彼岸過迄
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著者名:夏目漱石 

     彼岸過迄に就て

 事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体(からだ)をぶっ通(とお)しに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好(い)い機会(しお)に、なお二箇月の暇を貪(むさぼ)ることにとりきめて貰ったのが原(もと)で、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執(と)らず、十一十二もつい紙上へは杳(よう)たる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩(くず)れた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。
 歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口(いとぐち)を開くように事がきまった時は、長い間抑(おさ)えられたものが伸びる時の楽(たのしみ)よりは、背中に背負(しょわ)された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉(うれ)しかった。けれども長い間抛(ほう)り出しておいたこの義務を、どうしたら例(いつも)よりも手際(てぎわ)よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。
 久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充(み)ちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬(むく)いなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかして旨(うま)いものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物(さくぶつ)のできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくら佳(い)いものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合(うめあわ)せをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜(ひそ)んでいるのである。
 この作を公(おおやけ)にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派(ローマンは)の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜(ひょうぼう)して路傍(ろぼう)の人の注意を惹(ひ)くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。
 自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴(ふいちょう)する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。
 自分はすべて文壇に濫用(らんよう)される空疎な流行語を藉(か)りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気(げんき)があって自分以上を装(よそお)うようなものができたりして、読者にすまない結果を齎(もたら)すのを恐れるだけである。
 東京大阪を通じて計算すると、吾(わが)朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物(さくぶつ)を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路(ろじ)も覗(のぞ)いた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率(しんそつ)に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公(おおやけ)にし得る自分を幸福と信じている。
「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空(むな)しい標題(みだし)である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持(じ)していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日(こんにち)まで過ぎたのであるから、もし自分の手際(てぎわ)が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々の企(くわだ)てが意外の障害を受けて予期のごとくに纏(まと)まらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよし旨(うま)く行かなくっても、離れるともつくとも片(かた)のつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支(さしつか)えなかろうと思っている。
(明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言)

     風呂の後

        一

 敬太郎(けいたろう)はそれほど験(げん)の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気(いやき)が注(さ)して来た。元々頑丈(がんじょう)にできた身体(からだ)だから単に馳(か)け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸(かか)ったなり居据(いすわ)って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端(とたん)にすぽりと外(はず)れたりする反間(へま)が度重(たびかさ)なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪(しゃく)も手伝って、飲みたくもない麦酒(ビール)をわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁(かいかつ)な気分を自分と誘(いざな)って見た。けれどもいつまで経(た)っても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退(の)かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田川さん」と云ったが、その後(あと)からまた「本当にまあ」とつけ足した。敬太郎は自分の顔を撫(な)でながら、「赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ」と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざと外(はず)して廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜(もぐ)り込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内で呟(つぶや)いた。
 敬太郎は夜中に二返(へん)眼を覚(さ)ました。一度は咽喉(のど)が渇いたため、一度は夢を見たためであった。三度目に眼が開(あ)いた時は、もう明るくなっていた。世の中が動き出しているなと気がつくや否(いな)や敬太郎は、休養休養と云ってまた眼を眠(ねむ)ってしまった。その次には気の利(き)かないボンボン時計の大きな音が無遠慮に耳に響いた。それから後(あと)はいくら苦心しても寝つかれなかった。やむを得ず横になったまま巻煙草(まきたばこ)を一本吸っていると、半分ほどに燃えて来た敷島(しきしま)の先が崩れて、白い枕が灰だらけになった。それでも彼はじっとしているつもりであったが、しまいに東窓から射し込む強い日脚(ひあし)に打たれた気味で、少し頭痛がし出したので、ようやく我(が)を折って起き上ったなり、楊枝(ようじ)を銜(くわ)えたまま、手拭(てぬぐい)をぶら下げて湯に行った。
 湯屋の時計はもう十時少し廻っていたが、流しの方はからりと片づいて、小桶(こおけ)一つ出ていない。ただ浴槽(ゆぶね)の中に一人横向になって、硝子越(ガラスごし)に射し込んでくる日光を眺(なが)めながら、呑気(のんき)そうにじゃぶじゃぶやってるものがある。それが敬太郎と同じ下宿にいる森本(もりもと)という男だったので、敬太郎はやあ御早うと声を掛けた。すると、向うでも、やあ御早うと挨拶(あいさつ)をしたが、
「何です今頃楊枝(ようじ)なぞを銜(くわ)え込んで、冗談(じょうだん)じゃない。そう云やあ昨夕(ゆうべ)あなたの部屋に電気が点(つ)いていないようでしたね」と云った。
「電気は宵(よい)の口から煌々(こうこう)と点いていたさ。僕はあなたと違って品行方正だから、夜遊びなんか滅多(めった)にした事はありませんよ」
「全くだ。あなたは堅いからね。羨(うらや)ましいくらい堅いんだから」
 敬太郎は少し羞痒(くすぐっ)たいような気がした。相手を見ると依然として横隔膜(おうかくまく)から下を湯に浸(つ)けたまま、まだ飽(あ)きずにじゃぶじゃぶやっている。そうして比較的真面目(まじめ)な顔をしている。敬太郎はこの気楽そうな男の口髭(くちひげ)がだらしなく濡(ぬ)れて一本一本下向(したむき)に垂れたところを眺めながら、
「僕の事はどうでも好いが、あなたはどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠(だる)そうに浴槽の側(ふち)に両肱(りょうひじ)を置いてその上に額を載(の)せながら俯伏(うっぷし)になったまま、
「役所は御休みです」と頭痛でもする人のように答えた。
「何で」
「何ででもないが、僕の方で御休みです」
 敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「やっぱり休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽(ゆぶね)の側に突伏(つっぷ)していた。

        二

 敬太郎(けいたろう)が留桶(とめおけ)の前へ腰をおろして、三助(さんすけ)に垢擦(あかすり)を掛けさせている時分になって、森本はやっと煙(けむ)の出るような赤い身体(からだ)を全く湯の中から露出した。そうして、ああ好い心持だという顔つきで、流しの上へぺたりと胡坐(あぐら)をかいたと思うと、
「あなたは好い体格だね」と云って敬太郎の肉付(にくづき)を賞(ほ)め出した。
「これで近頃はだいぶ悪くなった方です」
「どうしてどうしてそれで悪かった日にゃ僕なんざあ」
 森本は自分で自分の腹をポンポン叩(たた)いて見せた。その腹は凹(へこ)んで背中の方へ引(ひっ)つけられてるようであった。
「何しろ商売が商売だから身体は毀(こわ)す一方ですよ。もっとも不養生もだいぶやりましたがね」と云った後で、急に思い出したようにアハハハと笑った。敬太郎はそれに調子を合せる気味で、
「今日は僕も閑(ひま)だから、久しぶりでまたあなたの昔話でも伺いましょうか」と云った。すると森本は、
「ええ話しましょう」とすぐ乗気な返事をしたが、活溌(かっぱつ)なのはただ返事だけで、挙動の方は緩慢(かんまん)というよりも、すべての筋肉が湯に□(う)でられた結果、当分作用(はたらき)を中止している姿であった。
 敬太郎が石鹸(シャボン)を塗(つ)けた頭をごしごしいわしたり、堅い足の裏や指の股を擦(こす)ったりする間、森本は依然として胡座をかいたまま、どこ一つ洗う気色(けしき)は見えなかった。最後に瘠(や)せた一塊(ひとかたまり)の肉団をどぶりと湯の中に抛(ほう)り込むように浸(つ)けて、敬太郎とほぼ同時に身体を拭きながら上って来た。そうして、
「たまに朝湯へ来ると綺麗(きれい)で好い心持ですね」と云った。
「ええ。あなたのは洗うんでなくって、本当に湯に這入(はい)るんだからことにそうだろう。実用のための入湯(にゅうとう)でなくって、快感を貪(むさ)ぼるための入浴なんだから」
「そうむずかしい這入り方でもないんでしょうが、どうもこんな時に身体なんか洗うな億劫(おっくう)でね。ついぼんやり浸(つか)ってぼんやり出ちまいますよ。そこへ行くと、あなたは三層倍も勤勉(まめ)だ。頭から足からどこからどこまで実によく手落なく洗いますね。御負(おまけ)に楊枝(ようじ)まで使って。あの綿密な事には僕もほとんど感心しちまった」
 二人は連立って湯屋の門口(かどぐち)を出た。森本がちょっと通りまで行って巻紙を買うからというので、敬太郎もつき合う気になって、横丁を東へ切れると、道が急に悪くなった。昨夕(ゆうべ)の雨が土を潤(ふや)かし抜いたところへ、今朝からの馬や車や人通りで、踏み返したり蹴上(けあ)げたりした泥の痕(あと)を、二人は厭(いと)うような軽蔑(けいべつ)するような様子で歩いた。日は高く上(のぼ)っているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだに微(かす)かな波動を地平線の上に描(えが)いているらしい感じがした。
「今朝の景色(けしき)は寝坊(ねぼう)のあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってる癖(くせ)に靄(もや)がいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透(す)かして見ると、乗客がまるで障子(しょうじ)に映る影画(かげえ)のように、はっきり一人(ひとり)一人見分けられるんです。それでいて御天道様(おてんとさま)が向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」
 森本はこんな話をしながら、紙屋へ這入(はい)って巻紙と状袋で膨(ふく)らました懐(ふところ)をちょっと抑えながら出て来た。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上靴(スリッパー)の踵(かかと)を鳴らして階段(はしごだん)を二つ上(のぼ)り切った時、敬太郎は自分の部屋の障子を手早く開けて、
「さあどうぞ」と森本を誘(いざな)った。森本は、
「もう直(じき)午飯(ひる)でしょう」と云ったが、躊躇(ちゅうちょ)すると思いの外、あたかも自分の部屋へでも這入るような無雑作(むぞうさ)な態度で、敬太郎の後に跟(つ)いて来た。そうして、
「あなたの室(へや)から見た景色はいつ見ても好いね」と自分で窓の障子を開けながら、手摺付(てすりつき)の縁板の上へ濡手拭(ぬれてぬぐい)を置いた。

        三

 敬太郎(けいたろう)はこの瘠(や)せながら大した病気にも罹(かか)らないで、毎日新橋の停車場(ステーション)へ行く男について、平生から一種の好奇心を有(も)っていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下宿住居(ずまい)をして停車場へ通勤している。しかし停車場で何の係りをして、どんな事務を取扱っているのか、ついぞ当人に聞いた事もなければ、また向うから話した試(ためし)もないので、敬太郎には一切がX(エックス)である。たまたま人を送って停車場へ行く場合もあるが、そんな時にはつい混雑に取(と)り紛(まぎ)れて、停車場と森本とをいっしょに考えるほどの余裕(よゆう)も出ず、そうかと云って、森本の方から自己の存在を思い起させるように、敬太郎の眼につくべき所へ顔を出す機会も起らなかった。ただ長い間同じ下宿に立籠(たてこも)っているという縁故だか同情だかが本(もと)で、いつの間にか挨拶(あいさつ)をしたり世間話をする仲になったまでである。
 だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあると云うよりも、むしろ過去の彼にあると云った方が適当かも知れない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴乎(れっき)とした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。「餓鬼(がき)が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山神(さんじん)の祟(たたり)には実際恐れを作(な)していたんですからね」と云った彼の言葉を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、何だと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられたおかしさまでまだ記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスの臭(におい)が、箒星(ほうきぼし)の尻尾(しっぽ)のようにぼうっとおっかぶさって怪しい光を放っている。
 女についてできたとか切れたとかいう逸話以外に、彼はまたさまざまな冒険譚(ぼうけんだん)の主人公であった。まだ海豹島(かいひょうとう)へ行って膃肭臍(おっとせい)は打っていないようであるが、北海道のどこかで鮭(さけ)を漁(と)って儲(もう)けた事はたしかであるらしい。それから四国辺のある山から安質莫尼(アンチモニー)が出ると触れて歩いて、けっして出なかった事も、当人がそう自白するくらいだから事実に違ない。しかし最も奇抜なのは呑口会社(のみぐちがいしゃ)の計画で、これは酒樽(さかだる)の呑口を作る職人が東京にごく少ないというところから思いついたのだそうだが、せっかく大阪から呼び寄せた職人と衝突したために成立しなかったと云って彼はいまだに残念がっている。
 儲口(もうけぐち)を離れた普通の浮世話になると、彼はまた非常に豊富な材料の所有者であるという事を容易に証拠立てる。筑摩川(ちくまがわ)の上流の何とかいう所から河を隔てて向うの山を見ると、巌(いわ)の上に熊がごろごろ昼寝をしているなどはまだ尋常の方なので、それが一層色づいて来ると、信州戸隠山(とがくしやま)の奥の院というのは普通の人の登れっこない難所だのに、それを盲目(めくら)が天辺(てっぺん)まで登ったから驚ろいたなどという。そこへ御参(おまいり)をするには、どんなに脚(あし)の達者なものでも途中で一晩明かさなければならないので、森本も仕方なしに五合目あたりで焚火(たきび)をして夜の寒さを凌(しの)いでいると、下から鈴(れい)の響が聞えて来たから、不思議に思っているうちに、その鈴の音(ね)がだんだん近くなって、しまいに座頭(ざとう)が上(のぼ)って来たんだと云う。しかもその座頭が森本に今晩はと挨拶(あいさつ)をしてまたすたすた上って行ったと云うんだから、余り妙だと思ってなおよく聞いて見ると、実は案内者が一人ついていたのだそうである。その案内者の腰に鈴を着けて、後(あと)から来る盲者(めくら)がその鈴の音を頼りに上る事ができるようにしてあったのだと説明されて、やや納得(なっとく)もできたが、それにしても敬太郎には随分意外な話である。が、それがもう少し高(こう)じると、ほとんど妖怪談(ようかいだん)に近い妙なものとなって、だらしのない彼の口髭(くちひげ)の下から最も慇懃(いんぎん)に発表される。彼が耶馬渓(やばけい)を通ったついでに、羅漢寺(らかんじ)へ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女と擦(す)れ違った。その女は臙脂(べに)を塗って白粉(おしろい)をつけて、婚礼に行く時の髪を結(ゆ)って、裾模様(すそもよう)の振袖(ふりそで)に厚い帯を締(し)めて、草履穿(ぞうりばき)のままたった一人すたすた羅漢寺(らかんじ)の方へ上(のぼ)って行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締(し)まっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。――敬太郎はこんな話を聞くたびにへえーと云って、信じられ得ない意味の微笑を洩(も)らすにかかわらず、やっぱり相当の興味と緊張とをもって森本の弁口(べんこう)を迎えるのが例であった。

        四

 この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと廻り路までしていっしょに風呂(ふろ)から帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、大抵な世間の関門を潜(くぐ)って来たとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬太郎(けいたろう)に取っては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいで随分利益も受けられた。
 その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌(い)む浪漫趣味(ロマンチック)の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松(こだまおとまつ)とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年(ていねん)未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中(うち)でも音松君が洞穴の中から躍(おど)り出す大蛸(おおだこ)と戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃(ピストル)をポンポン打つんだが、つるつる滑(すべ)って少しも手応(てごたえ)がないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸(こだこ)がぐるりと環(わ)を作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯(からかい)半分に、君のような剽軽(ひょうきん)ものはとうてい文官試験などを受けて地道(じみち)に世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩(たこがり)でもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川(たがわ)の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行(はや)り出した。この間卒業して以来足を擂木(すりこぎ)のようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩は成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。
 南洋の蛸狩はいかな敬太郎にもちと奇抜(きばつ)過ぎるので、真面目(まじめ)に思い立つ勇気も出なかったが、新嘉坡(シンガポール)の護謨林(ゴムりん)栽培などは学生のうちすでに目論(もくろ)んで見た事がある。当時敬太郎は、果(はて)しのない広野(ひろの)を埋(う)め尽す勢(いきおい)で何百万本という護謨の樹が茂っている真中に、一階建のバンガローを拵(こしら)えて、その中に栽培監督者としての自分が朝夕(あさゆう)起臥(きが)する様を想像してやまなかった。彼はバンガローの床(ゆか)をわざと裸にして、その上に大きな虎の皮を敷くつもりであった。壁には水牛の角を塗り込んで、それに鉄砲をかけ、なおその下に錦の袋に入れたままの日本刀を置くはずにした。そうして自分は真白なターバンをぐるぐる頭へ巻きつけて、広いヴェランダに据(す)えつけてある籐椅子(といす)の上に寝そべりながら、強い香(かおり)のハヴァナをぷかりぷかりと鷹揚(おうよう)に吹かす気でいた。それのみか、彼の足の下には、スマタラ産の黒猫、――天鵞絨(びろうど)のような毛並と黄金(こがね)そのままの眼と、それから身の丈(たけ)よりもよほど長い尻尾(しっぽ)を持った怪しい猫が、背中を山のごとく高くして蹲踞(うずく)まっている訳になっていた。彼はあらゆる想像の光景をかく自分に満足の行くようにあらかじめ整えた後で、いよいよ実際の算盤(そろばん)に取りかかったのである。ところが案外なもので、まず護謨(ゴム)を植えるための地面を借り受けるのにだいぶんな手数(てすう)と暇が要(い)る。それから借りた地面を切り開くのが容易の事でない。次に地ならし植えつけに費やすべき金高(かなだか)が以外に多い。その上絶えず人夫を使って草取をした上で、六年間苗木(なえぎ)の生長するのを馬鹿見たようにじっと指を銜(くわ)えて見ていなければならない段になって、敬太郎はすでに充分退却に価すると思い出したところへ、彼にいろいろの事情を教えてくれた護謨通(つう)は、今しばらくすると、あの辺でできる護謨の供給が、世界の需用以上に超過して、栽培者は非常の恐慌を起すに違ないと威嚇(いかく)したので、彼はその後護謨の護の字も口にしなくなってしまったのである。

        五

 けれども彼の異常に対する嗜欲(しよく)はなかなかこれくらいの事で冷却しそうには見えなかった。彼は都の真中にいて、遠くの人や国を想像の夢に上(のぼ)して楽しんでいるばかりでなく、毎日電車の中で乗り合せる普通の女だの、または散歩の道すがら行き逢う実際の男だのを見てさえ、ことごとく尋常以上に奇(き)なあるものを、マントの裏かコートの袖(そで)に忍ばしていはしないだろうかと考える。そうしてどうかこのマントやコートを引(ひ)っくり返してその奇なところをただ一目(ひとめ)で好いからちらりと見た上、後は知らん顔をして済ましていたいような気になる。
 敬太郎(けいたろう)のこの傾向は、彼がまだ高等学校にいた時分、英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新亜剌比亜物語(しんアラビヤものがたり)という書物を読ました頃からだんだん頭を持ち上げ出したように思われる。それまで彼は大(だい)の英語嫌(えいごぎらい)であったのに、この書物を読むようになってから、一回も下読を怠らずに、あてられさえすれば、必ず起立して訳を付けたのでも、彼がいかにそれを面白がっていたかが分る。ある時彼は興奮の余り小説と事実の区別を忘れて、十九世紀の倫敦(ロンドン)に実際こんな事があったんでしょうかと真面目(まじめ)な顔をして教師に質問を掛けた。その教師はついこの間英国から帰ったばかりの男であったが、黒いメルトンのモーニングの尻から麻の手帛(ハンケチ)を出して鼻の下を拭(ぬぐ)いながら、十九世紀どころか今でもあるでしょう。倫敦という所は実際不思議な都ですと答えた。敬太郎の眼はその時驚嘆の光を放った。すると教師は椅子(いす)を離れてこんな事を云った。
「もっとも書き手が書き手だから観察も奇抜だし、事件の解釈も自(おのず)から普通の人間とは違うんで、こんなものができ上ったのかも知れません。実際スチーヴンソンという人は辻待(つじまち)の馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出すという人ですから」
 辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いて見て、始めてなるほどと悟った。それから以後は、この平凡極(きわ)まる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨夕(ゆうべ)人殺しをするための客を出刃(でば)ぐるみ乗せていっさんに馳(か)けたのかも知れないと考えたり、または追手(おって)の思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女を幌(ほろ)の中に隠して、どこかの停車場(ステーション)へ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖(こわ)がるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。
 そんな想像を重ねるにつけ、これほど込み入った世の中だから、たとい自分の推測通りとまで行かなくっても、どこか尋常と変った新らしい調子を、彼の神経にはっと響かせ得るような事件に、一度ぐらいは出会(であ)って然(しか)るべきはずだという考えが自然と起ってきた。ところが彼の生活は学校を出て以来ただ電車に乗るのと、紹介状を貰って知らない人を訪問するくらいのもので、その他に何といって取り立てて云うべきほどの小説は一つもなかった。彼は毎日見る下宿の下女の顔に飽(あ)き果てた。毎日食う下宿の菜(さい)にも飽き果てた。せめてこの単調を破るために、満鉄の方ができるとか、朝鮮の方が纏(まと)まるとかすれば、まだ衣食の途(みち)以外に、幾分かの刺戟(しげき)が得られるのだけれども、両方共二三日前に当分望(のぞみ)がないと判然して見ると、ますます眼前の平凡が自分の無能力と密切な関係でもあるかのように思われて、ひどくぼんやりしてしまった。それで糊口(ここう)のための奔走はもちろんの事、往来に落ちたばら銭(せん)を探(さが)して歩くような長閑(のどか)な気分で、電車に乗って、漫然と人事上の探検を試みる勇気もなくなって、昨夕はさほど好きでもない麦酒(ビール)を大いに飲んで寝たのである。
 こんな時に、非凡の経験に富んだ平凡人とでも評しなければ評しようのない森本の顔を見るのは、敬太郎にとってすでに一種の興奮であった。巻紙を買う御供(おとも)までして彼を自分の室(へや)へ連れ込んだのはこれがためである。

        六

 森本は窓際(まどぎわ)へ坐ってしばらく下の方を眺(なが)めていた。
「あなたの室(へや)から見た景色(けしき)は相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾(すそ)に、色づいた樹が、所々暖(あっ)たかく塊(かた)まっている間から赤い煉瓦(れんが)が見える様子は、たしかに画(え)になりそうですね」
「そうですね」
 敬太郎(けいたろう)はやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分が肱(ひじ)を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、
「ここはどうしても盆栽(ぼんさい)の一つや二つ載(の)せておかないと納まらない所ですよ」と云った。
 敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」を繰り返す勇気も出なかったので、
「あなたは画や盆栽まで解るんですか」と聞いた。
「解るんですかは少し恐れ入りましたね。全く柄(がら)にないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄(いじ)くるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描(か)いたもんですよ」
「何でもやるんですね」
「何でも屋に碌(ろく)なものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」
 森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。
「しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いから甞(な)めて見たいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真面目(まじめ)に云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大袈裟(おおげさ)に右左に振って見せた。
「それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身体(からだ)だ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝心(かんじん)なところで山気(やまぎ)だの謀叛気(むほんぎ)だのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見付(めっ)かりましたか」
 正直な敬太郎は憮然(ぶぜん)としてありのままを答えた。そうして、とうてい当分これという期待(あて)もないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。森本はちょっと驚ろいたような顔をした。
「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」
 森本はここまで来て少し首を傾(かし)げて、自分の哲理を自分で噛(か)みしめるような素振(そぶり)をした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽(こっけい)とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣(ことばづかい)をするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段(てだて)を知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾(かし)げた首を急に竪(たて)に直した。
「どうです、御厭(おいや)でなきゃ、鉄道の方へでも御出(おで)なすっちゃ。何なら話して見ましょうか」
 いかな浪漫的(ロマンチック)な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退(の)ける彼の愛嬌(あいきょう)を、翻弄(ほんろう)と解釈するほどの僻(ひがみ)ももたなかった。拠処(よんどころ)なく苦笑しながら、下女を呼んで、
「森本さんの御膳(おぜん)もここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。

        七

 森本は近頃身体(からだ)のために酒を慎しんでいると断わりながら、注(つ)いでやりさえすれば、すぐ猪口(ちょく)を空(から)にした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱(ほて)ってくる、気楽はしだいしだいに膨脹(ぼうちょう)するように見えた。自分でも「こうなりゃ併呑自若(へいどんじじゃく)たるもんだ。明日(あした)免職になったって驚ろくんじゃない」と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃(さかずき)に唇(くちびる)を付けて、付合(つきあ)っているのを見て、彼は、
「田川さん、あなた本当に飲(い)けないんですか、不思議ですね。酒を飲まない癖(くせ)に冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と云った。彼はつい今まで自分の過去を碌(ろく)でなしのように蹴(け)なしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後光(ごこう)が逆(ぎゃく)に射すとでも評すべき態度で、気□(きえん)を吐(は)き始めた。そうしてそれが大抵は失敗の気□であった。しかも敬太郎を前に置いて、
「あなたなんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりで本当の世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士で候(そうろう)のって、肩書ばかり振り廻したって、僕は慴(おび)えないつもりだ。こっちゃちゃんと実地を踏んで来ているんだもの」と、さっきまで教育に対して多大の尊敬を払っていた事はまるで忘れたような風で、無遠慮なきめつけ方をした。そうかと思うと噫(げっぷ)のような溜息(ためいき)を洩(も)らして自分の無学をさも情(なさけ)なさそうに恨(うら)んだ。
「まあ手っ取り早く云やあ、この世の中を猿同然(どうぜん)渡って来たんでさあ。こう申しちゃおかしいが、あなたより十層倍の経験はたしかに積んでるつもりです。それでいて、いまだにこの通り解脱(げだつ)ができないのは、全く無学すなわち学がないからです。もっとも教育があっちゃ、こうむやみやたらと変化する訳にも行かないようなもんかも知れませんよ」
 敬太郎はさっきから気の毒なる先覚者とでも云ったように相手を考えて、その云う事に相応の注意を払って聞いていたが、なまじい酒を飲ましたためか、今日はいつもより気□だの愚痴(ぐち)だのが多くって、例のように純粋の興味が湧(わ)かないのを残念に思った。好い加減に酒を切り上げて見たが、やっぱり物足らなかった。それで新らしく入れた茶を勧(すす)めながら、
「あなたの経歴談はいつ聞いても面白い。そればかりでなく、僕のような世間見ずは、御話を伺うたんびに利益を得ると思って感謝しているんだが、あなたが今までやって来た生活のうちで、最も愉快だったのは何ですか」と聞いて見た。森本は熱い茶を吹き吹き、少し充血した眼を二三度ぱちつかせて黙っていた。やがて深い湯呑(ゆのみ)を干してしまうとこう云った。
「そうですね。やった後(あと)で考えると、みんな面白いし、またみんなつまらないし、自分じゃちょっと見分がつかないんだが。――全体愉快ってえのは、その、女気(おんなっけ)のある方を指すんですか」
「そう云う訳でもないんですが、あったって差支(さしつかえ)ありません」
「なんて、実はそっちの方が聞きたいんでしょう。――しかし雑談(じょうだん)抜きでね、田川さん。面白い面白くないはさておいて、あれほど呑気(のんき)な生活は世界にまたとなかろうという奴をやった覚(おぼえ)があるんですよ。そいつを一つ話しましょうか、御茶受の代りに」
 敬太郎は一も二もなく所望した。森本は「じゃあちょっと小便をして来る」と云って立ちかけたが、「その代り断わっておくが女気はありませんよ。女気どころか、第一人間の気(け)がないんだもの」と念を押して廊下の外へ出て行った。敬太郎は一種の好奇心を抱(いだ)いて、彼の帰るのを待ち受けた。

        八

 ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬太郎(けいたろう)はとうとうじっと我慢しきれなくなって、自分で下へ降りて用場を探して見ると、森本の影も形も見えない。念のためまた階段(はしごだん)を上(あが)って、彼の部屋の前まで来ると、障子(しょうじ)を五六寸明け放したまま、真中に手枕をしてごろりと向うむきに転(ころ)がっているものがすなわち彼であった。「森本さん、森本さん」と二三度呼んで見たが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなり室(へや)に這入(はい)り込むや否や、森本の首筋を攫(つか)んで強く揺振(ゆすぶ)った。森本は不意に蜂(はち)にでも螫(さ)されたように、あっと云って半(なか)ば跳(は)ね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢現(ゆめうつつ)のたるい眼つきに戻って、
「やああなたですか。あんまりちょうだいしたせいか、少し気分が変になったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって」と弁解する様子に、これといって他(ひと)を愚弄(ぐろう)する体(てい)もないので、敬太郎もつい怒(おこ)れなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一頓挫(いちとんざ)を来(きた)したも同然なので、一人自分の室(へや)に引取ろうとすると、森本は「どうもすみません、御苦労様でした」と云いながら、また後(あと)から敬太郎について来た。そうして先刻(さっき)まで自分の坐(すわ)っていた座蒲団(ざぶとん)の上に、きちんと膝(ひざ)を折って、
「じゃいよいよ世界に類のない呑気生活の御話でも始めますかな」と云った。
 森本の呑気生活というのは、今から十五六年前(ぜん)彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。固(もと)より人間のいない所に天幕(テント)を張って寝起をして、用が片づきしだい、また天幕を担(かつ)いで、先へ進むのだから、当人の断った通り、とうてい女っ気(け)のありようはずはなかった。
「何しろ高さ二丈もある熊笹(くまざさ)を切り開いて途(みち)をつけるんですからね」と彼は右手を額より高く上げて、いかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮蛇(まむし)がとぐろを巻いて日光を鱗(うろこ)の上に受けている。それを遠くから棒で抑(おさ)えておいて、傍(そば)へ寄って打(ぶ)ち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、何でも魚肉(さかな)と獣肉(にく)の間ぐらいだろうと答えた。
 天幕(テント)の中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身体(からだ)を埋(うず)めぬばかりに投げかけるのが例であるが、時には外へ出て焚火(たきび)をして、大きな熊を眼の前に見る事もあった。虫が多いので蚊帳(かや)は始終(しじゅう)釣っていた。ある時その蚊帳を担(かつ)いで谷川へ下りて、何とかいう川魚を掬(すく)って帰ったら、その晩から蚊帳が急に腥(なまぐ)さくなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。
 彼はまた山であらゆる茸(たけ)を採(と)って食ったそうである。ます茸(だけ)というのは広葢(ひろぶた)ほどの大きさで、切って味噌汁(みそしる)の中へ入れて煮るとまるで蒲鉾(かまぼこ)のようだとか、月見茸(つきみだけ)というのは一抱(ひとかかえ)もあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠茸(ねずみだけ)というのは三つ葉の根のようで可愛(かわい)らしいとか、なかなか精(くわ)しい説明をした。大きな笠(かさ)の中へ、野葡萄(のぶどう)をいっぱい採って来て、そればかり貪(むさ)ぼっていたものだから、しまいに舌(した)が荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。
 食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲酸(ひさん)な物語もあった。それはみんなの糧(かて)が尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留守中に大変な豪雨があった時の事である。元々村へ出るには、沢辺(さわべ)まで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄雨(にわかあめ)で谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負(しょ)って帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰向(あおむけ)に寝て、ただ空を眺(なが)めていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。
「そう長い間飲まず食わずじゃ、両便(りょうべん)とも留(と)まるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえ何、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。

        九

 敬太郎(けいたろう)は微笑せざるを得なかった。しかしそれよりもおかしく感じたのは、森本の形容した大風の勢であった。彼らの一行が測量の途次茫々(ぼうぼう)たる芒原(すすきはら)の中で、突然面(おもて)も向けられないほどの風に出会った時、彼らは四(よ)つ這(ばい)になって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一抱(ひとかかえ)も二抱(ふたかかえ)もある大木の枝も幹も凄(すさ)まじい音を立てて、一度に風から痛振(いたぶ)られるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたと云うのである。
「それじゃたとい林の中へ逃げ込んだところで、立っている訳に行かないでしょう」と敬太郎が聞くと、「無論突伏していました」という答であったが、いくら非道(ひど)い風だって、土の中に張った大木の根が動いて、地震を起すほどの勢(いきおい)があろうとは思えなかったので、敬太郎は覚えず吹き出してしまった。すると森本もまるで他事(ひとごと)のように同じく大きな声を出して笑い始めたが、それがすむと、急に真面目(まじめ)になって、敬太郎の口を抑えるような手つきをした。
「おかしいが本当です。どうせ常識以下に飛び離れた経験をするくらいの僕だから、不中用(やくざ)にゃあ違ないが本当です。――もっともあなた見たいに学のあるものが聞きゃあ全く嘘(うそ)のような話さね。だが田川さん、世の中には大風に限らず随分面白い事がたくさんあるし、またあなたなんざあその面白い事にぶつかろうぶつかろうと苦労して御出(おいで)なさる御様子だが、大学を卒業しちゃもう駄目ですよ。いざとなると大抵は自分の身分を思いますからね。よしんば自分でいくら身を落すつもりでかかっても、まさか親の敵討(かたきうち)じゃなしね、そう真剣に自分の位地(いち)を棄(す)てて漂浪(ひょうろう)するほどの物数奇(ものずき)も今の世にはありませんからね。第一傍(はた)がそうさせないから大丈夫です」
 敬太郎は森本のこの言葉を、失意のようにもまた得意のようにも聞いた。そうして腹の中で、なるほど常調(じょうちょう)以上の変った生活は、普通の学士などには送れないかも知れないと考えた。ところがそれを自分にさえ抑(おさ)えたい気がするので、わざと抵抗するような語気で、
「だって、僕は学校を出たには出たが、いまだに位置などは無いんですぜ。あなたは位置位置ってしきりに云うが。――実際位置の奔走にも厭々(あきあき)してしまった」と投げ出すように云った。すると森本は比較的厳粛(げんしゅく)な顔をして、
「あなたのは位置がなくってある。僕のは位置があって無い。それだけが違うんです」と若いものに教える態度で答えた。けれども敬太郎にはこの御籤(おみくじ)めいた言葉がさほどの意義を齎(もたら)さなかった。二人は少しの間煙草(たばこ)を吹かして黙っていた。
「僕もね」とやがて森本が口を開いた。「僕もね、こうやって三年越、鉄道の方へ出ているが、もう厭(いや)になったから近々(きんきん)罷(や)めようと思うんです。もっとも僕の方で罷めなけりゃ向うで罷めるだけなんだからね。三年越と云やあ僕にしちゃ長い方でさあ」
 敬太郎は罷めるが好かろうとも罷めないが好かろうとも云わなかった。自分が罷めた経験も罷められた閲歴もないので、他(ひと)の進退などはどうでも構わないような気がした。ただ話が理に落ちて面白くないという自覚だけあった。森本はそれと察したか、急に調子を易(か)えて、世間話を快活に十分ほどした後(あと)で、「いやどうも御馳走(ごちそう)でした。――とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも」と、あたかも自分が五十ぐらいの老人のようなことを云って帰って行った。
 それから一週間ばかりの間、田川は落ちついて森本と話す機会を有(も)たなかったが、二人共同じ下宿にいるのだから、朝か晩に彼の姿を認めない事はほとんど稀(まれ)であった。顔を洗う所などで落ち合う時、敬太郎は彼の着ている黒襟(くろえり)の掛ったドテラが常に目についた。彼はまた襟開(えりあき)の広い新調の背広(せびろ)を着て、妙な洋杖(ステッキ)を突いて、役所から帰るとよく出て行った。その洋杖が土間の瀬戸物製の傘入(かさいれ)に入れてあると、ははあ先生今日は宅(うち)にいるなと思いながら敬太郎は常に下宿の門(かど)を出入(でいり)した。するとその洋杖(ステッキ)がちゃんと例の所に立ててあるのに、森本の姿が不意に見えなくなった。

        十

 一日二日はつい気がつかずに過ぎたが、五日目ぐらいになっても、まだ森本の影が見えないので、敬太郎(けいたろう)はようやく不審の念を起し出した。給仕に来る下女に聞いて見ると、彼は役所の用でどこかへ出張したのだそうである。固(もと)より役人である以上、いつ出張しないとも限らないが、敬太郎は平生からこの男を相(そう)して、何でも停車場(ステーション)の構内で、貨物の発送係ぐらいを勤めているに違ないと判じていたものだから、出張と聞いて少し案外な心持がした。けれども立つ時すでに五六日と断って行ったのだから、今日か翌日(あした)は帰るはずだと下女に云われて見ると、なるほどそうかとも思った。ところが予定の時日が過ぎても、森本の変な洋杖が依然として傘入の中にあるのみで、当人のドテラ姿はいっこう洗面所へ現われなかった。
 しまいに宿の神(かみ)さんが来て、森本さんから何か御音信(おたより)がございましたかと聞いた。敬太郎は自分の方で下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色を梟(ふくろ)のような丸い眼の中(うち)に漂(ただ)よわせて出て行った。それから一週間ほど経(た)っても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審を抱(いだ)き始めた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留って聞く事さえあった。けれどもその頃は自分がまた思い返して、位置の運動を始め出した出花(でばな)なので、自然その方にばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探る事をあえてしなかった。実を云うと、彼は森本の予言通り、衣食の計(はかりごと)のために、好奇家の権利を放棄したのである。
 すると或晩主人がちょっと御邪魔をしても好いかと断わりながら障子(しょうじ)を開けて這入(はい)って来た。彼は腰から古めかしい煙草入(たばこいれ)を取り出して、その筒(つつ)を抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の煙管(きせる)に刻草(きざみ)を詰めて、濃い煙を巧者に鼻の穴から迸(ほとば)しらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎は判然(はっきり)向うからそうと切り出されるまで覚(さと)らずに、どうも変だとばかり考えていた。
「実は少し御願があって上ったんですが」と云った主人はやや小声になって、「森本さんのいらっしゃる所をどうか教えて頂く訳に参りますまいか、けっしてあなたに御迷惑のかかるような事は致しませんから」と藪(やぶ)から棒につけ加えた。
 敬太郎はこの意外の質問を受けて、しばらくは何という挨拶(あいさつ)も口へ出なかったが、ようやく、「いったいどう云う訳なんです」と主人の顔を覗(のぞ)き込んだ。そうして彼の意味を読もうとしたが、主人は煙管が詰ったと見えて、敬太郎の火箸(ひばし)で雁首(がんくび)を掘っていた。それが済んでから羅宇(らう)の疎通をぷっぷっ試した上、そろそろと説明に取りかかった。
 主人の云うところによると、森本は下宿代が此家(ここ)に六カ月ばかり滞(とどこお)っているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此年(ことし)の末にはどうかするからという当人の言訳を信用して、別段催促もしなかったところへ、今度の旅行になった。家(うち)のものは固(もと)より出張とばかり信じていたが、その日限(にちげん)が過ぎていくら待っても帰らないのみか、どこからも何の音信(たより)も来ないので、しまいにとうとう不審を起した。それで一方に本人の室(へや)を調べると共に、一方に新橋へ行って出張先を聞き合せた。ところが室の方は荷物もそのままで、彼のおった時分と何の変りもなかったが、新橋の答はまた案外であった。出張したとばかり思っていた森本は、先月限り罷(や)められていたそうである。
「それであなたは平生森本さんと御懇意の間柄でいらっしゃるんだから、あなたに伺ったら多分どこに御出(おいで)か分るだろうと思って上ったような訳で。けっしてあなたに森本さんの分をどうのこうのと申し上げるつもりではないのですから、どうか居所だけ知らして頂けますまいか」
 敬太郎はこの失踪者(しっそうしゃ)の友人として、彼の香(かん)ばしからぬ行為に立ち入った関係でもあるかのごとく主人から取扱われるのをはなはだ迷惑に思った。なるほど事実をいえば、ついこの間まである意味の嘆賞(たんしょう)を懐(ふところ)にして森本に近づいていたには違ないが、こんな実際問題にまで秘密の打ち合せがあるように見做(みな)されては、未来を有(も)つ青年として大いなる不面目だと感じた。

        十一

 正直な彼は主人の疳違(かんちがい)を腹の中で怒(おこ)った。けれども怒る前にまず冷たい青大将(あおだいしょう)でも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ちつき払って古風な煙草入(たばこいれ)から刻(きざ)みを撮(つま)み出しては雁首(がんくび)へ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬太郎(けいたろう)に与えたのである。彼は談判に伴なう一種の芸術のごとく巧みに煙管(きせる)を扱かう人であった。敬太郎は彼の様子をしばらく眺(なが)めていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向うの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に煙草入を腰へ納めなかった。煙管を筒へ入れて見たり出して見たりした。そのたびに例の通りぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにどうしてもこの音を退治(たいじ)てやりたいような気がし出した。
「僕はね、御承知の通り学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けた事のある男だ。森本のような浮浪の徒(と)といっしょに見られちゃ、少し体面にかかわる。いわんや後暗(うしろぐら)い関係でもあるように邪推して、いくら知らないと云っても執濃(しつこ)く疑っているのは怪(け)しからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好い。こっちにも料簡(りょうけん)がある。僕は過去二年の間君のうちに厄介になっているが、一カ月でも宿料(しゅくりょう)を滞(とどこ)おらした事があるかい」
 主人は無論敬太郎の人格に対して失礼に当るような疑を毛頭抱(いだ)いていないつもりであるという事を繰り返して述べた。そうして万一森本から音信でもあって、彼の居所が分ったらどうぞ忘れずに教えて貰(もら)いたいと頼んだ末、もしさっき聞いた事が敬太郎の気に障(さわ)ったら、いくらでも詫(あや)まるから勘弁してくれと云った。敬太郎は主人の煙草入(たばこいれ)を早く腰に差させようと思って、単に宜(よろ)しいと答えた。主人はようやく談判の道具を角帯(かくおび)の後へしまい込んだ。室(へや)を出る時の彼の様子に、別段敬太郎を疑ぐる気色(けしき)も見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好い事をしたと考えた。
 それからしばらく経つと、森本の室に、いつの間にか新らしい客が這入(はい)った。敬太郎は彼の荷物を主人がどう片づけたかについて不審を抱(いだ)いた。けれども主人がかの煙草入を差して談判に来て以来、森本の事はもう聞くまいと決心したので、腹の中はともかく、上部(うわべ)は知らん顔をしていた。そうして依然としてできるようなまたできないような地位を、元ほど焦燥(あせ)らない程度ながらも、まず自分のやるべき第一の義務として、根気に狩(か)り歩(あ)るいていた。
 或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食(く)ったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈(きはちじょう)の袢天(はんてん)で赤ん坊を負(おぶ)った婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛(まゆげ)の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋(いき)な部類に属する型だったが、どうしても袢天負(おんぶ)をするという柄(がら)ではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂(まえだれ)の下から格子縞(こうしじま)か何かの御召(おめし)が出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面(そと)は雨なので、五六人の乗客は皆傘(かさ)をつぼめて杖(つえ)にしていた。女のは黒蛇目(くろじゃのめ)であったが、冷たいものを手に持つのが厭(いや)だと見えて、彼女はそれを自分の側(わき)に立て掛けておいた。その畳んだ蛇(じゃ)の目(め)の先に赤い漆(うるし)で加留多(かるた)と書いてあるのが敬太郎の眼に留った。
 この黒人(くろうと)だか素人(しろうと)だか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉(まゆ)を心持八の字に寄せて俯目勝(ふしめがち)な白い顔と、御召(おめし)の着物と、黒蛇の目に鮮(あざや)かな加留多という文字とが互違(たがいちがい)に敬太郎の神経を刺戟(しげき)した時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。森本自身の口から出た、「こういうと未練があるようでおかしいが、顔質(かおだち)は悪い方じゃありませんでした。眉毛(まみえ)の濃い、時々八の字を寄せて人に物を云う癖のある」といったような言葉をぽつぽつ頭の中で憶(おも)い起しながら、加留多と書いた傘の所有主(もちぬし)を注意した。すると女はやがて電車を下りて雨の中に消えて行った。後に残った敬太郎は一人森本の顔や様子を心に描きつつ、運命が今彼をどこに連れ去ったろうかと考え考え下宿へ帰った。そうして自分の机の上に差出人の名前の書いてない一封の手紙を見出した。

        十二

 好奇心に駆(か)られた敬太郎(けいたろう)は破るようにこの無名氏の書信を披(ひら)いて見た。すると西洋罫紙(せいようけいし)の第一行目に、親愛なる田川君として下に森本よりとあるのが何より先に眼に入った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度を幾通りにも変えて、そこに消印の文字を読もうと力(つと)めたが、肉が薄いのでどうしても判断がつかなかった。やむを得ず再び本文に立ち帰って、まずそれから片づける事にした。本文にはこうあった。
「突然消えたんで定めて驚ろいたでしょう。あなたは驚ろかないにしても、雷獣(らいじゅう)とそうしてズク(森本は平生下宿の主人夫婦を、雷獣とそうしてズクと呼んでいた。ズクは耳ズクの略である)彼ら両人は驚ろいたに違ない。打ち明けた御話をすると、実は少し下宿代を滞(とどこ)おらしていたので、話をしたら雷獣とそうしてズクが面倒をいうだろうと思って、わざと断らずに、自由行動を取りました。僕の室(へや)に置いてある荷物を始末したら――行李(こり)の中には衣類その他がすっかり這入(はい)っていますから、相当の金になるだろうと思うんです。だから両人にあなたから右を売るなり着るなりしろとおっしゃっていただきたい。もっとも彼雷獣は御承知のごとき曲者(くせもの)故(ゆえ)僕の許諾を待たずして、とっくの昔にそう取計っているかも知れない。のみならず、こっちからそう穏便(おんびん)に出ると、まだ残っている僕の尻を、あなたに拭って貰いたいなどと、とんでもない難題を持ちかけるかも知れませんが、それにはけっして取り合っちゃいけません。あなたのように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣輩(はい)が食物(くいもの)にしたがるものですから、その辺(へん)はよく御注意なさらないといけません。僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃ善(よ)くないくらいの事はまさかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからと云って、あなたにこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失くしたも同様、はなはだ遺憾(いかん)の至(いたり)だから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います」
 森本は次に自分が今大連で電気公園の娯楽がかりを勤めている由(よし)を書いて、来年の春には活動写真買入の用向を帯びて、是非共出京するはずだから、その節は御地で久しぶりに御目にかかるのを今から楽(たのしみ)にして待っているとつけ加えていた。そうしてその後(あと)へ自分が旅行した満洲(まんしゅう)地方の景況をさも面白そうに一口ぐらいずつ吹聴(ふいちょう)していた。中で最も敬太郎を驚ろかしたのは、長春(ちょうしゅん)とかにある博打場(ばくちば)の光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行って見ると、何百人と集まる汚ない支那人が、折詰のようにぎっしり詰って、血眼(ちまなこ)になりながら、一種の臭気(しゅうき)を吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、慰(なぐさ)み半分わざと垢(あか)だらけな着物を着て、こっそりここへ出入(しゅつにゅう)するというんだから、森本だってどんな真似(まね)をしたか分らないと敬太郎は考えた。
 手紙の末段には盆栽(ぼんさい)の事が書いてあった。「あの梅の鉢は動坂(どうざか)の植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などに載(の)せておいて朝夕(あさゆう)眺(なが)めるにはちょうど手頃のものです。あれを献上(けんじょう)するからあなたの室(へや)へ持っていらっしゃい。
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