坊っちゃん
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著者名:夏目漱石 

 会場へはいると、回向院(えこういん)の相撲(すもう)か本門寺(ほんもんじ)の御会式(おえしき)のように幾旒(いくながれ)となく長い旗を所々に植え付けた上に、世界万国の国旗をことごとく借りて来たくらい、縄(なわ)から縄、綱(つな)から綱へ渡(わた)しかけて、大きな空が、いつになく賑(にぎ)やかに見える。東の隅(すみ)に一夜作りの舞台(ぶたい)を設けて、ここでいわゆる高知の何とか踴りをやるんだそうだ。舞台を右へ半町ばかりくると葭簀(よしず)の囲いをして、活花(いけばな)が陳列(ちんれつ)してある。みんなが感心して眺めているが、一向くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げて嬉(うれ)しがるなら、背虫の色男や、跛(びっこ)の亭主(ていしゅ)を持って自慢(じまん)するがよかろう。
 舞台とは反対の方面で、しきりに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳(ていこくばんざい)とかいてある。天主の松の上をふわふわ飛んで営所のなかへ落ちた。次はぽんと音がして、黒い団子が、しょっと秋の空を射抜(いぬ)くように揚(あ)がると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青い烟(けむり)が傘(かさ)の骨のように開いて、だらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上がった。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜いた奴が風に揺られて、温泉(ゆ)の町から、相生村(あいおいむら)の方へ飛んでいった。大方観音様の境内(けいだい)へでも落ちたろう。
 式の時はさほどでもなかったが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚(おど)ろいたぐらいうじゃうじゃしている。利口(りこう)な顔はあまり見当らないが、数から云うとたしかに馬鹿に出来ない。そのうち評判の高知の何とか踴が始まった。踴というから藤間か何ぞのやる踴りかと早合点していたが、これは大間違いであった。
 いかめしい後鉢巻(うしろはちまき)をして、立(た)っ付(つ)け袴(ばかま)を穿(は)いた男が十人ばかりずつ、舞台の上に三列に並(なら)んで、その三十人がことごとく抜き身を携(さ)げているには魂消(たまげ)た。前列と後列の間はわずか一尺五寸ぐらいだろう、左右の間隔(かんかく)はそれより短いとも長くはない。たった一人列を離(はな)れて舞台の端(はし)に立ってるのがあるばかりだ。この仲間外(はず)れの男は袴だけはつけているが、後鉢巻は倹約して、抜身の代りに、胸へ太鼓(たいこ)を懸(か)けている。太鼓は太神楽(だいかぐら)の太鼓と同じ物だ。この男がやがて、いやあ、はああと呑気(のんき)な声を出して、妙な謡(うた)をうたいながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんと叩(たた)く。歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。三河万歳(みかわまんざい)と普陀洛(ふだらく)やの合併(がっぺい)したものと思えば大した間違いにはならない。
 歌はすこぶる悠長(ゆうちょう)なもので、夏分の水飴(みずあめ)のように、だらしがないが、句切りをとるためにぼこぼんを入れるから、のべつのようでも拍子(ひょうし)は取れる。この拍子に応じて三十人の抜き身がぴかぴかと光るのだが、これはまたすこぶる迅速(じんそく)なお手際で、拝見していても冷々(ひやひや)する。隣(とな)りも後ろも一尺五寸以内に生きた人間が居て、その人間がまた切れる抜き身を自分と同じように振(ふ)り舞(ま)わすのだから、よほど調子が揃(そろ)わなければ、同志撃(どうしうち)を始めて怪我(けが)をする事になる。それも動かないで刀だけ前後とか上下とかに振るのなら、まだ危険(あぶなく)もないが、三十人が一度に足踏(あしぶ)みをして横を向く時がある。ぐるりと廻る事がある。膝を曲げる事がある。隣りのものが一秒でも早過ぎるか、遅(おそ)過ぎれば、自分の鼻は落ちるかも知れない。隣りの頭はそがれるかも知れない。抜き身の動くのは自由自在だが、その動く範囲(はんい)は一尺五寸角の柱のうちにかぎられた上に、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。こいつは驚いた、なかなかもって汐酌(しおくみ)や関(せき)の戸(と)の及(およ)ぶところでない。聞いてみると、これははなはだ熟練の入るもので容易な事では、こういう風に調子が合わないそうだ。ことにむずかしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生だそうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰(こし)の曲げ方も、ことごとくこのぼこぼん君の拍子一つで極まるのだそうだ。傍(はた)で見ていると、この大将が一番呑気そうに、いやあ、はああと気楽にうたってるが、その実ははなはだ責任が重くって非常に骨が折れるとは不思議なものだ。
 おれと山嵐が感心のあまりこの踴を余念なく見物していると、半町ばかり、向うの方で急にわっと云う鬨の声がして、今まで穏(おだ)やかに諸所を縦覧していた連中が、にわかに波を打って、右左りに揺(うご)き始める。喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人の袖(そで)を潜(くぐ)り抜(ぬ)けて来た赤シャツの弟が、先生また喧嘩です、中学の方で、今朝(けさ)の意趣返(いしゅがえ)しをするんで、また師範(しはん)の奴と決戦を始めたところです、早く来て下さいと云いながらまた人の波のなかへ潜(もぐ)り込(こ)んでどっかへ行ってしまった。
 山嵐は世話の焼ける小僧だまた始めたのか、いい加減にすればいいのにと逃げる人を避(よ)けながら一散に馳(か)け出した。見ている訳にも行かないから取り鎮(しず)めるつもりだろう。おれは無論の事逃げる気はない。山嵐の踵(かかと)を踏んであとからすぐ現場へ馳けつけた。喧嘩は今が真最中(まっさいちゅう)である。師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割方多い。師範は制服をつけているが、中学は式後大抵(たいてい)は日本服に着換(きが)えているから、敵味方はすぐわかる。しかし入り乱れて組んづ、解(ほご)れつ戦ってるから、どこから、どう手を付けて引き分けていいか分らない。山嵐は困ったなと云う風で、しばらくこの乱雑な有様を眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。巡査(じゅんさ)がくると面倒だ。飛び込んで分けようと、おれの方を見て云うから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈(はげ)しそうな所へ躍(おど)り込(こ)んだ。止(よ)せ止せ。そんな乱暴をすると学校の体面に関わる。よさないかと、出るだけの声を出して敵と味方の分界線らしい所を突(つ)き貫(ぬ)けようとしたが、なかなかそう旨(うま)くは行かない。一二間はいったら、出る事も引く事も出来なくなった。目の前に比較的(ひかくてき)大きな師範生が、十五六の中学生と組み合っている。止せと云ったら、止さないかと師範生の肩(かた)を持って、無理に引き分けようとする途端(とたん)にだれか知らないが、下からおれの足をすくった。おれは不意を打たれて握(にぎ)った、肩を放して、横に倒(たお)れた。堅(かた)い靴(くつ)でおれの背中の上へ乗った奴がある。両手と膝を突いて下から、跳(は)ね起きたら、乗った奴は右の方へころがり落ちた。起き上がって見ると、三間ばかり向うに山嵐の大きな身体が生徒の間に挟(はさ)まりながら、止せ止せ、喧嘩は止せ止せと揉み返されてるのが見えた。おい到底駄目だと云ってみたが聞えないのか返事もしない。
 ひゅうと風を切って飛んで来た石が、いきなりおれの頬骨(ほおぼね)へ中(あた)ったなと思ったら、後ろからも、背中を棒(ぼう)でどやした奴がある。教師の癖(くせ)に出ている、打(ぶ)て打てと云う声がする。教師は二人だ。大きい奴と、小さい奴だ。石を抛(な)げろ。と云う声もする。おれは、なに生意気な事をぬかすな、田舎者の癖にと、いきなり、傍(そば)に居た師範生の頭を張りつけてやった。石がまたひゅうと来る。今度はおれの五分刈(ぶがり)の頭を掠(かす)めて後ろの方へ飛んで行った。山嵐はどうなったか見えない。こうなっちゃ仕方がない。始めは喧嘩をとめにはいったんだが、どやされたり、石をなげられたりして、恐(おそ)れ入って引き下がるうんでれがんがあるものか。おれを誰だと思うんだ。身長(なり)は小さくっても喧嘩の本場で修行を積んだ兄さんだと無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりしていると、やがて巡査だ巡査だ逃げろ逃げろと云う声がした。今まで葛練(くずね)りの中で泳いでるように身動きも出来なかったのが、急に楽になったと思ったら、敵も味方も一度に引上げてしまった。田舎者でも退却(たいきゃく)は巧妙だ。クロパトキンより旨いくらいである。
 山嵐はどうしたかと見ると、紋付(もんつき)の一重羽織(ひとえばおり)をずたずたにして、向うの方で鼻を拭(ふ)いている。鼻柱をなぐられて大分出血したんだそうだ。鼻がふくれ上がって真赤(まっか)になってすこぶる見苦しい。おれは飛白(かすり)の袷(あわせ)を着ていたから泥(どろ)だらけになったけれども、山嵐の羽織ほどな損害はない。しかし頬(ほっ)ぺたがぴりぴりしてたまらない。山嵐は大分血が出ているぜと教えてくれた。
 巡査は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、捕(つら)まったのは、おれと山嵐だけである。おれらは姓名(せいめい)を告げて、一部始終を話したら、ともかくも警察まで来いと云うから、警察へ行って、署長の前で事の顛末(てんまつ)を述べて下宿へ帰った。

     十一

 あくる日眼(め)が覚めてみると、身体中(からだじゅう)痛くてたまらない。久しく喧嘩(けんか)をしつけなかったから、こんなに答えるんだろう。これじゃあんまり自慢(じまん)もできないと床(とこ)の中で考えていると、婆(ばあ)さんが四国新聞を持ってきて枕元(まくらもと)へ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀(たいぎ)なんだが、男がこれしきの事に閉口(へこ)たれて仕様があるものかと無理に腹這(はらば)いになって、寝(ね)ながら、二頁を開けてみると驚(おど)ろいた。昨日の喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚ろかないのだが、中学の教師堀田某(ほったぼう)と、近頃(ちかごろ)東京から赴任(ふにん)した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾(しそう)してこの騒動(そうどう)を喚起(かんき)せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したる上、みだりに師範生に向(むか)って暴行をほしいままにしたりと書いて、次にこんな意見が附記(ふき)してある。本県の中学は昔時(せきじ)より善良温順の気風をもって全国の羨望(せんぼう)するところなりしが、軽薄(けいはく)なる二豎子(じゅし)のために吾校(わがこう)の特権を毀損(きそん)せられて、この不面目を全市に受けたる以上は、吾人(ごじん)は奮然(ふんぜん)として起(た)ってその責任を問わざるを得ず。吾人は信ず、吾人が手を下す前に、当局者は相当の処分をこの無頼漢(ぶらいかん)の上に加えて、彼等(かれら)をして再び教育界に足を入るる余地なからしむる事を。そうして一字ごとにみんな黒点を加えて、お灸(きゅう)を据(す)えたつもりでいる。おれは床の中で、糞(くそ)でも喰(く)らえと云(い)いながら、むっくり飛び起きた。不思議な事に今まで身体の関節(ふしぶし)が非常に痛かったのが、飛び起きると同時に忘れたように軽くなった。
 おれは新聞を丸めて庭へ抛(な)げつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後架(こうか)へ持って行って棄(す)てて来た。新聞なんて無暗(むやみ)な嘘(うそ)を吐(つ)くもんだ。世の中に何が一番法螺(ほら)を吹(ふ)くと云って、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。おれの云ってしかるべき事をみんな向(むこ)うで並(なら)べていやがる。それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某と云う名前の人があるか。考えてみろ。これでもれっきとした姓(せい)もあり名もあるんだ。系図が見たけりゃ、多田満仲(ただのまんじゅう)以来の先祖を一人(ひとり)残らず拝ましてやらあ。――顔を洗ったら、頬(ほっ)ぺたが急に痛くなった。婆さんに鏡をかせと云ったら、けさの新聞をお見たかなもしと聞く。読んで後架へ棄てて来た。欲しけりゃ拾って来いと云ったら、驚(おどろ)いて引き下がった。鏡で顔を見ると昨日(きのう)と同じように傷がついている。これでも大事な顔だ、顔へ傷まで付けられた上へ生意気なる某などと、某呼ばわりをされればたくさんだ。
 今日の新聞に辟易(へきえき)して学校を休んだなどと云われちゃ一生の名折れだから、飯を食っていの一号に出頭した。出てくる奴(やつ)も、出てくる奴もおれの顔を見て笑っている。何がおかしいんだ。貴様達にこしらえてもらった顔じゃあるまいし。そのうち、野だが出て来て、いや昨日はお手柄(てがら)で、――名誉(めいよ)のご負傷でげすか、と送別会の時に撲(なぐ)った返報と心得たのか、いやに冷(ひや)かしたから、余計な事を言わずに絵筆でも舐(な)めていろと云ってやった。するとこりゃ恐入(おそれい)りやした。しかしさぞお痛い事でげしょうと云うから、痛かろうが、痛くなかろうがおれの面だ。貴様の世話になるもんかと怒鳴(どな)りつけてやったら、向(むこ)う側の自席へ着いて、やっぱりおれの顔を見て、隣(とな)りの歴史の教師と何か内所話をして笑っている。
 それから山嵐が出頭した。山嵐の鼻に至っては、紫色(むらさきいろ)に膨張(ぼうちょう)して、掘(ほ)ったら中から膿(うみ)が出そうに見える。自惚(うぬぼれ)のせいか、おれの顔よりよっぽど手ひどく遣(や)られている。おれと山嵐は机を並べて、隣り同志の近しい仲で、お負けにその机が部屋の戸口から真正面にあるんだから運がわるい。妙な顔が二つ塊(かた)まっている。ほかの奴は退屈(たいくつ)にさえなるときっとこっちばかり見る。飛んだ事でと口で云うが、心のうちではこの馬鹿(ばか)がと思ってるに相違(そうい)ない。それでなければああいう風に私語合(ささやきあ)ってはくすくす笑う訳がない。教場へ出ると生徒は拍手をもって迎(むか)えた。先生万歳(ばんざい)と云うものが二三人あった。景気がいいんだか、馬鹿にされてるんだか分からない。おれと山嵐がこんなに注意の焼点(しょうてん)となってるなかに、赤シャツばかりは平常の通り傍(そば)へ来て、どうも飛んだ災難でした。僕は君等に対してお気の毒でなりません。新聞の記事は校長とも相談して、正誤を申し込(こ)む手続きにしておいたから、心配しなくてもいい。僕の弟が堀田君を誘(さそ)いに行ったから、こんな事が起(おこ)ったので、僕は実に申し訳がない。それでこの件についてはあくまで尽力(じんりょく)するつもりだから、どうかあしからず、などと半分謝罪的な言葉を並べている。校長は三時間目に校長室から出てきて、困った事を新聞がかき出しましたね。むずかしくならなければいいがと多少心配そうに見えた。おれには心配なんかない、先で免職(めんしょく)をするなら、免職される前に辞表を出してしまうだけだ。しかし自分がわるくないのにこっちから身を引くのは法螺吹きの新聞屋をますます増長させる訳だから、新聞屋を正誤させて、おれが意地にも務めるのが順当だと考えた。帰りがけに新聞屋に談判に行こうと思ったが、学校から取消(とりけし)の手続きはしたと云うから、やめた。
 おれと山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計(みはから)って、嘘のないところを一応説明した。校長と教頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨(うら)みを抱(いだ)いて、あんな記事をことさらに掲(かか)げたんだろうと論断した。赤シャツはおれ等の行為(こうい)を弁解しながら控所(ひかえじょ)を一人ごとに廻(まわ)ってあるいていた。ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかのごとく吹聴(ふいちょう)していた。みんなは全く新聞屋がわるい、怪(け)しからん、両君は実に災難だと云った。
 帰りがけに山嵐は、君赤シャツは臭(くさ)いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、今日から臭くなったんじゃなかろうと云うと、君まだ気が付かないか、きのうわざわざ、僕等を誘い出して喧嘩のなかへ、捲(ま)き込(こ)んだのは策だぜと教えてくれた。なるほどそこまでは気がつかなかった。山嵐は粗暴(そぼう)なようだが、おれより智慧(ちえ)のある男だと感心した。
「ああやって喧嘩をさせておいて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかかせたんだ。実に奸物(かんぶつ)だ」
「新聞までも赤シャツか。そいつは驚いた。しかし新聞が赤シャツの云う事をそう容易(たやす)く聴(き)くかね」
「聴かなくって。新聞屋に友達が居りゃ訳はないさ」
「友達が居るのかい」
「居なくても訳ないさ。嘘をついて、事実これこれだと話しゃ、すぐ書くさ」
「ひどいもんだな。本当に赤シャツの策なら、僕等はこの事件で免職になるかも知れないね」
「わるくすると、遣(や)られるかも知れない」
「そんなら、おれは明日(あした)辞表を出してすぐ東京へ帰っちまわあ。こんな下等な所に頼(たの)んだって居るのはいやだ」
「君が辞表を出したって、赤シャツは困らない」
「それもそうだな。どうしたら困るだろう」
「あんな奸物の遣る事は、何でも証拠(しょうこ)の挙がらないように、挙がらないようにと工夫するんだから、反駁(はんばく)するのはむずかしいね」
「厄介(やっかい)だな。それじゃ濡衣(ぬれぎぬ)を着るんだね。面白(おもしろ)くもない。天道是耶非(てんどうぜかひ)かだ」
「まあ、もう二三日様子を見ようじゃないか。それでいよいよとなったら、温泉(ゆ)の町で取って抑(おさ)えるより仕方がないだろう」
「喧嘩事件は、喧嘩事件としてか」
「そうさ。こっちはこっちで向うの急所を抑えるのさ」
「それもよかろう。おれは策略は下手(へた)なんだから、万事よろしく頼む。いざとなれば何でもする」
 俺と山嵐はこれで分(わか)れた。赤シャツが果(はた)たして山嵐の推察通りをやったのなら、実にひどい奴だ。到底(とうてい)智慧比べで勝てる奴ではない。どうしても腕力(わんりょく)でなくっちゃ駄目(だめ)だ。なるほど世界に戦争は絶えない訳だ。個人でも、とどの詰(つま)りは腕力だ。
 あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、披(ひら)いてみると、正誤どころか取り消しも見えない。学校へ行って狸(たぬき)に催促(さいそく)すると、あしたぐらい出すでしょうと云う。明日になって六号活字で小さく取消が出た。しかし新聞屋の方で正誤は無論しておらない。また校長に談判すると、あれより手続きのしようはないのだと云う答だ。校長なんて狸のような顔をして、いやにフロック張っているが存外無勢力なものだ。虚偽(きょぎ)の記事を掲げた田舎新聞一つ詫(あや)まらせる事が出来ない。あんまり腹が立ったから、それじゃ私が一人で行って主筆に談判すると云ったら、それはいかん、君が談判すればまた悪口を書かれるばかりだ。つまり新聞屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、つまりどうする事も出来ないものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭(せつゆ)を加えた。新聞がそんな者なら、一日も早く打(ぶ)っ潰(つぶ)してしまった方が、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、泥鼈(すっぽん)に食いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日(こんにち)ただ今狸の説明によって始めて承知仕(つかまつ)った。
 それから三日ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然(ふんぜん)とやって来て、いよいよ時機が来た、おれは例の計画を断行するつもりだと云うから、そうかそれじゃおれもやろうと、即座(そくざ)に一味徒党に加盟した。ところが山嵐が、君はよす方がよかろうと首を傾(かたむ)けた。なぜと聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと云われたかと尋(たず)ねるから、いや云われない。君は? と聴き返すと、今日校長室で、まことに気の毒だけれども、事情やむをえんから処決(しょけつ)してくれと云われたとの事だ。
「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓(はらつづみ)を叩(たた)き過ぎて、胃の位置が顛倒(てんどう)したんだ。君とおれは、いっしょに、祝勝会へ出てさ、いっしょに高知のぴかぴか踴(おど)りを見てさ、いっしょに喧嘩をとめにはいったんじゃないか。辞表を出せというなら公平に両方へ出せと云うがいい。なんで田舎(いなか)の学校はそう理窟(りくつ)が分らないんだろう。焦慮(じれった)いな」
「それが赤シャツの指金(さしがね)だよ。おれと赤シャツとは今までの行懸(ゆきがか)り上到底(とうてい)両立しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思ってるんだ」
「おれだって赤シャツと両立するものか。害にならないと思うなんて生意気だ」
「君はあまり単純過ぎるから、置いたって、どうでも胡魔化(ごまか)されると考えてるのさ」
「なお悪いや。誰(だれ)が両立してやるものか」
「それに先だって古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着(とうちゃく)しないだろう。その上に君と僕を同時に追い出しちゃ、生徒の時間に明きが出来て、授業にさし支(つか)えるからな」
「それじゃおれを間(あい)のくさびに一席伺(うかが)わせる気なんだな。こん畜生(ちくしょう)、だれがその手に乗るものか」
 翌日(あくるひ)おれは学校へ出て校長室へ入って談判を始めた。
「何で私に辞表を出せと云わないんですか」
「へえ?」と狸はあっけに取られている。
「堀田には出せ、私には出さないで好(い)いと云う法がありますか」
「それは学校の方の都合(つごう)で……」
「その都合が間違(まちが)ってまさあ。私が出さなくって済むなら堀田だって、出す必要はないでしょう」
「その辺は説明が出来かねますが――堀田君は去られてもやむをえんのですが、あなたは辞表をお出しになる必要を認めませんから」
 なるほど狸だ、要領を得ない事ばかり並べて、しかも落ち付き払(はら)ってる。おれは仕様がないから
「それじゃ私も辞表を出しましょう。堀田君一人辞職させて、私が安閑(あんかん)として、留まっていられると思っていらっしゃるかも知れないが、私にはそんな不人情な事は出来ません」
「それは困る。堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまるで出来なくなってしまうから……」
「出来なくなっても私の知った事じゃありません」
「君そう我儘(わがまま)を云うものじゃない、少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ困る。それに、来てから一月立つか立たないのに辞職したと云うと、君の将来の履歴(りれき)に関係するから、その辺も少しは考えたらいいでしょう」
「履歴なんか構うもんですか、履歴より義理が大切です」
「そりゃごもっとも――君の云うところは一々ごもっともだが、わたしの云う方も少しは察して下さい。君が是非辞職すると云うなら辞職されてもいいから、代りのあるまでどうかやってもらいたい。とにかく、うちでもう一返考え直してみて下さい」
 考え直すって、直しようのない明々白々たる理由だが、狸が蒼(あお)くなったり、赤くなったりして、可愛想(かわいそう)になったからひとまず考え直す事として引き下がった。赤シャツには口もきかなかった。どうせ遣っつけるなら塊(かた)めて、うんと遣っつける方がいい。
 山嵐に狸と談判した模様を話したら、大方そんな事だろうと思った。辞表の事はいざとなるまでそのままにしておいても差支(さしつか)えあるまいとの話だったから、山嵐の云う通りにした。どうも山嵐の方がおれよりも利巧(りこう)らしいから万事山嵐の忠告に従う事にした。
 山嵐はいよいよ辞表を出して、職員一同に告別の挨拶(あいさつ)をして浜(はま)の港屋まで下(さが)ったが、人に知れないように引き返して、温泉(ゆ)の町の枡屋(ますや)の表二階へ潜(ひそ)んで、障子(しょうじ)へ穴をあけて覗(のぞ)き出した。これを知ってるものはおればかりだろう。赤シャツが忍(しの)んで来ればどうせ夜だ。しかも宵(よい)の口は生徒やその他の目があるから、少なくとも九時過ぎに極(きま)ってる。最初の二晩はおれも十一時頃(ごろ)まで張番(はりばん)をしたが、赤シャツの影(かげ)も見えない。三日目には九時から十時半まで覗いたがやはり駄目だ。駄目を踏(ふ)んで夜なかに下宿へ帰るほど馬鹿気た事はない。四五日(しごんち)すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥(おく)さんのおありるのに、夜遊びはおやめたがええぞなもしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊びが違う。こっちのは天に代って誅戮(ちゅうりく)を加える夜遊びだ。とはいうものの一週間も通って、少しも験(げん)が見えないと、いやになるもんだ。おれは性急(せっかち)な性分だから、熱心になると徹夜(てつや)でもして仕事をするが、その代り何によらず長持ちのした試しがない。いかに天誅党でも飽(あ)きる事に変りはない。六日目には少々いやになって、七日目にはもう休もうかと思った。そこへ行くと山嵐は頑固(がんこ)なものだ。宵(よい)から十二時過(すぎ)までは眼を障子へつけて、角屋の丸ぼやの瓦斯燈(がすとう)の下を睨(にら)めっきりである。おれが行くと今日は何人客があって、泊(とま)りが何人、女が何人といろいろな統計を示すのには驚ろいた。どうも来ないようじゃないかと云うと、うん、たしかに来るはずだがと時々腕組(うでぐみ)をして溜息(ためいき)をつく。可愛想に、もし赤シャツがここへ一度来てくれなければ、山嵐は、生涯(しょうがい)天誅を加える事は出来ないのである。
 八日目には七時頃から下宿を出て、まずゆるりと湯に入って、それから町で鶏卵(けいらん)を八つ買った。これは下宿の婆さんの芋責(いもぜめ)に応ずる策である。その玉子を四つずつ左右の袂(たもと)へ入れて、例の赤手拭(あかてぬぐい)を肩(かた)へ乗せて、懐手(ふところで)をしながら、枡屋(ますや)の楷子段(はしごだん)を登って山嵐の座敷(ざしき)の障子をあけると、おい有望有望と韋駄天(いだてん)のような顔は急に活気を呈(てい)した。昨夜(ゆうべ)までは少し塞(ふさ)ぎの気味で、はたで見ているおれさえ、陰気臭(いんきくさ)いと思ったくらいだが、この顔色を見たら、おれも急にうれしくなって、何も聞かない先から、愉快(ゆかい)愉快と云った。
「今夜七時半頃あの小鈴(こすず)と云う芸者が角屋へはいった」
「赤シャツといっしょか」
「いいや」
「それじゃ駄目だ」
「芸者は二人づれだが、――どうも有望らしい」
「どうして」
「どうしてって、ああ云う狡(ずる)い奴だから、芸者を先へよこして、後から忍んでくるかも知れない」
「そうかも知れない。もう九時だろう」
「今九時十二分ばかりだ」と帯の間からニッケル製の時計を出して見ながら云ったが「おい洋燈(らんぷ)を消せ、障子へ二つ坊主頭が写ってはおかしい。狐(きつね)はすぐ疑ぐるから」
 おれは一貫張(いっかんばり)の机の上にあった置き洋燈(らんぷ)をふっと吹きけした。星明りで障子だけは少々あかるい。月はまだ出ていない。おれと山嵐は一生懸命(いっしょうけんめい)に障子へ面(かお)をつけて、息を凝(こ)らしている。チーンと九時半の柱時計が鳴った。
「おい来るだろうかな。今夜来なければ僕はもう厭(いや)だぜ」
「おれは銭のつづく限りやるんだ」
「銭っていくらあるんだい」
「今日までで八日分五円六十銭払った。いつ飛び出しても都合(つごう)のいいように毎晩勘定(かんじょう)するんだ」
「それは手廻しがいい。宿屋で驚いてるだろう」
「宿屋はいいが、気が放せないから困る」
「その代り昼寝(ひるね)をするだろう」
「昼寝はするが、外出が出来ないんで窮屈(きゅうくつ)でたまらない」
「天誅も骨が折れるな。これで天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして洩(も)らしちまったり、何かしちゃ、つまらないぜ」
「なに今夜はきっとくるよ。――おい見ろ見ろ」と小声になったから、おれは思わずどきりとした。黒い帽子(ぼうし)を戴(いただ)いた男が、角屋の瓦斯燈を下から見上げたまま暗い方へ通り過ぎた。違っている。おやおやと思った。そのうち帳場の時計が遠慮(えんりょ)なく十時を打った。今夜もとうとう駄目らしい。
 世間は大分静かになった。遊廓(ゆうかく)で鳴らす太鼓(たいこ)が手に取るように聞(きこ)える。月が温泉(ゆ)の山の後(うしろ)からのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下(しも)の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突(つ)き留める事は出来ないが、だんだん近づいて来る模様だ。からんからんと駒下駄(こまげた)を引き擦(ず)る音がする。眼を斜(なな)めにするとやっと二人の影法師(かげぼうし)が見えるくらいに近づいた。
「もう大丈夫(だいじょうぶ)ですね。邪魔(じゃま)ものは追っ払ったから」正(まさ)しく野だの声である。「強がるばかりで策がないから、仕様がない」これは赤シャツだ。「あの男もべらんめえに似ていますね。あのべらんめえと来たら、勇み肌(はだ)の坊(ぼ)っちゃんだから愛嬌(あいきょう)がありますよ」「増給がいやだの辞表を出したいのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない」おれは窓をあけて、二階から飛び下りて、思う様打(ぶ)ちのめしてやろうと思ったが、やっとの事で辛防(しんぼう)した。二人はハハハハと笑いながら、瓦斯燈の下を潜(くぐ)って、角屋の中へはいった。
「おい」
「おい」
「来たぜ」
「とうとう来た」
「これでようやく安心した」
「野だの畜生、おれの事を勇み肌の坊っちゃんだと抜(ぬ)かしやがった」
「邪魔物と云うのは、おれの事だぜ。失敬千万な」
 おれと山嵐は二人の帰路を要撃(ようげき)しなければならない。しかし二人はいつ出てくるか見当がつかない。山嵐は下へ行って今夜ことによると夜中に用事があって出るかも知れないから、出られるようにしておいてくれと頼(たの)んで来た。今思うと、よく宿のものが承知したものだ。大抵(たいてい)なら泥棒(どろぼう)と間違えられるところだ。
 赤シャツの来るのを待ち受けたのはつらかったが、出て来るのをじっとして待ってるのはなおつらい。寝る訳には行かないし、始終障子の隙(すき)から睨めているのもつらいし、どうも、こうも心が落ちつかなくって、これほど難儀(なんぎ)な思いをした事はいまだにない。いっその事角屋へ踏み込んで現場を取って抑(おさ)えようと発議(ほつぎ)したが、山嵐は一言にして、おれの申し出を斥(しりぞ)けた。自分共が今時分飛び込んだって、乱暴者だと云って途中(とちゅう)で遮(さえぎ)られる。訳を話して面会を求めれば居ないと逃(に)げるか別室へ案内をする。不用意のところへ踏み込めると仮定したところで何十とある座敷のどこに居るか分るものではない、退屈でも出るのを待つより外に策はないと云うから、ようやくの事でとうとう朝の五時まで我慢(がまん)した。
 角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾(つ)けた。一番汽車はまだないから、二人とも城下まであるかなければならない。温泉(ゆ)の町をはずれると一丁ばかりの杉並木(すぎなみき)があって左右は田圃(たんぼ)になる。それを通りこすとここかしこに藁葺(わらぶき)があって、畠(はたけ)の中を一筋に城下まで通る土手へ出る。町さえはずれれば、どこで追いついても構わないが、なるべくなら、人家のない、杉並木で捕(つら)まえてやろうと、見えがくれについて来た。町を外(はず)れると急に馳(か)け足(あし)の姿勢で、はやてのように後ろから、追いついた。何が来たかと驚ろいて振(ふ)り向く奴を待てと云って肩に手をかけた。野だは狼狽(ろうばい)の気味で逃げ出そうという景色(けしき)だったから、おれが前へ廻って行手を塞(ふさ)いでしまった。
「教頭の職を持ってるものが何で角屋へ行って泊(とま)った」と山嵐はすぐ詰(なじ)りかけた。
「教頭は角屋へ泊って悪(わ)るいという規則がありますか」と赤シャツは依然(いぜん)として鄭寧(ていねい)な言葉を使ってる。顔の色は少々蒼い。
「取締上(とりしまりじょう)不都合だから、蕎麦屋(そばや)や団子屋(だんごや)へさえはいってはいかんと、云うくらい謹直(きんちょく)な人が、なぜ芸者といっしょに宿屋へとまり込んだ」野だは隙を見ては逃げ出そうとするからおれはすぐ前に立ち塞がって「べらんめえの坊っちゃんた何だ」と怒鳴り付けたら、「いえ君の事を云ったんじゃないんです、全くないんです」と鉄面皮に言訳がましい事をぬかした。おれはこの時気がついてみたら、両手で自分の袂を握(にぎ)ってる。追っかける時に袂の中の卵がぶらぶらして困るから、両手で握りながら来たのである。おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、やっと云いながら、野だの面へ擲(たた)きつけた。玉子がぐちゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れだした。野だはよっぽど仰天(ぎょうてん)した者と見えて、わっと言いながら、尻持(しりもち)をついて、助けてくれと云った。おれは食うために玉子は買ったが、打(ぶ)つけるために袂へ入れてる訳ではない。ただ肝癪(かんしゃく)のあまりに、ついぶつけるともなしに打つけてしまったのだ。しかし野だが尻持を突いたところを見て始めて、おれの成功した事に気がついたから、こん畜生(ちくしょう)、こん畜生と云いながら残る六つを無茶苦茶に擲(たた)きつけたら、野だは顔中黄色になった。
 おれが玉子をたたきつけているうち、山嵐と赤シャツはまだ談判最中である。
「芸者をつれて僕が宿屋へ泊ったと云う証拠(しょうこ)がありますか」
「宵に貴様のなじみの芸者が角屋へはいったのを見て云う事だ。胡魔化せるものか」
「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊ったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが、僕の知った事ではない」
「だまれ」と山嵐は拳骨(げんこつ)を食わした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼藉(ろうぜき)である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」
「無法でたくさんだ」とまたぽかりと撲(な)ぐる。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。しまいには二人とも杉の根方にうずくまって動けないのか、眼がちらちらするのか逃げようともしない。
「もうたくさんか、たくさんでなけりゃ、まだ撲(なぐ)ってやる」とぽかんぽかんと両人(ふたり)でなぐったら「もうたくさんだ」と云った。野だに「貴様もたくさんか」と聞いたら「無論たくさんだ」と答えた。
「貴様等は奸物だから、こうやって天誅を加えるんだ。これに懲(こ)りて以来つつしむがいい。いくら言葉巧(たく)みに弁解が立っても正義は許さんぞ」と山嵐が云ったら両人共(ふたりとも)だまっていた。ことによると口をきくのが退儀(たいぎ)なのかも知れない。
「おれは逃げも隠(かく)れもせん。今夜五時までは浜の港屋に居る。用があるなら巡査(じゅんさ)なりなんなり、よこせ」と山嵐が云うから、おれも「おれも逃げも隠れもしないぞ。堀田と同じ所に待ってるから警察へ訴(うった)えたければ、勝手に訴えろ」と云って、二人してすたすたあるき出した。
 おれが下宿へ帰ったのは七時少し前である。部屋へはいるとすぐ荷作りを始めたら、婆さんが驚いて、どうおしるのぞなもしと聞いた。お婆さん、東京へ行って奥さんを連れてくるんだと答えて勘定を済まして、すぐ汽車へ乗って浜へ来て港屋へ着くと、山嵐は二階で寝ていた。おれは早速辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分らないから、私儀(わたくしぎ)都合有之(これあり)辞職の上東京へ帰り申候(もうしそろ)につき左様御承知被下度候(さようごしょうちくだされたくそろ)以上とかいて校長宛(あて)にして郵便で出した。
 汽船は夜六時の出帆(しゅっぱん)である。山嵐もおれも疲れて、ぐうぐう寝込んで眼が覚めたら、午後二時であった。下女に巡査は来ないかと聞いたら参りませんと答えた。「赤シャツも野だも訴えなかったなあ」と二人は大きに笑った。
 その夜おれと山嵐はこの不浄(ふじょう)な地を離(はな)れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく娑婆(しゃば)へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分れたぎり今日まで逢う機会がない。
 清(きよ)の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄(かばん)を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙(なみだ)をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉(うれ)しかったから、もう田舎(いなか)へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
 その後ある人の周旋(しゅうせん)で街鉄(がいてつ)の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関(げんかん)付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎(はいえん)に罹(かか)って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋(う)めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向(こびなた)の養源寺にある。
(明治三十九年四月)



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