坊っちゃん
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著者名:夏目漱石 

     一

 親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
 親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。
 庭を東へ二十歩に行き尽(つく)すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中(まんなか)に栗(くり)の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸(せど)を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋(やましろや)という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎(かんたろう)という十三四の倅(せがれ)が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖(くせ)に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗(ぬす)みにくる。ある日の夕方折戸(おりど)の蔭(かげ)に隠(かく)れて、とうとう勘太郎を捕(つら)まえてやった。その時勘太郎は逃(に)げ路(みち)を失って、一生懸命(いっしょうけんめい)に飛びかかってきた。向(むこ)うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢(はち)の開いた頭を、こっちの胸へ宛(あ)ててぐいぐい押(お)した拍子(ひょうし)に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷(あわせ)の袖(そで)の中にはいった。邪魔(じゃま)になって手が使えぬから、無暗に手を振(ふ)ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡(なび)いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕(うで)へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦(あしがら)をかけて向うへ倒(たお)してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩(くず)して、自分の領分へ真逆様(まっさかさま)に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫(わ)びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。
 この外いたずらは大分やった。大工の兼公(かねこう)と肴屋(さかなや)の角(かく)をつれて、茂作(もさく)の人参畠(にんじんばたけ)をあらした事がある。人参の芽が出揃(でそろ)わぬ処(ところ)へ藁(わら)が一面に敷(し)いてあったから、その上で三人が半日相撲(すもう)をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏(ふ)みつぶされてしまった。古川(ふるかわ)の持っている田圃(たんぼ)の井戸(いど)を埋(う)めて尻(しり)を持ち込まれた事もある。太い孟宗(もうそう)の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧(わ)き出て、そこいらの稲(いね)にみずがかかる仕掛(しかけ)であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒(ぼう)ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿(さ)し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤(まっか)になって怒鳴(どな)り込んで来た。たしか罰金(ばっきん)を出して済んだようである。
 おやじはちっともおれを可愛(かわい)がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓(ひいき)にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居(しばい)の真似(まね)をして女形(おんながた)になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌(ろく)なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役(ちょうえき)に行かないで生きているばかりである。
 母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大いに痛かった。母が大層怒(おこ)って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊(とま)りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人(おとな)しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
 母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮(くら)していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目(だめ)だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙(みょう)なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍(いっぺん)ぐらいの割で喧嘩(けんか)をしていた。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉(うれ)しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いつ)けた。おやじがおれを勘当(かんどう)すると言い出した。
 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清(きよ)という下女が、泣きながらおやじに詫(あや)まって、ようやくおやじの怒(いか)りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖(こわ)いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒(ゆいしょ)のあるものだったそうだが、瓦解(がかい)のときに零落(れいらく)して、つい奉公(ほうこう)までするようになったのだと聞いている。だから婆(ばあ)さんである。この婆さんがどういう因縁(いんえん)か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想(あいそ)をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾(つまはじ)きをする――このおれを無暗に珍重(ちんちょう)してくれた。おれは到底(とうてい)人に好かれる性(たち)でないとあきらめていたから、他人から木の端(はし)のように取り扱(あつか)われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審(ふしん)に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真(ま)っ直(すぐ)でよいご気性だ」と賞(ほ)める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好(い)い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌(きら)いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺(なが)めている。自分の力でおれを製造して誇(ほこ)ってるように見える。少々気味がわるかった。
 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃(よ)せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣(こづか)いで金鍔(きんつば)や紅梅焼(こうばいやき)を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉(そばこ)を仕入れておいて、いつの間にか寝(ね)ている枕元(まくらもと)へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩(なべやきうどん)さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋(くつたび)ももらった。鉛筆(えんぴつ)も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口(がまぐち)へ入れて、懐(ふところ)へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架(こうか)の中へ落(おと)してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜(さが)して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端(いどばた)でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐(ひも)を引き懸(か)けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札(いちえんさつ)を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾(かわ)かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭(くさ)いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換(か)えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化(ごまか)したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子(かし)や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄(すま)したものでお兄様(あにいさま)はお父様(とうさま)が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固(がんこ)だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れていたに違(ちが)いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢(あ)っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見(りょうけん)もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿(ばかばか)しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関(げんかん)のある家をこしらえるに相違(そうい)ないと云った。
 それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所(いっしょ)になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰(く)り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町(こうじまち)ですか麻布(あざぶ)ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並(なら)べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建(にほんだて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概(いちがい)にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想(かわいそう)だ、不仕合(ふしあわせ)だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行(ゆ)かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立(しゅったつ)すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介(やっかい)になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極(きま)っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟(かくご)をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多(がらくた)を二束三文(にそくさんもん)に売った。家屋敷(いえやしき)はある人の周旋(しゅうせん)である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳(くわ)しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町(おがわまち)へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡(わた)るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何(なんに)も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下(くんだ)りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半(よじょうはん)の安下宿に籠(こも)って、それすらもいざとなれば直ちに引き払(はら)わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥(おく)さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥(おい)の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支(さしつか)えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴(な)れた家(うち)の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易(ほうこうが)えをして入らぬ気兼(きがね)を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻(さい)を貰えの、来て世話をするのと云う。親身(しんみ)の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買(しょうばい)をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意(ずいい)に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊(たんばく)な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場(ていしゃば)で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒(めんど)くさくって旨(うま)く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来(しょうらい)どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平(まっぴら)ご免(めん)だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛(かか)ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起(おこ)った失策だ。
 三年間まあ人並(ひとなみ)に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定(かんじょう)する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑(おか)しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎(いなか)へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席(そくせき)に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟(たた)ったのである。
 引き受けた以上は赴任(ふにん)せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居(ちっきょ)して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気(ひかくてきのんき)な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉(かまくら)へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
 家を畳(たた)んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行(ゆ)くたびに、居(お)りさえすれば、何くれと款待(もて)なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢(じまん)を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴(ふいちょう)した事もある。独りで極(き)めて一人(ひとり)で喋舌(しゃべ)るから、こっちは困(こ)まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風(むかしふう)の女だから、自分とおれの関係を封建(ほうけん)時代の主従(しゅじゅう)のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点(がてん)したものらしい。甥こそいい面(つら)の皮だ。
 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋(たず)ねたら、北向きの三畳に風邪(かぜ)を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊(ぼ)っちゃんいつ家(うち)をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子(ようす)で、胡麻塩(ごましお)の鬢(びん)の乱れをしきりに撫(な)でた。あまり気の毒だから「行(ゆ)く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰(なぐさ)めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後(えちご)の笹飴(ささあめ)が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根(はこね)のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中(とちゅう)小間物屋で買って来た歯磨(はみがき)と楊子(ようじ)と手拭(てぬぐい)をズックの革鞄(かばん)に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌(きげん)よう」と小さな声で云った。目に涙(なみだ)が一杯(いっぱい)たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫(だいしょうぶ)だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。

     二

 ぶうと云(い)って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離(はな)れて、漕(こ)ぎ寄せて来た。船頭は真(ま)っ裸(ぱだか)に赤ふんどしをしめている。野蛮(やばん)な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼(め)がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森(おおもり)ぐらいな漁村だ。人を馬鹿(ばか)にしていらあ、こんな所に我慢(がまん)が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢(いせい)よく一番に飛び込んだ。続(つ)づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱(はこ)を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻(もど)して来た。陸(おか)へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯(いそ)に立っていた鼻たれ小僧(こぞう)をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎(いなか)ものだ。猫(ねこ)の額ほどな町内の癖(くせ)に、中学校のありかも知らぬ奴(やつ)があるものか。ところへ妙(みょう)な筒(つつ)っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾(つ)いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃(そろ)えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄(かばん)を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
 停車場はすぐ知れた。切符(きっぷ)も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭(やと)って、中学校へ来たら、もう放課後で誰(だれ)も居ない。宿直はちょっと用達(ようたし)に出たと小使(こづかい)が教えた。随分(ずいぶん)気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋(たず)ねようかと思ったが、草臥(くたび)れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋(やましろや)と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎(かんたろう)の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段(はしごだん)の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞(ふさ)がっておりますからと云いながら革鞄を抛(ほう)り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗(あせ)をかいて我慢(がまん)していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗(のぞ)いてみると涼(すず)しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘(うそ)をつきゃあがった。それから下女が膳(ぜん)を持って来た。部屋は熱(あ)つかったが、飯は下宿のよりも大分旨(うま)かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当(あた)り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞(きこ)えた。くだらないから、すぐ寝(ね)たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々(そうぞう)しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清(きよ)の夢(ゆめ)を見た。清が越後(えちご)の笹飴(ささあめ)を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云(い)って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突(つ)き抜(ぬ)けたような天気だ。
 道中(どうちゅう)をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末(そまつ)に取り扱われると聞いていた。こんな、狭(せま)くて暗い部屋へ押(お)し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装(なり)をして、ズックの革鞄と毛繻子(けじゅす)の蝙蝠傘(こうもり)を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括(みくび)ったな。一番茶代をやって驚(おどろ)かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐(ふところ)に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰(もら)うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚(おど)ろいて眼を廻(まわ)すに極(きま)っている。どうするか見ろと済(すま)して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆(ぼん)を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面(つら)よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪(しゃく)に障(さわ)ったから、中途(ちゅうと)で五円札(さつ)を一枚(まい)出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸(でか)けた。靴(くつ)は磨(みが)いてなかった。
 学校は昨日(きのう)車で乗りつけたから、大概(たいがい)の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関(げんかん)までは御影石(みかげいし)で敷(し)きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗(むやみ)に仰山(ぎょうさん)な音がするので少し弱った。途中から小倉(こくら)の制服を着た生徒にたくさん逢(あ)ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪(わ)るくなった。名刺(めいし)を出したら校長室へ通した。校長は薄髯(うすひげ)のある、色の黒い、目の大きな狸(たぬき)のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭(うやうや)しく大きな印の捺(おさ)った、辞令を渡(わた)した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込(こ)んでしまった。校長は今に職員に紹介(しょうかい)してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒(めんどう)な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
 教員が控所(ひかえじょ)へ揃(そろ)うには一時間目の喇叭(らっぱ)が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々(おいおい)ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑(の)み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲(むてっぽう)なものをつらまえて、生徒の模範(もはん)になれの、一校の師表(しひょう)と仰(あお)がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及(およ)ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々(はるばる)こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩(けんか)の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇(やと)う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘(うそ)をつくのが嫌(きら)いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断(こと)わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布(さいふ)の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜(お)しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底(とうてい)あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇(おどさ)さなければいいのに。
 そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並(なら)べてみんな腰(こし)をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人(ひとりびとり)の前へ行って辞令を出して挨拶(あいさつ)をした。大概(たいがい)は椅子(いす)を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭(うやうや)しく返却(へんきゃく)した。まるで宮芝居の真似(まね)だ。十五人目に体操(たいそう)の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向(むこ)うは一度で済む。こっちは同じ所作(しょさ)を十五返繰り返している。少しはひとの了見(りょうけん)も察してみるがいい。
 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙(みょう)に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣(しゃつ)を着ている。いくらか薄(うす)い地には相違(そうい)なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装(なり)をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿(ばか)にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体(からだ)に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂(あつ)らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴(はかま)も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀(こが)とか云う大変顔色の悪(わ)るい男が居た。大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔(むかし)小学校へ行く時分、浅井(あさい)の民(たみ)さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓(ひゃくしょう)だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子(とうなす)ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬(むく)いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違(ちが)いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田(ほった)というのが居た。これは逞(たくま)しい毬栗坊主(いがぐりぼうず)で、叡山(えいざん)の悪僧(あくそう)と云うべき面構(つらがまえ)である。人が叮寧(ていねい)に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給(きたま)えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀(れいぎ)を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐(やまあらし)という渾名(あだな)をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅(かた)いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精(れいせい)で、――とのべつに弁じたのは愛嬌(あいきょう)のあるお爺(じい)さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾(すきや)の羽織を着て、扇子(せんす)をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉(うれ)しい、お仲間が出来て……私(わたし)もこれで江戸(えど)っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日(あさって)から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々(いまいま)しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿(とま)ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨(はくぼく)を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布(あざぶ)の聯隊(れんたい)より立派でない。大通りも見た。神楽坂(かぐらざか)を半分に狭くしたぐらいな道幅(みちはば)で町並(まちなみ)はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張(いば)ってる人間は可哀想(かわいそう)なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵(たいてい)は見尽(みつく)したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐(すわ)っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴(くつ)を脱(ぬ)いで上がると、お座敷(ざしき)があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳(じょう)の表二階で大きな床(とこ)の間(ま)がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣(ゆかた)一枚になって座敷の真中(まんなか)へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
 昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌(だいきら)いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発(ふんぱつ)して長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気(ねむけ)がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽(ろうばい)した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚(おろか)、明日(あした)から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕(ぼく)がいい下宿を周旋(しゅうせん)してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料(しゅくりょう)に払(はら)っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発(ふんぱつ)してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越(こ)して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼(たの)む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑静(かんせい)だ。主人は骨董(こっとう)を売買するいか銀と云う男で、女房(にょうぼう)は亭主(ていしゅ)よりも四つばかり年嵩(としかさ)の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町(とおりちょう)で氷水を一杯奢(ぱいおご)った。学校で逢った時はやに横風(おうふう)な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持(かんしゃくもち)らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。

     三

 いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々図抜(ずぬ)けた大きな声で先生と云(い)う。先生には応(こた)えた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥(うんでい)の差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯(ひきょう)な人間ではない。臆病(おくびょう)な男でもないが、惜(お)しい事に胆力(たんりょく)が欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲(どん)を聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。しかし別段困った質問も掛(か)けられずに済んだ。控所(ひかえじょ)へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
 二時間目に白墨(はくぼく)を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込(こ)むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴(やつ)ばかりである。おれは江戸(えど)っ子で華奢(きゃしゃ)に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押(お)しが利かない。喧嘩(けんか)なら相撲取(すもうとり)とでもやってみせるが、こんな大僧(おおぞう)を四十人も前へ並(なら)べて、ただ一枚(まい)の舌をたたいて恐縮(きょうしゅく)させる手際はない。しかしこんな田舎者(いなかもの)に弱身を見せると癖(くせ)になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟(けむ)に捲(ま)かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中(まんなか)に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣(や)って、おくれんかな、もし」と云った。おくれんかな、もしは生温(なまぬ)るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君等(きみら)の言葉は使えない、分(わか)らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、と出来そうもない幾何(きか)の問題を持って逼(せま)ったには冷汗(ひやあせ)を流した。仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚(あ)げたら、生徒がわあと囃(はや)した。その中に出来ん出来んと云う声が聞(きこ)える。箆棒(べらぼう)め、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。山嵐は妙(みょう)な顔をしていた。
 三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつ然(ねん)として待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除(そうじ)して報知(しらせ)にくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿(しゅっせきぼ)を一応調べてようやくお暇(ひま)が出る。いくら月給で買われた身体(からだ)だって、あいた時間まで学校へ縛(しば)りつけて机と睨(にら)めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人(おとな)しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを捏(こ)ねるのもよろしくないと思って我慢(がまん)していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時過(すぎ)まで学校にいさせるのは愚(おろか)だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目(まじめ)になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕(ぼく)だけに話せ、随分(ずいぶん)妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたから詳(くわ)しい事は聞くひまがなかった。
 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主(ていしゅ)がお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走(ちそう)をするのかと思うと、おれの茶を遠慮(えんりょ)なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中(るすちゅう)も勝手にお茶を入れましょうを一人(ひとり)で履行(りこう)しているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董(しょがこっとう)がすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘(かんゆう)をやる。二年前ある人の使(つかい)に帝国(ていこく)ホテルへ行った時は錠前(じょうまえ)直しと間違(まちが)えられた事がある。ケットを被(かぶ)って、鎌倉(かまくら)の大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日(こんにち)まで見損(みそくな)われた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵(たいてい)はなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、画(え)を見ても、頭巾(ずきん)を被(かぶ)るか短冊(たんざく)を持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者(くせもの)じゃない。おれはそんな呑気(のんき)な隠居(いんきょ)のやるような事は嫌(きら)いだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付(てつき)をして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれと頼(たの)んでおいたのだが、こんな苦い濃(こ)い茶はいやだ。一杯(ぱい)飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗(むやみ)に飲む奴(やつ)だ。主人が引き下がってから、明日の下読(したよみ)をしてすぐ寝(ね)てしまった。
 それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概(たいがい)は分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、悪(わ)るいだろうか非常に気に掛(か)かるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗(きれい)に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響(えいきょう)を与(あた)えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈(てい)するかまるで無頓着(むとんじゃく)であった。おれは前に云う通りあまり度胸の据(すわ)った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行(ゆ)く覚悟(かくご)でいたから、狸(たぬき)も赤シャツも、ちっとも恐(おそろ)しくはなかった。まして教場の小僧(こぞう)共なんかには愛嬌(あいきょう)もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十(とお)ばかり並(なら)べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡(いなかまわ)りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山(かざん)とか何とか云う男の花鳥の掛物(かけもの)をもって来た。自分で床(とこ)の間(ま)へかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減(いいかげん)に挨拶(あいさつ)をすると、華山には二人(ふたり)ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅(ふく)はその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促(さいそく)をする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固(がんこ)だ。金があつても買わないんだと、その時は追っ払(ぱら)っちまった。その次には鬼瓦(おにがわら)ぐらいな大硯(おおすずり)を担ぎ込んだ。これは端渓(たんけい)です、端渓ですと二遍(へん)も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼(がん)をご覧なさい。眼が三つあるのは珍(めず)らしい。溌墨(はつぼく)の具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突(つ)きつける。いくらだと聞くと、持主が支那(しな)から持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿(ばか)に相違(そうい)ない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責(こっとうぜめ)に逢(あ)ってはとても長く続きそうにない。
 そのうち学校もいやになった。  ある日の晩大町(おおまち)と云う所を散歩していたら郵便局の隣(とな)りに蕎麦(そば)とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京に居(お)った時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香(にお)いをかぐと、どうしても暖簾(のれん)がくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京と断(こと)わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法(めっぽう)きたない。畳(たたみ)は色が変ってお負けに砂でざらざらしている。壁(かべ)は煤(すす)で真黒(まっくろ)だ。天井(てんじょう)はランプの油烟(ゆえん)で燻(くす)ぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日(にさんち)前から開業したに違(ちが)いなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅(てんぷら)とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅(すみ)の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中(れんじゅう)が、ひとしくおれの方を見た。部屋(へや)が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶(あいさつ)をしたから、おれも挨拶をした。その晩は久(ひさ)し振(ぶり)に蕎麦を食ったので、旨(うま)かったから天麩羅を四杯平(たいら)げた。
 翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑(おか)しいかと聞いた。すると生徒の一人(ひとり)が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但(ただ)し笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪(しゃく)に障(さわ)った。冗談(じょうだん)も度を過ごせばいたずらだ。焼餅(やきもち)の黒焦(くろこげ)のようなもので誰(だれ)も賞(ほ)め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押(お)して行っても構わないと云う了見(りょうけん)だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭(せま)い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露(にちろ)戦争のように触(ふ)れちらかすんだろう。憐(あわ)れな奴等(やつら)だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢(うえきばち)の楓(かえで)みたような小人(しょうじん)が出来るんだ。無邪気(むじゃき)ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の癖(くせ)に乙(おつ)に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑怯(ひきょう)な冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて怒(おこ)るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。
 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪(かんしゃく)に障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田(すみた)と云う所へ行って団子(だんご)を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓(ゆうかく)がある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰(だれ)も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿(さら)七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払(はら)った。どうも厄介(やっかい)な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭(あかてぬぐい)と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及(およ)ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛(でかけ)る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染(そま)った上へ、赤い縞(しま)が流れ出したのでちょっと見ると紅色(べにいろ)に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣(ゆかた)をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目(てんもく)へ茶を載(の)せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢(ぜいたく)だと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺(ゆつぼ)は花崗石(みかげいし)を畳(たた)み上げて、十五畳敷(じょうじき)ぐらいの広さに仕切ってある。大抵(たいてい)は十三四人漬(つか)ってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快(ゆかい)だ。おれは人の居ないのを見済(みすま)しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡(まわ)って喜んでいた。ところがある日三階から威勢(いせい)よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗(のぞ)いてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼(は)りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札(はりふだ)はおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚(おど)ろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵(たんてい)しているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。

     四

 学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。但(ただ)し狸(たぬき)と赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務を免(まぬ)かれるのかと聞いてみたら、奏任待遇(そうにんたいぐう)だからと云う。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直を逃(の)がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それが当(あた)り前(まえ)だというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐(やまあらし)の説によると、いくら一人(ひとり)で不平を並(なら)べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人(ふたり)だって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭(せつゆ)を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。強者の権利ぐらいなら昔(むかし)から知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、誰(だれ)が承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番に廻(まわ)って来た。一体疳性(かんしょう)だから夜具蒲団(やぐふとん)などは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへ泊(とま)った事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえ厭(いや)なら学校の宿直はなおさら厭だ。厭だけれども、これが四十円のうちへ籠(こも)っているなら仕方がない。我慢(がまん)して勤めてやろう。
 教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随分(ずいぶん)間が抜(ぬ)けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。田舎(いなか)だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒の賄(まかない)を取りよせて晩飯を済ましたが、まずいには恐(おそ)れ入(い)った。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪傑(ごうけつ)に違(ちが)いない。飯は食ったが、まだ日が暮(く)れないから寝(ね)る訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいい事だか、悪(わ)るい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮(じゅうきんこ)同様な憂目(うきめ)に逢(あ)うのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達(ようたし)に出たと小使(こづかい)が答えたのを妙(みょう)だと思ったが、自分に番が廻(まわ)ってみると思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛(でか)けた。赤手拭(あかてぬぐい)は宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。
 それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方(ひぐれがた)になったから、汽車へ乗って古町(こまち)の停車場(ていしゃば)まで来て下りた。学校まではこれから四丁だ。訳はないとあるき出すと、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、擦(す)れ違(ちが)った時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶(あいさつ)をした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえと真面目(まじめ)くさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した。
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