こころ
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著者名:夏目漱石 

     四十

「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引(ひ)っ繰(く)り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では他(ほか)の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作(しょさ)は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。
 Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物(いちもつ)があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。
 二人は別に行く所もなかったので、竜岡町(たつおかちょう)から池(いけ)の端(はた)へ出て、上野(うえの)の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合(そうごう)して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引(ひ)っ張(ぱ)り出(だ)したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵(ふち)に陥(おちい)った彼を、どんな眼で私が眺(なが)めるかという質問なのです。一言(いちごん)でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生(へいぜい)と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他(ひと)の思わくを憚(はば)かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家(ようか)事件でその特色を強く胸の裏(うち)に彫(ほ)り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
 私がKに向って、この際何(な)んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然(しょうぜん)とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外(ほか)に仕方がないといいました。私は隙(す)かさず迷うという意味を聞き糺(ただ)しました。彼は進んでいいか退(しりぞ)いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇(かわ)き切った顔の上に慈雨(じう)の如く注(そそ)いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。

     四十一

「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体(からだ)、すべて私という名の付くものを五分(ぶ)の隙間(すきま)もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞(ようさい)の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺(なが)める事ができたも同じでした。
 Kが理想と現実の間に彷徨(ほうこう)してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打(ひとうち)で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚(きょ)に付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽(こっけい)だの羞恥(しゅうち)だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿(ばか)だ」といい放ちました。これは二人で房州(ぼうしゅう)を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐(ふくしゅう)ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言(いちごん)でKの前に横たわる恋の行手(ゆくて)を塞(ふさ)ごうとしたのです。
 Kは真宗寺(しんしゅうでら)に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨(しゅうし)に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女(なんにょ)に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進(しょうじん)という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲(きんよく)という意味も籠(こも)っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲(せつよく)や禁欲(きんよく)は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害(さまたげ)になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃(ころ)からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑(ぶべつ)の方が余計に現われていました。
 こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角(せっかく)積み上げた過去を蹴散(けち)らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
 Kはぴたりとそこへ立ち留(ど)まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那(せつな)に居直(いなお)り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣(めづか)いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々(そろそろ)とまた歩き出しました。

     四十二

「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗(あん)に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを騙(だま)し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍(そば)へ来て、お前は卑怯(ひきょう)だと一言(ひとこと)私語(ささや)いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を窘(たしな)めるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向(まむき)に見る事ができたのです。Kは私より背(せい)の高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、狼(おおかみ)のごとき心を罪のない羊に向けたのです。
「もうその話は止(や)めよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶(あいさつ)ができなかったのです。するとKは、「止(や)めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。狼(おおかみ)が隙(すき)を見て羊の咽喉笛(のどぶえ)へ食(くら)い付くように。
「止(や)めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 私がこういった時、背(せい)の高い彼は自然と私の前に萎縮(いしゅく)して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り頗(すこぶ)る強情(ごうじょう)な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質(たち)だったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然(そつぜん)「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言(ひとりごと)のようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川(こいしかわ)の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋(さび)しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味(あおみ)を失った杉の木立(こだち)の茶褐色(ちゃかっしょく)が、薄黒い空の中に、梢(こずえ)を並べて聳(そび)えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛(かじ)り付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台(ほんごうだい)を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡(おか)へ上(のぼ)るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃(ころ)になって、ようやく外套(がいとう)の下に体(たい)の温味(あたたかみ)を感じ出したぐらいです。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰り路(みち)にはほとんど口を聞きませんでした。宅(うち)へ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野(うえの)へ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生(へいぜい)から無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、碌(ろく)な挨拶(あいさつ)はしませんでした。それから飯(めし)を呑(の)み込むように掻(か)き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の室(へや)へ引き取りました。

     四十三

「その頃(ころ)は覚醒(かくせい)とか新しい生活とかいう文字(もんじ)のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意(いちい)に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど尊(たっと)い過去があったからです。彼はそのために今日(こんにち)まで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の生温(なまぬる)い事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾烈(しれつ)な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み留(とど)まって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示す路(みち)を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情(ごうじょう)と我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。
 上野(うえの)から帰った晩は、私に取って比較的安静な夜(よ)でした。私はKが室(へや)へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍(そば)に坐(すわ)り込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳(かざ)した後(あと)、自分の室に帰りました。外(ほか)の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。
 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖(ふすま)が二尺(しゃく)ばかり開(あ)いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵(よい)の通りまだ燈火(あかり)が点(つ)いているのです。急に世界の変った私は、少しの間(あいだ)口を利(き)く事もできずに、ぼうっとして、その光景を眺(なが)めていました。
 その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師(かげぼうし)のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈(ランプ)の灯(ひ)を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇(くらやみ)に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝(よくあさ)になって、昨夕(ゆうべ)の事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで飯(めし)を食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然(はっきり)した返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに宅(うち)を出ました。今朝(けさ)から昨夕の事が気に掛(かか)っている私は、途中でまたKを追窮(ついきゅう)しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日(きのう)上野で「その話はもう止(や)めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑(おさ)え始めたのです。

     四十四

「Kの果断に富んだ性格は私(わたくし)によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔(ゆうじゅう)な訳も私にはちゃんと呑(の)み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫(つら)まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍(なんべん)も咀嚼(そしゃく)しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺(うご)き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶(はんもん)、懊悩(おうのう)、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳(たた)み込んでいるのではなかろうかと疑(うたぐ)り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺(なが)め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返(いっぺん)彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻(みまわ)したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼(めっかち)でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図(いちず)に思い込んでしまったのです。
 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間(ま)に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極(き)めました。私は黙って機会を覘(ねら)っていました。しかし二日経(た)っても三日経っても、私はそれを捕(つら)まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風(ふう)の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
 一週間の後(のち)私はとうとう堪え切れなくなって仮病(けびょう)を遣(つか)いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事(なまへんじ)をしただけで、十時頃(ごろ)まで蒲団(ふとん)を被(かぶ)って寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内(なか)がひっそり静まった頃を見計(みはか)らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食物(たべもの)は枕元(まくらもと)へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体(からだ)に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で飯(めし)を食いました。その時奥さんは長火鉢(ながひばち)の向側(むこうがわ)から給仕をしてくれたのです。私は朝飯(あさめし)とも午飯(ひるめし)とも片付かない茶椀(ちゃわん)を手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托(くったく)していたから、外観からは実際気分の好(よ)くない病人らしく見えただろうと思います。
 私は飯を終(しま)って烟草(タバコ)を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍(そば)を離れる訳にゆきません。下女(げじょ)を呼んで膳(ぜん)を下げさせた上、鉄瓶(てつびん)に水を注(さ)したり、火鉢の縁(ふち)を拭(ふ)いたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
 私は仕方なしに言葉の上で、好(い)い加減にうろつき廻(まわ)った末、Kが近頃(ちかごろ)何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。

     四十五

「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘(うそ)を快(こころよ)からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後(あと)を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時(しばらく)返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺(なが)めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着(とんじゃく)などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰(もら)いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然(はきはき)したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜(よ)ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張(いば)った口の利(き)ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐(あわ)れな子です」と後(あと)では向うから頼みました。
 話は簡単でかつ明瞭(めいりょう)に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛(かか)らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮(いこう)さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥(こうでい)するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得(う)るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
 自分の室(へや)へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這(は)い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。
 私は午頃(ひるごろ)また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝(けさ)の話をお嬢さんに何時(いつ)通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古(けいこ)から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好(い)いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐(すわ)って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被(かぶ)って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を脱(と)って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒(なお)ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋(すいどうばし)の方へ曲ってしまいました。

     四十六

「私は猿楽町(さるがくちょう)から神保町(じんぼうちょう)の通りへ出て、小川町(おがわまち)の方へ曲りました。私がこの界隈(かいわい)を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺(てず)れのした書物などを眺(なが)める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅(うち)の事を考えていました。私には先刻(さっき)の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或(あ)る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
 私はとうとう万世橋(まんせいばし)を渡って、明神(みょうじん)の坂を上がって、本郷台(ほんごうだい)へ来て、それからまた菊坂(きくざか)を下りて、しまいに小石川(こいしかわ)の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨(また)がって、いびつな円を描(えが)いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向(いっこう)分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得(う)るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子(こうし)を開けて、玄関から坐敷(ざしき)へ通る時、すなわち例のごとく彼の室(へや)を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒(い)いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那(せつな)に、彼の前に手を突いて、詫(あや)まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野(こうや)の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
 夕飯(ゆうめし)の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉(うれ)しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今(ただいま)と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方(おおかた)極(きま)りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮(ついきゅう)しに掛(か)かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付(かおつき)で、事の成行(なりゆき)をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉(ことごと)く話されては堪(たま)らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生(へいぜい)より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱(いだ)いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息(ひといき)して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵(こしら)えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯(ひきょう)な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭(いや)になったのです。

     四十七

「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟(しげき)するのですから、私はなお辛(つら)かったのです。どこか男らしい気性を具(そな)えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素(すっ)ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作(きょしどうさ)も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目(めんぼく)のないのに変りはありません。といって、拵(こしら)え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問(きつもん)されるに極(きま)っています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝(さら)け出さなければなりません。真面目(まじめ)な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分(ぶ)一厘(りん)でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
 要するに私は正直な路(みち)を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾(こうかつ)な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境(きゅうきょう)に陥(おちい)ったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟(はさ)まってまた立(た)ち竦(すく)みました。
 五、六日経(た)った後(のち)、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰(なじ)るのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で妾(わたし)が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生(へいぜい)あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進んでもっと細(こま)かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固(もと)より何も隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
 奥さんのいうところを綜合(そうごう)して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口(ひとくち)いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩(も)らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子(しょうじ)を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前に坐(すわ)っていた私は、その話を聞いて胸が塞(ふさが)るような苦しさを覚えました。

     四十八

「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値(あたい)すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が遥(はる)かに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑(けいべつ)している事だろうと思って、一人で顔を赧(あか)らめました。しかし今更Kの前に出て、恥を掻(か)かせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。
 私が進もうか止(よ)そうかと考えて、ともかくも翌日(あくるひ)まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然(ぞっ)とします。いつも東枕(ひがしまくら)で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床(とこ)を敷いたのも、何かの因縁(いんねん)かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室(へや)との仕切(しきり)の襖(ふすま)が、この間の晩と同じくらい開(あ)いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱(ひじ)を突いて起き上がりながら、屹(きっ)とKの室を覗(のぞ)きました。洋燈(ランプ)が暗く点(とも)っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団(かけぶとん)は跳返(はねかえ)されたように裾(すそ)の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突(つ)ッ伏(ぷ)しているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体(からだ)は些(ちっ)とも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際(しきいぎわ)まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈(ランプ)の光で見廻(みまわ)してみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目(ひとめ)見るや否(いな)や、あたかも硝子(ガラス)で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立(ぼうだ)ちに立(た)ち竦(すく)みました。それが疾風(しっぷう)のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策(しま)ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄(ものすご)く照らしました。そうして私はがたがた顫(ふる)え出したのです。
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛(なあて)になっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに辛(つら)い文句がその中に書き列(つら)ねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。(固(もと)より世間体(せけんてい)の上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)
 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行(はくしじゃっこう)で到底行先(ゆくさき)の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその後(あと)に付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方(かたづけかた)も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜(よろ)しく詫(わび)をしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口(ひとくち)ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨(すみ)の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
 私は顫(ふる)える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆(みん)なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖(ふすま)に迸(ほとばし)っている血潮を始めて見たのです。

     四十九

「私は突然Kの頭を抱(かか)えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔(しにがお)が一目(ひとめ)見たかったのです。しかし俯伏(うつぶ)しになっている彼の顔を、こうして下から覗(のぞ)き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄(ぞっ)としたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今触(さわ)った冷たい耳と、平生(へいぜい)に変らない五分刈(ごぶがり)の濃い髪の毛を少時(しばらく)眺(なが)めていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激(しげき)して起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然(こつぜん)と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。
 私は何の分別(ふんべつ)もなくまた私の室(へや)に帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻(まわ)り始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。檻(おり)の中へ入れられた熊(くま)のような態度で。
 私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私を遮(さえぎ)ります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私を抑(おさ)えつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
 私はその間に自分の室の洋燈(ランプ)を点(つ)けました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど埒(らち)の明(あ)かない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明(よあけ)に間(ま)もなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻(まわ)りながら、その夜明を待ち焦(こが)れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
 我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女(げじょ)はその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室(へや)まで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ不断着(ふだんぎ)の羽織を引(ひ)っ掛(か)けて、私の後(あと)に跟(つ)いて来ました。私は室へはいるや否(いな)や、今まで開(あ)いていた仕切りの襖(ふすま)をすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋(あご)で隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは蒼(あお)い顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦(いすく)まったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫(あや)まりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫(わ)びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生(へいぜい)の私を出し抜いてふらふらと懺悔(ざんげ)の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きと怖(おそ)れとが、彫(ほ)り付けられたように、硬(かた)く筋肉を攫(つか)んでいました。

     五十

「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙(からかみ)を開けました。その時Kの洋燈(ランプ)に油が尽きたと見えて、室(へや)の中はほとんど真暗(まっくら)でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中を覗(のぞ)き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。
 それから後(あと)の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人(びぼうじん)だけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続(てつづき)の済むまで、誰もKの部屋へは入(い)れませんでした。
 Kは小さなナイフで頸動脈(けいどうみゃく)を切って一息(ひといき)に死んでしまったのです。外(ほか)に創(きず)らしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い灯(ひ)で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋(くびすじ)から一度に迸(ほとばし)ったものと知れました。私は日中(にっちゅう)の光で明らかにその迹(あと)を再び眺(なが)めました。そうして人間の血の勢(いきお)いというものの劇(はげ)しいのに驚きました。
 奥さんと私はできるだけの手際(てぎわ)と工夫を用いて、Kの室(へや)を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団(ふとん)に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末[#「後始末」は底本では「後始未」]はまだ楽でした。二人は彼の死骸(しがい)を私の室に入れて、不断の通り寝ている体(てい)に横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。
 私が帰った時は、Kの枕元(まくらもと)にもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭(ほとけくさ)い烟(けむり)で鼻を撲(う)たれた私は、その烟の中に坐(すわ)っている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来(さくやらい)この時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい寛(くつ)ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴(いってき)の潤(うるおい)を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
 私は黙って二人の傍(そば)に坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと一口(ひとくち)二口(ふたくち)言葉を換(か)わす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも昨夜(ゆうべ)の物凄(ものすご)い有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折角(せっかく)の美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖(こわ)かったのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には綺麗(きれい)な花を罪もないのに妄(みだ)りに鞭(むち)うつと同じような不快がそのうちに籠(こも)っていたのです。
 国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋(う)めるかについて自分の意見を述べました。私は彼の生前に雑司ヶ谷(ぞうしがや)近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。それで私は笑談(じょうだん)半分(はんぶん)に、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬(ほうむ)ったところで、どのくらいの功徳(くどく)になるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪(ひざまず)いて月々私の懺悔(ざんげ)を新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。

     五十一

「Kの葬式の帰り路(みち)に、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。
 私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私宛(あて)で書き残した手紙を繰り返すだけで、外(ほか)に一口(ひとくち)も附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐(ふところ)から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的(えんせいてき)な考えを起して自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳(たた)んで友人の手に帰しました。友人はこの外(ほか)にもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。私は何よりも宅(うち)のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪(たま)らないと思っていたのです。私はその友人に外(ほか)に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。
 私が今おる家へ引(ひ)っ越(こ)したのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを厭(いや)がりますし、私もその夜(よ)の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極(き)めたのです。
 移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経(た)たないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度(めでたい)といわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が随(つ)いていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。
 結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、妻(さい)といいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参(はかまい)りをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人揃(そろ)ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺(なが)めていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。
 私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷(ぞうしがや)へ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった顛末(てんまつ)を述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。
 その時妻はKの墓を撫(な)でてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行って見立(みた)てたりした因縁(いんねん)があるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋(うず)められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵(れいば)を感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。

     五十二

「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入(はい)る端緒(いとくち)になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕妻(さい)と顔を合せてみると、私の果敢(はか)ない希望は手厳しい現実のために脆(もろ)くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然(そつぜん)Kに脅(おびや)かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映(うつ)ります。映るけれども、理由は解(わか)らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問(きつもん)を受けました。笑って済ませる時はそれで差支(さしつか)えないのですが、時によると、妻の癇(かん)も高(こう)じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言(えんげん)も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。
 私は一層(いっそ)思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑(おさ)え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して己(おの)れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔(ざんげ)の言葉を並べたなら、妻は嬉(うれ)し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印(いん)するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫(ひとしずく)の印気(インキ)でも容赦(ようしゃ)なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
 一年経(た)ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐(くちく)するために書物に溺(おぼ)れようと力(つと)めました。私は猛烈な勢(いきおい)をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公(おおやけ)にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵(こしら)えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘(うそ)ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋(うず)めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺(なが)めだしたのです。
 妻はそれを今日(こんにち)に困らないから心に弛(たる)みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは坐(すわ)っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支(さしつか)えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父(おじ)に欺(あざむ)かれた当時の私は、他(ひと)の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他(ひと)を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己(おれ)は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事(みごと)に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想(あいそ)を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。

     五十三

「書物の中に自分を生埋(いきう)めにする事のできなかった私は、酒に魂を浸(ひた)して、己(おの)れを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質(たち)でしたから、ただ量を頼みに心を盛(も)り潰(つぶ)そうと力(つと)めたのです。この浅薄(せんぱく)な方便はしばらくするうちに私をなお厭世的(えんせいてき)にしました。私は爛酔(らんすい)の真最中(まっさいちゅう)にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似(まね)をして己れを偽(いつわ)っている愚物(ぐぶつ)だという事に気が付くのです。すると身振(みぶる)いと共に眼も心も醒(さ)めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入(はい)り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後(あと)には、きっと沈鬱(ちんうつ)な反動があるのです。私は自分の最も愛している妻(さい)とその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛(かか)ります。
 妻の母は時々気拙(きまず)い事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した例(ためし)はほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止(や)めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの頃(ごろ)人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。
 私は時々妻に詫(あや)まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日(あくるひ)の朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快で堪(たま)らなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。私はしまいに酒を止(や)めました。妻の忠告で止めたというより、自分で厭(いや)になったから止めたといった方が適当でしょう。
 酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打(う)ち遣(や)って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞(せきばく)でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。
 同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正(まさ)しく失恋のために死んだものとすぐ極(き)めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易(たやす)くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋(さむ)しくって仕方がなくなった結果、急に所決(しょけつ)したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄(ぞっ)としたのです。私もKの歩いた路(みち)を、Kと同じように辿(たど)っているのだという予覚(よかく)が、折々風のように私の胸を横過(よこぎ)り始めたからです。

     五十四


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