耽溺
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著者名:岩野泡鳴 

ことに最後の文句などには、深い呼吸が伴っているように聴えた。その「可哀そうじゃアないか」は、青木を出しに田島自身のことを言っていたのだろうが、吉弥は何の思いやりもなく、大変強く当っていた。かの女の浅はかな性質としては、もう、国府津に足を洗うのは――はたしてきょう、あすのことだか、どうだか分りもしないのに――大丈夫と思い込み、跡は野となれ、山となれ的に楽観していて、田島に対しもし未練がありとすれば、ただ行きがけの駄賃として二十円なり、三十円なりの餞別(せんべつ)を貰ってやろうぐらいだろう。と、僕には読めた。
「あたい、ほんとうはお嫁に行くのよ、役者になれるか、どうだか知れやアしないから」などと、かの女は言わないでもいいことをしゃべった。
「どういう人にだ?」
「区役所のお役人よ――衣物(きもの)など拵えて、待っているの」
 僕は隣室の状景を想像する心持ちよりも、むしろこの一言にむかッとした。これがはたして事実なら――して、「お嫁に行くの」はさきに僕も聴いたことがあるから、――現在、吉弥の両親は、その定まった話をもたらしているのだと思われた。あの腹の黒い母親のことであるから、それくらいのたくらみはしかねないだろう。
「どうせ、二、三十円の月給取りだろうが、そんな者の嬶(かか)アになってどうするんだ?」
「お前さんのような借金持ちよりゃアいい、わ」
「馬鹿ァ言え!」
「子供の時から知ってる人で、前からあたいを貰いたいッて言ってたの――月給は四十円でも、お父(とっ)さんの家がいいんだから――」
「家はいいかも知れないが、月給のことはうそだろうぜ――しかしだ、そうなりゃア、おれたちアみな恨みッこなしだ」
「じゃア、そうと定めましょうよ」吉弥はうるさそうに三味線をじゃんじゃん引き出した。
「よせ、よせ!」と、三味線をひッたくったらしい。
「じゃア、もう、帰って頂戴よ、何度も言う通り、貰いがかかっているんだから」
「帰すなら、帰すようにするがいい」
「どうしたらいいのよ?」
「こうするんだ」
「いたいじゃアないか?」
「静かにせい!」この一言の勢いは、抜き身をもってはいって来た強盗ででもあるかのようであった。
「………」僕はいたたまらないで二階を下りて来た。
 しばらくしてはしご段をとんとんおりたものがあるので、下座敷からちょッと顔を出すと、吉弥が便所にはいるうしろ姿が見えた。
 誰れにでもああだろうと思うと、今さらのようにあの粗(あら)い肌が連想され、僕自身の身の毛もよだつと同時に、自分の心がすでに毛深い畜生になっているので、その鋭い鼻がまた別な畜生の尻を嗅(か)いでいたような気がした。

     一三

 田島が帰ると同時に、入れ代って、吉弥の両親がはいって来た。
「明きましたから、どうぞ二階へ」と、今度はここのかみさんから通知して来たので、僕は室を出て、またはしご段をのぼろうとすると、その両親に出くわした。
「お言葉にあまえて」と、お袋は愛相よく、「先生、そろってまいりましたよ」
「さア、おあがんなさい」と、僕はさきに立って二階の奥へ通った。
 おやじというのは、お袋とは違って、人のよさそうな、その代り甲斐性(かいしょう)のなさそうな、いつもふところ手をして遊んでいればいいというような手合いらしい。男ッぷりがいいので、若い時は、お袋の方が惚(ほ)れ込んで、自分のかせぎ高をみんな男の賭博(とばく)の負けにつぎ足しても、なお他の女に取られまい、取られまいと心配したのだろうと思われる。年が寄っても、その習慣が直らないで、やッぱりお袋にばかり世話を焼かせているおやじらしい。下駄(げた)の台を拵えるのが仕事だと聴いてはいるが、それも大して骨折るのではあるまい。(一つ忘れていたが、お袋の来る時には、必らず僕に似合う下駄を持って来ると言っていたが、そのみやげはないようだ)初対面の挨拶も出来かねたようなありさまで、ただ窮屈そうに坐って、申しわけの膝ッこを並べ、尻は少しも落ちついていない様子だ。
「お父さんの風ッたら、ありゃアしない」お袋がこう言うと、
「おりゃアいつも無礼講(ぶれいこう)で通っているから」と、おやじはにやりと赤い歯ぐきまで出して笑った。
「どうか、おくずしなさい。御遠慮なく」と、僕はまず膝をくずした。
「お父さんは」と、お袋はかえって無遠慮に言った、「まァ、下駄職に生れて来たんだよ、毎日、あぐらをかいて、台に向ってればいいんだ」
「そう馬鹿にしたもんじゃアないや、ね」と、おやじはあたまを撫(な)でた。
「御馳走(ごちそう)をたべたら、早く帰る方がいいよ」と、吉弥も笑っている。
 おかしくないのは僕だけであった。三人に酒を出し、御馳走を供し、その上三人から愚弄(ぐろう)されているのではないかと疑えば、このまま何も言わないで立ち帰ろうかとも思われた。まして、今しがたまでのこの座敷のことを思い浮べれば、何だか胸持(むなも)ちが悪くなって来て、自分の身までが全くきたない毛だ物になっているようだ。香ばしいはずの皿も、僕の鼻へは、かの、特に、吉弥が電球に「やまと」の袋をかぶせた時の薄暗い室の、薄暗い肌のにおいを運んで、われながら箸がつけられなかった。
 僕の考え込んだ心は急に律僧のごとく精進癖にとじ込められて、甘い、楽しい、愉快だなどというあかるい方面から、全く遮断(しゃだん)されたようであった。
 ふと、気がつくと、まだ日が暮れていない。三人は遠慮もなくむしゃむしゃやっている。僕は、また、猪口(ちょく)を口へ運んでいた。
「先生は御酒(ごしゅ)ばかりで」と、お袋は座を取りなして、「ちッともおうなは召しあがらないじゃアございませんか?」
「やがてやりましょう――まア、一杯、どうです、お父さん」と、僕は銚子を向けた。
「もう、先生、よろしゅうございますよ。うちのは二、三杯頂戴すると、あの通りになるんですもの」
「しかし、まだいいでしょう――?」
「いや、もう、この通り」と、おやじは今まで辛抱していた膝ッこを延ばして、ころりと横になり、
「ああ、もう、こういうところで、こうして、お花でも引いていたら申し分はないが――」
「お父さんはじきあれだから困るんです。お花だけでも、先生、私の心配は絶えないんですよ」
「そう言ったッて、ほかにおれの楽しみはないからしようがない、さ」
「あの人もやッぱし来るの?」吉弥がお袋に意味ありげの目を向けた。
「ああ、来るよ」お袋は軽く答えて、僕の方に向き直り、「先生、お父さんはもう帰していいでしょう?」
「そこは御随意になすってもらいましょう。――御窮屈なら、お父さん、おさきへ御飯を持って来させますから」と、僕は手をたたいて飯を呼んだ。
「お父さんは御飯を頂戴したら、すぐお帰りよ」と、お袋はその世話をしてやった。
 僕は女優問題など全く撤回しようかと思ったくらいだし、こんなおやじに話したッて要領を得ないと考えたので、いい加減のところで切りあげておいたのだ。
 飯を独りすませてから、独りで帰って行くのらくらおやじの姿がはしご段から消えると、僕の目に入れ代って映じて来るまぼろしは、吉弥のいわゆる「あの人」であった。ひょッとしたら、これがすなわち区役所の役人で、吉弥の帰京を待っている者――たびたび花を引きに来るので、おやじのお気に入りになっているのかも知れないと推察された。

     一四

 その跡に残ったのはお袋と吉弥と僕との三人であった。
「この方が水入らずでいい、わ」と、お袋は娘の顔を見た。
「青木は来たの?」吉弥はまた母の顔をじッと見つめた。
「ああ、来たよ」
「相談は定まって?」
「うまく行かないの、さ」
「あたい、厭だ、わ!」吉弥は顔いろを変えた。「だから、しッかりやって頂戴と言っておいたじゃアないか?」
「そう無気(むき)になったッてしようがない、わ、ね。おッ母さんだッて、抜かりはないが、向うがまだ険呑(けんのん)がっていりゃア、考えるのも当り前だア、ね」
「何が当り前だア、ね? 初めから引かしてやると言うんで、毎月、毎月妾(めかけ)のようにされても、なりたけお金を使わせまいと、わずかしか小遣いも貰(もら)わなかったんだろうじゃないか? 人を馬鹿にしゃアがったら、承知アしない、わ。あのがらくた店へ怒鳴(どな)り込んでやる!」
「そう、目の色まで変えないで、さ――先生の前じゃアないか、ね。実は、ね、半分だけあす渡すと言うんだよ」
「半分ぐらいしようがないよ、しみッたれな!」
「それがこうなんだよ、お前を引かせる以上は青木さん独りを思っていてもらいたい――」
「そんなおたんちんじゃアないよ」
「まア、お聴きよ」と、お袋は招ぎ猫を見たような手真似をして娘を制しながら、「そう来るのア向うの順じゃアないか? 何でもはいはいッて言ってりゃいいんだア、ね。――『そりゃア御もっとも』と返事をすると、ね、お前のことについて少し疑わしい点があると――」
「先生にゃア関係がないと言ってあるのに」
「いいえ、この方は大丈夫だが、ね、それ――」
「田島だッて、もう、とっくに手を切ッたって言ってあるよ」
「畜生!」僕は腹の中で叫んだ。
「それが、お前、焼き餅だァ、ね」と、お袋は、実際のところを承知しているのか、いないのか分らないが、そらとぼけたような笑い顔。「つとめをしている間は、お座敷へ出るにゃア、こッちからお客の好き嫌いはしていられないが、そこは気を利(き)かして、さ――ねえ、先生、そうじゃアございませんか?」
「そりゃア、そうです」と、僕は進まないながらの返事。
「実は、ね」と、吉弥はしまりなくにこつき出して、「こんなことがあったのよ。このお座敷に青木さんがいて、下に田島が来ていたの。あたい、両方のかけ持ちでしょう、上したの焼き持ち責めで困っちまった、わ。田島がわざと跡から攻めかけて来て、焼け飲みをしたんでしょう、酔ッぱらッちまって聴えよがしに歌ったの、『青木の馬鹿野郎』なんかんて。青木さんは年を取ってるだけにおとなしいんで、さきへ帰ってもらった、わ」
 こう話しながらも、吉弥はたッた今あったことを僕が知っているとは思わないので、十分僕に気を許している様子であった。僕は、吉弥とお袋との鼻をあかすために、すッぱり腹をたち割って、僕の思いきりがいいところを見せてやりたいくらいであったが、しみッたれた男が二人も出来ているところへ、また一人加わったと思われるのが厭さに、何のこともない風で通していた。
「そんなことのないようにするのが」と、お袋は僕に向った、「芸者のつとめじゃアございませんか?」
「大きにそうです、ね」僕はこう答えたが、心では、「芸者どころか、女郎や地獄の腕前もない奴だ」と、卑しんでいた。
「あたいばかり責めたッて、しようがないだろうじゃないか?」吉弥はそのまなじりをつるしあげた。それに、時々、かの女の口が歪(ゆが)む工合は、お袋さながらだと見えた。
「まア、すんだことはいいとして、さ」と、お袋は娘をなだめるように、「これからしばらく大事だから、よく気をおつけなさい。――先生にも頼んでおきたいんです、の。如才はございますまいが、青木さんが、井筒屋の方を済ましてくれるまで、――今月の末には必らずその残りを渡すと言うんですから――この月一杯は大事な時でございます。お互いに、ね、向うへ感づかれないように――」と、僕と吉弥とを心配そうに見まわした様子には、さすが、親としての威厳があった。
「そりゃアもちろんです」と、僕はまた答えた。僕は棄てッ鉢に飲んだ酒が十分まわって来たので、張りつめていた気も急にゆるみ、厭なにおいも身におぼえなくなり、年取った女がいるのは自分の母のごとく思われた。また、吉弥の坐っているのがふらふら動くように見えるので、あたかも遠いところの雲の上に、普賢菩薩(ふげんぼさつ)が住しているようで、その酔いの出たために、頬(ほお)の白粉(おしろい)の下から、ほんのり赤い色がさす様子など、いかにも美しくッて、可愛らしくッて、僕の十四、五年以前のことを思い出さしめた。
 僕は十四、五年以前に、現在の妻を貰ったのだ。僕よりも少し年上だけに、不断はしッかりしたところのある女だが、結婚の席へ出た時の妻を思えば、一、二杯の祝盃(しゅくはい)に顔が赤くなって、その場にいたたまらなくなったほどの可愛らしい花嫁であった。僕は、今、目の前にその昔の妻のおもかげを見ていた。
 そのうちにランプがついたのに気がつかなかった。
「先生はひどく考え込んでいらッしゃるの、ね」と、お袋の言葉に僕は楽しい夢を破られたような気がした。
「大分酔ったんです」と、僕はからだを横に投げた。
「きイちゃん」と、お袋は娘に目くばせをした。
「しッかりなさいよ、先生」吉弥は立って来て、僕に酌をした。かの女は僕を、もう、手のうちにまるめていると思っていたのか、ただ気まま勝手に箸(はし)を取っていて、お酌はお袋にほとんどまかしッきりであったのだ。
「きイちゃん、お弾きよ――先生、少し陽気に行きましょうじゃアございませんか?」
 吉弥のじゃんじゃんが初まった。僕は聴きたくないので、
「まア、お待ち」と、それを制し、「まだお前の踊りを見たことがないんだから、おッ母さんに弾いてもらって、一つ僕に見せてもらおう」
「しばらく踊らないんですもの」と、吉弥は、僕を見て、膝に三味をのせたままでからだを横にひねった。
「………」僕は年の行かない娘が踊りのお稽古(けいこ)の行きや帰りにだだをこねる時のようすを連想しながら、
「おぼえている物をやったらいいじゃないか?」
「だッて」と、またからだを振ると同時に、左の手を天心(てんじん)の方に行かせて、しばらく言葉を切ったが、――「こんな大きななりじゃア踊れない、わ」
「お酌のつもりになって、さ」とは、僕が、かの女のますます無邪気な様子に引き入れられて、思わず出した言葉だ。
「そういう注文は困る、わ」吉弥は訴えるようにお袋をながめた。
「じゃア」と、お袋は娘と僕とを半々に見て、「私に弾けなくッても困るから、やさしい物を一つやってごらん。――『わが物』がいい、傘(かさ)を持ってることにして、さ」三味線を娘から受け取って、調子を締めた。
「まるで子供のようだ、わ」吉弥ははにかんで立ち上り、身構えをした。
 お袋の糸はなかなかしッかりしている。
「わがーアものーオと」の歌につれて、吉弥は踊り出したが、踊りながらも、
「何だかきまりが悪い、わ」と言った。
 そのはにかんでいる様子は、今日まで多くの男をだまして来た女とは露ほども見えないで、清浄無垢(しょうじょうむく)の乙女(おとめ)がその衣物を一枚一枚剥(は)がれて行くような優しさであった。僕が畜生とまで嗅(か)ぎつけた女にそんな優しみがあるのかと、上手下手(じょうずへた)を見分ける余裕もなく、僕はただぼんやり見惚(みと)れているうちに、
「待つウ身にイ、つらーアき、置きイごたーアつ」も通り抜けて、終りになり、踊り手は畳に手を突いて、しとやかにお辞儀をした。こうして踊って来た時代もあったのかと思うと、僕はその頸ッ玉に抱きついてやりたいほどであった。
「もう、御免よ」吉弥は初めて年増(としま)にふさわしい発言(はつごん)をして自分自身の膳にもどり、猪口を拾って、
「おッ母さん一杯お駄賃に頂戴よ」
「さア、僕が注(つ)いでやろう」と、僕は手近の銚子を出した。
「それでも」と、お袋は三味を横へおろして、
「よく覚えているだけ感心だ、わ。――先生、この子がおッ師匠(しょ)さんのところへ通う時ア、困りましたよ。自分の身に附くお稽古なんだに、人の仕事でもして来たようにお駄賃をくれいですもの。今もってその癖は直りません、わ。何だというと、すぐお金を送ってくれい――」
「そうねだりゃアしない、わ」と、吉弥はほほえんだ。
「………」また金の話かと、僕はもうそんなことは聴きたくないから、すぐみんなで飯を喰った。

     一五

 お袋は一足さきへ帰ったので、吉弥と僕とのさし向いだ。こうなると、こらえていた胸が急にみなぎって来た。
「先生にこうおごらして済まない、わ、ねえ」と、可愛い目つきで吉弥が僕をながめたのに答えて、
「馬鹿!」と一声、僕は強く重い欝忿(うっぷん)をあびせかけた。
「そのこわい目!」しばらく吉弥は見つめていたが、「どうしたのよ」と、かおをしがめて僕にすり寄って来た。
「ええッ、穢(けが)れる、わい!」僕はこれを押し除(の)けて、にらみつけ、「知らないと思って、どこまで人を馬鹿にしゃアがるんだい? さッき、おれがここへ来るまでのここのざまッたら何だ?」
 吉弥はちょっとぎゃふんとしたようであったが、いずまいを直して、
「聴いてたの?」と、きまりが悪い様子。
「聴いてたどころか、隣りの座敷で見ていたも同前だい!」
「あたい、何も田島さんを好いてやしない、わ」
「もう、好く好かないの問題じゃアない、病気がうつる問題だよ」
「そんな物アとっくに直ってる、わ」
「分るもんか? 貴様の口のはたも、どこの馬の骨か分りもしない奴の毒を受けた結果だぞ」
 言っておかなかったが、かの女の口のはたの爛(ただ)れが直ったり、出来たりするのは、僕の初めから気にしていたところであった。それに、時々、その活(い)き活(い)きした目がかすむのを井筒屋のお貞が悪口(わるくち)で、黴毒性(ばいどくせい)のそこひが出るのだと聴いていたのが、今さら思い出されて、僕はぞッとした。
「寛恕(かに)して頂戴よ」と、僕の胸に身を投げて来た吉弥をつき払い、僕はつッ立ちあがり、「おッ母さんにそう言ってもらおう、僕も男だから、おッ母さんに約束したことは、お前の方で筋道さえ踏んで来りゃア、必らず実行する。しかしお前の身の腐れはお前の魂から入れ変えなけりゃア、到底、直りッこはないんだ。――これは何も焼き餅から言うんじゃアない、お前のためを思って言うんだ」
 怒りはしたものの、僕は涙がこぼれた。それとなく、ハンケチを出して目を拭(ふ)きながら座敷を出た。出てからちょっとふり返って見たが、かの女は――分ったのか、分らないのか――突き放されたままの位置で、畳に左の手を突き、その方の袂(たもと)の端を右の手で口へ持って行った。目は畳に向いていた。
 その翌日、午前中に、吉弥の両親はいとま乞(ご)いに来た。僕が吉弥をしかりつけた――これを吉弥はお袋に告げたか、どうか――に対する挨拶などは、別になかった。とにかく、僕は一種不愉快な圧迫を免れたような気がして、女優問題をもなるべく僕の心に思い浮べないようにしようときめた。かつ、これからは僕から弱く出てかれこれ言うには及ばない、吉弥に性根があったら、向うから何とか言って来るだろう、それを待っているにしくはないと考えた。
「先生も御如才はないでしょうが――この月中が肝心ですから、ね」と、お袋の別れの言葉はまたこうであった。
「無論ですとも」と答えたが、僕はあとで無論もくそもあったものかという反抗心が起った。そして、それでもなお実は、吉弥がその両親を見送りに行った帰りに、立ち寄るのが本当だろうと、外出もしないで待っていたか、吉弥は来なかった。昼から来るかとの心待ちも無駄であった。その夜もとうとう見えなかった。
 そのまたあくる日も、日が暮れるまで待っていたが、来なかった。もうお座敷に行ったろうからだめだと、――そして、井筒屋ははやらないが、井筒屋の独り芸者は外へ出てはやりッ子なんだから――あきらめて、書見でもしようと、半分以上は読み終ってあるメレジコウスキの小説「先駆者」を手に取った。国府津へ落ちついた当座は、面白半分一気に読みつづけて、そこまでは進んだが、僕の気が浮かれ出してからは、ほとんど全くこれを忘れていたありさまであったのだ。この書の主人公レオナドダヴィンチの独身生活が今さらのごとく懐(なつ)かしくなった。
 仰向けに枕して読みかけたが、ふと気がつくと、月が座敷中にその光を広げている。おもてに面した方の窓は障子をはずしてあったので、これは危険だという考えが浮んだ。こないだから持っていた考えだが、――吉弥の関係者は幾人あるか分らないのだから、僕は旅の者だけに、最も多くの恨みを買いやすいのである。いついかなる者から闇打ちを喰らわされるやも知れない。人通りのない時、よしんば出来心にしろ、石でもほうり込まれ、怪我(けが)でもしたらつまらないと思い、起きあがって、窓の障子を填(は)め、左右を少しあけておいて、再び枕の上に仰向けになった。
 心が散乱していて一点に集まらないので、眼は開いたページの上に注がれて、何を読んでいるのか締りがなかった。それでもじッと読みつづけていると、新らしい事件は出て来ないで、レオナドと吉弥とが僕の心をかわるがわる通過する。一方は溢(あふ)れるばかりの思想と感情とを古典的な行動に包んだ老独身者のおもかげだ。また一方はその性情が全く非古典的である上に、無神経と思われるまでも心の荒(すさ)んだ売女の姿だ。この二つが、まわり燈籠(どうろう)のように僕の心の目にかわるがわる映って来るのである。
 一方は、燃ゆるがごとき新情想を多能多才の器(うつわ)に包み、一生の寂しみをうち籠(こ)めた恋をさえ言い現わし得ないで終ってしまった。その生涯(しょうがい)はいかにも高尚(こうしょう)である、典雅である、純潔である。僕が家庭の面倒や、女の関係や、またそういうことに附随して来るさまざまの苦痛と疲労とを考えれば、いッそのこと、レオナドのように、独身で、高潔に通した方が幸福であったかと、何となく懐かしいような気がする。しかし、また考えると、高潔でよく引き締った半僧生活は、十数年前、すでに、僕は思想と実験との上で通り抜けて来たのだ。そんな初々(ういうい)しいことで、現在の僕が満足出来ないのは分りきっている。僕の神経はレオナドの神経より五倍も十倍も過敏になっているだろう。
 こう思うと、また、古寺の墓場のように荒廃した胸の中のにおいがして来て、そのくさい空気に、吉弥の姿が時を得顔に浮んで来る。そのなよなよした姿のほほえみが血球となって、僕の血管を循環するのか、僕は筋肉がゆるんで、がッかり疲労し、手も不断よりは重く、足も常よりは倦怠(けったる)いのをおぼえた。
 僕の過敏な心と身体とは荒んでいるのだ。延びているのだ。固まっていた物が融けて行くように、立ち据(す)わる力がなくなって、下へ下へと重みが加わったのだろう。堕落、荒廃、倦怠(けんたい)、疲労――僕は、デカダンという分野に放浪するのを、むしろ僕の誇りとしようという気が起った。
「先駆者」を手から落したら、レオナドはいなくなったが、吉弥ばかりはまだ僕を去らない。
 かの女は無努力、無神経の、ただ形ばかりのデカダンだ、僕らの考えとは違って、実力がない、中味がない、本体がない。こう思うと、これもまた厭(いや)になって、僕は半ばからだを起した。そうすると、吉弥もまた僕の心眼を往来しなくなった。
 暑くッてたまらないので、むやみにうちわを使っていると、どこからか、
「寛恕(かに)して頂戴よ」という優しい声が聴える。しかしその声の主はまだ来ないのであった。

     一六

 僕が強く当ったので、向うは焼けになり、
「じゃア勝手にしろ」という気になったのではあるまいか? それなら、僕から行かなければ永劫(えいごう)に会えるはずはない。会わないなら、会わない方が僕に取ってもいいのだが、まさか、向うはそうまで思いきりのいい女でもなかろう。あの馬鹿女郎(めろう)め、今ごろはどこに何をしているか、一つ探偵(たんてい)をしてやろうと、うちわを持ったまま、散歩がてら、僕はそとへ出た。
 井筒屋の店さきには、吉弥が見えなかった。
 寝ころんでいたせいもあろう、あたまは重く、目は充血して腫(は)れぼッたい。それに、近ごろは運動もしないで、家にばかり閉(と)じ籠(こも)り、――机に向って考え込んでいたり――それでなければ、酒を飲んでいたり――ばかりするのであるから、足がひょろひょろしている。涼しく吹いて来る風に、僕はからだが浮きそうであった。
 でこぼこした道を踏みしめ、踏みしめ、僕は歩いていたが、街道を通る人かげがすべて僕の敵であるかのように思われた。月光に投げ出した僕の影法師も、僕には何だかおそろしかった。
 なるべく通行者に近よらないようにして、僕はまず例のうなぎ屋の前を通った。三味の音や歌声は聴えるが、吉弥のではない。いないのか知らんと、ほかに当てのある近所の料理屋の前を二、三軒通って見た。そこいらにもいそうもないような気がした。
 青木の本陣とも言うべきは、二、三町さきの里見亭(さとみてい)だ。かれは、吉弥との関係上初めは井筒屋のお得意であったが、借金が嵩(かさ)んで敷居が高くなるに従って、かのうなぎ屋の常客となった。しかしそこのおかみさんが吉弥を田島に取り持ったことが分ってから、また里見亭に転じたのだ。そこでしくじったら、また、もう少しかけ隔った別な店へ移るのだろう。はたから見ると、だんだん退却して行くありさまだ。吉弥の話したことによると、青木は、かれ自身が、
「無学な上に年を取っているから、若いものに馬鹿にされたり、また、自分が一生懸命になっている女にまでも謀叛(むほん)されたりするのだ」と、男泣きに泣いたそうだ。
 ある時などかれは、思いものの心を試(た)めそうとして、吉弥に、その同じ商売子で、ずッと年若なのを――吉弥の合い方に呼んでいたから――取り持って見よと命じた。吉弥は平気で命令通り向うの子を承知させ、青木をかげへ呼んでその旨を報告した。
「姉さんさえ承知ならッて――大丈夫よ」
「………」青木は、しかしそう聴いてかえってこれを残念がり、実は本意でない、お前はそんなことをされても何ともないほどの薄情女かと、立っている吉弥の肩をしッかりいだき締めて、力一杯の誠意を見せようとしたこともあるそうだ。思いやると、この放蕩(ほうとう)おやじでも実があって、可哀そうだ。吉弥こそそんな――馬鹿馬鹿しい手段だが――熱のある情けにも感じ得ない無神経者――不実者――。
 こういうことを考えながら、僕もまたその無神経者――不実者――を追って、里見亭の前へ来た。いつも不景気な家だが、相変らずひッそりしている。いそうにもない。しかしまたこッそり乳くり合っているのかも知れないと思えば、急に僕の血は逆上して、あたまが燃え出すように熱して来た。
 僕は、数丈のうわばみがぺろぺろ赤い舌を出し、この家のうちを狙(ねら)って巻きつくかのような思いをもって、裏手へまわった。
 裏手は田圃(たんぼ)である。ずッと遠くまで並び立った稲の穂は、風に靡(なび)いてきらきら光っている。僕は涼風(すずかぜ)のごとく軽くなり、月光のごとく形なく、里見亭の裏二階へ忍んで行きたかった。しかし、板壁に映った自分の黒い影が、どうも、邪魔になってたまらない。
 その影を取り去ってしまおうとするかのように、僕はこわごわ一まわりして、また街道へ出た。
 もとの道を自分の家の方へ歩んで行くと、暗いところがあったり、明るいところがあったり、ランプのあかりがさしたり、電燈の光が照らしたり――その明暗幽照(ゆうしょう)にまでも道のでこぼこが出来て――ちらつく眼鏡越(めがねご)しの近眼の目さきや、あぶなッかしい足もとから、全く別な世界が開らけた。
 戸々(ここ)に立ち働いている黒い影は地獄の兵卒のごとく、――戸々の店さきに一様に黒く並んでるかな物、荒物、野菜などは鬼の持ち物、喰い物のごとく、――僕はいつの間に墓場、黄泉(よみじ)の台どころを嗅ぎ当てていたのかと不思議に思った。
 たまたま、鼻唄(はなうた)を歌って通るものに会うと、その声からして死んだものらの腐った肉のにおいが聴かれるようだ。
 僕は、――たとえば、伊邪那岐(いざなぎ)の尊(みこと)となって――死人のにおいがする薄暗い地獄の勝手口まで、女を追っているような気がして、家に帰った。
 時計を見ると、もう、十時半だ。しかし、まだ暑いので、褥(とこ)を取る気にはならない。仰向けに倒れて力抜けがした全身をぐッたり、その手足を延ばした。
 そこへ何物か表から飛んで来て、裏窓の壁に当ってはね返り、ごろごろとはしご段を転げ落ちた。迷い鳥にしてはあまりに無謀過ぎ、あまりに重みがあり過ぎたようだ。
 ぎょッとしたが、僕はすぐおもて窓をあけ、
「………」誰れだ? と、いつものような大きな声を出そうとしたら、下の方から、
「静かに静かに」と、声ではなく、ただ制する手ぶりをした女が見える。吉弥だ。
 僕はすぐ二階をおりて外へ出た。
「………」まだ物を言わなかった。
「びッくりして?」まず、平生通りの調子でこだわりのない声を出したかの女の酔った様子が、なよなよした優しい輪廓(りんかく)を、月の光で地上にまでも引いている。
「また青木だろう?」
「いいえ、これから行くの」
「じゃア、早く行きゃアがれ!」僕はわざとひどくかの女を突き放って今夜もだめだとあきらめた。
「もう一つあげましょうか?」かの女は今一つ持っていた林檎(りんご)を出した。
「………」僕は黙ってそれを奪い取ってから、つかつかと家にはいった。

     一七

 その後、吉弥に会うたびごとに、おこって見たり、冷かして見たり、笑って見たり、可愛がって見たり――こッちでも要領を得なければ、向うでもその場、その場の商売ぶり。僕はお袋が立つ時にくれぐれ注意したことなどは全く無頓着になっていた。
 東京からは、もう、金は送らないで妻が焼け半分の厭みッたらしい文句ばかりを言って来る。僕はそのふくれている様子を想像出来ないではないが、いりもしない反動心が起って来ると同時に、今度の事件には僕に最も新らしい生命を与える恋――そして、妻には決して望めないの――が含んでいるようにも思われた。それで、妾にしても芸者をつれて帰るかも知れないが、お前たち(親にも知らしてあると思ったから、暗にそれをも含めて)には決して心配はかけないという返事を出した。
 僕があがるのはいつも井筒屋だが、吉弥と僕との関係を最も早く感づいたのは、そこのお君である。皮肉にも、隣りの室に忍び込んで、すべてを探偵したらしく、あったままの事実を並べて、吉弥を面と向っていじめたそうだ。
 吉弥はこれが癪(しゃく)にさわったとかで、自分のうちのお客に対し、立ち聴きするなどは失礼ではないかとおこり返したそうだが、そのいじめ方が不断のように蔭弁慶(かげべんけい)的なお君と違っていたので、
「あの小まッちゃくれも、もう年ごろだから、焼いてるんだ、わ」と、吉弥は僕の胸をぶった。
「まさか、そんなわけじゃアあるまい」と、僕は答えた。
 しかし、それから、お君は英語を習いに来なくなったのは事実だ。
 僕も、これが動機となって、いくらかきまりが悪くなったのに加えて、自分の愛する者が年の若い娘にいじめられるところなどへ行きたくなくなった。また、お貞が、僕の顔さえ見れば、吉弥の悪口(あっこう)をつくのは、あんな下司(げす)な女を僕があげこそすれ、まさか、関係しているとは思わなかったからでもあろうが、それにしては、知った以上、僕をも下司な者に見なすのは知れきっているから、行かない方がいいと思い定めた。それで、吉弥を呼べば、うなぎ屋へ呼んだが、飲みに行く度数がもとのようには多くなくなった。
 勉強をする時間が出来たわけだが、目的の脚本は少しも筆が取れないで、かえって読み終ったメレジコウスキの小説を縮小して、新情想を包んだ一大古典家、レオナドダヴィンチの高潔にしてしかも恨み多き生涯を紹介的に書き初めた。
 ある晩のこと、虚心になって筆を走らせていると、吉弥がはしご段をとんとんあがって来た。
「………」何も言わずすぐ僕にすがりついてわッと泣き出した。あまり突然のことだから、
「どうしたのだ?」と、思わず大きな声をして、僕はかの女の片手を取った。
「………」かの女は僕に片手をまかせたままでしばらく僕の膝の上につッ伏していたが、やがて、あたまをあげて、そのくわえていた袖を離し、「青木と喧嘩したの」
「なアんだ」と、僕は手を離した。「乳くり合ったあげくの喧嘩だろう。それをおれのところへ持って来たッて、どうするんだ?」
「分ってしまった、わ」
「何が、さ?」僕はとぼけて見せたが、青木に嗅ぎつけられたのだとは直感した。
「何がッて、ゆうべ、うなぎ屋の裏口からこッそりはいって来て、立ち聴きしたと、さ」――では、先夜の僕がゆうべの青木になったのだ。また、うわばみの赤い舌がぺろぺろ僕の目の前に見えるようだ。僕はこれを胸に押さえて平気を装い、
「それがつらいのか?」
「どうしても、疑わしいッて聴かないんだもの、癪にさわったから、みんな言っちまった――『あなたのお世話にゃならない』て」
「それでいいじゃアないか?」
「じゃア、向うがこれからのお世話は断わると言うんだが、いいの?」
「いいとも」
「跡の始末はあなたがつけてくれて?」
「知れたこッた」と、僕は覚悟した。
 こういうことにならないうち、早く切りあげようかとも思ったのだが、来べき金が来ないので、ひとつは動きがつかなくなったのだ。しかし、もう、こうなった以上は、僕も手を引くのをいさぎよしとしない。僕は意外に心が据った。
「もう少し書いたら行くから、さきへ帰っていな」と、僕は一足さきへ吉弥を帰した。

     一八

 やがて井筒屋へ行くと、吉弥とお貞と主人とか囲炉裡(いろり)を取り巻いて坐っている。お君や正ちゃんは何も知らずに寝ているらしい。主人はどういう風になるだろうと心配していた様子、吉弥は存外平気でいる。お貞はまず口を切った。
「先生、とんだことになりまして、なア」と、あくまで事情を知らないふりで、「あなたさまに御心配かけては済みませんけれど――」
「なアに、こうなったら、私が引き受けてやりまさア」
「済まないこッてございますけれど――吉弥が悪いのだ、向うをおこらさないで、そッとしておけばいいのに」
「向うからほじくり出すのだから、しようがない、わ」
「もう、出来たことは何と言っても取り返しのつくはずがない。すッかり私におまかせ下さい」と、僕は男らしく断言した。
「しかし」と、主人が堅苦しい調子で、「世間へ、あの人の物と世間へ知れてしまっては、芸者が売れませんから、なア――また出来ないようなことがあっては、こちらが困るばかりで――」
「そりゃア、もう、大丈夫ですよ」と、僕は軽く答えたが、あまりに人を見くびった言い分を不快に感じた。
 しかし、割合いにすれていない主人のことであるし、またその無愛嬌(ぶあいきょう)なしがみッ面(つら)は持ち前のことであるから、思ったままを言ったのだろうと推察してやれば、僕も多少正直な心になった。
「どうともして」とは、実際、何とか工面をしなければならないのだ、「必らず御心配はかけませんが、青木さんの方が成り立っていても、今月一杯はかかるんでしたから――そこいらの日限は、どうか、よろしく」と、念を押した。
「それはもちろんのことです」主人はちょっとにこついて見せたが、また持ち前のしがみッ面に返って、「青木があの時揃(そろ)えて出してしまえばよかったに、なア」と、お貞の方をふり向いた。
「あいつがしみッたれだから、さ」お貞は煙管をはたいた。
「一杯飲もうか?」もう分ったろうと思ったから、僕は、吉弥を促がし、二階へあがった。
「泣いたんでびッくりしたでしょう?」吉弥は僕と相向って坐った時にこう言った。
「なアに」僕は吉弥の誇張的な態度をわざとらしく思っていたので、澄まして答えた。「お前の目玉に水ッ気が少しもなかったよ」
 硯(すずり)と巻き紙とを呼んで、僕は飲みながら、先輩の某氏に当てて、金の工面を頼む手紙を書いた。その手紙には、一芸者があって、年は二十七――顔立ちは良くないし、三味線もうまくないが、踊りが得意(これは吉弥の言った通りを信じて言うのだ)――普通の婦人とは違って丈がずッと高く――目と口とが大きいので、仕込みさえすれば、女優として申し分のない女だ。かつ、その子供が一人ある、また妹がある。それらを引き入れることが出来る望みがある。失敗はあらかじめ覚悟の上でつれて帰りたいから、それに必要な百五十円ばかりを一時立て換えてもらいたいと頼んだ。その全体において、さきに劇場にいる友人に紹介した時よりも熱がさめていたので、調子が冷静であった。無論、友人に対する考えと先輩に対する心持ちとは、また、違っていたのだ。ただ、心配なのは承知してくれるか、どうかということだ。
「もう、書けたの?」吉弥は待ちどおしそうに尋ねた。
「ああ」と、僕の返事には力がなかった。
 僕は寝ころんでがぶかぶ三、四杯を独りで傾けた。
「あたいも書こう」と、吉弥が今度は筆を取り、僕の投げ出した足を尻に敷いて、肘(ひじ)をつき、しきりに何か書き出した。
 僕は手をたたいて人を呼び、まだ起きているだろうからと、印紙を買って投函(とうかん)することを命じた。一つは、そこの家族を安心させるためであったが、もし出来ない返事が来たらどうしようと、心は息詰まるように苦しかった。
「………」吉弥もまた短い手紙を書きあげたのを、自慢そうだ――
「どれ見せろ」と、僕は取って見た。
 下手くそな仮名(かな)文字だが、やッとその意だけは通じている。さきに僕がかの女のお袋に尋ねて、吉弥は小学校を出たかというと、学校へはやらなかったので、わずかに新聞を拾い読みすることが出来るくらいで、役者になってもせりふの覚えが悪かろうと答える。すると吉弥がそばから、
「まさか、絶句はしない、わ」と、答えたのを思い出した。
「しばらく御ぶさた致し候。まずはおかわりもなく、御つとめなされ候よし、かげながら祝しおり候。さてとや、このほどよりの御はなし、母よりうけたまわり、うれしく存じ候」
 てッきり、例の区役所先生に送るのだと分った。「うれしく」とは、一緒になることが定まっているのだろう。もっとも、僕はその人が承知して女優になるのを許せば、それでかまわないとも考えていたのだ。
 そのつづき、――
「ちかきうちに私も帰り申し候につき、くわしきことはお目もじの上申しあげそうろう。かしく。きくより」
 菊とは吉弥の本名だ。さすが、当て名は書いてない。
「馬鹿野郎! 人の前でのろけを書きゃアがった、な」
「のろけじゃアないことよ、御無沙汰(ごぶさた)しているから、お詫(わ)びの手紙だ、わ」
「『母より承わり、うれしく』だ――当て名を書け、当て名を! 隠したッて知れてらア」
「じゃア、書く、わ」笑いながら、「うわ封を書いて頂戴よ」と言って、かの女の筆を入れたのは「野沢さま」というのである。
 僕はその封筒のおもてに浅草区千束町○丁目○番地渡瀬(これは吉弥の家)方野沢様と記(しる)してやった。かの女はその人を子供の時から知ってると言いながら、その呼び名とその宿所とを知っていないのであった。
「………」さきの偽筆は自分のために利益と見えたことだが、今のは自分の不利益になる事件が含んでいる代筆だ。僕は、何事もなるようになれというつもりで、苦しい胸を押えていた。が、表面では、そう沈んだようには見せたくなかったので、からかい半分に、「区役所が一番恋しいだろう?」
「いいえ」吉弥はにッこりしたが、口を歪めて、「あたい、やッぱし青木さんが一番可愛い、わ――実があって――長く世話をかけたんだもの」
「じゃア、僕はどうなるんだ?」
「これからは、あなたの」と、吉弥は僕の寝ころんでいる胸の上に自分の肩までもからだをもたせかけて、頸を一音ずつに動かしながら、「め――か――け」
 十二時まで、僕らはぐずついていたら、お貞が出て来て、もう、時間だから、引きあげてくれろという頼みであった。僕は、立ちあがると、あたまがぐらぐらッとして、足がひょろついた。
 あぶないと思ったからでもあろう、吉弥が僕を僕の門口(かどくち)まで送って来た。月のいい地上の空に、僕らが二つの影を投げていたのをおぼえている。

     一九

 返事を促しておいた劇場の友人から、一座のおもな一人には話しておいた、その他のことは僕の帰京後にしようと、ようやく言ってよこした。これを吉弥に報告すると、かの女はきまりが悪いと言う。なぜかとよくよく聴いて見ると、もしその一座にはいれるとしたら、数年前に東京で買われたなじみが、その時とは違って、そこの立派な立て女形(おやま)になっているということが分った。よくよく興ざめて来る芸者ではある。
 それに、最も肝心な先輩の返事が全く面白くなかった。女優に仕立てるには年が行き過ぎているし、一度芸者をしたものには、到底、舞台上の練習の困難に堪える気力がなかろう。むしろ断然関係を断つ方が僕のためだという忠告だ。僕の心の奥が絶えず語っていたところと寸分も違わない。
 しかし、僕も男だ、体面上、一度約束したことを破る気はない。もう、人を頼まず、自分が自分でその場に全責任をしょうよりほかはない。
 こうなると、自分に最も手近な家から探ぐって行かなければならない。で、僕は妻に手紙を書き、家の物を質に入れて某(なにがし)の金子(きんす)を調達せよと言ってやった。質入れをすると言っても、僕自身のはすでに大抵行っているのだから、目的は妻の衣服やその附属品であるので、足りないところは僕の父の家へ行って出してもらえと附け加えた。
 妻はこうなるのを予想していたらしい。実は、僕、吉弥のお袋が来た時、早手まわしであったが、僕の東京住宅の近処にいる友人に当てて、金子の調達を頼んだことがある。無効であった上に、友人は大抵のことを妻に注意した。妻は、また、これを全く知らないでいたのは迂濶(うかつ)だと言われるのが嫌(いや)さに、まずもって僕の父に内通し、その上、血眼(ちまなこ)になってかけずりまわっていたかして、電車道を歩いていた時、子を抱いたまま、すんでのことで引き倒されかけた。
 その上の男の子が、どこからか、「馬鹿馬鹿しいわい」という言葉をおぼえて来て、そのころ、しきりにそれを繰り返していたそうだが、妻は、それが今回のことの前兆であったと、御幣(ごへい)をかついでいた。それももっともだというのは、僕が東京を出発する以前に、ようやく出版が出来た「デカダン論」のために、僕の生活費の一部を供する英語教師の職をやめられかかっていたのだ。
 父からは厳格ないましめを書いてよこした。すぐさま帰って来いと言うので、僕の最後の手紙はそれと行き違いになったと見え、今度は妻が、父と相談の上、本人で出て来た。
 僕が、あたまが重いので、散歩でもしようと玄関を出ると、向うから、車の上に乳飲(ちの)み児(ご)を抱いて妻がやって来た。顔の痩(や)せが目に立って、色が真ッ青だ。僕は、これまでのことが一時に胸に浮んで、ぎょッとせざるを得なかった。
「馬鹿ッ!――馬鹿野郎!」車を下りる妻の権幕は非常なものであった。僕が妻からこんな下劣な侮辱の言を聴くのは、これが初めてであった。
「………」よッぽどのぼせているのだろうから、荒立ててはよくないと思って、僕はおだやかに二階へつれてあがった。
 茶を出しに来たおかみさんと妻は普通の挨拶はしたが、おかみさんは初めから何だか済まないというような顔つきをしていた。それが下りて行くと、妻はそとへも聴えるような甲高(かんだか)な声で、なお罵詈罵倒(ばりばとう)を絶たなかった。
「あなたは色気狂(いろきちが)いになったのですか?――性根が抜けたんですか?――うちを忘れたんですか? お父さんが大変おこってらッしゃるのを知らないでしょう?――」
「………」僕は苦笑しているほかなかった。
「こんな児があっても」と、かの女は抱き児が泣き出したのをわざとほうり出すように僕の前に置き、
「可愛くなけりゃア、捨てるなり、どうなりおしなさい!」
「………」これまで自分の子を抱いたことのない僕だが、あまりおぎゃアおぎゃア泣いてるので手に取りあげては見たが、間が悪くッて、あやしたりすかしたりする気になれなかった。
「子どもは子どもで、乳でも飲ましてやれ」と、無理に手渡しした。
「ほんとに、ほんとに、どんな悪魔がついたのだろう、人にこう心配ばかしさして」と、妻は僕の顔を睨(にら)む権利でもあるように、睨みつけている。
 僕も、――今まで夢中になっていた女を実際通り悪く言うのは、不見識であるかのように思ったが、――それとなく分るような言葉をもって、首ッたけ惚(ほ)れ込んでいるのではないことを説明し、女優問題だけは僕の事業の手初めとして確かにうまく行くように言って、安心させようとした。妻はそれをも信じなかった。
 とにかく、妻は家、道具などを質入れする代りに、自分が人質に来たのだから、出来るつもりなら、帰って、僕自身で金を拵えて来いというのである。で、僕は明日ひとまず帰京することに定(き)めた。
 それにしても、今、吉弥を紹介しておく方が、僕のいなくなった跡で、妻の便利でもあろうと思ったから、――また一つには、吉弥の跡の行動を監視させておくのに都合がよかろうと思ったから――吉弥の進まないのを無理に玉(ぎょく)をつけて、晩酌の時に呼んだ。料理は井筒屋から取った。互いに話はしても、妻は絶えず白眼を動かしている。吉弥はまた続けて恥かしそうにしている。仲に立った僕は時に前者に、時に後者に、同情を寄せながら、三人の食事はすんだ。妻が不断飲まない酒を二、三杯傾けて赤くなったので、焼け酒だろうと冷かすと、東京出発前も、父の家でそう心配ばかりしないで、ちょッと酒でも飲めと言われたのをしおに、初めて酒という物に酔って見たと答えた。
 僕は、妻を褥(とこ)につけてから、また井筒屋へ行って飲んだ。吉弥の心を確かめるため、また別れをするためであった。十一時ごろ、帰りかけると、二階のおり口で、僕を捉(とら)えて言った。
「東京へ帰ると、すぐまた浮気をするんだろう?」
「馬鹿ア言え。お前のために、随分腹を痛めていらア」
「もッと痛めてやる、わ」吉弥は僕の肩さきを力一杯につねった。
 妻のところへ帰ると、僕のつく息が夕方よりも一層酒くさいため、また新らしい小言を聴かされたが、僕があやまりを言って、無事に済んだ。――しかし、妻のからだは、その夜、半ば死人のように固く冷たいような気がした。

     二〇

 その翌日、吉弥が早くからやって来て、そばを去らない。
「よっぽど悋気(りんき)深(ぶか)い女だよ」と、妻は僕に陰口を言ったが、
「奥さん、奥さん」と言われていれば、さほど憎くもない様子だ。いろいろうち解けた話もしていれば、また二人一緒になって、僕の悪口(あっこう)――妻のは鋭いが、吉弥のは弱い――を、僕の面前で言っていた。
「長くここへ来ているの?」
「いいえ、去年の九月に」
「はやるの?」
「ええ、どこででもきイちゃんきイちゃんて言ってくれてよ」
「そう」と、あざ笑って、「はやりッ子だ、ねえ。――いくつ?」
「二十七」僕はこれを聴いて、吉弥が割合いに正直に出ていると思った。
「学校ははいったの?」
「いいえ」
「新聞は読めて?」
「仮名をひろって読みます、わ」
「それで役者になれるの?」
「そりゃアどうだか分りませんが、朋輩(ほうばい)同志で舞台へ出たことはあるのよ」
 二人はこんな問答もあった。
 僕は、帰京したら、ひょッとすると再び来ないで済ませるかも知れないと思ったから、持って来た書籍のうち、最も入用があるのだけを取り出して、風呂敷包みの手荷物を拵えた。
 遅くなるから、遅くなるからと、たびたび催促はされたが、何だか気が進まないので、まアいい、まアいいと時間を延ばし、――昼飯を過ぎ、――また晩飯を喫してから、――出発した。その日あたりからして、吉弥へ口のかかって来ることがなくなって来たのだ。狭いところだから、すぐ評判になったのであろう。妻を海岸へ案内しようと思ったが、それも吉弥が引き受けたのでまかしてしまった。
 僕の東京の住家は芝区明船町(あけふねちょう)だ。そこへ着いたのは夜の十時過ぎ――車を帰して、締っている戸をたたいていると、家の前を通り過ぎた人が一人あって、それが跡もどりをして来て、
「義雄かい?」僕の父であった。
「ただいま帰りました」と、僕はあわてて、少しきまりが悪く答えた。きょうは帰っただろうと、それとなく、わざわざ見まわりに来たところなのだろうから、父も随分心配しているのかと、僕のからだが縮みあがった。が、「まア、おはいんなさい」と、戸が明くのを待って、僕は父を座敷へ通した。
 妻が残して行った二人の子供のいびきが、隣りの室から聴えている。
 僕が茶を命じたら、
「今、火を起しますから」と、妻の母は答えた。
「もう、茶はいりませんよ、お婆アさん」と言っておいて、父は僕に対してすこぶる厳格な態度になり、
「今度のことはどうしたと言うんだ?」
「………」僕は少し心を落ち着けてから、父の顔を見い見い答えた。「このことは何にも聴いて下さんな、自分が苦しんで、自分が処分をつけるつもりですから」
「そうか」と、父は僕の何にも言わない決心を見て取ったのだろう、「じゃア、もう、きょうは遅いから帰る。あす、早速うちまで来てもらいたい」
 こう言って、父は帰って行った。
 妻が痩せたのを連想するせいか、父も痩せていたようだし、今、相対する母もまた頬が落ちている。僕は家族にパンを与えないで、自分ばかりが遊んでいたように思えた。
 僕の書斎兼寝室にはいると、書棚(しょだな)に多く立ち並んでいる金文字、銀文字の書冊が、一つ一つにその作者や主人公の姿になって現われて来て、入れ代り、立ち代り、僕を責めたりあざけったり、讃(ほ)めそやしたりする。その数のうちには、トルストイのような自髯(はくぜん)の老翁も見えれば、メテルリンクのようなハイカラの若紳士も出る。ヒュネカのごとき活気盛んな壮年者もあれば、ブラウニング夫人のごとき才気当るべからざる婦人もいる。いずれも皆外国または内国の有名、無名の学者、詩人、議論家、創作家などである。そのいろんな人々が、また、その言うところ、論ずるところの類似点を求めて、僕の交友間のあの人、この人になって行く。僕は久しぶりで広い世間に出たかと思うと、実際は暗闇の褥中(じょくちゅう)にさめているのであった。持ち帰った包みの中からは、厳粛な顔つきでレオナドがのぞいている。
 神経の冴(さ)え方が久しぶりに非常であるのをおぼえた。……ビスマクの首……グラドストンの首……かつて恋しかった女どもの首々……おやじの首……憎い友人どもの首……鬼女や滝夜叉(たきやしゃ)の首……こんな物が順ぐりに、あお向けに寝て覚(さ)めている室の周囲(まわり)の鴨居(かもい)のあたりをめぐって、吐(つ)く息さえも苦しくまた頼もしかった時だ――「鬼よ、羅刹(らせつ)よ、夜叉の首よ、われを夜伽(よとぎ)の霊の影か……闇の盃盤(はいばん)闇を盛りて、われは底なき闇に沈む」と、僕が新体詩で歌ったのは!
 さまざまの考えがなお取りとめもなく浮んで来て、僕というものがどこかへ行ってしまったようだ。その間にあって、――毀誉褒貶(きよほうへん)は世の常だから覚悟の前だが――かの「デカダン論」出版のために、生活の一部を助けている教師の職(僕は英語を一技術として教えているのであって、その技術を金で買うように思っている現代学生には別に師事されるのを潔しとしない)を、妻の聴いて来た通り、やめられるなら、早速また一苦労がふえるという考えが、強く僕の心に刻まれた。
 しかし、その時はまだその時で、一層奮励の筆をもって、補いをつけることが出来ると、覚悟した。
 すると、また、心の奥から、国府津に送る金はどうすると尋問し出す。これが最もさし迫った任務である。しかし、それもまた、僕には、残忍なほど明確な決心があった。
 それがために、しかしわが家ながら、他家のごとく窮屈に思われ、夏の夜をうちわ使う音さえ遠慮がちに、近ごろにない寂しい徹宵(てっしょう)の後に、やッと、待ち設けた眠りを貪(むさぼ)った。

     二一

 子供の起きるのは早い。翌朝、僕が顔を洗うころには、もう、飯を済ましていた。
 「お帰りなさい」とも、何とも言わないで、軽蔑(けいべつ)の様子が見えるようだ。口やかましいその母が、のぼせ返って、僕の不始末をしゃべるのをそばで聴いていたのだろうと思われた。
 僕が食膳に向うと、子供はそばへ来て、つッ立ったまま、姉の方が、
「学校は、もう、来月から始まるのよ」と言う。吉弥を今月中にという事件が忘れられない。弟の方はまた、
「お父さん、いちじくを取っておくれ」と言う。
 いちじくと言われたので、僕はまた国府津の二階住いを冷かされたように胸に堪(こた)えた。
「まだもう少し食べられないよ」と言って、僕は携えて来た土産(みやげ)を分けてやった。
 妻の母は心配そうな顔をしているが、僕のことは何にも尋ねないで、孫どもが僕の留守中にいたずらであったことを語り、庭のいちじくが熟しかけたので、取りたがって、見ていないうちに木のぼりを初め、途中から落ッこちたことなどを言ッつけた。子供は二人とも嫌な顔をした。
「お母さん、箪笥(たんす)の鍵(かぎ)はどこにあります?」僕はいよいよ残酷な決心の実行に取りかかった。
「知りませんよ」と、母は曖昧(あいまい)な返事をした。
「知らないはずはない。おれの家をあずかっていながらどんな鍵でもぞんざいにしておくはずはない」
「実は大事にしまってあることはしまってありますが、お千代が渡してくれるなと言っていましたから――」
「千代は私の家内です、そんな言い分は立ちません」
「それでは出しますから」と、母は鍵を持って来て、そッけなく僕の前に置き、台どころの方へ行ってしまった。
 僕は箪笥の前に行き、一々その引き出しを明け、おもな衣類を出して見た。大抵は妻の物である。紋羽二重(もんはぶたえ)や、鼠縮緬(ねずみちりめん)の衣物――繻珍(しゅちん)の丸帯に、博多(はかた)と繻子(しゅす)との昼夜帯、――黒縮緬の羽織に、宝石入りの帯止め――長浜へ行った時買ったまま、しごきになっている白縮緬や、裏つき水色縮緬の裾(すそ)よけ、などがある。妻の他所行(よそゆ)き姿が目の前に浮ぶ。そして昔の懐かしいかおりまでが僕の鼻をつく。
「行って来ますよ」という外出の時の声と姿とは、妻の年取るに従って、だんだん引き締って威厳を生じて来たのを思い出させた。
 まだ長襦袢(ながじゅばん)がある。――大阪のある芸者――中年増(ちゅうどしま)であった――がその色男を尋ねて上京し、行くえが分らないので、しばらく僕の家にいた後、男のいどころが分ったので、おもちゃのような一家を構えたが、つれ添いの病気のため収入の道が絶え、窮したあげくに、この襦袢を僕の家の帳面をもって質入れした。その後、二人とも行(ゆ)く方(え)が知れなくなり、流すのは惜しいと言うので、僕が妻のためにこれを出してやった。少し派手だが、妻はそれを着て不断の沈みがちが直ったように見えたこともある。
 それに、まだ一つ、ずッと派手な襦袢がある。これは、僕らの一緒になる初めに買ってやった物だ。僕より年上の妻は、その時からじみな作りを好んでいたので、僕がわざわざ若作りにさせるため、買ってやったのだ。今では不用物だから、子供の大きくなるまでと言ってしまい込んであるが、その色は今も変らないで、燃えるような緋縮緬(ひぢりめん)には、妻のもとの若肌のにおいがするようなので、僕はこッそりそれを嗅いで見た。
「今の妻と吉弥とはどちらがいい?」と言う声が聴えるようだ。
「無論、吉弥だ」と、言いきりたいのだが、心の奥に誰れか耳をそば立てているものがあるような気がして、そう思うことさえ憚(はばか)られた。
 とにかく、多少の価(ね)うちがありそうな物はすべて一包みにして、僕はやとい車に乗った。質屋をさして車を駆けらしたのである。
 友人にでも出会ったら大変と、親しみのある東京の往来を、疎(うと)く、気恥かしいように進みながら、僕は十数年来つれ添って来た女房を売りに行くのではないかという感じがあった。
 僕は再び国府津へ行かないで――もし行ったら、ひょッとすると、旅の者が土地を荒らしたなど言いふらされて、袋だたきに逢(あ)わされまいものでもないから――金子(きんす)だけを送ってやることに初めから心には定めていたので、すぐ吉弥宛(あ)てで電報がわせをふり出した。

     二二

 国府津では、僕の推察通り、僕に対する反動が起った。
 さすがは学校の先生だけあって、隣りに芸者がいても寄りつきもしない、なかなか堅い人であるというのが、僕に対する最初の評判であったそうだ。が、だんだん僕の私行があらわれて来るに従って、吉弥の両親と会見した、僕の妻が身受けの手伝いにやって来たなど、あることないことを、狭い土地だから、じきに言いふらした。
 それに、吉弥が馬鹿だから、のろけ半分に出たことでもあろう、女優になって、僕に貢(みつ)ぐのだと語ったのが、土地の人々の邪推を引き起し、僕はかの女を使って土地の人々の金をしぼり取ったというように思われた。それには、青木と田島とが、失望の恨みから、事件を誇張したり、捏造(ねつぞう)したりしたのだろう、僕が機敏に逃げたのなら、僕を呼び寄せた坊主をなぐれという騒ぎになった。僕の妻も危険であったのだが、はじめは何も知らなかったらしい。吉弥を案内として、方々を見物などしてまわった。
 僕が出発した翌日の晩、青木が井筒屋の二階へあがって、吉弥に、過日与えた小判の取り返し談判をした。
「男が一旦(いったん)やろうと言ったもんだ!」
「わけなくやったのではない!」

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