文芸の哲学的基礎
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著者名:夏目漱石 

前に云うごとく、真は四理想の一であって、その一たる真が勢を得て、他の三理想が比較的下火になるのも、時勢の推移上銀杏返(いちょうがえ)しがすたれて束髪(そくはつ)が流行すると同じように、やむをえぬ次第と考えられます。しかしこれについて一言御参考のために申し上げておきたいのは、ほかでありませんが、こういう事なんです。
 人間の観察と云う者は深くなると狭くなるものです。世の中に何が狭いと云って専門家ほど狭いものはないのでも御分りになるでしょう。狭いと云う事は別段わるいと云う意味は含んでおりませんから、構わないと主張されるかも知れませんが、狭いと云うと不都合な事になります。医者があまり熱心になって狭い専門の範囲を、寝ても覚(さ)めても出る事ができないと、ついには妻に毒薬を飲まして、その結果を実験して見たいなどととんでもない事を工夫するかも知れません。世の中は広いものです、広い世の中に一本の木綿糸(もめんいと)をわたして、傍目(わきめ)も触らず、その上を御叮嚀(ごていねい)にあるいて、そうして、これが世界だと心得るのはすでに気の毒な話であります。ただ気の毒なだけなら本人さえ我慢すればそれですみますが、こう一本調子に行かれては、大(おおい)にはたのものが迷惑するような訳になります。往来をあるくのでも分ります。いくら巡査が左へ左へと、月給を時間割にしたほどな声を出して、制しても、東西南北へ行く人をことごとく一直線に、同方向に、同速力に向ける事はできません。広い世界を、広い世界に住む人間が、随意の歩調で、勝手な方角へあるいているとすれば、御互に行き合うとき、突き当りそうなときは、格別の理由のない限り、両方で路を譲り合わねばならない。四種の理想は皆同等の権利を有して人生をあるいている。あるくのは御随意だが、権利が同等であるときまったなら、衝突しそうな場合には御互に示談をして、好い加減に折り合をつけなければならない訳です。この折り合をつけるためには、自分が一人合点(ひとりがてん)で、自分一人の路をあるいていてはできない。つまり向うから来る人、横から来る人も、それぞれ相当の用事もあり、理由もあるんだと認めるだけに、世間が広くなければなりません。ところが狭く深くなると前に云うた御医者のようにそれができなくなる。抽出法(ちゅうしゅつほう)と云って、自分の熱心なところだけへ眼をつけて他の事は皆抽出して度外に置いてしまう。度外に置く訳である。他の事は頭から眼に這入(はい)って来ないのであります。そうなると本人のためには至極(しごく)結構であるが、他人すなわち同方向に進んで行かない人にはずいぶん妨害になる事があります。妨害になると云う事を知っていれば改良もするだろうが、自己の世界が狭くて、この狭い世界以外に住む人のある事を認識しない原因から起るとすれば、どうする事もできません。現代の文芸で真を重んずるの弊は、こうなりはしまいかと思うのであります。否現にこうなりつつあると私は認めているのであります。
 真を重んずるの結果、真に到着すれば何を書いても構わない事となる。真を発揮するの結果、美を構わない、善を構わない、荘厳を構わないまではよいが、一歩を超(こ)えて真のために美を傷つける、善をそこなう、荘厳を踏み潰(つぶ)すとなっては、真派の人はそれで万歳をあげる気かも知れぬが美党、善党、荘厳党は指を啣(くわ)えて、ごもっともと屏息(へいそく)している訳には行くまいと思います。目的が違うんだから仕方がないと云うのは、他に累(るい)を及ぼさない範囲内において云う事であります。他に累を及ぼさざるものが厳として存在していると云う事すら自覚しないで、真の世界だ、真の世界だと騒ぎ廻るのは、交通便利の世だ、交通便利の世だと、鈴をふり立てて、電車が自分勝手な道路を、むちゃくちゃに駆(か)けるようなものである。電車に乗らなければ動かないと云うほどな電車贔屓(びいき)の人なら、それで満足かも知れぬが、あるいたり、ただの車へ乗ったり、自転車を用いたりするもののためには不都合この上もない事と存じます。
 もっとも文芸と云うものは鑑賞の上においても、創作の上においても、多少の抽出法(ちゅうしゅつほう)を含むものであります。(抽出法については文学論中に愚見を述べてありますから御参考を願いたい)その極端に至ると妙な現象が生じます。たとえば、かの裸体画が公々然と青天白日の下に曝(さら)されるようなものであります。一般社会の風紀から云うと裸体と云うものは、見苦しい不体裁であります。西洋人が何と云おうと、そうに違ありません。私が保証します。しかしながら、人体の感覚美をあらわすためには、是非共裸体にしなければならん、この不体裁を冒(おか)さねばならん事となります。衝突はここに存するのです。この衝突は文明が進むに従って、ますます烈敷(はげしく)なるばかりでけっして調停のしようがないにきまっています。これを折り合わせるためには社会の習慣を変えるか、肉体の感覚美を棄(す)てるか、どっちかにしなければなりません、が両方共強情だから、収まりがつきにくいところを、無理に収まりをつけて、頓珍漢(とんちんかん)な一種の約束を作りました。その約束はこうであります。「肉体の感覚美に打たれているうちは、裸体の社会的不体裁を忘るべし」と云うのであります。最前(さいぜん)用いた難(むず)かしい言葉を使うと不体裁の感を抽出して、裸体画は見るべきものであると云う事に帰着します。この約束が成立してから裸体画はようやくその生命を繋(つな)ぐ事ができたのであって、ある画工や文芸批評家の考えるように、世間晴れて裸体画が大きな顔をされた義理ではありません。電車は危険だが、交通に便だから、一定の道路に限って、危険の念を抽出して、あるいてやろうと云う条件の下に、東鉄や電鉄が存在すると同じ事であります。裸体画も、東鉄も、電鉄も、あまり威張れば存在の権利を取上げてよいくらいのものであります。しかし一度(ひとた)び抽出の約束が成り立てば構わない。真もその通りであります。真を発揮した作物に対して、他の理想をことごとく忘れる、抽出すると云う条件さえ成立すればそれで宜(よろ)しい。――宜しいと云ったって大きな顔をして宜しいと云うのではない、存在しても宜しいと云うのであります。他の理想諸君へは御気の毒だが、僕も困るから、少し辛抱してくれたまえくらいの態度なら宜しいと云うのであります。しかしこの条件を成立せしむるためには真に対して起す情緒が強烈で、他の理想を忘れ得るほどに、うまく発揮されなくてはならん訳であります。今の作物にこれだけの仕事ができているかが疑問であります。
 あまり議論が抽象的になりますから、実例について少々自分の考えを述べて見ましょう。ここに贋(にせ)の唖(おし)が一人あるとします。何か不審の件があって警察へ拘引(こういん)される。尋問に答えるのが不利益だと悟って、いよいよ唖の真似(まね)をする。警官もやむをえず、そのまま繋留(けいりゅう)しておくと、翌朝になって、唖は大変腹が減って来た。始めは唖だから黙って辛抱したが、とうとう堪(た)えられなくなって、飯を食わしてくれろと大きな声を出すと云う筋をかいたら、どんなものでしょう。面白い小説になる、ならんの手際(てぎわ)は、問題として、とにかくある境遇における、ある男について、一種の真をあらわす事はできる。面白味はそこにあるでしょう。しかしこれだけでは美な所も、善な所も、また荘厳な所も無論ない。すなわち真以外の理想は毫(ごう)も含んでおらんのです。そこが疵(きず)かと云うと私はそうは認めません。と云うものは他の理想を含んでおらんと云うまでで、毫もこれを害してはおりません。したがって真に対する面白味を感ずるのみで、他の理想はことごとく抽出して読み終る事が出来得るからであります。
 次にこんな事を書いたら、どうなりましょう。一人の乞食(こじき)がいる。諸所放浪しているうちに、或日、或時、或村へ差しかかると、しきりに腹が減る。幸(さいわい)ひっそりとした一構えに、人の気(け)はいもない様子を見届けて、麺麭(パン)と葡萄酒(ぶどうしゅ)を盗み出して、口腹の慾を充分充(み)たした上、村外(むらはず)れへ出ると、眠くなって、うとうとしている所へ、村の女が通りかかる。腹が張って、酒の気(け)が廻って、当分の間ほかの慾がなくなった乞食は、女を見るや否や急に獣慾を遂行する。――この話しはモーパッサンの書いたものにあるそうですが、私は読んだ事がありません。私にこの話をして聞かした人はしきりに面白いと云っていました。なるほど面白いでしょう。しかしその面白いと云うのは、やはりある境遇にあるものが、ある境遇に移ると、それ相応な事をやると云う真相を、臆面なく書いた所にあるのでしょう。しかしこの面白味は、前の唖の話と違って、ただ真を発揮したばかりではない。他の理想を打ち壊しています。その打ち壊された理想を全然忘れない以上は、せっかくの面白味は打ち消されてしまうから役に立たんのみか、他の理想を主にする人からさんざんに悪口される場合が多いだろうと思います。こう云う場合に抽出の約束は成立しそうにもない。約束が成立しない以上は、この作物の生命はないと云うより、生命を許し得ないと云う方がよかろうと思います。一般の世の中が腐敗して道義の観念が薄くなればなるほどこの種の理想は低くなります。つまり一般の人間の徳義的感覚が鈍くなるから、作家批評家の理想も他の方面へ走って、こちらは御留守(おるす)になる。ついに善などはどうでも真さえあらわせばと云う気分になるんではありますまいか。日本の現代がそう云う社会なら致し方もないが、西洋の社会がかく腐敗して文芸の理想が真の一方に傾いたものとすれば、前後の考えもなく、すぐそれを担(かつ)いで、神戸や横浜から輸入するのはずいぶん気の早い話であります。外国からペストの種を輸入して喜ぶ国民は古来多くあるまいと考える。私がこう云うとあまり極端な言語を弄するようでありますが、実際外国人の書いたものを見ると、私等には抽出法がうまく行われないために不快を感ずる事がしばしばあるのだから仕方がありません。
 現代の作物(さくぶつ)ではないが沙翁(さおう)のオセロなどはその一例であります。事件の発展や、性格の描写は真を得ておりましょう、私も二三度講じた事があるから、その辺はよく心得ている。しかし読んでしまっていかにも感じがわるい。悲壮だの芳烈だのと云う考えは出て来ない、ただ妙な圧迫を受ける。ひまがあったら、この感じを明暸(めいりょう)に解剖して御目にかけたいと思うが今では、そこまでに頭が整うておりませんから一言にして不愉快な作だと申します。沙翁の批評家があれほどあるのに、今までなぜこの事について何にも述べなかったか不思議に思われるくらいであります。必竟(ひっきょう)ずるにただ真と云う理想だけを標準にして作物に対するためではなかろうかと思います。現代の作物に至ると、この弊を受けたものは枚挙に遑(いとま)あらざるほどだろうと考える。ヘダ・ガブレルと云う女は何の不足もないのに、人を欺(あざむ)いたり、苦しめたり、馬鹿にしたり、ひどい真似(まね)をやる、徹頭徹尾不愉快な女で、この不愉快な女を書いたのは有名なイブセン氏であります。大変に虚栄心に富んだ女房を持った腰弁がありました。ある時大臣の夜会か何かの招待状を、ある手蔓(てづる)で貰いまして、女房を連れて行ったらさぞ喜ぶだろうと思いのほか、細君はなかなか強硬な態度で、着物がこうだの、簪(かんざし)がこうだのと駄々(だだ)を捏(こ)ねます。せっかくの事だから亭主も無理な工面(くめん)をして一々奥さんの御意(ぎょい)に召すように取り計います。それで御同伴になるかと云うと、まだ強硬に構えています。最後に金剛石(ダイヤモンド)とかルビーとか何か宝石を身に着けなければ夜会へは出ませんよと断然申します。さすがの御亭主もこれには辟易(へきえき)致しましたが、ついに一計を案じて、朋友(ほうゆう)の細君に、こういう飾りいっさいの品々を所持しているものがあるのを幸い、ただ一晩だけと云うので、大切な金剛石の首輪をかり受けて、急の間を合せます。ところが細君は恐悦の余り、夜会の当夜、踊ったり跳(は)ねたり、飛んだり、笑ったり、したあげくの果(はて)、とうとう貴重な借物をどこかへ振り落してしまいました。両人は蒼(あお)くなって、あまり跳ね過ぎたなと勘づいたが、これより以後跳方(はねかた)を倹約しても金剛石が出る訳でもないので、やむをえず夫婦相談の結果、無理算段の借金をした上、巴里(パリ)中かけ廻ってようやく、借用品と一対(いっつい)とも見違えられる首飾を手に入れて、時を違(たが)えず先方へ、何知らぬ顔で返却して、その場は無事に済ましました。が借金はなかなか済みません。借りたものは巴里だって返す習慣なのだから、いかな見え坊の細君もここに至って翻然(ほんぜん)節を折って、台所へ自身出張して、飯も焚(た)いたり、水仕事もしたり、霜焼(しもやけ)をこしらえたり、馬鈴薯(ばれいしょ)を食ったりして、何年かの後ようやく負債だけは皆済(かいさい)したが、同時に下女から発達した奥様のように、妙な顔と、変な手と、卑(いや)しい服装の所有者となり果てました。話はもう一段で済みます。
 ある日この細君が例のごとく笊(ざる)か何かを提(さ)げて、西洋の豆腐(とうふ)でも買うつもりで表へ出ると、ふと先年金剛石(ダイヤモンド)を拝借した婦人に出逢(であ)いました。先方は立派な奥様で、当方(こちら)は年期の明けた模範下女よろしくと云う有様だから、挨拶(あいさつ)をするのも、ちょっと面はゆげに見えたんでしょうが、思い切って、おやまあ御珍らしい事とか何とか話かけて見ると案のごとく、先方では、もうとくの昔に忘れています。下女に近付はないはずだがと云う風に構えていたところを、しょげ返りもせず、実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟(たた)って、今でもこの通りだと、逐一(ちくいち)を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物(ねりもの)ですよと云ったそうです。それでおしまいです。これは例のモーパッサン氏の作であります。最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます。軽薄な巴里(パリ)の社会の真相はさもこうあるだろう穿(うが)ち得て妙だと手を拍(う)ちたくなるかも知れません。そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります。よくせきの場合だから細君が虚栄心を折って、田舎(いなか)育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗(きれい)に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗(あん)に人から瞞(だま)されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気(ばかげ)た働きをした事になっているから、奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまいます。同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります。この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります。いくら真相を穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。もう一つ例を挙(あ)げます。今度はゾラ君の番であります。御爺(おじい)さんが年の違った若い御嫁さんを貰います。結婚は致しましたが、どう云うものか夫婦の間に子ができません。それを苦(く)に病んで御爺さんが医者に相談をかけますと、医者は何でも答弁する義務がありますから、さよう、海岸へおいでになって何とか云う貝を召し上がったら子供ができましょうよと妙な返事をしました。爺さんは大喜びで、さっそく細君携帯で仏蘭西(フランス)の大磯辺に出かけます。するとそこに細君と年齢からその他の点に至るまで夫婦として、いかにも釣り合のいい男が逗留(とうりゅう)していまして細君とすぐ懇意になります。両人は毎日海の中へ飛び込んでいっしょに泳ぎ廻ります。爺さんは浜辺の砂の上から、毎日遠くこれを拝見して、なかなか若いものは活溌(かっぱつ)だと、心中ひそかに嘆賞しておりました。ある日の事三人で海岸を散歩する事になります。時に、お爺さんは老体の事ですから、石の多い浜辺を嫌(きら)って土堤(どて)の上を行きます。若い人々は波打際(なみうちぎわ)を遠慮なくさっさとあるいて参ります。ところが約(およそ)五六丁も来ると、磯際(いそぎわ)に大きな洞穴(ほらあな)があって、両人がそれへ這入(はい)ると、うまい具合と申すか、折悪(おりあし)くと申すか、潮が上げて来て出る事がむずかしくなりました。老人は洞穴(ほらあな)の上へ坐ったまま、沖の白帆を眺めて、潮が引いて両人の出て来るのを待っております。そこであまり退屈だものだから、ふと思出(おもいだ)して、例の医者から勧められた貝を出して、この貝を食っては待ち、食っては待って、とうとう潮が引いて、両人が出てくるまでにはよほど多量の貝を平げました。その場はそれで済みまして、いよいよ細君を連れて宅へ帰って見ますと、貝の利目(ききめ)はたちまちあらわれて、細君はその月から懐妊して、玉のような男子か女子か知りませんが生み落して老人は大満足を表すると云うのが大団円であります。ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが、私の考では前に挙(あ)げたモーパッサン氏よりもある方面に向って一歩進んだ理想がなくってはとうてい書きこなせない作物だと思います。よく下民の聚合(しゅうごう)する寄席(よせ)などへ参ると、時々妙な所で喝采(かっさい)する事があります。普通の人が眉(まゆ)を顰(ひそ)める所に限って喝采するから妙であります。ゾラ君なども日本へ来て寄席へでも出られたら、定めし大入を取られる事であろうと存じます。
 現代文学は皆この弊に陥(おちい)っているとは無論断言しませんが、いろいろな点においてこの傾向を帯びていることは疑いもないと思います。そうしてこの傾向は真の一字を偏重視(へんちょうし)するからして起った多少病的の現象だと云うてもよいだろうと思います。諸君は探偵と云うものを見て、歯(よわい)するに足る人間とは思わんでしょう。探偵だって家(うち)へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢(ひとはち)くらい眺める風流心はあるかも知れない。しかしながら探偵が探偵として職務にかかったら、ただ事実をあげると云うよりほかに彼らの眼中には何もない。真を発揮すると云うともったいない言葉でありますが、まず彼らの職業の本分を云うと、もっとも下劣な意味において真を探ると申しても差支(さしつかえ)ないでしょう。それで彼らの職務にかかった有様を見ると一人前の人間じゃありません。道徳もなければ美感もない。荘厳の理想などは固(もと)よりない。いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずる事ができない。できれば探偵なんかする気になれるものではありません。探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠亡して、残る四分の一のもっとも低度なものがむやみに働くからであります。かかる人間は人間としては無論通用しない。人間でない器械としてなら、ある場合にあっては重宝でしょう。重宝だから、警視庁でもたくさん使って、月給を出して飼っておきます。しかし彼らの職業はもともと器械の代りをするのだから、本人共もそのつもりで、職業をしている内は人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。現代の文学者をもって探偵に比するのははなはだ失礼でありますが、ただ真の一字を標榜(ひょうぼう)して、その他の理想はどうなっても構わないと云う意味な作物を公然発表して得意になるならば、その作家は個人としては、いざ知らず、作家として陥欠(かんけつ)のある人間でなければなりません。病的と云わなければなりません。(四種の理想は同等の権利を有して相冒(あいおか)すべきものでないと、先に述べておきました。四種を同等に満足せしむる事は困難かも知れません。多少は冒す場合があるでしょう。その場合には冒されたものが、屏息(へいそく)し得るように、冒す方に偉大な特色がなければならぬのであります。この点においては、先に例証したオセロが一番弁護しやすいように思われます。ゾラとモーパッサンの例に至ってはほとんど探偵と同様に下品な気持がします)
 文芸に四種の理想があるのは毎度繰返(くりかえ)した通りでありまして、その四種がまたいろいろに分化して行く事も前に述べたごとくであります。この四種の理想は文芸家の理想ではあるが、ある意味から云うと一般人間の理想でありますからして、この四面に渉(わた)ってもっとも高き理想を有している文芸家は同時に人間としてももっとも高くかつもっとも広き理想を有した人であります。人間としてもっとも広くかつ高き理想を有した人で始めて他を感化する事ができるのでありますから、文芸は単なる技術ではありません。人格のない作家の作物は、卑近なる理想、もしくは、理想なき内容を与うるのみだからして、感化力を及ぼす力もきわめて薄弱であります。偉大なる人格を発揮するためにある技術を使ってこれを他の頭上に浴せかけた時、始めて文芸の功果は炳焉(へいえん)として末代までも輝き渡るのであります。輝き渡るとは何も作家の名前が伝わるとか、世間からわいわい騒がれると云う意味で云うのではありません。作家の偉大なる人格が、読者、観者もしくは聴者の心に浸み渡って、その血となり肉となって彼らの子々孫々まで伝わると云う意味であります。文芸に従事するものはこの意味で後世に伝わらなくては、伝わる甲斐(かい)がないのであります。人名辞書に二行や三行かかれる事は伝わるのではない。自分が伝わるのではない。活版だけが伝わるのであります。自己が真の意味において一代に伝わり、後世に伝わって、始めて我々が文芸に従事する事の閑事業でない事を自覚するのであります。始めて自己が一個人でない、社会全体の精神の一部分であると云う事実を意識するのであります。始めて文芸が世道人心に至大の関係があるのを悟るのであります。我々は生慾の念から出立して、分化の理想を今日(こんにち)まで持続したのでありますから、この理想をある手段によって実現するものは、我々生存の目的を、一層高くかつ大いにした功蹟(こうせき)のあるものであります。もっとも偉大なる理想をもっともよく実現するものは我々生存の目的をもっともよく助長する功蹟のあるものであります。文芸の士はこの意味においてけっして閑人(かんじん)ではありません。芭蕉(ばしょう)のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません。普通の大臣豪族よりも、有意義な生活を送って、皆それぞれに人生の大目的に貢献しております。
 理想とは何でもない。いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答案に過ぎんのであります。画家の画、文士の文、は皆この答案であります。文芸家は世間からこの問題を呈出されるからして、いろいろの方便によって各自が解釈した答案を呈出者に与えてやるに過ぎんのであります。答案が有力であるためには明暸(めいりょう)でなければならん、せっかくの名答も不明暸であるならば、相互の意志が疏通せぬような不都合に陥ります。いわゆる技巧と称するものは、この答案を明暸にするために文芸の士が利用する道具であります。道具は固(もと)より本体ではない。
 そこで諸君はわかったと云われるかも知れぬ。またはわからぬと云われるかも知れぬ。分った方(かた)はそれでよろしいが、分らぬ方には少々説明をしなければなりません。ただいま技巧は道具だと申しました。そう一概に云うと明暸(めいりょう)なようであるが退(しりぞ)いて考えるとなかなかわかりにくい。技巧とは何だと聴かれた時に、たいてい困ります。普通は思想をあらわす、手段だと云いますが、その手段によって発表される思想だからして、思想を離れて、手段だけを考える訳には行かず、また手段を離れて思想だけを拝見する訳には無論行きません。それでだんだん論じつめて行くと、どこまでが手段で、どこからが思想だかはなはだ曖昧(あいまい)になります。ちょうどこの白墨について云うと、白い色と白墨の形とを切離すようなものでこの格段な白墨を目安(めやす)にして論ずると白い色をとれば形はなくなってしまいますし、またこの形をとれば白い色も消えてしまいます。両(ふた)つのものは二にして一、一にして二と云ってもしかるべきものであります。そこで哲理的に論ずるとなかなか面倒ですから、分りやすいために実例で説明しようと思います。せんだって大学で講義の時に引用した例がありますから、ちょっとそれで用を弁じておきます。
 ここに二つの文章があります。最初のは沙翁(さおう)の句で、次のはデフォーと云う男の句であります。
 これを比較すると技巧と内容の区別が自(おのずか)ら判然するだろうと思います。
 Uneasy lies the head that wears a crown.
 Kings frequently lamented the miserable consequences of being born to great things, and wished they had been in the middle of the two extremes, between the mean and the great.
 大体の意味は説明する必要もないまでに明暸であります。すなわち冠(かんむり)を戴(いただ)く頭(かしら)は安きひまなしと云うのが沙翁の句で、高貴の身に生れたる不幸を悲しんで、両極の中(うち)、上下の間に世を送りたく思うは帝王の習いなりと云うのがデフォーの句であります。無論前者は韻語(いんご)の一行で、後者は長い散文小説中の一句であるから、前後に関係して云うと、種々な議論もできますが、この二句だけを独立させて評して見ると、その技巧の点において大変な差違があります。それはあとから説明するとして、二句の内容は、二句共に大同小異である事は、誰も疑わぬほどに明かでありましょう。だから思想から見ると双方共に同様と見ても差支(さしつかえ)ないとします。思想が同様であるにも関わらず、この二句を読んで得る感じには大変な違があります。私はせんだって中(じゅう)デフォーの作物を批評する必要があって、その作物を読直すときに偶然この句に出合いまして、ふと沙翁のヘンリー四世中の語を思い出して、その内容の同じきにも関(かかわ)らず、その感じに大変な相違のあるに驚きましたが、なぜこんな相違があるかに至っては解剖して見るまでは判然と自分にもわからなかったのであります。そこでこれから御話しをするのは私の当時の感じを解剖した所であります。
 沙翁の方から述べますと――あの句は帝王が年中(十年でもよい、二十年でもよい。いやしくも彼が位にある間だけ)の身心状態を、長い時間に通ずる言葉であらわさないで、これを一刻につづめて示している。そこが一つの手際(てぎわ)であります。その意味をもっと詳(くわ)しく説明するとこうなります。uneasy(不安)と云う語は漠然(ばくぜん)たる心の状態をあらわすようであるが実は非常に鋭敏なよく利(き)く言葉であります。例(たと)えば椅子の足の折れかかったのに腰をかけて uneasy であるとか、ズボン釣りを忘れたためズボンが擦(ず)り落ちそうで uneasy であるとか、すべて落ちつかぬ様子であります。もちろん落ちつかぬ様子と云うのは、ある時間の経過を含む状態には相違ないが、長時間の経過を待たないで、すぐ眼に映る状態であります。だからこの uneasy と云う語は、長い間持続する状態でも、これを一刻もしくは一分に縮(ちぢ)めて画のようにとっさの際(きわ)に頭脳の裏(うち)に描き出し得る状態であります。
 ある人はこう云って、私の説を攻撃するかも知れぬ。――なるほど君の云うような uneasy な状態もあるかも知れない。しかしそれは身体(からだ)の uneasy な場合で心の uneasy な場合ではない。身体の uneasy な状態は長い時間を切って断面的にこれを想像の鏡に写す事もできようが、心の uneasy な場合すなわち心配とか、気がかりというようなものは、そういう風に印象を構成する訳には行かんだろうと。私はその攻撃に対しては、こう答える。――そういう uneasy な状態はあるに相違ない。ないが、ここにはそんな事を考える必要はない。よし帝王の uneasiness が精神的であっても、そう考える必要はない。必要はないと云うよりもそんな余裕はない。uneasy の下(もと)に lies すなわち横わるとある。lies と云うと有形的な物体に適用せらるる文字である。だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。するとまたこう非難する人が出るかも知れぬ。――lies にも両様がある。有形物について云う事は無論であるが無形物についてもよく使う字である。だから uneasy lies では君の云うように判然たる印象は起って来ないと。この非難に対する私の弁解はこうであります。 uneasy lies では印象が起らぬと云うなら第三字目の head という字を読んで見るがよかろう。head は具体的のものである。よし head までも比喩的な意味に解せられるとしても uneasy lies the head と続けて読んで、しかもこの head を抽象的な能力とか知力とか解釈する者はあるまい。誰でも具体的の髪の生えた頭と解釈するであろう。head を具体的と解する以上は lies も無論有形物の lie する有様に相違ない。してみると uneasy もまた形態に関係のない目に見えぬ意味とは取りにくい。しかもその uneasy な有様はいつまで続くか無論わからないが、よし長時間続く状態にしても、いやしくも続いている間は、いつでも目に見える状態である。いつでも見える状態であるからして、そのいずれの一瞬間を截(た)ち切ってもその断面は長い全部を代表する事ができる、語を換えて云えば、十年二十年の状態を一瞬の間につづめたもの、煮つめたもの、煎(せん)じつめたものを脳裏(のうり)に呼び起すことができると。そこでこの煮つめたところ、煎じつめたところが沙翁の詩的なところで、読者に電光の機鋒(きほう)をちらっと見せるところかと思います。これは時間の上の話であります。長い時間の状態を一時に示す詩的な作用であります。
 ところで沙翁(さおう)には今一つの特色があります。上述の時間的なるに対してこれは空間的と云うてもよかろうと思います。すなわちこういう解剖なのです。帝王と云う字は具体の名詞か抽象の名詞かと問えば、誰も具体と答えるだろうと思います。なるほど具体名詞に相違ないです。けれどもただ具体的だと承知するばかりで、明暸(めいりょう)な印象は比較的出にくいのです。帝王の画を眼前でかいて見ろと云われても、すぐと図案は拵(こしら)えられんだろうと思います。私共の脳中にはこの帝王と云うものがすこぶる漠然(ばくぜん)として纏(まとま)らない図になって畳み込まれています。ところへ the head that wears a corwn と云われると、帝王と云う観念が急に判然とします。なぜかと云うと、今までは具体であるということだけが解っていたけれど、局部の知識はすこぶる曖昧(あいまい)で取とめがつかなかったのであります。あたかも度の合わぬ眼鏡で物を見るように、その物は独立して存在しているが他の物と独立している事だけが明暸で、その物の内容は朦朧(もうろう)としておったのであります。ところが uneasy lies the head that wears a crown と云われたので焼点(しょうてん)が急にきまったような心持がするのであります。帝王と云えば個人として帝王の全部を想像せねばならん、全部を想像すると勢(いきおい)ぼんやりする。ぼんやりしないために、局部を想像しようとすると、局部がたくさんあるので、どこを想像してよいか分りません。そこで沙翁は多くある局部のうちで、ここを想像するのが一番いいと教えてくれたのであります。その教えてくれたのは、帝王の足でもない、手でもない。乃至(ないし)は背骨(せぼね)でもない。もしくは帝王の腹の中でもない。彼が指さして、あすこだけを注意して御覧、king がよく見えると教えてくれた所は、燦爛(さんらん)たる冠を戴(いただ)く彼の頭であります。この注意をうけた吾々(われわれ)は今まで全局に眼をちらつかせて要領を得んのに苦しんでいたのに、かく注意を受けたから、試みにその方へ視線をむけると、なるほど king が見えたのであります。明暸なのは局部に過ぎぬけれども、この局部が king を代表してしかるべき精髄であるからして、ここが明暸に見えれば全体を明暸に見たと同じ事になる。取(とり)も直(なお)さず物を見るべき要点を沙翁が我々に教えてくれたのであります。この要点は全体を明かにするにおいて功力があるのみならず、要点以外に気を散らす必要がなく、不要の部分をことごとく切り棄てる事もできるからして、読者から云えば注意力の経済になる。この要点を空間に配して云うと、沙翁は king と云う大きなものを縮めて、単なる「冠を戴く頭」に変化さしてくれたのであります。かくして六尺の人は一尺に足らぬ頭と煎(せん)じつめられたのであります。
 してみると沙翁の句は一方において時間を煎じつめ、一方では空間を煎じつめて、そうして鮮(あざや)かに長時間と広空間とを見せてくれております。あたかも肉眼で遠景を見ると漠然(ばくぜん)としているが、一(ひと)たび双眼鏡をかけると大きな尨大(ぼうだい)なものが奇麗(きれい)に縮まって眸裡(ぼうり)に印するようなものであります。そうしてこの双眼鏡の度を合わしてくれるのがすなわち沙翁なのであります。これが沙翁の句を読んで詩的だと感ずる所以(ゆえん)であります。
 ところがデフォーの文章を読んで見るとまるで違っております。この男のかき方は長いものは長いなり、短いものは短いなりに書き放して毫(ごう)も煎じつめたところがありません。遠景を見るのに肉眼で見ています。度を合せぬのみか、双眼鏡を用いようともしません。まあ智慧(ちえ)のない叙方と云ってよいでしょう。あるいは心配して読者の便宜(べんぎ)をはかってくれぬ書き方、呑気(のんき)もしくは不親切な書き方と云っても悪くはありますまい。もしくは伸縮方を解せぬ、弾力性のない文章と評しても構わないでしょう。汽車電車は無論人力さえ工夫する手段を知らないで、どこまでも親譲りの二本足でのそのそ歩いて行く文章であります。したがって散文的の感があるのです。散文的な文章とは馬へも乗れず、車へも乗れず、何らの才覚がなくって、ただ地道(じみち)に御拾いでおいでになる文章を云うのであります。これはけっして悪口ではありません、御拾いも時々は結構であります。ただ年が年中足を擂木(すりこぎ)にして、火事見舞に行くんでも、葬式の供に立つんでも同じ心得で、てくてくやっているのは、本人の勝手だと云えば云うようなものの、あまり器量のない話であります。デフォーははなはだ達筆で生涯(しょうがい)に三百何部と云う書物をかきました。まあ車夫のような文章家なのです。
 これで二家の文章の批評は了(おわ)ります。この批評によって、我々の得た結論は何であるかと云うと、文芸に在(あ)って技巧は大切なものであると云う事であります。もし技巧がなければせっかくの思想も、気の毒な事に、さほどな利目(ききめ)が出て来ない。沙翁とデフォーは同じ思想をあらわしたのでありますが、その結果は以上のごとく、大変な相違を来(きた)します。思想が同じいのにこれほどな相違が出るのは全く技巧のためだと結論します。近頃日本の文学者のある人々は技巧は無用だとしきりに主張するそうですが、いまだ明暸(めいりょう)なる御考えを承(うけたまわ)った事がないから、何とも申されませんが、以上の説明によると、文芸家である以上は、技巧はどうしても捨てる訳には、参るまいと信じます。そうして以上の説明はけっして論理その他の誤謬(ごびゅう)を含んでおらんと信じます。有名な人の作曲さえやれば、どんな下手が奏しても構わないと云う御主意ならば文章も技巧は無用かも知れませんが、私にはそうは思われません。そうして技巧を無用視せらるる方(かた)のうちには人生に触れなくては駄目だ、技巧はどうでもよい、人生に触れるのが目的だと言われる人が大分あるようですが、これもまだ明暸な説明を承った事がないから何の意味だか了解できませんが、この言葉を承わるたびに何だか妙な心持がします。ただ触れろ触れろと仰(おおせ)があっても、触れる見当(けんとう)がつかなければ、作家は途方に暮れます。むやみに人生だ人生だと騒いでも、何が人生だか御説明にならん以上は、火の見えないのに半鐘を擦(す)るようなもので、ちょっと景気はいいようだが、どいたどいたと駆(か)けて行く連中は、あとから大に迷惑致すだろうと察せられます。人生に触れろと御注文が出る前に、人生とはこんなもの、触れるとはあんなもの、すべてのあんな、こんなを明暸にしておいてさてかような訳だから技巧は無用じゃないかと仰せられたなら、その時始めて御相手を致しても遅くはなかろうと思って、それまでは差し控える事に致しております。もし私の方で申す人生に触れるという意味が御承知になりたければ今じきに明暸なる御答えを仕(つかまつ)ってもよろしいが、ついでもある事だから、次の節まで待っていただきましょう。
 御待遠だといかぬから、すぐさま次の節に移って弁じます。文学者の一部分で、しきりに触れろ触れろと云い、技巧は無用だ無用だと云っているに反して、画家の方では――画家は我々のように騒々しくない、おとなしく勉強しておられるから、むやみに三(み)つ番(ばん)は敲(たた)かれぬようであるが――しかしその実行しておられるところを拝見すると、触れるの触れぬのと云う事は頓着(とんじゃく)なくただ熱心に技術を研(みが)いておられるように見受けます。申すまでもなく私は極(きわ)めて画道には暗い人間であります。だから画の事に関して嘴(くちばし)を容(い)れる権利は無論ないのですが、門外漢の云う事も時には御参考になるだろうし、こうして諸君に御目にかかる機会も滅多(めった)にありませず、かつ文芸全体に通じての議論ですから、大胆なところを述べてしまいます。――あなた方の方では人間を御かきになるときはモデルを御使いになります、草や木を御かきになるときは野外もしくは室内で写生をなさいます。これはまことに結構な事で、我々文学者が四畳半のなかで、夢のような不都合な人物、景色、事件を想像して好加減(いいかげん)な事を並べて平気でいるよりも遥(はるか)に熱心な御研究であります。その効能は固(もと)より御承知の事で、私などがかれこれ申すのも釈迦(しゃか)に何とかいう類(たぐい)になりますが、まず講話の順序として分らぬながら、分ったと思う事だけを述べます。こう云う修業で得る点は私の考えではまず二通りになるだろうと思います。一つは物の大小形状及びその色合などについて知覚が明暸(めいりょう)になりますのと、この明暸になったものを、精細に写し出す事が巧者にかつ迅速(じんそく)にできる事だと信じます。二はこれを描(えが)き出すに当って使用する線及び点が、描き出される物の形状や色合とは比較的独立して、それ自身において、一種の手際(てぎわ)を帯びて来る事であります。この第二の技術は技術でありかつ理想をもあらわしているからして純然たる技巧と見る訳には参りません。現に日本在来の絵画はおもにこの技巧だけで価値を保ったものであります。それにも関わらず、これに対して鑑賞の眼を恣(ほしいまま)にすると、それぞれに一種の理想をあらわしている、すなわち画家の人格を示している、ために大なる感興を引く事が多いのであります。たとえば一線の引き方でも、(その一線だけでは画は成立せぬにも関わらず)勢いがあって画家の意志に対する理想を示す事もできますし、曲り具合が美に対する理想をあらわす事もできますし、または明暸で太い細いの関係が明かで知的な意味も含んでおりましょうし、あるいは婉約(えんやく)の情、温厚な感を蓄える事もありましょう。(知、情の理想が比較的顕著でないのは性質上やむをえません)こうなると線と点だけが理想を含むようになります。ちょうど金石文字や法帖(ほうじょう)と同じ事で、書を見ると人格がわかるなどと云う議論は全くこれから出るのであろうと考えられます。だから、この技巧はある程度の修養につれて、理想を含蓄して参ります。しかし前種の技巧、すなわち物に対する明暸なる知覚をそのままにあらわす手際(てぎわ)は、全然理想と没交渉と云う訳には参りませんが、比較的にこれとは独立したものであります。これをわかりやすく申しますと、物をかいて、現物のように出来上っても、知、情、意、の働きのあらわれておらんのがあります。何(なん)だか気乗りのしないのがあります。どことなく機械的なのがあります。私の技巧と云うのは、この種の技巧を云うのであります。私の非難したいのは、この種の技巧だけで画工になろうと云う希望を抱く人々であります。無論諸君は、画工になるにはこの種の技巧だけで充分だと御考えになってはおられますまい。しかし技巧をおもにして研究を重ねて行かれるうちには、時によると知らぬ間に、ついこの弊(へい)に陥る事がないとは限らんと思います。再び前段に立ち帰って根本的に申しますと、前に述べた通り、文芸は感覚的な或物を通じて、ある理想をあらわすものであります。だからしてその第一主義を云えばある理想が感覚的にあらわれて来なければ、存在の意義が薄くなる訳であります。この理想を感覚的にする方便として始めて技巧の価値が出てくるものと存じます。この理想のない技巧家を称して、いわゆる市気匠気(いちきしょうき)のある芸術家と云うのだろうと考えます。市気匠気のある絵画がなぜ下品かと云うと、その画面に何らの理想があらわれておらんからである。あるいはあらわれていても浅薄で、狭小で、卑俗で、毫(ごう)も人生に触れておらんからであります。
 私は近頃流行する言語を拝借して、人生に触れておらんと申しました。私のいわゆる人生に触れると申す意味は、前段からの議論で大概は御分りになったろうとは思いますが、御約束だから形式的に説明致しますと、比較的簡単で明暸であります。少くとも私だけにはそう思われます。我々は意識の連続を希望します。連続の方法と意識の内容の変化とが吾人に選択(せんたく)の範囲を与えます。この範囲が理想を与えます。そうしてこの理想を実現するのを、人生に触れると申します。これ以外に人生に触れたくても触れられよう訳がありません。そうしてこの理想は真、美、善、壮の四種に分れますからして、この四種の理想を実現し得る人は、同等の程度に人生に触れた人であります。真の理想をあらわし得る人は、美の理想をあらわし得る人と、同様の権利と重みとをもって、人生に触れるのであります。善の理想を示し得る人は壮の理想を示し得る人と、同様の権利と重みをもって、人生に触れたものであります。いずれの理想をあらわしても、同じく人生に触れるのであります。その一つだけが触れて、他は触れぬものだと断言するのは、論理的にかく証明し来ったところで、成立せぬ出放題の広言であります。真は深くもなり、広くもなり得る理想であります。しかしながら、真が独(ひと)り人生に触れて、他の理想は触れぬとは、真以外に世界に道路がある事を認め得ぬ色盲者の云う事であります。東西南北ことごとく道路で、ことごとく通行すべきはずで、大切と云えばことごとく大切であります。
 四種の理想は分化を受けます。分化を受けるに従って変形を生じます。変形を生じつつ進歩する機会を早めます。この変形のうち、もっとも新しい理想を実現する人を人生において新意義を認めた人と云います。変形のうちもっとも深き理想を実現する人を、深刻に人生に触れた人と申します。(云うまでもなく深刻とは真、善、美、壮の四面にわたって申すべき形容詞であります。悲惨だから深刻だとか、暗黒だから深刻だとか云うのは無意味の言語であります)変形のうちもっとも広き理想を実現する人を、広く人生に触れた人と申します。この三つを兼ねて、完全なる技巧によりてこれを実現する人を、理想的文芸家、すなわち文芸の聖人と云うのであります。文芸の聖人はただの聖人で、これに技巧を加えるときに、始めて文芸の聖人となるのであります。聖人の理想と申して別段の事もありません。ただいかにして生存すべきかの問題を解釈するまでであります。
 発達した理想と、完全な技巧と合した時に、文芸は極致に達します。(それだから、文芸の極致は、時代によって推移するものと解釈するのが、もっとも論理的なのであります)文芸が極致に達したときに、これに接するものはもしこれに接し得るだけの機縁が熟していれば、還元的感化を受けます。この還元的感化は文芸が吾人(ごじん)に与え得る至大至高の感化であります。機縁が熟すと云う意味は、この極致文芸のうちにあらわれたる理想と、自己の理想とが契合(けいごう)する場合か、もしくはこれに引つけられたる自己の理想が、新しき点において、深き点において、もしくは広き点において、啓発(けいはつ)を受くる刹那(せつな)に大悟する場合を云うのであります。縁なき衆生(しゅじょう)は度しがたしとは単に仏法のみで言う事ではありません。段違いの理想を有しているものは、感化してやりたくても、感化を受けたくてもとうていどうする事もできません。
 還元的感化と云う字が少々妙だから、御分りにならんかと思います。これを説明すると、こういう意味になります。文芸家は今申す通り自己の修養し得た理想を言語とか色彩とかの方便であらわすので、その現わされる理想は、ある種の意識が、ある種の連続をなすのを、そのままに写し出したものに過ぎません。だからこれに対して享楽(きょうらく)の境(さかい)に達するという意味は、文芸家のあらわした意識の連続に随伴すると云う事になります。だから我々の意識の連続が、文芸家の意識の連続とある度まで一致しなければ、享楽と云う事は行われるはずがありません。いわゆる還元的感化とはこの一致の極度において始めて起る現象であります。
 一致の意味は固(もと)より明暸で、この一致した意識の連続が我々の心のうちに浸み込んで、作物を離れたる後までも痕迹(こんせき)を残すのがいわゆる感化であります。すると説明すべきものはただ還元の二字になります。しかしこの二字もまた一致と云う字面のうちに含まれております。一致と云うと我の意識と彼の意識があって、この二つのものが合して一となると云う意味でありますが、それは一致せぬ前に言うべき事で、すでに一致した以上は一もなく二もない訳でありますからして、この境界に入ればすでに普通の人間の状態を離れて、物我の上に超越しております。ところがこの物我の境を超越すると云う事は、この講演の出立地であって、またあらゆる思索の根拠(こんきょ)本源になります。したがって文芸の作物に対して、我を忘れ彼を忘れ、無意識に(反省的でなくと云う意なり)享楽を擅(ほしいまま)にする間は、時間も空間もなく、ただ意識の連続があるのみであります。もっともここに時間も空間もないと云うのは作物中にないと云うのではない、自己が作物に対する時間、また自己が占めている空間がないという意味であって、読んで何時間かかるか、また読んでいる場所は書斎の裡(うち)か郊外か蓐中(じょくちゅう)かを忘れると云うのと同じ事であります。普通の場合においてこれを忘れる事ができんのは、ある間は作者の意識連続と一致し、あるときはこれを離れるから、我は依然として我、彼は依然として彼なのであります。一致している際に蚤(のみ)に食われて急に我に帰り、時計が鳴ってにわかに我に帰るというようであるから、間髪を容(い)れざる完全の一致より生ずる享楽を擅(ほしいま)まにする事ができんのであります。かくのごとく自己の意識と作家の意識が離れたり合ったりする間は、読書でも観画でも、純一無雑と云う境遇に達する事はできません。これを俗に邪魔が這入(はい)るとも、油を売るとも、散漫になるとも云います。人によると、生涯(しょうがい)に一度も無我の境界に点頭し、恍惚(こうこつ)の域に逍遥(しょうよう)する事のないものがあります。俗にこれを物に役(えき)せられる男と云います。かような男が、何かの因縁(いんねん)で、急にこの還元的一致を得ると、非常な醜男子(ぶおとこ)が絶世の美人に惚(ほ)れられたように喜びます。
「意識の連続」のうちで比較的連続と云う事を主にして理想があらわれてくると、おもに文学ができます。比較的意識そのものの内容を主にして理想があらわれて来ると絵画が成立します。だからして前者の理想はおもに意識の推移する有様であらわれて来ます。したがってこの推移法が理想的に行く作物は、読者をして還元的感化をうけやすくします。これを動の還元的感化と云います。それから後者の理想はおもに意識の停留する有様であらわれて来ます。だから停留法がうまく行くと、すなわち意識が停留したいところを見計って、その刹那(せつな)を捕えると、観者をして還元的感化をうけやすくします。これを静の還元的感化と云います。しかしながらこれは重なる傾向から文学と絵画を分ったまでで、その実は截然(せつぜん)とこう云う区別はできんのであります。しばらくこの二要素を文学の方へかためて申しますと、推移の法則は文学の力学として論ずべき問題で、逗留(とうりゅう)の状態は文学の材料として考えるべき条項であります。双方とも批評学の発達せぬ今日は誰も手を着けておりませんから、研究の余地は幾らでもあります。私は自分の文学論のうちに、不完全ながら自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願います。固(もと)より新たに開拓する領土の事でありますから、御参考になるほどにはできておりません。けれども、あの議論の上へ上へとこれからの人が、新知識を積んで行って、私の疎漏(そろう)なところを補い、誤謬(ごびゅう)のあるところを正して下さったならば、批評学が学問として未来に成立せんとは限らんだろうと思います。私はある事情から重に創作の方をやる考えでありますから、向後この方面に向って、どのくらいの貢献ができるか知れませんが、もし篤実な学者があって、鋭意にそちらを開拓して行かれたならば、学界はこの人のために大いなる利益を享(う)けるに相違なかろうと確信しております。
 最後に一言を加えます。我々は生きたい生きたいと云う下司(げす)な念を本来持っております。この下司な了見(りょうけん)からして、物我の区別を立てます。そうしていかなる意識の連続を得んかという選択の念を生じ、この選択の範囲が広まるに従って一種の理想を生じ、その理想が分岐して、哲学者(または科学者)となり、文芸家となり実行家となり、その文芸家がまた四種の理想を作り、かつこれを分岐せしめて、各自に各自の欲する意識の連続を実現しつつあるのであります。要するに皆いかにして存在せんかの生活問題から割り出したものに過ぎません。だからして何をやろうとけっして実際的の利害を外(はず)れたことは一つもないのであります。世の中では芸術家とか文学家とか云うものを閑人(ひまじん)と号して、何かいらざる事でもしているもののように考えています。実を云うと芸術家よりも文学家よりもいらぬ事をしている人間はいくらでもあるのです。朝から晩まで車を飛ばせて馳(か)け廻っている連中のうちで、文学者や芸術家よりもいらざる事をしている連中がいくらあるか知れません。自分だけが国家有用の材だなどと己惚(うぬぼ)れて急がしげに生存上十人前くらいの権利があるかのごとくふるまってもとうてい駄目(だめ)なのです。彼らの有用とか無用とかいう意味は極めて幼稚な意味で云うのですから駄目であります。怒るなら、怒ってもよろしい、いくら怒っても駄目であります。怒るのは理窟(りくつ)が分らんから怒るのです。怒るよりも頭を下げてその訳でも聞きに来たらよかろうと思います。恐れ入って聞きにくればいつでも教えてやってよろしい。――私なども学校をやめて、縁側(えんがわ)にごろごろ昼寝(ひるね)をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実は羨(うらや)ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝(よいね)も致します。しかし寝ながらにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ばして電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。私はただ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。不幸にしてまだ考えつかないだけである。なかなかもって閑人ではない。諸君も閑人ではない。閑人と思うのは、思う方が閑人である、でなければ愚人である。文芸家は閑が必要かも知れませんが、閑人じゃありません。ひま人と云うのは世の中に貢献する事のできない人を云うのです。いかに生きてしかるべきかの解釈を与えて、平民に生存の意義を教える事のできない人を云うのです。こう云う人は肩で呼吸(いき)をして働いていたって閑人です。文芸家はいくら縁側に昼寝をしていたって閑人じゃない。文芸家のひまとのらくら華族や、ずぼら金持のひまといっしょにされちゃ大変だ。だから芸術家が自分を閑人と考えるようじゃ、自分で自分の天職を抛(なげう)つようなもので、御天道様(おてんとうさま)にすまない事になります。芸術家はどこまでも閑人じゃないときめなくっちゃいけない。いくら縁側に昼寝をしても閑人じゃないときめなくっちゃいけない。しかしこれだけ大胆にひま人じゃないと主張するためには、主張するだけの確信がなければなりません。言葉を換(か)えて云うといかにして活きべきかの問題を解釈して、誰が何と云っても、自分の理想の方が、ずっと高いから、ちっとも動かない、驚かない、何だ人生の意義も理想もわからぬくせに、生意気を云うなと超然と構えるだけに腹ができていなければなりません。これだけにできていなければ、いくら技巧があっても、書いたものに品位がない。ないはずである。こう書いたら笑われるだろう、ああ云ったら叱(しか)られるだろうと、びくびくして筆を執(と)るから、あの男は腹の中がかたまっておらん、理想が生煮(なまにえ)だ、という弱点が書物の上に見え透(す)くように写っている、したがっていかにも意気地(いくじ)がない。いくら技巧があったって、これじゃ人を引きつけることもできん、いわんや感化をやであります。またいわんや還元的感化をやであります。こんな文芸家を称して閑人と云うのであります。正木君の云われた市気匠気と云うのは、かかる閑人の文芸家に着いて廻るのであります。要するに我々に必要なのは理想である。理想は文に存するものでもない、絵に存するものでもない、理想を有している人間に着いているものである。だからして技巧の力を藉(か)りて理想を実現するのは人格の一部を実現するのである。人格にない事を、ただ句を綴(つづ)り章を繋(つな)いで、上滑りのするようにかきこなしたって、閑人に過ぎません。俗にこれを柄(がら)にないと申します。柄にない事は、やっても閑人でやらなくても閑人だから、やらない方が手数が省けるだけ得になります。ただ新しい理想か、深い理想か、広い理想があって、これを世の中に実現しようと思っても、世の中が馬鹿でこれを実現させない時に、技巧は始めてこの人のため至大な用をなすのであります。一般の世が自分が実世界における発展を妨げる時、自分の理想は技巧を通じて文芸上の作物としてあらわるるほかに路がないのであります。そうして百人に一人でも、千人に一人でも、この作物に対して、ある程度以上に意識の連続において一致するならば、一歩進んで全然その作物の奥より閃(ひら)めき出ずる真と善と美と壮に合して、未来の生活上に消えがたき痕跡(こんせき)を残すならば、なお進んで還元的感化の妙境に達し得るならば、文芸家の精神気魄(きはく)は無形の伝染により、社会の大意識に影響するが故に、永久の生命を人類内面の歴史中に得て、ここに自己の使命を完(まっと)うしたるものであります。
――明治四十年四月東京美術学校において述――



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