虞美人草
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著者名:夏目漱石 

「京都という所は、いやに寒い所だな」と宗近(むねちか)君は貸浴衣(かしゆかた)の上に銘仙(めいせん)の丹前を重ねて、床柱(とこばしら)の松の木を背負(しょっ)て、傲然(ごうぜん)と箕坐(あぐら)をかいたまま、外を覗(のぞ)きながら、甲野(こうの)さんに話しかけた。
 甲野さんは駱駝(らくだ)の膝掛(ひざかけ)を腰から下へ掛けて、空気枕の上で黒い頭をぶくつかせていたが
「寒いより眠い所だ」
と云いながらちょっと顔の向(むき)を換えると、櫛(くし)を入れたての濡(ぬ)れた頭が、空気の弾力で、脱ぎ棄てた靴足袋(くつたび)といっしょになる。
「寝てばかりいるね。まるで君は京都へ寝(ね)に来たようなものだ」
「うん。実に気楽な所だ」
「気楽になって、まあ結構だ。御母(おっか)さんが心配していたぜ」
「ふん」
「ふんは御挨拶だね。これでも君を気楽にさせるについては、人の知らない苦労をしているんだぜ」
「君あの額(がく)の字が読めるかい」
「なるほど妙だね。※雨※風(せんうしゅうふう)[#「にんべん+孱」、51-3][#「にんべん+愁」、51-3]か。見た事がないな。何でも人扁(にんべん)だから、人がどうかするんだろう。いらざる字を書きやがる。元来何者だい」
「分らんね」
「分からんでもいいや、それよりこの襖(ふすま)が面白いよ。一面に金紙(きんがみ)を張り付けたところは豪勢だが、ところどころに皺(しわ)が寄ってるには驚ろいたね。まるで緞帳芝居(どんちょうしばい)の道具立(どうぐだて)見たようだ。そこへ持って来て、筍(たけのこ)を三本、景気に描(か)いたのは、どう云う了見(りょうけん)だろう。なあ甲野さん、これは謎(なぞ)だぜ」
「何と云う謎だい」
「それは知らんがね。意味が分からないものが描(か)いてあるんだから謎だろう」
「意味が分からないものは謎にはならんじゃないか。意味があるから謎なんだ」
「ところが哲学者なんてものは意味がないものを謎だと思って、一生懸命に考えてるぜ。気狂(きちがい)の発明した詰将棋(つめしょうぎ)の手を、青筋を立てて研究しているようなものだ」
「じゃこの筍も気違の画工(えかき)が描いたんだろう」
「ハハハハ。そのくらい事理(じり)が分ったら煩悶(はんもん)もなかろう」
「世の中と筍といっしょになるものか」
「君、昔話(むかしばな)しにゴージアン・ノットと云うのがあるじゃないか。知ってるかい」
「人を中学生だと思ってる」
「思っていなくっても、まあ聞いて見るんだ。知ってるなら云って見ろ」
「うるさいな、知ってるよ」
「だから云って御覧なさいよ。哲学者なんてものは、よくごまかすもので、何を聞いても知らないと白状の出来ない執念深(しゅうねんぶか)い人間だから、……」
「どっちが執念深いか分りゃしない」
「どっちでも、いいから、云って御覧」
「ゴージアン・ノットと云うのはアレキサンダー時代の話しさ」
「うん、知ってるね。それで」
「ゴージアスと云う百姓がジュピターの神へ車を奉納(ほうのう)したところが……」
「おやおや、少し待った。そんな事があるのかい。それから」
「そんな事があるのかって、君、知らないのか」
「そこまでは知らなかった」
「何だ。自分こそ知らない癖に」
「ハハハハ学校で習った時は教師がそこまでは教えなかった。あの教師もそこまではきっと知らないに違ない」
「ところがその百姓が、車の轅(ながえ)と横木を蔓(かずら)で結(ゆわ)いた結び目を誰がどうしても解(と)く事が出来ない」
「なあるほど、それをゴージアン・ノットと云うんだね。そうか。その結目(ノット)をアレキサンダーが面倒臭いって、刀を抜いて切っちまったんだね。うん、そうか」
「アレキサンダーは面倒臭いとも何とも云やあしない」
「そりゃどうでもいい」
「この結目を解いたものは東方の帝(てい)たらんと云う神託(しんたく)を聞いたとき、アレキサンダーがそれなら、こうするばかりだと云って……」
「そこは知ってるんだ。そこは学校の先生に教わった所だ」
「それじゃ、それでいいじゃないか」
「いいがね、人間は、それならこうするばかりだと云う了見(りょうけん)がなくっちゃ駄目だと思うんだね」
「それもよかろう」
「それもよかろうじゃ張り合がないな。ゴージアン・ノットはいくら考えたって解けっこ無いんだもの」
「切れば解けるのかい」
「切れば――解けなくっても、まあ都合がいいやね」
「都合か。世の中に都合ほど卑怯(ひきょう)なものはない」
「するとアレキサンダーは大変な卑怯な男になる訳だ」
「アレキサンダーなんか、そんなに豪(えら)いと思ってるのか」
 会話はちょっと切れた。甲野さんは寝返りを打つ。宗近君は箕坐(あぐら)のまま旅行案内をひろげる。雨は斜(なな)めに降る。
 古い京をいやが上に寂(さ)びよと降る糠雨(ぬかあめ)が、赤い腹を空に見せて衝(つ)いと行く乙鳥(つばくら)の背(せ)に応(こた)えるほど繁くなったとき、下京(しもきょう)も上京(かみきょう)もしめやかに濡(ぬ)れて、三十六峰(さんじゅうろっぽう)の翠(みど)りの底に、音は友禅(ゆうぜん)の紅(べに)を溶いて、菜の花に注(そそ)ぐ流のみである。「御前(おまえ)川上、わしゃ川下で……」と芹(せり)を洗う門口(かどぐち)に、眉(まゆ)をかくす手拭(てぬぐい)の重きを脱げば、「大文字(だいもんじ)」が見える。「松虫(まつむし)」も「鈴虫(すずむし)」も幾代(いくよ)の春を苔蒸(こけむ)して、鶯(うぐいす)の鳴くべき藪(やぶ)に、墓ばかりは残っている。鬼の出る羅生門(らしょうもん)に、鬼が来ずなってから、門もいつの代にか取り毀(こぼ)たれた。綱(つな)が□(も)ぎとった腕の行末(ゆくえ)は誰にも分からぬ。ただ昔しながらの春雨(はるさめ)が降る。寺町では寺に降り、三条では橋に降り、祇園(ぎおん)では桜に降り、金閣寺では松に降る。宿の二階では甲野さんと宗近君に降っている。
 甲野さんは寝ながら日記を記(つ)けだした。横綴(よことじ)の茶の表布(クロース)の少しは汗に汚(よ)ごれた角(かど)を、折るようにあけて、二三枚めくると、一頁(ページ)の三(さん)が一(いち)ほど白い所が出て来た。甲野さんはここから書き始める。鉛筆を執(と)って景気よく、
「一奩(いちれん)楼角雨(ろうかくのあめ)、閑殺(かんさつす)古今人(ここんのひと)」
と書いてしばらく考えている。転結(てんけつ)を添えて絶句にする気と見える。
 旅行案内を放(ほう)り出して宗近君はずしんと畳を威嚇(おどか)して椽側(えんがわ)へ出る。椽側には御誂向(おあつらえむき)に一脚の籐(と)の椅子(いす)が、人待ち顔に、しめっぽく据(す)えてある。連□(れんぎょう)の疎(まばら)なる花の間から隣(とな)り家(や)の座敷が見える。障子(しょうじ)は立て切ってある。中(うち)では琴の音(ね)がする。
「忽(たちまち)※(きく)[#「耳+吾」、56-1]弾琴響(だんきんのひびき)、垂楊(すいよう)惹恨(うらみをひいて)新(あらたなり)」
と甲野さんは別行に十字書いたが、気に入らぬと見えて、すぐさま棒を引いた。あとは普通の文章になる。
「宇宙は謎(なぞ)である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。兄弟さえ謎である。妻も子も、かく観ずる自分さえも謎である。この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭(はくとう)に□□(せんかい)し、中夜(ちゅうや)に煩悶(はんもん)するために生まれるのである。親の謎を解くためには、自分が親と同体にならねばならぬ。妻の謎を解くためには妻と同心にならねばならぬ。宇宙の謎を解くためには宇宙と同心同体にならねばならぬ。これが出来ねば、親も妻も宇宙も疑である。解けぬ謎である、苦痛である。親兄弟と云う解けぬ謎のある矢先に、妻と云う新しき謎を好んで貰うのは、自分の財産の所置に窮している上に、他人の金銭を預かると一般である。妻と云う新らしき謎を貰うのみか、新らしき謎に、また新らしき謎を生ませて苦しむのは、預かった金銭に利子が積んで、他人の所得をみずからと持ち扱うようなものであろう。……すべての疑は身を捨てて始めて解決が出来る。ただどう身を捨てるかが問題である。死? 死とはあまりに無能である」
 宗近君は籐(と)の椅子(いす)に横平(おうへい)な腰を据えてさっきから隣りの琴(こと)を聴いている。御室(おむろ)の御所(ごしょ)の春寒(はるさむ)に、銘(めい)をたまわる琵琶(びわ)の風流は知るはずがない。十三絃(じゅうさんげん)を南部の菖蒲形(しょうぶがた)に張って、象牙(ぞうげ)に置いた蒔絵(まきえ)の舌(した)を気高(けだか)しと思う数奇(すき)も有(も)たぬ。宗近君はただ漫然と聴(き)いているばかりである。
 滴々(てきてき)と垣を蔽(おお)う連□(れんぎょう)の黄(き)な向うは業平竹(なりひらだけ)の一叢(ひとむら)に、苔(こけ)の多い御影の突(つ)く這(ば)いを添えて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔(えいざんごけ)を這(は)わしている。琴の音(ね)はこの庭から出る。
 雨は一つである。冬は合羽(かっぱ)が凍(こお)る。秋は灯心が細る。夏は褌(ふどし)を洗う。春は――平打(ひらうち)の銀簪(ぎんかん)を畳の上に落したまま、貝合(かいあわ)せの貝の裏が朱と金と藍(あい)に光る傍(かたわら)に、ころりんと掻(か)き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。
「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。
「耳に聴(き)くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に捕(とら)えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空(ほんらいくう)の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」
 琴の手は次第に繁くなる。雨滴(あまだれ)の絶間(たえま)を縫(ぬ)うて、白い爪が幾度か駒(こま)の上を飛ぶと見えて、濃(こまや)かなる調べは、太き糸の音(ね)と細き音を綯(よ)り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃(むげん)の琴を聴(き)いて始めて序破急(じょはきゅう)の意義を悟る」と書き終った時、椅子(いす)に靠(もた)れて隣家(となり)ばかりを瞰下(みおろ)していた宗近君は
「おい、甲野さん、理窟(りくつ)ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか旨(うま)いぜ」
と椽側(えんがわ)から部屋の中へ声を掛けた。
「うん、さっきから拝聴している」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。
「寝ながら拝聴する法はないよ。ちょっと椽(えん)まで出張を命ずるから出て来なさい」
「なに、ここで結構だ。構ってくれるな」と甲野さんは空気枕を傾けたまま起き上がる景色(けしき)がない。
「おい、どうも東山が奇麗(きれい)に見えるぜ」
「そうか」
「おや、鴨川(かもがわ)を渉(わた)る奴(やつ)がある。実に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」
「渉ってもいいよ」
「君、布団(ふとん)着て寝たる姿やとか何とか云うが、どこに布団を着ている訳かな。ちょっとここまで来て教えてくれんかな」
「いやだよ」
「君、そうこうしているうちに加茂の水嵩(みずかさ)が増して来たぜ。いやあ大変だ。橋が落ちそうだ。おい橋が落ちるよ」
「落ちても差(さ)し支(つか)えなしだ」
「落ちても差し支えなしだ? 晩に都踊が見られなくっても差し支えなしかな」
「なし、なし」と甲野さんは面倒臭くなったと見えて、寝返りを打って、例の金襖(きんぶすま)の筍(たけのこ)を横に眺(なが)め始めた。
「そう落ちついていちゃ仕方がない。こっちで降参するよりほかに名案もなくなった」と宗近さんは、とうとう我(が)を折って部屋の中へ這入(はい)って来る。
「おい、おい」
「何だ、うるさい男だね」
「あの琴を聴いたろう」
「聴いたと云ったじゃないか」
「ありゃ、君、女だぜ」
「当り前さ」
「幾何(いくつ)だと思う」
「幾歳(いくつ)だかね」
「そう冷淡じゃ張り合がない。教えてくれなら、教えてくれと判然(はっきり)云うがいい」
「誰が云うものか」
「云わない? 云わなければこっちで云うばかりだ。ありゃ、島田(しまだ)だよ」
「座敷でも開(あ)いてるのかい」
「なに座敷はぴたりと締ってる」
「それじゃまた例の通り好加減(いいかげん)な雅号なんだろう」
「雅号にして本名なるものだね。僕はあの女を見たんだよ」
「どうして」
「そら聴(き)きたくなった」
「何聴かなくってもいいさ。そんな事を聞くよりこの筍(たけのこ)を研究している方がよっぽど面白い。この筍を寝ていて横に見ると、背(せい)が低く見えるがどう云うものだろう」
「おおかた君の眼が横に着いているせいだろう」
「二枚の唐紙(からかみ)に三本描(か)いたのは、どう云う因縁(いんねん)だろう」
「あんまり下手だから一本負けたつもりだろう」
「筍の真青(まっさお)なのはなぜだろう」
「食うと中毒(あた)ると云う謎(なぞ)なんだろう」
「やっぱり謎か。君だって謎を釈(と)くじゃないか」
「ハハハハ。時々は釈いて見るね。時に僕がさっきから島田の謎を解いてやろうと云うのに、いっこう釈かせないのは哲学者にも似合わん不熱心な事だと思うがね」
「釈きたければ釈くさ。そうもったいぶったって、頭を下げるような哲学者じゃない」
「それじゃ、ひとまず安っぽく釈いてしまって、後(あと)から頭を下げさせる事にしよう。――あのね、あの琴の主はね」
「うん」
「僕が見たんだよ」
「そりゃ今聴いた」
「そうか。それじゃ別に話す事もない」
「なければ、いいさ」
「いや好くない。それじゃ話す。昨日(きのう)ね、僕が湯から上がって、椽側(えんがわ)で肌を抜いで涼んでいると――聴きたいだろう――僕が何気なく鴨東(おうとう)の景色(けしき)を見廻わして、ああ好い心持ちだとふと眼を落して隣家を見下すと、あの娘が障子(しょうじ)を半分開けて、開けた障子に靠(も)たれかかって庭を見ていたのさ」
「別嬪(べっぴん)かね」
「ああ別嬪だよ。藤尾さんよりわるいが糸公(いとこう)より好いようだ」
「そうかい」
「それっきりじゃ、余(あん)まり他愛(たあい)が無さ過ぎる。そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかったぐらい義理にも云うがいい」
「そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかった」
「ハハハハだから見せてやるから椽側(えんがわ)まで出て来いと云うのに」
「だって障子は締ってるんじゃないか」
「そのうち開(あ)くかも知れないさ」
「ハハハハ小野なら障子の開くまで待ってるかも知れない」
「そうだね。小野を連れて来て見せてやれば好かった」
「京都はああ云う人間が住むに好い所だ」
「うん全く小野的だ。大将、来いと云うのになんのかのと云って、とうとう来ない」
「春休みに勉強しようと云うんだろう」
「春休みに勉強が出来るものか」
「あんな風じゃいつだって勉強が出来やしない。一体文学者は軽いからいけない」
「少々耳が痛いね。こっちも余まり重くはない方だからね」
「いえ、単なる文学者と云うものは霞(かすみ)に酔ってぽうっとしているばかりで、霞を披(ひら)いて本体を見つけようとしないから性根(しょうね)がないよ」
「霞の酔(よ)っ払(ぱらい)か。哲学者は余計な事を考え込んで苦(にが)い顔をするから、塩水の酔っ払だろう」
「君見たように叡山(えいざん)へ登るのに、若狭(わかさ)まで突き貫(ぬ)ける男は白雨(ゆうだち)の酔っ払だよ」
「ハハハハそれぞれ酔っ払ってるから妙だ」
 甲野さんの黒い頭はこの時ようやく枕を離れた。光沢(つや)のある髪で湿(しめ)っぽく圧(お)し付けられていた空気が、弾力で膨(ふく)れ上がると、枕の位置が畳の上でちょっと廻った。同時に駱駝(らくだ)の膝掛(ひざかけ)が擦(ず)り落ちながら、裏を返して半分(はんぶ)に折れる。下から、だらしなく腰に捲(ま)き付けた平絎(ひらぐけ)の細帯があらわれる。
「なるほど酔っ払いに違ない」と枕元に畏(かしこ)まった宗近君は、即座に品評を加えた。相手は痩(や)せた体躯(からだ)を持ち上げた肱(ひじ)を二段に伸(のば)して、手の平に胴を支(ささ)えたまま、自分で自分の腰のあたりを睨(ね)め廻していたが
「たしかに酔っ払ってるようだ。君はまた珍らしく畏(かしこ)まってるじゃないか」と一重瞼(ひとえまぶた)の長く切れた間から、宗近君をじろりと見た。
「おれは、これで正気なんだからね」
「居住(いずまい)だけは正気だ」
「精神も正気だからさ」
「どてらを着て跪坐(かしこまっ)てるのは、酔っ払っていながら、異状がないと得意になるようなものだ。なおおかしいよ。酔っ払いは酔払(よっぱらい)らしくするがいい」
「そうか、それじゃ御免蒙(ごめんこうむ)ろう」と宗近君はすぐさま胡坐(あぐら)をかく。
「君は感心に愚(ぐ)を主張しないからえらい。愚にして賢と心得ているほど片腹(かたはら)痛い事はないものだ」
「諫(いさめ)に従う事流るるがごとしとは僕の事を云ったものだよ」
「酔払っていてもそれなら大丈夫だ」
「なんて生意気を云う君はどうだ。酔払っていると知りながら、胡坐をかく事も跪坐る事も出来ない人間だろう」
「まあ立ん坊だね」と甲野さんは淋(さび)し気に笑った。勢込(いきおいこ)んで喋舌(しゃべ)って来た宗近君は急に真面目(まじめ)になる。甲野さんのこの笑い顔を見ると宗近君はきっと真面目にならなければならぬ。幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑(はいふ)に入る。面上の筋肉が我勝(われが)ちに躍(おど)るためではない。頭上の毛髪が一筋ごとに稲妻(いなずま)を起すためでもない。涙管(るいかん)の関が切れて滂沱(ぼうだ)の観を添うるがためでもない。いたずらに劇烈なるは、壮士が事もなきに剣を舞わして床(ゆか)を斬(き)るようなものである。浅いから動くのである。本郷座の芝居である。甲野さんの笑ったのは舞台で笑ったのではない。
 毛筋ほどな細い管を通して、捕(とら)えがたい情(なさ)けの波が、心の底から辛(かろ)うじて流れ出して、ちらりと浮世の日に影を宿したのである。往来に転(ころ)がっている表情とは違う。首を出して、浮世だなと気がつけばすぐ奥の院へ引き返す。引き返す前に、捕(つら)まえた人が勝ちである。捕まえ損(そこ)なえば生涯(しょうがい)甲野さんを知る事は出来ぬ。
 甲野さんの笑は薄く、柔らかに、むしろ冷やかである。そのおとなしいうちに、その速(すみや)かなるうちに、その消えて行くうちに、甲野さんの一生は明(あきら)かに描(えが)き出されている。この瞬間の意義を、そうかと合点するものは甲野君の知己(ちき)である。斬(き)った張(は)ったの境に甲野さんを置いて、ははあ、こんな人かと合点(がてん)するようでは親子といえどもいまだしである。兄弟といえども他人である。斬った張ったの境に甲野さんを置いて、始めて甲野さんの性格を描(えが)き出すのは野暮(やぼ)な小説である。二十世紀に斬った張ったがむやみに出て来るものではない。
 春の旅は長閑(のどか)である。京の宿は静かである。二人は無事である。ふざけている。その間に宗近君は甲野さんを知り、甲野さんは宗近君を知る。これが世の中である。
「立ん坊か」と云ったまま宗近君は駱駝(らくだ)の膝掛(ひざかけ)の馬簾(ばれん)をひねくり始めたが、やがて
「いつまでも立ん坊か」
と相手の顔は見ず、質問のように、独語(ひとりごと)のように、駱駝の膝掛に話しかけるように、立ん坊を繰り返した。
「立ん坊でも覚悟だけはちゃんとしている」と甲野さんはこの時始めて、腰を浮かして、相手の方に向き直る。
「叔父さんが生きてると好いがな」
「なに、阿爺(おやじ)が生きているとかえって面倒かも知れない」
「そうさなあ」と宗近君はなあを引っ張った。
「つまり、家(うち)を藤尾にくれてしまえばそれで済むんだからね」
「それで君はどうするんだい」
「僕は立ん坊さ」
「いよいよ本当の立ん坊か」
「うん、どうせ家を襲(つ)いだって立ん坊、襲がなくったって立ん坊なんだからいっこう構わない」
「しかしそりゃ、いかん。第一叔母(おば)さんが困るだろう」
「母がか」
 甲野さんは妙な顔をして宗近君を見た。
 疑がえば己(おのれ)にさえ欺(あざ)むかれる。まして己以外の人間の、利害の衢(ちまた)に、損失の塵除(ちりよけ)と被(かぶ)る、面(つら)の厚さは、容易には度(はか)られぬ。親しき友の、わが母を、そうと評するのは、面の内側で評するのか、または外側でのみ云う了見(りょうけん)か。己にさえ、己を欺く魔の、どこにか潜(ひそ)んでいるような気持は免かれぬものを、無二の友達とは云え、父方の縁続きとは云え、迂濶(うかつ)には天機を洩(も)らしがたい。宗近の言(こと)は継母に対するわが心の底を見んための鎌(かま)か。見た上でも元の宗近ならばそれまでであるが、鎌を懸(か)けるほどの男ならば、思う通りを引き出した後(あと)で、どう引っ繰り返らぬとも保証は出来ん。宗近の言は真率(しんそつ)なる彼の、裏表の見界(みさかい)なく、母の口占(くちうら)を一図(いちず)にそれと信じたる反響か。平生(へいぜい)のかれこれから推(お)して見ると多分そうだろう。よもや、母から頼まれて、曇る胸の、われにさえ恐ろしき淵(ふち)の底に、詮索(さぐり)の錘(おもり)を投げ込むような卑劣な振舞はしまい。けれども、正直な者ほど人には使われやすい。卑劣と知って、人の手先にはならんでも、われに対する好意から、見損(みそく)なった母の意を承(う)けて、御互に面白からぬ結果を、必然の期程(きてい)以前に、家庭のなかに打(ぶ)ち開(ま)ける事がないとも限らん。いずれにしても入らぬ口は発(き)くまい。
 二人はしばらく無言である。隣家(となり)ではまだ琴(こと)を弾(ひ)いている。
「あの琴は生田流(いくたりゅう)かな」と甲野さんは、つかぬ事を聞く。
「寒くなった、狐の袖無(ちゃんちゃん)でも着よう」と宗近君も、つかぬ事を云う。二人は離れ離れに口を発いている。
 丹前の胸を開いて、違棚(ちがいだな)の上から、例の異様な胴衣(チョッキ)を取り下ろして、体(たい)を斜(なな)めに腕を通した時、甲野さんは聞いた。
「その袖無(ちゃんちゃん)は手製か」
「うん、皮は支那に行った友人から貰ったんだがね、表は糸公が着けてくれた」
「本物だ。旨(うま)いもんだ。御糸(おいと)さんは藤尾なんぞと違って実用的に出来ているからいい」
「いいか、ふん。彼奴(あいつ)が嫁に行くと少々困るね」
「いい嫁の口はないかい」
「嫁の口か」と宗近君はちょっと甲野さんを見たが、気の乗らない調子で「無い事もないが……」とだらりと言葉の尾を垂れた。甲野さんは問題を転じた。
「御糸さんが嫁に行くと御叔父(おじ)さんも困るね」
「困ったって仕方がない、どうせいつか困るんだもの。――それよりか君は女房を貰わないのかい」
「僕か――だって――食わす事が出来ないもの」
「だから御母(おっか)さんの云う通りに君が家(うち)を襲(つ)いで……」
「そりゃ駄目だよ。母が何と云ったって、僕は厭(いや)なんだ」
「妙だね、どうも。君が判然しないもんだから、藤尾さんも嫁に行かれないんだろう」
「行かれないんじゃない、行かないんだ」
 宗近君はだまって鼻をぴくつかせている。
「また鱧(はも)を食わせるな。毎日鱧ばかり食って腹の中が小骨だらけだ。京都と云う所は実に愚(ぐ)な所だ。もういい加減に帰ろうじゃないか」
「帰ってもいい。鱧ぐらいなら帰らなくってもいい。しかし君の嗅覚(きゅうかく)は非常に鋭敏だね。鱧の臭がするかい」
「するじゃないか。台所でしきりに焼いていらあね」
「そのくらい虫が知らせると阿爺(おやじ)も外国で死ななくっても済んだかも知れない。阿爺は嗅覚が鈍かったと見える」
「ハハハハ。時に御叔父さんの遺物はもう、着いたか知ら」
「もう着いた時分だね。公使館の佐伯(さえき)と云う人が持って来てくれるはずだ。――何にもないだろう――書物が少しあるかな」
「例の時計はどうしたろう」
「そうそう。倫敦(ロンドン)で買った自慢の時計か。あれは多分来るだろう。小供の時から藤尾の玩具(おもちゃ)になった時計だ。あれを持つとなかなか離さなかったもんだ。あの鏈(くさり)に着いている柘榴石(ガーネット)が気に入ってね」
「考えると古い時計だね」
「そうだろう、阿爺が始めて洋行した時に買ったんだから」
「あれを御叔父さんの片身(かたみ)に僕にくれ」
「僕もそう思っていた」
「御叔父さんが今度洋行するときね、帰ったら卒業祝にこれを御前にやろうと約束して行ったんだよ」
「僕も覚えている。――ことによると今頃は藤尾が取ってまた玩具にしているかも知れないが……」
「藤尾さんとあの時計はとうてい離せないか。ハハハハなに構わない、それでも貰おう」
 甲野さんは、だまって宗近君の眉(まゆ)の間を、長い事見ていた。御昼の膳(ぜん)の上には宗近君の予言通り鱧(はも)が出た。

        四

 甲野(こうの)さんの日記の一筋に云う。
「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず」
 小野さんは色を見て世を暮らす男である。
 甲野さんの日記の一筋にまた云う。
「生死因縁(しょうしいんねん)無了期(りょうきなし)、色相世界(しきそうせかい)現狂癡(きょうちをげんず)」
 小野さんは色相(しきそう)世界に住する男である。
 小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児だとさえ云う。筒袖(つつそで)を着て学校へ通う時から友達に苛(いじ)められていた。行く所で犬に吠(ほ)えられた。父は死んだ。外で辛(ひど)い目に遇(あ)った小野さんは帰る家が無くなった。やむなく人の世話になる。
 水底(みなそこ)の藻(も)は、暗い所に漂(ただよ)うて、白帆行く岸辺に日のあたる事を知らぬ。右に揺(うご)こうが、左(ひだ)りに靡(なび)こうが嬲(なぶ)るは波である。ただその時々に逆(さか)らわなければ済む。馴(な)れては波も気にならぬ。波は何物ぞと考える暇(ひま)もない。なぜ波がつらく己(おの)れにあたるかは無論問題には上(のぼ)らぬ。上ったところで改良は出来ぬ。ただ運命が暗い所に生(は)えていろと云う。そこで生えている。ただ運命が朝な夕なに動けと云う。だから動いている。――小野さんは水底の藻であった。
 京都では孤堂(こどう)先生の世話になった。先生から絣(かすり)の着物をこしらえて貰った。年に二十円の月謝も出して貰った。書物も時々教わった。祇園(ぎおん)の桜をぐるぐる周(まわ)る事を知った。知恩院(ちおんいん)の勅額(ちょくがく)を見上げて高いものだと悟った。御飯も一人前(いちにんまえ)は食うようになった。水底の藻は土を離れてようやく浮かび出す。
 東京は目の眩(くら)む所である。元禄(げんろく)の昔に百年の寿(ことぶき)を保ったものは、明治の代(よ)に三日住んだものよりも短命である。余所(よそ)では人が蹠(かかと)であるいている。東京では爪先(つまさき)であるく。逆立(さかだち)をする。横に行く。気の早いものは飛んで来る。小野さんは東京できりきりと回った。
 きりきりと回った後(あと)で、眼を開けて見ると世界が変っている。眼を擦(こ)すっても変っている。変だと考えるのは悪(わ)るく変った時である。小野さんは考えずに進んで行く。友達は秀才だと云う。教授は有望だと云う。下宿では小野さん小野さんと云う。小野さんは考えずに進んで行く。進んで行ったら陛下から銀時計を賜(たま)わった。浮かび出した藻(も)は水面で白い花をもつ。根のない事には気がつかぬ。
 世界は色の世界である。ただこの色を味(あじわ)えば世界を味わったものである。世界の色は自己の成功につれて鮮(あざ)やかに眼に映(うつ)る。鮮やかなる事錦を欺(あざむ)くに至って生きて甲斐(かい)ある命は貴(とう)とい。小野さんの手巾(ハンケチ)には時々ヘリオトロープの香(におい)がする。
 世界は色の世界である、形は色の残骸(なきがら)である。残骸を論(あげつら)って中味の旨(うま)きを解せぬものは、方円の器(うつわ)に拘(かか)わって、盛り上る酒の泡(あわ)をどう片づけてしかるべきかを知らぬ男である。いかに見極(みきわ)めても皿は食われぬ。唇(くちびる)を着けぬ酒は気が抜ける。形式の人は、底のない道義の巵(さかずき)を抱(いだ)いて、路頭に跼蹐(きょくせき)している。
 世界は色の世界である。いたずらに空華(くうげ)と云い鏡花(きょうか)と云う。真如(しんにょ)の実相とは、世に容(い)れられぬ畸形(きけい)の徒が、容れられぬ恨(うらみ)を、黒※郷裏(こくてんきょうり)[#「甘+舌」、72-14]に晴らすための妄想(もうぞう)である。盲人は鼎(かなえ)を撫(な)でる。色が見えねばこそ形が究(きわ)めたくなる。手のない盲人は撫でる事をすらあえてせぬ。ものの本体を耳目のほかに求めんとするは、手のない盲人の所作(しょさ)である。小野さんの机の上には花が活(い)けてある。窓の外には柳が緑を吹く。鼻の先には金縁の眼鏡(めがね)が掛かっている。
 絢爛(けんらん)の域を超(こ)えて平淡に入(い)るは自然の順序である。我らは昔(むか)し赤ん坊と呼ばれて赤いべべを着せられた。大抵(たいてい)のものは絵画(にしきえ)のなかに生い立って、四条派(しじょうは)の淡彩から、雲谷(うんこく)流の墨画(すみえ)に老いて、ついに棺桶(かんおけ)のはかなきに親しむ。顧(かえり)みると母がある、姉がある、菓子がある、鯉(こい)の幟(のぼり)がある。顧みれば顧みるほど華麗(はなやか)である。小野さんは趣(おもむき)が違う。自然の径路(けいろ)を逆(さか)しまにして、暗い土から、根を振り切って、日の透(とお)る波の、明るい渚(なぎさ)へ漂(ただよ)うて来た。――坑(あな)の底で生れて一段ごとに美しい浮世へ近寄るためには二十七年かかった。二十七年の歴史を過去の節穴(ふしあな)から覗(のぞ)いて見ると、遠くなればなるほど暗い。ただその途中に一点の紅(くれない)がほのかに揺(うご)いている。東京へ来(き)たてにはこの紅が恋しくて、寒い記憶を繰り返すのも厭(いと)わず、たびたび過去の節穴を覗いては、長き夜(よ)を、永き日を、あるは時雨(しぐ)るるをゆかしく暮らした。今は――紅もだいぶ遠退(とおの)いた。その上、色もよほど褪(さ)めた。小野さんは節穴を覗く事を怠(おこ)たるようになった。
 過去の節穴を塞(ふさ)ぎかけたものは現在に満足する。現在が不景気だと未来を製造する。小野さんの現在は薔薇(ばら)である。薔薇の蕾(つぼみ)である。小野さんは未来を製造する必要はない。蕾(つぼ)んだ薔薇を一面に開かせればそれが自(おのず)からなる彼の未来である。未来の節穴を得意の管(くだ)から眺(なが)めると、薔薇はもう開いている。手を出せば捕(つら)まえられそうである。早く捕まえろと誰かが耳の傍(そば)で云う。小野さんは博士論文を書こうと決心した。
 論文が出来たから博士になるものか、博士になるために論文が出来るものか、博士に聞いて見なければ分らぬが、とにかく論文を書かねばならぬ。ただの論文ではならぬ、必(かなら)ず博士論文でなくてはならぬ。博士は学者のうちで色のもっとも見事なるものである。未来の管を覗くたびに博士の二字が金色(こんじき)に燃えている。博士の傍には金時計が天から懸(かか)っている。時計の下には赤い柘榴石(ガーネット)が心臓の焔(ほのお)となって揺れている。その側(わき)に黒い眼の藤尾さんが繊(ほそ)い腕を出して手招(てまね)ぎをしている。すべてが美くしい画(え)である。詩人の理想はこの画の中の人物となるにある。
 昔(むか)しタンタラスと云う人があった。わるい事をした罰(ばち)で、苛(ひど)い目に逢(お)うたと書いてある。身体(からだ)は肩深く水に浸(ひた)っている。頭の上には旨(うま)そうな菓物(くだもの)が累々(るいるい)と枝をたわわに結実(な)っている。タンタラスは咽喉(のど)が渇(かわ)く。水を飲もうとすると水が退(ひ)いて行く。タンタラスは腹が減る。菓物を食おうとすると菓物が逃げて行く。タンタラスの口が一尺動くと向うでも一尺動く。二尺前(すす)むと向うでも二尺前む。三尺四尺は愚か、千里を行き尽しても、タンタラスは腹が減り通しで、咽喉が渇き続けである。おおかた今でも水と菓物を追っ懸(か)けて歩いてるだろう。――未来の管を覗くたびに、小野さんは、何だかタンタラスの子分のような気がする。それのみではない。時によると藤尾さんがつんと澄ましている事がある。長い眉(まゆ)を押しつけたように短かくして、屹(きっ)と睨(にら)めている事がある。柘榴石がぱっと燃えて、□のなかに、女の姿が、包まれながら消えて行く事がある。博士の二字がだんだん薄くなって剥(は)げながら暗くなる事がある。時計が遥(はる)かな天から隕石(いんせき)のように落ちて来て、割れる事がある。その時はぴしりと云う音がする。小野さんは詩人であるからいろいろな未来を描(えが)き出す。
 机の前に頬杖(ほおづえ)を突いて、色硝子(いろガラス)の一輪挿(いちりんざし)をぱっと蔽(おお)う椿(つばき)の花の奥に、小野さんは、例によって自分の未来を覗いている。幾通りもある未来のなかで今日は一層出来がわるい。
「この時計をあなたに上げたいんだけれどもと女が云う。どうか下さいと小野さんが手を出す。女がその手をぴしゃりと平手(ひらて)でたたいて、御気の毒様もう約束済ですと云う。じゃ時計は入りません、しかしあなたは……と聞くと、私? 私は無論時計にくっ付いているんですと向(むこう)をむいて、すたすた歩き出す」
 小野さんは、ここまで未来をこしらえて見たが、余り残刻(ざんこく)なのに驚いて、また最初から出直そうとして、少し痛くなり掛けた□(あご)を持ち上げると、障子(しょうじ)が、すうと開(あ)いて、御手紙ですと下女が封書を置いて行く。
「小野清三様」と子昂流(すごうりゅう)にかいた名宛(なあて)を見た時、小野さんは、急に両肱(りょうひじ)に力を入れて、机に持たした体(たい)を跳(は)ねるように後(うしろ)へ引いた。未来を覗く椿(つばき)の管(くだ)が、同時に揺れて、唐紅(からくれない)の一片(ひとひら)がロゼッチの詩集の上に音なしく落ちて来る。完(まった)き未来は、はや崩(くず)れかけた。
 小野さんは机に添えて左(ひだ)りの手を伸(の)したまま、顔を斜(なな)めに、受け取った封書を掌(てのひら)の上に遠くから眺(なが)めていたが、容易に裏を返さない。返さんでもおおかたの見当(けんとう)はついている。ついていればこそ返しにくい。返した暁に推察の通りであったなら、それこそ取り返しがつかぬ。かつて亀(かめのこ)に聞いた事がある。首を出すと打たれる。どうせ打たれるとは思いながら、出来るならばと甲羅(こうら)の中に立て籠(こも)る。打たれる運命を眼前に控えた間際(まぎわ)でも、一刻の首は一刻だけ縮めていたい。思うに小野さんは事実の判決を一寸(いっすん)に逃(のが)れる学士の亀であろう。亀は早晩首を出す。小野さんも今に封筒の裏を返すに違ない。
 良(やや)しばらく眺めていると今度は掌がむず痒(が)ゆくなる。一刻の安きを貪(むさぼ)った後(あと)は、安き思(おもい)を、なお安くするために、裏返して得心したくなる。小野さんは思い切って、封筒を机の上に逆(ぎゃく)に置いた。裏から井上孤堂(いのうえこどう)の四字が明かにあらわれる。白い状袋に墨を惜しまず肉太に記した草字(そうじ)は、小野さんの眼に、針の先を並べて植えつけたように紙を離れて飛びついて来た。
 小野さんは障(さわ)らぬ神に祟(たたり)なしと云う風で、両手を机から離す。ただ顔だけが机の上の手紙に向いている。しかし机と膝(ひざ)とは一尺の谷で縁が切れている。机から引き取った手は、ぐにゃりとして何だか肩から抜けて行きそうだ。
 封を切ろうか、切るまいか。だれか来て封を切れと云えば切らぬ理由を説明して、ついでに自分も安心する。しかし人を屈伏させないととうてい自分も屈伏させる事が出来ない。あやふやな柔術使は、一度往来で人を抛(な)げて見ないうちはどうも柔術家たる所以(ゆえん)を自分に証明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである。小野さんは京都以来の友人がちょっと遊びに来てくれればいいと思った。
 二階の書生がヴァイオリンを鳴らし始めた。小野さんも近日うちにヴァイオリンの稽古を始めようとしている。今日はそんな気もいっこう起らぬ。あの書生は呑気(のんき)で羨(うらやま)しいと思う。――椿の花片(はなびら)がまた一つ落ちた。
 一輪挿(いちりんざし)を持ったまま障子を開(あ)けて椽側(えんがわ)へ出る。花は庭へ棄(す)てた。水もついでにあけた。花活(はないけ)は手に持っている。実は花活もついでに棄てるところであった。花活を持ったまま椽側に立っている。檜(ひのき)がある。塀(へい)がある。向(むこう)に二階がある。乾きかけた庭に雨傘が干(ほ)してある。蛇(じゃ)の目の黒い縁(ふち)に落花(らっか)が二片(ふたひら)貼(へばり)ついている。その他いろいろある。ことごとく無意義にある。みんな器械的である。
 小野さんは重い足を引き擦(ず)ってまた部屋のなかへ這入(はい)って来た。坐らずに机の前に立っている。過去の節穴(ふしあな)がすうと開(あ)いて昔の歴史が細長く遠くに見える。暗い。その暗いなかの一点がぱっと燃え出した。動いて来る。小野さんは急に腰を屈(かが)めて手を伸ばすや否や封を切った。
「拝啓柳暗花明(りゅうあんかめい)の好時節と相成候処いよいよ御壮健奉賀(がしたてまつり)候(そうろう)。小生も不相変(あいかわらず)頑強(がんきょう)、小夜(さよ)も息災に候えば、乍憚(はばかりながら)御休神可被下(くださるべく)候(そうろう)。さて旧臘(きゅうろう)中一寸申上候東京表へ転住の義、其後(そのご)色々の事情にて捗(はか)どりかね候所、此程に至り諸事好都合に埓(らち)あき、いよいよ近日中に断行の運びに至り候はずにつき左様御承知被下度(くだされたく)候(そうろう)。二十年前(ぜん)に其地を引き払い候儘、両度の上京に、五六日の逗留(とうりゅう)の外は、全く故郷の消息に疎(うと)く、万事不案内に候えば到着の上は定めて御厄介の事と存候。
「年来住み古(ふ)るしたる住宅は隣家蔦屋(つたや)にて譲り受け度旨(たきむね)申込(もうしこみ)有之(これあり)、其他にも相談の口はかかり候えども、此方(こちら)に取り極め申候。荷物其他嵩張(かさば)り候ものは皆当地にて売払い、なるべく手軽に引き移るつもりに御座候。唯小夜所持の琴(こと)一面は本人の希望により、東京迄持ち運び候事に相成候。故(ふる)きを棄てがたき婦女の心情御憐察可被下(くださるべく)候(そうろう)。
「御承知の通(とおり)小夜は五年前(ぜん)当地に呼び寄せ候迄、東京にて学校教育を受け候事とて切に転住の速(すみや)かなる事を希望致し居候。同人行末(ゆくすえ)の義に関しては大略御同意の事と存じ候えば別に不申述(もうしのべず)。追て其地にて御面会の上篤(とく)と御協議申上度と存候。
「博覧会にて御地は定めて雑沓(ざっとう)の事と存候。出立の節はなるべく急行の夜汽車を撰(えら)みたくと存じ候えども、急行は非常の乗客の由につき、一層(いっそ)途中にて一二泊の上ゆるゆる上京致すやも計りがたく候。時日刻限はいずれ確定次第御報可致(いたすべく)候(そうろう)。まずは右当用迄匆々(そうそう)不一」
 読み終った小野さんは、机の前に立ったままである。巻き納めぬ手紙は右の手からだらりと垂れて、清三様……孤堂とかいた端(はじ)が青いカシミヤの机掛の上に波を打って二三段に畳まれている。小野さんは自分の手元から半切れを伝わって机掛の白く染め抜かれているあたりまで順々に見下して行く。見下した眼の行き留(どま)った時、やむを得ず、睛(ひとみ)を転じてロゼッチの詩集を眺(なが)めた。詩集の表紙の上に散った二片(ふたひら)の紅(くれない)も眺めた。紅に誘われて、右の角(かど)に在るべき色硝子の一輪挿も眺めようとした。一輪挿はどこかへ行ってあらぬ。一昨日(おととい)挿した椿(つばき)は影も形もない。うつくしい未来を覗く管(くだ)が無くなった。
 小野さんは机の前へ坐った。力なく巻き納める恩人の手紙のなかから妙な臭が立ち上(のぼ)る。一種古ぼけた黴臭(かびくさ)いにおいが上る。過去のにおいである。忘れんとして躊躇(ちゅうちょ)する毛筋の末を引いて、細い縁(えにし)に、絶えるほどにつながるる今と昔を、面(ま)のあたりに結び合わす香(におい)である。
 半世の歴史を長き穂の心細きまで逆(さか)しまに尋ぬれば、溯(さかのぼ)るほどに暗澹(あんたん)となる。芽を吹く今の幹なれば、通わぬ脈の枯れ枝(え)の末に、錐(きり)の力の尖(とが)れるを幸(さいわい)と、記憶の命を突き透(とお)すは要なしと云わんよりむしろ無惨(むざん)である。ジェーナスの神は二つの顔に、後(うし)ろをも前をも見る。幸なる小野さんは一つの顔しか持たぬ。背(そびら)を過去に向けた上は、眼に映るは煕々(きき)たる前程のみである。後(うしろ)を向けばひゅうと北風が吹く。この寒い所をやっとの思いで斬り抜けた昨日今日(きのうきょう)、寒い所から、寒いものが追っ懸(か)けて来る。今まではただ忘れればよかった。未来の発展の暖く鮮(あざ)やかなるうちに、己(おの)れを捲(ま)き込んで、一歩でも過去を遠退(とおの)けばそれで済んだ。生きている過去も、死んだ過去のうちに静かに鏤(ちりばめ)られて、動くかとは掛念(けねん)しながらも、まず大丈夫だろうと、その日、その日に立ち退(の)いては、顧みるパノラマの長く連なるだけで、一点も動かぬに胸を撫(な)でていた。ところが、昔しながらとたかを括(くく)って、過去の管(くだ)を今さら覗いて見ると――動くものがある。われは過去を棄てんとしつつあるに、過去はわれに近づいて来る。逼(せま)って来る。静かなる前後と枯れ尽したる左右を乗り超(こ)えて、暗夜(やみよ)を照らす提灯(ちょうちん)の火のごとく揺れて来る、動いてくる。小野さんは部屋の中を廻り始めた。
 自然は自然を用い尽さぬ。極(きわ)まらんとする前に何事か起る。単調は自然の敵である。小野さんが部屋の中を廻り始めて半分(はんぷん)と立たぬうちに、障子(しょうじ)から下女の首が出た。
「御客様」と笑いながら云う。なぜ笑うのか要領を得ぬ。御早うと云っては笑い、御帰んなさいと云っては笑い、御飯ですと云っては笑う。人を見て妄(みだ)りに笑うものは必ず人に求むるところのある証拠である。この下女はたしかに小野さんからある報酬を求めている。
 小野さんは気のない顔をして下女を見たのみである。下女は失望した。
「通しましょうか」
 小野さんは「え、うん」と判然しない返事をする。下女はまた失望した。下女がむやみに笑うのは小野さんに愛嬌(あいきょう)があるからである。愛嬌のない御客は下女から見ると半文(はんもん)の価値もない。小野さんはこの心理を心得ている。今日(こんにち)まで下女の人望を繋(つな)いだのも全くこの自覚に基(もと)づく。小野さんは下女の人望をさえ妄(みだ)りに落す事を好まぬほどの人物である。
 同一の空間は二物によって同時に占有せらるる事能(あた)わずと昔(むか)しの哲学者が云った。愛嬌と不安が同時に小野さんの脳髄に宿る事はこの哲学者の発明に反する。愛嬌が退(の)いて不安が這入(はい)る。下女は悪(わ)るいところへぶつかった。愛嬌が退いて不安が這入る。愛嬌が附焼刃(つけやきば)で不安が本体だと思うのは偽哲学者である。家主(いえぬし)が這入るについて、愛嬌が示談(じだん)の上、不安に借家を譲り渡したまでである。それにしても小野さんは悪るいところを下女に見られた。
「通してもいいんですか」
「うん、そうさね」
「御留守だって云いましょうか」
「誰だい」
「浅井さん」
「浅井か」
「御留守?」
「そうさね」
「御留守になさいますか」
「どう、しようか知ら」
「どっち、でも」
「逢(あ)おうかな」
「じゃ、通しましょう」
「おい、ちょっと、待った。おい」
「何です」
「ああ、好(い)い。好(よ)し好し」
 友達には逢いたい時と、逢いたくない時とある。それが判然すれば何の苦もない。いやなら留守を使えば済む。小野さんは先方の感情を害せぬ限りは留守を使う勇気のある男である。ただ困るのは逢いたくもあり、逢いたくもなくて、前へ行ったり後(うし)ろへ戻ったりして下女にまで馬鹿にされる時である。
 往来で人と往き合う事がある。双方でちょっと体(たい)を交(か)わせば、それぎりで御互にもとの通り、あかの他人となる。しかし時によると両方で、同じ右か、同じ左りへ避(よ)ける。これではならぬと反対の側へ出ようと、足元を取り直すとき、向うもこれではならぬと気を換(か)えて反対へ出る。反対と反対が鉢合(はちあわ)せをして、おいしまったと心づいて、また出直すと、同時同刻に向うでも同様に出直してくる。両人は出直そうとしては出遅れ、出遅れては出直そうとして、柱時計の振子(ふりこ)のようにこっち、あっちと迷い続けに迷うてくる。しまいには双方で双方を思い切りの悪(わ)るい野郎だと悪口(わるくち)が云いたくなる。人望のある小野さんは、もう少しで下女に思い切りの悪るい野郎だと云われるところであった。
 そこへ浅井君が這入(はい)ってくる。浅井君は京都以来の旧友である。茶の帽子のいささか崩れかかったのを、右の手で圧(お)し潰(つぶ)すように握って、畳の上へ抛(ほう)り出すや否や
「ええ天気だな」と胡坐(あぐら)をかく。小野さんは天気の事を忘れていた。
「いい天気だね」
「博覧会へ行ったか」
「いいや、まだ行かない」
「行って見い、面白いぜ。昨日(きのう)行っての、アイスクリームを食うて来た」
「アイスクリーム? そう、昨日はだいぶ暑かったからね」
「今度は露西亜(ロシア)料理を食いに行くつもりだ。どうだいっしょに行かんか」
「今日かい」
「うん今日でもいい」
「今日は、少し……」
「行かんか。あまり勉強すると病気になるぞ。早く博士になって、美しい嫁さんでも貰おうと思うてけつかる。失敬な奴ちゃ」
「なにそんな事はない。勉強がちっとも出来なくって困る」
「神経衰弱だろう。顔色が悪いぞ」
「そうか、どうも心持ちがわるい」
「そうだろう。井上の御嬢さんが心配する、早く露西亜(ロシア)料理でも食うて、好うならんと」
「なぜ」
「なぜって、井上の御嬢さんは東京へ来るんだろう」
「そうか」
「そうかって、君の所へは無論通知が来たはずじゃ」
「君の所へは来たかい」
「うん、来た。君の所へは来んのか」
「いえ来た事は来たがね」
「いつ来たか」
「もう少し先刻(さっき)だった」
「いよいよ結婚するんだろう」
「なにそんな事があるものか」
「せんのか、なぜ?」
「なぜって、そこにはだんだん深い事情があるんだがね」
「どんな事情が」
「まあ、それはおって緩(ゆ)っくり話すよ。僕も井上先生には大変世話になったし、僕の力で出来る事は何でも先生のためにする気なんだがね。結婚なんて、そう思う通りに急に出来るものじゃないさ」
「しかし約束があるんだろう」
「それがね、いつか君にも話そう話そうと思っていたんだが、――僕は実に先生には同情しているんだよ」
「そりゃ、そうだろう」
「まあ、先生が出て来たら緩(ゆっ)くり話そうと思うんだね。そう向うだけで一人(ひとり)ぎめにきめていても困るからね」
「どんなに一人できめているんだい」
「きめているらしいんだね、手紙の様子で見ると」
「あの先生も随分昔堅気(むかしかたぎ)だからな」
「なかなか自分できめた事は動かない。一徹(いってつ)なんだ」
「近頃は家計(くらし)の方も余りよくないんだろう」
「どうかね。そう困りもしまい」
「時に何時(なんじ)かな、君ちょっと時計を見てくれ」
「二時十六分だ」
「二時十六分?――それが例の恩賜の時計か」
「ああ」
「旨(うま)い事をしたなあ。僕も貰って置けばよかった。こう云うものを持っていると世間の受けがだいぶ違うな」
「そう云う事もあるまい」
「いやある。何しろ天皇陛下が保証して下さったんだからたしかだ」
「君これからどこかへ行くのかい」
「うん、天気がいいから遊ぶんだ。どうだいっしょに行かんか」
「僕は少し用があるから――しかしそこまでいっしょに出よう」
 門口(かどぐち)で分れた小野さんの足は甲野の邸に向った。

        五

 山門を入る事一歩にして、古き世の緑(みど)りが、急に左右から肩を襲う。自然石(じねんせき)の形状(かたち)乱れたるを幅一間に行儀よく並べて、錯落(さくらく)と平らかに敷き詰めたる径(こみち)に落つる足音は、甲野(こうの)さんと宗近(むねちか)君の足音だけである。
 一条(いちじょう)の径の細く直(すぐ)なるを行き尽さざる此方(こなた)から、石に眼を添えて遥(はる)かなる向うを極(きわ)むる行き当りに、仰(あお)げば伽藍(がらん)がある。木賊葺(とくさぶき)の厚板が左右から内輪にうねって、大(だい)なる両の翼を、険(けわ)しき一本の背筋(せすじ)にあつめたる上に、今一つ小さき家根(やね)が小さき翼を伸(の)して乗っかっている。風抜(かざぬ)きか明り取りかと思われる。甲野さんも、宗近君もこの精舎(しょうじゃ)を、もっとも趣きある横側の角度から同時に見上げた。
「明かだ」と甲野さんは杖(つえ)を停(とど)めた。
「あの堂は木造でも容易に壊す事が出来ないように見える」
「つまり恰好(かっこう)が旨(うま)くそう云う風に出来てるんだろう。アリストートルのいわゆる理形(フォーム)に適(かな)ってるのかも知れない」
「だいぶむずかしいね。――アリストートルはどうでも構わないが、この辺の寺はどれも、一種妙な感じがするのは奇体だ」
「舟板塀(ふないたべい)趣味(しゅみ)や御神灯(ごじんとう)趣味(しゅみ)とは違うさ。夢窓国師(むそうこくし)が建てたんだもの」
「あの堂を見上げて、ちょっと変な気になるのは、つまり夢窓国師になるんだな。ハハハハ。夢窓国師も少しは話せらあ」
「夢窓国師や大燈国師になるから、こんな所を逍遥(しょうよう)する価値があるんだ。ただ見物したって何になるもんか」
「夢窓国師も家根(やね)になって明治まで生きていれば結構だ。安直(あんちょく)な銅像よりよっぽどいいね」
「そうさ、一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ」
「何が」
「何がって、この境内(けいだい)の景色(けしき)がさ。ちっとも曲っていない。どこまでも明らかだ」
「ちょうどおれのようだな。だから、おれは寺へ這入(はい)ると好い気持ちになるんだろう」
「ハハハそうかも知れない」
「して見ると夢窓国師がおれに似ているんで、おれが夢窓国師に似ているんじゃない」
「どうでも、好いさ。――まあ、ちっと休もうか」と甲野さんは蓮池(れんち)に渡した石橋(せっきょう)の欄干(らんかん)に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松(さんがいまつ)が三寸の厚さを透(す)かして水に臨んでいる。石には苔(こけ)の斑(ふ)が薄青く吹き出して、灰を交えた紫(むらさき)の質に深く食い込む下に、枯蓮(かれはす)の黄(き)な軸(じく)がすいすいと、去年の霜(しも)を弥生(やよい)の中に突き出している。
 宗近君は燐寸(マッチ)を出して、煙草(たばこ)を出して、しゅっと云わせた燃え残りを池の水に棄てる。
「夢窓国師はそんな悪戯(いたずら)はしなかった」と甲野さんは、□(あご)の先に、両手で杖(つえ)の頭(かしら)を丁寧に抑えている。
「それだけ、おれより下等なんだ。ちっと宗近国師の真似(まね)をするが好い」
「君は国師より馬賊になる方がよかろう」
「外交官の馬賊は少し変だから、まあ正々堂々と北京(ペキン)へ駐在する事にするよ」
「東洋専門の外交官かい」
「東洋の経綸さ。ハハハハ。おれのようなのはとうてい西洋には向きそうもないね。どうだろう、それとも修業したら、君の阿爺(おやじ)ぐらいにはなれるだろうか」
「阿爺のように外国で死なれちゃ大変だ」
「なに、あとは君に頼むから構わない」
「いい迷惑だね」
「こっちだってただ死ぬんじゃない、天下国家のために死ぬんだから、そのくらいな事はしてもよかろう」
「こっちは自分一人を持て余しているくらいだ」
「元来、君は我儘(わがまま)過ぎるよ。日本と云う考が君の頭のなかにあるかい」
 今までは真面目の上に冗談(じょうだん)の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。
「君は日本の運命を考えた事があるのか」と甲野さんは、杖の先に力を入れて、持たした体を少し後(うし)ろへ開いた。
「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。日露戦争を見ろ」
「たまたま風邪(かぜ)が癒(なお)れば長命だと思ってる」
「日本が短命だと云うのかね」と宗近君は詰め寄せた。
「日本と露西亜(ロシア)の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」
「無論さ」
「亜米利加(アメリカ)を見ろ、印度(インド)を見ろ、亜弗利加(アフリカ)を見ろ」
「それは叔父さんが外国で死んだから、おれも外国で死ぬと云う論法だよ」
「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」
「死ぬのと殺されるのとは同じものか」
「大概は知らぬ間(ま)に殺されているんだ」
 すべてを爪弾(つまはじ)きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋(せっきょう)を敲(たた)いて、ぞっとしたように肩を縮める。宗近君はぬっと立ち上がる。
「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山(がざん)と云う坊主は一椀の托鉢(たくはつ)だけであの本堂を再建したと云うじゃないか。しかも死んだのは五十になるか、ならんうちだ。やろうと思わなければ、横に寝(ね)た箸(はし)を竪(たて)にする事も出来ん」
「本堂より、あれを見ろ」と甲野さんは欄干に腰をかけたまま、反対の方角を指す。
 世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に颯(さっ)と開(ひら)いた中を、――赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨(さが)の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹(ひんぷんらくえき)と嵐山(らんざん)に行く。「あれだ」と甲野さんが云う。二人はまた色の世界に出た。
 天竜寺(てんりゅうじ)の門前を左へ折れれば釈迦堂(しゃかどう)で右へ曲れば渡月橋(とげつきょう)である。京は所の名さえ美しい。二人は名物と銘打った何やらかやらをやたらに並べ立てた店を両側に見て、停車場(ステーション)の方へ旅衣(たびごろも)七日(なのか)余りの足を旅心地に移す。出逢うは皆京の人である。二条(にじょう)から半時(はんとき)ごとに花時を空(あだ)にするなと仕立てる汽車が、今着いたばかりの好男子好女子をことごとく嵐山の花に向って吐き送る。
「美しいな」と宗近君はもう天下の大勢(たいせい)を忘れている。京ほどに女の綺羅(きら)を飾る所はない。天下の大勢も、京女(きょうおんな)の色には叶(かな)わぬ。
「京都のものは朝夕都踊りをしている。気楽なものだ」
「だから小野的だと云うんだ」
「しかし都踊はいいよ」
「悪(わ)るくないね。何となく景気がいい」
「いいえ。あれを見るとほとんど異性(セックス)の感がない。女もあれほどに飾ると、飾りまけがして人間の分子が少なくなる」
「そうさその理想の極端は京人形だ。人形は器械だけに厭味(いやみ)がない」
「どうも淡粧(あっさり)して、活動する奴が一番人間の分子が多くって危険だ」
「ハハハハいかなる哲学者でも危険だろうな。ところが都踊となると、外交官にも危険はない。至極(しごく)御同感だ。御互に無事な所へ遊びに来てまあ善(よ)かったよ」
「人間の分子も、第一義が活動すると善いが、どうも普通は第十義ぐらいがむやみに活動するから厭(いや)になっちまう」
「御互は第何義ぐらいだろう」
「御互になると、これでも人間が上等だから、第二義、第三義以下には出ないね」
「これでかい」
「云う事はたわいがなくっても、そこに面白味がある」
「ありがたいな。第一義となると、どんな活動だね」
「第一義か。第一義は血を見ないと出て来ない」
「それこそ危険だ」
「血でもってふざけた了見(りょうけん)を洗った時に、第一義が躍然とあらわれる。人間はそれほど軽薄なものなんだよ」
「自分の血か、人の血か」
 甲野さんは返事をする代りに、売店に陳(なら)べてある、抹茶茶碗(まっちゃぢゃわん)を見始めた。土を捏(こ)ねて手造りにしたものか、棚三段を尽くして、あるものはことごとくとぼけている。
「そんなとぼけた奴は、いくら血で洗ったって駄目だろう」と宗近君はなおまつわって来る。

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