になりたいと云うから、どうか使ってくれと云ったばかりである。自分の姓名も出生地(しゅっしょうち)も身元も閲歴も何にも話さなかった。もちろん話したくったって、知らないんだから、話せようもないんだが、こうまで手っ取り早く片づける了簡(りょうけん)とは思わなかった。自分は中学校へ入学した時の経験から、いくら坑夫だって、それ相応の手続がなくっちゃ採用されないもんだとばかり思っていた。大方身元引受人とか保証人とか云うものが証文へ判でも捺(お)すんだろう、その時は長蔵さんにでも頼んで見ようくらいにまで、先廻りをして考えていた。ところが案に相違して、談判を持ち込まれた飯場頭(はんばがしら)は――飯場頭だか何だかその時は無論知らなかった。眉毛(まゆげ)の太くって蒼髯(あおひげ)の痕(あと)の濃い逞(たくま)しい四十恰好(がっこう)の男だった。――その男が長蔵さんの話を一通り聞くや否や、
「そうかい、それじゃ置いておいで」
とさも無雑作(むぞうさ)に云っちまった。ちょうど炭屋が土釜(どがま)を台所へ担(かつ)ぎ込んだ時のように思われた。人間が遥々(はるばる)山越(やまごえ)をして坑夫になりに来たんだとは認めていない。そこで自分は少々腹の中(うち)でこの飯場頭を恨(うら)んだが、これは自分の間違であった。その訳は今直(すぐ)に分る。
 飯場頭と云うのは一(ひとつ)の飯場を預かる坑夫の隊長で、この長屋の組合に這入る坑夫は、万事この人の了簡(りょうけん)しだいでどうでもなる。だからはなはだ勢力がある。この飯場頭と一分時間(いっぷんじかん)に談判を結了した長蔵さんは、
「じゃ、よろしくお頼みもうします」
と云ったなり、赤毛布(あかげっと)と小僧を連れて出て行った。また帰ってくる事と思ったが、その後(ご)いっこう影も形も見せないんで、全く、置去(おきざり)にされたと云う事が分った。考えるとひどい男だ。ここまで引っ張って来るときには、何のかのと、世話らしい言葉を掛けたのに、いざとなると通り一片の挨拶(あいさつ)もしない。それにしてもぽん引の手数料はいつ何時(なんどき)どこで取ったものか、これは今もって分らない。
 こう云うしだいで飯場頭からは、土釜の炭俵のごとく認定される、長蔵さんからは小包のように抛(な)げ込まれる。少しも人間らしい心持がしないんで、大いに悄然(しょうぜん)としていると、出て行く三人の後姿を見送った飯場頭は突然自分の方を向いた。その顔つきが変っている。人を炭俵のように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩出逢(であ)う、万事を心得た苦労人の顔である。
「あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだが……」
 飯場掛(はんばがかり)の言葉をここまで聞いた時、自分は急に泣きたくなった。さんざっぱらお前さんで、厭(いや)になるほどやられた揚句(あげく)の果(はて)、もうとうてい御前さん以上には浮ばれないものと覚悟をしていた矢先に、突然あなたの昔に帰ったから、思いがけない所で自己を認められた嬉しさと、なつかしさと、それから過去の記憶――自分はつい一昨日(おととい)までは立派にあなたで通って来た――それやこれやが寄って、たかって胸の中へ込み上げて来た上に、相手の調子がいかにも鄭寧(ていねい)で親切だから――つい泣きたくなった。自分はその後(ご)いろいろな目に逢(あ)って、幾度となく泣きたくなった事はあるが、擦(す)れ枯(から)しの今日(こんにち)から見れば、大抵は泣くに当らない事が多い。しかしこの時頭の中にたまった涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまいと思う。苦しい、つらい、口惜(くちお)しい、心細い涙は経験で消す事が出来る。ありがた涙もこぼさずに済む。ただ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他(ひと)から認識された時の嬉し涙は死ぬまでついて廻るものに違ない。人間はかように手前勘(てまえかん)の強いものである。この涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のために書生を置いて、書生のために置いてやったような心持になってると同じ事じゃないかしら。
 こう云う訳で、飯場掛(はんばがか)りの言葉を一行ばかり聞くと、急に泣きたくなったが、実は泣かなかった。悄然(しょうぜん)とはしていたが、気は張っている。どこからか知らないが、抵抗心が出て来た。ただ思うように口が利(き)けないから、黙って向うの云う事を聞いていた。すると飯場掛りは嬉しいほど親切な口調で、こう云った。――
「……まあどうして、こんな所へ御出(おいで)なすったんだか、今の男が連れて来るくらいだから大概私(わたし)にも様子は知れてはいるが――どうです、もう一遍考えて見ちゃあ。きっと取(と)ッ附(つけ)坑夫になれて、金がうんと儲(もう)かるてえような旨(うま)い話でもしたんでしょう。それがさ、実際やって見るととうてい話の十が一にも行かないんだからつまらないです。第一坑夫と一口に云いますがね。なかなかただの人に出来る仕事じゃない、ことにあなたのように学校へ行って教育なんか受けたものは、どうしたって勤まりっこありませんよ。……」
 飯場頭(はんばがしら)はここまで来て、じっと自分の顔を見た。何とか云わなくっちゃならない。幸(さいわ)いこの時はもう泣きたいところを通り越して、口が利(き)けるようになっていた。そこで自分はこう云った。――
「僕は――僕は――そんなに金なんか欲しかないです。何も儲(もう)けるためにやって来た訳じゃないんですから、――そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです……」
と、この時知ってるですを二遍繰り返した事を今だに記憶している。はなはだ穏かならぬ生意気な、ものの云いようだった。若いうちは、たった今まで悄気(しょげ)ていても、相手しだいですぐつけ上っちまう。まことに赤面の至りである。しかもその知ってるですが、何を知ってるのかと思うと、今自分を連れて来た男、すなわち長蔵さんは、一種の周旋屋であって、すべての周旋屋に共通な法螺吹(ほらふ)きであると云う真相をよく自覚していると云う意味なんだから、いくら知ってたって自慢にならないのは無論である。それを念入に、瞞着(だまさ)れて来たんじゃない、万事承知の上の坑夫志願だなどと説明して見たって今更(いまさら)どうなるものじゃない。ところが年が若いと虚栄心の強いもので――今でも弱いとは云わないが――しきりに弁解に取り掛ったのは実に冷汗の出るほどの愚(ぐ)であった。幸い相手が、こう云う家業(かぎょう)に似合わぬ篤実(とくじつ)な男で、かつ自分の不経験を気の毒に思うのあまり、この生意気を生意気と知りながら大目に見てくれたもんだから、どやされずに済んだ。まことにありがたい。この飯場に住み込んだあとで、頭(かしら)の勢力の広大なるに驚くにつれて、僕は知ってるですを思い出しては独(ひと)り赧(あか)い顔をしていた。ついでに云うがこの頭の名は原駒吉(はらこまきち)である。今もって自分は好い名だと思ってる。
 原さんは別に厭(いや)な顔つきもせずに、黙って自分の言訳を聞いていたが、やがて頭(あたま)を振り出した。その頭は大きな五分刈(ごぶがり)で額の所が面摺(めんずれ)のように抜き上がっている。
「そりゃ物数奇(ものずき)と云うもんでさあ。せっかく来たから是非やるったって、何も家(うち)を出る時から坑夫になると思いつめた訳でもないんでしょう。云わば一時(いちじ)の出来心なんだからね。やって見りゃ、すぐ厭になっちまうな眼に見えてるんだから、廃(よ)すが好(よ)うがしょう。現に書生さんでここへ来て十日と辛抱したものあ、有りゃしませんぜ。え? そりゃ来る。幾人(いくたり)も来る。来る事は来るが、みんな驚いて逃げ出しちまいまさあ。全く普通(なみ)のものの出来る業(わざ)じゃありませんよ。悪い事は云わないから御帰んなさい。なに坑夫をしなくったって、口過(くちすぎ)だけなら骨は折れませんやあ」
 原さんはここに至って、胡坐(あぐら)を崩(くず)して尻を宙に上げかけた。自分はどうしても落第しそうな按排(あんばい)である。大いに困った。困った結果、坑夫と云う事から気を離して、自分だけを検査して見ると、――何だか急に寒くなった。袷(あわせ)はさっきの雨で濡(ぬ)れている。洋袴下(ズボンした)は穿(は)いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候である。坂を登っている間こそ体温でさほどにも思わなかった。原さんに拒絶されるまでは気が張っていたから、好かった。しかし飯場(はんば)へ来て休息した上に、坑夫になる見込がほとんど切れたとなると、情(なさけ)ないのが寒いのと合併して急に顫(ふる)え出した。その時の自分の顔色は定めし見るに堪(た)えんほど醜いもんだったろう。この時自分はまた何となく、今しがた自分を置去(おきざり)にして、挨拶(あいさつ)もしずに出て行った長蔵さんが恋しくなった。長蔵さんがいたら、何とか尽力して坑夫にしてくれるだろう。よし坑夫にしてくれないまでも、どうにか片をつけてくれるだろう。汽車賃を出してくれたくらいだから、方角のわかる所までくらいは送り出してくれそうなものだ。蟇口(がまぐち)を長蔵さんに取られてから、懐中(ふところ)には一文もない。帰るにしても、帰る途中で腹が減って山の中で行倒(ゆきだおれ)になるまでだ。いっその事今から長蔵さんを追掛けて見ようか。飯場飯場を探して歩いたら逢(あ)えない事もないだろう。逢ってこれこれだと泣きついたら、今までの交際(つきあい)もある事だから、好い智慧(ちえ)を貸してくれまいものでもない。しかし別れ際に挨拶さえしない男だから、ひょっとすると……自分は原さんの前で実はこんな閑(ひま)な事を、非常に忙しく、ぐるぐる考えていた。好(すき)な原さんが前にいるのに、あんまり下さらない、しかも消えてなくなった長蔵さんばかりを相談相手のように思い込んだのは、どう云う理由(わけ)だろう。こんな事はよくあるもんだから、いざと云う場合に、敵は敵、味方は味方と板行(はんこう)で押したように考えないで、敵のうちで味方を探したり、味方のうちで敵を見露(みあら)わしたり、片方(かたっぽ)づかないように心を自由に活動させなくってはいけない。
 弱輩(じゃくはい)な自分にはこの機合(きあい)がまだ呑(の)み込めなかったもんだから、原さんの前に立って顫えながら、へどもどしていると、原さんも気の毒になったと見えて、
「あなたさえ帰る気なら、及ばずながら相談になろうじゃありませんか」
と向うから口を掛けてくれた。こう切って出られた時に、自分ははっとありがたく感じた。ばかりなら当り前だがはっと気がついた。――自分の相談相手は自分の志望を拒絶するこの原さんを除いて、ほかにないんだと気がついた。気がつくと同時にまた口が利(き)けなくなった。是非坑夫にしてくれとも、帰るから旅費を貸してくれとも言いかねて、やっぱり立ちすくんでいた。気がついても何にもならない、ただ右の手で拳骨(げんこつ)を拵(こしら)えて寒い鼻の下を擦(こす)ったように記憶している。自分はその前寄席(よせ)へ行って、よく噺家(はなしか)がこんな手真似(てつき)をするのを見た事があるが、自分でその通りを実行したのは、これが始めてである。この手真似を見ていた原さんが、今度はこう云った。
「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」
 旅費は無論ない。一厘たりとも金気(かなけ)は肌に着いていない。のたれ死(じに)を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭(わらじせん)でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺(す)りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥(れんち)も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁(ふていさい)な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒(ほ)められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地(きじ)はこれだから、これで差支(さしつかえ)ないなどと主張するのは、練羊羹(ねりようかん)の生地は小豆(あずき)だから、羊羹の代りに生(なま)小豆を噛(か)んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡(りょうけん)になったものかと、吾(われ)ながら愛想(あいそ)が尽きる。こう云う下卑(げび)た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥(はるか)に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯(しょうがい)練羊羹ばかり味わってる結構な人である。
 自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭(はんばがしら)からわずかの合力(ごうりき)を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調(ととの)えてくれる金も、二三日(にさんち)木賃宿(きちんやど)で夜露を凌(しの)げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途(あてど)もなく流れ出さなければならないと、冥々(めいめい)のうちに自覚したからである。自分は屑(いさぎ)よく涙金(なみだきん)を断った。断った表向は律義(りちぎ)にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索(せんさく)すると、慾の天秤(てんびん)に懸(か)けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断(ことわ)ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。
「その代り坑夫に使って下さい。せっかく来たんだから、僕はどうしてもやって見る気なんですから」
「随分酔興(すいきょう)ですね」
と原さんは首を傾(かし)げて、自分を見つめていたが、やがて溜息のような声を出して、
「じゃ、どうしても帰る気はないんですね」
と云った。
「帰るったって、帰る所がないんです」
「だって……」
「家(うち)なんかないんです。坑夫になれなければ乞食(こじき)でもするより仕方がないです」
 こんな押問答を二三度重ねている中に、口を利(き)くのが大変楽になって来た。これは思い切って、無理な言葉を、出(で)にくいと知りながら、我慢して使った結果、おのずと拍子(ひょうし)に乗って来た勢いに違ないんだから、まあ器械的の変化と見傚(みな)しても差支(さしつかえ)なかろうが、妙なもので、その器械的の変化が、逆戻りに自分の精神に影響を及ぼして来た。自分の言いたい事が何の苦もなく口を出るに連れて――ある人はある場合に、自分の言いたくない事までも調子づいてべらべら饒舌(しゃべ)る。舌はかほどに器械的なものである。――この器械が使用の結果加速度の効力を得るに連れて、自分はだんだん大胆になって来た。
 いや、大胆になったから饒舌れたんだろう、君の云う事は顛倒(あべこべ)じゃないかとやり込める気なら、そうして置いてもいい。いいが、それはあまり陳腐(ちんぷ)でかつ時々嘘(うそ)になる。嘘と陳腐で満足しないものは自分の言分をもっともと首肯(うなず)くだろう。
 自分は大胆になった。大胆になるに連れて、どうしても坑夫に住み込んでやろうと決心した。また饒舌っておれば必ず坑夫になれるに違ないと自覚して来た。一昨日(おととい)家(うち)を飛び出す間際(まぎわ)までは、夢にも坑夫になろうと云う分別は出なかった。ばかりではない、坑夫になるための駆落(かけおち)と事がきまっていたならば、何となく恥ずかしくなって、まあ一週間よく考えた上にと、出奔(しゅっぽん)の時期を曖昧(あいまい)に延ばしたかもしれない。逃亡はする。逃亡はするが、紳士の逃亡で、人だか土塊(つちくれ)だか分らない坑掘(あなほり)になり下(さが)る目的の逃亡とは、何不足なく生育(そだ)った自分の頭には影さえ射さなかったろう。ところが原さんの前で寒い奥歯を噛(か)みしめながら、しょう事なしの押問答をしているうちに、自分はどうあっても坑夫になるべき運命、否(いな)天職を帯びてるような気がし出した。この山とこの雲とこの雨を凌(しの)いで来たからには、是非共坑夫にならなければ済まない。万一採用されない暁には自分に対して面目がない。――読者は笑うだろう。しかし自分は当時の心情を真面目(まじめ)に書いてるんだから、人が見ておかしければおかしいほど、その時の自分に対して気の毒になる。
 妙な意地だか、負惜(まけおし)みだか、それとも行倒れになるのが怖(こわ)くって、帰り切れなかったためだか、――その辺は自分にも曖昧だが、とにかく自分は、もっとも熱心な語調で原さんを口説(くど)いた。
「……そう云わずに使って下さい。実際僕が不適当なら仕方がないが、まだやって見ない事なんだから――せっかく山を越して遠方をわざわざ来た甲斐(かい)に、一日(いちんち)でも二日(ふつか)でも、いいですから、まあ試しだと思って使って下さい。その上で、とうてい役に立たないと事がきまれば帰ります。きっと帰ります。僕だって、それだけの仕事が出来ないのに、押(おし)を強く御厄介(ごやっかい)になってる気はないんですから。僕は十九です。まだ若いです。働き盛りです……」
と昨日(きのう)茶店の神(かみ)さんが云った通りをそのまま図に乗って述べ立てた。後から考えると、これはむしろ人が自分を評する言葉で、自分が自分を吹聴(ふいちょう)する文句ではなかった。そこで原さんは少し笑い出した。
「それほどお望みなら仕方がない。何も御縁だ。まあやって御覧なさるが好い。その代り苦しいですよ」
と原さんは何気なく裏の赤い山を覗(のぞ)くように見上げた。おおかた天気模様でも見たんだろう。自分も原さんといっしょに山の方へ眼を移した。雨は上がったが、暗く曇っている。薄気味の悪いほど怪しい山の中の空合(そらあい)だ。この一瞬時に、自分の願が叶(かな)って、自分はまず山の中の人となった。この時「その代り苦しいですよ」と云った原さんの言葉が、妙に気に掛り出した。人は、ようやくの思いで刻下(こっか)の志を遂(と)げると、すぐ反動が来て、かえって志を遂げた事が急に恨(うら)めしくなる場合がある。自分が望み通りここへ落ちつける口頭の辞令を受け取った時の感じはいささかこれに類している。
「じゃね」――原さんは語調を改めて話し出した。――「じゃね。何しろ明日(あした)の朝シキへ這入(はい)って御覧なさい。案内を一人つけて上げるから。――それからと――そうだ、その前に話して置かなくっちゃなりませんがね。一口に坑夫と云うと、訳もない仕事のように思われましょうが、なかなか外で聞いてるような生容易(なまやさし)い業(わざ)じゃないんで。まあ取っつけから坑夫になるなあ」と云って自分の顔を眺(なが)めていたが、やがて、
「その体格じゃ、ちっとむずかしいかも知れませんね。坑夫でなくっても、好(よ)うがすかい」
と気の毒そうに聞いた。坑夫になるまでには相当の階級と練習を積まなくっちゃならないと云う事がここで始めて分った。なるほど長蔵さんが坑夫坑夫と、さも名誉らしく坑夫を振り廻したはずだ。
「坑夫のほかに何かあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫じゃないんですか」
と念のために聞いて見た。すると原さんは、自分を馬鹿にした様子もなく、すぐそのわけを説明してくれた。
「銅山(やま)にはね、一万人も這入っててね。それが掘子(ほりこ)に、シチュウに、山市(やまいち)に、坑夫と、こう四つに分れてるんでさあ。掘子(ほりこ)ってえな、一人前の坑夫に使えねえ奴がなるんで、まあ坑夫の下働(したばたらき)ですね。シチュウは早く云うとシキの内(なか)の大工見たようなものかね。それから山市(やまいち)だが、こいつは、ただ石塊(いしっころ)をこつこつ欠いてるだけで、おもに子供――さっきも一人来たでしょう。ああ云うのが当分坑夫の見習にやる仕事さね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫となると請負(うけおい)仕事だから、間(ま)が好いと日に一円にも二円にも当る事もあるが、掘子は日当で年(ねん)が年中(ねんじゅう)三十五銭で辛抱しなければならない。しかもそのうち五分(ごぶ)は親方が取っちまって、病気でもしようもんなら手当が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団(ふとん)の損料が一枚三銭――寒いときは是非二枚要(い)るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜(おさい)は別ですよ。――どうです。もし坑夫にいけなかったら、掘子にでもなる気はありますかね」
 実のところはなりますと勢いよく出る元気はなかったが、ここまで来れば、今更(いまさら)どうしたって否(いや)だと断られた義理のもんじゃない。そこで、出来るだけ景気よく、
「なります」
と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢(やせがまん)のつけ景気(げいき)のごとく響いたか、その辺(へん)は確(しか)と分らないが、何しろこの一言(いちごん)を聞いた原さんは、機嫌よく、
「じゃまあ、御上(おあ)がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキへ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場(はんば)を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日(いちんち)に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬(ともら)いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多(めった)にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥(くたび)れるだろう。こっちへ御上り」
 この逐一(ちくいち)を聞いていた自分はたとい、掘子(ほりこ)だろうが、山市(やまいち)だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。
 そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、
「こっちへ御出(おいで)なさい」
と云うから、好加減(いいかげん)に御辞儀をして、後(あと)から尾(つ)いて行った。小作(こづくり)な婆さんで、後姿の華奢(きゃしゃ)な割合には、ぴんぴん跳(は)ねるように活溌(かっぱつ)な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結(むすび)にむすんで、なけなしの髪を頸窩(ぼんのくぼ)へ片づけてその心棒(しんぼう)に鉛色の簪(かんざし)を刺している。そうして襷掛(たすきがけ)であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育(やまそだち)だからかしら。いや、飯場(はんば)だから優長(ゆうちょう)にしちゃいられないせいだろう。して見ると、今日から飯場の飯を食い出す以上は自分だって安閑としちゃいられない。万事この婆さんの型で行かなくっちゃなるまい。――なるまい。――と力を入れて、うんと思ったら、さすがに草臥れた手足が急になるまいで充満して、頭と胸の組織がちょっと変ったような気分になった。その勢いで広い階子段(はしごだん)を、案内に応じて、すとんすとんと景気よく登って行った。が自分の頭が階子段から、ぬっと一尺ばかり出るや否や、この決心が、ぐうと退避(たじろ)いだ。
 胸から上を階子段の上へ出して、二階を見渡すと驚いた。畳数(たたみかず)は何十枚だか知らないが遥(はるか)の突き当りまで敷き詰めてあって、その間には一重(ひとえ)の仕切りさえ見えない。ちょうど柔道の道場か、浪花節(なにわぶし)の席亭のような恰好(かっこう)で、しかも広さは倍も三倍もある。だから、ただ駄々(だだ)ッ広(ぴろ)い感じばかりで、畳の上でもまるで野原へ出たとしきゃあ思えない。それだけでも驚く価値(ねうち)は十分あるが、その広い原の中に大きな囲炉裏(いろり)が二つ切ってある、そこへ人間が約十四五人ずつかたまっている。自分の決心が退避いだと云うのは、卑怯(ひきょう)な話だが、全くこの人間にあったらしい。平生から強がっていたにはいたが、若輩(じゃくはい)の事だから、見ず知らずの多勢の席へ滅多(めった)に首を出した事はない。晴の場所となると、ただでさえもじもじする。ところへもって来て、突然坑夫の団体に生擒(いけど)られたんだから、この黒い塊(かたまり)を見るが早いか、いささか辟易(ひるん)じまった。それも、ただの人間ならいい。と云っちゃ意味がよく通じない。――ただの人間が、坑夫になってるなら差支(さしつかえ)ない。ところが自分の胸から上が、階子段を出ると、等しく、この塊の各部分が、申し合せたように、こっちを向いた。その顔が――実はその顔で全く畏縮(いしゅく)してしまった。と云うのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない。純然たる坑夫の顔であった。そう云うより別に形容しようがない。坑夫の顔はどんなだろうと云う好奇心のあるものは、行って見るより外に致し方がない。それでも是非説明して見ろと云うなら、ざっと話すが、――頬骨(ほおぼね)がだんだん高く聳(そび)えてくる。顎(あご)が競(せ)り出す。同時に左右に突っ張る。眼が壺(つぼ)のように引ッ込んで、眼球(めだま)を遠慮なく、奥の方へ吸いつけちまう。小鼻が落ちる。――要するに肉と云う肉がみんな退却して、骨と云う骨がことごとく吶喊(とっかん)展開するとでも評したら好かろう。顔の骨だか、骨の顔だか分らないくらいに、稜々(りょうりょう)たるものである。劇(はげ)しい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味(あたたかみ)とか、優味(やさしみ)とか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。まあ一口に云うと獰猛(どうもう)だ。不思議にもこの獰猛な相(そう)が一列一体の共有性になっていると見えて、囲炉裏(いろり)の傍(はた)の黒いものが等しく自分の方を向くと、またたく間(ま)に獰猛な顔が十四五揃(そろ)った。向うの囲炉裏を取捲(とりま)いてる連中も同じ顔に違いない。さっき坂を上がってくるとき、長屋の窓から自分を見下(みおろ)していた顔も全くこれである。して見ると組々の長屋に住んでいる総勢一万人の顔はことごとく獰猛なんだろう。自分は全く退避(ひる)んだ。
 この時婆さんが後(うしろ)を振り返って、
「こっちへおいでなさい」
と、もどかしそうに云うから、度胸を据(す)えて、獰猛の方へ近づいて行った。ようやく囲炉裏の傍(はた)まで来ると、婆さんが、今度は、
「まあここへ御坐(おすわ)んなさい」
と差(さ)しずをしたが、ただ好加減(いいかげん)な所へ坐れと云うだけで、別に設けの席も何もないんだから、自分は黒い塊(かたま)りを避(さ)けて、たった一人畳の上へ坐った。この間獰猛な眼は、始終(しじゅう)自分に喰っついている。遠慮も何もありゃしない。そうして誰も口を利(き)くものがない。取附端(とりつきは)を見出(みいだ)すまでは、団体の中へ交り込む訳にも行かず、ぽつねんと独(ひと)りぼッちで離れているのは、獰猛の目標(めじるし)となるばかりだし、大いに困った。婆さんは、自分を紹介する段じゃない、器械的に「ここへ坐れ」と云ったなり、ちょっ切り結びの尻を振り立てて階子段(はしごだん)を降りて行ってしまった。広い寄席(よせ)の真中にたった一人取り残されて、楽屋の出方(でかた)一同から、冷かされてるようなものだ、手持無沙汰(てもちぶさた)は無論である。ことさら今の自分に取っては心細い。のみならず袷(あわせ)一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼(た)いて獰猛共が囲炉裏(いろり)へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ隠(かく)しに襯衣(シャツ)の釦(ボタン)をはずして腋(わき)の下へ手を入れたり、膝(ひざ)を立てて、足の親指を抓(つね)って見たり、あるいは腿(もも)の所を両手で揉(も)んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心(しん)から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束(おぼつか)ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似(まね)をしていると、突然、
「おい」
と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞(なるみしぼり)の兵児帯(へこおび)を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃(かおぞろい)で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはない。どの顔も獰猛(どうもう)で、よく見るとその獰猛のうちに、軽侮(あなどり)と、嘲弄(あざけり)と、好奇の念が判然と彫りつけてあったのは、首を上げる途端(とたん)に発明した事実で、発明するや否や、非常に不愉快に感じた事実である。自分は仕方がないから、首を上げたまま、「おい」の声がもう一遍出るのを待っていた。この間が約何秒かかったか知らないが、とにかく予期の状態で一定の姿勢におったものらしい。すると、いきなり、
「やに澄(す)ますねえ」
と云ったものがある。この声はさっきの「おい」よりも少し皺枯(しゃが)れていたから、大方別人だろうと鑑定した。しかし返答をするべき性質(たち)の言葉でないから――字で書くと普通のねえのように見えるが、実はなよの命令を倶利加羅流(くりからりゅう)に崩(くず)したんだから、はなはだ下等である。――それでやっぱり黙ってた。ただ内心では大いに驚いた。自分がここへ来て言葉を交したものは原さんと婆さんだけであるが、婆さんは女だから別として、原さんは思ったよりも叮嚀(ていねい)であった。ところが原さんは飯場頭(はんばがしら)である。頭(かしら)ですらこれだから、平(ひら)の坑夫は無論そう野卑(ぞんざい)じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口(あくたい)が藪(やぶ)から棒(ぼう)に飛んで来た時には、こいつはと退避(ひる)む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事毒突返(どくづきかえ)したなら、袋叩(ふくろだた)きに逢(あ)うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄(あにい)に類似した言語は無論、尋常の竹箆返(しっぺいがえ)しさえ控えたのは、――相手にならないと先方(さき)を軽蔑(けいべつ)したためだろうか――あるいは怖(こわ)くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後(あと)の方らしい。とにかくも両方交(まじ)ってたと云うのが一番穏(おだやか)のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖(こわ)いものが沢山(いくら)もある。矛盾にゃならない。
 それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口(あくたい)を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡(りょうけん)と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山(やま)を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸(さいわ)いと嘲弄(ちょうろう)するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨(うら)みを、吾身(わがみ)一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入(はい)るまでは、自分こそ社会に立てない身体(からだ)だと思い詰めていた。そこで飯場(はんば)へ上(あが)って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟(いたばさ)みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰(てもちぶさた)と云うよりは、情(なさけ)ないほど不人情な奴が揃(そろ)ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴(ちくしょうめ)と思った。俗語に云う怒(おこ)った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切(せつ)なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包(くる)んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。
 この悪意に充(み)ちた笑がようやく下火になると、
「御前(おめえ)はどこだ」
と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所(でどころ)は判然(はっきり)分った。浅黄色(あさぎいろ)の手拭染(てぬぐいじ)みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向(うしろむ)きの胡坐(あぐら)のまま、斜(はす)に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜(けつまく)が一面に充血している。
「僕は東京です」
と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹(へこ)まして、愚弄(ぐろう)の笑いを洩(も)らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎(あご)でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主(がんにんぼうず)が、入れ替ってこんな事を云った、
「僕だなんて――書生(しょせ)ッ坊(ぼ)だな。大方(おおかた)女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体(ぜんてえ)この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰(けえ)れ。そんな瘠(やせ)っこけた腕でできる稼業(かぎょう)じゃねえ」
 自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合(はりあい)が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調(ととの)っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊(かたまり)を見るたびに、人数(にんず)やら、着物やら、獰猛(どうもう)の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂(あぶら)が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際(ひときわ)目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強(くっきょう)である。眉毛(まみえ)と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終(しじゅう)鼻眼鏡で圧(お)しつけてるように見える。そこに疳癪(かんしゃく)が拘泥(こうでい)していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利(き)いた。――
「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲(もう)かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰(くいつめ)ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通(かよ)ったもんだが、放蕩(ほうとう)の結果とうとう、シキの飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月(ひとつき)と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」
 これは比較的真面目(まじめ)な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派(どうあくは)もおとなしく交(まぜ)っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊(あらがね)を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙(こうせつ)のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯(よわい)されない人非人(にんぴにん)として、多勢(たぜい)の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込(つっこ)んで、獰猛組(どうもうぐみ)の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶(かな)っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹(つつし)んで耳を傾(かたぶ)けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄(ぐろう)の舌(した)がまた動き出した。
「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟(おきて)があるから呑(の)み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」
と一人が云うから、
「どんな掟ですか」
と聞くと、
「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分(きょうでえぶん)もあるじゃねえか」
と、大変な大きな声を出した。
「親分たどんなもんですか」
と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛(ひど)い目に逢(あ)うのが怖(こわ)いから、まあ聞いて見た。すると他(ほか)の坑夫が、すぐ、返事をした。
「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違(りょうけんちげ)えだ。早く帰(けえ)れ」
「親分も兄弟分もいるから、だから、儲(もう)けようたって、そう旨(うま)かあ行かねえ。帰れ」
「儲かるもんか帰(けえ)るが好い」
「帰れ」
「帰れ」
 しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲(もう)けたいだろうが、そうは問屋で卸(おろ)さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦(あきら)めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。
 この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏(いろり)の周囲(まわり)ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊(かたま)っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢(ぐんぜい)が加勢したら大事(だいじ)である。自分は愚弄(ぐろう)されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離(はな)れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後(あと)を追掛(おっか)け、追ん廻わしているほど辛(つら)い事はない。なんでも敵に逢(あ)ったら敵を呑(の)むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截(き)って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅(か)がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦(しゃか)の空説法(からぜっぽう)である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説(ちんせつ)なら、なおさら言うだけが野暮(やぼ)になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。
 自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、
「御膳(ごぜん)を御上がんなさい」
と云う婆さんの声が聞えた。いつの間(ま)に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮(いしゅく)した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥(は)げた御膳(おぜん)の上に縁(ふち)の欠けた茶碗が伏せてある。小(ち)さい飯櫃(めしびつ)も乗っている。箸(はし)は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆(うるし)が半分ほど落ちて木地(きじ)が全く出ている。御菜には糸蒟蒻(いとごんにゃく)が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝(けさ)から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空(から)である。もし空でなければ、昨日(きのう)食った揚饅頭(あげまんじゅう)と薩摩芋(さつまいも)があるばかりである。飯の気(け)を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃(おはち)の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元(のどもと)まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交(ま)ぜっ返しも気に掛ける暇(いとま)なく、見栄(みえ)も糸瓜(へちま)も棒に振って、いきなり、お櫃(はち)からしゃくって茶碗へ一杯盛り上げた。その手数(てかず)さえ面倒なくらい待ち遠しいほどであったが、例の剥箸(はげばし)を取り上げて、茶碗から飯をすくい出そうとする段になって――おやと驚いた。ちっともすくえない。指の股(また)に力を入れて箸をうんと底まで突っ込んで、今度こそはと、持上げて見たが、やっぱり駄目だ。飯はつるつると箸の先から落ちて、けっして茶碗の縁(ふち)を離れようとしない。十九年来いまだかつてない経験だから、あまりの不思議に、この仕損(しくじり)を二三度繰り返して見た上で、はてなと箸(はし)を休めて考えた。おそらく狐に撮(つま)まれたような風であったんだろう。見ていた坑夫共はまたぞろ、どっと笑い出した。自分はこの声を聞くや否や、いきなり茶碗を口へつけた。そうして光沢(つや)のない飯を一口掻(か)き込んだ。すると笑い声よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液(つばき)に和(と)けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。
「面(つら)あ見ろ。いい様(ざま)だ」
と一人が云うと、
「御祭日(おさいじつ)でもねえのに、銀米(ぎんまい)の気でいやがらあ。だから帰(けえ)れって教(おせ)えてやるのに」
と他(ほか)のものが云う。
「南京米(ナンキンめえ)の味も知らねえで、坑夫になろうなんて、頭っから料簡違(りょうけんちげえ)だ」
とまた一人が云った。
 自分は嘲弄(ちょうろう)のうちに、術(じゅつ)なくこの南京米(ナンキンまい)を呑み下した。一口でやめようと思ったが、せっかく盛り込んだものを、食ってしまわないと、また冷かされるから、熊の胆(い)を呑む気になって、茶碗に盛っただけは奇麗(きれい)に腹の中へ入れた。全く食慾のためではない。昨日(きのう)食った揚饅頭(あげまんじゅう)や、ふかし芋(いも)の方が、どのくらい御馳走(ごちそう)であったか知れない。自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである。
 茶碗に盛っただけは、こう云う訳で、どうにか、こうにか片づけたが、二杯目は我慢にも盛(よそ)う気にならなかったから、糸蒟蒻(いとごんにゃく)だけを食って箸を置く事にした。このくらい辛抱して無理に厭(いや)なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後(ご)日に三度ずつは、必ずこの南京米に対(むか)わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣(な)れるに連(つ)れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳(はげぜん)に向って逡巡(しりごみ)した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更(まんざら)無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病(や)むところに廻(めぐ)り合わせて、現状を目撃したら、ことに因(よ)ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値(ねうち)は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。
 南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗(しくじり)に対する冷評は、自然のままにして抛(ほう)って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥(かなだらい)を叩(たた)き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切(くぎ)って、拍子(ひょうし)を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄(きやり)の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄(うた)い囃(はや)して何物か近づいて来た。
「ジャンボーだ」
と一人が膝頭(ひざがしら)を打たないばかりに、大きな声を出すと、
「ジャンボーだ。ジャンボーだ」
と大勢口々に云いながら、黒い塊(かたまり)がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボーなんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達(のんびり)したせいか、自分もジャンボーを見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲(すもう)をとって暮らしていると云っても差支(さしつかえ)なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞(ふさ)がっている上から背伸(せえのび)をして見下(みおろ)すと、斜(はす)に曲ってる向(むこう)の石垣の角から、紺(こん)の筒袖(つつそで)を着た男が二人(ふたあり)出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧(お)しつぶして薄(うす)っ片(ぺら)にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後(うしろ)の禿山(はげやま)に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後(あと)から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節(なにわぶし)で咄喊(とっかん)するような稀代(きたい)な調子であった。
「おい金公(きんこう)はいねえか」
と、黒い頭の一つが怒鳴(どな)った。後向(うしろむき)だから顔は見えない。すると、
「うん金公に見せてやれ」
とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間(ま)に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸(か)けて、首を捻(ね)じ向けると、――寝ている。薄い布団(ふとん)をかけて一人寝ている。
「おい金州(きんしゅう)」
と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。
「おい金しゅう起きろやい」
と怒鳴(どなり)つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎(むかえ)に出掛けた。被(かぶ)ってる布団(ふとん)を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、
「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」
と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那(せつな)、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄(ぞっ)とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居(たちい)のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯(ひげ)は幾日も剃(そ)らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛(どうもう)も、こう憔悴(やつれ)ると憐(あわ)れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖(こわ)くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極(きょく)全く怖(こわ)かった。
 病人は二人に支えられながら、釣られるように、利(き)かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数(たにんず)は、さも面白そうに囃(はや)し立てる。
「よう、金(きん)しゅう早く来いよ。今ジャンボーが通るところだ。早く来て見ろよ」
「己(おら)あジャンボーなんか見たかねえよ」
と病人は、無体(むたい)に引き摺(ず)られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子(しょうじ)の角(かど)まで圧(お)しつけられてしまった。
 じゃじゃん、じゃららんとジャンボーは知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延(せいの)びをして見下(みおろ)した時、自分は再び慄とした。金盥(かなだらい)と金盥の間に、四角な早桶(はやおけ)が挟(はさ)まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾(しろかなきん)で包んで、細い杉丸太を通した両端(りょうたん)を、水でも一荷(いっか)頼まれたように、容赦なく担(かつ)いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄(うた)を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボーの意味を理解した。生涯(しょうがい)いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボーは葬式である。坑夫、シチュウ、掘子(ほりこ)、山市(やまいち)に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節(なにわぶし)に唄(うた)って、金盥の潰(つぶ)れるほどに音楽を入れて、一荷(いっか)の水と同じように棺桶(かんおけ)をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否(いや)と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極(きょく)で、また冷刻の極である。
「金しゅう、どうだ、見えたか、面白いだろう」
と云ってる。病人は、
「うん、見えたから、床(とこ)ん所まで連れてって、寝かしてくれよ。後生(ごしょう)だから」
と頼んでいる。さっきの二人は再び病人を中へ挟んで、
「よっしょいよっしょい」
と云いながら、刻(きざ)み足に、布団(ふとん)の敷いてある所まで連れて行った。
 この時曇った空が、粉になって落ちて来たかと思われるような雨が降り出した。ジャンボーはこの雨の中を敲(たた)き立てて町の方へ下(くだ)って行く。大勢は
「また雨だ」
と云いながら、窓を立て切って、各々(めいめい)囲炉裏(いろり)の傍(はた)へ帰る。この混雑紛(どさくさまぎれ)に自分もいつの間(ま)にか獰猛(どうもう)の仲間入りをして、火の近所まで寄る事が出来た。これは偶然の結果でもあり、また故意の所作(しょさ)でもあった。と云うものは火の気がなくってははなはだ寒い。袷(あわせ)一枚ではとても凌(しの)ぎ兼ねるほどの山の中だ。それに雨さえ降り出した。雨と云えば雨、霧と云えば霧と云われるくらいな微(かす)かな粒であるが、四方の禿山(はげやま)を罩(こ)め尽した上に、筒抜(つつぬ)けの空を塗り潰(つぶ)して、しとどと落ちて来るんだから、家(うち)の中に坐っていてさえ、糠(ぬか)よりも小さい湿(しめ)り気(け)が、毛穴から腹の底へ沁(し)み込むような心持である。火の気がなくってはとうていやり切れるものじゃない。
 自分が好い加減な所へ席を占めて、いささかながら囲炉裏のほとぼりを顔に受けていると、今度は存外にも度外視されて、思ったよりも調戯(からか)われずに済んだ。これはこっちから進んで獰猛の仲間入りをしたため、向うでも普通の獰猛として取扱うべき奴だと勘弁してくれたのか、それとも先刻(さっき)のジャンボーで不意に気が変った成行(なりゆき)として、自分の事をしばらく忘れてくれたのか、または冷笑(ひやかし)の種が尽きたか、あるいは毒突(どくづ)くのに飽きたんだか、――何しろ自分が席を改めてから、自分の気は比較的楽になった。そうして囲炉裏の傍の話はやっぱりジャンボーで持ち切っていた。いろいろな声がこんな事を云う。――
「あのジャンボーはどこから出たんだろう」
「どこから出たって御(お)ジャンボーだ」
「ことによると黒市組(くろいちぐみ)かも知れねえ。見当(けんとう)がそうだ」
「全体(ぜんてえ)ジャンボーになったらどこへ行くもんだろう」
「御寺よ。きまってらあ」
「馬鹿にするねえ。御寺の先を聞いてるんだあな」
「そうよ、そりゃ寺限(てらぎり)で留(とま)りっこねえ訳だ。どっかへ行くに違(ちげ)えねえ」
「だからよ。その行く先はどんな所(とこ)だろうてえんだ。やっぱしこんな所(ところ)かしら」
「そりゃ、人間の魂の行く所だもの、大抵は似た所に違えねえ」
「己(おれ)もそう思ってる。行くとなりゃ、どうもほかへ行く訳がねえからな」
「いくら地獄だって極楽(ごくらく)だって、やっぱり飯は食うんだろう」
「女もいるだろうか」
「女のいねえ国が世界にあるもんか」
 ざっと、こんな談話だから、聞いているとめちゃめちゃである。それで始めのうちは冗談(じょうだん)だと思った。笑っても差支(さしつかえ)ないものと心得て、口の端(はた)をむずつかせながら、ちょっと様子を見渡したくらいであった。ところが笑いたいのは自分だけで、囲炉裏を取り捲(ま)いている顔はいずれも、彫りつけたように堅くなっている。彼らは真剣の真面目で未来と云う大問題を論じていたんである。実に嘘(うそ)としか受け取れないほどの熱心が、各々の眉(まゆ)の間に見えた。自分はこの時、この有様を一瞥(いちべつ)して、さっきの笑いたかった念慮をたちまちのうちに一変した。こんな向う見ずの無鉄砲な人間が――カンテラを提(さ)げて、シキの中へ下りれば、もう二度と日の目を見ない料簡(りょうけん)でいる人間が――人間の器械で、器械の獣(けだもの)とも云うべきこの獰猛組(どうもうぐみ)が、かほどに未来の事を気にしていようとは、まことに予想外であった。して見ると、世間には、未来の保証をしてくれる宗教というものが入用(いりよう)のはずだ。実際自分が眼を上げて、囲炉裏(いろり)のぐるりに胡坐(あぐら)をかいて並んだ連中を見渡した時には、遠慮に畏縮(いしゅく)が手伝って、七分方(しちぶがた)でき上った笑いを急に崩(くず)したと云う自覚は無論なかった。ただ寄席(よせ)を聞いてるつもりで眼を開けて見たら鼻の先に毘沙門様(びしゃもんさま)が大勢いて、これはと威儀を正さなければならない気持であった。一口に云うと、自分はこの時始めて、真面目な宗教心の種を見て、半獣半人の前にも厳格の念を起したんだろう。その癖自分はいまだに宗教心と云うものを持っていない。
 この時さっきの病人が、向うの隅でううんと唸(うな)り出した。その唸り声には無論特別の意味はない。単に普通の病人の唸り声に過ぎんのだが、ジャンボーの未来に屈託している連中には、一種のあやしい響のように思われたんだろう。みんな眼と眼を見合した。
「金公(きんこう)苦しいのか」
と一人が大きな声で聞いた。病人は、ただ、
「ううん」
と云う。唸ってるのか、返事をしているのか判然しない。するとまた一人の坑夫が、
「そんなに嚊(かかあ)の事ばかり気にするなよ。どうせ取られちまったんだ。今更(いまさら)唸ったってどうなるもんか。質に入れた嚊だ。受出さなけりゃ流れるなあ当り前だ」
と、やっぱり囲炉裏の傍(そば)へ坐ったまま、大きな声で慰(なぐさ)めている。慰めてるんだか、悪口(あくたい)を吐(つ)いているんだか疑わしいくらいである。坑夫から云うと、どっちも同じ事なんだろう。病人はただううんと挨拶(あいさつ)――挨拶にもならない声を微(かす)かに出すばかりであった。そこで大勢は懸合(かけあい)にならない慰藉(いしゃ)をやめて、囲炉裏の周囲(まわり)だけで舌(した)の用を弁じていた。しかし話題はまだ金さんを離れない。
「なあに、病気せえしなけりゃ、金公だって嚊を取られずに済むんだあな。元を云やあ、やっぱり自分が悪いからよ」
と一人が、金さんの病気をさも罪悪のように評するや否や、
「全くだ。自分が病気をして金を借りて、その金が返せねえから、嚊を抵当に取られちまったんだから、正直のところ文句(もんく)の附けようがねえ」
と賛成したものがある。
「若干(いくら)で抵当に入れたんだ」
と聞くと、向側(むこうがわ)から、
「五両だ」
と誰だか、簡潔に教えた。
「それで市(いち)の野郎が長屋へ下がって、金しゅうと入れ代った訳か。ハハハハ」
 自分は囲炉裏の側(そば)に坐ってるのが苦痛であった。背中の方がぞくぞくするほど寒いのに、腋(わき)の下から汗が出る。
「金しゅうも早く癒(なお)って、嚊(かかあ)を受け出したら好かろう」
「また、市(いち)と入れ代りか。世話あねえ」
「それよりか、うんと稼(かせ)いで、もっと価(ね)に踏める抵当でも取った方が、気が利(き)いてらあ」
「違(ちげえ)ねえ」
と一人が云い出すのを相図に、みんなどっと笑った。自分はこの笑の中に包まれながら、どうしても笑い切れずに下を向いてしまった。見ると膝(ひざ)を並べて畏(かしこ)まっていた。馬鹿らしいと気がついて、胡坐(あぐら)に組み直して見た。しかし腹の中はけっして胡坐をかくほど悠長(ゆうちょう)ではなかった。
 その内だんだん日暮に近くなって来る。時間が移るばかりじゃない、天気の具合と、山が囲んでるせいで早く暗くなる。黙って聞いていると、雨垂(あまだれ)の音もしないようだから、ことによると、雨はもう歇(や)んだのかも知れない。しかしこの暗さでは、やっぱり降ってると云う方が当るだろう。窓は固(もとよ)り締め切ってある。戸外(そと)の模様は分りようがない。しかし暗くって湿(しめ)ッぽい空気が障子(しょうじ)の紙を透(こ)して、一面に囲炉裏(いろり)の周囲(まわり)を襲(おそ)って来た。並んでいる十四五人の顔がしだいしだいに漠然(ぼんやり)する。同時に囲炉裏の真中(まんなか)に山のようにくべた炭の色が、ほてり返って、少しずつ赤く浮き出すように思われた。まるで、自分は坑(あな)の底へ滅入込(めいりこ)んで行く、火はこれに反して坑からだんだん競(せ)り上がって来る、――ざっと、そんな気分がした。時にぱっと部屋中が明るくなった。見ると電気灯が点(つ)いた。
「飯でも食うべえ」
と一人が云うと、みんな忘れものを思い出したように、
「飯を食って、また交替か」
「今日は少し寒いぞ」
「雨はまだ降ってるのか」
「どうだか、表へ出て仰向(あおむ)いて見な」
などと、口々に罵(ののし)りながら、立って、階下段(はしごだん)を下りて行った。自分は広い部屋にたった一人残された。自分のほかにいるものは病人の金(きん)さんばかりである。この金さんがやっぱり微(かすか)な声を出して唸(うな)ってるようだ。自分は囲炉裏の前に手を翳(かざ)して胡坐を組みながら、横を向いて、金さんの方を見た。頭は出ていない。足も引っ込ましている。金さんの身体(からだ)は一枚の布団(ふとん)の中で、小さく平ったくなっている。気の毒なほど小さく平ったく見えた。その内(うち)唸(うな)り声(ごえ)も、どうにか、こうにかやんだようだから、また顔の向(むき)を易(か)えて、囲炉裏の中を見詰めた。ところがなんだか金さんが気に掛かってたまらないから、また横を向いた。すると金さんはやっぱり一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。そうして、森(しん)としている。生きてるのか、死んでるのか、ただ森としている。唸られるのも、あんまり気味の好いもんじゃないが、こう静かにしていられるとなお心配になる。心配の極(きょく)は怖(こわ)くなって、ちょっと立ち懸けたが、まあ大丈夫だろう、人間はそう急に死ぬもんじゃないと、度胸を据(す)えてまた尻を落ちつけた。
 ところへ二三人、下からどやどやと階下段(はしごだん)を上がって来た。もう飯を済ましたんだろうか、それにしては非常に早いがと、心持上がり段の方を眺(なが)めていると、思も寄らないものが、現れた。――黒か紺(こん)か色の判然(はっきり)しない筒服(つつっぽう)を着ている。足は職人の穿(は)くような細い股引(ももひき)で、色はやはり同じ紺である。それでカンテラを提(さ)げている。のみならず二人(ふたあり)が二人とも泥だらけになって、濡(ぬ)れてる。そうして、口を利(き)かない。突っ立ったまま自分の方をぎろりと見た。まるで強盗としきゃあ思えない。やがて、カンテラを抛(ほう)り出すと、釦(ボタン)を外(はず)して、筒袖(つつっぽう)を脱いだ。股引も脱いだ。壁に掛けてある広袖(ひろそで)を、めりやすの上から着て、尻の先に三尺帯をぐるりと回しながら、やっぱり無言のまま、二人してずしりずしりと降りて行った。するとまた上がって来た。今度(こんだ)のも濡れている。泥だらけである。カンテラを抛り出す。着物を着換える。ずしんずしんと降りて行く。とまた上がって来る。こう云う風に入代り、入代りして、何でもよほど来た。いずれも底の方から眼球(めだま)を光らして、一遍だけはきっと自分を見た。中には、
「手前(てめえ)は新前(しんめえ)だな」
と云ったものもある。自分はただ、
「ええ」
と答えて置いた。幸(さいわ)い今度はさっきのようにむやみには冷やかされずに、まあ無難(ぶなん)に済んだ。上がって来るものも、来るものも、みんな急いで降りて行くんで、調戯(からか)う暇がなかったんだろう。その代り一人に一度ずつは必ず睨(にら)まれた。そうこうしている内に、上がって来るものがようやく絶えたから、自分はようやく寛容(くつろ)いだ思いをして、囲炉裏(いろり)の炭の赤くなったのを見詰めて、いろいろ考え出した。もちろん纏(まと)まりようのない、かつ考えれば考えるほど馬鹿になる考えだが、火を見詰ていると、炭の中にそう云う妄想(もうぞう)がちらちらちらちら燃えてくるんだから仕方がない。とうとう自分の魂が赤い炭の中へ抜出して、火気(かっき)に煽(あお)られながら、むやみに踊をおどってるような変な心持になった時に、突然、
「草臥(くたび)れたろうから、もう御休みなさい」
と云われた。
 見ると、さっきの婆さんが、立っている。やっぱり襷掛(たすきがけ)のままである。いつの間(ま)に上がって来たものか、ちっとも気がつかなかった。自分の魂が遠慮なく火の中を馳(か)け廻って、艶子(つやこ)さんになったり、澄江(すみえ)さんになったり、親爺(おやじ)になったり、金さんになったり、――被布(ひふ)やら、廂髪(ひさしがみ)やら、赤毛布(あかげっと)やら、唸(うな)り声(ごえ)やら、揚饅頭(あげまんじゅう)やら、華厳(けごん)の滝やら――幾多無数の幻影(まぼろし)が、囲炉裏の中に躍(おど)り狂って、立ち騰(のぼ)る火の気の裏(うち)に追いつ追われつ、日向(ひなた)に浮かぶ塵(ちり)と思われるまで夥(おびただ)しく出て来た最中に、はっと気がついたんだから、眼の前にいる婆さんが、不思議なくらい変であった。しかし寝ろと云う注意だけは明かに耳に聞えたに違ないから、自分はただ、
「ええ」
と答えた。すると婆さんは後(うし)ろの戸棚を指(さ)して、
「布団(ふとん)は、あすこに這入(はい)ってるから、独(ひとり)で出して御掛けなさい。一枚三銭ずつだ。寒いから二枚はいるでしょう」
と聞くから、また
「ええ」
と答えたら、婆さんは、それ限(ぎり)何にも云わずに、降りて行った。これで、自分は寝てもいいと云う許可を得たから、正式に横になっても剣突(けんつく)を食う恐れはあるまいと思って、婆さんの指図通(さしずどお)り戸棚を明けて見ると、あった。布団がたくさんあった。しかしいずれも薄汚いものばかりである。自宅(うち)で敷いていたのとはまるで比較にならない。自分は一番上に乗ってるのを二枚、そっとおろした。そうして、電気灯の光で見た。地(じ)は浅黄(あさぎ)である。模様は白である。その上に垢(あか)が一面に塗りつけてあるから、六分方(ろくぶがた)色変りがして、白い所などは、通例なら我慢のできにくいほどどろんと、化けている。その上すこぶる堅い。搗(つ)き立ての伸(の)し餅(もち)を、金巾(かなきん)に包んだように、綿は綿でかたまって、表布(かわ)とはまるで縁故がないほどの、こちこちしたものである。
 自分はこの布団を畳の上へ平(ひらた)く敷いた。それから残る一枚を平く掛けた。そうして、襯衣(シャツ)だけになって、その間に潜(もぐ)り込んだ。湿(しめ)っぽい中を割り込んで、両足をうんと伸ばしたら踵(かかと)が畳の上へ出たから、また心持引っ込ました。延ばす時も曲げる時も、不断のように軽くしなやかには行かない。
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