彼岸過迄
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著者名:夏目漱石 

 僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉下(くだ)りまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。
「これも一興(いっきょう)だ」
 疑問は叔父の一句でたちまち納(おさま)りがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明日(あした)の魚捕(さかなとり)の事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真面目(まじめ)だか冗談(じょうだん)だか、船に乗りさえすれば、魚の方で風(ふう)を望(のぞ)んで降(くだ)るような旨(うま)い話をして聞かせた。それがただ自分の伜(せがれ)を相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴手(ききて)にするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨拶(あいさつ)をする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一人(いちにん)として受答(うけこたえ)をするようになっていた。僕は固(もと)より行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声(いびき)をかき始めた。吾一もすやすや寝入(ねい)った。ただ僕だけは開(あ)いている眼をわざと閉じて、更(ふ)けるまでいろいろな事を考えた。

        二十

 翌日(あくるひ)眼が覚(さ)めると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかない路(みち)を辿(たど)りながら、時々別種の人間を偸(ぬす)み見るような好奇心をもって、叔父の寝顔を眺(なが)めた。そうして僕も寝ている時は、傍(はた)から見ると、やはりこう苦(く)がない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這入(はい)って来て、市(いっ)さんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろと促(うな)がすので、起き上って縁側(えんがわ)へ出ると、海の方には一面に柔かい靄(もや)の幕がかかって、近い岬(みさき)の木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空を眺(なが)め出したが、少し降ってると答えた。
 彼は今日の船遊びの中止を深く気遣(きづか)うもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子は当(あて)にならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風呂場(ふろば)の方へ行った。
 食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえって穏(おだ)やかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御婆(おばあ)さんだけ残して、若いものが揃(そろ)って出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御爺(おじい)さんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。
「今日はこれでも若いものの部だよ」
 叔父はこの言葉を証拠立(しょうこだ)てるためだか何だか、さっそく立って浴衣(ゆかた)の尻を端折(はしょ)って下へ降りた。姉弟(きょうだい)三人もそのままの姿で縁から降りた。
「御前達も尻を捲(まく)るが好い」
「厭(いや)な事」
 僕は山賊のような毛脛(けずね)を露出(むきだ)しにした叔父と、静御前(しずかごぜん)の笠(かさ)に似た恰好(かっこう)の麦藁帽(むぎわらぼう)を被(かぶ)った女二人と、黒い兵児帯(へこおび)をこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとく眺(なが)めた。
「市(いっ)さんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。
「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。
「市さんに悪い下駄(げた)を貸して上げるが好い」と叔父が注意した。
 僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳足(かけあし)で迎(むかえ)に行って連れて来る事にした。
 叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になって歩調を合せた。そのうちに、男の足だものだから、いつの間にか姉妹(きょうだい)を乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人は後(おく)れた事にいっこう頓着(とんじゃく)しない様子で、毫(ごう)も追いつこうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざと後(あと)から来る高木を待ち合せるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所作(しょさ)だったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考で振り向いた僕は、合図を止(や)めてまた叔父と歩き出した。そうしてそのまま小坪(こつぼ)へ這入(はい)る入口の岬(みさき)の所まで来た。そこは海へ出張(でば)った山の裾(すそ)を、人の通れるだけの狭い幅(はば)に削(けず)って、ぐるりと向う側へ廻り込まれるようにした坂道であった。叔父は一番高い坂の角まで来てとまった。

        二十一

 彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度も後(うしろ)を振り返って見ようとしたのである。けれども気が咎(とが)めると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首が猪(いのしし)のように堅くなって後へ回らなかったのである。
 見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木は被(かぶ)っていた麦藁帽(むぎわらぼう)を右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽古(けいこ)でもしたものと見えて、海と崖(がけ)に反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。
 叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれた後(のち)も呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながら上(あが)って来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外套(がいとう)のようなものを着て時々隠袋(ポッケット)へ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議に眺(なが)めていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨除(レインコート)である事に気がついた。その時叔父が突然、市(いっ)さんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じて脚(あし)の下を見た。すると磯(いそ)に近い所に、真白に塗った空船(からぶね)が一艘(そう)、静かな波の上に浮いていた。糠雨(ぬかあめ)[#「糠雨」は底本では「糖雨」]とまでも行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面に暈(ぼか)されて、平生(いつも)なら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色(ひといろ)に眺(なが)められた。そのうち四人(よつたり)はようやく僕らの傍(そば)まで来た。
「どうも御待たせ申しまして、実は髭(ひげ)を剃(す)っていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……」と高木は叔父の顔を見るや否や云訳(いいわけ)をした。
「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。
「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻(ばんから)なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套(レインコート)の下に、直(じか)に半袖(はんそで)の薄い襯衣(シャツ)を着て、変な半洋袴(はんズボン)から余った脛(すね)を丸出しにして、黒足袋(くろたび)に俎下駄(まないたげた)を引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女(レデー)の前でも気兼(きがね)がなくって好いと云っていた。
 一同がぞろぞろ揃(そろ)って道幅の六尺ばかりな汚苦(むさくる)しい漁村に這入(はい)ると、一種不快な臭(におい)がみんなの鼻を撲(う)った。高木は隠袋(ポッケット)から白い手巾(ハンケチ)を出して短かい髭の上を掩(おお)った。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たものの宅(うち)はどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕(ゆうべ)聞き合せに人をやった家(うち)の主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑気(のんき)な教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙に羨(うらや)ましく思った。
「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。
「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。
「何大丈夫分るよ」と叔父が受合った。
 吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編笠(あみがさ)を被(かぶ)って白い手甲(てっこう)と脚袢(きゃはん)を着けた月琴弾(げっきんひき)の若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じ問(とい)をかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易(たやす)く教えてくれたので、みんながまた手を拍(う)って笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁葺(わらぶき)の家であった。

        二十二

 この細い石段を思い思いの服装(なり)をした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、傍(はた)で見ていたら定めし変なものだったろうと思う。その上六人のうちで、これから何をするか明瞭(はっきり)した考を有(も)っていたものは誰もないのだからはなはだ気楽である。肝心(かんじん)の叔父さえただ船に乗る事を知っているだけで、後は網だか釣だか、またどこまで漕(こ)いで出るのかいっこう弁別(わきま)えないらしかった。百代子の後(あと)から足の力で擦(す)り減(へ)らされて凹みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、己(おの)れを委(ゆだ)ねて悔いないところを、避暑の趣(おもむき)とでも云うのかと思いつつ上(のぼ)った。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇の大切な一幕が、ある男とある女の間に暗(あん)に演ぜられつつあるのでは無かろうかと疑ぐった。そうしてその一幕の中で、自分の務(つと)めなければならない役割がもしあるとすれば、穏(おだや)かな顔をした運命に、軽く翻弄(ほんろう)される役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無雑作(むぞうさ)にやって除(の)ける叔父が、人に気のつかないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手際(てぎわ)を有(も)った作者と云わなければなるまいという気を起した。僕の頭にこういう影が射した時、すぐ後(あと)から跟(つ)いて上(あが)って来る高木が、これじゃ暑くってたまらない、御免蒙(ごめんこうむ)って雨防衣(レインコート)を脱ごうと云い出した。
 家は下から見たよりもなお小さくて汚なかった。戸口に杓子(しゃくし)が一つ打ちつけてあって、それに百日風邪(ひゃくにちかぜ)吉野平吉一家一同と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見つけ出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目敬(めざと)い吾一の手柄であった。中を覗(のぞ)くと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆さんが一人いたぎりである。その婆さんが、今日は天気がよくないので、おおかたおいでじゃあるまいと云って早く海へ出ましたから、今浜へ下りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟へ乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんは多分あの船だろうと答えて、手で海の上を指(さ)した。靄(もや)はまだ晴れなかったけれども、先刻(さっき)よりは空がだいぶ明るくなったので、沖の方は比較的判切(はっきり)見える中に、指された船は遠くの向うに小さく横(よこた)わっていた。
「あれじゃ大変だ」
 高木は携(たずさ)えて来た双眼鏡を覗(のぞ)きながらこう云った。
「随分呑気(のんき)ね、迎(むか)いに行くって、どうしてあんな所へ迎に行けるんでしょう」と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受取った。
 婆さんは何直(じき)ですと答えて、草履(ぞうり)を穿(は)いたまま、石段を馳(か)け下りて行った。叔父は田舎者(いなかもの)は気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんの後(あと)を追かけた。百代子はぼんやりして汚ない縁へ腰をおろした。僕は庭を見廻した。庭という名のもったいなく聞こえる縁先は五坪(いつつぼ)にも足りなかった。隅(すみ)に無花果(いちじく)が一本あって、腥(なま)ぐさい空気の中に、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない実(み)が云訳(いいわけ)ほど結(な)って、その一本の股(また)の所に、空(から)の虫籠(むしかご)がかかっていた。その下には瘠(や)せた鶏が二三羽むやみに爪を立てた地面の中を餓(う)えた嘴(くちばし)でつついていた。僕はその傍(そば)に伏せてある鉄網(かなあみ)の鳥籠(とりかご)らしいものを眺(なが)めて、その恰好(かっこう)がちょうど仏手柑(ぶしゅかん)のごとく不規則に歪(ゆが)んでいるのに一種滑稽(こっけい)な思いをした。すると叔父が突然、何分臭(くさ)いねと云い出した。百代子は、あたしもう御魚なんかどうでも好いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、断(た)えず千代子と話していた高木はすぐ後(うしろ)を振り返った。
「何をしているだろう。ちょっと行って様子を見て来ましょう」
 彼はそう云いながら、手に持った雨外套(レインコート)と双眼鏡を置くために後(うしろ)の縁を顧(かえり)みた。傍(そば)に立った千代子は高木の動かない前に手を出した。
「こっちへ御出しなさい。持ってるから」
 そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半袖姿(はんそですがた)を見て笑いながら、「とうとう蛮殻(ばんから)になったのね」と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下りて行った。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるために手を振るごとに動く様を後から無言のまま注意して眺(なが)めた。

        二十三

 船に乗るためにみんなが揃(そろ)って浜に下り立ったのはそれから約一時間の後(のち)であった。浜には何の祭の前か過(すぎ)か、深く砂の中に埋(う)められた高い幟(のぼり)の棒が二本僕の眼を惹(ひ)いた。吾一はどこからか磯(いそ)へ打ち上げた枯枝を拾って来て、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。
「さあ御乗り」と坊主頭の船頭が云ったので、六人は順序なくごたごたに船縁(ふなべり)から這(は)い上った。偶然の結果千代子と僕は後(あと)のものに押されて、仕切りの付いた舳(へさき)の方に二人膝(ひざ)を突き合せて坐った。叔父は一番先に、胴(どう)の間(ま)というのか、真中の広い所に、家長(かちょう)らしく胡坐(あぐら)をかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼は否応(いやおう)なしに叔父の傍(そば)に座を占めた。百代子と吾一は彼らの次の間(ま)と云ったような仕切の中に船頭といっしょに這入った。
「どうですこっちが空(す)いてますからいらっしゃいませんか」と高木はすぐ後(うしろ)の百代子を顧(かえり)みた。百代子はありがとうといったきり席を移さなかった。僕は始めから千代子と一つ薄縁(うすべり)の上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉妬(しっと)を起した事はすでに明かに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨日(きのう)も今日(きょう)も同じだったかも知れないが、それと共に競争心はいまだかつて微塵(みじん)も僕の胸に萌(きざ)さなかったのである。僕も男だからこれから先いつどんな女を的(まと)に劇烈な恋に陥(おちい)らないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐(ふとこ)ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他(ひと)から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争に価(あたい)しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡(なび)かない女を無理に抱(だ)く喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕(きずあと)を淋(さみ)しく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。
 僕は千代子にこう云った。――
「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くって楽(らく)なようだから」
「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」
 千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭味(いやみ)と受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種の嬉(うれ)しさが閃(ひら)めいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝露(ばくろ)する好い証拠(しょうこ)で、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。
 昨日(きのう)会った時よりは気のせいか少し控目になったように見える高木は、千代子と僕の間に起ったこの問答を聞きながら知らぬふりをしていた。船が磯(いそ)を離れたとき、彼は「好い案排(あんばい)に空模様が直って来ました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持って来いという御天気で」というような事を叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、「船頭、いったい何を捕(と)るんだ」と聞いた。叔父もその他のものも、この時まで何を捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗末(ぞんざい)[#ルビの「ぞんざい」は底本では「そんざい」]な言葉で、蛸(たこ)を捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚ろくよりもおかしかったと見えて、たちまち声を出して笑った。
「蛸はどこにいるんだ」と叔父がまた聞いた。
「ここいらにいるんだ」と船頭はまた答えた。
 そうして湯屋の留桶(とめおけ)を少し深くしたような小判形(こばんなり)の桶の底に、硝子(ガラス)を張ったものを水に伏せて、その中に顔を突込(つっこ)むように押し込みながら、海の底を覗(のぞ)き出した。船頭はこの妙な道具を鏡(かがみ)と称(とな)えて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭の傍(そば)に座を取った吾一と百代子であった。

        二十四

 鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父はこりゃ鮮(あざ)やかだね、何でも見えると非道(ひど)く感心していた。叔父は人間社会の事に大抵通じているせいか、万(よろず)に高(たか)を括(くく)る癖に、こういう自然界の現象に襲(おそ)われるとじき驚ろく性質(たち)なのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子越に海の底を眺めたが、かねて想像したと少しも異なるところのない極(きわ)めて平凡な海の底が眼に入(い)っただけである。そこには小(ち)さい岩が多少の凸凹(とつおう)を描いて一面に連(つら)なる間に、蒼黒(あおぐろ)い藻草(もくさ)が限りなく蔓延(はびこ)っていた。その藻草があたかも生温(なまぬ)るい風に嬲(なぶ)られるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後に揺(うご)かした。
「市(いっ)さん蛸が見えて」
「見えない」
 僕は顔を上げた。千代子はまた首を突込(つっこ)んだ。彼女の被(かぶ)っていたへなへなの麦藁帽子(むぎわらぼうし)の縁(ふち)が水に浸(つか)って、船頭に操(あや)つられる船の勢に逆(さか)らうたびに、可憐な波をちょろちょろ起した。僕はその後(うしろ)に見える彼女の黒い髪と白い頸筋(くびすじ)を、その顔よりも美くしく眺めていた。
「千代ちゃんには、目付(めっ)かったかい」
「駄目よ。蛸(たこ)なんかどこにも泳いでいやしないわ」
「よっぽど慣れないとなかなか目付(めっ)ける訳に行かないんだそうです」
 これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手で桶(おけ)を抑(おさ)えたまま、船縁(ふなべり)から乗り出した身体(からだ)を高木の方へ捻(ね)じ曲げて、「道理(どうれ)で見えないのね」といったが、そのまま水に戯(たわむ)れるように、両手で抑えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向うの方から御姉さんと呼んだ。吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女竹(めだけ)の先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯で銜(くわ)えて、片手に棹(さお)を使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるや否(いな)や、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。
 蛸は船頭一人の手で、何疋(なんびき)も船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそ皆(みんな)珍らしがって、捕(と)れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少し飽(あ)きて来たと見えて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と云い出した。高木は煙草(たばこ)を吹かしながら、舟底(ふなぞこ)にかたまった獲物(えもの)を眺め始めた。
「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」
 高木はこう云って千代子を招いたが、傍(そば)に坐っている僕の顔を見た時、「須永(すなが)さんどうです、蛸が泳いでいますよ」とつけ加えた。僕は「そうですか。面白いでしょう」と答えたなり直(すぐ)席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕は故(もと)の所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。
「ええ面白いわ、早く来て御覧なさい」
 蛸は八本の足を真直に揃(そろ)えて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏賊(いか)のように黒い墨を吐(は)くのも交(まじ)っていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。
 叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹籃(たけかご)のようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりで淋(さむ)しいと思った叔父は、船をその一つの側(わき)へ漕(こ)ぎ寄せさした。申し合せたように、舟中(ふねじゅう)立ち上って籃(かご)の内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中を馳(か)け廻っていた。その或ものは水の色を離れない蒼(あお)い光を鱗(うろこ)に帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏に透(とお)すように輝やいた。
「一つ掬(すく)って御覧なさい」
 高木は大きな掬網(たま)の柄(え)を千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木は己(おの)れの手を添えて二人いっしょに籃(かご)の中を覚束(おぼつか)なく攪(か)き廻した。しかし魚は掬(すく)えるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網(たま)で叔父の命ずるままに何疋でも水から上へ択(よ)り出した。僕らは危怪(きかい)な蛸の単調を破るべく、鶏魚(いさき)、鱸(すずき)、黒鯛(くろだい)の変化を喜こんでまた岸に上(のぼ)った。

        二十五

 僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件の下(もと)に、なお二三日鎌倉に留(とど)まる事を肯(がえ)んじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好(よ)く落ちついているのだろうと、鋭どく磨(と)がれた自分の神経から推して、悠長(ゆうちょう)過ぎる彼女をはがゆく思った。
 高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えて三(み)つ巴(ともえ)を描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途(せんど)を予知したごとき態度で、中途から渦巻(うずまき)の外に逃(のが)れたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏(まとい)を撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見(もくろみ)があって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心(しっとしん)だけあって競争心を有(も)たない僕にも相応の己惚(うぬぼれ)は陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎(かげろ)ったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚(うぬぼれ)をあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくる煩(わず)らわしさに悩んだのである。
 彼女は時によると、天下に只一人(ただいちにん)の僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼を塞(ふさ)いで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういう潮(しお)の満干(みちひ)はすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退(とおの)いたりするのでなかろうかという微(かす)かな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一(いつ)の意味に解釈し終ったすぐ後(あと)から、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実(じつ)どっちが正しいのか分らないいたずらな忌々(いまいま)しさを感じた例(ためし)も少なくはなかった。
 僕はこの二日間に娶(めと)るつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、厭(いや)でもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風(つむじかぜ)の中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部(うわべ)から云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕を襲(おそ)って来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃(きらめき)を物凄(ものすご)く感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。
 僕は強い刺戟(しげき)に充(み)ちた小説を読むに堪(た)えないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那(せつな)に驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂き棄(す)てたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯(いそ)があった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男が激(げき)して女が泣いた。後(あと)では女が激して男が宥(なだ)めた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額(がく)があり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。果(はて)は立ち上って拳(こぶし)を揮(ふる)い合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前に描(えが)かれた。僕はそのいずれをも甞(な)め試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云って嘲(あざ)けるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩に涸(か)れて乾(から)びたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。

        二十六

 僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺戟(しげき)を眼の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦躁(いら)つきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つく事のはなはだしい苦痛をいたずらに胸の中(うち)に描いて見た。偶然にも結果は他の一方に外(そ)れた。僕は僕の希望した通り、平生に近い落ちつきと冷静と無頓着(むとんじゃく)とを、比較的容易に、淋(さみ)しいわが二階の上に齎(もた)らし帰る事ができた。僕は新らしい匂(におい)のする蚊帳(かや)を座敷いっぱいに釣って、軒に鳴る風鈴(ふうりん)の音を楽しんで寝た。宵(よい)には町へ出て草花の鉢(はち)を抱(かか)えながら格子(こうし)を開ける事もあった。母がいないので、すべての世話は作(さく)という小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家の膳(ぜん)に向った時、給仕のために黒い丸盆を膝(ひざ)の上に置いて、僕の前に畏(かし)こまった作の姿を見た僕は今更(いまさら)のように彼女と鎌倉にいる姉妹(きょうだい)との相違を感じた。作は固(もと)より好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎(つつ)ましやかにいかに控目に、いかに女として憐(あわ)れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐(すわ)っていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧(あか)い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利(き)いた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢(かひ)の女らしいところに気がついた。愛とは固(もと)より彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲(まわり)から出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。
 僕が作のために安慰を得たと云っては、自分ながらおかしく聞こえる。けれども今考えて見てもそれよりほかの源因は全く考えつかないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女性(にょしょう)のある方面の性質が、想像の刺戟(しげき)にすら焦躁立(いらだ)ちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景色(けしき)は折々眼に浮かんだ。その景色のうちには無論人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害を一(いつ)にし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。
 僕は二階に上(のぼ)って書架の整理を始めた。綺麗好(きれいずき)な母が始終(しじゅう)気をつけて掃除を怠(おこ)たらなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬ埃(ほこり)の色を、目の届かない陰に見つけるので、残らず揃(そろ)えるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間のかかるように、気が向けば手にした本をいつまでも読み耽(ふけ)ってみようという気楽な方針で蝸牛(かたつむり)のごとく進行した。作は時ならない払塵(はたき)の音を聞きつけて、梯子段(はしごだん)から銀杏返(いちょうがえ)しの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑巾(ぞうきん)で拭いて貰(もら)った。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下(した)へ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥(くたび)れたから煙草(たばこ)を吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。
 作の事をそう一々云う必要もないが、つい前からの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻煙草(まきたばこ)を呑み切った後(あと)でまた整理にかかった。今度は作のためにわれ一人(いちにん)の世界を妨(さま)たげられる虞(おそれ)なしに、書架の二段目を一気に片づけた。その時僕は久しく友達に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然棚(たな)の後(うしろ)から発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向側(むこうがわ)へ落ちたなり埃だらけになって、今日(きょう)まで僕の眼を掠(かす)めていたのである。

        二十七

 僕にこの本を貸してくれたものはある文学好(ずき)の友達であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこう華(はな)やかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いてもつまらないだろうと云った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問がかけて見たくなったのである。その時彼は机上にあったこの本を指(さ)して、ここに書いてある主人公は、非常に目覚(めざま)しい思慮と、恐ろしく凄(すさ)まじい思い切った行動を具(そな)えていると告げた。僕はいったいどんな事が書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んで見ろと云って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲダンケという独乙字(ドイツじ)が書いてあった。彼は露西亜物(ロシアもの)の翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗□(こうがい)を彼に尋ねた。彼は梗□などはどうでも好いと答えた。そうして中に書いてある事が嫉妬(しっと)なのだか、復讐(ふくしゅう)なのだか、深刻な悪戯(いたずら)なのだか、酔興(すいきょう)な計略なのだか、真面目(まじめ)な所作なのだか、気狂(きちがい)の推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分らないが、何しろ華々(はなばな)しい行動と同じく華々しい思慮が伴なっているから、ともかくも読んで見ろと云った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読み耽(ふけ)らない癖に、小説家というものをいっさい馬鹿にしていた上に、友達のいうような事にはちっとも心を動かすべき興味を有(も)たなかったからである。
 この出来事をすっかり忘れていた僕は、何の気もつかずにそのゲダンケを今棚(たな)の後(うしろ)から引き出して厚い塵(ちり)を払った。そうして見覚(みおぼえ)のある例の独乙字の標題に眼をつけると共に、かの文学好の友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起ったか分らない好奇心に駆(か)られて、すぐその一頁(ページ)を開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。
 ある女に意(い)のあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合の人の所へ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面白くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指を銜(くわ)えて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手のつけようのないという複雑な殺し方をしなければ気がすまない。彼はその手段(てだて)として一種の方法を案出した。ある晩餐(ばんさん)の席へ招待された好機を利用して、彼は急に劇(はげ)しい発作(ほっさ)に襲(おそ)われたふりをし始めた。傍(はた)から見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、全くの狂人と信じられたのを見すまして、心の内で図に当った策略を祝賀した。彼は人目に触れやすい社交場裡(り)で、同じ所作(しょさ)をなお二三度くり返した後、発作のために精神に狂(くるい)の出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手数(てかず)のかかった準備の上に、手のつけようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起る彼の発作が、華(はな)やかな交際の色を暗く損(そこ)ない出してから、今まで懇意に往来(ゆきき)していた誰彼の門戸が、彼に対して急に固く鎖(とざ)されるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出入(でいり)のできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴落(けおと)そうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住居(すまい)を敲(たた)いた。そこで世間話に時を移すと見せて、暗に目の前の人に飛びかかる機を窺(うかが)った。彼は机の上にあった重い文鎮(ぶんちん)を取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友は固(もと)より彼の問を真(ま)に受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名の下(もと)に、瘋癲院(ふうてんいん)に送られた。彼は驚ろくべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛末(てんまつ)を基礎に、自分のけっして狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必竟(ひっきょう)正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄然(りつぜん)として恐れた。

        二十八

 僕の頭(ヘッド)は僕の胸(ハート)を抑(おさ)えるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしい悔(くい)を遺(のこ)さない過去を顧(かえり)みると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸が熱しかけるたびに、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、はなはだしい苦痛である。僕は意地張(いじばり)という点において、どっちかというとむしろ陰性の癇癪持(かんしゃくもち)だから、発作(ほっさ)に心を襲(おそ)われた人が急に理性のために喰い留められて、劇(はげ)しい自動車の速力を即時に殺すような苦痛は滅多(めった)に甞(な)めた事がない。それですらある場合には命の心棒を無理に曲げられるとでも云わなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起るたびに、常に頭の命令に屈従して来た僕は、ある時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命を削(けず)る争いだという畏怖(いふ)の念から解脱(げだつ)する事ができなかった。
 それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚ろいたのである。親友の命を虫の息のように軽(かろ)く見る彼は、理と情(じょう)との間に何らの矛盾をも扞格(かんかく)をも認めなかった。彼の有する凡(すべ)ての知力は、ことごとく復讐(ふくしゅう)の燃料となって、残忍な兇行を手際(てぎわ)よく仕遂げる方便に供せられながら、毫(ごう)も悔ゆる事を知らなかった。彼は周密なる思慮を率(ひき)いて、満腔(まんこう)の毒血を相手の頭から浴びせかけ得る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心にふるまえるゲダンケの主人公が大いに羨(うらや)ましかった。同時に汗(あせ)の滴(したた)るほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかした後(あと)は定めし堪(た)えがたい良心の拷問(ごうもん)に逢うだろうと思った。
 けれどももし僕の高木に対する嫉妬(しっと)がある不可思議の径路を取って、向後(こうご)今の数十倍に烈(はげ)しく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真似(まね)はしえまいという見地から、すぐこの問題を棄却(ききゃく)しようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐(ふくしゅう)が充分やって除(の)けられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、逞(たく)ましゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりは遥(はる)かに複雑なものに見えた。が、纏(まとま)って心に現われた状態から云えば、ちょうどおとなしい人が酒のために大胆になって、これなら何でもやれるという満足を感じつつ、同時に酔に打ち勝たれた自分は、品性の上において平生の自分より遥に堕落したのだと気がついて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとても逃(のが)れる事はできないのだと沈痛に諦(あき)らめをつけたと同じような変な心持であった。僕はこの変な心持と共に、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮(ぶんちん)を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼を開(あ)きながら見て、驚ろいて立ち上った。
 下へ降りるや否(いな)や、いきなり風呂場(ふろば)へ行って、水をざあざあ頭へかけた。茶の間の時計を見ると、もう午過(ひるすぎ)なので、それを好い機会(しお)に、そこへ坐(す)わって飯を片づける事にした。給仕には例の通り作(さく)が出た。僕は二(ふ)た口(くち)三口(みくち)無言で飯の塊(かたま)りを頬張ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色はどうかあるかいと聞いた。作は吃驚(びっくり)した眼を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作の方がどうか遊ばしましたかと尋ねた
「いいや、大してどうもしない」
「急に御暑うございますから」
 僕は黙って二杯の飯を食い終った。茶を注(つ)がして飲みかけた時、僕はまた突然作に、鎌倉などへ行って混雑(ごたごた)するより宅(うち)にいる方が静(しずか)で好いねと云った。作は、でもあちらの方が御涼しゅうございましょうと云った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらしていけないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにおいででございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。

        二十九

 僕は僕の前に坐(すわ)っている作(さく)の姿を見て、一筆(ひとふで)がきの朝貌(あさがお)のような気がした。ただ貴(たっ)とい名家の手にならないのが遺憾(いかん)であるが、心の中はそう云う種類の画(え)と同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人柄(ひとがら)を画に喩(たと)えて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持って畏(かしこ)まっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうと呆(あき)れたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠(しょうこ)として、今日(こんにち)まで自分の頭が他(ひと)より複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因果(いんが)でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶碗(ちゃわん)を膳(ぜん)の上に置きながら、作の顔を見て尊(たっ)とい感じを起した。
「作御前でもいろいろ物を考える事があるかね」
「私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから」
「考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ」
「あっても智慧(ちえ)がございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」
「仕合せだ」
 僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。
 その夕暮に思いがけない母が出し抜けに鎌倉から帰って来た。僕はその時日(ひ)の限りかけた二階の縁に籐椅子(といす)を持ち出して、作が跣足(はだし)で庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へ降(お)りて玄関へ出た時、僕は母を送って来るべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女の後(あと)に跟(つ)いて沓脱(くつぬぎ)から上(あが)ったのを見て非常に驚ろいた。僕は籐椅子の上で千代子の事を全く考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離す事はできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けて心持色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨拶(あいさつ)を取り替(かわ)す前に、まず千代子に向ってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はその通りの言葉を第一に用いたのである。
「叔母さんを送って来たのよ。なぜ。驚ろいて」
「そりゃありがとう」と僕は答えた。僕の千代子に対する感情は鎌倉へ行く前と、行ってからとでだいぶ違っていた。行ってからと帰って来てからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょに束(つか)ねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托するのが不安心だったから、自分で随(つ)いて来たのだと云って、作が足を洗っている間(ま)に、母の単衣(ひとえ)を箪笥(たんす)から出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子の通り豆(まめ)やかにふるまった。僕は母にあれから何か面白い事がありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍らしい事も無かったと答えたが、「でもね久しぶりに好(い)い気保養(きほよう)をしました。御蔭で」と云った。僕にはそれが傍(そば)にいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。
「泊って行くわ」
「どこへ」
「そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広過ぎて淋(さむ)しいから。――久しぶりにここへ泊ろうかしら、ねえ叔母さん」
 僕には千代子が始めから僕の家に寝るつもりで出て来たように見えた。自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分に逆(さか)らって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子が厭(いや)がる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。
「千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに」
「だってあたし責任があるじゃありませんか。叔母さんを招待したのはあたしでしょう」

        三十

「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来て貰(もら)えば好かった」
「だから他(ひと)の云う事を聞いて、もっといらっしゃれば好(い)いのに」
「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」
「そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの」
「云っても断られそうだったから」
「あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、厭(いや)にむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ」
「だから千代子について来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。
 僕は母の帰るつい一時間前まで千代子の来る事を予想し得なかった。それは今改めてくり返す必要もないが、それと共に僕は母が高木について齎(もた)らす報道をほとんど確実な未来として予期していた。穏(おだ)やかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期と全く反対の結果を眼の前に見た。彼らは二人とも常に変らない親しげな叔母姪(めい)であった。彼らの各自(おのおの)は各自に特有な温(あたた)か味(み)と清々(すがすが)しさを、いつもの通り互いの上に、また僕の上に、心持よく加えた。
 その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人と共に二階に上(あが)って涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒端(のきば)に七草(ななくさ)を描(か)いた岐阜提灯(ぎふぢょうちん)をかけて、その中に細い蝋燭(ろうそく)を点(つ)けた。熱いから電灯を消そうと発議(ほつぎ)した千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高く上(のぼ)った。柱に凭(もた)れていた母が鎌倉を思い出すと云った。電車の音のする所で月を看(み)るのは何だかおかしい気がすると、この間から海辺に馴染(なず)んだ千代子が評した。僕は先刻(さっき)の籐椅子(といす)の上に腰をおろして団扇(うちわ)を使っていた。作(さく)が下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆(たばこぼん)の火を入れ更(か)えて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子(アイスクリーム)を盆に載(の)せて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代(よ)に生れたように、卑しい召使の位置を生涯(しょうがい)の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女(レデー)としてふるまって通るべき気位を具(そな)えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起(た)って梯子段(はしごだん)の傍(そば)まで行って、もう降りようとする間際(まぎわ)にきっと振り返って、千代子の後姿(うしろすがた)を見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍(そば)に見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐(あわ)れに眺(なが)めた。
「高木はどうしたろう」という問が僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、何かためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都度(つど)卑怯だと遠くで罵(ののし)られるためか、つい聞くのをいさぎよしとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実を云うと、僕は千代子の口から直下(じか)に高木の事を聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それを判切(はっきり)胸に畳み込んでおきたかったのである。これは嫉妬(しっと)の作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料簡(りょうけん)で考えて見ても、どうもほかの名はつけ悪(にく)いようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事に窮(きゅう)するよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈搏(みゃくはく)の上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉妬深(しっとぶか)い訳になるが、あるいはそうかも知れない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来のわがままが源因なのだろうと思う。ただ僕は一言(いちごん)それにつけ加えておきたい。僕から云わせると、すでに鎌倉を去った後(あと)なお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言して憚(はばか)らない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるだろうか。それはとても分らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。

        三十一

 千代子の様子はいつもの通り明(あけ)っ放(ぱな)しなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口を利(き)いた。それは必竟(ひっきょう)腹の中に何も考えていない証拠(しょうこ)だとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習し始めて、今では背の立たない所まで行くのが楽みだと云った。それを用心深い百代子が剣呑(けんのん)がって、詫(あや)まるように悲しい声を出して止(と)めるのが面白いと云った。その時母は半(なか)ば心配で半ば呆(あき)れたような顔をして、「何ですね女の癖にそんな軽機(かるはずみ)な真似をして。これからは後生(ごしょう)だから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけは止(よ)しておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側(えんがわ)の椅子に腰を掛けている僕を顧(かえり)みて、市(いっ)さんもそう云う御転婆(おてんば)は嫌(きらい)でしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光の隈(くま)なく落ちる表を眺(なが)めていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をその後(あと)にきっとつけ加えたに違ない。そこまで引き摺(ず)られなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。
 千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜が更(ふ)けて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事をとうとう一口も話頭に上(のぼ)せなかった。そこに僕ははなはだしい故意(こい)を認めた。白い紙の上に一点の暗い印気(インキ)が落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女性(にょしょう)のうちで、最も純粋な一人(いちにん)と信じていた僕は、鎌倉で暮したわずか二日の間に、始めて彼女の技巧(アート)を疑い出したのである。その疑(うたがい)が今ようやく僕の胸に根をおろそうとした。
「なぜ高木の話をしないのだろう」
 僕は寝ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われる愚(おろか)さを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなお癇(かん)が起った。僕は例の通り二階に一人寝ていた。母と千代子は下座敷に蒲団(ふとん)を並べて、一つ蚊帳(かや)の中に身を横たえた。僕はすやすや寝ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必竟(ひっきょう)のつそつ苦しがる僕は負けているのだと考えない訳に行かなくなった。僕は寝返りを打つ事さえ厭(いや)になった。自分がまだ眠られないという弱味を階下(した)へ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。
 僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、全く彼女の僕に対する好意に過ぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字を公(おおや)けにする勇気を失わしめたほど、不合理に機嫌を悪くふるまったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。宅(うち)へ引込(ひっこ)んで交際(つきあい)さえしなければそれで宜(い)い。けれどももし親切を冠(かむ)らない技巧(アート)が彼女の本義なら……。僕は技巧という二字を細かに割って考えた。高木を媒鳥(おとり)に僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もない癖に、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺戟(しげき)して楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところを眺(なが)めて面白かったというつもりか。または高木を僕の眼の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら戦争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終るべきだと考えた。
 僕は寝つかれないで負けている自分を口惜(くや)しく思った。電灯は蚊帳を釣るとき消してしまったので、室(へや)の中に隙間(すきま)もなく蔓延(はびこ)る暗闇(くらやみ)が窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は眼の見えないところに眼を明けて頭だけ働らかす苦痛に堪(た)えなくなった。寝返りさえ慎んで我慢していた僕は、急に起(た)って室(へや)を明るくした。ついでに縁側(えんがわ)へ出て雨戸を一枚細目に開けた。月の傾むいた空の下には動く風もなかった。
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