趣味の遺伝
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著者名:夏目漱石 

この声がすなわち満洲の野(や)に起った咄喊(とっかん)の反響である。万歳の意義は字のごとく読んで万歳に過ぎんが咄喊となるとだいぶ趣(おもむき)が違う。咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深い情(じょう)が籠(こも)っている。人間の音声には黄色いのも濁ったのも澄んだのも太いのも色々あって、その言語調子もまた分類の出来んくらい区々(まちまち)であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯(きっぱん)の件、談判の件、懸引(かけひき)の件、挨拶(あいさつ)の件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞(おきき)に入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜(こまく)に迷惑を懸(か)けるのはよくせきの事でなければならぬ。咄喊(とっかん)はこのよくせきを煎(せん)じ詰めて、煮詰めて、缶詰(かんづ)めにした声である。死ぬか生きるか娑婆(しゃば)か地獄かと云う際(きわ)どい針線(はりがね)の上に立って身(み)震(ぶる)いをするとき自然と横膈膜(おうかくまく)の底から湧(わ)き上がる至誠の声である。助けてくれと云ううちに誠はあろう、殺すぞと叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味(いやみ)もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐(いつわ)りもなければ懸引(かけひき)もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪(しんとう)さしてワーと鳴る。万歳の助けてくれの殺すぞのとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直(ただ)ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境(げんきょう)に入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。
 将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎と見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。居(きょ)は気を移すと云う孟子(もうし)の語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。ただ場外に群(むら)がる数万の市民が有らん限りの鬨(とき)を作って停車場の硝子窓(ガラスまど)が破(わ)れるほどに響くのみである。余の左右前後の人々はようやくに列を乱して入口の方へなだれかかる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分(しょうぶん)としていつでも損をする。寄席(よせ)がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買う時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、この場合にも先例に洩(も)れず首尾よく人後(じんご)に落ちた。しかも普通の落ち方ではない。遥(はる)かこなたの人後(じんご)だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損(そくな)った時なら何とも思わないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損(みそこな)うのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声はこの時四方から大濤(おおなみ)の岸に崩(くず)れるような勢で余の鼓膜(こまく)に響き渡った。もうたまらない。どうしても見なければならん。
 ふと思いついた事がある。去年の春麻布(あざぶ)のさる町を通行したら高い練塀(ねりべい)のある広い屋敷の内で何か多人数打ち寄って遊んででもいるのか面白そうに笑う声が聞えた。余はこの時どう云う腹工合かちょっとこの邸内を覗(のぞ)いて見たくなった。全く腹工合のせいに相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿気た了見の起る訳(わけ)がない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因のいかんに因(よ)って変化出没する訳には行かぬ。しかし今云う通り高い土塀の向う側で笑っているのだから壁に穴のあいておらぬ限りはとうてい思い通り志望を満足する事は何人(なんびと)の手際(てぎわ)でも出来かねる。とうてい見る事が叶(かな)わないと四囲の状況から宣告を下されるとなお見てやりたくなる。愚(ぐ)な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓ってこの町を去らずと決心した。しかし案内も乞(こ)わずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業(しわざ)だ。と云って案内を乞うて這入るのはなおいやだ。この邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷(きずつ)けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。そうするには高い山から見下(みおろ)すか、風船の上から眺(なが)めるよりほかに名案もない。しかし双方共当座の間に合うような手軽なものとは云えぬ。よし、その儀ならこっちにも覚悟がある。高等学校時代で練習した高飛の術を応用して、飛び上がった時にちょっと見てやろう。これは妙策だ、幸い人通りもなし、あったところが自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁(いんねん)はない。やるべしと云うので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がった。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首どころではない肩までが思うように出た。この機をはずすととうてい目的は達せられぬと、ちらつく両眼を無理に据(す)えて、ここぞと思うあたりを瞥見(べっけん)すると女が四人でテニスをしていた。余が飛び上がるのを相図に四人が申し合せたようにホホホと癇(かん)の高い声で笑った。おやと思ううちにどたりと元のごとく地面の上に立った。
 これは誰が聞いても滑稽(こっけい)である。冒険の主人公たる当人ですらあまり馬鹿気ているので今日(こんにち)まで何人(なんびと)にも話さなかったくらい自(みずか)ら滑稽と心得ている。しかし滑稽とか真面目(まじめ)とか云うのは相手と場合によって変化する事で、高飛びその物が滑稽とは理由のない言草(いいぐさ)である。女がテニスをしているところへこっちが飛び上がったから滑稽にもなるが、ロメオがジュリエットを見るために飛び上ったって滑稽にはならない。ロメオくらいなところでは未(ま)だ滑稽を脱せぬと云うなら余はなお一歩を進める。この凱旋(がいせん)の将軍、英名嚇々(かくかく)たる偉人を拝見するために飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だって構うものか。見たいものは、誰が何と云っても見たいのだ。飛び上がろう、それがいい、飛び上がるにしくなしだと、とうとうまた先例によって一蹴(いっしゅう)を試むる事に決着した。先(ま)ず帽子をとって小脇に抱(か)い込む。この前は経験が足りなかったので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買いたての中折帽(なかおれぼう)が挨拶(あいさつ)もなく宙返りをして、一間ばかり向(むこう)へ転(ころ)がった。それをから車を引いて通り掛った車夫が拾って笑いながらえへへと差し出した事を記憶している。こんどはその手は喰(く)わぬ。これなら大丈夫と帽子を確(しか)と抑えながら爪先で敷石を弾(はじ)く心持で暗に姿勢を整える。人後に落ちた仕合せには邪魔になるほど近くに人もおらぬ。しばし衰えた、歓声は盛り返す潮(うしお)の岩に砕けたようにあたり一面に湧(わ)き上がる。ここだと思い切って、両足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑うほど脚力をふるって跳(は)ね上った。
 幌(ほろ)を開いたランドウが横向に凱旋門(がいせんもん)を通り抜けようとする中に――いた――いた。例の黒い顔が湧(わ)き返る声に囲まれて過去の紀念のごとく華(はな)やかなる群衆の中に点じ出されていた。将軍を迎えた儀仗兵(ぎじょうへい)の馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中にそれようとするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯(さっ)となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠(ふじねずみ)の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。
 見えたと思うより早く余が足はまた停車場の床(ゆか)の上に着いた。すべてが一瞬間の作用である。ぱっと射る稲妻の飽(あ)くまで明るく物を照らした後(あと)が常よりは暗く見えるように余は茫然(ぼうぜん)として地に下りた。
 将軍の去ったあとは群衆も自(おのず)から乱れて今までのように静粛ではない。列を作った同勢の一角(いっかく)が崩(くず)れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所がだんだん薄くなる。気早(きばや)な連中はもう引き揚げると見える。ところへ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は褪(さ)めて、ゲートルの代りには黄な羅紗(らしゃ)を畳んでぐるぐると脛(すね)へ巻きつけている。いずれもあらん限りの髯(ひげ)を生(は)やして、出来るだけ色を黒くしている。これらも戦争の片破(かたわ)れである。大和魂(やまとだましい)を鋳(い)固(かた)めた製作品である。実業家も入(い)らぬ、新聞屋も入らぬ、芸妓(げいしゃ)も入らぬ、余のごとき書物と睨(にら)めくらをしているものは無論入らぬ。ただこの髯茫々(ぼうぼう)として、むさくるしき事乞食(こつじき)を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶(かな)わぬ。彼らは日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表している。人類の精神は算盤(そろばん)で弾(はじ)けず、三味線に乗らず、三頁(ページ)にも書けず、百科全書中にも見当らぬ。ただこの兵士らの色の黒い、みすぼらしいところに髣髴(ほうふつ)として揺曳(ようえい)している。出山(しゅっせん)の釈迦(しゃか)はコスメチックを塗ってはおらん。金の指輪も穿(は)めておらん。芥溜(ごみだめ)から拾い上げた雑巾(ぞうきん)をつぎ合せたようなもの一枚を羽織っているばかりじゃ。それすら全身を掩(おお)うには足らん。胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨(ろっこつ)の枚数は自由に読めるくらいだ。この釈迦が尊(たっと)ければこの兵士も尊(たっ)といと云わねばならぬ。昔(むか)し元寇(げんこう)の役(えき)に時宗(ときむね)が仏光国師(ぶっこうこくし)に謁(えっ)した時、国師は何と云うた。威(い)を振(ふる)って驀地(ばくち)に進めと吼(ほ)えたのみである。このむさくろしき兵士らは仏光国師の熱喝(ねっかつ)を喫(きっ)した訳でもなかろうが驀地に進むと云う禅機(ぜんき)において時宗と古今(ここん)その揆(き)を一(いつ)にしている。彼らは驀地に進み了して曠如(こうじょ)と吾家(わがや)に帰り来りたる英霊漢である。天上を行き天下(てんげ)を行き、行き尽してやまざる底(てい)の気魄(きはく)が吾人の尊敬に価(あたい)せざる以上は八荒(はっこう)の中(うち)に尊敬すべきものは微塵(みじん)ほどもない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれるくらい黒いのがいる。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒(しゅろぼうき)を砧(きぬた)で打ったような髯――この気魄(きはく)は這裏(しゃり)に磅□(ほうはく)として蟠(わだか)まり□瀁(こうよう)として漲(みなぎ)っている。
 兵士の一隊が出てくるたびに公衆は万歳を唱(とな)えてやる。彼らのあるものは例の黒い顔に笑(えみ)を湛(たた)えて嬉(うれ)し気(げ)に通り過ぎる。あるものは傍目(わきめ)もふらずのそのそと行く。歓迎とはいかなる者ぞと不審気に見える顔もたまには見える。またある者は自己の歓迎旗の下に立って揚々(ようよう)と後(おく)れて出る同輩を眺(なが)めている。あるいは石段を下(くだ)るや否(いな)や迎(むかえ)のものに擁(よう)せられて、あまりの不意撃(ふいうち)に挨拶さえも忘れて誰彼の容赦なく握手の礼を施こしている。出征中に満洲で覚えたのであろう。
 その中に――これがはからずもこの話をかく動機になったのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人いた。顔は他の先生方と異(こと)なるところなく黒い、髯(ひげ)も延びるだけ延ばしておそらくは去年から持ち越したものと思われるが目鼻立ちはほかの連中とは比較にならぬほど立派である。のみならず亡友浩(こう)さんと兄弟と見違えるまでよく似ている。実はこの男がただ一人石段を下りて出た時ははっと思って馳(か)け寄ろうとしたくらいであった。しかし浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年余(よ)も厄介(やっかい)になっている。だからいくら浩さんだと思いたくっても思えるはずがない。ただ人情は妙なものでこの軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して、浩さんがこの軍曹の代りに無事で還(かえ)って来たらさぞ結構であろう。御母(おっか)さんも定めし喜ばれるであろうと、露見(ろけん)する気づかいがないものだから勝手な事を考えながら眺(なが)めていた。軍曹も何か物足らぬと見えてしきりにあたりを見廻している。ほかのもののように足早に新橋の方へ立ち去る景色(けしき)もない。何を探(さ)がしているのだろう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教えて遣(や)りたいと思ってなお目を放さずに打ち守っていると、どこをどう潜(くぐ)り抜けたものやら、六十ばかりの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖(そで)にぶら下がった。軍曹は中肉ではあるが背(せい)は普通よりたしかに二寸は高い。これに反して婆さんは人並はずれて丈(たけ)が低い上に年のせいで腰が少々曲っているから、抱き着いたとも寄り添うたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、その中(うち)からこのありさまを叙するに最も適当なる詞(ことば)を探したなら必ずぶら下がるが当選するにきまっている。この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下(みおろ)す。婆さんはやっと迷児(まいご)を見つけたと云う体(てい)で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったままである。近辺(きんぺん)に立つ見物人は万歳万歳と両人(ふたり)を囃(はや)したてる。婆さんは万歳などには毫(ごう)も耳を借す景色はない。ぶら下がったぎり軍曹の顔を下から見上げたまま吾が子に引き摺(ず)られて行く。冷飯草履(ひやめしぞうり)と鋲(びょう)を打った兵隊靴が入り乱れ、もつれ合って、うねりくねって新橋の方へ遠(とおざ)かって行く。余は浩さんの事を思い出して悵然(ちょうぜん)と草履(ぞうり)と靴の影を見送った。

          二

 浩(こう)さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戦死した。二十六日は風の強く吹く日であったそうだ。遼東(りょうとう)の大野(たいや)を吹きめぐって、黒い日を海に吹き落そうとする野分(のわき)の中に、松樹山(しょうじゅざん)の突撃は予定のごとく行われた。時は午後一時である。掩護(えんご)のために味方の打ち出した大砲が敵塁の左突角(ひだりとっかく)に中(あた)って五丈ほどの砂煙(すなけむ)りを捲(ま)き上げたのを相図に、散兵壕(さんぺいごう)から飛び出した兵士の数は幾百か知らぬ。蟻(あり)の穴を蹴返(けかえ)したごとくに散り散りに乱れて前面の傾斜を攀(よ)じ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足を容(い)るる余地もない。ところを梯子(はしご)を担(にな)い土嚢(どのう)を背負(しょ)って区々(まちまち)に通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争う者のために奪われて、後(あと)より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺(なが)めるとただ一筋の黒い河が山を裂いて流れるように見える。その黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかかって、すべてが消え失せたと思うくらい濃(こ)い煙が立ち揚(あが)る。怒(いか)る野分は横さまに煙りを千切(ちぎ)って遥(はる)かの空に攫(さら)って行く。あとには依然として黒い者が簇然(そうぜん)と蠢(うご)めいている。この蠢めいているもののうちに浩さんがいる。
 火桶(ひおけ)を中に浩さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の浅黒い髭(ひげ)の濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乗った話をするときは、相手の頭の中には浩さんのほか何もない。今日(きょう)の事も忘れ明日(あす)の事も忘れ聴(き)き惚(ほ)れている自分の事も忘れて浩さんだけになってしまう。浩さんはかように偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くにきまっていると思っていた。だから蠢めいているなどと云う下等な動詞は浩さんに対して用いたくない。ないが仕方がない。現に蠢めいている。鍬(くわ)の先に掘(ほ)り崩(くず)された蟻群(ぎぐん)の一匹のごとく蠢めいている。杓(ひしゃく)の水を喰(くら)った蜘蛛(くも)の子のごとく蠢めいている。いかなる人間もこうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里を馳(か)け抜ける野分、八方を包む煙り、鋳鉄(しゅてつ)の咽喉(のんど)から吼(ほ)えて飛ぶ丸(たま)――これらの前にはいかなる偉人も偉人として認められぬ。俵に詰めた大豆(だいず)の一粒のごとく無意味に見える。嗚呼(ああ)浩さん! 一体どこで何をしているのだ? 早く平生の浩さんになって一番露助(ろすけ)を驚かしたらよかろう。
 黒くむらがる者は丸(たま)を浴びるたびにぱっと消える。消えたかと思うと吹き散る煙の中に動いている。消えたり動いたりしているうちに、蛇(へび)の塀(へい)をわたるように頭から尾まで波を打ってしかも全体が全体としてだんだん上へ上へと登って行く、もう敵塁だ。浩さん真先に乗り込まなければいけない。煙の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが靡(なび)いている。風の強いためか、押し返されるせいか、真直ぐに立ったと思うと寝る。落ちたのかと驚ろくとまた高くあがる。するとまた斜(なな)めに仆(たお)れかかる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人数(たにんず)集まって揉(も)みに揉んで騒いでいる中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。この天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奥様と撰(えら)ぶところなくいっこう目立たぬのは不平な者だ。己(おの)れの子が己れの家庭にのさばっている間は天にも地にも懸替(かけがえ)のない若旦那である。この若旦那が制服を着けて学校へ出ると、向うの小間物屋のせがれと席を列(なら)べて、しかもその間に少しも懸隔のないように見えるのはちょっと物足らぬ感じがするだろう。余の浩さんにおけるもその通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ気が済まん。擂鉢(すりばち)の中に攪(か)き廻される里芋(さといも)のごとく紛然雑然とゴロゴロしていてはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構わん、旗を振ろうが、剣を翳(かざ)そうが、とにかくこの混乱のうちに少しなりとも人の注意を惹(ひ)くに足る働(はたらき)をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんにきまっている。どう間違ったって浩さんが碌々(ろくろく)として頭角をあらわさないなどと云う不見識な事は予期出来んのである。――それだからあの旗持は浩さんだ。
 黒い塊(かたま)りが敵塁の下まで来たから、もう塁壁を攀(よ)じ上(のぼ)るだろうと思ううち、たちまち長い蛇(へび)の頭はぽつりと二三寸切れてなくなった。これは不思議だ。丸(たま)を喰(くら)って斃(たお)れたとも見えない。狙撃(そげき)を避けるため地に寝たとも見えない。どうしたのだろう。すると頭の切れた蛇がまた二三寸ぷつりと消えてなくなった。これは妙だと眺(なが)めていると、順繰(じゅんぐり)に下から押し上(あが)る同勢が同じ所へ来るや否(いな)やたちまちなくなる。しかも砦(とりで)の壁には誰一人としてとりついたものがない。塹壕(ざんごう)だ。敵塁と我兵の間にはこの邪魔物があって、この邪魔物を越さぬ間は一人も敵に近(ちかづ)く事は出来んのである。彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂(きゅうはん)を登りつめた揚句(あげく)、この壕(ほり)の端(はた)まで来て一も二もなくこの深い溝(みぞ)の中に飛び込んだのである。担(にな)っている梯子(はしご)は壁に懸けるため、背負(しょ)っている土嚢(どのう)は壕を埋(うず)めるためと見えた。壕はどのくらい埋(うま)ったか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなってとうとう浩さんの番に来た。いよいよ浩さんだ。しっかりしなくてはいけない。
 高く差し上げた旗が横に靡(なび)いて寸断寸断(ずたずた)に散るかと思うほど強く風を受けた後(のち)、旗竿(はたざお)が急に傾いて折れたなと疑う途端(とたん)に浩さんの影はたちまち見えなくなった。いよいよ飛び込んだ! 折から二竜山(にりゅうざん)の方面より打ち出した大砲が五六発、大空に鳴る烈風を劈(つんざ)いて一度に山腹に中(あた)って山の根を吹き切るばかり轟(とどろ)き渡る。迸(ほとば)しる砂煙(すなけむり)は淋(さび)しき初冬(はつふゆ)の日蔭を籠(こ)めつくして、見渡す限りに有りとある物を封じ了(おわ)る。浩さんはどうなったか分らない。気が気でない。あの煙の吹いている底だと見当をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望むように密に蔽(おお)い重なる濃き者は、烈(はげ)しき風の捲返(まきかえ)してすくい去ろうと焦(あせ)る中に依然として凝(こ)り固って動かぬ。約二分間は眼をいくら擦(こす)っても盲目(めくら)同然どうする事も出来ない。しかしこの煙りが晴れたら――もしこの煙りが散り尽したら、きっと見えるに違ない。浩さんの旗が壕の向側(むこうがわ)に日を射返して耀(かがや)き渡って見えるに違ない。否(いな)向側を登りつくしてあの高く見える□(ひめがき)の上に翩々(へんぺん)と翻(ひるがえ)っているに違ない。ほかの人ならとにかく浩さんだから、そのくらいの事は必ずあるにきまっている。早く煙が晴れればいい。なぜ晴れんだろう。
 占(し)めた。敵塁の右の端(はじ)の突角の所が朧気(おぼろげ)に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁(せきへき)も見え出した。しかし人影はない。はてな、もうあすこらに旗が動いているはずだが、どうしたのだろう。それでは壁の下の土手の中頃にいるに相違ない。煙は拭(ぬぐ)うがごとく一掃(ひとはき)に上から下まで漸次(ぜんじ)に晴れ渡る。浩さんはどこにも見えない。これはいけない。田螺(たにし)のように蠢(うご)めいていたほかの連中もどこにも出現せぬ様子だ。いよいよいけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立った。五秒は十秒と変じ、十秒は二十、三十と重なっても誰一人(いちにん)の塹壕(ざんごう)から向うへ這(は)い上(あが)る者はない。ないはずである。塹壕に飛び込んだ者は向(むこう)へ渡すために飛び込んだのではない。死ぬために飛び込んだのである。彼らの足が壕底(ごうてい)に着くや否(いな)や穹窖(きゅうこう)より覘(ねらい)を定めて打ち出す機関砲は、杖(つえ)を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬(またた)く間(ま)に彼らを射殺した。殺されたものが這い上がれるはずがない。石を置いた沢庵(たくあん)のごとく積み重なって、人の眼に触れぬ坑内に横(よこた)わる者に、向(むこう)へ上がれと望むのは、望むものの無理である。横わる者だって上がりたいだろう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がりたくても、手足が利(き)かなくては上がれぬ。眼が暗(くら)んでは上がれぬ。胴に穴が開(あ)いては上がれぬ。血が通わなくなっても、脳味噌が潰(つぶ)れても、肩が飛んでも身体(からだ)が棒のように鯱張(しゃちこば)っても上がる事は出来ん。二竜山(にりゅうざん)から打出した砲煙が散じ尽した時に上がれぬばかりではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜(しも)が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して二十の砲砦(ほうさい)がことごとく日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就(じょうじゅ)して乃木将軍がめでたく凱旋(がいせん)しても上がる事は出来ん。百年三万六千日乾坤(けんこん)を提(ひっさ)げて迎に来ても上がる事はついにできぬ。これがこの塹壕に飛び込んだものの運命である。しかしてまた浩さんの運命である。蠢々(しゅんしゅん)として御玉杓子(おたまじゃくし)のごとく動いていたものは突然とこの底のない坑(あな)のうちに落ちて、浮世の表面から闇(やみ)の裡(うち)に消えてしまった。旗を振ろうが振るまいが、人の目につこうがつくまいがこうなって見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、壕(ほり)の底では、ほかの兵士と同じように冷たくなって死んでいたそうだ。
 ステッセルは降(くだ)った。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。しかし浩さんはまだ坑から上って来ない。図(はか)らず新橋へ行って色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、背(せ)の低い軍曹の御母(おっか)さんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんはなぜ壕から上がって来(こ)んのだろうと思った。浩さんにも御母さんがある。この軍曹のそれのように背は低くない、また冷飯草履(ひやめしぞうり)を穿(は)いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて御母さんが新橋へ出迎えに来られたとすれば、やはりあの婆さんのようにぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている御母(おっか)さんだ。塹壕(ざんごう)に飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆(しゃば)の天気は晴であろうとも曇であろうとも頓着(とんじゃく)はなかろう。しかし取り残された御母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、垂(た)れ籠(こ)めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢(あ)う。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴(ぐち)っぽくなる。洗湯(せんとう)で年頃の娘が湯を汲(く)んでくれる、あんな嫁がいたらと昔を偲(しの)ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪(ひょうたん)の中から折れたと同じようなものでしめ括(くく)りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一(こういち)が帰って来たらばと、皺(しわ)だらけの指を日夜(にちや)に折り尽してぶら下がる日を待ち焦(こ)がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪(しらが)は増したかも知れぬが将軍は歓呼(かんこ)の裡(うち)に帰来(きらい)した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差(さ)し支(つか)えはない。右の腕を繃帯(ほうたい)で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然として坑(あな)から上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。
 幸い今日は閑(ひま)だから浩さんのうちへ行って、久し振りに御母さんを慰めてやろう? 慰めに行くのはいいがあすこへ行くと、行くたびに泣かれるので困る。せんだってなどは一時間半ばかり泣き続けに泣かれて、しまいには大抵な挨拶(あいさつ)はし尽して、大(おおい)に応対に窮したくらいだ。その時御母さんはせめて気立ての優しい嫁でもおりましたら、こんな時には力になりますのにとしきりに嫁々と繰り返して大に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善(よ)かろうと御免(ごめん)蒙(こうむ)りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云うから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと云う。なるほど亡友の日記は面白かろう。元来日記と云うものはその日その日の出来事を書き記(し)るすのみならず、また時々刻々(じじこっこく)の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、いかに親友の手帳でも断りなしに目を通す訳には行かぬが、御母さんが承諾する――否(いな)先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで云おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい余の手際(てぎわ)では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と面会の約束をした刻限も逼(せま)っているから、これは追って改めて上がって緩々(ゆるゆる)拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易(へきえき)の体(てい)である。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭(いや)とは云わない。元々木や石で出来上ったと云う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいは優(ゆう)に表し得る男であるがいかんせん性来(しょうらい)余り口の製造に念が入(い)っておらんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましと啜(すす)り上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に体裁(ていさい)を繕(つく)ろって半間(はんま)に調子を合せようとするとせっかくの慰藉(いしゃ)的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰(ふっとう)する事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその内として、まず今日は見合せよう。
 訪問は見合せる事にしたが、昨日(きのう)の新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友を弔(とむら)ってやらねばならん。悼亡(とうぼう)の句などは出来る柄(がら)でない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺参りだ。浩さんは松樹山(しょうじゅざん)の塹壕(ざんごう)からまだ上(あが)って来ないがその紀念の遺髪は遥(はる)かの海を渡って駒込の寂光院(じゃっこういん)に埋葬された。ここへ行って御参りをしてきようと西片町(にしかたまち)の吾家(わがや)を出る。
 冬の取(と)っ付(つ)きである。小春(こはる)と云えば名前を聞いてさえ熟柿(じゅくし)のようないい心持になる。ことに今年(ことし)はいつになく暖かなので袷羽織(あわせばおり)に綿入(わたいれ)一枚の出(い)で立(た)ちさえ軽々(かろがろ)とした快い感じを添える。先の斜(なな)めに減った杖(つえ)を振り廻しながら寂光院と大師流(だいしりゅう)に古い紺青(こんじょう)で彫りつけた額を眺(なが)めて門を這入(はい)ると、精舎(しょうじゃ)は格別なもので門内は蕭条(しょうじょう)として一塵の痕(あと)も留(と)めぬほど掃除が行き届いている。これはうれしい。肌(はだ)の細かな赤土が泥濘(ぬか)りもせず干乾(ひから)びもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色(けしき)ほどありがたいものはない。西片町は学者町か知らないが雅(が)な家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。学者がそれだけ殖(ふ)えたのか、あるいは学者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境内(けいだい)へ来ると、平生は学者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活が羨(うらやま)しくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方(おおかた)百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚(おうよう)なところが頼母(たのも)しい。神無月(かんなづき)の松の落葉とか昔は称(とな)えたものだそうだが葉を振(ふる)った景色(けしき)は少しも見えない。ただ蟠(わだかま)った根が奇麗な土の中から瘤(こぶ)だらけの骨を一二寸露(あら)わしているばかりだ。老僧か、小坊主か納所(なっしょ)かあるいは門番が凝性(こりしょう)で大方(おおかた)日に三度くらい掃(は)くのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき当りが本堂で、その右が庫裏(くり)である。本堂の正面にも金泥(きんでい)の額(がく)が懸(かか)って、鳥の糞(ふん)か、紙を噛(か)んで叩(たた)きつけたのか点々と筆者の神聖を汚(け)がしている。八寸角の欅柱(けやきばしら)には、のたくった草書の聯(れん)が読めるなら読んで見ろと澄(すま)してかかっている。なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之(おうぎし)かも知れない。えらそうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏(ばけいちょう)がある。ただし化(ばけ)の字は余のつけたのではない。聞くところによるとこの界隈(かいわい)で寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はないそうだ。しかし何が化(ば)けたって、こんなに高くはなりそうもない。三抱(みかかえ)もあろうと云う大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振(ふる)って、から坊主になって、野分(のわき)のなかに唸(うな)っているのだが、今年(ことし)は全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。下から仰ぐと目に余る黄金(こがね)の雲が、穏(おだや)かな日光を浴びて、ところどころ鼈甲(べっこう)のように輝くからまぼしいくらい見事である。その雲の塊(かたま)りが風もないのにはらはらと落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間もまたすこぶる長い。枝を離れて地に着くまでの間にあるいは日に向いあるいは日に背(そむ)いて色々な光を放つ。色々に変りはするものの急ぐ景色(けしき)もなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って来る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳(ようえい)して遊んでいるように思われる。閑静である。――すべてのものの動かぬのが一番閑静だと思うのは間違っている。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解できる。しかもその一点が動くと云う感じを過重(かちょう)ならしめぬくらい、否(いな)その一点の動く事それ自(みずか)らが定寂(じょうじゃく)の姿を帯びて、しかも他の部分の静粛なありさまを反思(はんし)せしむるに足るほどに靡(なび)いたなら――その時が一番閑寂(かんじゃく)の感を与える者だ。銀杏(いちょう)の葉の一陣の風なきに散る風情(ふぜい)は正にこれである。限りもない葉が朝(あした)、夕(ゆうべ)を厭(いと)わず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧(じそう)もここまでは手が届かぬと見えて、当座は掃除の煩(はん)を避けたものか、または堆(うずた)かき落葉を興ある者と眺(なが)めて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。
 しばらく化銀杏(ばけいちょう)の下に立って、上を見たり下を見たり佇(たたず)んでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入(はい)り込んだ。この寺は由緒(ゆいしょ)のある寺だそうでところどころに大きな蓮台(れんだい)の上に据(す)えつけられた石塔が見える。右手の方(かた)に柵(さく)を控えたのには梅花院殿(ばいかいんでん)瘠鶴大居士(せきかくだいこじ)とあるから大方(おおかた)大名か旗本の墓だろう。中には至極(しごく)簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書(かいしょ)で彫ってある。小供だから小さい訳(わけ)だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者(もうじゃ)は、年々御客様となって、あの剥(は)げかかった額の下を潜(くぐ)るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否(いな)や急に古(ふ)る仏(ぼとけ)となってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家(だんか)は寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所(くうしょ)を狭(せば)めずに、先祖代々の墓の中に新仏(しんぼとけ)を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人(ひとり)である。
 浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆(らんとうば)内でだいぶ幅の利(き)く方である。墓はいつ頃出来たものか確(しか)とは知らぬが、何でも浩さんの御父(おとっ)さんが這入り、御爺(おじい)さんも這入り、そのまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝(けいしょう)の地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地(へいち)があって石段を二つ踏んで行(い)き当(あた)りの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。極(きわ)めて分(わか)りやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例のごとく例の路(みち)をたどって半分ほど来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の詣(まい)るべき墓の方を見た。
 見ると! もう来ている。誰だか分らないが後(うし)ろ向(むき)になってしきりに合掌している様子だ。はてな。誰だろう。誰だか分りようはないが、遠くから見ても男でないだけは分る。恰好(かっこう)から云ってもたしかに女だ。女なら御母(おっか)さんか知らん。余は無頓着(むとんじゃく)の性質で女の服装などはいっこう不案内だが、御母さんは大抵黒繻子(くろじゅす)の帯をしめている。ところがこの女の帯は――後から見ると最も人の注意を惹(ひ)く、女の背中いっぱいに広がっている帯は決して黒っぽいものでもない。光彩陸離(こうさいりくり)たるやたらに奇麗(きれい)なものだ。若い女だ! と余は覚えず口の中で叫んだ。こうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退(しりぞ)くべきものかちょっと留って考えて見た。女はそれとも知らないから、しゃがんだまま熱心に河上家代々の墓を礼拝している。どうも近寄りにくい。さればと云って逃げるほど悪事を働いた覚(おぼえ)はない。どうしようと迷っていると女はすっくら立ち上がった。後ろは隣りの寺の孟宗藪(もうそうやぶ)で寒いほど緑りの色が茂っている。その滴(した)たるばかり深い竹の前にすっくりと立った。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出したように白く映る。眼の大きな頬の緊(しま)った領(えり)の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端(はじ)をつかんでいる。そのハンケチの雪のように白いのが、暗い竹の中に鮮(あざや)かに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれたほかは、あっと思った瞬間に余の眼には何物も映らなかった。
 余がこの年(とし)になるまでに見た女の数は夥(おびただ)しいものである。往来の中、電車の上、公園の内、音楽会、劇場、縁日、随分見たと云って宜(よろ)しい。しかしこの時ほど驚ろいた事はない。この時ほど美しいと思った事はない。余は浩さんの事も忘れ、墓詣(はかまい)りに来た事も忘れ、きまりが悪(わ)るいと云う事さえ忘れて白い顔と白いハンケチばかり眺(なが)めていた。今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途端に、茫然(ぼうぜん)として佇(たた)ずんでいる余の姿が眼に入(い)ったものと見えて、石段の上にちょっと立ち留まった。下から眺めた余の眼と上から見下(みおろ)す女の視線が五間を隔(へだ)てて互に行き当った時、女はすぐ下を向いた。すると飽(あ)くまで白い頬に裏から朱を溶(と)いて流したような濃い色がむらむらと煮染(にじ)み出した。見るうちにそれが顔一面に広がって耳の付根まで真赤に見えた。これは気の毒な事をした。化銀杏(ばけいちょう)の方へ逆戻りをしよう。いやそうすればかえって忍び足に後(あと)でもつけて来たように思われる。と云って茫然と見とれていてはなお失礼だ。死地に活を求むと云う兵法もあると云う話しだからこれは勢よく前進するにしくはない。墓場へ墓詣りをしに来たのだから別に不思議はあるまい。ただ躊躇(ちゅうちょ)するから怪しまれるのだ。と決心して例のステッキを取り直して、つかつかと女の方にあるき出した。すると女も俯向(うつむ)いたまま歩を移して石段の下で逃げるように余の袖(そで)の傍(そば)を擦(す)りぬける。ヘリオトロープらしい香(かお)りがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織(あわせばおり)の背中(せなか)からしみ込んだような気がした。女が通り過ぎたあとは、やっと安心して何だか我に帰った風に落ちついたので、元来何者だろうとまた振り向いて見る。すると運悪くまた眼と眼が行き合った。こんどは余は石段の上に立ってステッキを突いている。女は化銀杏(ばけいちょう)の下で、行きかけた体(たい)を斜(なな)めに捩(ねじ)ってこっちを見上げている。銀杏は風なきになおひらひらと女の髪の上、袖(そで)の上、帯の上へ舞いさがる。時刻は一時か一時半頃である。ちょうど去年の冬浩さんが大風の中を旗を持って散兵壕から飛び出した時である。空は研(と)ぎ上げた剣(つるぎ)を懸(か)けつらねたごとく澄んでいる。秋の空の冬に変る間際(まぎわ)ほど高く見える事はない。羅(うすもの)に似た雲の、微(かす)かに飛ぶ影も眸(ひとみ)の裡(うち)には落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り尽せはしまいと思われるのがこの空である。無限と云う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限に遐(はる)かに、無限に静かな空を会釈(えしゃく)もなく裂いて、化銀杏が黄金(こがね)の雲を凝(こ)らしている。その隣には寂光院の屋根瓦(やねがわら)が同じくこの蒼穹(そうきゅう)の一部を横に劃(かく)して、何十万枚重なったものか黒々と鱗(うろこ)のごとく、暖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍(がらん)と古き墳墓が寂寞(じゃくまく)として存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪を後(うし)ろに背負(しょ)って立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣(きぬ)の色と、その衣を真中から輪に截(き)った帯の色がいちじるしく目立つ。縞柄(しまがら)だの品物などは余のような無風流漢には残念ながら記述出来んが、色合だけはたしかに華(はな)やかな者だ。こんな物寂(ものさ)びた境内(けいだい)に一分たりともいるべき性質のものでない。いるとすればどこからか戸迷(とまどい)をして紛(まぎ)れ込んで来たに相違ない。三越陳列場の断片を切り抜いて落柿舎(らくししゃ)の物干竿(ものほしざお)へかけたようなものだ。対照の極とはこれであろう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返って余が詣(まい)る墓のありかを確かめて行きたいと云う風に見えたが、生憎(あいにく)余の方でも女に不審があるので石段の上から眺(なが)め返したから、思い切って本堂の方へ曲った。銀杏はひらひらと降って、黒い地を隠す。
 余は女の後姿を見送って不思議な対照だと考えた。昔(むか)し住吉の祠(やしろ)で芸者を見た事がある。その時は時雨(しぐれ)の中に立ち尽す島田姿が常よりは妍(あで)やかに余が瞳(ひとみ)を照らした。箱根の大地獄で二八余(にはちあま)りの西洋人に遇(あ)った事がある。その折は十丈も煮え騰(あが)る湯煙りの凄(すさま)じき光景が、しばらくは和(やわ)らいで安慰の念を余が頭に与えた。すべての対照は大抵この二つの結果よりほかには何も生ぜぬ者である。在来の鋭どき感じを削(けず)って鈍くするか、または新たに視界に現わるる物象を平時よりは明瞭(めいりょう)に脳裏(のうり)に印し去るか、これが普通吾人の予期する対照である。ところが今睹(み)た対象は毫(ごう)もそんな感じを引き起さなかった。相除(そうじょ)の対照でもなければ相乗(そうじょう)の対照でもない。古い、淋(さび)しい、消極的な心の状態が減じた景色(けしき)はさらにない、と云ってこの美くしい綺羅(きら)を飾った女の容姿が、音楽会や、園遊会で逢(あ)うよりは一(ひ)と際(きわ)目立って見えたと云う訳でもない。余が寂光院(じゃっこういん)の門を潜(くぐ)って得た情緒(じょうしょ)は、浮世を歩む年齢が逆行して父母未生(ふもみしょう)以前に溯(さかのぼ)ったと思うくらい、古い、物寂(ものさ)びた、憐れの多い、捕えるほど確(しか)とした痕迹(こんせき)もなきまで、淡く消極的な情緒である。この情緒は藪(やぶ)を後(うし)ろにすっくりと立った女の上に、余の眼が注(そそ)がれた時に毫(ごう)も矛盾の感を与えなかったのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍(ふるがらん)と剥(は)げた額、化銀杏(ばけいちょう)と動かぬ松、錯落(さくらく)と列(なら)ぶ石塔――死したる人の名を彫(きざ)む死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟無礙(むげ)の一種の感動を余の神経に伝えたのである。
 こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言(きょげん)だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価(かけね)のないところをかいたのである。もし文士がわるければ断(ことわ)って置く。余は文士ではない、西片町(にしかたまち)に住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁(さおう)の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうや否(いな)や門の戸を続け様(ざま)に敲(たた)くものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢の管(くだ)を捲(ま)くようなたわいもない事を呂律(ろれつ)の廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの傍(わき)で都々逸(どどいつ)を歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽(こっけい)を挿(はさ)んだために今までの凄愴(せいそう)たる光景が多少和(やわ)らげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍のおかしみを与えると云う訳でもない。それでは何らの功果(こうか)もないかと云うと大変ある。劇全体を通じての物凄(ものすご)さ、怖(おそろ)しさはこの一段の諧謔(かいぎゃく)のために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖(いふ)である。恐懼(きょうく)である、悚然(しょうぜん)として粟(あわ)を肌(はだえ)に吹く要素になる。その訳を云えば先(ま)ずこうだ。
 吾人が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるるのは言(げん)を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量に因(よ)って高下増減するのも争われぬ事実であろう。絹布団(きぬぶとん)に生れ落ちて御意(ぎょい)だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重(かさ)なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意(ぎょい)遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾(めかけ)を買い、金で邸宅、朋友(ほうゆう)、従五位(じゅごい)まで買った連中(れんじゅう)は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨(にら)んで高(たか)を括(くく)った鼻先を虚空(こくう)遥(はる)かに反(そ)り返(か)えす。一度の経験でも御多分(ごたぶん)には洩(も)れん。箔屋町(はくやちょう)の大火事に身代(しんだい)を潰(つぶ)した旦那は板橋の一つ半でも蒼(あお)くなるかも知れない。濃尾(のうび)の震災に瓦(かわら)の中から掘り出された生(い)き仏(ぼとけ)はドンが鳴っても念仏を唱(とな)えるだろう。正直な者が生涯(しょうがい)に一返(ぺん)万引を働いても疑(うたがい)を掛ける知人もないし、冗談(じょうだん)を商売にする男が十年に半日真面目(まじめ)な事件を担(かつ)ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各(おのおの)異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢(ろう)として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆(ようば)、毒婦、兇漢(きょうかん)の行為動作を刻意(こくい)に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽(こっけい)に至って冥々(めいめい)の際読者の心に生ずる唯一の惰性は怖と云う一字に帰着してしまう。過去がすでに怖(ふ)である、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然と己(おの)れを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこの怖に関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものが陸(おか)に上(あが)った後(あと)までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀(すずめ)が案山子(かがし)を例の爺(じい)さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖の一字をどこまでも引張って、怖を冠すべからざる辺(へん)にまで持って行こうと力(つと)むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖化(か)せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔(かいぎゃく)とは受け取れまい。
 世間には諷語(ふうご)と云うがある。諷語は皆表裏(ひょうり)二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫(ひっぷ)の渾名(あだな)に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜(けんそん)するのはますます人を愚(ぐ)にした待遇法で、他を称揚するのは熾(さかん)に他を罵倒(ばとう)した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀(おじぎ)一つで人を愚弄(ぐろう)するよりは、履物(はきもの)を揃(そろ)えて人を揶揄(やゆ)する方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目(まじめ)がくっついている。大笑(たいしょう)の奥には熱涙が潜(ひそ)んでいる。雑談(じょうだん)の底には啾々(しゅうしゅう)たる鬼哭(きこく)が聞える。とすれば怖と云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語(もうご)のうちに身の毛もよだつほどの畏懼(いく)の念はあるはずだ。元来諷語(ふうご)は正語(せいご)よりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえ厭(いと)う美人の根性(こんじょう)を透見(とうけん)して、毒蛇の化身(けしん)すなわちこれ天女(てんにょ)なりと判断し得たる刹那(せつな)に、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層怖(おそ)るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物(ばけもの)の方が定石(じょうせき)の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜(いちや)をあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレを躍(おど)るものがあったらこのカッポレは非常に物凄(ものすご)かろう。これも一種の諷語(ふうご)であるからだ。マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院(じゃっこういん)の美人も解けるはずだ。
 百花の王をもって許す牡丹(ぼたん)さえ崩(くず)れるときは、富貴の色もただ好事家(こうずか)の憐れを買うに足らぬほど脆(もろ)いものだ。美人薄命と云う諺(ことわざ)もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充(み)ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染(ゆうぜん)とか、繻珍(しゅちん)とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出(はで)である立派である、春景色(はるげしき)である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖(そで)が忽然(こつぜん)と本来の面目を変じて蕭条(しょうじょう)たる周囲に流れ込んで、境内寂寞(けいだいじゃくまく)の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏(いちょう)の黄葉(こうよう)は淋(さみ)しい。まして化(ば)けるとあるからなお淋(さみ)しい。しかしこの女が化銀杏(ばけいちょう)の下に横顔を向けて佇(たたず)んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯(えいたい)して索寞(さくばく)の観を添えるのか。これも諷語(ふうご)だからだ。マクベスの門番が怖(おそろ)しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。
 御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。家(うち)から折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でも括(くく)りつけてはないかと葉裏まで覗(のぞ)いて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精(くわ)しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提(さ)げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸(おいか)けて名前だけでも聞いて見(み)ようか、それも妙だ。いっその事黙って後(あと)を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善(よ)かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月塹壕(ざんごう)に飛び込んだぎり、今日(きょう)まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖(つえ)で敲(たた)いても、手で揺(ゆ)り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝(ね)ているだろう。こんな美人が、こんな美しい花を提(さ)げて御詣(おまい)りに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性(すじょう)も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞き糺(ただ)さなくてはならん。何でも蚊(か)でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股(ひとまた)に飛び下りて化銀杏(ばけいちょう)の落葉を蹴散(けち)らして寂光院の門を出て先(ま)ず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母(おっか)さんに逢って話をして見(み)よう、ことによったら容子(ようす)が分るかも知れない。

          三

 六畳の座敷は南向(みなみむき)で、拭き込んだ椽側(えんがわ)の端(はじ)に神代杉(じんだいすぎ)の手拭懸(てぬぐいかけ)が置いてある。軒下(のきした)から丸い手水桶(ちょうずおけ)を鉄の鎖(くさり)で釣るしたのは洒落(しゃ)れているが、その下に一叢(ひとむら)の木賊(とくさ)をあしらった所が一段の趣(おもむき)を添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠(ちゃばたけ)でその間に梅の木が三四本見える。垣に結(ゆ)うた竹の先に洗濯した白足袋(しろたび)が裏返しに乾(ほ)してあってその隣りには如露(じょろ)が逆(さか)さまに被(かぶ)せてある。その根元に豆菊が塊(かた)まって咲いて累々(るいるい)と白玉(はくぎょく)を綴(つづ)っているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。
「今年は暖(あっ)たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
「へえ、白いのが好きでしたかな」
「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」
「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院(じゃっこういん)の花筒に挿(はさ)んであるのは正にこの種のこの色の菊である。
「御叔母(おば)さん近頃は御寺参りをなさいますか」
「いえ、せんだって中(じゅう)から風邪(かぜ)の気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れる間(ま)はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀(たいぎ)になりましてね」
「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。
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