永日小品
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著者名:夏目漱石 

隣も向うも区別のつきかねるくらい似寄った構造なので、今自分が出て来たのははたしてどの家であるか、二三間行過ぎて、後戻りをすると、もう分らない。不思議な町である。
 昨夕(ゆうべ)は汽車の音に包(くる)まって寝た。十時過ぎには、馬の蹄(ひづめ)と鈴の響に送られて、暗いなかを夢のように馳(か)けた。その時美しい灯(ともしび)の影が、点々として何百となく眸(ひとみ)の上を往来(おうらい)した。そのほかには何も見なかった。見るのは今が始めてである。
 二三度この不思議な町を立ちながら、見上(みあげ)、見下(みおろ)した後(のち)、ついに左へ向いて、一町ほど来ると、四ツ角へ出た。よく覚えをしておいて、右へ曲ったら、今度は前よりも広い往来へ出た。その往来の中を馬車が幾輛(いくりょう)となく通る。いずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶や紺(こん)であったり、仕切(しき)りなしに自分の横を追い越して向うへ行く。遠くの方を透(す)かして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来る。どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、後(うしろ)から背の高い人が追(お)い被(かぶ)さるように、肩のあたりを押した。避(よ)けようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。
 自分はこの時始めて、人の海に溺(おぼ)れた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。右を向いても痞(つか)えている。左を見ても塞(ふさ)がっている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を揃(そろ)えて一歩ずつ前へ進んで行く。
 自分は歩きながら、今出て来た家の事を想(おも)い浮べた。一様の四階建の、一様の色の、不思議な町は、何でも遠くにあるらしい。どこをどう曲って、どこをどう歩いたら帰れるか、ほとんど覚束(おぼつか)ない気がする。よし帰れても、自分の家は見出(みいだ)せそうもない。その家は昨夕暗い中に暗く立っていた。
 自分は心細く考えながら、背の高い群集に押されて、仕方なしに大通を二つ三つ曲がった。曲るたんびに、昨夕の暗い家とは反対の方角に遠ざかって行くような心持がした。そうして眼の疲れるほど人間のたくさんいるなかに、云うべからざる孤独を感じた。すると、だらだら坂へ出た。ここは大きな道路が五つ六つ落ち合う広場のように思われた。今まで一筋に動いて来た波は、坂の下で、いろいろな方角から寄せるのと集まって、静かに廻転し始めた。
 坂の下には、大きな石刻(いしぼり)の獅子(しし)がある。全身灰色をしておった。尾の細い割に、鬣(たてがみ)に渦(うず)を捲(ま)いた深い頭は四斗樽(しとだる)ほどもあった。前足を揃(そろ)えて、波を打つ群集の中に眠っていた。獅子は二ついた。下は舗石(しきいし)で敷きつめてある。その真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼を挙(あ)げて、柱の上を見た。柱は眼の届く限り高く真直(まっすぐ)に立っている。その上には大きな空が一面に見えた。高い柱はこの空を真中で突き抜いているように聳(そび)えていた。この柱の先には何があるか分らなかった。自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなく下(さが)って行った。しばらくして、ふり返ったら、竿(さお)のような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた。

     人間

 御作(おさく)さんは起きるが早いか、まだ髪結(かみゆい)は来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結は昨夕(ゆうべ)たしかに頼んでおいた。ほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までには上(あが)りますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五分しかない。どうしたんだろうと、いかにも焦(じ)れったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。御作さんは及(およ)び腰(ごし)になって、障子(しょうじ)の前に取り出した鏡台を、立ちながら覗(のぞ)き込んで見た。そうして、わざと唇(くちびる)を開けて、上下(うえした)とも奇麗(きれい)に揃(そろ)った白い歯を残らず露(あら)わした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、間(あい)の襖(ふすま)を開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、晩(おそ)くなるじゃありませんかと云った。御作さんの旦那(だんな)は九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。
 御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、楊枝(ようじ)と歯磨(はみがき)と石鹸(しゃぼん)と手拭(てぬぐい)を一(ひ)と纏(まと)めにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと髯(ひげ)を剃(す)って来るよと、銘仙(めいせん)のどてらの下へ浴衣(ゆかた)を重ねた旦那は、沓脱(くつぬぎ)へ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ駆(か)け込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんは用箪笥(ようだんす)の抽出(ひきだし)から小さい熨斗袋(のしぶくろ)を出して、中へ銀貨を入れて、持って出た。旦那は口が利(き)けないものだから、黙って、袋を受取って格子(こうし)を跨(また)いだ。御作さんは旦那の肩の後(うしろ)へ、手拭(てぬぐい)の余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へ引込(ひっこ)んで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半分開けて、少し首を傾(かたむ)けた。やがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとは丁寧(ていねい)にしまってしまった。それからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた。御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間も始終(しじゅう)心配そうに柱時計を眺めていた。ようやく衣裳(いしょう)を揃(そろ)えて、大きな欝金木綿(うこんもめん)の風呂敷にくるんで、座敷の隅(すみ)に押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口から這入(はい)って来た。どうも遅くなってすみません、と息を喘(はず)ませて言訳を云っている。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い煙管(きせる)を出して髪結に煙草(たばこ)を呑(の)ました。
 梳手(すきて)が来ないので、髪を結(ゆ)うのにだいぶ暇(ひま)が取れた。旦那は湯に入(い)って、髭(ひげ)を剃(す)って、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日は美(み)いちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私も御伴(おとも)をしたいもんだなどと、だいぶ冗談交(じょうだんまじ)りの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。
 旦那は欝金木綿(うこんもめん)の風呂敷を、ちょっと剥(はぐ)って見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、美(み)いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちの綿入羽織(わたいればおり)を着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは絣(かすり)の綿入羽織を出さなかった。
 やがて、御化粧が出来上って、流行の鶉縮緬(うずらちりめん)の道行(みちゆき)を着て、毛皮の襟巻(えりまき)をして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た。歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた。御作さんは旦那の廻套(まわし)の羽根(はね)を捕(つら)まえて、伸び上がりながら、群集(ぐんじゅ)の中を覗(のぞ)き込んだ。
 真中に印袢天(しるしばんてん)を着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った袢天(はんてん)がびたびたに濡(ぬ)れて寒く光っている。巡査が御前は何だと云うと、呂律(ろれつ)の回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う。御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない。怖(こわ)い眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしい。こう見(め)えたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、突然(いきなり)思い出したように、人間だいと大きな声を出す。
 ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは嬉(うれ)しそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと仰向(あおむ)けに寝た。明(あ)かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、箆棒(べらぼう)め、こう見(め)えたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は藁(わら)の縄(なわ)で酔払いを荷車の上へしっかり縛(しば)りつけた。そうして屠(ほふ)られた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、注目飾(しめかざ)りの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ殖(ふ)えたのを喜んだ。

     山鳥

 五六人寄って、火鉢(ひばち)を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携(たずさ)えずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へ招(しょう)じたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥(やまどり)を提(さ)げて這入(はい)って来た。初対面の挨拶(あいさつ)が済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。
 その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の羹(あつもの)を拵(こしら)えて食った。山鳥を料(りょう)る時、青年は袴(はかま)ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を割(さ)いて、骨をことことと敲(たた)いてくれた。青年は小作(こづく)りの面長(おもなが)な質(たち)で、蒼白(あおじろ)い額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。もっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒い口髭(くちひげ)よりも、彼の穿(は)いていた袴であった。それは小倉織(こくらおり)で、普通の学生には見出(みいだ)し得(う)べからざるほどに、太い縞柄(しまがら)の派出(はで)な物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は南部(なんぶ)のものだと云った。
 青年は一週間ほど経(た)ってまた来た。今度は自分の作った原稿を携(たずさ)えていた。あまり佳(よ)くできていなかったから、遠慮なくその旨(むね)を話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った。帰ってから一週間の後(のち)、また原稿を懐(ふところ)にして来た。かようにして彼(か)れは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった。自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっとも傑(すぐ)れたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただ編輯者(へんしゅうしゃ)の御情(おなさけ)で誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれから文(ぶん)を売って口を糊(のり)するつもりだと云っていた。
 或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾(ほ)して、薄い海苔(のり)のように一枚一枚に堅めたものである。精進(しょうじん)の畳鰯(たたみいわし)だと云って、居合せた甲子(こうし)が、さっそく浸(ひた)しものに湯がいて、箸(はし)を下(くだ)しながら、酒を飲んだ。それから、鈴蘭(すずらん)の造花を一枝持って来てくれた事もある。妹が拵(こしら)えたんだと云って、指の股(また)で、枝の心(しん)になっている針金をぐるぐる廻転さしていた。妹といっしょに家を持っている事はこの時始めて知った。兄妹(きょうだい)して薪屋(まきや)の二階を一間借りて、妹は毎日刺繍(ぬいとり)の稽古(けいこ)に通(かよ)っているのだそうである。その次来た時には御納戸(おなんど)の結び目に、白い蝶(ちょう)を刺繍(ぬいと)った襟飾(えりかざ)りを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら上げましょうと云って置いて行った。それを安野(やすの)が私に下さいと云って取って帰った。
 そのほか彼は時々来た。来るたびに自分の国の景色(けいしょく)やら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した。篆刻(てんこく)が旨(うま)いという事も話した。御祖母(おばあ)さんは去る大名の御屋敷に奉公していた。申(さる)の年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿に縁(ちな)んだものを時々下さった。その中に崋山(かざん)の画(か)いた手長猿(てながざる)の幅(ふく)がある。今度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった。
 すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事もいつか忘れるようになった或日、――その日は日に遠い座敷の真中に、単衣(ひとえ)を唯(ただ)一枚つけて、じっと書見(しょけん)をしていてさえ堪(た)えがたいほどに暑かった。――彼れは突然やって来た。
 相変らず例の派出(はで)な袴(はかま)を穿(は)いて、蒼白(あおしろ)い額ににじんだ汗をこくめいに手拭(てぬぐい)で拭(ふ)いている。少し瘠(や)せたようだ。はなはだ申し兼ねたが金を二十円貸して下さいという。実は友人が急病に罹(かか)ったから、さっそく病院へ入れたのだが、差し当り困るのは金で、いろいろ奔走もして見たが、ちょっとできない。やむをえず上がった。と説明した。
 自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た。彼は例のごとく両手を膝(ひざ)の上に正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人の家(うち)はそれほど貧しいのかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御願をする、二週間経(た)てば、国から届くはずだからその時はすぐと御返しするという答である。自分は金の調達(ちょうだつ)を引き受けた。その時彼(か)れは風呂敷包の中から一幅の懸物(かけもの)を取り出して、これがせんだって御話をした崋山(かざん)の軸(じく)ですと云って、紙表装の半切(はんせつ)ものを展(の)べて見せた。旨(うま)いのか不味(まず)いのか判然(はっきり)とは解らなかった。印譜(いんぷ)をしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄った落款(らっかん)がない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退したが、聞かずに預けて行った。翌日また金を取りに来た。それっきり音沙汰(おとさた)がない。約束の二週間が来ても影も形も見せなかった。自分は欺(だま)されたのかも知れないと思った。猿(さる)の軸は壁へ懸(か)けたまま秋になった。
 袷(あわせ)を着て気の緊(し)まる時分に、長塚(ながつか)が例のごとく金を借(か)してくれと云って来た。自分はそうたびたび借すのが厭(いや)であった。ふと例の青年の事を思い出して、こう云う金があるが、もし、それを君が取りに行く気なら取りに行け、取れたら貸してやろうと云うと、長塚は頭を掻(か)いて、少し逡巡(しゅんじゅん)していたが、やがて思い切ったと見えて、行きましょうと答えた。それから、せんだっての金をこの者に渡してくれろという手紙を書いて、それに猿の懸物(かけもの)を添えて、長塚に持たせてやった。
 長塚はあくる日また車でやって来た。来るや否や懐(ふところ)から手紙を出したから、受け取って見ると昨日(きのう)自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかったのかと聞くと、長塚は額(ひたい)に八の字を寄せて、行ったんですけれども、とても駄目です、惨澹(さんたん)たるものです、汚(きた)ない所でしてね、妻君(さいくん)が刺繍(ぬい)をしていましてね、本人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、けっして御心配には及びませんと安心させて、掛物(かけもの)だけ帰して来ましたと云う。自分はへええ、そうかと少し驚ろいた。
 翌(あく)る日(ひ)、青年から、どうも嘘言(うそ)を吐(つ)いてすまなかった、軸はたしかに受取ったと云う端書(はがき)が来た。自分はその端書を他の信書といっしょに重ねて、乱箱(みだればこ)の中に入れた。そうして、また青年の事を忘れるようになった。
 そのうち冬が来た。例のごとく忙(せわ)しい正月を迎えた。客の来ない隙間(すきま)を見て、仕事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い物である。差出人(さしだしにん)の名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解いて新聞紙を剥(は)ぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙がついている。その後(のち)いろいろの事情があって、今国へ帰っている。御恩借(ごおんしゃく)の金子(きんす)は三月頃上京の節是非御返しをするつもりだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易に剥(はが)れなかった。
 その日はまた木曜で、若い人の集まる晩であった。自分はまた五六人と共に、大きな食卓を囲んで、山鳥の羹(あつもの)を食った。そうして、派出(はで)な小倉(こくら)の袴(はかま)を着けた蒼白(あおしろ)い青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。そのなかに先年の金子の件御介意(ごかいい)に及ばずと云う一句を添えた。

     モナリサ

 井深(いぶか)は日曜になると、襟巻(えりまき)に懐手(ふところで)で、そこいらの古道具屋を覗(のぞ)き込んで歩るく。そのうちでもっとも汚(きた)ならしい、前代の廃物ばかり並んでいそうな見世(みせ)を選(よ)っては、あれの、これのと捻(ひね)くり廻(まわ)す。固(もと)より茶人でないから、好いの悪いのが解る次第ではないが、安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろうとひそかに考えている。
 井深は一箇月ほど前に十五銭で鉄瓶(てつびん)の葢(ふた)だけを買って文鎮にした。この間の日曜には二十五銭で鉄の鍔(つば)を買って、これまた文鎮(ぶんちん)にした。今日はもう少し大きい物を目懸(めが)けている。懸物(かけもの)でも額でもすぐ人の眼につくような、書斎の装飾が一つ欲しいと思って、見廻していると、色摺(いろずり)の西洋の女の画(え)が、埃(ほこり)だらけになって、横に立て懸(か)けてあった。溝(みぞ)の磨(す)れた井戸車の上に、何とも知れぬ花瓶(かびん)が載っていて、その中から黄色い尺八の歌口(うたぐち)がこの画(え)の邪魔をしている。
 西洋の画はこの古道具屋に似合わない。ただその色具合が、とくに現代を超越して、上昔(そのかみ)の空気の中に黒く埋(うま)っている。いかにもこの古道具屋にあって然(しか)るべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻(ひね)ったが、硝子(ガラス)も割れていないし、額縁(がくぶち)もたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。
 井深がこの半身の画像を抱(いだ)いて、家(うち)へ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそく額(がく)を裸(はだか)にして、壁へ立て懸(か)けて、じっとその前へ坐(すわ)り込んでいると、洋灯(ランプ)を持って細君(さいくん)がやって来た。井深は細君に灯(ひ)を画の傍(そば)へ翳(かざ)さして、もう一遍(いっぺん)とっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけが黄(き)ばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君を顧(かえり)みて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。
 飯を食ってから、踏台をして欄間(らんま)に釘(くぎ)を打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃(よ)すが好いと云ってしきりに止(と)めたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。
 細君は茶の間へ下(さが)る。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全く画工(えかき)の光線のつけ方である。薄い唇(くちびる)が両方の端(はじ)で少し反(そ)り返(かえ)って、その反り返った所にちょっと凹(くぼみ)を見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。または開(あ)いた口をわざと、閉(と)じたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。
 調べものとは云(い)い条(じょう)、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少し経(た)ったら、また首を挙(あ)げて画の方を見た。やはり口元に何か曰(いわ)くがある。けれども非常に落ちついている。切れ長の一重瞼(ひとえまぶち)の中から静かな眸(ひとみ)が座敷の下に落ちた。井深はまた机の方に向き直った。
 その晩井深は何遍(なんべん)となくこの画を見た。そうして、どことなく細君の評が当っているような気がし出した。けれども明(あく)る日になったら、そうでもないような顔をして役所へ出勤した。四時頃家(うち)へ帰って見ると、昨夕(ゆうべ)の額は仰向(あおむ)けに机の上に乗せてある。午(ひる)少し過に、欄間(らんま)の上から突然落ちたのだという。道理で硝子(ガラス)がめちゃめちゃに破(こわ)れている。井深は額の裏を返して見た。昨夕紐(ひも)を通した環(かん)が、どうした具合か抜けている。井深はそのついでに額の裏を開けて見た。すると画と背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。開けて見ると、印気(インキ)で妙な事が書いてある。
「モナリサの唇には女性(にょしょう)の謎(なぞ)がある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」
 翌日(あくるひ)井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、皆(みんな)に聞いた。しかし誰も分らなかった。じゃダ ヴィンチとは何だと尋ねたが、やっぱり誰も分らなかった。井深は細君の勧(すすめ)に任(まか)せてこの縁喜(えんぎ)の悪い画を、五銭で屑屋(くずや)に売り払った。

     火事

 息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉(こ)がもう頭の上を通る。霜(しも)を置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来ては卒然(そつぜん)と消えてしまう。かと思うと、すぐあとから鮮(あざやか)なやつが、一面に吹かれながら、追(おっ)かけながら、ちらちらしながら、熾(さかん)にあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、隙間(すきま)なく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太い樅(もみ)が静かな枝を夜(よ)に張って、土手から高く聳(そび)えている。火はその後(うしろ)から起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所は真赤(まっか)である。火元はこの高い土手の上に違(ちがい)ない。もう一町ほど行って左へ坂を上(あが)れば、現場(げんば)へ出られる。
 また急ぎ足に歩き出した。後から来るものは皆追越して行く。中には擦れ違に大きな声をかけるものがある。暗い路は自(おの)ずと神経的に活(い)きて来た。坂の下まで歩いて、いよいよ上(のぼ)ろうとすると、胸を突くほど急である。その急な傾斜を、人の頭がいっぱいに埋(うず)めて、上から下まで犇(ひしめ)いている。焔(ほのお)は坂の真上から容赦(ようしゃ)なく舞い上る。この人の渦(うず)に捲(ま)かれて、坂の上まで押し上げられたら、踵(くびす)を回(めぐ)らすうちに焦(こ)げてしまいそうである。
 もう半町ほど行くと、同じく左へ折れる大きな坂がある。上(のぼ)るならこちらが楽で安全であると思い直して、出合頭(であいがしら)の人を煩(わずら)わしく避(よ)けて、ようやく曲り角まで出ると、向うから劇(はげ)しく号鈴(ベル)を鳴らして蒸汽喞筒(じょうきポンプ)が来た。退(の)かぬものはことごとく敷(し)き殺(ころ)すぞと云わぬばかりに人込の中を全速力で駆(か)り立てながら、高い蹄(ひづめ)の音と共に、馬の鼻面(はなづら)を坂の方へ一捻(ひとひねり)に向直(むけなお)した。馬は泡を吹いた口を咽喉(のど)に摺(す)りつけて、尖(とが)った耳を前に立てたが、いきなり前足を揃(そろ)えてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、袢天(はんてん)を着た男の提灯(ちょうちん)を掠(かす)めて、天鵞絨(びろうど)のごとく光った。紅色(べにいろ)に塗った太い車の輪が自分の足に触れたかと思うほど際(きわ)どく回った。と思うと、喞筒は一直線に坂を馳(か)け上がった。
 坂の中途へ来たら、前は正面にあった□(ほのお)が今度は筋違(すじかい)に後の方に見え出した。坂の上からまた左へ取って返さなければならない。横丁(よこちょう)を見つけていると、細い路次(ろじ)のようなのが一つあった。人に押されて入り込むと真暗である。ただ一寸(いっすん)のセキもないほど詰(つ)んでいる。そうして互に懸命な声を揚(あ)げる。火は明かに向うに燃えている。
 十分の後(のち)ようやく路次を抜けて通りへ出た。その通りもまた組屋敷(くみやしき)ぐらいな幅で、すでに人でいっぱいになっている。路次を出るや否や、さっき地(じ)を蹴(け)って、馳け上がった蒸汽喞筒が眼の前にじっとしていた。喞筒はようやくここまで馬を動かしたが、二三間先きの曲り角に妨(さまた)げられて、どうする事もできずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる。
 傍(そば)に押し詰められているものは口々にどこだ、どこだと号(さけ)ぶ。聞かれるものは、そこだそこだと云う。けれども両方共に焔の起る所までは行かれない。□は勢いを得て、静かな空を煽(あお)るように、凄(すさま)じく上(のぼ)る。……
 翌日午過(ひるすぎ)散歩のついでに、火元を見届(みとどけ)ようと思う好奇心から、例の坂を上って、昨夕(ゆうべ)の路次を抜けて、蒸汽喞筒の留まっていた組屋敷へ出て、二三間先の曲角(まがりかど)をまがって、ぶらぶら歩いて見たが、冬籠(ふゆごも)りと見える家が軒を並べてひそりと静まっているばかりである。焼け跡はどこにも見当(みあた)らない。火の揚(あ)がったのはこの辺だと思われる所は、奇麗(きれい)な杉垣ばかり続いて、そのうちの一軒からは微(かす)かに琴(こと)の音(ね)が洩(も)れた。

     霧

 昨宵(ゆうべ)は夜中(よじゅう)枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大停車場(おおステーション)のある御蔭(おかげ)である。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それを細(こま)かに割りつけて見ると、一分に一(ひ)と列車ぐらいずつ出入(でいり)をする訳になる。その各列車が霧(きり)の深い時には、何かの仕掛(しかけ)で、停車場間際(まぎわ)へ来ると、爆竹(ばくちく)のような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。
 寝台(ねだい)を這(は)い下りて、北窓の日蔽(ブラインド)を捲(ま)き上げて外面(そと)を見おろすと、外面は一面に茫(ぼう)としている。下は芝生の底から、三方煉瓦(れんが)の塀(へい)に囲われた一間余(いっけんよ)の高さに至るまで、何も見えない。ただ空(むな)しいものがいっぱい詰っている。そうして、それが寂(しん)として凍(こお)っている。隣の庭もその通りである。この庭には奇麗(きれい)なローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い髯(ひげ)を生(はや)した御爺(おじい)さんが日向(ひなた)ぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚鵡(おうむ)を留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の嘴(くちばし)で突つかれそうに近く、鳥の傍(そば)へ持って行く。鸚鵡は羽搏(はばた)きをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長い裾(すそ)を引いて、絶え間なく芝刈(しばかり)器械をローンの上に転(ころ)がしている。この記憶に富んだ庭も、今は全く霧(きり)に埋(うま)って、荒果(あれは)てた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。
 裏通りを隔(へだ)てて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天辺(てっぺん)でいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く尖(とが)った頂きは無論の事、切石を不揃(ふそろい)に畳み上げた胴中(どうなか)さえ所在(ありか)がまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の音(ね)はまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く鎖(とざ)された。
 表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮(ちぢ)まったかと思うと、歩けば歩(あ)るくほど新しい二間四方が露(あら)われる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任(まか)せて消えて行く。
 四つ角でバスを待ち合せていると、鼠色(ねずみいろ)の空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を冒(おか)して、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行き逢(あ)うときは、行き逢った時だけ奇麗(きれい)だなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った空(くう)の中に消えてしまう。漠々(ばくばく)として無色の裡(うち)に包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を掠(かす)めて翻(ひる)がえった。眸(ひとみ)を凝(こ)らして、その行方(ゆくえ)を見つめていると、封じ込められた大気の裡(うち)に、鴎(かもめ)が夢のように微(かす)かに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンが厳(おごそか)に十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ音(おん)だけがする。
 ヴィクトリヤで用を足(た)して、テート画館の傍(はた)を河沿(かわぞい)にバタシーまで来ると、今まで鼠色(ねずみいろ)に見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥炭(ピート)を溶(と)いて濃く、身の周囲(まわり)に流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とに逼(せま)って来た。外套(がいとう)は抑(おさ)えられたかと思うほど湿(しめ)っている。軽い葛湯(くずゆ)を呼吸するばかりに気息(いき)が詰まる。足元は無論穴蔵(あなぐら)の底を踏むと同然である。
 自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらく茫然(ぼうぜん)と佇立(たたず)んだ。自分の傍(そば)を人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時この濛々(もうもう)たる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれを目標(めあて)に、四歩ばかりを動かした。するとある店先の窓硝子(まどガラス)の前へ顔が出た。店の中では瓦斯(ガス)を点(つ)けている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。
 バタシーを通り越して、手探(てさぐ)りをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上は仕舞屋(しもたや)ばかりである。同じような横町が幾筋も並行(へいこう)して、青天の下(もと)でも紛(まぎ)れやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほど真直(まっすぐ)に歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首を傾(かたむ)けていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだん遠退(とおの)いて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとは寂(しん)としている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。

     懸物

 大刀老人(だいとうろうじん)は亡妻の三回忌までにはきっと一基の石碑(せきひ)を立ててやろうと決心した。けれども倅(せがれ)の痩腕(やせうで)を便(たより)に、ようやく今日(こんにち)を過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工面(くめん)をしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨(うら)めしいほど無雑作(むぞうさ)にそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸物(かけもの)も、とうに融通の利(き)くものに変形したはずである。
 この懸物(かけもの)は方一尺ほどの絹地で、時代のために煤竹(すすだけ)のような色をしている。暗い座敷へ懸けると、暗澹(あんたん)として何が画(か)いてあるか分らない。老人はこれを王若水(おうじゃくすい)の画いた葵(あおい)だと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつ袋戸棚(ふくろとだな)から出して、桐(きり)の箱の塵(ちり)を払って、中のものを丁寧(ていねい)に取り出して、直(じか)に三尺の壁へ懸(か)けては、眺めている。なるほど眺めていると、煤(すす)けたうちに、古血のような大きな模様がある。緑青(ろくしょう)の剥(は)げた迹(あと)かと怪しまれる所も微(かす)かに残っている。老人はこの模糊(もこ)たる唐画(とうが)の古蹟に対(むか)って、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時は懸物(かけもの)をじっと見つめながら、煙草(たばこ)を吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指を触(つ)けようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、触(さわ)ってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、悪戯(いたずら)をしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、袋戸棚(ふくろとだな)へしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内の飴屋(あめや)へ寄って、薄荷入(はっかいり)の鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。倅(せがれ)が晩婚なので小供は六つと四つである。
 倅と相談をした翌日、老人は桐の箱を風呂敷(ふろしき)に包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へ懸(か)けて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、落款(らっかん)がないとか、画(え)が剥(は)げているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うものがなかったのだそうである。
 倅は道具屋は廃(よ)しになさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱を抱(かか)えて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼の明(あ)かない男にどうして譲れるものか、あすこにあるものは、みんな贋物(にせもの)だ、とさも倅の不徳義のように云った。倅は苦笑していた。
 二月の初旬に偶然旨(うま)い伝手(つて)ができて、老人はこの幅(ふく)を去る好事家(こうずか)に売った。老人は直(ただち)に谷中(やなか)へ行って、亡妻のために立派な石碑を誂(あつら)えた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほど後(おく)れて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もう一遍(いっぺん)見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前には透(す)き徹(とお)るような臘梅(ろうばい)が活(い)けてあったのだそうだ。老人はそこで御茶の御馳走(ごちそう)になったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。

     紀元節

 南向きの部屋であった。明(あ)かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃(そろ)えて、塗板(ぬりばん)を眺めていると、廊下から先生が這入(はい)って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠(や)せた男で、顎(あご)から頬(ほお)へ掛けて、髯(ひげ)が爺汚(じじむさ)く生(は)えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触(さわ)る着物の襟(えり)が薄黒く垢附(あかづ)いて見えた。この着物と、この髯の不精(ぶしょう)に延びるのと、それから、かつて小言(こごと)を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。
 先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。
 すると、後(うしろ)から三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓(テーブル)の傍(そば)へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板(ぬりばん)に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍(わき)へ新しく紀と肉太(にくぶと)に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。
「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。
 記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日(こんにち)でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖(こわ)がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。

     儲口(もうけぐち)

「あっちは栗(くり)の出る所でしてね。まあ相場がざっと両(りょう)に四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升(しょう)に一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨(うま)く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵拵(こしら)えて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜(よろ)しいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一間(いっけん)もあろうと云う大きな樽(たる)を持ち出して、水をその中へどんどん汲(く)み込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵(ひょう)をほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴(やつ)は本当に食えないもんだと後(あと)になって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打(ぶ)ち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎笊(ざる)でしゃくってね、ペケだって、俵(ひょう)の目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍(そば)で見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入(い)ってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打遣(うっちゃ)って来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。
「それから薩摩芋(さつまいも)を買い込んだこともありまさあ。一俵四円で、二千俵の契約でね。ところが注文の来たのが月半(つきなかば)、十四日でして二十五日までにと云うんだから、どう骨を折ったって二千俵と云う数が寄りっこありませんや。とうてい駄目だからって、一応断りました。実を云うと残念でしたがな。すると商館の番頭がいうには、否(いや)契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三勧(すす)めるもんだから、ついその気になりましてね。――いえ芋(いも)は支那へ行くんじゃありません。亜米利加(アメリカ)でした。やッぱり亜米利加にも薩摩芋を食う奴があると見えるんですよ。妙な事があるもんで、――で、さっそく買収にかかりました。埼玉から川越(かわごえ)の方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。でもようやくの事で、とうとう二十八日過ぎに約束通りの俵を持って、行きますと、――実に狡猾(こうかつ)な奴(やつ)がいるもんで、約定書(やくじょうがき)のうちに、もしはなはだしい日限の違約があるときは、八千円の損害賠償を出すと云う項目があるんですよ。ところが彼はその条款(じょうかん)を応用しちまって、どうしても代金を渡さないんです。もっとも手付(てづけ)は四千円取っておきましたがね。そうこうしている内に、先方(むこう)では芋を船へ積み込んじまったから、どうする事もできない訳になりました。あんまり業腹(ごうはら)だから、千円の保証金を納めましてね、現物取押(げんぶつとりおさえ)を申請して、とうとう芋を取り押えてやりました。ところが上には上があるもんで、先方は八千円の保証金を納めて、構わず船を出しちまったんです。でいよいよ裁判になったにはなったんですが、何しろ約定書が入れてあるもんだから、しようがない。私は裁判官の前で泣きましたね。芋はただ取られる、裁判には負ける、こんな馬鹿な事はない、少しは、まあ私の身になって考えて見て下さいって。裁判官も腹のなかでは、だいぶ私の方に同情した様子でしたが、法律の力じゃ、どうする事もできないもんですからな。とうとう負けました」

     行列

 ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間にか[#「いつの間にか」は底本では「いつの間か」]、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐(から)めいた手摺(てすり)に遮(さえぎ)られて、上には硝子戸(ガラスど)が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端(のきば)を斜(はす)に、硝子を通して、縁側(えんがわ)の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎(かげろう)が湧(わ)いたように、春の思いが饒(ゆた)かになる。
 その時この二尺あまりの隙間(すきま)に、空(くう)を踏んで、手摺(てすり)の高さほどのものがあらわれた。赤に白く唐草(からくさ)を浮き織りにした絹紐(リボン)を輪に結んで、額から髪の上へすぽりと嵌(は)めた間に、海棠(かいどう)と思われる花を青い葉ごと、ぐるりと挿(さ)した。黒髪の地(じ)に薄紅(うすくれない)の莟(つぼみ)が大きな雫(しずく)のごとくはっきり見えた。割合に詰った顎(あご)の真下から、一襞(ひとひだ)になって、ただ一枚の紫(むらさき)が縁(えん)までふわふわと動いている。袖(そで)も手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。後(あと)から、――
 今度は少し低い。真紅(しんく)の厚い織物を脳天から肩先まで被(かぶ)って、余る背中に筋違(すじかい)の笹(ささ)の葉の模様を背負(しょ)っている。胴中(どうなか)にただ一葉(ひとは)、消炭色(けしずみいろ)の中に取り残された緑が見える。それほど笹の模様は大きかった。廊下に置く足よりも大きかった。その足が赤くちらちらと三足ほど動いたら、低いものは、戸口の幅を、音なく行き過ぎた。
 第三の頭巾(ずきん)は白と藍(あい)の弁慶(べんけい)の格子(こうし)である。眉廂(まびさし)の下にあらわれた横顔は丸く膨(ふく)らんでいる。その片頬の真中が林檎(りんご)の熟したほどに濃い。尻だけ見える茶褐色の眉毛(まみえ)の下が急に落ち込んで、思わざる辺(あたり)から丸い鼻が膨(ふく)れた頬を少し乗り越して、先だけ顔の外へ出た。顔から下は一面に黄色い縞(しま)で包まれている。長い袖を三寸余も縁(えん)に牽(ひ)いた。これは頭より高い胡麻竹(ごまだけ)の杖(つえ)を突いて来た。杖の先には光を帯びた鳥の羽(は)をふさふさと着けて、照る日に輝かした。縁に牽く黄色い縞の、袖らしい裏が、銀のように光ったと思ったらこれも行き過ぎた。
 すると、すぐ後から真白な顔があらわれた。額から始まって、平たい頬を塗って、顎(あご)から耳の附根(つけね)まで遡(さかの)ぼって、壁のように静かである。中に眸(ひとみ)だけが活きていた。唇(くちびる)は紅(べに)の色を重ねて、青く光線を反射した。胸のあたりは鳩(はと)の色のように見えて、下は裾(すそ)までばっと視線を乱している中に、小さなヴァイオリンを抱(かか)えて、長い弓を厳(おごそ)かに担(かつ)いでいる。二足で通り過ぎる後(うしろ)には、背中へ黒い繻子(しゅす)の四角な片(きれ)をあてて、その真中にある金糸(きんし)の刺繍(ぬい)が、一度に日に浮いた。
 最後に出たものは、全く小(ち)さい。手摺の下から転(ころ)げ落ちそうである。けれども大きな顔をしている。その中(うち)でも頭はことに大きい。それへ五色の冠(かんむり)を戴(いただ)いてあらわれた。冠の中央にあるぽっちが高く聳(そび)えているように思われる。身には井の字の模様のある筒袖(つつそで)に、藤鼠(ふじねずみ)の天鵞絨(びろうど)の房の下(さが)ったものを、背から腰の下まで三角に垂れて、赤い足袋(たび)を踏んでいた。手に持った朝鮮の団扇(うちわ)が身体(からだ)の半分ほどある。団扇には赤と青と黄で巴(ともえ)を漆(うるし)で描(か)いた。
 行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、空(むな)しい日の光を、書斎の入口に送って、縁側(えんがわ)に幅四尺の寂(さび)しさを感じた時、向うの隅(すみ)で急にヴァイオリンを擦(こす)る音がした。ついで、小さい咽喉(のど)が寄り合って、どっと笑う声がした。
 宅(うち)の小供は毎日母の羽織や風呂敷を出して、こんな遊戯(いたずら)をしている。

     昔

 ピトロクリの谷は秋の真下(ました)にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途(はんと)で包(くる)んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向(やまむこう)へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄(かす)んでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸(す)いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔(むか)し、二百年の昔にかえって、やすやすと寂(さ)びてしまう。人は世に熟(う)れた顔を揃(そろ)えて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地(じ)を透(す)かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。
 自分の家はこの雲とこの谷を眺めるに都合好く、小さな丘の上に立っている。南から一面に家の壁へ日があたる。幾年(いくねん)十月の日が射したものか、どこもかしこも鼠色(ねずみいろ)に枯れている西の端に、一本の薔薇(ばら)が這(は)いかかって、冷たい壁と、暖かい日の間に挟(はさ)まった花をいくつか着けた。大きな弁(べん)は卵色に豊かな波を打って、萼(がく)から翻(ひるが)えるように口を開(あ)けたまま、ひそりとところどころに静まり返っている。香(におい)は薄い日光に吸われて、二間の空気の裡(うち)に消えて行く。自分はその二間の中に立って、上を見た。薔薇は高く這い上(のぼ)って行く。鼠色の壁は薔薇の蔓(つる)の届かぬ限りを尽くして真直に聳(そび)えている。屋根が尽きた所にはまだ塔がある。日はそのまた上の靄(もや)の奥から落ちて来る。
 足元は丘がピトロクリの谷へ落ち込んで、眼の届く遥(はるか)の下が、平(ひら)たく色で埋(うず)まっている。その向う側の山へ上(のぼ)る所は層々と樺(かば)の黄葉(きば)が段々に重なり合って、濃淡の坂が幾階となく出来ている。明(あきら)かで寂(さ)びた調子が谷一面に反射して来る真中を、黒い筋が横に蜿(うね)って動いている。泥炭(でいたん)を含んだ渓水(たにみず)は、染粉(そめこ)を溶(と)いたように古びた色になる。この山奥に来て始めて、こんな流を見た。
 後(うしろ)から主人が来た。主人の髯(ひげ)は十月の日に照らされて七分がた白くなりかけた。形装(なり)も尋常ではない。腰にキルトというものを着けている。俥(くるま)の膝掛(ひざかけ)のように粗(あら)い縞(しま)の織物である。それを行灯袴(あんどんばかま)に、膝頭(ひざがしら)まで裁(た)って、竪(たて)に襞(ひだ)を置いたから、膝脛(ふくらはぎ)は太い毛糸の靴足袋(くつたび)で隠すばかりである。歩くたびにキルトの襞が揺れて、膝と股(もも)の間がちらちら出る。肉の色に恥を置かぬ昔の袴である。
 主人は毛皮で作った、小さい木魚(もくぎょ)ほどの蟇口(がまぐち)を前にぶら下げている。夜煖炉(だんろ)の傍(そば)へ椅子を寄せて、音のする赤い石炭を眺めながら、この木魚の中から、パイプを出す、煙草(たばこ)を出す。そうしてぷかりぷかりと夜長(よなが)を吹かす。木魚(もくぎょ)の名をスポーランと云う。
 主人といっしょに崖(がけ)を下りて、小暗(おぐら)い路(みち)に這入(はい)った。スコッチ・ファーと云う常磐木(ときわぎ)の葉が、刻(きざ)み昆布(こんぶ)に雲が這(は)いかかって、払っても落ちないように見える。その黒い幹をちょろちょろと栗鼠(りす)が長く太った尾を揺(ふ)って、駆(か)け上(のぼ)った。と思うと古く厚みのついた苔(こけ)の上をまた一匹、眸(ひとみ)から疾(と)く駆(か)け抜けたものがある。苔は膨(ふく)れたまま動かない。栗鼠の尾は蒼黒(あおぐろ)い地(じ)を払子(ほっす)のごとくに擦(す)って暗がりに入った。
 主人は横をふり向いて、ピトロクリの明るい谷を指(ゆび)さした。黒い河は依然としてその真中を流れている。あの河を一里半北へ溯(さかのぼ)るとキリクランキーの峡間(はざま)があると云った。
 高地人(ハイランダース)と低地人(ローランダース)とキリクランキーの峡間(はざま)で戦った時、屍(かばね)が岩の間に挟(はさま)って、岩を打つ水を塞(せ)いた。高地人と低地人の血を飲んだ河の流れは色を変えて三日の間ピトロクリの谷を通った。
 自分は明日(あす)早朝キリクランキーの古戦場を訪(と)おうと決心した。崖から出たら足の下に美しい薔薇(ばら)の花弁(はなびら)が二三片散っていた。

     声

 豊三郎(とよさぶろう)がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片(かた)づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明(あく)る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所(いどころ)が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸(のこぎり)の音がする。
 豊三郎は坐(すわ)ったまま手を延(のば)して障子(しょうじ)を明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧桐(あおぎり)の枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜気(おしげ)もなく股(また)の根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥(おびただ)しくなった。同時に空(むな)しい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬杖(ほおづえ)を突いて、何気(なにげ)なく、梧桐(ごとう)の上を高く離れた秋晴を眺めていた。
 豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐(なつ)かしい故郷(ふるさと)の記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥(はる)かの向(むこう)にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。
 山の裾(すそ)に大きな藁葺(わらぶき)があって、村から二町ほど上(のぼ)ると、路は自分の門の前で尽きている。門を這入(はい)る馬がある。鞍(くら)の横に一叢(ひとむら)の菊を結(ゆわ)いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋(や)の棟(むね)を照らしている。後(うしろ)の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸(たけ)の時節である。豊三郎は机の上で今採(と)ったばかりの茸の香(か)を嗅(か)いだ。そうして、豊(とよ)、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。
 豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先刻(さっき)見た梧桐(ごとう)の先がまた眸(ひとみ)に映った。延びようとする枝が、一所(ひとところ)で伐(き)り詰められているので、股(また)の根は、瘤(こぶ)で埋(うず)まって、見悪(みにく)いほど窮屈に力が入(い)っている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔(へだ)てて、垣根の外を見下(みおろ)すと、汚(きた)ない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲団(ふとん)が遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍(そば)に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。
 ところどころ縞(しま)の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏(とも)しい髪を、大きな櫛(くし)のまわりに巻きつけて、茫然(ぼんやり)と、枝を透(す)かした梧桐の頂辺(てっぺん)を見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼(あお)くむくんでいる。婆さんは腫(は)れぼったい瞼(まぶち)の奥から細い眼を出して、眩(まぼ)しそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。
 三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁(わら)で括(くく)って貰って、徳利(とくり)のような花瓶(かびん)へ活(い)けた。行李(こうり)の底から、帆足万里(ほあしばんり)の書いた小さい軸(じく)を出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座蒲団(ざぶとん)の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊々(とよとよ)と云う声がした。その声が調子と云い、音色(ねいろ)といい、優しい故郷(ふるさと)の母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障子(しょうじ)をがらりと開けた。すると昨日(きのう)見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額(ひたい)に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻(ひるが)えして下から豊三郎を見上げた。

     金

 劇烈(げきれつ)な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭(いや)になった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃(い)の腑(ふ)まで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰(つま)って、いかにも苦しい。そこで帽子を被(かぶ)って空谷子(くうこくし)の所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占者(うらないしゃ)みたような、妙な男である。無辺際(むへんざい)の空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾々(われわれ)の眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。
 空谷子は小さな角火鉢(かくひばち)に倚(もた)れて、真鍮(しんちゅう)の火箸(ひばし)で灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今金(かね)の事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。
「金は魔物だね」

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