趣味の遺伝
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著者名:夏目漱石 

          一

 陽気のせいで神も気違(きちがい)になる。「人を屠(ほふ)りて餓(う)えたる犬を救え」と雲の裡(うち)より叫ぶ声が、逆(さか)しまに日本海を撼(うご)かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応(こた)えて百里に余る一大屠場(とじょう)を朔北(さくほく)の野(や)に開いた。すると渺々(びょうびょう)たる平原の尽くる下より、眼にあまる□狗(ごうく)の群(むれ)が、腥(なまぐさ)き風を横に截(き)り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。狂える神が小躍(こおど)りして「血を啜(すす)れ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐く□(ほのお)の舌は暗き大地を照らして咽喉(のど)を越す血潮の湧(わ)き返る音が聞えた。今度は黒雲の端(はじ)を踏み鳴らして「肉を食(くら)え」と神が号(さけ)ぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度に咆(ほ)え立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つの脛(すね)を啣(くわ)えて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々(べきべき)たる雲を貫(つら)ぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛(か)むに適している。狂う神の作った犬には狂った道具が具(そな)わっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせと牙(きば)を鳴らして骨にかかる。ある者は摧(くじ)いて髄(ずい)を吸い、ある者は砕いて地に塗(まみ)る。歯の立たぬ者は横にこいて牙(きば)を磨(と)ぐ。
 怖(こわ)い事だと例の通り空想に耽(ふけ)りながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場はいっぱいの人で凱旋門(がいせんもん)を通して二間ばかりの路を開いたまま、左右には割り込む事も出来ないほど行列している。何だろう?
 行列の中には怪(あや)し気(げ)な絹帽(シルクハット)を阿弥陀(あみだ)に被(かぶ)って、耳の御蔭で目隠しの難を喰(く)い止(と)めているのもある。仙台平(せんだいひら)を窮屈そうに穿(は)いて七子(ななこ)の紋付を人の着物のようにいじろじろ眺(なが)めているのもある。フロック・コートは承知したがズックの白い運動靴をはいて同じく白の手袋をちょっと見たまえと云わぬばかりに振り廻しているのは奇観だ。そうして二十人に一本ずつくらいの割合で手頃な旗を押し立てている。大抵は紫(むらさき)に字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振(ふる)ったのも見える。この旗さえ見たらこの群集の意味も大概(たいがい)分るだろうと思って一番近いのを注意して読むと木村六之助君の凱旋(がいせん)を祝す連雀町(れんじゃくちょう)有志者とあった。ははあ歓迎だと始めて気がついて見ると、先刻(さっき)の異装紳士も何となく立派に見えるような気がする。のみならず戦争を狂神のせいのように考えたり、軍人を犬に食われに戦地へ行くように想像したのが急に気の毒になって来た。実は待ち合す人があって停車場まで行くのであるが、停車場へ達するには是非共この群集を左右に見て誰も通らない真中をただ一人歩かなくってはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見(どうけん)しはしまいが、たださえ人の注視をわれ一人に集めて往来を練(ね)って行くのはきまりが悪(わ)るいのに、犬に喰い残された者の家族と聞いたら定めし怒(おこ)る事であろうと思うと、一層調子が狂うところを何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上まで漕(こ)ぎつけたのは少し苦しかった。
 場内へ這入って見るとここも歓迎の諸君で容易に思う所へ行けぬ。ようやくの事一等の待合へ来て見ると約束をした人は未(ま)だ来ておらぬらしい。暖炉の横に赤い帽子を被った士官が何かしきりに話しながら折々佩剣(はいけん)をがちゃつかせている。その傍(そば)に絹帽(シルクハット)が二つ並んで、その一つには葉巻の煙(けむ)りが輪になってたなびいている。向うの隅に白襟(しろえり)の細君が品(ひん)のよい五十恰好(かっこう)の婦人と、傍(わ)きの人には聞えぬほどな低い声で何事か耳語(ささや)いている。ところへ唐桟(とうざん)の羽織を着て鳥打帽を斜めに戴(いただ)いた男が来て、入場券は貰えません改札場の中はもういっぱいですと注進する。大方(おおかた)出入(でいり)の者であろう。室の中央に備え付けたテーブルの周囲には待(ま)ち草臥(くたび)れの連中が寄ってたかって新聞や雑誌をひねくっている。真面目に読んでるものは極(きわ)めて少ないのだから、ひねくっていると云うのが適当だろう。
 約束をした人はなかなか来(こ)ん。少々退屈になったから、少し外へ出て見ようかと室の戸口をまたぐ途端に、背広(せびろ)を着た髯(ひげ)のある男が擦(す)れ違いながら「もう直(じき)です二時四十五分ですから」と云った。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋(がいせん)の将士が見られる。こんな機会は容易にない、ついでだからと云っては失礼かも知れんが実際余のように図書館以外の空気をあまり吸った事のない人間はわざわざ歓迎のために新橋までくる折もあるまい、ちょうど幸(さいわい)だ見て行こうと了見(りょうけん)を定めた。
 室を出て見ると場内もまた往来のように行列を作って、中にはわざわざ見物に来た西洋人も交っている。西洋人ですらくるくらいなら帝国臣民たる吾輩(わがはい)は無論歓迎しなくてはならん、万歳の一つくらいは義務にも申して行こうとようやくの事で行列の中へ割り込んだ。
「あなたも御親戚を御迎いに御出(おいで)になったので……」
「ええ。どうも気が急(せ)くものですから、つい昼飯を食わずに来て、……もう二時間半ばかり待ちます」と腹は減ってもなかなか元気である。ところへ三十前後の婦人が来て
「凱旋の兵士はみんな、ここを通りましょうか」と心配そうに聞く。大切の人を見はぐっては一大事ですと云わぬばかりの決心を示している。腹の減った男はすぐ引き受けて
「ええ、みんな通るんです、一人残らず通るんだから、二時間でも三時間でもここにさえ立っていれば間違いっこありません」と答えたのはなかなか自信家と見える。しかし昼飯も食わずに待っていろとまでは云わなかった。
 汽車の笛(ふえ)の音を形容して喘息(ぜんそく)病(や)みの鯨(くじら)のようだと云った仏蘭西(フランス)の小説家があるが、なるほど旨(うま)い言葉だと思う間もなく、長蛇のごとく蜿蜒(のた)くって来た列車は、五百人余の健児を一度にプラットフォームの上に吐き出した。
「ついたようですぜ」と一人が領(くび)を延(のば)すと
「なあに、ここに立ってさえいれば大丈夫」と腹の減った男は泰然として動(どう)ずる景色(けしき)もない。この男から云うと着いても着かなくても大丈夫なのだろう。それにしても腹の減った割には落ちついたものである。
 やがて一二丁向うのプラットフォームの上で万歳! と云う声が聞える。その声が波動のように順送りに近づいてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云(い)い懸(か)けた尻尾(しっぽ)を埋(うず)めて余の左右に並んだ同勢は一度に万―歳! と叫んだ。その声の切れるか切れぬうちに一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦(や)けた、胡麻塩髯(ごましおひげ)の小作(こづく)りな人である。左右の人は将軍の後(あと)を見送りながらまた万歳を唱(とな)える。余も――妙な話しだが実は万歳を唱えた事は生れてから今日(こんにち)に至るまで一度もないのである。万歳を唱えてはならんと誰からも申しつけられた覚(おぼえ)は毛頭ない。また万歳を唱えては悪(わ)るいと云う主義でも無論ない。しかしその場に臨んでいざ大声(たいせい)を発しようとすると、いけない。小石で気管を塞(ふさ)がれたようでどうしても万歳が咽喉笛(のどぶえ)へこびりついたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない。――しかし今日は出してやろうと先刻(さっき)から決心していた。実は早くその機がくればよいがと待ち構えたくらいである。隣りの先生じゃないが、なあに大丈夫と安心していたのである。喘息病みの鯨が吼(ほ)えた当時からそら来たなとまで覚悟をしていたくらいだから周囲のものがワーと云うや否や尻馬(しりうま)についてすぐやろうと実は舌の根まで出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通った。将軍の日に焦(や)けた色が見えた。将軍の髯(ひげ)の胡麻塩(ごましお)なのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった。なぜ?
 なぜか分るものか。なにゆえとかこのゆえとか云うのは事件が過ぎてから冷静な頭脳に復したとき当時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。なにゆえが分るくらいなら始めから用心をして万歳の逆戻りを防いだはずである。予期出来ん咄嗟(とっさ)の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の万歳は余の支配権以外に超然として止(と)まったと云わねばならぬ。万歳がとまると共に胸の中(うち)に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫(ふたしずく)ばかり涙が落ちた。
 将軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。しかし遼東(りょうとう)の風に吹かれ、奉天の雨に打たれ、沙河(しゃか)の日に射(い)り付けられれば大抵なものは黒くなる。地体(じたい)黒いものはなお黒くなる。髯(ひげ)もその通りである。出征してから白銀(しろがね)の筋は幾本も殖(ふ)えたであろう。今日始めて見る我らの眼には、昔の将軍と今の将軍を比較する材料がない。しかし指を折って日夜に待(まち)佗(わ)びた夫人令嬢が見たならば定めし驚くだろう。戦(いくさ)は人を殺すかさなくば人を老いしむるものである。将軍はすこぶる瘠(や)せていた。これも苦労のためかも知れん。して見ると将軍の身体中(からだじゅう)で出征前(ぜん)と変らぬのは身の丈(たけ)くらいなものであろう。余のごときは黄巻青帙(こうかんせいちつ)の間(あいだ)に起臥(きが)して書斎以外にいかなる出来事が起るか知らんでも済む天下の逸民(いつみん)である。平生戦争の事は新聞で読まんでもない、またその状況は詩的に想像せんでもない。しかし想像はどこまでも想像で新聞は横から見ても縦から見ても紙片(しへん)に過ぎぬ。だからいくら戦争が続いても戦争らしい感じがしない。その気楽な人間がふと停車場に紛(まぎ)れ込んで第一に眼に映じたのが日に焦けた顔と霜(しも)に染った髯である。戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果――たしかに結果の一片(いっぺん)、しかも活動する結果の一片が眸底(ぼうてい)を掠(かす)めて去った時は、この一片に誘われて満洲の大野(たいや)を蔽(おお)う大戦争の光景がありありと脳裏(のうり)に描出(びょうしゅつ)せられた。
 しかもこの戦争の影とも見るべき一片の周囲を繞(めぐ)る者は万歳と云う歓呼の声である。この声がすなわち満洲の野(や)に起った咄喊(とっかん)の反響である。万歳の意義は字のごとく読んで万歳に過ぎんが咄喊となるとだいぶ趣(おもむき)が違う。咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深い情(じょう)が籠(こも)っている。人間の音声には黄色いのも濁ったのも澄んだのも太いのも色々あって、その言語調子もまた分類の出来んくらい区々(まちまち)であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯(きっぱん)の件、談判の件、懸引(かけひき)の件、挨拶(あいさつ)の件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞(おきき)に入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜(こまく)に迷惑を懸(か)けるのはよくせきの事でなければならぬ。咄喊(とっかん)はこのよくせきを煎(せん)じ詰めて、煮詰めて、缶詰(かんづ)めにした声である。死ぬか生きるか娑婆(しゃば)か地獄かと云う際(きわ)どい針線(はりがね)の上に立って身(み)震(ぶる)いをするとき自然と横膈膜(おうかくまく)の底から湧(わ)き上がる至誠の声である。助けてくれと云ううちに誠はあろう、殺すぞと叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味(いやみ)もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐(いつわ)りもなければ懸引(かけひき)もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪(しんとう)さしてワーと鳴る。万歳の助けてくれの殺すぞのとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直(ただ)ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境(げんきょう)に入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。
 将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎と見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。居(きょ)は気を移すと云う孟子(もうし)の語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。ただ場外に群(むら)がる数万の市民が有らん限りの鬨(とき)を作って停車場の硝子窓(ガラスまど)が破(わ)れるほどに響くのみである。余の左右前後の人々はようやくに列を乱して入口の方へなだれかかる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分(しょうぶん)としていつでも損をする。寄席(よせ)がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買う時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、この場合にも先例に洩(も)れず首尾よく人後(じんご)に落ちた。しかも普通の落ち方ではない。遥(はる)かこなたの人後(じんご)だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損(そくな)った時なら何とも思わないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損(みそこな)うのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声はこの時四方から大濤(おおなみ)の岸に崩(くず)れるような勢で余の鼓膜(こまく)に響き渡った。もうたまらない。どうしても見なければならん。
 ふと思いついた事がある。去年の春麻布(あざぶ)のさる町を通行したら高い練塀(ねりべい)のある広い屋敷の内で何か多人数打ち寄って遊んででもいるのか面白そうに笑う声が聞えた。余はこの時どう云う腹工合かちょっとこの邸内を覗(のぞ)いて見たくなった。全く腹工合のせいに相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿気た了見の起る訳(わけ)がない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因のいかんに因(よ)って変化出没する訳には行かぬ。しかし今云う通り高い土塀の向う側で笑っているのだから壁に穴のあいておらぬ限りはとうてい思い通り志望を満足する事は何人(なんびと)の手際(てぎわ)でも出来かねる。とうてい見る事が叶(かな)わないと四囲の状況から宣告を下されるとなお見てやりたくなる。愚(ぐ)な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓ってこの町を去らずと決心した。しかし案内も乞(こ)わずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業(しわざ)だ。と云って案内を乞うて這入るのはなおいやだ。この邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷(きずつ)けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。そうするには高い山から見下(みおろ)すか、風船の上から眺(なが)めるよりほかに名案もない。しかし双方共当座の間に合うような手軽なものとは云えぬ。よし、その儀ならこっちにも覚悟がある。高等学校時代で練習した高飛の術を応用して、飛び上がった時にちょっと見てやろう。これは妙策だ、幸い人通りもなし、あったところが自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁(いんねん)はない。やるべしと云うので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がった。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首どころではない肩までが思うように出た。この機をはずすととうてい目的は達せられぬと、ちらつく両眼を無理に据(す)えて、ここぞと思うあたりを瞥見(べっけん)すると女が四人でテニスをしていた。余が飛び上がるのを相図に四人が申し合せたようにホホホと癇(かん)の高い声で笑った。おやと思ううちにどたりと元のごとく地面の上に立った。
 これは誰が聞いても滑稽(こっけい)である。冒険の主人公たる当人ですらあまり馬鹿気ているので今日(こんにち)まで何人(なんびと)にも話さなかったくらい自(みずか)ら滑稽と心得ている。しかし滑稽とか真面目(まじめ)とか云うのは相手と場合によって変化する事で、高飛びその物が滑稽とは理由のない言草(いいぐさ)である。女がテニスをしているところへこっちが飛び上がったから滑稽にもなるが、ロメオがジュリエットを見るために飛び上ったって滑稽にはならない。ロメオくらいなところでは未(ま)だ滑稽を脱せぬと云うなら余はなお一歩を進める。この凱旋(がいせん)の将軍、英名嚇々(かくかく)たる偉人を拝見するために飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だって構うものか。見たいものは、誰が何と云っても見たいのだ。飛び上がろう、それがいい、飛び上がるにしくなしだと、とうとうまた先例によって一蹴(いっしゅう)を試むる事に決着した。先(ま)ず帽子をとって小脇に抱(か)い込む。この前は経験が足りなかったので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買いたての中折帽(なかおれぼう)が挨拶(あいさつ)もなく宙返りをして、一間ばかり向(むこう)へ転(ころ)がった。それをから車を引いて通り掛った車夫が拾って笑いながらえへへと差し出した事を記憶している。こんどはその手は喰(く)わぬ。これなら大丈夫と帽子を確(しか)と抑えながら爪先で敷石を弾(はじ)く心持で暗に姿勢を整える。人後に落ちた仕合せには邪魔になるほど近くに人もおらぬ。しばし衰えた、歓声は盛り返す潮(うしお)の岩に砕けたようにあたり一面に湧(わ)き上がる。ここだと思い切って、両足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑うほど脚力をふるって跳(は)ね上った。
 幌(ほろ)を開いたランドウが横向に凱旋門(がいせんもん)を通り抜けようとする中に――いた――いた。例の黒い顔が湧(わ)き返る声に囲まれて過去の紀念のごとく華(はな)やかなる群衆の中に点じ出されていた。将軍を迎えた儀仗兵(ぎじょうへい)の馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中にそれようとするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯(さっ)となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠(ふじねずみ)の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。
 見えたと思うより早く余が足はまた停車場の床(ゆか)の上に着いた。すべてが一瞬間の作用である。ぱっと射る稲妻の飽(あ)くまで明るく物を照らした後(あと)が常よりは暗く見えるように余は茫然(ぼうぜん)として地に下りた。
 将軍の去ったあとは群衆も自(おのず)から乱れて今までのように静粛ではない。列を作った同勢の一角(いっかく)が崩(くず)れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所がだんだん薄くなる。気早(きばや)な連中はもう引き揚げると見える。ところへ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は褪(さ)めて、ゲートルの代りには黄な羅紗(らしゃ)を畳んでぐるぐると脛(すね)へ巻きつけている。いずれもあらん限りの髯(ひげ)を生(は)やして、出来るだけ色を黒くしている。これらも戦争の片破(かたわ)れである。大和魂(やまとだましい)を鋳(い)固(かた)めた製作品である。実業家も入(い)らぬ、新聞屋も入らぬ、芸妓(げいしゃ)も入らぬ、余のごとき書物と睨(にら)めくらをしているものは無論入らぬ。ただこの髯茫々(ぼうぼう)として、むさくるしき事乞食(こつじき)を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶(かな)わぬ。彼らは日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表している。人類の精神は算盤(そろばん)で弾(はじ)けず、三味線に乗らず、三頁(ページ)にも書けず、百科全書中にも見当らぬ。ただこの兵士らの色の黒い、みすぼらしいところに髣髴(ほうふつ)として揺曳(ようえい)している。出山(しゅっせん)の釈迦(しゃか)はコスメチックを塗ってはおらん。金の指輪も穿(は)めておらん。芥溜(ごみだめ)から拾い上げた雑巾(ぞうきん)をつぎ合せたようなもの一枚を羽織っているばかりじゃ。それすら全身を掩(おお)うには足らん。胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨(ろっこつ)の枚数は自由に読めるくらいだ。この釈迦が尊(たっと)ければこの兵士も尊(たっ)といと云わねばならぬ。昔(むか)し元寇(げんこう)の役(えき)に時宗(ときむね)が仏光国師(ぶっこうこくし)に謁(えっ)した時、国師は何と云うた。威(い)を振(ふる)って驀地(ばくち)に進めと吼(ほ)えたのみである。このむさくろしき兵士らは仏光国師の熱喝(ねっかつ)を喫(きっ)した訳でもなかろうが驀地に進むと云う禅機(ぜんき)において時宗と古今(ここん)その揆(き)を一(いつ)にしている。彼らは驀地に進み了して曠如(こうじょ)と吾家(わがや)に帰り来りたる英霊漢である。天上を行き天下(てんげ)を行き、行き尽してやまざる底(てい)の気魄(きはく)が吾人の尊敬に価(あたい)せざる以上は八荒(はっこう)の中(うち)に尊敬すべきものは微塵(みじん)ほどもない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれるくらい黒いのがいる。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒(しゅろぼうき)を砧(きぬた)で打ったような髯――この気魄(きはく)は這裏(しゃり)に磅□(ほうはく)として蟠(わだか)まり□瀁(こうよう)として漲(みなぎ)っている。
 兵士の一隊が出てくるたびに公衆は万歳を唱(とな)えてやる。彼らのあるものは例の黒い顔に笑(えみ)を湛(たた)えて嬉(うれ)し気(げ)に通り過ぎる。あるものは傍目(わきめ)もふらずのそのそと行く。歓迎とはいかなる者ぞと不審気に見える顔もたまには見える。またある者は自己の歓迎旗の下に立って揚々(ようよう)と後(おく)れて出る同輩を眺(なが)めている。あるいは石段を下(くだ)るや否(いな)や迎(むかえ)のものに擁(よう)せられて、あまりの不意撃(ふいうち)に挨拶さえも忘れて誰彼の容赦なく握手の礼を施こしている。出征中に満洲で覚えたのであろう。
 その中に――これがはからずもこの話をかく動機になったのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人いた。顔は他の先生方と異(こと)なるところなく黒い、髯(ひげ)も延びるだけ延ばしておそらくは去年から持ち越したものと思われるが目鼻立ちはほかの連中とは比較にならぬほど立派である。のみならず亡友浩(こう)さんと兄弟と見違えるまでよく似ている。実はこの男がただ一人石段を下りて出た時ははっと思って馳(か)け寄ろうとしたくらいであった。しかし浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年余(よ)も厄介(やっかい)になっている。だからいくら浩さんだと思いたくっても思えるはずがない。ただ人情は妙なものでこの軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して、浩さんがこの軍曹の代りに無事で還(かえ)って来たらさぞ結構であろう。御母(おっか)さんも定めし喜ばれるであろうと、露見(ろけん)する気づかいがないものだから勝手な事を考えながら眺(なが)めていた。軍曹も何か物足らぬと見えてしきりにあたりを見廻している。ほかのもののように足早に新橋の方へ立ち去る景色(けしき)もない。何を探(さ)がしているのだろう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教えて遣(や)りたいと思ってなお目を放さずに打ち守っていると、どこをどう潜(くぐ)り抜けたものやら、六十ばかりの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖(そで)にぶら下がった。軍曹は中肉ではあるが背(せい)は普通よりたしかに二寸は高い。これに反して婆さんは人並はずれて丈(たけ)が低い上に年のせいで腰が少々曲っているから、抱き着いたとも寄り添うたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、その中(うち)からこのありさまを叙するに最も適当なる詞(ことば)を探したなら必ずぶら下がるが当選するにきまっている。この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下(みおろ)す。婆さんはやっと迷児(まいご)を見つけたと云う体(てい)で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったままである。近辺(きんぺん)に立つ見物人は万歳万歳と両人(ふたり)を囃(はや)したてる。婆さんは万歳などには毫(ごう)も耳を借す景色はない。ぶら下がったぎり軍曹の顔を下から見上げたまま吾が子に引き摺(ず)られて行く。冷飯草履(ひやめしぞうり)と鋲(びょう)を打った兵隊靴が入り乱れ、もつれ合って、うねりくねって新橋の方へ遠(とおざ)かって行く。余は浩さんの事を思い出して悵然(ちょうぜん)と草履(ぞうり)と靴の影を見送った。

          二

 浩(こう)さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戦死した。二十六日は風の強く吹く日であったそうだ。遼東(りょうとう)の大野(たいや)を吹きめぐって、黒い日を海に吹き落そうとする野分(のわき)の中に、松樹山(しょうじゅざん)の突撃は予定のごとく行われた。時は午後一時である。掩護(えんご)のために味方の打ち出した大砲が敵塁の左突角(ひだりとっかく)に中(あた)って五丈ほどの砂煙(すなけむ)りを捲(ま)き上げたのを相図に、散兵壕(さんぺいごう)から飛び出した兵士の数は幾百か知らぬ。蟻(あり)の穴を蹴返(けかえ)したごとくに散り散りに乱れて前面の傾斜を攀(よ)じ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足を容(い)るる余地もない。ところを梯子(はしご)を担(にな)い土嚢(どのう)を背負(しょ)って区々(まちまち)に通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争う者のために奪われて、後(あと)より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺(なが)めるとただ一筋の黒い河が山を裂いて流れるように見える。その黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかかって、すべてが消え失せたと思うくらい濃(こ)い煙が立ち揚(あが)る。怒(いか)る野分は横さまに煙りを千切(ちぎ)って遥(はる)かの空に攫(さら)って行く。あとには依然として黒い者が簇然(そうぜん)と蠢(うご)めいている。この蠢めいているもののうちに浩さんがいる。
 火桶(ひおけ)を中に浩さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の浅黒い髭(ひげ)の濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乗った話をするときは、相手の頭の中には浩さんのほか何もない。今日(きょう)の事も忘れ明日(あす)の事も忘れ聴(き)き惚(ほ)れている自分の事も忘れて浩さんだけになってしまう。浩さんはかように偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くにきまっていると思っていた。だから蠢めいているなどと云う下等な動詞は浩さんに対して用いたくない。ないが仕方がない。現に蠢めいている。鍬(くわ)の先に掘(ほ)り崩(くず)された蟻群(ぎぐん)の一匹のごとく蠢めいている。杓(ひしゃく)の水を喰(くら)った蜘蛛(くも)の子のごとく蠢めいている。いかなる人間もこうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里を馳(か)け抜ける野分、八方を包む煙り、鋳鉄(しゅてつ)の咽喉(のんど)から吼(ほ)えて飛ぶ丸(たま)――これらの前にはいかなる偉人も偉人として認められぬ。俵に詰めた大豆(だいず)の一粒のごとく無意味に見える。嗚呼(ああ)浩さん! 一体どこで何をしているのだ? 早く平生の浩さんになって一番露助(ろすけ)を驚かしたらよかろう。
 黒くむらがる者は丸(たま)を浴びるたびにぱっと消える。消えたかと思うと吹き散る煙の中に動いている。消えたり動いたりしているうちに、蛇(へび)の塀(へい)をわたるように頭から尾まで波を打ってしかも全体が全体としてだんだん上へ上へと登って行く、もう敵塁だ。浩さん真先に乗り込まなければいけない。煙の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが靡(なび)いている。風の強いためか、押し返されるせいか、真直ぐに立ったと思うと寝る。落ちたのかと驚ろくとまた高くあがる。するとまた斜(なな)めに仆(たお)れかかる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人数(たにんず)集まって揉(も)みに揉んで騒いでいる中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。この天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奥様と撰(えら)ぶところなくいっこう目立たぬのは不平な者だ。己(おの)れの子が己れの家庭にのさばっている間は天にも地にも懸替(かけがえ)のない若旦那である。この若旦那が制服を着けて学校へ出ると、向うの小間物屋のせがれと席を列(なら)べて、しかもその間に少しも懸隔のないように見えるのはちょっと物足らぬ感じがするだろう。余の浩さんにおけるもその通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ気が済まん。擂鉢(すりばち)の中に攪(か)き廻される里芋(さといも)のごとく紛然雑然とゴロゴロしていてはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構わん、旗を振ろうが、剣を翳(かざ)そうが、とにかくこの混乱のうちに少しなりとも人の注意を惹(ひ)くに足る働(はたらき)をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんにきまっている。どう間違ったって浩さんが碌々(ろくろく)として頭角をあらわさないなどと云う不見識な事は予期出来んのである。――それだからあの旗持は浩さんだ。
 黒い塊(かたま)りが敵塁の下まで来たから、もう塁壁を攀(よ)じ上(のぼ)るだろうと思ううち、たちまち長い蛇(へび)の頭はぽつりと二三寸切れてなくなった。これは不思議だ。丸(たま)を喰(くら)って斃(たお)れたとも見えない。狙撃(そげき)を避けるため地に寝たとも見えない。どうしたのだろう。すると頭の切れた蛇がまた二三寸ぷつりと消えてなくなった。これは妙だと眺(なが)めていると、順繰(じゅんぐり)に下から押し上(あが)る同勢が同じ所へ来るや否(いな)やたちまちなくなる。しかも砦(とりで)の壁には誰一人としてとりついたものがない。塹壕(ざんごう)だ。敵塁と我兵の間にはこの邪魔物があって、この邪魔物を越さぬ間は一人も敵に近(ちかづ)く事は出来んのである。彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂(きゅうはん)を登りつめた揚句(あげく)、この壕(ほり)の端(はた)まで来て一も二もなくこの深い溝(みぞ)の中に飛び込んだのである。担(にな)っている梯子(はしご)は壁に懸けるため、背負(しょ)っている土嚢(どのう)は壕を埋(うず)めるためと見えた。壕はどのくらい埋(うま)ったか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなってとうとう浩さんの番に来た。いよいよ浩さんだ。しっかりしなくてはいけない。
 高く差し上げた旗が横に靡(なび)いて寸断寸断(ずたずた)に散るかと思うほど強く風を受けた後(のち)、旗竿(はたざお)が急に傾いて折れたなと疑う途端(とたん)に浩さんの影はたちまち見えなくなった。いよいよ飛び込んだ! 折から二竜山(にりゅうざん)の方面より打ち出した大砲が五六発、大空に鳴る烈風を劈(つんざ)いて一度に山腹に中(あた)って山の根を吹き切るばかり轟(とどろ)き渡る。迸(ほとば)しる砂煙(すなけむり)は淋(さび)しき初冬(はつふゆ)の日蔭を籠(こ)めつくして、見渡す限りに有りとある物を封じ了(おわ)る。浩さんはどうなったか分らない。気が気でない。あの煙の吹いている底だと見当をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望むように密に蔽(おお)い重なる濃き者は、烈(はげ)しき風の捲返(まきかえ)してすくい去ろうと焦(あせ)る中に依然として凝(こ)り固って動かぬ。約二分間は眼をいくら擦(こす)っても盲目(めくら)同然どうする事も出来ない。しかしこの煙りが晴れたら――もしこの煙りが散り尽したら、きっと見えるに違ない。浩さんの旗が壕の向側(むこうがわ)に日を射返して耀(かがや)き渡って見えるに違ない。否(いな)向側を登りつくしてあの高く見える□(ひめがき)の上に翩々(へんぺん)と翻(ひるがえ)っているに違ない。ほかの人ならとにかく浩さんだから、そのくらいの事は必ずあるにきまっている。早く煙が晴れればいい。なぜ晴れんだろう。
 占(し)めた。敵塁の右の端(はじ)の突角の所が朧気(おぼろげ)に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁(せきへき)も見え出した。しかし人影はない。はてな、もうあすこらに旗が動いているはずだが、どうしたのだろう。それでは壁の下の土手の中頃にいるに相違ない。煙は拭(ぬぐ)うがごとく一掃(ひとはき)に上から下まで漸次(ぜんじ)に晴れ渡る。浩さんはどこにも見えない。これはいけない。田螺(たにし)のように蠢(うご)めいていたほかの連中もどこにも出現せぬ様子だ。いよいよいけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立った。五秒は十秒と変じ、十秒は二十、三十と重なっても誰一人(いちにん)の塹壕(ざんごう)から向うへ這(は)い上(あが)る者はない。ないはずである。塹壕に飛び込んだ者は向(むこう)へ渡すために飛び込んだのではない。死ぬために飛び込んだのである。彼らの足が壕底(ごうてい)に着くや否(いな)や穹窖(きゅうこう)より覘(ねらい)を定めて打ち出す機関砲は、杖(つえ)を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬(またた)く間(ま)に彼らを射殺した。殺されたものが這い上がれるはずがない。石を置いた沢庵(たくあん)のごとく積み重なって、人の眼に触れぬ坑内に横(よこた)わる者に、向(むこう)へ上がれと望むのは、望むものの無理である。横わる者だって上がりたいだろう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がりたくても、手足が利(き)かなくては上がれぬ。眼が暗(くら)んでは上がれぬ。胴に穴が開(あ)いては上がれぬ。血が通わなくなっても、脳味噌が潰(つぶ)れても、肩が飛んでも身体(からだ)が棒のように鯱張(しゃちこば)っても上がる事は出来ん。二竜山(にりゅうざん)から打出した砲煙が散じ尽した時に上がれぬばかりではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜(しも)が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して二十の砲砦(ほうさい)がことごとく日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就(じょうじゅ)して乃木将軍がめでたく凱旋(がいせん)しても上がる事は出来ん。百年三万六千日乾坤(けんこん)を提(ひっさ)げて迎に来ても上がる事はついにできぬ。これがこの塹壕に飛び込んだものの運命である。しかしてまた浩さんの運命である。蠢々(しゅんしゅん)として御玉杓子(おたまじゃくし)のごとく動いていたものは突然とこの底のない坑(あな)のうちに落ちて、浮世の表面から闇(やみ)の裡(うち)に消えてしまった。旗を振ろうが振るまいが、人の目につこうがつくまいがこうなって見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、壕(ほり)の底では、ほかの兵士と同じように冷たくなって死んでいたそうだ。
 ステッセルは降(くだ)った。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。しかし浩さんはまだ坑から上って来ない。図(はか)らず新橋へ行って色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、背(せ)の低い軍曹の御母(おっか)さんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんはなぜ壕から上がって来(こ)んのだろうと思った。浩さんにも御母さんがある。この軍曹のそれのように背は低くない、また冷飯草履(ひやめしぞうり)を穿(は)いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて御母さんが新橋へ出迎えに来られたとすれば、やはりあの婆さんのようにぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている御母(おっか)さんだ。塹壕(ざんごう)に飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆(しゃば)の天気は晴であろうとも曇であろうとも頓着(とんじゃく)はなかろう。しかし取り残された御母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、垂(た)れ籠(こ)めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢(あ)う。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴(ぐち)っぽくなる。洗湯(せんとう)で年頃の娘が湯を汲(く)んでくれる、あんな嫁がいたらと昔を偲(しの)ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪(ひょうたん)の中から折れたと同じようなものでしめ括(くく)りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一(こういち)が帰って来たらばと、皺(しわ)だらけの指を日夜(にちや)に折り尽してぶら下がる日を待ち焦(こ)がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪(しらが)は増したかも知れぬが将軍は歓呼(かんこ)の裡(うち)に帰来(きらい)した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差(さ)し支(つか)えはない。右の腕を繃帯(ほうたい)で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然として坑(あな)から上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。
 幸い今日は閑(ひま)だから浩さんのうちへ行って、久し振りに御母さんを慰めてやろう? 慰めに行くのはいいがあすこへ行くと、行くたびに泣かれるので困る。せんだってなどは一時間半ばかり泣き続けに泣かれて、しまいには大抵な挨拶(あいさつ)はし尽して、大(おおい)に応対に窮したくらいだ。その時御母さんはせめて気立ての優しい嫁でもおりましたら、こんな時には力になりますのにとしきりに嫁々と繰り返して大に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善(よ)かろうと御免(ごめん)蒙(こうむ)りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云うから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと云う。なるほど亡友の日記は面白かろう。元来日記と云うものはその日その日の出来事を書き記(し)るすのみならず、また時々刻々(じじこっこく)の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、いかに親友の手帳でも断りなしに目を通す訳には行かぬが、御母さんが承諾する――否(いな)先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで云おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい余の手際(てぎわ)では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と面会の約束をした刻限も逼(せま)っているから、これは追って改めて上がって緩々(ゆるゆる)拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易(へきえき)の体(てい)である。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭(いや)とは云わない。元々木や石で出来上ったと云う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいは優(ゆう)に表し得る男であるがいかんせん性来(しょうらい)余り口の製造に念が入(い)っておらんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましと啜(すす)り上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に体裁(ていさい)を繕(つく)ろって半間(はんま)に調子を合せようとするとせっかくの慰藉(いしゃ)的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰(ふっとう)する事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその内として、まず今日は見合せよう。
 訪問は見合せる事にしたが、昨日(きのう)の新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友を弔(とむら)ってやらねばならん。悼亡(とうぼう)の句などは出来る柄(がら)でない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺参りだ。浩さんは松樹山(しょうじゅざん)の塹壕(ざんごう)からまだ上(あが)って来ないがその紀念の遺髪は遥(はる)かの海を渡って駒込の寂光院(じゃっこういん)に埋葬された。ここへ行って御参りをしてきようと西片町(にしかたまち)の吾家(わがや)を出る。
 冬の取(と)っ付(つ)きである。小春(こはる)と云えば名前を聞いてさえ熟柿(じゅくし)のようないい心持になる。ことに今年(ことし)はいつになく暖かなので袷羽織(あわせばおり)に綿入(わたいれ)一枚の出(い)で立(た)ちさえ軽々(かろがろ)とした快い感じを添える。先の斜(なな)めに減った杖(つえ)を振り廻しながら寂光院と大師流(だいしりゅう)に古い紺青(こんじょう)で彫りつけた額を眺(なが)めて門を這入(はい)ると、精舎(しょうじゃ)は格別なもので門内は蕭条(しょうじょう)として一塵の痕(あと)も留(と)めぬほど掃除が行き届いている。これはうれしい。肌(はだ)の細かな赤土が泥濘(ぬか)りもせず干乾(ひから)びもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色(けしき)ほどありがたいものはない。西片町は学者町か知らないが雅(が)な家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。学者がそれだけ殖(ふ)えたのか、あるいは学者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境内(けいだい)へ来ると、平生は学者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活が羨(うらやま)しくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方(おおかた)百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚(おうよう)なところが頼母(たのも)しい。神無月(かんなづき)の松の落葉とか昔は称(とな)えたものだそうだが葉を振(ふる)った景色(けしき)は少しも見えない。ただ蟠(わだかま)った根が奇麗な土の中から瘤(こぶ)だらけの骨を一二寸露(あら)わしているばかりだ。老僧か、小坊主か納所(なっしょ)かあるいは門番が凝性(こりしょう)で大方(おおかた)日に三度くらい掃(は)くのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき当りが本堂で、その右が庫裏(くり)である。本堂の正面にも金泥(きんでい)の額(がく)が懸(かか)って、鳥の糞(ふん)か、紙を噛(か)んで叩(たた)きつけたのか点々と筆者の神聖を汚(け)がしている。八寸角の欅柱(けやきばしら)には、のたくった草書の聯(れん)が読めるなら読んで見ろと澄(すま)してかかっている。なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之(おうぎし)かも知れない。えらそうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏(ばけいちょう)がある。ただし化(ばけ)の字は余のつけたのではない。聞くところによるとこの界隈(かいわい)で寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はないそうだ。しかし何が化(ば)けたって、こんなに高くはなりそうもない。三抱(みかかえ)もあろうと云う大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振(ふる)って、から坊主になって、野分(のわき)のなかに唸(うな)っているのだが、今年(ことし)は全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。下から仰ぐと目に余る黄金(こがね)の雲が、穏(おだや)かな日光を浴びて、ところどころ鼈甲(べっこう)のように輝くからまぼしいくらい見事である。その雲の塊(かたま)りが風もないのにはらはらと落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間もまたすこぶる長い。枝を離れて地に着くまでの間にあるいは日に向いあるいは日に背(そむ)いて色々な光を放つ。色々に変りはするものの急ぐ景色(けしき)もなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って来る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳(ようえい)して遊んでいるように思われる。閑静である。――すべてのものの動かぬのが一番閑静だと思うのは間違っている。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解できる。しかもその一点が動くと云う感じを過重(かちょう)ならしめぬくらい、否(いな)その一点の動く事それ自(みずか)らが定寂(じょうじゃく)の姿を帯びて、しかも他の部分の静粛なありさまを反思(はんし)せしむるに足るほどに靡(なび)いたなら――その時が一番閑寂(かんじゃく)の感を与える者だ。銀杏(いちょう)の葉の一陣の風なきに散る風情(ふぜい)は正にこれである。限りもない葉が朝(あした)、夕(ゆうべ)を厭(いと)わず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧(じそう)もここまでは手が届かぬと見えて、当座は掃除の煩(はん)を避けたものか、または堆(うずた)かき落葉を興ある者と眺(なが)めて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。
 しばらく化銀杏(ばけいちょう)の下に立って、上を見たり下を見たり佇(たたず)んでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入(はい)り込んだ。この寺は由緒(ゆいしょ)のある寺だそうでところどころに大きな蓮台(れんだい)の上に据(す)えつけられた石塔が見える。右手の方(かた)に柵(さく)を控えたのには梅花院殿(ばいかいんでん)瘠鶴大居士(せきかくだいこじ)とあるから大方(おおかた)大名か旗本の墓だろう。中には至極(しごく)簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書(かいしょ)で彫ってある。小供だから小さい訳(わけ)だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者(もうじゃ)は、年々御客様となって、あの剥(は)げかかった額の下を潜(くぐ)るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否(いな)や急に古(ふ)る仏(ぼとけ)となってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家(だんか)は寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所(くうしょ)を狭(せば)めずに、先祖代々の墓の中に新仏(しんぼとけ)を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人(ひとり)である。
 浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆(らんとうば)内でだいぶ幅の利(き)く方である。墓はいつ頃出来たものか確(しか)とは知らぬが、何でも浩さんの御父(おとっ)さんが這入り、御爺(おじい)さんも這入り、そのまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝(けいしょう)の地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地(へいち)があって石段を二つ踏んで行(い)き当(あた)りの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。極(きわ)めて分(わか)りやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例のごとく例の路(みち)をたどって半分ほど来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の詣(まい)るべき墓の方を見た。
 見ると! もう来ている。誰だか分らないが後(うし)ろ向(むき)になってしきりに合掌している様子だ。はてな。誰だろう。誰だか分りようはないが、遠くから見ても男でないだけは分る。恰好(かっこう)から云ってもたしかに女だ。女なら御母(おっか)さんか知らん。余は無頓着(むとんじゃく)の性質で女の服装などはいっこう不案内だが、御母さんは大抵黒繻子(くろじゅす)の帯をしめている。ところがこの女の帯は――後から見ると最も人の注意を惹(ひ)く、女の背中いっぱいに広がっている帯は決して黒っぽいものでもない。光彩陸離(こうさいりくり)たるやたらに奇麗(きれい)なものだ。若い女だ! と余は覚えず口の中で叫んだ。こうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退(しりぞ)くべきものかちょっと留って考えて見た。女はそれとも知らないから、しゃがんだまま熱心に河上家代々の墓を礼拝している。どうも近寄りにくい。さればと云って逃げるほど悪事を働いた覚(おぼえ)はない。どうしようと迷っていると女はすっくら立ち上がった。後ろは隣りの寺の孟宗藪(もうそうやぶ)で寒いほど緑りの色が茂っている。その滴(した)たるばかり深い竹の前にすっくりと立った。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出したように白く映る。眼の大きな頬の緊(しま)った領(えり)の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端(はじ)をつかんでいる。そのハンケチの雪のように白いのが、暗い竹の中に鮮(あざや)かに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれたほかは、あっと思った瞬間に余の眼には何物も映らなかった。
 余がこの年(とし)になるまでに見た女の数は夥(おびただ)しいものである。往来の中、電車の上、公園の内、音楽会、劇場、縁日、随分見たと云って宜(よろ)しい。しかしこの時ほど驚ろいた事はない。この時ほど美しいと思った事はない。余は浩さんの事も忘れ、墓詣(はかまい)りに来た事も忘れ、きまりが悪(わ)るいと云う事さえ忘れて白い顔と白いハンケチばかり眺(なが)めていた。今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途端に、茫然(ぼうぜん)として佇(たた)ずんでいる余の姿が眼に入(い)ったものと見えて、石段の上にちょっと立ち留まった。下から眺めた余の眼と上から見下(みおろ)す女の視線が五間を隔(へだ)てて互に行き当った時、女はすぐ下を向いた。すると飽(あ)くまで白い頬に裏から朱を溶(と)いて流したような濃い色がむらむらと煮染(にじ)み出した。見るうちにそれが顔一面に広がって耳の付根まで真赤に見えた。これは気の毒な事をした。化銀杏(ばけいちょう)の方へ逆戻りをしよう。いやそうすればかえって忍び足に後(あと)でもつけて来たように思われる。と云って茫然と見とれていてはなお失礼だ。死地に活を求むと云う兵法もあると云う話しだからこれは勢よく前進するにしくはない。墓場へ墓詣りをしに来たのだから別に不思議はあるまい。ただ躊躇(ちゅうちょ)するから怪しまれるのだ。と決心して例のステッキを取り直して、つかつかと女の方にあるき出した。すると女も俯向(うつむ)いたまま歩を移して石段の下で逃げるように余の袖(そで)の傍(そば)を擦(す)りぬける。ヘリオトロープらしい香(かお)りがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織(あわせばおり)の背中(せなか)からしみ込んだような気がした。女が通り過ぎたあとは、やっと安心して何だか我に帰った風に落ちついたので、元来何者だろうとまた振り向いて見る。すると運悪くまた眼と眼が行き合った。こんどは余は石段の上に立ってステッキを突いている。女は化銀杏(ばけいちょう)の下で、行きかけた体(たい)を斜(なな)めに捩(ねじ)ってこっちを見上げている。銀杏は風なきになおひらひらと女の髪の上、袖(そで)の上、帯の上へ舞いさがる。時刻は一時か一時半頃である。ちょうど去年の冬浩さんが大風の中を旗を持って散兵壕から飛び出した時である。空は研(と)ぎ上げた剣(つるぎ)を懸(か)けつらねたごとく澄んでいる。秋の空の冬に変る間際(まぎわ)ほど高く見える事はない。羅(うすもの)に似た雲の、微(かす)かに飛ぶ影も眸(ひとみ)の裡(うち)には落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り尽せはしまいと思われるのがこの空である。無限と云う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限に遐(はる)かに、無限に静かな空を会釈(えしゃく)もなく裂いて、化銀杏が黄金(こがね)の雲を凝(こ)らしている。その隣には寂光院の屋根瓦(やねがわら)が同じくこの蒼穹(そうきゅう)の一部を横に劃(かく)して、何十万枚重なったものか黒々と鱗(うろこ)のごとく、暖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍(がらん)と古き墳墓が寂寞(じゃくまく)として存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪を後(うし)ろに背負(しょ)って立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣(きぬ)の色と、その衣を真中から輪に截(き)った帯の色がいちじるしく目立つ。縞柄(しまがら)だの品物などは余のような無風流漢には残念ながら記述出来んが、色合だけはたしかに華(はな)やかな者だ。こんな物寂(ものさ)びた境内(けいだい)に一分たりともいるべき性質のものでない。いるとすればどこからか戸迷(とまどい)をして紛(まぎ)れ込んで来たに相違ない。三越陳列場の断片を切り抜いて落柿舎(らくししゃ)の物干竿(ものほしざお)へかけたようなものだ。対照の極とはこれであろう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返って余が詣(まい)る墓のありかを確かめて行きたいと云う風に見えたが、生憎(あいにく)余の方でも女に不審があるので石段の上から眺(なが)め返したから、思い切って本堂の方へ曲った。銀杏はひらひらと降って、黒い地を隠す。
 余は女の後姿を見送って不思議な対照だと考えた。昔(むか)し住吉の祠(やしろ)で芸者を見た事がある。その時は時雨(しぐれ)の中に立ち尽す島田姿が常よりは妍(あで)やかに余が瞳(ひとみ)を照らした。箱根の大地獄で二八余(にはちあま)りの西洋人に遇(あ)った事がある。その折は十丈も煮え騰(あが)る湯煙りの凄(すさま)じき光景が、しばらくは和(やわ)らいで安慰の念を余が頭に与えた。すべての対照は大抵この二つの結果よりほかには何も生ぜぬ者である。在来の鋭どき感じを削(けず)って鈍くするか、または新たに視界に現わるる物象を平時よりは明瞭(めいりょう)に脳裏(のうり)に印し去るか、これが普通吾人の予期する対照である。ところが今睹(み)た対象は毫(ごう)もそんな感じを引き起さなかった。相除(そうじょ)の対照でもなければ相乗(そうじょう)の対照でもない。古い、淋(さび)しい、消極的な心の状態が減じた景色(けしき)はさらにない、と云ってこの美くしい綺羅(きら)を飾った女の容姿が、音楽会や、園遊会で逢(あ)うよりは一(ひ)と際(きわ)目立って見えたと云う訳でもない。余が寂光院(じゃっこういん)の門を潜(くぐ)って得た情緒(じょうしょ)は、浮世を歩む年齢が逆行して父母未生(ふもみしょう)以前に溯(さかのぼ)ったと思うくらい、古い、物寂(ものさ)びた、憐れの多い、捕えるほど確(しか)とした痕迹(こんせき)もなきまで、淡く消極的な情緒である。この情緒は藪(やぶ)を後(うし)ろにすっくりと立った女の上に、余の眼が注(そそ)がれた時に毫(ごう)も矛盾の感を与えなかったのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍(ふるがらん)と剥(は)げた額、化銀杏(ばけいちょう)と動かぬ松、錯落(さくらく)と列(なら)ぶ石塔――死したる人の名を彫(きざ)む死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟無礙(むげ)の一種の感動を余の神経に伝えたのである。
 こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言(きょげん)だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価(かけね)のないところをかいたのである。もし文士がわるければ断(ことわ)って置く。余は文士ではない、西片町(にしかたまち)に住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁(さおう)の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうや否(いな)や門の戸を続け様(ざま)に敲(たた)くものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢の管(くだ)を捲(ま)くようなたわいもない事を呂律(ろれつ)の廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの傍(わき)で都々逸(どどいつ)を歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽(こっけい)を挿(はさ)んだために今までの凄愴(せいそう)たる光景が多少和(やわ)らげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍のおかしみを与えると云う訳でもない。それでは何らの功果(こうか)もないかと云うと大変ある。劇全体を通じての物凄(ものすご)さ、怖(おそろ)しさはこの一段の諧謔(かいぎゃく)のために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖(いふ)である。恐懼(きょうく)である、悚然(しょうぜん)として粟(あわ)を肌(はだえ)に吹く要素になる。その訳を云えば先(ま)ずこうだ。
 吾人が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるるのは言(げん)を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量に因(よ)って高下増減するのも争われぬ事実であろう。絹布団(きぬぶとん)に生れ落ちて御意(ぎょい)だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重(かさ)なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意(ぎょい)遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾(めかけ)を買い、金で邸宅、朋友(ほうゆう)、従五位(じゅごい)まで買った連中(れんじゅう)は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨(にら)んで高(たか)を括(くく)った鼻先を虚空(こくう)遥(はる)かに反(そ)り返(か)えす。一度の経験でも御多分(ごたぶん)には洩(も)れん。箔屋町(はくやちょう)の大火事に身代(しんだい)を潰(つぶ)した旦那は板橋の一つ半でも蒼(あお)くなるかも知れない。濃尾(のうび)の震災に瓦(かわら)の中から掘り出された生(い)き仏(ぼとけ)はドンが鳴っても念仏を唱(とな)えるだろう。正直な者が生涯(しょうがい)に一返(ぺん)万引を働いても疑(うたがい)を掛ける知人もないし、冗談(じょうだん)を商売にする男が十年に半日真面目(まじめ)な事件を担(かつ)ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各(おのおの)異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢(ろう)として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆(ようば)、毒婦、兇漢(きょうかん)の行為動作を刻意(こくい)に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽(こっけい)に至って冥々(めいめい)の際読者の心に生ずる唯一の惰性は怖と云う一字に帰着してしまう。過去がすでに怖(ふ)である、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然と己(おの)れを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこの怖に関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものが陸(おか)に上(あが)った後(あと)までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀(すずめ)が案山子(かがし)を例の爺(じい)さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖の一字をどこまでも引張って、怖を冠すべからざる辺(へん)にまで持って行こうと力(つと)むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖化(か)せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔(かいぎゃく)とは受け取れまい。
 世間には諷語(ふうご)と云うがある。諷語は皆表裏(ひょうり)二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫(ひっぷ)の渾名(あだな)に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜(けんそん)するのはますます人を愚(ぐ)にした待遇法で、他を称揚するのは熾(さかん)に他を罵倒(ばとう)した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀(おじぎ)一つで人を愚弄(ぐろう)するよりは、履物(はきもの)を揃(そろ)えて人を揶揄(やゆ)する方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目(まじめ)がくっついている。大笑(たいしょう)の奥には熱涙が潜(ひそ)んでいる。雑談(じょうだん)の底には啾々(しゅうしゅう)たる鬼哭(きこく)が聞える。とすれば怖と云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語(もうご)のうちに身の毛もよだつほどの畏懼(いく)の念はあるはずだ。元来諷語(ふうご)は正語(せいご)よりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえ厭(いと)う美人の根性(こんじょう)を透見(とうけん)して、毒蛇の化身(けしん)すなわちこれ天女(てんにょ)なりと判断し得たる刹那(せつな)に、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層怖(おそ)るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物(ばけもの)の方が定石(じょうせき)の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜(いちや)をあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレを躍(おど)るものがあったらこのカッポレは非常に物凄(ものすご)かろう。これも一種の諷語(ふうご)であるからだ。マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院(じゃっこういん)の美人も解けるはずだ。
 百花の王をもって許す牡丹(ぼたん)さえ崩(くず)れるときは、富貴の色もただ好事家(こうずか)の憐れを買うに足らぬほど脆(もろ)いものだ。美人薄命と云う諺(ことわざ)もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充(み)ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染(ゆうぜん)とか、繻珍(しゅちん)とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出(はで)である立派である、春景色(はるげしき)である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖(そで)が忽然(こつぜん)と本来の面目を変じて蕭条(しょうじょう)たる周囲に流れ込んで、境内寂寞(けいだいじゃくまく)の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏(いちょう)の黄葉(こうよう)は淋(さみ)しい。まして化(ば)けるとあるからなお淋(さみ)しい。しかしこの女が化銀杏(ばけいちょう)の下に横顔を向けて佇(たたず)んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯(えいたい)して索寞(さくばく)の観を添えるのか。これも諷語(ふうご)だからだ。マクベスの門番が怖(おそろ)しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。
 御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。家(うち)から折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でも括(くく)りつけてはないかと葉裏まで覗(のぞ)いて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精(くわ)しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提(さ)げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸(おいか)けて名前だけでも聞いて見(み)ようか、それも妙だ。いっその事黙って後(あと)を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善(よ)かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月塹壕(ざんごう)に飛び込んだぎり、今日(きょう)まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖(つえ)で敲(たた)いても、手で揺(ゆ)り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝(ね)ているだろう。こんな美人が、こんな美しい花を提(さ)げて御詣(おまい)りに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性(すじょう)も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞き糺(ただ)さなくてはならん。何でも蚊(か)でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股(ひとまた)に飛び下りて化銀杏(ばけいちょう)の落葉を蹴散(けち)らして寂光院の門を出て先(ま)ず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母(おっか)さんに逢って話をして見(み)よう、ことによったら容子(ようす)が分るかも知れない。

          三

 六畳の座敷は南向(みなみむき)で、拭き込んだ椽側(えんがわ)の端(はじ)に神代杉(じんだいすぎ)の手拭懸(てぬぐいかけ)が置いてある。軒下(のきした)から丸い手水桶(ちょうずおけ)を鉄の鎖(くさり)で釣るしたのは洒落(しゃ)れているが、その下に一叢(ひとむら)の木賊(とくさ)をあしらった所が一段の趣(おもむき)を添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠(ちゃばたけ)でその間に梅の木が三四本見える。垣に結(ゆ)うた竹の先に洗濯した白足袋(しろたび)が裏返しに乾(ほ)してあってその隣りには如露(じょろ)が逆(さか)さまに被(かぶ)せてある。その根元に豆菊が塊(かた)まって咲いて累々(るいるい)と白玉(はくぎょく)を綴(つづ)っているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。
「今年は暖(あっ)たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
「へえ、白いのが好きでしたかな」
「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」
「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院(じゃっこういん)の花筒に挿(はさ)んであるのは正にこの種のこの色の菊である。
「御叔母(おば)さん近頃は御寺参りをなさいますか」
「いえ、せんだって中(じゅう)から風邪(かぜ)の気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れる間(ま)はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀(たいぎ)になりましてね」
「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいい時候ですから……」
「御親切にありがとう存じます。親戚のものなども心配して色々云ってくれますが、どうもあなた何分(なにぶん)元気がないものですから、それにこんな婆さんを態々(わざわざ)連れてあるいてくれるものもありませず」
 こうなると余はいつでも言句に窮する。どう云って切り抜けていいか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引っ張ったが、御母(おっか)さんは少々不平の気味である。さあしまったと思ったが別に片附けようもないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいている四十雀(しじゅうから)を眺(なが)めていた。御母さんも話の腰を折られて無言である。
「御親類の若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいいですがね」と云いながら不調法(ぶちょうほう)なる余にしては天晴(あっぱれ)な出来だと自分で感心して見せた。
「生憎(あいにく)そんな娘もおりませず。それに人の子にはやはり遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰って置いたら、こんな時にはさぞ心丈夫だろうと思います。ほんに残念な事をしました」
 そら娶(よめ)が出た。くるたびによめが出ない事はない。年頃の息子(むすこ)に嫁を持たせたいと云うのは親の情(じょう)としてさもあるべき事だが、死んだ子に娶を迎えて置かなかったのをも残念がるのは少々平仄(ひょうそく)が合わない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になって見ないから分らないがどうも一般の常識から云うと少し間違っているようだ。それは一人で侘(わび)しく暮らすより気に入った嫁の世話になる方が誰だって頼(たよ)りが多かろう。しかし嫁の身になっても見るがいい。結婚して半年(はんとし)も立たないうちに夫(おっと)は出征する。ようやく戦争が済んだと思うと、いつの間(ま)にか戦死している。二十(はたち)を越すか越さないのに、姑(しゅうと)と二人暮しで一生を終る。こんな残酷な事があるものか。御母さんの云うところは老人の立場から云えば無理もない訴(うったえ)だが、しかし随分我儘(わがまま)な願だ。年寄はこれだからいかぬと、内心はすこぶる不平であったが、滅多(めった)な抗議を申し込むとまた気色(きしょく)を悪(わ)るくさせる危険がある。せっかく慰めに来ていつも失策をやるのは余り器量のない話だ。まあまあだまっているに若(し)くはなしと覚悟をきめて、反(かえ)って反対の方角へと楫(かじ)をとった。余は正直に生れた男である。しかし社会に存在して怨(うら)まれずに世の中を渡ろうとすると、どうも嘘(うそ)がつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめるつもりでいる。
「実際残念な事をしましたね。全体浩さんはなぜ嫁をもらわなかったんですか」
「いえ、あなた色々探しておりますうちに、旅順へ参るようになったもので御座んすから」
「それじゃ当人も貰うつもりでいたんでしょう」
「それは……」と云ったが、それぎり黙っている。少々様子が変だ。あるいは寂光院事件の手懸(てがか)りが潜伏していそうだ。白状して云うと、余はその時浩さんの事も、御母さんの事も考えていなかった。ただあの不思議な女の素性(すじょう)と浩さんとの関係が知りたいので頭の中はいっぱいになっている。この日における余は平生のような同情的動物ではない。全く冷静な好奇獣(こうきじゅう)とも称すべき代物(しろもの)に化していた。人間もその日その日で色々になる。悪人になった翌日は善男に変じ、小人の昼の後(のち)に君子の夜がくる。あの男の性格はなどと手にとったように吹聴(ふいちょう)する先生があるがあれは利口の馬鹿と云うものでその日その日の自己を研究する能力さえないから、こんな傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の囈語(げいご)を吐いて独(ひと)りで恐悦(きょうえつ)がるのである。探偵ほど劣等な家業はまたとあるまいと自分にも思い、人にも宣言して憚(はば)からなかった自分が、純然たる探偵的態度をもって事物に対するに至ったのは、すこぶるあきれ返った現象である。ちょっと言い淀(よど)んだ御母(おっか)さんは、思い切った口調で
「その事について浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」
「嫁の事ですか」
「ええ、誰か自分の好いたものがあるような事を」
「いいえ」と答えたが、実はこの問こそ、こっちから御母さんに向って聞いて見なければならん問題であった。
「御叔母(おば)さんには何か話しましたろう」
「いいえ」
 望の綱はこれぎり切れた。仕方がないからまた眼を庭の方へ転ずると、四十雀(しじゅうから)はすでにどこかへ飛び去って、例の白菊の色が、水気(みずけ)を含んだ黒土に映じて見事に見える。その時ふと思い出したのは先日の日記の事である。御母さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるいは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一応目を通したら何か手懸(てがか)りがあろう。御母さんは女の事だから理解出来んかも知れんが、余が見ればこうだろうくらいの見当はつくわけだ。これは催促(さいそく)して日記を見るに若(し)くはない。
「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」
「ええ、あれを見ないうちは何とも思わなかったのですが、つい見たものですから……」と御母さんは急に涙声になる。また泣かした。これだから困る。困りはしたものの、何か書いてある事はたしかだ。こうなっては泣こうが泣くまいがそんな事は構っておられん。
「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しましょう」と勢よく云ったのは今から考えて赤面の次第である。御母さんは起(た)って奥へ這入(はい)る。
 やがて襖(ふすま)をあけてポッケット入れの手帳を持って出てくる。表紙は茶の革(かわ)でちょっと見ると紙入のような体裁である。朝夕内(うち)がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢(てあか)でぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中を見(み)ようとすると表の戸がからからと開(あ)いて、頼みますと云う声がする。生憎(あいにく)来客だ。御母さんは手真似(てまね)で早く隠せと云うから、余は手帳を内懐(うちぶところ)に入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまが入(い)らっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町(ひさかたまち)の往来(おうらい)へ出る。
 伝通院(でんずういん)の裏を抜けて表町の坂を下(お)りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相を究(きわ)めて、全体の成行が明瞭(めいりょう)になりさえすればこの不自然も自(おの)ずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければならん。それにしても昨日(きのう)あの女のあとを付けなかったのは残念だ。もし向後(こうご)あの女に逢う事が出来ないとするとこの事件は判然(はんぜん)と分りそうにもない。入(い)らぬ遠慮をして流星光底(りゅうせいこうてい)じゃないが逃がしたのは惜しい事だ。元来品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得(え)てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の体面を傷(きずつ)けざる範囲内において泥棒根性を発揮せんとせっかくの紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるそうだ。よしこれからはもう少し下品になってやろう。とくだらぬ事を考えながら柳町の橋の上まで来ると、水道橋の方から一輌(りょう)の人力車が勇ましく白山(はくさん)の方へ馳(か)け抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云うわずかの間(あいだ)であるから、余が冥想(めいそう)の眼をふとあげて車の上を見た時は、乗っている客はすでに眼界から消えかかっていた。がその人の顔は? ああ寂光院だと気が着いた頃はもう五六間先へ行っている。ここだ下品になるのはここだ。何でも構わんから追い懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追い懸けるのは余り下品すぎる。気狂(きちがい)でなくってはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車はおらんかなと四方を見廻したが生憎(あいにく)一輌もおらん。そのうちに寂光院は姿も見えないくらい遥(はる)かあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思われるまで下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然(ぼうぜん)として西片町へ帰って来た。
 とりあえず、書斎に立て籠(こも)って懐中から例の手帳を出したが、何分夕景(ゆうけい)ではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを点(つ)ける。下女が御飯はと云って来たから、めしは後(あと)で食うと追い返す。さて一頁(ページ)から順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも倥偬(こうそう)の際に分陰(ふんいん)を偸(ぬす)んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜来風邪(ふうじゃ)の気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨(ほしょう)散弾に中(あた)る。テントに仆(たお)れかかる。血痕(けっこん)を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念※[#感嘆符三つ、231-5]」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控(てびかえ)であるから、毫(ごう)も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢(ちょうたく)したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところが大(おおい)に気に入った。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝(つ)くだの、暴慢なる露人だの、醜虜(しゅうりょ)の胆(たん)を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心(かんじん)の寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透(す)かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食(は)み出している。郵の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※[#「郷−即のへん」、232-1]だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやく漕(こ)ぎつけたがそのほかは裏から見ても逆(さか)さまに見てもどうしても読めない。とうとう断念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日(にさんち)一睡もせんので勤務中坑内仮寝(かしん)。郵便局で逢った女の夢を見る」
 余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほど経(へ)て夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てからこれで三度見た」
 余は日記をぴしゃりと敲(たた)いてこれだ! と叫んだ。御母(おっか)さんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘(わがまま)だの残酷だのと心中で評したのは、こっちが悪(わ)るいのだ。なるほどこんな女がいるなら、親の身として一日でも添わしてやりたいだろう。御母さんが嫁がいたらいたらと云うのを今まで誤解して全く自分の淋しいのをまぎらすためとばかり解釈していたのは余の眼識の足らなかったところだ。あれは自分の我儘で云う言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思い通りにさせてやりたかったと云う謎(なぞ)なのだ。なるほど男は呑気(のんき)なものだ。しかし知らん事なら仕方がない。それは先(ま)ずよしとして元来寂光院(じゃっこういん)がこの女なのか、あるいはあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢ったと云うのはほかの女なのか、これが疑問である。この疑問はまだ断定出来ない。これだけの材料でそう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容(い)れる余地もなくては、すべての判断はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢ったとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買うか、為替(かわせ)を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼(は)る時に傍(そば)にいたあの女が、どう云う拍子(ひょうし)かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五分(ぶ)ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解(かい)せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃(たお)れたる者は枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼(せま)った」今度は言文一致である。「軍人が軍(いく)さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死に損(そく)なったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩(くず)す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か来て墓参りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑静な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。丸(たま)に中(あた)って仆(たお)れるまで旗を振って進むつもりだ。御母(おっか)さんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。
 余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気に懸(かか)ってたまらない。あの車は白山の方へ向いて馳(か)けて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものを探(たず)ねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食(ばんめし)を済ましてその晩はそれぎり寝る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々(ぼうぼう)として海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入(はい)ったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかった。
 翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身が入(い)らない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退(ひ)けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日(きのう)の菊が鮮やかに竹藪(たけやぶ)の緑に映じて雪の団子(だんご)のように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町の辺(へん)をぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸(てがか)りもない。その晩は疲労のため寝る事だけはよく寝た。しかし朝になって授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人を捕(つら)まえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに学生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、緩(ゆ)るりと探究するに若(し)くなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶(はんもん)焦慮もせず、例の通り静かに書斎に入って、せんだって中(じゅう)からの取調物を引き続いてやる事にした。
 近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥(ちょうはつ)する訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の学説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分生涯(しょうがい)の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡(うち)で近頃出版になった英吉利(イギリス)のリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子(ひょうし)か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど開(あ)けると、今度は寂光院が襲って来る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母(おっか)さんの切り下げの被布(ひふ)姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心して懸(かか)った仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入(はい)る。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して来る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして来た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには当人を捕えて聞き糺(ただ)すよりほかに方法はあるまいとのみ速断して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋(くずや)流に駒込近傍を徘徊(はいかい)したのである。しかしこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果(いんが)と称(とな)えていた。因果は諦(あき)らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因(いん)を極(きわ)めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女を捕(つら)まえて日記中の女と同人か別物かを明(あきらか)にした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯(さかのぼ)る代りに、昔から今に繰(く)りさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。
 そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先(ま)ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父(おとっ)さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺(おじい)さんも御爺さんの御父(おとっ)さんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家来と云う事だけ分ればそれで充分手懸(てがか)りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服装をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は当分埓(らち)があかない。抛(ほう)って置いて自然天然寂光院に往来で邂逅(かいこう)するのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定が中(あた)るとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の学問に対してもっとも興味ある材料を給与する貢献(こうけん)的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快(そうかい)になる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しも疚(や)ましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相当のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。
 あくる日学校で和歌山県出の同僚某に向って、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。因(よ)ってその人物を承(うけたま)わると、もとは家老(かろう)だったが今では家令(かれい)と改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常(ふだん)藩邸に出入(しゅつにゅう)する人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。
「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」
「うん何でも知っている。維新の時なぞはだいぶ働いたそうだ。槍(やり)の名人でね」
 槍などは下手(へた)でも構わん。昔(むか)し藩中に起った異聞奇譚(いぶんきだん)を、老耄(ろうもう)せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。
「まだ家令を務(つと)めているくらいなら記憶はたしかだろうな」
「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術(そうじゅつ)の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」
「いつでもして上げる」と云うと傍(そば)に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探(さ)がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中(あた)るか外(はず)れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。
 二三日(にさんち)は何の音沙汰(おとさた)もなく過ぎたが、御面会をするから明日(みょうにち)三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時は大(おおい)に嬉(うれ)しかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先(ま)ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日の下(もと)に引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣(きづかい)はない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方(おおかた)こんなものだろうと独(ひと)りでいい加減にきめて見る。自宅(うち)の渋柿は八百屋(やおや)から買った林檎(りんご)より旨(うま)いものだ。
 翌日(あくるひ)は学校が午(ひる)ぎりだから例刻を待ちかねて麻布(あざぶ)まで車代二十五銭を奮発して老人に逢って見る。老人の名前はわざと云わない。見るからに頑丈(がんじょう)な爺さんだ。白い髯(ひげ)を細長く垂れて、黒紋付に八王子平(はちおうじひら)で控えている。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云う。まるで小供扱だ。これから大発明をして学界に貢献しようと云う余に対してはやや横柄(おうへい)である。今から考えて見ると先方が横柄なのではない、こっちの気位(きぐらい)が高過ぎたから普通の応接ぶりが横柄に見えたのかも知れない。
 それから二三件世間なみの応答を済まして、いよいよ本題に入った。
「妙な事を伺いますが、もと御藩(ごはん)に河上と云うのが御座いましたろう」余は学問はするが応対の辞にはなれておらん。藩というのが普通だが先方の事だから尊敬して御藩(ごはん)と云って見た。こんな場合に何と云うものか未(いま)だに分らない。老人はちょっと笑ったようだ。
「河上――河上と云うのはあります。河上才三と云うて留守居を務(つと)めておった。その子が貢五郎と云うてやはり江戸詰で――せんだって旅順で戦死した浩一の親じゃて。――あなた浩一の御つき合いか。それはそれは。いや気の毒な事で――母はまだあるはずじゃが……」と一人で弁ずる
 河上一家(いっけ)の事を聞くつもりなら、わざわざ麻布(あざぶ)下(くんだ)りまで出張する必要はない。河上を持ち出したのは河上対某との関係が知りたいからである。しかしこの某なるものの姓名が分らんから話しの切り出しようがない。
「その河上について何か面白い御話はないでしょうか」
 老人は妙な顔をして余を見詰めていたが、やがて重苦しく口を切った。
「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある。どの河上の事を御尋ねか」
「どの河上でも構わんです」
「面白い事と云うて、どんな事を?」
「どんな事でも構いません。ちと材料が欲しいので」
「材料? 何になさる」厄介(やっかい)な爺さんだ。
「ちと取調べたい事がありまして」
「なある。貢五郎と云うのはだいぶ慷慨家(こうがいか)で、維新の時などはだいぶ暴(あ)ばれたものだ――或る時あなた長い刀を提(さ)げてわしの所へ議論に来て、……」
「いえ、そう云う方面でなく。もう少し家庭内に起った事柄で、面白いと今でも人が記憶しているような事件はないでしょうか」老人は黙然(もくねん)と考えている。
「貢五郎という人の親はどんな性質でしたろう」
「才三かな。これはまた至って優しい、――あなたの知っておらるる浩一に生き写しじゃ、よく似ている」
「似ていますか?」と余は思わず大きな声を出した。
「ああ、実によく似ている。それでその頃は維新には間(ま)もある事で、世の中も穏(おだや)かであったのみならず、役が御留守居だから、だいぶ金を使って風流(ふうりゅう)をやったそうだ」
「その人の事について何か艶聞(えんぶん)が――艶聞と云うと妙ですが――ないでしょうか」
「いや才三については憐れな話がある。その頃家中に小野田帯刀(おのだたてわき)と云うて、二百石取りの侍(さむらい)がいて、ちょうど河上と向い合って屋敷を持っておった。この帯刀に一人の娘があって、それがまた藩中第一の美人であったがな、あなた」
「なるほど」うまいだんだん手懸(てがか)りが出来る。
「それで両家は向う同志だから、朝夕(あさゆう)往来をする。往来をするうちにその娘が才三に懸想(けそう)をする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまうと騒いだのだて――いや女と云うものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くじゃ」
「ふん、それで思う通りに行きましたか」成蹟(せいせき)は良好だ。
「で帯刀から人をもって才三の親に懸合(かけあ)うと、才三も実は大変貰いたかったのだからその旨(むね)を返事する。結婚の日取りまできめるくらいに事が捗(はか)どったて」
「結構な事で」と申したがこれで結婚をしてくれては少々困ると内心ではひやひやして聞いている。
「そこまでは結構だったが、――飛んだ故障が出来たじゃ」
「へええ」そう来なくってはと思う。
「その頃国家老(くにがろう)にやはり才三くらいな年恰好(としかっこう)なせがれが有って、このせがれがまた帯刀の娘に恋慕(れんぼ)して、是非貰いたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出来たあとだ。いかに家老の勢でもこればかりはどうもならん。ところがこのせがれが幼少の頃から殿様の御相手をして成長したもので、非常に御上(おかみ)の御気に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿様の御意(ぎょい)でその方(ほう)の娘をあれに遣(つか)わせと云う御意が帯刀に下(お)りたのだて」
「気の毒ですな」と云ったが自分の見込が着々中(あた)るので実に愉快でたまらん。これで見ると朋友の死ぬような凶事でも、自分の予言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪(かぜ)を引くぞと忠告をした時に、忠告をされた当人が吾が言を用いないでしかもぴんぴんしていると心持ちが悪(わ)るい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間はかようにわがままなものだから、余一人を責めてはいかん。
「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帯刀が娘に因果(いんが)を含めて、とうとう河上方を破談にしたな。両家が従来の通り向う合せでは、何かにつけて妙でないと云うので、帯刀は国詰になる、河上は江戸に残ると云う取(と)り計(はからい)をわしのおやじがやったのじゃ。河上が江戸で金を使ったのも全くそんなこんなで残念を晴らすためだろう。それでこの事がな、今だから御話しするようなものの、当時はぱっとすると両家の面目に関(かか)わると云うので、内々にして置いたから、割合に人が知らずにいる」
「その美人の顔は覚えて御出(おい)でですか」と余に取ってはすこぶる重大な質問をかけて見た。
「覚えているとも、わしもその頃は若かったからな。若い者には美人が一番よく眼につくようだて」と皺(しわ)だらけの顔を皺ばかりにしてからからと笑った。
「どんな顔ですか」
「どんなと云うて別に形容しようもない。しかし血統と云うは争われんもので、今の小野田の妹がよく似ている。――御存知はないかな、やはり大学出だが――工学博士の小野田を」
「白山(はくさん)の方にいるでしょう」ともう大丈夫と思ったから言い放って、老人の気色(けしき)を伺うと
「やはり御承知か、原町にいる。あの娘もまだ嫁に行かんようだが。――御屋敷の御姫様(おひいさま)の御相手に時々来ます」
 占めた占めたこれだけ聞けば充分だ。一から十まで余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院はこの小野田の令嬢に違ない。自分ながらかくまで機敏な才子とは今まで思わなかった。余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後(のち)に認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生(ふもみしょう)以前に受けた記憶と情緒(じょうしょ)が、長い時間を隔(へだ)てて脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。ちょっと見てすぐ惚(ほ)れるような男女を捕えて軽薄と云う、小説だと云う、そんな馬鹿があるものかと云う。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、逆(さ)かさにする訳にもならん。不思議な現象に逢(あ)わぬ前ならとにかく、逢(お)うた後(のち)にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話しによると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生出入(しゅつにゅう)して互に顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の標榜(ひょうぼう)する趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違はないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。
「さっき浩一の名前をおっしゃったようですが、浩一は存生中(ぞんじょうちゅう)御屋敷へよく上がりましたか」
「いいえ、ただ名前だけ聞いているばかりで、――おやじは先刻(せんこく)御話をした通り、わしと終夜激論をしたくらいな間柄じゃが、せがれは五六歳のときに見たぎりで――実は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷へ出入(でいり)する機会もそれぎり絶えてしもうて、――その後(ご)は頓(とん)と逢(お)うた事がありません」
 そうだろう、そう来なくっては辻褄(つじつま)が合わん。第一余の理論の証明に関係してくる。先(ま)ずこれなら安心。御蔭様でと挨拶(あいさつ)をして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思ったものか、余を送り出して玄関に立ったまま、余が門を出て振り返るまで見送っていた。
 これからの話は端折(はしょ)って簡略に述べる。余は前にも断わった通り文士ではない。文士ならこれからが大(おおい)に腕前を見せるところだが、余は学問読書を専一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいているひまがない。新橋で軍隊の歓迎を見て、その感慨から浩さんの事を追想して、それから寂光院の不思議な現象に逢ってその現象が学問上から考えて相当の説明がつくと云う道行きが読者の心に合点(がてん)出来ればこの一篇の主意は済んだのである。実は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢い込んで出来るだけ精密に叙述して来たが、慣れぬ事とて余計な叙述をしたり、不用な感想を挿入(そうにゅう)したり、読み返して見ると自分でもおかしいと思うくらい精(くわ)しい。その代りここまで書いて来たらもういやになった。今までの筆法でこれから先を描写するとまた五六十枚もかかねばならん。追々学期試験も近づくし、それに例の遺伝説を研究しなくてはならんから、そんな筆を舞わす時日は無論ない。のみならず、元来が寂光院(じゃっこういん)事件の説明がこの篇の骨子だから、ようやくの事ここまで筆が運んで来て、もういいと安心したら、急にがっかりして書き続ける元気がなくなった。
 老人と面会をした後(のち)には事件の順序として小野田と云う工学博士に逢わなければならん。これは困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持って行ったら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機会で博士の妹に逢わせてもらった。妹は余の推量に違(たが)わず例の寂光院であった。妹に逢った時顔でも赤らめるかと思ったら存外淡泊(たんぱく)で毫(ごう)も平生と異(こと)なる様子のなかったのはいささか妙な感じがした。ここまではすらすら事が運んで来たが、ただ一つ困難なのは、どうして浩さんの事を言い出したものか、その方法である。無論デリケートな問題であるから滅多(めった)に聞けるものではない。と云って聞かなければ何だか物足らない。余一人から云えばすでに学問上の好奇心を満足せしめたる今日(こんにち)、これ以上立ち入ってくだらぬ詮議(せんぎ)をする必要を認めておらん。けれども御母(おっか)さんは女だけに底まで知りたいのである。日本は西洋と違って男女の交際が発達しておらんから、独身の余と未婚のこの妹と対座して話す機会はとてもない。よし有ったとしたところで、むやみに切り出せばいたずらに処女を赤面させるか、あるいは知りませぬと跳(は)ねつけられるまでの事である。と云って兄のいる前ではなおさら言いにくい。言いにくいと申すより言うを敢(あえ)てすべからざる事かも知れない。墓参り事件を博士が知っているならばだけれど、もし知らんとすれば、余は好んで人の秘事を暴露(ばくろ)する不作法を働いた事になる。こうなるといくら遺伝学を振り廻しても埓(らち)はあかん。自(みずか)ら才子だと飛び廻って得意がった余も茲(ここ)に至って大(おおい)に進退に窮した。とどのつまり事情を逐一(ちくいち)打ち明けて御母さんに相談した。ところが女はなかなか智慧(ちえ)がある。
 御母さんの仰(おお)せには「近頃一人の息子を旅順で亡(な)くして朝、夕淋(さみ)しがって暮らしている女がいる。慰めてやろうと思っても男ではうまく行かんから、おひまな時に御嬢さんを時々遊びにやって上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡(おうむ)的口吻(こうふん)を弄(ろう)して旨(むね)を伝えると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母(おっか)さんと御嬢さんとは時々会見をする。会見をするたびに仲がよくなる。いっしょに散歩をする、御饌(ごぜん)をたべる、まるで御嫁さんのようになった。とうとう御母さんが浩さんの日記を出して見せた。その時に御嬢さんが何と云ったかと思ったら、それだから私は御寺参(おてらまいり)をしておりましたと答えたそうだ。なぜ白菊を御墓へ手向(たむ)けたのかと問い返したら、白菊が一番好きだからと云う挨拶であった。
 余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは塹壕(ざんごう)へ飛び込んだきり上(あが)って来ない。誰も浩さんを迎(むかえ)に出たものはない。天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。余はこの両人の睦(むつ)まじき様(さま)を目撃するたびに、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。




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