点頭録
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著者名:夏目漱石 

       一

 また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の間(ま)に斯(か)う年齢(とし)を取つたものか不思議な位である。
 此(この)感じをもう少し強めると、過去は夢としてさへ存在しなくなる。全くの無になつてしまふ。実際近頃の私(わたくし)は時々たゞの無として自分の過去を観(くわん)ずる事がしば/\ある。いつぞや上野へ展覧会を見に行つた時、公園の森の下を歩きながら、自分は或(ある)目的をもつて先刻(さつき)から足を運ばせてゐるにも拘(かゝ)はらず、未(いま)だ曾(かつ)て一寸(すん)も動いてゐないのだと考へたりした。是(これ)は耄碌(もうろく)の結果ではない。宅(うち)を出て、電車に乗つて、山下で降りて、それから靴で大地の上をしかと踏んだといふ記憶を慥(たし)かに有(も)つた上の感じなのである。自分は其時(そのとき)終日行(ゆ)いて未(いま)だ曾(かつ)て行(ゆ)かずといふ句が何処(どこ)かにあるやうな気がした。さうして其(その)句の意味は斯(か)ういふ心持を表現したものではなからうかとさへ思つた。
 これをもつと六(む)づかしい哲学的な言葉で云(い)ふと、畢竟(ひつきやう)ずるに過去は一の仮象(かしやう)に過ぎないといふ事にもなる。金剛経にある過去心(しん)は不可得(ふかとく)なりといふ意義にも通ずるかも知れない。さうして当来(たうらい)の念々(ねん/\)は悉(こと/″\)く刹那(せつな)の現在からすぐ過去に流れ込むものであるから、又瞬刻の現在から何等の段落なしに未来を生み出すものであるから、過去に就(つい)て云ひ得(う)べき事は現在に就ても言ひ得(う)べき道理であり、また未来に就(つ)いても下し得(う)べき理窟であるとすると、一生は終(つひ)に夢よりも不確実なものになつてしまはなければならない。
 斯(か)ういふ見地から我(われ)といふものを解釈したら、いくら正月が来ても、自分は決して年齢(とし)を取る筈(はず)がないのである。年齢(とし)を取るやうに見えるのは、全く暦と鏡の仕業(しわざ)で、其(その)暦も鏡も実は無に等しいのである。
 驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地を蔽(おほ)ひ尽して儼存(げんそん)してゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至る迄(まで)此(この)「我(われ)」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越(くりこ)してゐるといふ動かしがたい真境(しんきやう)である。だから其処(そこ)に眼を付けて自分の後(うしろ)を振り返ると、過去は夢所(どころ)ではない。炳乎(へいこ)として明らかに刻下(こくか)の我を照(てら)しつゝある探照燈のやうなものである。従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間並(なみ)に年齢(とし)を取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。
 生活に対する此(この)二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象に就(つ)いて、自分は今何も説明する積(つもり)はない。又解剖する手腕も有(も)たない。たゞ年頭に際して、自分は此(この)一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任(まか)せる覚悟をした迄である。
 若(も)し無に即して云(い)へば、自分は今度の春を迎へる必要も何もない。否(いな)明治の始めから生れないのと同じやうなものである。然(しか)し有(う)になづんで云へば、多病な身体(からだ)が又一年生(い)き延びるにつれて、自分の為(な)すべき事はそれ丈(だけ)量に於(おい)て増すのみならず、質に於(おい)ても幾分(いくぶん)か改良されないとも限らない。従つて天が自分に又一年の寿命を借(か)して呉(く)れた事は、平常から時間の欠乏を感じてゐる自分に取つては、何(ど)の位の幸福になるか分らない。自分は出来る丈(だけ)余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けてゐる。
 趙州(でうしう)和尚といふ有名な唐の坊さんは、趙州古仏晩年発心(ほつしん)と人に云(い)はれた丈(だけ)あつて、六十一になつてから初めて道に志(こゝろざ)した奇特(きどく)な心懸の人である。七歳の童児なりとも、我に勝(まさ)るものには我れ即(すなは)ち彼に問はん、百歳の老翁(らうをう)なりとも我に及ばざる者には我れ即ち侘(た)を教へんと云つて、南泉(なんせん)といふ禅坊さんの所へ行つて二十年間倦(う)まずに修業を継続したのだから、卒業した時にはもう八十になつてしまつたのである。夫(それ)から趙州の観音院に移つて、始めて人を得度(とくど)し出した。さうして百二十の高齢に至る迄化導(けだう)を専(もつぱ)らにした。
 寿命は自分の極めるものでないから、固(もと)より予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の初発心(しよほつしん)の時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十迄(まで)生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。それで私は天寿の許す限り趙州の顰(ひそみ)にならつて奮励する心組(こゝろくみ)でゐる。古仏と云(い)はれた人の真似(まね)も長命も、無論自分の分(ぶん)でないかも知れないけれども、羸弱(るゐじやく)なら羸弱(るゐじやく)なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於(おい)ての感謝の意を致して、自己の天分の有(あ)り丈(たけ)を尽さうと思ふのである。
 自分は点頭録(てんとうろく)の最初に是丈(これだけ)の事を云つて置かないと気が済まなくなつた。

       二 軍国主義(一)

 今度の欧洲(おうしう)戦争が爆発した当時、自分は或人(あるひと)から突然質問を掛けられた。
「何(ど)んな影響が出て来るでせう」
「左様(さやう)」
 自分は実際考へる暇(ひま)を有(も)たなかつた。けれども答へなければならなかつた。
「何(ど)んな影響が出て来るか、来て見なければ無論解りませんけれども、何しろ吾々が是(これ)はと驚ろくやうな目覚(めざ)ましい結果は予期しにくいやうに思ひます。元来事(こと)の起りが宗教にも道義にも乃至(ないし)一般人類に共通な深い根柢を有した思想なり感情なり欲求なりに動かされたものでない以上、何方(どつち)が勝つた所で、善が栄えるといふ訳(わけ)でもなし、又何方(どつち)が負けたにした所で、真(しん)が勢(いきほひ)を失ふといふ事にもならず、美が輝(かゞやき)を減ずるといふ羽目(はめ)にも陥る危険はないぢやありませんか」
 自分はさう云(い)ひ切つて仕舞(しま)つた。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が凄(すさま)じい位(くらゐ)猛烈な割に、案外落付いてゐられるのは、全く此(この)見解が知らず/\胸の裡(うち)にあるからだらうと、私(ひそ)かに自分で自分を判断した。
 実際此(この)戦争から人間の信仰に革命を引き起すやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが為(ため)に美醜(びしう)の標準に狂(くる)ひが出やうとは猶更(なほさら)懸念できない。何(ど)の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂(いはゆる)文明なるものゝ本流に、強い角度の方向転換が行はれる虞(おそれ)はないのである。
 戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵斯(こ)んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其(その)仕懸(しかけ)の空前に大袈裟(おほげさ)な丈(だけ)に、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として却(かへつ)て思ひ出させる丈(だけ)である。自分は常にあの弾丸とあの硝薬(せうやく)とあの毒瓦斯(ガス)とそれからあの肉団(にくだん)と鮮血とが、我々人類の未来の運命に、何(ど)の位の貢献をしてゐるのだらうかと考へる。さうして或(あ)る時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿々々しくなる。最後に折々(をり/\)は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。左様(さう)した立場から眺めると、如何(いか)に凄(すさま)じい光景でも、如何に腥(なま)ぐさい舞台でも、それに相応した内面的背景を具(そな)へて居ないといふ点に於(おい)て、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの軽浮(けいふ)なセンセーシヨナル小説だのと択(えら)ぶ所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々個々の頭上には、千差万別の悲劇が錯綜紛糾(さくそうふんきう)して、時々刻々に彼等の運命を変化しつゝあらうとも、それは当座限りの影響に過(すぎ)ない。永久に吾人(ごじん)一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は何処(どこ)からも生れて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの空々(そら/″\)しい事実なのである。(つゞく)

       三 軍国主義(二)

 然(しか)しもう少し低い見地に立つて、もつと手近な所を眺めると、此(この)戦争の当然将来に齎(もたら)すべき結果は、いくらでも吾々の視線の中(うち)に這入(はひ)つて来なければならない。政治上にせよ、経済上にせよ、向後(かうご)解決されべき諸問題は何(ど)の位(くらゐ)彼等の前に横(よこた)はつてゐるか分らないと云(い)つても好(い)い位である。
 其中(そのうち)で事件の当初から最も自分の興味を惹(ひ)いたもの、又現に惹きつゝあるものは、軍国主義の未来といふ問題に外ならなかつた。人道の為の争ひとも、信仰の為の闘ひとも、又意義ある文明の為の衝突とも見做(みな)す事の出来ない此(この)砲火の響を、自分はたゞ軍国主義の発現として考へるより外に翻訳の仕様がなかつたからである。欧洲大乱といふ複雑極まる混乱した現象を、斯(か)う鷲攫(わしづかみ)に纏めて観察した時、自分は始めて此(この)戦争に或(ある)意味を附着する事が出来た。さうして重(おも)に其(その)意味からばかり勝敗の成行(なりゆき)を眺めるやうになつた。従つて個人としての同情や反感を度外に置くと、独逸(ドイツ)だの仏蘭西(フランス)だの英吉利(イギリス)だのといふ国名は、自分に取つてもう重要な言葉でも何でもなくなつて仕舞(しま)つた。自分は軍国主義を標榜(へうばう)する独逸が、何(ど)の位の程度に於(おい)て聯合国を打ち破り得るか、又何(ど)れ程(ほど)根強くそれらに抵抗し得るかを興味に充(み)ちた眼で見詰めるよりは、遥(はるか)により鋭い神経を働かせつつ、独逸に因(よ)つて代表された軍国主義が、多年英仏(えいふつ)に於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうかを観望してゐるのである。国土や領域や羅甸(ラテン)民族やチユトン人種や凡(すべ)て具象的な事項は、今の自分に左(さ)した問題になつてゐない。
 独逸は当初の予期に反して頗(すこぶ)る強い。聯合軍に対して是程(これほど)持ち応(こた)へやうとは誰しも思つてゐなかつた位に強い。すると勝負の上に於(おい)て、所謂(いはゆる)軍国主義なるものゝ価値は、もう大分(だいぶ)世界各国に認められたと云(い)はなければならない。さうして向後(かうご)独逸が成功を収めれば収める程、此(この)価値は漸々(ぜん/\)高まる丈である。英吉利のやうに個人の自由を重んずる国が、強制徴兵案を議会に提出するのみならず、それが百五対四百三の大多数を以て第一読会(どくくわい)を通過したのを見ても、其(その)消息はよく窺(うかゞ)はれるだらう。
 かつてギッシングの書いたものを読んだら、小さいうち学校で体操を強ひられるのが、非常の苦痛と不快を彼に与へたといふ事が精(くは)しく述べてあつた末に、もしわが英国で本人の意思に逆つて迄も徴兵を強制するやうになつたと仮定したら、自分は何(ど)んな心持になるだらう、さういふ事実は万々起る筈(はず)はないのだけれども、たゞ想像して見てさへ堪(た)へられないと附け加へてあつた。ギッシングのやうに独居(どくきよ)を好む人は特別だと云(い)ふかも知れないが、英国人の自由を愛する念と云つたら、殆(ほとん)ど第二の天性として一般に行き渡つてゐるのだから、強制徴兵に対する嫌悪の情は、誰しもギッシングに譲らないと見ても間違はないのである。其(その)英国で無理にも国民を兵籍に入れやうとするのには至大(しだい)の困難があると思はなければならない。其困難を冒(をか)して新しい議案が持ち出され、又其議案が過半の多数に因(よ)つて通過されたとすると、現に非常な変化が英国民の頭の中(うち)に起りつつある証拠になる。さうして此(この)変化は既に独逸が真向(まつかう)に振り翳(かざ)してゐる軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない。戦争がまだ片付かないうちに、英国は精神的にもう独逸に負けたと評しても好い位のものである。(つゞく)

       四 軍国主義(三)

 開戦の劈頭(へきとう)から首都巴里(パリー)を脅(おびや)かされやうとした仏蘭西(フランス)人の脳裏には英国民よりも遥(はるか)に深く此(この)軍国主義の影響が刻み付けられたに違ない。たゞでさへ何(ど)うして独逸(ドイツ)に復讐してやらうかと考へ続けに考へて来た彼等が、愈(いよ/\)となると、却(かへつ)て其(その)独逸の為に領土の一部分を蹂躪(じうりん)されるばかりか、政庁さへ遠い所へ移さなければならなくなつたのは、彼等に取つて甚(はなは)だ痛ましい事実である。其(その)事実を眼前に見た彼等の精神に、一種の強い感銘が起るのも亦(また)必然の結果と云(い)はなければなるまい。飛行船から投下された爆弾以外に、まだ寸土(すんど)も敵兵に踏まれてゐない英国に比較すると、此(この)精神的打撃は更(さら)に幾倍(いくばい)の深刻さを加へてゐると見るのが正(まさ)に妥当の見解である。
 不幸にして強制徴兵案の様に自分の想像を事実の上で直接確(たしか)めて呉(く)れる程の鮮やかな現象が、仏蘭西(フランス)ではまだ起つてゐないから、自分は自分の臆説(おくせつ)をさう手際(てぎは)よく実際に証明する訳(わけ)に行かない。けれども戦争の経過につれて、彼等の公表する思想なり言説なりに現れて来る変化を迹付(あとづ)ければ、自分の考への大して正鵠(せいこう)を失つてゐない事丈(だけ)は略(ほゞ)慥(たしか)なやうに思はれる。此間(このあひだ)或(ある)雑誌で「力」といふ観念に就(つい)て独仏両者を比較したパラントといふ人の文章を読んだ時、自分は益(ます/\)其感を深くした。
 彼は「力」といふ考への中(うち)に、独逸(ドイツ)人の混入した不純な概念を列挙した末、仏蘭西(フランス)のそれも矢張(やは)り変に歪(ゆが)んでしまつたといふ事を下(しも)の様に説いてゐる。
「仏蘭西では科学的に所謂(いはゆる)「力」といふものが正義権利の観念と衝突した。ルーテル式独逸式ではないが、ルソー式、トルストイ式、四海同胞(かいどうはう)式、平和式、平等式、人道式なる此(この)観念のために本来の「力」といふ考へがつい曲げられて不徳不仁(ふとくふじん)の属性を帯びるやうになつてしまつた。そこで正義と人道と平和の為に此(この)「力」といふものを軽蔑し且(かつ)否定しなければならなくなつた。さうして美と正義を一致させ、美と調和を一致させる美学を建設した。奮闘も差別も自然の法則であるといふ事を忘れた。美其物(そのもの)も一種の「力」であり、又「力」の発現であるといふ事を忘れた。正義其物(そのもの)も本来の意味から云へば平衡を得た「力」に過ぎないといふ事を忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は却(かへつ)て転来(てんらい)的であるといふ事も忘れた。斯(こ)んな僻見(へきけん)に比べるとニーチエの方が何(ど)の位尤(もつと)もであつたか分らない。……そこで吾々は何(ど)うしても「力」といふ観念をこゝで一新する必要がある。さうして本当の意味でもう一度それを評価の階段中に入れ易(か)へなければならない。自然の法則を現すといふ点に於(おい)て「力」は科学的なものである。勝利を冀(こひねが)ふ人間の精神を現すといふ点に於て「力」は高尚なものである。吾々はもう権利と「力」とを対立させる事を已(や)めなければ行(い)けない。権利がなくつて負けるのはまだしもだが、権利がある上に負けるのは二重の敗北である。最大の損害である。無上の不幸である」
 冗漫と難渋とを恐れて、わざと大意丈(だけ)を抄訳した此(この)一節を読んで見ても、相手の軍国主義が何(ど)んな風に仏蘭西の思想界の一部に食ひ入りつゝあるかが解るだらう。(つゞく)

       五 軍国主義(四)

 すると戦争のまだ落着しないうちから、年来独逸(ドイツ)によつて標榜(へうばう)された軍国的精神なるものは既に敵国を動かし始めたのである。遠い東の果(はて)に住んでゐる吾々の視聴を刺戟する位(くらゐ)強く彼等の心を動かし始めたのである。さうして此(この)影響はたとひ今度の戦争が片付いても、容易に彼等の脳裏から拭(ぬぐ)ひ去る事が出来ないのである。単に過去の経験を痛切に記憶すべく余儀なくされた結果として拭ひ去る事が出来ないばかりでなく、未来に対する配慮からしても到底此(この)影響を超越する訳(わけ)には行かないのである。
 待対(たいたい)世界の凡(すべ)てのものが悉(こと/″\)く条件つきで其(その)存在を許されてゐる以上、向後(かうご)に回復されべき欧洲の平和にも、亦(また)絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。然(しか)し彼等が其(その)平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強(し)ひられるに至つては、彼等と雖(いへど)も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂(いはゆる)列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上至極(しごく)平和さうに見える。今迄彼等の享有(きやういう)した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後(かうご)当分の間(あひだ)忘れる事の出来ないやうに遣付(やつつ)けられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又是(これ)から先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いものではない。又短いものではなからう。
 普魯西(プロシヤ)人は文明の敵だと叫んで見たり、独逸(ドイツ)人が傍(そば)にゐると食つた物が消化(こな)れないで困ると云(い)つたりしたニーチエは、偉大なる「力」の主張者であつた。不思議にも彼の力説した議論の一面を、彼の最も忌(い)み悪(にく)んだ独逸人が、今政治的に又国際的に、実行してゐるのである。さうして成効してゐるのである。軍国主義の精神には一時的以上の真理が何処(どこ)かに伏在(ふくざい)してゐると認めても差支(さしつかへ)ないかも知れない。
 然(しか)し自分の軍国主義に対する興味は、此処迄(ここまで)観察して来ると其処(そこ)で消えてしまはなければならない。自分はこれ以上同じ問題に就(つ)いて考へる必要を認めない。又手数も厭(いと)はしい気がする。自分はもつと高い場所に上(のぼ)りたくなる。もつと広い眼界から人間を眺めたくなる。さうして今独逸(ドイツ)を縦横に且(かつ)獰猛(だうまう)に活躍させてゐる此(この)軍国主義なるものを、もつと遠距離から、もつと小さく観察したい。
 将来に於ける人間の生存上赤裸々(せきらゝ)なる腕力の発現が、大仕掛(おほじかけ)の準備、即(すなは)ち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的は他(た)にあるが、それを遂行(すゐかう)する手段として已(やむ)を得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。然(しか)し戦争其物(そのもの)が面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様な此(この)方面の天才ですら、夜打朝懸(ようちあさがけ)、軍(いく)さの懸引(〔かけひき〕)に興味は有(も)つてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したり傷(きずつ)けたりしない程度に於(おい)て其(その)本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命を賭(かけ)にして此(この)本能に飽満(はうまん)の悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しも云(い)ひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等(なんら)かの目的がなくてはならない、畢竟(ひつきやう)ずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。
 何(いづ)れの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも亦(また)決して活力評価表の上に於て、決して上位を占(し)むべきものでない事は明かである。
 自分は独逸によつて今日迄鼓吹(こすゐ)された軍国的精神が、其(その)敵国たる英仏に多大の影響を与へた事を優(いう)に認めると同時に、此(この)時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に斯(か)く多大の影響を与へた事を悲しむものである。

       六 トライチケ(一)

 欧洲戦争が起つてから、独乙(〔ドイツ〕)の学者思想家の言論を実際的に解釈するものが続々出て来た。
 最初英吉利(〔イギリス〕)の雑誌にはニーチエといふ名前が頻(しき)りに見えた。ニーチエは今度の事件が起る十年も前、既に英語に翻訳されてゐる。英吉利の思想界にあつて別に新(あた)らしい名前でもない。然し彼等は其(〔その〕)名前に特別な新(あた)らしい意味を着(つ)けた。さうして彼の思想を此(〔この〕)大戦争の影響者である如くに言ひ出した。是は誰の眼(め)にも映(うつ)る程屡(しば/\)繰り返(かへ)された。基督(〔キリスト〕)の道徳は奴隷(どれい)の道徳であると罵つたのは正にニーチエであると同時に、ビスマークを憎みトライチケを侮つたのもニーチエであるとすると、彼が斯(〔こ〕)ういふ解釈を受けて満足するかどうかは疑問である。本人の思はく如何(〔いかん〕)は別問題として、彼の唱道した超人主義の哲学が、此際独乙(〔ドイツ〕)に取つて、何(ど)れ程役に立つてゐるかも遠方に生れた自分には殆んど見当が付かない。
 仏蘭西(〔フランス〕)の一批評家は「所謂(〔いわゆる〕)独乙的発展」といふ題目の下(した)に、ヘーゲルとビスマークとヰリアム二世の名を列挙した。彼はヘーゲルの様な純粋の哲学者を軍人政治家と結び付(つ)ける許りか、其思想が彼等軍人政治家の実行に深い関係を有してゐるのだといふ事(こと)を説明しやうと試みた。彼の云ふ所によると、普魯西(〔プロシア〕)の軍国主義はヘーゲルの観念論の結果に外ならんといふのである。――元来独乙のアイヂアリズムは観念の科学であつて、其観念なるものが又大いに感情的分子を含(ふく)んでゐる。文字の示現通り単なる冥想や思索でなくつて、場合が許すならば、何時(いつ)でも実行的に変化するのみならず、時としては侵略的にさへなりかねない程(〔ほど〕)毒々しいものである。アイヂアリズムが論議の援助を受けて、主観客観の一致を発見したが最後、こゝに外界と内界の墻壁(〔しょうへき〕)を破壊して、凡てを吸収し尽さなければ已(〔や〕)まない事(こと)になる。アイヂアリズムから思ひも寄らない物質主義が現はれてくる。是は最初から無関心で出立しない哲学として、陥るべき当然の結果である。
 此批評家の云ふ事(こと)が、果して真相の解釈であるか何(ど)うか、是も自分には分らない。唯遠くにゐて、其土地の空気を呼吸しない所為(せゐ)か、斯(か)ういふ説明は自分から見て何(〔ど〕)うも切実でないやうな気がする。奇抜な事(こと)は突飛(〔とっぴ〕)な位奇抜とは思ふが、それがため却つて成程と首肯しがたくなる位なものである。
 例を挙げればまだ沢山あるが、さう一々も覚えてゐないから、まづ此位にして置いて、自分は一寸斯(か)ういふ現象に就いてこゝに挿話的ながら考へて見たいと思ふ事(こと)がある。
 英仏の評論家は現在の戦争を単に当面の事実としてばかり眺めてゐないのみならず、又それを政治上の問題としてばかり考へてゐないのみならず、其背後に必ず或(ある)思想家なり学者なりの言説を大いなる因子(いんし)として数へたがつてゐる傾向に見える。実際欧洲の思想家や学者はそれ程実社会を動かしてゐるのだらうか。
 自分は日露戦争が、我日本の生んだ大哲学者の影響を蒙(〔こうむ〕)つて発現したとは決して思はない。日清戦争も其通りである。戦争はとにかく、其他の小事件にせよ、我日本に起つた歴史的事実の背景に、思想家の思想を基点として据ゑ得るものは殆んどないやうに思ふ。現代の日本に在つて政治は飽(〔あ〕)く迄も政治である。思想は又何所(〔どこ〕)迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら/\に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。山陽の日本外史が維新の大業に醗酵分となつて交り込んだのは、例外中の例外で、しかもそれは明治大正以前の事実に過ぎない。日本の思想家が貧弱なのだらうか。日本の政治家の眼界が狭いのだらうか。又は西洋の批評家の解釈に誇張が多過ぎるのだらうか。自分は三つとも否定する訳に行くまいと思ふ。さうして其内で西洋の批評家の誇張が一番少ないと思ふ。(つゞく)

       七 トライチケ(二)

 もしトライチケの名がニーチエやヘーゲルと同じ意味に於て此戦争の引合(ひきあひ)に出るならば、自分は少なくとも是丈(〔これだけ〕)の事(こと)を頭(あたま)のうちに入れて置く方が便利だと考へる。さうすれば大した困難と誤解なしに、現下独乙(〔ドイツ〕)に於る彼の地位が、比較的明瞭に想像され得るからである。
 ニーチエやヘーゲルは此事件後に復活した名前ではない。只在来の名前に英仏人が新(あた)らしい意義を付けた丈である。疾(と)うから知れてゐる彼等の内容を、一種の刺戟に充ちた異様の眼(め)で、特別に眺めた丈である。トライチケも復活した名でないかも知れない。けれども前者と違つて、此際(〔このさい〕)新らしい解釈を受ける必要のない名である。今迄のトライチケを今迄通りに見てゐれば、視線の角度を改める必要も手数も要らないで、すぐ彼と今度の戦争との関係が解るのである。彼の説はニーチエ程高踏的でなかつた。孤峰頂上から下界へ向つて命令するが如き態度で、詩のやうな哲学、又哲学のやうな詩を絶叫しはしなかつた。無論ヘーゲル程神秘の雲(くも)のうちに隠れて弁証の稲妻を双手に弄する人ではなかつた。彼は最初から確実に地上を歩(ある)いてゐた。のみならず彼の眼界は狭い独乙(〔ドイツ〕)によつて東西南北共に仕切られてゐた。従つて今更新らしく彼を翻訳する必要もなければ又しやうとした所で其余地もないのである。たゞ当時の彼を当時の儘引き延ばして、今の戦争に連続させさへすれば、それで両者の関係は可なり判然するのである。自分はわざと両者の関係と云つた。実は彼が今次の大戦争に及ぼした影響と云ひたいのであるが、それはニーチエやヘーゲルの場合と同じく、影響の程度からいつて、自分には能(〔よ〕)く解(わか)らないから、仕方なしにさういふ言葉遣(づか)ひを遠慮した。しかも其上に前述べた通り、彼(〔ひ〕)我(が)国情の差違(さゐ)並(なら)びに批評家の誇張などを念頭に置いて、是からトライチケを一瞥しやうとするのである。
 千八百三十四年ドレスデンに生れた彼は、父が軍籍に在つた関係から云つても、母が士官の娘であつた因縁から見ても、兵士たるべき運命を有(〔も〕)つて生れたと同じ事(こと)であつた。小供の時、疱瘡に罹つたのと、それに引き続いて耳の病気に冒されたので、幸か不幸か、彼は彼の既定(てい)の行路を全然見捨てなければならなくなつた。
 然し十四位(〔くらい〕)から彼の父に送る手紙の中には、もう政治上の意見などがちらほら散見し始めたさうである。さうして十六になるかならない内(うち)に、彼はいつの間(ま)にか熱烈なる独乙統一論者になつて仕舞つた。無論普魯西(〔プロシア〕)を盟主としなければならないといふのが、彼の当初からの主張であつた。彼がライプチツヒに遊学した頃、教授の講義は碌(ろく)に聴きもせず、手当り次第に一人(ひとり)ぼつちの乱読を恣(〔ほしいま〕)まにした時(とき)ですら、書物から得る凡ての知識は、みな此普魯西中心の国家といふ大理想を構成する為(ため)に利用されたのである。
 彼はマキア□ルを読んだ。正義だらうが道徳だらうが、国家の為ならば、何時(いつ)犠牲に供しても差支(〔さしつかえ〕)ないものだといふ信念を抱くやうになつた。専政だらうが圧制だらうが、苟(〔いやしく〕)も国家の統一を維持し、又国家の威力を増進する以上は、いくら何(ど)う用ひても構はないものだといふ決論に到着した。さうして其意見を彼の父に書いて遣(〔や〕)つた。是は彼がゲツチンゲンで修業してゐる頃(ころ)で、年歯(とし)にすると二十二三の時の事(こと)である。(つゞく)

       八 トライチケ(三)

 東西南北どちらの方角を眺めても、彼の眼に映ずるものは悉(〔ことごと〕)く独乙(〔ドイツ〕)の敵であつた。彼は魯西亜(〔ロシア〕)を軽蔑した。年来独乙の統一に反対する墺地利(〔オーストリア〕)も、彼の憎悪を免(まぬ)かれなかつた。ミルトンとシエクスピヤを嘆美しながらも、それらの詩人を有する英吉利(〔イギリス〕)は、彼から見ると独乙の発展に妨害ある一種の邪魔物(もの)に過ぎなかつた。彼は到底一(ひと)戦争しなければ済(す)まないと考へた。さうして其戦争から真に強固にして健全な独乙が生れて来(く)るといふ事(こと)を信じて疑はなかつた。
 多数の聴講生を有する彼は、此目的をもつて大学で普国(〔ふこく〕)史を講じ出した。ごた/\した小邦はみんな取り潰(つぶ)してしまはなければならないといふ彼の本意は、此(この)一事でも窺(〔うかが〕)はれた。彼は自ら小邦に生れた事(こと)を忘れた。彼の父(ちゝ)に対する義理も忘れた。彼は父に向つて云つた。
「親子(おやこ)の情合のために自分の信念を枉(〔ま〕)げる事(こと)は、私には何(ど)うしても出来ません」
 彼は此言葉と共にライプチツヒを去つた。再び招かれて其所(そこ)で演説を試みた時(とき)、彼は独乙統一のために、焔のやうな熱烈の言辞を二万の聴衆の上に浴(あび)せ掛(か)けた。無邪気な彼等は呆然として驚ろいた。
 所へビスマークが現はれた。さうしてビスマークは彼の要する理想の人物であつた。ビスマークの時(とき)めく普魯西(〔プロシア〕)政府は猶(〔なお〕)の事(こと)統一の中心にならねばならなかつた。彼の所謂(〔いわゆる〕)「国家」とならねばならなかつた。「第一に自由、夫から統一」といふ叫び声を無意味なものとして聞き流した彼は、「第一に国家の権利、夫から国家」といふ旗幟(〔きし〕)を無遠慮に押し立てた。さうして其国家は即ち普魯西である。他の小邦は幾多の犠牲を甘んじても、此中央政府の意志と命令に従はなければならないといふのが彼の意見であつた。
「国家の実質とも見傚(〔みな〕)し得べき「力」を有(〔も〕)たない小邦が、何で国(こく)家を代表する事(こと)が出来よう」
 彼は斯(〔こ〕)ういつて、多くの小邦を睥睨(〔へいげい〕)した。其内には彼の故郷のサクソニーも無論含(ふく)まれてゐた。
 千八百六十七年ビスマークの力によつて成就された北独乙の聯合は、此意味から見て、彼の理想をある程度迄現実にしたものに違なかつた。其結果として凡てに課せられたる義務兵役と、其義務兵役から生ずる驚ろくべき多くの軍隊とは、支配権を有する普魯西(〔プロシア〕)に取つて大いなる力であつた。それを独乙勢力の増進に必要な条件、即ち西方発展策に応用したのが即ち普仏(〔ふふつ〕)戦争なのである。
 彼の教授を受けた多くの学生は其時従軍した。彼等の一人が熱烈な告別の辞を述べた時、「どんな犠牲を払つても勝て」と云つた彼は、忽(〔たちま〕)ちヒーローとして青年から目されるやうになつた。彼は固(〔もと〕)より独乙の勝利を信じて疑はなかつたのである。さうして不思議の沈黙に陥つたかと思ふと、彼は負けた仏蘭西(〔フランス〕)に課すべき条件の項目を其間に調べ出した。彼はアルサス、ローレンの歴史を研究した末、此二州は元々独乙のものであつたのだから、戦勝後は当然旧主の手に帰るべきものだといふ説を発表した。(つゞく)

       九 トライチケ(四)

 独乙(〔ドイツ〕)は勝つた。独乙帝国は成立した。彼が十年の間夢(ゆめ)に迄見た希望は遂に達せられた。
「統一の星は上(のぼ)つた。其途(みち)を妨ぐるものは災を蒙(〔こうむ〕)れ」
 是が彼の言葉であつた。此光輝ある時期に際会しながら、猶且(〔なおか〕)つ厭世哲学を説くハルトマンの如きは畢竟(〔ひっきょう〕)ずるに一種の精神病者に過ぎないと彼は断言した。其癖意志の肯定は国家として第一の義務であると主張する彼は、ハルトマンによつて復活されたる意志の哲学、即ち宇宙実在の中心点を意志の上に置く哲学によつて大いに動かされたのである。彼は実社界を至極手荒(てあら)いものに考へた。仁義博愛は口(くち)に云ふべくして政治上に行ふべきものでないと信じた。斯(か)くして彼はあらゆる人道的及び自由主義の運動に反対したのである。……
 自分はトライチケの影響で今度の欧洲戦争が起つたとは云はない。彼の生時にあつてすら、彼はビスマークの顧問でもなければ又助言者でもなかつた。彼の主張とビスマークの実行とは寧(〔むし〕)ろ偶然に一致したのだらう。たとひ彼が鉄血宰相の謳歌者であつたにした所で、謳歌されるビスマークの方では、夫程(〔それほど〕)彼の言論に動かされてゐなかつたかも知れない。それにも拘(〔かか〕)はらず結果から云へば、彼はビスマークの政治上で断行した事(こと)を、彼の学説と言論によつて一々裏書(うらがき)したと云つても差支(〔さしつかえ〕)ないのである。さうして今日の独乙が、社会主義者其他の反抗に関せず、当時の方針を基儘(〔そのまま〕)継続して、其極(〔そのきょく〕)今度の大乱を引き起したとすれば、思想家としてトライチケの独乙に対する立場も亦(〔また〕)自然明瞭になつた訳である。
 是丈(〔これだけ〕)の関係を明かにすると、自分の癖として、又根本問題に立ち返つて、質問が起(おこ)したくなる。
「トライチケの鼓吹(〔こすい〕)した軍国主義、国家主義は畢竟(〔ひっきょう〕)独乙統一の為(ため)ではないか。其統一は四囲の圧迫を防ぐためではないか。既に統一が成立し、帝国が成立し、侵略の虞(〔おそれ〕)なくして独乙が優に存在し得た暁には撤回すべき性質のものではないか。もし永久に此主義で押し通すとならば、論理上此主義其物に価値がなくてはならない。さうして其価値によつて此主義の存在が保証されなければならない。そんな価値が果して何処(どこ)から出て来(く)るだらうか」
 個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。徒(〔いたず〕)らに他(ひと)を傷(あや)める丈である。国と国とも同じ事(こと)で、単に勝つ見込があるからと云つて、妄(〔みだ〕)りに干戈(〔かんか〕)を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。勝つたものは勝つた後(あと)で、其損害を償ふ以上の貢献を、大きな文明に対してしなければならない筈である。少なくとも其心掛がなくてはならない筈である。自分は今の独乙にそれ丈の事(こと)を仕終せる精神と実力があるか何(ど)うかを危(あや)ぶまざるを得ないのである。するとトライチケの主張は独乙統一前には生存上有効でもあり必要でもあり合理(り)的でもあつて、今の独乙には無効で不必要で不合理なものかも知れないといふ事(こと)に帰着する。
 然しながら彼は云つた。――
「ヰリアム帝は独乙に祖国を与へたるのみならず、より平衡(こう)を得たる又より合理的なる支配の下に文明世界(かい)を置いた。全世界を健全にするは独乙の事業なりと云つた詩人ガイベルの言葉(ことば)は今に実現せられるだらう」
 して見るとトライチケは、独乙が全欧のみならず、全世界を征服する迄、此軍国主義国家主義で押し通す積(つもり)だつたかも知れない。然しながら、我々人類が悉(〔ことごと〕)く独乙に征服された時、我々は其報酬として独乙から果して何を給与されるのだらう。独乙もトライチケもまづ其所(そこ)から説明してかゝらなければならない。




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