趣味の遺伝
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著者名:夏目漱石 

絹布団(きぬぶとん)に生れ落ちて御意(ぎょい)だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重(かさ)なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意(ぎょい)遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾(めかけ)を買い、金で邸宅、朋友(ほうゆう)、従五位(じゅごい)まで買った連中(れんじゅう)は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨(にら)んで高(たか)を括(くく)った鼻先を虚空(こくう)遥(はる)かに反(そ)り返(か)えす。一度の経験でも御多分(ごたぶん)には洩(も)れん。箔屋町(はくやちょう)の大火事に身代(しんだい)を潰(つぶ)した旦那は板橋の一つ半でも蒼(あお)くなるかも知れない。濃尾(のうび)の震災に瓦(かわら)の中から掘り出された生(い)き仏(ぼとけ)はドンが鳴っても念仏を唱(とな)えるだろう。正直な者が生涯(しょうがい)に一返(ぺん)万引を働いても疑(うたがい)を掛ける知人もないし、冗談(じょうだん)を商売にする男が十年に半日真面目(まじめ)な事件を担(かつ)ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各(おのおの)異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢(ろう)として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆(ようば)、毒婦、兇漢(きょうかん)の行為動作を刻意(こくい)に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽(こっけい)に至って冥々(めいめい)の際読者の心に生ずる唯一の惰性は怖と云う一字に帰着してしまう。過去がすでに怖(ふ)である、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然と己(おの)れを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこの怖に関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものが陸(おか)に上(あが)った後(あと)までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀(すずめ)が案山子(かがし)を例の爺(じい)さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖の一字をどこまでも引張って、怖を冠すべからざる辺(へん)にまで持って行こうと力(つと)むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖化(か)せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔(かいぎゃく)とは受け取れまい。
 世間には諷語(ふうご)と云うがある。諷語は皆表裏(ひょうり)二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫(ひっぷ)の渾名(あだな)に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜(けんそん)するのはますます人を愚(ぐ)にした待遇法で、他を称揚するのは熾(さかん)に他を罵倒(ばとう)した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀(おじぎ)一つで人を愚弄(ぐろう)するよりは、履物(はきもの)を揃(そろ)えて人を揶揄(やゆ)する方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目(まじめ)がくっついている。大笑(たいしょう)の奥には熱涙が潜(ひそ)んでいる。雑談(じょうだん)の底には啾々(しゅうしゅう)たる鬼哭(きこく)が聞える。とすれば怖と云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語(もうご)のうちに身の毛もよだつほどの畏懼(いく)の念はあるはずだ。元来諷語(ふうご)は正語(せいご)よりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえ厭(いと)う美人の根性(こんじょう)を透見(とうけん)して、毒蛇の化身(けしん)すなわちこれ天女(てんにょ)なりと判断し得たる刹那(せつな)に、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層怖(おそ)るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物(ばけもの)の方が定石(じょうせき)の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜(いちや)をあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレを躍(おど)るものがあったらこのカッポレは非常に物凄(ものすご)かろう。これも一種の諷語(ふうご)であるからだ。マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院(じゃっこういん)の美人も解けるはずだ。
 百花の王をもって許す牡丹(ぼたん)さえ崩(くず)れるときは、富貴の色もただ好事家(こうずか)の憐れを買うに足らぬほど脆(もろ)いものだ。美人薄命と云う諺(ことわざ)もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充(み)ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染(ゆうぜん)とか、繻珍(しゅちん)とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出(はで)である立派である、春景色(はるげしき)である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖(そで)が忽然(こつぜん)と本来の面目を変じて蕭条(しょうじょう)たる周囲に流れ込んで、境内寂寞(けいだいじゃくまく)の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏(いちょう)の黄葉(こうよう)は淋(さみ)しい。まして化(ば)けるとあるからなお淋(さみ)しい。しかしこの女が化銀杏(ばけいちょう)の下に横顔を向けて佇(たたず)んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯(えいたい)して索寞(さくばく)の観を添えるのか。これも諷語(ふうご)だからだ。マクベスの門番が怖(おそろ)しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。
 御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。家(うち)から折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でも括(くく)りつけてはないかと葉裏まで覗(のぞ)いて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精(くわ)しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提(さ)げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸(おいか)けて名前だけでも聞いて見(み)ようか、それも妙だ。いっその事黙って後(あと)を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善(よ)かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月塹壕(ざんごう)に飛び込んだぎり、今日(きょう)まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖(つえ)で敲(たた)いても、手で揺(ゆ)り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝(ね)ているだろう。こんな美人が、こんな美しい花を提(さ)げて御詣(おまい)りに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性(すじょう)も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞き糺(ただ)さなくてはならん。何でも蚊(か)でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股(ひとまた)に飛び下りて化銀杏(ばけいちょう)の落葉を蹴散(けち)らして寂光院の門を出て先(ま)ず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母(おっか)さんに逢って話をして見(み)よう、ことによったら容子(ようす)が分るかも知れない。

          三

 六畳の座敷は南向(みなみむき)で、拭き込んだ椽側(えんがわ)の端(はじ)に神代杉(じんだいすぎ)の手拭懸(てぬぐいかけ)が置いてある。軒下(のきした)から丸い手水桶(ちょうずおけ)を鉄の鎖(くさり)で釣るしたのは洒落(しゃ)れているが、その下に一叢(ひとむら)の木賊(とくさ)をあしらった所が一段の趣(おもむき)を添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠(ちゃばたけ)でその間に梅の木が三四本見える。垣に結(ゆ)うた竹の先に洗濯した白足袋(しろたび)が裏返しに乾(ほ)してあってその隣りには如露(じょろ)が逆(さか)さまに被(かぶ)せてある。その根元に豆菊が塊(かた)まって咲いて累々(るいるい)と白玉(はくぎょく)を綴(つづ)っているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。
「今年は暖(あっ)たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
「へえ、白いのが好きでしたかな」
「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」
「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院(じゃっこういん)の花筒に挿(はさ)んであるのは正にこの種のこの色の菊である。
「御叔母(おば)さん近頃は御寺参りをなさいますか」
「いえ、せんだって中(じゅう)から風邪(かぜ)の気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れる間(ま)はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀(たいぎ)になりましてね」
「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいい時候ですから……」
「御親切にありがとう存じます。親戚のものなども心配して色々云ってくれますが、どうもあなた何分(なにぶん)元気がないものですから、それにこんな婆さんを態々(わざわざ)連れてあるいてくれるものもありませず」
 こうなると余はいつでも言句に窮する。どう云って切り抜けていいか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引っ張ったが、御母(おっか)さんは少々不平の気味である。さあしまったと思ったが別に片附けようもないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいている四十雀(しじゅうから)を眺(なが)めていた。御母さんも話の腰を折られて無言である。
「御親類の若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいいですがね」と云いながら不調法(ぶちょうほう)なる余にしては天晴(あっぱれ)な出来だと自分で感心して見せた。
「生憎(あいにく)そんな娘もおりませず。それに人の子にはやはり遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰って置いたら、こんな時にはさぞ心丈夫だろうと思います。ほんに残念な事をしました」
 そら娶(よめ)が出た。くるたびによめが出ない事はない。年頃の息子(むすこ)に嫁を持たせたいと云うのは親の情(じょう)としてさもあるべき事だが、死んだ子に娶を迎えて置かなかったのをも残念がるのは少々平仄(ひょうそく)が合わない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になって見ないから分らないがどうも一般の常識から云うと少し間違っているようだ。それは一人で侘(わび)しく暮らすより気に入った嫁の世話になる方が誰だって頼(たよ)りが多かろう。しかし嫁の身になっても見るがいい。結婚して半年(はんとし)も立たないうちに夫(おっと)は出征する。ようやく戦争が済んだと思うと、いつの間(ま)にか戦死している。二十(はたち)を越すか越さないのに、姑(しゅうと)と二人暮しで一生を終る。こんな残酷な事があるものか。御母さんの云うところは老人の立場から云えば無理もない訴(うったえ)だが、しかし随分我儘(わがまま)な願だ。年寄はこれだからいかぬと、内心はすこぶる不平であったが、滅多(めった)な抗議を申し込むとまた気色(きしょく)を悪(わ)るくさせる危険がある。せっかく慰めに来ていつも失策をやるのは余り器量のない話だ。まあまあだまっているに若(し)くはなしと覚悟をきめて、反(かえ)って反対の方角へと楫(かじ)をとった。余は正直に生れた男である。しかし社会に存在して怨(うら)まれずに世の中を渡ろうとすると、どうも嘘(うそ)がつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめるつもりでいる。
「実際残念な事をしましたね。全体浩さんはなぜ嫁をもらわなかったんですか」
「いえ、あなた色々探しておりますうちに、旅順へ参るようになったもので御座んすから」
「それじゃ当人も貰うつもりでいたんでしょう」
「それは……」と云ったが、それぎり黙っている。少々様子が変だ。あるいは寂光院事件の手懸(てがか)りが潜伏していそうだ。白状して云うと、余はその時浩さんの事も、御母さんの事も考えていなかった。ただあの不思議な女の素性(すじょう)と浩さんとの関係が知りたいので頭の中はいっぱいになっている。この日における余は平生のような同情的動物ではない。全く冷静な好奇獣(こうきじゅう)とも称すべき代物(しろもの)に化していた。人間もその日その日で色々になる。悪人になった翌日は善男に変じ、小人の昼の後(のち)に君子の夜がくる。あの男の性格はなどと手にとったように吹聴(ふいちょう)する先生があるがあれは利口の馬鹿と云うものでその日その日の自己を研究する能力さえないから、こんな傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の囈語(げいご)を吐いて独(ひと)りで恐悦(きょうえつ)がるのである。探偵ほど劣等な家業はまたとあるまいと自分にも思い、人にも宣言して憚(はば)からなかった自分が、純然たる探偵的態度をもって事物に対するに至ったのは、すこぶるあきれ返った現象である。ちょっと言い淀(よど)んだ御母(おっか)さんは、思い切った口調で
「その事について浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」
「嫁の事ですか」
「ええ、誰か自分の好いたものがあるような事を」
「いいえ」と答えたが、実はこの問こそ、こっちから御母さんに向って聞いて見なければならん問題であった。
「御叔母(おば)さんには何か話しましたろう」
「いいえ」
 望の綱はこれぎり切れた。仕方がないからまた眼を庭の方へ転ずると、四十雀(しじゅうから)はすでにどこかへ飛び去って、例の白菊の色が、水気(みずけ)を含んだ黒土に映じて見事に見える。その時ふと思い出したのは先日の日記の事である。御母さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるいは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一応目を通したら何か手懸(てがか)りがあろう。御母さんは女の事だから理解出来んかも知れんが、余が見ればこうだろうくらいの見当はつくわけだ。これは催促(さいそく)して日記を見るに若(し)くはない。
「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」
「ええ、あれを見ないうちは何とも思わなかったのですが、つい見たものですから……」と御母さんは急に涙声になる。また泣かした。これだから困る。困りはしたものの、何か書いてある事はたしかだ。こうなっては泣こうが泣くまいがそんな事は構っておられん。
「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しましょう」と勢よく云ったのは今から考えて赤面の次第である。御母さんは起(た)って奥へ這入(はい)る。
 やがて襖(ふすま)をあけてポッケット入れの手帳を持って出てくる。表紙は茶の革(かわ)でちょっと見ると紙入のような体裁である。朝夕内(うち)がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢(てあか)でぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中を見(み)ようとすると表の戸がからからと開(あ)いて、頼みますと云う声がする。生憎(あいにく)来客だ。御母さんは手真似(てまね)で早く隠せと云うから、余は手帳を内懐(うちぶところ)に入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまが入(い)らっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町(ひさかたまち)の往来(おうらい)へ出る。
 伝通院(でんずういん)の裏を抜けて表町の坂を下(お)りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相を究(きわ)めて、全体の成行が明瞭(めいりょう)になりさえすればこの不自然も自(おの)ずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければならん。それにしても昨日(きのう)あの女のあとを付けなかったのは残念だ。もし向後(こうご)あの女に逢う事が出来ないとするとこの事件は判然(はんぜん)と分りそうにもない。入(い)らぬ遠慮をして流星光底(りゅうせいこうてい)じゃないが逃がしたのは惜しい事だ。元来品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得(え)てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の体面を傷(きずつ)けざる範囲内において泥棒根性を発揮せんとせっかくの紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるそうだ。よしこれからはもう少し下品になってやろう。とくだらぬ事を考えながら柳町の橋の上まで来ると、水道橋の方から一輌(りょう)の人力車が勇ましく白山(はくさん)の方へ馳(か)け抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云うわずかの間(あいだ)であるから、余が冥想(めいそう)の眼をふとあげて車の上を見た時は、乗っている客はすでに眼界から消えかかっていた。がその人の顔は? ああ寂光院だと気が着いた頃はもう五六間先へ行っている。ここだ下品になるのはここだ。何でも構わんから追い懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追い懸けるのは余り下品すぎる。気狂(きちがい)でなくってはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車はおらんかなと四方を見廻したが生憎(あいにく)一輌もおらん。そのうちに寂光院は姿も見えないくらい遥(はる)かあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思われるまで下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然(ぼうぜん)として西片町へ帰って来た。
 とりあえず、書斎に立て籠(こも)って懐中から例の手帳を出したが、何分夕景(ゆうけい)ではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを点(つ)ける。下女が御飯はと云って来たから、めしは後(あと)で食うと追い返す。さて一頁(ページ)から順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも倥偬(こうそう)の際に分陰(ふんいん)を偸(ぬす)んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜来風邪(ふうじゃ)の気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨(ほしょう)散弾に中(あた)る。テントに仆(たお)れかかる。血痕(けっこん)を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念※[#感嘆符三つ、231-5]」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控(てびかえ)であるから、毫(ごう)も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢(ちょうたく)したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところが大(おおい)に気に入った。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝(つ)くだの、暴慢なる露人だの、醜虜(しゅうりょ)の胆(たん)を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心(かんじん)の寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透(す)かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食(は)み出している。郵の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※[#「郷−即のへん」、232-1]だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやく漕(こ)ぎつけたがそのほかは裏から見ても逆(さか)さまに見てもどうしても読めない。とうとう断念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日(にさんち)一睡もせんので勤務中坑内仮寝(かしん)。郵便局で逢った女の夢を見る」
 余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほど経(へ)て夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てからこれで三度見た」
 余は日記をぴしゃりと敲(たた)いてこれだ! と叫んだ。御母(おっか)さんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘(わがまま)だの残酷だのと心中で評したのは、こっちが悪(わ)るいのだ。なるほどこんな女がいるなら、親の身として一日でも添わしてやりたいだろう。御母さんが嫁がいたらいたらと云うのを今まで誤解して全く自分の淋しいのをまぎらすためとばかり解釈していたのは余の眼識の足らなかったところだ。あれは自分の我儘で云う言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思い通りにさせてやりたかったと云う謎(なぞ)なのだ。なるほど男は呑気(のんき)なものだ。しかし知らん事なら仕方がない。それは先(ま)ずよしとして元来寂光院(じゃっこういん)がこの女なのか、あるいはあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢ったと云うのはほかの女なのか、これが疑問である。この疑問はまだ断定出来ない。これだけの材料でそう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容(い)れる余地もなくては、すべての判断はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢ったとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買うか、為替(かわせ)を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼(は)る時に傍(そば)にいたあの女が、どう云う拍子(ひょうし)かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五分(ぶ)ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解(かい)せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃(たお)れたる者は枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼(せま)った」今度は言文一致である。「軍人が軍(いく)さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死に損(そく)なったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩(くず)す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か来て墓参りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑静な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。丸(たま)に中(あた)って仆(たお)れるまで旗を振って進むつもりだ。御母(おっか)さんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。
 余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気に懸(かか)ってたまらない。あの車は白山の方へ向いて馳(か)けて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものを探(たず)ねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食(ばんめし)を済ましてその晩はそれぎり寝る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々(ぼうぼう)として海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入(はい)ったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかった。
 翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身が入(い)らない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退(ひ)けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日(きのう)の菊が鮮やかに竹藪(たけやぶ)の緑に映じて雪の団子(だんご)のように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町の辺(へん)をぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸(てがか)りもない。その晩は疲労のため寝る事だけはよく寝た。しかし朝になって授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人を捕(つら)まえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに学生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、緩(ゆ)るりと探究するに若(し)くなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶(はんもん)焦慮もせず、例の通り静かに書斎に入って、せんだって中(じゅう)からの取調物を引き続いてやる事にした。
 近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥(ちょうはつ)する訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の学説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分生涯(しょうがい)の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡(うち)で近頃出版になった英吉利(イギリス)のリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子(ひょうし)か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど開(あ)けると、今度は寂光院が襲って来る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母(おっか)さんの切り下げの被布(ひふ)姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心して懸(かか)った仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入(はい)る。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して来る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして来た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには当人を捕えて聞き糺(ただ)すよりほかに方法はあるまいとのみ速断して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋(くずや)流に駒込近傍を徘徊(はいかい)したのである。しかしこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果(いんが)と称(とな)えていた。因果は諦(あき)らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因(いん)を極(きわ)めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女を捕(つら)まえて日記中の女と同人か別物かを明(あきらか)にした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯(さかのぼ)る代りに、昔から今に繰(く)りさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。
 そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先(ま)ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父(おとっ)さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺(おじい)さんも御爺さんの御父(おとっ)さんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家来と云う事だけ分ればそれで充分手懸(てがか)りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服装をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は当分埓(らち)があかない。抛(ほう)って置いて自然天然寂光院に往来で邂逅(かいこう)するのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定が中(あた)るとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の学問に対してもっとも興味ある材料を給与する貢献(こうけん)的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快(そうかい)になる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しも疚(や)ましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相当のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。
 あくる日学校で和歌山県出の同僚某に向って、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。因(よ)ってその人物を承(うけたま)わると、もとは家老(かろう)だったが今では家令(かれい)と改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常(ふだん)藩邸に出入(しゅつにゅう)する人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。
「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」
「うん何でも知っている。維新の時なぞはだいぶ働いたそうだ。槍(やり)の名人でね」
 槍などは下手(へた)でも構わん。昔(むか)し藩中に起った異聞奇譚(いぶんきだん)を、老耄(ろうもう)せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。
「まだ家令を務(つと)めているくらいなら記憶はたしかだろうな」
「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術(そうじゅつ)の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」
「いつでもして上げる」と云うと傍(そば)に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探(さ)がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中(あた)るか外(はず)れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。
 二三日(にさんち)は何の音沙汰(おとさた)もなく過ぎたが、御面会をするから明日(みょうにち)三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時は大(おおい)に嬉(うれ)しかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先(ま)ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日の下(もと)に引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣(きづかい)はない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方(おおかた)こんなものだろうと独(ひと)りでいい加減にきめて見る。自宅(うち)の渋柿は八百屋(やおや)から買った林檎(りんご)より旨(うま)いものだ。
 翌日(あくるひ)は学校が午(ひる)ぎりだから例刻を待ちかねて麻布(あざぶ)まで車代二十五銭を奮発して老人に逢って見る。老人の名前はわざと云わない。見るからに頑丈(がんじょう)な爺さんだ。白い髯(ひげ)を細長く垂れて、黒紋付に八王子平(はちおうじひら)で控えている。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云う。まるで小供扱だ。これから大発明をして学界に貢献しようと云う余に対してはやや横柄(おうへい)である。今から考えて見ると先方が横柄なのではない、こっちの気位(きぐらい)が高過ぎたから普通の応接ぶりが横柄に見えたのかも知れない。
 それから二三件世間なみの応答を済まして、いよいよ本題に入った。
「妙な事を伺いますが、もと御藩(ごはん)に河上と云うのが御座いましたろう」余は学問はするが応対の辞にはなれておらん。藩というのが普通だが先方の事だから尊敬して御藩(ごはん)と云って見た。こんな場合に何と云うものか未(いま)だに分らない。老人はちょっと笑ったようだ。
「河上――河上と云うのはあります。河上才三と云うて留守居を務(つと)めておった。その子が貢五郎と云うてやはり江戸詰で――せんだって旅順で戦死した浩一の親じゃて。――あなた浩一の御つき合いか。それはそれは。いや気の毒な事で――母はまだあるはずじゃが……」と一人で弁ずる
 河上一家(いっけ)の事を聞くつもりなら、わざわざ麻布(あざぶ)下(くんだ)りまで出張する必要はない。河上を持ち出したのは河上対某との関係が知りたいからである。しかしこの某なるものの姓名が分らんから話しの切り出しようがない。
「その河上について何か面白い御話はないでしょうか」
 老人は妙な顔をして余を見詰めていたが、やがて重苦しく口を切った。
「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある。どの河上の事を御尋ねか」
「どの河上でも構わんです」
「面白い事と云うて、どんな事を?」
「どんな事でも構いません。ちと材料が欲しいので」
「材料? 何になさる」厄介(やっかい)な爺さんだ。
「ちと取調べたい事がありまして」
「なある。貢五郎と云うのはだいぶ慷慨家(こうがいか)で、維新の時などはだいぶ暴(あ)ばれたものだ――或る時あなた長い刀を提(さ)げてわしの所へ議論に来て、……」
「いえ、そう云う方面でなく。もう少し家庭内に起った事柄で、面白いと今でも人が記憶しているような事件はないでしょうか」老人は黙然(もくねん)と考えている。
「貢五郎という人の親はどんな性質でしたろう」
「才三かな。これはまた至って優しい、――あなたの知っておらるる浩一に生き写しじゃ、よく似ている」
「似ていますか?」と余は思わず大きな声を出した。
「ああ、実によく似ている。それでその頃は維新には間(ま)もある事で、世の中も穏(おだや)かであったのみならず、役が御留守居だから、だいぶ金を使って風流(ふうりゅう)をやったそうだ」
「その人の事について何か艶聞(えんぶん)が――艶聞と云うと妙ですが――ないでしょうか」
「いや才三については憐れな話がある。その頃家中に小野田帯刀(おのだたてわき)と云うて、二百石取りの侍(さむらい)がいて、ちょうど河上と向い合って屋敷を持っておった。この帯刀に一人の娘があって、それがまた藩中第一の美人であったがな、あなた」
「なるほど」うまいだんだん手懸(てがか)りが出来る。
「それで両家は向う同志だから、朝夕(あさゆう)往来をする。往来をするうちにその娘が才三に懸想(けそう)をする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまうと騒いだのだて――いや女と云うものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くじゃ」
「ふん、それで思う通りに行きましたか」成蹟(せいせき)は良好だ。
「で帯刀から人をもって才三の親に懸合(かけあ)うと、才三も実は大変貰いたかったのだからその旨(むね)を返事する。結婚の日取りまできめるくらいに事が捗(はか)どったて」
「結構な事で」と申したがこれで結婚をしてくれては少々困ると内心ではひやひやして聞いている。
「そこまでは結構だったが、――飛んだ故障が出来たじゃ」
「へええ」そう来なくってはと思う。
「その頃国家老(くにがろう)にやはり才三くらいな年恰好(としかっこう)なせがれが有って、このせがれがまた帯刀の娘に恋慕(れんぼ)して、是非貰いたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出来たあとだ。いかに家老の勢でもこればかりはどうもならん。ところがこのせがれが幼少の頃から殿様の御相手をして成長したもので、非常に御上(おかみ)の御気に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿様の御意(ぎょい)でその方(ほう)の娘をあれに遣(つか)わせと云う御意が帯刀に下(お)りたのだて」
「気の毒ですな」と云ったが自分の見込が着々中(あた)るので実に愉快でたまらん。これで見ると朋友の死ぬような凶事でも、自分の予言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪(かぜ)を引くぞと忠告をした時に、忠告をされた当人が吾が言を用いないでしかもぴんぴんしていると心持ちが悪(わ)るい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間はかようにわがままなものだから、余一人を責めてはいかん。
「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帯刀が娘に因果(いんが)を含めて、とうとう河上方を破談にしたな。両家が従来の通り向う合せでは、何かにつけて妙でないと云うので、帯刀は国詰になる、河上は江戸に残ると云う取(と)り計(はからい)をわしのおやじがやったのじゃ。河上が江戸で金を使ったのも全くそんなこんなで残念を晴らすためだろう。それでこの事がな、今だから御話しするようなものの、当時はぱっとすると両家の面目に関(かか)わると云うので、内々にして置いたから、割合に人が知らずにいる」
「その美人の顔は覚えて御出(おい)でですか」と余に取ってはすこぶる重大な質問をかけて見た。
「覚えているとも、わしもその頃は若かったからな。若い者には美人が一番よく眼につくようだて」と皺(しわ)だらけの顔を皺ばかりにしてからからと笑った。
「どんな顔ですか」
「どんなと云うて別に形容しようもない。しかし血統と云うは争われんもので、今の小野田の妹がよく似ている。――御存知はないかな、やはり大学出だが――工学博士の小野田を」
「白山(はくさん)の方にいるでしょう」ともう大丈夫と思ったから言い放って、老人の気色(けしき)を伺うと
「やはり御承知か、原町にいる。あの娘もまだ嫁に行かんようだが。――御屋敷の御姫様(おひいさま)の御相手に時々来ます」
 占めた占めたこれだけ聞けば充分だ。一から十まで余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院はこの小野田の令嬢に違ない。自分ながらかくまで機敏な才子とは今まで思わなかった。余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後(のち)に認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生(ふもみしょう)以前に受けた記憶と情緒(じょうしょ)が、長い時間を隔(へだ)てて脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。ちょっと見てすぐ惚(ほ)れるような男女を捕えて軽薄と云う、小説だと云う、そんな馬鹿があるものかと云う。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、逆(さ)かさにする訳にもならん。不思議な現象に逢(あ)わぬ前ならとにかく、逢(お)うた後(のち)にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話しによると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生出入(しゅつにゅう)して互に顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の標榜(ひょうぼう)する趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違はないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。
「さっき浩一の名前をおっしゃったようですが、浩一は存生中(ぞんじょうちゅう)御屋敷へよく上がりましたか」
「いいえ、ただ名前だけ聞いているばかりで、――おやじは先刻(せんこく)御話をした通り、わしと終夜激論をしたくらいな間柄じゃが、せがれは五六歳のときに見たぎりで――実は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷へ出入(でいり)する機会もそれぎり絶えてしもうて、――その後(ご)は頓(とん)と逢(お)うた事がありません」
 そうだろう、そう来なくっては辻褄(つじつま)が合わん。第一余の理論の証明に関係してくる。先(ま)ずこれなら安心。御蔭様でと挨拶(あいさつ)をして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思ったものか、余を送り出して玄関に立ったまま、余が門を出て振り返るまで見送っていた。
 これからの話は端折(はしょ)って簡略に述べる。余は前にも断わった通り文士ではない。文士ならこれからが大(おおい)に腕前を見せるところだが、余は学問読書を専一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいているひまがない。新橋で軍隊の歓迎を見て、その感慨から浩さんの事を追想して、それから寂光院の不思議な現象に逢ってその現象が学問上から考えて相当の説明がつくと云う道行きが読者の心に合点(がてん)出来ればこの一篇の主意は済んだのである。実は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢い込んで出来るだけ精密に叙述して来たが、慣れぬ事とて余計な叙述をしたり、不用な感想を挿入(そうにゅう)したり、読み返して見ると自分でもおかしいと思うくらい精(くわ)しい。その代りここまで書いて来たらもういやになった。今までの筆法でこれから先を描写するとまた五六十枚もかかねばならん。追々学期試験も近づくし、それに例の遺伝説を研究しなくてはならんから、そんな筆を舞わす時日は無論ない。のみならず、元来が寂光院(じゃっこういん)事件の説明がこの篇の骨子だから、ようやくの事ここまで筆が運んで来て、もういいと安心したら、急にがっかりして書き続ける元気がなくなった。
 老人と面会をした後(のち)には事件の順序として小野田と云う工学博士に逢わなければならん。これは困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持って行ったら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機会で博士の妹に逢わせてもらった。妹は余の推量に違(たが)わず例の寂光院であった。妹に逢った時顔でも赤らめるかと思ったら存外淡泊(たんぱく)で毫(ごう)も平生と異(こと)なる様子のなかったのはいささか妙な感じがした。ここまではすらすら事が運んで来たが、ただ一つ困難なのは、どうして浩さんの事を言い出したものか、その方法である。無論デリケートな問題であるから滅多(めった)に聞けるものではない。と云って聞かなければ何だか物足らない。余一人から云えばすでに学問上の好奇心を満足せしめたる今日(こんにち)、これ以上立ち入ってくだらぬ詮議(せんぎ)をする必要を認めておらん。けれども御母(おっか)さんは女だけに底まで知りたいのである。日本は西洋と違って男女の交際が発達しておらんから、独身の余と未婚のこの妹と対座して話す機会はとてもない。よし有ったとしたところで、むやみに切り出せばいたずらに処女を赤面させるか、あるいは知りませぬと跳(は)ねつけられるまでの事である。と云って兄のいる前ではなおさら言いにくい。言いにくいと申すより言うを敢(あえ)てすべからざる事かも知れない。墓参り事件を博士が知っているならばだけれど、もし知らんとすれば、余は好んで人の秘事を暴露(ばくろ)する不作法を働いた事になる。こうなるといくら遺伝学を振り廻しても埓(らち)はあかん。自(みずか)ら才子だと飛び廻って得意がった余も茲(ここ)に至って大(おおい)に進退に窮した。とどのつまり事情を逐一(ちくいち)打ち明けて御母さんに相談した。ところが女はなかなか智慧(ちえ)がある。
 御母さんの仰(おお)せには「近頃一人の息子を旅順で亡(な)くして朝、夕淋(さみ)しがって暮らしている女がいる。慰めてやろうと思っても男ではうまく行かんから、おひまな時に御嬢さんを時々遊びにやって上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡(おうむ)的口吻(こうふん)を弄(ろう)して旨(むね)を伝えると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母(おっか)さんと御嬢さんとは時々会見をする。会見をするたびに仲がよくなる。いっしょに散歩をする、御饌(ごぜん)をたべる、まるで御嫁さんのようになった。とうとう御母さんが浩さんの日記を出して見せた。その時に御嬢さんが何と云ったかと思ったら、それだから私は御寺参(おてらまいり)をしておりましたと答えたそうだ。なぜ白菊を御墓へ手向(たむ)けたのかと問い返したら、白菊が一番好きだからと云う挨拶であった。
 余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは塹壕(ざんごう)へ飛び込んだきり上(あが)って来ない。誰も浩さんを迎(むかえ)に出たものはない。天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。余はこの両人の睦(むつ)まじき様(さま)を目撃するたびに、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。




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